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望月しょうへい候補の街頭演説八王子市議会議員選挙の3日目、日本共産党・望月しょうへい候補が鹿島商店街で演説しました。定数40議席に対し、58名が立候補している多数激戦の八王子市議会選挙です。国の大軍拡・大増税の自民・公明の政治から、 市民の暮らしや命をまもるために、その訴えは切実です。「三多摩で一番高い国民健康保険税の値上げ、6年連続の値上げをやめよ」、「すべての学校の体育館にエアコンを、現在1割を都内並みの100%の設置を」八王子市議会は、こうした市民からよせられた7件の切実な請願を、最大会派の自民党の反対によって、そのすべてを否決しました。戦争に通じる安保三文書の撤回を求める意見書についても、憲法違反であり、米軍と一体化して戦争準備の危険性があると指摘しましたが、それを共産党は他会派とともに共同提案したんだけど、これもまた、自民・公明などにより、否決された。「こうした政治を変えるために、この市議選を、なんとしても勝ち抜きたい!」望月候補の切実で真実なの訴えは、山をも動かす力を持ってます。市民に新たな負担を強いている冷たい政治を、市民の暮らし、教育、営業を守る政治に、変える。「一人ひとりをたいせつに」望月候補は、全国共通の「学校給食費の無料化を」「18歳までの医療費を完全無料化に」の2つの無料化とともに、八王子市と、その各地域、各界の要求を掲げています。統一協会と、八王子の政治・行政との結びつきを断つ!戦争の危険な道にすすみつつある日本の状況を、なんとしても変える!と。このためにも、激しいこの選挙に必ず勝つ!こうした大切な訴えが、力強く、静かな団地に響きました。
2023年04月18日
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八王子市議選の選挙公報いっせい地方選挙の後半戦がはじまりました。当方の東京・八王子市でも、昨日、市議会議員選挙が告示されました。八王子市議会は、定数40議席に対して、58名が立候補しました。バス通りに設置された公設掲示板です。市民は、この大ぜいの中から、意中の人一人を選ぶんですね。これは、その名前を確認しようとして、このなから探し出すのは、たいへんなことですよ。それは投票率に見られるとおり、投げ出して棄権しちゃう人も多々いるわけです。「選挙する」ということは、この二つの関門を越えなければならないんですね。今日は、告示日の翌日の4月17日ですが、市役所の支所では、期日前投票が始まりました。同時に、我が家のポストには、いち早く「選挙公報」が届けられました。今回は、この選挙公報から、この市議選について、知り得たことを紹介します。第一は、八王子市議会の定数40議席にたいして、58人が立候補したということです。ちなみに与党の自民党は14名、公明党は10名が立候補しており、それに対する日本共産党は、5名の立候補です。これが今の力関係なんです。くりかえしになりますが、八王子市は人口50万人の都市で、自民党の政調会長・萩生田こういち氏の地元であり、選挙前には、周辺の市にも勝共連合による「共産党にだまされるな」ビラがまかれるといった、いわば、今の日本社会の縮図の地なんですね。第二に、私などのこの選挙の注目の一つは、国の政治が5年間で43兆円の軍備拡大にすすみつつある。それを前提にすれば、「大砲かバターか」-市民の暮らしや福祉、教育の予算を削るしかないじゃないですか。それで誰であってもよかったんですが。この問題を正面から提起して、国民の命と暮らしをまもろうとする「護民官」が、この選挙にどの様に存在するか、でした。この点で見ると、「大軍拡を進める岸田自公政権の暴走に八王子からノーの審判を」とする共産党の5人の候補者がきっぱりとしていて、そのほかにも「平和憲法を守り、戦争のない社会を目指します」との2人の候補者がいました。思ってはいても、公報に記載し損ねたんだ、という人もいるかもしれませんが、そうした状況です。7名以外は、軍拡の風にながされる葦だということです。第三の注目点ですが、国の43兆円の軍事拡大の、その財源をねん出するために、忍び寄る市民の暮らし・子育て・教育・福祉にたいして犠牲をしてる動きにたいして、各候補者の態度はどうか。「軍拡のためのしわ寄せから、市民の暮らしを守る」-これが、この市議選の一番の焦点だとおもうんですが。この点ではどうか。これについては、公報や候補者のアナウンスを見聞きしただけでは、実際の状況は分かりません。候補者のみながみな、誰しも口をそろえて「少子・高齢化対策」「子育て支援・教育の充実」「介護・福祉の向上」といった、住民の切実な要求にこたえるかのような、綺麗なうたい文句が並んでるからです。そりゃあそうです、「私は市民の請願に反対しました」なんて実際にした行為を語たるなんてことありません。選挙公約を見るかぎり、議会の多数は市民要求に献身しているるかのようです。では、本当にその方向にすすんできたのかというと、現実はそうなっていないんです。逆に、請願は否決され、市民要求は切り捨てられている。悲鳴が聞こえてくる事態であり現実なんです。この実際のからくりを見極めるには、言葉からだけじゃダメなんです。広報の文面からだけではだめなんです。この間にやってきた実際の行動を確かめること、この事実が重要になっているわけです。ここに明らかにされてない重要問題があるわけです。一つの例ですが。国民健康保険料・国保税が高いことが問題になってますが。八王子市は、国保税が6年連続して引き上げられて、三多摩で一番高い負担となっています。毎年、値上げ凍結、引き下げを求める請願が出されてるんですが。この請願は自民党・公明党などの反対で否決されたんですよ。ちょっと記録を調べれはわかることです。教育ではどうか。八王子は夏暑く、冬寒い土地柄で、小中学校の体育館に温調機器の設置が、子どもたちからも要望されてるんですが。東京23区では100%の設置が実現、ないし目途が立ってるんです。では八王子市ではどうか。現在、全体の1割にしか設置されてません。さらにその設置されてる1割も、「防災上のためのものだから、教育目的ではないから」として、それすらも使えてないんです。これにたいして市民から設置をもとめる請願が7000筆をこえて出されたんですが。これもまた自民党・公明党などの反対により、否決されました。これがこの間の市議会なんです。こんかいの選挙公報を見ると、そうした現実はでてきません。ただ、その痕跡があるんです。「避難所として活用される学校体育館へのエアコン設置」が公明党の公約にあります。私などは思うんですが、だったらなぜ市民の設置を求めた請願を否決したのか、と言いたくなるじゃありませんか。しかし、まだこれが公報に記載されるだけ「まし」かもしれません。反対したくせに。自民党にいたっては、「エアコン」も「国保税」も、まったくほうかむりして、否決しているわけですから。否決しておきながら、それでいて広報には自民・公明党とも、「子育て・教育支援」「医療・福祉・介護の充実」などとしいった、バラ色の抽象的な文句が並べられてるわけです。これじゃあ詐欺ですね。誤魔化しですね。おまけにですよ、萩生田とかいう自民党議員ですが、地元では文部科学大臣を経験したこと、自民党の政調会長の大役をはたしてると、とくとくと「大物」「実力者」を自慢してるんですよ。ところがその地元では、こうした現実状況です。どうしてか。そこに軍事費の財源づくりのためには、国民生活の弱いところから削る、これが基本姿勢なんです。それが地元八王子市の政治に具体的にあらわれてるんですね。絶対に口では言わないけれど、その名誉心の虚像のばらまきの下で、やっていることはこうした現実です。萩生田氏と統一協会との関係は、依然としてつづいています。彼の周りでは、勝共連合の「共産党にだまされるな」とのビラが配られ、統一協会は隣の多摩市には6300平米の土地・建物を購入していることがあきらかになってます。ようするに、公報の美辞麗句からだけではわからない、こうした現実の姿と対比してみると、市政の直面している問題が、見えてくるということです。こんなごまかしに乗せられてはならない、現実の問題がどこにあるのか。かくされている、真の争点をあきらかにすること。この1週間で、それを市民の中にどれだけ伝えれるか、それが問われています。どこに「市民の暮らしと命」を守る道があるのか、どうしたらそれがひらけるか。そのことを明確させるために、努力を尽くすということです。まだまだ、投票日までには、5日間ありますから、少しであってもこの現実を明らかにするということです。あきらめて、棄権しかねない人たちに対して、棄権することは、この横暴と勝手を黙認することになるよと、知らないでいると自分の首を絞めることになるよ、ということを明らかにすることです。
2023年04月17日
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一週間の選挙戦のスタート私は選挙というのは嫌なもので、いつも逃げ出していたんです。というのは、国政選挙の候補者の地元ドライバーをしたことがあるんです。24時間、寸暇を惜しんで、候補者の思いとそれぞれの地域の有権者とをつなぐ。候補者は使命感があるから、大変な活動ですが、それほど苦には比較的ならないと思うんです。ところが、それをとりまくスタッフは家族の生活もありながらの、大変なことなんです。「選挙というのは「私」をおさえての大変なこと」でした。私などは、40年も前のことですが、以来ずーっと、そうしたトラウマの中にあったんですね。ところが、今回、どうしたわけでしょうか、そうした長年引きずってきたモヤモヤした状態を、最近ようやく脱皮しました。一種の悟りなんですが。「選挙というのは、市民と国民が、みずからの自由をとりもどすための、貴重な歴史的な機会だ」と。本来の、基本的な認識を、感覚的にも感じるようになってきたんです。普通の、当り前な形で、選挙というものに臨めるようになったんです。今回の一斉地方選挙、八王子市議会選挙も、正面から直視できるようになったんです。本日から、全国の各地で、いっせい地方選挙の後半戦がスタートしました。日本の民主主義の、一番市民に近いところでの選挙のスタートですね。私なども、自分の住む地域の市議会議員候補者の第一声のおこなわれる場に、私など何の力も無いんですが、このはげしい、たたかいの先頭に立っている候補者ですから、それを少しでも応援すべく、いそいそと出かけてきました。当地は、東京・八王子市で八王子市議会議員選挙です。50万都市で、定数40議席ですが。前回の市議選では自民党16議席、公明党10議席の、国と同じように自民・公明が議会の多数を占めてる八王子市なんです。しかも、当地は、自民党の幹部の萩生田こういち氏、元文部科学大臣・自民党政調会長の地元なんです。当地の日本共産党は、その前回の前には、市議会に5議席があったんですが。前回の市議選で、1名を落として4議席となりました。その後、その4人の議員の一人のアオヤギさんを、東京都議会議員に送り出ましたから、今現在は共産党の八王子市議会議員は、3議席なんです。この間に都議会議員の議席の継承を果たしましたが、あらためて5名の市議議員を持つことが目標でして、それは議員提案権を持つための要件でもあるんです。今回はそうした力の復活に挑戦する選挙なんです。まあ、全国各地の、その場所場所によって、その歴史的な到達点は違うと思いますが、これが現在の八王子市の、歴史的な現在の課題なんです。第一声を終えて、帰宅する途中の公営掲示板の様子です。午後1時半ころでしたでしょうか。まだ、告示日の立候補届を受け付けてる最中ですから、定数の40名を超えて、何人の候補者による選挙となるかは、今時点ではまだわからないんですが。私などは思うんですが、そうした誰が出ようと、競争率がどうなろうと、選挙の風向きがどうなのか、などといったことは、確かに選挙にとっては大事なことかもしれませんが、私などには問題じゃないんです。一番の根本は、国の政治が43兆円もの軍事費を拡大して、そのために国民・市民にその負担させようとしている。いくらきれいごとを並べても、軍拡するには、暮らしや福祉、教育などの予算を削らなければならないじゃないですか。それを誤魔かそうとする大勢の中にあって、しっかりした市民のための護民官を地域から市議会に送りだせるかどうか、この一点なんです。選挙になると、もっともらしい、バラ色のことがらを、どの候補者も並べ立てますが。それは当然のことなんですが。問題は、その建て前と、実際の姿との関係です。そこを見抜ける力だけを、国民・市民がもてるかどうかということです。そうした実際関係を明らかにすることが出来るかどうか、そのための知恵と努力がもとめられてるところの、この一週間なわけです。