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「ニューズ ・ ワールド」創刊、ニューヨーク<ニュースワールド>創刊(1976.12.31、ニューヨーク州)1976年12月31日、米ニューヨークで「ニュースワールド(The News World)」の新聞が創刊された。真のお父様は「人類のために、神の名前のために公正な論説をすることができる新聞を作成する。」と言われた。最初は24面で発行された新聞は1983年4月4日「ニューヨーク・トリビューン」に題号が変更された。ニュースワールドは、1980年に米国の大統領選挙で選挙日であった1980年11月4日に「レーガン(Reagan)圧勝」と一面記事と一緒にレーガン当選予測を報告した。翌日の新聞は「神に感謝します。私たちは正しかった!」という一面記事とレーガン米国大統領当選者が自分の圧倒的な勝利を予見したニュースワールドを手に取って見せているUPI通信社の写真を一緒に発行した。 <天一国経典・真の父母経>から:アメリカの「ニューズ・ワールド」真の父母様は、一九七六年十二月三十一日、アメリカでは初めて保守言論の旗印を掲げ、総合日刊紙「ニューズ・ワールド」を創刊された。この新聞は、一九八三年四月四日、題号が「ニューヨーク・シティ・トリビューン」に変更された。6 今まで、言論界は正義の言論界ではなく、不正義の言論界だったので、私たちは正義の言論界のために立ち上がらなければなりません。これを正すことができな ければ、アメリカを救うことはできません。直接的問題に引っ掛かっているので、私が手を付けるのです。宗教指導者が新聞社を造って、何をするのでしょうか。新聞が世の中を減ぼす元凶になっています。ですから、私の目が新聞に向かい、私の耳が新聞に向かい、私の鼻が、私の口が、私の手が、私の足が、私の心 が新聞に向かっているのです。このような重要な基点、分岐線が新聞社になっているというのです。それはお父様の方針です。その次には、伝道をしなければなりません。この二つが問題です。これをしなければ、アメリカが滅びます。世界が滅びるのです。それで、私は世界の宣教師たちに、あらかじめ新聞記者の訓練をしなさいと、特別に指示しました。各宣教師に特別措置をしました。「宗教を中心として世の中をつかみ、引っ張って いかなければならない」と言ったのです。これが私たちの言論機関の精神です。それが最も貴く、最も大きいのです。7 私が「新聞社を造る」と言ったとき、「ニューヨーク・タイムズ」も「ワシントン・ポスト」もすべてあざ笑いました「レバレンド・ムーンが新聞社を造るというのか」と言いながら、あざ笑ったというのです。新聞社というのは、誰もが造れるものではありません。実力基盤がなければなりません。言論機関というのは、そのように簡単ではないというのです。そこには、多方面に素質のある人的資源がなければなりません。それは、月給をあげてもできないのです。日本の「世界日報」を造るとき、四ヵ月前に組織を編成して造りました。「ニューズ・ワールド」を造るのは、四ヵ月もかからなかったのです。8 私たちには、この国が危機に瀕しているとき、協助しなければならない責任があります。そのような観点で、天意に従って未来の防波堤を造らなければなりません。私たちは目に見えない闘いをしているのです。そうして一線を引き新しい基点と方向を定めていかなければなりません。私が個人と家庭と氏族を中心として 転換点を形成したので、今や国家を中心として転換点を形成しなければなりません。今日、アメリカが保守的な右翼のほうに帰っていくようにしなければなりません。そのようにしなければ、神様のみ旨が成就されません。み旨から見れば、今がこのような時だというのです。私がここで門を開けなければなりません。そうして、天意を受けて、そのようなことをしてみると、 予想外の結果が起きました。私たちの「ニューズ・ワールド」が、世界的に有名な新聞になったのです。レーガンとカーターが大統領選挙を行うとき、「レーガ ンが選挙人団三百五十人以上を突破するだろう」と予測したのですが、その時は「カーターが勝つ」と言われている時だったのです。「ニューズ・ワールド」は そのような記事を全国に送りました。ですから、どれほど「狂っている」と言われたか分かりません。「恥をかくのを見よう」と言われたのです。9 レーガン大統領は、私と何の関係もありませんでした。アメリカが世界のキリスト教の中心国家なのに、その伝統思想を忘れてしまいました。そうして、アメリ カは今、共産勢力が乱立している実情にあります。それで、私が助けてあげたのです。大統領選挙の開票前日、「レーガン、地滑り的勝利」と「ニューズ・ワー ルド」で特筆大書しました。アメリカにある新聞社は千七百を超えます。そのような新聞社が「レーガンには見込みがない」と言っていた時でした。そのような 状況で、「レーガンが勝利する」と発表したのです。10 レーガンが大統領に就任する時、私は「強く雄々しくあってこそ、神様が共にいらっしゃる」と手紙を書いて送りました。これから、アメリカでデモがたくさん起きるでしょう。また、世界的に、レーガン行政府を攻撃するための戦略が多く展開されるでしょう。共産勢力は、エルサルバドルにゲリラを送り、レーガンに痛手を負わせようと計画しています。そのような世界的な戦略的計画のもとで、エルサルバドルで左翼のゲリラ戦が起きるというのです。これは間違いない事実です。ですから、この前、私た ちの「ニューズ・ワールド」が「ニューヨーク・タイムズ」を攻撃しました。「ニューヨーク・タイムズ」が左翼系の勢力を支援しているのです。本当に痛まし い話です。言論界では、初めて「ニューヨーク・タイムズ」を打ちました。南米と中東にも新聞社を造り、ヨーロッパにも新聞社を造ろうとしているのはそのよ うな理由からです。11 一九八三年四月に、「ニューズ・ワールド」を「ニューヨーク・シティ・トリビューン」という名前に変更したのですが、その名前が本当に良いのです。これに より、初めてニューヨークに来る人は、「ニューヨーク・タイムズ」と「ニューヨーク・シティ・トリビューン」を見るようになります。アメリカ人たちの通念 がそうです。「ニューヨーク・シティ・トリビューン」と言えば、それは「ニューヨーク・タイムズ」と対等な立場だとみなすのです。また、「ワシントン・ポスト」 と「ワシントン・タイムズ」を、一般の人々は対等に見ます。タイムズやトリビューンというのは、新聞世界における王の名前です。ニューヨークは、観光客が たくさん行き来する所です。ですから、彼らが時事に関する内容を知ろうとすれば、必ず新聞を買って読まなければならないのですが、このときには、「ニュー ヨーク・タイムズ」と「ニューヨーク・シティ・トリビューン」を買って読むようになるというのです。12 今や「ニューズ・ワールド財団」に、韓国の「世界日報」が入らなければならず、アメリカの「世界日報」、日本の「世界日報」、「ワシントン・タイムズ」が 入らなければならないというのです。その次には、「ニューヨーク・シティ・トリビューン」、「ウルティマス・ノティシアス」、「ミドルイースト・タイム ズ」も入らなければなりません。これらすべての言論機関が、「ニューズ・ワールド財団」の中に入っていなければなりません。アメリカの「ワシントン・タイムズ」がある程度の成功基準に達すれば、強大な力になります。これがある軌道さえ越えれば、その収益性は大変なものに なるでしょう。また、これと関連する機関、行政機関であれば行政機関を中心として、どんなことでもできます。膨大な事業をすることができる強大な力をもつ というのです。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓ 以下は、ニューズ・ワールドに関わるレーガン大統領誕生の秘話であります。当時ニューズ・ワールド社長だった朴 普熙先生が日本で巡回講演をされたもので、それを書籍にした『日本の未来はどこへ行くのか』(朴 普熙著、1995年)からの引用です。アメリカの大統領を選ぶ レバレンド・ムーンは神から、アメリカの大統領の協力を得よとの啓示を受けました。 そこで、最初に、ニクソン大統領を選ばれたのでございます。 一九七四年三月一日、文鮮明先生は、ホワイトハウスの大統領執務室でニクソン大統領に会い、彼を懇々と説得しました。「ウォーターゲートという政治的破滅から自分自身を救い、ベトナム戦争を勝利に導き、東南アジアの一千万の流血を防ぐのがあなたの責任です」と語られました。そして、その方法を教えました。私は、その歴史の証人でございます。私はその場で、それを通訳した者でございます。 レバレンド・ムーンに固く約束したニクソン大統領は、残念ながらレバレンド・ムーンを失望させました。そのため、ベトナムでアメリカは敗北しました。これはアメリカ約二百年の歴史に、初めての敗戦という屈辱でありました。アメリカが神のみ旨から離れた結果でございます。そして、東南アジアに一千万の無益な血が流されました。 あの時、アメリカのレバレンド・ムーンに対する迫害は絶頂に達しておりました。それは、レバレンド・ムーンが人気のないニクソン大統領を助けようとされたからでございます。 レバレンド・ムーンは悲壮な覚悟をされ、神に次の大統領を願いました。啓示で与えられた、次の大統領の名前はロナルド・レーガンでありました。救世主の大統領づくり レバレンド・ムーンは神に、レーガン氏を大統領に当遷させることを誓いました。私はレバレンド・ムーンの指示でレーガン大統領候補と会見をするためにオハイオ州に行きました。当時、私はニューズワールド新聞社の社長でありました。 私はレーガン氏に会った途端、「あなたは神からアメリカの四十代目の大統領に選ばれました」と言いました。するとレーガン氏はあまりにも驚いて、「それはいったいだれの話ですか?」と尋ねました。私が「レバレンド・ムーンの神の啓示によるものです」と言うと、「では、なぜ、神とレバレンド・ムーンは私を大統領にしようとするのですか? 何が条件ですか?」とさらに聞きました。 そこで、私は答えました。「条件は何もありません。神とレバレンド・ムーンはあなたを大統領にして、神と人類の敵、共産主義の終焉をもたらそうとしています。それがあなたの使命です。その決心があれば、あなたは次の大統領になれます」と宣言しました。レーガン氏とナンシー女史は深く深く感動いたしました。レーガン当選の見込みは"ゼロ" けれども、帰ってきた私は、レバレンド・ムーンに新聞社の社長として世間の世の世論を詳しく述べざるを得ませんでした。それは、グッドニュースではありませんでした。それは、レーガン氏の当達する可能性は全然ないという意見でありました。私はレーガン当選の見込みは"ゼロ"であるとの、つらい話をしなければなりませんでした。 私は五つの意見をレバレンド・ムーンに述べました。レーガン氏が七十一歳という高齢であること。アメリカの歴史にこのような高齢の大統領はかつていなかったということ。レーガン氏は極右として知られている。アメリカ人は極右も極左と同じくらい好まないということ。彼は一九七六年に大統領選に挑戦して、すでに一回失敗したということ。彼はハリウッドの俳優出身であるがために、政治家として真摯にとらえてくれないこと。最後に、最も重大な理由として、カーター大統領は現職の大統領であり、現職の大統領の再選はいつも八〇%有利な立場にあるということを申し上げました。 これを注意深く聞かれたレバレンド・ムーンは、毅然としておっしやいました。「だからこそ私は、その不可能なことを可能にするのである。神の栄光のためである。奇跡は神の力で起こるのだ」と。 私も毅然とさせられました。投票日の予想 いよいよ投票の日がやってまいりました。レバレンド・ムーンは私に命令されたのであります。投票日の前日、ニューズワールド新聞に大きく予言を出せとのことです。それも「レーガン、地滑り的大勝利」とせよとのことです。今レーガンが勝刊するかさえも疑問なのに、「地滑り的大勝利」とは、これは当時の事情としては、あまりにも、かけはなれたものでありました。 当時、アメリカ全国にレーガンが勝つと分析した専門家は一人もおりませんでした。ところが、私にはこれは救世主のみ言(ことば)でございます。どうしますか、これ? 「万事休す」でございます。 私は、しっかりと信仰をもってとらえましたが、新聞社に帰ったら、反対が大変でありました。「冗談にもほどがある、これはあまりにもひどい。明日ニューズワールドは笑い物になる」と。 私たちは皆、憶病になり小さくレーガン勝利の予言の記事の草案を害いて、レバレンド・ムーンにお見せしました。それは、「もしかしたらレーガンが勝刊する、かもしれない」との内容でありました。 それを見られたレバレンド・ムーンは、急に「おい! ごみ箱をちょっと持って来い」と、私におっしゃいました。そして、「この記事は、ごみ箱行きだよ」とおっしゃって、それをごみ箱に捨てられました。 そして私を正面に見すえながらおっしゃいました。「お前、第三次世界大戦が起こったら、どのような見出しを新聞に書くのか」と。 私は何気なく「それはもちろん、大変なニュースですから、一面の大見出しで、こぶし大の大きな活字を使います」と言いました。 それを聞いたしバレンド・ムーンは「そうだ! それで行け! 私にはこれが第三次世界大戦だ」とおっしゃいました。 編集局に帰った私は、ますます高まる反対の者たちを、しかたなく一堂に集めてこう叫びました。これは私の一生で最も重大な演説ではなかったかと思います。 「皆さん! ニューズワールドは救世主の新聞であります。ニューズワールドは、今日、救世主の願いを一つ果たして、明日、潔く殉教新聞になりましょう。最後の新聞を勇敢に作ってください!」 と。これには、だれも何も言うことはありませんでした。 そして、でき上がったのがこの新聞でございます。 「REAGAN LANDSLIDE レーガン、地滑り的大勝利」。正に第三次世界大戦勃発のごとくです。翌日の朝早く、これを受け取ったレーガン候補は、まず驚き、そして大変喜びました。 それが、ちょうど投票日一九八O年十一月四日の朝でした。レーガン大統領候補は、この新聞を掲げて記者会見に出ました。 このニューズワールドの写真がアメリカ全国の新聞に出たばかりか、アメリカのすべてのテレビがこの新聞を全国に報道しました。 二億四千万のアメリカ人はこの役票日の朝、大混乱に陥りました。 「オー、もうレーガンが勝ったのか? 投票がもはや終わったのかな? 私、まだ投票していないのに。これどうなったのか?」と。 彼らは、テレビを通じて「レーガン地滑り的大勝利」はよく見えるけれど、ニューズワールド新聞の予測だ」という文字は小さくてよく見えなかったのであります。 レバレンド・ムーンはこの新聞一枚で、アメリカ全国民の心理をレーガン勝利のほうに導いたのです。今考えても、これは天才的な戦略であります。 アメリカに”JOIN THE WINNER”(勝つ方に立つのが得だ)という諺がありますが、アメリカ人は勝つほうに立ちたがるのです。 「レーガンが勝つ」という心理が、アメリカ全国にみなぎりました。アメリカは一日中、REAGAN RANDSLIDEの大見出しを見ながら投票したのでございます。 その夜、開票が始まりました。夜の十時にはもう、レーガンの勝利が確実となりました。十一時が過ぎると、ニューズワールドの予言のごとく、レーガンの「地滑り的大勝利」という奇跡が確実になったのでございます。 アメリカのすべての言論界の目は、ニューズワールドに集中しました。数百名の記者たちが、ニューヨークのわが新聞社に押し寄せてまいりました。「社長と会見をしたい」とのことです。 私は、おもむろに記者たちの前に立って、静かに言いました。 「何か質問があるんですか?」 興奮して狂気と化した記者たちは「どうしてレーガン勝利が分かったんですか?」と怒鳴りました。 「何人に電話して調べたんですか? 何千人ですか? 何万人ですか?」と聞きました。アメリカでの世論調査は大体数百人に電話で行うのですが、彼らは我が新聞社がこのような確実な結果を出すためには、何万人にも電話したと思ったのです。 私は、言いました。 「いや、私たちはそんなやり方はしません。それは十九世紀の時代遅れのやり方です。私はただ、電話一本をかけただけです」 記者「だれに電話をかけましたか?」 社長「レバレンド・ムーンに電話をかけました」 記者「では、それはレバレンド,ムーンの予言ですか?」 社長「全く、そうでございます。レバレンド・ムーンの予言です」 記者「では、レバレンド・ムーンはどうして分かったんですか?」 社長「私が聞くところによりますと、レバレンド・ムーンもただ一本電話をかけたそうです」 記者「だれにですか?」 社長「神様にです!」 記者「ええっ!! 本当ですか? では、その神様の電話番号、ちょっと教えてください!!」(大笑いと拍手) その日、ニュースワールドは一躍アメリカで英雄的な新聞となりました。 私は、文鮮明先生の偉大なビジョンとその戦略の偉大さに感動のあまり涙が流れました。「さすがー、我が先生は救世主である。救世主に栄えあれ」と何回唱えたことでしょうか。 こうしてレーガン氏はアメリカ四十代大統領になったのでございます。皆様は、その驚くべき秘話を、今日聞いたのでございます。救世主の新聞作り では、レーガン氏を大統領に当遷させることによって、共産主義宗主国、ソ連の終焉はもう決まったのでしょうか。いや、そう簡単ではありません。もし、レバレンド・ムーンがもう一つの大きな奇跡を起こしていなかったならば、今もまだ、共産主義の終焉はなかったのではないかと思います。 そのもう一つの奇跡は何だったのでしょうか? それは、ワシントン・タイムズの創設でありました。アメリカは、世論の国でございます。政府より強いのが言論でございます。ところが、レーガン氏就任の時のアメリカのマスコミは、徹底的にリベラルであり、特に、自由世界の首都とも言えるワシントンには、ワシントン・ポストという、超リベラルな容共新聞が一つだけ残っていたのであります。皆様、東京に新聞が一つしかないということが考えられますか? これではソ連を「悪魔の帝国」と呼んだ、さすがのレーガンでもかないません。 ここで、レバレンド・ムーンは立ち上がりました。 「このままではアメリカは滅びる。アメリカが滅びれば世界が滅びる。我々はアメリ力を救わなければならない。統一教会を犠牲にしてでも、ワシントンに保守系の新聞を作らなければならない」と悲壮な覚悟をなさったのでございます。 その日が一九八二年の一月一日でありました。 その翌日、私はワシントン・タイムズの初代社長に任命され、二百名の中核メンバーたちを引き連れて、ニューヨークからワシントンに入ったのであります。 それから、六か月もたたない五月十七日、ワシントン・タイムズがその雄姿をアメリカの前に現したのでございます。これは本社ビル、これはアメリカでも有名な我が編集局、これは印刷工場です。 ……
2020.12.31
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天の父母様聖会 世界平和統一家庭連合「神統一韓国 勝利のための2021年 新年礼拝」が2021年1月3日、午前10時から天苑宮天苑教会大聖天苑教会, 神韓国オンライン非対面形式で配信されます。聖日でもありますので、精誠の時間として活用していていただければ幸いです。時間になりましたら、PeaceLinkホームページからご視聴(言語選択で)いただけます。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓ 前回の礼拝映像(【日本語】2020.12.27 天苑宮 天苑教会 聖日礼拝)は以下です。
2020.12.31
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2020.12.30
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2020.12.30
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天地のため往来されるイエス1956年5月23日(水)前本部教会 祈 祷(I) 幼なき子女たち、再び生きる道を尋ねてお父様の膝元に出て来ましたので、お父様、受け入れて下さい。私たちが宇宙より尊いとして話して下さったのを知っております。多くの群れが生命が渇き、この聖壇の前に集まりましたので、お父様、集まったこの群れがお父様の栄光に代わることのできるように許諾して下さり、喜びの祭壇を代身して、お父様の心慮と心配を知ることができ、お父様の心情を体恤できるこのひとときの時間として許諾して下さることを、お父様、懇切にお願い申し上げます。 お父様には、とるに足りない者たちに対して、信じなければいけない立場におられるということを知っておりますし、とるに足りない者たちを頼って役事を行なわざるを得ない立場におられることを知っております。今日まで天が私たちを信じなければならない、信じて立たせなければいけない立場におられることを知っていながらも、お父様が私たちを信じて下さることのできるようにして差し上げられなかった過去の過ちを容納して下さい。 私たちが支えとならなければならない責任も充分に担当できない私たち人間でありましたが、お父様、この時間を容納して下さいますことを、懇切にお願い申し上げます。お父様を信じて、お父様にたよって私の生命までも捨てることができ、私の生涯までもお父様に率直に差し出すことのできる、お父様が取られるに相応しい供え物としてこの時間お受け下さることを、愛する私のお父様、懇切にお願い申し上げます。 お父様、多くの人々の中でとるに足らない私たちを呼んで下さったのですから、受け持ってお父様の矜恤の愛で抱いて下さい。 お父様に、この時間身も心もすべて捧げ奉り、お父様の念慮(心配)する心を体恤できるよう許諾して下さり、お父様が私たちに要求されるその一つの願いを受けるに相応しい子女となれるように許諾して下さることを、愛するお父様、懇切にお願い致します。 6千年の間、解かれなかったあなたの切ない事情が今日まで継続しており、あなたの嘆息が今日までも継続している歴史を見てみる時、今日も私たち自体がお父様の嘆息の原因となっていることを容納して下さい。 お父様の生命と願いの理念の実体として下さいまして、お父様が喜ぶことのできる生命の根として下さることを、愛するお父様、懇切にお願い致します。 今日ここに集まった子女たちを哀れみ、この時間ありったけの精誠を捧げ、お父様の愛を讚美して、千々万聖徒たちの前に立てた子女として恥ずかしくない、生きた喜びの供え物となれるこの時間となれるよう許諾して下さることを、お父様、懇切にお願い致します。 すべてのことをお任せしましたので主管して下さい。主の御名によってお祈り申し上げました。ア―メン。 祈 祷(Ⅱ) お父様! 孤独な環境の中にあっても各自の十字架を背負って天に向かう険し???を歩んで来た子女たちが、この時間もお父様の膝元に集まり、お父様の大きくて高い愛の恩賜を願ってひれ伏しておりますので、お父様、自ら尋ねて下さり、愛で抱いて下さり、疲れた心を慰労して下さり、乾いた心霊を呼び起こし立てて下さい。 お父様自ら私たちを掴んで下さらなければ、私たちが行く所がどこにあるでしょうか? 哀れな子女たちですから、お父様自ら共にいて下さり、私たちの行く道をお父様自ら導いて下さって、お父様が目指す御旨に向かって一路邁進することのできる子女とならしめて下さい。 この時間集まった子女たちの心と体をお父様自ら主管して下さいまして、各自の心をお父様の御前にうち出しておきますので、お父様、新しい役事を起こして下さり、矜恤の心を持って対して下さい。 各自自分の過去に行なったすべてのことをお父様の前に出して悔い改めることによって、この時間お父様の大きな愛の役事が起こるよう大きな恩賜を施して下さることを懇切にお願い致します。 お父様! 私たちの前には未だ険しこが残されておりますので、お父様自ら手を取って下さり、すべての死の道を歩んでも生き残ることのできる力を許して下さることを、懇切にお願い致します。 今眺めているだけの愚かな子女たちを抱いて下さり、ひたすら天の御旨を立てるために一路邁進できる勇気を与えて下さり、召命された天の子女たちとして天の勇士として進んで行けるように助けて下さることを懇切にお願い致します。 眠っているすべての子女たちを起こし、お父様の前に導かなければならない責任を持った聖徒たちが集まっておりますので、この者たちが担った使命を果たすのに不足のないように助けて下さい。過去のどんな聖徒たちよりも尚一層高くなれるようにして下さり、サタンまでも愛することのできる子女になれるように助けて下さることを懇切にお願い致します。 お父様の掴まえに応じて、相応しい歩みをする子女として下さり、サタンの嘲弄を受ける子女とならぬよう助けて下さいますことをお願い致します。自分を中心として天倫を思いはかる愚かな者になることのないようにして下さい。ひとえにお父様の栄光だけを現し、この地上にお父様の恩賜を高めることのできる子女たちとなれるようにして下さいますようお願い致します。 この時間お父様の御名によって集まったすべての子女たちの上に特別の恩賜を施して下さいまして、礼拝を捧げ津々浦々まで生命の炎を呼び起こして下さい。最後の新しい摂理を悟れるようにして下さいまして、この地上にお父様の栄光を高めることのできる子女を一日も早く呼んで下さることを懇切にお願い致します。 この時間にも、お父様を呼んで密かな祭壇を築きながら御旨の道を探し求め渇望する子女たちがどれだけいるでしょうか? この者たちを探す使命もこの席に集まった子女たちが背負っておりますので、お父様! そのような使命を全うするために不足なきようにして下さい。すべての子女たちをお父様が呼び集めて下さり、私たちがお父様の大いなる栄光の御旨を高めることのできる日が一日も早く臨むようにして下さいますことを、懇切にお願い申し上げます。 眠れる24億人類をお父様の御前に尋ね立てなければならない使命が私たちにありますので、お父様、私たちに下さった御言を持って自信を持ち進んで行く所すべてに生命の炎を呼び起こして下さり、復活の役事を起こして下さり、お父様の喜びと栄光をこの地上に高らかに立てることのできる子女となれるようにして下さることを、懇切にお願い致します。 今日まで数千年の間、この地の人類のため苦労して下さったキリストの懇切な心情と、私たちのためにお父様の前に訴えられたキリストの嘆きを解怨しなければならない責任が私たちにあることを、確実に信じられるようにして下さい。 人間が成すべき責任を果たす前に天の基準を捨てないようにして下さり、ただひたすら天のみに対することのできる子女たちとなれるように許諾して下さい。お父様、この時間この席に臨んで下さいまして、責任を果たして天の恵みを受けることができる子女になれるよう助けて下さることを、切にお願い致します。 既に担った使命をまた地に捨てる子女とならぬよう助けて下さい。お父様の栄光を最後まで現せるお父様の愛する子女、能力の子女として立てて下さり、余恨のないよう助けて下さいますことを懇切にお願い致します。 難しい環境にあって孤独な祭壇を築き、お父様の御前に叫び訴える子女たちを、お父様自ら抱いて下さり、役事して下さい。そうして立派に御旨を支えられる天の子女となれるよう許諾して下さることを、懇切にお願い致します。 お父様、この時間自ら役事して下さり、永生の路程を歩むことのできる生命の御言を受け持って帰ることのできる恵みを許諾して下さい。 この時間最後まで共にして下さって、この席に集まった子女たちが帰るときには、清らかな心霊をもって天の大いなる恩賜を受けて、お父様の御前に讚美をしながら帰る子女として分別して下さいますことを懇切に願ってお願いする時に、このすべての御言を愛する主の御名によってお祈り申し上げました。ア―メン。 祈 祷(Ⅲ) お父様! 愛する弟子たちを残して十字架の峠を越えて永遠の世界へ行かなければならないイエス様の心情を知るようにして下さい。3年間喜怒哀楽を共にして従っていった愛する弟子たちをあなたの膝元に集めておいて、念慮(心配)しながら懇切にお願いしたイエス・キリストの心情を体恤することのできるこの時間となるよう許諾して下さい。 心で推しはかり体で体恤して、神様に応じれる心が天に徹し、地上の人間を動かし、神様の心が動ずるなら共に動じ、神様の御旨に謙遜な祭物として捧げられる愛する子女となれるよう許諾して下さることを懇切にお願い致します。 苦海の如き立場において従ってきた数多くの群れは皆落ちてしまい、12使徒だけ残ったけれど、その中でも遠からず自分を裏切るユダがいるのを感じたイエス・キリストの心情を、私たちが体恤することのできるよう許諾して下さい。人を信じて役事された3年公生涯路程が、このように寂しい環境として残された時のイエス・キリストの心情を、今日私たちが心と体で体恤することができるように許諾して下さることを、懇切にお願いします。 お父様! 十字架の死の道を前にして天と一問一答したイエス・キリストの切ない心情を、今日私たちが体恤するようにして下さり、お父様の御前にひれ伏した、生きた喜びの祭物としてその心に慰労の相対者となれる子女として立って下さいますことを、懇切にお願い申し上げます。 今私たちだけを残さないでお父様自ら共にいて下さって、集まったこの時間、探してきた足どりが嘆息の歩みとならないよう許諾して下さい。そのようにして私の生命のすべてを、お父様、受け入れて主管して下さることを懇切にお願い致します。 サタンが周囲に広がっていることを、愛する子女たちがどうぞ知ることができるように許諾して下さいまして、サタンに譲歩する心の余裕を持つ子女とならないように許諾して下さい。お父様に向かう正しい心と体を持てるようにして下さり、使命感を持って知性と誠心を尽くして勝利の祭壇を築くことのできるこの時間となるよう許諾して下さることを、愛するお父様、懇切にお願い致します。 人間的な認識と人間的な観念を私たちの周囲の環境の中から取り除いて下さり、伝える者の心と受ける者の心が一つに和して、お父様の喜びと栄光となれるように許諾して下さることを懇切にお願いしながら、愛する主の御名によってお祈り申し上げました。ア―メン。天地のため往来されるイエス(2) 天宙にあってのアダム・エバの位置 神様が天地万物を創造されたのは神様が栄光を受けるためであったことは間違いない事実です。そのためにまず無形の天使世界を創造されて、次に無形実体世界の表象として有形実体世界を創造されました。そして霊界と実体世界の中心であり、代表としてアダムとエバを創造されました。 このアダムとエバは、天地が変わらない限り理想天地と運命を共にしなければならなかったのです。即ち、天地が動ずる如く動じなければならない運命を持っていたアダムとエバだったのです。それでアダムとエバが変われば天地も変わるのであり、アダム・エバの中心が散らばるならば、天地の中心も散らばるのです。そして全天宙の中心が散らばるなら創造主の中心も散らばるという、必然的な条件を持って創られたアダム・エバでありました。 こういうアダム・エバが堕落することによって天宙の中心からずれて、天宙の中心がずれることによって創造主の中心もずれてしまったのです。そのために神様は天地の中心を再び立てて被造世界をして、その正しい中心に和するようにして、創造主の中心と創造された被造物の中心が二つではなく、一つになるようにしなければならない立場におられるのです。そのようになれば再び、天が喜ぶなら地も喜び、地が喜ぶなら天も喜ぶようになるのであり、天が永遠である故に地も永遠であり、天が無限の喜びに浸るなら地も無限の喜びに浸るようになるのです。 