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ほふられた子羊さん記事「×悪意に満ちた『奇知外』のコメントはすべて削除します!!」(2020/09/29 06:05)ですが、これは「★8 子女様と一体となることが天国にいく命綱 = 『皇族圏』」からのコメントをペースト・編集したものでした。ブログ・・奇知外さんへ貴殿は御言葉を虫食い状態にして読んでいます。都合のいい所だけチョイスして、コピーして、ダラダラとコメント欄に貼り付けてきます。貴殿は、都合の悪い御言葉に対しては見ざる言わざる聞かざるの三猿そのものです。御言葉の総合性が著しく欠如しています。以前のコメントで、私が貴殿の御言葉の捉え方の間違いを指摘したら、「そんなことはどうでもいい」と開き直りましたね。私が貴殿に質問したことに対しても、全く無視して答えませんでした。覚えていますか。貴殿はこれを自覚できない性格だと思います。統一教会に巣をつくっている共産党みたいです。貴殿にあるのは、敵対するブログなら誰彼かまわず、どんな方法であれ、崖の下に突き落とそうとする悪意だけです。貴殿には、まったく誠意がないことと、思考回路が狂っていることと、妄想の域であることと、まさに、奇知外ではなく、気違いと隣りあわせです。名を変えた方がいいです。このような理由から・・・私は貴殿とのコメントのやり取りは応じないと、以前、コメントしました。貴殿に、内的謙虚さと誠意が見えない限り、これからも変わりません。これまで貴殿のコメントはすべて削除したように、今後もすべて削除します。それにもめげずにこれまで同様にコメントを入れ削除されたものが以下です。tomy4509 id:tomy39742020/09/28 23:33>777さん ↑ IDが「777」となっているため、「777先生」と呼ばれている方もいます。「777家庭」なのか、そうでないのか今一度ハッキリとしていただけませんか? さて、子羊さんの「原理(講論)」の理解度があまりにも幼稚過ぎます。 堕落論では「生命の木=創造理想を完成した男性」、「善悪知るの木=創造理想を完成したエバ」ですが、子羊さんの解釈はそれらの木も「堕落したアダム・エバ」です。子羊さんの原理講論には「第7章 キリスト論」は白紙となっているのではないですか? -----(引用) 貴殿は御言葉を虫食い状態にして読んでいます。都合のいい所だけチョイスして、コピーして、ダラダラとコメント欄に貼り付けてきます。まともならいいのですが、おかしいです。 私が貴殿の御言葉の捉え方の間違いを指摘したら、「そなことはどうでもいい」と開き直りましたね。 以前のコメントでも、私が貴殿に質問したことも、全く答えませんでした。 -----(終わり) これに関してですが、私がみ言を虫食いにしているのではありません。子羊さんが引用された以外のみ言(子羊さんが虫食いにした)を挙げては、【注釈付き】解釈との矛盾、お父様み言の改ざんをされていたことを指摘したものでした。子羊さんの解釈が正しいというのであれば、私のそれにも通じるというものですが「合致しません」。 その一つに、「神の夫人」についてほかが「洗礼ヨハネ」の使命者として私たちが『主の路程』で聞いていたものでした。私は、お母様が「洗礼ヨハネ」といった話はお父様のみ言から聞いたこととがありません。子羊さんだけの自論でしかない、というのが私からの結論でした。 もしもお父様のみ言にそれがあれば、私は頭を下げます。 自称ルポライタイーtomy4509としてブログ村で「真理を求めて」います。 過去には、gildongのブログ記事でパイオニアカフェ情報の「サムネイルねつ造」を暴露しました。「火の粉」ブログも最後は不正アクセス者との関係を自白してはカテゴリー「家庭連合」から強制移動となっています。ブロガー・ヨンギ氏も「真の父母様宣布文」の事実関係等を巡って「逃げ腰」「逃亡者」生活を送っています。 「777先生」でもない「ほふられた子羊さん」の自論についても正しいかどうなのか、その回答を自称ルポライタイーtomy4509は求めているものです。さて、子羊さんから私にどのような質問をされて「そなことはどうでもいい」と開き直ったでしょうか。「み言改ざん」、間違いの指摘をしている私に質問そのものが「愚問」というものです。事実、私以外の方からの「み言改ざんしている」とのコメントもあったでしょう。それに対しての子羊さんの回答は◆子羊さん曰く「私のブログ記事が、御言葉によって間違いであるなら今日にでも閉じる」https://plaza.rakuten.co.jp/peace3world/diary/202009010000/ でした。子羊さんが異見を持った二人だけに対してではなく、本記事としてネットで(全世界に)公言されたものでした。しかしながらその後の対応はというと、同じ【注釈付き】のみ言改ざんを繰り返しては私からの反論コメントを次から次へと削除する有様です。もしも子羊さんの【注釈付き・虫食い】み言が正しい、というのであれば、私からの「虫食い」み言の説明も出来るでしょうが?また、私が子羊さんに「悪意を持って」というのであれば、子羊さんは家庭連合に「悪意を持って」はみ言を改ざんし、真の父母様のアイデンティティーまでも引きずりおろそうとしているのがあなたのブログ記事です。1960年の(教会次元の)「小羊の婚宴」すら認めていないため「真の父母様」そのものまでも否定されている「共産党」とは誰のことでしょうか?ところで「奇知外記」ですがブログ名で、お父様の三文字同様に様々に言われて来ました。「火の粉」ブログには6年を要しました。「強制カテ移動」の結果は? (「火の粉ブログ」、2019/06/18)<注2>キチガイキが不正アクセスがどうしたこうしたと長く騒いでいたけど、不正を働いたのは「雉も鳴かずば」〓「加油」。キチガイキの警察への訴えによって、「雉も鳴かずば」〓「加油」は富山警察に出頭し、謝罪し、不起訴(あるいは起訴猶予)になった。加油の人間として良くないことは、キチガイキがしつこく小生(火の粉)を攻撃しているときに、知らん顔をしていたことだ。個人メ-ルでの釈明はありましたが。ヨンギ氏は「まるバツクイズ」からですから何年のお付き合いになるでしょうか?子羊さんはどれだけ持ちこたえられるか? 今後ともヨロシクお願いします。ところで、話は変わりますが、家庭連合の「ソーシャルメディアの取り組みについて」からの一部引用ですが、2.2 過失があった場合は責任を持って、速やかに素直に謝りましょう。間違っていないことに対し、安直に謝罪する事がよいわけではありません。しかし、強情を張っているとさらに炎上する場合があります。何に関して謝るのかを明示した上で謝罪し、謙虚な姿勢を示しましょう。とあります。私自身に間違いの指摘があれば、速やかにその事実関係を調べては訂正し、また、謝罪もしてきました。例えば、【訂正記事】”Re:天の父母様聖会の正体が『こ、れ、だ』---ヨンギ氏ブログの間違い”一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.09.30
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第2回 希望前進大会のビデオ映像はpeaceLink(https://www.peacelink.live/)から視聴できます。peaceLink(https://www.peacelink.live/)への会員登録はもうお済ですか?まだの人はpeaceLink(https://www.peacelink.live/)右上からの「ログイン」または「会員登録」から登録、「LIVE」へお進みください。 実際の映像は50:00~過ぎからです。個人的には「祝歌」(2:42:00~)が素晴らしかったです。韓鶴子総裁特別演説(3:05:00~)です。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.09.27
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ヨンギ氏記事「神様はお父様を通じて統一家の混乱を正確に予言された、」コメント欄からのペースト:1.お父様は「統一家の混乱を知っておられた」、そして、そのようになったのだということですか?お父様だけでなく、これまでの人類の堕落歴史がそうであったとことを語られていたものではなかったでしょうか。そして、そうならないようにと警鐘を鳴らされていたのがこのみ言の真意であったと思います。「人間の責任分担」を果たすかどうかの岐路に立たされた時、どうするかです。天が準備した回答は「絶対服従」でしたが、束草のお父様の「GPF停止命令」、また、「真の父母様宣布文」に対してどうあるべきだったでしょうか?!peace 2020-09-27 00:42:023.>ヨンギさん統一家の分裂を助長しているのはあなたです。カビ情報、ニセ情報、デマ記事、み言改ざん……顕進氏は郭家の「養子養女文化」を受け入れた婿養子、統一家の伝統に「絶対従順」でないのに統一家を名乗る資格も有していません。「真の家庭」とは、相対者が共にあってこそ成り立つものです。聖和されておられるとしても孝進様家庭、興進様家庭が「真の家庭」として立っておられます。霊界についても語られたお父様です。霊界は間違いなくあります。もしも、それを否定されるとすれば「共産主義」そのものと何ら変わるところがないでしょう。お父様、孝進様、興進様は霊界におられ、いずれは私たちも永遠のそこに行くことに間違いがありません。果たしてその時、真の父母様(神様)や子女様方にお会いすることが出来るでしょうか?このままいけば、郭家は別のところで暮らさなければならないのではないですか。地上が大切です。地上でつながらければ……。まだお母様が地上におられることが希望です。あなたも統一家の分裂を喜ばないのであれば、それを助長する(郭家を宣伝する)デマ記事を書かれないようにすることです。祝福権移譲の「まるバツクイズ」のそれすら、その事実関係を確認していないでしょう。「爆破者宣布文」もボケ老人をダマしてとか、「真の父母様宣布文」も同様にといった具合で、顕進氏を追い出したなどとの「虚偽のストーリー」を拡散しています。映像からお父様自身の意思でされておられたことも認めようとはしないのは何故ですか。宣布文の映像で、「豚野郎」はUCIの理事に入った郭家の長男と婿養子を指してのものでしたし、50年60年韓国を任せた人物は郭錠煥氏その人ではなかったですか!! これらも自称ルポライタイーtomy4509が確認して書いていたものでした。否定は出来ないでしょう。これまでのあなたのデマ記事を認められ、郭家から離れることです。それが統一家の分裂を解決していく道です。霊界のお父様にも聞いてみてください。peace 2020-09-27 07:45:10コディアック「盗賊認定」動画(2011年7月末)子羊さん記事「★8 子女様と一体となることが天国にいく命綱 = 『皇族圏』」コメントからのペースト: tomy4509 id:tomy3974 4時間前>子羊さんへ「子羊さん記事はみ言改ざん」をしているとのコメントを私以外の方が師としていました。それに対してのあなたの回答は「み言に間違いがあればブログを閉じる」と明言されていたものでした。私からも「み言改ざん」の指摘をしてきました。少なくとも二人があなたが「み言改ざん」しているとの異見を述べています。さて、『皇族圏』についてですが、黒・天聖経からは長子権復帰、父母権復帰、王権復帰の上で「皇族圏」でした。それらを復帰して来られたのは真の父母様でしたし、天の父母様の前に「直系子女」とは真の父母様でした。それに続くのが傍系子女(子女様、祝福家庭)ということです。但し、それには「人間の責任分担」があるということです。ために「氏族メシヤ」をしなさい、ということでした。子女様といえども黒・天聖経からは「皇族圏は直系(真の父母様)を中心として、相対的関係をもって、そのままついていくのです。」のみ言があります。顕進氏家庭、亨進氏家庭はそのようになっているでしょうか?今回記事の引用そのものに【注釈付き】はないにしても、その前文が「注釈」となっていました。それによって一部の引用された【注釈付き】でそれ以外のみ言までも間違った方向に引っ張ろうとしているのがあなたのブログ記事です。黒・天聖経だけ見ても「真の父母」の単語は1000を越えています。その「真の父母」が居ない、間違っていたというのであれば黒・天聖経そのものの引用も無駄というものです。今回の私からのコメントもまた「非公開」とされるとすれば、「777先生」と呼ばれる方もいますが、もはやあなたには「正論」といえるものはないでしょう。「ほふられた子羊」としてそれが神様が喜ばれる『祭物』であるかどうかの審判を受けられるべきです。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.09.27
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いよいよ9:30~から100万オンライン希望前進大会の第二回目がスタートします。peaceLink(https://www.peacelink.live/)への会員登録はもうお済ですか?会員登録をしなければ映像参加は出来ません。まだの人はpeaceLink(https://www.peacelink.live/)右上からの「ログイン」または「会員登録」から登録、「LIVE」へお進みください。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.09.27
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HJグローバルニュース (2020年 9月 26日)HJ PeaceTVチャンネル登録者数 1.38万人1. 神アジア太平洋-ビジョン2027 神統一世界安着に向かって2. 世界ニュース- 平和運動(慶尚道圏IAPD·KCLC:超宗教救国祈祷会 / 支援奉仕 愛苑:「分け与えるほど大きくなる、真の愛の力」8月から水害地域奉仕が続く) - 青年活動(ブラジル IAYSP:青年学生人格教育,国連人道の日記念招請講演 / ザンビア 7日修練会 / オセアニア オンライン和動会 / ウルグアイ ピースロード2020)- 神統一韓国定着のための100万希望前進大会 案内一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.09.26
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「皇族圏」については、子羊さんが引用された「黒・天聖経」の同じく「真の家庭と家庭盟誓 第三章 家庭盟誓第三節の解説」から多く発見することが出来ます。(2) 三大権限の復帰が人類歴史三大王権には、必ず第一創造主、第二創造主、第三創造主の概念が入っていなければなりません。この概念が入っていなければ、三大王権は出てきません。ですから、神様は過去の先祖であり、アダムは現在の先祖であり、アダムとエバの息子は未来の先祖です。先祖の概念が入っていなければなりません。その概念が入っていなければ、三大王権が出てこないのです。それから、皇族圏は直系を中心として、相対的関係をもって、そのままついていくのです。*復帰歴史の総合的な結論として、長子権復帰、父母権復帰、王権復帰、皇族圏復帰です。長子権復帰の目的は、父母権復帰です。父母権復帰の目的は、王権復帰であり、王権復帰の目的は、皇族圏復帰です。これが四大心情圏です。おじいさん、父、自分たち夫婦が三大王権を象徴します。おじいさんは過去を象徴し、父母は現在を象徴し、自分たち夫婦は未来を象徴します。そして、おじいさんは霊界の特権大使として自分の家庭に送られた方なので、おじいさんの言葉に絶対服従する家庭は繁栄します。*救援摂理歴史は、カイン、アベルが一つになって母を取り戻し、父を取り戻す歴史です。失ってしまったので、これを取り戻さなければすべてのものは無駄になるのです。母を取り戻し、父を取り戻したのちには、家庭を取り戻すのです。そのようにすることによって、永遠の理想家庭をこの地上で成し遂げるのです。最初は長子権復帰であり、二番目は父母権復帰です。これが一つになって初めて王権を復帰するのです。本来、アダム家庭は王宮です。アダムとエバ(真の父母様)は王と皇后なのです。男性は天を象徴し、女性は地を象徴するのですが、二つの世界の王権が堕落しないで完成していたならば、理想的な家庭になっていたはずです。それがアダム家庭の理想です。その次には皇族圏です。3. 皇族圏を完成することを(1)天国は愛の皇族圏が行く所天国は、神様の愛を中心として王子、王女となり、王と皇后の愛を受けた皇族たちが入っていく所です。今日、キリスト教では「イエス様を信じて天国に行くのだ」と言っているでしょう? どのようになるか、行ってみなさいというのです。文総裁の言っていることが正しいか、正しくないか、行ってみれば分かるはずです。それは、理論に合っていません。今までのすべての宗教は理論に合っていないのです。*アダムとエバは誰ですか。神様が被造世界の王だとすれば、アダムとエバは、その王の愛の相対者であり、皇族圏を相続する皇太子です。王子、王女です。堕落していないアダムとエバはそうだというのです。全宇宙の大王であられる神様を中心として生まれた長男と長女が、アダムとエバだったということをはっきりと知らなければなりません。*天国に入っていくことができる人々は、神様の愛の直系子女であり、天国の王孫として……。神様の前に王子、王女の門を経なければなりません。天国はどこでしょうか。王孫として、皇族として行く所です。この地上で模範的な兄弟の友愛の直系子女と傍系的子女となり、模範的な一つの一族と国家を形成した立場で、皇族の名誉をもって生きたのち、そのまま移動していく所が天国です。*今から皆さんは、真の愛を中心とした皇族にならなければなりません。アダムが直系子女とすれば、傍系子女であるその兄弟や姉たちは、すべて民となるのです。それゆえに、天国の王子、王女の愛を備え、その権威と威信を堂々ともち、生涯の路程において足どりも堂々と威信をもって入っていかなければならない所が本郷の国、天国であるということを知らなければなりません!*世界を愛さなくては、入っていくことができません。世界が私のものであり、世界の人類が私の一族だといって愛してこそ、入っていけるのです。神様の代わりに、彼らの痛みを私の痛みのごとく感じることができる位置に立つことができなければ、天国の王子、王女となることはできません。神様はそのようなお方です。そのような方が、王子、王女の位置に立つことができなければならないのです。それで、長子権復帰、父母権復帰、王権復帰です。その次には皇族圏復帰です。最後にこの門をすべて通ることなくしては、本然の世界で神様と出会うことはできません。先ほど話した根を探し求めていって結果が一つとなり、すべてのものが自由天地で循環するにおいて、衝突することなく歓迎一色で自分を迎えてくれることができるのかというのです。天上世界に行こうと、地獄世界に行こうと、その人が通り過ぎればみな頭を下げるのです。*長子権復帰ができなければ、父母権復帰ができません。本然の兄弟を失ってしまったので、再び取り戻したその基盤の上で父母の位置に上がっていくのです。復帰は反対に行くのです。父母を取り戻したのちに父母、すなわちアダムとエバが王になるのです。氏族を中心とした王権、王権を中心として傍系的な血族が広がり、一族が広がることによって皇族圏が広がっていくのです。これが復帰摂理の全体の結論です。これは伝統的結論なので、誰もがこのようにならなければなりません。そのようになってこそ、真の父母の息子、娘になるのです。*四大心情圏と三大王権を、私たちの家庭で成し遂げなければなりません。これを完成した人々は、今日、イエス様を信じる必要はありません。先生も必要ありません。そのまま、神様の玉座の前に直行するのです。そのようになれば、神の国の皇族圏が始まるのです。皇族圏が始まろうとするならば、このように生き、今後、先生の息子、娘と同じ血統にならなければなりません。何の話か分かりますか。先生の息子、娘と姻戚を結んでこそ、皇族圏を連結させることができるということです。*完成した家庭とは、何を中心として築かれるのでしょうか。四大心情圏と三大王権、皇族圏の生活をすることによって初めて家庭理想、神様の創造理想が完成するのです。そして、王家にならなければなりません。王家は、王を中心として一つにならなければなりません。それで、皇族圏内で暮らしたのちに行く所が天国です。そこで暮らしたのちに移っていく所が天国です。*四大心情圏と三大王権を成したのちに皇族圏に入っていくのです。それを中心とした真の愛の位置が皇族圏の位置です。天国まで無事通過です。それが神様のアダム家庭に対する理想です。そこに真の息子と真の娘の完成があるのです。兄弟の完成がそこにあります。そこに夫婦完成と父母完成があるのです。ほか「今後、先生の息子、娘と同じ血統にならなければなりません。何の話か分かりますか。先生の息子、娘と姻戚を結んでこそ、皇族圏を連結させることができるということです。」ですが、別のみ言「皇族圏は直系を中心として、相対的関係をもって、そのままついていくのです。」にも私たちは留意していかなければなりません。見る価値無しの子羊さん記事タイトル「★6〔顕進様、亨進様〕と〔信徒たち〕が一体となる以外に救済の道はない!!それが皇族圏です。」だけ紹介して、「ほふられた子羊(祭物)さんブログはみ言改ざんしている(その2)」とします。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.09.26
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これまでも子羊さんのブログから削除された私・自称ルポライタイーtomy4509のコメント群を【メモ書き】として転載して来ましたが、果たして、これらコメント群が私の自作自演なのかの疑問を抱かれる方もいるかもしれません。これまでの経緯があまり理解されておられない方は、私の過去記事(以下)をご覧ください。ほふられた子羊(平和太郎)さんが非公開にしたコメント(その1)(2020.08.26)【メモ書き】ほふられた子羊(平和太郎)さんが非公開にしたコメント(その2)(2020.08.26)子どもの「暗号文遊び」、子羊さんにオサラバです!!(2020.08.26)子羊さん曰く「私のブログ記事が、御言葉によって間違いであるなら今日にでも閉じる」 (2020.09.01)「子どもの「暗号文遊び」、子羊さんにオサラバです!!」は、ブログ更新を停止されたら如何ですか? の意味です。【メモ書き】ほふられた子羊(平和太郎)さんが非公開にしたコメント(その3)(2020.09.06)ほふられた子羊さん(平和太郎さん)からのコメントについて(2020.09.08)私から子羊さんへは質問ではなく、子羊さんの間違いの指摘をしているものです。私に対して「原理性の論理が欠けている」ということですが、その言葉をそのままお返ししてきたのが私からのコメント群です。先ずもって「お母様が洗礼ヨハネの使命」などといったお父様のみ言は、果たして、在るのでしょうか?子羊さんからの【注釈無し】のお父様のみ言の提示(回答)もありません。存在しないみ言で〝虚偽〟を語る子羊さん(祭物?)の悪意(2020.09.11)【メモ書き】ほふられた子羊(平和太郎)さんが非公開にしたコメント(その4)(2020.09.18)子羊さんへ--文鮮明総裁み言『御旨と世界「創立以前の内的教会史)」(1977年5月1日 ニューヨーク ベルベディア)』(2020.09.18)【メモ書き】ほふられた子羊(平和太郎)さんが非公開にしたコメント(その5)(2020.09.24)さて、以下は「★6〔顕進様、亨進様〕と〔信徒たち〕が一体となる以外に救済の道はない!!それが皇族圏です。」から実際に非公開とされた私のコメントです。私の別ブログのコメント履歴に残るものであり、これまでのコメント群も同様です。何よりも私が気がかりとしたことは、子羊さんのプロフィールに掲げられた「777」でした。これを見ては「777先生」と仰ぎ見られる読者コメントも見かけました。しかしながら、私からの質問に対してはハッキリと子羊さんは「777家庭ではない」と応えていました。その「777家庭」でもない方が幼稚な原理解釈でお父様のみ言に自分勝手な【注釈付き】歪曲・改ざんしたみ言拡散には大きな疑問を感じざるを得ません。「777」の御旗を下ろされるべきでしょう。また、記事「このブログを閉じるとするなら・・・・」(2020/07/25、以下はその一部)は私でないほか読者のコメントに応えられたものでした。コメント者もまた、私同様に子羊さんの【注釈付き】のみ言改ざんに対しての怒りを発せられていたもので「子羊さん曰く「私のブログ記事が、御言葉によって間違いであるなら今日にでも閉じる」 」は子羊さんから出ています。「★6〔顕進様、亨進様〕と〔信徒たち〕が一体となる以外に救済の道はない!!それが皇族圏です。」から非公開となった私のコメント「777家庭」でないほふられた子羊さん(祭物)さんへ 「777家庭」でもないにもかかわらず、ブログプロフィールに「777」を掲げられる子羊さんに大きな疑問を感じてきました。中には「777先生」と呼ばれる読者の方もいます。 さて、 > 昨日の記事の御言葉に私なりの注釈とコメントを入れてみますので、ご確認お願いします。もちろん、注釈の内容は個人差があります。 ですが、子羊さんの「自論」(「持論」ではありません。)でしかなくあまりにも「個人差」の落差が大きいです。また、子羊さん自身の注釈・コメントにも大きなズレが生じているようです。 子羊さんの「暗号解読表」からは、 ・アダム=堕落アダム=お父様 ・エバ=堕落エバ=お母様 であり、いずれも完成されておられないが子羊さんの意見でした。当然、そこから生まれられた子女様方も「原罪清算」されないままということになります。私たちとの間にどれだけの違いがあるというのですか。その顕進氏、亨進氏につながったところで何ら変わるところがありません。 自論そのものが【矛盾だらけ】です。 お父様のみ言一部(注釈付き)を挙げながら、ほかのみ言とかみ合いません。その一つが「第三アダムは無原罪のエバを探して」子羊の婚宴をするはずでしたが、子羊さんのこれまでの内容からはその「子羊の婚宴」すら出てきていません。そこから生まれた子女様方も、やはり、ということです。 前回の記事と今回の記事の注釈の違いもまた、(矛盾した)自論を正当化するための書き換えではなかったですか? ・(先生と子女様たちが)怨讐(統一信徒たち)を愛さなくてはできません。 ・(直系の子女様たちが)怨讐(皇族圏・統一信徒たち)を愛さなくてはできません。 長子権復帰といっても「長子権(完成アダム)」「長女権(完成エバ)」がなければなりません。でなければ、神様を中心とした(真の)父母権、王権(王子、王女の対で話されています)も成立しません。 原理はペアシステムです。それを崩そうとするのが「悪神の業」です。真の父母様と子女様「家庭」、父母様と祝福家庭です。子女様といえどもその相対が別の方向を向いていたとすれば「皇族圏」から外されるということは、すでに私たちは「堕落論」で学んだものです。アダム一人であっても神様の前に進み出ることは出来ないという相談です。まして、お父様「お一人様」ではどうですか? 子羊さんの自論はそれでしょう!! 「原理講論」の教えともマッチしていません。 「天宙天地人真の父母定着実体み言宣布大会」はそれを宣布された大会でした。私からは真摯に子羊さんのお父様のみ言との相違を述べています。これに対して子羊さんの注釈無しで「正論」だというものがおありでしたら提示してください。 ほふられた子羊は「祭物」です。祭壇に上がった「祭物」には口がありますか? 子羊さん自身がブログを祭壇に揚げられました。 ◆子羊さん曰く「私のブログ記事が、御言葉によって間違いであるなら今日にでも閉じる」https://plaza.rakuten.co.jp/peace3world/diary/202009010000/ こうまで宣言されていました。「個人差」の捉え方の違いはない、ということです。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.09.26
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以下の生中継案内は、PeaceTVホームページからの視聴となります。間違わないでください。[生中継案内]天勝殿グランド奉献式 韓園家奉献式 及び 特別午餐天勝殿グランド奉献式韓園家奉献式 及び 特別午餐インターネット生中継日時:天一国8年 天暦8月12日 (2020. 9. 28) 午前9:30場所 : 孝情天苑 天勝殿、韓園家 各圏域大陸生中継:韓国語、日本語、英語、スペイン語、フランス語◆行事開始時刻、30分前から放送を開始します。<生中継視聴方法>(1) パソコンで視聴PeaceTV (http://www.ipeacetv.com/)にアクセス、希望の言語を選択し、動画を再生します。(※グーグルクロームでのインターネット接続をお勧めします。)(2)モバイル機器で視聴1) “PeaceTV”を検索し、PeaceTVアプリをインストールします。(アンドロイド : Play Store / iOS : App Store)2) アプリを実行し、希望の言語を選択し、動画を再生します。(Wi-Fiの使用をお勧めします。)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.09.26
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U-ONE NEWS 2020年9月25日号世界平和統一家庭連合公式チャンネルチャンネル登録者数 2.13万人○真のお母様(韓鶴子総裁)のみ言 「ジャパン・トップガン・ジュニア特別集会」 (2019年8月3日 韓国・天正宮博物館) 【要旨】二世たちに向かって天の父母様の夢を担う孝情郎になってほしいと語られているみ言です。○メインコンテンツ①「私は孝情郎になる」(北北海道教区・札幌家庭教会) 真の父母様の願いである「未来人材育成」に向け、今、青年・学生圏全体が「トップガン認定」に挑戦しています。今回は中高生で初めて「トップガン・ジュニア認定者」に承認された、北北海道教区 札幌家庭教会の杉山真理奈さんにインタビューし、普段の生活や将来の夢について聞きました。○メインコンテンツ② 「オンラインで追慕礼拝」(9月16日 埼玉・越谷家庭教会) コロナ禍で親族が尾瀬霊園に赴くのが難しい中、東埼玉教区越谷家庭教会では、群馬県片品村の尾瀬霊園と教会をオンラインでつなぎ、1800双祝福家庭の京嶋祥起さんの聖和2周年追慕礼拝が行われました。オンライン追慕礼拝の様子をレポートします。【目次】00:24 ご挨拶 00:53 真のお母様(韓鶴子総裁)のみ言「ジャパン・トップガン・ジュニア特別集会」 04:00 「私は孝情郎になる」10:12 オンラインで追慕礼拝11:36 INFORMATION(お知らせ)「新刊案内」■世界平和統一家庭連合 公式サイト https://ffwpu.jp/■世界平和統一家庭連合 公式ニュースサイト https://unificationnews.jp/ ■世界平和統一家庭連合 公式Facebook https://ja-jp.facebook.com/ffwpu.jp/ ■世界平和統一家庭連合 公式Twitter https://twitter.com/ucjptw ■世界平和統一家庭連合 NEWS ARCHIVES https://www.ucjp.org/ 【関連動画】天一国の歌 改訂版【世界平和統一家庭連合】 https://youtu.be/X_w19D-sTps 聖歌1番「復帰の園」【世界平和統一家庭連合】 https://youtu.be/jwSTYYJjgoU聖歌2番「聖苑のめぐみ」【世界平和統一家庭連合】 https://youtu.be/K76HlXESeQE一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.09.25
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これまでも真の父母様は、120ヶ国の世界巡回講演などギネス的な記録を樹立されてきた経緯もありますが、第一回目の100万希望前進大会前に私からは「もしかしてギネスへの挑戦? 9日、’オンライン100万希望前進大会 '」(2020.08.06)といった記事を書いていました。実際とは異なるでしょうが、8月のオンライン(事前の参加予定者やFacebook登録者等の集計だと思いますが)でユン・ヨンホ世界本部長は100万を超え、さらには、数ヶ国がテレビ・ラジオで放送してその視聴者数が億を超えたと話していました。ところが、今回は天の父母様聖会はマジでギネスに挑戦しようとしているのではないでしょうか?!100万希望前進大会は8月は、9月、そして、11月、12月と予定されています。世界からどれだけの方々がオンライン参加されるか(特にはVIP参加、視聴)が大きな話題となっていくのではないかと思います。さて、今回9月27日AM9:30~スタートの「100万希望前進大会」ですが、映像視聴は1本の窓口に絞られ事前の会員登録が必須となっています。私の過去記事からは「【訂正】第2回 神統一世界安着のための100万希望前進大会の演説者(2020.09.27)」(2020.09.21)下部にてすでに27日の100万希望前進大会の映像視聴に当たっては事前の会員登録が必要であることを紹介していましたが、今日付けで家庭教会総務からも以下の連絡がありました。▲PeaceLink.Liveログイン後の画面は以下です。教会メールから:※googleアカウント(Gメール)をお持ちの方は(2)から会員登録するとスムーズに出来ます。来たる9月27日にオンラインで開催される第2回希望前進大会に関して、インターネット生中継を視聴するためには、専用サイトである『ピースリンク(PeaceLink.Live)』 (http://peacelink.live)を通じてのみ実施される予定です。したがってピースTVやyoutube等、その他のサイトを通じた生中継は、行われない予定です。つきましてはピースリンクを通してインターネット生中継を視聴するために、下記の方法で事前にピースリンクの会員加入を進めてください.この会員加入をしない場合,インターネット生中継を視聴することができませんのでご注意ください。 記 (1) eメール認証によるピースリンク会員加入方法1. ピースリンクのサイトに接続。 (http://peacelink.live)※9月27日大会までは、ピースTVのサイトからもピースリンクへの接続が可能です。2. 画面右上の[会員登録]ボタン、もしくは[ログイン]ボタンをクリック。[ログイン]ボタンを押した場合は、左側下段にある[会員登録]ボタンをクリック3. 各項目に入力① eメールアドレス(ピースリンクでの会員IDになります。)② パスワード (任意の英数字、8桁以上)③ 姓、名④ 性別 (男性、もしくは女性を選択)⑤ 生年月日(年は西暦で数字を記入、月と日は選択)⑥ 国家 (Japanを選択)⑦ 利用規約、個人情報の収集及び利用、メールニュースの受信に同意(□にチェックを入れる)4. 登録ボタンをクリック5. 上記①に記録したeメールを受信して、確認のeメールが来ているか確認してください。 (題目:'***様、PPEACELINK アカウント認証を確認してください')6. 受信されたeメールで確認 (受信したeメールにある画面下端のリンクをクリックして、eメールアドレスを認証してください。)7. ピースリンクのホームページでログイン。(2) eメール認証(Googleアカウント認証) によるピースリンク会員加入方法※Gmailアドレスを持っていて、ピースリンクにそのGmailでログインする場合1. サイトに接続 (http://peacelink.live)2. ログインボタンをクリック3. [Googleでログイン]ボタンをクリック4. ポップアップしたウィンドウでGoogleアカウントにログイン5. ポップアップしたウィンドウが閉じて、メインウィンドウで追加情報記録の確認① 会員ID(Google登録メールアドレス)の下に記録されている名前を確認(Googleアカウントに連動)② 性別を選択③ 生年月日を入力④ 国家の選択 (Japanを選択)⑤ メールニュースの受信に同意6. 「変更する」のボタンをクリック。7. ログインになります。 以上一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.09.24