その具体的な象徴が、萩生田こういち氏の評価なんです。当人たちは、自民党の幹部であり、八王子市の名士であり、実力者であるとアピールしてるんですが。私などが見ると、今問題の統一協会問題でのとのけじめ一つとっても、国会での殊勝な態度とは裏腹に、地元ではいっさい統一協会について語りません。他方、統一協会は、6300平米の施設を隣接する多摩市で購入したことがあきらかになりました。今回の選挙でも、周辺の八王子、多摩市、稲城市では、勝共連合の「共産党にだまされるな」式のチラシが、あちこちでまかれている次第ですから。もちつもたれつの関係が、ズブズブ関係が、現在も続いてるんですね。それが違うというなら、「なんとか言ってみろ!」と言ってやりたいんですが。しかしこの問題は、そうした大本には、43兆円の軍事費をねん出して戦争をできる国にする、基本路線にあるじゃないですか。その費用を捻出するために、国民・市民の暮らし、福祉や教育を押しつぶそうとしている政治の現実が、国民の支持をごまかして、だまし取ろうとするしかけがはかられてるじゃないですか。一例あげれば、「子育て・教育を重視する」なんて言ってますが。八王子は内陸地で、冬寒く夏厚い、寒暖の激しい土地柄なんですが、東京23区では小中学校の体育館に空調設備をすることは、ほぼ100%の目途が実現してるんですが、この八王子市では、この元自民党の文部科学大臣の地元では、1割しか設置れてないんです。しかもその1割も機器も、「防災上の設備であって、教育のためのものではないから」と、実際には使えてないいんです。与党の議員からは「体育で汗をかくのが当たり前なんだ」とか、(設置の要求に対して)『無謀だ』なんていう議員が出てきたりで。くりかえし、市民と子どもたちから声もあり、空調設備の設置もとめる請願もだされるんですが、その請願を否決してるのが、自民党・公明党などの議員たちなんです。それでいて、選挙になると、自民・公明は「教育の充実する」とか「実現してきた」、なんでのたまわってるんですから。この建て前としての綺麗な言葉と、実際にやってきたこととのギャップですね。ここが問題です。市民にとって「市議会や市政は遠い」「分かりにくい」といった気持ちも、わからないわけじゃないんですが。議会が遠いというのは、距離の問題じゃないんです。その議会や市政のポリシーが市民の方を向いてないからなんですね。魂が日々別な方向にあって、実際のところ市民は相手にされてないんです。この関係をしっかりとつかんで、そうであればこそ、たしかな市民の代表を市議会に送り出すこと、市民が市議会に自分たちの代表をおくりだす、私たち自身のための政治をつくるために。そのための第一歩とする機会こそがこの市議会議員選挙なんですね。ルソーが言ってるじゃないですか。「イギリスの人民は自由だと思っているが、それは大間違いだ。彼らが自由なのは、議員を選挙する間だけのことで、議員が選ばれるやいなや、イギリス人たちはドレイとなり、無に帰してしまう。その短い期間に、彼らが自由をどう使っているかを見れば、自由を失うのも当然である」(『社会契約論』第三篇第15章 岩波文庫 P133)と。私などは反省するんです。自分がこの大事から逃げ出していては一種の権利放棄なんですね、ないしまわりに無関心者を残していて、そのために勝手な議員のふるまいを許していたとしたら、それもやはり、税金はとられながらも自らの権利を放棄していることなんですね。さぁ、これからの一週間、政治を自らのものにとりもどすために、近代の民主主義革命のために苦労をしてきた先人たちの努力の上に、今の私たちの活動条件はあるんですから、今を生きる私たちの生き様がここでこそ問われている、そうした時なんですね。まぁ、そんなことを、南大沢駅での望月しょうへい候補の第一声を聞きに行って、あらためて確認したことがらでした。全国各地の、それぞれの場所には、それぞれの状況や関係があると思いますが、しかし、本質的には同じです。同じ一つの事柄が、それぞれの場所で問われているんだと思っています。すべての努力は、この全体の事業の一部分であり、それぞれの人の、かけがえのないオンリーワンの生き様を検証する、この一週間です。
2023年04月16日
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明日を規定する大事な日々4月15日(土)、雨の降る中でしたが、永山団地での朝市を終了しました。今回小田原から搬送してきたものは、甘夏、清見、湘南ゴールド、レモン、竹の子、フキなどでした。この4月に入って二週間がたちますが、この間にはいろいろなことがありました。主なこと三つをあげるとすると。一つは、小田原のみかん園を中心にしたことですが。「石垣山みかん園の再生プロジェクト」(交流会)が旗揚げをしたこと。これは、農家の人たちが、手が及ばなくなってきている中で、このみかん畑を維持して、みかんをはじめとする農産物の販売に協力しようという趣旨なんですが。みかん畑に援農に来ている人たちと、みかん農家・園主の方たちと、その産物を都会で味わってくれている消費者との、三者による交流会のはじまりです。相互の理解と交流をしていこうというもので、毎月一回、一時間の交流会をもつということで、4月6日の第二回目の交流会には、7名の人たち参加しました。したがって、この団地の朝市というのも、その一環なんですね。二つ目は、私の住んでる東京・八王子市の鹿島地域でのこと。この鹿島地域に住むようになってから36年の歳月がたつんですが、私などは寝に帰って来る様な生活スタイルだったんで、パリかロンドンに住んでるようなもので、「隣は何をする人ぞ」近所のことはほとんど知らなかったんですね。ところが、昨今の世相は、黙っていれば戦争への道に巻き込まれる危険性をもってるじゃないですか。いっせい地方選挙の最中にありますが、この危険に対して「平和な」国民の多くは鈍感ですよね。これまでは、まわりの人たちの後ろで応援していれば、まぁそれでも良かったんですが。そうした根性を切り替えました。この団地では、今は私一人なんですが、たとえ一人であっても、おすべき発言と行動を探っていくということです。明日はいっせい地方選挙の後半戦、八王子市でも市議会選挙がありますから、昨日は、はじめてでしたが、ふるえる手でマイクを持って、ハンドマイクで訴えました。ほとんど知り合いが無いわけですから、怖いもの知らずです。この地の護民官の役割をしている望月しょうへい市議(29歳)ですが、これは市政につなぐみんなの議席ですから、4月23日投票の市議会選では必ずまもろうとの主旨でしたが。ようするに、寝に帰って来るだけの鹿島じゃなくて、住んでいるここを日本の政治革新の砦となるネットワークをつくろうという事業です。そんなこと言っても、まだ見たこともないニューヨークの地に住みはじめたようなもので、水と油の関係の現実なんですが。それでも、とにかく私などにできうることを始めだしたということです。三つ目は、ヘーゲルの『歴史哲学講義』の「序論」を学習してるんですが。今回学習した箇所でヘーゲルは面白いことを言ってます。岩波文庫のP23なんですが。「歴史においてはあたえられた存在に思考が従属し、思考はあたえられた存在を基礎とし、それからみちびかれるのに対して、哲学本来の思考とは、あたえられた存在にとらわれることなく、自発的に思索をうみだしていくものだとされるから」「歴史の課題は、現在と過去の事件や行為をありのままにとらえることであって、あたえられた事実に執着すればするほど真理に近づくことになるはず」とされるのに対して、「哲学が自前の思考をたずさえて歴史におもむくと、歴史を一つの材料としてあつかい、それをそのままにしておかないで、思考によって整序し、いわば歴史を先天的に構成することになる」といった主張を展開しています。以前読んだときはいったい何を言っているのかわからなくて、唯物論と観念論の違いを言ってるのかと解釈してたんですが。しかし、違いました。人間は置かれている現実を知ろうと努めるけれど、現実にはたらきかけようとするときは、すべてのことは材料となる。ようするに主体的な自由の契機を言っているわけです。現実に対しては、敬虔で誠実な態度をとるべきだ、そうしてこそ歴史的な発展への人としてのかかわりに方になる。こんなことをヘーゲルは洞察というか、自己点検をしていたんですね。これって、「みかん畑再生プロジェクト」においても、「八王子の鹿島地域での生き方」においても、大事になる基本な姿勢じゃないかと思っている次第です。さて、当地では、明日から八王子市議会議員選挙がはじまります。生きた歴史の勉強のはじまりです、いったい何をそこからつかみとることが出来るでしょうか。
2023年04月15日
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ハンドマイクのデビュー4月14日(金)、広い八王子市のはずれでのことですが。そこは閑静な住宅街なんですが、その静かさの中に、本日初めてハンドマイクがデビューしました。私などはパソコンを使いこなせないために、いろいろ悪戦苦闘したんですが、結局こんな小っちゃな画像になっちゃたんですが。しかし、志は,意図することは明確なんです。「一、いっせい地方選挙の前半戦では、共産党は22県会議員を後退させてしまったんですが。しかし、5年間で43兆円も軍事費につぎ込もうとする国の政治のなかで。そのつけを地方や国民に負担させようとする政治の中で、この、明後日告示で、後半戦の市議会議員選挙は行われるわけですが。日本共産党の役割は、いつにもなくかけがえのない存在になってます。二、八王子市は総議員40議席に対して、60人くらいの立候補が予想され、その誰もが「少子化対策だ」「教育の充実だ」「暮らしを守るんだ」とか、もっともらしいことを言ってますが。その建て前と実際を見極めるのが、大事だと思うんです。最優先で43兆円もの軍事費に注ぎ込もうとする議員たちは、市民と地方の予算を削ることを探っているわけで。八王子市では、文科大臣を自負している人の下でですよ。八王子は夏は暑く、冬は寒いなかでのこと。小中学校の体育館への温調設備ですが、1割しか設置されてないというんです。23区ではほぼ100%の設置を現実のものとしようとしているのに。しかも、設置されている1割でも、「防災対策のための設備だから、教育目的には使わせない」として、子どもたちには使ってないというんです。さらに国保税ですが、この6年連続上げられようとしており、八王子市は三多摩地域で最も市民の負担率が高くなるというんです。大風呂敷をひろげてるけど、現実はこれです。今の政治は、市民、国民から耳かきのように、なんとか税金をとりあげて、それを軍事費につぎ込もうとしている。その姿が八王子市に住む私たちの周りに具体的に示されてるのが、この現実じゃないですか。三、八王子市は市議会議員総数40議席に対して、自民14、公明10議席の過半数を占めてますから。与党がその気になれば、これまでにいくらでも対策は可能だったんです。ところが、クーラーの設置についても、国保税の値上げをやめよとの市民の請願についても、これまで否決してきたのは、自民・公明の面々だったんです。それは手前勝手な中傷じゃなくて、議会の議事録を見れば明らかなんです。自民と公明、それにおもねる議員たちによって、ことごとく否決されてるのが現実なんですね。それでいて、選挙が近づくと「少子化対策だ」「教育対策だ」「市民の暮らしの充実だ」なんて言ってるんですから、あきれます。四、そうした状況の中にあって、共産党の望月しょうへい議員ですが、29歳の若さにして二期目を目指しているわけです。彼がいるから、八王子市政の様子や問題がが私たちに見えてくるわけですし、私たちの要求が市政にどのように扱われているかが、分かってくるんです。かけがえのない議席じゃないですか。しかし市議会議員選挙というのは、地縁血縁などのはげしく競い合う選挙です。この中で、市民の私たちの要求をまもって、まっとうに貫いているのが望月議員ですから、この議席を、みんなの議席を絶対にまもりぬきましょう。」といったことを、私などもふるえる手で、マイクをもって話したんです。私などがマイクを持つのは、街頭の人前で話すのは、なんたって初めてのことでしたから。しかし、今は、言うべきことを言わないと、日本はどこに飛んでっちゃうかわからない。最初は、あまり人気のない公園の片隅で、マイクの第一声をしてもらったんですが。その人の話を聞いてると、自分もムカムカしてくるんですね。だいたい当地は、八王子の片隅でして、普段はなんの政治の風もない静かなところです。八王子市政や、国の政治というのは、自然にはあまり感じられないんですね。そこが問題なんですが。その中で、2日後に八王子市議会選挙の告示をむかえることになるわけですから、このまま黙っていれば、投票に行かない人が多くいたとしても、不思議じゃないんですね。ましてや、せっかくみんなのお金でハンドマイクを購入したわけですから、せめて告示の前に一回くらいは言いたいことを喋らないと、一体、なんのための投資したのかわからなくなるじゃないですか。だから、今日の最優先事項は、ハンドマイクでした。何をおいても、これをデビューさせることだったんです。ということで、住宅の静かな中に、大きな音で迷惑だったかもしれないんですが、しかし、思っていたことの、ごく一端を言わせてもらいました。何もしなかった場合よりは、ただワンツーマンの話だけでは、つながりだけでは限界があるじゃないですか。マイクをつかって、ふだん接点などほとんどない不特定多数の人たちに対して、思いとなりを話しかけれること。それは、これまでにはしたことが無かったなかったことなんですが。このことは、この地域にとっては、一つの画期的なことになったと思ってるんです。不慣れな、お粗末な話だったんですが、それでも何もなかったよりかは、少しはましだったんじゃないかと、自分自身を慰めてる次第です。問題はですよ、戦争へすすむことになる今の日本の現状事態ですから、それを変えるまで、そのために必要なことを、自分に出来うることを、私なりに探るということです。これは、そのための、ほんの第一歩だということです。これからです、大事な問題がはじまりだしたということです。
