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パタン最終日の朝も裏通りの一口パンの店に行ってゲストハウスの屋上に戻って食べた。1個4円という安さに惹かれたのも確かだが早朝の食べ物屋さんは甘いパン屋しか開いてないしこの一口パンが絶妙な塩味がして美味しいのだ。薄い朝靄の向こうから太陽が昇って来てipadで日本のニュースなどを見て寛いでいるとゲストハウスのオーナーが上がってきた。昨日は一緒に彼の自宅に行ったが今日は彼が買った築100年以上の古民家を見に行った。外観はそのままにして内装だけリフォームしてゲストハウスにするらしいがすごい裏通りにあって究極の隠れ家的ゲストハウスになるのは間違いない。だが僕のような人間なら宿泊するだろうが一般的な旅行者からは見向きもされないかもな。階段が急過ぎる、間口に頭を打ちそうになる、窓を開けても隣家の壁しか見えない、暗さと閉塞感がある印象なので旅行者には向いてない。マリファナバーにした方がいいだろうな。昼前にアクセサリー問屋で買い付けをした。日本はデフレ、ネパールはインフレなので仕入れのメリットがないので少量だけ買う。紅茶屋さんでお土産としてマサラティーを買う。数日前から目をつけておいたアンティークショップで仏像仏具関連の仕入れをする。置き型マニ車は日本じゃ売れなさそうなので却下。僕の自宅の玄関にはあるんだけどね。毎朝クルクル回してから家を出るのが日常になっている。宿に戻ってホットシャワーを浴びてチェックアウト。空港に行く時間までまだまだ時間があるので荷物はロビーに置いておいていいよと言われる。フロントでマサラコーラを飲む。夕方近くに空港行きのタクシーを呼んでくれた。来る時は1000ルピーだったタクシーは帰りは500ルピー。ネパールのトリブヴァン空港は30年前は出発ゲートは2つだけで10年前は9ゲートまでだったのが大改装後はドデカくなっておりもはや名古屋のセントレア空港よりも広いぐらいだ。ただ免税店などのショップは非常に少ない。僕には無縁であるので関係ないけど。そして離陸。さよならネパール。昔は裸電球が薄暗く点いていたいただけのカトマンズの夜景は今やエレクトリックシティーに様変わりした。どこまでも夜景が続いている。 ⇒ 【カトマンズの夜景 機内から ~1分50秒動画】今回の旅もすごくいい体験をした。またきっと再訪するだろう。
2024年03月31日
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トレッキングから帰って来てから結局パタンに4日滞在した。明日は夕方の6時にカトマンズの空港に行けば良い。パタン最後の夜は寺院群が見渡せるルーフトップカフェで最後の晩餐を楽しむことにした。その店はちょうど10年前にも行ったことがある。今回も最上階の完璧な場所が空いていた。夕暮れの寺院群はライトアップで金色に輝いている。食事と飲み物で500円ぐらいだったのだがこの景色を見るだけでも価値のある場所と食事代だ。ツアーでパタンに来たらこんな景色は見られない。個人旅行で自分の思うままに行動すれば自分だけの特別な体験ができるのだ。食事を終えて寺院群の中を散歩する。全てが黄金色で、空気は少しひんやりしていてどこかからネパール音楽が流れていてまさに極楽を散策しているような至福の時間だ。世界遺産の真ん中を独りで歩くが全く寂しくもない。パタンの夕暮れは人生の体験の中でも指折りに素晴らしい時間だ。ああ、明日で旅も終わりか。ゲストハウスに帰って静かな眠りについた。
2024年03月29日
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パタンは職人の村でもある。裏通りには仏像の工房が多くあって見学もできる。見学できるっていうと大袈裟だな、軒先で作ってるので歩いてれば普通に見れる。お土産屋でいっぱい売ってる仏像も仕上げは手作業なのでよく見れば全てが微妙に違う。こちらはちょっと高級な仏像。こちらは中級の仏像。真ん中でポーズとってる仏像はなんかタイの神様みたい。コレは売れんだろ。100円ライターぐらいのサイズの豆仏像から人間よりも大きいサイズまで色々売っている。アジアで買い物をする時は値段交渉となるのだが仏像も交渉すればかなり安くなる。アジアでの値段交渉の会話の流れを説明しよう。