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子羊さん記事◆「(それでこそ真のアダム)お父様はお母様を真の愛をもって保護された」から非公開になった私のコメントtomy4509 id:tomy39742020/09/20 08:29何度でも申し上げますが、「真のお母様=堕落エバ」の解釈については大間違いです。 「『祝福家庭と理想天国』第2章 5、イエス様の祝福とキリスト教思想」末尾からの引用(以下)です。 -----(引用) イエス様が、母マリヤの前に立って、三度痛哭しながら訴えたということを知らなければなりません。イエス様が三十歳になるまで、母マリヤは哀訴を聞き入れなかったので、(イエス様は)ふろしきを背負って家を出て、公生涯の路程を出発したのです。 それでは、母マリヤがすべきことは何でしょうか。イエス様に妻を迎えることのできる相対的因縁を整え、歴史的基盤を備えなければならないのです。イエス様がそのような基盤を完結するためには、母子協助をして、息子が恨みの多い道を行くに当たって、母親がすべての責任を負うべきなのです。そして、イエス様の新婦を選び出してヨセフ家庭の基盤の上に、神様を中心とする聖婚式を挙げるべきでした。ところが、それが夢と消えてしまったのです。マリヤ自身は、生活問題、自身の相対問題に縛られ、暮らしていくのにきゅうきゅうとしていたのです。(56) これまでの、母子協助は、息子を探し求めるためでした。マリヤはどんな存在だと言いましたか。「僕です」。(マリヤは)息子を生みましたが、僕の体で生んだのです。ですから、イエス様には、新婦がいなければなりません。創造の原則に従って女性を創造しなければなりません。イエス様はアダムの立場で、失われたエバを探し出さなければなりません。そうしてこそ、結婚できるのです。 ところが、イエス様はエバを探し出しましたか。探し出せませんでした。ですから、イエス様は再び来なければなりません。再び来て妻を迎えるのです。妻を迎えられずに死んだので、結婚するために再び来るのです。イエス様が妻を迎えるという思想はキリスト教の思想です。(笑い) ゆえに、再臨の主が来られるときには何の宴会が催されると言いましたか。「婚姻の宴会です」。婚姻の宴会とは何ですか。婚姻の宴会とは嫁ぎ、めとるという意味です。婚姻の宴会とは結婚の宴会です。そうですね。「はい」。こんな話をすると異端だと大騒ぎをします。(キリスト教徒は)無性にねたましくなるのです。 婚姻の宴会、すなわち小羊の宴会をしようとするならば、イエス様の新婦が必要です。新婦を探し出さなければならないのです。【その新婦とは誰かというとエバなのです。堕落する前のアダムと共にいたエバなのです。再臨の主は三人目のアダムです。イエス様は二人目のアダムであり、その後来られる主は三人目のアダムなのです。そして、三人目のアダムが堕落前のアダムの立場で来て、堕落前のエバを探し出さなければなりません。堕落していないエバを探し出して、小羊の宴会をしなければなりません。結婚して人類の父母となるのです。】 人類の父母となるはずだったアダムとエバが堕落することによって悪の父母となりました。したがって、私たちが堕落する前の善なる父母をもつようになれば復帰は完成します。それゆえ、人類には、善なる父母がいなければなりません。小羊の宴会をするのは、善なる父母として即位するためです。キリスト教思想は簡単です。これがキリスト教思想の骨子なのです。(36-263 1970.12.6 韓国 前本部教会) -----(引用終わり) この中の「その新婦とは誰かというとエバなのです。堕落する前のアダムと共にいたエバなのです。再臨の主は三人目のアダムです。イエス様は二人目のアダムであり、その後来られる主は三人目のアダムなのです。そして、三人目のアダムが堕落前のアダムの立場で来て、堕落前のエバを探し出さなければなりません。堕落していないエバを探し出して、小羊の宴会をしなければなりません。結婚して人類の父母となるのです。」ですが、「第3アダムは堕落前のエバを捜し出して小羊の婚宴をする」と、子羊さんの持論とは真っ向から違っています。この場合、「お父様のみ言」と「子羊さんの持論」とではどちらに軍配を上げるべきですか? 子羊さん、今回も私のこのコメント(お父様み言)も非公開とされてご自身の持論を押し通そうとされるのであれば、子羊さんの持論そのものにもはや「正論」はありません。 ◆子羊さん曰く「私のブログ記事が、御言葉によって間違いであるなら今日にでも閉じる」https://plaza.rakuten.co.jp/peace3world/diary/202009010000/ は、子羊さんあなた自身の宣言です。真摯な対応をお願いします。 【追記】 子羊さんは「777家庭ではない」と明言されていました。 「777先生」と呼ばれる方もいますが?一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.09.24
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アベル平和国連創設大会2007年9月23日 米ニューヨーク マンハッタンセンター2007年9月23日、真の父母様はニューヨーク・マンハッタンセンターでアベル平和国連を創設された天宙平和連合(UPF)を母胎に発足したアベル国連は、国連加盟国の政治、経済、コミュニティ、宗教指導者たち民間人の身分で参加している世界的民間国連です国連加盟国より一国(パレスチナ)が多い193ヶ国の超宗教・超国家代表者が参加したまた、天国に入る一つのビジョンとして’神様の下の人類一家族(One Family Under God)’を掲げられた天一国・真の父母経より:真の父母経 - 第8篇 - 第3章 - 第1節 国連刷新運動アベル国連と国連刷新の方向性真の父母様は、世界平和は自国の利益だけを代弁する既存の国連では不可能であると考 えられ、「超宗教指導者たちを中心とした上院を置く組織に改編しなければならない」と語られた。既存のカイン圏の国連を補完するアベル国連の創設を提唱さ れたのである。そして、二〇〇七年九月二十三日、アメリカ、ニューヨークのマンハッタンセンターで、元国家首班など、会員国の代表千二百人以上が参加する 中、アベル国連創設大会を開催された。真の父母様は、カイン国連と対比されるアベル国連として、女性国連、青年国連、学生国連、宗教国連などを提示された。そして、特に、真の父母の心情をもち、真の父母国連をつくって人類を抱くとき、地球村一家族理想の具現が早まると考えられたのである。真の父母様は、 二〇一二年七月十六日、京畿道加平郡雪岳面の清心平和ワールドセンターにおいて、アベル女性国連を創設された。15 今から、私がアベル国連をつくります。「世界平和島嶼国家連合」、「世界平和半島国家連合」、「世界平和大陸国家連合」までつくりました。ここに加入した 国の指導者たちが、「国連を信じないで、私たちがアベル国連をつくりましょう!」と言えば、世界はどこに付いていくと思いますか。その目的は、青少年と家庭を教育することです。世界を生かさなければなりません。そのように教育することによって、平和が広がるのです。政治をするのではなく、教育をするのです。16 アベル国連を宣布しなければなりません。迫害があっても何があっても、アベル国連の旗を掲げて立ち上がるのです。天下の津々浦々で、主人のいなかった所に 主人が一時に現れ、主人を嫌う人々を連れて峠を越えていくのです。そうして、天国に行けるようにする訓練場に放り込むのです。今や、命令を聞かざるを得ま せん。そのように広く、大きな門を開いておき、歓迎してもてなす、そこに入ってきて修練を受けなければならないというのです。17 世界を収拾できる人は、お父様しかいません。お父様が数年間でそのようにしたのではありません。神様が数千年前から計画してメシヤを送られたように、再臨時代を見つめながら、その準備をしたのです。ですから、世界がお父様を否定できません。霊界までコントロールするのです。そのように完璧な準備をしたあと に、国連を収拾するのです。お父様は、国連やヨーロッパの先進国を通してアジア全体を動員し、その準備をしています。それが終われば、アベル国連が現れる のです。アベル国連は、第二次世界大戦の時に世界が一つになったのと同じような新しい世界を中心として、宇宙を越え、神様をお迎えする団体になるのです。ですから、十分な準備をしてあげれば、一つの方向に収拾されて、世界が天宙と共に一つにならざるを得ません。18 これからはアベル国連が必要です。アメリカが(このまま)じっとしていることはできません。日本と韓国、中国、ロシアも、じっとしていることはできませ ん。ですから、アベル国連の決定的な基盤を築かなければならないというのです。それを築こうとすれば、最も効果的な所はアメリカのワシントンDCではな く、ヨーロッパのスイスにあるジュネーブです。スイスは小さな国です。政府の体制も、連合的な責任者たちが一年ずつ責任をもち、交替しながらうまくやっています。「いやあ、このような所もあるのだな!統一教会員たちも学ばなければならない。そして、訓練場所に適した所がここだ」と思いました。これまで、交叉結婚をして連合体制をつくることができる所、そのような主人になれる所を探し求めていたのですが、ジュネーブがそのような所です。怨讐関係にある人々も、額を突き合わせ、互いに挨拶をしながら生きているというのです。ですから、交叉結婚さえすれば、本当に一つの家族になるだろうと感じ ました。19 アベル国連は、カイン国連に対して闘争を仕掛け、打ち倒すのではなく、精誠の限りを尽くして、付いていかざるを得ないようにしなければなりません。今、国 と国がすべてカインとアベルの二つの群れになっていますが、カインは、アベルである天の一族に付いていきながら、絶対信仰、絶対愛、絶対服従をして万物を 造ったその基準の上に上がらなければなりません。統一教会よりもさらに忠誠を尽くさなければならないのがカイン世界です。カイン国連がせざるを得ないのです。今までどれほど誤っていたかを理解し、 アベルのために血を流しながら、アベル個人時代、アベル家庭時代、アベル氏族時代、アベル民族時代、アベル国家時代、アベル世界時代まで、ために生きなけ ればなりません。唯物論者や共産主義者たちが現れて、「神は死んだ。神はいない」と言いながら、唯心世界を追い出そうと、ありとあらゆることをしました。しかし、追 い出すことはできませんでした。それを防ぐ父母様がいるので、できなかったのです。それを真の父母が来て収拾したので、真の父母の血統をそのまま受け継 ぎ、未来の国家と世界がさらに繁栄できる起源をつくらなければなりません。皆さんの家庭がつくらなければならないのです。20 私たちは、各国から国連に派遣された要人たちと一心一体となって、国連に協助すると同時に、彼らから「アベル国連に加入する」という決意文と決意書を受け取らなければなりません。父母様は、アベル国連とすべての平和機構を中心として、韓半島に平和地域をつくるための準備をしています。北朝鮮の困難な情勢を鎮めるためには、早急にアベル国連を韓国につくらなければなりません。そうすれば、韓国と北朝鮮の境界線全体が、全世界の国々が保護できる地域になるのです。21 アベル国連をつくらなければなりません。これを、板門店の平和地帯内に設定するのです。父母様は、第三イスラエルである韓半島に立てることを準備してきました。その最後を締めくくるためのものが、二〇〇三年八月十五日「世界平和のための頂上会議」で発表したソウル平和宣言、すなわち第三イスラエル宣言で す。第一イスラエル、第二イスラエル、第三イスラエルが定着する時代なので、アメリカまでもそれに協助し、周辺国家も協助しなければならないというのです。22 アベル国連とカイン国連を一つにしなければなりません。そうして、平和国連を中心として、統一的な大家族を拡張した一つの国家形態の世界に戻ってこそ、地 上・天上天国が成就されます。アダム時代の、堕落の痕跡がない愛の定着時代を、世界の頂上の位置で回復して合わせる場なので、天地の解放圏時代になるとい うのです。23 アベル国連の設定は、カイン国連を包摂するためのものです。今、国連自体が私たちに反対していますが、知らないのでそのようにしているのです。私たちは、国連の行く道を保護しなければなりません。アベル国連が兄の立場に立って、父母様がもったすべての権限を譲り渡すことができ、兄のものま でも譲り渡すことができる心さえもてば、一瞬にして世界的なものになるのです。そうして、その峠を越える活動をして、平和国連を設定しなければなりませ ん。平和国連というのは、一つになったものを意味します。「国連」という言葉には国家という概念が存在しますが、「アベル国連」という言葉には、国家の概念、国家連合の概念はなくなるというのです。ですから、平和統一世界に越えていくのです。地上には国が一つでなければなりません。今、世の中には王権の制度もありますが、大統領制もあります。サタン世界の王権が倒れて兄弟時代に入り、今 や家庭を中心とした王権時代から、国家・世界・天宙王権時代に越えていくのです。そのため、平和王権世界を望む統一教会のすべての制度は、これからアベル 国連圏に入っていくのです。24 平和国連は、カイン国連とアベル国連が一つになったということです。カイン国連は、既に無力な国連になりました。神様のみ旨の中で、世界に平和の基準を立 てられる条件がありません。そのような時が来たので、初めてカイン国連とアベル国連が一つになった平和国連が現れたのです。カインとアベルが一つになり、 真の父母を中心として、滅びる国連ではなく、世の中を救い得る国連の位置に来たので、平和国連が現れるのです。25 国連というのは、遠い国のことではありません。「私の国」です。その上に「私」が立たなければなりません。国連の主人です。アダムとエバが国連の主人です。神様もそうです。その位置に上がらなければなりません。平和国連を父母様が主張していますが、皆さん各自のものとして受け入れなければなりません。父母様が苦労してサタン世界に自然屈伏の環境をすべてつ くったので、そのつくってあげた環境に秩序を立て、自由平準化させて幸福の礎となり得る世界の代表機関をつくらなければなりません。それが平和国連です。 天の国にある王権の中心基盤です。それを父母がつくったのではなく、自分がつくったと考えなければなりません。自分のこととして受めなければならないとい うのです。26 平和国連のためには、まず家庭が結束しなければなりません。家庭がなければ、サタン世界のカイン国連基盤を対等の立場で越えていくことができません。ですから、家庭が連合した国家形態がなければなりません。単位が家庭だというのです。それゆえに、祝福家庭、世界の家庭を中心として、国家を越えた基準で平和 国連を立てたというのです。これは、驚くべき事実です。27 アベル国連は、父母国連にならなければなりません。カインとアベルが一つになって、統一されなければならないのです。和合、統一、平和が実現されなければ なりません。和合できない人は、統一がありません。そのような意味で、アベル国連ではなく、父母国連にならなければならないのです。父母国連の王が真の父 母です。28 これからカイン国連時代を通過し、アベル国連時代を通過して、真の父母国連の時代に越えていくのです。二つの国連が闘う時代ではありません。真の父母を中心とした、新しい平和統一のための真の父母国連時代です。29 今や個人から全世界が父母国連を中心とした、新しい世界に越えていかなければなりません。その時は、天の国の法が出てこなければなりません。憲法時代に入るのです。法のない暮らしをして、自分勝手に行動していた時代では駄目です。ですから、それを実践しなければなりません。父母様が歩んできたその道を中心として、皆さんも同じ歩み、同じ峠を越えて、同じ世界に入らなければなりません。開門した天国の世界で、地獄の門と天国の門の二つの門ではなく、一つの門に決定されるのです。30 今や、カイン・アベル国連ではなく、父母国連の時代に越えていかなければなりません。父母国連は、カイン・アベル国連を知ってこそ、父母国連の役割を果たすことができます。その教育を今、始めました。ですから、責任分担解放・釈放圏宣言教育です。責任分担解放圏宣言を教育しなさいというのです。それゆえに、神様が神様の役割を果たし、真の父母が 真の父母の役割を果たし、神様と真の父母と一つになって、真の家庭の役割を果たすことができるのです。真の氏族、真の民族、真の国家、真の世界に進むこと ができます。真の父母様の「真の愛平和統一祖国光復」は、「父母国連天国の国実現」だということです。その一言に、すべてが含まれます。神様の祖国がありませんでした。真の父母様が探し求めている平和統一祖国光復は、真の父母様の国連天国です。その国のために、総動員しなければなりません。31 私たちがしなければならないことは、「世界平和連合」、「世界平和宗教連合」、「世界平和女性連合」、「世界平和青年連合」を国連に加入させることです。 これらを国連に加入させれば、統一の世界に越えていくのに問題がないというのです。「世界平和女性連合」は強力な団体です。一つしかありません。したがって、お母様を中心として完全に一つにならなければなりません。お母様が中心なので、女性連合が国連に入っていけば、これは問題ないのです。ファーストレディーたちが女性連合の会員として国連に入っていくようになれば、統一国連は問題ないというのです。国連は根がなく、国もありません。 お母様が、指導者世界、政治世界、大学世界、そして、若者の世界を率いています。世界のファーストレディーたちが女性連合の会員になれば、そのファースト レディーを自動的に国連大使として送るのです。32 女性国連が展開すれば、世界から争いがなくなるのです。本来、女性は争いを好まないからです。その争いを防ぐ指導者が、お父様です。争いをしてはいけない という論理をもって解説してあげられる能力のある男だというのです。そのようにできれば、一つになるのです。ですから、これから女性国連ができれば、各国 の大統領夫人、総理夫人たちがその国の女性国連の代表者になります。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.09.23
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今年4月初めには「天の父母様教団」ということでしたが、5月8日、正式には「天の父母様聖会」が発表されました。教団ということであれば、家庭連合から「天の父母様教団」への名称変更も考えられたでしょうが、「天の父母様聖会」ともなればまったくの別ものということになります。支流人の方々の中には何か誤解をしておられるのではないでしょうか?名称変更もしてないのに「旧・家庭連合」という記述(奇術)をしている方もいました。また、「天の父母様聖会」と家庭連合を同列で見ている方もあるようです。さて、PeaceTVホームページから5月8日のみ言を再確認したいと思います。http://www.ipeacetv.com/vod/vod_view.asp?vId=11603&mId=A01&page=1「天の父母様聖会」の出発天地人真の父母様天宙聖婚60周年記念特別集会 み言天一国8年天暦4月16日 (2020.5.8) 9:00 HJ天宙天寶修錬苑大聖殿会えて嬉しいです。3ヶ月ぶりですね。5月といえば一番美しい季節。希望の季節だと言います。数日前に私が天正宮(博物館)の庭でつつじ畑を散策していた時ですが、いつ来たのか蜂や蝶たちが踊って熱心に仕事をしている場面を見ました。その時私は、創造主・天の父母様を思いました。真の父母様の人類救援のマラソンと天一国基元節宣布その方には夢があり、天地万物を創造されて、このような美しい季節を人間のために つくってくださいました。しかし、人間始祖の堕落によって、天の父母様が天宙の主人であられるのに、その主人の役割をできませんでした。ご自身があまりにも長い6000年の期間を、自身のみ旨を知り得る人間を尋ね求められ、忍耐して待って来られました。特に今回のコロナの事態によって全世界の国々が国境封鎖をして、あらゆる面で一つになれないように自国を中心とした道に進んでいます。人間の努力と力ではこれ以上一つになれず、平和の世界が来ることができないということを見せてくれました。皆さんはどのように感じましたか?1960年は、天の父母様が待ちに待った地上の摂理を出発できる年です。1960年3月16日、この日は天の父母様が真の父母と一つになる日にならなければなりませんでした。しかし歴史を通して見る時に、救援摂理、蕩減復帰摂理は多くの過ちによって遅れてきました。特に再臨のメシヤという方、その方の責任はキリスト教基盤を通して完成できなければなりませんでしたが、そのようにできないまま1960年、真の父母は世界に向けてマラソンを始めました。世界を抱くために絶え間なく努力し、到底話すことのできない、言語に絶する血の涙の流れる死闘でした。54年間マラソンは続きましたが、2013年1月13日、基元節に天一国元年を宣布しました。そして3年間は真のお父様のため、天の父母様の前に、矜恤と赦しと愛を切に求めました。真のお父様の使命は地上で完成をしなければなりません。地上が先です。しかしそうなることができなかったのです。それで私は3年の侍墓精誠を捧げると話しました。3年後に、真のお父様にこのように話しました。「天の父母様の前に頌栄の対象として自由になってください。地上は私が責任を果たします。」地上が重要なのです。皆さんがきょう,私とともに息をして存在しているこの瞬間が、どれだけ重要なのか分かりません。今回のコロナの事態で皆さんは距離を置くことと多くの分別をしたことでしょう。皆さんの今の人生が、永遠なる天上の天一国の民として資格があるかを検討し、努力して反省し、悔い改めなければなりません。そして責任を完成すると誓う皆さんになることを願います。そのようにしますか?天一国安着と愛の実践摂理を知っている私としては、一刻の余裕もありませんでした。皆さんは感じ、見たことでしょう。ただ天の父母様だけが私の側にあられました。私が「7ヶ国復帰をしなければならない」と話した時、皆信じませんでした。私が「アフリカに行かなければならない、セネガルに行かなければならない」と話した時、全員が反対しました。しかし結果と結論はどうなりましたか? 勝利しました。勝利した土台の上で私は2020年、天一国安着を宣布しました。天一国安着です。定着ではなく安着です。宣布をしたならば、宣布として終わってはいけません。それで私はこのコロナの期間中、55日間深い精誠の祈祷を捧げました。天はこれ以上待てないということです。地上に私がいる間に、天の父母様に万民とともに栄華をもって侍って生きる生涯を見せてあげなければならないのに、遅らせることができないというのが結論です。天の父母様が夢見て来られたその愛の実践場は、天上ではなく地上です。見えない霊としておられる天の父母様が、見える完成した人間と一つになった真の父母の位置で、天の父母様として人類を抱いて愛し育てたかったのです。その夢を実践しなければなりません。これ以上天を待たせてはいけません。これ以上、人類が苦痛を受けて悟れる時間、長く見るべき時間は、私たちにはありません。そうであれば、私がすべきことは天の父母様に侍り暮らすべき天一国の民が、どのようにして侍り暮らさなければならないかを見せてあげなければならないのです。それで真のお父様の聖和後に私が天苑宮をつくると話した時、その準備がすぐに実施できませんでした。この世的な、人間的な、さまざまな障害物が多くありました。しかしいま決めました。2023年にこの美しい季節に天苑宮、特に天の父母様に侍ることのできる聖殿である『天一聖殿(천일성전)』を奉献して差し上げようと思います。昔、真のお父様がこのようなみ言を語られたことを皆さんは憶えているでしょう。「これからこのみ旨を知った世界の全ての人々が、いっぺんにどっと押し寄せて、釜山の沖合に遊覧船が絶え間なく連なるようになるでしょう。」これは言葉だけになってはいけません。実体的に成されなければなりません。そうであれば見せてあげられるものがなければなりません。それで私は拍車をかけます。この国の民が念願する南北統一に対して、私はずいぶん前から話しました。人間の頭と人間の努力ではいけないというのです。天の父母様に侍る位置にならなければなりません。この国が神韓国にならなければならないということです。それで拍車をかけるために5つの地区に分けました。少しでも多くの効果をおさめるためにそのようにしました。今回、国会議員選挙に皆さんは実力発揮をしましたか? この国は天の父母様がいらっしゃらなければならない国です。ところでみ旨を知らない政治家と、み旨を知らない民が、天の摂理の妨害となってはいけないのです。ですから皆さんが教育をしなさいというのです。摂理の真実の歴史を知らせてあげなさいということです。天の父母様聖会のもと、地上天国を実践しましょう幸いにも私の自叙伝が出ました。これを読む人たちの心がどのように変化しているか、皆さんはご存じですか? 私は皆さんから感想文をもらいましたが、平和大使や一般市民たちからも、もらいました。一人でも、この地に住んでいる民が、天の父母様を知らないということがあってはいけません。真の父母が分からなくてはいけないのです。ですから私は政界、宗教界、財界、思想界、言うまでもなくすべての人たちが一つの旗の下に集まることのできる『天の父母様聖会』として発表します。英語で言えば 'Heavenly Parent Holy Community’です。天の父母様の大きな傘の下、今まで私たちがして来たすべてのNGO、天宙平和連合、家庭連合、女性連合など、すべてのものが入って120%天の父母様を証さなければなりません。私は今まで選り分けられた摂理の真実を話すと言いました。天の父母様には天の父だけいらっしゃるのではなく、天の母もいらっしゃいます。この名称は天の母が中心になって世界人類を抱いて生んでくれるという意味があります。そのような大きな傘です。皆さんは立ち上がり、興奮して踊らなければなりません。いつ私たちにこのような日が来たのか!……(省略)……赤太字からは、家庭連合ほか天宙平和連合などの摂理機関全てが「天の父母様聖会」の旗の下に入るということです。そればかりでなく、政界、宗教界、財界、思想界、全ての人(全人類)がその旗の下に集まるといういうことを語られていたものでした。これまではキリスト教では神様を「天の父」と呼んでいましたが、神様は「天の父」だけでなく「天の母」もおられるということを文鮮明総裁夫妻は私たちの教えてこられました。原理解説(1952年)の時から神様を「天の父母」として説いて来られましたし、原理講論の随所にも「天の父母様」の記述を目にすることが出来ます。支流人の中にはそれを「知らない」方も多くいるようで、また、見たとしても「素通り」しては見なかったことにしておられるのではないでしょうか?それでは原理を深く知ったとは言えません。原理講論からは:「あくまでも神を父母として侍り」「神御自身が父母となられ」(総序)、「初めて父母なる神は」(創造原理)「天の父母なる神が幸福になり給うことができようか」(復活論)【後 編】「神の創造目的を、心情の因縁を中心として見るならば、神は、霊的な父母として、人間を実体の子女として創造されたのである。そして、最初に神の二性性相の形象的な実体対象として創造されたアダムとエバは、神の第一の実体対象として、人類の父母となるのである。それゆえに、彼らが夫婦となって子女を生み殖やし、父母の愛と夫婦の愛、そして子女の愛を表し、父母の心情と夫婦の心情、そして子女の心情によって結ばれる家庭をつくるようになっていたのであるが、これがすなわち三対象目的をなした四位基台であったのである(前編第一章第二節(三)参照)。」(第三節 イエスを中心とする復帰摂理)「サタンが人間を主管するようになってから、人間は神と対立するようになったので、神は子女を失った父母の心情をもって悲しまれながら悪逆無道の彼らを救おうとして、罪悪世界をさまよわれたのであった。」(再臨論)支流人の方々は「天の父母様」呼称を否定されては、「お母様は原理を知らない」などと批判していますが、果たして、どちらが「原理音痴」だといわれるのでしょうか?となれば、「天の父母様」や「天の父母様聖会」に対してはこれ以上なんの反論も出来ないのではないですか!!また、「天の父母様聖会 家庭連合」同様に、「天の父母様聖会 FPA」「天の父母様聖会 サンクチュアリ教会」となる日も遠くはないでしょう。お母様が5月8日に語っておられた「天の父母様には天の父だけいらっしゃるのではなく、天の母もいらっしゃいます。」ですが、これもまたお父様が16歳のときにイエス様とお会いされたとき既に悟られておられました。清平役事16周年記念の時のみ言(2011.8 TWJ)P.16~参照:https://plaza.rakuten.co.jp/peace3world/diary/201912110000/一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.09.21
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희망전진대회 [Rally of Hope]チャンネル登録者数 3480人ピースリンク(peacelink.live)オンライン生中継で出会う-神統一世界定着のための100万希望前進大会-午前9時30分、全世界が希望に向かって歩みだす瞬間新型コロナウイルス(COVID-19)による世界的なパンデミックと、それによって生じる国家的利己主義と個人主義によって、徐々に崩壊してゆく私たちの日常。天宙平和連合の共同創設者である韓鶴子総裁は、人間を中心とした考えと判断によって、この難局を乗り切ることが出来ないとし、「天の父母様(神様)と共に歩んでこそ、全ての問題は解決されます」と語る。その実践のために、2020年8月9日に開催された「神統一世界定着のための100万希望前進大会」の様子は、全世界にオンライン生中継され、約255万名以上が視聴した。この「希望の前進」の第2回大会が9月27日に開催され、また、以降の大会も年内に順次開催される予定だ。大会の生中継を通して伝えられる希望と感動の瞬間は、ピースリンク.LIVEの特設ページを通じて視聴することができる。 8月27日、第1回希望前進大会全景第1回の希望前進大会には韓鶴子総裁をはじめ、大韓民国国家気候環境会議委員長である潘基文(パン・ギムン)前国連事務総長、セネガル共和国のマッキー・サル大統領、カンボジアのフン・セン首相など、11名の平和を愛する前・現職の世界的指導者らが参加した。<スピーカーの主要メッセージ>韓鶴子 天宙平和連合共同創設者共生・共栄・共義です。統一された人類一家族の共同体。その中心に天の父母様がおられれば、全ての問題は解決されます。 潘基文 大韓民国環境会議委員長、前国連事務総長国籍、文化、人種、宗教、そして政治的背景を越えて、私たちは人類一家族です。互いに尊重し、共に歩んでこそ、世界平和と韓半島の平和統一は成し遂げられるのです。 マッキー・サル セネガル共和国大統領天宙平和連合が示しているように、コロナウイルスによる危機は、自己中心的な活動ではなく、相互協力と人類愛を通してのみ克服することができるのです。 フン・セン カンボジア首相私たちは共生・共栄・共義の価値を向上させ、調和と平和によって共存し、社会における信仰、宗教、文化の多様性を尊重しなければなりません。 ニュート・ギングリッチ 元米国下院議長私たちは、国境、民族、宗教を超え、政治的見解と意見の相違を乗り越えることによって、より良い世界を後世に残すことができます。 ポーラ·ホワイト 米国大統領宗教特別顧問神様を私たちの心の中に真心をもって迎えるのならば、私たちはこの危機を必ずや克服し、繁栄することができると確信しています。 ブリジ・ラフィニ ニジェール共和国首相宗教間の対話と協力において、人種と文化、宗教と思想を超越した、全ての人々が受け入れることができる普遍的価値が持つ重要性を認識しております。 伊達忠一 日本前参議院議長 今日ほど、文総裁、韓総裁ご夫妻が説いておられる「共生、共栄、共義」の精神が切実に必要とされる時代はありません。 ジミー・モラレス 前グアテマラ共和国大統領韓総裁が示されるように、相互連帯、公正、平等、正義を実現し、「真の愛」を隣人に施さなくてはなりません。 スティーブン ∙ ハーパー 元カナダ首相私たちはゼロ・サムゲームをするよりも、相互の必要性を正しく理解し、共に相互繁栄することができる関係を構築し、共通の価値の実践のために尽力しなくてはなりません。 アルフレッド・モイシウ 元アルバニア共和国大統領人類が後世の前に、平和と団結の遺産を残そうとするのであれば、政治、学術、青年学生等、すべての分野を網羅する各界各層の協力が必要です。第2回 神統一世界安着のための100万希望前進大会9月27日(日) 午前 9:30参加方法: ピースリンク.live 会員登録完了後に視聴可能神統一世界定着のための100万希望前進大会組織委員会一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓ オンライン100万希望前進大会参加には、PeaceLink(https://www.peacelink.live/)右上から事前の会員登録が出来ます。googleアカウント(Gメール)のある方は、「ログイン」から進んでいただくとよりスムーズに会員登録が出来ます。
2020.09.21
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2020.09.21
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オンライン100万希望前進大会「第2回 神統一世界安着のための希望前進大会」が9月27日に予定されいます。9月27日AM9:30からのオンライン映像はPeaceLink(https://www.peacelink.live/ja/)からどなたでも参加できます。100万名オンライン映像参加に当たっては、事前の「会員登録」が必要のようです。Googleアカウントでのログインも可能となっています。PeaceLinkホーム右上の「ログイン」または「会員登録」よりお進みください。※以下はログイン後のLIVE配信予定画像です。世界9ヶ国語でオンライン同時通訳で配信されます。多くの方々の関心と拡散を希望します。なお、「第1回 神統一世界安着のための希望前進大会」のビデオ映像はPeaceTVホームページ(こちら)から視聴できます。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.09.19
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HJグローバルニュース (2020年 9月 19日)HJ PeaceTVチャンネル登録者数 1.36万人1. UPF創立15周年記念グローバル危機克服のためのオンライン「ビジョン2020国際指導者会議」2. 世界ニュース- 文鮮明天地人真の父母天宙聖和8周年記念行事(神統一韓国論定立のためのカンファレンス / 第6回 孝情汽笛の音ミュージックコンサート)- 平和運動(世界平和女性連合:ボランティア活動、マスク寄付) - 青年活動(神韓国CARP孝情機動団:YouTubeチャンネル「孝情ヒーローズTV」を開設、「2020オンラインピースカップ」開催、訪問礼拝と修練会開催 / 神韓国IAYSP:ピースデザイナーアッセンブリープロジェクト / イタリアCARP&WFWP:希望コンサート / 天一国国立大学士官学校開講「真の父母様の生涯と思想」教育実施)- 神氏族メシヤ活動(コートジボワール:神氏族メシヤ祝福式 / ジンバブエ:7日修練会)■日本語http://www.ipeacetv.com/vod_view/11900■ 真の父母様のみ言(2020.9.4)http://www.ipeacetv.com/vod_view/11883■ ピースロード2020統一大長征 総合報告http://www.ipeacetv.com/vod_view/11885一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.09.19
