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今日は朝から近所の小学校の運動会に招かれて参観。 競技が始まる前に、紅白に分かれた全校児童が、「運動会の歌」を歌って士気をたかめる。いやー、爺ちゃんは感動してしまい、ジワーッと涙が滲んで来ましたよ。 子供って、全身で歌うでしょう? ついこのあいだ生まれたばかり(と思っているのは爺ちゃんだけだが)の子供が、無我の境地で天地を揺るがすように歌うのだから、私は泣き笑いである。 子供たちが考えた運動会のスローガンは、「勝利の旗をつかみとれ! 世界をゆるがす大合戦!」だそうだ。天地をゆする歌声だもの、大丈夫、世界は君たちのものさ。バカなおとなたちから、世界をもぎとりなさい。できる、できる。 今日は、爺ちゃんは君たちにエネルギーをもらったよ!
Sep 30, 2017
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今朝9時過ぎに合唱の練習所の管理事務所から電話があり、「楽譜を落されませんでしたか?」と言う。一瞬、何のことだろうと思った。「楽譜の隅にヤマダと書かれていたので、もしやと思いお尋ねしています」「ちょっとお待ちくださいますか?」 急いでバッグを開けてみると、はたして楽譜が無い。「もしかしてファイルされているものでしょうか?」「そうです。透明なファイルに入っています」「あー! ありがとうございます。たしかに私の楽譜です!」 というわけで、自転車で駆けつけたのだが、電話をもらうまでまったく気がつかなかった。合唱団のレパートリーの楽譜がたくさん入っているファイル・ブックなのである。歌い方のこまごました私自身の注意メモが音符の上に赤で書き込んである。なくしたら大弱りになるところだった。 実はブックに私の名前が書いてあるわけではない。渡された楽譜の何点かの上の隅に、先生が私に渡すのだという目印のために、極小さく「山田」と鉛筆で書いているのである。事務所の方、よくその目印に気がついてくださった。どうもありがとうございました。
Sep 29, 2017
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合唱練習からさきほど40分前に帰宅した。腹ぺこで遅い夕食をかっこみ、コーヒーを持って仕事場に入り,これを書いている。 11月半ばの本番ステージを前の、仕上げにかかっている練習は、残り2回だけ。全5曲を歌う。 ---私の声は、まあまあ良く出ていた。音域もひところよりも広がっているかもしれない。角がとれて少し丸みと響きのある声になっているかもしれない。 ---作品制作で一日中座りっぱなしで、今朝から腰が痛かった。夕方になっても痛みはとれず、そのまま合唱練習に行った。立って、腰を安定させ、背骨を真っすぐにして歌っているうちに、いつのまにか痛みが消えた。背筋や腹筋を制禦し、胸郭を広げる動きが、たぶん、腰の凝りをほぐしたのだろう。 40名の団員の頼まれもしない道化役を引き受け、先生にツウコミを入れて笑わせながらやっている。笑うと心身がほぐれるから、ね。しかつめらしく歌っても、歌にはならないと思う。そうして少しずつステップ・アップして、女学生コーラス・老人会コーラスとはまるで違う合唱団になって、私もその一員として、民生委員の定年退任まで務めたい。誰にも言わない、私ひとりの思い。分野はちがうが、芸術家の端くれとして、自分のためではなく人を感動させるパフォーマーでありたいのである。
Sep 28, 2017
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午前中に高齢者訪問。市から依頼された訪問をすべて終了した。すぐに報告書をまとめ、郵送。 新作のための構想をつぎつぎにコンピューターに入力、デッサン代わりのコンピューター・グラフィックスをとりあえず作っている。現在、10点。プリント・アウトして眺めているうちに更にイメージが深化してゆく。あるいは新たな展開をする。それを待っているのである。10月初日に第1作をキャンヴァスに写し、実質的な制作に入ろうと思う。この1作目で今までにやらなかったことを試すつもりだ。
Sep 26, 2017
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午前中は読書。英語の原書を1冊読了。 午後、市から依頼されていた高齢者を訪問。 夜、寝かせておいた韓国展のための作品の最終作業をする予定。週末には出荷できるだろう。 どういうわけか甘柿に変わっていた庭の柿は、今朝も15個穫ったが、キッチンの籠にも山盛りになってい、食べ切れない。捨てるにしのびないので、柿酒を作ろうかと思う。 と言っても、私は酒を飲まない。30歳のときにピタリと止めた。客との会席でも、その旨をことわって、烏龍茶で場を濁している。プロモーターの画商の社長が、韓国での酒宴の様子を話してくれるが、私は恐ろしくてとても近づけない。 そんな我家のキッチンの戸棚に、梅酒やらビワ酒やらカリン酒が、大きな瓶に何本も眠っている。梅酒などはおそらく20年以上前に仕込んだものもあるはずだ。飲みもしないのに---と思いつつ、大豊作の柿の始末に手こずって、柿酒にしようというのである。
Sep 25, 2017