2023年04月14日
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勝共連合のチラシこれはちょっと前のことですが、4月11日でしたが。私はみかん(清見)を収穫で真鶴に行こうとした時に、住んでる八王子市と、みかんの販売先の一つの多摩市で、「勝共連合のビラがまかれている」とのニュースが入りました。私などは70キロを移動しようする、その最中だったんですが。本日、4月13日にもどって、その勝共連合のチラシの現物を確認しました。これがそれです。このチラシを、みなさんどの様にご覧になりますか。たちいった御託はひかえますが。八王子市は、萩生田光一議員の地元です。同氏はそれまでは地元で勝共連合とベタベタな関係にあったんですが、昨今の、社会問題になったことにより、関係にけじめをつけると国政では態度表明をしたんですが。しかし地元での関係はちがいます。なんたって、自分たちの多数派をもっている八王子市議会でら。総数40議席に対して、自民14議席と公明10議席の現状ですから、国と八王子とでは態度が違います。私は先日、3月30日に共産党市議団のニュースを紹介したんですが。反省の姿勢はまったく見られず、八王子市議会での統一協会問題 | みかんの木を育てる-四季の変化 - 楽天ブログ (rakuten.co.jp)ところが、もっとひどいんです。私は、このチラシが一週間くらい前に八王子でまかれていることを知ったんですが。お隣の多摩市の知人に、そのことを紹介してら、もっとすごいんです。多摩市では、統一協会・勝共連合が、この間に広大な大学や高校のすぐ隣に、ひろい土地を買い占めているんだと、多摩市議会で問題にしようとしているとのことでした。さらに昨日、みかん販売で多摩市の知り合いに電話したところ、「勝共連合のちらしは、自分の住まいの周りにもまかれているんだ」とのこと。統一協会=勝共連合の問題は、過去形どころじゃないんですね。いっせい地方選挙の後半戦、23日の投票日をめざして、反省するどころか、スクラムを組んで活発に動き回ってるということです。やはり、国政で問われても、自民・公明がモゴモゴとして口を濁わせててたのは、これですね。反省なんかしてないんです。「襟を正して非道を正す、被害者救済」なんて口先と、行動とは違ってる。ようするに世間の追及の風向きを伺っているだけのことで、依然として、実際にはその鎖縁はつづいてる、それが目前に展開されてるわけです。多摩市での土地の買い占めは、その活動の拠点づくりです。かつて団地の一室を使っての行動してたのと、今は違ってるんですね。現にその拠点の周辺では、共産党攻撃の勝共連合チラシがまかれているんです。よほど、ストレートに事柄を正す日本共産党の存在が、憎たらしいんでしょうね。チラシがそのことを示しています。なんたって、問題の基本を真正面から追及をしつづけている政党ですからね。関係は、明白です。私など、思うんですが。宗教というのは、その多くの宗派や、信者の人たちは節度ある良心的な人てすよ。悩めるひとたちを救済しようとする、崇高な心掛けだとおもうんです。私などは、みかんの販売をとおして、お互いにそんな人たちと尊重しあう関係にあるんですが。しかし、そこには、一部にはそうした思いとは別な、怖い反面があるんです。「あばたもえくぼ」じゃないけど、信じるということは、信じている教祖のいってることはすべて絶対に正しいなどという、信頼を取り違えてしまう、といった怖い面があるんですね。真面目に宗教者にとっては、とんでもないことがらですが。だいたい、「平和の党」などと長年言ってきたせて団体ですが、幹部が自民との共同を追求しだしたことで、今では、軍事費の大増強にも、それによる暮らしの破壊されてる自体にも、憲法を変えるということにも、まったく妄信しちゃって、「それをよし」として信頼しちゃう。長年、これまでの基本的なあり方にたいして、大きな修正していることに、ほとんど疑問を感じることななくつ、「平和の大軍拡」をまるごと信頼しちゃってるんですから。信仰と政治とは別々の領域なんですが、信仰心=政治の一体になって、すべてが「正しい」とおもっちゃてるんですね。これって、これは当人たちの問題だけじゃないんです。ことは、国の動向ですから、政権にお墨付けを与えてるわけですから、これは1億余人の日本国民全体の運命にかかわってるわけです。ここに日本の民主主義の基本が問われているわけでして、国民にとって民主主義がどれだけ本物であるか、国民自身の見識が根本的にテストされているということですよね。そうしたことが、政治の焦点として出てきていわけですが、統一協会の反社会性にたいして、どこがどの様に問題なのか、きっぱりと襟を正せるか。もう一つの問題点ですが、この勝共連合のチラシの内容ですが、日本政府の曖昧さ、公安調査庁の態度と、自民党の一部の連中の態度と重なってますね。これらは政治の裏側で持ちつ持たれつの関係が、今も続いていることを証明している中身です。公の場では建前論をつかい、裏の実体ではこうした論調を振りまいているわけです。ここに戦後政治の闇の力が働いています。ここが問題だということです。くりかえしますが、それは、民主主義の基本が問われていることとして、政治家一人ひとりの見識が問われている問題であるとともに、より根本的にはそんな連中を送り出している国民自身が問われている問題です。これからいっせい地方選挙の後半戦ですが、この問題は、日本の各地で、全国のすみずみで問われている基本問題の一つだということです。
2023年04月13日
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ヘーゲル『歴史哲学講義』序論の学習(その2)統一地方選挙の前半が終わりました。本日は4月10日(月)、投票日の翌日ですから、まだ全体の結果は分からないんですが。ヘーゲルの『歴史哲学講義』序論の学習、今回は、A.歴史のとらえ方 c.哲学的な歴史です。一、ヘーゲルは1821年に『法の哲学』を刊行していますが、その最終部分は「世界史」です。『法の哲学』の講義と並行して、1821年からコレラで亡くなる1831年まで、その「世界史」部分を独自に『歴史哲学』として5回にわてって講義していたんだそうです。私などの手元には『歴史哲学講義』(岩波文庫 1994年刊)と、初回の講義をまとめたものだそうですが『世界史の哲学講義』(講談社学術文庫 2018年刊)の2種類があります。同じテーマでも、ヘーゲルの講義は同じではないんです。その都度、研究を重ねてますから、新しく強調している面が出されてくるんですね。二、私は、以前にこの部分を学習発信したことがあるんです。2020年9月21日でしたが。哲学学習11 『歴史哲学講義』序論 ヘーゲルの哲学的な歴史とは | みかんの木を育てる-四季の変化 - 楽天ブログ (rakuten.co.jp)ヘーゲルは、歴史のとらえ方として、この「c.哲学的な歴史」との点に、かなりの検討をして、独特の考え方を提起しています。前回は、岩波文庫『歴史哲学講義』(長谷川宏訳)で学んでたんですが、これはヘーゲルの死後に、その弟子たちが講義録をもちよって、1837年にまとめて刊行したものだそうです。三、私なりに二つの強調点に注目しました。その一つは、歴史と哲学的な歴史とは違っていて、矛盾するように見える、との点です。「歴史はにおいては、あたえられた存在に思考が従属し、思考は与えられた存在を基礎とし、それからみちびかれるのに対して、哲学本来の思考とは、あたえられた存在にとらわれることなく、自発的に思索をうみだしていくものだとされるから」「歴史の課題は、現在と過去の事件や行為をありのままにとらえるところにあって、あたえられた事実に執着すればするほど真理につかずくことになるはず」とされるのに対して、「哲学が自前の思考をたずさえて歴史におもむくと、歴史を一つの材料としてあつかい、それをそのままにしておかないで、思考によって整序し、いわば歴史を先天的に構成するとになる」(P23)前回私はこれを「唯物論対観念論の問題」としてとらえていたんですが、どっちが正しいのかと。しかし今回読み直してみて、どうもそうじゃなくて、「対象をどのように正確につかむのかということと、それをどの様に表現していくのか」、との点に問題があるようですね。どっちが正しいかじゃなくて、認識をまとめようとすると、対象の正確なキャッチとそれを表現しようとする認識には、こうした矛盾する面があるんだ、ということを指摘したものとして受け取るようになりました。四、もう一つは、「哲学的な歴史の思想は、理性が世界を支配する」との考え方を強調してるでしょう。この点に関連して二つの点をヘーゲルは強調しているんですが。前回は、そもそもこの入口の点について「なんじゃ、こりゃぁ」と、分かりかねてたんです。ヘーゲルなりの独特の思想・考え方のように理解して、ヘーゲルも言っているように「世界史」全体をとおしての結論的であり、ヘーゲルの確信なんだろうな、とのように推測をもって「解釈」してたんです。ところが、今回、この4カ月間、第四部の「ゲルマン世界」を学習してきたでしょう。すると、この具体性をもって見直すと、見方が変わってきたんですよ。たしかにヘーゲルが洞察したという点では、ヘーゲルに属する思想ですが。しかしその中身は、客観的な世界の中に妥当性をもっている、つまりヘーゲルという人が確かに洞察したんだけど、事柄の性格は客観的な事柄にぞくするものなんだと。客観的な事柄を指摘してるんだとみえてきたんです。五、そこで、「理性が世界史を支配している」ということを理解するために、ヘーゲルは、二つ点を言ってると思うんです。その第一は、アナクサゴラスの「ヌース」と、それに対するソクラテスの不満(批判)の問題です。1つは、原理・原則とそれを適用させることが出来ていないとの批判です。アナクサゴラスは一般論に止まって、具体的な事柄に適用させることが出来なかったと。この問題って、きわめて今日的なことがらどおもいませんか。公式主義とか、図式主義、機械論などとして問題になる事柄ですね。「石頭だとか」「テープレコーダーだ」とかの批判とも関係してきくる問題だとおもいます。ようするに弁証法ですね。もう1つは、アリストテレスの「アナクサゴラスは一人しらふでいる人のようだった」との紹介をですが。これは、今日当り前だと思っていることも、「そんなことは、子どもでもわかること」「そんなことは常識だ」などとすることにも、歴史の大きな歩みがあったんだとの指摘です。これも認識の歴史的な発展、弁証法に関係してますね。ヘーゲルの歴史に対する、哲学史にたいする学識というのは、すごいですね。第二は、「摂理が世界を支配している」との思想が、神と結びついた場合の問題。宗教の中から科学が出てくる。真理を探る点において両者は或る線までは似てる面があるじゃないですか。ところが、ガリレオ裁判にもみられるとおり、違いが出てくる。ヘーゲルは両者の違いにいたる過程についても指摘しています。それは根底に真理に対する認識の可能性に対する両者の違いの問題があったことですね。もちろん、歴史的に良識がはたらいて、節度がつくられたんですが。でも、統一協会問題に見られるように、節度を自覚するには至ってないんですね。科学や権利というのは、自動的には進まないんですね。とにかく、これは、第四部「ゲルマン的世界」の「近代」のところで詳しく展開されてますが。人間は神の様な崇高な絶対的な真理を認識することが出来か。ヘーゲルは接近していけるし、理解することをひとの義務として強調しています。そうした、世界史をこれから学んでゆくわけですが、ヘーゲルは「序論」において、この「c.哲学的な歴史」において、それを示唆しているわけです。全体を学んでゆく中で、こうした真理と確信がみえてくるんだよ、と。確かに、結論だけ聞くと神の宣託のようにきこえるし、その解釈するのに苦慮するじゃないですか。しかし、ヘーゲルが強調しているのは、今はそれをアドバイスとして、聞いておくようにして、さらに先へすすめ、ということなんですね。 以上、「c.哲学的な歴史」でした。