創造主の運命が誤らない以上、被造世界の運命は変わることができないのです。このような被造世界の中心であるアダム・エバが堕落することによってすべてが散らばってしまい、すべては方向と中心がずれてしまうようになってしまいました。これを再び回復するための役事が復帰摂理歴史であり、復帰摂理歴史を繰り返し、長い6千年の歳月を経過して今日に至っているのです。 この時間まで神様の愛の摂理は数多くの先知先烈(預言者・聖者たち)を通して現し、先知先烈たちを通して象徴的に愛を現したと同時に、その全体的な愛の結晶体として現れたイエス・キリストを通して実証的な摂理の愛を内的、外的に見せて下さったのです。 そのために彼の心は無形世界の中心を代身して、彼の体は有形実体世界の中心を代表したのです。こういうイエス様であることを知らなければならないイスラエル民族が知らなかったために、イエス・キリストを十字架に渡してしまったのです。それで全天地が闇につかった事実を皆さんは知らねばなりません。 イエス様の御言と実践生活の目的 イエス・キリストが来られるただ一つの目的が何であるかと言えば、天地を創造されたお父様の心情を整えて天地に変わらない永遠の中心を立てるということだったのです。こういう中心を立てるためにイエス・キリストがこの地に来られたのです。 そのために彼が話す事は自分のある中心を立てるためのものではなかったのです。エルサレムのある村やイスラエル一村の部分的な中心を立てようとしたのではなく、全体霊界の中心、創造主の中心に至るまで連なることのできる一つの中心を立てるためでありました。 彼の行動もまた一個人の行動でなく、彼の願いも一個人の願いではなく、彼が争うことも一個人で止どまる争いではありませんでした。彼が願う目標は全天地万物全体を抱くことのできる不変の中心に立ち、万物をはるかに越えて無形世界を経て、創造主であられる神様の心情に代わるところまで進んで行くことだったことを皆さんは知らなければなりません。 そういう願いを持ったイエス・キリストの御言、イエス・キリストの生涯、イエス・キリストの実践的な行動を皆さんは知らなければいけません。彼の行動は天地を新しく建設する出発としての行動であり、彼が語った御言はその一つの御旨を成就せしめるために、再創造の役事を成し遂げる御言だった事を皆さんは知らなければならないのです。 30年の準備期間を経て3年の実践生涯路程でアダムとエバの時に失なわれた天地不変の中心を再び立てさせるために語ったのに、語られた御言をイスラエル民族が信じなかったために、霊界と肉界の中心として立たされなければならなかったイエス・キリストは、霊界の中心としてのみ立たれ、実体的な肉身世界の中心としては立たれなかったということを皆さんは知らなければならないのです。 イエス・キリストは、十字架の峠を越える時まで、何のために生きられたのか? この地に来られて30余年の生涯……何のために苦労したかというならば、一次的には地のために苦労されたのであります。 ところが地のために苦労した彼の功績によって、地上で収穫しようとしていた目的が成し遂げられて霊肉を合わせて地上で成さなければならない一つの中心が、一つの実体に完結されなければならなかったのに、霊と肉が分かれるようになることによって、地上で成さなければならない実体の中心たるイエス・キリストの体は害を受けたというのです。そうして霊的な世界を代表してイエス様の霊だけが完成することによって、復活以後今日まで2千年の歴史は霊界中心に復帰摂理をした期間であったことを皆さんは知らなければならないのです。 イエス様は十字架に掛かった後復活され、復活されてから40日の間地上で活動された後に、また再び霊界へ行かれました。このようにイエス様が亡くなって復活され、復活されたが再び昇天されたこの事実は神様の創造の役事を象徴的に見せて下さったものです。 創世記を見れば、「夕となり朝となった。第一日である(創世記一章5節)」という御言があります。それは夜の時間があるのです。イエス様の墓中3日期間はまさに夜の時間と同じ期間なのです。30余年生涯は昼の時間であるが、イエス様は弟子たちを立てるために30余年間苦労されました。この苦労の過程を経た後、復活されたということは、夜を過ごして新しい朝を迎える事と同じなのです。 復活されたイエス様は地上に明かりをともすために苦労されたのですが、地上に明かりを立てることはできませんでした。それで地上に明かりを新しくするために、復活されたようであるが、実は霊界の中心として復活されたために、イエス・キリストは地上にそのままおられずに再び霊界へ行かれたというのです。これは何を意味するのかと言えば、夜の期間を過ごし昼の期間を迎えたイエス・キリストは、再び夕を迎え、永遠の世界へ行かれたことを意味しているのであります。 「知らない」という人間を「知ってる」と言わなければならなかったイエス それでは今残ったのは何なのか? 残ったものが何かと言うならば夜の期間です。キリストの到来によって永遠の朝となるべきものが、イエス・キリストが亡くなられることによって再び夕と同じ期間が残るようになったので、この夜の期間を責任持つべき責任が残っているというのです。私たちがイエス・キリストを渡したという理由で、私たちがその責任を取らなければならないというのです。 この夜の期間の責任を全うしてイエス・キリストが十字架上でサタンを打ち負かし、勝利の基準を立てられたように今日この地に残された多くのクリスチャンは夜の期間の戦いの峠を越えなければならない運命に置かれているのです。 この夜の期間の峠を越えて行き、皆さん自身がイエス様を手本として復活して、彼と共に新しい朝の栄光を受ける時代が何かと言うと、所望の再臨時代なのです。 イエス・キリストはこの地に来られて30余年生涯をこの地のために生きられました。イエス様は(この)地のために地上の人類のために来られたため、地上にいる人間たちは反対したとしても、地上の人間たちは「知らない」と言おうとも、イエス様は「知ってる」という立場に立たなければならないのです。 イエス様がゲッセマネの園を経てカルバリ山上に出て行く時、従って来た弟子たちまでイエス様を見捨てました。イエス様が十字架に掛かる時に、イエス様を「知ってる」と言う人がいなかったのです。どの弟子も、イエス様を「知ってる」と言えなかったのです。このように、「知ってる」という人が一人もいなかったが、この地のためにイエス様は来られたので、「知らない」という地上の人間たちに対して、「知ってる」という立場をとられたのであり、復活されガリラヤの海辺に弟子たちを尋ねて行かれたのがそれなのです。このようにイエス様は、地上の人間たちが知ることのできる一つの道を残しておいて、40日の後に再び昇天されたのです。 今私たちは、私たちが「知らない」という立場にいる時にも、イエス・キリストが私たちを「知ってる」という立場におられるので、イエス様をわからないで(地に)生きているとしても、イエス様を「知ってる」という立場に立たなければいけないのです。 そのためにイエス様が来て行かれた後2千年の間、人間は心からイエス様を探していくという旅をしているのです。ガリラヤの海辺でイエス様が使徒たちを尋ねて下さった事と同じように尋ねて下さったイエス様の恩賜に応えるために、信仰者たちも2千年の間イエス様が行かれた天に向かって尋ねていかなければならなかったのです。こういう生活が今日まで2千年の間継続して来たのであります。 それではイエス様は何のために天国へ行かれたのか? 地のために来られたイエス様が成さなければならない事は天の御旨であるため、霊界に行かれたとしても尚天の御旨のため今日まで働いているのです。 地のために来られたイエス様が、地上に「知ってる」という基準を立てておいたとしても、霊界に行って、即ち無形世界へ行って「知ってる」という基準を立てられないとしたら、人間たちが、「知ってる」という世界へとどまれないようになるので、今日まで2千年間霊界から皆さんが、「知らない」という立場から、「知ってる」という基準を立てるために神様の前に祈祷しておられるのです。 それではイエス様が人間たちのため神様の右側で祈祷されていたが、どんな祈祷をしておられるのか? 血・汗にじむ祈祷をされるのであります。人間たちが地上でイエス様を「知ってる」と言ったなら、イエス様が霊界に行って彼らを「知ってる」と言われるのです。 このようにイエス様が神様の前に、「知ってる」という立場をつくっておかなければ、人間たちが行ける霊界がお父様の前に認定されないために、イエス様は今日まで霊界へ行って、神様の前に私たちを「知ってる」という苦労の祈祷をしておられるのです。これを皆さんはよく知らなければなりません。 この仕事を経た後、イエス様が再び来られる時にはどのようにして来られるのか? 来られるときには地の仕事と天の仕事を合わせ持って来られるのであります。地の仕事と天の仕事に代わって責任持って来られるのであります。それ故、今日私たちも十字架の死から復活され昇天して天上におられるイエス・キリストが再び来られる時まで、そのイエス様が越えられた峠について行き、越えて行かなければならないのです。 また2千年の夜の期間を経て復活の朝に該当するこの時にあって、行かれたイエス様が天で歓迎する一つの中心を立て再び来られる時に、皆さんはこのイエス様が地に向かって来られるのを心で感じ知らなければなりません。 今まで私たち信じる者たちの信仰形態は、天を眺めイエス様を思慕してまいりました。これが今日までの私たちの信仰のモットーであり標準でありました。 聖霊を思慕しなければならない今日 今私たちが慕わなければならない一つの事が残っていますが、それは何ですか? 私たちは地のために代身して働いている聖霊を慕わなければなりません。皆さんはこれを知らなければなりません。今まで多くの人たちがイエス様を2千年間霊的に思慕してきましたが、今日は聖霊も思慕しなければならないのであります。そうしなければならない聖徒たちであり、私たち人類であるということを、皆さんは考えなければなりません。このように聖霊を思慕すべき時代が来て、新婦の体を完成しなければならない時が来ました。 聖霊は新婦の神であられるので、新婦の形を整え、新婦の形態を成し、私たちは慕わなければなりません。このようになるならイエス・キリストは霊界に行って休むことができるのです。そして天地に一つの中心を立てて再び私たちがこの地を中心にして尋ねていくのであります。 心で霊界を慕った私たちは、今私自身に役事される聖霊を慕わなければいけないのです。そうして私たちは霊的な象徴であるイエス様を思慕し、肉的な象徴である聖霊を思慕して、私たち一個体で霊的イエス様を思慕する心と肉的聖霊を思慕する体が一つになることによって、初めて天の中心と地の中心が私一人の心と体で一体となることができるのであります。そうなることによってイエス様も私の身代わりに立つ事ができ、聖霊も私の身代わりに立つことができるのであり、私はその中にあってイエス様と聖霊の御旨を代身して万民を代表して現れる事ができるのであります。これを皆さんは知らなければなりません。 それでは今この地上に来たるべき主はどんな御旨を持って来られるのか? 皆さんはイエス様と聖霊のその中心を、皆さん自体に立てなければならないのです。生きた肉体を持った皆さんが、霊界を象徴し、肉体を象徴したイエス様と聖霊を手本として霊肉合わせた一つの実体の中心体として完成しなければならないのです。そうでなければ神様の全体創造の理念が皆さん一人において完結しえないのであります。このように一つの中心の使命がイエス様と聖霊の使命というのであります。この一中心を立てるためにイエス・キリストは再臨されるのであります.天地のため往来されるイエス(3) 再臨時代の聖徒たちが果たさなければならない事 では、今日私たちが今この一つの御旨を支えようとすれば、どのようにしなければならないか? イエス・キリストがガリラヤ海岸で愛する弟子たちを探して行かれたことだけを思っていてはいけません。イエス・キリストは皆さんたちをいつも尋ねて下さるのではありません。皆さん自身が一人の新婦となり、イエス・キリストを迎えなければなりません。 イエス様と聖霊は天の中心であるので、皆さんは心と体が一つになることができる中心を具備することによって地の中心となって、一つとなって対することのできるこの一基準を立てなければならないのです。今この時はいつもイエス様だけを思慕するという時ではないのです。今は聖霊の体を具備して、私たち一個体がイエス様を地上で代わりに尋ね迎え入れることができなければなりません。こういう一つの中心を皆さんが尋ねて立てることができなければなりません。 この一つの中心を所願されるイエス・キリストは、皆さんのために聖霊を立てて今日まで2千年間苦労して来られました。今皆さんはこの苦労に報いなければなりません。天が霊と肉を代表した中心としてイエス・キリストをこの地に送って霊的にのみ完成したという基準を立てたのですが、皆さんがイエス・キリストを尋ねて迎え、この残された肉の未完成の部分を完結しなければならないのです。皆さん一人でそれを完結すれば、今日まで苦労してこられたイエス・キリストを皆さんの心に迎えることができるのです。 今日人類はイエス様の御前に尋ね出て、イエス・キリストの心に似て、イエス・キリストの体に似て、聖霊の心に似て、聖霊の体に似て全天地万物の前に自信を持って現れなければならないし、神様の御前に自分の一個体を立てて誇りうる人とならなければなりません。 そしてイエス様と聖霊の前に誇りうることのできる私とならなければなりません。またその次には使徒たちの前に誇りうる自分とならなければなりません。そうしてお父様の前に出て、「今日まで6千年間苦労されたお父様! 6千年間怨讐だったサタンを私一人で屈伏させますので、お父様、今日この時間から私によってサタンに対する思い煩いを捨てて下さい」という自信をもって叫ぶことができなければなりません。 またそして、「この全被造の園に染み込んでいる罪悪の嘆息が、私によってすべて去って行きますので、お父様! 天地に染み込んだ嘆息を、これによって解怨して下さい」ということのできる心を持たなければなりません。 またその次には、神様が6千年間愛する息子・娘を立たせて一度も愛することができませんでした。今日も神様は私たち自体を愛したい心があっても、真心から私たちを尋ね立てて、愛することができないのであります。イエス様と聖霊は私たちを尋ねて来て愛することができますが、神様は私たちがその御言を信じる以前には愛することができないのであります。 信ずる者の責任 そのために今日私たちが、イエス・キリストの代わりとして一つの中心を持って、「アバ父よ! 今日この地の人間たちのすべての罪と嘆息を私が責任持ちますので、6千年の間人間を愛したかった父よ! 今こそ創造本然の愛で愛して下さい」と言うことのできる存在とならなければなりません。皆さん自身がお父様の御前に出て、「お父様! 私を愛して下さい。お父様! 私を愛して下さい」と堂々と言える人とならなければいけません。それでこそ天地を創造された神様の御旨が、イエス・キリストを経て皆さん自体で成就されるのであります。 そのために今日私たち信ずる者の責任というのは…。 イエス様は、この地のために来られ、天のために苦労されました。このように天のために苦労されたイエス様、天地の中心として現れたイエス・キリストの前に、全被造世界の代わりとして、無限な霊界に代わった中心存在として堂々と立つことのできる存在となってこそ、イエス・キリストが天地の喜びをもって現れる栄光の世界に参席して、神様とイエス様と聖霊と皆さんが一つになって喜びの世界で生きることができるのであります。これを皆さんは肝に命じなければなりません。 祈祷 愛のお父様! 6千年歴史を見てみる時、大きく見れば今までは夜の期間であり、今現れるべき夜明けを待ち望む時に私たちは来ております。 大きく見れば夜の期間を越え、今、朝に達する時点に立っており、全体的な朝の期間を迎えるべき今日、私たちにあっては暗い夜の期間を過ぎて復活の恩賜を持たなければならず、天に行かれたイエス様の御前に心を置き、再び来られるところの心に従って、地を思うイエス様に対して私たちが身代わりとなる体を備えることによって、尋ねて来られる聖霊と一体となって、肉的な中心をなし、そうしてその中心にイエス・キリストを奉り、霊的中心を成してこそ天地を創造されたお父様の本然の心情を備えた一つの中心存在として立てられるということを、この時間少しだけ語りました. 今迄私たちは地のためにだけ生きて来たのでしょうか。これは半分だけにしかならない人生であることを知っています。そうでなければ霊のためにだけ私たちが生きているのでしょうか。これも半分だけにしかならないことになります。 今日までは私たちがイエス様に従って上がる生活をしてきましたが、今からは従って下りて聖霊を慕って一体的な新婦として完成することを願うイエス様の希望を成し遂げることができるようにして下さい。この地で聖霊の新婦の品性を慕って、彼の心情が彼の徳性が体と心に一つとなるよう、ならしめて下さり、イエス・キリストが地上で肉的に完成できなかったことを、聖霊の役事と協助によって私たちが完成する存在として立ち、創造の理念全体に代わることのできる一つの中心存在として立たしめて下さい。 そうして天の本然の中心として、天地に通じた創造主の中心に通じた心の中心として、全被造万物の前に誇ることのできるようにして下さいまして、全被造世界の中心に立たしめて下さい。そうしてお父様の御前に堂々と立ち、「隠して来られた6千年の愛の心情を、私一人でお返しする自信がありますので、お父様! 愛して下さい」と言える息子の立場まで導いて下さい。 今日までこれを成し遂げるために苦労の歴史を歩んで来ましたが、苦労の歴史を経てきたお父様の苦労の前に召命を信じて、立てて下さることを信じて、求めて下さることを信じて、愛することのできる存在として立ち、今お父様が眺めてこられた席に立って、万物を眺めることのできる子女の立場に立たせて下さり、万物に対してお父様が真に誇ることのできる自分として立たしめて下さることを、お父様、懇切にお願い申し上げます。 この時間参席したあなたの愛する子女たち、しばしの間、聞いた御言が心に和して生命の中心として立てるようにして下さり、私一人が真理を代身して被造世界の創造主の中心を代身して、どこに行っても不足がなく、どこへ行こうとも中心を見失うことのないように導いて下さい。夜になったとしても心だけは昼に住むことができるようにして下さり、何時、如何なる時に主が来られ、聖霊が尋ねてきて、お父様が現れたとしても、迎えるのに不足のない姿になれるように導いて下さい。何時来られたとしても準備を完結した子女として立て下さることを、お父様、懇切にお願い致します。 すべての御言を語り終えましたが、息子たちの生涯路程において永遠に共にいて下さい。主の御名によってお祈り致しました。ア―メン。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.12.30
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선학역사편찬원チャンネル登録者数 562人動画の下にある字幕ボタンを押すと、字幕を見ることができます。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.12.30
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PeaceLinkホームページからですが、12月30日午後8時30分から「第12回 文孝進ミュージックフェスティバル」がオンラインで開始されるようです。多くの方々がこちらにも関心を寄せてくださるようお願いいたします。PeaceLink一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.12.29
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文鮮明先生御言選集 19560520 - このようにイエス様は私たちを尋ねておられるこのようにイエス様は私たちを尋ねておられる(1)1956年5月20日(日)前本部教会 離れた一匹の羊と同じ堕落人間 堕落した以後、私たち人類は神様の御前にあってどのような位置に立っているかといえば、99匹の中におられず離れた一匹の羊と同じ立場に立っています。 天にいる千々万天軍天使たちも一匹の羊のようなアダム・エバを失ってしまうことによって、神様の御前に喜びの讃歌を捧げられないでいます。このように千軍天使たちをして喜びの讃歌を捧げられないようにした人間を再び探すために、神様は今まで苦労を繰返していらっしゃいました。 イエス・キリストは神様が4千年間探して来られた一存在として地上に送られました。そういうイエス様は万民の前に善の祖先として、死亡の中に入っていった私たち人間を再び生かすために、真の父母の立場に立って苦労の歴史を重ねておられます。 今日私たちがイエス・キリストを4千年摂理歴史過程にあって神様の唯一な独り子として立てられた方であり、罪悪に落ちた人類を救うために、十字架を背負うことをもってサタンに対して勝利した中心存在として立てられた方であると簡単に知っております。 それならばイエス・キリストを一中心に立てるために、神様はどのようにされたのでしょうか? 世界人類に対して摂理したそのすべてのものをイエス様に任せました。そうしてイエス・キリストは新しい一中心として立てられて、すべての万民を責任持って救援しなければならない立場に立つようになりました。そのような立場に立つようになる時、彼の心と体は言うに言えない悲しみの中におられたでしょう。 私たちを捜して来られたイエス・キリスト それではイエス・キリストが今日私たちを尋ねて下さるのには、どのような過程を経て尋ねて下さるのか。神様は4千年歴史を通して人間を救援するための御言を立てたし、多くの先知聖賢たちを通してメシヤが降臨されることを、数多くの群衆の前に予告して来られました。 この為にユダヤ教信者たちは、先知者たちが訴えた証拠の御言を通してメシヤを迎える為の準備をしてきました。それが旧約の歴史です。このように準備された所に来られたイエス・キリストは、神様の御前に旧約4千年の歴史を善の歴史として終結しなければなりませんでした。そのために彼が語った新しい御言は、神様の4千年復帰摂理路程に入り交じった悲しい御言であると同時に、すべての人々が信仰路程を行くのに持っていかなければならない天倫の法度を明らかにした御言でした。 ところがイエス様が発表されるこの新しい御言を、多くのユダヤ教信者たちが、こころして聞いて信じなければならないにもかかわらず、信じることのできない群衆を見つめられるイエス様の心情はどのようなものであったのでしょうか? イエス様は悲痛な心で訴えられたということを皆さんは知らなければなりません。 今日まで天は私一人を探して、罪の中に溺れている私たち人類を再び尋ね立てるために長い間苦労してこられました。旧約時代には、先知者たちを通してイスラエル民族に旧約の律法の御言を下さいました。そして、4千年の悲しい歴史を解怨するために、イエス・キリストを送られて新しい真理の御言を発表されたのです。しかし、その御言をユダヤ民族が信じ受け入れなかったことを通じて、神様の辛く悲しい心情を慰労して差し上げられなくて、天の悲しい心情を御自身自ら励まし勇気づける結果となったことを、皆さんは知らなければなりません。 そのためにイエス様は行くべき方向を知ることができなくて、サタンの手中にある群衆の前に現れて、行くべき方向を提示して生きることのできる道を教えて下さいました。しかし、イスラエル民族たちはその御言を聞きませんでした。そのようにして私たち人類は生きる方向も失うようになってしまって、神様が立てて下さった4千年苦労の祭壇も崩壊するようになってしまったのです。万一神様の御言のもとにイスラエル民族が一つになっていたなら、彼らは神様が下さった御言によって結実されたであろうし、神様は彼らを再び子女として抱かれたでしょう。 イエス様が下さった御言を信じないユダヤ民族 最初から手本となるべきイスラエル民族が、イエス様が下さった新しい御言を不信して一つとなれないことで、イエス・キリストは悲しみの御言を残していかれました。そのために百匹の羊のような立場に立たなければならないイスラエル民族たちがどのような立場に立ったかと言えば、離れた一匹の羊のような立場に立たされたのであり、私たちもまた同様の立場に置かれています。 私たちは一匹の失なわれた羊と同じ立場にいるイスラエル民族に対していたイエス様の心情を知らなければなりません。失なったイスラエル民族を探し立てるためにイエス様は悲しい心情をもって叫ばれました。 今日私たちが知らなければならないことは、天が私一人を探すために4千年間辛く悲しい心情を抱いて摂理して来られ、その後にはイエス・キリストが神様の悲しい心情を継承して、私たちの後ろに着いて来ながら叫んでおられるという事実です。 それではイエス様は30余生涯の間どのような過程を経られたのでしょうか? イエス様は神様の願いが現れることを願いながら、30年間の私生涯期間の間準備して来られました。その期間が過ぎた後に新しい御言を持って現れて伝えるようになる時、イエス様は喜びを感じながら御言を伝えたのではなく、天の辛い悲しみをもって御言を伝えたのです。 「私に付いてきなさい」と言う言葉、「私を信じなさい」という言葉など多くの御言を語ったが、その悲しい心から訴える声に耳を傾け、聞いて従って行く群れは本当に少なかったのです。 そんな環境でイエス様は悲痛な心情を抱いて30生涯を過ごされて、イエス様が生きておられた時に叫ばれた切実な声が、今も聖書の御言を通して皆さんに訴えているし、今日この時間にもイエス様は霊界から皆さんに向って懇求しているという事実を知らなければなりません。 そのために今皆さんはイエス様が訴えられた御言の内容が何であるかということを知って、自分が行くべき方向を探して行かなければなりません。 皆さん自身が天の御前に失ってしまった一匹の羊と同じ立場にいるにもかかわらず、自分が行くべき方向もわからずに自分がどんな立場にいるかもわからないまま、この世がそのままずっと続いていくだろうと思うなら、皆さんは大きな誤解をしているのであります。 皆さんはよく知らなかったでしょうが、イエス様はお生まれになってから以後、今までの2千年歴史過程を経てきながら悲しい声で叫ばれておられるし、その叫び声は皆さんの願いとなっているのです。このようにイエス様は私たちを尋ねておられる(2) 神様の心情とイエス様の御声 懇切に叫ぶこの御声を皆さんは無視しますか? 聞こえないという人がいるならば、同じ恨みの心でも持って行かなければなりません。皆さんの中で呼んでおられる御声を聞きたがらない耳がありますか? この御声を聞きわけるために奮い立つようにならなければなりません。あるいは呼んでおられる御声を皆さんが聞いたとしても、体が丈夫でなく動けない時には、そこへ向かう心でも集めることができる私自体とならなければなりません。 神様は失われた羊と同じ立場にある今日の私一個体を探すために喘ぎ苦しみながら探して来られた歩みが、1日でもなく、1年でもなく、100年でもなく、6千年をかけて探して来られました。 天地の上に失われた羊の群れを探すために苦労して来られた6千年歴史は、天の贖罪歴史でした。 私たち人間が神様の呼ばれる御声を聞けないために、実体の神になられたイエス・キリストを通して見せて下さり、実体であられるイエス様をして神様の無形の心情を現し、宣布された御言がすなわち福音の御言だったのです。 人間が無形にしておられる神様の心がわからず、神様の御声を聞けないために、これを解消するために神様の実体として現されたイエス様だったのです。また彼が伝えた御言と声を聞いて、イスラエル民族がイエス様のところに来て4千年間知らないでいた神様の真正な御旨を知って、神様の心情を感じて悔い改めるべき立場であったにもかかわらず、イスラエル民族は悔い改めず、遂にはイエス様を遠ざけてしまったのです。 そのために今皆さんは聞こえて来るイエス様の悲しい御声を聞きとるために準備をしなければならないのです。そのためにどのようにしなければならないのか? 皆さんが世俗的なすべての言葉をよく聞くように、真に神様の心に代身して、神様の御旨に代身して万民の前に現れたイエス様を、「信じます」と言うことのできる心を持たなければならないのです。 イエス様は無形の神様の代身として来られて、4千年の間天の御前に悲しみだけを与えた無知なる人間たちを代身して贖罪の路程を歩まれたのでした。このようにイエス・キリストを悲しみの位置に立てて再決心するようにされた神様の心情を、皆さんは推し量ることができなければなりません。 イスラエル民族が心を広げて、やるせない神様の内的心情を代身して叫んでおられた御声を聞き分けることができたならば、実体に現れたイエス・キリストの悲しみに満ちて叫んだ御言を、問題なく聞きとることができたのです。ところがイスラエル民族はどうでしたでしょうか? 旧約聖書に現れている御言で満足しようとしました。神様の最後の御言が旧約にすべて記録されていると思ったのです。 神様の悲しみはこれだけではありません。イエス・キリストを立てて神様の内的心情の実体として見せ証しされる時、これを受け入れることができなければ、神様の悲しみが地上の悲しみに結ばれていくということを、イスラエル民族は悟れませんでした。 無形の神様が4千年間苦労して来られたその悲しみを、地上で喜びとして解怨して差し上げなければならないイエス・キリストでしたが、こういうイエス様の悲しみを理解できないイスラエル民族だったので、神様の悲しみはイエス・キリストを通じて解怨できず、また再び悲しみとして残れるようになったことを皆さんは知らなければならないのです。 神様の御旨を代身して、4千年の歴史を代身して地上に来られたイエス・キリストは、喜びの御言を発表できずに行かれました。そのためにイエス様以後2千年歴史が経過しましたが、今日6千年の歴史を通して見てみる時、未だ神様の悲しみとイエス・キリストの悲しみは地上に深く浸みこんでいるのであります。 今日私たちはこのような神様の悲しみとイエス・キリストの悲しみを知って、今神様の喜びの御言とイエス・キリストの御言を推察することができなければなりません。 イエス様が私たちを探した目的が、いつも悲しみの御言だけを伝えようとすることではありませんでした。失われた羊の群れと同じ私たちを探すために苦労される過程には、いつも悲哀の御言だけをおっしゃってはいけないのです。6千年の間、悲哀の御言を語ってきたのですから、失われた羊が探されるその瞬間には6千年の悲しみを根こそぎ忘れることができる喜びの御言が現れるべきなのです。 皆さんはその喜びの御言が天から現れるだろうと思っていますが、それは大きな誤解です。 今私たちは2千年の間苦労して来られたイエス・キリストの心情の御前に、私たちを探しておられる主の御前に競争しあって出ていくことのできる羊とならなければなりません。 悲しみのイエス・キリスト、傷ついたイエス・キリストが叫ぶ声を聞いてもためらい、方向を掴んで競争しあうことのできない者になってはいけないのです。イエス・キリストは突然尋ねて来て悲哀の御声で皆さんを呼ぶ時、皆さんがその場で動きを押えてはいけないのです。それならば、どうしなければならないのか? イエス・キリストの悲哀の声が御声が聞こえる前に、皆さんはまず悲哀の声で叫ばなければなりません。 