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昨夜から午前中まで降りつづいていた雨があがって陽が差しはじめたので、急遽、新宿へ買い物に出た。いつものことながら目的の店の目的の場所に直行して、ものの10分で用事をすませて帰路についた。自分でもせわしない人だと思う。 30℃の真夏日も雨の前日までと予報されている。街行く人はすっかり秋のファッションだ。若い人たちの自由な装いが素敵だ。中年以上の男性は未だしかなー。頭の先から下までアンダーアーマーで揃えてみても、何とも、ネー、ちょいとネー。スポーティーに統一したつもりかもしれないが、でっかいブランドエンブレムが全身にちらばっていてはネー。 ----昔、野球の某さんが頭の先から足許まで全身ルイヴィトンに包んでいるのを見かけた。某さん、ごめん! 遠くから新しい風変わりな馬具屋の宣伝みたいなルイヴィトンの大型バッグがやってくると思ったら、それが某さんだった。思わず笑っちゃったなー。再び、某さん、ごめん!---全身アンダーアーマーの中年男を見かけて、思い出してしまった。 似合いもしないシャネルに全身を包んだ女優もいた。それにくらべたら、チープファッションとはいえ、街の若い男女のファッションはすばらしい。ルーズに着ていても様になっている。良い感覚だ。 そんな自分はと言うと、やっぱりだんだん構わなくなってきている。家のなか、つまり仕事場では、絵具だらけの服を着ている。ペンキ屋さんとおなじだからねー。私が近年やっている技法に使用する材料は、一旦服に付着すると決して取れない。洗濯も不可能。そのため、一作描き終わるたびに着ている物を捨てなければならない。新しい服や、きれいな服など着ていられないのである。服がどんどん少なくなっているのは、そうして作品完成とともに捨てているからだ。---人の観察はするけれど、自分のことは棚にあげているのである。 帰宅後、ひとやすみしていたら少し眠ったみたいだ。今朝は4時過ぎに目が覚めて、そのまま本を読んでいた。それで少し眠かった。 先日、焼きたてのパンに触れてレイモンド・カーヴァーの『ア・スモール、 グッド・スイング(A Small, Good Thing)』について書いた。今朝読んでいたパール・バックに次のような一節があった。 〈My comfort and my pleasure are in such things. It is the small things that are eternal.〉 「私の慰め、私の喜びは、そんな物事の中にあった。それは些細な物事であり、永久不滅である。 私にとっての〈A Small, Good Thing〉は、何だろう?
Sep 23, 2017
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きょうも午後1時半から4時まで民生委員の地区月例会議。この月末から年末にかけて忙しいスケジュールが提示された。ニューヨーク用の作品制作スケジュールとの兼ね合いが、いつものことながら苦労する。 会議に向かう途中で、街路の向こうを旅行用スーツケースを曵いて歩いているオペラ歌手のチェンさんを見かけた。大きな声で呼びかけると、私の姿を認めて笑いながら立ち止まった。信号が変わるのを待って、通りを渡る。「これからお国へ?」「そうなんです。向こうでコンサートと藝術大学で講義をして来ます」「それはすばらしい!」「ヤマダさん、12月24日にクリスマス・コンサートをするのですが、ヤマダさん、ぜひ歌ってください。前半で歌ってください」「えっ? 私がチェンさんのコンサートで歌うのですか? そんな----」「だいじょうぶ、ヤマダさん歌えます! 帰って来たら電話します。考えておいてください」 通りで呼びかけたばかりにとんでもない話が飛び出した。いくらなんでも、プロのオペラ歌手の前座で歌うなんて、そんな身の程知らずの図々しさは持ち合わせていない----つもりだが----- 歌っちゃおうかなー。チェンさんの声はもの凄いし、カルメンの「ハバネラ」は絶品。それで一緒のステージに立てるなら、たぶんクリスマスだから皆で歌おうコーナーの一隅で歌うのだろうから、----是(シ)、YES, と返事しようかなー。 まあ、今のところは余念を払って、作品制作にうちこまなければ。
Sep 22, 2017
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午前中は民生委員の会議。 庭の柿が朝夕となく実が落ちて始末がたいへん。とは言え、渋柿が甘柿に変わってしまったので、手が届く範囲で収穫して食べている。やや小振ながら、味は売っているものに引けをとらない。サラダに混ぜ込んだりもしている。とにかく適当に一度捥ぎとるだけで20個ほど。食べきれるものではない。 鉢植えの茶ノ木が、たくさんの丸い莟をつけている。しかし、開花しても長もちする花ではない。朝、濃い緑の顎に包まれた形の良い白い莟が、いつのまにか咲いて、夕方には茶色く変色して散り落ちている。 盆栽仕立てにするつもりのモミジが、この夏、ぐんぐん育ってしまい、ありゃりゃという状態になっている。山野にあるごとく形を整えて、なかなか良い姿になっていたのだが、「お前の思う通りになんかなるもんか!」と言わんばかりに、やたら野性味を押し出す朴念仁ぶり。これで盆栽どころではない大木になったら目も当てられない。根切りをしたほうが良いのだろうか? 水やりをしながら、「おい、根を切っちゃうぞ。背を伸ばすのではなく、少しいじけて幹を太くしろ!」 言うことを聴くかどうか----