2023年04月10日
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鈴木實著『新渡戸稲造』(平成3年刊)鈴木實著『新渡戸稲造 生涯とその教え』(平成3年刊行)を紹介します。この本は、自費出版された本のようですから、関係者以外には入手するのは難しいと思います。当方は、たまたま近くの古書店によった時に、偶然でしたが手にした本なんです。当方は、この2月17日に、新渡戸稲造著『武士道』(1938年 岩波文庫)を紹介したんですが。新渡戸稲造『武士道』(1899(明治32)年)の内容と意義ですが | みかんの木を育てる-四季の変化 - 楽天ブログ (rakuten.co.jp)そのきっかけになったのが、鈴木實著『新渡戸稲造』、この本なんです。どのような点に注目したか、ですが。この鈴木實氏の本は、なかなか丁寧に新渡戸稲造を紹介してくれてるんです。私も新渡戸稲造著『武士道』(岩波文庫)をもっていたくらいですから、それなりに新渡戸稲造という人の名前くらいし知ってたんですが。ただし、その名前を知っていたくらいで、古い岩波文庫のですから、読みにくくて、なんとか一読したくらいだったんです。まして、その人となり、その業績となりの認識についての理解については、はなはだいいかげんなものだったんです。この鈴木實氏の新渡戸紹介を読むなかで、認識を新たにしたんです。どんな点に、私などは新たな認識を開かされたか。第一は、1950年生れの私などにとっては、他の人は知りませんが私などには、1945年の第二次世界大戦(大東亜戦争)の敗戦、1945年8月15日を境にして、その前と後とでは、まったく価値観が明と暗、白と黒といったように、絶対的に二分されているような感じ(あくまで感じですが)がしていたんです。ところがですよ。新渡戸稲造という人は、国連の前身の「国際連盟」の事務局次長を務めていて、国際社会に一目を置かれ、評価されていた存在だったんですね。「国際連盟」と言えば、満州事変・盧溝橋事件などで、リットン調査団による日本の所業告発で、「国際連盟からの脱退した」くらいしか、私の印象・記憶にはなかったんです。ところが、詳しい歴史事情は、私などは今の時点ではよくわかりませんが、新渡戸稲造は、国際的な人道の立場にたって言動していて、日本の国際的な信頼を集めていたようなんです。当然、軍国主義に走る日本の国内体制の大勢とは、その立場が違うじゃないですか。日本が一色になってアジア侵略につきすすむ、「満蒙は日本の生命線」だなんて道とは、新渡戸稲造の立場は、まったくといっていいくらいに違うじゃないですか。ようするに、今日的な響きを感じるんです。そうした人が、暗黒と感じさせられていた戦前の日本社会ですが、そんな戦前の社会の中において、そうした人が、今に通じる人が、存在したということなんです。反戦平和・主権在民を主張して、弾圧された共産党だけじゃないんですね。日本の戦前の民主主義的な流れというのは。これって、大事な史実だと思いませんか。軍国日本へと大勢が怪しくなっていった中でも、こんな人がいて、大変な軋轢の中にありながらも、公的な場面で活動をしていたなんて。やはりこれも、戦後民主日本への礎の一つじゃないでしょうか。素晴らしいことだと思いませんか。第二に、しかもこんな「良識的な人が存在した」というだけじゃないんです。新渡戸のような人が、日本国を代表して、国際連盟の事務局次長の仕事をしていた。ということは、新渡戸稲造をそうした任務に抜擢した政治家が戦前の中にもいたということです。新渡戸自身の気骨や良識もたいしたものですが、それを推薦した人がいた。そして、その人選案を良しとし、その人選で行こうと決めた面々がいたということです。私などには詳細は分かりませんが、とにかく、暗黒一色じゃなくて、そうした良識が戦前の日本社会に存在したということです。私などの認識が狭いんで、この事実以上の関係は分からないんですが。とにかく、こんなことは、こんな紹介は、これまで全く耳にしてこなかったんですね。私個人の不毛さかもしれませんが、1950年に神奈川県のはずれの真鶴町岩に生れで、戦後70年を生きて来たんですが。72歳の今にして、気づき、ひらめくところの蛍光灯なんですが。しかし、知らずにいるよりかはましでして。ただ、なんで、もっと早く知れなかってのか、一般には、ほとんど紹介されてないんで、もったいないですね。この著者の鈴木實氏。昭和10年に中学校卒業とのことですから、おそらく今は亡くなられてるでしょうが。私などは、この鈴木實氏の著書を知るまでは、新渡戸稲造の努力と苦悩なんてことは、知らなかったんです。曖昧な世界だったんです。今回、この本を開いて、初めて耳新しく、認識ギャップをもって聞いたということなんです。あまりにも、私などのこれまでの日本の近代史ですが、太平天国な認識状況だった。そのギャップがおおきかったもので、先人の苦労にうとかったわけで。当然ながら、今あらためて、読み返したところです。私などは、もう一度、しっかり日本の近代史ですが、全体的に真剣に学び直さなければならないと、今頃になってですが、あらためて思っている次第です。第三に、しかし、これは私個人だけの問題じゃないと思うんですよ。昨今の、戦後の日本政治をみていると、かつては「曲学阿世の徒」とかいって、政治が科学を(国民世論を)、蹴飛ばし、否定している政治があるじゃないですか。今もって、その延長線上を、私たちは体験してるところじゃないですか。いちがいに、「戦前は治安維持法の民主主義否定の暗黒体制、戦後は民主主義憲法の下」でといった一般論ではかたづかない。大局はそうであったとしても、はたして今の政治は、というよりも最近の政治は、戦前の政治家がもっていたポリシー以下の事態があるということです。日本国憲法を屁理屈的に捻じ曲げる政治が、立憲主義の否定が横行してるじゃないですか。それが半世紀以上も続いて、近頃ではますますひどくなってるじゃないですか。これは「赤信号、みんなで渡れば怖くない」、「赤は青なんだ」と。「日本を取り巻く緊張により、軍備の大増強はさけられない」とした論調に「そうだ、そうだ」とする多数の政治家の横行。というよりも、そうした道に磁石のように吸いよせられる人しか政治家になれない、ないし政党幹部にはなれない。「このゆびとまれ」で人集めされてるんですから。こうした状態を変えないと、まともな国民の政治は開かれませんね。さらに、野党の姿勢も問題です。そうした政治に付和雷同していく野党であっては、野党としての資格がないじゃないですか。利益に群がる政治、政権の御利益のおすそわけと応援団の本質です。それをいかにごまかすのかですから。さらにマスコミですが。その政権の広報係のようになっていて、会食を共にして仲良し関係になっている。そうしないと情報を流さない。そんなしかけがあるんじゃないですか。これじゃぁマスコミの批判的精神はどこえいったのか。そんなメディアのなかでも、体制からの圧力との葛藤が広がっているということです。それが、ずーっと色濃くなる形で続いてるじゃないですか。芸能人だってそうですよ。芸能人が看板になるようにスカウトされてる。国民に名をしられた芸能人までも抱え込んで、広告塔にしようとしている。多少となり自主的な、それにおもねない人たちは、テレビ局などの仕事から外されちゃう。干されちゃうということです。ようするに、昨今の世相を見ていると、戦前も戦後も共通してますね。国民犠牲の戦争への道です。しかし、今回みてみると、「暗黒」と印象付けられる戦前社会の中にあっても、その中にあっても、その大勢のあり方に問題意識をもち、真に民主的な社会をつくるために粉骨砕身の努力をしてきた気骨ある人たちが、注意して見ると、いるじゃないですか。それに対して、今日はどうか。批判的精神の発揮はどうか、気骨の発揮はどうか。具体的な関係を見て、明暗・強弱を点検してみる必要があります。2015年、「戦争法反対」で国会前に12万人の集まり、全国にその環が、瞬間的ですが、出来たわけです。これは、1918年の大正期のコメ騒動並みですよ。その総体的な力が、今の日本国憲法を守ろうとする基礎として、たしかに現実に地下にはあるわけです。しかし、政治の多数派は戦争への道へすすもうとしてます。ですから、私たちは視野を広げて、日本と世界の近代史を学びかえす必要があると思うんです。あまりにもおかしな軍事礼賛勢力にたいして、国民的な平和・民主の良識をもって、それを打ち破るために、どの様な努力が必要か。今日においては、一連の選挙において国民は意思表示が出来るわけですから、戦争勢力を打ち破ることはきっとも、努力次第ですが出来ると思うんです。時代の流れにたいする逆行に対して、徹底した断固としたきびしい審判をくだすことも可能だと思うんですよ。しかし、そのためには、国民はもっともっと賢くならなければならないということです。それをリードしていける力が、良識が、今日、求められているということです。翻弄させられるのも修業のうちですが、そうそう、いつまでも右往左往してるわけにはいかないじゃないですか。あれっ、なんの話でしたっけ。あっ、そうでした、新渡戸稲造が果たした役割の問題でした。それは、私が紹介した新渡戸像はごく一部分ですが、そこには、もっともっと、はるかに大きな、貴重な宝があるということです。それは、今をつくろうとする人たちを、今の時代を励ます、大きな要素があると思います。私などは、今の日本を立て直す力があるとおもってます。すくなくとも、今に生きている国民的な遺産なんだということは、確認できると思います。
2023年04月08日
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4月8日、団地朝市が終了明日、4月9日(日)は、いっせい地方選挙の前半の投票日です。「今は忙しいので、今回(の注文)はパスにします」とのやりとりもあります。私などは思うんですが、一方で「今の政治を良い方向に変えなければ、これからの暮らしに苦難を強いられることになる」これは、当然ですね。他方で、「人間が生きてくためには、安く新鮮で、美味しい食材を家族やまわりの人に提供しなければならない」、これもまた当然ですね。今の時期というのは、4月23日(日)の投票日までは、みかん農夫も、「政治と暮らし」、この狭間の中で揺れ動いています。さて、今回の団地朝市ですが、みかん農夫は、4月6日に「小田原・石垣山のみかん園再生プロジェクト」の第二回交流会をはたして、昨日、みかんと農産物を車に積んで帰京してきました。今朝の朝市ですが、そこにはうれしいドタバタがありました。世の中の動きが始まりだしている様なんです。これがその露天商スタートをスタートしようとした時の一コマです。フキ、甘夏、湘南ゴールド、竹の子と、運んできたものを並べようとして、露天商の店開きを準備しようと、運び込んでいるさなかだったんですが、「待ってました」とばかりに、3人のお客さんが来てくれたんです。「レモンを予約していたものですが」「フキが欲しいんですが、これはいくらですか?」「(湘南ゴールドを見て)、この黄色いものは、すっぱいんですか? どんな味ですか?」まだお店に運んできた品物を、並べおわる前から、商談が始まりしたんですね。一度にあれこれ聞かれたって、なんたってこちらとして、まだ品物を台に並べる前でしたから。テンヤワンヤの事態となりました、うれしい悲鳴です。これまでは閑散としていて、ボケーっとした時間が多々あったんで、今回も、借りてきたハンドマイクで語り方のテストをしようとしたんですが、今回のスタートは、これまでの朝市のはじまりとは違って、そんなどころじゃなかったんですね。嬉しいことじゃないですか。それでも、今回もハンドマイクでのアナウンス・テストをしたんですよ。すると、ハンドマイクの語り方について、二人の人からアドバイスがありました。一、それじゃあ駄目だ。せめて、言いたいことの柱だけでも、事前に明確に整理しておかないとね。二、アドリブじゃあ無理だね。言いたいことを事前に原稿に整理してまとめておかないと駄目だね。ハンドマイクで他人に話す、私などは報道やまわりで見てきた限り、簡単そうに思っていたんですが、そして、これまでは私自身においては、自然なぶっつけ本番で話していたんですけど。どうやら違っているようです。見聞きしいてたのとは違って、自分でやってみると、思っていたほど簡単ではない。自分が思っている中身を、マイクを通して外の人たちに伝えるためには、そこには独特の世界(技能)があって、そこには独特のトレーニングが必要なんだということ、このことをあらためて再認識させられました。いやいや、今回の主題は、こうしたハンドマイク・テストする話ではなかったんです。本題は、今回の朝市で、湘南ゴールドについては、今季の販売を完了したということ。これからの柑橘は、甘夏と清見に移行して、それらがシーズンの主人公になるということでした。ともかく、今回の朝市も、無事に完了したということでした。