私がまず、「私の牧者よ! 主よ!」という音声が天地に浸み通るように叫ばなければならないのです。 しからば皆さんを探して来られたイエス様が、皆さんが叫ぶ声に耳を傾け聞かれて再び訴える時、それは悲しい声ではなく喜びの声で訴えられるでしょう。皆さんはそういう立場に立たなければなりません。 イエス様の悲哀の心情を証かさなければならない私たち 今日私たちはイエス・キリストの悲哀の心情を証かさなければいけません。牧者を失ったことを悲しむだけではなく、失った牧者を探すために叫ぶことを知らなければなりません。 このように訴えられたイエス様が残された苦労の歩みまでも責任持てる存在となることが、このイエス様の前に満足を捧げることができるというのです。今日イエス様は悲哀の声で私たちを尋ねており、また私たちを尋ねるために苦痛の生活を繰り返している事実を皆さんは知らなければなりません。 人類を救うために4千年歴史を代身したイエス様は、人類全体の救援摂理によって平安な生活をすることはできませんでした。苦労の生涯を経て今日私たちを尋ねて来ているのです。 皆さんが知っているようにイエス様の30余生涯は苦痛の生活でした。大工のヨセフの子供としての30年準備期間にあって、その生活は外的にしても内的にしても苦痛の生活だったのです。 皆さんのように平安な立場で思い通りの生活ができませんでした。万民の救世主らしく生きられたと思うことは大きな誤解です。義父のヨセフとマリア、そして兄弟たちからも非難を受ける立場で、イエス様は言いたいことがたくさんあってもみな言うことができない苦痛の生活を送ったのです。 イエス様の苦痛はイエス様一人のための苦痛ではありませんでした。4千年の間苦労された神様の心情に代わって、私でなければ失った家庭を再び探す者がいないことを知って、長い間ひたすら天に対する切なる思いだけだったのです。そしてその周囲の環境と自分を中心とした悲惨な環境で戦っている多くの群れを見て、イエス様は苦労と悲痛の生活過程に入って、4千年間神様の生きた御言に代わって理想世界を成し遂げるために生命を捧げて戦ってこられたのです。 生まれた時からまともな待遇を受けず、イエスは死ぬ時まで荒野の生活と同じような孤独で苦労の生活をしたのです。こういうイエス様の外的な苦痛も苦痛であったけれども、外的に現れない内的心情の中に隠れた苦痛というものは、ただ神様だけが知っておられました。 イエス様を信じて従って行くべきイスラエル民族は、わからなくてはいけない人はわからなくなって、わからなくてもよい人はわかってあげたのです。こういうイスラエル民族の中で、イエス様は本郷の生活を慕わしく思ったのです。 彼が食べて着て飲んだ生活は自分のための生活ではなく、自分の安らぎのための生活ではありませんでした。彼の居食住すべてのことは、イエス様自身を越えて神様のため、世界人類のため、民族のためであったのであり、一歩一歩歩んだ足跡も、そのような足跡だったのです。 それなのにそういうメシヤの事情を知ってくれた人は一人もいなかったのです。孤独なイエス・キリストの心情を抱いて、「あなたの心を私が知っていますから、あなたの心情を私が知っていますから、行かれる所ごとに付いていってあなたの心を慰労する友達となりたいのです」という人がいなかったのです。慰労してしかるべき弟子たちまでもイエス様の隠れた悲しい内的心情を慰めてあげることができなかったのです。 そのためにイエス・キリストの30余年の生涯は、苦痛の生活で綴られたのです。福音を伝えた3年公生涯路程が始まった日から、彼が伝える御言は私的な御言ではありませんでした。自分の利益のための御言ではなく、自分のどんな能力を立てるための御言でもありませんでした。神様の御旨を成し遂げようとする御言だったのです。 ところが、こういう御言と御旨を持っていたイエス様を、民族全体に代わって理解してくれて友だちになりたがった人が一人もいなかったのです。そのためにイエス様は村からはさげすまれたし、民族全体からもさげすまれました。 今日皆さんは平安な立場で神様の御言を聞くことができる環境にいます。皆さんはこのように自由な環境で神様に対することのできるこの時を失ってはいけません。 苦痛のイエス様 イエス様の当時には、御言を伝えるにも人に隠れてこっそり伝えなければならず、御言を聞くのに隠れて聞かなければなりませんでした。そのためにこれらが行くところが荒野だったのです。そんな中でもイエス様は、多くの群衆を荒野へ導き出して神様の御言を伝えようとしました。そうしてまでも神様の御言を伝えようとして、神様の御旨を成し遂げようとしたイエス・キリストの心情を皆さんは知らなければなりません。 このようにしてイエス様が生活過程で多くの群衆に福音を伝えたが、それを歓迎する人は一人もいなかったのです。福音を伝える心がどれほど切実でも、理解できない人が多かったのです。イエス様が受けた使命と責任を果たすために、苦労すればするほどそれに対して破壊的な行動をする者が多かったのです。 こういうことを眺めながら一日中多くの群衆に対して荒野で叫ばれたかわいそうなイエス・キリストは、また再び天の御前に訴えるためにオリブ山の険しこを訪ねて行きました。付いてきた弟子たちが散らばって、一人きりで神様の前に出て自分の傷ついた心を癒し受けて、再び第二次としてサタンと戦うことのできる力を補うためのイエス様の苦労を皆さんは考えなければいけないのです。 イエス・キリストは30余年の生涯を燃して、苦痛の中の苦痛なる生活をしたことを知らなければなりません。それのみではありません。イエス様の苦痛が30余年の生涯の苦痛で終わったと思うのは大きな誤解です。今日あの世、霊界へ行っても、イエス・キリストは苦痛の中にあるのです。 2千年歴史が延長され、神様の御旨を成し遂げなければならない一つの目的において摂理を代行するイエス・キリストは、今日この時間までも苦痛の生活をしています。その苦痛の生活が連結されて今日に継続しています。 それではこの苦痛をどこへ行って解決すべきなのか? 今日この地の万象ではありません。この地の万象では絶対ありません。今日責任持つことのできる皆さんを通して、その苦痛と苦労の中で結ばれた恨みを解かなければならないのです。 そのためにイエス様は、永生摂理路程での苦痛を、皆さんの前に歴史的な距離を考えずに現されたのです。皆さんがこういう事実を知っているのですから、皆さん自体イエス様の苦痛なる手を握って慰労することのできる者とならなければなりません。そうして中傷罵倒を受けたイエス・キリストの徹した怨恨に代わって背負って慰労しなければならない責任が今日皆さんにあるのです。 それでは皆さんがそういう立場に立つことができなければ、どのようにしなければならないか? 皆さんの環境でイエス様の苦難を感じ取れなければなりません。皆さんの生活の中でイエス・キリストの苦難の生活を分析できる人とならなければならないのです。 それではイエス様はどんな罪があって30余生涯の苦難の生活、苦痛の生活をするしかなかったのでしょうか? 罪があったとしたら、神様の前に万民を救援しなければならない救世主として立てられたことを受けたという罪のほかにはないのです。こういうイエス様が万民のために苦しみ、万民のために切なく訴えられた理由を知らなければならないのです。そういうイエス様に対して、今日私たちは悔い改めの心でも持たなければならないのです。 皆さんの生活の中でもイエス・キリストの30余年生涯の苦難の足跡が残っています。皆さんがこれを刈り取らなければならないのですが、馬屋で生まれる時の苦難からゴルゴダ山上までの苦難、そして復活以後2千年の苦難の足跡までもすっかり刈り取らなければならないのです。このような全体的な御旨を知らなければなりません。 イエス様の悲しみは心痛く訴えるところで終わらなかったのです。苦難と苦痛の生涯を送っても終わらなかったのです。今日人々は、イエス様が苦難の生涯を経て十字架に亡くなることによって彼の悲しみが終ったものと思っていますが、それによってかえって御旨が延長されて、イエス様の悲しみは解こうとしても解くことのできない思いとして残るようになったのです。こういう事実を知って、皆さんは死ぬ覚悟をしてイエス様を悲しみから救わなければならないのです。 このようにイエス・キリストは、私たちを尋ねるために6千年歴史を過ごして、今日まで苦労して怨恨に徹した道を行かれたのですから、生命をかけて十字架の道を行かれたのですから、皆さんはこのようなイエス様をしっかりと掴んでいかなければなりません。 イエス様は30余年の生涯を終結するようにする(至らしめる)十字架の死の道に出て、死ぬようになる時、死にながらも「アバ父よ………」と切実なる思いで訴えたのでした。4千年の間苦労した多くの先知先烈たちが訴えた血の訴えが、イスラエル民族によって解怨されなければならなかったのですが、イスラエル民族が解怨できなかったので、その祖先たちの血の訴えを何でもって報いるべきでしょうか? 報いる道がなかったのです。 それで民族に代わって歴史的な血の訴えの代価を支払って蕩減された方が、イエス・キリストだったのです。アベルの血が訴える時に、尊い血を流された多くの先知先烈たちが、切られ血を流した地に対して、イスラエル民族に対して、訴えた条件がイエス様によって解怨されたのであります。4千年間訴えた泣き声が、4千年間多くの先知先烈たちの血の訴えの目的が、イエス様一人の死によって、また死んだ後の復活によって成就したのです。 イエス・キリストの復活を通してこの地上に血を流していった祖先たちの恨みが刈り取られたゆえに、彼らが地に対して恨めしく解怨を要求した思いが成し遂げられるようになったのです。それによってその時になってこそ初めて、イエス様を先頭に立てて天の御前に敬拝することができるのです。このようにイエス様は私たちを尋ねておられる(3) イエス様を解怨して差し上げるべき私たち イスラエル民族が天を信じ仕えられず、犠牲になった先知先烈たちの血の訴えを完結したイエス様は、同時に後世に何を残したのでしょうか? イエス様は後世に十字架の死の血を残しました。それで今日皆さんの心にイエス・キリストの死の血が残っているのです。そのために皆さんがイエス様の前に立とうとする時、また皆さんの一生を見てみるならば、皆さんの一生にも血の峠があったことを感じるのです。これは先知先烈たちの血の訴えに対する報答であると同時に、イエス・キリストの血の訴えに対する報答であるという事を皆さんは知らなければなりません。それで十字架の歩みを通して尋ねて来られたイエス様が、私たちに、「来い」と言われる時にも、私たちは十字架の歩みを通じて尋ねて行かなければならないのです。 今皆さんは、イエス・キリストがゴルゴダ山上の十字架上で血の訴えをされた情熱が、皆さんの脈搏に脈打っていることを体恤しなければなりません。 イエス・キリストが十字架をもって皆さんを尋ねて下さっても、皆さんは今までそのように尋ねて下さるイエス・キリストの苦労を知らなかったし、十字架をかけてイエス様を呼びもしませんでした。死の道を歩まれたイエス・キリストは、十字架を背負われて私を尋ねて下さるイエス・キリストは、今も私のために叫んでおられ、私のために限りなく訴えておられ、苦痛を受けながら死の道を歩まれ、私のために苦労しておられます。 今私たちは十字架をまん中に置いてイエス様に対していますが、誰がこの十字架の恨みを解いてくれるのだろうか? 今日私たちが解怨しなければならないのです。これを解怨する前には、イエス・キリストを掴んで私の新郎と言うことができないのです。 そのために復活直後にマグダラのマリアが、「おお、主よ…!」と言った時、イエス様がさえぎった理由がここにあったのです。またそのためにマグダラのマリアが復活した主に会ったその日から天国生活をしたかったのですが、(その理由から)天国生活が2千年の間邪魔されて(遮断されて)いたのであります。この様に残された十字架の恨みを知って、今この残された十字架の恨みを、私たち信仰をする者たちが解怨しなければならないのです。 こうして十字架の峠を越えてから私たちを尋ねて下さったイエス・キリストが残されたものは何であるのか? イエス様はこの地に新郎・新婦という名詞を残して行かれました。それで今皆さんの祈祷の中で、主様は新郎として現れるのでしょう。皆さんは新婦で、主様は新郎として、そのような姿で皆さんに現れるということです。新郎として現れる主様にお会いする時、皆さんはいつも十字架の血の代価を考えなければならないのです。 今残されたものが何であるかと言えば、私たちに主様がもう一度尋ねて下さらねばならないのが何であるか言えば、十字架を廃して、万代に福を請い願うことのできる道、十字架を越えることのできる道を探して下さることです。十字架の峠を越えてイエス様が心ゆくままに私たちを掴まえることができなければ、十字架を切ってしまうことができるこの一つの恨みを解かなければいけないのです。私一人を通して、祭壇を通して、天地を通して、十字架を廃することのできる一つの不変の基準を立てる前には、再臨役事は完成できないのです。 イエス様が残して下さった光と水と油 このように尋ねて下さったイエス様は、今日私たちに何を残しましたか? 悲しい生活を通じて、苦難の生活を通じて、十字架の死を通じて私を尋ねて下さった後に、私たちに残して下さったものは何だろうか? イエス様は私たちに生命の光を残して下さいました。イエス様が生命を掛けて私たちを尋ねて下さったけれども、何のお土産を持って来られたのかというと、暗い世の中を明るくできる光を持って来たのです。それで私たちがイエス・キリストの死に対して感謝の涙を流す時、私たちはイエス・キリストの心情を知るようになり、イエス・キリストの事情を知るようになります。 またその次に、イエス・キリストは私たちに何を残して下さったのでしょうか? 水と油を残して下さいました。疲れに疲れ果て、傷を受けるままに傷付いた私たちを、治して下さるためイエス様は私たちに何を残して下さったかというと、水と油を残して下さったのです。 それで私たちはイエス様が残して下さった光を照らして自分の傷を知って、水と油でそれを洗わなければならず、罪人であることと裸の体であることを知って、礼服を揃えて身に着けなければならないのです。この時になったというのです。このように皆さんが自分の心情に、心にともし火を照らして、自分の罪を洗い清めて、傷を治療して、礼服を着た後にこそ2千年前に亡くなられたイエス様の願いを今日皆さんが成し遂げて差し上げる事ができるのです。 今私たちは心のともし火を照らして、水で体を洗い清め、傷に油を塗った後、許されて礼服を着て、イエス様が十字架を越えて来る必要がなく、私たち自身が十字架を越えていって、イエス様に敬拝を捧げなければなりません。これが地上で人間がしなければならない事であるのです。 イエス様が十字架を越えて来られることを願わないで、皆さんが越えようとしなければなりません。イエス様が越えて来られるのではなく、皆さんが生命の光を発する存在となって、その次に全力を備えて永遠に変わらない価値の光に代わることのできる礼服を着て、十字架を越えていってイエス様を掴んで、「主様は永遠に安息して下さい」と言って敬拝することのできる愛する新婦とならなければなりません。神様はこのような新婦が現れるのを願っておられるのです。 皆さんは今イエス様が残された荷物を解かなければいけないのです。イエス様から心の光を相続して、イエス様から水と油の恩賜を受けてその次に礼服を着て………。この礼服は皆さん一個人にとどまる礼服ではありません。皆さんに固着するものではなく、皆さんによって生命の光を受けて水と油の恩賜を受けて礼服を着ることをもって、主の御前に新婦となれる人が多くいなければいけないというのです。 祈祷 愛するお父様! 6千年歴史がこのようにして険しいということを感じながらも、徹した(言うに言えない)その心情、徹したその心の前に恐れを感じる者たちとして下さい。罪の中にあって何の罪が一番大きいかということも知らなかったのですが、知ってみると主様が下さった光を私の物だけとしたことが大きな罪であり、水と油を持っているのにそれらを私だけが持っていることが大きな罪であり、私は礼服を来ているのに、多くの人たちをして礼服を着るようにできないことが大きな罪であり、信じなければならない責任があるにも拘らず、信じられないことが6千年に代身する大きな罪だとわかりました。 今日この席に集まったあなたの子女たち、自分が直接罪を犯すことよりも一つの生命に犯罪するようにすること、イエス・キリストの苦労によって残された光と水と油と礼服を残せない、この事がもっと大きな罪だということを悟れるように許諾して下さい。 お父様、今伝えたところの御言を通して散らばっていた子女たちがイエス・キリストの形状を受けるようにして下さり、呼ばれる声を聞けるようにして下さい。歴史的な苦労と苦難、十字架の苦難まで責任とらなければならないのですが、この者たちが不足な場にあって天の御旨を知らず、お父様が願いをかけられた御旨がわからない立場におりますので、お父様、激励して下さいまして、まずこの者たちに御旨を明らかにして下さいますよう、お父様の直接的な御声を聞くことができるように許諾して下さい。善の生活をしようとしておりますから、この者たちが胸に抱く思いのまま生きていくことができるように導いて下さいますよう、愛するお父様、心よりお願いし、お祈り致します。 主様の新婦として美しく装い、すべてのものを越えて、天の栄光を現すことのできる子女として導いて下さり、新しい歴史的な仕事を担当できるようにして下さることを、愛するお父様、心より懇切にお願いし、お祈り致します。 すべての事をお任せしますので、御意のままに主管して下さり、集まったこの者たちの心の上に現れて下さり、永遠の勝利の栄光を代身することのできる子女として立たせて下さることを懇切にお願いしながら、主の御名によってお祈り申し上げました。ア―メン。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.12.29
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「天宙平和連合」創設記念世界120ヶ国巡回帰国歓迎大会大韓民国ソウル2005-12-27「天宙平和連合」の創設二〇〇〇年八月十八日、アメリカ、ニューヨークの国連本部で開かれた「世界平和超宗 教超国家連合(IIFWP)」総会において、真の父母様は、世界平和の具現のために国連を上下両院に再構成し、韓半島の軍事境界線を含む世界のすべての国 境地帯を平和地区に指定することを提案された。続いて、二〇〇五年九月十二日、国連に代わる新たな平和機構として「天宙平和連合(UPF)」を創設され た。真の父母様は、この日の基調演説において、「『天宙平和連合』はカイン的な既存の国連の前にアベル的な国連の使命を果たすようになる」とされ、「国連 ができなかった限界を克服し、宗教と霊的覚醒に基づいて地球村の紛争と戦争を防ぐに当たり、民間国連の役割を果たすようになる」と強く主張された。そし て、真の父母様は、「天宙平和連合」の創設直後から十二月二十三日まで世界百二十ヵ国を巡回し、創設記念大会を開催された。この期間に、ブルンジ、タンザ ニア、アルバニア、パラオ、ソロモン諸島などの現職大統領と総理など国家首班十人が、平和大使として活動することになるなど、各国の指導者たちが積極的に 同参した。また、フィリピンとウルグアイの大統領、アルバニアの総理、カンボジアの皇太子など、各国の最高指導者たちと会談し、「天宙平和連合」を通した 世界平和運動を積極的に推進することに合意した。10 アベル国連である「天宙平和連合」を創設しようと思います。これは、国際連合と同じです。国際的な平和連合をつくろうとしているのです。ここに「天宙」と いう言葉が入らなければなりません。ですから、「天宙平和連合」という名前を付けました。天地の平和を中心として連合した一つの天宙平和統一国、すなわち 天一国になるのです。ですから、「『天宙平和連合』を中心としてアベル国連を編成する」と、公式的に発表するのです。11 天は平和と統一であり、サタンは闘争と分裂です。滅びるか栄えるかはそこで分かれます。サタンは天と共にいることができないので、悪はなくなり、善は残る というのです。ですから、「天宙平和連合」です。サタンが地からいなくなるので、地球星は、完全に栄える平和の境界内に抱かれるのです。私たちの活動目標 は、「天宙平和連合」の創設とともに、祖国の地を回復することです。今や、これを私たちの生涯の目標として定めて、進まなければなりません。12 天宙とは、宇宙の家を意味します。大きな家庭です。「天宙平和連合」は、大きな家庭を平和にする連合体です。大きな家庭に平和が訪れるので、地上・天上天国になるという意味です。その中心は神様です。父母様が責任をもつのではなく、今からは神様が責任をもつ時が来たというのです。自分が中心になってするのではなく、神様に委ねなければなりません。霊界に委ねると、霊界で主導する内容と私たちが相対的関係さえ結べば、み旨は自然に成就されるのです。ですから、皆さんの心は、どこに行き来しようと「天宙平和連合」に関心をもたなければならず、その世界に一歩でもより近づいていくために、神様にす べて委ねることができなければなりません。私たちが神様にあらゆることを委ねれば、神様が中心になるので、できないことがないのです。蕩減もなく、サタン の反対もないので、神様が思いどおりにできます。そのような時代が来ました。神様が思いどおりに、主人の役割を果たすことができるので、私たちが神様の背 中に背負われていくという思いをもって進めば、迫害も飛び越えることができるのです。そこに「天宙平和連合」を立てた重要な意義があります。13「天宙平和連合」はアベル国連です。父母様は既にアベル王権までも発表しておきました。アベル王権、「天宙平和連合」、そのアベルの国は、兄を滅ぼすのではなく、兄を協助することによって、世界の問題に対し、和合の伝統を立てて解決していくのです。韓国と北朝鮮、ロシアと中国、ロシアとアメリカの問題も、結局、真の父母が入っていけば、争うことなく解決されるのです。共産主義の父母が現れ、民 主主義の父母が現れたのですが、父母のことを知れば、この父母に反対できないのです。そこに絶対信仰、絶対愛、絶対服従することによって、天地統一連合が 生じ、それは、「天宙平和連合」時代からアベル国連時代を経て、アベルがカインを収拾し、天宙平和王権に越えていくのです。14 父母様は、「天宙平和連合」の看板を掲げて、批判されようと、むちで打たれようと、冒険をしようと思います。きれいに有終の美を飾っていこうと考える人で す。苦労で始まったので、苦労で終わらなければなりません。自分の欲心をもって終わってはいけません。息子の時代や孫の時はもちろん、何十代以降にも、再 び補う必要がないようにするのが父母様の願いなので、一つの表題を、一年ではなく、十年、千年までも掲げていくのです。15 アメリカで「天宙平和連合」の創設大会をするやいなや、百二十の国家を巡回しました。父母様が一生の間、蕩減しながら勝利したものを、百二十ヵ国にもって いって植えてあげたのです。まだ統一教会に反対する人がいますが、皆さんは少しも恐れることなく、推し進めていきなさいというのです。統一教会の人々が、百二十ヵ国に出ていって、「父母様は、私たちの国に一度来るだろうか」と考えていたのですが、初めて百二十ヵ国を巡回しました。 父母様が勝利したものを植えてあげるのです。ですから、一つも反対できませんでした。百二十ヵ国に、反対する人がいなかったのです。島国から半島、大陸ま で、反対する人がいませんでした。そして、勝利したものをすべてお母様に渡して、「カインとアベルを一つにしなさい」と言ったのです。それで、お母様が百八十ヵ国を巡回しました。お母様を立ててしたのですが、神様を中心として、いつでも父母様をお迎えしていくのです。16 お父様は、二〇〇五年九月十二日から、イエス様が立てることができずに断絶されていた血統を立てるため、世界百二十ヵ国を巡回しました。血統を転換するの です。そして、お母様と一緒に巡りながら、お母様が行く道を開いてあげるのです。エバが堕落するときに血統を汚したので、それを正さなければならず、カイ ンがアベルの命を奪ったので、それを正さなければなりません。お母様と息子、娘が一つになり、お父様が残しておいた道を行かなければならないのです。イエス様が母(妻)を立て、その母と共に、息子が百二十ヵ国を巡りながら家庭理想を植えなければならなかったのですが、それができませんでした。今 回の二度目の百八十ヵ国巡回では、分かれたカインとアベルを束ねるのです。個人、家庭、氏族、民族など、分かれたものをすべて一つにまとめるのです。そう して、お父様がサタンの血統を断ち切ってあげ、お母様が代わりにそれを受け継ぎ、世界的に息子、娘、カインとアベルの問題を解決するというのです。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.12.28
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第 3-1講. 公式路程の出発と受難 I動画の下にある字幕ボタンを押すと、字幕を見ることができます。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.12.28
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第 2-4講. 真の父母様の聖誕と摂理的準備の時期 IV선학역사편찬원チャンネル登録者数 561人動画の下にある字幕ボタンを押すと、字幕を見ることができます。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.12.28
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文鮮明先生御言選集 19560516 - 神様の誇りとなったイエス・キリスト(1)1956年5月16日韓国・前本部教会 神様の誇りとなるべきであったアダム・エバ 天地万物を造られた神様は、アダム・エバを天地万物に対して、神様が誇ることのできる実体として造られました。またアダム・エバを天使世界に対しても、神様が誇ることのできる実体として造られたのです。アダム・エバが万物の前に立てば、万物はアダム・エバに敬拝をしなければなりませんでした。 このように造られた被造世界が、人間の堕落によって潰されてしまったのです。すなわち、人間の堕落によって人間の前に誇りとなるべき万物の価値が、そのまま現れることができなかったのです。無形世界の価値の中心として現れることができた人間が、その資格を喪失するようになり、神様の誇りとして、神様の代わりに万物の前に現れ、和動の中心として栄光を受けるべき人間の位置が、根本的に潰れるようになってしまいました。 人間始祖の堕落以後、六千年が経過した今日まで、神様が求めてこられた標準は何だったのでしょうか。神様の心に代わり、形状に代わり、神様の性稟に代わって、天倫の行事に代わる全体の代表者、神様が誇る一人の代表者を求めてこられたのです。 また、今までこの一つの願いのために、イエス・キリストも苦労してこられました。それでは、アダム・エバの堕落以後、四千年目にこの地に来られたイエス・キリストはどのようなおかただったのでしょうか。イエス・キリストは神様の内的心情を代身し、外的形状を代身したおかたでした。それで、神様はご自身の創造の理念として立てた“誇りの基準”を、イエス・キリストを通して現そうとされたのです。これが、イエス・キリストが遂行しなければならなかった本来の使命でした。 ですから、イエス・キリストはその一代で、彼の生活を通じてある部分だけでも、神様の心情と形状に代わる子女として現れなければならない、重要な責任者の立場に立っていたということを知らなければなりません。 このようにイエス様は、神様が誇る実体として現れなければなりませんでした。まず、万物の前に誇ることができなければならなかったし、その次にはサタンの前に、そして、聖徒たちの前に誇ることができなければなりませんでした。そして、神様がアダムとエバを中心として喜び、栄光を享受しようとされたことを復帰する一日を、迎えなければならなかったのです。これが中心存在であるイエス様を立てて、役事し摂理された神様のみ旨でした。 神様はイスラエル民族をして、イスラエルの国を建設しようとされ、その中に自らイエス・キリストを送られたのです。それで、イスラエル民族が一つになってイエス・キリストをほめたたえ、神様が誇ろうとされたその基準で、感謝の心情を持ってイエス・キリストに対していたならば、このような歴史的悲しみが六千年まで延長されることはなかったでしょう。神様の誇りとして立てられた信仰の王・イエス 神様の誇りとして現れたイエス・キリストの目に映ったものと、イスラエル民族が誇っていたものとは全く違っていました。すなわち、神様の復帰摂理のみ旨に対してきたイスラエル民族が、自ら神様の選民であることを誇っていたのと、神様の復帰摂理のみ旨を奉じながら闘われたイエス・キリストが、神様のみ旨のために誇られたのとは違ったのです。それでイスラエル民族は、神様の代わりに誇ることができたイエス様のみ言の前に、自分たちがその時まで立ててきた民族的な誇りを、放棄する立場に身を置かなければなりませんでした。 自分たちの誇りを放棄して、神様のみ旨を代身して誇るための新しい誇りを持って現れたイエス・キリストの前に、柔和謙遜にひれ伏していたならば、十字架の困難な関門がイエス・キリストの前に残されることはなかったし、キリスト教の歴史に十字架の道というものはなかったでしょう。 そして、「イエス様のみ言に耳を傾けることによって救われた」ということはあっても、「十字架を信じることによって救われた」という、このような話はなかったことでしょう。 今日、私たちがイエス・キリストの死を祝福して、十字架に贖罪の権限があると信じていますが、それがすべてではありません。イエス・キリストが生前に語られたみ言に贖罪の権限があったということを、今日キリスト教の人々は忘れています。私たちが知らなければならないことは、もちろん、キリストの十字架を信じることによって霊的な贖罪を受けることは可能ですが、イエス様が生前に語られたみ言を信じて、み言のとおりに実践していたならば、霊肉合わせての贖罪が成されていたことでしょう。 では、イエス・キリストは、この地に来られてまず何を誇るべきだったのでしょうか。アダム・エバは堕落することによって、神様のみ言を成就することができませんでした。み言を信じられませんでした。人間が神様のみ言を信じることができずに堕落して、四千年間摂理歴史が延長されたのです。イエス・キリストが、この延長された四千年歴史を断ち切るために、サタンの前に立てた一つの中心が何かといえば、信仰でした。すなわち、イエス様は「信仰の王」としてこの地に現れたのです。 イエス様はどのようなかたでしょうか。またイエス様は、神様の誇りとして立つことのできる一つの価値の基準を、どこにおいて立てられたのでしょうか。四千年の歴史が流れる過程で、だれも信じることができず、神様のみ旨に相対することのできなかった万民の前に、イエス様は信仰の王として現れたのです。それで神様は、イエス・キリストの信仰を誇ることができたのです。 多くの人々が「神様を信じる」と言いましたが、そのような信仰では、神様の天倫の心情に通じた上下の内的な関係を結ぶことはできません。また、多くの予言者・烈士たちが現れては逝(ゆ)きましたが、彼らが信じ、彼らが従っていったものを通じては、神様の中に込められている愛の原則を知ることはできないのです。 