Sep 21, 2017
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午前中は次作の構想を練る。7点のイメージをこしらえる。そのうち3点は使えそうな気がする。 午後、民生委員として高齢者を訪問。
Sep 20, 2017
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昨日の日記に私の講義の受講者から「輪廻転生」に触れた質問があったことを書いた。書いたあとで思い出した。実は私が在住する日野市には、江戸時代の文化文政期(1804-1830)に起ったとされる有名な輪廻転生の伝説がある。 文政5年(1822)、中野村(現・八王子市東中野)の8歳になる勝五郎が、兄と姉に自分の前世は、程久保村(現・日野市程久保)の藤蔵で、6歳の時に疱瘡で死んだのだと語った。話しのつじつまがすべて合うので、「勝五郎生まれ変わり」の事は大名をも巻き込む評判となった。 鳥取藩支藩の大名で当時隠居して江戸に在った池田冠山が、勝五郎に会いに来て、直接話しを聞いた。冠山は、その話を『勝五郎再生前世話』として著した。 中野村の領主で旗本の多門傅八郎も騒ぎが大きくなるにしたがい放置できず、勝五郎と父親源蔵を江戸に呼び寄せて調書を取り、「届書」として上司である御書院番頭佐藤美濃守に提出した。 この届書の写しは多くの文人たちの手にわたり、その一通を平田篤胤が目にすることになった。篤胤について詳しく述べる必要はあるまい。荷田春満、賀茂真淵、本居宣長とともに復古神道においては国学四大人とされる。 平田篤胤もまた勝五郎から直接話しを聴き取り『勝五郎再生記聞』を著した。ちなみに篤胤はこの頃さかんにこの種の話しを聴き取り調査している。著書も多く、『仙境異聞』『幽郷眞語』『古今妖魅考』『稲生物怪録』などである。 余談ながら篤胤の『稲生物怪録』は、稲垣足穂がそれをもとにして『稲生家=化物コンクール』『懐しの七月』『山ン本五郎左衛門只今退散仕る』の3作品を書いている。『山ン本五郎左衛門只今退散仕る』は私が好きな小説で、妖怪譚の最も優れた作品として私は本作と、内田百ケン(門がまえに月)の『蘭陵王入陣曲』をあげる。 日野市に伝わる「輪廻転生」の話をかいつまんで紹介したが、一昨年平成27年は、勝五郎生誕200年に当たった。日野市郷土資料館がそれを記念して『ほどくぼ小僧 勝五郎生まれ変わり物語 調査報告書』(勝五郎生まれ変わり物語探求調査団編)を刊行した。私の蔵書となっている。 私は受講者に「生まれ変わるとしたら何になりたいですか?」と尋ねられて、私の思想には「輪廻転生」という〈幻想〉は入る余地がないのだと応えた。とは言え、それについての知識は聊かなりともないわけではないのである。何しろ私の亡母の家系は代々の僧侶、怪異譚、妖異譚、幽霊譚には事欠かないのである。 下に、日野市郷土資料館刊『ほどくぼ小僧 勝五郎生まれ変わり物語 調査報告書』の画像を掲載しておく。
Sep 19, 2017
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先日の美術講義のときに、講義が終わってから質問が寄せられ、次第に講義内容から離れたさまざまな事柄を尋ねられた。その一つに、「生れ変わるとしたら何になりたいですか? また今のご自分に生まれ変わりたいですか?」というのがあった。 意外な質問というわけではなかったが、ああ、そういうことに幾ばくかの関心があるのか、と思った。 「私は、生まれ変わろうとは思わないんです」 「リーインカーネイション(Reincarnation)、とか---」 「はい、輪廻転生を信じるとか信じないとかではないんです。死とともに原子に還る。私の精神も肉体も完全に消滅し、分解されて土になり、分子になり原子になる。---高村光太郎の『智恵子抄』のなかの詩に、「智恵子は死んで原子に還った」とありますが、私の思いは、それですね」 「もう一度、ご自身として生れて来たいとは思わないんですね?」 「思いません。完全消滅です。---とは言っても、矛盾するようですが、自分が存在した痕跡は作品というかたちで印したい。それは今、作品制作のひとつのモチベーションかもしれません。作品は人間の子供ではありません。作品が残るかどうかは私の意志でどうなるものでもありません。その予測不可能なことに人生を費やして来たわけですが、私にはそれがおもしろいのです。ですから決して虚無的ではないんです。私の思想には輪廻転生のような〈幻想〉が入る余地はないんです。そんな幻想で私自身を慰めることはまったくありません」 「ヤマダさんはさきほど〈絆〉という言葉が嫌いだとおっしゃいました。血のぬめりがすると---」 「そうです。〈絆〉と言うとき、私は、人と人との結びつきに何かしらのベタツキを感じる。親子・肉親の関係と同様の血のぬめり。それが民族的つながりであったり、〈国家〉というような分かったような分からないような概念の統一思想のなかにまぎれこむ。やりきれませんね。全然〈知的〉ではない。---私は、人間の結びつきを結晶構造のようにすっきりさせたい。そういう理念のもとに、いろいろなモデルを探しているんです」 講義から5日経ったが、このやりとりを書き留めておこうと思う。