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郭錠煥教(UCI)のサマリヤ人さんの記事「独生女の授ける祝福式は無効」には、大きな間違いがあることを指摘しておきます。み言葉 真の父母が真の父母の立場を完成したということは、息子の立場の完成にもなるのです。霊界に行こうが、地上に行こうが、同じ価値的内容を伝授、一体化させる役事をするのです。真の父母が霊界の長子である興進君を呼んで、このように祝福を受けた家庭を立てて共に統一的宣言をすることによって、先生が祝福してあげて今後興進君が祝福するのですが・・・。興進君がいなくなれば、顯進君がお父様の代わりに祝福をしてあげることができる時代に入るのです。(『祝福移譲』宣布, 2000.9.24) 結婚が何かと言うと、血統を伝授してあげるのです。自分の父母が今まで伝授した全てを皆そっくりそのまま伝授してあげるのです。協会で行うことは、方向が狂わないように方向を掴んであげるのです。方向だけ掴んであげるのであって、祝福は直接父母がしてあげなければなりません。(2001.1.4) 祝福家庭の中心が何ですか。祝福を誰がしてあげますか。父母がしてあげるのです。結婚式を誰がしてあげますか。結婚式というもの、自分の息子娘を中心として血統を合わせて父母に似るようにしてあげるその式を誰がしてあげるのですか。堕落しなかったなら誰がしてあげますか。父母がしてあげるのです。(2001.1.13)なるほど、これらはお父様のみ言であるかもしれませんが、果たして、文顕進氏にいつ「祝福権移譲」が成されたというのでしょうか? また、サンクチュアリの亨進氏にしても同様です。私の過去記事からですが文顕進様予定の祝福式(?)にも限界!!--gildong氏がコメント拒否権(2012.12.13)「祝福権移譲」と[祝福権委譲」では明らかに意味が異なります。確かに、真のご父母様は祝福家庭に祝福の権限を与えてくださいました。ところが、「移譲」と「委譲」の意味を調べてみると、移譲:権限や権利、財産などを他に譲り移すこと。「所有権を-する」委譲:権利・権限などを他の人・機関に譲って任せること。「執行権を-する」「祝福」は再臨主・真のご父母様の特権であります。祝福権移譲ということであれば、もはや、真のご父母様は全てを祝福家庭に譲り渡してそれをされないということになり、基元節の祝福式などされる必要はなくなります。一方、祝福権委譲ということは、その一部またはすべてを任せるということです。これまでの私たちの行ってきた祝福は、最終的には真のご父母様の祝祷を受けなければならないという条件付きのものでした。今回、文顕進様であっても、二世に対する祝福式もまた同様のことが言えます。最終的にはご父母様の祝祷を受けなければならないのではないでしょうか(!)個人の意見としてですが、参考にしていただければ幸いです。デマ・偽情報、「移譲」と「委譲」の文字のすり替えにもご注意ください。文顕進様には祝福権の移譲も委譲もなし!?(2012.12.16)三男さんの「祝福権移譲(委譲)」を義父・郭錠煥氏が否定していた(2017.06.28)「まるバツクイズ」--「祝福権委譲」と「祝復権移譲」について(2018.01.09)とあるように、「祝福権移譲」と「祝福権委譲」とでは大きな違いがあります。サマリヤ人さんは「祝福権移譲」の文字を使われていました。もしも、2000年9月に真の父母様から「祝福権移譲」があったとするならば、それ以降は真の父母様直接の「祝福式」はされないはずですが、史実はそうなっていませんでした。そうであれば、あくまでも(一部の権限の)「委譲」であって真の父母様の祝福権全てを「移譲」された方は誰一人としていないということです。また、サマリヤ人さんはところが最近、私は大変な思い違いをしていたことに気付きました。独生女が授ける祝福は当然有効だと考えていたのですが、原理的にはそうではなかったのです。祝祷権と執礼権は祝福中心家庭である限り「誰にでも」与えられたものですが、一つだけ条件があります。夫婦のどちらかが聖和することなく、揃って祝祷をするという原則のことです。アボジが霊界に行かれた真の父母の祝福は、この原則から外れています。「真の父母様の祝福だけが唯一無二の絶対権威である」と堅く信じる人は、これを聞いて笑い出したかもしれません。真の父母様は霊界と地上で一体なのだから、そんな決まり関係ないでしょう、霊界と地上で祝祷を授ける点にこそ、その素晴らしさがあるのではないですか?と。ここまで読んで、ハッと気付いた読者は勘が良いです。霊界の真のお父様と地上のお母様は、本当に一体なのでしょうか?そうです。これまで薄々感じながらも考えないようにしていた問題、分派がどれだけ騒ぎ立てても聞かないフリをしてきた問題が、ここでひっかかるのです。真の父母が一つでないなら、独生女の祝福は無効です。「夫婦のどちらかが聖和することなく、揃って祝祷をするという原則」それ自体も私は耳にしたことがありませんが、その真の父母様のみ言をどなたかご存知でしょうか?祝福家庭のどちらかが聖和すればその祝祷権がなくなるとなれば、その家庭の二世は祝福の道が閉ざされるということにもなります。そういった事情を持った二世祝福家庭もあることを思えば、サマリヤ人さんのそれは大きな間違いでしょう!!また、サマリヤ人さんほか支流人の方々は「聖和」ということに対しても大きな勘違いを(霊界そのものを否定)されておられるようです。黒・天聖経からも、ある夫人を霊的に見れば、その夫人の心の中に男性がいてそれが聖和した夫だ、というみ言もあります。お父様とお母様はどうなのでしょうか?!霊界のお父様と地上のお母様が一体でない、もまた、支流人らが流してきた「独生女批判」のためのデマ宣伝でしかありません。様々なお父様のみ言を引用しながらその不一致を立証しようと、支流人らは躍起になってきましたが、そのほとんどがみ言の歪曲・改ざんであったという結末を迎えていました。詳細は「真の父母様宣布文サイト」にても紹介されていますので、そちらで確認してください。【追記】さらに付け加えれば、「祝福」そのものが「(天の父母様の)血統」に関わるものです。お父様み言からも、「根、幹、枝」が一つにつながっていなければなりません。祝祷をしたからといってその「根」が神様と関係していなければ、それは「天側」に属しているとは言えません。今回お母様は「天の父母様聖会」を発表されました。「ワンファミリー・アンダーゴッド」です。一つの血統につながらなければならないでしょう。郭錠煥教(FPA)、サンクチュアリの血統(根)は同じですか?聖書には「バベルの塔」の話もあります。み言そのものもお父様のみ言と別の言語を語っているようです。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.09.19
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U-ONE NEWS 2020年9月18日号世界平和統一家庭連合公式チャンネルチャンネル登録者数 2.12万人○真のお母様(韓鶴子総裁)のみ言 「孝情ファミリーフェスティバル in OSAKA」(2017年11月21日 大阪・門真スポーツセンター)【要旨】天の父母様(神様)に侍る国として、「新」ではない、「神日本」、「神大阪」になるようにと祝福してくださいながら、神氏族メシヤの責任について語られた真のお母様のみ言です。○メインコンテンツ [1]「21日修練会もオンラインで!」(千葉中央修練所)新型コロナウイルス感染症拡大の影響で、千葉中央修練所の21日修錬会も開催することが難しくなりました。そこで5月からはオンラインの21日修練会が開催され、「オンライン21日修でもたくさんの恩恵を受けることができる」と、参加者からたくさんの証しを呼んでいます。千葉中央修練所の小畑守男所長に、オンライン21日修練会の概要や、これまでの千葉21日修練会とオンライン21日修練会との違いについて語ってもらいました。○メインコンテンツ [2]「UPF創設15周年 国際指導者会議」(9月11日~13日)アジア太平洋圏の各界指導者がオンラインで終結した同会議の模様をお伝えします。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.09.18
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ワシントンモニュメント大会1976年9月18日、米国ワシントンモニュメント広場1976年9月18日、真の父母様はワシントンモニュメント広場で米国建国200周年記念大講演会を開催されたこの日の広場には統一教会に反対する米国政府と宗教、言論界など総攻撃の中でも30万人が殺到したこれは米国の宗教集会では最大の人員である真のお父様は「神のみ旨とアメリカ」をテーマに神様の新しい啓示を伝えて、退廃的なアメリカ青年を求め、将来の指導者になる若者を導くためにアメリカに来られたことを明らかにされた「天一国経典・平和経」から:平和経 - 第九篇 国境線撤廃と世界平和 - 4. 神様のみ旨とアメリカ4.神様のみ旨とアメリカ日付:一九七六年九月十八日場所:アメリカ、ワシントンDC、ワシントンモニュメント広場行事:アメリカ合衆国建国二百周年記念講演会尊敬するアメリカ市民の皆様、そして世界の代表の皆様。きょう、神様のみ名によって、アメリカの独立二百周年を祝賀する歴史的なワシントン大会に、このように満場の盛況を博すようにしてくださったことを、心から感謝を捧げる次第です。神様のみ旨を実現できなかった中心的国々私はきょう、「神様のみ旨とアメリカ」と題してお話ししたいと思います。神様は、永遠、不変、唯一の絶対者であられるので、神様の創造目的も、永遠、不変、絶対的なものであり、一つの目的のもとに統一された単一理想世界を築くことでした。しかし、今日の現実は、統一ではなく、分裂と不調和の世界、すなわち個人において、心と体が分かれ、家庭、氏族、民族、国家、世界のすべてが分かれ、分裂と闘争で綴られた混乱の様相を呈していますが、ここには根本的に、ある大きな過ちが介在しています。その原因を、宗教では人間始祖が神様に背いて堕落したところにあると見ています。このような人間を救おうとされる神様は、人間を堕落前の立場に原状復帰するために、救世主、メシヤを送られるのです。したがって、救援摂理はすなわち復帰摂理です。堕落とは、人間が神様に背き、そのみ言を不信することによって、神様に似た人格と愛を具現した個人と世界を完成することができず、かえってサタンと組み、サタンの言葉に主管されることによって、サタン的人格とサタン的愛による悪の世界を形成したことなのです。したがって、原状に復帰するためには、反対にサタンを排斥し、失った神様を探して、神様のみ言に従順に従うことによって、天的な人格と愛を完成しなければならないのです。神様は最も公的な方であられ、サタンは、徹頭徹尾自己を中心とした私的な存在です。したがって、神様のもとに帰るための復帰の公式は、最終的に神様に似ることなので、徹頭徹尾私的なことを犠牲にし、公的なことを立てて、自己を中心とした利己主義から人のために生きる利他主義へと帰り、奉仕生活をしなければならないのです。公的な人は神様に似ているので必ず栄え、私的な人は神様に背いたので結局は滅びるのが天理なのです。人類歴史は、これまで闘争の歴史だったので、神様とサタンが人を奪い合う闘いでした。堕落によって悪の歴史が先に出発したので、闘いはいつも悪の側が先に攻撃して善の側を打ち、善は打たれながら守勢にまわりましたが、神様が善の側であられるので、いつも勝利を収めるようになり、結局は打たれて取り戻してくるようになったのです。第一次、第二次世界大戦の時にも、私たちが知っているように、先に打ったほうが結局は滅び、第三次世界大戦を云々している今日も、サタン側である共産国家が至る所で闘いを仕掛けていますが、結局は神側が勝利するようになるのです。復帰摂理のもう一つの公式は、メシヤを送られる前に、中心宗教と中心国家を立てて役事されることです。神様は先にイスラエル民族とユダヤ教を立てられ、その準備された基盤の上にメシヤであるイエス様を送られ、すベての人間が次第に彼と一つになるようにして善の版図を広げていき、世界復帰、すなわち天国の理念を具現しようとされたのです。アダムから四千年もかけて準備されたイスラエル民族とユダヤ教が、イエス様を迎えて一体となり、犠牲精神をもって神様のみ旨に従っていたなら、その当時すぐに中東圏とアジアを統合して西洋を連結し、全世界の地の果てまで急進的にみ旨を伝播することによって、神様の主権によって統一された地上天国を建設していたはずでした。しかし、イスラエル民族とユダヤ教が、このような使命を悟ることができず、責任を果たすことができなかったがゆえに、イエス様は十字架を背負うようになり、それによって地上天国の理念は実現されず、霊的にのみ救援を可能とする第二イスラエル型のキリスト教圏を形成するようになったのです。キリスト教の信徒たちがローマで四百年間、迫害と殉教の代価を払い、四千年の歴史を清算して勝利し、キリスト教を国教として立てるようになると、ローマが第二イスラエル型として神様の祝福を受け継いだのです。当時、教皇庁とローマは、いかなる犠牲も辞さずに、イスラエル民族とユダヤ教が果たせなかった復帰の使命を完遂し、神様を中心として全世界を結束させ、統一理想世界を建設しなければなりませんでした。しかし、教皇庁は、そのような重大な使命を悟ることができず、教権を乱用して腐敗が氾濫するようになり、教皇庁の威信は地に落ち、神様のみ旨から再び離脱してしまいました。これに反対して立ち上がった人本主義の台頭によって、宗教改革とプロテスタント運動が始まると、これに対する迫害と弾圧は日に日に激しくなっていきました。当時のイギリス国王ヘンリー八世がカトリックに反旗を翻し、議会に新しい法を通過させてイギリス国教会を立てましたが、これがヨーロッパ全域のプロテスタント運動を糾合する絶好の機会になりました。当時、イギリスが、「大英帝国の領土には日が沈むことがない」と言われたほどに大きく祝福されたことが世界のための祝福だったことを悟り、清教徒、プロテスタント運動をする人たちと一つになり、犠牲の先頭に立って復帰摂理を成し遂げてさしあげていたなら、その時に既に準備されていた基盤の上に超民族的な国家として、名実共の「ユナイテッドキングダム」が形成されていたはずでした。しかし、イギリスが責任を果たすことができずに彼らを迫害したので、彼らは国籍を超越し、神様のみ前に固く団結して、激しい迫害を避けてアメリカ大陸へと渡り、定着してプロテスタント独立国家を形成したのです。これが正に今日のアメリカが誕生するようになった摂理的背景です。今、キリスト教とアメリカは一致団結し、復帰の聖業を成し遂げてさしあげなければなりません。アメリカはここで結実した西洋文明を抱いて東洋文明と和合し、その上に中東を連結することによって一大統一文化圏を形成して、地上天国を完成しなければならないのです。摂理的責任を負うべきアメリカみ旨の主役であるアメリカは、まず神様の摂理の第一中心宗教だったユダヤ教と、ユダヤ教を引き継いだキリスト教と一つになり、新しい啓示を中心として「終わりの日」に神様のみ旨によって現れた統一教会と手をつないで、世界の宗教統一に立ち上がらなければなりません。ユダヤ教は旧約を中心としたみ旨の先祖なので第一世型の長男であり、キリスト教は新約を中心とした第二世型の次男であるとすれば、統一教会は約束を成就する「成約」の内容をもつ第三世型の末の弟です。この三つの宗教は、み旨の三兄弟なので、それらの母体であるイスラエルとアメリカと韓国は、み旨の三兄弟国となるのです。国連でサタン側の共産圏からこれら三国が同じように追われているのは、み旨の観点から見て、共同運命に置かれているからです。この三国が一体化して手をつなぎ、国連本来の使命と機能を回復し、内的には宗教を統一し、外的には世界統一を成し遂げなければなりません。「神様のもとの一つの世界」は、神様の永遠、不変、絶対の願いであり、目的なので、必ず成就されるのですが、まず宗教統一をしてこそ可能なのです。一人の父であられる神様に侍り、一人のメシヤのもとで「神主義」によって固く結束すれば、神様が共におられるので、世界復帰、すなわち地上天国の具現は時間の問題なのです。既に超民族的に結束したアメリカは統一世界のモデルなので、アメリカに与えてくださった神様の祝福は、アメリカだけのための祝福ではなく、同じ神様の子女である全世界の兄弟姉妹たちに分け与えるべき祝福であることをはっきりと知って、世界的に築かれたキリスト教の基盤の上に世界の主導国家としての責任を果たし、選ばれた国家としての使命を完遂しなければなりません。イスラエルも神様の期待に応えることができませんでした。ローマもそうであり、イギリスもそうでした。これからアメリカはどこへ行きますか。以前に摂理を担ったそれらの国の前轍を踏まず、いかなる犠牲も辞さずに、世界復帰の先頭に立って、統一理想世界、すなわち「一人の神様のもとの一つの世界」を成就する主役の使命を果たすよう悟らせるために、神様はレバレンドムーンをこの地に送られ、み旨を代弁させ、特にアメリカの明日に責任をもつべき主人公である青年たちを指導するようにと命令されたのです。アメリカは今、人種問題、青少年の淪落問題、キリスト教の没落と共産主義の問題など、様々な深刻な問題を抱えていますが、何よりも無神論に立脚した共産主義の脅威は最も深刻であり、この時間にも世界の各地で浸食してきているのです。これは、単にアメリカだけの問題ではなく、神様にとって、そしてすベての宗教人と自由世界のすべての人々にとって、深刻かつ切迫した問題です。皆様。今この時に、神様は悲痛に叫ばれています。神様が二千年間準備されたアメリカは、大きく覚醒し、神様が仰せになった重大な世界的使命を果たさなければなりません。そのためには、最終的にアメリカが徹頭徹尾、「神主義」に帰り、共産主義を克服し、共産世界を解放し、地上天国建設の旗手にならなければなりません。アメリカはきょう、覚醒しなければなりません。あすでは遅いのです。私は、アメリカを尊敬しているだけではなく、本当に愛しています。神様が愛で祝福され、み旨成就の主役として準備された偉大な国、アメリカが第三世紀へと向かう大きな歴史の入り口にいるので、私たちは共に、全能の神様のみ前に、絶対に失望させず、神様の本然の願いをかなえてさしあげることを固く誓いましょう。きょう、この神聖な場で、みな共に地上天国の礎石を据えましょう。神様の摂理の同参者、また天国の開拓者として立ち上がりましょう!統一を願う働き手たちよ、きょう、この場とこの歴史的瞬間は、私たちにとって献身の場であり、決意の時間です。私たちの汗と血と命を捧げて神様の召命に応えようとするなら、正にこの場、この瞬間に、天と地と人類の前に誓い、地上天国を私たちの手で成し遂げることをもう一度表明しましょう!神様の祝福が皆様と皆様の御家庭とこの美しいアメリカに永遠に臨むことを願いながら、私のお話を終えようと思います。多くの御家庭が参加してくださったようです。皆様、ささやかではありますが、今夜、花火を皆様の御家族と共に楽しんでくださることを願ってやみません。皆様の御健康をお祈りいたします。ありがとうございました。 一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.09.18
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ニューヨークのマディソンスクエア・ガーデン「希望の日」大講演会1974年9月18日、米国ニューヨークのマディソンスクエア・ガーデンにて1974年9月18日、真の父母様はマディソンスクエア・ガーデンで「希望の日」大講演会を開催した1973年10月から1974年12月まで米国50州全ての州で開催された「希望の日」大講演会のなかでマディソンスクエア・ガーデンでの大会では三万人の市民が殺到して、当時、米国宗教集会では新記録を樹立した大会が開催されるまで共産主義者と既成の信徒たちの絶え間ない反対デモがあったが、2万人の市民は座席を確保できず家に帰っていかなければならなかったように米国社会では大きな反響を起した出来事だった「御旨と世界」より:キリスト教の新しい未来1974年9月18日 ニューヨーク マディソン・スクェア・ガーデン 紳士・淑女の皆様、私は今夜この場に立ちました皆様に心から感謝申し上げたいと思います。私達はこうして今夜、このマディソン・スクェア・ガーデンの印象深い情景の中に、神の名の下にひとつに集わしめられたのであります。 今晩、私は「キリスト教の新しい将来」と題して語りたいと思います。しかし、その本論に入る前にひとつの前置きしておきたいと思います。私は皆様がすでに知っておられるようなことをくり返し言うためにこの場にやって来たのではありません。私はある新しいことを明らかに示すためにやって来ました。私は、神からの新しい啓示を皆様に分かちたいのであります。 神は唯一であり、キリストは唯一であり、聖書は唯一であります。しかしながら、今日、キリスト教界ひとつとってみても、そこには、四〇〇種以上の異った宗派があり、それらはすべて同じひとつの聖書を、非常に違った観点から、様々な解釈をもって見ているのであります。そせて、今日の我々の関心事は、もはや、聖書に対する人間の解釈ではなく、神のどのように聖間を説かれ、何が本当の神のみこころであるか、ということになってきています。この問題に対する解答は神から啓示というかたちでもならされなければなりません。その啓示を、私は今夜、皆様に分かちたいのであります。 このメッセージは、神から来たものであり、神の観点より示されたものでありますから、その内容は、人間の理解してきたものとは、違ったものであって、当然と言えましょう。故に、それは皆様にとって、きわめて新しいものであると思います。しかし、我々が必要としているのは、新しい思想――神の思想――なのですあります。なぜなら、人間は、すでに、自らが創りあげた思想のすべては、研究し尽してしまったからであります。私が今夜、皆様にお話するために、この場にやって来ました理由は、ここにあるのです。故に、私は、神の霊が直接、皆様に語りかけることが出来ますよう、皆様ひとりひとりが、思いをひらき、心をひらいて下さるようお願いするものであります。 神の目的 歴史を通して、世界のクリスチャン達は、ひとつの重大な絶頂の日、すなわち、聖書に預言されているところの主の再臨の日を待ち望んで来ました。これは、神の約束でありますから、キリストの再臨は、必ず成就されるのであります。 では、何故主は、再び来られるのでしょうか?彼は、神の目的を成就するために来られるのであります。では、神の目的とは何でしょうか?神は、永遠であり、不変であり、唯一であります。そして神は一つの目的を持たれ、その目的も又、永遠、不変、唯一なのです。神ははじめに、すなわち、全天宙を創造される前に、ひとつの明確な目的を持っておられました。そして、その目的が、創造の根拠であったのであります。神は、その目的を成就するために、宇宙と人間の創造を始められたのであります。 聖書によると、はじめの男と女-すなわち、アダムとエバが創造された後、神は、彼らにひとつの戒めを与えられました。その戒めとは、「善悪を知る木からは取って食べてはならない。それを取って食べると、きっと死ぬであろう。」-創世記二章十七節-というものでありました。神は、彼らに、御自身の与えられた戒めに従うよう求められました。神は、アダムとエバのこの戒めに対する従順が、神御自身のの目的成就につながるということは、暗示としてしか示されなかったのでありますが、戒めに対する不従順の及ぼす結果については、非常に明確に示しておられました。神は、「それを取って食べるときっと死ぬであろう」と言われたのであります。不従順の結果として示されていたものは死でありました。 しかるに、アダムとエバは、神に対すて不従順を犯してしまいました。その結果が、人間の堕落であります。霊的死が人間に訪れ、神の目的は実現されなかったのです。彼等は、誤った選択をなし、その結果として生じたものは、神が、はじめに意図されたものとは、全く逆のものでありました。彼等が不従順を犯した後、神は、この男と女をエデンの園から追放する以外、仕方がなかったのでした。エデンの園は、地上の神の国の象徴的表現であります。アダムとエバは、もはや、神の国の住民としての資格を喪失してしまったために、自ら創り出した邪悪なる王国、すなわち、生き地獄に投げ入れられてしまったのであります。 地上天国 もし、アダムとエバが、神に従順に従ったならば、彼らは、地上に天国をもたらしたでありましょう。その天国とは、どのようなところなのでしょうか。アダムとエバは、完成されるべきものとして創造されました。そして創造されました。そして彼等は神の戒めに従うことにより、成長し、完成するようになっていたのです。彼等が、完成された男性と、完成された女性になるまでの成長期間に於いては、彼等の関係は、兄妹の関係でなければなりませんでした。彼等は、兄弟関係というものの真の伝統を立てるべく期待されていたのです。 神は一人の男と一人の女を創造されました。何故でしょうか? 神は、彼等が完成の基準に達した時に、天的婚姻という祝福によって、彼等を天的夫婦として一つにすることを願っておられたのです。神は、神の国を、このアダムとエバを最初の夫婦として立てて、出発しようと計画しておられたのでした。もし、それが実現されていれば、神の“生めよ、ふえよ”という祝福は、成就されたはずであります。神は、彼らに、神の子を生みふやす力を与えられたはずであります。そしてそれらの子供達は、罪なき完全なものであったはずであり、それ以外の何ものにもなり得なかったはずであります。罪は決して、人類の中に入りこむことはなかったはずなのであります。子供を生むことによって、アダムとエバは、神を中心とした父と母、すなわち、人類の真の父母となったはずであります。 もしアダムとエバが、この最初の、神を中心とした家庭を形成していたならば、そこから、神を中心とした民族、神を中心とした国家が生れ、さらには、神のみが、支配する神を中心とした世界がいち立てられるはずでありました。そして、はじめから、永遠にわたって、完全なる世界となったはずなのであまます。このようなことが、そのはじめのときに成就されていたならば、我々は、今日、このような、多くの異った言語をもつことはなかったでありましょう。我々はすべてアダムの立てたひとつの伝統の下に、アダム族というひとつの民族に属していたでありましょう。そして、アダムの一つの言語が、我々すべての言語となっていたでありましょう。そして、実に、全世界が、神のもとに一つの国であったはずであります。 このように、神の御計画に於ては、すべての人々が、地上の神の国に生まれるべく定められていたのです。我々は、地上に於いて、天国生活を楽しむべき存在なのです。そして、地上で肉身の寿命が切れたときに、霊界にある神の国に上り、そこに於て永遠に生きることになっているのです。これが神の、はじめ青写真でありました。 その世界には、サタンも悪も、存在し得ないはずなのであります。神は御自身の子供のために、地獄を創造されるようなことは決してなさいませんでした。善良な父親が、自分の子供が、生れるやいなや、その子供の為にろう獄を建てるなどということはあり得ないのです。ましてや、神が、御自身の子供のためにどうして、地獄などを必要とするでありましょうか。天国のみが、神の本然の目的であったのです。しかしながら、罪の故に、人間はその本然の価値を失い、塵のような存在になってしまったのです。地獄は、その塵のような存在を入れておく神の監のようなものです。しかし、それは、人間堕落の後にはじめて必要となったものなのであります。 地上地獄-失楽園 それでは、堕落した人間と、堕落した世界の状態を、さらに調べてみましょう。ヨハネによる福音書八章四四節において、イエスは、「あなたがたは自分の父、すなわち、悪魔から出てきたものであって、…」と言っています。堕落により、人間は、サタンという偽りの父の下に、ひき連れていかれてしまったのです。人間は、その父親をとりかえてしまったのです。我々は、真の父、すなわち神を離れて、偽りの父、すなわちサタンと一つになってしまったのです。このようにして、はじめの男と女とは、サタンの子となってしまったのでありました。サタンという偽父の下に、アダムとエバは、神の祝福も、許しもなしに、不法にも、夫婦として一体になってしまったのです。そして、彼らが子供を増やしていくときに、その子供たちもまたすべて同じ偽父の下に生れることになったわけであります。彼らはすべて、神の子としてではなく、罪の子として生まれてきたのです。このようにして、アダム以後、時代から時代へと、罪の子を生み殖やし続けて、この堕落した罪悪世界が、もたらされて来たのでありました。 我々が、神を中心としないがゆえに、罪の世界、不信の世界、犯罪の世界、憎しみと争いの世界が生れてきたのです。そして、この世界に住む我々も、我々の国家も社会も互いに、破壊し合いながら、何の苦痛も感ずることがないのであります。これが、まさしく、地上の地獄であります。実にこの世界の主人は、神ではなく、サタンなのであります。ヨハネの福音書十二章三一節に、サタンがこの世の支配者であることが示されているのは、そのためなのです。我々は、この宇宙が神によって創られたということを知っています。我々は、神が人間を創られたということを知っています。しかし、今、神は人間の主人ではないのです。何故なら、人間が、自ら、その主人を替えたからであります。人間は神を裏切り、偽りの主人サタンと結んでしまったのです。そして、このサタンが、ずっと、今に至るまで、人類の父となってきたのであります。 救いとは復帰である 全能なる神は、愛の神であり、あわれみの神であります。神の心は、御自身の子の生きながらの死に、深く病まれ、悲しまれました。神は、いかなる人であっても、自らの力で罪のなわめを断ち切り、罪を取り除くことはできないということを知っておられます。神は、人間を救いに導くことの出来るただひとつの力は、神御自身であることを知っておられるのです。そして神は、あわれみによって、この世界を救う決意をされたのでありました。 救いとは、何でありましょうか?救いとは、すなわち、復帰であります。医者は、患者を救うために何をするでしょうか? 彼は、患者を正常な健康状態へと復帰していくのであります。それが、治療であります。あなたは、溺れかかっている人を救うときに、どうしますか? 彼を水から引き上げて、乾いた陸地に返すでしょう。それが救助であります。 これと同様に、神の人間に対する救いとは、人間を異常な逸脱した状態から、本然の善なる状態へと復帰すること以外の何ものでもありません。ゆえに、救いとは、復帰なのであります。神は、地獄を天国へと復帰しようとされているのです。神は、御自の決意を聖書に於て明確に示されています。「わたしはこの事を語ったぬえ、必ずこさせる。わたしはこの事をはかったゆえ、必ず行う」(イダヤ書四六章十一節)神は、行うかもしれないと言われたのではなく、必ず行うと言われ、人間とその世界を本然の姿に復帰するという御自身の絶対的決意を示しておられるのです。では、どのようにして、それをなそうとされているのでしょうか?メシヤによってであります。人類を救うために、神はそのひとり子イエス・キリストを、救い主として、メシヤとして、この地につかわされたのでありました。 二千年前、イエス・キリストは生命の創造主として、この世界に来られました。彼は、すべて罪人達を、キリストの如き人につくり変えるために来られたのであります。彼は、その第一の福音として「悔い改めよ、天国は近づいた」と宣言されたのであります。イエス・キリストの降臨よって、人々は、事実、そのとき、天国の入口まで来ていたのであります。 メシヤを迎える準備 しかしながら、神は、世界を復帰するべく、そのひとり子をつかわす前にそのメシヤをことの出来る信仰の基台を立てるために、個人からはじめて、国家へと拡大して、その道を一歩一歩整えて、準備しなければならなかったのであります。 結局のところこの世界は、今日まで、ずっとサタンの世界でありました。もし、メシヤが、この地上に準備された基台もなく来られるならば、サタンは彼を殺してしまうにちがいないのです。故に神は、ひとつの国家、すなわち、御自身が支配することの出来るひとつの主権をうち立てるために、こつこつと、注意深く働いてこられたのであります。イスラエル選民は、そのメシヤを迎えるための準備の結果として生まれたのでありました。神は、イスラエルの国を、メシヤの“着陸地”として準備されたのです。イスラエルの信仰の基台の上に神の最後の勝利者-メシヤを送ることが出来たのできたのでありました。 イエスは死ぬために来られたのではない 今だかつて解かれたことのない、ひとつの歴史的ななぞがあります。イエス・キリストの降臨の四千年前に、神は、前に述べたように、メシヤのためにイスラエル選民を準備しておられました。預言者を通して、神は選民に対してメシヤのために備えるよう、あらかじめ知らせておかれました。神は人々の間にそういう期待を築き上げるよう働かれ、事実イスラエルには、メシヤを待望する非常な熱意が見られたのであります。そして、その定められた時に、神は御自身の約束を成就されたのでありました。神のひとり子イエス・キリストは時至って、御自身の民の上に降臨されたのであります。 そして、そこで何が起ったでありましょうか。歴史は事実を証すものであります。人々は彼を知りませんでした。彼等は彼を否定し、彼に反対し、最後には彼を十字架に釘づけてしまったのであります。何故なのでしょうか。キリスト教の教会は「その問に対する答は、神がイエス・キリストを十字架上で亡くなるべくつかわされたからと言うことが出来るでしょう。十字架ははじめから予定された神のみ旨だったのです」と言うのです。 では、そう言うクリスチャンに「イエス・キリストが今日、あなたのもとに再び来られたら、あなたはどうしますか」を尋ねてみましょう。すべてのクリスチャンは、間違いたく「私達は彼を受けいれるでしょう。彼を迎え、彼とひとつになり、彼に従って行くでしょう」と答えるにちがいありません。さらに、「キリストら現われたら、あなたは彼を十字架につけますか」を尋ねてみましょう。あなたの答は「ノー」と言うにきまっています。 もしそうであるならば、二千年前のイスラエル選民達はどうだったのでしょうか。もし彼等がイエスを受けいれたならば-あなたが今日受けいれるように-彼等はそれでも、彼を十字架につけなければならなかったのでしょうか。いいえ、それは誤りだったのです。彼等はその無知ゆえにイエス・キリストを殺してしまったのです。 神の選民がメシヤを受けいれることが、神のみこころでありました。しかし、彼等は受けいれるどころか彼を十字架につけてしまったのです。そしてクリスチャン達は、それは神のみこころであったと言って責任逃れをしてきたのでした。何というばかげたことでありましょうか。これは我々の論理に合わないことであります。何かが恐ろしく間違ってきたにちがいありません。それは何だったのでしょうか。 無知がイエスを殺した 人々はナザレのイエスがどういう方であるかを知らなかったのであります。彼等は、彼が神のひとり子であることを知らなかったのであります。もし、彼等は、彼等が、イエスが神のひとり子、メシヤであることを明確に知っていたならば、彼等は彼を十字架につけはしなかったでありましょう。「彼は自分のところに来たのに、自分の民は彼を受けいれなかった」(ヨハネ 福音書一章十一節)。 また、聖パウロの証言に耳を傾けて下さい。「この世の支配者たちのうちで、この知恵を知っていた者は、ひとりもいなかった。もし知っていたなら、栄光の主を十字架につけはしなかったであろう」(コリント人への第一の手紙二章八節)。 もし彼等が、彼が誰であるかを知ってさえいたならば、彼等は栄光の主を十字架につけはしなかったでありましょう。それは誤りだったのであります。イエス・キリストを殺したのは人々の無知と盲目であったのであったのです。 世界のクリスチャンはイエスの時に実際起ったことが何であったかという事の真相に目ざめていないのです。もし、神のひとり子をつかわす唯一の目的が彼の十字架に釘づけにすることであったとするならば、なぜ神は、まずはじめに、イスラエルの選民を備えるために時を費やされたのでしょうか?神にとってはそのひとり子を不信者やあるいは野蛮人達の中に送った方がずっと簡単であったでありましょう。かれらはもっとすみやかに殺し、救いはもっとすみやかにもたらされたでしょう。メシヤを殺すためならば、選民もイスラエルも何も必要ではなかったはずであります。 旧約聖書に於て、神はくりかえしイスラエルが神の子の降臨によって栄光を受けるであろうことを約束しています。しかし、メシヤが来られた後、その選民の上に何が起ったのでありましょうか?かれらは罰せられ信じ難いまでの苦しみを受けたのであります。彼らの国は滅ぼされ、その民は世界中に散らされたのです。しかしそれはただ彼らが神のみこころにかなって生きなかったからなのであります。彼らは、メシヤを受け入れることが神のみこころであったときに、彼を拒否してしまったのです。 旧約聖書の文字の奴隷 さて、そこで問題はイスラエル民族がイエスがどういう方であるかということをなぜ知らなかったのか、ということであります。信じていただけないかもしれませんが、神の選民がイエスをメシヤであることを認めなかった第一の理由は旧約聖書の故なのです。こう言えば皆様は驚かれるかも知れません。しかし、イスラエル選民は旧約聖書を文字通りに解釈していました。彼らは聖書がひとつの暗号であることを知らなかったのです。彼らは聖書を文字通り、一言一言、一字一字解釈していました。言葉を換えて言うならば、彼らは旧約聖書の文字の奴隷になっていたのであります。 それに対する証拠をあげてみましょう。旧約聖書のマラキ書は、新約聖書の黙示録と類似した意味をもっています。それは、メシヤがどのようにしていつ来られるかというプログラムと終りの時のようすを明確に示しています。マラキ書四章五節から六節に「見よ、主は大いなる恐るべき日が来る前に、わたしは預言者エリヤをあなたがたにつかわす。彼は父の心をその子供たちに向けさせ、子供たちの心をその父に向けさせる」という言葉があります。ではエリヤはどういう人だったのでしょうか。彼はイエス・キリストより九百年ほど前に生まれた人であります。そのため人々は、エリヤが旧約聖書の文字通り、青い空から火の戦車に乗って再びやって来て、神の子の到来を告げるであろうと信じていたのであります。このようなことを人々は期待していたのです。 しかし、エリヤは来たのでしょうか。問題は、エリヤが彼らが期待していたような形ではやって来なかったということなのであります。イスラエル選民は、エリヤのその奇跡的な再臨の知らせも何も聞いていませんでした。しかるに、ある日、彼らは、ひとつの並はずれた宣言を耳にしたのです。ナザレから来たイエスという名のひとりの若い青年が、神の子メシヤでするとして、世に向って宣言されていたのです。それは実に信じがたい宣言でありました。 そして、それに対する人々の即座の反応はどうだったでしょうか。“そんなことはありえない!”と彼らは彼らは言ったのです。“どうしてナザレのイエスが神の子であるはずがあろうか。我々はエリヤについて何も聞いていないではないか。“エリヤが来なければメシヤは来ないというのであります。エリヤが再臨するというマラキの預言は、実にイエスの使命遂行の障害になったのであります。イエスの弟子達が、イスラエルの町々で福音を述べ伝え、イエスを神の子として証して行ったときに、人々は「もし、あなたの先生が神の子であるなら、エリヤはどこにいますか。聖書に、エリヤが先ず来なければならないと書いてあります」と言って、彼らの言葉を拒否したのです。 バプテスマのヨハネがエリヤ イエスの弟子たちは、この質問に答えるだけの十分な備えがありませんでした。事実、彼らは旧約聖書の知識をもっていなかったのです。すなわち、彼らはガリラヤの身分の卑しい漁師であり、取税人であり、売春婦でした。そこで、困った弟子たちはある日、このことについてイエスに教えを乞うために彼のもとに行くことに決めました。マタイによる福音書十七章十節から十二節にはこう書かれています。 「弟子たちはイエスにお尋ねして言った、『いったい律法学者たちはなぜ、エリヤが先に来るはずだと言っているのですか』。答えて言われた、『確かに、エリヤがきて、万事と元どうりに改めるであろう。しかし、あなたがたに言っておく。エリヤはすでに来たのだ』」。 これは弟子たちにとって本当にショックでした。そしてその時彼らはイエスが、バプテスマのヨハネのことを言われていることを理解しました。弟子たちは、「バプテスマのヨハネがエリヤなのですか」と聞きました。するとイエスは「そうです」と言われました。しかしイスラエル選民は決して納得しませんでした。彼らは「そんなはずがない」と言ったのです。こうした事柄を現代に置きかえて考えてみましょう。