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息子が友達と八ヶ岳に行くという。出るときに玄関口でお祈り。ボクが祈ると妻も祈る。じゃぁね、と、どの峰を行くか、ごく簡単に説明して、出て行く。遭難したらそこを捜して、というつもりなのだろう。
2015年07月31日
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今日は事務所へ船橋駅階段下りで足が滑る。隣の男性にすがりついて助かる。うつらうつらしていて一駅乗り越す。三島駅を乗り越し新富士駅まで行ってしまった昔日よりは良し。待ち合わせ10時半に何とか間に合い2人で事務処理をする。最後は台東登記所へ行く。「ボクが車で一緒に行ってあげるよ」いつもは自転車で行くのだが時間が少し遅くなり、優しい先輩が送迎してくださった。若い頃は簡単に仕上げた書類も今は思うように時間がはかどらない。それでも必要とされているので喜んでやる。
2015年07月30日
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夏期聖会を終えて、まだ仕事が残っている。注文を受けた説教や証詞の録音をCDに焼かなければならない。今年は注文数が少ないがそれでも30枚と少しある。1枚ずつパソコンでCDRに焼きラベルを作り、発送までする。1説教1ファイルでもいいのだがそうなると聞いている途中で止めるとまた頭から早送りしなければならないのでファイルを分けて焼き込むことにしている。それに時間がかかる。不要な部分をカットすることも手間がかかる仕事である。しかしボクは以前旧新約聖書すべてを音声編集した経験があるのでできないことはない。今年はプリンターを入れ替えたがCDにラベルを書く機能はないので手書きとなる。うへぇ、まずい字をさらす羽目になった。
2015年07月29日
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夕方、エアコンが2台届いた。息子が7時過ぎに帰宅して夕食後、2人で取り付けた。下の階は礼拝をする部屋に上の階は夫婦の寝室に1台目の取り付けは手間がかかる。2台目はあっという間に終わる。「涼しい!」と妻。あ~もう一日早く頼めばよかった。今日、妻は暑さに負けて寝込んでしまった。
2015年07月28日
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今日の暑さは普通ではなかった。頭の上に濡れタオルを置く。上半身裸で、肩に濡れタオルを掛ける。エアコンを買おうと妻。扇風機だけでは、外から人を招けない、と。そうだねぇ。
2015年07月25日
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2泊3日の聖別会から帰りました。クリスチャンたちが100人以上集まり半分以上のかたは顔見知りとなってそこに身を置くことは心地よい。聖書のメッセージを聴くことは楽しい。しかし聖書というものは聞いただけではあまり意味がない。信じただけでもあまり意味がない。読んだこと聞いたこと信じたことそこに生きてはじめて意味を持つものだ。聖書の言葉はそこに生きることを求める。聴くことは生きること信じることは生きることねえキミは大丈夫?自分自身に問い続けたい。
2015年07月23日
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今、ボクたちの群れの聖会中この度の聖会では、モーセの生涯が語られる。お説教を聞いていて、気づいたこと。モーセという人は、神様から命じられたお仕事を徹底的に断っていると言うこと。固辞している。お受けしたと書いてあるところは、見つからない。それでもイスラエルの群れを奴隷の国から約束の土地に率いて連れ出したのだから結果的にはお受けしているのだ。そこにモーセの人間性が見られる。やりたくなかったこと、自信がなかったこと、それを生涯かけてやり遂げた人だ。明日もモーセの生涯が語られる。楽しみだぞ!