大抵は買い物客が冷やかし半分で薄暗い店に入ることから始まる。すると店主が店内の電気を順番につけながら寄って来る。インドであったならば「ノー高いネ」と言いながらぼったくって来るのがお約束であるがネパール人はシャイなので買い物を強要してくることはない。値段もインドのように適正価格の10倍を言ってくることはない。ただ気を付けなければならない点がある。こちらが「How much?」と訊いた後に店側は「〇〇ルピー」と言って来ることもあれば逆に「How much you want?」と逆質問してくることがあるがここで「〇〇ルピーなら買う」と言ってはならない。それが妥当な金額だったとしても店側はわざと鼻で笑いながら「Oh! can not! This is very good quality」と言うからである。「How much you want?」と言われたら逆に「How much you sell?」と言おう。多くの場合、先に値段を提示した方が「負け」なのである。店側がこちらの質問に対して「〇〇ルピー」と答えたらこちらが鼻で笑って「Oh! can not pay」と言えばまたそこからがお互いの腹の探り合いとなるのだ。たとえば店側が1万ルピーと言ったとする。こちらが7000ルピーにまけて、と言った時点で「あ、コイツは適正相場を知らねえな」と知られたらもう7000ルピーにはならないのである。「Good for each ether」と言われて8000ルピーになるか「OK, it's special price」だとか何とか言われて7000ルピーに”してくれる”ことで決着となる。つまりこちらが値段を提示したらそれ以上は安くならない。相手が先に値段提示したら”帰るフリ作戦”もある。「そうか、予算オーバーだ。他の店を回ってみるよ」と言えば「ジャスト・ア・モルメント、ブラザル(Just a moment, brother)」と交渉テーブルに優位につけるのである。まあ安く買うことが全てではないし後で他の店の方が安く売ってたとしてもさっき自分が納得して買ったではないか、だしとにかく気持ち良く買い物をするのが一番だわな。
2024年03月26日
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パタンの中心部であるダルバール広場から南に向かうと日用雑貨店の商店が立ち並んでいる。更に南に向かうとバスターミナルがあるのだが観光客にとっては大した見どころもなく面白みに欠ける。折り返して戻って来て今度は東に向かって歩く。こちらも一般住宅が多いが所々に小さな寺院や祠がある。こんなカラフルな寺院の門を発見。一般住宅の迷路をくねくね曲がりながら迷子になる。地面に置かれたお供え物。ガネーシャが祀られた小さな祠。赤い朱印が信仰の深さを感じさせる。こんなレストランの看板を発見。いやあ、これはよく考えたなあ。BEATLESってやっぱ世界的に有名なんだな。わざと迷って色々歩き回ったけれども結局ダルバール広場の近くまで戻って来てしまった。釈迦の掌からは抜け出せない。
2024年03月24日
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パタン博物館には実に多くの作品が展示されている。レイアウトがオシャレな木彫りコーナー。四角い枠を使って彫ってある神様像はバリ島のマス村の木彫り作品と驚くほど似ている。これは新しい作品っぽいので多分レプリカだと思う。この彫刻は多分オリジナル。相当古くて土着的だ。これもオリジナルか。よく見ると彩色の名残りあり。インドの影響を受けていると思う。下の写真は昔の井戸。石で彫られた彫刻が素晴らしい。30年以上前に初めてパタンに来てこれを見た時はまだパタン博物館はこんなに充実していなかった。この井戸を見るには普通に軒先を潜ればそのまま見れた。僕の大好きな日本のロックバンド「ストリート・スライダーズ」の「スクリュー・ドライバー」ってアルバムの内ジャケットにメンバー達がこの井戸と一緒に写っててまあ僕の方が先にパタンに行っていたんだけど「おお!スライダーズもパタンに行ったのか!」と思った。スライダーズのファンの皆さん、パタンは聖地ですぞ。この井戸は芸術性も素晴らしいが、そういうことも含めて僕はこれで4度目の井戸見学となった。