さらにイエス・キリストは、多くの聖徒たちが歩んできたその歴史的な信仰の過程全体を引き継ぎ、たったお一人ですべてのサタンの歴史を断ち切ろうとされました。四千年の信仰を総結実する立場のイエス・キリストは、宇宙の中心形として、信仰の主人公として来られたのでした。 この一つの基準のために、神様はイエス・キリストを信仰の王として立てられました。イエス・キリストは、神様のみ旨を代身したのであり、神様のみ言を代わりに伝えたのですが、宣布されたみ言は、旧約のみ言そのままではありませんでした。旧約の信仰によって信じたのではありません。預言者・烈士たちが語り、預言された、その限界の中で信じたのではありません。言い換えれば、イエス様は、イスラエル民族が信じてきた旧約聖書のみ言の圏内でメシヤ思想を持っていたのではなかったのです。 イエス・キリストは、どのような信仰を持たれたのかといえば、旧約聖書にも歴史上にもかつてなかった信仰、その時まで現れることのなかった一つの新しい信仰、世界のどのような環境の、どこにも現れなかった信仰を持った代表でした。そのために、旧約歴史がイエス・キリストの前につながらなければならなかったのです。 では、神様の誇りとして立てられた信仰の王・イエス・キリストを信じている私たちは、何を知らなければならないのでしょうか。私たちが、ある限界内でイエス・キリストを見たとするならば、イエス・キリストが降臨される前の四千年歴史と、イエス様の三十余年の生涯と、永遠なる未来にまで及ぶ彼の価値を知ることはできない、ということを知らなければなりません。 また、私たちは、万民が神様のみ旨が分からずに反対する立場に立っているとしても、「私は、そのみ旨一つだけを掴(つか)んで行きます。だれも信じることのできないことを、私は信じます」と言える信仰の基準が立てられてこそ、イエス様が万民の救世主、信仰の王として立つことができたという事実を知らなければなりません。 では、今日私たちが信じているイエス・キリストは、生きているうちに、み言をすべて語って逝かれたのでしょうか。もし、み言をすべて語ってから逝かれたのではないとしたら、私たちには、再び来られる主が語ってくださるみ言が必要なのです。イエス様は、アダム・エバの堕落以後四千年ぶりに、サタンの前にもすべての被造世界の前にも誇ることのできた信仰の王であり、神様が求められた信仰の王でした。しかし、ユダヤ民族が不信することによって、神様は彼を怨讐の手に渡すしかありませんでした。それでイエス・キリストが、全被造物の前に誇ることのできる基準を持ってこの地に再びこられて、皆さんに新しいみ言を語ってくださるようになっているのです。 イエス様は信仰の代表者、信仰の王として、旧約聖書になかった新しいみ言を発表されました。そのみ言は、新約のみ言として、今日私たちに伝えられています。 今、私たちが備えなければならないことがあります。今日この時代は新しい時代であり、これから栄光の時代が来るので、その栄光の時代に残ることのできる信仰を持つことができなければなりません。 イエス・キリストの希望と信仰は、人間が四千年間、信じてきた次元の信仰ではありませんでした。彼の一代を経て遠き後世、すなわち永遠にまで及ぶ信仰、神様がイスラエル民族をして成せなかった、その当時に表されることのなかった愛と善を表すことのできる信仰でした。 ですから、イエス・キリストは歴史上になかった信仰の王であり、神様が誇るかたでした。イエス様と同様に皆さんも、このような信仰を持たなければなりません。 サタンを打ち負かす王・イエス 二番目に、神様がイエス・キリストを誇ることができたのは、多くの人が数千年間、サタンと闘ってきましたが、イエス・キリストが初めて勝利の王として立つことができたためでした。それで神様が、イエス・キリストを誇られたのです。 四千年間、多くの先祖たちがこの地上に生まれてサタンと闘いました。メシヤを送ろうとされる神様のみ旨のために、数多くの預言者たちが現れてサタンと闘いました。しかし、彼らはサタンを屈伏させることができませんでした。四千年間、サタンと闘いましたが、サタンを占領し、屈伏させることができなかったのです。ところが、イエス・キリストがこの地に来られることによって、初めてサタンを占領して屈伏させたのでした。 イエス様は、何をもってサタンを屈伏させたのでしょうか。天の愛の原則をもって屈伏させたのです。皆さんはそれを知らなければなりません。今日、私たちキリスト教徒たちが知らなければならないことは、サタンを屈伏させるには愛の原則でなければならないという事実です。 愛の原則は、どのような原則でしょうか。イエス・キリストは万民の前で亡くなられました。この地上に、数多くの人々が来ては逝きましたが、イエス・キリストは神様が最も愛された独り子であるというのです。そのため、イエス・キリストの三十余年の生涯の生活を見れば、どの一部分を取っても、親孝行の生活をしなかったという部分はありません。神様のみ前における一日の生活は、昼も夜もどの時間も切り離すことのできない、神様のみこころにふさわしい生活でした。神様が見られるとき、“この地上におまえ一人しかいない”と言われるくらいに親孝行の生活をされたのです。 イエス様は、自分の一生のすべてが消え失せたとしても、ひたすら神様に尽くす心だけでした。自分の肉身は無視されるとしても、万民の救世主としての使命を果たそうという心しかなかったのです。ただひたすら、「お父様! 私一人が死んで、あなたが四千年間求めてこられた愛の代身存在、あなたの愛を受ける息子として、その愛の代価をお返しできる孝子となります」という心以外には、何もありませんでした。 ですから、億千万の民が、「イエス・キリストは神様の息子でない」と言っても、神様はそれを認めることができなかったのです。天地の中心に結ばれた、神様の愛による父子関係の天倫の力は、だれも阻むことができません。イエス様は、どのような困難な中でも環境に屈しませんでした。ゴルゴタ山上の孤独な場でも、十字架を背負いました。イエス様は、そこに神様のみ旨があることを知っておられ、四千年間、待ち続けられた父の愛の心情をよく知っておられたのです。 それゆえ、父のみ旨が変わらない以上、父の愛を受けることのできる息子としての誇りは永遠なのです。神様はイエス・キリストを独り子として、神様の変わらない愛の化身体として、全被造万物の前に誇られました。サタン世界の前に誇られたのです。 歴史上、自分を生んでくれた父母に孝誠を尽くした人は多くいます。サタンの懐の中にいる孝子・孝女は多いというのです。しかし、神様がイエス・キリストを誇ることができる基準、イエス様のように神様の愛を受けることができる者になろうとすれば、歴史上のすべてのサタン圏内の孝子・孝女たちを合わせた以上の価値と実績がなければなりません。 そうしてこそ、神様が、「これは私の愛する息子である」と言うことができ、天上天下において、天倫を代身した唯一の孝子となることができるのです。 このような基準をもって、イエス様が多くの群衆を眺めるとき、あまりにも呆然としたのです。そのようなイエス様の心情であったために、自分の価値と彼らの価値との間には、天地の違いがあることを感じたのです。そのためにイエス様は、天の前に自ら堂々と彼らのために祈祷できたのです。 また、神様と愛によって結ばれた父子の関係から出てくる力によって、サタンまで滅ぼすことができたのです。なぜならば、サタン圏内の多くの人々がサタンに同調するのと、イエス・キリストが神様に仕えて愛する基準とは、比較にならないからです。イエス・キリストが、神様の愛をもって現れたので、怨讐の前にあって堅固な盾となったのです。それで、イエス様を中心として集うすべての所で、サタンを屈伏させることができたのです。 イエス様は、四千年間先祖たちが勝利したものと負けたものすべてを合わせて、自分の基盤にすることができる一つの基準を勝ち取ったので、神様が誇ることができたのでした。 今日、私たちが考えてみなければならないことは何でしょうか。今まで人類は、六千年間サタンと闘争してきましたが、なぜイエス・キリストが、四千年間多くの預言者たちが勝利した価値以上の勝利の実績を収めることができたのかということを、考えてみなければなりません。また、私たちの先祖が、どのようにサタンに対して勝利することができたのかということを、考えてみなければならず、皆さん自身が彼らの立場にも立って、考えてみなければなりません。 天が今、この地上の聖徒たちに願うことは何でしょうか。イエス・キリストだけがサタンを屈伏させるのではなく、今日、終末のすべての聖徒たちがサタンを屈伏させて、イエス・キリストの愛を通じて神様の愛を感じることです。 イエス・キリストは、三十余年の生涯で勝利の生活をしました。イエス様は、勝利できないことを言うのは避けたのです。イエス様が負けたり、サタンが接近してくるような言葉は避けたのです。他人から見れば、村の一人の青年であったのですが、いったん全体に責任を持てば、彼の言葉や行動や願いは、全体を勝利の基台の上に上げることのできる言葉と行動と願いでした。 今日、皆さんは、イエス様がこのように苦労されて、整えられた勝利の基盤の上に立っています。皆さんは、イエス様からこのような恩恵を受けているのです。今は皆さんが、イエス・キリストがこの地上で勝利して成し遂げられた勝利の基盤の上に立って、どのようにすれば、より高く上がって行けるかということが問題です。皆さんは、天が皆さんのためにこの地上に降りてこられたことを知って、天に上がって行く時まで勝利の汗を流さなければなりません。 私たちは、私たちの心に神様の愛を満たさなければなりません。イエス様と聖霊の愛を感じて、天の愛を体験しなければならないのです。 イエス様は個人的に勝利されましたが、十字架で亡くなられたがゆえに、霊的にだけ勝利の基台を立てられました。それで、二千年の歴史を終結しなければならない私たちは、イエス様の霊的な基台の上に立って、イエス様の体に代わって勝利の基台を築かなければならないのです。 霊的な救いを完成してくれる新約聖書の次元を超えて、天が実体的な救いを完成させてくれる新しいみ言をこの地に宣布するようになる時、サタンがこれに反対してきます。しかし私たちには、このことにまで責任を持って戦って勝つべき責任があるのです。 イエス・キリストは、どのような条件によって、神様の愛を受けることができたのでしょうか。イエス様は、「責任を持つ王者」となったので、神様の愛を受けることができたのでした。イエス・キリストは、生まれた時からヨセフの家で大工の仕事をしましたが、責任を完遂するために努力したのです。 ヨセフの家で大工の仕事を手伝いながら、父母が抱えている生計を助けてあげる生活をしましたが、イエス様にとっては、それだけが生活のすべてではありませんでした。また大志を抱くと同時に、小さいことにまでも責任を果たされたイエス様でした。このようなイエス様であられたことを皆さんは忘れてはいけません。 イエス様は全体のみ旨に責任を持たれた王者 イエス様の生活はすべて、自分の責任と使命を完遂する生活でした。彼は、永遠に残る責任を地上に完遂してのけたのです。イエス様の三十余年の生涯は、責任を果たしたという永遠不変の実績をこの地上に成したという生涯でした。それゆえ、イエス・キリストのみ言、キリストの信仰の福音が残っている以上、彼の生涯も残っていくことでしょう。 イエス様は、自分一代においては言うまでもなく、歴史的な面からも責任を持たれたのです。そして、神様が四千年間、役事してこられたみ旨に対しても、たった一人責任を持たれたのです。イエス・キリスト以外に神様の責任を代わって背負える人は、この地上には一人もいなかったのです。イエス様は、独り孤独な身で責任を果たされたということを皆さんは知らなければなりません。 イエス様は、自分一人ですべてのみ旨に責任を持つことに対して寂しかった反面、より大きな責任を感じたのです。ですから、イエス様の一日一日の生活は、全体的な責任を完遂するための基盤をつくる生活でした。 そして、三十年準備時代と三年実践時代、三日間の完成時代まで、イエス様の目には、サタンを屈伏させることと、その基盤の上に神様のみ旨を成就することしか見えませんでした。この責任を痛切に感じて生きた生涯でした。イエス様は、一瞬もこの責任を忘れることはなかったのです。 また、十字架を背負ってゴルゴタの山頂に向かって行く時にも、万民が誹謗し、サタンが嘲弄するそのような最後の瞬間にも、イエス様が担ったところの天倫の責任を、一人でやり遂げようとする心は変わりませんでした。 イエス様が、責任完遂の理念を持って、十字架の峠を越えたために、復活の役事を起こすことができたのです。そして、地上に残っている弟子たちを再び収拾しなければならない責任があったために、イエス様は天国に行かれた後、再び降りて来られました。神様の力によって、復活の役事を起こすことができたのです。 イエス様は、亡くなられた後も、散らばった弟子たちを心配されていました。墓中三日間も、この弟子たちを永遠に守るという心を持っておられたので、復活の後にガリラヤの海辺で弟子たちを捜し回られたのです。 今日、私たちが人間的に考えてみれば、責任感がなかった彼らに対して、イエス様がどうしてそのようにできたのだろうかと考えやすいのです。難しい立場の時、背を向けた弟子たちでしたが、イエス様は復活後に、まずガリラヤを訪ねられて、自分の責任を完遂し始めました。このように死の峠を越える時、変わらない弟子たちとして立たせてくださったイエス・キリストの人格こそ、今日の私たちが見習わなければならない人格なのです。 それだけではありません。その当時の弟子たちとそれ以後の数多くの聖徒たち、二千年が経過した今日の私たちにまでも責任を持たれたということを知らなければなりません。救いの歴史は全体の歴史でした。天のみ旨はすべてを救援することなので、イエス様は全人類にまで責任を持たれているのです。 ではイエス様は、どのような責任を持っておられるのでしょうか。イエス様は、この世的なことに対する責任を持たれたのではなく、裕福に暮らすということに対して責任を持たれたのでもありません。私たちの生命に責任を持っておられるのです。皆さん、この世に難しいことは多くありますが、これ以上に難しいことはないのです。生死の問題に責任持ったために……。 今日、信仰者たちは、まかり間違えば、生死が左右されるような岐路に立っています。はらはらさせる刃のような線上に立っている人たちを、全部右側に引っ張る責任をイエス様は持っておられるのです。このように、イエス・キリストは昔、三十余年の生涯を過ごした時もそうであり、死の道に向かわれた時もそうであり、いついかなる時も同じ心でした。人間が、このような責任と使命を感じることができなくても、イエス・キリストはこの責任と使命、この一つのみ旨を成すために、今も役事しておられるのです。神様の誇りとなったイエス・キリスト(2) 全体の責任を完遂すべき私たち では、今日私たちが信じているイエス様に侍ろうとすれば、私たちはどのようにしなければならないのでしょうか。いつもイエス様に責任を負わせるような者となってはいけません。 イエス様は、四千年の歴史に責任を持たれ、当時の人類に責任を持たれ、亡くなられた後、二千年間人類に責任を持ってこられたので、私たち自身も責任を持つ者とならなければいけないのです。私たちは今、イエス様に責任を負わせる生活をしてはなりません。 そして、私たちは自ら、「アバ父よ、二千年間責任を持ってこられたイエス・キリストの困難が分かります」と言いながら、今日も私たちのために、世界のために責任を持っておられるイエス様に対して、無念に思わなければなりません。 このことは、だれのためだったのでしょうか。取るに足りない私たちのためです。ですから、私たちはこのことを考えて、イエス様のみ前に頭を下げる人とならなければなりません。「主よ!」と叫びながらも、骨が溶けていくような心情、肉が溶けていくような心情を感じてみなければなりません。 神様はやっと、四千年のみ旨に責任を持とうとするイエス・キリストを掴んで、「おまえ一人だけが、私が成すべき責任を背負っている」とおっしゃることができたのです。それで、すべてのことを信じ、すべてのことを任せることができました。すべての責任の包みを背負わせることのできる立場で、神様はイエス様に対することができたのです。 それと同様に、神様のみ前に立てられたイエス様と同じく、私たちも全体の責任を果たそうとしなければなりません。責任を果たす、そのことが難しいとしても、「困難なそのことを私に背負わせてください」と言える心情で、神様とイエス様の前に、「願われるその心情を私を通して現してください」、「私を通して見せてください」と言えなければなりません。 このような人々が、終わりの日に残ることのできる群れなのです。このような群れが出てこなければ、神様の独り子イエス・キリストが、二千年間人類のために責任を持ってこられたその目的を、どこで成し遂げるのでしょうか。神様の独り子として、命を懸けて責任を持って路程を歩まれたイエス様が、責任を持てる人を捜せないとすれば……。 ですから私たちは、「イエス・キリストが十字架上で、歴史に対する責任と、現実に対する責任と、未来に対する責任を持とうと神様の前に宣誓された、その責任を私たちに持たせてください」と祈るべき時が来たのです。 私たちは、きょうまで生きながら、天のみ前に責任を転嫁する時がたくさんありました。しかし今は、「四千年間、切なく思われた神様の心情を代身して、地上で王として、歴史的なすべての責任を果たしてこられたイエス・キリストを代身して、その責任を負って戦います。怨讐サタンと数千万の人間たちが歓迎しなかったとしても、私が代わって責任を持って戦います」と祈祷しようとする人々が出てこなければならないのです。このような人々が出てきてこそ、イエス様が安息の圏で休まれることができるのです。 今日、終わりの日を迎えたこの時に聞こえてくるのは、「私の生命の叫びを聞く者はだれか? 神様の生命を引き継いだイエス・キリストの生命の訴えを聞き入れる者はだれか」という声です。天はこのような人を捜しておられるのです。 今までイエス様は、万民のために神様の右側で祈ってこられました。ところが、イエス様が休まず、今まで祈っておられたのは、イエス様に何か過ちがあったからではないのです。またイエス様が、父のみ前に出られない立場に立っておられたからでもないのです。そのすべては、私たちのためです。それゆえ、二千年間苦労してこられたイエス様のために、皆さんは生命を断ってでも、生命の責任を完遂しようとしなければなりません。 イエス様が十字架上で亡くなることによって、生命の責任がこの地上に残っているのです。この残された生命の責任を完遂すべき時が再臨時代です。この生命の責任を完遂できる人が現れることによって、再臨時代は始まるのです。イエス様は歴史的な生命の責任と、未来的な生命の責任を成し遂げる人であられるために、皆さんは、最後の戦いで彼とともに戦わなければならないのです。 再臨時代の始まり 神様は、愛するイエス様を立てられて、信仰のイエス様を通して、あるいは真理のイエス様を通して人間を愛することを願っておられます。皆さんを愛することを願っておられるのです。 今日私たちは、信仰のイエス様を手本としなさいというとき、心だけでも、「はい、そうします」と言えなければなりません。勝利されたイエス様を手本にするようにというとき、「そうします」。責任を持っておられるイエス様を手本としなさいと言われたとき、「はい、そうします」と言えなければなりません。皆さんが、このような人となれなければ、今までいついかなる時にも休むことのできなかったイエス・キリストは、どうして休まれることができるでしょうか。 ですから、神様が誇りとして立てられたこのような条件を、皆さんが代わって担当しなければなりません。そして、霊界に行かれたイエス様の誇りとなった条件を、この地上で成し遂げる皆さんとならなければなりません。神様が誇ることのできる皆さんとならなければならないのです。 まず、信じることのできないこの世で、信じることを誇らなければなりません。そして、サタンとの闘いで勝利したことを誇らなければならないのです。責任を持てないこのような世の中で、責任を持つことを誇らなければなりません。 このことによって、神様の誇りが霊界のイエス・キリストを通して地上の私たちに及び、地上の私たちを通して、万物にもその誇りが及ばなければなりません。そのようにしてこそ、神様の創造理念である、人間を万物の主人公として立て、万物の前に誇ろうとされたみ旨が成就するのです。そうして初めて、人間と万物が誇られる神様に、感謝の敬拝をささげることができるのです。このような全体的な責任が、私たちにはあるのです。 今日、私たちはあまりにも取るに足りません。私たちが持っている信仰も取るに足りません。ですから、私たちはこれからサタンと闘わなければならないとき、「アバ父よ、この世界のすべての人間がサタンと闘って勝てるように力を与えてください。全人類が責任を全うできるようにしてください」と祈らなければなりません。そして、全体の敵に向かって一人で戦い勝利して、「お父様、お喜びください」と言うことができなければなりません。 世界のすべての責任を負って行く姿を神様にお見せし、億千万人、あるいは無数の聖徒たちと被造世界の前に責任を負って行く中心、すなわち誇ることのできる人を通して、地に対する神様の怨恨を解放することができ、そのような人を通じて神様のみ旨を広げることができるというのです。これを皆さんははっきり知らなければなりません。祈祷しましょう。 祈祷 お父様! こちらを見ても私の責任であり、あちらを見ても私の責任であり、この世の悪しきものを見る時、涙が止まらなかったのがイエス・キリストの生涯であったことを知っております。 今日、私たちは悪しきものを見ても感覚がなく、不義であり、足らなくて天倫のみ旨に対する苦痛なる心情を抱いて、責任を感じることができないでいます。 怨讐を打ち破ろうとする心と、恨みに徹する切なさがなかった私、また戦いの実績を持てなかった私、全能の神様を信じることのできない私だったのです。天に対するイエス・キリストの忠誠を知らなかったのです。 お父様、この夕べにわずかな者を前にして勧告しました。イエス・キリストを立てて誇ろうとされたあなたのみ旨が、使徒たちを通じて、歴史を経て今日の私たちに結ばれ、そのみ旨が私たちに結実されることを願っておられることを知りました。生命を頂いたという歓喜に加えて、幾千万の聖徒たちが歓迎することのできる中心的な責任が、今日の私たちに任されていることを知りました。 今私たちを、天地と万物、イエス・キリストの怨恨を解くための供え物となるように許してくださり、誠心誠意を尽くす孝心ある子女たちとなるようにしてくださることを、お父様、切にお願い申し上げます。 十字架の道を通じて新郎・新婦の理念を立ててくださいましたが、今私たちがキリストの愛をどの程度まで実践でき、キリストの愛を中心とした責任をどの程度まで果たし、キリストの愛を通じた信仰の価値をどの程度まで求めることができるかということが、問題であることを知っています。 お父様がこの時間、勧告してくださいましたので、今日の我一身と私たちに、天の解怨のための責任が任せられており、天の怨恨を解いてさしあげるための闘いが、私たちによって終結されなければならない事情があるということを分かるようにしてください。このようなことを知りましたので、だれよりも実践しようという心、お父様に感謝できる心だけを持つようにしてください。 十字架を背負っても感謝できるようにしてくださり、億千万のサタンと闘ったとしても、お父様のみ前に卑屈な者とならないようにしてください。 十字架を背負い、困難な立場に立ったとしても、「お父様! 私がおりますので心配なさらないでください」と言うことのできる子女となれるように導いてください。困難な立場に置かれている子女たちを見て悲しまれるお父様を、慰めてさしあげられる子女となれるようにしてくださることを切にお願い申し上げます。 み言が、この者たちの生命と道になれるよう役事してくださり、この者たちの生活の中心に訴え、生きていく上での中心と標準を探すことができるようにしてくださり、不変の信仰と生命の中心を持って、お父様のみ前に進みいくことができるように導いてください。そのようになることができるように、み言の創造の役事をしてくださることを切にお願いいたします。 すべてのみ言を主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.12.28
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第 2-3講. 真の父母様の聖誕と摂理的準備の時期 III一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.12.27
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タクジイン大学教授の論文に「尊敬する文鮮明(Reverand Moon)」、ほか、原理講論引用に賛否の声があがっています。タク教授側は論文に関して「批判は読者がすること」と主張していました。韓国記事(2020.12.26)からのgoogle翻訳に少し手を加えたものが以下です。한국뉴스신문 (dailyan.com)タクジイン教授、「尊敬する文鮮明(Reverand Moon)」表記浮き彫り引用議論尊敬する文鮮明は、パイオニアの孤独な道を歩いて行くことに気づいた尊敬する聖職者文鮮明(Reverend Moon)引用釜山ジャンシン大タクジイン教授は論文の内容で尊敬する文鮮明(Reverand Moon)を批判せずに書体を浮き彫りにしてそのまま引用して、彼の論文は、文鮮明の広報論文のか、原理講論広報論文のか、両者の広報論文のかを疑問にしてている。聖職者は、米国で儀礼的にReverandという表現を使用しますが、堕落した教主に対して「尊敬する文鮮明ギョジュニム」という言葉を濾過せずに収容することは、自分の主張の別の表現で肯定するという意味が意味されている。 英語ではReverandは崇拝したり尊敬する価値がある人を意味する。通常の聖職者の前に付ける用語で「尊敬する聖職者」という意味を含んでいる。「Reverend」は崇拝であるが、尊敬であることを意味する「revere」から派生した名詞形である。彼は海外の博士号申告論文62pで文鮮明に対して尊称をする一節をそのまま引用している。引用の価値がない一節である。さらに教団から異端として規定された人に対して尊敬するドアと尊称をする内容を引用することは理解しにくいことである。Reverand Moonは「尊敬する文鮮明ギョジュニム」と解釈されることができる。彼は次のように表記を大きくして「尊敬する文鮮明」をそのまま引用して、事実上肯定している。批判がしたこともないからだ。日本統治末期に文鮮明は、他のクリスチャンと接触して地上に神の王国を築くために、彼らと一緒に仕事をした。アメリカのキリスト教宣教師は、これらの若い先生の言葉を聞いて、彼の地方説教として無視した。彼らのメンバーと一緒に一ある若者の訴えに時期する韓国の牧師は、文鮮明を拒否した誤った教義を教えていると彼を非難した。キリスト教の教会は、文鮮明を受け入れるに失敗ししたし、尊敬する文鮮明(REVERAND MOON)は、パイオニアの孤独な道を歩いて行かなければならないと気づきました。原理講論もそのまま引用この他にもタクジイン論文の形式と内容上原理講論に執着して原理講論について広報に力を入れてたことも批判していなかった。原理講論に始まり、原理講論の内容はハングル原文そのままを引用する。原理講論の批判はなかった。統一教会の思想を無差別的に引用して統一教会広報論文であることを彷彿とされている。尊敬する文鮮明の韓国再臨論文は、尊敬する文鮮明が韓国で再臨することから始めた。論文先頭に乗せた情報は原理講論の一つとして、第2のメシヤである尊敬する文鮮明が韓国に到来する内容を載せている。メシヤである文鮮明の韓国再臨を論文の先頭に載せるのは、プロテスタントの学者として想像するのは難しいことだ。尊敬する文鮮明の言葉はハングル原文そのまま引用脚注は尊敬する文鮮明の言葉を原文のまま引用している。タクジイン脚注21番(以下フォト)で原文のままを引用することは、家庭や地上に神の王国の元の意図を明確にするためだと述べている。だから文鮮明が言った、ハングルをそのまま引用すると主張する。しかし、タクジインモルモンと礼装統合教団のジョンヘンアップ牧師の文は原文を最大限に生かさずライティングする。タクジインは原理講論だけではなく、文鮮明他の著書にもハングルの原文をそのまま引用する。ハングルのままを引用してみると、自動的に原理講論を促進するわけになって、他の文鮮明の本も広報することになるだろう。しかし、引用することはできますが、統一教会の批判をしなければならない。原理講論は、イエスの血ではなく、文鮮明によって救われるようにした本であり、最初のイエスの救いは、失敗をし、第二の再臨イエスの文鮮明が韓国の地に来て救いをするという内容で構成されている。タクジイン側が自分の論文を翻訳して裁判所に提出された資料を見ると、原理講論は「統一教会の教義と実践の根本である」とされている。タクジインは「文鮮明が韓国で生まれ、地上に神の王国を立てる真の父母であり、メシアであることを示唆している」と主張している。結論部分でタクジインは「これらの説教者との教えは原理講論に加えて、世界的な真の父母を中心とした行政組織の指導の下、統一教会信者で重要であり、忠実に従うものと考えられる。」と結論を結び原理講論を強調したり促進している。以下は、タクジイン側が提出した翻訳文である。結論も原理講論や統一教会の批判がしたこともない。タク教授はマスコミとのインタビューで批判は読者の役割だと主張した。結論を見れば、統一教がが書いたように見える。原理講論と統一教会家族の広報論文である。尊敬する文鮮明の血ご存知のように原理講論は、イエスの血救いは失敗し、第二のイエスである尊敬する文鮮明の苦労による救いを強調した統一教会の聖書に該当する本である。ところが、プロテスタント学者として原理講論は批判せず、むしろ原理講論を原文のまま露出方法まで駆使しながら原理講論を促進している。一節聖書の引用や批判がなく原理講論の内容をそのまま推進している。もしタク教授が原理講論を認めていない場合、プロテスタント学者として文章も批判をしなければならない。しかし、彼の論文を見ると、最初から原理講論のメシヤとして文鮮明の韓国再臨説を強調し、論文の内容にも、聖書は一つも引用しておらず、原理講論だけ引用し、促進する印象を与えていて、さらに、文鮮明と関連した内容は、書体まで浮上させる方法を使用して文鮮明を称賛する印象を与えている。それとともに、私が自分の論文を歪曲編集したメディアに堂々と虚偽までしている。そのメディアが提起したのは、一言で「歪曲と操作」である。すべてをこの場で明らかにはできないが、代表的なもの悪意のある編集に関するものもある。 (自分の論文の資料を見せてくれて)、実際の私の博士論文の出版著書どんな場所でも強調するために文字サイズを大きくした痕跡がない。また、すでに述べたが、博士号の提出用申告提出用の論文が他のことも統一教会との妥協の可能性があると合理的な疑惑を提起することができる。論文の形式を脱してまで、文鮮明関連記事は30ポイントで浮上させたことは理解しにくい部分である。長々5ページにわたって文鮮明文だけ浮上させるものである。 67、79、80、161、162ページの文章を浮上させる。尊敬する文鮮明引用と表記浮上日本統治末期に文鮮明は、他のクリスチャンと接触して地上に神の王国を築くために、彼らと一緒に仕事をした。アメリカのキリスト教宣教師は、これらの若い先生の言葉を聞いて、彼の脂肪説教として無視した。彼らのメンバーと一緒にした一人の若者の訴えに時期する韓国の牧師は、文鮮明を拒否した誤った教義を教えていると彼を非難した。キリスト教の教会は、文鮮明を収容するのに失敗したし、尊敬する文鮮明(Reverand Moon)は、パイオニアの孤独な道を歩いて行かなければならないと気づきました。「文鮮明の宣言は、統一教会のよく組織された、真の父母を中心と行政システムによって奨励された。これらのシステムは、垂直的に真の親に焦点を置き、また、水平的には、世界の平和統一家族連盟の多くの補助的な機構と関連しあった。まず、地上に神の国を立てるには、すべての計画は、キリスト教の指導者だ真の父母、文鮮明と韓鶴子によって権限が与えられるだろう。カナダのトロントで「すべての人類の生涯のための道」という演説で文鮮明と韓鶴子はメシヤと一緒にいる真の父母の位置について説明した。神は人間を作って良い親の子たちがされるようにして、彼と一緒に一つになった中心的な役割をされる。」タクジインは文鮮明の妻である韓鶴子がメシヤと一緒にいる真の父母の地位を持っていると引用しどんな批判もせずにそのままを引用している。尊敬する文鮮明とかメシヤと一緒にいる韓鶴子という言葉を引用することは統一教会の思想をそのまま認めることに他ならない。次の論文の引用も、文鮮明夫婦の神的位置を認識している。文鮮明を偶像化させたり、神的位置にある文には、書体を大きくすることがわかる。「これは彼が真の父母として、地上にメシヤを送った理由でもある。メシヤは、創造本来の理想を立て、すべての人類の血統を回復させるために来た方である。私たちは神を中心にされた本来の人間像の価値を回復し、真の家族を確立し、永遠に他の人のために生きることを望んでいる真の父母と神を中心にされることを希望する。」文鮮明の最初の妻が魅力的だったという事実を書体を大きくして浮上させることもある。「文鮮明の最初の妻チェスギルは強い特性を持つ魅力的知性的な女性に描写される。ドアは、夫の働きのために妻の態度のために痛みを伴う葛藤に直面した。」尊敬する文鮮明、ハクムンソン高い論文ソウルジャンシン大ジョンビョンジュン教授はこの論文がハクムンソンが高い論文と絶賛した。文鮮明を浮上させて原理講論を批判せずに広報した論文がハクムンソンが高い論文であるか尊敬する文鮮明、理事長や学長も尊敬?これらの論文は、ハクムンソンが高い論文であるか、プロテスタントの学者としての適切な論文であること釜山ジャンシン大ギムヨングァン総長とミンヨウンラン理事長は、論文の倫理調査委を組織して、この論文の長老アイデンティティを持つ教授の論文か、統一教会広報論文のかを冷静な評価をすることを望む。プロテスタント学者としてイエスの救いの働きが失敗し、第2のメシヤである自分が救わ達成したという文鮮明に対して「尊敬する文鮮明」という引用と「メシヤとする真の父母として文鮮明と韓鶴子」の批判のない引用が果たして適切?宗教改革500周年を迎え、文鮮明の血を強調する原理講論を先頭に乗せて、尊敬する文鮮明とメシヤと一緒に韓鶴子文鮮明夫婦を濾過せずにそのまま引用することが果たして適切なのかを再確認してみる必要がある。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.12.27