二千年前のバプテスマのヨハネは非常に影響力のある人で、偉大な預言者、神の人としてイスラエル全土に大いなる信望をもった人でした。それはちょうど現在の、偉大なキリスト教の指導者であるビリーグラハムのような人です。 ところが、ある名もない青年が突如として現われ、世に対して自分こそ神の子であると宣布しだしたとしましょう。あなたが聖書を学んでいる人であればきっとこう尋ねるでしょう。「もし、あなたが神の子ならば、聖書に、キリストより先に来ると記してあるエリヤはどこにいますか」。もしこの青年が「ビリーグラハムがだということを知らないのですか」と答えたなら、あなたは、どんな反応を示すでしょう。 あなたは、間違いなくこういうでしょう。「そんなことはありえません。どうしてビリーグラハムがエリヤであると言えましょうか。彼は青空から降りて来なかったではないですか。彼はノースカロライナの生まれであることは我々皆が知っています」あなたはこうしたことを認めることはありえないでしょう。 正に、これと同様の不信仰が我らの主イエス・キリストに対すてなされたのです。人々は、バプテスマのヨハネがただ、天から降ってこなかったという理由だけで、彼が、エリヤであることを認めることができなかったのです。二千年前の選民たちは、エリヤの再臨の預言が、聖書の文字通り実現されなければならず、したがって天より降臨しなければならないという信仰にかたくなに固執しました。彼らは旧約聖書の文字の奴隷だったのです。 失敗者、バプテスマのヨハネ それでもなお、イエス・キリストは嘲笑する大衆のば声を受けながらも力と権威をもってイスラエル全土で伝道を続けました。人々はそういう人間をそのままにしないわけにもいきませんでした。彼らは、自分が正しいという確信を欲しました。 そこで彼らはバプテスマのヨハネのところに行って尋ね、彼らがいろいろな疑問に最終的な決着をつけようと決心しました。そして、ヨハネ福音書の一章十九-二十一節にあるように彼らはそのごとくに行ったのです。彼らはヨハネを尋ねました。「あなたはどなたなのですか」彼は告白して否まず「わたしはキリストではない」と告白した。 そこで彼らはさらに問うた。「それではどなたなのですか。あなたはエリヤですか」。彼は「いやそうではない」と言った。「では預言者ですか」彼は「いいえ」と答えた。 このようにバプテスマのヨハネはすべてを否定しました。彼は「私はエリヤではない」と言いました。彼は預言者としての立場さえも否定したのです。誰もが彼は神の預言者であることを知りかつそう認めていました。しかし彼は「私は預言者などではない」と否定しました。何故でしょうか。 彼は当時の状況を判断しイエス・キリストが彼の属する社会からのけ者として扱われているのを知っていました。イエスは負け犬のように見えました。そこでヨハネはイエスの側に立つまいと決心したのです。彼はすべてを否定する立場の方がずっと得策であると考えたのです。そうすることによってバプテスマのヨハネはイエスを隅の方に追いやり、彼を誰からも擁護されない大イカサマ師に仕立ててしまったのです。ヨハネに否定されたイエスは、このことに関してヨハネ以上に頼みとする人はいませんでした。 それでは、何故イエスは十字架につけられたのでしょう。第一には彼は、聖書の文字通りの解釈の犠牲者となったのです。第二にバプテスマのヨハネが使命成就を矢敗することによって捨てられ、ついには十字架につけられたのです。 我々はマタイ十一章一節から三節に、牢獄で首をはねられるのを待っていたヨハネが彼自身の弟子のなかの二人をイエスのもとに遣わして次のような質問をさせたのを知ることができます。 「『来たるべきかた』はあなたなのですか。それとも、ほかにだれかを待つべきなのでしょうか。」(マタイによる福音書十一章三節)。これはイエスが神の子であるという信仰をもった人の質問でしょうか。バプテスマのヨハネは以前にヨルダン川でイエスを(神の子としての)証をしたことがあったのです。 「わたしはそれを見たので、このかたこそ神の子であると、あかしをしたのである〉(ヨハネ一章三十四節)。 ところが、その同じ人間がその同じ口で今度は「あなたは本当にメシヤなのですか、それとも誰か他の人を捜すべきでしょうか」とイエスに迫ったのです。この質問はイエスにとって失望をもたらしたことでしょうヨハネは、何と信仰の薄い人間だったのでしょう。 ヨハネの使命成就を願っていたイエス バプテスマのヨハネの使命は、メシヤの使命を成就するために非常に重要なものでした。神は「主の道を直くし、備えられた民を整えるため」に特別にマタイを送ったのです。それが、キリストに先立つ者としてのヨハネの使命でした。イエスはバプテスマのヨハネが使命を成就することを心から頼みとしていました。ですからバプテスマのヨハネその人が、イエスのもとに来て「あなたは本当にメシヤなのですか」と言った時、それは、彼がイエスをナイフで刺したより以上の苦痛をイエスに与えたのです。 イエスがどんな心情であったか、あなたは想像できますか。彼の心は打ちのめれたのです。怒りに震えたに違いありません。イエスはこのあまりに心外な質問に対して「イエス」とも「ノー」とも答えられませんでした。そのかわりにこう言ったのです。「私につまづかないものは幸である」マタイ十一章六節)。 これは、彼の惨めな失敗を知ったイエスのヨハネに対する慰めのことばでした。イエスは本当はこう言いたかったのです。「あわれなヨハネ、失敗した男よ。あなたはもはや私に対する信仰を失ってしまった。あなたは神の子につまづいてしまったのだ。かわいそうなヨハネよ」。 したがって、イエスはマタイ十一章十一節でこう言われたのです。「よくよくあなたがたに言っておく。女の産んだ者の中で、バプテスマのヨハネより大きい人物は起らなかった。しかし天国では最も小さいものも、彼よりは大きい。」 ヨハネは、天国では最も小さいものも彼よりは大きいといわれるところまで落ちてしまったのです。イエスのこのことばの意味は今まで定かではありませんでした。クリスチャンは、バプテスマのヨハネが、その使命を失敗した人間であることに気づかなかったのでこのことばの真意を理解できませんでした。今夜我々はその真意を知ることができるのです。 バプテスマのヨハネは神の子を直接に証しするがゆえに、女の産んだ者の中で最も大きいものでした。それまでのすべての預言者達も同じような使命を与えられてきました。しかし、ヨハネより前に来た預言者は彼らと主の間に時間的隔たりをもってメシヤを証ししてきました。 ヨハネはイエス・キリストと同時代の人として生まれたのです。ゆえに、キリストが姿を現わした時に“生けるキリスト”を証しする特権をもっていました。彼の使命に関する限り、バプテスマのヨハネはすべての人のうち最も偉大な、栄えある人物でした。かくして、イエスは彼を、女の産んだ者の中で最も大きい人物であると言われたのです。 しかし、彼の使命の成就という点では、ヨハネは最も小さい者であり、すべての人のうちで最も惨めな敗北者でした。彼より前に存在したすべての預言者たちは、霊界で天国にいました。彼らはイエス・キリストが誰であるか知っていました。しかし、ヨハネは知りませんでした。彼は疑ったのです。彼は懐疑的になり、とうとうイエスの身分がわからなくなってしまいました。遂には、神の子であると自ら証したことさえ確信できなくなったのです。彼は失敗者となり、従って天国にいるすべての者のうちで最も小さい者となってしまいました。 バプテスマのヨハネは首をはねられるという最期を逐げました。もし、彼が天命を行い、世人に対してイエス・キリストこそ神の子であると証しをし、宣布していたがために首をはねられたとしたなら、彼は栄えある最初の殉教者となりえたでしょう。しかし、ヘロデ王の個人的な愛情問題のスキャンダルに関わったという理由のみで彼は首をはねられたのです。 そういうことはヨハネの為すべきこととは全く関係がなかったのです。神の子に仕えることが、彼の唯一の使命でした。しかし、ヨハネはこの聖なる使命から離れて、無意味な破廉恥とさえいえる死に方をしたのです。この真実は、それがたとえいかに心苦しいことであっても言明されなければならません。 もし、バプテスマのヨハネが偉大な信仰者であったなら、その結果はどうであったでしょうか。彼は実際、神の子イエス・キリストの第一弟子となっていたでしょう。もし、イエスが王であったなら、バプテスマのヨハネは首相になっていたでしょう。それこそ、神がヨハネに予定した地位でした。その場合には、イエスが選んだ十二使徒、七十人門徒、百二十人の弟子達はすべて、ヨハネ自身の弟子の中から選ばれたでしょう。ヨハネはイスラエルの選民と神の子の間に、統一の隔和をもたらす仲立ちとしての役割を果したでしょう。そうなれば、その情況のもとで、誰が敢えてイエスを十字架につけたでしょう。誰もいません。十字架による刑は決して起らなかったでしょう。 あなたはこういうかも知れません。「文先生、あなたは何の権威によって話されているのですか。何故あなたはそんなに確信をもっておられるのですか」と。 私はまさにこれらのことを言う権威をもっています。神が私にこの真理を示されたのです。私はイエスに会いました。イエス自身が私にこの真理を示されました。そして私はバプテスマのヨハネにも霊界で会いました。彼自身、この証しの真実性を証言してくれました。このような特別な霊的体験をした後、私が現実の世界に戻った時には、私はそれまで読んでいた同じその聖書が今度は、全く新しい意味をもつようになりました。たとえ、あなたが今、私が話したこれらのことを真理と認めることができなくても、少なくとも是否の判断を保留すべきだと思います。いつの日か、我々すべてが真理を知るようになるでしょう。最終的には我々は全て死んでゆくのです。誰もが霊界に行きつきた時、そこでは真理が太陽の如く輝いています。そこでは唯一人、真理から免かれることはできません。その日こそ我々は全き真理をまのあたりに知るでしょう。 しかしながら、この地上に生きてうる人間に、真理を受けいれるほど謙虚さを持ちうる人は幸いです。真理と神に対するこの地上の知識があなたの永遠の生命を決定するのです。 イエスは天の雲に乗って来ると思われていた イエスがメシヤとして受けいれられなかったもう一つの決定的な、三つ目の理由があります。それは、二十年前選民イスラエルはダニエルの預言に従って、神の子が天の雲に乗ってくると思っていたからです。「わたしはまたしはまた夜の幻のうちに見ていると、人の子のような者が天の雲に乗ってきて…」(ダニエル書七章十三節)。 しかし、イエス・キリストは天の雲に乗って奇跡的に現われては来ませんでした。彼は、ヨセフの妻であるマリアから生まれました。人々は言いました。「どうしてこのイエスが神の子などといえようか。彼は私とかあなたと全く同じ人間に過ぎないではないか」。これこそ選民がイエスを見捨てたもう一つの動かしがたい理由でした。 ダニエルの預言はイエスの伝道に非常な困難をもたらしました。我々はヨハネの第二の手紙の七節にこのことを見ることができます。そこで使徒ヨハネはこうして驚告しています。 「なぜなら、エバイエス・キリストが肉体をとってこられたことを告白しないで人を惑わす者が、多く世にはいってきたからである。そういう者は、惑わす者であり、反キリストである」 これは、キリストが肉体をとって来られたということだけで彼を見捨てた、イエス・キリストを信じない人々に対して、二千年前にヨハネが述べていることばです。彼らは、誰かこの世のものでない者が天に乗って現われることだけを待っていたのです。ゆえにイエスを受けいれませんでした。ヨハネはこれらの人々のことを「そういう者は反キリストだ」と言って厳しく糾弾したのです。このような歴史的事実がキリスト教の世界から隠されてきました。現在、初めて、このイエスの伝道にまつわる、これらの全ての情況が白日の下に明らかにされたのです。 では何故、この時に、こういう真実があからさまにされたのでしょうか。それはキリストの再臨が近いからです。そして神はイスラエルが犯したのと同じあやまちをクリスチャンにさせたくないからです。天の父からの明々白々なる真理の啓示によってのみ、全てのキリスト教会は一つになることができるのです。そうです。真理が我々を一つにするのです。もし、我々が真理を知るなら、その真理が我々を誤った不一致から自由にするでしょう。そして神の明白なる真理が今、明らかにされているのです。 十字架、それはイエスの二次的使命 十字架の死は全く神の子の本来的使命ではなく、予定された路程の変更されたものでした。それは二次的使命だったのです。それは変貌山上で決定されました。このことに関する記述が、ルカ福音書九章三十、三十一節にみられます。 「すると見よ。ふたりの人がイエスと語り合っていた。それはモーセとエリヤであったが、栄光の中に現われて、イエスがエルサレムで遂げようとする最後のことについて話していたのである」。 イエスの第一弟子のペテロが、イエスから彼がエルサレムで苦しみを受け、十字架につけられるであろうということを知らされた時ペテロは、マタイ十六章二十二節にみられるように、激しく反対しました。 「主よ、とんでもないことです。そんなことはあるはずはございません」 するとイエスは彼に強く迫ってこう言われたのです。 「サタンよ、引きさがれ。わたしの邪魔をする者だ。あなたは神のことを思わないで人のことを思っている」マタイ十六章二十三節)。 クリスチャンはイエスが十字架上で死ぬために来られた証拠として、この件をよく引用します。多くの人がこう言います。「イエスの言われたことを聞きなさい。彼は死ぬために来られたと言われた。だから、彼はペテロをとがめ、彼をサタンと呼んだのだ。なぜなら、ペテロはイエスが十字架につくのに反対したからです」。 しかし、現在その解釈は一つの核心的な点を見落しています。イエスは神がその御計画を変更され、イエスの使命を変えられたことを知った後に、ペテロをとがめたのです。イスラエルがイエスを拒んだので、神は地上天国実現というイエスの本来的使命を成すには、民の協力が必要である以上もはやイエスがそれを続けることができない、ということを知っておられたのです。 それで、イエスの伝道の終りの時点になって、神は彼に霊的救いという限られた目標のみを達成するように願いました。イエスは従ってこの二次的目標達成のための準備をしていました。しかし、あわれなペテロは、イエス・キリストの使命がこのように変更されたことについて何も知らなかったのです。 イエスは、ペテロの慰めときこえる言葉が、その時にはすでに神のみこころと何の関係もなくむしろ妨げとなったので彼を「サタン」と呼んだのです。ペテロは無知蒙味から語ったのです。しかし、イエスは、この二次的使命を失敗することは決してできませんでした。というのは、そうなれば、彼が来たことが全く無に帰してしまうからでした。 イエスを受け入れれば神の国は実現していた もしイエスが、イスラエルの民によって受け入れられていたなら実際には何が起ったか、ということを考えてみましょう。そうなれば、イスラエルの王として、彼は彼の弟子達と、ヤコブの十二の部族と、全てアラブの部族とを含むアブラハムの全ての子孫とを統合したことでしょう。彼らの全ては、神の子を中心とした一家族となったはずであります。 イエス・キリストは、イスラエルの選ばれた民族を中心として神の主権をうちたてたでしょう。神の国の憲法が、イエスの時代に発布されたでしょう。神の主権が現実化された無敵の国家が建てられたことでしょう。神のもとにある一つの国家、それは、人類始祖・アダムがうち建てるべきであったのですが、それは後のアダム、イエス・キリストを王として実現したことでしょう。ローマ帝国でさえ、神の王国の前にはひざまづいたでしょう。これが、イザヤ書九章七節の預言なのです。「そのまつりごとと平和とは増し加わって限りなくダビデの位に座して、その国を治め今より後とこしえに公平と正義とをもってこれに立て、これを保たれる。万軍の主の熱心がこれをされるのである」。 イエスは死んだ後でさえ、彼の弟子達は、何も持たず苦しみをうけ血を流しつつ、ローマに向って進軍しました。しかし四〇〇年以内に、ローマ帝国はこの何も持たない軍隊の前に崩壊しました。もし、イエス・キリストが十字架につけられず、生きてこの聖なる軍隊の指令官であったなら、その時には全ローマ帝国はイエス自身が生きている間に神の下に入ったことでしょう。 当時、偉大なるローマ帝国は世界の中心でした。神の救いの御計画は全世界を復帰することでした。一旦、神の王国がローマにできたならそれが全世界に容易にもたらされるように神はローマを全ての国々の中心として備えられました。もし、イエスが、ローマ帝国に彼の王国の建設することができたなら、その時、ローマの力の影響によって、イエスが地上に生きている間に、世界の隅々までイエス・キリストの福音が宣べ伝えられたでしょう。イスラエルの国は、神の王国の栄えある中心となったのです。今日、キリスト教は最早存在しなかったでしょう。ローマンカトリックも、長老派教会もメソディスト教会も、キリスト教も存在しないでしょう。これらのうちのどれも必要ではなかったでしょう。あなたが既についていればそのめの車は必要ないからです。 我々は既に、神の王国の市民となっていたでしょう。キリスト教の歴史には流血とか、殉教者はなかったでしょう。そして、教会の尖塔には十字架はなかったはずです。そうなれば、キリストの再臨の理由もなかったのです。なぜならばメシヤの使命は既に完成されているだろうからです。しかし、悲しいかな、現実はイエス・キリストは反逆に会いました。アダムとアダムの従順なくして神はエデンの園にその御理想を実現することはできませんでした。そして、イエス・キリストも選民の協力なくして、地上天国を建設することはできなかったのです。 十字架は霊的救いのみをもたらした それでイエスは、彼の第二番目の使命であった霊的救いに移ったのです。選民であるイスラエル民族の無知もうまいのために、イエス様の犠牲が必要になり、仕方なく神はそうされることを許されたのです。そこが十字架の重要なところなのです。神はサタンに払う身代金として、イエスが十字架でなくなられることを許されたのです。それと引き換えに、イエスの復活の時に、神は身体の贖いは出来なくとも、魂は要求することが出来たのです。ですから、神の勝利は十字架にあったのではなく、復活にあったのです。これがキリスト教の救いなのです。 イエスの十字架と共に、キリスト教も十字架にかかりました。主が苦境におられる時誰も彼に信仰をたてなかったのです。誰もがイエス様を裏切ったのです。あのペテロでさえ、イエスを否定したのです。しかし、イエス様の復活と共にキリスト教も息をふき返したのでそれから四十日間というもの、イエスはちりぢりになったキリスト教の残骸を集められ一つにまとめられました。それが今日のキリスト教の始まりであったのです。我々の救いは勝利された復活からきているのです。これは、サタンの力の及ばないキリスト教の勝利なのです。 しかしイエス・キリストの身体は犠牲として、またつぐないとして取り去られてしまいました。御自身の肉体をとられた故、人間の身体についても同様にあきらめざるを得なかったのです。ですから我々の救いは魂のあがないのみをもたらし、限界があるのです。この理由は、二千年前に肉身のあがないが成されなかったからであります。この世はいまだにサタンにじゅうりんされています。この世界ではいまだに罪は私達の身体を通して荒れ狂い、私達を支配しているのです。聖パウロは、ローマ人への手紙七章二十四-二十五節で苦悩のうちに次のように叫んでいます。 「私はなんとみじめな人間なのだろう。だれが、この死のからだからわたしを救ってくれるだろうか。わたしたちの主イエス・キリストによって、神は感謝すべきかな。このようにして私自身は、心では神の律法を仕えているが、肉では罪の律法につかえているのである」。 聖パウロは主の恵みの中に生きた人です。しかし、彼のような人でさえ、心では神につかえることができても、身体は罪の律法につかえていると告白しているのです。彼の肉体は救われていなかったのです。依然として、罪の中で苦悩していたのです。それは私達にとっても同じです。キリストを受け入れることによって我々は霊的救いを受けました。しかし、私達の肉体はキリストが再び来られて、我々を罪の束縛から解放されるまで、サタンの支配する罪の法則に仕えているのです。 再臨の主は全き救い、すなわち霊的な救いと肉的救いの、その両方を与えることの出来るたった一人の御方であります。今日のキリスト教は霊的救いを与える力しか持たないのです。その当時のイスラエルと違って、キリスト教は実体的な国の基盤を持っておりません。ですから、キリスト教における神の支配圏は霊的な国のみであります。 したがって人間のもっとも大きな希望はメシヤの再臨なのです。これはアメリカの希望であり、世界の希望でもあります。アメリカ-このユニークなキリスト教国は今、目覚め、メシヤの到来の日に備えなくてはならないのです。 アメリカのキリスト教国は今日、二千年前のクリスチャンと同じ霊的な立場に立っております。アメリカははメシヤが二十世紀に足をおろす場所に定められているのです。神は世界に救いの手をさしのべたいのです。しかし、そうするためには、神はまずアメリカから着手していかなければならないのです。アメリカの役割は二千年前のローマ帝国のそれと同じです。ローマがその当時の世界の中心であったように、アメリカは現代の世界の中心です。イエス様はローマに目をつけられました。ですから、キリストが来られる時、彼はアメリカに目を注がれるのです。 再臨は如何になされるか 今日、我々は論理なくして何事も信ずることが出来ません。真理は論理的であります。無知には完全というものがあるはずがありません。キリスト教の祈りだけでは、ニール・アームストロングをして月を踏ませることは出来なかったのです。科学的真理が必要だったのです。私自身は、かつて科学部の学生でありましたし、神が科学の神であるということを知っています。このように神の言われることは二十世紀の人間にとって、科学的であり、論理的であり、説得力のあるものでなければなりません。 さて、キリストの再臨がいかになされるかを語ることによって今夜の話の頂点に移りたいと思います。聖書のマタイによる福音書二十四章三十節を読んでみますと、「そして力と大いなる栄光をもって、人の子が天の雲に乗ってくるのを、人々は見るであろう」とあります。また、黙示録一章七節には「見よ、彼は、雲に乗って来られる」とあります。 ところが、テサロニケ人への手紙五章二節には、 「主の日は盗人が夜くるように来る」 となっています。ある預言書には、主は天の雲とともに来ると言っており、また別の預言は少しく矛盾しています。もし彼が盗人のごとく来るなら、同時に雲の中に現われることなど出来ません。では一つとって別の預言を捨ててしまいましょうか。 二千年のイスラエルの選民は神のお告げが象徴で表わされていることがわかりませんでした。彼等のお告げを文字通り解釈したのです。それは重大な誤りでした。我々、クリスチャンが新約聖書を読む時には、同じあやまちを犯してはなりません。我々は神の側に立って聖書を読むべきであり、比喩や象徴の真なる意味を知るべきであります。二千年前、すべての人々が、エリヤが青空から現われることを期待していました。しかし、彼はそのようには来ませんでした。また、彼等はメシヤが天の雲と共に来ることを期待しましたが、そのようには来られませんでした。今日、クリスチャン達は再臨の主が雲に乗って来ることを期待しています。しかし、あなたにはこの時代にそのような期待が裏切られないという保障がありますか。 主はいかに来られるか では、天の雲に乗ってくるというのと盗人のごとく夜来るという、二つの可能性を謙遜に、そして心を開いて受けいれてみることにしましょう。もし、あなた方が、主が雲に乗って来られるのみと考えているならば、肉体をもった人の子として到来というのはあなた方の期待にそわないでしょう。あなた方はきっと二千年前ユダヤ教信徒達が犯したのと同じ罪を犯すようになるでしょう。けれども、もしあなたが謙遜であって、肉体を持った人の子としての主を敢えて受けいれるならば-それは主が盗人の如く来ることの出来る唯一の方法なのですが、-あなたは見失うことはありません。どのような方法で来られようとも、主にお会いすることを確信するでしょう。もし、あなたが主を全く見失うということがあるなら、それは彼が盗人のごとく来られた時のみでしょう。もし、彼が雲に乗って来るなら心配するには及びません。誰でもその時、彼を見るからです。テレビ放送がこれを確めてくれるでしょう。 しかし、私は皆さんに、神は彼の息子を文字通り雲と共に送りはしないだろうということを言わなければならないのです。 主の再臨を待ち望んで空を見上げていても失望するばかりです。彼はもう一度、肉身を持った人として来るからです。これは神の啓示であります。聖書の要な預言を読むことによってそれを証明させて下さい。ルカ福音書十七章二十節には、「神の国はいつ来るかと、パリサイ人が尋ねたので、イエスは答えて言われた、』神の国は、見られるかたちで来るものではない』」 とあります。誰もが天の雲を見るでしょう。しかし、イエス様は「我々は御国の到来は見ないだろう」と言われました。ユダヤ教信徒達はメシヤの到来を見たでしょうか。いいえ、見ませんでした。なぜなら、彼は肉体を持った人の子として来るからです。 次にイエス・キリストのもっとも驚くべき発言を見てみましょう。大抵の人は「聖書はそう言っていますか」と聞きます。ルカの十七章二十五節を見ますとイエス様はこう言っておられます。 「しかし、彼(再臨の主)はまず多くの苦しみを受け、またこの時代の人々に捨てられねばならない」 主がもし、誰が敢えてその方を拒絶したり、苦しませたりするでしょうか。あなたでしたらそうしますか。これはイエス様の語られた言葉です。その方の苦しみ拒絶されるのです。なぜなら、その方は肉体を持った人の子として来られるからです。最初はその人をキリストとして認めることはむずかしいでしょう。全キリスト教会、そして全キリスト教会献身者達は天の雲に乗って主が来られることを待ち望んでいます。彼等は空を見あげ、そのお方の現われるのを待ってするのです。しかしもし、その期待がはずれ、丁度イエス様がこの世に初めて来られた時のように、人の子として突然現われたら、どうでしょうか。 まず初めに、人々は彼を拒絶し苦しみを与えるでしょう。最初はキリストを受けいれはしないでしょう。多くのクリスチャンは石をとって彼にむかって投げるでしょう。また多くのクリスチャンは、その方を不敬な者とか異端者と呼び、また悪魔にとりつかれていると言って非難するでしょう。これらは二千年前、イエス様に対してなしたと同じ罪であります。 しかしながら、イエス様は十字架にかかるために再び来られるのではありません。彼は栄光の主として来られるのです。この世を審判し、善と悪を分け、神の国を創るために来られるのです。神の義が地上に広がるようにされるのです。ルカ福音書十七章二十六節、二十七節を読んでみますと、「そして、ノアの時にあったように、人の子の時にも同様なことが起るであろう。ノアが箱舟にはいる日まで、人々は食い、飲み、めとり、とつぎなどしていたが、そこへ洪水が襲ってきて、彼らをことごとく滅ぼした」。 これが人の子の時のあらましです。そして、これは主が肉身をもって人の子として来られる時おこるのです。 一人の人間として、来臨されるイエス様は天国を唱えるでしょう。しかし、誰も耳を傾けはしないでしょう。きっと彼を笑いあざけり、あらゆる悪いことをやるでしょう。そうして主が審判の座にひきあげられるまで、この世は、その常のごとく肉欲的なもの――食い、飲み、めとりなどを続けるのです。世が彼を審き主としてみとめる時はもう遅すぎるのです。箱舟は閉まり、審きがまさに始まらんとしているでしょう。 さあ、イエス様が言われているこの一節を聞いて下さい。「あなたがたに言っておくが、神はすみやかにさばいて下さるであろう。しかし、人の子が来るとき、地上に信仰が見られるであろうか」(ルカ十八章八節)。 イエス様は、キリストがもどられた時地上に信仰があるかどうか問われました。何故でしょうか?歴史は繰り返すかも知れません。二千年前、十字架イスラエルには、すさまじい程の信仰がありました。彼らは朝に昼に夜にユダヤ教会で祈りをささげました。彼等は絶えず経典を読み、えりにそれをしるし毎日暗唱していたのです。又、彼等は十戒を守り、あらゆる律法に従いました。農作物の十分の一をささげ、断食に断食を重ねました。それでも、神の子が現われた時彼をみとめることができず、十字架につけてしまったのです。イエス様は信仰を見たでしょうか?イエス・キリストの目には、地上に全く信仰が見られなかったのです。ですから、彼が再び肉身をもった人の子として現われる時、地上に信仰が見られないかもしれません。何百万ものクリスチャンや何千万もの教会は、人の子の到来を決して見ないかもしれません。なぜなら主が肉身を持ってこられるからです。 では、最後にマタイ七章二十二節、二十三節を読んでみましょう。「その日には、多くの者が、わたしにむかって『主よ、主よ、わたしたちはあなたの名によって預言したではありませんか。また、あなたの名によって悪霊を追い事し、あなたの名によって多くの力あるわざを行ったではありませんか』と言うであろう。そのとき、わたしは彼らにはっきり、こう言おう、『あなたがたを全く知らない。不法を働く者どもよ、行ってしまえ』。」 これはどういうことでしょうか。何故これらの主の名を尋ねる献身的なクリスチャンが悪を行なうとして非難されるべきなのでしょうか。どんな悪事を犯したというのでさょうか。歴史を通して、多くの重大な罪が神の名のもとに犯されてきました。それは生命の創造主を殺そうとたくらんだ祭司であり、長老でありました。彼等はそれを神の名においてやったのです。 キリストがもう一度肉身を伴った人の子として来られる時、まず第一に、彼は二千年前来られた時と同じようにあつかわれるでしょう。しかし彼は十字架をくり返すために来られるのではありません。この時は、神の力が明らかに現われるでしょう。再臨の主は本当に審きの場につかれ、審き主として審判されるでしょう。 彼がその座にひきあげられる時誰もが彼を見るでしょう。彼が誰であるか、、誰でも間違いなく、はっきり知るでしょう。そしてすでにそのお方を非難したり、拒絶したりした人達はそのお方になした悪事のために泣き叫び、深く悲しむようになるでしょう。しかし、その時はもう遅いのです。主は彼らにこう言われるでしょう。「あなた方を全く知らない。不法を働く者どもよ行ってしまえ」 主は来られます。そして主は、人として来られるのです。そのうえ神の力と栄光を持って来られるのです。そしてこの世を審判されるのです。柔和な者達だけが祝福されるでしょう。ごう慢な者達は消すことのできない火を見ることでしょう。 神の目的は成就される 第一のアダムとエバ:御存知のように神は創造の初めから、地上の天国を最初のアダムとアダムと共に造る計画でした。彼等がもし神に対して本当に従順であったなら、彼等は完成し、また神は彼等に天的な結婚をもたらし、神の意志のごとく地上に最初の家庭を造られたでしょう。この家庭は地上天国の基いとなり、アダムとエバは人類の真の父、真の母となられたでしょう。エデンの園というのは、そういう国の象徴的表現であります。そして、この世は神の喜びの世界になったでありましょう。 このとどまりは、子羊の婚宴の話として、黙示録に預言されています。再臨の主はその子羊であり、その完全なるであり、その完全なるアダムであります。主は完全なるアダムとして来られるのです。そして彼は完全なエバを復帰されるのです。それから彼らはひきあげられ、人類の真の父母となられるのです。そしてついに、神の喜びは完壁なるものとなるのです。 第二のアダムとエバ:しかし第一のアダムとエバは失敗してしまいました。しかし神の理想は変わりませんでした。神は初めに計画されたように神の国を実現し、喜びの世界を創ろうと決心されました。そして、聖書の歴史で四千年後に、神はもう一人の完全なアダムを通じて地上の神の国を復帰しようと計画されたのです。イエス・キリストがその完全なアダムであります。聖書のコリント人第一の手紙十五章四〇五節には、イエスは「最後のアダム」、すなわち第二のアダムであるとあります。彼は失敗した最後のアダムのかわりに二千年前に、完全なアダムとして来られたのです。 アダムだけの復帰では、神の国は出来ません。花嫁であり、母親である第二のエバがいなくてはなりません。ですから神は、この第二の完全なるアダムであるイエス・キリストに彼の嫁となる人、完全なるエバを復帰する予定でありました。これがエデンの園失われた第一の家庭の復帰でありました。 第三のアダムとエバ:しかしながらイスラエル選民の反逆のために、これは達成できませんでした。それにもかかわらず神は御自身の意志を成就することを決心されたです。そうしてキリストの再来を約束されたのです。 イエス様がなくなられてから、約二千年が経ちました。そして、今、神はもう一度、第三のアダムの立場で神の息子を送られたのです。歴史を通して、神は常に三度目でその目的を果して来られました。数字の(三)が完成の数であるというのは本当です。この時、神は完全なるアダムとエバに天的な結婚をあげさせて、神の長い間の理想を確実に成就され、地上の天国の基いを敷かれるのです。 十字架にかけられる少し前、イエス様はペテロにこう言われました。「わたしはあなたに天国の鍵を授けよう。そして、あなたが地上でつなぐことは、天でもつながれ、あなたが地上で解くことは、天でも解かれるであろう」(マタイ十六章十九節)。 この地上で失敗したのです。罪はこの地上で犯されたのです。ですからそれは、この地上で償われ根絶やしにされなければならません。イエス様は私達にこう祈るよう言われました。 「み国が来ますように。みこころが天に行われ通り、地にも行われますように」 地上に天国実現 地上が問題なのです。それが何故キリストが地上に帰って来られなければならないかの理由であります。 世の終りが来る時、神はすべてを破壊され、日は暗くなり、星は落ち、わずかひと握りのクリスチャン達が空中に引き上げられ、キリストと共に至福千年を迎えるということを多くのクリスチャンは信じております。 しかし、もし神がそうされるなら神は失敗の神になってしまいます。というのは神の本来のみこころが、この地上において決してなされないからであります。サタンのためにこの地上を見捨てることになるからであります。それではサタンは事実上の勝利者となってしまって神は敗者になってしまうからです。そのようなことは決して起らないでしょう。神の国はそう計られた故、成るのです。このニユーヨークもまた神の国となりましょう。もしあなた方がメシヤのおとずれを見るなら、あなた方は神の国の住民となれるでしょう。彼はあなたの希望であり私の希望であり、アメリカそしてこの世界の唯一の希望なのであります。 しかし、もし私達が彼を見ることが出来なかったら、その時キリスト教にはもはや希望がなくなるでしょう。キリスト教は衰えるでしょう。その神霊の火は消えてしまうでしぺう。教会は古い遺物の墓と化してしまうでしょう。その時には、この世は暗い運命を持つようになるのです。 皆様、今夜私は神の命令によって、ここマディソン・スクェア・ガーデンに来ました。聖書の使徒行伝二章十七節にはこうあります。 「神がこう仰せになる。終りの時には、わたしの霊をすべての人に注ごう。そして、あなたがたの息子娘は預言をし、若者たちは幻を見、老人たちは夢を見るであろう」。 私達は、新しい時代の誕生というとてつもない時代に今生きているのです。天国は非常に近づいております。そしてもしあなた方が熱心に神に求めるなら神はあなた方に答えてくれるでしょう。ただちに神にたずねなければなりません。「文師が、真実を語っているかどうか、どうしたらわかるでしょうか?」どうか私や誰か他の人にその答を聞かずに、神が直接あなたに答えるようにして下さい。心静かに、そして神に熱心に、心を込めてたずねて下さい。祈りの中で神と対決して下さい。神は答えられるはずです。 人類にとって新しい希望は、メシヤであります。主の大いなる、かつ恐しい日はすぐそこに近づいているのです。その日が素晴らしい日か恐しい日かは、あなた方次第です。もしあなた方が救い主に会うなら、あなた方にとってその日は素晴らしい日となるでしょう。しかしもし、救い主に会うなら、あなた方にとってその日は本当に恐るべき日となりましょう。 神の祝福がありますように。御静聴ありがとうございました。 カンサハムニダ!ありがとう。そして良き晩でありますように。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.09.18
