ワルディーの京都案内

ワルディーの京都案内

2018/02/14
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テーマ: 京都。(6075)
カテゴリ: 京都研究
2018年 2月14日(水)】

 今日は、ガイドオフ日。普通なら在宅するところですが、研究員の2回目の中間発表が3月3日にあり、最終レジュメ案提出が3月22日なので、追い込みのため今日も研究員活動で外出しました。次女が里帰り出産を終え、この16日に東京に帰るので、その準備で家内も忙しそうにしているので、申し訳なかったのですが。家内に白い目で見られながら、「行ってらっしゃい」の言葉もなく出かけました。少々つらいですが、できるだけよい論文にしたいので、ここしばらくは止むを得ません。

 まずは、フィールドワークへ。

 伏見稲荷大社の御茶屋に寄って仲間に挨拶。受付はSさん、その時の門の当番は同期のJさんでした。Jさんはインフルエンザで休んでおられましたが、今日は出勤でした。ただ、まだ鼻声で、医者から「歳をとったら、インフルエンザからの快復も時間がかかる」と言われたそうです。

 まず、吉田初三郎絵図の「熊鷹滝」を探します。

 その途中、 「愛染寺」 の燈籠を探しました。納札所を東に行った橋の手前に「愛染寺」と彫った燈籠を発見しました。何度もここは通っていますが、気が付きませんでした。「愛染寺」は明治維新後の廃仏毀釈で廃寺となった伏見稲荷大社の本願所。字彫にもあるように宿坊にもなっていました。この燈籠が建てられた年代も彫られていましたが、風化していてよく読めません。「文禄」かもしれません。


「愛染寺」と彫られた燈籠





判読が困難だが「文禄」とも読める (この写真では難しいですが)




 御産婆稲荷から北のお山参道を上ります。以前フィールドワークした際に、小丸居神社近くで、谷底のほうに「お塚」を発見したので、それが吉田初三郎図絵の 「熊鷹滝」 の跡ではないかと考えていました。小丸居神社横の「梶亭」というお店で、蝋燭を買い求め、研究員の名刺もお渡しして、お店の方にお話をお聞きしました。フィールドワークで名刺を使うのは初めてです。お店の方はお年は70歳代とお見受けしました。お伺いしたことをまとめます。

・子供の頃、「お滝」が谷底に見える「お塚」のところにあった。
 「お滝」と呼んでいただけで、それが「熊鷹滝」かどうかは分からない。
・ほどなく「お滝」は廃絶になった。
・昔は下から行けたのだが、その道がなくなったので、「お塚」参拝の方のために、
 この近くから降りられうように階段道が作られた。一般の方は通ることができない。
 (上記の無くなった道というのは、以前のフィールドワークで大日本大道教横を
 通って行こうとして、途中で道がなくなっていたところだと思われる。)
・今は、お塚にお参りする方もほとんどいない。

 やはり谷底に見える「お塚」の場所が、「熊鷹滝」跡と判断していいようです。


谷底に見える「お塚」。ここが「熊鷹滝」と思われる。





 次に、やはり吉田初三郎図絵の 「ねざめの滝」 の調査です。三ツ辻まで上がって、この前訪れた「坊崖遺跡」横を通って、荒木滝の上に出ました。その下に「お塚」が庭にたくさんある民家があります。そこが「めざめの滝」のあった場所だと考えていました。以前、フィールドワークでは外から見ただけで、「お滝」は発見できませんでした。「お塚」にお参りされる方のために、家の門が開放されているようですので、中に入ってみました。池はありましたが、「お滝」の跡は発見できませんでした。家の裏手のほうに「お滝」がありそうな雰囲気でしたが、普通の民家になっているところの裏で廻り込む勇気はありませんでした。

