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今朝、大手町や東京駅周辺の都心で初雪が降ったそうだ。昨年より37日遅かったと報じている。私の日記を調べてみると、たしかに昨年は11月24日に降っていた。11月の積雪は観測史上初めてのことだった。 私の処は都心より寒いのではないかと思っていたが、案に相違して今日の初雪は無かった。しかし寒いには違いない。昨夜9時ころまで灯油の巡回販売車の呼び声が聞こえていたが、さすがに今日は仕事納めのようだ。それで夜遅くまで売り歩いていたのだろう。その拡声器からの売り声にまじって、消防車が巡回しながら防災注意のカランコロンという、いたくのんびりしたふうな鐘の音も聞こえていた。 さて、私は午前中に昨日のつづきのおせち料理をつくり、午後からは何にもすることがなく、ブルノ・ワルター指揮のベートーベンの交響曲9番、モーツァルトの交響曲25番、40番、そしてグレン・グールドのピアノでバッハやシェーンベルクを聴いていた。 ワルターの指揮するベートーベンの交響曲9番は、中学1年生のときに、同級生のA君の高校生のお兄さんからレコードプレイヤーと共に借りた、その当時まだめずらしかったLPレコード(紅色透明の盤)で繰り返し聴いたことを思い出す。大感激したものだ。クラッシック音楽に対する意識的な目覚だったと言ってよいかもしれない。以後、私は学校の音楽室の戸棚に埃まみれで乱雑に詰め込まれてあったSPレコードを放送室に持出して、放課後、ひとりで全部聴いたのだった。ロッシーニ「歌劇ウィリアムテル序曲」があった、ウェーバー「歌劇魔弾の射手序曲」や、ハチャトリアン「剣の舞」があった、ムソルグスキー「禿げ山の一夜」、同じく「展覧会の絵」の組曲から一曲、ベートーベン「トルコ行進曲」、モーツァルト「トルコ行進曲」、プロコイエフ「ペーターと狼」、ビゼー「アルルの女」の第一組曲等々、数十曲。いずれも中学生の音楽授業で聴かせるような曲ばかりではあったが、その音楽は私の身体にしみこんだ。そして、どうも歩きながら無意識のうちに指揮のまねごとをしていたらしい。同級のMさんが、「ヤマダさんは、大勢のなかに歩いていても後ろからすぐ分かる。いっつも音楽の指揮をしている!」と言ったものだ。 ところで、グレン・グールドだが、一般の音楽愛好家からもレッキとした有名音楽家からも、かなり異端視される傾向がある。しかし、私は、グールドのピアノ演奏が大層好きだ。バッハなど、他のピアニストの演奏がつまらなくなってしまうほどである。 大曲だとなかなか比較しにくいが、ちなみにモーツァルトのピアノ・ソナタ11番から誰でも知っている第3楽章「トルコ行進曲」を名ピアニストといわれる人たちの演奏で聴き比べてみるがいい。グルダでも、ホロヴィッツでも、バックハウスでも、ギーゼキングでも、バレンボイムでも----。 私が聴いた限りながら、トルコ軍のザッ、ザッ、ザッ、ザッ---と足並み揃えてやって来て、通り過ぎてゆく、その足音を左手で明確に表現していたのはグレン・グールド、ただ一人だ。バレンボイムのこの部分は力強く分かり易いが音に濁りがあると私は聴く。ほかのヴィルトゥオーソ(達人。大演奏家)たちは、まったくそのてんをないがしろにしている。これみよがしに大音響でガーッと弾き流すか、グルダもバックハウスも,どうだ俺様のピアニズムはすごいだろうとばかり、行進曲という大枠を無視したスピードで「駆け足」で過ぎて行く。軍隊の行進もなにもありはしない。何をどんなふうに解釈しているか知らないが、あきれたものだ。 モーツァルトは楽譜に書き表しているのだ【後註】。グールドは、そこをつまらない箇所だとは思っていない。きっちりと分析的な解釈をして左手で明確に表現している。 トルコ軍というのは18世紀にあっては軍楽隊の典型として、ヨーロッパを魅了していたことは、ベートーベンもまた「トルコ行進曲」を書いていることでも分かるのである。 音楽のおもしおろさは、演奏家によって「あっ!」と気づかされるおもしろさでもある。たとえばミケランジェリが弾くドメニコ・スカルラッティのピアノソナタのある曲は、心臓の鼓動あるいは人間のバイオリズムそのものと重なる。そのとき、じつに単純な響きのこの曲が、深遠なものとなる。それが実感できるのである。 私の教訓。芸術はそれがなんであれ、「名人」などと称されている人の作品や演技(パフォーマンス)の質には、気をつけろ! 音楽演奏でいうなら、ヴィルトゥオーソにだまされるな、だ。【註】 モーツァルトがトルコ軍隊の足並みの音として左手に表現している部分。以後、何度か繰り返されて出て来る。きわめて特徴的なリズムであることがわかろう。しかも八分音符のすべてにスタッカートが付いている。これだよ、これ!