Sep 18, 2017
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台風18号の影響で昨日午後から降り出した雨は、今日も終日降りつづき、21時になろうとする今、一層激しい雨音になって来た。昨日、まだ小降りのうちに、ベランだに置いてある2,3の物を紐で括って固定した。もう10年以上前のことだが、金属製の雨戸が吹き飛ばされたことがあった。隙間があったのだろうか、内側に入り込んだ強風が戸を外側に押し出したのだ。雨戸は2メートル飛んで、ベランダの柵にひっかかり、少し折れ曲がって止まった。柵を超えていたらおそらく隣家を直撃したかもしれない。 というわけで、台風襲来の情報を聴きながら、植木鉢を取り込んだり、ベランダの物を固定したりしている。念のためである。 作品の執筆が終わったので、気持はのんびりしている。 次作を思案していると、ちらちらと曖昧なイメージが空中(?)に舞う。イメージ(影像)と言うより観念と言ったほうがいいかもしれない。ハハーッと思いつつ、技術的に可能かどうかを頭の中で描いてみる。 不思議なことをやってると他人は思うかもしれない。たとえば、頭の中に描いた対象物に、これも頭の中で照明を当てて、角度を変えたり、白昼光の中に置いたり闇に半分沈めたりする。-------そんなことを数日間繰り返しているうちに、自分の思想を体現(?)する確たるイメージが現れる。そしてキャンヴァス上に実現するためにモデル探しが始まる。手が動き始める。ああでもない、こうでもない、とデッサンをする。 『源氏物語』に「雨夜の品定め」と言って、女性の品評会をする場面がある。現代美術では女性の品評会などと言えばたちまち批判の矢が飛んでくるであろうが、今夜、私は雨音を聴きながら、新しいイメージの品定めをしているのである。
Sep 17, 2017
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作品が完成した。と言っても今後数日間寝かせ、また少し筆を入れるかもしれないが、とにかく本日擱筆。署名を残すのみ。 予定より10日ばかり早くあがった。次の作品構想をする時間ができた。 私の様子を敏感に察知して、猫のリコが仕事場にやってきて私の膝にのっている。 ところでNASAの土星探査機カッシーニが、15日午前6時過ぎ、20年間(土星まで7年の航行、探査に13年)の役目を終了して、土星の大気圏に突入して燃え尽きた。私は先日の美術講義で、宇宙からの視線を話し、カッシーニを例にとって話したばかりだ。その講話とは別ながら私のこころには、みごとな一生だったな、という想いがきざしていた。 NASAがカッシーニを土星大気圏に突入させたのには理由がある。もし土星の衛星に衝突することになれば、カッシーニに付着して生き延びているかもしれない地球生命(微生物)を衛星に侵入させることになり、また、カッシーニの金属片が衛星の純粋構成物質を変えてしまう、あるいは後に衛星探査をして採集した物質が衛星に本来的に属している物質かどうか判断ができなくなる恐れがある。そうしたことを避けるために、カッシーニは自らを燃やして完全消滅する道を選択した。もちろんNASAのミッションにおける、未来に対するヴィジョンの英明さにほかならない。 NASAの別のミッションである火星探査機マーヴェンには、私の名前も一緒に航行させてもらっている。マーヴェンのミッションはどのように終了するのであろう。
Sep 16, 2017
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朝、健康状態をチェックしてもらうために主治医のクリニックを訪ね、診察してもらう。問題無し! 多忙に過ごしているので血圧が上がってはいまいかと思ったが、問題無し! 医師が、近日中に「在宅医療における看護家族の問題」について講演するそうで、私が亡母の看護をしていた4年間の精神状態、および職業仕事に関する問題をどのように処理し、看護人としての日常をどのように受容したかについて尋ねられた。私は先生に自分が画家であることを話したことはなく、先生が知ったのは母が亡くなってずっと後のことだった。 「お母さんの看護をしながら作品を創作していたのですか?」と訊くので、私は「4年間、まったく制作を止めていました」と応えた。 「そうでしょうねー。描ける状態ではなかったはずだから---」 「はい。それまでの私は作品制作だけが日常でした。それ以外の生活を知りませんでした。それが当たり前だと思っていましたから、母の看護生活に入って、初めて、自分が異次元にいたのだと気がつきました」 「どのように、折り合いをつけたんですか?」 「1年間くらいは、出口を失った創造エネルギーを閉込めておくのに、精神も身体も非常に苦しみました。当時、私にとって仕事のキャリアを積んで行く上で大事な時期にあると考えていましたから、その時に仕事を止めなければならなかったので、その絶望感もありました」 「お母さんをどこか施設に入れることは考えなかったのですか?」 「先生、それはですね、弁護士にいわれたんです。どこかに預けろって----。私、びっくりしましたね。世間の人は重度の病気の自分の老母をどこかに預けることができるんだ!って。私の心にまったく無かった考えでしたから。その弁護士の言葉で、たぶん私ははっきり決断したんだと思います。よし、私がすべてをやる」 と、主治医に尋ねられるままに、私自身の経験を話した。詳しくは、ここには書かない。 午後、プロモーターの画商から今年につづき来年のニューヨーク展の話が持ち込まれた。承知した。すぐにもプランを練らなければなるまい。 19時から20時30分まで、民生委員として介護施設の運営会議に出席。
