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ヒマラヤ街道は物資を運ぶロバやゾッキョが多い。厳冬期はキャラバンの数も少ないので問題はないがハイシーズンは「ドンキー・トラフィック」と呼ばれるロバによる渋滞も頻繁に起こるようだ。実際に長い吊り橋でキャラバンと出くわしたら僕達人間はせっかくもう少しで渡り終える吊り橋なのにUターンして引き返さねばならない。ロバくん達はバックしないのである。ロバがいっぱい歩いているということは当然彼らの落とし物もいっぱいあるのだ。この写真はロバくんのじゃなくてゾッキョのモノかな。乾燥させれば貴重な燃料となるので糞を拾って集めるのを仕事にしている人達もいる。ディンボチェからナムチェに戻る途中でこの旅で初めて日本人に会った。12日振りに日本語を話した。今回僕は何度も、いや何十回もネパール人に間違われた。「え?日本の方ですか!」といつも驚かれた。夕方前にナムチェに到着。カイラスロッジに戻って来た。
2024年02月29日
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ディンボチェからタンボチェまで休憩なしで歩き続けた。タンボチェ僧院の外回りにはたくさんのマニ車がある。それらをガラガラ回しながら歩く。マニ車を1周回すとお経を1回唱えたことになるという。大きな荷物を背負って歩くポーター。日本でいう宅配便の仕事だ。20kgまでは1日3000ルピー(約3000円)、中には100kg以上の鉄骨を担いでいるポーターもいるがそれだと1日8000ルピーぐらいの収入だそうだ。タンボチェ山門の内部壁面。同じく天井画のマンダラ(曼荼羅)は物凄い。美術館に展示してあるような美術品が普通に存在している。
2024年02月28日
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厳冬期のヒマラヤでは川も凍る。デボチェという村は標高3820mでディンボチェより600m低い。この辺りの標高が森林限界かな。大体この辺りから水が凍り始める。村の近くを流れる川。もはや流れてません。カチンカチンのツルツルです。対岸のアマダブラム側を見ると全ての滝は凍っている。これはズームで撮ったんだけど間近で見たら凄いだろうな。アイスクライミングやる人はこれらの無名の滝ですら「何じゃこりゃあ!」と思うだろう。タンボチェ僧院の近くにある森。苔だらけの岩が多くて神秘的。この辺りの集落の家はこんな感じ。この日も午後からは雲が広がった。朝までいたディンボチェ方面は雲の中だろう。雲一つない晴天だったら下山してきたことが悔やまれるがこうやって雲が広がってるのを見ると「下山は正解だったな」と負け惜しみを正当化できる。
2024年02月27日
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ディンボチェからナムチェバザールまで1日で戻るのだがよくもまあこんな山肌を削る道を作ったものだ。それにしてもヘリコプターがたくさん飛んでいる。最初は「高山病などの救助搬送ヘリか」と思っていたがヘリに乗ってエヴェレスト・ベースキャンプやカラパタールまで一気に行く”ヘリツアー”が多いそうだ。そこで記念写真を撮ってすぐ帰りのヘリに乗るというものでインスタやSNSにアップする旅行客が利用するんじゃないかな。5万円程度で簡単に5000m以上の山に行けるのである。そして高山病にならないうちにさっさと麓に戻る。金の使い方でそういうツアーも可能なのだ。シェルパやガイドを雇って10数日かけて登ると宿泊代や食事代やガイド代も結構かかるわけでヘリで半日を割いて行ってきた方が安く済むらしい。一般ツアー客ならば特に抵抗はないだろう。お金を払って見晴らしの良い場所に行く、それは当たり前のことなのだから。しかし山登りが好きな人達からは物凄く邪道に感じる。歩いて登ってこそ山だ、ヒマラヤを観光名所と一緒にするな、そんな楽で卑怯なことするな、など色んなことを感じるだろう。でもヘリ遊覧なんだから卑怯でも何でもない。