Dec 31, 2017
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まったく、仕事好きなんだか貧乏性なんだか、昨日、作品が予定より二日早く完成し、身体も疲れていたのだが、夜、九時過ぎになって次の作品を1時間ばかり執筆した。そして今日は、おせち料理にとりかかった。弟たちが大晦日に来訪しないことになったが、長年の我家のしきたりをここで途切らせるのも忍び難い。少なくとも私が誕生して以後、72年間、亡父母の時代にそれが途切れたことはなかった。正月のみならず、我家の伝統の節季行事は長くつづいて来たのだったから。 私が知っている72年の間に、家紋入りの什器等は盗難にあい---(他人の家の家紋入りの物品を盗んでどうするつもりか不思議だが。しかも大量にだ。12客の宗和膳一式などは大きな木函に入っていた。)---、行事の形式もすこしづつ変わってはいる。私の代になり、そして私も年を取り、たとえばおせち料理も品数をぐっと減らした。もう、食べきれないのだ。それでも母が存命中は、母が品書きを書いて私にわたすので、私「作る人」でその通り作ってはいた。もう「作る人」もくたびれて来た。 というわけで、作り始めた料理の品数は、今年はさらに少ない。ただいま、この日記を書いている最中に、夕食も一緒に作っている。簡単にできるものをと、メキシコ料理のチリコンカンとグリーンサラダにした。煮込んでいる最中だ。もうそろそろ出来上がる。
Dec 30, 2017
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午後3時30分、予定どおり作品を完成させた。まだ署名していないが、次の作品にとりかかるまで、正月は休養できる。書きたくはないが、完成するまで感じなかったのだが、筆を置いたら、身体が綿のように疲れているのを感じる。コーヒーを淹れ、バナナ1本とチョコレートを5片、口に入れた。夕食までぼんやりして過ごそう。
Dec 29, 2017
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ラスト・スパート。まさに本年の最終日に向かって今日も終日作品制作。現在、21時20分過ぎ、本日の執筆を終わることにする。たぶん一両日中には完成するだろう。 仕事に集中とはいえ、仕事場に夕食を用意して、まったく行儀の悪い、絵を点検しながら立って食べている。しかも早食いというやつだ。 20代の頃も、そんなふうだった。依頼されたイラストレーションを次から次へと描かなければならず、休みなく36時間ぶっつづけに執筆して、そのままぶっ倒れて2時間ほど眠る。その繰り返しがほぼ1年間つづいた。食事は握り飯にして左手に持ち、右手は筆を握ったままだ。顔色は土気色、立つと足許がふわふわと雲の上を歩いているような感じだった。良く保ったな、と思う。やはり若かったからだ。今ではいくらなんでも、そんなことはできない。 ほら、執筆が終わったとたんに、目が渋くなってきた。眼球がアッチャコッチャになって、焦点が狂ってきた。もう、寝なくちゃ----。ベッドに入ってから読書する習慣だが、たちまち本が胸の上にドサリと落ちるしまつだ。さあ、風呂入って、寝よう,寝よう。
Dec 28, 2017
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おおいそぎで年賀状を印刷。弟からもデザインを頼まれていたので、そちらも制作。以前はオフセット美術印刷でPP加工仕上げ1,000枚を発注していたのだが、近年は自分でコンピューター印刷である。発色が格段に良くなっているし、やはりコストの問題が大きい。葉書でも美術印刷をするとなると15万円ほどかかっていた。それに切手代を加算すると、大変な金額になった。 その当時の私の年賀ハガキがネット・オークションに出ていて驚いたことがある。未使用のものらしいが、どこでどうなったのだろう。新聞社かどこが主催したチャリティ・セールにハガキを寄付したことがあったので、そのとき買ってくださった人が、ネット・オークションに出品したのかもしれない。もしそうならば、買ったときから随分長い年月捨てもせずに持っていてくれたことになる。ありがたいことだ。 先日の日記に、絵という作品は「人手に渡ればなおのこと、悔恨を取り返せない」と書いたが、年賀用のハガキ1枚が点々と持ち主がかわって歩き回っている! 中国でも私の作品を絵葉書にして売っているらしい(もちろん無断で)。 先日、上海から電話が入って、私の絵を何かに使いたいらしかった。「私のエイジェントに問い合わせてくれ」と返答したら、どうやら恐れをなしてしまったらしい。あるいは無断使用している可能性がないではないが、しかし、電話で一応問い合わせてくるのは、失礼ながら中国業者としてはめずらしい。 年賀状印刷のことから話が横道にそれた。 そういえば、1月8日から後の郵便はがき代金が、52円から62円となる。約20%の値上げである。昨日、52円の普通切手を買いに行ったら、「もう52円の普通切手は売っていません。62円ならあります。---年賀切手なら52円のがあります」と言われた。 なるほど、「日本郵便」も商売っけが出てきたか。1月7日までに売れ残った52円切手の在庫処理に経済的・人的コストがかかるだろうからなー。こちとらとしては、年賀切手が手元に残るとなかなか使いづらい(奇妙な心理だが)、それで普通切手を買おうとしたのだったが。
Dec 27, 2017