Sep 15, 2017
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海外の或る会社が私の作品を提供してもらえないかと言って来た。紹介状もなく突然のことだったので、まず私の代理人と話し合ってもらうことにした。私は現在、制作が追い込みに入っていて、その仕事に集中したかった。海外との新しい取引のための事務に煩わされたくない。 というわけで、きょうも一日中仕事場に籠って制作。
Sep 14, 2017
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9月14日9時35分、日野市強い揺れの地震。約30秒。
Sep 14, 2017
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きょうは医療クリニックでの第三回美術講義「遠近法の思想と視線の哲学」、同じ内容での2回目。午後1時開始だが、30分前から準備をして、最後に残った方の質問に答えたりその他の話をして、終了したのは午後7時半。にぎやかに8時間におよんだ。次の4回目に私がどんな話をするか楽しみだそうだ。 私のテーマは、最終的には「人間の見方」であるが、さまざまな領域のドアから入り、いつかそれぞれの人生経験と照らし合わせて、「あっ、たったひとつの話をしていたんだ」と気づいてくださればありがたい。いのちが弾んでくだされば一層嬉しい。 農業を営んでいる受講者からたくさんの野菜を頂戴した。新しい品種だと、お団子を潰したような形のパプリカを、その場でひとつ食べてみる。甘い! どんなふうに料理しようかと思案するより、果物のように丸かじりする方が良いかもしれない。 まあ、私はほんとうに元気な爺ちゃんだ。 帰り際に高齢者医療のH医師と短い立ち話をして、先生にも「お元気そうですね」と言われ、ついでに簡単な脚力のための運動をおそわった。太極拳のようにゆっくりやるのがコツだそうだ。「つづけなければ駄目ですよ」と釘をさされた。
Sep 13, 2017
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一昨日の日記にチョー・ヨンピルさんが歌った韓国語『釜山港へ帰れ(トラワヨ・プサンハン・エ)』を覚えたことを書いたが、意外にも沢山の方が読んでくださったようだ。その理由はわからないが、きょうは私が耳から覚えた歌詞を、カタカナで書いてみようかと思う。 韓国語の発音は日本語には無い音があるので、それをカタカナで表わそうというのだから正確ではないことは無論、たぶん無声子音ではないかと推測している部分もある。しかし、ものは試しである。カタカナで書いてみよう。 ご存知の方が多いと想うが、韓国語の『釜山港へ帰れ』は、日本の歌手が歌っている歌詞の意味とは全然違う。日本のそれは男女の悲恋を歌っているが、韓国語の本来の内容は兄弟の遠い他国の別れの物語である。そして、これは私の解釈であるが、1番の主人公と2番の主人公は入れ替わっている。1番は、釜山港へ帰ってきてください懐かしい兄さんと内心に叫ぶ弟(あるいは兄かもしれないが)が歌い、2番は、帰りたくて夢にまで見た釜山港へ、今ようやく帰り着いて、懐かしい弟に呼びかける兄(あるいは弟)が歌っている。 この解釈の根拠は、1番2番共におなじような最後の2行の詩句ながら、一カ所だけ違う。1番は「トラワヨ(帰ってきてください)」だが、2番は「トラワタ(帰って来た)」になっているからである。 ついでながら日本の歌詞は、2番が最後に半ばに戻って繰り返すリフレインになっているが、原曲には無い。 と、前置きをして,次に私が耳で聴き取った歌詞を書きましょう。『トラワヨ・プサンハン・エ』コッピーヌン・トンベッ(ク)・ソーメポーミー・ワッ・クァァーンマンヒョンジェッ・トナン・プサンハン・エカ(ル)メギマン・ス(ル)ピー・ウネオリョットー・トラガヌンヨ(ル)ラクソン・マーダーモンメヨ・プ(ル)ロポァードテーダ・ポヌン・ネ・ヒョンジェヨトラワヨ・プサンハン・エクリウン・ネ・ヒョンジェヨカゴーパー・モギメーヨプールドン・イーゴォリヌンクリウォソー・ヘメイィドンキンギンナーレッ・クーミーヨッチオンジェナ・マリオ(ム)ヌンチョム(ル)キョ(ル)ドゥ(ル)ドプディッチョー・ス(ル)ポハーミョカヌキル(ル)・マガソッチトラワッタ・プサンハン・エクリウン・ネ・ヒョンジェヨ
Sep 12, 2017
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きょうも午前中から始めて現在20時10分過ぎまで休み無く制作。仕事がはかどって、あるいは予定より早く完成するかもしれない。明日から最終的な細部仕上げを全画面にほどこしてゆく。 きょうの仕事が終わって、出来具合を眺めているが、久しぶりに気に入った作品になるかもしれない。抽象的な対立概念がイメージに融合しているような気がする。静謐と華やかさ、気品とエロチック、聖性と俗性、古典と現代性、西洋風と和風、稠密と間(ま)、ジェンダーとアンチ・ジェンダー-------それらが簡潔なイメージとして表現できたのではないか? できたらいいな! ここからの仕上げが肝腎だ。引渡しの約束期日までまだ時間がある。じっくりやってゆこう。長い間、考えあぐねた末に着手した作品。ようやくおもしろくなって来た。