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文鮮明総裁み言『御旨と世界「創立以前の内的教会史)」(1977年5月1日 ニューヨーク ベルベディア)』、青文字は、子羊さん記事「◆重要な御言葉・・・「アダムの再創造」、「エバの再創造」の概要が分かる御言葉!!」で引用された部分です。茶太字は、自称ルポライタイーtomy4509がコメントで指摘した引用部分です。私からの指摘した部分を続けて読めば子羊さんの【注釈付き】解釈「エバ=お母様」は消失してしまいます。ほか、【注釈付き】解釈「エバ=お母様」も絶対的なものとは言えません。子羊さんの暗号解読表も絶対的なものではないということです。一つの言葉、特には「エバ=お母様」に限定して全てを読むことなど出来ません。先ずもって、「お母様が洗礼ヨハネの使命者」だというお父様のみ言が存在しませんし、1990年前後まではお父様の後ろからついて来られたお方がお母様でした。「先駆けて主の道を正していくのが洗礼ヨハネの使命」でしたが、逆にはお父様がお母様の道をも開拓してこられた、というのが事実です。エバの再創造とはこういうことではないでしょうか?創立以前の内的教会史1977年5月1日 ニューヨーク ベルベディア◆はじめに 縦的な摂理歴史を横的に蕩減復帰することによって、み旨を成し遂げようとして、歴史の中に働いてこられた神は、韓国においても、教会を創立した一九五四年よりはるかに前から働いてこられて、「新時代が来たり、大いなるみ業が成されん」と韓民族に約束された預言を成就してこられました。これは私たちの教会の創立に関連しての、最も重要かつ偉大なる、神のみ業についての証です。 ◆復帰路程の三段階 原理的観点から見て、神の摂理路程は三段階に分けられます。神自身を中心とした摂理、天使界を中心とした摂理、そして人間を中心とした摂理です。 まず旧約時代は、神が直接働き給うた期間であり、未来の摂理基台を造成する準備をするために、神御自身自ら先頭に立って、自ら模範を示しながら導いてこられました。次の新約時代は、天使を中心とした摂理時代であり、天使界の働きに相当する霊的摂理として、霊的救いのみを成就する時です。そして最後の成約再臨時代は、実体人間の摂理です。そして人類歴史の終末期において、これらの神の摂理全体を代表する国、すなわち歴史の主要なる局面のすべてを縦的に取り戻す、一なる実体国家が現れなければなりません。 ここでアブラハムの供え物について見てみますと、彼は、祭壇上に鳩と羊と雌牛の三種の供え物を捧げました。ところがその時、鳩と羊は一対でしたが、雌牛だけは単独で捧げられたのです。それは摂理歴史において、一対の鳩で象徴される蘇生期と、一対の羊で象徴される長成期は成就しましたが、一頭の雌牛で象徴される完成期だけは、まだ成就しないことを意味するというわけです。そしてそのいまだ成らざる人類史の最後の章を成就するために、韓国が神によって備えられました。ですからこの国において、アブラハムの供え物のすべてが、横的に、実体的に現れなければなりません。 またこの国において、旧約時代を代表する神のみ業と、新約時代を代表するイエス様と聖霊の役事と、成約時代を代表する再臨の主のみ業が現されなければならないのです。それらのすべての摂理の基台が、この地上のどこかに実体的に立てられなければならないからです。 ◆女性の道 神の最終目的は、一人の完成されたアダムの創造でありますが、そのためには、エバが見いだされずしては、アダムは生まれ出てきませんし、エバを通してのみ、アダムも完成することができるのです。言い換えればアダムは、神によって送られた中心人物ではありますが、アダム一人だけでは全責任分担を全うすることはできません。エデンの園における人間堕落の動機については、全面的にエバに責任があるのですから、復帰においても、堕落の蕩減をするエバが現れて、その責任を果たさなければ、アダムの完成の道がないというわけです。 しかしまた、そのエバもまた、アダムなしには完成する道がなく、エバが完成するためには、まずアダムを生み出し、そのアダムから創造されなければなりません。結局、まずアダムが、この地上に生まれ出てこなければならないことになりますが、そのことに対しては、直接責任があるのは神でもイエス様でもなくて、その責任はエバにあるのです。エデンの園でも、エバがアダムを破滅させたのですから、アダムを育て、生み直す責任はエバにあるというわけです。 二〇〇〇年前のイエス様の時には、洗礼ヨハネがそのイエス様の相対の使命をもっていて、彼の使命が完遂されることによってイエス様がメシヤとして来るようになっていました。同様に再臨主の時には、エバ(女性の代表者)が洗礼ヨハネの役割を果たさなければなりません。しかも二〇〇〇年前には国家基準においてでしたが、再臨時代においては天宙的基準においてその使命を果たさなければなりません。 復帰摂理は、神の王座という最高の立場から出発するのではなく、人間としてのあらゆる面で、最低の立場から出発しなければなりません。なぜなら、アダムにこそ全人類の復帰に対する全面的な責任があるのですから、アダムは、その路程を地獄の最低の所から出発して、あらゆる人間の立場をすべて体験しながら、神の王座に至るまで上がっていかなければならないのです。そしてそこでエバに会い、初めはそのエバに仕えて、自らをアダムとして完成させていかなければなりません。 女性のもち得る最も尊い名称は、「母」でありますが、アダムは、その尊い自分の母に仕えるごとく、エバに侍らなければならない期間があるのです。また女性のもう一つの名称は妻あるいは花嫁であり、第三には、母、妻という家庭内にとどまる存在に対して、外的にはすべての女性の立場と栄光のうち最も高いものである女王です。そしてもちろん、これらのすべてを総合した神の国の女王が、女性だというわけです。女性は最終的には、このように三つの局面をもっているのです。 女性なら誰でも、もし、「あなたは良き母になれると思いますか」と問われたら、女性なら当然のこととして普遍的に、「はい」と答えることでしょう。それは「良き妻になれると思いますか」と問われたときも同様で、普遍的に「はい」と答えるでしょう。事実、女性である限り誰でも普遍的に、母と妻の役割はうまく果たせますし、これらの名を得る資格があります。 しかし、「あなたは女王になれると思いますか」と問われた場合、現実には社会においてすべての女性が一国の女王になれるわけではありません。誰が女性に女王の名を与え、その資格を認めるのでしょうか、神様でしょうか、それともイエス様でしょうか。 原理的にも、エバは、アダムに会うまではその名を与えられないというのです。しかし歴史を通して、この地上に数知れない多くの男性がいましたが、そのすべてが堕落したアダムの立場でしたので、実際は神の側の女性にとって、一人も真の男性がいなかったというわけです。ですから女性は長い間その名を受けることができず、歴史を通して常に誤った扱いを受け、虐げられてきたのです。そして歴史を通して、悪なる人、悪なる家庭、悪なる社会、悪なる国家、そしてサタンから悪なる方向に利用されてきました。 ◆女性解放史の原理的背景 それではいつ女性は解放の時を迎えるのでしょうか。キリスト教はこれを明らかに示しているのですが、すべての女性は一人の完成した男性を待ち望んでいて、その男性に会うまでは命によみがえることができないのです。ですから過去の全歴史を通じて、惨めな女性の歴史が続いてきました。 このように常に縛られてきた惨めな女性の立場に対して、一九一八年から一九八八年までの約七十年間は、多くの女性上位運動が起こり、女性の位置が向上してくる時で、男性を支配しようとする女性たちすら出てきます。最も典型的なウーマン・リブ運動の国はもちろんアメリカですが、今日のアメリカ社会でなら、ある意味ですべての女性が普遍的に、女王の役割を果たしているともいえます。この国では、女性たちが主人のごとく振る舞い、男性たちは小さくなってビクビクしていることが多いのです。 しかし本来の女性の立場はこういうものではなく、歴史的にも、聖書に書かれたヘブライ史を見てみると、女性の権利などというものはほとんど与えられていなかったことが分かります。そして神の摂理の中心的役割を果たしてきたのもすべて男性であるというように、聖書的概念によると、現代のかかる主管性転倒的状況は、正に異常な事態であるといえます。また聖書には女性は「ベールを被るべし」とありますが、それは女性は謙遜であるべしという意味であって、謙遜な立場で夫に会おうとする、ヘブライの女性の立場を表しています。 しかし、現代においてはどうかというと、ベールを被るどころか、自分の身に着けた衣服まで取ってしまう者まで現れてきました。先日先生は、ニューヨークの街で信じられないような光景を見ました。何人かの貧しそうなみすぼらしい男たちが、集まってピケを張り、デモンストレーションをしているのですが、そのプラカードには何と、「女性たちよ、我々を解放せよ」とあるのです。それは実にほかでもない、「男性解放運動」だったのです。 それにしても先生は、彼らが、原理を知らないがゆえにこういうことで時間を無駄にしていることを、残念に思わずにはいられませんでした。このようにこの世界に起こっている一時的、時代的な現象ですら、ただ漠然と起こっているのではなく、すべて背後には原理的な背景があるのです。 ◆神様の女性観 では、女性が権利を主張して、女性上位運動を続けていく期間は、どうして七十年間なのでしょうか。それにこの八八年までの期間はどういう時かというと、人類史上でも最も危機的な時代であり、神の全復帰歴史を終結せんとしている終末期に当たります。七十年は完成を意味しますが、今や女性は、女性本来の立場を回復しつつあります。それは真の男性に会う準備をする七十年間であるともいえます。ですからアメリカにおいて、女性が能動的、主導的になることにも理由があるわけです。しかし、時が来れば女性は、本来の相対的、受動的立場に戻るべきであり、その時が既に来たのです。それにそうしなければ女性はすべての男性を失ってしまうことでしょう。女性は、女性らしいしとやかな人と思われたいでしょうか、それとも、勇敢で男のような性質の人と思われたいでしょうか。 また男性の方も、男らしい奥さんが欲しいものでしょうか。先生がアメリカで祝福をした時、ある驚くべき事実を発見しました。先生が西洋の男性たちに、どんな女性、どの国の女性と祝福されたいか、と尋ねたところ、何と九九パーセントの男性が、「東洋の女性がいい」と答えたのです。西洋の男性と東洋の女性の組み合わせはよいでしょうが、西洋の女性が東洋の男性を夫にもつ場合には、不利な条件があるかもしれません。第一に女性のほうが背が高いということです。一般的に女性の中には、背の高い男性を夫にもちたがる人が多いし、男性のほうは、自分より少し低めの背丈の人を妻にしたい人が多いといえるのです。 女性のほうがより低く見えるほうが、より自然であり、正常であるといえるでしょう。神は、女性が常に男性を見上げ、尊敬するように、概して女性を男性より低くつくられたのです。それは女性のためにそうされたのであり、もし女性のほうがより高かったら、歴史を通して女性は、もっとトラブルの多い悲惨な道を歩んだに違いありません。神はまた、子供を生むために強い土台が必要であり、ほとんど家の中に座っている立場にある女性に、安定した下半身を与えられましたし、男性は、常に立っていて、女性のために働き、走り回っているので、やせてたくましくつくられています。 神は、神御自身の概念、構想理想に従って創造されましたが、それによると、男性は主導的、能動的であり、常に働いて実績を得てくるべく造られているし、女性は常に消極的、受動的で、夫を待っているというように本来造られているというわけです。 神が本来女性に与えた立場に帰る時が来ました。ことにアメリカの女性はそうしなければなりません。アメリカ社会では、女性があまりに強すぎるので、本来女性にあまり主管されたくないようにできている男性は、女性と一緒にいたいと思わないものですから、結婚してもなかなか一体化しにくいのです。男性は結婚しても、ホテルかアパートの個室に住みたいという人もいます。それに女性は結婚すると、金や楽しみやすべてのものを男性から奪い、いざ離婚するとなると、男性に何百万ドルもの莫大な慰謝料を請求します。ですからアメリカの社会通念によると、男性は一回以上、二回も離婚すると、惨めにも貧しくなり、女性からすべてを奪い去られてしまう。しかし女性のほうは逆に、二回も離婚すれば、ますます金持ちになるということです。そしてそのことにも意外な原理的理由があるのです。 神は男性に、サタン世界のすべての富にあずかることを許されました。そして歴史上にサタンは、女性を利用してその男性のもつすべての富を奪い取ってきましたので、今日終末時代に、神がすべてのものをサタンから奪い返そうとする時にも、女性を用いるというわけです。そういう摂理的理由があるのです。 では、どこに真の母、妻、女王を見いだすことができるでしょうか。今のアメリカ社会のホームにおいては到底見いだせません。女性たちを真の妻、母たるべく再教育しなければここにはいないというわけです。 ◆摂理の中の女性(一)神の花嫁 神は歴史を通して、一人の完全な理想の女性を探し求めてこられましたが、すべての女性の中で誰が、真の妻、真の母、真の天宙の女王に値するのでしょうか。ある意味ではすべての女性が、それらの範疇に属し得るそれらの候補者であるといえます。 女性が権利を主張して上位運動を起こし力を得てきたのは、終末期に神が、実体聖霊を選ぶ徴候だと考えられます。神は終わりの日には、最も典型的な真の妻、母を動員しようとしますが、彼らは自らをサタン世界のすべてから完全に分別して、神を中心とした典型的な妻、母、女王として神に来なければなりません。神は、そのように過去のすべての因縁を断ち切って、神に帰ることのできる勇気ある女性を探してこられたのです。そして神中心のある女性を選び出されました。そして神はその女性に命じられました。「あなた自身の今いる環境にありながら、サタン世界を完全に断ち切って勝利的な女性として立つために、神に対する絶対的な忠誠をもって真の女性としての使命を果たしなさい」と。 そしてその女性が、自らを完全に神の目的のために神の器として捧げ、神に服従せんと決意した時、サタン側に立つ夫が現れて、子供と一緒になって、「私のもとに帰ってきて忠実な妻として仕えないのなら、お前を殺さなければならない」と言って責め寄ってきたのです。子供も、帰ってこなくなったお母さんに、「どうしてお母さんは私たちを愛さなくなったのですか」と反抗するようになってくるし、周囲の人々、環境のすべてが、絶対的な信仰と忠誠を決意した彼女の道に激しく反対するという状況になってきました。 神はその女性が想像を絶する苦難に耐え抜いて、夫と子供との情的な因縁をはるかに超越した、そこまで絶対的に神を中心とした、信仰の極致にまで行くのを見届けなければならなかったのです。その女性がそのような蕩減や試練を通過していようとは、神ならぬ誰も知らなかったのですが、真のエバを復帰するためには、そのような人知れぬ試練の道を通過しなければならなかったのです。 この女性が真に神を中心として立つためには、神への忠誠のゆえに、夫と子供、全家族が、一度ならず二度、三度と、三回以上彼女を殺そうとする試練を通過しなければならないというのです。その女性は夫と子供の憎悪の対象となる心情的十字架を耐え忍び、ナイフで体を切られたりして迫害されながらも、その最高の迫害に勝利しない限り、絶対的神中心の男性の花嫁の立場に立つことはできないのです。 カトリック教会には二〇〇〇年来、尼僧と呼ばれる人たちがいますが、この尼僧とはどういう存在でしょうか。尼僧たちは、「自分はイエス様と結婚しました。イエス様が私の花婿であり、私の父でもあり、王でもあります」とイエス様を自分の夫、父、王の立場においています。ですから尼僧の生活は摂理的にいえば、いつの日か真の男性、すなわち真の夫、父、王に会う一日のための準備だといっていいでしょう。しかし神の最終的な目的は、女性をそういう立場にとどめておくことではなく、あくまでも女性が真の母、妻、女王になることでありますから、尼僧はそういう立場で、神中心の女性としての訓練をしている者であるといえます。 しかしながら、神に仕える女性に二つの型があって、一方は完全に絶対的に神に従い、想像を絶する迫害に耐えて、自分自身のいたその環境の中で勝利します。そしてもう一方は、自分自身を壁で囲い込んで完全にサタン世界から隔離しますが、そう苦痛もなく気持ちよく生活しているとしますと、前者のほうがより困難な道でありますし、神の同情は当然そのほうにあるに違いありません。 ◆摂理の中の女性(二)霊的メシヤの花嫁 韓国に、神の摂理歴史において中心となる代表的な女性が現れなければなりません。「私の夫は神であり、イエス様です。そして神とイエス様と常に交流しています」という、選ばれた女性が現れなければならないのです。 そしてある女性が選ばれ、「あなたは真の妻であり、母であり、女王である」という啓示を絶えず神から受けていました。その女性は、普通の人が見ても美しくはなく、あまり苦労しましたので顔色も青ざめて栄養失調のように見えますし、常に山に祈りに出かけてむしろ惨めな者に見えました。しかし心の中ではいつも、自分はイエス様の母であり、妻であり、花嫁であるということを感じていました。そして彼女が、「メシヤの妻となるために準備しなさい」という啓示を受けるのです。ところが神が彼女に啓示を与える時に、そのメシヤなる人は、息子のようでもあり、夫のようでもあり、王のようでもあるというように、三つの立場をもつ者として啓示されました。 実際、メシヤが来られる時、メシヤたる者は王として現れるのではなく、人間の基準として最低の所から、最も惨めな僕の僕の立場で現れ、そこから出発します。メシヤはまず、「僕の僕となれ」という啓示を受けて、その人生を人類の僕の僕として出発するのです。またメシヤは、二つの面における完成を全うする使命をもっています。一つは霊界に対してであり、霊的な地獄から天の王座という最高の立場にまで霊的に上がっていくことによって、全霊界の解放者となるべき使命です。 ですから先生はまず霊的地獄からその路程を出発し、不敗不屈の霊的勝利者として天の王座にまで上がり、霊界において主管者であることを宣言し、それからまた実体として地上に下りてきて、実体的な地獄生活を出発し、同じ道をずーっとたどって頂点まで上がっていくのです。 実体的な摂理路程においては、メシヤは神によってではなく、エバによって祝福され、生み直されなければなりません。その備えられた女性を見いだしたなら、まずそのエバによって祝福されなければならないということです。ですからその女性が初めて主に会う時は、彼女に仕える僕の立場にあります。 人類の代表たるアダムでありながら、なぜ僕であるのかというと、エデンの園における堕落において、男性は女性を主管すべき立場であったにもかかわらず、女性に主管されてしまいました。ですからその主管性転倒を復帰するために、信じられないような仕え方でその女性に侍っていくのです。考え得る限りのことを、その女性の体を洗うことまでもして僕として侍らなければなりません。 その女性は自分の夫より、息子より先生を信頼しました。 ◆歴史を生きるメシヤ そうするうちにこの女性は、「あなた(男性・僕の僕は天使界を意味する)はもう既に僕の道を卒業しました」という啓示を受けました。メシヤは僕の立場から出発しますが、僕の段階は旧約時代に当たります。そこから養子の基準、実子の基準と上がり、それから夫の段階へと進みます。 このようにある人がメシヤとして来た場合、その人自身の一生の間に、旧約から始まり新約、成約というように、全人類史を通過しなければならないのです。そしてその路程を通じて、メシヤにおいてあらゆる段階が全うされなければなりません。すなわち、僕の立場も、養子の立場も、実子の立場もすべて全うし、さらに夫の立場、父の立場、そして最後に王の立場まで全うして、それらの各段階で完成しなければならないのです。 一人の男性において、この全プロセスのすべてが通過されなければならないというわけです。しかもその過程においては、神が主管するのではなく、女性が主管していきます。そのために選ばれた女性は、メシヤを僕の段階から次第に最頂点にまで引き上げながら、自らも僕段階から、養子、実子段階と全歴史内容を横的に通過し、完成していかなければならないのです。 しかし彼女を非常に混乱させたことには、絶えず神の啓示が下りて、各段階を卒業したという告知がたった四十日間に立て続けにあったのです。どこにいても神の声が聞こえてきて、次々と前とは違ったことが啓示されました。まず、「彼はあなたの僕だから僕として彼を用いなさい」と言われたかと思うと、次の日には、「彼はあなたの息子だから息子として愛しなさい」と言われますし、その翌日には、「彼はあなたの夫だ」という具合なのです。そしてついには突如として、「彼はあなたの王であるから彼を王として(彼に)仕えよ」という啓示が来たのです。 メシヤが歴史路程の各段階を最高の立場で完成し、全歴史路程を横的に通過した時、初めてメシヤとして夫、王の位置に立つことになり、今度は女性のほうが、男性の前に僕の立場から完全に服従していかなければなりません。しかし彼女は、先生を王として侍ることを願わなかったのです。むしろまだ僕として使うことを願ったからです。それが原理を知らなかった彼女には最高の立場に思えたからです。 イエス様も初めは、洗礼ヨハネから祝福を受けて侍る立場でしたが、一度主管性転倒を復帰してその段階が終わると、完全に主体は逆転します。再臨主においても、僕の段階を完成して主管性転倒を復帰すると、完全に女性を主管し、命令する立場に立ちます。 これまでこの女性が与えた祝福は、すべて霊的なものでしたが、一度男性が王の立場に立つと、彼女は神の器として、僕の位置から出発し、養女、娘、妻、女王の立場と上がっていかなければなりません。そして女性のほうもすべての段階に勝利して、今度は男性がメシヤの立場において実体的祝福を与えることになります。この女性の場合も、一度主管性の転換がなされると、絶対的に服従する立場に立ち、そうしなければ彼女自身の責任分担を果たせないことになるわけですが、彼女にとって、それは容易なことだったでしょうか? 先生は原理を知っていますから、通過すべき路程はつぶさに知っていますし、今どこを通過しているかも分かりますが、この女性の方はただ啓示を受けただけで、盲目的にその啓示に従ってきただけであり、原理は全く知らなかったのです。何しろついこの前まで、「その男性は僕である」という啓示を受けていたのが、しばらくするとすぐ、「この男性はあなたの王である、彼に服従しなさい」というのですから、原理を知らない彼女の心はますます乱れ、今や完全に混乱してきました。 (子羊さんとtomy4509引用が重複する部分) 先生は原理を知っていますから、通過すべき路程はつぶさに知っていますし、今どこを通過しているかも分かりますが、この女性(神の夫人)の方はただ啓示を受けただけで、盲目的にその啓示に従ってきただけであり、原理は全く知らなかったのです。何しろついこの前まで、「その男性は僕である」という啓示を受けていたのが、しばらくするとすぐ、「この男性はあなたの王である、彼に服従しなさい」というのですから、原理を知らない彼女の心はますます乱れ、今や完全に混乱してきました。 彼女はそれでも神への絶対的な忠誠を示して使命を果たすべきだったのですが、絶対服従ということは、その時の彼女にとって容易なことだったでしょうか。彼女はまるで神様から裏切られたかのように感じてしまったのです。今や神様は私をお見捨てになったのだ、とその女性はその場で気が狂ったようになってしまいました。「どうしたというのでしょうか、神様、あんなにも私を愛しておられたのに、今になってこんなにひどい扱いをなさるとは」と狂ったように先生の周りを回っては、「あなたはサタンだ、サタンに違いない、あなたを殺さなければならない」とサタン扱いし始めたのです。 しかし一度メシヤが主の立場に勝利している以上、その女性がどういう立場に立とうと、メシヤの勝利は不変であり、摂理は不変であります。もし彼女が悟って悔い改めないならば他の女性が代わって摂理されるだけです。 ◆創立以前の内的摂理 これらのことは、外的な教会が創立されるまでの内的な経過として、外的な教会史の始まる背後に隠されていた象徴的、内的な摂理であり、肉身世界に現れるまでに、霊界を通じてなされたものです。 先生がひとたび、このような内的な勝利基準を立てると、今度は実体的に目に見える形で世界に現れることができます。そして実体的に僕の立場、養子、実子、夫、父、そして王の立場まで勝利していきます。主自身の肉的な一生の間に、六〇〇〇年の全縦的歴史が横的に蕩減されなければならないわけです。一九四七年に先生の公的伝道期間が始まる以前にこれまで述べた内的摂理の経過があったのです。 今はすべて実体的に現れてきましたから、あなた方も主が来られたことを知っています。それは、既成の常識的な思考法からは何と異なった、革命的な事実でありましょうか。 一九四七年から統一教会の公的な復帰が始まる一九五四年までの七年間は、統一教会が実に信じ難い苦難を通過した期間であり、この七年間に実体的な組織を発足するための実体的な条件を立てるために北韓共産陣営での苦役等、言語を絶するようなあらゆる苦難を通過したのです。それによってこの七年間にすべての基台が立てられて、一九五四年には正式に世界基督教統一神霊協会の創立に至りました。 今まで語った路程は、先生がたった一人で歩んだ寂しい孤独な道でした。共に行く友も、支える者も、理解する者もいない孤独な闘いを、先生は闘い抜いたのです。今まで共に歩んでも、本当に先生を理解できる者は誰もいませんでした。三十年前に韓国の古い食口たちに語ったことも、誰も本当には理解できませんでした。彼らは、知的には分かったけれども、心情的には分かっていなかったのです。そして三十年後の今になって、先生のところに来てこう言うのです。「先生が三十年前に言われたことが今分かりました」と。あなた方も同じことで、先生が今語っていることが、三十年後に実現されてその時理解される、ということも多いことでしょう。 今なお孤独な先生です。人間なら行きたいとは誰も思わない孤独の極限の道です。しかし神御自身がたった一人で孤独な方であることをよく知っているがゆえに、先生は子として責任をもってその使命を引き受けたのです。真の復帰の道は決して安易な道ではありません。それは実に困難な道であります。先生についてくることも困難なことです。 ◆秘められた真の統一教会史 きょう、統一教会の創立二十四周年を迎えましたが、この二十四年間は教会の外的な歴史であり、協会創立の基台をつくろうとした創立以前の歴史こそ本当の統一教会の歴史です。そしてそれはわずかな人々のみが知っています。そして先生が真に信頼できるのは、そういう時代を共にしたこの人々だけです。 きょう語った「エバの道」も、外的歴史の背後に秘められた歴史であり、かつて語られたことのないことです。先生は僕、養子、実子、夫、父、王というすべての段階において、歴史上でその範疇に属したどの人より、すなわちどの僕、養子、夫、父より苦労して、それらの範疇に属するすべての者たちを復帰しなければなりません。そういう苦難の道を行くべく運命付けられている先生です。しかしこれらの蕩減時代、苦難の時代ももうすぐ過ぎ去るでしょう。長くて一九八一年までです。そしてついに神のみ旨は成就するに違いありません。 ◆原理の力と復帰 原理が明かされるまでは、数多の哲学者や宗教家はあれど、誰一人として秘められた神の心情と聖書の真義について知る者はなく、霊的には暗闇に覆われているかのような世界でした。そして、その闇の中に昇った明るい太陽のごとくに現れた先生は、陽光が万物にくまなくさし通ってすべてを照らし出すごとく、すべての宇宙の原理を詳細に明かしました。今や万人が、真理の光に照らし出された神の真の像と、歴史の真像を知ることができます。 先生は、真理を理論的に解明し発表しただけでなく、真理に生きた人です。実人生における体験を通して宇宙の真理を知ることができました。そしていち早く、その原理を知ってここにいるあなた方は、いわば霊的エリートといえるかもしれませんが、事実は特別な啓示を受けたわけでもなく、人並み優れた高い良心基準をもっていたわけでもなく、別段エリートらしき何ものもない、たまたまそこに居合わせた見物人のような立場でありながら、どうして幸運にもここに来ることができたのでしょうか。それは原理自体の力によるのです。原理には、神の直接の啓示にはるかに勝って、人間を指導し造り変える偉大な力がありますから、原理を知ること自体が、啓示や高い良心基準の役割を果たしたのです。 しかしながら原理自体の力によって引き上げられて、知的に原理を理解してきた者が多いために、啓示を受けた人々が無条件に神に従っていくのに比べて、あなた方には何事につけ、あまりにも理屈で考えすぎる傾向があるようです。先生の指示に対しても無条件に反応するというより、「従うべきかどうか」と考えてしまうというのです。とにかく何のゆえにかたまたま、幸運にも先生と巡り会ったことによって、あなた方の上に大きな変化が起こり、あなた方は急に献身的な信仰生活を送るようになったわけですが、それも原理の力によって、あなた方の心の中に何か奇跡的な内的変化がもたらされたからこそ喜んで献身生活のできる人間に変えられたのだといえます。 復帰の業は困難です。それに比べると自分たちで自家用の飛行機を造ることでさえ簡単だといえるくらいです。他のどんなことも復帰の業の難しさに比べたら簡単なものです。復帰という仕事だけは文先生にさえ難題です。よくぞ神は、全人類の復帰の直接の責任をあなた方に与えられなかったと思います。神からそういう使命を与えられなかっただけでも、あなた方は本当に幸せです。そのあまりにも重い責任に耐えて、それを消化し得る人が、文先生以外にいるとは思えないからです。 あなた方が先生、マスター等どんな尊称で先生を呼ぼうと、生きている間には決して先生の真価は分からないでしょう。そして死後霊界に行って初めて、突如として自分がいかに先生にふさわしくない者であったかを悟らされるはずです。 ◆歴史的失敗と清算 アダム、エバそしてカイン、アベルから始まった聖書史は、初めから失敗の記録であるといえます。そのあとに続くアブラハム、ノア、モーセ等の歴史上の預言者たちもすべて、歴史の上に失敗を残し、洗礼ヨハネも取り返しのつかない失敗をしました。そしてイエス様の使命でさえ、第一次摂理としては失敗だったというのですから聖書全巻を通じて失敗の記録だというわけです。 そしてレバレンド・ムーンの時が来た今、先生において過去の失敗のすべてが償われるべき時が来ました。今や過去に失敗した失敗のすべてを寄せ集めて蕩減し、清算し尽くすことによって、歴史の糸のもつれのすべてを解いて、再びより合わせて勝利へと結ぶ時なのです。 今、驚くべき奇跡の上に立って、一人の驚嘆すべき人物を見ているあなた方です。この一人の人において歴史上の失敗のすべてが清算され、正しく復帰されて、一つの統一されたみ業として帰結せんとしているのですから。こうして家庭基準から世界基準へと拡大する勝利の基台を築き上げ、先生自身としては、なすべき責任のすべてを果たし尽くして、いわばもう休んでもいい立場にあります。罪なき神の息子としての誇りをもって、誰に恥ずることなく霊界の王座に座しながら、「愛する父よ、私はついになしました」と言うこともできます。 先生は、盲目にして無知なる人間の行為の記録ともいうべき人類歴史の背後に、一つの公式とパターンのあることを悟り、その歴史の秘密のすべてを解明して歴史の法則と原理を見いだしたのです。 ◆出会いは興亡の接点 先生と出会うということは実に難しいことです。その出会いにおいて誤れば大変なことになるからです。先生が直接伝道していた人々の中にも、正しく出会わなかったがゆえに、自らを滅ぼしていった人々がたくさんいました。 過去の歴史においても、主に正しく出会わなかった個人、家庭、氏族、国家は、最後には十字架に追われ滅亡していった事実を多く見ることができます。先生は最も重要な人物でありますが、それと同時にもし正しく出会わなければ最も難しい人物です。アメリカにとっても、もしあなた方アメリカ人が先生に正しく出会わないとすれば、先生があなた方の十字架になるかもしれません。世界もまた例外ではなく、正しく出会わなければ滅びていくほかありません。谷底へと転げゆく汽車のごとくに、下り坂をまっしぐらに駆け下りてきて、今にも谷底に転落せんとしていた人類史でしたが、先生はその滅びゆく個人、家庭、国家、世界と出会って、その滅亡を止めるために来たのです。 神のみ業は、常に最も衝撃的革命的な逆転の業ですが、統一教会のなせることも正にそれでした。そしてあなた方は今、そういう運動に参加しているわけですが、歴史の重荷を自分のものとして担い、下向する歴史の方向を逆転せしめる原動力となるのは自分たちだと考え、それだけではなく実際に自分の肩にその重みを「重い」と感じている者でない限り、参加しているつもりでも、見物人にすぎません。 また、ある一つの宗教運動が起こるためには、その道を直くするための多くの教団が立てられますが、この運動のためにも、旧約から新約、成約に至るまで、あらゆる段階の教団が立てられ、一なる最終的目的を求めて立てられたこれらの教団は、ある段階における、ある目的を達成しては、歴史の中に消えていきました。 そういう歴史的に積まれた基台の上に、韓国から現れた統一教会と文先生は、世界中に論議を巻き起こしましたが、その革命的性格からして、私たちの前には二つの運命が考えられます。私たちが滅びるか、世界が生きるかであり、二つに一つです。 ◆七年路程と七千年歴史 「復帰」とは、正にすべての鍵となる言葉であり、それは実に、実に困難なる業です。そこにおいては、条件なしに段階を飛び越えたジャンプというものは許されず、厳密な公式に従って一歩一歩踏みしめながら、しかもその一歩一歩に全生命を込めて上がっていく以外にありません。その途上に、もし自分という意識のある者は、そこに立ち止まることも、前に進むこともできず、そこで消えていかざるを得ないのです。 聖書的史観によると、創造から再創造の完成までは、七〇〇〇年であると言われていますが、この全七〇〇〇年が、一人の人によって七年間の路程の中に実体化されました。そしてそのためには一人の人、文先生の四十年間の人生は、七〇〇〇年の負債を全部返し尽くさんがために歩み抜かれなければなりませんでした。もし原理というものを、先生がただ口で語って発表しただけだったとすれば、神も、サタンもそういう原理を原理として認めたはずがありません。 公式に従って具体的に負債を払いきらなければならないのですから、そのためには、先生が自分から戦いを挑み、その戦いに一つ一つ着実に勝利していく以外に道がなかったのです。サタンもそうして実証された原理に対しては、何も言う条件がありません。 こうして語る前にすべて具体的に生活され、既に実体化された原理ですから、この一人の人によって既に実体的に探しだ出れた復帰の道を、あなた方はただ一歩一歩歩んでいけばいいのです。いわば勝利の基盤の上に既にガソリンも入れられて走っている、経験ある運転手(先生)の車に、たまたま拾い上げられたヒッチハイカーのようなあなた方です。先生自身の目標は既に果たされたともいえる今、そういうあなた方はむしろ重荷になっているかもしれません。本当は先生を親のように呼ぶ資格もないのですから、親と呼ぶ前に息子、娘としてふさわしい成長をしてから来てほしいものです。 先生が、七〇〇〇年人類失敗史を七年間の路程で償えるように、七年間で七〇〇〇年分を歩み尽くせる道を示したのですから、つまりあなた方は、わずか七年間を歩むことによって全七〇〇〇年歴史を歩んだ立場に立てるというのですから、いわば誰でもが走ることのできる超高速道路が敷かれたようなものです。なすべきことは、ただこの七年路程を走り抜くのみです。しかしながら実際問題として、七年路程を全うするためには、カルバリの丘を十字架を担いでいかれたその瞬間のイエス様のごとくに、それくらい真剣に歩むことを決意すべきです。何しろ七年間に、僕の僕から出発して、僕、養子期を経て、実子期、夫婦期、父母期を通過して天宙の王に至るまで、あらゆる障害を乗り越えてその一つ一つに勝利を勝ち得なければならないのですから。またそのためにはこの地上で肉体をもって歩み得る期間というものが、いかに貴重であるかが分かります。 先生は実体基準で既に四十年間歩んで、その上で今、七年路程を歩むことを教えているのですから、あなた方にはわずか七年間でいいにもかかわらずこの上もっと易しい道を与えてほしいなどという者がいるとすれば、それこそ盗人根性にも等しいものです。 ◆出発の原則 一九五四年五月一日、先生が教会を創立した時、小さな古ぼけたむさくるしい家、つまり初代の統一教会の前に、ささやかな看板を出しました。それは歴史上で最も小さな看板でありましたが、しかしその小さな町の、一番小さな看板に示された言葉というものは、他のどんなに大きな看板よりも、もっと大きな内容を意味していました。「世界基督教統一神霊協会」とあるのですから。 私たちの教会の出発はそういう所からでした。部屋はといえば、頭を壁に付けて横になると、足が向かいの壁につかえるくらい狭かったのです。しかも当時は、その粗末なみすぼらしい家屋でさえ、教会のものではなく借家でした。ここアメリカでは、全五十州に一つの実体的な基盤としてのセンターが既に設置されていますが、今あなた方がなさんとしている内容自体は、先生が二十四年前に歩んだ路程のそっくりそのままです。 五十州から来ている地区長たちを見てみると、教会員たちから、まるで僕から侍られるように侍られているようですが、もし初めから指導者が、「私は地区長であり、教会員に仕事を命令する立場である」と教会員に侍られることを願うようでは、そういう州や教会は決して成功しません。先生はそういう指導者の道を教えたことはありません。僕の立場から出発して、養子、息子、夫、妻と段階を踏んでいく原則の道をいかない限り、決して成功することはできないはずであり、そういう道を行くことなしには、今日の統一教会もあり得なかったことでしょう。 例えば、統一教会の女性ならばどういう所から出発すべきかというと、「私には男性を見る資格すらありません。どんな男性も私にはあまりにも立派過ぎてふさわしくありませんし、こんなに幼い自分ですからかえってその人の重荷になるだけです。また、路傍をさまよう乞食が自分の夫になるかもしれないと想像してもみましたが、外的な乞食はかえって内的には神の人かもしれないと思うと、なおもその乞食にすらふさわしくないことが分かりました。ですから自分の祝福のことなど考えないで、ひたすら神の目的のために献身させていただきたいのです」と先生もそうしたごとく、あなた方もこのように、僕の僕の立場、完全に自己を否定した立場から出発すべきです。 ◆僕から王まで 僕から出発して養子、実子と上がっていくということは、主人がある僕に対して、「お前は本当にいい僕だから私の養子にしよう」というようなものであり、またその養子の中から、「お前は本当にいい養子だから私の実の息子にしよう」ということになったり、実子の中から、「お前は私の真の息子だから私が祝福してやろう」と、夫、妻の立場に立てたりするようなものですから、そういうことが簡単にたやすく起こり得ることでしょうか。具体的に「上がる」ということは簡単なことではありません。 そして、神があなた方を祝福するということは、そういうことであって、僕であった者が両親の立場にまで上がるというのですから、容易なことではないのです。そしてついに祝福されて子供を生むと、その子供は、原罪と関係のない神の血統圏に生まれて、直接神の国に入ることができるというのですが、しかしその子供の両親に、「私は完全に原罪から解放された」という確信なくして、どうして自分の子供を罪なき子女として生み出すことができるでしょうか。