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大晦日に向かって何かと雑用が多くなっている。それらを片付けてはちょこちょこと仕事場に入って制作。さて、同時進行で手がけている2点のうち小品1点を今年中に完成させられるか。かなり出来上がって来ているが、微妙なところだ。 大晦日恒例の弟たち家族が我家に集うパーティは、次弟が気をきかして中止を手配したと言っている。サンキューである。まあ、先日、鮨屋で会って皆元気なことを確認している。そう何度も会うこともあるまい。とにかく私は作品制作を優先させてもらう。
Dec 26, 2017
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無意識の動作なのだろうけれど、通りを向こうからやって来るビジネスバッグを下げた中年男性。にこにこ笑みがこぼれるふうだ。取引がうまく運んだのか、契約が取れたのか、にこにこしながら空想の相手にお辞儀をするのである。たぶん少し前のビジネスを思い出しているのだろう。思い出しながら、無意識のうちにその場を身体が再現してしまう。歩きながら、笑いながら、ペコリペコリとお辞儀。 私はすれちがいながら、「良かったですね、お仕事が上手く行って!」と、心のなかで声をかけた。もちろん本当の事情など分からないのだが、年の瀬、見知らぬ中年男の幸せな様子が、なんとも楽しかった。 さて、もうひとつ面白いなーと思ったこと。 民生委員の活動で最も頻繁に訪問するのは、行政がいわゆる後期高齢者と括っている75歳以上の人たちだ。つまり72歳の私より3歳以上年を取っているわけだが、面白いと言うのは、ほとんどの人が一様に私を「若い」と言うのである。 若々しいという意味ではない。あなたなんか私に比べたら「若造」なのよ、というニュアンスを含んだ意味である。 つまり、そのように言う精神状態はどういうことかと推測すると、(あくまでも推測であるが)、それは心のなかで二つの異なるベクトルが駆引きしているのだ。「元気を出せと言っても無理なのよ、あなたは若いから、とうてい私のことなんか分かりっこないわよ」という心。そして、「私は、あなたぐらいの時にはぐいぐいやっていたわよ。あなたは若いんだから頑張りなさい」というような心。その二つの心がないまぜになっているのである。 いずれにしろ、私を若者(!)扱いすることで、自らの人生を保証しているのである。---真相は、それこそ「人生の”年の瀬”の精神」なのである。 私は、彼ら彼女らに会っているうちは、年を取ることがない! ハハハハ!
Dec 25, 2017
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クリスマス・イヴ。きょうはクラシックのメゾソプラノ歌手チェン・シさんのクリスマス・コンサート。 私も独唱させてもらう約束だった。午前11時からリハーサル。進行手順やピアノ伴奏との短い打ち合わせ。午後1時開演。 私は「星の界(よ)」と「長崎の鐘」の2曲。「長崎の鐘」は、サビの部分を観客と一緒に歌ってほしいという演出になり、承知して、そのように歌った。あとから、観客から「感動しました」とか「涙ぐんでしまいました」と声をかけられた。ピアニストの梶ひとみさんや、チェリストの浅野真知子さんも、「良かった」と言ってくれたので、素直に受け取っておく。いわば前座で観客の気持を励起するのが私の役目だったとしたら、歌って良かったと思うことにしよう。 ----こんなふうな独唱も、そして合唱も、私はステージを降りてからつくずく思うのは、本当に画家とちがうということ。 つまり歌のパフォーマンスは、客観的に自分自身を見詰めることができないのだ(少なくとも,私は、だが)。もちろん、表現のために第三者的なある程度冷めた自意識をそばにおきながら歌っているし、ああここが到らないとか、もうすこしフォルテしても良かったな、などと思いはする。しかし、一瞬のうちに消え去る芸術として、それを身体表現している自分も作品であるとして、それを見ることができない。 絵という作品は、完成後も徹底的に作者自身に刃を向ける。作品の方から作者である私に向かって批評の矢を放ってくる。殴り掛かるように作者を痛めつけるのだ。そして消え去りはしない。人手に渡ればなおのこと、悔恨を取り返せないのだ。 まったく不思議な感覚なのだが、私は歌のステージに立って感動したことが一度もない。じつはキャパシティ1,000人くらいのホールなら、ステージの上から観客一人一人の顔は案外良く見えるものだ。したがって、観客の反応も見て取れるのである。しかし---その観客の反応がどうあろうと、私自身は感動したことがない。 自分自身でびっくりするのは、ステージを降りた途端にすっかり忘れてしまう----、どう言ったらよいだろう、忘れたかのように気持の中に何もなくなってしまうのだ。「今の時間、私はいったい何をやったのだろう---!」という思いがぼんやりきざす。それが正直なところだ。----ひそかに自主練習を猛烈にやるっていうのに---わずか1小節を繰り返し繰り返し練習したりするのに----
Dec 24, 2017
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今年も残り8日となった。忙しく駆け抜けた気もするが、喉元過ぎれば熱さ忘れるの喩え、別にそうでもなかったじゃないかという気もする。 本業の画家としては、先日も書いたが、ニューヨーク、サンタ・フェ、パリ、大邱(テグ)と国際展がつづき、いずれにおいても新作を発表した。そして現在、再び来年のニューヨーク展のための作品を制作中だ。 民生委員・児童委員としての活動日数は158日。民生委員合唱団「かしの木」の本番ステージが4回。そのうち1回は、東京ビッグサイトで文字通り1万人の前で歌うという初めての経験をした。 ----まあ、こんなところだ。こうして無病息災、72歳も間もなく終わるが、まだまだ行ける。全然行ける。 というわけで、本日も、制作に終始。