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天一国8年10大摂理ニュース- 神統一世界のための偉大な旅程一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.12.26
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訓読の神様一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.12.26
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第 2-2講. 真の父母様の聖誕と摂理的準備の時期 II一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.12.25
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【第7弾】「平和の種」 自叙伝で歌を!~「平和の母」オリジナルソング集U-ONE TVチャンネル登録者数 1.85万人世界平和統一家庭連合 文化部では、真のお母様(韓鶴子総裁)自叙伝『人類の涙をぬぐう平和の母』の普及のために、音楽を通して表現する「オリジナルソング」の公募を行っています。自叙伝の内容をモチーフにした歌詞の楽曲を限定とし、ジャンルを問わず、どなたでもご応募いただけます。応募作品は、Blessed Lifeでご紹介してまいります。ぜひご参加ください。応募ご希望のかたは、その旨を下記メールアドレスへ送付してください。応募用紙をお送りいたします。(jijoden-song@ffwpu.jp)第7弾は、篠原稔さんの「平和の種」です。★タイトル:「平和の種」作詞・作曲:M.Shinohara編曲:H.Iguma歌:Aoi★自叙伝感想自叙伝を通して、真のお母様の中断なき前進による天宙復帰に対する姿勢が、真のお父様のご存命中にも築き上げられていたことを知り、真のお母様の60年の深い愛と決意がみなぎるように感じられました。拝読すればするほど、心情圏が何度も重なるように成長させていただき、感謝に堪えません。真のお母様が地上にいらっしゃるうちに、天の父母様の夢が実現されるよう、私自身も歩んでいきたいと決意しています。★楽曲解説オンラインによる100万人希望前進大会を拝見させていただき、コロナ禍にあっても世界がつながることを知り、希望と感動に満ちています。私の娘が、コロナ重症患者担当の医療従事者という状況にあっても、希望前進大会で希望を与えてくださった真のお母様への感謝の思いを込めました。タイトルの「平和の種」は、自叙伝の中にある「鮮鶴平和賞」の言葉から決めました。★歌詞1. 世界平和のため 今日も歩まれる アボ二ムと約束された 全てを果たすため 平和の母がゆく とどまることなく 海と大陸越えて 真を伝える 輝く未来へ向けて 平和の種を植える 世界の全ての民の 復帰の道へ 歴史の悲しみ越えて 誰もが許し合える 皆が家族になれる 本然の世界へ2. 平和を願って 今日も祈られる 争い分裂終わり 一つになるために 憎しみ恨みには 愛と許しで 地球を抱きながら 全てを尽くされる 与えて更に与えて 忘れるお母様 今日も真の愛を 語り証される 天の重荷背負われ 慰めゆかれた 天の父母様慕う 孝情独り娘 真の父母様 歴史の大勝利 独り息子と娘 天の誇り 永久に語り継がれる 天宙復帰 天地もろびと集う 孝情天一国 天地もろびと集う 孝情天一国★音楽活動歴活動歴は40年以上ですが、空いている期間も多く、実質は10年くらいです。★自己PR訓読生活を大切に、これからも与えられる心情世界を歌にしていきたいです。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓ 人類の涙をぬぐう平和の母 自叙伝 [ 韓鶴子 ]
2020.12.25
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2020.12.25
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第 2-1講. 真の父母様の聖誕と摂理的準備の時期 I一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.12.24
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2020.12.24
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第 1講. 総序 (龍辰憲院長真の父母様の生涯路程)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.12.24
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天一国経典・真の父母経 - 第12篇 - 第4章 - 第2節 真のお母様の世界巡回韓国・日本大会「世界平和女性連合」の韓国二十一市・道大会が、一九九二年五月十一日、仁川を皮切 りに、六月二日まで、二十一ヵ都市で開かれ、続いて、全国的な基盤造成のための韓国全土の市・郡・区大会も、六月十日から三十日まで、四十ヵ地域で開催さ れた。真のお母様は、大会で「理想世界の主役となる女性」という題名の基調演説をされた。続いて、一九九二年九月二十四日から十月六日まで、日本の主要 十ヵ都市で「世界平和女性連合」の大会を開催された。アメリカ・ヨーロッパ・アジア・オセアニア大会真のお母様は、一九九二年十月二十日から二十七日までアメリカの八大都市で、十一月 十一日から十八日までドイツ、イギリス、フランス、イタリアの八ヵ都市で、十一月二十二日にはロシアのモスクワ、十一月二十九日にはオーストラリアのシド ニー、十二月二日にはニュージーランドのオークランド、十二月八日にはフィリピンのマニラ、十二月二十三日には中国の北京で、「世界平和女性連合」の大会 を主宰された。アメリカ大会からは、「世界平和における女性の役割」という題名で基調演説をされた。20 お母様が「世界平和女性連合」の中国大会を行うために中国に出発します。共産体制の中国で大会をするというのです。そこで「神様」という言葉を語ることができますか。それは、党が許さず、軍部が許さないのです。党がこの大会の原稿を検閲するのに一週間かかりました。今までお母様の大会で、神様を中心として語ったその骨子をすべて入れたのです。共産国家で、それが夢ではなく、事実として成し遂げられました。(241-141、1992.12.20)21 お母様が中国に行って、「世界平和女性連合」の大会をすることになっています。それはどれほど大変なことでしょうか。政府もできません。ありとあらゆることをすべてやり、私たちがすべて消化して、間違いなく共産党が全党大会を行う人民大会堂に行って大会をするのです。中国の最高の女性たち、英語ができる女性たちを参席させようと思います。そして、既にロシアでも大会を行い、中国でも大会を行うことになったので、今や北朝鮮でも大会をしなければなりません。女性たちがしなければならないのです。(241-027、1992.12.19)22 「世界平和女性連合」の中国大会は、最初から問題がたくさんありました。「宗教的な内容をもって大会をするので、軍部でも問題になり、党でも問題になる」 と言いながら、困るとして中国当局が妨害したのですが、そのまま押し切りました。講演文に「神様」という言葉が、一回ではなく数十回出てくるというのです。私たちが人民大会堂でこのような講演をしたこと自体が、どれほど革命的なことか分かりません。若い人たちはみな講演文を読むでしょうし、そうすれば全国で評判にもなるはずです。これは革命的な事件です。(241-157、1992.12.23)23 鄧小平の息子の一人は障害者で、五十万の中国障害者協会の会長です。一九九二年十二月二十三日、「世界平和女性連合」の大会が開かれる前日、その人の直属 の部下たちが私たちの代表団を招請して歓迎会を開催したのですが、彼らはとても喜んでいました。お母様に会い、今まで進められてきたことについて話をしながら、非常に和気あいあいとした雰囲気で、すべての人が喜んでいたというのです。そして、夜には、中国の全国婦女連合会から招請を受けました。十三億を超える全体人口の半分がここに属しているのですから、ものすごい団体です。婦女連合会は四十年になるというのですが、今が絶頂の全盛時代だというのです。そのレベルであれば背景も大変なものです。共産党は、主に副責任者が全体を調 整します。その招請晩餐会に副責任者が来てお母様を歓迎するなど、招請晩餐会はとても良かったというのです。宗教について知らない立場で、最初は互いにぎこちなかったのですが、最後はとても仲良くなり、歌も歌うなど、良い雰囲気でした。きょうの大会にも、大きな関心と期待をもって参席したでしょう。(241-158、1992.12.23)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.12.23
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イスラエル平和大行進2003年12月22日、イスラエルのエルサレム旧市街 独立公園一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.12.23
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ここ数日、「14歳の占星術師がコロナ事態を予言、第二予言も中国(無神論から)?」(2020.06.11)へのアクセス増が続いています。韓鶴子総裁も、神様が人類の親であることをすぐに知ることで、すべてを神様(天の父母様)を中心に考えるようになれば、いろいろなことを解決することができると語られています。韓鶴子総裁と故・文鮮明総裁は1960年聖婚し、今までに世界人類の平和のために多くのことをされました。いくつかの予言は、神は、この韓国を注目しているし、世界の中心になることもあります。なぜでしょうか? ここ韓国では二人(韓鶴子総裁と文鮮明総裁)があるからだと思います。皆さんは神を信じますか? 今からでも遅くありません。人類の親である天の父母様が人類に何を願い、私たちに何を望んでおられるのか、「統一原理」(こちらから)を学んで調べてみてください〜^^12月20日、21日のアクセス数は以下です。22日の今日も増大傾向の一途を辿っているように思われます。さて、6月11日記事は韓国ブログから拾ったものでしたが、12月20日からコロナの第2次感染が始まるとの予言もされていました。最近の韓国ブログでも14歳の占星術師の記事がいくつかを紹介しておきます。インドの少年予言者アヴィニアの2番目のパンデミック予言は本当に成就しましたか?占星術星座--コロナ・パシセラ氏が021はいつスタートしますか?インドの占星術家”天才少年”は、将来の2番目のパンデミックを予測!インド少年予言者は、世界の株式市場は2021年初頭にWワードに急落するかもしれないという?一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓ 訂正:God is there , 神がそちらにいます, 大変申し訳ない,15分22秒,翻訳厳重間違い, God is there。 神がそちらにいます, God is deadに間違え。 皆さんお許しくださいませ。
2020.12.22
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愛唱歌『信仰の翼』家庭連合の古いメンバーは懐かしく感じられるのではないでしょうか。
2020.12.19
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文鮮明総裁聖誕100周年記念映像(MBCネット日本語版)世界平和統一家庭連合公式チャンネルチャンネル登録者数 2.22万人東西冷戦や民族紛争、人種差別から食料問題に至るまで、平和を愛する世界人として生涯を生きた文鮮明総裁の世界的な平和運動をご紹介します。※ 今年10月16日・17日に韓国MBCNETで制作・放映された映像の日本語版です。【関連記事】[韓国・視聴案内] MBCNETヒョジョンの光、世の中の希望として(2020.10.13)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.12.19
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ほふられた小羊 id:yohane-no-mokusiroku さんへコメントをいただきましたが、過去・ブログ村で公開されたお母様の11.11み言のペーストのみであり、わざわざこちらでも公開する必要を感じません。お母様のみ言と子羊さんのブログ記事で書かれていることとは何らの関連性もありません。むしろ、これまでも私からはあなたの妄想でしかなく、短い引用を挙げてはあたかもそうであるかのように(暗号文解読遊びで)書かれること自体に大きな間違いを犯しているとの指摘をしてきました。一旦はカテゴリー「家庭連合」を退出され、再度戻ってこられた理由は何ですか?【メモ書き】ほふられた子羊さん(777)、カテ移動のその後は「さて?」(2020.11.26)女々しい姿をさらすだけです。ご自身の言葉に責任を持たれたらいかがですか???子羊さん曰く「私のブログ記事が、御言葉によって間違いであるなら今日にでも閉じる」(2020.09.01)過去にはあなたが私からのコメントを削除された経緯もあり、前回記事のコメントは私からは最後のものでした。また、質問等のコメントをいただいたとして「ノーコメント」とさせていただくことを予めご了承下さい。今後は、あなたのブログへの訪問は一切ありません。万が一に「あなたの妄想が真実である」と信じるならば、ご自由にされてください。2020.12.18 22:50by tomy4509一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.12.18
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天一国経典・真の父母経 - 第6篇 - 第2章 - 第6節 アメリカ議会招請講演とウォーターゲート宣言アメリカ議会招請講演真のお父様は、アメリカ議会の招請により、二度にわたって講演をされた。当時、真の父母様に対する関心が高まる中で、上下両院議員が招請したのである。一九七四年十月八日、真のお父様は、国会議事堂のダークセン上院ビルにて「神様の摂理の中にあるアメリカ」というテーマで講演された。この日は、上下両院議員百八十五人が参加し、み言を傾聴した。この講演は、九月十三日、上院外交分科委員長などが、上下両院議員十二人の連署による招請状を真のお父様に送付し、上下両院議員全体に公文を送ることによって実現した。二回目は、一九七五年十二月十八日、上下両院議員たちの招請を受け、アメリカ国会議事堂のコーカス・ルームで、二百人が参加する中、「アメリカを中心とした神様の計画」というテーマで講演された。1 私は、アメリカ国会に行って講演する準備を今まで(渉外チームに)させてきました。これまで六カ月間訓練してきたのは、その目的のためです。それで、一九七四年十月八日に、私が国会に行って講演をすることになっています。ところで、アメリカ社会では、「レバレンド・ムーンは神秘の存在だ」と言っているのです。国会の上下両院議員たちも、一度も私の講演を聞かないまま、どこかに行ってお父様に関する話が出たとき、答えることもできずに口を閉じていれば恥をかいてしまう、そのような段階に入ったというのです。今回、ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデン大会で、そのような雰囲気が相当に高まりました。上下両院議員が来ることができなければ、その補佐官でも必ず送ることにしたというのです。「どのような話をしたのか知らなければいけないので、送ることにした」という報告を聞きました。ですから、「レバレンド・ムーンに対して、上下両院議員の皆さんが協助してください」と言えば、間違いなくワシントン大会のために協助するだろうと思います。2 ホワイトハウスから、国会の上下両院議員たちとアメリカ国民たちが統一教会の思想をもって武装すれば、どのようになるでしょうか。建国の中心に当たるキリスト教が没落するこの時に、キリスト教を再起させることができ、破綻しかけている家庭と倫理を再起させることができ、青少年を再起させることができ、すべてのものを復活させることのできる原動力になるでしょう。個人的にそのような人になれば、世界的代表者になり、家庭的にそのようになれば、世界的代表家庭になり、アメリカ国民がそのようになれば、数多くの国家を代表する歴史上になかった国民になり、アメリカがそのようになれば、世界はその圏内で一つにならざるを得ないと考えるのです。 この国会にいらっしゃる上下両院議員の皆さんは、この思想がレバレンド・ムーンの思想であるとは、夢にも考えないでください。これはレバレンド・ムーンの思想ではありません。これが、神様のみ旨の中で人類に通告しなければならない、一つの深奥な真理であることを知り、これを国会に適用し、この国家、国民に対して国民思想として適用すれば、アメリカがそれこそ「神様のもとの一つの国家」という言葉のように、名実共に世界の主体的国家になることは間違いないと思います。そうすれば、その国こそ、地上天国に違いありません。そこに、真の理想と真の愛と真の幸福と真の真理が存在できるのです。3 何としてでも、韓民族の将来のためにアメリカの朝野に影響を及ぼし、私たちの基盤を拡大していかなければなりません。ですから、ニクソン大統領を支持した問題を経て上下両院の基盤をつくり、国連の舞台で活動し始めたのです。何としてでもアメリカ議会に足を踏み入れておこうと、彼らの前に行って講演までしました。それとともに、政治(家)だけではなく、政治的影響力をもった人々を通して国民との関係基盤を確保し、世論全体の基盤が必要だったので、そのような世論基盤を築き、今やアメリカで私は相当に有名になりました。私が最初に彼らに会った時、「二年間でこのような旋風を巻き起こすが、あなたは信じるか」と言うと、「信じられない」と鼻で笑いました。アメリカで自分こそが実力者だと考え、二十年以上の功績を積んで、今や上院議員の立場にいる人々なので、「外国から来た青二才のレバレンド・ムーンという人物が、アメリカで二年間に何をどうするのか」と、鼻先でせせら笑ったのです。しかし、今や彼らが信じるほどになりました。私が話すことは、うそではないと考えているというのです。この間、私がしたことは、大したことではありません。しかし、彼らに同情される統一教会の文某になっては絶対に発展できません。私が助けてあげなければならないのです。ですから、何はともあれ、助けになることをたくさんしたのです。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓ 天一国経典・平和経 - 第九篇 国境線撤廃と世界平和 - 2. アメリカを中心とした神様の計画日付:一九七五年十二月十八日場所:アメリカ、ワシントンDC、国会議事堂コーカスルーム行事:第二回アメリカ国会上下院議員招請講演会親愛なるアイコード議員、国会議員の皆様、そして紳士淑女の皆様。まず私はアイコード議員の親切な御紹介の言葉に対し、衷心より感謝の意を表し、また御多忙中にもかかわらず、このように参加してくださった皆様に感謝申し上げます。アメリカ人は洗脳されるほど愚かではないきょう私は、美しいアメリカ国会のこの殿堂で、皆様にお話しすることができ、光栄に存じます。優秀であられるアメリカの国会議員各位をお迎えして、お話しできるこの機会は、私にとって二度目です。その最初の機会は一九七四年十月八日でした。それから約十四カ月が過ぎたきょう、私は再びこの殿堂に立ちました。これまで十四カ月が経過する間、私は次第にアメリカのマスコミにおいて論難の的になりました。全国の各新聞は、私に対する記事を大書特筆し、いくつかの雑誌は私の写真を表紙に載せ、カバーストーリーとして扱いました。ある写真は、本人よりも見栄えよく写っているように感じられるものもありました。広告代を一銭も払っていないのに、私のことをこのように有名にしてくれたアメリカの言論機関の各位に、どう感謝の言葉を申し上げたらよいか分かりません。アメリカの言論機関が物議の焦点としているのは、私がアメリカの青年たちを洗脳していると思っていることです。それでは、賢明なアメリカ人の皆様に、一言お聞きいたします。いったいアメリカの人々は、このレバレンドムーンによって洗脳されるほど愚かな人々でしょうか。いいえ、違います。私の答えも同じです。私は、アメリカの人々を尊敬しています。それにもかかわらず尊敬するアメリカの人々がこのような非難をすることが理解し難いのです。暴力を使ってまで非難するのは理解できないことです。しかし、きょうは、弁明するためにここに来たのではありません。私は神様が伝えるようにと言われたみ言を証すために来たのです。その他は歴史が証明するでしょう。今から私がお話ししようとする題目は「アメリカを中心とする神様の計画」です。創造理想世界復帰のための神様の摂理私たちが神様の計画を知ろうとすれば、まず神様のみ旨が何であるかを知らなければなりません。神様は、永遠、不変、唯一、絶対的な方です。したがって、神様のみ旨も、永遠、不変、絶対的なものにならざるを得ません。神様が人間を創造される際に、その目的と理想があったのですが、その目的が成し遂げられていれば、その世界は、愛によって統一された世界となり、神様を父母として侍り、全人類が兄弟姉妹として仲むつまじく暮らす単一世界となり、人類大家族の世界となっていたでしょう。言うなれば、その世界は、み旨の中で一つに統一された世界なのです。この統一という課題が、今日人間にとって最も重要なものであり、そのために極めて難しいものとして残されているのです。個人においては心と体が一つになり、家庭と家庭が一つになり、民族と民族、国家と国家、東洋と西洋、神様と人間が一つに統一された世界なのです。言い換えれば、神様の創造目的が完成した世界が、統一の世界です。しかし、今日の現実はこのような理想世界からは、あまりにかけ離れたものであり、何かが根本的に間違っていることは明らかです。それは何でしょうか。人間の先祖アダムとエバの堕落によって、神様のみ旨が成就しなかったのです。ですから、個人の心と体が分かれ、家庭と家庭、民族と民族、国家と国家、東洋と西洋、神様と人間のそれらすべてが分かれ、分裂と不調和の中で生きているのです。このように分裂した人間自体は、本然の機能を失ってしまった病気の状態にあるのです。神様の人類救援の目的は、この病に伏した人間を診察、処方して治療する医者を送り、病気になる以前の状態に原状復帰させようとすることであり、この救援の摂理は、すなわち復帰摂理と言えるのです。ここにおいて医者として来られる方がすなわちメシヤなのです。それでは、メシヤの降臨に先立ち、神様は何をどうされたのか、そしてメシヤは来て何をしようとしたのかが問題です。神様はみ旨を成就させるために必要な中心宗教を立て、それを基盤として神様の選民である中心国家を立て、その中心宗教と中心国家を通じて世界全体を救援し、復帰しようと摂理してこられたことをはっきりと知ることができます。その中心宗教がすなわちユダヤ教であり、その中心国家がイスラエル選民国家でした。その宗教とその国家の使命は、メシヤを迎えて、全世界を救援するみ旨を完成することです。神様のみ旨成就に先立ち、たとえ困難に直面し、犠牲の十字架を背負うようなことがあったとしても、全世界を救わなければならないのが、その中心宗教の使命であり、またその中心国家の使命なのです。このような明らかな公式的み旨があって、神様はメシヤを送る前に、ユダヤ教を立て、彼らを通してイスラエル民族を訓練し、メシヤを迎える準備をさせてきたのです。そうして、神様のみ旨であり、民族のみ旨である人類救援の摂理は、メシヤによって完結され、統一された理想世界が成し遂げられるはずでした。中心宗教と中心国家の使命がキリスト教とアメリカに移るしかし、二千年前に、メシヤが来られたとき、どうなったでしょうか。ユダヤ教とイスラエル民族は、世界万邦が自分たちの足もとで制覇され、イスラエル民族だけが栄光の座に着くことを夢見ていたのです。彼らは、世界の救援という至上課題を先に考えるべきだったにもかかわらず、自分の国を先に考えたのです。そこから、世界のことを先に考え摂理される神様やメシヤと彼らとの間に、大きなずれが生ずるようになったのです。そのような中で、メシヤとして来られたイエス様は、ユダヤ教とイスラエルを基盤として世界を救援するために、教会と民族に対して世界に向かう革新的な言動を取っているうちに、既存の立場を固守するユダヤ教とイスラエル国家の反対に追われ、ついに十字架に架けられて亡くなってしまったのです。その後、み旨成就に失敗したユダヤ民族は悲運の道を歩むようになり、イエス様を中心としたキリスト教は、国家の基盤を喪失したまま、信徒たちは迫害の中で多くの殉教の代価を払いながら、ローマ帝国でみ言を広め始めました。ここで知らなければならないことは、選ばれた者がその使命を果たせなかった場合に、神様は、み旨を成し遂げるにふさわしい宗教を再び立て、そこにふさわしい中心国家を再び立てるということです。そこでキリスト教がその中心宗教として、み旨のためのより高い立場でユダヤ教の使命を受け継ぎ、当時世界的な国家だったローマ帝国にとどまるようになったのです。そのようにして準備したユダヤ教とイスラエルの国は失われてしまったのですが、キリスト教は、ユダヤ教とイスラエルの国の失敗を清算するための四百年間の迫害の末、ローマに国教として受け入れられるほどの基盤を築くようになりました。当時、教皇庁が中心に立ち、ローマ帝国と完全に一つになって、全世界の救援を目指して前進しなければなりませんでした。もしもローマ教皇庁が、そのようなみ旨をはっきりと知って、国家と一つになり、いかなる犠牲の十字架を負ったとしても屈せずに前進していたならば、世界を救って余りあったでしょう。しかし、教皇庁は、神様のみ旨に背き、自分たちを中心として国家を動かし、そのもとに隸属させる機関と化してしまったのです。このように神様のみ旨とは反対の道を行くので、神様は教皇庁から離れるようになり、中世暗黒時代が到来するようになりました。その後、教皇庁の威信は人本主義の思潮に襲われ、地に落ちてしまいました。ですから、神様はプロテスタント運動を起こし、世界救援の道を再び整えなければならなくなったのです。このような風潮に乗じて、自分の離婚を正当化しようとしたイギリスのヘンリー八世は、カトリックに対して反旗を翻し、議会を動かし、首長令を発することによって、ついにイギリス国教会を打ち立てました。その時のイギリスは、プロテスタントと和合できる良い機会をもっており、ヘンリー八世は自ら悔い改め、次元の高い教会と国家を目指して前進できる立場に立っていました。神様のみ旨は、ローマ帝国を離れてイギリスに移り、世界救援の道を整えていたので、イギリスという小さな島国が、数百年の間にその版図を広げ、「五大洋六大州に日の沈むところがない」といわれる世界的な強大国になりました。神様がこのように、イギリスに文明の極致を享受させ、輝かしい祝福を与えたのは、イギリスだけのためではなく、世界を救おうとされる神様のみ旨を成就させるためでした。当時、神様のみ旨を成就しようと理想的国家を夢見て立ち上がった清教徒運動者とプロテスタント運動者が合致して、イギリス全体が一つになっていたとすれば、超国家的な立場で、神様のみ旨の中で一つになり、名実ともの「ユナイテッドキングダム(United Kindgom:連合王国)」という世界的な国家形態を築いたのです。