まあ関係ないけどスライダーズの1stと2ndアルバムは日本のロック史上最高のアルバムだな。オープンGの5弦テレキャスター+アンペグってのはストーンズのキース・リチャーズと同じで.....(以下略)あかん、このへんの解説したら完全に文字オーバー、徹夜になるわ。30年前にはこの井戸の彫刻は盗難のため歯抜けが多かったのでこれらのほとんどはリメイクされたものだ。下の写真の左下部分みたいに彫刻が無くなってる箇所が多かった。パタン博物館の3階の窓から見たお向かいのクリシュナ寺院。クリシュナ寺院は赤い民族衣装をまとった人達が朝早くから夜遅くまでバジャンを歌っている。 ⇒ 【パタン博物館の中庭~動画26秒】この中庭の中央にこの石の井戸がある。
2024年03月21日
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パタン博物館はダルバール広場にある。入り口で順調にネパール人と間違われながら入場。パタンの彫刻物はネパール大地震で壊れたものが多くリメイクされた仏像も多いが、パタン博物館の敷地内は昔からのオリジナルで構成されている。博物館の梁も土着的なガネーシャ像や女神で飾られている。戸口の門の上の彫刻は木製ではなく金属製。銅なのか鉄なのか分からないが見事な彫金だ。金色の部分は真鍮製なのか金箔なのか不明。1つ1つの仏像は恐ろしく緻密だ。とにかく全て手彫りだし梁のどれもが違う神様で1つとして同じ仏像がないので感嘆するばかりだ。外側だけでこんなに時間をかけて見ていたら日が暮れてしまう。まだ博物館の中にすら入っていないのだ。パタンの中でも異色の建造物のこの三重の塔はチベットというより中国の影響を受けていると思われる。パタン入村料1000ルピーを払うとパスカードをくれるが博物館の入場も含まれてるのでこれを提示すれば無料。しかし日付が2022年12月28日になってるけど...。確か1週間有効じゃなかったかな。博物館へは何度入場してもOK。博物館の入り口ではカラー(24ページ)の冊子も貰える。これで1000円程度とはあまりにも安い。
2024年03月20日
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ゲストハウスの屋上で日の出を見たが薄い靄がかかっていて綺麗な日の出にはならなかった。盆地に位置するカトマンズやパタンの朝はいつもそうだ。パタンのレストランやお土産物屋は開店時間が遅い。しかし現地の人達を相手にした食べ物屋さんは早朝まだ太陽が低いうちから営業している。そんな中を当てもなくぶらぶら歩くのは楽しい。裏通りの安食堂に入ってチャイと一口揚げパンを注文する。カフェでは一杯150ルピーするチャイもここでは20ルピー。小さな揚げパンは1個4ルピー(4円)と安い。店の中では相席だ。おじさんがネパール語で話し掛けてくる。何言ってるのか分からないので「マ・ジャパニ・フゥム」と言うとゼスチャーで「ネパール人の顔だ」と言われる。最初から「日本人か?」と言われたのは今回1回だけだった。裏通りでは肉を捌いている。ヤギの頭や足が転がっている店もある。こちらの甘いパンは3個で100ルピー。ゲストハウスの屋上に持って帰って一服しながら食べる。屋上に置いてあるネパールの卓上カレンダー。ちなみにネパールは日曜日ではなく土曜日が休日。そういえばデパートでアジア雑貨屋をやってた時はネパールの神様カレンダーめちゃくちゃ売れたなあ。ゲストハウスに一番近い裏通りの四つ角に祠があってこの祠は夜明けも夕暮れ時も多くの人がロウソクを持って列を作ってお祈りをしていたが何の神様なんだろう?ロウソクっていうか、こんな感じのやつ。10ルピー。しかしネパールはヤバいね。今が西暦何年とか、ネパールに来てどれぐらい経つとか帰りの飛行機のこととか分からなくなる。というかそんなことを考えることもなくなる。
2024年03月19日