そして実際にそういう確信を心からの実感としてもつようになることは生易しいことではありません。 こうしてあなた方自身が、父母を経て天宙の王の位置にまで上がって霊界に行くと、全霊界の貴族、知者、聖人等すべての高貴なる人々が頭を下げてくるし、自分の先祖たちもまた、「我々の一族を天国に引き上げてくれる者がいる」と言って、集まってくるようになるのです。原理を知って主に出会ったあなた方は、真の先祖として、何と家系図の頂点に位置しているのです! ◆原理と祝福 先生は今五十六歳ですから、十六歳で使命に出発してから既に四十年を経過しました。その四十年間に先生は、あらゆる分野における路程を歩み尽くし、すべてを勝利的に完結して、その全路程を七年間で歩み得るものとして体系化しました。その四十年間というものは、思えばすべてが大いなる体験ばかりでありましたが、実に言うに言えないいばらの道の連続でもありました。こうして体系化された七年路程のうち、最初の三年間というものは、実際のところあなた方が自分自身の必要を満たすための歩みであると言ってもよい期間です。神のためでも先生のため、教会のためでもなく、自分自身の祝福の資格を得るための期間ともいえるからです。三年間、我を忘れて自分の祝福のことも忘れてひたすら歩んでいる時に、祝福が突如として来たというのが本当です。 先生自身の小羊の婚宴においても、ある日突如として、啓示に次ぐ啓示を受け始め、「我が息子よ時が来た、祭壇を備え献祭をささげよ」と告げられたのです。お母様にしても、先生の夫人になろうとは夢にだに思えない立場で、目立たない一教会員だった時、突如として小羊の婚宴の一日前に祝福を霊知したのです。 その日突然、「一人の男とあす結婚するのだ」と告知されたのです。それが原理の道です。ですから自分から意識的に、「私は祝福されるべきだ」とか、「自分は祝福に値する」という思考過程自体が、カイン的、サタン的思考法に近いといえます。厳密に見れば、祝福を受けるに値する者は一人としていません。このままで死んで霊界に行っても、完全には神の国に入れず、中間霊界の中継所にとどまって、天国への入り口のロビーあたりで再教育を受けながら、天国へ入れてもらえる日を待つほかありません。ですから不平を言うことなく原理の道を歩むことです。先生でも、もし「神よ、私にもっとたやすく歩める道をお与えください」などと不平を言ったとしたら、神は「お前は私の息子ではない」と直ちに他の人物を立てられたに違いありません。 ◆大いなる特権 摂理歴史は人間堕落の所産であり、堕落のゆえにのみ摂理が必要となりました。これまで語ったことを通して、二十四年前の先生の心情をしのび、少しでも感じてほしいものです。当時それは、不可能に近いほど困難な道でした。また何と寂しい孤独な道だったことでしょうか。 当時先生は、頻繁に取り調べを受けながら、苦難の道を歩んでいました。先生の未来に果たすべき天宙的使命を知る者もなく、一人先生自身のみ、人知れず自分が何者であり、未来に何を成し、どこに行かんとしているかを知っていましたから、ひとたび天の前になした誓いと決意を不変のものとしながらここまで歩み続けてきました。多くの人々が、一度は先生を信じて従いながらも、結局自己中心的な人であった場合、この道を歩むことに疲れ果てて、耐えきれずにこの運動から去っていきました。み旨のために自分なりの人生というものを完全に断念し、自らの命を捨てることのできた者のみ、最後まで先生について歩むことができるのです。 先生が四十年間で歩んだ公式路程を七年間で歩むというのですから、その圧縮された七年間は急速に駆け足で過ぎ去ります。ですから一点の間違いもなく、絶対的基準で行くべきです。そしてこの期間において、個人のためだけでなく、家庭、氏族、国家、世界のために、心の張り裂けるような痛みと涙に満ちた体験をたくさんもつべきです。そのためには安易な道を願うのではなく、眠ることも忘れるほどみ旨に燃えた生活を送らなければなりません。 最低の所から出発して、毎日、前日より自分自身の心霊基準がより高められたことをはっきり自覚し得るくらい、確実に具体的に成長し、上がっていくべきです。そういう実感は、自分自身が感じるだけでなく、瞬間瞬間にあなた方の成長を待っている霊界がそのように命じ、感ずるものでもあります。今後、先生の教えがさらに綿密詳細になり、より分析、整理されて、直接的、字義的に表されてくる時、そこまで実体的に真理を知ることのできるあなた方は、何と大いなる時に、黄金のごとく貴重なる時に生きているあなた方でありましょうか。可能な限りの最短の時間圏内に、かくも膨大なる七〇〇〇年分の路程を踏破した条件をもつことができ、神の歴史に偉大なる貢献をなす人物となり得る立場が保証されている時が、正に今なのです。 今、私たちは、神の歴史の登場人物となり、創造者ともなって、神の歴史の最後の一章を書き下ろしてフィナーレを告げんとする、正に復帰歴史の頂点に生きているのです。そして生きている先生と共に働くことができるという偉大なる特権にあずかっているあなた方です。七六年、先生と共にワシントン大会のための歴史的一戦に参加し、その勝利にあずかったことも、今後入ってくる人々が決して得ることのできない特権でした。それは歴史上に一度だけあり、二度とないのですから。 ◆七年路程の終末的意義 七年路程に対しては、自分自身が具体的に歩んで勝利すべきものとして、骨の髄まで実感しながら、神の前に、「これから出発する七年路程において二度とアダムとエバのごとくなることなく、アダムとエバの完成する道までも歩んで、七年以内に必ず終了します」と神と対決するような真剣なる祈りをもって決意すべきです。聖書にも、「七年間の艱難の時が来たらん」と書かれ、「その時には生き残る者は少ないであろう」とも預言されています。この言葉は成約の時にも実に真ではないでしょうか。なぜなら、事実、真に神を知り神への献身を決意した者のみ、七年路程を勝利的に通過して生き残ることができるのですから。 しかしあなたがかかる出発の決意をなして一つの方向を定めるや、まず環境からの反対や様々な障害、あらゆる苦難が一挙に襲いかかるような状況となり、サタンがあなたの行くべき道を破壊せんとしていることを知るでしょう。そして自分の一番大切にしているものが次々と、何も残るものがないくらいことごとく奪い去られ、一切の事情環境が正に最低の所まで追い詰められていくものです。神はあなた方を最低の所まで陥れることにより、僕の基準までいったん下らせるために、サタンを用いるからです。そこでその最低の事情環境を消化し主管していくことができなければ、そこを通過できないことになります。 ◆死なんとする者は生き では、その最低の僕の立場から出発したとして、どうしたら養子や息子の立場に引き上げられ得るでしょうか。そのためには、僕のために自らの命を捧げて犠牲になることです。そうすることが結局は最も早道です。肉体をもった人生というものは、ふと一瞬たってはたちまちかき消えてしまう朝もやのごとく、束の間のはかないものなのですから、喜んで犠牲になろうではありませんか。 先生が歴史のすべての秘密を発見して、歴史というものを改めて見てみた時にも、「死なんとする者は生き、生きんとするものは死なん」と言われたイエス様のみ言を、己の骨髄にまで染みて痛感しました。一度ならず何度も何度も、自分の命を失うことが、勝利への唯一の道なのです。僕から父母に至るすべての段階において自分の命を捨てきって歩むことです。七年間ただ命を断念して、勝利的にこの路程を越えていった時、突如としてあなたの前に宇宙は一変して、宇宙の全生命が自分を守っていることを感知することができるでしょう。 ワシントン大会の時にも、その大使命を成就するために先生は、いつでも死ぬ覚悟がありましたし、無条件に全面的に命を投げ出し、完全に死にきってもいました。それほど、のるかそるかの絶対的に追い詰められた境地に立たなければ、イエス様、先生、そして神の事情を到底理解することはできません。一つの絶体絶命の限界状況に直面してみて初めて私たちは、自分がいかに哀れな足りない者であるか、自分というものが何者であるか、はっきりと知ることができます。 そのくらい真剣に歩むことによって日々自らを再発見しながら、一日一日を新しき日として、先生の基準を目指して日々発展していくというような私たちの日常生活であるべきです。外に吹きすさぶ嵐を乗り越える最善の秘訣も、自分自身を乞食をもうらやむような最低の位置におくことです。良い食事や十分な睡眠、快適な生活等はかえって重荷になるだけです。自分を僕をもうらやむような僕の僕の位置においてみて初めて己を知ることができ、知れば飛躍することができます。先生も三十五歳までは僕の僕たることに徹して、自分の服を買ったこともないし、整髪料等をつけたこともほとんどないくらいです。その上いつも四十五度以上は顔を上げずに下を向いて歩いていたほど、罪人の立場に自らをおいていました。一人の罪人になりきっていたのです。 また、自然が罪なき真の人間によって見られたいと願っていることを知りながらも、自らの摂理的使命を成し遂げるまでは、清き自然を見る資格も権利もないことを感じては、大自然の前から身を隠したくなるのでした。罪人となって歩む自分自身が、真に罪深き者として感じられるほど、そうなりきっていたからです。 ◆聖人の道 この世界のすべてを知り、そのすべてを超え得た先生の心は、もはや何ものによっても動かされることはありません。巖のごとく固く立った先生です。自らの指を切って血で誓約を書き、先生の前に忠誠を示さんとした多くの女性たちもいました。宗教的試練を乗り越えるということは実にたやすい業ではありません。周囲に押し寄せてくるすべての誘惑を乗り越えて、基台を築いてきた創立に至るまでの苦難には、実に計り知れないものがあります。そして先生がすべての十字架を越えて勝利したその結実に、今あずかっている自分たちであり、神と先生の前に一言も言えないあなた方であることを知るなら、常に自らを謙虚な感謝に満ちた立場におくべきです。それは、あらゆる摂理的勝利を成した今もなお、先生が神の前にもち続けている姿勢でもあります。 この七年路程が、かかる苦難の結果としての恵みであることを知ったのですから、この期間をあらゆる体験をなす絶好の機会と思って、呪われ、嘲けられ、飢え、打たれ、迫害されるすべての体験を貴重なるものとしながら、「そういう体験があったからこそ、私は神と先生とイエス様の心情を知ることができました」というような歩みをなしたいものです。 先生のこの小さな手は、実に膨大なることを成し遂げてきた手です。そして、このような人知れぬ霊的開拓の道の上に、創立に至る教会の基盤が築かれてきたのですが、それは真にたやすい業ではなかったのです。あなた方もみ旨のための活動中に、人々から殴られたり、蹴られたり、顔に唾されたりしたことがあるかもしれませんが、そういう時こそこう考えるのです。“ああこれが、歴史上のすべての義人、聖人、神の人が歩んできた道だったのだ”と。 ◆神様は泣いておられる しかし外にいる人々に唾をかけられたり、打たれたりしても、そういうことが苦しいことではありません。かつて共に食口として歩んだ人が、神を裏切って去っていく時、それ以上悲痛なることがあるでしょうか。そういう痛みまで体験して初めて、イエス様が外的な敵、すなわち具体的に十字架に釘づけた人々による外的迫害、裏切りだけでなく、ユダによる裏切りのごとく、最も痛い内部からの内的迫害を受けた方であることと、その痛みというものを少しでも理解することができるでしょう。 先生は共産陣営のみならず、自由主義の韓国においてさえ、刑務所生活を体験しました。西大門刑務所に行ったその日のことは、永遠に忘れることができないでしょう。その日、刑務所に引かれていく時、一人の教会から去ったかつての食口が先生に駆け寄ってきて、侮蔑に満ちた嘲笑を浮かべながら言ったのです。「あんたはまだそんな馬鹿なことをやっているのかい、俺のように早く卒業することだな」と……。先生は永遠にその男のことを忘れることはできません。一言も語らず黙然として彼の前を引かれていきましたが、心の中で神に向かって叫びました。「神よ、今こそあなたの義と、私のあなたに対する従順を証させ給え」と。 このようなことを一度ならず幾度となく味わってきたのですから、目を閉じて祈り始めると、いつも涙を止めることができずに痛哭する先生です。神のそういう悲しい内情がよく分かるからです。そして同じ事情を味わい、その心情を知ればこそ、そういう神の心情を誰よりも慰めることができるのです。親はもちろんのこと、妻も子供も分かってはくれない、一人として理解する者もない、そういう時こそ、孤独なる神の友となることができるのです。 一人の男がこんなにも弱くなり得るものか、と思ったこともありました。ある意味では同じ弱き一人の人間に変わりないのです。しかし自分をそんなにも頼りにしている神であることを知っていますから、そういう神の心情を思うと、いても立ってもいられなくなり神の願いを果たして神を慰めたいという思いにかられます。 「神よ、全能なるあなたは、その望むところの何事も成すことがおできになりますのに、御自分の子なるアダムとエバの罪のゆえに、御自身をそのような苦悩の中に陥れられました。苦しむべきいわれもないあなたが、かくも寄る辺なき身となられて、真に頼ることのできる子女を、そんなにも長い間ひたすら待ち続け、探し求めてこられました。私にはそういうあなたのお心がよく分かります」。 誰でも、先生の内面の世界をかいま見ることでもできたならば、ただ“わっ”と痛哭せずにおれないでしょう。特に、常に神に祈り、霊界を見たり啓示を受けたりしている霊通者たちは、みなこういうことを言ってきます。「文先生について祈る時は、いつも決まって神様からの答えは“涙”です」と。先生のことを祈ると神様は泣かれるというのです。寂しい一人の人、文先生を見つめる時、人知れずすすり泣いておられる神様なのです。 ◆涙の基台 堕落による歴史の糸のもつれは、それを解いて再創造することなどとてもできそうには思えないほど複雑なものとなり、神でさえどこから手をつけて摂理するか戸惑うだろうと思えるほどです。しかし今、一人の孤独なる人が、歴史の背後にある秘密のすべてを見いだし、それを公式化し、体系化したのみならず、その原理を自ら生活しながらここまで運動を発展させてきたのですから、神としても注目せざるを得ないはずです。 ここまで来る道において、先生はいくら泣いても泣いても止めることができずに、いく日もいく日も泣き暮らしたことがありました。ある時はあまり泣いたので、目が熟しすぎのカボチャの中身のようにグチャグチャになってしまい、太陽の光も眼に染みて見ることができなくて、目をつぶって過ごしたことがありました。涙によって開拓されたこの教会の基台です。あなた方は何も知りません。第一先生は語らなかったのですから。なぜなら自分自身の歩んだかかる苦闘の四十年路程は、二度と誰にも味わってもらいたくありませんし、息子や娘たちにはできるだけ易しい道を残してあげたいのが、親としての先生の気持ちです。知ればあなた方もそういう道を行かなければならないのですから。 誰でも深い祈りや霊的な体験を通して、先生の語られざる体験の一部分でも霊的に知り得るならば、先生の通ってきた身もだえするような苦難の道を、一瞬でもかいま見ることができることでしょう。今あなた方は、この地上で受けるのが当然であるかのように祝福を受けていますが、それは今の時の時代的恵沢として、霊界における何千年、何万年分の内容を最短の期間で体験し得るからにほかなりません。 先生はモーセという人の立場にはいつも同情を禁じ得ないのですが、モーセが四十日四十夜の断食祈祷の末に十戒を受けて、自分の民のところに下りてきた時、彼らは何と金の小牛を造って偶像としてこれを拝し、その周りで騒ぎ戯れていたというのです。「よくもそんなことが……どうしてそんなにも神を裏切ることができるのか……」とそのあまりの心情的蹂躙に対して、憤激のあまりに石板を地にたたきつけて壊してしまったモーセでした。そういうモーセに対して先生が同情せずにいられないのは、それと全く同じような事情と心情を幾度となく味わってきたからです。山に行ったモーセは、民のために神の真理を勝ち得んとして、どんなに苦労したことでしょうか。 先生も生来、非常に強烈な火のごとき気性をもっていますから、そのような信じられないような裏切りを受けたりすると、そのあり得べからざる背信に対して、直ちに心情的に切って捨てて、顔を背けたくなってしまいます。それは先生にとって最も厳しい修練の一つでした。 先生は一つの固い信条をもっています。それは、「天宙主管の前に自己を主管せよ」ということであり、これは先生が自らの弱さを克服し、激情を制しようとした結果得た信念です。 ◆心情の相続者 「真の息子、娘となりたければ、両親の精神を受け継がなければならない」とすれば、あなた方は先生の伝統と理念を受け継がなければならないわけです。そして真にそれを受け継いだ人であれば、伝道等の聖業に出かけていく時も、我知らず涙が流れてくるようになるものです。み旨の前に立つと、神の逼迫した悲劇的な内情が胸に迫ってくるようになるからです。そしてそういう人となり、そういう道を歩む時、その人やその教会は、必ずや神によって栄えていくに違いありません。いわれのない迫害を受ける時にも、呪うのではなく、逆に神に彼らの祝福を祈り求めるのです。そうすることによって、神の心情をより近く感じ、差し迫った神の事情をより切実に感ずることができるでしょう。そしてあなた方のなした行為のすべてが、それによって聖なるものとされるのです。 あなた方は、見知らぬ人に出会ったのに神か主に出会ったかのように、訳もなくその人を抱き締めて泣き出したことがあるでしょうか。先生の人生において、そういうことが何度も何度もありました。神の悲しい心情、親としての苦しみを味わい知らされた時には、木を抱き締めていつまでもいつまでも泣き続けたことが、幾度となくありました。そういう体験こそは、祈りよりはるかに貴いものなのです。そして自分がより惨めな立場にあるのを感ずる時こそ、神をより近く感じ得る瞬間ではないでしょうか。 先生は、伝道や前線の活動において体験する様々な人間関係を通してあなた方を訓練し、ある基準以上の人格を形成させんとしていますが、そうして先生が歩んできた人生のパターンを歩んで、先生のような人間となってもらいたいのです。 ◆神を知る者の道 先生が生来の実力を伸ばして世俗的な分野に応用していったなら、偉大な実業家にでも、大政治家にでもなれるし、様々な分野で大いなる名声と尊敬を勝ち得る人物になれるでしょう。しかしそれだけの能力や実力をもっていながら、そういう方向には行かなかった先生です。そして、生涯において、先生より多く涙を流した者がいるでしょうか。苦難の道は避けられないものではなかったのですが、神のために、無条件に、涙の道を選びました。人々から尊敬と讃美を受けつつ歓迎される道もありました。しかし先生は、神御自身がそういう立場におられないことをよく知っていたのです。 では、先生は初めから何の個人的願望も、青年のもつ青空のごとき夢も希望も、もっていなかったかというと、そうではなく当然、大志を、夢を抱きながら、それらをすべて自ら捨てて、いつの日かこういうふうに、という希望の扉のすべてを、自らの手で閉じて、人生の最も悲惨なる道を選んだのです。ただ悲しい神の友になりたかったからです。あなた方もまた、ある意味では同様に苦難を負って歩んでいるわけですが、それは過去において先生が既に通過してきた道を引き継いでいるだけです。そして私たちがこのように自ら進んで苦難を引き継ぎ、それを負っていくのは、ただただ神を知ったがゆえであります。 私たちを非難し迫害する人々が言うごとく、私たちに何か間違っていること、罪深いことがあるとしたら、私たちには一つの罪があるといえるでしょう。それを罪と呼び得るなら、私たちが「神を知っている」という罪です。ただ神を知るがゆえに、私たちは迫害する者たちの非難の的となっているこれらのことのすべてを、なすべき使命として引き受けたのですから。 しかし過去において私たちが何か悪なることを世界にもたらしたでしょうか。神を知ることがいかにして罪となり得るのでしょうか。神を知らないことのゆえにこそ、かくも混乱していく世界であり、教会は崩壊し、共産主義はますますその勢力を伸ばしているのではないのでしょうか。神を知る者の道がいかに悲惨であろうと、神を知ることこそは我らの幸いであり、特権です。 ◆真の後継者 賢い者はひとたび歩み始めた道を全うします。中途で終わる者にはいかなる勝利もなく、勝利は耐え忍んで最後まで全行程を走り抜く者の上にのみあります。先生も神の道を行きながら、常に第一の道のみを行こうとしてきました。み言に関しても、自分に従ってくるものたちのためにも、何度も何度もあり得る限りの慎重さをもって、正しいかどうかを吟味せんとしました。 実験室の研究者が、何か新しい発見をせんとする時に、その理論が本当に正しいかどうか絶対的に確実にしようとして、何度も何度もテストを重ねた末、それから世界に発表しようとするように、先生もすべてを絶対的に確実にするためには、自らの歩む全路程を通して、徹底的に実験し試験し尽くしました。それを通してこの世界のすべての真理を解明せんとしたのです。あなた方も既に神への誓約書に署名した兵士として、中途半端な道を行くことなく、最後までひたすら前進してほしいものです。そして「私は先生以上に行きたい、先生と競争して打ち負かしたい」とそういう人物の現れることを先生は待っています。 先生は何度も思ったことがあります。「私はまだ死ぬことができない」と。残念ながら自分が第一線をあとにする時、使命を託すべき後継者がまだいないということです。「この者に、自分の使命を残して行くことができる、死ぬことができる」という確信を先生に与えてくれる者はまだ一人もいないのです。「誰が、私が神を愛したほどに神を愛してくれるだろうか、私が死んだのちに誰が私の神を見てくれるだろうか。親孝行してくれるだろうか」とそれだけが心配なのです。誰か「私が神様を見ますから、先生は後ろに立って見ていてください」と言う人がいるとすれば、その人こそは歴史においても私たちの教会においても主流的人物となり、永遠に滅びることなく、その子孫はアブラハムの子孫のごとく栄えることでしょう。 先生は今、韓国式に数えて五十八歳ですから、七十歳までにあと十二年あります。そして二十二年たてば八十歳になることを考えると、自分が全面的に働くことができるのはあと十五年だと見ています。この十五年間に誰か後継者を見いださなければならないということです。長男の孝進さんとも真剣にそのことについて話し合ったことがあります。「お前は先生の息子として、自分がどんな道を歩み、どんな備えをなしておくべきか分かっているだろうね」と。その瞬間、いつも元気いっぱいな熱血家で行動的な孝進さんも、さすがに真剣そのものになりました。 このような破滅へと運命づけられているかのような世界をあとに残すのでなく、何としても復活していく世界を残したいと願っている先生ですから、生きているうちにこの運動の基盤を完成していくために、自分の生涯においてありとあらゆる苦難、頭の痛いこと、苦々しいこと、嵐のごとき非難、迫害等良くないことのすべてを一身に受けることを決意して、「どうか我にすべての重荷を負わしめ給え」と祈っている先生です。 そうすれば、あなた方の時代、あなた方を中心とした時代が来る時には、もはやそれらを過去のものとして、この運動は興隆していくことでしょう。あなた方も迫害の中にあって、「これ以上迫害されるのなら去ったほうがましだ」と考えるか、それとも「迫害が大きければ大きいほど、より大きな責任や使命をもつことであるし、より大きな挑戦をしてより大きな実績を上げ得るということだ、よし私が全部引き受けて処理しよう」と考えるか、いずれか二つの立場があります。 先生が二十四年前に統一教会を創立したように、あなた方も自分の任地であなた自身の運動を創始したのです。それぞれの地で新しい教会を創立し、その地のレバレンド・ムーンになろうではありませんか。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.09.18
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2020.09.17付で「ほふられた子羊さん」ブログから非公開にされた私のコメントです。◆「重要な御言葉・・・「アダムの再創造」、「エバの再創造」の概要が分かる御言葉!!」から非公開になった私のコメントtomy4509 id:tomy39742020/09/16 21:46>子羊さんへ 『御旨と世界』の「創立以前の内的教会史 1977年5月1日 ニューヨーク ベルベディア」のみ言ですが、子羊さんの【注釈】無しとはいえ、過去に書かれた【刷り込み情報】は健在です。本記事もそのように読んでください、といっているようです。 ・第一夫人とお母様は天宙的洗礼ヨハネの使命 https://heiwanosyujin.muragon.com/entry/141.html ・お母様は天宙的洗礼ヨハネの立場 https://heiwanosyujin.muragon.com/entry/146.html さて、「エバ=お母様」が子羊さんの注釈ですが、私からはまた「創立以前の内的教会史 1977年5月1日 ニューヨーク ベルベディア」については「エバ=神の夫人」を挙げていました。お父様のみ言から見ても「神の夫人」のことを書かれていました。その部分の転載が子羊さんにはありませんが、隠蔽されているのでしょうか? 『25.創立以前の内的教会史 1977年5月1日 ニューヨーク ベルベディア』全文はwebでは以下のURLで子羊さんも見ておられると思います。 http://furuta65.fc2web.com/001/mimunetosekai/25.htmlその中の「歴史を生きるメシヤ」からですが、 -----(引用開始) 先生は原理を知っていますから、通過すべき路程はつぶさに知っていますし、今どこを通過しているかも分かりますが、この女性の方はただ啓示を受けただけで、盲目的にその啓示に従ってきただけであり、原理は全く知らなかったのです。何しろついこの前まで、「その男性は僕である」という啓示を受けていたのが、しばらくするとすぐ、「この男性はあなたの王である、彼に服従しなさい」というのですから、原理を知らない彼女の心はますます乱れ、今や完全に混乱してきました。 彼女はそれでも神への絶対的な忠誠を示して使命を果たすべきだったのですが、絶対服従ということは、その時の彼女にとって容易なことだったでしょうか。彼女はまるで神様から裏切られたかのように感じてしまったのです。今や神様は私をお見捨てになったのだ、とその女性はその場で気が狂ったようになってしまいました。「どうしたというのでしょうか、神様、あんなにも私を愛しておられたのに、今になってこんなにひどい扱いをなさるとは」と狂ったように先生の周りを回っては、「あなたはサタンだ、サタンに違いない、あなたを殺さなければならない」とサタン扱いし始めたのです。 しかし一度メシヤが主の立場に勝利している以上、その女性がどういう立場に立とうと、メシヤの勝利は不変であり、摂理は不変であります。もし彼女が悟って悔い改めないならば他の女性が代わって摂理されるだけです。 -----(引用終わり) この一文からは、文先生は「神の夫人」を通してアダム・エバの堕落によって失った「主管性」を復帰されたものであり、「メシヤの勝利は不変であり、摂理は不変であります。もし彼女が悟って悔い改めないならば他の女性が代わって摂理」することが出来ると語られていました。この時すでに文先生は女性からの「主管性復帰」されておられたということであり、エバの再創造もまた、エバ本来の姿に復帰するためのものであり、原理講論からは「成約時代は女性の時代」と書かれたいましたし、実際には1990年代から「女性連合」を創立しては手お母様を中心に立てて女性解放運動を展開して来られました。文先生聖和前2012年7月の大会は何だったでしょうか? 「アベル女性UN創設大会」です。 子羊さんの3D画像(注釈無し)でこれら一連の流れについて説明が出来ますか? もはや、「子羊さんの持論は破綻している」と言っていいでしょう!!子羊さん曰く「私のブログ記事が、御言葉によって間違いであるなら今日にでも閉じる」 (2020.09.01)と子羊さん自身が書かれていたのですが、自称ルポライタイーtomy4509からのコメントを次から次へと非公開にされる理由は何ですか?子羊さんのそれらは「注釈付き」でお父様のみ言を改ざんしているとしか言いようがありません。聖書にも「新しいぶどう酒は、新しい皮袋に」と書かれています。素直な気持ちでもう一度『25.創立以前の内的教会史 1977年5月1日 ニューヨーク ベルベディア』読まれてみてはいかがですか?!一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.09.18
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脳トレ「数独」の説き方(中級編)です。ガチガチのカボチャ(頭)を少し柔らかくしてみませんか?一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.09.15
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自分の名前で祈る時代「アーメン」を「アージュ」にと宣言1999年9月14日、2006年9月14日(天正宮)天一国経典・真の父母経真の父母経 - 第12篇 - 第3章 - 第2節 主要な宣布式と成約摂理の展開第2節 主要な宣布式と成約摂理の展開自分の家庭の名前で報告祈祷する時代宣布(一九九九・九・一四、アメリカ、イースト・ガーデン)27 今まで皆さんは、祈るときに「何々をしてください。成し遂げてください」と言いました。すべて成し遂げてあげました。そのように成し遂げてあげたものを皆さんが受け継ぎ、父母様が今まで肉的サタン世界に対して、身をもって闘って勝ったのと同じように、そのようにしなければなりません。すべて知っているのに、何を祈るのですか。そのような祈りをする時代は過ぎ去ったというのです。「私はこのようなことを知りましたので、私がいたします」という自己責任時代に合わせて、祈らなければなりません。そして、「真の父母の名によっ て」ではなく、「真の父母の名によって祝福を受けた誰々の名によってお祈りいたします」と言わなければならないのです。「真の父母の功労によって真の息子、娘となった誰々の名でお祈りいたします」と祈らなければなりません。祈るのではなく、「報告いたします」という祈りをしなければなりません。何かのために祈り、何かを下さいと祈る時代は過ぎていきます。すべて与えました。これからは、「真の父母の勝利的基盤を知り、私もそのような実績をもって、息子となった責任を果たそう」と言わなければなりません。「個人、家庭、氏族、民族、国において、息子の責任を果たそう」と言わなければなりません。そうして、孝子と忠臣の家庭にならなければならないというのです。28 真の愛は、誰でも相続することができます。ですから、祈祷が変わらなければなりません。自分の息子、娘を中心としてする祈祷は、統一教会ではしてはいけないのです。地上天国と天上天国のために祈らなければなりません。個人的な地上天国、家庭的な地上天国、国家的な地上天国です。そのために祈ることによっ て、民族の境界線、国家の境界線がなくなります。それが神様の願うことです。まず祈るよりも、実践してから報告しなければなりません。報告することがなければ、ひざまずいて悔い改めなければならないのです。不正な行いについて、悔い改めなければなりません。「ここまでいたしました」と報告し、約束しなければなりません。アメリカに来てから、私は祈りませんでした。祈るよりは行動したのです。実践したというのです。29 真の父母を通して自分の名で祈る時代です。祈った内容には責任をもつということです。その実体にならなければなりません。いい加減には祈れません。イエス様は誰の名で祈ったでしょうか。息子の名で祈ったでしょう。ひとり子である息子です。しかし、家庭をつくらなければなりません。家庭の名を外すことはできないのです。家庭には、夫と共に一家族が入るのです。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.09.14
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以下のビデオ映像は9月3日の先祖解怨・祝福式でイギソン天寳苑苑長が語られていたものです。その中には天寳入籍家庭の驚くべき真実が語られていました。2012年天暦7月17日に文鮮明総裁が聖和されましたが、その最後の祈祷を覚えておられるでしょうか?発表された祈祷映像は短縮されたものでしたが、「天一国経典・天聖経」最後のページに掲載された祈祷文は以下です。八 真のお父様の最後の祈り「すべて成し遂げた!」(P1645) きょう、最終的な完成、完結を成し遂げてお父様のみ前にお返しし、今までの一生をお父様にお捧げすることを知っておりますので、そのみ旨のままに、今は、精誠を捧げてすべての生を終了する時間を迎え、堕落のなかった本然のエデンの園に帰り、エバが過ちを犯し、アダムが引っ掛かった責任分担を、すべて超越できるようになりました。 あらゆることに対する解放、釈放の権限をもち、誰であっても父母様のあとに従いさえすれば、四次元においても、十四次元においても、地獄に行く者を天国に入籍させることができ、四次元の入籍と十四人の息子、娘たちを中心として、氏族的メシヤが国家を代表する名称となって三百八十七の国々(アベル国連圏百九十四カ国、カイン国連圏百九十三カ国)さえ復帰すれば、すべてが終わることを宣布します。そのためのあらゆることを、すべて成し遂げました。すべて成し遂げました。アーヂュ。(二〇一二・八・一三)「八定式」(1989.8.31)宣布の後に祝福家庭に「氏族メシヤ」として氏族復帰をするようにと命じられました。真の父母様は八段階でしたが、私たち祝福家庭は個人・家庭・氏族の三段階を勝利すれば真の父母様と同等の勝利圏を相続することが出来るというものでした。今回の映像からは、お父様最後の祈祷を提示しながらも驚くべき「神氏族メシヤ」勝利家庭の数理性について語られていました。神氏族メシヤ勝利家庭は「天寳入籍勝利家庭」として天寳苑に万代にわたって登載され、子孫たちがそれを(勝利した誇らしい先祖を)いつでも見ることが出来るようになるというものです。その勝利基準は、地上での430家庭の祝福、そして、8系の430代の先祖祝福です。普通には先祖解怨・祝福式は7数の倍数ですから420代まですれば、ということですがお母様はプラス10代の「430代」までしなさいと言われました。420代を終えた家庭の中には不平を漏らした方もいたということですが?さて、430家庭について改めてみてみましょう。 430家庭+430代✕8系=3870上記のお父様最後の(遺言ともいうべき)祈祷からは、アベル国連(天宙平和連合)加盟国184ヶ国とカイン国連(UN)加盟国183ヶ国で387ヶ国です。それを10倍すれば「3870」となります。となれば、FPA、サンクチュアリの支流人の方々も神氏族メシヤはお父様の祈祷からのものであり、しなくてもよいでしょうか? しなければいけないでしょうか⁉️一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.09.13