Sep 11, 2017
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午前中にパリにおける国際アートフェアのための作品を出荷。 その後は終日、韓国展のための作品制作。この作業はまだまだ1ヶ月つづく。 ここ数年、毎年のように韓国で作品を発表してきた。小品ながら韓国の画廊が購入してくれもし、注目してくれている観客もいる。アメリカでの展覧会にまで韓国から観に来てくれているとは、プロモーターからの報告だ。 韓国語を勉強しようと思いながら、なかなか身を入れられない。難しい言葉だ。実は制作をしながら、チョー・ヨンピルさんが歌う韓国語の「釜山港へ帰れ(돌아와요 부산항에 ; トラワヨ・プサンハン・エ)」を聴いている。発音がなかなか難しいが、どうやら1番2番共に憶えた。 YouTube で韓国のカラオケ(노래방 : ノラエバン)を探し、歌えるまでになった。歌えるまでになったけれど、文法を知らず単語さへ逐語訳で意味を知って、チョー・ヨンピルさんの映像の口に合せて丸呑み込みで記憶に叩き込んだだけなので、ときどき、1番の途中と2番の途中が入れ替わったりする。つまり詞の内容を言葉の正しい理解で憶えていない証拠である。要するにゴロで憶えているというか、口回しで憶えているだけなのである。 そして、こんなところで、老化を認識している。記憶するまでに時間がかかりすぎるくらいかかるのだ。日本語で憶えるのとはちがい、言葉からイメージを導き出せないからで、自分の発音に具体性がない。いうなれば、流れている霧や雲をつかまえて記憶しようとしているようなもの。 でも、制作の手をときどき休めて作品をながめながら、「コッピーヌン・トンベックソーメ・ボーミ・ワッ・カォーンマン」と、口ずさんでいるのである。
Sep 10, 2017
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夕方、新聞を取りに出て、落柿を幾つか拾い、捨てる前に二つをきれいに洗ってほんの指先ほどを食べてみた。ウン? 甘いじゃないか----。 もうひとつを半分にして、家人に食べさせてみた。「甘い!」「ね、甘いよ。甘柿だ!」 これはいったいどうしたことだろう。渋柿が甘柿に変化することがあるのだろうか? 先日、隣家の夫人と我家の渋柿をめぐって、その始末について立ち話をしたばかりである。夫人が勧めるように干し柿にしようか、それとも以前やっていたように柿酢を醸造しようか、あるいは会津の不知身柿(みしらずがき)のように焼酎をかけて甘くしようか----と、考えていた矢先だ。このところ毎日、落柿の始末をしていた。放っておいてはまるで酔っぱらいの家のような臭いになってしまう。朝、鳥がつっついているが、それとてきれいに全部ついばんでくれるわけでもない。半分食べて、落ちてしまえばまた新しい実をついばむ。長年、この時季になると、朝夕となく落ち柿の片付けが、結局、木に一顆もなくなるまでつづくのである。 そういえば、近所の家の柿が、文字通り一つも生っていない。毎年、我家より立派な実がたわわに生っていた。一つも生っていない状態をこれまで見たことがなかった。こちらもいったいどうしたことだろう。 単なる推測、というよりも、判断のための材料にすぎないが、実はこの家の道路を挟んだ正向いは広い野原だった。ところが、現在、宅地として造成して、6戸の住宅がいままさに建設中である。昆虫がいなくなってしまい、柿に受粉がおこなわれなかったのだろうか? なんとも不思議なことである。 話はまったく変わる。 このブログ日記の書き込み機能についてである。先月末日(8月31日)から、いわゆる「新しい画面」での本文書き込みが不可能になってしまった。「タイトル」や「カテゴリ」枠には書き込めるのだが、本文枠がまったく反応しないのだ。画像も読み込めない。 31日以降のブログは「旧機能」によってアップしている。原因がわからないので、コメント欄は一時閉鎖した。あしからず。
Sep 9, 2017
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作品制作は重要要素の描写はほぼ終了した。今後は背景部分の塗っては乾かし、乾いたら塗るの繰り返しがつづく。この部分には描かれた物象が何もない。頭の中にあるイメージに近づけるための、空間の奥行と広がりを色彩に換算した感覚的追求の精度と根気の問題。それを持てる様々なテクニックの積み重ねによって実現してゆく。そこがおもしろい。 私のプロモーターがパリに持って行く作品に1点追加することにした。どうしようかと随分迷った。世界情勢---宗教間対立や民族間対立---の重い問題を、一見、表面的に軽いイメージで描いたごく小さな作品である。フランス人は、私が何を言おうとしているかを、理解するのではないか。このごくごく小さな作品をプロモーターにパリに持って行ってもらうことは、意味があるのではないか? そのことを長い間、考えていた。そして、今朝、急遽、追加することにした。プロモーターには電話で説明しよう。