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夜のパタンのダルバール広場は寺院群がライトアップされる。世界遺産として訪問する観光客は昼間は多いけれども大抵は日帰り観光で帰ってしまうようで夜になると地元のネパール人は多いが外国人は意外に少ない。大きな寺院は2層目も3層目もライトアップされ梁の神様の彫刻が見事に浮かび上がる。黄金色に照らされた寺院群を見ずに帰ってしまうとは実に惜しい。或いはライトアップされることを知らないのかもしれない。パタンに宿泊する人だけに与えられた特権のようでもある。寺院の土台に座っているのはほぼ全員ネパール人でここが集まりの場になっているようである。昼間のお土産物の露天商は夕方には店を片付け代わりにロウソクや献花などを売る店が出る。店といっても地面に直接置いただけの個人ばかりだ。体重計を地面に置いて通行人相手に商売する計測屋もいるがこれが意外と人気があったりする。路地裏の寺院の照明は薄暗いけれども男女が対になった神様が更に官能的に見える効果をもたらす。もはやこれらは材木によるただの彫刻ではない。神が宿った彫刻からは息づかいを感じるほどだ。こちらは固唾を呑んで立ち尽くしてしまう。暗黙に合法化されたマリファナ効果で感受性が増幅されているがそれを吸っていなくとも堪能できる芸術作品が無数にある。これは実際に訪問して体験して欲しい。インドネシアのボロブドゥール遺跡とかカンボジアのアンコールワット遺跡とかインドのエローラ石窟遺跡とかは有名なのにパタンのダルバール広場の知名度は小さい。こんな緻密な芸術作品が驚くほど多いのになぜそんなに有名ではないのだろうか?それはおそらく、遺跡には既に人間が生活していないからだろう。前述の遺跡は文字通り「遺跡」であり「人のいない建造物」だ。対してパタンは人間と寺院群が現在進行中で共存しており生活の中に神様や寺院が当たり前に存在しているからだと思う。当たり前過ぎて有り難さが薄らいでいるのではないだろうか?もしパタンが住むのを放棄された廃墟となったならばここの寺院群は「遺跡」となり、やっと認知されるのかもしれない。ひっそりと佇む芸術的な寺院の向こうに見えるカフェからはポップスが流れていて人々はモバイルを触りながら食べたり飲んだり。世界遺産の寺院がそれらのカフェの明かりに照らされているのは何だか矛盾というか皮肉というか、奇妙な感じになるのだった。そして僕を含めた人達が落としてゆくお金によってそれがパタンの収入源となり循環しているのである。
2024年03月17日
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パタンの家々はレンガと木材で出来ておりこんな古い建物に人々は普通に暮らしている。緻密に装飾された窓枠とカーテンがミスマッチだ。しかも僕がゲストハウスの屋上でipadを開くとwifiを使っているネットワークがいっぱい表示される。倒壊しそうな家。1階部分の水色の木戸は商店をやっていたようだ。しかしこんなつっかえ棒で大丈夫なの?街角の祠のガネーシャ。商売の神と崇められている。ネパールというかインドっぽい色彩だ。2015年のネパール大地震の爪痕。屋根瓦が崩れたようだ。世界遺産のすぐ横にこんな民家が建っている。パタンは屋上にカフェがあることが多い。屋上からパタンの街並みを眺める。パタン博物館は現在外装修理中。中の展示物は正常に公開展示されている。ルーフトップカフェでチャイとフライドライスを注文した。ネパール人のボーイは流暢な英語で「ようこそルーフトップカフェへ。世界遺産の展望をお楽しみ下さい」とまるで高級ホテルの屋上のカフェで使うようなキザなセリフを言う。例のタバコで味覚が異常に敏感になっているのでこのフライドライスがめちゃくちゃ美味く感じられ飲み込んでしまうのが惜しいほどに噛みしめて食べる。これだけ食べるのに1時間かかりました。チャイとフライドライス合わせて350円ぐらい。
2024年03月16日
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パタンのダルバール広場をはじめとする寺院群は毎晩夜9時までライトアップされる。観光客は皆スマホやデジカメでそれらを撮っている。パタンの1月初旬の気温は日本の秋と同じぐらい。少し肌寒い程度でジャケットを着ていてちょうど良い。手袋やマフラーは要らない感じだ。陽が沈んでしばらくするとブルーアワーとなり金色に輝く寺院が更にきらびやかに見える。左がクリシュナ寺院、右がチャー・ナラヤン寺院。【10年前はこのクリシュナ寺院を見下ろすホテルに泊まったなあ】食堂はもう閉まっていたので晩ご飯を食べ損ねた。ダルバール広場で落花生を売ってるおばさんがいたので1袋70ルピーで買ってゲストハウスの部屋で食べた。多過ぎて全然減って行かないのだが独りで部屋の中で落花生の殻を剥いて食べてるって何かすげえ寂しくて虚しく感じたなあ。カーテンを閉めて真っ暗な無音の中で寝た。