Dec 23, 2017
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終日、制作。 エージェントの画廊から年末年始の営業日程について連絡あり。
Dec 22, 2017
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合唱団「かしの木」、今年最後の練習。新曲3曲の最初の練習をして、ただいま20時15分に帰宅。これから遅い夕食である。 出かける前まで作品制作。まだまだ描写以前の下層の塗りだ。
Dec 21, 2017
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手がけている作品の下塗りがまだ指触乾燥しない。次の作品にとりかかる。下地の上にほどこす最初の仕掛けを終了。これもまた乾燥待ち。
Dec 20, 2017
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午後から日野市全域の民生・児童委員が一同に会しての今年を締めくくる協議会。私は一時退出して、日時を指定されていた家庭訪問。終わって、再び後半の協議会に。協議会終了後、別件の訪問。さらに2件の高齢者の話を傾聴。そしてちょっとした助言。 「まだまだこれからもヤマダさんにお世話になれるのでしょう? だって、お若いですもの」----と、言ってくださるのは信頼されているらしく有難いが、いえいえ、間もなく定年です。73歳ですから。 午後5時過ぎ帰宅。 会議に出かける直前、エージェントの画廊から電話。すでに完成した新作の写真画像を送ると言ってあったので、それを待っている、と。「アチャー!」である。で、来年早々に写真ではなく実物を送ると返答。 この返答、その場しのぎというわけでもなく、写真で見せるより、何の予断もないところで実物を見せたほうがファースト・インプレッションが強烈なはず。エージェントは、文字通り一番最初の観客なので、作者(私)の気持はファースト・インプレッションによる批評(反応)に、いわば「懸けている」。彼らから以外に最初の批評を聴く機会はない。 ----というわけで、写真画像を送ると言いながら躊躇していた。そこへ今日の電話だった。 さて、その作品。きのう下塗りしたものは、乾燥待ち。したがって今日は制作無し。次の作品の構想を練る。
Dec 19, 2017
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都心で薄氷が張ったという。私自身はそれほどの寒さを感じなかったが、どうやら今年は厳冬の予想がある。 午後、作品制作。新たな小品の塗りに入った。といっても今日は下塗り。指で縷目に押し込むように塗っていく。小品なのでたちまち終了。1,2日間の乾燥を待って、おおまかな描写にとりかかることになる。年末までに完成をめざして。 24日のチェンさんのコンサートで独唱させてもらう歌を自主練習。 最初に歌うつもりの『星の界』は、出だしの語が、1番2番ともに「つ」と「く」で、発声がおのずと喉を締めることになる。すると響きがやや貧しくなる。それで喉を締めずに「つ」と「く」を発声する練習を繰り返した。 要は口腔を広げればいいわけだが、、そうすることで唇も普通の「う」音の発声時より窄め方が広がることになる。そのためその分、語の明瞭さに欠けてくる。明瞭にするために強発声をすると、歌詞のもつ明るさや柔らかさが失われる。 で、何度も練習しながら、「つ」を強発声した後、すぐに「月」の「き」を弱発声にすると良さそうだと思った。それが自然にできるまでしばしの自主練習を繰り返すことにしよう。 『長崎の鐘』は、1番2番3番を、それぞれ不自然にならない程度にほんの少し歌い方を変えることにしよう。
Dec 18, 2017
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きょうは、すでに5月頃に企画していた従姉や弟たちとの昼食会。三鷹の寿司店で正午から3時半まで。 にぎやかな近況報告。みな元気なのが何より。 私の近況は、4月のニューヨーク展を皮切りに、サンタ・フェ、パリ、大邱(テグ)と、エージェントの画廊が国際アート・フェアに出品するための新作を、休む間もなく描きつづけたこと。そして、現在、来年のニューヨーク展のための作品を制作していること。エネルギッシュに72歳を過ぎようとしている。
Dec 17, 2017
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午後、買い物に出る。3時間半。ちょっと長かった。帰宅したときには、いささかげんなり。 しかし、4軒のショップを回ったが、4軒共にみな若い女性店員の応対がすばらしく気持よかった。こんな言い方をしたくはないが、「育ちの良さ」が感じられる自然な身のこなし、言葉づかい。 ネクタイを買った店では、どれにしようか迷っていると、「これにお当てになってご覧ください」とワイシャツを持ってきてくれ、そのままつきまとわずにさっと引っ込んだ。2本選んで支払いをすませると、私が他の大きなショッピング・バッグを持っているのを見て、わずか2本のネクタイしか入っていない小さなショッピング・バッグを、「入口までお持ちしましょう」と言った。 きょう出会った4人の若い店員は、その店のいわゆる「店員教育」がしっかりしているからではない、と私は感じた。彼女たちの本当に身に付いた礼儀作法。客あしらいというより、人と人とのやわらかい、さらりとした清潔感ある自然な応対。----誰かさんたちが「美しい日本」などと言うほどには少しも美しくなく、無礼者たちが増加するいっぽうと感じている私は、なんだかとても良い買い物をしたような気分になったのである。