Sep 7, 2017
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俳優・土屋嘉男氏が今年2月に亡くなられていたという。各メディアが昨日報じた。享年89。 土屋嘉男氏は『七人の侍』の農民・利吉役で、私には忘れられない。最終シーンの田植えで、胸にかかえた囃子太鼓を打ち鳴らす姿の良さ。その笑顔にあふれる精悍さをそなえた色気。すばらしい表情だった。 私はこの作品が土屋氏を観た(知った)一番最初かと思ったら、いまウィキペディアを見て見ると、それより以前に『ひめゆりの塔』を観ていた。土屋氏の映画デビュー第2作目、とある。1953年の作品なので、私は小学1年生、川上第二小学校の二階の音楽室を使用した上映だった。 リストアップされていた出演作品を見ると、1969年の松本俊夫監督作品『薔薇の葬列』まで、多くの出演作を公開当時に映画館のスクリーンで観ていることが分かった。 この際、それらの私が観た映画作品をウィキペディアを参照しながら記してみよう。テレビ出演作は除く。私はテレビ・ドラマをほとんど観ないからだ。ひめゆりの塔(1953年、東映)七人の侍(1954年、東宝)透明人間(1954年、東宝)ゴジラの逆襲(1955年、東宝)生きものの記録(1955年、東宝)蜘蛛巣城(1957年、東宝)地球防衛軍(1957年、東宝)智恵子抄(1957年、東宝)無法松の一生(1958年、東宝)隠し砦の三悪人(1958年、東宝)宇宙大戦争(1959年、東宝)コタンの口笛(1959年、東宝)悪い奴ほどよく眠る(1960年、東宝)用心棒(1961年、東宝)大学の若大将(1961年、東宝)椿三十郎(1962年、東宝)天国と地獄(1963年、東宝)マタンゴ(1963年、東宝)赤ひげ(1965年、東宝)日本のいちばん長い日(1967年、東宝)乱れ雲(1967年、東宝)風林火山(1969年、三船プロ・東宝)薔薇の葬列(1969年、ATG) 土屋嘉男死のご冥福をお祈りします。
Sep 6, 2017
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終日、制作。先月26,7日までに描写を終わらせる予定だった人体部分が遅々として進まず、今日、ようやく一通りやり終わった。まださらなる細部の手入れはあるが、明日からは背景その他の描写に移る。 市の福祉課から依頼されている一人一人訪問して直接話を聴く仕事がある。およそ50名におよぶ。8月は暑いので、9月に入ってからで良いと言われていたが、あっと言う間にその9月も3日が終わろうとしている。民生委員としての会議等が他に月末までに5件。 13日は再び美術講義。 15日までに私のプロモーターの画商にパリに持って行くための作品を出荷しなければならない。 -----腰を落ち着けて作品制作に取組むことがなかなかできないでいる。忙しいのは一向に平気だが、本末転倒ぎみ(と、内心の声)。
Sep 3, 2017
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午後2時30分から5時までクリニックでの第3回美術講義。 テーマは『遠近法の思想と視線の哲学』。ヨーロッパ中世から現代までの遠近法をめぐる思想史。 ユークリッド幾何学の「平行線公準」および「非ユークリッド幾何学」、すなわちロバチェフスキー幾何学やリーマン幾何学の図解をしておいて後に、遠近法の理論史および受容史を絵画、建築、都市空間、宗教問題、宗教改革とその対立点の意味、あるいはデカルトの心身二元論、写真史----等々、遠近法問題を含んでいるあらゆる領域に踏込んで論じてみた。資料スライド131点。アナモルフォーシスやダブルイメージの解説には、用意した画集や複製で少し遊んでもらった。 同一内容の講義を13日(水)にも行う。 そして、来年の講座の予定も。すでにテーマは告知してあるが、私はさらに油彩画組成についてと油彩化学について話したいと思っている。一般の聴講者にはなじみがないテーマだろうが、絵画の表面的に見えない部分の化学的構造について、おもしろく話せないかなーと。ゆるゆると策を練ろうと思う。 昨夜から今日早朝にかけてひどい雨だった。ベッドでその叩き付けるような雨音を聴きながら、ちょっと弱っていた。ところが午後になると、夏日に戻ったような日差しと暑さ。暑さにはうんざりしたが、講義に出かけるには上々の天候となった。出かける直前の気温26℃。
Sep 2, 2017
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ベーカリの前を通ると酵母の匂いと焼きたてのパンの匂いが漂っていた。間もなく昼になる頃で、たぶん早朝一番窯から始まって二番窯くらいにちがいない。私はパンの焼ける匂いが好きだ。嫌いな人はいまい。急ぎの用事があったのでそのまま通り過ぎてしまったが、そうだそうだと思い出した。 枕元に積んで眠る前にちょこちょこ読んでいる英語の短編小説。もう何度も繰り返し読んで、今は細部に小説のおもしろさを拾っている。その中の二人の作家が、まったく同じと言ってもよいようなベーカリにおける焼きたてのパンについて書いている。レイモンド・カーヴァーの『ア・スモール、 グッド・スイング(A Small, Good Thing)』と、ウィリアム・サローヤンの子供向け短編連作のような『パパ、ユー・アー・クレイジー(PAPA,YOU'RE CRAZY)』の第31章「ローフ(Loaf ; パン)]」である。 