別にそこまで苦しい思いして山に行きたくねえし。インスタやSNSにアップするのが目的なだけだし。だからどちらが正解だなんてことはない、どちらでも良いのだ。乗鞍の雪の壁見学バスツアーは邪道なの?麓から苦しんで何日もかけて登らなきゃいけないの?恋愛のプロセスを経てエッチをする、風俗店で金を払ってエッチをする、どちらも行為自体は同じだ。トレッキングとソレとを混同するのも極端だけど僕にはヘリを使って5000mに行く選択肢は有り得なかった。登山道を歩いた後に辿り着くという行程を楽しみたいからだ。標高5000mまでの苦労をカットするのがNGなの?じゃあ4000mまでは? 3000mまでは?2800mまでのルクラまでなら飛行機OKなの?日本からカトマンズまでの飛行機はOKなの?本人の自由なのだ。どんな手段を使って山に行ったっていいのだ。自分のやりたい方を選べばいいのだ。僕は歩いて行きたいから歩いただけだ。個人的な考えでヘリツアーを選ばないだけだ。ヘリで簡単に目的地の絶景を見るよりも色んな集落に泊まって色んな人に会って色んな体験をしたいから歩いて往復するのだ。こんな無意味な思いを堂々巡りしている間もヘリコプターは僕達の頭上を通り過ぎて行った。こちらは多分緊急搬送ヘリな。ちなみに日本の山の保険では救助ヘリ保険というのがあって掛け捨てで5000円だったかな?を払えば万一の遭難の時に1時間70万円もする民間救助ヘリの費用に保険が適用されて無料になるというものがあるらしいが(県警ヘリなら無料だとかも聞くがそのへんはよく分からん)海外旅行保険のヒマラヤでのヘリ保険は認められないと聞いた。下山時に仮病を使ってヘリ遊覧飛行を楽しむヤツがいるそうで...。まあ僕は海外に行く時も保険に入らないのでどうでもいいけど。妻からは「墜落して死んだら慰謝料が多く入る飛行機に乗れや」「中国東方航空に乗った時は墜落して死ぬんじゃねえぞ」とごもっともな恫喝を受けていることはココでは割愛しておく。
2024年02月25日
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ディンボチェ最後の朝。ヒマラヤの山がピンクに染まった。今からナムチェバザールに戻ると思うと何か感慨深いものがある。朝8時頃の気温は-10度ぐらい。背景の山はすっかり太陽に照らされているのにこの気温。明け方はもう少し気温は低かっただろう。2泊したディンボチェのロッジはこんな感じで僕の部屋の向こうの窓からはアマダブラムが大きく見えていた。2日前にチェックインした日は宿泊客がいなく貸し切りだったので好きな部屋を選べたのだった。昨日はアルゼンチンからのトレッカーが1人。「アーヘンティーナ」というスペイン語で自己紹介されて「え?どこ?」と尋ねたら「メッシ!メッシ!」と言うのであ~、アルゼンチンか~、と分かった。昨夜は彼と一緒に食事をした。これがロッジのメニュー。ネパーリー・ルピーのRs.400は大体400円ちょい。さて、いよいよ出発。偶然に同じタイミングでメリーとカルマ・シェルパがお向かいのロッジから出てきた。メリーとギュッと抱き合う。お互いに「楽しかったよ、ありがとう」と言い合ってメリー達はエヴェレスト・ベースキャンプに向かって歩き出した。しかしメリーは楽しいやつだったな。「カトマンズから飛行機がなくてチョッパーで来たのよ」とか屋根裏のネズミに向かって「シャラップ!」と怒鳴ったりこのネパールの続きで中国に飛んでハーフマラソンに出るとかおいおい、イギリスの警察官の仕事ってそんなに長く休暇とれるの?リンジ・シェルパが荷物を背負って言う。「私達も出発しようか。今日はタフな日になる」今日は一気にナムチェバザールへ。
2024年02月22日