2024年03月14日
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世界遺産のパタンは正式名はラリトプル、ネパール語ではヤラ。数々の寺院が立ち並ぶパタンの中心部はダルバール広場で各寺院の柱や壁や門などには神々のレリーフが彫られている。その芸術度はとんでもないほどに素晴らしい。ほとんどの寺院の入り口の門の上には木製のレリーフがある。これは縦1メートル、横2メートル程の装飾。この1点を見るだけで立ち尽くしてしまう。梁にも神様のレリーフがあるが梁はなぜか男女ペアの神様が多い。柱の彫刻もすごい。古代ギリシャの建造彫刻よりも緻密だと思う。これは一般のアパートの壁面。このガネーシャ像のレリーフは木製ではなく金属製。パタンにはこんな彫刻が溢れ返っていて建物の門や柱や外壁の1つ1つだけで美術品だ。仏教美術やヒンドゥー美術が好きな人はカトマンズ市内よりもパタン観光に重点を置くことをお勧めする。お勧めとお薦めの違いがイマイチ分からんな...。
2024年03月13日
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K.B.Guest houseはパタンのダルバール広場の西にある。誰も通らないような細道にあるので静かだ。僕の部屋の窓からの景色。屋上から下を見るとこんなふうに汚い。夕方になってゲストハウスを出て東に向かうとパン屋やレストランが並ぶ細道があるがちょうど10年前に来た時にはなかったカフェがいっぱいある。ブラックライトに照らされてヤバさ満点のカフェ。カフェかパブか分からんがさすがに独りじゃ行けんな。夕方のパタンのダルバール広場はいつ見ても夢のようだ。20代後半に初めて訪れてから僕はパタンが大好きになった。アジア雑貨屋を始めるにあたって初めての仕入れはここパタンで天然石シルバーリングを数十個買ったのだ。初めて来た時はパタン入村料なんて徴収されなかったが10年前に妻と次男と一緒に来た時は入村料が必要で1週間滞在可能のパスカードが1000ルピーだった。そのパスカードがあればほとんど全ての寺院などが入場無料。 ⇒ 【パタンのダルバール広場の夕暮れ風景~25秒動画】日本では禁止のタバコを吸って夢気分になっていたのでいや、吸ってなかったとしても夢のような異国の風景だ。暗くなってからゲストハウスに戻った。これがK.B.Guesthouseのある路地。真ん中の四角いオレンジ色の看板が宿の入り口。2015年のネパール大地震の爪痕はここパタンでも甚大で未だに寺院の修復がされている。ゲストハウス近くの路地が工事をしていたがこれは地震の復興作業かただ単に舗装工事かは不明。
2024年03月12日
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幸いにも僕の胃腸は鋼のように頑丈にできているらしくアジアの旅でいわゆるイニシエーションと呼ばれている下痢の洗礼を受けたことはないのである。今回もヒマラヤを歩いていて川の水も飲んでいたが皆さん「ひぇ、川の水なんて...」と思うだろうけど僕の考えではむしろ川の水の方が天然で安全と感じる。市販のペットボトルの水のようにカルキの味もしないしミネラルたっぷりだし実際にロバくんも飲んでいるではないか。日本でも槍穂高あたりで川の水を飲んだ後に天然水のペットボトルを飲み比べてみるともうペットボトルの水なんか飲みたくなくなる程に不味い。ただし、川の水といってもガンジス川やチャオプラヤー川、バグマティ川のような生活廃水の混じった川の水は飲まない。あくまでも上流に人間の生活廃水がない湧き水や雪解け水、或いは満月前後以外の井戸水なら飲んでも問題ないのである。ということでアジアでトイレに駆け込むということはない。アジアで氷の入った飲み物を飲んでも僕は問題はない。これは旅をする際に絶対的に有利である。では今回のネパールの旅で出会ったトイレを解説していこう。まずはカトマンズの安宿の紙も流せる水洗トイレ。人間的で全く問題はありませんな。次はナムチェバザールより麓のパクディンあたりの田舎のトイレ。