しかし、イギリスは、この重大な使命を悟り得ず、神様の祝福をイギリスだけのためのものとして享受し、一方、清教徒を迫害し、植民地から搾取する立場に陥ってしまったので、そこで神様のみ旨は再び移らざるを得なくなったのです。当時、清教徒が、反対と迫害に耐えかね、苦難を打開し、信仰の自由を求めて、教会と国を捨てて立ち上がったカナンの地のような所がアメリカ大陸でした。天のみ旨を携えて、命を懸けて大西洋を渡ってきた代表的な群れが、皆様の先祖「ピルグリムファーザーズ」だったのです。彼らと共に天の祝福はアメリカ大陸に移りました。そのようにしてここに集まった超民族的清教徒の群れは、信仰の自由のために神様のみ旨の中で強く団結し、独立軍を起こしてイギリスと戦った結果、神様の加護のもとに勝利しました。このようにしてプロテスタントを中心とした超民族的な国家が形成されたのですが、これが正にアメリカの建国の歴史です。そのようにしてアメリカは、神様のみ旨を中心として世界救援の旗手となり、教会と国家が一つに団結し、神様の歴史的な願いである全世界救援のみ旨を果たす重大な使命を負うようになったのです。アメリカの建国理念が「神様のもとに一つの国」だったことは、何も偶然なことではなく、すべて神様のみ旨の中でそのようになったのです。このように、神様は六千年の摂理歴史を勝利で完結させる目的のために、イスラエルの失敗以後の二千年歴史を、第一イスラエルの国とユダヤ教に代わる立場で相続、継承したのがアメリカとキリスト教でした。イエス様以降二千年間に失敗した内外の条件を、二百年の歴史を通じて清算し、アメリカは精神文明と物質文明を兼ね備えて、神様のみ旨の中で世界を救うために再び来られるメシヤを迎える条件を具備した国になったのです。そうしてキリスト教とアメリカが一つになって、神様のみ旨を世界的に完結すべき、第二イスラエル型の世界的国家となったことを、皆様は知らなければなりません。アメリカ国民は神様のみ旨を知って覚醒すべき今や、アメリカ国民は、今日のアメリカを築いた神様の祝福が、決してアメリカだけのための祝福と思ってはいけません。この祝福は世界のための祝福であり、またアメリカ自体も、アメリカだけのための国ではなく、世界人類のためのアメリカであることを深く悟り、全世界人類の救援のために、いかなる犧牲や十字架も避けてはいけません。イスラエルとローマ帝国とイギリスが、神様のみ旨を受けたにもかかわらず、その使命完遂に失敗した内容を知って、アメリカは必ず神様のみ旨を成し遂げる国にならなければなりません。アメリカは、超民族的に構成された国という意味で、世界を救うことのできる最もよい条件を具備しています。このように五色人種が合わさって暮らす国は、かつて歴史上になかったのであり、神様の加護がなかったとすれば、既に分裂し、争いながら滅んでいくしかなかったはずですが、むしろ祝福を受けて栄えることができたのは、驚くべき神様のみ旨があったからです。アメリカの国民は、今や神様の祝福の意味を知って、深く覚醒しなければなりません。アメリカは、精神文明と物質文明の極致を築き上げた、神様のみ旨の中に準備された代表国家として、第一イスラエルがメシヤを渇望したように、再び来られる主を待ち望み、迎えて、創造理想を完結した統一世界を成就する国にならなければなりません。第一次、第二次世界大戦を勝利に導いたのも神様であり、アメリカをして国連を編成させたのも神様のみ旨でした。本来国連は、キリスト教を中心とした世界の国々が結束する本営にならなければなりませんでした。共産主義国家の加盟は、絶対に神様のみ旨ではなかったのです。またアメリカは、戦後の処理を間違えました。第二次世界大戦に勝利した連合国と三国同盟国(日独伊)がもっていた国までも適切に保護し、管理する責任が、アメリカにありました。もしアメリカが神様のみ旨を知っていたならば、サタン側の国家であるソ連を堂々と制圧し、世界万邦の自由国家を集め、民主世界に結束させて、神様のみ旨の中で全世界を復帰しなければなりませんでした。その時こそ、それができる良い機会でした。しかし、アメリカは、当時アジア諸国と東欧衛星国家を実質上共産圏に与えてしまい、韓国とドイツを分断させてしまいました。第二次世界大戦の勝利は、神様の版図を広めて、世界へと進出させようとした神様の祝福の結果でした。しかし、アメリカは、結果的に若者たちの血の犠牲を無駄にしてしまい、神様を否定する不倶戴天の怨讐、共産主義世界を有利にしてしまったのです。その時、犠牲となった若者たちの怨恨の血の叫びが、いまだ絶えずにあることを、アメリカは知らなければなりません。さらにアメリカは、自由陣営を守護すべき聖職から後退することによって、ベトナムのようにその保護下にいた国を一夜にして悲運の供え物としてしまったがゆえに、アメリカの国際的信義は地に落ちてしまい、怨みの声が日々高まっています。国連はその機能を喪失したまま、共産主義国家の独り舞台となり、イスラエルとアメリカと韓国は片隅に追われる恥辱を受けています。そればかりでしょうか。アメリカにおいては、様々な尋常ではない国内問題が日増しに深刻になっています。人種問題はもちろん、麻薬問題、青少年の淪落と家庭破錠、犯罪問題などです。どれ一つ取ってみても深刻でないものはありませんが、中でも共産主義問題は致命的です。神様に侍るとい宗教会が、これらの問題を解決する主役を担わなければならないのですが、教会は日に日に若者を失い、ある所は養老院化しつつある状況です。家庭と国家と世界を見つめながら全体のために生きるという神様のみ旨に背き、極度の個人主義的な人生観と価値観によって生きるアメリカ人は、神様の審判を免れることができないことを恐れなければなりません。このままでは、神様は離れていかれ、そうなればアメリカは祝福を奪われて悲惨になるのです。既にそのようになりつつある現実を直視しながら、誰よりも国会議員の皆様をはじめとする為政者の皆様が覚醒し、頑張っていただきたいと願います。皆様の心の中には神様はいらっしゃいますか。皆様の家庭に、皆様の町に、皆様の社会に、皆様の国家に神様はいらっしゃいますか。またホワイトハウスに神様はいらっしゃいますか。もっと重要なことは、教会に神様がいらっしゃるかということです。今では、それさえも疑問です。神様はすべてを一つにさせる力なので、神様が共にあってこそ、個人の心と体もう一つになり、夫婦と家庭が一つになり、民族が一つになり、国家が一つになり、東洋と西洋が一つになり、世界が一つになり、天と地もう一つになり、神様と人間が一つとなった統一の世界が来るのです。そのような世界になれば、共産主義は影すらもなくなるでしょう。神様さえいらっしゃれば万事が解決されるのですが、神様を失う日にはすべてを失ってしまうのです。そのようなことを知ったからには、すべてを犠牲にし、アメリカ全体を犠牲にしてでも、探さなければならないのが神様であり、全世界の人類であることをはっきりと知らなければなりません。アメリカが覚醒し、国民が団結して、神様を中心として再び結束する運動を起こさなければならないのです。キリスト教を団結させ、すべての宗教を糾合して、次元の高いみ旨の世界に向かうアメリカとなれるように、精神的革新運動が起こらなければなりません。アメリカは世界のために先頭に立つべきしかし、今のキリスト教のままでは、それはできません。汎国民的に教育して、徹頭徹尾精神武装させる新しい指導理念が絶対に必要です。それは現在の民主主義理念だけではできません。共産党を追放し、神様を中心とした愛と真理で、新しい社会秩序を樹立する運動が起こらなければなりません。そのような目的に向かって青年たちを結束、団結させ、アメリカを覚醒させて、世界的使命を担当しようと準備、訓練しているのが正に統一教会運動なのです。統一教会は、それを成し遂げる内容と理念と実践力をもっています。アメリカを中心とする神様のみ旨とその計画を理論的に明らかに教えてあげ、アメリカをはじめとする西洋の物質文明と東洋諸国の精神文明をつなげて、全世界に統一文化圏を築き上げることによって、神様のみ旨である創造目的を完成した理想世界をこの地球上に建設しようとしているのです。韓国は、西洋文明と東洋文明が連結するアジアの高きやぐらであり、最後に残された基点となるのです。そのような意味で、アメリカが韓国を保護せざるを得ないのは、神様のみ旨によるものであることを知らなければなりません。そのように東西を連結するという驚くべき歴史的使命を悟れず、自国だけで定着しようとするアメリカを再び覚醒させ、その使命を果たさせるために、神様はレバレンドムーンをアメリカに送られ、活動するように命令されたのです。神様のみ旨の中で、アメリカの果たすべき至上課題は、イスラエルとローマ帝国、イギリスのような国々の前轍を踏まずに、その建国精神に立ち返って、徹頭徹尾神様に侍る国として、み旨の公式どおりに教会と国家が一つになり、アメリカを犠牲にしてでも全世界を救おうとする立場で、神様と共に力を尽くして地上天国を築く時まで先頭を走る旗手としての使命を果たすことです。そうすれば、アメリカは永遠であられる神様のみ旨を完成させ、永遠に祝福を受ける国となるでしょう。きょうこの会場、この時間が、将来訪れる統一された理想世界、すなわち地上天国の礎を据える契機となることを願います。皆様と皆様の御家庭、皆様の仕事場、皆様の国に、万福が宿ることを願いながら、私のお話を終わらせていたたきます。ありがとうこざいました。
2020.12.17
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2020.12.16
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一和製薬創立1971年12月16日 大韓民国1971年12月16日、真の父母様は経済復帰の中心企業として一和製薬を創立した真の父母様は韓国の高麗人参を愛され高麗人参を「植物の王子」と称され韓国の宝と言われたそして、天が降りていただいた人参は韓国民だけのために与えられたものではなく世界人類の健康のために与えられたものと強調され、人参の輸出を指示された当時、高麗人参は漢方のみで使用されてきたが一和が国内初の健康食品として製品化して輸出して、設立4年ぶりに輸出1000万ドルを突破した1973年8月、九里工場を施工して最新の設備で大量生産体制を整えながら高麗人参製品が海外に広く知られるようになり1975年11月、輸出功労で大統領賞を受賞した1991年には高麗人参輸出の3分の2に相当する合計3,455万ドルを輸出して国家産業の発展にも多くの貢献をしており高麗人参、食品、医薬品事業を元に一和は、世界宣教にも多くの貢献をした高麗人参【送料無料】一和高麗人参茶α 【国内正規品】高麗にんじん 発酵 霊芝 人参茶 濃縮エキス 朝鮮人参 携帯用(高麗人参)【高麗人参茶】【一和】顆粒 3grX50包入り 高級人参エキスを使用した【ジンスト15人参茶】(デザイイン変更あり)ジンスト15高麗人参茶(一和発酵人参) 50包一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓ 真の父母経 - 第10篇 - 第1章 - 第四節 企業体の設立と経済基盤の拡大「一和」真の父母様は、環境創造のための経済基盤を確立するため、国内外に数多くの企業体を立てられた。その中の一つが、一九七一年十二月に設立した「株式会社一和」である。一和は、韓国人だけでなく、世界の人々の健康のために、韓国の特産品である人参製品 を開発して普及した。真の父母様は、一九七三年八月、京畿道(キョンギド)九里市(クリシ)水澤洞(ステクドン)に社屋を竣工するとともに、「誠心誠意」 という揮毫を下さった。一和は、食品部門において「メッコール」と「椒井里(チョヂョンニ)鉱泉水」、人参部門において「人参茶」と「ジンセンアップ」、 「サムジョントン」、製薬部門において「牛黄清心元(ごおうせいしんげん)」などを開発、販売している。1 国内外にない人参製品工場を造ったというのは、私たちの誇りにもなります。一和という旗のもと、新しい人参製品分野の仕事が始まりました。これからの展望は、相当に明るいと考えるのです。「統一産業」が水澤里で長年、基盤を固めていますが、一和製薬は「統一産業」よりも次元の高い立場で、新たに世界的な経済問題を解決するに当たって、 私たちになくてはならない重要な基盤になると考えます。そのため、どのようにしてこの製品を世界市場に販売するかが問題ですが、外国の食口全体が一つに なって販売に力を注がなければなりません。私たちが計画することが、今後、統一運動が発展していくに当たって、経済問題を解決する土台になることを願い、 ここに力を注ぐのです。2 人参は、韓国の特産物です。人間を中心として万物を見れば、一番高価な物が人参です。ですから、人参は植物界の王者だと言えます。このような点で、「統一 思想」と相対的関係にあることは、言うまでもありません。韓国の特産物であり、誇りである人参に対して、私たちが報いているかというとき、報いることがで きていないと考えるのです。天が人参を与えたのであれば、韓国の国民のためだけに与えたのではありません。これは、世界の人類のために与えたものです。したがって、世界の人類 がたたえ得る本場の産地に住んでいる韓国の国民は、人参の価値を知らなければならず、その価値を韓国だけのものにしてはいけないというのです。これを世界 の人が互いに愛し、互いに貴く感じられるようにしなければなりません。3 いくら工場が良く、いくら資材や機材が素晴らしくても、素晴らしいこの環境を動かす主体になる人が素晴らしくなければなりません。人は一人だけではありま せん。一和グループ全体が合わさって一つの体制を形成し、ここから各自が「高く上がっていこう」と言わなければなりません。各自が代表的な立場で引き上げ る立場になれば、左手や右手も上がるようになり、頭も上がるようになり、体も上がるようになります。そうすれば、一和は自然に国家に認定されざるを得ず、 アジアに登場せざるを得ず、世界に登場せざるを得ないのです。一和グループの要員たちは、メッコールの主人にならなければなりません。「メツ(脈)」と は、「魂」のことを意味します。天運を動かせる主流のことを意味するのです。4 メッコールは健康飲料です。国民の健康のためにメッコールを作ったのです。また、これから全世界にメッコールを販売しようと考えています。大韓民国で基盤 を築けば、間違いなく百発百中、ただそのまま人類にメッコールを飲ませることができ、一和製品を飲ませることができるのです。ところが、このような伝統的価値が眠っています。まだ目覚めていないのです。私たちの生活における莫大な経済的機運が眠っているので、これを起こし、万民を解放する飲み物として、トップに立たせなければならない責任が私たちにあるのです。
2020.12.15
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天一国経典・真の父母経 - 第9篇 - 第1章 「統一思想」と国際学術活動 第3節 世界平和教授アカデミー世界議長団の「一二・一八宣誓決意文」第一回「世界平和教授アカデミー世界大会」が一九八三年十二月十八日、世界七十二ヵ 国の議長団七十数人をはじめとする五百五十人以上が参加する中ソウルのリトル・ンジェルス芸術会館で開催された。この日、真の父母様は、創始者として、 「世界平和教授アカデミーと我々の決意」という題名で激励の辞を述べられた。七十二ヵ国の議長団は、真の父母様と共に、「神様の正義の善主権」、「神様の もとの一つの民」、「神様のもと、一つに統一された平和世界」、「宗教による新しい人格変化を受けた人類」、「神様の心情と愛に基づいた新しい文化世界の 建設」などの目標を実現するための宣誓決意文を採択した。また、彼らは、十二月十四日から二十三日まで、韓国の八大都市で開催された勝共決起大会に参加し た。16 私たちが一九八三年に勝共決起大会をする際、アメリカのシカゴで「科学の統一に関する国際会議」を終えた教授たちを動員しました。彼らは十一月二十八日から帰る予定だったのですが、韓国を訪問するようにしたのです。彼らに何をするのか説明もしないままそのようにしておいて、ど れほど動くか見ていました。その時、世界に「世界平和教授アカデミー」の七十二の支部があったのですが、その代表たちが韓国に来ました。年末なのでスケ ジュールがあったにもかかわらず、みな参加したのです。そうして、その人々を中心に勝共決起大会を行いました。それほどの基盤を学界にもっているのです。17 一九八三年、第一回「世界平和教授アカデミー世界大会」に参加した議長団が、勝共決起大会決意文を採択しました。その時、七十二ヵ国の「世界平和教授アカ デミー」の議長団が韓国に来て、決意文を採択したのです。そして、彼らを集めておいて、全国八大都市で勝共決起大会を行いました。十二月十八日の決意文 は、歴史的な記録です。今後、歴史時代にこの教授アカデミーが何を誇るのでしょうか。平和世界を建設するとき、世界を指導しようとすれば、資料がなければなりません。ですから、このような資料を私がつくってあげなければならないというのです。18 お父様は、韓国に南北を統一できる基地をつくりました。アメリカと日本、全世界の運勢を集め、韓国に連結しておきました。今回おもしろかったのは、イスラ エルで高い地位にある人がお父様のところに来て、国に影響を及ぼす役割を果たしてくれるように願ったことです。また、アメリカで将来の運命を懸けた運動を している人々も来て、お父様と一つになって世界の問題を解決することを願いました。その基盤の上に韓国が立つのです。そのようにしながら、全世界の知識人 たちを、「世界平和教授アカデミー」を通してすべて集めたのです。世界七十二ヵ国の碩学たちを集め、世界の運勢をもっていって韓国に連結したというので す。「六・二五動乱」の時、十六ヵ国の国連軍が韓国統一のために闘いましたが、統一させることはできませんでした。しかし、今日、全世界の自由世界の国 民たちが一つになって総結束し、統一成就のために協助しなければならない世界的時代に入ってくるというのです。ですから、この七十二ヵ国の学者たちが韓国 に行って、勝共という命題の前に宣誓して決意したことは、歴史的な事実です。19 一九八三年に韓国で開催された「世界平和教授アカデミー世界大会」は、イスラエル民族の中でイエス様が失った国家と教会の基盤を蕩減すると同時に、七十二門徒が一つになれないことによってイエス様が亡くなったのを蕩減することになります。ですから、世界七十二ヵ国の「世界平和教授アカデミー」議長団を韓国 に連れていき、韓国民族が協助せざるを得ないようにしたのです。その大会では、メシヤ宣布をするとともに、「民主世界であろうと共産世界であろうと、私の 言うとおりにしなさい」と言いました。七十二ヵ国から来た議長団は、私に対する証し人たちでした。アメリカが反対するのに、自由世界の指導層にいる人々、顧問の立場にいる人々が一つに なって支援するというのは、世界的な事件です。その基盤の上で、サタンが今まで原理結果主管圏内を中心として支配していたすべての事実、今まで国と世界が 行く道を、国で塞ごうとし、世界で塞ごうとしていたことを、取り除いておいたので、サタンは永久に地球星から退くようになるのです。今や、このみ旨は、真 の父母と統一教会の能力でなければ成就されない運命に置かれたのです。20 国家のトップたちの組織である「世界平和のための頂上会議」と教授組織である「世界平和教授アカデミー」を中心として、既に数十年前から彼らと関係を築 き、世界の多くの学者たちと国家のトップたちを束ねてきたので、彼らがお父様を宣伝してくれるのです。今になってはその国の大統領たちがお父様を歓迎する 段階に来ました。また、その国の大学総長や言論界の代表たちがお父様を歓迎する段階に入りました。世界的に今、いかなる分野でも、世界のトップの人々と接触していないところがありません。政治、経済、文化など各分野で、いくら有名な大学を出て、博士号をもっているとしても、お父様が指示した方向に従うよう になるのです。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓ 平和経 - 第八篇 韓半島統一と世界平和 - 3. 世界と韓国の決意日付:一九八三年十二月十四日場所:韓国、慶尚南道、馬山室内体育館行事:全国八大都市勝共決起大会万場の愛国市民の皆様、勝共会員、そして内外の貴賓の皆様。久し振りに、再び皆様にお目にかかれて、実にうれしく思います。去る九月と十月のKAL(大韓航空)機撃墜事件とラングーン暗殺爆破事件のとき、どれほど驚愕と悲痛が大きかったでしょうか。私もその時、外地でその衝撃的な消息を知り、故国の皆様と共に驚きと悲痛を禁じることができず、憤怒もまた大きかったのです。しかし国民の皆様は、その途方もない衝撃にも挫折することなく、その試練によく耐え抜かれました。その時私は、数多くの国難に不死鳥のごとく耐え抜いてきた伝統的な民族の魂を、故国の皆様に再発見し、心強さを感じたのです。きょう、私がこの場で皆様にお伝えしようとする講演の題目は、「世界と韓民族の決意」です。危機状況に置かれた今日の世界まず、今日の危機状況についてお話ししようと思います。今日の世界は一言で表現すれば、大混乱の世界であると言えます。東洋や西洋を問わず、世界の南北を問わず、また先進国と発展途上国との区別なしに、今日の社会はみな病にかかっており、不正、腐敗、殺人、強盗、搾取、抑圧、暴力などが絶える日がありません。そして日増しにより一層増大しています。また、国際的には国と国との間に、民族と民族との間に、宗教と宗教との間に、紛争、衝突、反乱、戦争などが至る所で起きており、最近ではKAL機事件、ラングーン爆破事件、ベイルート爆破事件などの大量虐殺の蛮行まで続出しています。一方、先進国の国民が豊かな生活を楽しんでいる反面、アフリカのような発展途上国の多くの国々においては、数多くの人々が飢餓線上で苦しんでおり、飢えで死んでいく群れが増えつつあるのです。このような混乱と惨状の中でも、特に嘆かわしいことは、宗教が本来の役割を果たせず、互いに闘っているという事実です。北アイルランドにおける新教と旧教との闘い、イスラエルのユダヤ教とアラブのイスラームとの闘い、イラクとイランのイスラーム内の教派相互間の闘い、プロテスタント内部の教派争いなどがそれです。人類の精神を先導して闘いを中止させ、和解させなければならない宗教が、かえって闘いに明け暮れているのです。こうして世界は今、無法天地と化してしまい、人類は様々な暴力と殺戮、破壊と蛮行の海の中へ落ちていきつつあります。さらに共産主義の野蛮な策動によって、混乱はより一層深化されています。こうして人類文化は今、絶望的な危機状況に置かれてしまいました。世界の混乱の原因と問題解決の限界性それでは、このような世界的な大混乱の根本原因は、果たして何でしょうか。それは従来の価値観が総体的に崩壊してしまったからです。どのように生きるのが正しい生き方なのか、その基準を喪失してしまったからです。何が善であり、何が真であり、何が正義であるのか判断が難しくなったからです。価値の基準が国ごとに違い、団体ごとに違い、甚だしくは個人ごとに違います。さらに、共産主義が現れ、従来のすべての道徳観念を破壊しています。これは何を意味するのでしょうか。これは民主主義も共産主義も、そして宗教も哲学も、今や世界のすべての問題を解決し得なくなったことを意味するのです。民主主義は、人間の権利の平等と多数決主義によって、すべての難問題を解決することを目標として出現したのですが、今日に至って、民主主義の社会であればあるほど、価値観の崩壊が一層深まりつつあり、これは民主主義が社会や世界の問題解決において、自信を失ってしまったことを意味するのです。一方、共産主義は、革命によって社会主義社会を実現し、資本主義社会の構造的矛盾を一掃して労働者と農民を解放し、すべての社会悪を除去するという名分をもって出現しました。それにもかかわらず、今日、ソ連をはじめとするすべての共産国家は資本主義よりも、より深い構造的矛盾を露呈しており、より甚だしい社会悪をほしいままに行っています。そして、宗教は宗教なりに、人類の精神指導には全く関心をもたず、争いに明け暮れているのみならず、宗教内部にも不正、腐敗が蔓延しつつあります。また、哲学は哲学で観念化されてしまい、現実から遊離して、現実問題の解決には何ら助けにもなっていないのです。このように見るとき、民主主義も共産主義も、宗教も哲学も、社会や世界の問題解決において、完全に限界性を露呈してしまったのです。今や人類は、世界の混乱を収拾するに当たり、そのいかなる主義や宗教や哲学にも、期待をかけることができなくなりました。これはこのまま行けば、人類文化が滅亡せざるを得ない状況になることを意味するのです。神様の実在を前提とした解決方案それでは、果たしてこの世界的な大混乱を収拾する真の解決方案はないのでしょうか。人類は今やすべてを諦めて、滅亡の日のみをただ待っていなければならないのでしょうか。決してそうではありません。問題の根本的な解決方案はあるのです。その解決方案とは、絶対神(神様)の実在を前提とした解決方案です。それは、絶対神が、この地上に実現しようとした世界が、正に混乱のない平和の世界だったからです。ですから、神様の実在と神様の創造を認めなければ、今日の世界の問題の解決は不可能なのです。これを言い換えれば、人間が、このような神様の実在と創造目的を知らなかったがゆえに、今日、大混乱の世界をもたらしてしまったのです。神様が地上に実現しようとした世界は、真のユートピアであり、それは自由と平和と幸福に満ちあふれた世界です。このようなユートピアの理想を胸に抱いて、神様は今日まで切ない心で、地上の人々を訪ねてこられたのであり、人間は人間なりに混乱の中で苦痛を受けながらも、ユートピアを求めてさまよってきたのです。与えようとして切ない心で来られた神様の理想と探し求めてさまよう人間の理想は同じなので、神様と人間が出会いさえすればユートピアは直ちに実現されるようになっているのです。それにもかかわらず、全体的な分野において、その神様と人間の出会いがなかったので、人間は長い間苦痛を受けてきたのです。「統一思想」と統一運動私は早くから、悲劇と苦痛の中で呻吟する人類を救出する方案を模索することに、長い間心血を注いできました。それは瞑想と苦悩と探求の道であり、凄絶な精神的闘いの茨の道でした。千辛万苦の努力の果てに、ついに実在される神様に出会うことができたのです。神様に出会ってみると、神様は栄光の神様ではなく、ユートピアを地上に実現するために、焦り、もどかしく思われる父母としての神様であられ、またその神様は、天道を明らかにして万物を抱く真理と愛の光でした。神様の限りなき真理と愛に接したときに悟ったのは、神様と人間と宇宙の関係を人間にはっきりと知らせるために、神様が深く抱いてこられた深奥な思想でした。この思想によって世界のすべての問題は完璧に解かれ、ユートピアが実現されることが証明されたのです。この思想が正に「統一思想」であり、私が今、世界的に展開している統一運動の基本的理念になっているのです。神様と出会って以来、私は今日まで、神様の思想をもって神様と人類の夢であるユートピアの実現のために、生涯にわたって統一運動を展開してきたのであり、その間の経験を通じてこの「統一思想」が問題解決の鍵であり、混乱収拾の鍵であることを、より一層確認することができたのです。人生問題、社会問題、宗教問題、歴史問題など、各種の難問題のために苦悶した末に、疲れ果てた多くの青年男女たちと壮年たちが、この思想に接してからは、あたかも旱魃(かんばつ)で干からびた草木が、甘雨(かんう)によって蘇生するように、彼らは希望と喜びと活気を取り戻して立ち上がったのです。統一運動は、いまだ既成世代によって故意の迫害を受けているにもかかわらず、彼らは世界問題の根本的な解決の道は、統一運動だけであることを確信して私のあとに従っており、この数は急速に増大しているのです。最近では、全世界から多くの著名な碩学たちまでが、この運動に参加し始めました。このようにして、民主主義も共産主義も、そして宗教も哲学も解決し得なかった各種の難問題の正しい解決方案は、ただ「統一思想」のみであることが、漸次、一般の人たちにも認識されつつあります。共産主義の党派性統一運動が世界的に拡散していくのに、最も障害となるのが共産主義です。共産主義は弁証法的唯物論、唯物史観などの独特な哲学をもっていますが、民主主義はそれに対応する哲学をもっていません。その代わり、民主主義は「統一思想」を受け入れることができます。しかし、共産主義は、その党派性と階級性ゆえに、これを全く拒否しています。こうして共産主義は、私の統一運動に対して、様々な手段を用いて妨害し、迫害したのです。虚偽宣伝と悪辣な謀略、各種の印刷物と集会を通じて、共産主義は、私と私のグループに対して中傷と迫害を加えてきたのです。政治家、言論人、学生、宗教人、文化芸術人、ひいては婦人たちまでも動員して統一運動を悪宣伝しました。統一運動に対する日本共産党の中傷と迫害に関する詳細な調査資料は、間もなく本として出版される予定です。そして、彼らの迫害の方法も多様であり、襲撃、誘拐、拉致、不法監禁、暴力行為、強制的改宗の企て、洗脳、強迫、精神病院への強制収容と外部との完全な遮断、睡眠薬の投与による精神麻酔などがその例です。こうして今日に至っては、私と統一運動に反対し、迫害するいかなる団体も、いかなる個人も、その背後には必ず共産党があって、これらを直接間接的に操っていることが綿密な調査によって明らかにされたのです。それでは、共産主義は、何の理由で私の統一運動をそれほどまでにしつこく反対するのでしょうか。それは「統一思想」が、神様を彼らにはっきりと知らせるのみならず、体恤させることによって、無神論的共産主義の虚構性が白日のもとに暴露されるからです。悪魔が太陽の光を避けて夜にだけ暴れるように、共産主義は神様を避けて、今日まで闇の世界でのみ権勢を振るってきました。「統一思想」によって、神様の真理の光を照らすとき、悪魔の正体が暴露されるので、彼らは必死で統一運動に反対しているのです。実際に共産主義者のうちには、「統一思想」に接して共産主義が虚偽であることを悟り、転向して統一運動に加担した例が少なくありません。しかし、共産主義の反対と迫害にもかかわらず、統一運動は弱化するどころか、かえって驚異的な速度で成長し、全世界的に拡大されてきました。なぜでしょうか。それは神様が保護してくださり、助けてくださったからです。「統一思想」は正に神様の愛であり、統一運動は正に神様の願われた運動だからです。神様はこの運動を通じてすベての矛盾と社会悪を除去し、統一された一つの真のユートピアを実現しようとしておられます。ユートピアとは、宗教的用語では地上天国のことをいうのです。統一運動の最終目標それでは次に、私が展開している統一運動の最終目的を具体的に明らかにしようと思います。既にお話ししたとおり、神様の真理と愛の理念である「統一思想」によって、第一に社会的、世界的なすべての問題を解決し、共産主義をこの地球上から完全に一掃し、真の自由と平和と繁栄の世界を実現することであり、第二に、新しい価値観と新しい倫理、道徳による大家族主義の世界を実現することであり、第三に、すべての抑圧と搾取と差別と社会悪が消え去った、共生共栄共義主義の大統一世界を実現することが、最終目標なのです。一言で言えば、真のユートピアを実現することです。