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今回の厳冬期ヒマラヤトレッキングには上から下まで全てワークマンで買った服を着て行った。カトマンズやパタンの下界から標高4000mぐらいまでは常にこんな服装でも寒くもなく快適に過ごした。上の赤っぽい服は980円だがめちゃ暖かい。色違いで3着も持っている。内側がこんなんなってて暖かい空気を逃さない。ズボンは裏ボアの2900円のもの。職場ではコレ履いてる人いっぱいいる屋外作業者必須アイテム。マフラーはチェンマイで300円弱で買ったもの。夫婦で各2本を全部色違いで買ったんだけど今回は妻の使ってる赤系統の色をチョイス。これを持って行って大正解だった。イスラム教のように頭から被ったりもできるし気温によって鼻まで隠したり緩く巻いたり砂埃対策にもなったりで、今回一番活躍したアイテム。防寒ジャケットはバートルの黒いジャケットも持ってて(カメラマンやってる会社がタダで支給してくれたもの)すごく暖かいので雪山ピクニックの時にいつも着て行くんだけど今回は「ヒッピーっぽい放浪」をテーマにしてたのでこれまたワークマンで10年以上前に買ってボロボロになってるいわゆるドカジャン(コットン製で裏ボア)を選択。ちなみにドカジャンとは土方の人が着るジャンバーの略だ。撥水性のないコットン製だが、雨は降らんだろうという前提でもはや色褪せて裾もちぎれてるんだが気に入っているコレで行った。これが実に暖かいのだ。このブログを読んでくれてるかもしれない同僚からすれば「ははは、いつも仕事してる恰好のままじゃん」と思うだろうがそうなんだよ、いつものままの服装でヒマラヤ行ってきました。このボロジャケットで平気で地面に寝転がってたよ。黒いズボンはこれまたワークマンで1900円で買ったやつな。シューズだけは奮発してメレル。防寒と靴擦れ保護のため靴下は2枚履き。さて、ディンボチェのロッジに戻って来て何気なくお向かいのロッジの方を見たらカルマ・シェルパも偶然2階の窓から外を見てて目が合って驚いてお互いの手を振った。まさかお向かいのロッジに泊まってたとは。カルマが急いで外に出てきて再会を喜び合った。「メリーも2階のダイニングにいるよ」と言われたけど泊ってもない別のロッジにわざわざお邪魔するのもなあ、ということで遠慮しておいた。「サイトーは明日下山しちゃうんだよな。 もし良かったらロッジで履いてたルームシューズ、 年老いた父親にあげたいんだが売ってくれないか?」ナムチェでもロブチェでもロッジの中で僕が履いてたやつだ。「今夜は使うから明日の朝な」「やっぱり日本製のは品質がいいからね。 ネパール国内で売ってるのは中国製で裏底も良くないんだ」ネパールでも「クオリティ・コントロール神話」が根強いのだ。その夜、僕は持って来たヴィクトリノックスの小さなナイフでこのルームシューズの内側のタグを切り取った。そう、MADE IN CHINAの部分だけを。(笑)翌朝カルマと別れの挨拶の時に渡した。カ「いくらだい?」僕「お金は要らないよ、あなたのお父さんへのギフトだ」カ「いやいや、こんな高価な物をタダで貰うなんて」僕「俺のために杖になる丈夫な木の枝を拾ってくれたじゃないか」カ「じゃあせめてチャイを1杯おごらせてくれ」買って数度しか履いてない980円のルームシューズだがあげてしまうことに何の抵抗もなかった。むしろあげられる人を見つけて嬉しかった。僕が履くよりも大切に喜んで履いてくれるだろう。下山時の荷物も少しは軽くなるしな。
2024年02月21日
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昨日はメリーとカルマ・シェルパと離れ離れになった。2人はこの集落のどこかのロッジに泊まっているはずなのでリンジ・シェルパと探してみたが見つからなかった。明日には僕達2人はここから下山する。今日は最後の見納めのために近くの山に登った。山というよりピークが幾つもある稜線なのでどこかで見切りをつけてロッジまで戻って来る程度の散歩だ。今日の僕は酷く体調不良だった。寝不足、咳、鼻水、少し歩くだけで息切れ。どこの山に登ってもこんなことは今までなかった。現在の標高は4700m程度だ。これが高山病なのか?あとで気付いたのだが明らかに水分不足だった。シェルパはほとんど水を飲まない。僕も山では水分をほとんど摂らない。3000m級の山歩きで1日500ccから1リットル程度だ。