Dec 16, 2017
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あいも変わらず作品制作で一日が終わる。次作の構想にもとづいた下絵づくり。 ところでバチカン博物館でラファエロの絵が2点、500年ぶりに見つかったという。 1508年、ラファエロは時の法皇ユリウス2世からバチカン内の私室エリアの壁画制作を依頼された。ラファエロは1519年以前までに現在「ラファエロの間」として知られる3室の装飾壁画をフレスコ技法で完成させた。そして残りの1室「コンスタンティヌスの間」にとりかかったのは1519年と推定されている。 「正義」と「友情」を表わす二人の女性像だったと、30年後に出版されたジョルジュ・バザーリ著『美術家列伝』(日本語訳がある)に書かれている。バザーリは、その絵はフレスコ技法ではなくラファエロは油彩技法を研究して採用しようとしている、と。 ところが、制作にとりかかった翌年、1520年、ラファエロは37歳の若さで急逝してしまった。 彼の死後、「コンスタンティヌスの間」は別人によって装飾された。 そして、500年が経過した。 このたび、バチカン宮殿「コンスタンティヌスの間」の壁画が修復されることになり、修復作業員が清掃をおこなった。その最中に作業員は壁画の一部の技法がことなることに気づいたのである。二人の女性像だけが油彩画だった!----ラファエロ! 「正義」と「友情』! というわけで、バチカン博物館でラファエロの絵画2点みつかる、というニュースが世界をかけめぐったのである。 ----私がこうして書き留めたのは、じつは「?」が、そこはかとなく頭に浮かんだからである。 博物館だか美術館だか知らないが、ずいぶん暢気なもんだなー、ちょっとトロイなー、気が利かないものだなー。そりゃぁ、掃いて捨てたくなるほどの宝の山に埋もれているものなー。目に入らないのかもしれんなー。500年間も、ねー、だーれも気がつかない。(小声で、バッカじゃなかろうか!)
Dec 15, 2017
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昼過ぎ1時間半ほど民生委員と包括支援センターとの連絡会議。 帰宅してコーヒーを飲みながら一休み。今日はこのまま制作を休もうかと思ったが、結局、執筆を始めた。ただいま21時20分。小品が1点完成することができた。日曜か月曜に完成するだろうと予定していたが、一気に描き上げてしまった。 年末までに、小品ならば、もう1点くらい描けそうだ。構想はできているのだから、やってしまおう。まだ民生委員の定例会議やら合唱団の来年3月のコンサートに向けての新曲の練習やら、私の親族との昼食会、それにチェンさんのクリスマス・コンサートで歌わせてもらうことやら、画業以外のスケジュールがあるけれども、制作のためのエネルギーは休息無しで充分だ。正月に休めば、それでいい。
Dec 14, 2017
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きょうは半日、中野ZEROホールにおいて民生委員の研修。日々の福祉活動においてストレスを抱え込みかねない、私たち自身の精神的ケアのための、精神科医による講習である。 私に限って言えば、たしかに種々の相談等に対してより良い解決のために活動はしているが、ストレスを抱え込むことなくやってきた。私はストレスを消去するに都合の良い精神構造のようだ。 ---どう言ったらよいだろう。つまり、人生には如何なることも起こりうるのだ、過酷なことも、喜びも。それらを当然のことと受け止める用意がある----ということだろうか。何よりも、私にはマイナス思考が、全くと言ってよいほど無い。これはダメダとか、自分にはできないとか、あれが無い、これが無いとかを言わない。そして、人に頼ることがない。難問は、解決されるべく、ここにある。それが、人生に対する私の考えだ。 戦後、満州在留邦人170万人救出のために粉骨活躍された故・新甫八朗氏が、なぜか若い20代のころの私を気に入ってくれていられた。その氏が、「ヤマダくんは、どきょうがいいねー!」と言っていた。私の何を見て、そう批評されたのか分からない。たぶん、行動にマイナス思考が無かったからではないだろうか。新甫氏を拝見していて私が思ったことは、170万人を救出したことを、まったく誇ることがなかったこと、その人間の大きさだ。救出された人たちは、新甫八朗氏の名前すら知らないだろう。新甫氏にこそマイナス思考がなかった。前進のための静かな行動力、その度胸。---私は、新甫八朗という大人(たいじん)から、無言のうちに多くのことを学ばせてもらった。26,7歳の私にとって、稀有な出会いだったと、今は思う。 民生委員としての私のストレス? そんなものあるわけないでしょ。 閑話休題 今夜から明日14日未明にかけて12月の天空イヴェント、「ふたご座流星群」がピークとなる。東京はほぼ全域で観ることができそうだ。 とはいえ、昨年までは我家のベランダから東北東の夜空が見え、流星群を観察していたのだが、今年、ちょうどその方角に建物が建って空をさえぎってしまった。さきほどベランダに出てみたのだが、見えないものは見えない。立ち尽くしていても無駄なので、そそくさと入った。 「双子座流星群」を詠んだ8年前の拙句 流星や遠きひとから冬みやげ 青穹 冬雲を払いて星は降りけるや ヴェランダで降る星待ちぬ冬の空 待ちわびて届かぬ双子の冬便り 来ぬものを知りつつ独り冬座敷 天広し魂あくがれて冬野かな 東京のネオン凍るや流星群 双子座の流星降って山眠る 貧しきも富めるも冬の流れ星 無窮のかなた明き星飛ぶ師走哉 流星や八方に飛び地球一望す 流星やわれ男根のごとく立つ