そして、このような社会を実現する方法も、共産主義式の暴力や闘争の方法ではなく、真理と愛による平和的、理想的精神運動によるのです。このすべては神様のみ旨であり、神様が成就しようとされる最終目的となるのです。韓半島における善悪の対立韓半島において、大韓民国は共産主義と闘って勝たなければならない宿命的な立場に置かれています。大韓民国は、共産主義と闘って勝利すれば、世界に雄飛するのですが、共産主義に負けるときには、跡形もなく消えてしまうのです。敗北の悲惨な運命は、ベトナムの例がよく示しています。大韓民国は北朝鮮だけに勝つのではなく、全世界の共産主義に勝たなければなりません。北朝鮮は悪の側で、世界共産主義を代表して北の地を占有しており、大韓民国は善の側で、世界民主主義を代表した立場で北朝鮮と対峙しています。こうして休戦ラインを間において、北朝鮮と大韓民国は各々共産世界と民主世界の先端に立ち、両世界を代表して生死を懸けた運命的な歴史的対決をしているのです。北朝鮮は悪側を代表し、大韓民国は善側を代表しています。北朝鮮はサタンが背後にあり、大韓民国は神様が共にいてくださるのです。こうして韓半島は、世界において善と悪が最も鋭く向かい合っている、世界史的な地域となっており、この地域で善が悪を打ち破って勝利したとき、世界のすべての悪は滅びるようになるのです。神様は全摂理史をかけて、このような韓国国民と全世界の自由人が一つとなって、全体的な勝利を収めることを、待ち望んでおられるのです。最後に韓民族の決意についてお話ししようと思います。休戦ラインを中心とする南北の対決は、総力体制の対決なので、国力において大韓民国が北朝鮮を凌駕しなければならないことはもちろん、思想的な面においても北朝鮮を凌駕しなければなりません。総力戦において、最後の勝敗は思想戦にかかっています。ベトナム戦争がこれをよく示してくれています。アメリカは最強の軍事力をもってしても、思想戦に敗れたために、結局ベトナム戦争で敗退してしまったのです。思想戦という点から見ると、大韓民国は現在、非常に不利な立場にあります。共産主義が巧妙な偽装戦術によって、宗教界と大学街に浸透しており、農村と都市には共産スパイの地下組織が根を下ろしつつあります。全国民は団結しなければなりません。教授たちは大学街を、宗教人たちは宗教界を、官僚たちは国民を、責任をもって思想教育を急がなければなりません。そして、共産主義の理論を論破する「勝共理論」によって早く武装し、共産主義の偽装浸透とスパイの地下組織網を摘発、粉砕したとき、初めて思想戦に勝利できるのです。このときになって、初めて北朝鮮の南侵を実質的に阻止できるのです。勝共国民運動基盤の造成が急務ここにおいて留意しなければならないことは、北朝鮮は全共産世界を代表しているので、北朝鮮の背後にはソ連をはじめとする多くの共産国家がつながっているという事実です。北朝鮮とつながったこれらの国家は、世界制覇という思想的な連帯関係をもっているために、有事の際、北朝鮮は、これらの国家、特にソ連と中国から軍事的、経済的な支援を受けることができますが、大韓民国はそうではありません。今後、有事の際、六・二五動乱のように自由の友邦が私たちを助けてくれると期待してはいけません。なぜならば、民主世界には世界統一という思想的な内容がないからです。六二五動乱の時とは事情が全く異なってしまいました。これは、自由の友邦が世界のための思想で一致しているわけではなく、自国の利益を追求するだけではなく、選挙による主権者の変動が可能であり、だんだんと自由化されつつあるからです。私は、自由陣営のこのような脆弱(ぜいじゃく)点を早くから知っていたので、これまで、日本、アメリカ、ヨーロッパ、中南米などを往来しながら、世界の青年、学者、言論人、政界人などを糾合して、超国家的な「勝共思想」で彼らを覚醒し、彼らの国家に民間的な勝共基盤を造成して、歴史的、摂理的、世界的な全体共産主義との対立地である大韓民国を守護するために全力を傾けたのです。特に、アメリカと中南米には、カウサ(CAUSA:南北米統一連合)運動を通じて「勝共思想」を国民に定着させることに成功し、日本では強力な民間の勝共基盤を構築しました。アメリカと日本において、この基盤は今後、一層急速に拡大されるでしょう。韓国もこれまで私が勝共連合に指示して、全国の里、統単位の指導者を選定し、全国民的基盤を立てるようにしました。このようにして、少なくとも、韓国と日本とアメリカにおいて、為政者のレベルではなく、民間のレベルで、思想的に強力な連帯関係を形成するようになったのであり、有事の際、迅速に支援を得られる土台がつくられたのです。これから世界を代表するこの三国の勝共国民会員は、姉妹結縁と相互交流、教育などを通じて、団結をより強くするように指導しようと思います。北朝鮮の直接的な脅威のもとに置かれている韓国には、まだまだ勝共国民要員が大幅に足りません。一つの里、統内に、少なくとも百人以上の勝共国民会員がいなければなりません。そうすれば、約七百万の勝共国民会員となり、勝共の主体国として国際的威信をもつようになるでしょう。したがって、一つの里、統内で、できる限り父も母も、勝共国民の働き手にならなければならず、兄も弟も姉も妹も、そして夫も妻も勝共国民会員にならなければなりません。そうなるとき、町内会は勝共国民町内会となり、民防衛隊は勝共国民民防衛隊となり、セマウル運動は、勝共国民セマウル運動となるのです。そうして初めてこの国に強力な勝共国民基盤が造成されるようになり、確固たる安保国民基盤が構築されるようになります。国の為政者がたとえ代わったとしても、この国民基盤造成は決して中断されてはいけません。しかし、これで満足してはいけません。この国民基盤を、再び外国の勝共国民基盤と連結しなければなりません。そうして強力な国際的勝共国民連合戦線を形成しなければならないのです。国際的な勝共国民連合戦線によって、北朝鮮を含む全世界の共産主義と闘って勝利するとき、初めて北朝鮮を打倒し、北朝鮮の地を解放するのです。国際的な勝共国民戦線の結成私が今回、韓国に帰ってきたのは、正にこのような仕事をするためです。各国の勝共国民基盤を韓国と連結させ、強力な国際的な国民連合戦線を形成するために帰ってきたのです。今日、ここで勝共大会を開くのも、国民の皆様に国を生かすために、早く「勝共思想」で武装してくれることを訴え、併せて国際的な勝共国民戦線を形成するためです。私がここまで来るのに、多くの迫害を受けてきました。国家を越えて世界的に迫害を受けてきたのです。今や、国民の皆様がこれまで積み上げた実績を通じて悟る時になりました。韓国が生んだ偉大な神様の思想を受け入れなければなりません。この思想は私の思想ではなく、神様の思想であると同時に、皆様と人類の思想です。この場には七十ヵ国の「世界平和宗教授アカデミー」の議長団七十人の方々も来られています。この方たちは、著名な世界的碩学者で、私の統一運動と勝共運動に賛同した方々であり、本大会を支援し、韓国と各国の勝共国民の紐帯強化を図るため、今回訪韓したのです。こうして、この地球上から共産主義を完全に一掃するとき、初めてこの地上に、長い間、神様の希望であり、人類の夢だったユートピアの世界が建てられるようになり、我が民族の念願である祖国統一が達成されるのです。その日のために、私たち全国民は、一致団結して共産主義と闘うことを固く決意し、全世界の国民と心を合わせて一体となり、共産主義の打倒のために総決起し、総進軍しましょう!大韓民国と皆様の御家庭に神様の加護と祝福があることを願ってやみません。ありがとうございました。
2020.12.14
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全国勝共決起大会1983年12月14~23日 大韓民国ソウルほか8大都市1983年12月14~23日、馬山を皮切りに大田、大邱、釜山、ソウル、清州、全州、光州で全国勝共決起大会が開催された真の父母様は、当時KAL機爆破事件、ミャンマーラングーン事件などで国内外で共産集団に関する様々な事件事故が発生して左翼化勢力が成長することを懸念されたこの天の父母様を中心とした統一祖国実現のビジョンを提示して全国民の意志を集約させて700万勝共会員を確保すると同時に、共産勢力を介して摂理を妨害しようとするサタンとの霊的戦いに勝利するために全国勝共決起大会を開催した全国8大都市で延べ23万名が動員され特に、ソウル集会では千台のバスで5万名が参加し500名の警察官も動員されて類例の見ない人だかりを成した集会となった真の父母様の全国巡回は「世界と韓民族の決意」をテーマに神様の存在を前提とした世界の混乱の解決と国際勝共国民前線の結成を提唱した事実、真のお父様は防弾チョッキを着て講演台に登る必要があるほどにあちこちに危機とサタンの攻撃が潜んでいた特に最後の光州大会では会場に真の父母様を暗殺しようとする武漢が派遣されたという情報により緊張が高まったうちで韓国で講演が行われた時刻文興進様が米国で交通事故に遭われ1984年聖和されたクリスチャン国が反対して共産主義の脅威を増大させている最中で、韓国で行われた勝共決起大会の勝利を条件に真の父母様を代身して蕩減の祭物となられた一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.12.13
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2020年12月6日キリスト教聖職者希望前進大会 真のお母様み言一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.12.07
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WCLC、創立1周年記念「世界キリスト教聖職者希望前進大会」盛大にWCLC, 창립 1주년 기념 '세계기독교성직자 희망전진대회' 성료 < 사회 < 부산 < 전국 < 기사본문 - 국제뉴스 (gukjenews.com)世界平和のために、世界聖職者の平和ネットワークの稼働「コロナ時代に1万人、世界の聖職者が集まり一斉に世界平和祈願」宗団・教派を超えてお互いに協力してコロナ時代の社会的危機克服決意(釜山=国際ニュース)キム・オクビン記者=不安コロナ時代に、世界各国の聖職者たちが一堂に会し、宗団と宗派を越えて、世界の平和を祈願するために声を出した。世界基督教聖職者協議会(以下「WCLC」)創立1周年を迎え、6日午前8時から非対面方式であるオンラインの世界194カ国では、キリスト教の司祭1万人が参加した中、WCLCと天宙平和連合(以下「UPF」 )共同主催で「神統一世界安着のための世界キリスト教聖職者希望前進大会」を開いた。米国ニューヨークと韓国加平で非対面方式で進行されたこの日の行事は、国際的な参加者のために、9つの言語に通訳して進行され、非対面オンラインチャネルと国別の放送メディアを介して数十万人の世界の市民が参加した。この日韓鶴子総裁は、特別演説を通じてWCLC創立1周年を迎え、世界の聖職者たちは、この時代の正義と強調しながら、「今日の世界各地で起きている計り知れない諸問題とコロナの拡散にうめき声していく世界を見ると、天がどのように緊迫し待って来たのかを知る天の警告」と「建国400年を迎える今年、米国は初心に帰って、神が離れる米国になってはならない」と心配した。続いて韓総裁は「地球に多くの宗教がありますが、絶対者創造主に仕えるのが目的だから、創造主天の父母様の下の人類一家族の世界を作るためにあなたは声を上げて叫んでいこう」と世界の聖職者に要請した。創立1周年を迎えたWCLCは、キリスト教の聖職者たちが主軸になった超宗教・超教派・超人種・超国家の評議会で、昨年12月に米国ニュージャージー州ニューアークで、キリスト教聖職者と信徒たちを含む約3万人が参加した中創立式を行った。現在イギリス、カナダ、パラグアイ、ドミニカ共和国、アフリカなど30カ国以上で、キリスト教聖職者協議会が現在活動しており、韓国でも昨年10月蚕室ロッテホテルで大韓民国基督教聖職者協議会(KCLC)が700人の聖職者たちが参加した中で創立された。この日、米国トランプ政府福音諮問委員職人ポーラホワイト(Paula White)牧師は基調講演で、「聖職者は、神の愛の巻の中にしっかりと立って、神の愛を広く伝え本質を教え愛を実践して、世界中の国と国民を神の懐に導かなければならない」とし「イエスは「私と一緒にない者は、わたしに反対する者であり、私と一緒に集めない者は破壊する者である」と言われたように、我々はすべて韓鶴子総裁のなさる恒久的な平和世界神統一世界の安着運動に積極的に参加して米国の和合と韓半島の平和統一のために一緒に祈ろう」と強調した。米国トランプ政府福音諮問委員職人ポーラホワイト牧師の基調講演また、ウラジミールペドロプ(Vladimir Fedorov)ロシア正教会大主教は、平和祈願メッセージを介して「コロナ19大流行、テロ、自然災害に対処するために、世界中の人々が協力する必要性を感じているが、WCLC平和運動は、まるで世界のキリスト教の共通の使命を実現する必要があると悟った20世紀のエキュメニカル運動と同じ」とし「霊に対する関心は宗教だけでなく、一般社会でも増加しており、超教派的コミュニケーションを通じて、世界の私の問題に、キリスト教の共通の答えを提示する今回の希望前進大会のようなイベントや組織がより切実に必要だ」と声を高めた。ウラジミールペドロプロシア正教会主教の平和祈願メッセージこの日、世界キリスト教聖職者希望前進大会は記念映像、開会宣言、グラミー(米国レコード音楽賞)受賞者であるヘッズクワイウォーカー(Hezekiah Walker)牧師と超宗教超教派の連合聖歌隊の賛美、キリスト教正教会、ユダヤ教、イスラム教、世界平和統一家庭連合など7大宗教の代表者の平和祈り式、チエルバレット牧師(TL Barrett、キリストは神の中心の教会)とウラジミールペドロプ(Vladimir Fedorov)ロシア正教会主教の平和祈願、ギムギフンWCLC推進委員長の歓迎の辞、ブラムラウス(Luonne Rouse)米国聖職者協議会(以下「ACLC」)の共同議長の祝辞、エミーアワード(Emmy Award)を受賞したカーティス・ファロー(Curtis Farrow)ジフィジャグァ超宗教超教派の聖歌隊の賛美、トランプ政府福音諮問委員職人ポーラホワイト(Paula White)牧師と?????(Don Meares)エベンゲル大聖堂の司教の基調講演で前半イベントを継続した。以降の後半のイベントで韓鶴子総裁の特別講演の後ケルビンフェリックス(Kelvin Felix)ドミニカ国カトリック枢機卿は基調演説で「神」があなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛しなさい」とおっしゃったように、全世界の宗教指導者に感銘を与えた文鮮明・韓鶴子総裁の生涯にわたる超宗教活動の実を目撃している」とし「超宗教和合のリーダーであるフランシスコ法王もカトリック共同体が、全世界の宗教の信者を兄弟姉妹に愛と包容する励ましように、クリスマスを控えて、神の意志と平和を促進する今回の希望前進大会を通じて、神から与えられた言葉を胸に抱いて実践すれば驚くべき変化の原動力になるだろう」と述べた。ケルビンフェリックスドミニカ連邦カトリック枢機卿の基調講演創立1周年を迎えたWCLCは韓鶴子総裁が創設し文鮮明・韓鶴子総裁が提示した家庭をすぐ建てて神の下の人類一家族と神の統一世界を成し、世界の平和に貢献するという平和のビジョンを実現しようと、世界の聖職者たちが参加して設立された。神は父のみおらず、母にもおられるヒューズを持って聖職者たちが零細平和を達成するためエチョン(愛天)・恋人(愛人)・愛国(愛國)の道の先頭に立っている。クリーソーストムースセリエクアドル正教会主教の基調講演この日クリーソーストムースセリ(Chrysostomos Celi)エクアドル正教会大主教は基調講演で、「家庭は、社会の礎と家庭がなければ、教会も国も存立できないので、すべての団体が力を合わせて和解して堅実な家庭をつくることができように支援する案を用意しなければし、正教会も家庭の重要性を確立するために数世紀の間、世界的に熱心に活動してきた」とし「韓鶴子総裁が主唱する「神の下の人類一家族」の理想は、正教会の活動と完全に一つされているため、南米WCLC推進委員として平和世界実現のためにエスシは韓総裁に深い感謝の意を表する」と家庭の重要性を強調した。サミュエルハデベビー南アフリカ神の啓示の教会の預言者の基調講演続いサミュエルハデべ(Samuel Radebe)南アフリカ神の啓示の教会の預言者の基調講演、青年連合聖歌隊の賛美の順に行われた。WCLCの母体となった超宗教・超教派的聖職者連合のACLCは、2000年5月に米国聖職者120人を中心に創立された。創立された翌年、米国には、9.11テロが発生すると、ACLCはすべての宗教指導者を糾合して「互いに許して愛して一つになろう」と力説し、中東でユダヤ教とキリスト教とイスラム教の三大宗派の調和の意識とイスラエルの平和大行進を展開した。現在、米国では約3000個の教会6000人以上の聖職者が一緒にしている。参加する宗教団体の多様性と民族の包括性、青年信徒たちの情熱など感銘を受け、聖職者たちが和合と再建を行っWCLC・ACLC活動に参加することができ増え続けている。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.12.06
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6日8:00から映像が開始される予定です。ライブ配信は終了しています。以下は録画映像(言語:英語)です。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.12.06
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12月6日、金日成主席との歴史的会談です。来年は金日成主席との会談30周年となる年であり、北朝鮮・平壌での希望前進大会も予定されているとの発表がされています。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓ 天一国経典・真の父母経 - 第8篇 - 第1章 - 第3節 真の父母様の北朝鮮訪問と金日成主席との会談第三節 真の父母様の北朝鮮訪問と金日成主席との会談金日成主席との歴史的会談一九九一年十二月六日、咸鏡南道(ハムギョンナムド)興南市の麻田(マヂョン)主席 公館にて、南北の懸案などについて真の父母様は金日成主席と会談をもたれ、その場で、韓半島の非核化と南北頂上会談、離散家族再会、金剛山開発などに関し て合意した。真のお父様と金日成主席のこのような南北の懸案に対する合意は、それまで滞っていた南北関係が和らぐ契機となった。また、金主席との会談で は、三万双の国際祝福結婚式を北朝鮮で開催する問題が議論された。真のお父様は、怨讐としてではなく、兄弟の愛で金主席を抱き、帰還されたのである。10 一九八七年に金日成主席がソ連のゴルバチョフと共謀して、私を暗殺するために、二十五人の赤軍派を派遣した菊村事件の裁判がまだ終わらず、進行中でした。 そのような怨讐と向かい合うに当たって、離れ離れになっていた兄弟を何千年ぶりに訪ねていくという兄の心、弟の心をもって、そのような(怨讐という)考え をすべて越えられる立場にどのようにして行くかが、私の悩んだ問題でした。それさえ越えれば、いら悪党でも屈服するというのです。自分の息子、娘よりも、自分の妻よりも、自分の弟子よりも、自分の部下よりも、さらに愛するという心が必要です。ですから、私が行って、そこで再創 造役事の奇跡が起きたのです。ゴルバチョフに会ったあとに世界が変化し、金日成主席に会ったあと、南北会談が難航していたことなどのすべての問題が即刻解 決しました。このような事実は、そこに天が働いていることを立証しているのです。新しい世界が創建され始めるというのです。11 私がいる限り、韓国は滅びません。南北統一をするためには、韓国と北朝鮮だけではできません。南北はアベルとカインです。神様の側と悪魔の側です。今やカ イン圏はすべてなくなりました。中国(毛沢東)やソ連(スターリン)など、共産圏はすべてなくなり、残ったのは北朝鮮の金日成主席だけです。アベルが弟 で、カインは兄です。カインである金日成主席を生かしてあげなければなりません。韓国では金日成主席を殺そうとするのですが、そのようにする必要はありません。良い車と良い飛行機に乗せて世界に連れていきながら、自分が今までし てきたことの過ちについて、悟らせてあげなければなりません。そのようにして、怨讐を愛し、韓国を愛する立場に立てて、韓国は万国の王の中の王が来られる 国であり、韓民族は善なる民族の中の善なる民族であると宣布させるのです。韓国を善なる国、善なる人たちが暮らす本郷だと宣伝させるのです。12 私は金日成主席に会いに行きましたが、彼が私に対して、今までどれほど多く非難しましたか。私もそうです。金日成主席に対して批判し、「引っ込めなさい! 何が主体思想だ」と言いました。マフィアは悪いことを教えても、永遠に残そうとは考えないのですが、彼は永遠に残そうと、主体思想を掲げてきたのです。お 父様が主張する主体思想と、金日成主席が主張する主体思想は、根本的に違います。北朝鮮に行って金日成主席に会えば、彼の父母以上の思いをもたなければなりません。敵という概念をもっていけば、(こちらの)版図が崩れます。水平 にならないのです。ですから、金日成主席のことを、あたかも四十年前に失った兄のように考える弟の立場に立ち、天のみ前で互いが敵愾心なく、歓談できるよ うにしなければなりません。そのようにするためには、忠告すべきときは忠告もしなければならないのです。兄が誤ったのに、「お兄さん、大丈夫です!」と言っては、天が正義の立 場に立てることができません。ですから、万寿台議事堂に行って、「主体思想では駄目だ。『神主義』でなければ世界の平和を実現することはできない!」とい う話をしたのです。自分が赤い王になり、今まで銃剣を持ってやってきたのですが、今や最後の崖から落ちてしまいました。しかし、お父様は、崖から出発して、反対の位置 に上がってきたのです。金日成主席は韓半島の北側にある手のひらほどの地で主体思想を主張していますが、お父様は全人類が暮らす地球星全体に「神主義」を 主張して、公認を受けました。今ではもう統一教会が行く道から迫害の黒い雲は消え去り、歓声と歓迎一辺倒のムードだけが残りました。13 私は「頭翼思想」について、北朝鮮の祖国平和統一委員会の委員長に話をしました。「頭翼思想」は「神主義」です。それで、人がなぜ生まれたのかという宇宙 の根本問題から考えてみようというのです。哲学とは、人間の知性を通して神様を探し出そうというものです。神様を失ってしまっては、宗教も哲学も混乱する ばかりです。最後に人間が求めるベものは、宗教を通してであれ、哲学を通してであれ、神様なのです。神様を中心として生きようというのです。今までの歴史 を見るとき、人間は神様、根本を探し求めてきましたが、失敗しました。それでは、「統一思想」を主張するのであれば、どのように統一するかというのです。その統一は、世界的な次元で始まるのではありません。統一の根本 は、神様と人間です。神様が願われる理想と、人間が願う理想は同じです。しかし、何を中心としてその理想を実現していくのかというのです。神様はなぜ人間 を造られたのでしょうか。ここで、進化論が問題になります。神様の創造論は、進化論より進んでいるのです。人間の根本を見れば、男性がいて女性がいます。これは否定できない事実です。動物世界を見れば、雄と雌がいて、植物世界を見れば、雄しベと雌しベが あります。鉱物世界、分子世界を見れば、ブラス・イオンとマイナス・イオンがあります。原子世界を見れば、陽子と電子があるのですが、本来そのすべてが、 一つになることを前提にして創造されたものであると言うことができます。14 私は北朝鮮を訪問して、万寿台議事堂に行った際、そこに集まっている党の幹部たちに話をしました。「何が主体思想だ。人間の生涯を見れば、八十年も生きら れないではないか。四十年の歴史を通して立てたものが正義になり得るのか。手のひらほどにもならない所で、いくら主体思想を通して強制的にすべてのことを 解決しようとしても、そうはいかない!」と、堂々と話したのです。「『神主義』が正しい」と堂々と宣言しました。命を懸けたのです。その国の真ん中に一人で入っていっても、恐怖感に包まれて躊躇してはいけません。神様の権威と体面はどうなるでしょうか。ですから、堂々と語ったの です。勝つか負けるかとい天下分け目の一大決戦のようなものです。そこでは、度量のある人が勝ちます。金日成主席は、やはり男らしい男でした。自分の秘書 陣が三度も、「文総裁は危険な人物です。会ってはいけません」と報告したにもかかわらず、そのたびに金日成主席は、「だから私が会わなければならないの だ」と指示したというのです。15 韓国がアベルであれば、北朝鮮をカインと考え、ために生き、投入しながら、神様のように忘れてしまわなければなりません。韓国の国民が北朝鮮の住民の二倍 になるというのですから、二家庭が一家庭ずつ消化するだけでよいのです。国民同士、兄弟のように一つにならなければなりません。そのようにしてこそ、統一 された国が出てくるのです。統一方案は、このような原理原則から出てくることが可能なのです。私に任せれば問題ありません。私の言葉どおりにしたならば、 頂上会談のようなものはすべて終わっていたでしょう。金日成主席が私と約束しました。(私が)「あなたと私は今や兄弟の間柄として、あなたを兄とし、私を弟としましょう。弟は文鮮明、兄は金日成、このようにしますか、しませんか」と提案し、そのようにすると約束しました。接見室から玄関まで百メートル以上になります。そこから出てくる時、「お兄さん、手を出してください」と言いました。その手を誰も握ったことがなかったのですが、私が握ってこすり、焦げたとしても不平を言うなということです。16 金日成主席と私が会った姿が収められた映像を一度見てください。私と金日成主席の顔と姿勢を見れば、誰がより堂々としており、誰が主体かというのです。私 が彼を引き回したのであって、金日成主席の案内は受けませんでした。彼は手が少し震え、四肢が不自由でした。私より七歳年上で八十歳を越えていたので、兄 の立場になりますが、私がつかんで引っ張り回したのです。このようにするので、その周辺にいた保安の責任者たちがどれほど緊張したか分かりません。金日成主席の体が傷つきでもしたら、死刑だというのです。 即決処分です。ですから、周辺の人々の神経はどうだったでしょうか。私が引き回したのであって、引き回されたのではありません。17 金日成主席は、私についてよく知っていました。私が北朝鮮に行く八ヵ月前から情報をすべて収集したというのです。彼は度量も大きいですが、率直でした。 「このような報告を受けました」と、私に率直にすべて話しました。ですから、私も率直に話しました。「度量が大きいと思ったのに、これは何だ」とパンマル (対等もしくは目下に対する言葉遣い)で語り、最後には、兄、弟と呼ぶようになったのです。金日成主席は、今まで誰かに会って写真を撮る時は、いつも手を後ろに組み、「自分が一番だ」と言うように、白頭山の絵が飾ってある所に立って撮った そうです。その部下たちが言うには、金日成主席が相手の手を握って写真を撮るのは、北朝鮮の歴史始まって以来、私が初めてだというのです。これは歴史的な 記録です。「どのようにしたら、あのように一つになれるのか」と、党でも問題になり、北朝鮮全体でも問題になったのです。18 金日成主席が八十歳になるまで、これほどの度量をもった人に会えなかったというのです。彼が私に会うとき、「怨讐に会う」という思いは少しもありませんで した。兄弟に会うとか、昔、最も親しかった友人に会うような感覚を覚えたというのです。共産主義理論では、神様を否定します。しかし、自分の心の世界がな ぜそのようになるのか、分からないというのです。それを説明する方法がありません。(彼は)今も(私に)会いたいと思っているのです。19 私が北朝鮮に行った時、サタン世界の再臨主型の人物である金日成主席を条件的に屈服させてきました。今や私が願えば、どこにでも行くことができます。金日 成主席が私に、「文総裁が来ると言うなら、文総裁の故郷に、私が住む家よりもっと良い家を造りましょう」と言いました。それが自分だけの思いではないとい うのです。それで、私が「本当ですか」と聞くと、金日成主席は「もちろんです」と言ったのです。だからといって、私は金日成主席に利用される男ではありま せん。歴史がどのように流れていくのかを知っているのです。20 金日成主席は、サタン世界の再臨主です。ですから、父母の位置に来ているのです。北朝鮮では、金日成主席を「父」と言います。金日成主席が父母の位置にい るというのです。それを、兄弟の位置に立てました。そうして、屈服させたのです。長子権を復帰して屈服させたので、父母権復帰が可能なのです。長子権復帰 の基盤の上で金日成主席を屈服させることによって、父母権が復帰されます。父母権を復帰することによって、王権が復帰されるのです。南北が統一されれば、新しい王権が成立するというのです。そのような次元に入ってきていま す。それによって、王権を中心として皇族が地上に現れるのです。真の父母である完成したアダムとエバが、王権と皇族圏を備えられていないので、それに向 かって前進しなければなりません。21 私が北朝鮮に行って金日成主席に会った時、彼に「あなたを兄とし、私は弟になりましたが、弟の言葉を聞かなければなりません」と言いました。「お兄さんの 思想では、世界を料理することはできませんが、弟の思想なら世界を料理することができます」と詰め寄ったのです。北朝鮮より私のほうが、ソ連や中国にもっ と大きな勢力基盤をもっているというのです。アメリカも同じです。韓国は私に反対しても、金日成主席自身は私のことが好きだというのです。22 私は北朝鮮に行き、金日成主席と会ってきましたが、驚くべき事実とは何でしょうか。金日成主席のいとこの子供に当たる人が私に語ったことによれば、私が来 る前に北朝鮮にいる霊通人たち、占い師たちに(私の)写真を鑑別してもらったところ、「この方は絶対に裏切らず、北朝鮮に利益になる」と言ったというので す。有名な人がこのように話すので金日成主席が歓迎し、このように会うようになったと言いました。金日成主席が幹部たちを通してそのように報告を受けた ので、金日成主席も(このことを)よく知っていると言いながら「最高幹部たちが文総裁を尊敬できる環境になりました」と誇っていました。23 金日成主席の部下たちは、お父様のことを本当に特別な方だと思っているのです。ですから、「神様はいないとは言えない」と言います。金日成主席には、私が 監獄生活をしていた興南の地で会いました。金日成主席の一人の部下が「神様はいないとは言えない」と言った言葉は当たっているというのです。「自分は興南 で会っては駄目だと反対したのに、どうしてそのように願うとおり、興南に行って会うことになったのだろうか」と言いながら、「神様はいないとは言えない」 と話したのです。そこで会ってはいけないと(その人は)思ったのですが、その真ん中に行って会ったのです。それはすべて蕩減復帰です。北朝鮮の地で苦労し たすべてのこと、今まで天の摂理のすべてのことが、蕩減復帰されるのです。24 私が北朝鮮に行った時、金日成主席が言うには、「あなたが言うカイン・アベル問題を中心として見るとき、アベル圏の韓国が責任を果たせず、北朝鮮が責任を 果たすようになれば、韓国の福まで受けられるというのが、文総裁の理論的観点ではないですか」と言うのです。それに、私がどのように答えなければならないでしょうか。驚くべきことです。「文総裁、あなたが来るというなら、何でもすべてしてあげます。私が生 きるためにも、そのようにしなければならないことを知っています」と言ったのです。ですから、どのようにしますか。それで、私が個人的に誓約書を書いたも のがあります。それが、私の手帳にすべてあります。そのようにしながら、サインをすべてもらってきたのです。25 中国にいる韓氏という人が、お父様と一緒に北朝鮮に行きました。北朝鮮に行ってきたあと、中国にある韓国大使館がその人に様々な質問をしたのですが、その 答えを聞いて、大使館が驚いたという報告がありました。大使館が「文先生が北朝鮮で、史上初の大きなことをされたというのですが、そのように度量をもって 話をしたのは事実ですか」と聞いたというのです。お父様は、そこで党の幹部たちを教育したというのです。北朝鮮で、今まで偏見をもって対してきたのです が、もはやお父様に反対する人はいないと誇っていました。そして、北朝鮮がお父様に対してもっている否定的な認識を変えるために教育材料をつくり、四日 間、教育したという報告も受けています。お父様に対して悪く思わないよう、そのようにしたというのです。26 私は、先に中国の門を開き、ソ連の門を開きました。今や北朝鮮の門さえ開けばよいのです。三万双国際祝福結婚式を話題にして、私が「日成兄さん、三万双を 連れて北朝鮮に入ることになりますが、休戦ラインを開く自信はありますか」と聞くと、「あるとも、あるとも!いやあ、それは素晴らしい」と言ったのです。 これは歴史的な秘話です。金日成主席が、「三万双を連れて北朝鮮に入ってきてください」と言いました。それで、「ホテルがないではないですか」と言うと、「元山の松島海水浴 場は世界的に有名な所ですが、その松林に数十万人が入ることができます。だから、十人当たり一つずつテントを持ってくれば、万事解決です」と答えました。 それは、もっともな話です。そこに食べ物を運べばよいというのです。「元山港を開くから、船にすべて積んで運びなさい」と言うのです。これはうそではあり ません。これについて韓国政府と折り合いをつけようとしたのですが、当局の人から「大変なことになります。国の威信はどうなるのですか」と言われました。彼 らは統一よりも、国の威信が先でした。そのようにブレーキをかけるので、かえって互いの威信が立たないというのです。それで仕方なく、(三万双のうち)百 数双だけ訪問してきたのです。27 金日成主席は、「本当に三万双国際祝福結婚式をするのですか」と言いながら、好奇心をもっていました。どのように三万双を結婚させるのかというのです。そ れで私は「三万双は何でもない」と言いました。その後、三万双の結婚式をしてから、その写真を一度見せてほしいと思っていることを私は知っているので、 「今回の三万双の結婚式の写真を持っていって、金正日総書記と金日成主席に見せてあげなさい」と言って、人を遣わしました。とにかく早急に、休戦ラインを 開かなければなりません。金日成主席は度量も大きいのですが、よくできた男だというのです。金日成主席を説得して休戦ラインを開かなければならないのです が、その武器とは何でしょうか。(それが)祝福結婚式だと考えたのです。金日成主席は、私と義兄弟の契りを結びました。ですから、私が「日成兄さん!」と言いながら、三回も念を押しました。食堂から送別の広場まで手をつ ないで歩きながら、「兄さん、弟を無視したら駄目ですよ!」と言うと、(彼は)「ああ、私もそれぐらいの約束は守れる人間です。何を願うのか、一度言って みてください」と言ったのです。