カーヴァーの "A Small, Good Thing(ささやかな、良い物)" は、まったく同じ物語が "The Bath (入浴)" に語られている。推測するに、「入浴」を書いたあとで後半を大幅に加筆して「ささやかな、良い物」が出来上がったのではあるまいか。そして、「ささやかな、良い物」の終結部に、ベーカリでの焼きたてのパンが登場する。「入浴」が一種のサスペンスで終わったとすれば、「ささやかな、良い物」は癒し----人生の不幸からの立ち直りの暗示、----大江健三郎さんが言われる〈rejoice〉----という結末。作者、レイモンド・カーヴァーの心の変化だろうか。 短編小説なので物語の抄述は避けるが、絶望のどん底にいる夫婦に、しがないパン職人が焼きたてのパンをさしだす。そして言う。 〈"You probably need to eat something," the baker said. "I hope you'll eat some of my hot rolls. You have to eat and keep going. Eating is a small, good thing in a time like this," he said.〉 (「あなたはたぶん何か食べる必要がありますよ」とパン屋は言った。「私の温かいロールパンを食べてください。食べなければ。どんどんお食べなさい。食べることは、こんな時にはささやかな、良い物ですよ」と彼は言った) そして、 〈"Smell this," the baker said, breaking open dark loaf. "It's a heavy bred, but rich." They smelled it, then he had them taste it.〉 (「この匂いをかいでください」と褐色のローフを割りながらパン屋は言った。「ずっしりしたパンですが、おいしいんです」 彼らはその匂いをかいだ。それからパン屋はそれを二人に味わわせた。) さて、ウィリアム・サローヤンはというと、 家計のやりくりに(明るく)四苦八苦している作家の父親と10歳の息子がドライヴをして朝帰りの途路、歌いながら運転していた父がうたうのを止め、深く息を吸った。 〈”Somebody's baking bred somewhere. Would you like some fresh bred?" "I sure would"〉 (「どこかで誰かがパンを焼いているぞ。焼きたてのパンは好きかい?」「もちろんさ」) 父子はパン屋を見つけてドアを叩くが、店が開くのは7時だと言われる。まだ6時である。 〈”What are you baking back there" "Bread and rolls." "How about letting me buy some? I don't often get a chance to eat freshly-baked bread." "You want to come in, then?" the baker said, so my father and I went in.〉 (「あの裏でどんなパンを焼いているんだい」「食パンとロールパンさ」「いくつか買わせてもらうというのはどうかな。焼きたてのパンを食べるチャンスは滅多にないんでね」「それじゃ、来るかね」パン屋は言った。それで父さんとボクは中に入った。) そして、 〈The baker came over and broke open a roll and put some cheese in it. I thought he was going to bite into it himself, but he handed the roll to me and said, "Always remember bread and cheese. When everything else looks bad, remember bred and cheese, and you'll be all right." "Yes, sir." "That's why I'm a baker," he said. "I tried a lot of other things, but this is the work for me."〉 (パン屋がやって来て、ロールパンを一つ割り、その中にチーズをいくらか入れた。ボクはそれを彼自身が齧るつもりだろうと思った。だけど彼はそのロールパンをボクに手渡し、そして言った。「いつもパンとチーズを覚えておくんだね。何事も悪いときはパンとチーズを思い出すんだ。それでキミは万事うまくいくんだよ」「はい、わかりました」「それが私がパン屋だという理由さ。いろんなことをやってみたさ、でも、これが私に合った仕事なんだ」) と、私は二つの小説のなかの焼きたてのパンを思い出したのである。そして、手早く用事をすませ、帰宅するや、ドンクのバゲットを焼き、チーズをのせ、焼いたソーセージと野菜サラダにブラックコーヒーの昼食を摂ったのだった。
Sep 1, 2017
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