Dec 13, 2017
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今日も一日中、制作。あるいは今週中にまた1点完成するかもしれない。完成したなら、来年の初仕事に予定している作品にとりかかれる。そうしたいものだ。 夕方、新聞を取りに庭に出たら、隣家の夫人と顔を合わせた。 「ヤマダさんの所は静かですねー。いらっしゃるのだか、いらっしゃらないのだか、わかりませんわ---」 「制作に没頭してまして---」 「まあ、そうでしたの。見せていただきたいわ」 「ええ、まあ---」 というぐあいで、朝からずっと仕事場に閉じこもっている日々なのだ。 腰が痛くなるので、1cmの厚板25cm長さのものを、端をパンツの中につっこみ、背中に当て、ベルトで固定し、---要するに背中が曲らないようにしている。 かつてはドア・ノブの古いものを小型の鉄アレイのようにつなげて、腰に縛り付けていた。マッサージ・チェアのあのグリグリローラーのようなものを固定していたわけだ。新実さんがその話を聞いて、「すさまじいものですねー!」と呆れていらした。キャンヴァスに目を近づけて執筆していると、どうしても猫背ぎみになる。それが何日もつづくうちに、腰に来るのだ。仕事をしているところを人に見られているわけでないので---、まあ、すさまじいには違いないのだが。 就寝時にはタオルを5cm太さほどの棒状にまるめ、骨盤と背骨の間のちょうどS字にくぼんでいるところに入れている。寝た当初は、曲った骨が元に戻されるので少し痛いが、しだいに楽になってくる。長年の経験から考え出した私の工夫だ。そうやって制作をつづけているのである。
Dec 12, 2017
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終日、仕事場に籠って作品制作。22時まで。
Dec 11, 2017
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予定より1日早く小品1点完成。同時進行中の作品にすぐにとりかかる。午後6時までにかなり描く。大晦日前には完成したい。 その後の作品の構想はすでにできている。年明けの初仕事になるだろう。
Dec 10, 2017
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雪が降るかもしれないという昨夜の予想ははずれたが、夜に入ってしんしんと冷えてきた。猫達が外を見たいと啼いて、ベランダや濡れ縁に出て行くが、すぐに温かい部屋に戻って来る。出たり入ったり、そのうるさいこと。 午前中、児童館主催の小学生ドッジボール対抗試合を小学校のグラウンドに観に行き、昼食後から作品にとりかかった。月曜日に1点を完成させたいと思っているが、どうにか行けそうだ。ただいま19時30分を過ぎた。これからもう少し、9時まで執筆する。
Dec 9, 2017
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12月の恒例となった感がある全音楽譜出版社主催の「現代音楽シリーズ・その24、四人組とその仲間たち」室内楽コンサートを聴きに行って来た。 じつは急な仕事が入り、せっかくの招待をフイにしなければならなかった。民生委員の音楽愛好家の知人たちに、招待券を差し上げる旨の電話をしたが、あいにく皆さん予定があった。そこで、私の仕事の予定時間を繰り上げ、大急ぎで支度し、上野の文化会館へ駆けつけたのだった。 駆けつけて良かった。すばらしかった。 特に、---知人だから言うわけではないが、---新実徳英さんの「ピアノのためのエチュード ー 神々への問い ー第3巻」に感動した。終演後、ご本人に、失礼とは思ったが、「心が澄んできていらっしゃる。音の混ざり(交響)に夾雑物が全然ないですね。----「古来稀なり」になられたようですが、死の寸前にいったい何をお書きになるか!」 まあ、いくらなんでも、本人を前にその死を前にしての絶筆曲を言うなんて。しかしねー、いまや大芸術家への王道を歩かれているわけですから、祝福されて死のうと野垂れ死にしようと、新実徳英がどんな曲を書いて締めくくるかは、注目するなと言っても注目されるだろう。 つまり、若林顕氏のすばらしいピアノ演奏で世界初演した今日の彼の新曲(お仲間の作曲家・西村朗氏が、エチュードのエチュードが必要なほど難曲。作曲者本人に演奏してもらいたいほどだ、と紹介していられた)は、私にそのようなことを考えさせる深遠なものだったのだ。聴衆の鳴り止まない拍手が、おのずとそれを物語っていた。 なお、NHK・FMが同時収録していたので、「現代音楽」という番組で聴くことができるだろう。
Dec 8, 2017