ヒマラヤの乾燥した空気の中でのトレッキングでは1日3リットル前後の水分補給をすること、とあったが僕は1日500ccぐらいしか飲んでいなかった。そんな中で標高4400mから更に登っていた。1つのピークを過ぎるとまた向こうに次のピークが見える。キリがない。どこかのタイミングで戻ろう。ひとつの山を越えたらまた次の山があるだけで結局は終点になんて永遠に辿り着けないものなのかもしれない。それなのに何で山を歩くのだろう?「リンジ、先にロッジに戻ってて。俺はここでのんびりしていく」彼が下って行った後、岩にもたれてヒマラヤの山々を眺めた。何の音もしない世界。誰も通らない場所だ。慰霊碑がいくつも建っていた。ふと気がつくと黄緑色のジャケットを着た欧米人男性がいた。ドキリとして挨拶をしたが返事がない。「キットカット食べる?」と声を掛けたら手を差し出して来た。左斜め前の岩の陰から黄色いジャケットの金髪の女性が出て来た。這ってくる。両足が伸び切ったままで歩けないようだ。「足どうしたの?」と言った途端に2人の姿は消えた。白昼夢? 幻覚? めちゃくちゃリアルだった。まさか真っ昼間から霊じゃあるまいし。しばらくそこでぼんやりとヒマラヤの山々を仰ぎ見る。すごいヒマラヤ襞だ。ずっと見ていても全く飽きない。さあ...、ロッジに戻ろう。四方のどこを向いても荒涼とした雄大な世界。みんな何を求めてこんなとこに来るんだろう?空と山と地面しかないじゃないか。
2024年02月20日
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昨夜は星を何度も見にロッジの外に出たりしていたしベッドに入って温まると咳が止まらなかったので明らかな寝不足だったが体調不良というわけではなかった。軒先に置いておいた100均の温度計はマイナス9度。想定していたよりもずいぶんと暖かい。明け方は室内のペットボトルも凍っていて振るとシャーベットのように飲めるようになった。朝食の後にディンボチェの集落を散歩した。西の空に月が沈んで行く。何だか地球以外の別の惑星にいるように思えた。本当ならカラパタールに向かうための高所順応としてこのディンボチェに連泊するつもりだった。でも諸事情でこの先の奥にはもう行かない。ここディンボチェで引き返すのだ。名残惜しいので予定通りここで連泊する。その代わり明日からは猛スピードで下山する。壮大な風景。ずっと見ていても飽きない。明日で見納めか...。
2024年02月18日
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標高4410mのディンボチェに到着。僕とリンジ・シェルパの歩くペースが速いのでメリーとカルマ・シェルパは追い付いて来れなかった。数日前から夕方前になると雲が多くなっていた。右側のピラミッドみたいな山はアイランドピーク。左側の山は何だったかな?どこかのサイトの画像だけどアイランドピークすげえな。こんな場所から滑り落ちたらヒザ擦りむくぞ。リンジの馴染みのロッジにチェックインしたがメリーとカルマは別のロッジにチェックインしたようでその夜は彼らとは会えなかった。宿泊客は僕達の他にはいなかった。いよいよ完全なオフシーズンか。ロッジのオーナーが薪ストーブをつけてくれた。燃料が薪の時は煙も多くて少々目が痛かったが乾燥させた牛の糞に変えたら急に暖かくなった。牛の糞は匂いもない。その夜は眠れなかった。時々窓の外を見るものの空は厚い雲に覆われていた。夜中に苦しくて目が覚めた。とうとう高山病の症状が出てきたのか?布団をめくろうとしたが腕が重くて上がらない。咳も出る。鼻水も出る。風邪か?おしっこに行こうと外に出たら月明かりの中に星が出ていた。Canonのデジカメs120を取りに戻る。うわあ、すごい星だ。西に沈みゆくオリオン座を撮影。月が出てなかったらもっと星がたくさん見えただろうに。凛とした静かな夜にたった独りでディンボチェを散歩した。日本のことも人間のことも忘れ、欲も煩悩も何もかも忘れただただ宇宙を見て至福の夜を過ごした。
2024年02月16日