2015年07月21日
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夏期聖会の説教順番が回って来たので原稿準備をした。妻に読んでいただくと、2,3のチェックが入る。年を経るごとにチェックは甘くなる。「わかりやすい聖書のテキストが当てられたので 準備していて楽しかったよ」「わたしも、読んでいて楽しかったわ」この夏は、あと2つの教会での説教奉仕がある。
2015年07月20日
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彼の妻は「どこまでも無垢でいるのですか。神を呪って、死ぬ方がましでしょう」と言ったが、ヨブは答えた。「お前まで愚かなことを言うのか。わたしたちは、神から幸福をいただいたのだから、不幸もいただこうではないか。」 ヨブ記2章9~10聖書の中でも、読んでいて凍り付く場面だ。わかり合えない夫婦の典型ではないだろうか。ヨブという人は、「信仰の人」かも知れないが、妻との心の交流は感じられない。そう、わが身を振り返る場面だ。そこはヨブ記の序である。次の場面では、3人の親友が訪ねてくる。そこでヨブはあらん限りの繰り言を心の底からあふれさせる。最後まで読んでももはや彼の奥さんのことは語られない。
2015年07月18日
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問1 私たちが目当てに生きる最初のことは何ですか。 答 神を愛することです。問2 第2は何ですか。 答 私たちの隣人を愛することです。問3 牧師として生きる第一の使命は何ですか。 答 託された群を守ることです。問4 第2は何ですか。 答 まだ福音を聞いたことがない人に福音を伝えることです。
2015年07月17日
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キリスト教テレビ局の番組を見ていた。カナダのある女性牧師が、自分は無神論者であることを告白したという。偽りの説教や祈りをすることに耐えられなくなったのだろう。日本でもある神学校の校長が、死ぬ前に「自分は神を信じられない」と告白したという話を若い頃聞いたことがある。神を信じるということは、理屈の世界ではない。心の世界だ。恵みの世界だ。ボクの心に伝道への思いが湧く。「わたしは神を信じたかったのに、だれも神のことを話してくれなかった」もしそんな人がボクの身近にいたとしたら、ボクの責任だ。伝道をやめて、神を信じる一握りの人々と楽しく暮らしても天国には行けるだろうが「良い忠実な僕だ、よくやった」とのお言葉は頂けまい。神を求める人を捜す、そして伝える、これこそボクに与えられた使命だったのだ。神を捨てる人あり。神を求める人あり。
2015年07月12日
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去る礼拝は、母が次男夫婦(ボクの弟)をエスコートした。次男夫婦が母をホームまで迎えに行き一緒に西佐津間家庭集会に来たのだから次男夫婦がエスコートしたというのかな?でも母が誘ったのだからやはり・・・・いやまてよお客さんが2人加わり、楽しかった。明日の礼拝はどなたが加わるかな? http://nisisatuma.jimdo.com/
2015年07月11日
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夫婦げんかで逆上して家に灯油をまき火を着けわが子を4人も失う。奥さんは、「ささいな夫婦げんかがきっかけ」と言ったという。夫は、「妻が見送ってくれなかったから」と言ったという。そして破滅は一瞬にして訪れる。作り上げることはたゆまぬ努力。崩すことは一瞬。自分の心を見張り自分を律すること。この事件に深く心を動かされたボクはこのご主人と共通する激情を心の奥深くに潜ませる。若い時から志し、信仰の道を今日まで歩いてきたことがそこで口を開けてボクを待っていた破滅から、ボクを守ったのだ。
2015年07月07日
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ベートーヴェンの最晩年。ハイドンの生家の絵を眺めたり、ヘンデルの楽譜を手にして、彼ら先達に、深い尊敬の念を言い表している様子が回想されている。真に円熟した芸術家の態度を見る。ハイドンやヘンデルより自分は遙かに及ばない、とベートーヴェンは考えていたのかも知れない。あたかも父祖ヤコブが死ぬ前に自分の生涯を回想して父イサクや祖父アブラハムに自分は遙かに及ばないと、述懐したことに似ている。いやいや、ベートーヴェンも父祖ヤコブもその先達よりもずっと上を歩いていたのだとぼくは思うのだ。
2015年07月06日
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人を崇めるな神を崇めよ強く影響を受ける人に出会ってもたちまちに別れがやってくるだから神を見上げよその人を遣わしたのは神だからその人と出合ったのは神のわざだから神を崇めよ神に向かって走れ人生のゴールには神があなたを待っているただそれだけ
2015年07月04日
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東海道新幹線「のぞみ」内で起きた火災事件。運転手をはじめ乗務員が命をかえりみず消火活動をしたという。大火災となって、もっと多くの犠牲者が出ても不思議ではなかったという。これがプロなのだ。たとえパートであったとしてもだれでも皆その道のプロのはずだ。一つの人生をプロとして生きればそれでいいのだ。
2015年07月03日
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7月に入り、神学校最後の授業。学校に行く途中のコンビニで、コーヒーを4つテイクアウトして授業のはじまりに、クラスの生徒と一緒に飲む。「結構おいしいですね」「そうだねぇ、なかなかうまいねぇ」その日のクラス、いっそう熱が入ったかな?来週はテストですぞ。
2015年07月02日
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ついに7月だよ!雨の中を妻の診察に同行。HbA1cが9.4%に上がっている。主治医が、しかめ面インスリン量が増やされる。月ごとに数値が上がってくる。脳腫瘍術後の症状が経過を悪くしているのかも?そうだけどボクたちの心は晴れ晴れ。人生を、夫婦を楽しむ。「うつになる機会がずいぶん減ったよ」「あなたも(教会を)やめてよかったわね」夜の散歩でそんな会話をした。生と死のボーダーラインを行く彼女は楽しげで、明るい。ボクたちはいつも一緒。一緒にそのラインをまたいでもそれでも良い。神が許し給わば上へ神が導き給わば左右へ
2015年07月01日
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