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先日の日記で触れたNASAのJPL(ジェット推進研究所)の「コミュニケーションと教育」事務室は、『UNIVERSE』というpdfマガジンを発行している。そこに〈コンピューターたち再会 ― 初期 JPL ミッションを計算で助けた女性たちが再び出会う〉と題する記事が掲載されている。これにリンクして今日のCNN.CO.JP が、17時27分、〈NASA 勤続60年、81歳女性が最長記録達成〉と題する記事を掲載した。 その女性とは、スーザン・フィンレイさん。NASA の深宇宙通信情報事業の装置動作を検証する技術者である。彼女が「人間コンピューター」としてNASA に勤務するようになったのは1958年。アメリカが初の人工衛星「エクスプローラ 1号」を打ち上げる2日前だった(後註)。その仕事は当初、技術者のために複雑な方程式を解くことで、ロケットの軌道を手書きで計算していたのだという。 女性の社会的活躍について云々される現代日本社会、また私事ながら私の現在の作品のテーマも女性問題であるけれど、上記『UNIVERSE』にスーザン・フィンレイさんが語っていることに注目した。 スーザンさんは、ポモナのコンヴェアー(アメリカの飛行機製造会社)の熱力学グループで仕事をしていたが、宇宙事業こそが自分にはぴったり、と(NASAに)飛び込んだのだと言う。 「結婚後、夫はカリフォルニア工科大学を卒業したの。彼は言ったのよ、〈カルテック(カリフォルニア工科大学)はアロヨでトップの研究所だ。そこに応募してごらんよ〉 私はすぐ応募し、仕事を得ました」 それ以来、60年間、スーザン・フィンレイさんはジェット推進研究所に勤務。現在はシステム開発グループのサブシステム・エンジニア、御年81歳! すばらしいなー! 「人間コンピューター」だってさ!【註】CNNは、3日前と書いている。私の記事は、『UNIVERSE』に拠る。
Dec 7, 2017
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終日、作品制作。 制作中に画廊の担当者から電話が入った。「制作中です」と言うと、気をきかしてくれて1分ばかりで切った。 と書いて、一度アップしたが、あまりにも味気ないので、シェイクスピアのソネットを訳出してみる。 「ソネット24」は、シェイクスピアが恋人に宛てた恋の詩であるが、比喩として「画家」を使っている。シェイクスピアが画家をどのように考えていたかを指摘するには早計すぎるが、しかし、私のような実際の画家にはなかなか辛辣な批評ともなっていて、ドキッとする。現代日本の画家たちは---それは大家といわれる人たちも含めて---しばしば、「心を描く」と言う。私は、自分ができないことでもあるからだが、じつはその言葉を信じたことはない。次に紹介するシェイクスピアの「ソネット24」は、そのような観点を披瀝していると言える。そこが私にはおもしろい。翻訳の責任は、私、山田維史にある。かなり意訳をしているが、誤訳を恐れながらご覧にいれる。 William Shakespeare 〈SONET 24〉 Mine eye hath played the painter and hath stell'd Thy beauty's form in table of my heart. My body is the frame wherein 'tis held, And perspective it is the painter's art. For through the painter must you see his skill. To find where your true image pictured lies; That hath his windows glazed with thine eyes. Now see what good turns eyes for eyes have done: Mine eyes have drawn thy shape, and thine for me Are windows to my breast, where-through the sun Delights to peep, to gaze therein on thee; Yet eyes this cunning want to grace their art; They drawn but what they see, know not the heart. 私の目は画家になってとどめていた 私の心の目録にあなたの美の形を。 私の体はそれを掲げた額縁 そして視点は、画家の芸術。 だからあなたはその技量をごらんなさい。 あなたの真のイメージを見つけるために。 それは彼の窓をあなたの目で見つめること。 見たことで良いことが目を変えるのを知ってください。 私の目はあなたの姿を描いた。私のためのあなたの姿 私の胸には窓がある、太陽を透かして あなたを覗き、あなたを見つめて喜ぶ。 狡猾な目だけれどその芸術を飾ることを望む; 見たものを描いたが心でないのを知っている。 (山田維史 訳)
Dec 6, 2017
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午後から作品制作。2点を交互にあっちを執筆し、こっちを執筆し。24日までの画業以外のスケジュールは7件だけだが、今度の月曜日までに現在執筆しているうちの1点を、完成までもっていけたらと思っている。 同年齢の古い友人が亡くなったと、その弟夫妻が報せてきた。 昔、26,7歳のころ、少しずつイラストレーターとしての仕事の依頼が出版社から来るようになっていたが、まだアルバイト仕事もかけもちしていたので、その方の渉外のアシストを大企業の社員だったにもかかわらず3年間くらいやってくれていた。一緒に飲み歩いたりもした。もう長年、お互いに年賀状だけのやりとりになっていた。その年賀状が今年はなかったので、どうかしたかと頭をかすめたのだったが---
Dec 5, 2017