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天一国経典・真の父母経真の父母経 - 第8篇 - 第3章 - 第4節 天宙平和連合第四節 「天宙平和連合」「天宙平和連合」の創設二〇〇〇年八月十八日、アメリカ、ニューヨークの国連本部で開かれた「世界平和超宗 教超国家連合(IIFWP)」総会において、真の父母様は、世界平和の具現のために国連を上下両院に再構成し、韓半島の軍事境界線を含む世界のすべての国 境地帯を平和地区に指定することを提案された。続いて、二〇〇五年九月十二日、国連に代わる新たな平和機構として「天宙平和連合(UPF)」を創設され た。真の父母様は、この日の基調演説において、「『天宙平和連合』はカイン的な既存の国連の前にアベル的な国連の使命を果たすようになる」とされ、「国連 ができなかった限界を克服し、宗教と霊的覚醒に基づいて地球村の紛争と戦争を防ぐに当たり、民間国連の役割を果たすようになる」と強く主張された。そし て、真の父母様は、「天宙平和連合」の創設直後から十二月二十三日まで世界百二十ヵ国を巡回し、創設記念大会を開催された。この期間に、ブルンジ、タンザ ニア、アルバニア、パラオ、ソロモン諸島などの現職大統領と総理など国家首班十人が、平和大使として活動することになるなど、各国の指導者たちが積極的に 同参した。また、フィリピンとウルグアイの大統領、アルバニアの総理、カンボジアの皇太子など、各国の最高指導者たちと会談し、「天宙平和連合」を通した 世界平和運動を積極的に推進することに合意した。10 アベル国連である「天宙平和連合」を創設しようと思います。これは、国際連合と同じです。国際的な平和連合をつくろうとしているのです。ここに「天宙」と いう言葉が入らなければなりません。ですから、「天宙平和連合」という名前を付けました。天地の平和を中心として連合した一つの天宙平和統一国、すなわち 天一国になるのです。ですから、「『天宙平和連合』を中心としてアベル国連を編成する」と、公式的に発表するのです。11 天は平和と統一であり、サタンは闘争と分裂です。滅びるか栄えるかはそこで分かれます。サタンは天と共にいることができないので、悪はなくなり、善は残る というのです。ですから、「天宙平和連合」です。サタンが地からいなくなるので、地球星は、完全に栄える平和の境界内に抱かれるのです。私たちの活動目標 は、「天宙平和連合」の創設とともに、祖国の地を回復することです。今や、これを私たちの生涯の目標として定めて、進まなければなりません。12 天宙とは、宇宙の家を意味します。大きな家庭です。「天宙平和連合」は、大きな家庭を平和にする連合体です。大きな家庭に平和が訪れるので、地上・天上天国になるという意味です。その中心は神様です。父母様が責任をもつのではなく、今からは神様が責任をもつ時が来たというのです。自分が中心になってするのではなく、神様に委ねなければなりません。霊界に委ねると、霊界で主導する内容と私たちが相対的関係さえ結べば、み旨は自然に成就されるのです。ですから、皆さんの心は、どこに行き来しようと「天宙平和連合」に関心をもたなければならず、その世界に一歩でもより近づいていくために、神様にすべて委ねることができなければなりません。私たちが神様にあらゆることを委ねれば、神様が中心になるので、できないことがないのです。蕩減もなく、サタン の反対もないので、神様が思いどおりにできます。そのような時代が来ました。神様が思いどおりに、主人の役割を果たすことができるので、私たちが神様の背 中に背負われていくという思いをもって進めば、迫害も飛び越えることができるのです。そこに「天宙平和連合」を立てた重要な意義があります。13「天宙平和連合」はアベル国連です。父母様は既にアベル王権までも発表しておきました。アベル王権、「天宙平和連合」、そのアベルの国は、兄を滅ぼすのではなく、兄を協助することによって、世界の問題に対し、和合の伝統を立てて解決していくのです。韓国と北朝鮮、ロシアと中国、ロシアとアメリカの問題も、結局、真の父母が入っていけば、争うことなく解決されるのです。共産主義の父母が現れ、民主主義の父母が現れたのですが、父母のことを知れば、この父母に反対できないのです。そこに絶対信仰、絶対愛、絶対服従することによって、天地統一連合が 生じ、それは、「天宙平和連合」時代からアベル国連時代を経て、アベルがカインを収拾し、天宙平和王権に越えていくのです。14 父母様は、「天宙平和連合」の看板を掲げて、批判されようと、むちで打たれようと、冒険をしようと思います。きれいに有終の美を飾っていこうと考える人で す。苦労で始まったので、苦労で終わらなければなりません。自分の欲心をもって終わってはいけません。息子の時代や孫の時はもちろん、何十代以降にも、再 び補う必要がないようにするのが父母様の願いなので、一つの表題を、一年ではなく、十年、千年までも掲げていくのです。15 アメリカで「天宙平和連合」の創設大会をするやいなや、百二十の国家を巡回しました。父母様が一生の間、蕩減しながら勝利したものを、百二十ヵ国にもって いって植えてあげたのです。まだ統一教会に反対する人がいますが、皆さんは少しも恐れることなく、推し進めていきなさいというのです。統一教会の人々が、百二十ヵ国に出ていって、「父母様は、私たちの国に一度来るだろうか」と考えていたのですが、初めて百二十ヵ国を巡回しました。 父母様が勝利したものを植えてあげるのです。ですから、一つも反対できませんでした。百二十ヵ国に、反対する人がいなかったのです。島国から半島、大陸まで、反対する人がいませんでした。そして、勝利したものをすべてお母様に渡して、「カインとアベルを一つにしなさい」と言ったのです。それで、お母様が百八十ヵ国を巡回しました。お母様を立ててしたのですが、神様を中心として、いつでも父母様をお迎えしていくのです。16 お父様は、二〇〇五年九月十二日から、イエス様が立てることができずに断絶されていた血統を立てるため、世界百二十ヵ国を巡回しました。血統を転換するのです。そして、お母様と一緒に巡りながら、お母様が行く道を開いてあげるのです。エバが堕落するときに血統を汚したので、それを正さなければならず、カインがアベルの命を奪ったので、それを正さなければなりません。お母様と息子、娘が一つになり、お父様が残しておいた道を行かなければならないのです。イエス様が母(妻)を立て、その母と共に、息子が百二十ヵ国を巡りながら家庭理想を植えなければならなかったのですが、それができませんでした。今回の二度目の百八十ヵ国巡回では、分かれたカインとアベルを束ねるのです。個人、家庭、氏族、民族など、分かれたものをすべて一つにまとめるのです。そうして、お父様がサタンの血統を断ち切ってあげ、お母様が代わりにそれを受け継ぎ、世界的に息子、娘、カインとアベルの問題を解決するというのです。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.09.12
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HJグローバルニュース (2020年 9月 12日)HJ PeaceTVチャンネル登録者数 1.35万人1. 神ヨーロッパ ビジョン2027 神統一世界安着のために2. 世界ニュース- 天宙聖和8周年記念(文鮮明天地人真の父母天宙聖和8周年記念式 7圏域の教会と家庭で精誠をこめて執り行われる / ボリビア:文鮮明総裁生涯偉業オンラインカンファレンス / ボリビアUPF:ピースロード2020)- 平和運動(WFWP:第1回「私の心を平和に染めよう」児童美術大会) - 主要ニュース(中南米圏域:新たな出発のための天一国特別世界巡回師オンライン巡回講演 / 神中南米IAYSP:タレント for PEACE, オンライン韓国文化祝祭, 国連世界人道主義の日記念式, ピースデザイナーオンライン研修 / コートジボワール:青年学生21日修練会・奨学証書授与式)- 神氏族メシヤ活動(コートジボワール:神氏族メシヤ祝福式 / ジンバブエ:7日修練会)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.09.12
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第4弾は、Seikoさんの「天の花嫁」です。★タイトル:「天の花嫁」作詞・作曲:Seiko★自叙伝感想天の独り娘として、どんなときも感謝の心で神様を愛し慰労して差し上げた真のお母様のお姿に感動し、また慕わしさを感じました。初めて知った真のお母様の犠牲の道に、涙が止まりませんでした。お母様がたどられた絶対信仰、絶対愛、絶対服従の歩みを私も行こうと奮い立たされ、新しい出発ができました。★楽曲解説自叙伝の中に、洪順愛大母様がまだ幼いお母様の手を取って教会に行く道で、一輪の野花をお母様の髪に差して上げ、「とてもきれいよ、主の貴いお姫様!」という場面がありました。その情景がとても心に残り、歌詞の初めはお母様の心情を歌い、また天の花嫁に込められた神様、真のお父様の心情を優しいメロディーで表現してみました。★歌詞主の貴いお姫様 胸をときめかせ 「父」と聞けば いつも天の父を考えた 天の花嫁 聖婚の日(とき)を迎え こぼれ落ちそうな涙が あなたの瞳に 真の愛は絶えず許す愛とだれよりも天の父母を愛し慰められた真の愛は絶えず許す愛とだれよりも天の父母を愛し慰められた★音楽活動歴高校生の頃から独自で作曲をしています。★自己PRピアノ曲を作曲、アレンジするのが得意です。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.09.11
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U-ONE NEWS 2020年9月11日号世界平和統一家庭連合公式チャンネル「文鮮明天地人真の父母天宙聖和8周年記念式」 ダイジェスト(9月4日 韓国・清心平和ワールドセンター)・清心平和ワールドセンターと各国をインターネットで結び行われた記念式。情心苑から中継で行われた敬礼式の模様や、文姸娥・神韓国UPF議長の聖和の辞を真のお母様(韓鶴子総裁)のみ言と共にお届けします。○真のお母様(韓鶴子総裁)のみ言 【要旨】祝福家庭に願われた、天の父母様の夢について「選民の使命とは何か」から解かれた、真のお母様のみ言です。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.09.11
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過去記事「存在しないみ言で〝虚偽〟をかたる郭錠煥氏の悪意」(2020.08.28)について「真の父母様サイト」からは郭錠煥氏TVインタビューを挙げていましたが、9月3日付でも「「祝福権限の移譲」に対する〝虚偽〟をかたる郭錠煥氏の悪意――郭錠煥氏のインタビュー映像(トゥルーレガシーTV)の〝虚偽〟をあばく・その2」、第2弾をUPしていました。正確には「移譲」と「委譲」とでは大きな違いがあることは私の過去記事で書いていました。文顕進様予定の祝福式(?)にも限界!!--gildong氏がコメント拒否権参考:gildongのブログ『限りなく真っ黒に近いクロ』のコメント欄から4 ■Re:ぜひ本質問題の提議を委譲>lapisさん「祝福権移譲」と[祝福権委譲」では明らかに意味が異なります。確かに、真のご父母様は祝福家庭に祝福の権限を与えてくださいました。ところが、「移譲」と「委譲」の意味を調べてみると、移譲:権限や権利、財産などを他に譲り移すこと。「所有権を-する」委譲:権利・権限などを他の人・機関に(一部を)譲って任せること。「執行権を-する」「祝福」は再臨主・真のご父母様の特権であります。祝福権移譲ということであれば、もはや、真のご父母様は全てを祝福家庭に譲り渡してそれをされないということになり、基元節の祝福式などされる必要はなくなります。一方、祝福権委譲ということは、その一部またはすべてを任せるということです。これまでの私たちの行ってきた祝福は、最終的には真のご父母様の祝祷を受けなければならないという条件付きのものでした。……この「祝福権委譲」に関するお父様のみ言は「黒・天聖経」(『祝福家庭』第四章 四 1.)にも掲載されていましたので、それを理由に三男さんの「祝福権」を主張していましたが、2000年9月の「祝福権委譲式」でのお父様のみ言や祝祷からも三男さんに「委譲」されたという事実を発見することが出来ませんでしたは、自称ルポライタイーtomy4509からも書いていたものでした。以下は宣布文サイトでUPされていた対照表です。(詳しくは「真の父母様宣布文サイト」、こちらから)同様に、今回記事タイトルは「存在しないみ言で〝虚偽〟を語る子羊さんの悪意」です。子羊さんのブログ右には「777」の数字が並んでいます。統一教会で「777」といえばすぐに思い浮かぶのが「スリーセブン(777組祝福家庭、1970年)」ですが、わたしの問いに対して彼はハッキリと「スリーセブン」ではないと応えていました。したがって、元1800双か6000双、6500双以降の方でしょうか? あるいは、原理の理解度から見れば幼稚そのもので未祝福者の可能性も否めません。その彼の過去ブログでは黙示録の言葉一つ一つを暗号解読のようにして記事をUPしていました。それと同様にお父様のみ言を彼独自の「暗号解読表」に当てはめては、彼の「注釈解釈無し」にはどれ一つとしてその結論にたどり着くことが出来ない記事をUPし続けています。彼の主張する「お母様は洗礼ヨハネの使命者」だ、というお父様のみ言はどこにも存在しません!!私からは何度となくそれの有無の確認をしていましたが、それに対しては何一つの回答はありませんでした。ハンドルネーム「ほふられた子羊」とは何でしょうか?祭物です。「祭物には口がない」というお父様のみ言もあります。「子羊さん曰く「私のブログ記事が、御言葉によって間違いであるなら今日にでも閉じる」 」と子羊さん自身が表明していたものでしたが、すでにみ言による審判は下されています。であれば、祭物としてどうされるべきでしょうか?!見苦しいだけです。ところで、私の意見を言わせていただくならば、お父様こそがお母様に対して洗礼ヨハネ的使命を担って来られたのでなかったかということです。洗礼ヨハネは聖書・原理では1300年前に昇天した「エリヤ」の再臨だと言われています。主の道を整える使命を持ってきたのがエリヤであり、サタン分立のための一人として遣わされたのが「預言者エリヤ」でしたが、使命途上で昇天してしまいました。イスラエル民族はマラキ書に書かれたエリヤの再臨を信じていました。エリヤはそれほどまでに著名な人物でした。洗礼ヨハネもまた、祭司ザカリヤ家庭の名門の出で、奇跡をもって誕生したので知らない人がいないくらいに著名人でしたし、荒野に出ては修行して多くの信者を抱えていました。ところが、わずか17歳であった少女のお母様が「洗礼ヨハネ」ですか?原理講論『再臨論』からは、再臨主は「雲に乗って来る」の雲は「信仰の篤い信徒たち」を指してのものでり、本来はキリスト教がその使命を果たすべきであったのですが、それに呼応出来なかったので仕方なくお父様は「統一教会」を建てられました。そして迎えたのが1960年の「聖婚式」(小羊の婚宴)ということです。わずか三文字の名に様々な修飾語がつくほどの文総裁でしたが、その悪名(?)が高まるほどにお母様もその後について行って著名人となってきたというのが事実です。そして、1990年代に入ってからはその文総裁と並ぶまでとなりました。さて、原理講論の「堕落論」を見れば、「善悪知るの木=創造理想を完成した女性」はこれまでのキリスト教(宗教)にはないものでしたし、「キリスト論」の重生論からは「善の父母「(堕落人間を生み変えてくれる)真の母」の記述も真新しいものです。さらには、1966年初版出版された「原理講論も「女性時代」の到来を予見していた!!」(2017.09.13)と、1990年前後してのお母様の登壇の預言までされていました。まさに、文総裁がお母様の洗礼ヨハネ的使命を担っておられたのではないかという推論の方が原理的にも摂理的にマッチしているようです。事実、「原理講論の主人はお母様」と語られていた文総裁のみ言もあります(「「6マリヤ」は存在しない(その5)-- お父様のみ言「『原理本体論』について」」(2019.02.25)参照のこと)。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.09.11
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「天一国経典・真の父母経」より:第十二篇 第三章 成約時代の開幕と成約摂理の展開第二章 主要な宣布式と成約摂理の展開天地父母天宙統一解放式(三・十節)宣布 (一九九九・九・一〇、九里中央修練院)21 一九九九年九月十日十時十分を期して、天地父母天宙統一解放式を宣布しました。「九・九節」を宣布したのは、「七・八節」に天地父母天宙安息圏を宣布した その日以降、天地父母天宙勝利祝賀宣布式が終わることによって、父母様を中心として地上のあらゆる家庭の兄弟の縁を経て、子女の縁を経て、夫婦の縁と父母 の縁と王権の縁を代表できる父母が、この地上に出発したからです。そうして、天地父母宣布をすると同時に、勝利を賛美できるようになりました。このような天地の大変革時代を宣布したその基盤の上に、今、「九・九節」を設定するようになりました。「七・八節」は、神様を中心とした善の境界線でした。これを限界として、サタン世界で活動していたすべてのものと、反対の方向になっていたすべての ものを正し、天のみ前に帰依させることのできる一日である「九・九節」を立てました。それによって、一九九九年九月十日十時十分を選び、天地父母天宙統一 解放式、「三・十節」を迎えることができるようになったのです。22 真の父母のみ名によって、天地父母天宙統一解放式を迎えさせる「九・九節」の上に、今、「三・十節」を立て、神様を中心として、天地父母があらゆる頂上の位置で、万宇宙を抱くことのできる祝福の恩賜を受けるようになりました。反対の道を進んでいた「九・九節」が「三・十節」圏内に立てられることによって方向を定め、神様の主管圏内で、天の境界線とサタンの境界線の緩衝地 帯のようなものが、統一的基準で一つになった圏内で、七、八、九節として設定できる日をもつようになりました。それによって、一、二、三、四、五、六、 七、八、九まで、サタン圏内にあるものを再び収拾し、神側で一、二、三、四、五、六、七、八、九、十の基準を一つにして奉献してさしあげるようになったの です。23 個人、家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙全体に、統一的なすべてを中心として、「九・九節」を宣布したので、「七・八節」と「九・九節」と「三・十節」を中心としてすべての時を越えるようになりました。それによって、十数、百数、千数、億万数を自由自在に往来できる勝利的覇権をもつようになり、数理の何千代もの権限を備えた万宇宙の存在を、主人の位置で統治するようになりました。この「三・十節」を中心として、(天の)お父様が通告するすべてのことを父母様が受け、宣布の日として定め、永遠の宣布といたしますので、全万象が そこに順応することのできる伝統が始まることを、真の父母と共に、縦的な神様のみ名とともに、この時間、全天宙の前に宣布いたします!24 今、一九九九年九月十日十時十分ですが、この時間、「三・十節」を宣布しました。その十が三数になります。九月十日十時十分から九数を抜いて三十(十、十、十)数になりました。復帰摂理においてあらゆるものが、三数を基盤としてOKです。旧約時代OK、新約時代OK、成約時代OKです。十数は帰一数なので復帰の完結数にな るのですが、十を三数で連結させて、サタンの頂上数である九数を越えた三段階の十数です。この天の十数をもったというのは、歴史的なことです。これは、旧 約時代の完成、新約時代の完成、成約時代の完成です。それゆえ、南北統一の運勢、東洋と西洋の統一の運勢を迎えて、南北の文化格差と貧富格差が平準化され た本然の創造理想により、愛の主権下で統治される時代に越えていくのです。25 一九九九年九月十日を期して、アダム家庭が完成します。天の国のアダム家庭完成を、氏族、民族、国家、世界版図に連結できる時代に入っていくのです。です から、サタンはもう「無用之物」(役に立たない物や人のこと)です。反対に向かっていたものが転換されたのです。転換されたので、頭は頭同士で向き合うこ とのできる基準になりました。ですから、「七・八節」を中心として、九数と十数が一つになるので、境界線と緩衝地帯がなくなるのです。境界線と緩衝地帯がなくなり、すべて神様の主権内に入っていくのです。26 「三・十節」はどのような意味があるのでしょうか。主なる神様が全体摂理を代行できるアベル的立場で、個人から氏族、民族、国家的時代にメシヤを送りまし た。このメシヤはアベル的であり、国家中心の長子権です。再臨時代までは、世界舞台を中心として、真の父母完成のための出発でした。そうして、真の父母の祝福を通して、世界舞台で「真の祝福天宙化とサタン血統根絶」を完全に成し遂げてしまったのです。ですから、全体解放圏を宣布せざるを得ません。それゆえ、もうサタンの境界線はなくなり、天の国の境界線だけが設定されたというのです。天の国の境界線が設定されたので、これが平準化され、平面世界と立体的世界の子女たちと一つの帰着点を中心として、父子関係、夫婦関係、兄弟関係に おいて妨げるものがなく、障害もなくなりました。このようになって本然的血統の家庭形態が世界的に拡大され、勝利の一つの標的として決定されるようになり ます。その日が、一九九九年九月十日だというのです。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.09.09
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真のお父様が79歳となる1999年9月9日午前9時9分9秒、9が九回繰り返される瞬間、真の父母様天地父母天宙統一解放圏(九・九節)の宣布を行った。「天一国経典・真の父母経」から:第十二篇 第三章 成約時代の開幕と成約摂理の展開第二章 主要な宣布式と成約摂理の展開天地父母天宙統一解放圏(九・九節)宣布 (一九九九・九・九、九里中央修練院)17 (天の)お父様。(私の)七十九歳の九数に、一九九九年九月九日九時九分九秒を中心として、天地の恨で塞がっていたサタンの完成数である九数圏を越えるようになります。天上世界から地上世界に至るまで、堕落の因縁によって拘束された全体は、サタンを中心として連結されていることが、原理によって解き明かされまし た。その内容は、腹中時代から幼児時代、兄弟時代、約婚時代、結婚時代、父母時代、祖父母時代と王時代までのあらゆるものが塞がっているということです。 それで、男性世界と女性世界が共に血統を中心として連結されなければならない一体的な理想圏が、サタンのゆえに成し遂げられなかったので、腹中圏から幼児 圏、兄弟圏、約婚圏、夫婦圏、父母圏、祖父母圏、王圏まで塞がり、善と悪が闘ってきたのです。そうして、天の側のアベル的な兄弟圏が多くの血を流してきました。そのアベルを中心として、カインを逆に屈服させ、天の国の長子権を取り戻してサタン世界を自然屈伏させなければ、汚された神様の善なる血統関係を立て直すことができません。これが恨の救援歴史です。このように、人類の根本的な主流の道がどのようになっているかを明らかにできたというのは、この地上に真の父母が現れることによって可能になったのです。18 偽りの父母によって成された全体は、九数に該当します。その九数を神様が支配しなければなりません。ですから、神様は、旧約聖書で十分の一条圏を中心として、サタン数である九数を清算するための摂理歴史をしてきたのです。サタン数の頂上数であるこの九数を、個人、家庭、氏族、民族、国家、世界的に屈服させるだけでなく、地上世界と天上世界が真の父母を中心として整備され、地上地獄と天上地獄を塞いでいたあらゆる垣根が縦横に崩されて、地上の愛を中心として天国にまで直行できる道が連結されるようにならなければなりま せん。19 「七・八節」を中心として、天地父母天宙安息圏を宣布してから満二年が過ぎました。サタン世界に塞がっているあらゆるものを完全に清算しなければ、二〇〇〇年代に越えていくことができません。一九九九年九月十日に十数を加えることによって、一九九九年が二〇〇〇年代を迎えられる数になることで、堕落のない 本然の創造理想が完成し、個人から家庭、氏族、民族、国家、世界のあらゆる次元で、地上世界と天上世界が連結されるのです。それによって、球形的な統一世界を求めようとする、その本然のみ旨が成就する天地の解放圏を成し遂げなければなりません。一九九九年六月十四日を中心として、「天地父母天宙勝利祝賀宣 布式」をもった基盤の上で、きょうの「天地父母天宙統一解放圏」を宣布できるようになったのです。20 一九九九年九月九日から神様が宣布するこの宣言の前に、絶対服従、絶対屈服することによって、今まで天に反対していたものが、善の方向に一八〇度転換し、絶対信仰、絶対愛、絶対服従の関係を備えなければなりません。それによって、エデンの園で天使長が絶対信仰、絶対愛、絶対服従で天倫の大主体の父母、相対 の父母、天地の父母に従えなかったことを蕩減復帰し、全人類と万物を絶対信奉すると同時に、絶対愛と絶対解放圏に従って絶対的に服従することによって、堕 落した天使長だけでなく、地獄まで解放されることを、この「九・九節」に真の父母の名によって宣布します。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.09.09
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「天一国経典・真の父母経」から:第十篇 第三章 ジャルジン宣言と真の家庭理想共同体教育第二節 サンパウロ宣言とジャルジン宣言ジャルジン第五宣言——「四・四節」宣布真の父母様は、一九九八年九月八日、アメリカのアラスカ・コディアクにおいて、家庭的「四・四節」を宣布された。そして、一九九八年九月二十日、ベルベディアにおいて「摂理的総整理」という題名でみ言を語られる際、家庭的「四・四節」の 宣布をジャルジン第五宣言と命名された。「ジャルジン第五宣言」の要旨神様がアダム家庭を失ったのは、第一代四位基台を失ったことである。その次に、アダムとエバの息子、娘である孫、孫娘を失ってしまった。ゆえに、真 の父母様がこの地に来られ、アダムの代身家庭として第一代四位基台を取り戻し、アダム家庭の息子、娘の四位基台を天のみ前に探し立てられたのである。それ により、地上に天が探し求めていた第一代四位基台と第二代四位基台を一度に取り戻した。そうして、南北統一が成就でき、全世界が統一され、天地が統一され る条件が成立した。ゆえに、神様が失った第一代四位基台と第二代四位基台を取り戻したことを記念して、「四・四節」を宣布することになったのである。15 (天の)お父様、今や三億六千万双を祝福することによって、サタン世界の血統断絶のために、韓国では青少年の純潔教育が既に終わり、日本とアメリカを通し て全世界に拡張できる教育をしておりますので、その教育があなたのみ旨の前に日進月歩し、勝利の権限とあなたの解放的全体・全般・全能・全権の行使ができ る時代が結実するようお許しください。四数を中心としたアダム家庭の四位基台と、アダムの息子、娘の四位基台を中心として、歴史的伝統を世界化できません でしたが、きょう、真の父母の四位基台とともに、すべての家庭がそのような立場に立ってサタンを取り除き、汚されたすべての血統を消して越えていける全体 解放時代を迎えるようにしてくださった恩賜に感謝いたします。一九九八年を中心として九数もサタン数であり、十九数もサタン数ですが、ここに八数を連結させることにより、この日、九月八日、新しい解放の出発を 宣言できる四・四数の基盤を踏み締め、地上の四数と天上の四数を中心として、解放的な天宙に向かってすべての家庭が前進し、入籍できる天国時代を迎えるよ うにしてくださった恩賜に感謝いたします。きょうを起源として、数においてもサタンが讒訴する条件がないようにするために、このことをあなたのみ名と真の父母の名とともに、全天宙と全体の前 に宣布することを願いますので、この日、あなたの権限をもって、全体、全般、全能、全権の能力を中心として行使できる解放の時代を迎えられるよう、祝福し てくださることを切にお願い申し上げます。きょうこの時間、真の父母の名と神様のみ名とともに、連結された喜びの解放の宣言とともに、万民解放圏を継ぎ合わせることができる勝利の宣布をしよ うと思いますので、受け取ってくださいますことを切にお願い申し上げます。今や、「四・四節」の解放の日を宣布したことを、地上と天上に、神様と真の父母 様が重ねて宣言してくださることを願いながら、真の父母の名によって、「四・四節」を宣布いたします!아주、アーヂュ、アーチュ!16 「四・四節」が宣布されることにより、天が全体、全般、全能、全権の時代に入るのです。天が計画するすべてのことが地上に成し遂げられる、直接的な結果が 現れる時が来るというのです。サタン世界は、体制がすべてできています。様々なものが複雑に絡み合っていますが、一体化し、一つの方向に全体が全般的な基 準で一つにならなければなりません。その次に全能です。天が思いどおりにできるのです。サタン世界には全能がありません。今まで、立てられた国家的な基準 で全権の時代になっていたとすれば、それを過ぎて全能の時代になります。何であっても、国家と世界に影響を及ぼす自由奔放な世界に越えていくというので す。17 「四・四節」の宣布以降は、世界が変わります。国家的基準にあるサタンが、世界的基準に対して干渉することはできません。今までは神様もお父様も、サタン世界に対して「滅びなさい」と祈ることができませんでした。「怨讐を愛しなさい」と言っていたのに、「怨讐よ、滅び なさい」と言うことができますか。ですから、怨讐を愛さなければ、必ず蕩減を受けるのです。それゆえ、怨讐を愛さなければなりません。しかし今、私たちは、サタン世界の国家的基準を越え、神様が国家と世界を越えて、全世界の家庭も越えたので、サタンは離れていき、神様がエデンの園 でアダム家庭から始め、天国全体を管理していた時代が開門されました。それにより、神様の全権時代が来たのです。神様がしたいとおりにできる時だというの です.18 三億六千万双を祝福するに当たって、半分以上、目標を達成したので、神様が思いどおりに管理できる時代が来ました。家庭全権時代です。蘇生、長成を越えま した。一つの国を建てて、平和の世界に行くことのできる大転換期だというのです。三分の二を越えたので、長成圏を越え、完成圏内に連結されることにより、 神様が思いどおりにできるというのです。地上世界と霊界が分かれ、個人、家庭、氏族、民族が分かれていましたが、一つになることによって、本然の完成した アダム家庭とアダムの息子、娘の家庭ができたように、全世界の家庭が大転換するのです。ひっくり返るのです。天の側の家庭完成基準から見るとき、神様、ア ダム、その次にアダムの息子、娘、三代圏の家庭が完成するのです。それが四位基台完成です。三対象目的を完成するのです。これにより、神様がその中で直接 主管することができます。真の父母を通して、天と連結させる宣布式が「四・四節」です。霊界と肉界を連結させるのです。神様の創造理想的なその国と分かれていたものを一つに し、天の国の宮に入っていくのです。偽りの父母が破壊したものを、真の父母が継ぎ合せて天のみ前にお返しするのです。それが「四・四節」宣布です。これから、皆さんには蕩減が必要ありません。歴史を中心として蕩減してきたものが、即決処分される時代が来るというのです。アダムとエバが堕落した ことを何千万年もかけて蕩減してきたのですが、今や自分が誤れば、自分が天の国の法の規制によって処分を受けるので、監獄にも行き、ありとあらゆることが 起きるというのです。ですから、誤れば即刻、処分を受けるのです。19 皆さんは、百六十家庭を整備しなければなりません。これが必要です。なぜ百六十家庭を整備しなければならないのでしょうか。十六数に合わせるのです。また、四数の四倍数なので、「四・四節」を宣布したのです。六・二五動乱の時、韓国を助けてくれた国連軍も十六ヵ国でした。また、韓国と北朝鮮がソウルオリンピック大会を契機として国連に加入したのですが、 百六十番目と百六十一番目の加入国です。百六十数はサタン分立数ですが、これで終わりです。これを見るとき、新しい出発ができる希望が残っているというの です。韓国が初めてそのような時に合わせ、世界的な摂理のプログラムを中心として越えていけるのです。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.09.09
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「【メモ書き】ほふられた子羊(平和太郎)さんが非公開にしたコメント(その3)」コメント欄から子羊さん(平和太郎さん)のコメント:奇知外記さんからのコメントを削除した理由は、前にも言いましたが、貴殿の私へのコメント内容に原理性の論理が欠けている為です。ただ、御言葉を羅列して貼り付けたに過ぎないのです。厚化粧の装っているブログです。それから、貴殿の質問に答えても、私の答えに対する貴殿の答えが全くなく、反対に、貴殿から新たな質問をぶり返すだけの繰り返しなのです。非常に質が悪いブログです。まさに、貴殿のブログは家庭連合の悪質な狛犬です。真理性に欠如しています。気に入らなかったら削除してください。 (2020.09.07 09:24:19)私から子羊さんへは質問ではなく、子羊さんの間違いの指摘をしているものです。私に対して「原理性の論理が欠けている」ということですが、その言葉をそのままお返ししてきたのが私からのコメント群です。先ずもって「お母様が洗礼ヨハネの使命」などといったお父様のみ言は、果たして、在るのでしょうか?子羊さんからの【注釈無し】のお父様のみ言の提示(回答)もありません。「主の路程」からは、洗礼ヨハネ的使命者として数名の方々が挙がっていました。そこにはお母様の名は出てきませんでした。特には、私からは「み旨と世界」からの「内的教会史」に出てきた「神の夫人」を取り出しての反論をしていたはずです。「主の路程」からは、お父様は下着までも洗われたということですが、それに対して子羊さんは「貴殿の質問に答えて」などいません。また、「貴殿から新たな質問をぶり返すだけの繰り返し」ているのでもありません。子羊さんの更新記事に対しての新たな嫌疑と反論を書いていました。あなたの記事内容とお父様のみ言との整合性についてその一つ一つをチェックされての回答もありませんでした。◆子羊さん曰く「私のブログ記事が、御言葉によって間違いであるなら今日にでも閉じる」https://plaza.rakuten.co.jp/peace3world/diary/202009010000/とまで、子羊さんは書かれていたはずです。私・自称ルポライタイーtomy4509からはその「御言葉によって間違いであるなら」の指摘をしていたものです。tomy4509 id:tomy39742020/09/05 16:44>子羊さんへ(偏向)3D画像をどれだけ駆使したところで、それが「金太郎あめ」でなければならないでしょう。 み言全般に流れているものは「真の父母」です。子羊さんの注釈付き引用からはそれが感じられません。真の父母様の生涯は「小羊の婚宴」に始まり、全てがそのために投入されてこられました。「真の愛・真の生命・真の血統」です。tomy4509 id:tomy39742020/09/06 08:27>子羊さんへあなたのいわれる「3D画像」とは何でしょうか?映像とは違って、「画像」とは瞬間・瞬間をとらえたものだということです。つまりは、み言のごく一部の切りとりに過ぎず、それに注釈という糸(悪意ある意図)で縫い合わせった【ぼろきれ】でしかありません。……私のそれを覆すだけの(注釈無しの)み言があってこそ、あなたのそれは「本物だ」といえるでしょう!!子羊さんの主張はどれ一つ取って見ても【注釈】無しにはそこにたどり着くことができません。ハッキリ言えば、「(お父様の)み言を歪曲・改ざん」しては記事をUPしているということです。子羊さんの新着記事「天聖経に残されたお母様の役割とは??」(2020/09/07)もまた同じことを繰り返しているだけです。万が一に「(お母様の)主管性転倒式」がある(あった)とするならば、その時がいつなのかについての詳細がありません。今回のそれもお母様の「所有権転換(返還)式?」について書かれていましたが、同様にして「何時」については子羊さんは書いていません。原理での蕩減復帰の「信仰基台」では、「中心人物、条件物、期間」が三要素です。中心人物;お母様条 件 物:主管権、所有権期 間:(子羊さんからの提示無し)この「期間」によっては、蕩減復帰がなされたのかどうかの判断が出来るというものですが、子羊さんのそれには見当たりません。もちろん、すでに私からはこれらはゴミ箱へ投げ込まれていたものですが。夫婦間には「同位権」「同参権」「相続権」を有しているというお父様のみ言もあります。子羊さんのそれらはお父様のみ言に逆行しては、真の父母様の夫婦間を引き裂こうとする意図で書かれているものです。原理やお父様のみ言に流れるものは「心と体の統一」「夫婦の統一」であり、こんにち、お母様も「神統一韓国」「神統一世界」を天の父母様、真の父母様の「夢」として掲げていることをもってしても真の父母様(お父様とお母様)が一体化している事実として受け止めていけるものです。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.09.08