2023年04月08日
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石垣山みかん園の第2回交流会「一夜城」のある小田原・石垣山のみかん園で、4月6日に第2回の交流会が開かれました。石垣山は、山にはみかん畑がひろがり、正面には相模湾の海と、自然のすばらしい景観が広がっています。歴史的な豊臣秀吉の一夜城跡が残されており、小田原の市街地のすぐ近くにみかん畑と相模湾が広がるといった、すばらしい自然が残されています。今回で、2回目となるこの交流会ですが。これには、7名の方が参加してくれたんですが、その課題というのは、この豊かな自然のみかん畑を維持・再生させたいという思いからなんですね。というのは、この写真からおわかりいただけるでしょうか。小田原・早川のみかん園は、その3割の面積が、農家の人たちの手が及ばない事態にあるんです。だれだって、長年丹精込めて守ってきたみかん畑ですから、「耕作放棄」なんてことはしたくありません。しかし、70-80歳の老夫婦が手当てできる範囲は、その高齢化とともに狭まってるんです。その弱まった分をイノシシが横行して、せっかくの農産物を荒らして被害をもたらしているんです。今回、交流会に参加した人というのは、周囲にみかん園の荒廃化がせまるなかで、お互いの力で、なんとかみかん畑を維持・再生させたいとの、ボランティアの人たちなんですね。農業の人たちというのは、自然を相手しているわけですから、とかく人間の横のつながりまでは手が回らないんです。そんなことをしている余裕がないんです。自身が高齢化してくれば、ギリギリに頑張っても、耕作面積は縮小せざるを得ないんです。だけど、そんな農家の事情について、今の政治や社会は、分かっているのかもしれませんが、有効な対策というのはとれていません。今回、集まった7名の交流ですが、みかん園の園主の方もいますが、同時に「この貴重なみかん畑を、なんとか維持・再生させたい」というボランティア精神の人たちなんですね。社会一般的にみられるように、儲けをひたすらめざすといったようなことではないんです。これまでは、個々人がそれぞれ畑作業をして模索して来てたんですが、お互いの状況を理解しあって、このままでは、手の及ばなくなるみかん畑を、なんと維持・再生させたいとの思いによる交流会なんですね。今回、暫定的な事務局を決めました。何をなすべきか、不安だらけですが。それぞれの農作業の中にあって、月に一回、交流会を持とうということを確認しました。さて、私などが、みかん栽培にたずさわって20年余がたつんですが、これまでこの先いったいどうなるのか、いろいろモヤモヤしていたんですが。そのモヤモヤしていたことを、お互いに交流していく場が、今、出来つつあるということです。
2023年04月06日
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八王子の団地での小さな変化政治の多数派が軍事力増強で国民の暮らしを押しつぶそうとしている時ですから、「大砲よりもバターを」、憲法の平和と民主主義をまもる力を、今、強めなければならないじゃないですか。とはいえ、一個人の力で、いったい何が出来るのか。私は八王子の団地に36年間、住んでいるんですが、寝に帰って来るだけの生活でしたから、「隣は何をする人ぞ」で、知人はほとんどないんですね。また、そこは広い八王子の中で、東はずれの位置にありますから、政治の風というのは、あまりないんですね。そうした中で、いっせい地方選挙・後半の八王子市議会議員選挙(4月16日告示、23日投票)が近づいています。地域につながりのない、一個人としての私が、この政治戦で手伝っているのは、せいぜい、ビラ配りと後援会のニュース届けくらいなんですが。それだって、限られた時間に、夜陰に乗じて集合ポストに入れているだけでしたから、やはり、相手の人がどの様な人か、顔も人もまったく知らなかったんですね。この間、30年余の間、ずーっとそうしてきていたんですね。選挙もこれまでは、自分の投票権を行使するだけでしたから、世の中のおかしな風向きにたいして、自己の意志表示する以外は、影響はなかったんですね。これじゃぁ、いくら内心的に間違いなしと思っても、おかしな風への抵抗は限られてたんですね。おまけに、数少ない知人も、自然法則で徐々に高齢化して、動けなくなってきていたんです。これまでのあり方の、どこをどう変えていくか、それが問われていたんです。今回、ささやかですが、後援会のニュース配布に、一つの変化を試みました。これまでは、夜陰に乗じて団地の集合ポストに入れておくだけだったんですが。今回だけは、各ご家庭のドアーをたずねて、「ニュースをお届けしている○○です。○○号棟に住んでいて、私の住所・連絡先をカードにしておきしました。何か問題があれば、望月市議とも連絡を取り合いますから、お知らせください。普段はニュースを下の集合ポストに入れさせてもらうしか出来ないんですが、よろしくお願いします」と。ようするに、この団地に住んで36年、これまではお化けのように、誰がいれてるか顔もわからず、ただニュースが届けられていたわけですが。今回、はじめて「あなたが、くばってくれていたのか」といったことで。これが初顔合わせでして、はじめて受信者と後援会とのチャンネルを開いた、ということなんですね。とにかく、5階までも登っていって、一戸一戸のおたくに、あいさつしたということです。なんでもっと早く気がつかなかったのか、いったい36年間もなにしてたんだ、なんでもっとはやく顔合わせしておかなかったのか、との思いも当然ありますが。とにかく、今回、この時期に、広い団地の一角で、小さな初歩的な変化をつくったということです。
2023年04月02日
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ハンドマイクをテストした朝市春です。世の中(東京)は桜が満開です。私などの日々は、桜を見ているどころじゃないんですが、それでも、道にじゅうたんの様に敷きつめられた桜の花びらを見ると、上の方を見ます。4月1日(土)、今週も永山団地でのみかん市を開きました。新聞の間違い探しじゃないですが、いつもの朝市の光景とは、一つ違っている点があるんですが、分かるでしょうか。朝市は、湘南ゴールドと甘夏だったんですが。みかんを並べた台の右側に、ハンドマイクがあります。この朝市に、ハンドマイクを借りてきたんです。私の住んでいる八王子市の鹿島地域で、ハンドマイクを新たに購入したんです。はたして、ちゃんと音が出るのかどうか、はやいところ確認しなければならないじゃないですか。もう一つは、トレーニングです。ハンドマイクをつかってしゃべるには、ちゃんとしゃべれるようになるためには、或る程度のトレーニングが必要なんですね。なかなか私のように初めて使うものにとっては、難しいものなんですよ。市議会議員のような人たちがしゃべっているのを見ると、いとも簡単に、普通に話していますが。原稿があって、それを読む程度なら、或る程度のしゃべくりは可能かとおもうんですが。私などは思うんです。ルターの宗教改革の精神、デカルトのわれ思うの精神を知ると、すなわち近代の民主主義の精神というものに挑戦しようとする者にとっては、やはり自分の心を、自分の言葉で語らなければ、その本当の魂は他人には通じないじゃないですか。それで、齢72にして、ハンドマイクの初挑戦です。「永山団地の皆さん、ここで、小田原のみかんを販売しています。今回は、湘南ゴールドと甘夏です。一袋300円ですが。今が旬の柑橘です、是非お買い求めください。湘南ゴールドは神奈川県の特産品で、苗木は県外には持ち出せないんです。果実は全国どこでも販売できるんですが。数量的に少なく、まだ広く知られてるわけじゃないんですが、味見も出来ますから、この機会にぜひ味見してみてください。甘夏の方は、これから5月上旬まで、熟したものを提供していきますから、この味も、是非試してみてください」まぁ、大体こんな話でした。人気のない、暇なとき時にですが、たどたどしくしゃべったというわけです。マイクを使うのは、議員の人が話しているのをきいてると簡単そうですが、実際やってみると、心を外の人たちに語るということというのは、簡単ではないことがわかりました。まだまだ、自由に心を語れるようになるには、もっともっとトレーニングを重ねることが必要だということが、理解出来ました。そんな朝市でした。
2023年04月01日
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八王子・鹿島の新たな動きの始まり当方は、神奈川・真鶴に1950年に生まれて、1969年から東京に暮らしはじめて、54年前に東京で生活するようになり、1987年(昭和62年)から八王子市鹿島に住んでます。ようするに、東京都八王子市鹿島に36年間暮らしてきたわけですが、 ところが、今回、2023年3月に、二つ問題が出てきました。一つは、毎日通勤している駅の階段がいったい何段あったのか、それが分からないように。それとして意識ししていないと、けっしてその数はわからないんですが。同じように、私の八王子の住まい環境ですが。いったい隣が誰であって、その人が日々何をしている人なのか、まったく分からなかったんですね。私自身としては、ただただ、眠に帰って来るだけの、そうした鹿島団地での住まいでしたから。それこそ隣り近所の人たちとの関係というのは、「隣は何をする人ぞ」との状態だったんです。もちろん、「おはようございます」、「こんにちわ」程度の時候の挨拶はしてはいたんですが。しかし、「隣は何をする人ぞ」。いまもって、いぜんとして、そうした事態にあるわけなんですが。もう一つ。私は選挙ということに関して。私は、知らず知らずのうちに選挙に関して、歪んだ認識を持っていたんです。選挙でのビラ配りを、学生時代に、見ず知らずのところに配布するのを頼まれました。それは後に、その場に再会したんですが、東京の工場地帯の大工場の、門前での配布だったんです。若さというのは未知への挑戦ですが、歳を重ねてみるとそれは大事な宣伝活動だったと思います。さらに、衆議院候補者の地元活動の運転ドライバーを頼まれました。それは、国会議員の大事な活動で、それは誰かが担うべき役割なんですが。とうじの私としては、それは光栄な役割だったんですが、しかしなんたって、誰も知らないでしょうが、それは体力の限界に挑戦するような、寸暇を惜しんでの大変な役割だったんですね。こうした選挙活動でしたから、それがトラウマになるのは当然ですね。「選挙というのは、大変な難行苦行なんだ」と。こんなに大変な選挙の現実ならば、私は「どこか選挙のない国に行きたい」といった実感をいだきました。この実感は、その当時者以外には、だれもわからないでしょうが。それは、日本の未来と正義のために、睡眠時間をのぞいて体力の限界をさぐるような、日本国民のためには何ものにも代えがたくおもえたし、それこそ体力の限界をぎきりぎりにさげるような大仕事だったわけなんです。そうした経験を、私はある時期に体験したんですね。いまでは、貴重な経験だったと回想できるんですが、当時としては修羅場だったんですね。そんなことで、「選挙とは大変なことだ」と、それが体感として、完全に自分にしみつけていたんです。しかし、ですよ。他方では、日本国民も、世界の人民も、民主主義の選挙の実現のために歴史的に努力してきたじゃないですか。選挙権というのは、その賜物じゃないですか。それがないためにもアジアの諸国をはじめ苦労している国々があるじゃないですか。この二つの矛盾。この間で、これまで私などはウロチョロしてきてたんですが。時は大したものです。これらの傷を癒して、落ち着くところに落ち着かせてくれました。