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デボチェからディンボチェまでは楽な道だった。右手に美しいアマダブラムが終始見えている。圧巻だ。こんな山に登るなんて想像を絶する。途中には土着的なストゥーパが建っている。振り返るとコンデリの山々。画像左下にはタンボチェ僧院が見える。それにしてもこのエリアの信仰心はすごい。石にはびっしりと経文が彫られている。彫られているのではなく経文が浮き彫りなのだ。一体どれだけの時間、労力、集中力を要することか。こんな芸術品が山道にゴロゴロと無数にあるのだ。お土産に持って帰りたいがそれはやっちゃいかんし。それに重いし。ヒマラヤ街道にはゴミ箱も設置されている。燃えるものとプラ・ペットボトルを分別。山道に沿って風除けというかガードレールの代わりというか50cmから70cmぐらいの高さに岩が積まれているのだがこれはシェルパが荷物を楽に下ろせる配慮のためじゃないかな。トレッカー達も座って休憩するんだけどこういう場所で交流できたりするんだよね。ちなみにカトマンズを発ったクリスマスの時からこの元旦まで1日もシャワーも浴びてないし髪も洗ってない。水は貴重だし、こんな気温で洗髪したら風邪ひくしね。ということで僕の髪はボサボサになっているので記念に撮影。あ、いつもとそんなに変わらんかった。メリーとカルマ・シェルパが追い付いてくるのを待って途中のティーハウスで昼食にする。ベーコンポテトとマサラチャイ。マサラチャイかジンジャー・ハニー・レモンティーが定番になった。シェルパティーと呼ばれるものはどうにも不味くて好きになれない。紅茶にバターと塩を入れるなんて...。まあその組み合わせが高所での栄養補給には合ってるだろうけど。現在地は標高4040m、高山病の症状は皆無。今日のこのエリアが一番楽で眺望も良かった。
2024年02月14日
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2024年の元旦は夜明けに目が覚めた。高山病の予防薬ダイアモックスを半錠飲んだせいか夜中に2回おしっこに行ってウトウトしていた。窓は凍っているが外が何だか色づいている。ロッジの外に出てみるとヒマラヤが赤く染まっていた。室内気温はマイナス2度。この温度計は日本を出る前に100均で買った物。ブログネタの小道具ってワケですわ。窓ガラスは氷の結晶アート。今日のみんなとの朝の挨拶は「Happy new year」だ。ダイニングルームでみんなで食事。窓辺には経典が置いてあった。食後に薪ストーブを囲んでマサラチャイ。今日は標高4400mの村、ディンボチェまで。横にはヒマラヤの雪を源流とする川が流れている。画像右下に見える吊り橋を渡るとガレ場になっておりアマ・ダブラムのベースキャンプに続いている。こんな丘でテント張ってのんびりしたいなあ。
2024年02月12日
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デボチェの宿泊先は僕達4人しかいなかった。川の近くに建つロッジは水力発電のためキッチンにもLEDライトが煌々と光っていた。モモを注文。これだけで腹一杯になる。晩ご飯の後はみんなでストーブを囲んでの会話。リンジ・シェルパと今後の日程について話す。天候はだんだんと下り坂に向かっている。ここ数日は昼過ぎから雲が広がってきて夕方には曇る。夜に星空は出るもののそれも長く続かない。朝から午後2時ぐらいまでは快晴なのだが3日後ぐらいから雪が降り始めるらしい。これでは4日後に到着予定のカラパタールまで行ってもエヴェレストやウォーターフォール、クンブ氷河は見れない。僕とリンジ・シェルパの脚力では余裕で到着可能だがカラパタール周辺で天候による停滞をする時間の余裕はないし折り返してルクラまで下りた時に飛行機がすぐに飛ぶか分からない。世界一危険だといわれているルクラの空港は同時に世界一欠航や事故の多い空港ともいわれている。もし欠航になったら往路と同じでジープを使うのだがジープでカトマンズに帰ったら日本行きの飛行機に間に合わない。