2020.12.06
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文総裁夫妻北朝鮮訪問、12月5日は文総裁の生家を訪れました。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓ 天一国経典・真の父母経 - 第8篇 - 第1章 - 第3節 真の父母様の北朝鮮訪問と金日成主席との会談故郷定州の生家訪問真の父母様は、北朝鮮を離れてから四十年十一ヵ月ぶりに、北朝鮮政府の公式的な招請 により、一九九一年十一月三十日、北朝鮮の地を再び踏まれた。十二月五日、定州の生家を訪問して親族にお会いになった。そして、「生家は世界の人々が巡礼する聖地になるだろう」と語られた。北朝鮮訪問は、国内外のマスコミの大きな関心の中で実現し、十二月六日、平壌のソジェゴル招待所で開かれた歓送式で は、「愛は血よりも濃い」とされながら、「統一の原動力は真の愛である」と力説された。1 私は北朝鮮を訪問し、故郷に行くのに、二機のへリコプターに分かれて乗り、二十八里を四十分で飛んでいきました。学校の運動場に降り、私の家があった所に 向かったのですが、そこも車が走れるようにきちんと道が整備されていました。およそ十日間でその道を整備したというのです。自分たちの主席が来るとき以上 に準備をしたのです。私の父母の墓にも芝を植え、碑石を置いて、そこに文字を刻んで赤く塗ってあったのですが、みなよくやってくれました。また、私が暮らしていた家に行ってみると、すべてペンキが新しく塗られていました。金日成主席がそれを指示したのでしょう。そこに土間があるのですが、その土間には石を積んでセメントを塗ってありました。庭には砂が敷いてありました。きれいに整えられていたのです。王のようなエサウが、弟を王のように迎えようとして、やったというのです。2 金日成主席に、「私の故郷を開放しなさい」と言いました。私の故郷は、世界の人々が修練を受けながら参観できる場所になるので、差し出しなさいというので す。このような思いで押しまくりました。いくら反対しても、そこに引っ掛かるのです。天が垂らす公義の釣り針には、掛からないものがありません。私の父母の墓に台石を据え、芝を植えておいたのです。ほかの人がしたのではなく、金日成主席がそのようにしたのです。私の故郷に行く道には二車線の自動車道が敷かれ、墓地まで行く道も、自動車が通れるように整備されていました。ですから、昔、イスラエル(民族)のヤコブを迎えたエサウより立派だというのです。なぜ立派なのでしょうか。イスラエル民族は、第一の蘇生的イスラエルであり、キリスト教は長成的イスラエルです。アメリカは、私の故郷を聖地として開拓することは夢にも考え られませんでした。ところが、金日成主席がそのようにすることによって、第三イスラエルの民として権威を備えるようになったというのです。3 私が金日成主席と会談した時、金日成主席が「文総裁、生家に行かれたそうですね」と尋ねるので、「行きました」と言いながら謝意を伝えると、(金日成主席 は)「そこは今後、有名な場所になるでしょう。私がすべて考えて収拾します」と言いました。すると、その横にいた人々が、「はい、かしこまりました。主席様!」と言うのです。金日成主席の言葉は、神様の言葉のように実効(力)があります。そこに私が一つ条件を付けました。「昔、私が住んでいた故郷のように造ってほしい」と言ったのです。その最初の形どおりに、ここはこのようにし、あそこはあのようにするようにと、すべて指示してきました。そのようにしておけば、世界万国に散らばっている統一教会員たちの巡礼地になり、私が昔、話した ことを、生き生きと現実的な舞台で見て、感じることができるでしょう。4 私が故郷に行った時、姻戚の八親等まですべて来ていました。私は言葉を一言も話しませんでした。皆が挨拶をしてすがりつき、放そうとしないのですが、私は共産党の世界をすべて知っているので、話をしなかったのです。妹や姉に会うのですから、どれほどうれしいでしょうか。言葉を交わせば、その日にすべて上部に報告しなければなりません。妹の報告と姉の報告が異な れば問題になるのです。どのようにして全く同じように報告することができるでしょうか。甥も報告し、来ていた人々がみな報告書を出すので、その報告書が互 いに合わなければ、大変なことになるのです。虚言になり得るというのです。このようになれば、私が再びそこに行く道も塞がり、彼らが今後、生きる道も塞がるのです。北朝鮮では一家族全体が報告をします。夫が報告し、妻が報告し、幼稚園児から祖父母まで、すべて報告するルートが違います。だからといって、一家族 が全く同じように書いても問題です。「お前たち、口裏を合わせて書いたな!」と言われて問題になるのです。ですから、一言も語ることができません。そこ は、話をすれば問題が生じるので、口があっても話ができない世界です。5 私は、故郷の地、北朝鮮の地をすべて失ってしまいました。父母が惨事に遭ったことをすべて知りながらも、金日成主席を愛し、「私の父母を保護してくれてあ りがとう」と挨拶した人です。(父母の惨事を)知らない人ではありません。ですから、どれほど悲惨でしょうか。その母の墓の前に立つとき、痛哭が出てくる でしょうか、出てこないでしょうか。歯を食いしばっても涙をこらえることができないほどつらいのですが、この怨讐たちの前で私は涙を見せないようにしたの です「父母の墓参りのために来た」という言葉を残さないために、歯を食いしばって耐えたことを、私は忘れません。その問題が自動的に解決するまで、自らの精誠を尽くして南北統一を完成しようというのです。6 私が北朝鮮の故郷の父母の墓を参拝した時、姉や妹は悲しみにあふれた心情で痛哭しました。「お母さん、お父さんが待ち望んでいたお兄さんが帰ってきまし た、弟が帰ってきました」と言いながら痛哭したのです。哀切なその痛哭の声を聞けば、人間なら涙を流さざるを得ません。しかし、私はそこに文氏の息子として行ったのではありません。南北を統一できる主役として行ったのです。墓に埋められている人々の中には、悲惨な死に方をした人たちが多いのです。ですから、自分の父母の墓だけにしがみついて、かわいそうだと涙を流すことはできません。姉と妹がそのように痛哭しているのを見ながら、「お父さん、お母さん、すみません。私は公的な人として来たので、泣くことはできません。南北統一を してから来るときは、天下が、万国がひれ伏す中で、お父さんとお母さんが眠る場所と、お父さん、お母さんにお参りする場所を定め、孝子の責任を果たしま す。神様に侍り、万民の祝福を祈ってあげられる統一王国を建設してから、お父さんとお母さんにお参りします」と祈ったのです。7 母は、私をとても愛しました。誰よりも愛したことを家族はみな知っています。自分たちを育てる中で、姉も(母が)弟をもっと愛したと思い、妹も(母が)兄をもっと愛したと思っていました。その母が、そのように愛する息子と死ぬ前に一度会いたいという恨を抱きながら悲運の道を行ったとも考えるのです。北朝鮮当局が、ありとあらゆることをしたと思います。私は、そのような北朝鮮を救ってあげるために行ったのです。8 私の母は、本当にかわいそうです。息子、娘を十三人生み、五人を天に送って、八人の息子、娘を育てたのですが、私を一番愛し、私には何であれすべてしてくれた母でした。しかし、その母に対して、足袋の一足も、ハンカチの一枚も買ってあげたことがありません。それにもかかわらず、「私のために奉仕せよ」と 言ったのです。母に何も功がなくても、私のために尽くしてきたその功を、復帰摂理の最後の場に行ってすべて表そうと考えているので、その時までは、そのようなこと をしなければなりません。実際、唖然とすることです。母が私を前にして、とてもやりきれず、鼻水や涙を流しながら声を上げて泣いていたことが、今も目に浮 かびます。北朝鮮に行き、父母の墓の前に立って考えてみれば、不孝者だというのです。世の中では不孝者なのです。9 皆さんも、お父様の故郷に行ってみたいでしょう。一九九一年にお父様が故郷に行って、失望しました。五十年前には、そこの山に木もたくさんありました。おおかみの鳴き声も聞こえたりしたのですが、今は木もありませんでした。その荒涼とした風景に失望したのです。むしろ「来なければよかった」と思いました。 そのような状況を目にすると、過去の印象がすべて消えてしまうのです。過去よりもっと素晴らしい環境を見て過去を消すのであれば、過去の記憶が簡単に消えるのですが、反対の立場で消そうとすれば、かえって昔の記憶がすべてよみがえるというのです。ですから、故郷に帰り、世界にいる統一教会の勇士たち、若い精鋭部隊を集めて、昔、お父様が目にした本当の故郷の姿を再創造 しようと考えています。
2020.12.05
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HJ PeaceTVチャンネル登録者数 1.48万人真の父母様の動静- WCLC創立1周年記念神統一世界安着のための世界キリスト教聖職者希望前進大会の案内一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓ 神統一世界安着のための世界キリスト教聖職者希望前進大会明日午前8時からPeaceLink(こちら)からご覧いただけます。
2020.12.05
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2020.12.04
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희망전진대회 [Rally of Hope]チャンネル登録者数 5980人Peacelink.liveライブ中継<WCLC創立1周年記念 神統一世界安着のための世界基督教聖職者希望前進大会>宗教間の葛藤を超え、“天の父母様の下の人類一家族世界”を叫ぶ2020年12月6日午前8時(韓国時間)、世界の基督教聖職者たちが、世界基督教聖職者協議会(World Clergy Leadership Conference, WCLC)の名の下に、オンライン空間で一堂に会します。去る8月9日、第1回神統一世界安着のための希望前進大会を皮切りに、9月27日には第2回希望前進大会、11月22日には第3回希望前進大会が行われ、これに続き、第4回 WCLC創立1周年記念 神統一世界安着のための世界基督教聖職者希望前進大会が、ピースリンク(PeaceLink)を通じてライブ中継されます。コロナウイルスにより封鎖された国家間の壁、そして、戦争やテロにより築かれた宗教間の壁を越え、世界を治癒し、天の父母様の下の人類一家族世界を実現するため、この度、WCLC創立1周年記念、神統一世界安着のための世界基督教聖職者希望前進大会が4つのセッションで構成されたカンファレンスと共に開催される予定です。* 平和の母、韓鶴子総裁のビジョンの下、2019年12月27日、ニューヨークのマンハッタン・センターにて創立されたWCLCは、相次ぐ戦争によりその終わりを見ない宗教間の葛藤を終息させ、76億人類を天の父母様の子女として導くために組織された義人、聖職者、指導者たちによるコミュニティーです。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓ 3日、ラスベガスに到着されたお母様。
2020.12.03
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ソウルヒーリングSoul healingチャンネル登録者数1290人こんにちは^ - ^今回の映像は、祈りと真心の天心苑映像です。今回の映像を通じて天心苑と一つになって、天の父母様と真の父母様の恵みと祝福を完全に継承していければと思います。BGM:聖歌17番「誓い」(実際の天心苑ver。)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.12.03
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韓鶴子総裁自叙伝「人類の涙をぬぐう 平和の母」からの抜粋です。人類の涙をぬぐう平和の母 自叙伝 [ 韓鶴子 ]第六章 平和の母、凍土を越えで世界の果てまで 229 数日後、私たちは澄み切った心で中国の北京に向かいました。北京空港の待合室で待機していると、北朝鮮の代表が来て、公式の招請文書を手渡してくれました。招請状には平壌の官印が鮮明に押されていました。そうして十一月三十日、私たち一行は金主席が送ってくれた朝鮮民航特別機JS215便に乗り込み、北に向かったのです。 飛行機は私たちのために、夫の故郷である定州の上空を通過した後、平壌に向かいました。飛行機が平安道を通る時、窓の外を見下ろすと清川江が見えました。青々とした水の流れが、まるで手でつかめるようでした。確かに私たちの山河ではあっても、南北に分かれ、訪れることのできなかった四十年余りの歳月に、心が痛んで仕方がありませんでした。 平壌の順安空港に到着すると、冷たい木枯らしに吹かれながら、夫の家族と親族が待っていました。夫が「私の妻です」と言って、私を紹介してくれました。彼らはみなずいぶん年を取っており、私たちの手を握ったまま、ただ涙を流すばかりでした。しかし、私と夫は泣きません230でした。心の中では滝のように涙があふれていましたが、唇を噛み、ぐっとこらえたのです。 牡丹峰迎賓館に到着後、夫は北朝鮮の人々を前にして演説を行いました。夫と私は平和と統一のためなら、命を差し出すことも辞さないという覚悟でした。 翌日の十二月一日、私たち夫婦は日頃の習慣どおり、明け方に起き、祈祷をしました。もし迎賓館に監視カメラがあったならば、韓半島の紘一のために働芙しながら祈る姿が、すべて録画されているでしょう。朝食を食べてからは、平壌市内を見て回りまじた。 訪朝三日目となる十二月二日に万寿台議事堂で行った演説は、今や伝説となっています。主 体思想の王国である北朝鮮の心臓部で、主体思想を批判し、「主体思想では南北を統一することはできない。統一教会が提示する神主義と頭翼思想によってのみ、南北が平和裏に統一され、全世界を主導する国になれる」と、誰にはばかることもなく、大声で語ったのです。さらに、彼らの常套句となっていた「韓国動乱は北への侵略である」という主張に対して、「南 の侵略だ」と、正面から反駁しました。 誰もが驚かずにはいられませんでした。拳銃を腰に付けた北朝鮮の警護員が、すぐにでも銃を抜いて駆け寄ってきそうな雰囲気でした。同行していた信徒たちは、一様に冷や汗を流したことでしょう。これまで私は、夫と世界中を歴訪し、各国で多くの首脳に会いましたが、平壌では本当に悲壮な覚悟と深刻な決意を固めざるを得ませんでした。統一教会#文鮮明先生北朝鮮の万寿台議事堂演説一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.12.03
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2020.12.02
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天一国経典・真の父母経 - 第4篇 - 第2章 - 第六節 先祖解怨と霊人祝福式先祖解怨真の父母様は、「霊界の先祖たちは、子孫が解放しなければならない」と語られ、一九九九年二月十二日から、天宙清平修錬苑において、直系七代の先祖をはじめとして、解怨式を挙行するようにされた。真の父母様は、「先祖たちが地獄に行っているとしても、真の父母様の特権によって祝福する時代的恵沢圏に入ってきているため、彼らが解怨式と祝福式を経て地上に再臨し、子孫たちを協助するようになれば、天国に行くことができる」と語られた。……霊人祝福と霊界解放真の父母様は、霊界解放のため、一九九五年八月二十五日の三十六万双祝福結婚式以降、数度にわたり霊人に対する祝福式を共に行われた。特に、三十六万双祝福結婚式の前の日、早朝に忠父様(チュンブニム)と忠母様(チュンモニム)、大兄様(テヒョンニム)、そして大母様の家庭に対する祝福結婚式をされたのに続き、一九九七年十一月二十九日の四千万双祝福結婚式において、霊界祝福式を主管された。そして、この年の十二月一日、霊界祝福開門宣布式をされ、続いて一九九八年六月十三日の三億六千万双祝福結婚式の時、聖人と殺人鬼に対する祝福も共にされた。このように、霊人たちに対する祝福式が成し遂げられることにより、霊界の地獄が解放され、すべての霊人が天国に行く道が開かれたのである。 12 三十六万双の祝福式をする前の日に、父母と兄を祝福しました。それで、家庭的に父母と兄、息子、娘の三位基台ができるのです。それだけではなく、大母様の家庭を祝福してあげ、その息子、娘たちをまとめたのです。そのように三時代を経て、初めて真の父母を中心として父母様の息子、娘と皆さんの家庭が、カインとアベルとして結ばれるのです。この三大先祖が初めて祝福を受けた位置に立つことによって、霊界の分立されたすべての先祖たちを解放できます。この先祖から拡大したので、何千年もかけてその数がいくら多くなったとしても、この先祖さえ解放しておけば、すべて解放されるのです。先祖は父(の立場)です。その父が勝利したことは、いくら子女が悪くても、相続されるようになっています。父子関係を中心として相続権が生じれば、あらゆるものが相続される圏内に入っていくようになります。それで、霊界解放と地上解放が成し遂げられるのです。それがどれほど複雑か分かりません。それをすべてまとめなければなりません。 13 三百六十万双の祝福が終わる日には、興進君と大母様に命じて、父母様の祝福を移行させるのです。興進君と大母様が祝福してくれるというのです。そのようになれば、統一教会で独身祝福を受けた人が、霊界に行って、昔の自分の夫と息子、娘を探し出し、家庭を再編成できます。そのような時代が来ました。その時がいつ来るか分からないので、独身祝福をしてきたのです。ですから、国家的基準においてその限界を解消できない場合には、すべて他の人と祝福をしなければなりませんが、今や親族を祝福するとき、一人で祝福を受けても、再編成するようになるというのです。一族が地獄に行っても、呼んでくることができ、地獄を一時に解放できます。地獄から天国になり得るよう、真の父母が「坦坦大路」(タンタンデロ=平らな大路)をすべて築いておいたので、運転さえすれば、車に乗って走っていけるのです。 14 三百六十万双の祝福をする時は、天と地が接する時です。縦的世界と横的世界が接する時なのです。ですから、アダム家庭と全人類が堕落していない立場に立って、祝福の日を待っています。エデンの園でアダムとエバが家庭完成を成就するのです。宇宙の価値を相続する代表的家庭になったからです。皆さんが祝福を受けた家庭になることによって、皆さんの先祖たちや子孫たちも解放され得る統一的な解放時代が来ました。アダムとエバが堕落し、イエス様が失敗しましたが、再臨主が来て完成することによって家庭を築き、成約時代を迎えたように、皆さんの先祖たちは誤りましたが、皆さんが再臨主に属した家庭のようになっているので、皆さんの先祖たちも解放され得る統一圏時代になったというのです。祝福後に天上世界がすべて解放されます。そうして、地上祝福時代から霊界祝福時代へと拡張されるのです。 15 地上世界で三億六千万双の祝福が終わったので、霊界では祝福が始まります。ですから、サタンの血統を断切するのです。サタンが讒訴できる時代は過ぎ去るというのです。真の父母の全権時代、全体、全般、全権、全能の時代が来ます。真の父母が権限を行使できる時代が来るのです。神様が、アダムとエバを造って「良(善)し」とされ、喜びながら「人がすべて生き物に与える名は、その名となる」(創世記二・一九)ようにされた、特権時代が来るというのです。 16 三億六千万双の祝福を完成して、サタンの血統を断切しなければなりません。最後です。それをするために、地獄の門と天国の門をすべて開け放すのです。昔、怨讐視していた人たちが、父母様を迎えて侍る歓迎の祝宴を開くのです。今までは、父母様を家庭に迎えられなかったばかりか、氏族、民族、国家、世界に迎えられませんでした。天下に初めて開く祝宴の中で、怨讐となった兄弟、怨讐となった男女が、再び神様の法度に従い、天地の大道を明らかにして入っていくというのです。そこから地上天国に向かうのです。 17 創造当時は神様の所有だったものを、人間の堕落によって失ってしまいました。これを神様にお返ししなければなりません。今まで神様には息子、娘がいませんでしたが、真の父母によって真の息子、娘が生まれるのです。再創造するのです。それは、神様がするのではありません。真の父母だけができるのです。真の父母が完全に所有権を神様にお返しします。そうして、真の父母が家庭を取り戻し、神様にお返しするのです。三億六千万双の祝福をすれば、サタンの血統が断ち切られます。そのようになれば、神様が「地上と天上の天国に、やっと私の家庭をもてるようになった! 私が主人だ!」と宣布します。本然の理想的概念が出発するようになるのです。堕落によって失ったものをすべて取り戻します。再創造の過程で経てきた受難の道は終わり、家庭から天宙まで解放されるのです。 18 三億六千万双の国際祝福結婚式の行事の時に、霊界に行っているすべての聖人たちを中心として、神様のみ前に怨讐となっていたすべての霊人たちの解放を宣布しなければなりません。地獄と中間霊界にとどまっている人々は、神様との血統的な絆が結ばれていないので、血統的な絆をつないであげなければなりません。アベルが祝福を受けられる環境的条件ができれば、カインも共に祝福を受けるのが天理原則なので、怨讐を愛する位置に立たせなければなりません。神様の直系子女たちの前に、弟の位置に立ててあげるのです。カインがそうです。今まで、聖人たちは宗教圏において蕩減するために苦労し、悪人たちはサタン側で破壊し、分立させるために苦労してきました。しかし、この時には、真の父母が善と悪、神様とサタン、カインとアベルに分かれていたすべての歴史を、祭物的立場で蕩減して一つにしなければなりません。そうして、分かれたものを統合する時代に入るのです。 19 アダム自身が、個人、家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙の一体圏を成し遂げられなければ、神様の創造目的が未完成になるので、神様が解放されません。神様もどうすることもできないのです。それは真の父母の責任です。真の父母が天宙を大革命しなければなりません。ですから、四大聖人たちを祝福し、最高の悪人たちも祝福してあげたのです。怨讐の壁を崩さなければなりません。そうして、平等圏を形成するのです。海の水が引いて、再び入ってきて満潮になるとき、水平を形成して回ります。汚れたものだけでなく、その前に流れていった水がすべて入ってきて満潮になれば、回るのです。そうして、新たに入ってくる水に押されて出ていき、満潮圏では水平が形成されます。神様が人類の解放圏を形成するためには、その満潮圏のような状態から出発しなければならないのですが、その基準を立てるためのものが聖人と殺人鬼の祝福でした。 20 神様がサタンと怨讐関係になっていれば、永遠に平和の世界はできません。神様がそのような怨讐関係を消化し、創造した時以上に愛する心をもたなければ、サタンは屈服しません。それは何を意味するのでしょうか。怨讐と怨讐が出会い、夫婦の契りを結んだとしても、神様が怨讐を愛したように、互いに愛し合わなければならないということです。そのように愛し得る交叉結婚をしなければ、平和の世界ができる道は開かれません。父母様はそのような内容を知っているので、怨讐たち同士で交叉結婚をさせざるを得ないのです。ですから、聖人と殺人鬼たちまで、同じ場で結婚させてあげたのです。 21 神様は、地獄まで解放して、全霊界から地上まで清算することを願います。そのことは、真の父母ができるのです。それは、怨讐の中の怨讐を祝福してあげなさいということです。神様の心はそうです。愛する人を怨讐に抱かせてあげても、福を祈ってあげられる立場に立たなければ、そのようなことは不可能です。ですから、サタンまでも祝福するのです。真の父母は、歴史的なすべての罪悪を蕩減してそれを宣布し、一つ一つ節目をつけて越えてきて、解放された王の位置に立っているため、それができるのです。ですから、個人、家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙、神様まで解放できます。父母様が、神様まで解放できる基盤をつくりました。今や、最終定着地まで来ました。これからは、いかなる障壁もありません。ですから、全人類を祝福してあげるのです。 22 三億六千万双の祝福をすれば、真の父母の名と地上の祝福家庭を中心として、分かれていたすべてのものが統合される時代に入ります。このような大転換時代に、「三億六千万双の祝福完成とサタンの血統断切」を宣言しました。アダムが完成していれば、地獄や中間霊界というものはありません。ですから、祝福の前に霊界と地上を整理しなければなりません。そうしてから、霊界のすべての聖人たちを、独身祝福を受けて今まで一人で暮らしてきた女性たちと祝福してあげるのです。ですから、今後、宗教圏が一つに収拾されます。その次には、サタン世界にいる悪人を祝福してあげるのです。 23 人類歴史で初めて、真の父母が、聖人たちと同じように悪人たちまで愛したというのです。これが大きな問題です。神様が悪の世界のあらゆるものを清算して正す時です。ですから、すべて頂上まで登り詰めました。これ以上、上がるところがありません。サタンもこれ以上、上がりようのない最頂上で(縦的に)結んであげました。真の父母が横的なものを縦的に結んであげることによって、横的な悪人たちが縦的に通じるようになったのです。そのような歴史的な大転換期が、三億六千万双の祝福です。それは大事件です。それが成功したので、天上の門が開き、地獄から天上まで通じる道が開かれました。真の父母が蕩減条件を払って、人類と共にそのように祝福したことは、大事件です。 24 祝福を受けた家庭の入る所が天国です。父母様が三億六千万双を祝福することによって、その先祖たちが天国に入るのです。この地上でそのように祝福する前に、霊界を祝福してあげました。一九九八年六月十三日に始まったのです。聖人と殺人鬼たちを祝福してあげたのですが、聖人は長子の立場であり、殺人鬼は次子の立場です。その次子たちが、絶対信仰、絶対愛、絶対服従をもって長子に従うようになることで、横的に水平になったのです。国家の怨讐と世界の怨讐たちが同じ次元で祝福を受けたのです。父母様が人類にそのような祝福を相続させてあげました。そうすることによって、初めて全人類が真の父母の基準をもつようになったのです。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.12.02
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真の父母様北朝鮮訪問(1991.11.30~平壌、第3日目)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.12.01
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一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.12.01
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