時のながれと理性の前進、そのきっかけは29歳の2期目の若き候補者の正義感にたいして、自分としてなにができるか、この点に来たんですね。それは候補者自身の戦いではあるんですが、それは自分自身の長年のトラウマを一掃する戦いであると。自分自身の問題であると。こうして、長年、私などの体にしみついた傷ですが、それを癒してくれつつあるんです。根本的には「長年のトラウマの荷下ろし」といったことなんですが。とっくに癒されてしかるべきかとも思うんですが。しかし、とにかく遅まきながらでも、選挙の大事さと、その主権者の権利と行動への自覚です。こうなると、鬼に金棒でして、民主主義の発動でして、これまでの世界に対する変革・挑戦です。現実には、私などの住んでる東京、八王子市の市議会議員選挙ですが。3月16日告示、23日投票の、いっせい地方選挙の後半戦なんです。当地では、二期目を目指そうとしている「望月しょうへい候補」の選挙戦です。自民党萩生田こういち議員の地元となる地域での選挙戦です。やりがいがあるでしょう。相手は全議席40のうち、自民14と公明10が与党の中心です。それに対して、共産党は、現有3議席を、議案提案権の5議席を目指します。当方の地域の望月しょうへい議員は、前回25歳での初挑戦でした。4年間の議員活動とその体験をへて、ひと回りも二回りも大きくなって、今回は、社会責任をひと回り二回り、大きくなっての2期目への、29歳の挑戦です。私などは、彼の言動からして、しっかりした見識と態度でして、30歳代から40歳くらいの、いわば働き盛りと人じゃないかと、そう思ったんですが、29歳です。「未来は青年の力、しっかりした青年が活躍すべきな、そうした日本の国」なんです。これを応援せずして、人としての理性はないじゃないですか。希望の星、太鼓判です。私などが、安心して託せるところの未来の星なんですね。私などの残された人生はわずかですが、その余力を捧げれるべきところの今、これは未来を託すべき理性の力なんですね。これは、私などの老人と、未来を拓く望月さんたち青年との、共同事業なんですね。私などは、この間に、働く労働年齢の定年も過ぎたし、余生は郷里のみかん栽培にでも・・・、故郷のみかんを団地住人につなごうなどと思ってたんですが。現実には、小田原・早川や真鶴のみかん農家の実情をにしてみると、そんな時間的な余裕はないんですね。高齢化は耕作面積を狭めており、放棄地が広がりかねない。その社会的支援のないみかん畑のあとをどのようにするのか。みかん農家の実情を知れば、知るほどに。この大変さは、都会の団地に住む高齢者たちが抱えている問題とも、同じ問題です。暮らしをかえりみずに、軍事大国化、経済の儲け本位の自由主義。都市でも農村でも、ともに直面しいている障害、その原因がここにあります。ここに巻き込まれるんじゃなくて、ここを転換させる政治が求められているわけです。そうした新たな政治の力がもとめられているわけです。こうした視点にたてば、東京の多摩ニュータウンの団地生活の高齢者たちと、近郊農業でみかん栽培をしている人たちとの、別々の難儀ですが、しかしそれはそれをもたらしている共通の原因、相手というのは、共通の相手なんですね。同じ原因が別の各所に問題をきたさせているということです。ともに人々の当り前な暮らしを粗末にして、みずからの勝手を押し通そうとしている政治が、そんな怠慢が目につくようになりました。それは何としたことか、私などとの同輩の戦後生まれのた同輩がやらが、今日しでかしている、推進している政治問題なんですね。人としての試金石なんですね。私は思うんです。今、72歳の私などは、右へゆくのも左に行くのも、上に行くのも下に行くのも、その選択はまったくのところ私などの胸のうちの幅にあるわけでして。それぞれの努力の帰結は、それがどのようになるかは、私などの努力の幅にあるわけでして。その努力の結果は、国民とともに自分自身が受けることになるわけです。まったく分からない偶然の結果じゃないわけなんです。私の選択の焦点が、選挙戦なんですね。ここで自分と、国民との良識が問われているわけです。いくら不毛な輩が、自分勝手なその場しのぎのもっともそうな理屈を並べたとしても、それを見極めようじゃないですが。そして、断固として未来を切り開く力を見つけ出して、それをひろげること。それが問われています。根本的な基軸は、平和憲法を守り発展させれるか、ですね。今の時代を生きているものの責任として、日本の近代に、民主的な前進のために人知れず苦労を重ねた人たちの努力に、思いを致さなければならないと思うんです。野蛮な反動に、それが政治的には多数だからといって、未来をゆだねるわけにはゆかないんです。そんな安穏としているような事態では、戦前に苦労してきた先人たちの苦労というのは、いったい何のための努力でったのか。そうした苦労の定式化としての「日本国憲法」じゃないですか。日本国憲法の前文がしめしているのは、世界の国々に対しての日本国民の公約です。「われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を制定する。」私などは、生まれてこの方、70年余、あえてこんなことを口にしなくても良かったんです。それは自然であり、常識だったんです。しかし、それは違っていたんですね。昨今の政治状況を見ていると。そして、ここからが問題です。憲法の理念というものを、雑巾をすてるように捨てさる側に立つのか、その理念を擁護して、より未来に、諸国民の平和と共存を発展させるのか、この二つが、厳然として日々現実に問われているという、今日の日々です。同時に、それは、これまでのように寝むりに帰ってくるだけの住まいではなく、小田原・早川のみかん園と同様ですが、国民の権利とその主体的自覚が、選挙も含めて日々に問われているのが、今の状況だということです。まだ、選挙の投票日までには、3週間の時間があります。その人なりに出来ることをやりつくして、天命を待つというのが、民主主義的な未来を拓く生き方だと思います。
2023年03月31日
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マルクス『資本論』のすすめ(石川康宏)当方も昨日、孫が大学に入学するとのことで、お祝いの会食会に行ってきました。4月は、学生生活を新たにはじめる若ものたちが、新たな学校で何を学ぶか探る時ですね。「しんぶん赤旗」3月31日付に石川康宏名誉教授の「マルクス『資本論』のすすめ」が載ってました。短いものですが、たいへん素晴らしい形で『資本論』のおすすめをしてくれいると思うんですよ。私などの経験では、1969年4月でしたから、半世紀以上も前になりますが、関東の片田舎で育った私などには、こんな『資本論』紹介を目にすることは全くありませんでした。でも、何故その本の名を知ったのか、わかりませんが。とにかく『資本論』を読んでみたいというのが学生生活の出発点の目標でした。ところが、当時(1969年)の学園は、私の入学した大学は、騒然としていて、おちついて勉学するような状況ではなかったんですね。結局、この大著を通読できたのは、大学を卒業した後でして、社会人になってだいぶたってからのことでした。社会人になると、誰とでも自由に討議するなんてことは、時間からしても周りの人間関係からしても、「『資本論』を学ぶ」なんてことは、難しくなるじゃないですか。結局、一人、ないし数名のサークルをつくって第三巻まで読み通すことは出来たんですが。しかし、これでは孤立した中でのこと、手探りによる学習・討議の域を出れなくて不十分なんですね。今回の神戸女学院大学名誉教授の石川康宏氏が問題提起してますが、そうした学習・討議が出来るような学園の環境がつくれたら、世界が見えてくると思うんですよ。すばらしい学園生活が、つくりだせると思うんですよ。ただし、思うんです。『資本論』は働く人たちのためにこそ書かれた本だと。非正規雇用で、不安定で低賃金、過労死ギリギリの生活を余儀なくされている、現在の働く人たちのためにこそかかれたもので、その人たち生活がが何故今そうした事態にあるのかを解明しようとしての、マルクスの著作だと思うんです。社会人にこそ必要な本であり、社会人にこそその魅力を、学ぶ必要性が、しっかりと説かれなければならないと思います。私などの経験では、第一巻「資本の生産過程」はマルクスの完成稿として出版されたものですが、なるべく読みやすいようにと配慮をつくした文章になっていると思うんですが。しかし第二巻・第三巻はちがいます。考察の途中の草稿ですから、他者にとっては読むのも理解するのも簡単なことじゃないんですね。だからこそ研究者は、第二巻・三巻をあきらかにしようと詮索しているわけですが。しかし、問題の基本はどこにあるのか。基本として解明された点をふまえることがやはり大事であって、現実の進展していく過程とか、マルクスの草稿の解明とかいうのは、専門的な研究者の領域ですね。いま必要なのは、基本的に解明されている『資本論』の理解と、研究者による細部の探究努力とを区別することだと思うんです。私みたいに、社会人になって手探りで『資本論』にあたろうとしたものにとっては、石川康宏氏の提起は、普段に基本学習を進めていく上で、大事な提起であり、刺激だと感じるんです。だいたい、多くの人は、名前こそ有名な『資本論』を買って持ってはいるものの、途中で放っぽリっぱなしにしてるんじゃないですか。持ってることに意義があるんじゃなくて、中身をつかみ生かすことにこそ、大事な中身があるわけですから。多少となり『資本論』を読んだものが、基本的にとるべき態度は、まだ読んでない人たちに、どの様な刺激を提供するか、ここにあるんじゃないかと思うんです。研究者の努力を否定するわけではなく、それはそれで大事なものですが。今日必要な基本が、どこにあるのか、の問題です。ようするに、新入生へのアドバイスとしてだけでなく、それはそれで貴重だとは思うんですが、さらにもっと基本的に必要なのは、今を働く社会人にたいしてだと思うんです。働く勤労者が『資本論』を読むのに、どの様な刺激をするのか、わかりやすく魅力的なガイダンスを、どのようにしてくれているのか、そこの点が問われていると思います。残念ながら、そこが不足していると思います。
2023年03月31日
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統一協会問題で反省なし多摩市の小林憲一市議がニュースで、多摩市での統一協会問題を取り上げてました。隣の八王子市に住む当方としても、こちらでの統一協会問題への状況を紹介します。3月25日、地元の望月しょうへい市議の事務所開きがあったんです。私も枯れ木の花の一枚として、顔出しでのぞいてみたんですが、そこに「日本共産党・八王子市議団ニュース」(44号 2022年11月号)があって、そこに統一協会問題の記事が載っていたんです。八王子市は自民党・萩生田こういち議員の地元ですが、八王子市議会での統一協会問題をうかがわせる記事だったんで、紹介します。「行政との関わりを追求統一協会と八王子市政との関わりを調査するなか、1、八王子CARP(統一協会関連の学生組織)が、放課後子ども教室と共催で企画を実施2、八王子市教育委員会が統一協会関連団体の企画を後援3、統一協会関連団体を登録し、八王子市施設の会議室を無料で使える資格を与えていた4、広報「はちおうじ」に、統一協会関連団体の企画を掲載5、社会福祉協議会が統一協会から寄付を受領したこうした事実が明らかになった。共産党市議団は、いずれも八王子市が統一協会の活動にお墨付きを与える結果となっており問題だ、としてきした。教育長は「今後は八王子CARPの参加は認めない」、市長は「関連団体から後援依頼などがあっても認めない」と答弁した、とのことですが。意見書は否決共産党八王子市議団は、他会派と共同して意見書を提出、統一協会など反社会的な活動を行う団体との関係断絶や被害者救済、宗教法人法に基づく対応を行うことを求めましたが。自民党・公明党が反対し、否決されました。」八王子市は萩生田議員の地元でもあり、定数40議席の市議会は自民党14、公明党10議席で、両会派が結託するだけで、なんでも決めれるんですね。ようするに国の政治の縮図なんです。国では、国民の手前、一応反省の姿勢をしめしてますが、地元の八王子へ来るとそんなポーズはどこえやら。ようするに根本的には反省していない。ただ風向きを見てかっこだけの対応してるということです。私などは、望月事務所開きからの帰り道でしたが。土曜で閉館のはずの柚木出張所前の歩道を駐車場に入るべくベンツが塞いでしました。何があるのか、と思ってたら。案内係の人がいたんで、「何かあるんですか?」と聞いてみたんです。すると、自民党の決起集会だというんです。後できいたら、市の体育館を借りて、昼と夜の二回、萩生田議員も参加しての決起集会だったというんです。まったく八王子市は田舎ですね。国と地元で二枚舌を使いわけてる萩生田議員ですが、それが通るのは、この八王子での身内の応援があるからなんですね。いったいこの問題で、この集会で萩生田議員がどんな発言をしたのか、聞いてみたいですね。それと、望月市議には、その後、八王子の市政と市議会では、こうした姿勢にどんな改善があるのか、その後の事態を聞いてみたいですね。