ちゃんと電灯の光が入るように設計されてるところがニクいね。で、ドアを開けると...。なんですか、これは? どういうコトですか?枯れ葉の混じった腐葉土をかぶせておけってことですか?まあいわゆるバイオトイレね。僕はココでおしっこしただけなんだけど、そういやあ無臭だったな。次はナムチェバザールより上のデボチェのロッジのトイレ。標高3800メートルの12月末ってことで水の表面が凍ってて水色の大きなバケツの氷水を右上の紫色の柄杓ですくってガラガラガラとウンコと氷を一緒に流すタイプ。使った紙は右上の白いバケツの中に。寒過ぎて匂わないから問題ないんだけど便器周りがツルツルに凍ってるので転倒のリスク有り。次は同じく標高4000メートルぐらいの公衆トイレ。これもバイオトイレですな。匂いません。僕はおしっこのみで使用。同行して歩いてたメリーは中々出てこなかったので多分右隅にある棒を使って攪拌してたんでしょうな。そして最後はパタンのゲストハウスのトイレ。ドアに隠れて見えないけどバケツと柄杓が置いてあっていわゆる半自動の水洗トイレ。ティッシュペーパーはNGだけどトイレットペーパーなら溶けるから流しても大丈夫だけど一気に大量はいけませんよ。このテはタイやインドネシアなどアジアの一般的なトイレ。ただししゃがむ方向が日本の和式の逆だからね。オレンジ色の短過ぎるホースの用途は不明。ちなみに僕はパタンまで下りて来てこのゲストハウスで12日振りにシャワーと洗髪をしたんだけど髪の毛は石鹸で洗っても泡立たんしホットシャワーと言っときながら温度調整がイマイチで25度から60度までランダムに温度が変化するのでつめて!あっつ!の繰り返しだったのがご愛嬌だった。これもアジアのホットシャワーあるあるですね。暖かいお湯が出ること自体がありがたいので文句言うな。ここでシャワーを浴びるまではウエットティッシュで頭やら身体を拭いてたんだけど冷たかったなあ。以上、参考になりましたでしょうか?
2024年03月10日
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ルクラからカトマンズの空港に着いてからタクシーカウンターでパタン行きのチケットを買った。ヒマラヤの奥地にしばらく滞在してたのでもう喧騒のカトマンズには戻りたくなかった。空港からパタンまでは1000ルピー。高いがタクシーだから仕方がない。いつものように空港を出てすぐの通りを走っている市バスを長いこと待ってぎゅうぎゅうに揉まれる気力はなかった。タクシーの運転手は名古屋で働いたことのある人でもう日本語は忘れてしまったけど仕事は辛かったな、お金なんて残らなかった、としみじみと話してくれた。宿を探しながら歩くからパタンゲートで降ろしてくれと頼んだ。パタンゲート、懐かしいなあ。20代の時にパタンゲート脇の雑貨屋で働いていたシャンティーが僕を誘って自分の部屋まで連れてってくれて、まあいいや、彼女も今では50歳ぐらいか。パタンのダルバール広場あたりで宿を探したがどこも2500ルピーから3000ルピーぐらいでひゃあ、今じゃここらの宿は日本円換算で3000円もするのか!と諦めかけていたところに裏通りの宿を見つけた。K.B.guesthouseか、安宿に有りがちな名前だ。1階のレセプションには「30分ぐらいで戻る」の張り紙。いいねえ、こういう宿は安くて何かありそうな気配だ。椅子に座って待っていたら掃除のおじさんが来て「オーナーはルーフトップにいる」と教えてくれた。ルーフトップ、いい響きだ。ビートルズのGET BACKセッションを思い描くぜ。階段を上って屋上に行くと若いオーナーが友人達と日本では禁止されているタバコを吸っていた。「空き部屋はある?」「あるよ。1500ルピー」「OK、3連泊するよ」 「吸う?」「ああ、いただく」部屋のキーをもらう前に一服してフラフラだ。屋上からは街並みが一望できた。すぐ横には寺院の屋根瓦が見える。タバコの効果で瓦の合わせ具合が芸術的に見えて感動する。これは神が作ったに違いない。部屋は広くてホットシャワーもトイレもあって申し分なかった。ベッドに寝転んでいると遠くの音や声や動物の鳴き声がまるで耳元で聞こえるかのように響く。例のタバコによる効果で神経が過敏になっている。何か食べに行こう、と階段を下りる。あれれ?いつまで歩いても1階に着かないぞ。近くのパン屋で甘い物を買って屋上に戻って食べた。こりゃいかん、美味過ぎる。これで100ルピーとは。これは神が作ったパンに違いない。それが証拠にパンから蜂蜜が染み出てるじゃないか。そんな感じでパタンに着いて早々、沈没しました。