「リンジ、ディンボチェまで行ったら下山するよ」「それは良い判断だと思う」とリンジ・シェルパが答える。「ディンボチェに2泊した後、ルクラまで2日で下りれるか?」「私は可能です。問題はあなたの足次第です」「よし、ベストを尽くそう」それを聞いたメリーは絶句している。「このまま一緒にトレッキングすると思ってたのに...」寝る前に星を見に行くと言ったらメリーが「私も行く」と言って2人でロッジの外の真っ暗な場所まで歩いた。外に出た途端に満天の星空が見えた。メリーが「・・・アンビリーバボー・・・」と言葉を失う。「ロンドンでは絶対に無理。今までに見たことのない星だわ」もう日本は2024年を迎えている時間だ。wifiもなく聞こえる音もない真っ暗なネパールの山の中で僕はイギリス人女性と2人で星空を眺めていた。それは星空というより「宇宙」だった。
2024年02月11日
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ナムチェバザールのカイラスロッジに2泊して今日はタンボチェまで行くことにした。カイラスロッジでの費用は2泊+4食+飲み物数杯で3500ルピー。1泊2食あたり1800円強という値段だ。あれだけ楽しんでその値段なら大満足。今日もイギリス人のメリーとカルマ・シェルパ、僕とリンジ・シェルパの計4人で話しながら歩く。タムセルク峰に隠れていたカンテガ(6799m)が見えてきた。途中のレストランでチャイを飲んだり食事をしたりで夕方前にはタンボチェに到着した。タンボチェはマスク舞踊のお祭りで有名なお寺がある。そのお寺には極彩色の神様の壁画があった。山門もサイケデリック。この地点まで来ると川も全て凍っていた。湧き水も凍っていて水の補給も出来ない。タンボチェに着いた頃には濃霧になった。僕はこのタンボチェが今夜の宿泊場所だと思っていてみんなと離れて写真を撮っていたらはぐれた。営業している3軒のロッジを回ってみても彼らはいない。もしかしてもっと先に行っちゃったのかな?と歩くこと30分、リンジ・シェルパが途中で待っていてくれた。こんな場所ではぐれたら困っちゃうよなあ。途中で飼い主に見捨てられた牛がいた。或いは水と干し草を探しに行っているのかも知れない。近くに生えている草をみんなで刈って食べさせた。復活してくれるといいんだがなあ。夕方になって今夜の宿泊先デボチェ(デブチェ)に到着。日本から持ってきたお菓子の袋は気圧により膨れ上がっている。このピーナッツ揚げと柿の種わさび味は大好評だった。
2024年02月08日
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オフシーズンのナムチェバザールはトレッカーが少なく商店やロッジの半数以上(8割ぐらい?)が閉まっている。厳冬期のヒマラヤに行くバカなんてそんなにいないからね。ハイシーズンのロッジは満室ばかりで、高い宿泊代を出してもダイニングルームで雑魚寝をする客も溢れるらしい。まるで富士山の山小屋のようだ。オフシーズンはどのロッジも1泊500ルピー(約500円強)になる。しかも毛布や布団は別の部屋の物を無償で使わせてくれるので冬期に行く人は寝袋を持って行かなくてもいいと思う。昼になってから昨夜は高山病で苦しんでいた韓国人女性とナムチェバザールの西側の山道へ散歩しに行った。石の階段を下りてナムチェを出て民家の集落を抜ける。韓国人女性は英語がほとんど出来ないが何となくのニュアンスで意思疎通は出来るので右へ曲がったり左の道を選んだりと彷徨いながら歩いた。ナムチェの集落が一望できる場所まで戻ってきた。風雪に耐える造りなのでしょうがないけど同じような四角い建物ばかりで見た目がつまらんな。2時間ほど散歩してカイラス・ロッジに戻ってからは日当たりの良い空き部屋でイギリス人のメリーを交えて3人でお菓子を食べながら話をした。カトマンズでは1リットル20ルピーだったミネラルウォーターがナムチェでは10倍の200ルピーになっていた。これから高度が上がる奥地では更に高くなる。ロバやゾッキョによる運搬費が加算されるから仕方がない。日本の山でも飲料水や食事代は高いから同じことだ。