2023年03月30日
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「日本の食があぶない」(鈴木宣弘)『文系春秋』4月号の「日本の食があぶない!」緊急特集を紹介してもらいました。私などは神奈川県・小田原の石垣山で、みかん畑の農家の手の回らなくなった畑の草刈りしてるんですが。この日々は、モグラたたきのようですが、はえだしてくる雑草を相手にして体力勝負をしている事態です。このままでは、なにしろ強力な自然が相手ですから、体力の限界を感じていたんですが。ところが、問題は対自然との関係だけじゃないんです。今、ここには、日本の農業がどうなっているか、という以上に国民の食生活がどうなっているのか、この日本の政治・社会の問題が、この大きな基本問題が問われていたんですね。そうした大事な基本問題を提起をしてくれている鈴木宣弘著「日本の食が危ない!」でした。この30ページの文章のサブタイトルは、「低迷する自給率、対米従属の安全基準-このままでは国民が飢え死にする!」ですが。日本社会の各界の社会人は、この問題提起されたことに対して、しっかりとした討論をすることが必要だと思うんです。そして、国民にとって必要な改革を、直ちにとることが求められていると思うんです。私などは、真鶴・小田原のみかんのことしか、雑草対策しか、頭になかったものですから、たんに草刈りでヘトヘトになっているだけでは、絶対に問題は解決しないこと。この論文は、もっと大きな農業の視点、国民の食生活の視点から、今直面している問題を検討せよ、と問題提起してるんですね。一つ、本日気づいた小田原・石垣山の富を紹介させていただきます。それは、フキの畑が、今、この時に輝いていることです。凄い自然の富だとは思いませんか。園主さんが、「いまがフキの旬だよ」と紹介してくれたんです。私などは、半月前に見た時には、10センチ足らずのフキの葉でしたから、みかん畑の草取りに集中していたんですが、本日見たところ、ご覧の通りで、みごとなフキの畑が広がっていました。ここは、1月19日に援農の方の力を借りて、畑にかぶさっている竹を切り払う作業をしました。その時のブログです。援農が来てくれて、フキ畑に覆いかぶさる竹を押し返しました | みかんの木を育てる-四季の変化 - 楽天ブログ (rakuten.co.jp)日本の自然というのは、じつに豊かですね。私などは、本日、急きょ、フキの束を20束つくったんです。フキの葉はガサバりますから、みかんを積んだ車は、それでいっぱいだったんですね。午後3時半、小田原発で、みかんとともに多摩に搬送してきました。フキはやはり鮮度が命ですから、これは直ちに希望者の手に渡るようにしました。こんなことは、会社組織では出来ないことですね。鈴木宣弘氏の「日本の食が危ない!」で探っている、日本の農業の自然力を生かすということ、それとこのフキ畑の富の活用ですが、そこには何処かで通じ合うものがあると、感じているんですが。
2023年03月29日
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ヘーゲル『歴史哲学講義』序論の学習(その1)福田静夫先生の「ヘーゲルを読む会」は、この3月12日に終了しました。昨年の一年間は、ヘーゲル『法の哲学』(第三章 国家)の学習に参加してきました。その最後は、補講として「C.世界史」に関連して、『歴史哲学』の第四部「ゲルマン世界」を学習して、ヘーゲル講座を終了ました。今回は、私なりに、ヘーゲル『歴史哲学』「序論」を学習します。『歴史哲学』序論については、私は以前(2020年)に、14回のブログ学習を発信してるんです。しかし今回の「福田ヘーゲル講座」を受講したことで、あらためて学びかえす必要性を感じています。なるべく重複するのをさけて、今感じている問題意識を中心にして、紹介したいと思います。そもそも、ヘーゲル『歴史哲学』は、エンゲルスの『フォイエルバッハ論』や『空想から科学へ』などが紹介しているように、科学的社会主義の歴史観、世界観がつくられる上で、素材となっている業績です。私などは、それは今日においても、学びとる必要性を感じているんですが。一、ヘーゲル(1770-1831)は、コレラのパンデミックで1831年に61歳で死去しています。プロイセン(ドイツ)のベルリン帝国大学の総長をも務めた人です。1821年に『法の哲学』を刊行してますが、その最終部分が「C.世界史」で、この『歴史哲学』の最初に書かれた要綱(スケッチ)です。以来、1831年の突然死にいたるまで、5回の講義をかさねたそうです。その死後の1837年に、弟子のガンスが草稿や受講者のノートを元にしてまとめたのが『歴史哲学講義』(岩波文庫)だそうです。『法の哲学』「C.世界史」は、第341節から360節の、全体で20節からなってます。その内容は、歴史理論と4つの治世(1.東洋的治世、2.ギリシア的治世、3.ローマ的治世、4.ゲルマン的治世)からなっています。これが、『歴史哲学講義』として、亡くなる1831年までの10年間に、5回の講義をかさねて、今日に残されているわけです。二、「序論」の全体は、5つの章からなっています。「A 歴史のとらえ方 a.事実そのままの歴史、 b.反省をくわえた歴史、 c.哲学的な歴史 B 歴史における理性とはなにか a.精神の抽象的定義、 b.自由を実現する手段 c.自由の実現体たる国家 C 世界史の歩み a.発展の原理 b.歴史のはじまり c.世界史のすすみかた D 世界史の地理的な基礎 a.新世界、b.地理的条件、c.旧世界 E 世界史の時代区分」です。『法の哲学』の「歴史理論」はAからDですね。「4つの治世」は「E 世界史の時代区分」です。歴史哲学の本論は、その具体的に4つの治世の発展をさぐっています。ヘーゲルの歴史理論による世界史像の「4つの治世」ですが、これは、マルクスの唯物史観「大づかみにいって、アジア的、古代的、封建的および近代ブルジョア的生産様式を経済的社会構成のあいつぐ諸時期としてあげることができる」(『経済学批判』序言)ですが、類似していることが見てとれると思います。どこに二人の歴史理論の違い、継承・発展があるんでしょうか。三、「A 歴史のとらえ方」ですが、ヘーゲルは古今東西の歴史書を、その方法を3つに分けてます。「a.事実そのままの歴史」、事実を記録した歴史が一つです。「b.反省をくわえた歴史」。国や世界全体を概観する歴史(通史)、どうやらこれが、私たちが日ごろ見聞きしている歴史のようです。歴史家自身の精神によって素材がさばかれる。著者の観点が対象の内容や目的をとらえて、組み立てていく、と。著者の、個人の精神によってまとめられ、描かれていくということです。まぁ、そうですよね。この際に、ヘーゲルは「実用的な歴史」(歴史に対する道徳的な反省や教訓について一言述べてます。「民族と国家の運命、その利害、社会状況、動向は、道徳とは別の次元にある。」「経験と歴史が教えてくれるのは、民衆や政府が歴史からなにかを学ぶといったことは一度たりともないく、歴史から引き出された教訓にしたがって行動したことなどまったくない、ということです。それぞれの時代はそれぞれの固有の条件のもとに独自の状況を形成するものであって、是非善悪の決定も状況のなかからおこなわれなければならないし、また、それ以外に決定のしようがない。世界的事件の渦中にあっては、一般原則も,類似のできごとの記憶も、なんの役にもたつはずがなく、というのも、色あせた記憶をもってしては、生気と自由にあふれた現在にとても太刀打ちができないからです。」(岩波文庫 P18-19)ヘーゲルという人は、ずてぶん大胆で率直な、リアリストという面をもってますね。レーニンは『哲学ノート』で、この指摘している部分を書き抜いてますが、さもありなんといったところです。四、しかし、ヘーゲルが自身の一番大事な点として強調しているのは、次の「c.哲学的な歴史」ということです。どういうことか。前段の「反省をくわえた歴史」の最後ですが、ここでヘーゲルは個別分野をあつかう歴史が全体との関連性をどの様に立てるかとの問題を提起しています。精神活動の各分野(芸術、法、宗教などの歴史ですが)は、民族の歴史の全体と関係をもつので、肝要なのは、そこに全体のつながりがしめされるのか、それとも、外面的な関係がさぐられているにすぎないか、という一点です。」「その視点が真に一般的な視点であれば、それは、たんに外面をなぞる糸を、外面的な秩序を、しめすだけでなく、事件や行為の内面にあってそれらをみちびく魂そのものをあらわすことが、注意されなければなりません。」「魂をみちびくヘルメスに似て、理念こそがまさに民族や世界の真のみちびき手であって、精神のもつ理性的かつ必然的な意思は、いつの時代にあっても、現実の事件をみちびくことにあるからです。精神が世界をみちびくさまを認識するのが私たちの目的で、ここに哲学的歴史が登場します。」(P21-22)凄いですね、これがヘーゲルの「c.哲学的な歴史」に入る前の、導入の部分です。以前に読んだときは、私などは、これは怪しげな精神の役割を過度に強調する観念論じゃないかと見たんですが。問題視する面から見たんですが。よく読むと、確かにそれはあるんですが、それだけじゃないんです。ヘーゲルは、意識の能動性、人間の主体的な自由ということを、「精神」「理性」「理念」という言葉で言おうとしていた。自分が新たにつかみだした画期的なことがらを、苦労して表現しようとしていたんですね。それを「観念論」として単純に否定的に見なすことは、フォイエルバッハがしでかした誤りですね。大事な宝を一緒くたにして流しちゃうことになるんですね。このヘーゲルの妖しさの中にある素晴らしさですが、それをマルクスやエンゲルスは、1840年代の20歳代の若い時代に分析してつかみだしたんじゃないでしょうか。ヘーゲル弁証法の意識的つくりかえの(批判)問題です。エンゲルスは、後年に、マルクスが1883年に亡くなったあと、その残された遺稿集を調べるなかで、その草稿(「ヘーゲル法哲学批判」「経済学哲学手稿」「ドイツ・イデェオロギー」など)を発見して、あらためてその世界観の確立問題の重要さからして、『フォイエルバッハ論』(1888年・明治21年 刊行)というコンパクトで、分かりやすい形にまとめて、私たちに伝えようとしたんじゃないでしょうか。今回は、ここまでです。次回は、「c.哲学的な歴史」とは何か、からです。
2023年03月27日
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望月しょうへい事務所開き案の定でして、3分間の挨拶は、言いたいことの1割もいえなかったんですが。3月25日(土)、八王子市の東部地域で、いっせい地方選挙(4月23日投票)の市議会議員選挙での、日本共産党・望月しょうへい候補の事務所開きがありました。一、この事務所開きに、挨拶の依頼を受けて、何をどうしゃべるか思案したんですが・・・。案の定、話をはじめたとたんに、司会者から「話を縮めろ」とのサインが出ました。しかし、2点だけは言えたと思います。1、この選挙は望月候補を当選させるというみんなの願いに、私も共通するとともに、だけどこれは、鹿島地域の支部や後援会が再生するための機会であること。私などが出て来ざるをうないように、7中総会による共産党中央委員会の「手紙」は、うちの八王子市鹿島の地域にも妥当していること。以前は、みんなの後ろをついていけさえすれば、それで清水秀子さんや山越拓児さん、前回の望月しょうへいさんは当選してくれた。しかし、今やまわりを見れば、それを支えた方々は高齢化しちゃっている。私ごときでも、こうして事務所開きに参加せざるを得ない事態にある。この望月選挙は、かけがえのない党支部・後援会の再生の戦いであること。(ここのところで、「もう話が長い、ちぢめろ」とのサインが出たんです)2、八王子市というのは、ひどい。この間に「望月さんを囲むつどい」や「八王子演説会」に参加したんですが、東京とはいえそう思えないような「村」ですね。無茶苦茶な事態になっている。望月さんと後援会員のところを歩いたんでけど、住民はモヤモヤしたした中に、不満はあっても向け場のないストレス、あきらめ状況になっている。5名を当選させて、議案提案権をもちたいこと。そうすれば、単にる意見じゃなくて、各党は議案に対して態度表明をせざるを得なくなる。そうなれば、関係がより明確になる。といったことで、挨拶は終了しました。二、自分が言いたいと考えたことは、十分には言い切れなかったんですが。しかしこの間に、何を、どの様に発言すべきか考えたことは、そうした話は出来なかったにしても、自分自身の腹固めはできました。ようするに、みんなの後ろをくっついていくんじゃなくて、たとえ一人になったとしても、押すべきところは押さなければならないということです。なんで、それをもっと早く気付かなかったんですかね。でもしかし、まぁよし。これからの1か月間の中で、今回果たせなかったことは取り返していくということです。話すという言葉の問題じゃなくて、実体として、社会的関係として、今の事態を変えていくということです。一つ、追加です。帰り際に、八王子市の支所-柚木出張所が何やら物々しいんです。歩道をベンツが塞いでいて、案内係が車を誘導していました。案内している人に聞いてみたんです。「何があるんですか?」と。すると「萩生田こういち議員をむかえての、自民党の決起集会なんだ」と。凄いですね。知らなかったんですが、八王子市議会議員選挙は、すでに火花を散らしているということです。公共施設を使って、自民党は住民をどんどんと集めているんです。この力に、庶民の道理は絶対に負けられない、競り勝たなければならないということです。