 その下の 「権太夫滝」 の社務所に入って、ここでも蝋燭を買い求めたうえで、管理者の方に研究員の名刺をお渡しして、色々とインタビューさせていただきました。前回、お話を伺ったときは、年配の女性の方でしたが、今日は年配の男性の方でした。以前、全寺社巡りのときに立ち寄って、伏見稲荷周辺に「お滝」が20箇所くらいあると教えていただいた方かもしれません。分かったことは、次のような内容です。

・上流の今農地になっているとろは、池があって、私の子供の頃は、その水を飲料水にも
 使っていた。蛇口をひねるとその池水が流れ出した。
 「お滝」の水もその池の水を使っていた。しかし、その池が今は農地になっている。
 ところが湧水がそのあたりに出るので、池がなくても「お滝」の水源は確保できている。
・上流の荒木滝とここの権太夫滝の間に「ねざめの滝」があった。
 今、一般の住宅になっていて、お塚だけが残っている。裏に「お滝」があった。
 代替わりされたときに、「お滝」を廃絶されたようだ。
 私が生まれたのは昭和13年だが、物ごころついた頃には、すでに「お滝」はなかった。
・その「お塚」は「明心教」という教会の設立したお塚だった。
・北谷の「お滝」は湧水や自然流があり、「お滝」の水量には困らないが、
 南谷は宅地蔵造成で湧水が出にくくなったと聞いている、


上記に出てくる権太夫滝、荒木滝上流の池の跡





 ここでお昼時になったので、本殿方向に戻って、京阪伏見稲荷駅近くのラーメン屋さんで、昼食をとりました。修学旅行の昼食処下見を兼ねているので、 こちら 。 


 昼食後、 「ぬりこべ地蔵」 に寄って、奥社(千本鳥居の出口)方向を目指しましたが、偶然「 清め滝」 に東側から入る道を発見しました。「清め滝」ではお堂の前で、読経をする3、4人の集団に遭遇しました。「お滝」は廃絶になっていますが、お塚やお堂は全部ではないにしても、こうやって信者さんによって保持されているのだということを目の当たりにしました。

 南谷を上っていきます。八嶋滝、命婦滝を通り過ぎ、弘法滝へ。 弘法滝 でも蝋燭を買い求めて、管理者の方(年配の女性の方)にお話をお伺いしました。ここでは、研究員の名刺を渡しませんでしたが、今後のこともあるので、渡しておけばよかったと後悔です。分かったことは下記のような内容です。

・明治中頃、先々代が開いた「お滝」。「お塚」と同時に開いた。
・水源は「お滝」の上の湧水。この湧水からの「お滝」は「お塚」建設前からあったのかも
 しれない。
・南谷の「お滝」のある場所は、伏見稲荷の境内地や公有になったことはなく、
 ずっと個人所有の土地
・弘法大師をお祀りしているので、滝行をする方は、「オダイさん」より仏教信徒が多い。
・昨日も3~4人滝行をされた。
 もちろんピークのときに比べると、滝行をする人数は減っている。


 さらに上って、青木滝を通り過ぎ、 「真心滝」 があったと思われる場所へ。七面滝に下りる道の手前に、石材置き場のような場所があり、その奥に鳥居と「お塚」が一つ。





 さらに奥には、神社の社務所跡のような建物が残っていました。





 裏に「お滝」の跡がありそうだったのですが、私有地なので、無理に探索するわけにも行かず、ここが「真心滝」の場所とは特定できませんでしたが、その可能性は大です。

 次に、 「七面滝」 へ。今回のフィールドワークでは初めて訪れますが、以前、全寺社巡りで訪問したことがあります。ネットで色々調べていたら、最近整備がされたとのこと。滝に下りるところに、こんな看板を発見。