2024年03月08日
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早朝にルクラのテンジン・ヒラリー空港に向かう。リンジ・シェルパとK2ロッジのオーナーも来てくれた。搭乗手続きはK2ロッジのオーナーがやってくれた。さすがルクラのブッキング・ボスだ。リンジの安い靴が古くなっていたので空港で「新しい靴を買ってね」と追加のチップをあげた。コールマンのサングラスもあげた。僕が搭乗待合室に入ると彼らは見送りデッキに上がって行った。そんなことしてくれなくてもさっさと帰ってもいいのに。冬の標高2800メートルの朝のルクラは寒いのに。待合室では各国のトレッカー達が飛行機が来るのを待っている。第1便の始発はカトマンズから飛んで来てからピストン飛行する。今日の飛行機は本当に飛ぶのだろうか?やがていきなり轟音がして飛行機が到着。「来た~!」と待合室の中は大歓声だ。第1便というのは最も欠航の割合が少ないのである。朝一の第1便を飛ばしてみて天候が不安定だったら第2便以降は欠航となることが多いからだ。つまり第1便というのはその日の試験飛行も兼ねている。さすがに「ああ、第1便やっぱダメでしたね、墜落しましたね」なんてことはないだろうけど...。滑走路を歩いて小型飛行機まで行き5段しかないタラップから乗機。ちなみに座席番号の指定はないので早い者順で席を選べる。右側に座ればヒマラヤが見れるので僕はそっち側に座る。 ⇒ 【機内に乗り込む際の動画~10秒】機内からは空港の見送りデッキにいる人の顔は判別できない。さよならリンジ。ありがとう。数少ないリンジとの2ショット写真。背景の左側の山はエヴェレスト、右側の山はヌプツェ。飛行機が動き出す。座席数は縦に1列ずつの7席、計14席。世界一危険な空港は坂道を利用して離発着する。滑走路は崖の近くにあって短いので再トライは不可能。 ⇒ 【離陸の瞬間の動画~1分6秒】機内の右側の乗客は窓からヒマラヤを眺めている。左側の乗客は見れないので不公平だ。これで同一料金ってのはかわいそうだよなあ。半額にするとかさ。 ⇒ 【飛行中の景色の動画 ずっとヒマラヤが見える~48秒】このマウンテンフライトは絶景だった。眼下の谷間は雲に覆われている。30分から40分の素晴らしい時間を過ごした。やがてカトマンズの街並みが見えてきた。四角い家ばかりで味気ないがどの家にも屋上がある。給水タンク置き場というのが本来の目的だけど屋上に椅子やテーブルを置いて寛ぎの場にもなっている。カトマンズに到着。OK、墜落しなかった。今回の旅は自分の中で3つに分けられる。第1章はカトマンズからジープでの悪路の旅。第2章はヒマラヤのトレッキングの旅。そして下山していよいよ第3章の始まりだ。
2024年03月07日
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ルクラではK2ロッジという宿に泊まった。このK2ロッジのオーナーは登山家で、様々な山に登頂している。昨日はリンジがこのオーナーに連絡をしてくれて僕が乗るカトマンズ行きの第1便をキープしてくれたのだ。ロッジの宿泊費は500ネパーリー・ルピー。(約500円)部屋にはお湯の出るシャワールームがあるがいくらホットシャワーといえども服を脱ぐのも嫌な寒さだ。ウェットティッシュを使って身体を拭くのですら辛い。リンジへのポーター代27000ルピーを払うためにルクラの町中を回ったが日本円は交換できない。日本円の価値が凋落しているのは分かっているがユーロや中国元さえもルクラでは使えない。ネパーリー・ルピーと米ドルとクレジットカードのみが使える。ルクラとカトマンズ間のフライトは天候による欠航が多い。酷ければ2週間飛ばないこともあるという。飛行機待ちをする外国人がお金を使い果たすことが多いので町の中にはクレジットカードのATMをよく見かける。そういう事情で他国通貨は使えないらしい。日本人が経営しているお土産屋さんでやっと両替できた。日本円の5万円をネパーリー・ルピーに交換した。40000ネパーリー・ルピーを受け取る。両替レートは悪いが仕方がない。そのままリンジに40000ルピーを支払う。40000-27000=13000ルピー。13000ルピーはチップだ。リンジは驚いて大喜びだった。ルクラは石畳で整備されていて犬がやたらと多い。これがネパールで撮った最後の自分の写真。リンジが撮ってくれた。