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2020.09.06付で「ほふられた子羊さん」ブログから非公開にされた私のコメント群です。【関連記事】ほふられた子羊(平和太郎)さんが非公開にしたコメント(その1)(2020.08.26)【メモ書き】ほふられた子羊(平和太郎)さんが非公開にしたコメント(その2)(2020.08.26)子羊さん曰く「私のブログ記事が、御言葉によって間違いであるなら今日にでも閉じる」 (2020.09.01)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓ ◆「あなたはスルーできますか???・・私には御言葉スルー出来ない!!」から非公開になった私のコメントコメント1:tomy4509 id:tomy39742020/09/02 21:58黒・天聖経の出典は「文鮮明先生み言葉選集148-199」となっていました。原文は以下です。 탕감복귀는 책임분담 자유화권을 만들기 위해 필요해 여기 그런 사람이 몇 사람이예요? 전부 다 10년, 20년 되면 습관화되어 가지고 신앙의 존귀성도 모르고 흘러가 버린 녀석이 얼마나 많아요. 선생님의 일생은 지금 그거예요. 아담이 책임분담권을 갈라놓은 것을 전부 다 수습하기 위한 일생이 아니예요? 기독교를 중심삼고 4천 년 동안, 야곱 이후 4천 년 역사를 중심삼고 지금까지, 다시 말하면 환경적 사탄 침범권을 막아 온 겁니 다. 주님이 와 가지고, 참부모가 와 가지고 자유스러운 환경, 사탄이 침범할 수 없는 자리에 서서 주관권, 책임분담 완성권을 만들어야 된다구요. 책임분 담 완성권을 만들지 않고는 결과주관권과 직접주관권의 사랑의 길이 안 닦아 져요. 黒・天聖経のほかの「引っ掛かっている」の用例を見れば、(人類は)堕落圏に引っ掛かると書かれているものをいくつか見かけました。ところが、これの原文からは「(お父様も堕落圏に)引っ掛かっている」の訳には無理があるようです。「堕落していない本然の責任分担の自由な環境を復帰するため」に先生の一生を懸けていると語られているようです。 また、引用された黒・天聖経「罪と蕩減復帰」の次の一文もそのことについて立証していました。 -----(引用) 責任分担を完成するためには、蕩減条件が必要です。先生がそのような蕩減条件を払ったので、皆さんは先生が歩んできた生涯の目的観を受け継いだ者として、愛の旗手として、堂々と国に現れれば愛国者になるのです。家庭に入れば孝子、孝女になるのであり、夫婦の位置に立てば烈男、烈女になるのです。世界に向かっては聖人の道理を行くのであり、天の国の王宮の法に歩調を合わせる王子の位置まで行くことになるのです。無事に通過することのできるただ一つの道があるとすれば愛のために「ため」に生きようとすべてのものを捧げる生活です。これは驚くべき事実です。 「3D画像」とか言われていましたが、子羊さんが個人的に「引っ掛かる(部分的)み言」を妄想でもってつなぎ合わせたものでしょう。 (堕落圏の)お父様が聖和されて初めて「アダムの再創造」が成された、という教えは家庭連合にはないのは当然です。イエス様がペテロに天国の門の鍵を預けられたように、この地上で説かれないものが霊界に行ってからなるでしょうか? 原理講論のどこにそのようなことが書かれているでしょうか? 教えてください。コメント2:tomy4509 id:tomy39742020/09/02 23:52>リボンさん 子羊さんの引用されたみ言を「黒・天聖経」で確認しましたところ、(148-199,1986.10.9) 韓国語原文はサンクチュアリのカフェからです。 http://cafe.daum.net/rainbowKINGDOM/HjjW/474 199 개인 책임분담 완성이라는 기준은 내가 신앙생활을 해 나가는 데 사탄의 침범을 받지 않을 수 있는 절대적인 자리입니다. 이런 자리에 서야 된다구요. 사탄이가 다시 시험할 수 없는 자리에 서야 됩니다. 그러려면 어떻게 해야 되 느냐? 사탄세계의 사랑의 인연을 가진, 그 습관성이 남아진 곳에는 언제나 사 탄이 침범하기 마련입니다. 그렇기 때문에 하나님의 사랑을 중심삼고 겹겹이 하나님의 사랑권 내에 서 있다고 하는 신념이 확고히 서 있어야 됩니다. 탕감복귀는 책임분담 자유화권을 만들기 위해 필요해 여기 그런 사람이 몇 사람이예요? 전부 다 10년, 20년 되면 습관화되어 가지고 신앙의 존귀성도 모르고 흘러가 버린 녀석이 얼마나 많아요. 선생님의 일생은 지금 그거예요. 아담이 책임분담권을 갈라놓은 것을 전부 다 수습하기 위한 일생이 아니예요? 기독교를 중심삼고 4천 년 동안, 야곱 이후 4천 년 역사를 중심삼고 지금까지, 다시 말하면 환경적 사탄 침범권을 막아 온 겁니 다. 주님이 와 가지고, 참부모가 와 가지고 자유스러운 환경, 사탄이 침범할 수 없는 자리에 서서 주관권, 책임분담 완성권을 만들어야 된다구요. 책임분 담 완성권을 만들지 않고는 결과주관권과 직접주관권의 사랑의 길이 안 닦아 져요. 연결이 안 되는 거예요. 사탄의 습관성이라든가 인습이라든가, 사탄의 정이 거기에 연결돼 가지고 하늘의 사랑이 연결될 것 같아요? 절대 안 돼요. 이건 절대적이예요. 연결 안 된다구요. 완전히 사탄을 분립해야 됩니다. 그러한 습관성에서 해방돼야 됩니다. 대한민국 사람은 대한민국 습관성에서 해방돼야 된다구요. 이렇게 사 는 것이 우리의 삶이라는 관을 가져서는 안 되는 거예요. 이걸 뒤집어 가지고 새로이 사는 관이 되어야 돼요. 사탄이 못 따라오는 관이 되어야 된다구요. 그래서 통일교회는 지금까지 수난의 길을 간 겁니다. 그 원칙을 중심삼고 움 직이는 겁니다. 사탄이 침범했느냐, 사탄이 분립되어 있느냐? 사탄이 분립되 면 하늘은 자연히 나타나게 돼 있다구요. 黒・天聖経の翻訳はサンクチュアリの元光言社職員の中村仁史氏が翻訳・編集したと過去のビデオで言っていたのを聞いています。訳文も翻訳者のみ言の理解度が影響すると思われますが、原文と翻訳のズレについて私には分かりません。 さらに、その訳文をそのままに鵜吞みにしてはそれなりの解釈を加えていくことで、原文のそれとはさらにかけ離れた結果が生じているのではないでしょうか?コメント3:tomy4509 id:tomy39742020/09/03 08:19>リボンさん 黒・天聖経の出版過程を見ればそれが理解できると思います。 先ず最初に日本語で小冊子として16冊が個々に出版されました。それの合本版「黒・天聖経」として出版されたのが、2003年7月17日(初版)です。そして、その日本語をそのままに韓国語に翻訳されての「黒・天聖経」が2006年4月25日(初版)となっています。文先生み言葉選集出典の実際と異なるのはそのためです。問題があるとすれば日本語の翻訳です。 リボンさんとしては、サンクチュアリのそれを推されるべきと思いますが。◆「家庭連合の狛犬ブログ = 「奇知外記」」から非公開になった私のコメントコメント1:tomy4509 id:tomy39742020/09/03 08:57>(迷った)子羊さんへ -----(以下本記事から) 貴殿(奇知外記さん)が取り上げた〔B〕に、(※3)で「先生がそのような蕩減条件を払ったので・・・」と過去形で語り、(※4)で「家庭に入れば孝子、孝女になるのであり、夫婦の位置に立てば烈男、烈女になるのです。」とかたられたのは、これから「なる」ということです。 つまり、この「ので」という接続詞が「夫婦の位置に立てば烈男、烈女になるのです。」にかかっているのです。これから「なる」ということです。 (奇知外記さん)お分かりですか??? -----(終わり) では、子羊さん、 「小学5年生の国語問題。これに正解したら1万円も出ません。」 さて、 (※3)で「先生がそのような蕩減条件を払ったので・・・」ですが、(※4)で「家庭に入れば孝子、孝女になるのであり、夫婦の位置に立てば烈男、烈女になるのです。」この「孝子、孝女」「烈男、烈女」になるのは誰でしょう。 A.先生 B.真のお母様 C.皆さん----- 正解は「Cです。」 『文字の奴隷ではなく、万民共通の文法に従い、神様の原理に従えば、「(皆さんは先生が歩んできた生涯の目的観を受け継いだ者として、)夫婦の位置に立てば烈男、烈女になるのです。」は「なった」ではなく、これから「(皆さんは)なる」ことを語られているのです。』と、万民共通の文法・神様の原理にも合致します。 子羊さんは、私とリボンさんのコメントのやり取りを十分に理解していないようですね。リボンさんは「その鼻に」を「そこに」と言い換えていました。 -----(リボンさんコメント) リボンn 8時間前 >あ~~ 「その 鼻に」というのが,「そこに 」と訳されているんですね。 すみませ~~ん! ----- となれば、子羊さんの「原罪を持たれたままのお父様の生涯」という仮定は消失します。子羊さんは「3D画像」とかでしたが、私からの「数独パズル」にも合いません。 「蕩減条件を払った」お父様に「原罪」はありますか? 「お母様が洗礼ヨハネの使命(者)」だというお父様のみ言も存在しません。子羊さんの注釈によってみ言が歪曲・改ざんされたものでした。https://yohane-no-mokusiroku.muragon.com/entry/479.html「み旨と世界」の「内的教会史」から「神の夫人」ほか女性の話もしていました。「主の路程」からはその方々が「(女性の)洗礼ヨハネ的使命」を持たれていたということで、お母様ではありませんでした。ここでもお父様のみ言と子羊さんの仮定にズレが生じています。私からは過去にもそのことをコメントしていました。コメント2:tomy4509 id:tomy39742020/09/03 16:34>子羊さんへ 私から提示した「罪と蕩減復帰」からの引用の原文出典は(169-94,1987.10.25)となっていました。以下93ページからの原文です。http://cafe.daum.net/rainbowKINGDOM/HjjW/453 93 …… 세계가 다 그렇게 된 다음에 하려고 그래요. 금방 말한 것처럼 이런 하나님의 원한을 풀기 위해 사랑의 기수로서 각 남자를 대표해서 갔지마는, 하늘의 원한을 알기 때문에 그 원을 풀어 주기 위 해서 선두에서 역사 이래, 과거, 현재, 미래를 대표해서 달리고 있는 거예요. 내가 그러한 사나이인 것을 누가 알았었느냐? 하나님밖에 몰랐다는 겁니다. 그러한 전통을 세우기 위해 생애를 살았고, 미친 사람 취급받는 행각의 걸음을 걸어왔습니다. 김삿갓 이상의 처량한 길을 걸어온 것은 사랑의 기수의 책임을 다하겠다는 것이었습니다. 그 배후에 숨어진 책임분담을 하지 못한 한 의 고개를 넘어야 할 것을 알았고, 또 남북을 중심삼고 가야 할 길이 남아 있 는 것을 알기 때문에 지금도 나는 쉴 사이 없습니다. 남의 나라의 충신이 되기가 쉬운 거예요? 대한민국에 태어났으면 나라를 위해서 충신의 길을 가야 돼요. 무슨 말인지 알겠어요? 「예」 여러분들 통일 교회 교인이지요? 「예」 나는 통일교회의 책임자로서, 교주로서 사랑의 기수 의 길을 가려고 몸부림치는 사람입니다. 그런 전통을 이어받아야 할 것이 통일교회의 무리이기 때문에 여러분들도 내 대신, 통일교회를 완전히 이어받아 가지고 여러분의 일족을 위해서 그렇게 살라는 겁니다. 선생님 대신자가 돼 가지고 접을 붙이라 94 는 것입니다. 한 나무에서 가지를 따 가지고 접붙여서 그것이 원둥치가 돼 가지고 삼천만 전부에게 접붙이는 것입니다. 이러한 생활적 이상의 관으로 하 나님의 본연의 사랑의 기수로서 책임분담 완성을 해야 합니다. 그런 사람을 왕자의 권, 효자권, 그다음에 뭐라고 그러나요? 충남권, 충남 충녀인가요? 열녀 대신 남자를 뭐라고 그러나요? 「열남이요」 열남권인가 요? 열남보다는 충남이 낫지요. 김종필이 충남출신인가요? (웃음) 그렇다고 해서 `아이고, 저 충남하는 걸 보니 김종필이 돕느라고 그러는가 보다'고 생 각할 사람이 여기 있을지 모르겠다구요. 사랑을 매개로 하면 무한세계를 통할 수 있어 자, 탕감복귀노정을 거쳐야 할 과정에 머물러 있는 우리에게 있어서는 개 인으로 넘고, 가정으로 넘고, 종족, 민족, 국가, 세계적으로 넘어야 할 길을 찾아가야 됩니다. 여러분이 가야 할 길이 있습니다. 선생님이 대표적인 제물 로 갔기 때문에 그 길에 여러분이 꼬리를 달고 따라와야 합니다. 선생님이 다 리를 놓았기 때문에, 또 선생님이 사다리가 됐기 때문에 이 다리를 건너고 이 사다리를 올라가야 합니다. 그러지 않으면 못 갑니다. 그걸 알아야 돼요. 여 러분들이 이걸 넘어가기 전에는 자유가 없어요. 자유라고 할 수 없습니다. 자 유라고 해보라구요. 사탄의 철망에 걸립니다. 사랑의 기수의 자리에 서서 책임분담완성을 필해 가기 위해서는 탕감조건 이 필요합니다. 선생님이 그런 탕감조건을 치렀으니 여러분이 선생님이 걸어 온 생애의 목적관을 중심삼고 그것을 이어받은 자로서 사랑의 기수로서 당당 히 나라에 나타나게 되면 애국자가 되는 것이요, 가정에 들어가게 되면 효자 효녀가 되는 것이요, 부부의 자리에 서면 열남 열녀가 되는 것이요, 세계를 향해서는 성인의 도리를 가는 것이요, 하늘나라의 왕궁법에 보조를 맞추는 왕 자의 자리까지 가게 되는 것입니다. 무사통과할 수 있는 단 하나의 길이 있다 면 사랑을 위해 살겠다고 모든 것을 바치는 것입니다. 이것은 놀라운 사실입 니다. 93ページからは統一教会の食口について語られていましたし、94ページはどうなのですか?コメント3:tomy4509 id:tomy39742020/09/04 00:39>小羊さんへ あなたが引用されていた1977年5月1日のそれに「神の夫人」の話があったでしょう。 -----(引用) ◆摂理の中の女性(二)霊的メシヤの花嫁 韓国に、神の摂理歴史において中心となる代表的な女性が現れなければなりません。「私の夫は神であり、イエス様です。そして神とイエス様と常に交流しています」という、選ばれた女性が現れなければならないのです。 そしてある女性が選ばれ、「あなたは真の妻であり、母であり、女王である」という啓示を絶えず神から受けていました。その女性は、普通の人が見ても美しくはなく、あまり苦労しましたので顔色も青ざめて栄養失調のように見えますし、常に山に祈りに出かけてむしろ惨めな者に見えました。しかし心の中ではいつも、自分はイエス様の母であり、妻であり、花嫁であるということを感じていました。そして彼女が、「メシヤの妻となるために準備しなさい」という啓示を受けるのです。ところが神が彼女に啓示を与える時に、そのメシヤなる人は、息子のようでもあり、夫のようでもあり、王のようでもあるというように、三つの立場をもつ者として啓示されました。 -----(終わり) あなたの引用では『エバ(女性の代表者=お母様)』となっていましたが、【=お母様】は「み旨と世界」のみ言にはない、あなた自身の注釈による歪曲・改ざんでしかありません。同じみ言からは「女性の代表者」、言葉を変えて出てきていたのが「選ばれた女性が現れなければならない」、つまりは「神の夫人」の話をされていました。決してお母様を指してのものではありませんでした。そのような女性に仕えられたお父様でしたが、「 人類の代表たるアダムでありながら、なぜ僕であるのかというと、エデンの園における堕落において、男性は女性を主管すべき立場であったにもかかわらず、女性に主管されてしまいました。ですからその主管性転倒を復帰するために、信じられないような仕え方でその女性に侍っていくのです。考え得る限りのことを、その女性の体を洗うことまでもして僕として侍らなければなりません。 その女性は自分の夫より、息子より先生を信頼しました。」と、ここでお父様が「主管性転倒式」をされては、「イエス様も初めは、洗礼ヨハネから祝福を受けて侍る立場でしたが、一度主管性転倒を復帰してその段階が終わると、完全に主体は逆転します。再臨主においても、僕の段階を完成して主管性転倒を復帰すると、完全に女性を主管し、命令する立場に立ちます。」となれば、お父様聖和後に「主管性転倒式(?)」って何ですか? あなたの注釈付きの(偏向)3D画像の中でしかあなたの主張を見ることができません。 「内的教会史」の「神の夫人」を挙げたのはそのためです。どのようにあなたが反応されるか見ました。「内的教会史」のみ言に何が書かれていたかも理解していないように思います。 その3日後にお母様が証しをされた一文を私のブログ記事で紹介していましたので参考まで。 ・「6マリヤ」は存在しない(その2)-- 1977年5月3日お母様の証 https://plaza.rakuten.co.jp/peace3world/diary/201902220002/ ・「6マリヤ」は存在しない(その3)-- 17周年聖婚聖婚式でのお父様み言から https://plaza.rakuten.co.jp/peace3world/diary/201902230000/コメント4:tomy4509 id:tomy39742020/09/05 16:59>ピーターパンさん 「独生女論」というものはどこに存在するというのですか? 「独生女論」があるというのであれば「独生子論」もあって然るべきです、は私からの反論です。ピーターパンさんはそれを見られたでしょうか? 「独生女論」そのものは机上の空論であって、真のお母様や家庭連合を貶めるための「俗語」でしかありません。 もしも、「独生女論」が存在するというのであれば、先ずは1959年10月の真の父母様「ご聖婚式」も決まらない中にお父様が最初に「独生女」について語り始められたものであり、それが「元祖・独生女論」ということになります。ほか、み言葉選集からは180ほどの「独生女」を語られていたということです。ピーターパンさんはその一つでもみられたでしょうか。日本語訳では「ひとり娘」として書かれています。 お母様や家庭連合を批判される方々にないものは、お父様が語られた「独生女」み言です。◆「家庭連合の狛犬ブログ = 「奇知外記」」から非公開になった私のコメントコメント1:tomy4509 id:tomy39742020/09/05 16:44>子羊さんへ (偏向)3D画像をどれだけ駆使したところで、それが「金太郎あめ」でなければならないでしょう。 み言全般に流れているものは「真の父母」です。子羊さんの注釈付き引用からはそれが感じられません。真の父母様の生涯は「小羊の婚宴」に始まり、全てがそのために投入されてこられました。「真の愛・真の生命・真の血統」です。また、原理講論では「創造理想を完成した男性=生命の木」だけでなく、「創造理想を完成した女性=善悪知るの木」をも紹介したものでした。その男女が出会って第二祝福、第三祝福が本来の創造理想でした。「重生論」からも「天からの善の父母が堕落人間を……」(P.263~)。ほか、「イエス様再臨以降の完成成約時代は、妻の時代」(P.321)との預言も原理講論にはあり、1992年が「真の父母宣布」と同時に「女性時代の到来」を出発されたものでした。子羊さん引用の文意から見て1992年に「エバを再創造」ですが、33歳(イエス様の33年生涯)を迎えたのお母様が「20歳以下」では可笑しいでしょう。 子羊さんの主張は原理講論の内容すらもありません。真の父母様のアイデンティティ、1960年以降の「祝福式」までも否定するものです。 以下は『文鮮明先生御言選集 19911103 - 真なる女性の行くべき道』からの引用: ◆女性解放の道を開拓してこられた先生 先生は一生をかけてお母様のために、お母様の解放のために今まで働いてきました。もちろん先生はあらゆる男性を代表しているために、先生の行く道に従えば、男性の解放も行われるけれども、お母様が行くべきあらゆる道を開いてきました。今までお母様の位置はかわいそうな立場だったでしょう? しかし、今は、先生と対等の位置にまで上って来ました。何故そのようにならなければならないでしょうか。帰って行く時になりますと、左にいたお母様が右に来て、右は左に行くようになります。いつもそうなるのではありません。峠を越えるまでそうなのです。七年、十四年、十六年なのです。この間は、世界的な女性運動が大盛況をなす時であるために、先生がそれを知って、「女性連合」を創設したのです。 -----(引用終わり) 「裏付けが大事!! ⇒ 文先生は責任を果たせなかったとして第一夫人を堕落させた立場に立たれた・・・再び、お母様を創造しなければならない。」ということですが、肝心の「原理講論」からの裏付けはどうなのですか? 加えては「天宙天地人真の父母定着実体み言宣布大会」の宣布もありました。「み言」よりも「実体」の天地人真の父母が優るということを「原理(本体)論」でもって教育して来られたでしょう。コメント2:tomy4509 id:tomy39742020/09/05 23:35>子羊さんへ 「申請」であろうが「届け」であろうが大して代わりはありません。どこにそれを出すというのでしょうか? 韓国? 日本? それとも? 「天一国」がこの地上に現れなければそれが出来ない、というのが真の父母様のみ言です。そのために真の父母様が汗し涙してこられました。 子羊さんこそが総観からズレたパッチワークそのものではないですか!! 子羊さんからは原理からの総観ともいうべき「真の父母」も出てこなければ、「三大祝福」もありません。全く違う事象をつなぎ合わせては、部分的なみ言を引用しての注釈無しにはあなたの主張にたどり着くことができません。なるほど、子羊さんにも別の「金太郎あめ」はあるようです。み言の歪曲・改ざんを通して真の父母様のアイデンティティを引き下げては家庭連合への批判を拡大しようとするそれです。 もしも、子羊さんの主張が正しいとするならば「神の夫人」ほかについてハッキリとしたものを提示されるべきでしょう。お父様が第一夫人を置いて突然に北韓へ向かわれた意図は何だったのでしょうか? 第一夫人との離婚話はそれから随分後のことです。 アブラハム路程での2度の献祭前、妻サラがエジプト王に召されましたが、サラの心境はどうだったと思いますか。聖書にはそれは記されていませんが、神様や夫アブラハムを裏切るまいとして「死を覚悟」してエジプト王の前に出たと思います。エバがサタンに誘惑されたそれとは逆の経路です。同じく、イサクの妻リベカ、タマル、マリヤも神様の命令には「絶対服従」でした。真のお母様もご聖婚後の7年路程はその「絶対服従」が今回子羊さんのみ言引用でした。それに続く一文は、そのお母様の勝利ゆえに「神の日」を決定することが出来たというものではなかったですか。子羊さんの注釈付き解釈にはそれが欠如しています。このこともお父様のみ言に在って、子羊さんの主張にはないものです。 子羊さんのいわれる「3D画像」って何ですか?◆「天聖経は文先生のカミングアウトだった・・・一九六〇年のご聖婚・・・「真の父母」の理念が出発した日です。」コメント:tomy4509 id:tomy39742020/09/06 08:27>子羊さんへ あなたのいわれる「3D画像」とは何でしょうか? 映像とは違って、「画像」とは瞬間・瞬間をとらえたものだということです。つまりは、み言のごく一部の切りとりに過ぎず、それに注釈という糸(悪意ある意図)で縫い合わせった【ぼろきれ】でしかありません。 今回の引用み言を見てもその前後には御聖婚までのお父様の40年の蕩減歴史があり、その後の3年・4年の7年路程ということでした。 >イエスが来たのは、アダム・エバが堕落したことを復帰するためのものな【ので】、イエスができなかったことを全部代わりにしなければならないのです。 この引用も「ので」を強調したところで、原理講論やお父様のみ言(総論)からかけ離れたものです。イエス様は十字架に架かるために来られたのではなく、アダムエバが成せなかった家庭を築くためはお父様のみ言です。再臨の主はそのイエス様の使命を継承して「イエスができなかったことを全部代わりにしなければならない」のです。敬称「様」の有無は翻訳者の判断であって何ら解釈の基準ともなりません。 >これが、我々の教会の歴史です。サタンに対して、いつも原理をしっかりと掲げてきたのです、愛をもって。サタンの血統を受けて堕落した父母(=アダム・エバ)として始まったことを、どのように人類の真の父母の位置として復帰させるか、ということに(6000年間)苦心したのが神様の立場だというのです。 「サタンの血統を受けて堕落した父母として始まった」のが「先生とお母様」というのが子羊さんの解釈ですが、どこに先生とお母様がサタンの誘惑によって堕落したという根拠があるというのですか? この引用の結論も「(6000年間)苦心したのが神様」の心情を語られていたものでした。 総論を中心に考えたときに、子羊さんのそれは独善的な解釈でしかありません。私のそれを覆すだけの(注釈無しの)み言があってこそ、あなたのそれは「本物だ」といえるでしょう!!
2020.09.06
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人類の涙をぬぐう平和の母 自叙伝 / 韓鶴子 【本】自叙伝で歌を!~「平和の母」オリジナルソング集【第3弾】「スイセンが咲く丘」U-ONE TVチャンネル登録者数 1.33万人世界平和統一家庭連合 文化部では、真のお母様(韓鶴子総裁)自叙伝『人類の涙をぬぐう平和の母』の普及のために、音楽を通して表現する「オリジナルソング」の公募を行っています。自叙伝の内容をモチーフにした歌詞の楽曲を限定とし、ジャンルを問わず、どなたでもご応募いただけます。応募作品は、Blessed Lifeでご紹介してまいります。ぜひご参加ください。応募ご希望のかたは、その旨を下記メールアドレスへ送付してください。応募用紙をお送りいたします。(jijoden-song@ffwpu.jp)第3弾は、早出康介さんの「スイセンが咲く丘」です。★タイトル:「スイセンが咲く丘」作詞・作曲:早出康介★自叙伝感想人類の母として、全ての人々の悲しみ、苦しみをご自分のものとして背負われ、かつ天の父母様の解放に責任を持ってこられた韓鶴子総裁であったことを深く感じました。平和の母として勝利された真のお母様の存在はあまりにも貴く偉大であることを実感します。★楽曲解説自叙伝の本文156ページ、161ページのスイセンに関する内容をモチーフとして曲を作りました。凍り付いた地面を突き破り、春の到来を知らせるスイセンは真のお母様のお姿とだぶります。そして私たちもスイセンのように力強く平和の母をたたえ証ししていきたいと思います。★歌詞1.長く続いた冬が過ぎ去り 凍りついた地面を突き破るスイセン季節はめぐり天が送られた独り娘を僕ら知らなかった同じ時代(とき)を今生きてるあなたはスイセンのように今日も微笑んでる2.父母を知らずに迷い生きてきた孤児のような僕らを待っている母の愛世界中の涙を拭い歴史の恨(ハン)を解かれゆく姿月を見上げて祈られるあなたはスイセンのように永遠(とわ)に輝いてるあなたが愛した神様を僕らが愛してゆきますlalala… 讃えゆこう平和の母あなたはスイセンのように愛を貫かれた伝えゆこう平和の母遥か新エデンの丘に希望の花が★音楽活動歴2011年より北海道合同讃美礼拝を担当し、企画、演出、楽曲提供などに関わっています。「Blue Sheep」2015年に結成された北海道のバンドです。この年は真のお母様が年頭に「青い羊の年」と語られたこともあり、「Blue Sheep」と名付けました。2019年4月には真の父母様ご聖婚59周年記念式で公演をおささげしました。最近は主にオリジナル曲を演奏しています。★自己PR天の父母様、真の父母様を讃美するオリジナル曲を世の中に増やしていきたいです。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.09.05
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HJグローバルニュース (2020年 9月 5日)HJ PeaceTV- 文鮮明天地人真の父母天宙聖和8周年記念式 天への孝情、世の光たれ■日本語http://www.ipeacetv.com/vod_view/11800一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.09.05
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文鮮明天地人真の父母天宙聖和8周年天寶大祝祭 真のお母様のみ言2020年9月4日一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓ 韓国ニュースからピックアップしたフォトです。【ソウル=ニュージーランド共同】世界平和統一家族連合は4日、文鮮明総裁天宙聖和8周年記念式典がネット上で非対面で行われたと明らかにした。韓鶴子総裁がスピーチしている。(写真提供:世界平和統一家族連合) 2020.09.04。
2020.09.04
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世界平和統一家庭連合公式チャンネルU-ONE NEWS2020年9月4日号○真のお母様のみ言「天一国指導者孝情特別集会」(2018年8月30日 韓国・天正宮博物館)【要旨】真の父母様と同時代に生まれ、先に祝福を受けた祝福家庭に対して、神氏族メシヤの責任について語られる、真のお母様のみ言です。○メインコンテンツ1「磐周 『スモールファミリー』で地域化」・先週の名古屋家庭教会に引き続き、全国の教会の神氏族メシヤ活動に関して取材しました。 今回は、地域に特化した「スモールファミリー」と呼ばれる活動を通して、教会員が主体性を発揮して活躍することを目標に取り組む、磐周家庭教会をご紹介します。」○メインコンテンツ2「防災を見直そう」・台風シーズンを目前に、UPeaceの加藤善斐徒キャプテンに、家庭でできる防災に関して話してもらいます。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.09.04
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엄마니까~お母さんだから~文鮮明天地人真の父母 天宙聖和8周年記念式一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.09.04
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タイトル:涙の十字架を担い行かれるあなたに作詞、作曲:기흥서一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.09.02
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子羊さんの『2001年、「神様王権即位式」も失敗したという御言葉・・・』を、お父様が神様王権即位式前日に語られたということ自体が矛盾しています。「子どもの「暗号文遊び」、子羊さんにオサラバです!!」は、ブログ更新を停止されたら如何ですか? の意味です。子羊さん自身が以下のように表明していました。 私のブログの内容に、驚くことが多いと思います。しかし、自説を前に立てて、御言葉で装っている記事ではありません。 もし、私のブログ記事が、御言葉によって間違いであることが実証されるなら、このブログは、今日にでも閉じることになります。よろしくお願いしま す。 私のブログは自説でないと思っています。あくまでも、御言葉に沿ったものです。それも、無理な解釈ではなく、御言葉に素直に向き合ってのものと思っています。 さらに、一つの御言葉だけではなく、複数の御言葉を3D画像のように駆使しています。そして、その御言葉がお父様とお母様のお姿に合致することをもって記事にしています。 https://heiwanosyujin.muragon.com/entry/871.html私からは「数独パズル」の例を挙げていましたが、子羊さんのいわれる3D画像(暗号解読表)では「数独パズル」は解くことができません。ほふられた子羊(平和太郎)さんが非公開にしたコメント(その1)主張(結論)が間違いであったと分かれば、ブログを停止するとまで豪語していたのですがどうなのでしょうか?【メモ書き】ほふられた子羊(平和太郎)さんが非公開にしたコメント(その2)子どもの「暗号文遊び」、子羊さんにオサラバです!!私のコメントは子羊さんの矛盾点を挙げていましたが、突如のコメント非公開の扱いは何を意味するのですか?子羊さんの過去記事『2001年、「神様王権即位式」も失敗したという御言葉・・・』ですが、される前から失敗したと分かった(?)お父様が「神様王権即位式」何故されたのですか?「神様王権即位式」をされたこと自体が3D映像(暗号解読表)で説明が出来ないでしょう私からの解釈も記しておきます。(以下、お父様み言引用)神様王権即位式 第一章 四 神様王権即位のための真の御父母様の準備 2. 四十日特別精誠期間、真の御父母様の準備のみ言 ◎即位式一日前〈二〇〇一・一・一二〉 ⑭千年、万年の恨を抱いて取り戻してきたこの道である 先生は、あす(一月十三日)が来ることを喜んだでしょうか、恐ろしく思ったでしょうか。日付を中心として、最も恐ろしい期間です。心配することがないので、監獄で暮らすことのほうが楽でしょう。その恨を解くことは、その方の前に私が四十代でこのことをして余りあるこのような環境をつくり、四十年を経て初めて……。その四十年間で数十億人が地獄に行きました。それを蕩減するためには、アメリカやソ連を復讐蕩減してけ散らしてしまわなければならないのですが、彼らを救うために苦しんだのです。一人で苦しんだ人です。 天宙という言葉は、どのような言葉ですか。神様が暮らすことのできる家ということです。皆さんの家がそうです。先生は祝福家庭の王です。王は、縦的な王が神様であり、横的な王が真の父母です。これは世界的であり、天宙史的です。この霊界は、真の父母の管理権内に入っています。堕落した父母によって連結されたものを完全に取り消してしまったので、真の父母の全権を中心として、「神様王権即位式」までしてあげることなくしては、世の中を正すことはあり得ないのです。 千年、万年の恨を抱いてきたその恨の窮地を埋めて平地をつくります。平地だけではありません。高いヒマラヤ山頂よりもはるかに高い山をつくってこそ、神様が臨むことができるのです。神様が臨むことができる高い定着地が地上にあり、深い谷が地上になければなりません。それで、先生は、地獄のどん底から地上世界の人間が暮らすことのできる地球星まで、知らないことがないのです。 神様の即位式がいつあるか分かりません。それを(先生が)自分で悟らなければなりません。悟らなければならないのであって、神様が頼むことはできません。神様が頼むことができないというのです。頼んでも、神様が考える期間があります。それより先にして(=神様から頼まれる前に)、その残りの困難なことは、私が責任をもつのです。前倒しするのです。縄が切れない程度まで引くのです。それを限界線まで、切れないところまで引っ張ってこれを解かなければなりません。 ですから、四十日間、先生が平安だったでしょうか、どうだったでしょうか。負債を負った生活です。孝子の役割を一度しようとするのですが、父母が死んだのと同じです。忠臣の役割をしようとするのですが、国王が逝ってしまいました。聖人の役割をしようとするのですが、神様の前に離別を告げた主人の息子の立場です。そのような立場で収拾しなければなりません。最も恐ろしい期間です。 神様の即位式をしてさしあげるにおいては、興進君がお連れするのです。先生の息子、娘と聖人がお連れするのです。その指揮下にあるすべての者たちが、旗を掲げて歓迎しながらその位置を確定してさしあげなければなりません。ですから、全世界の人たちは、三日間断食をしなければなりません。私が断食して即位式をすることはできないのです。本然のエデンで、断食して即位式をするはずだったのですか。 ですから深刻なのです。影があってはなりません。先生の生命が正午にぴたっと立って影が現れないようにするには、どのようにするかというのです。先生が許してあげた過去のすべてのものを、そのままカバーしてするのではありません。ペイントを塗るか、灰をかぶって汚れたものを覆わなければなりません。それで、そのようなものがないようにするための責任を、私が引き受けておいて、霊界の興進君と共に、父子が責任をもってそのことをしようと考えるのです。(全食口が三日間のだんじきをしたはずです。) あすは何の日ですか。(神様王権即位式の日です)。創造以後に神様が理想としていたすべてのものが、サタンに侵犯されて地獄圏内を中心として呻吟してきたのです。これを撤廃して、神様が心配なさるすべての分野をけ散らして、新しい世界へ帰ることができる時が来たので、神様王権即位式をするのです。 この中間のサタン世界圏というもの、人間と分かれたものを、宗教圏を中心として、メシヤを中心として連結させるのです。真の父母が来て神様が心配されるすべてのものを解消させておき、偽りの父母の愛によってひっくり返されたものを、本然の位置で真の父母の愛によって復帰するのです。 それが復帰されたので、神様を本然の王権の位置に即位させてさしあげなければなりません。天宙を創造された主人の位置を侵害されたので、それを真の父母が取り戻しておかなければなりません。これが最後なのです。 神様が見えたらよいでしょう。神様は見えません。先生の目に神様が見えるでしょうか、見えないでしょうか。皆さんは愛が見えますか。良心が見えますか。生命が見えますか。血統が見えますか。最も貴いものは見えないのです。最も貴いものが見えるようになれば、いくらにもなりません。(見えない良心・生命・血統を)誰に売り飛ばしますか。私一人しかいないではないですか。売り飛ばそうとしても自分しか売り飛ばすところがないではないかというのです。見えないので、誰に売ってもどのような値段でもつけられるというのです。 ですから、そのように考えれば、神様が知恵深い王になり、本当に頭が良い大王陛下になろうとするなら、見えなければならないでしょうか、見えてはならないでしょうか。見えてはいけません。 それでは、「さあ、それでは、自分が最も愛する人として神様が現れれば良い」と言えば、正確に現れます。自分が最も喜ぶ人、世の中で最も喜ぶ人は誰ですか。この世でもあの世の中でも、真の父母の顔です。「やあ、真の父母の顔と神様の顔が似ているはずだ」と言えば、似ているように見えるのです。 また、先生が「神様は父親の名前をもつので、見えませんが、私の上で冠のようになってください」と言えば、それを感じるのです。そのような時、手を見れば、手から光が出ます。自分が寝台に横になる時は、黄金の台に横になるように思うのです。そのような世の中になるというのです。 今まで誰にも言っていない事情が、まだ残っているということを知らなければなりません。ですから、いつも孤独単身です。 独島(竹島)の歌を知っていますか。歌ってみてください。一緒に歌います。 あの遠い東海(日本海)の孤独な島 きょうも荒々しい風が吹き荒れるだろう 小さな顔に風を受けるが 独島(竹島)よ、昨夜は無事に越えたのか アリラン アリラン 一人アリラン アリラン峠を越えていこう 行きながら苦しくなれば一休みして 手を取り合って行ってみよう 一緒に行ってみよう それが天の身の上と全く同じです。先生は、そのように生きました。文総裁をなくそうと世の中が、天地がすべて動員されました。そのような父母様に侍った息子、娘は、いくら困難でも孝子にならなければなりません。神様がそうです。むちで打たれて血を吐く立場でも、神様を慰労しなければなりません。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.09.01
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