ナムチェ郊外の丘の上で寛ぐゾッキョさん。郊外に立ってた看板。ネパール人と外国人では値段が違う。スカイダイビングやパラグライダー、バンジージャンプなどお馴染みのアトラクションをやるなら分かるけどサッカーやバレーボールを7ドルも払ってやるアホおるか?酸欠ですぐ倒れるぞ。その夜のカイラスロッジは国際色豊かだった。バングラデシュ人、シンガポール人、韓国人、日本人、イギリス人、中国人、ネパール人。各国からは1人ずつ、ネパール人はシェルパ達とロッジスタッフ。みんなで薪ストーブを囲んで盛り上がった。中国人は英語が話せなかったがスマホの翻訳アプリが凄かった。みんなの会話が瞬時に中国語の文字に同時翻訳されてその文字を読みながら会話に加わるのだ。音声翻訳ではない。喋った言葉が瞬時に文字になるのだ。誰かが「こりゃ中国の悪口は言えないな」と笑う。中国人が「中国では天安門事件と検索しても何も出ないんです」とか「アプリは凄いけど情報規制が激しい」と愚痴を言う。でも日本では日本人が閲覧できないサイトもあるだろうし日本寄りや現政権寄りに湾曲された報道が流されてるしそれはどの国でも同じだと思うよ、と皆が言う。イギリス警察官のメリーが「まさにその通り」と言う。「母国の真実を知らないのは自国民のみ」「それはイギリスでもアメリカでもどの国でも同じこと」「例を挙げればロシアとウクライナの自国有利の報道だよね」「そういえば上のロッジでロシア人とウクライナ人が同宿してたよ」「やりあってた?」「いや、仲良くやってたよ」「結局国民同士は問題ないんだよね」「国家間の国益のために我々国民は情報洗脳されるんだ」そんな小難しい会話などをしながら過ごしたのだった。しかもアルコールもガンジャも無しで。1つだけのストーブっていいね。お互いが「もっとこっちにおいでよ」と寄り添えるんだから。
2024年02月07日
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ナムチェバザールでは高所順応のために2泊した。着いた翌日は朝8時過ぎからシェルパのリンジと一緒に標高3860mのシャンボチェの丘に登った。富士山より標高が高いがまだ森林限界に達していないので空気が薄いという感覚はない。シャンボチェの丘からはエヴェレスト(8850m)が遠望できる。山頂からの雪煙が非常に速い。この時期にアタックしている登山隊はいないが物凄い強風が吹き荒れているんだろうな。右を向けば世界で最も美しい山といわれるアマダブラム(6812m)。リンジはアマダブラムにペコリとお辞儀をしていた。後ろを振り向くとコンデリ(またはクワンデ)は標高6187m。同じような写真をバチバチ撮った。芝生に寝転んでリンジとお菓子を食べて寛ぐ。日本の山とはスケールが全然違う。
2024年02月02日
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夜になってカイラスロッジのダイニングルームの薪ストーブの前でトレッカーやシェルパ達と暖を取っていたら別のロッジのスタッフなのか地元の子なのかは分からなかったがネパール人の女の子2人が遊びに来た。なぜか僕と2ショット、3ショットを撮ってちょうだいと言われしばしのハーレム状態となったのであった。僕は日本ではモテないが、なぜかアジアではモテるのである。それは僕自体がモテるのではなく、日本国籍がモテるのかも知れない。ついでにみんなで集合写真大会となった。翌朝、僕は薄暗いうちから起き出して外に出て散歩をした。ロッジに戻ろうとして2階の窓を見上げると昨夜は高山病でダウンしていた韓国人女性が部屋の窓を開けて僕に手を振っていた。ダイニングルームでミントティーを飲んでいたらメリーが起きて来た。「おはよう。眠れた?」と尋ねたら「ネズミの足音で眠れなかった」と言う。そうなんだよな、夜中じゅうネズミがうるさかった。「ミッキーマウスパレードだったよなあ」と言ったらそのフレーズが気に入ったようだった。
2024年02月01日
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