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昨夜はスーパームーンだった。 昨日、民生委員の同僚Oさんが、帰り際に、「ヤマダさん、今夜はスーパームーンですよ!」とおしえてくれた。「それじゃぁ、見なけりゃなりませんね。雲ひとつない好天ですし」 荒男(あらしお)の影恥じ入りし冬の月 青穹
Dec 4, 2017
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きょうは「歳末たすけあいバザー」開催日。バザーは10時から13時まで。わたしたち民生・児童委員および赤十字会ボランティア、社会福祉協議会ボランティアは9時30分から15時30分まで出動。 開場前から大勢の市民が列をつくって、買い物で協力してくださった。私の担当した日用品(洗顔石けん、ボディーシャンプー、ヘアケア製品、洗濯用洗剤、タオル、ハンカチ、シーツ、蒲団カバー、トイレットペーパー等)は、文字通り「完売」した。おかげで社会福祉協議会に多くの金額を寄付することができた。ほんとうに、お客さんに感謝である。
Dec 3, 2017
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先日の日記に、私は、太陽系圏外から数億年飛行してこの太陽系にやってきた、初めての使者という意味のハワイ語「オウムアウア」と名付けられた葉巻型の小惑星について書いた。まるで地球崩壊に向けて競い合っているかのような政治的な、そして宗教的な「指導者」気取りのバカ者たち。---あるいはそれが、我ら人類の意志だとしたなら、もはや何をかいわんや私の「魂」も道連れになって、地球最期の大爆発(ビッグバン)によって宇宙の「埃」となって消えて行くにやぶさかではないが、数億年の宇宙の旅をしてきた小さな小さな惑星(長さ400m、幅40mほど)に、たまさかの夢を託したのだった。 さて、今日、NASAのホームページを見ると、これはまた、人類が40年前に飛ばした宇宙探査機「ボイジャー1号』が、2012年に太陽系圏を離れて250億キロ彼方をどことも知れぬ無窮の果てに向かって飛行しているのだが、その「ボイジャー1号」の軌道制御エンジンが37年ぶりに動いたというのである。NASAのジェット推進研究所(Jet Propulsion Laboratory)のエリザベス・ランドゥ氏が、興奮した様子でホームページに書いている。 「ボイジャー1号」の軌道制御エンジンは、1980年に虫の息状態になってそのまま「休眠」してしまった。以来37年間、使用されないままガレージに放置されていた自動車のエンジンが動いたと同じこと、こんなことが信じられるか、というわけだ。ランドゥ氏は、興奮しながらもユーモアたっぷりに、ボイジャー1号が飛行する宇宙空間の近所に、チューナップできる「機械修理工場」は無いと言う。 「ボイジャー1号」は、2014年から姿勢制御エンジンも劣化し始めていた。このエンジンの代わりに、37年間休眠状態にある軌道制御エンジンを使用できれば---と、ボイジャー・チームは、40年前のマニュアルを掘り起こし、コードを調べ、ソフトウェアを調べた。現在の解決法と異なるシナリオなのではないかと、皆が考えていた。が、案に相違して、「ボイジャー」計画のすべての高度制御エンジンは「Aerojet Rocketdyne(航空エンジン・ロケット推進力)」によって発展していた。NASAの他の宇宙探査機カッシーニやドウンと同種のMRー103と呼ばれる制御エンジンと判明した。 チームは、先日、2017年11月28日火曜日、37年間の時を経て、250億キロ彼方の「ボイジャー1号」の制御エンジンに向けて信号を送ってみた。信号は19時間35分後に到達するはずだった。 「Lo and behold(なんということ、見て、見て)」とランドゥ氏は書いている。11月29日水曜日、「ボイジャー1号」の制御エンジンが完璧に動いたのだ! というわけで、今日のNASAのホームページは「ボイジャー」チームの大興奮ぶりが如実に伝わってきておもしろかった。 そうか、地球から250億キロの彼方の宇宙空間に信号を送ると、19時間35分で到達するのか。我身をこの信号に変えることができれば----ウフフフ、ウフフフ
Dec 2, 2017
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毎朝の落葉掃き、今朝はことのほか多かった。おかげで我家の小庭の落葉樹は間もなく裸木になるだろう。見上げながら、箒の柄で残りの枯葉を少し落した。鉢植えの2種類の紫陽花が黄葉も手で欠いた。1cmばかりの腋芽がいくつも出ている。屋内に入れなければ、このままでは冬を越せないかもしれぬ。どうなのだろう? さて、午後は作品制作。小品を2点同時進行である。絵具の乾燥が遅いので、休み休みという具合だ。 小品といえば、先月初旬に開催された韓国での国際アートフェアで、画廊が私の数年前に描いた極小作品『東の羊、西の羊』を展示したそうで、このほぼハガキ大ほどの作品が、意外にも観客の関心を引きつけたという。 さすがに国民の多くがキリスト教を信仰しているだけに、作者の意図を画廊に質問しないではいられなかったのかもしれない。 数年前、日本の知人たちにはハガキ印刷でご覧いただいた。そのとき、じつは、鋭く反応されたのは作曲家の新実徳英氏だった。氏はただ1行の短いコメントを書いたハガキを下さったが、私は、新実さんが私の言外の意図を見抜かれたと思った。 この韓国の展覧会には、私は他に、半身ヌードの丸坊主の女性が「自撮り」をしている作品を出品した。これについても観客は私の思想を知ろうとしたという。作品の題名は、『私はイヴ』。
Dec 1, 2017
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