鳥居に七面天女の扁額




 木彫をされる方がアトリエにされているようです。以前は、こんな洒落た看板はなかったような気がします。





 ここの方が、「お滝」「お塚」のお世話をしておられるようです。こんな張り紙が。





 滝に下りてみたら、確かに以前訪れたときよりきれいに整備されていました。





七面滝




 ネットで既知でしたが、やはり宝塔寺の管理のようです。





 外国人も多くなっているので、英語での警告も。





 お滝から上がってきたときに、管理棟から人声して、外国人の男女が出てきました。外国人観光客がふらっと立ち寄ったようです。私も思いきって入ってみました。中年の男性の方がいらっしゃって、蝋燭を買い求めたところ、マッチを持って滝まで下りてくださいました。蝋燭は「お滝」の近くの参拝所に置いてあったのです。この方が張り紙のお名前にあった大岩さんのようです。「お代は特にいただきません。」ということでしたが、それではあまりにも申し訳ないので、多めにお賽銭をあげさせていただきました。大岩さんから色々お伺いしたことを列挙します。

・23年前からこの場所をお借りするようになり、アトリエにして、
 お滝の世話をさせていただいている。
 以前は管理棟所有者の方も住んでおられたが、今は、ここには住まわれていない。
・「お滝」の水源は湧水。上流に金鉱石?を掘っていた穴があるが、そこに湧水があり、
 それを使っている。「お滝」の脇を流れる水は川の水。
 ここの「お滝」の水は大雨が降ったりすると、たくさんの水流になる。
 水質的に飲み水にはならない。
 下の「鳴滝」は飲料水になり、実際に飲んでいる。水流が「七面滝」とは異なる湧水。
・この場所は、宝塔寺の所有。
・滝行をされる方は日蓮宗の信徒さんが多い。
 山伏装束の方が、護摩を焚いたりされることもある。
・「鳴滝」の世話もしている。所有者の方は、別のところに住まわれている。
 固定資産税も大変なので、市に土地を寄付されようとしたが、宙に浮いたままになっている。
 木の乾燥場として使ったりしているが、谷底なのでなかなか乾かない。
・真心滝というのが過去近くにあったというのは初耳。
 印章社というお社があり、お塚とともに引っ越したのは知っている。


 掲示にあったように、鳥居がきれいに整備されていました。





 その奥の 鳴滝 は逆に荒れ放題





 しかし、お滝はさきほどの方がお世話をされているので、整備されていました。






 さらに上流の 「白菊滝」 へ。


白菊滝




 入口に大正4年建立の碑がありました。「お滝」建設の年代が明らかになりました。






 その奥が 「御剱滝」





 一番奥のお塚。結界が置いてあって、侵入禁止になっていました。





 そのお塚の管理棟のようですが、閉まっていて、連絡先が貼ってありました。今後、お話をお聞きすることもあろうかと撮影しました。「お滝」の管理棟は別にあります。





 「お塚」が設置されていた、あるいは設置できる階段状の土地はありますが、「お塚」は見当たらず、全体でも「お塚」の数が少なく、年代字彫を見つけることができませんでした。






 その上の 「末広滝」 へ。ここの管理棟でも、蝋燭を買い求めて、管理者の方に 「岩滝」「岩龍滝」「不動滝」 のことをお聞きしたかったのですが、残念ながら管理棟は閉まっていました。

 もと来た道を引き返して、京阪電車伏見稲荷駅から、丹波橋駅に向かいました。

「京の冬の旅」の大黒寺を見学 した後、伏見中央図書館に入りました。初めて使う図書館です。大正2年発行の「お滝」を掲載した地図「伏見稲荷神社御山獨案内図」が、ここでしか見ることができないので、この図書館に来ました。


伏見稲荷神社御山獨案内図






 大正末期の吉田初三郎絵図にあって、こちらにはない滝や、名前の変わっている滝もあり、滝の建立年代や変遷をトレースできそうです。

 その他2冊、伏見稲荷大社関連の本を閲覧しましたが、特に有用な情報は発見できませんでした。 


 こんな出歩いて好き勝手ばかりしているので、家内や次女からのバレンタインチョコは無しです。トホホ。でも、今日一日、全体的には大きな収穫のフィールドワークと古地図閲覧になったので、それは慰めです。




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最終更新日  2019/08/26 08:19:05 AM
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