2024年03月06日
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カイラスロッジを出発する際にオーナー夫婦から白いスカーフを首に巻かれた。これは親しい人が旅立つ時にその人の無事を祝うものだ。テレビの紀行番組で見たことある人もいるんじゃないかな。ロッジを出発してナムチェバザールの出入り口まで来るともうヒマラヤの山は隠れて見えなくなる。ああ、これで下山しちゃうんだなあ。モンジョまでの山道を下る途中に大きな吊り橋がある。下から見るとまるで宙に浮く吊り橋だ。サガルマータ国立公園のチェックポストを抜けて往路時に泊まったパクディンのロッジで昼食。ここでリンジ・シェルパと出会ったのだった。ロッジの2階のダイニングルームからの景色。昼食後は再び山道を下りる。ロバのキャラバンと一緒に歩いた動画はこちら。 ⇒ 【ナムチェからルクラの途中の道~20秒動画】可能なら明日のフライトでカトマンズに戻りたい。パタンでのんびりと買い付けをしたいからだ。そうリンジに伝えると空港の責任者に電話をしてくれた。そんなツテがあるとはさすがスーパーシェルパだ。空港責任者はカトマンズに出張中ということで不在だったが次にルクラのブッキングボスと言われる人物に電話。「OK、明日の第1便の飛行機の席を確保できたよ」おお、何というコネクション。この山道はナムチェとルクラ間のルートだけあって色んな人が「リンジ・シェルパじゃないですか!」と声を掛けて来る。「今回は日本人の個人旅行者と一緒でね」みたいに答えている。改めてリンジの顔の広さ、有名さが分かった。ごく普通のおっさんなんだけどね。「1日でルクラまで行けるかはあなたの足次第」と僕に言ったのにリンジ・シェルパの方が先に足をやられた。彼の足は腫れあがってしまっている。ディンボチェからナムチェバザールまで一気に下りて来て今日はルクラまでの20kmの道をハイペースで歩いているのだ。僕の足は何ともない。息も切れてない。他のシェルパ達も「お前はジャパニーズ・シェルパだ」と笑いながら感心している。「シェルパ・ブラザル(Sherpa brother)」だなんて言っている。ヒマラヤのコンビニで一服休憩。夕方にルクラに到着。20kmを昼食や休憩込みで8時間か、まあまあのペースかな。町には無数のタルチョーが飾られていた。
2024年03月04日
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カイラスロッジに戻って来たら今夜は誰も泊まっていなかった。オーナー夫婦とリンジ・シェルパと僕の4人だけで薪ストーブを囲んでのんびりとした夜を過ごした。日本では能登地震が起こって大騒ぎだった。ipadで能登地震や羽田空港の自衛隊機衝突事故の動画ニュースを一緒に見たりした。往路の時にこのロッジで高山病の韓国人女性を介抱したが2日前に他の7人の仲間が下山してきて合流したようで「ジャパニーズ・ガイが薬をくれたりして助けてくれた」とみんなに僕のことを話していたそうだ。お互いの国を思う印象がこうやって少しずつ良くなればいいな。ナムチェバザールは夜になっても街路灯で明るい。せっかくヒマラヤの星空を見ようとしても見れない。部屋の窓を開けるとナムチェバザールの夜景が見えた。その夜は屋根裏のネズミ達も静かだったのでよく眠れた。朝になってコンデリの山に朝陽が当たっていた。しまった、寝過ぎた。朝焼けを見れなかった。それにしても絶壁と氷河がすごい。登ってみたくなる。ロッジの外に出て路地でタバコを吸う。石畳が異国を感じさせてくれる。ネパール音楽がかすかに聞こえている。ダイニングルームで朝食を食べる。貸し切りは何だか切ない。顔を洗って無精ひげを剃って荷物をまとめる。寒いのでさすがに頭は洗えないのでボサボサのままだ。さて、今日はルクラまで20kmの道のりを一気に下る。辿り着けなかったらパクディン泊まりだ。
2024年03月02日
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