ワルディーの京都案内

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2021/08/16
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テーマ: 京都。(6075)
カテゴリ: 若冲と応挙
【2021年8月16日(月)】

 今日は京都では「五山の送り火」ですが、昨年に続いて、部分点火でした。去年は、来年は絶対大丈夫だと思っていたのに、2年連続となりました。「来年こそは」と思いたいですが、あまり期待しないことにします。会の20日の集まりの準備をしました。


 「若冲と応挙」第36回、円山派についてです。


◆第3章 円山応挙(続き)

3-7 円山派

 応挙はたくさんの弟子を受け入れて育て、 「円山派」 を形成しました。応挙の画風を受け継いだ 呉春 も多くの門人を育て 「四条派」 を形成しました。両派合わせて 「円山四条派」 と呼ばれています。図1に系図を示します(字が小さくなるので、半分に分割しています)。


図1 円山派とその派生流派の系図



 すでに紹介した宗家の 円山応瑞 応震 応立 が右端に書かれています。左下には明治時代から昭和前期に活躍した 竹内栖鳳 の名もあります。応挙と同時代に活躍した 若冲 曾我蕭白 は、多くの弟子を持たず、ほとんど本人の代で終わっているのに、狩野派のような伝統を持たない応挙がこれほど多くの門人を持ち、かつその画派が長く続いたのは何故でしょう。

 まず、応挙の生きた時代が背景として考えられるでしょう。文化にかかわる層が町人へと拡大しました。平常の暮らしの中で、掛軸、襖絵などで美を求める人が増えたわけです。技の秀逸さと、部屋を飾るに相応しい分かりやすく、かつ新しい画風に注目が集まり、注文が増えます。若冲・蕭白とも 「平安人物志」 の人気ランキングに登場しますが、実際の需要は応挙のほうが格段に大きかったと思います。その需要に応えるには、弟子をたくさん受け入れ、育てなければなりません。弟子を多く持つと、手取り足取り教えるのでは賄えなくなります。明確な絵画理論を弟子に伝え、写生帖を有効活用するなどもして、弟子を育てたのだと思います。そして、既に述べましたが、大規模障壁画の仕事などをするにはチームワークが大切です。そのようなマネジメント能力も応挙は持ち合わせていたのでしょう。そして、弟子たちの個性も大切にしたのではないでしょうか。 長沢蘆雪 「奇想の画家」 の一人に数えられるほど個性的な絵を描いたし、呉春は四条派を形成し、 森徹山 らは 森派 を形成するなど一味違った画風を追求しました。応挙の画風は、秀逸だけれども、発展性があり、応用展開できる余地があったので、弟子たちは師とは異なった高みを目指し、円山四条派は後世に長く引き継がれることになったのではないかと思います。


図2 長沢蘆雪「虎図」串本・無量寺



図3 呉春「池辺雪景図」 個人蔵
図2 長沢蘆雪「虎図 」、 図3 呉春「池辺雪景図」 を示します。「池辺雪景図」は雪を白く塗り残す技法や構図が以前の回で紹介した応挙の 「雪松図屏風」 に似ていますが、応挙の絵にはない洒脱さが加わっています。

 これで応挙の章を終えます。次回から若冲と応挙の比較をしていきます。



(続きます)


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最終更新日  2021/08/18 01:28:44 AM
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