2023年03月25日
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雨の中の朝市春雨なんでしょうね。3月25日(土)は、あいにく、雨の中での朝市でした。もつとも、今回は湘南ゴールドと甘夏だけで、しかもその量は少なかったんです。小田原の小屋には湘南ゴールドが4コンテナあるんですが、農家のアドバイスで、「1週間、おいてた方が美味しくなるよ」と。したがって、先週収穫した半コンテナを、今回提供したんです。もっとも、前々から注文者に、途中でおろしてきたところ、この朝市用には、5袋しか残らなかったんですね。したがって、次回の本格的な販売への味見程度ということでした。広場には看板が出ていました。本来なら、今日は商店会の「お花見」でにぎわうはずだったんですが、晴れてれば桜を楽しむ絶好なときとなっていたんですが、残念なことに、あいにくの、この雨です。この雨を喜んでいるのは、みかんの木と雑草ですね。この春は、ずーっと雨の無い日が続いてきたので、植物は、水を求めてたんですね。この間に、みかんの木の根お越しで、草取り作業を続けているんですが、これは3月15日の真鶴のみかん園です。小木の葉が黄色っぽくなっているのが分かるでしょうか。これは水枯れですね。この雨で、のどの乾いていたみかんの小木ですが、この自然の恵みで、少しですが、癒されているでしょう。もし草取りしていなければ、この恵みも雑草の方に行ってしまったでしょうから、この間の、根お越しの草取り作業は、正解だったということです。まだやれてるのは一部分で、半分以上の木は、これから草取りするところなんですが。
2023年03月25日
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八王子市議会選挙まで1カ月いっせい地方選挙、東京・八王子市でも市議会選挙があります。この4月16日告示、23日投票なんですが。私の住んでいる地域からは、日本共産党は望月しょうへい候補(29歳)です。あす、3月25日(土)は、朝市のあとですが、その選挙事務所開きがあるんです。数日前に電話があったんです。「3分くらいだけど鹿島地域からも発言してくれない?」と。頑張ってる人の頼みですから、「ああいいよ」って、簡単に返事しちゃったんですが。実際問題として考えてみれば、簡単なことじゃないんですね。私などは、数人の会議、気心を知ってる人たちでの会合なら、それなりに発言してきてるんですが、一般の人たちの前で、公衆の人たちを前にしての発言なんて、したことはないじゃないですか。いったい何を話したらよいのか?なにをどの様に話したら、その場の必要にみあうものになるのか?そんなことは、経験したことないじゃないですか。これは私が72年生きて来て、初めて経験するところのテストなんですね。 あがっちゃって、何を言ってるやら、自分でもわからなくなる場合があるでしょう。へんな個人的な横道の話ばかりに終始しちゃう場合もあるでしょう。しらけた、そんな話はやくやめろ、といった話と雰囲気って、よくあるでしょう。じゃぁしっかりと完全原稿をつくって話す、しかし、学術講演じゃないないですし、それもまた経験の無いことですから。文章があったとしても、それを話すなんて習慣も、これもまったく経験ないわけですから。絶対にうまくいきっこありません。さて、いったいどうするんだ、といったところなんですが。まぁ、仕方ありませんね。そこで、話の要旨をつくることにしました。何も無いと、何を話してるやら、何をいいたいやら、まったく、わけがわからなくなっちゃいますから。これがその腹案です。一つ、八王子市のはずれ、鹿島地域に35年住んできて、このいっせい地方選挙に、望月候補の選挙戦にかける思いですね。私などは日ごろ、八王子市議会と行政には、まったく疎いんですが。地域についても「隣は何をする人ぞ」で、疎いんです。なぜそうなってるのか。私なぞは、寝に帰って来るだけでしたから。この間に、つどいと八王子演説会に参加して知ったんですが、八王子市議会は議員総数40名ですが、自民14、公明10の市議会ですが、議会と行政は、住民に対して、じつに不誠実ですね。50万市民と自治体との関係が、かなり離れちゃっている。その関係を、市民と自治体との関係をつくりだすのが、この選挙期間ですね。二つ、その中で、共産党の望月さんをはじめとする議員は、私などの体感からしても、誠心誠意、一生懸命頑張っている。選挙が近づくと「市民本位」とか「要求を実現した」とかいう、付け焼刃の他の人たちとは違う。まして、八王子は5名の市議を当選させて、議案提案権を回復すること。今回は、清水さんからアオヤギ都議へのバトンタッチを実現したんだから、こんどは都議をもつ市議団、しかも提案権を持つ市議団を目標としている。住民本位の市政をつくるうえで、大事な機会ですね。三つ、市議選というのは、一票一票を争う激しいものになる。住民サイドから見ると、「どこもきれいごとは言うけど、政治なんてあてにではない」。要求や不満はふつふつとしているけれど、それと政治とのつながりがわからない、それが結局は、棄権の多さにつながっている。放置すれば、軍拡勢力が大手をふるうことだってありうる状況です。候補者は、望月候補は、一人でも多くの人に、支持してもらえるように、訴えぬくだろう。だけど、私たちは、共産党望月事務所ないし後援会として、誠心誠意に住民の声や不満を聞く。支持を確認することじゃなくて、平和と暮らしで、どれだけ住民の不満と要求を聞き出せるか、わかちあえるのか。支持者をかためつつ、その外側にいる人たちとの対話を重視する。これに徹したいと思う。まぁ、こんなことを話そうと思ってるんですが。さて、うまく話せるかどうかは、それは神のみぞ知るところですが。とにかく、こんなことを話してみたいと思ってます。はてさて、どうなることでしょうか。
2023年03月24日
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湘南ゴールドの収穫3月22日(水)、真鶴のみかん園で湘南ゴールドの収穫をしてきました。午前9時から12時まで、1本の湘南ゴールドの木からでしたが。収穫は嬉しくもあるんですが、しかしヘトヘトにされちゃいました。この木は2012年5月12日に苗木を植えたんです。そこには、それ以前に温州みかんの成木があったんですが、カミキリムシの加害により枯らされちゃったんですね。その時のブログが残ってました。柑橘の新品種-『湘南ゴールド』を、2本植えました | みかんの木を育てる-四季の変化 - 楽天ブログ (rakuten.co.jp)みかんの木一本が枯らされるということは、新たに苗木を植えてから、しっかりとした収穫が出来るまでには10年もの歳月がかかる。それだけの時間がかかるということ、それを実証した経験でした。もちろんこれは、うまくいった場合についてのことで、私などの技術からしたら、なかなかこの様にはいかない、これはさいわいな結果なんですが。人間社会の10年というのは長いでしょう。その間には人生いろいろな出来事があったんですが。その間、毎年、毎年、草刈りに通っていたわけで、ドタバタと八王子-真鶴間を往復していたわけで、過ぎれば短いようでもあります。大切な宝の木が、誰も知らないでしょうが、一本誕生したということです。自然は恵み深い。人の努力にたいして、一つの花をプレゼントしてくれたということです。社会の方もそうだと思っているんですが、これは自然のように素直にはいきませんが、しかし、その力が必ずはたらくはずだとおもいます。悠久の方向に、反動に抗して民主主義な方向にはたらきかけるということです。
2023年03月23日
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今の私の三つの問題私などが直面している三つの問題を紹介します。その一つは、真鶴・小田原のみかん園の問題です。自然豊かなみかん園ですが。私などの労働寿命は、いくらどう頑張ってもあと8年くらいです。真鶴と小田原のみかん園を、そのあとをどうするのか。誰に、どの様に引き継いでゆくのか、ということです。第二の問題は、学習・真理の問題です。これまでのブログを見てきていただいた方は、推察していただけると思うんですが。私は、みかん栽培とともに学習発信をしてきました。いろいろ詮索してくる中で、一般的な真理(原理)として、ヘーゲルが弁証法を発見したこと。それは森羅万象をつらぬいているところの一般的な真理なんです。問題は、今を生きる人たちに、その真理をどの様に生かすのか、です。いまから200年近くも前に、日本では江戸時代の末期のころですが、マルクスが、人間社会にとっての、その意義を明らかにしようとしたんですが。なかなかその問題が、その後の人たちに、残念ながら受けとめられていないんですね。私などは、2022年3月から、名古屋での福田静夫先生のヘーゲル講座を学習してきたんですが、あらためて、その大切さを感じさせられたんです。その今日的な意義について、なんとか明らかにしたいと思ってるんですが。第三は、私などの住んでいる東京・八王子市の鹿島団地についてのことでが。今、日本の社会は大きな矛盾に直面してるじゃないですが。近代において多くの諸先輩たちが努力してきたことが、一つの形をつくるか、それとも捨て去るのか。それが問われています。ところが、私などにの住むでる八王子市鹿島団地ですが、私にとって当地は、寝に帰って来るところでして、それこそ隣は何をする人ぞ。駅の階段が何段あるのか知らないように、地域の人間社会がどうであるのか、知らなかったんですね。今、4月23日にいっせい地方選挙があります。当地では八王子市市議会議員選挙があります。今、私などは、生産活動の場の真鶴・小田原のみかん園に行くと、農家の高齢化による営農のこれからが切実に問われています。他方、消費地であもあり住まいの地である東京・多摩に帰ってくると、生活者の高齢化が一般的で、それらを踏み台にして自由勝手な軍拡政治が横行しだしています。それは、近代の学術の成果を、厚顔無恥にも捨て去ろうとする政治です。都市と農村で庶民が努力している共同の成果を踏み捨てる政治です。わたしなどこれまでは、そうした世の中の流れに、実際としてながされてきた身なんですが、力はないですよ、お金もないですよ、しかし、そうではあっても、いま自分たちが直面している問題が何であるのかを、どうしたら多少となり、まともな方向に変えれるのか。このいっせい地方選挙は、政治が問われる機会です。われわれの見識と実力が問われるときです。グズグズしたなきごとは、あとにして。今の現実社会の関係をよく知るようにして、世界と日本の、近代の民主主義とは何んなのか、そのあるべき形はどうあるべきなのか、これが問われています。少しでもふさわしいものに前進さることができるのか、それぞれの人の真価が問われているんですね。私なども、こうした三つの側面を、4月23日まで、努力してゆくということです。
2023年03月20日
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日本共産党の八王子演説会3月19日(日)、東京・八王子市で日本共産党演説会が開かれました。日ごろ、みかん農夫はみかんと雑草が相手で、政治には疎いんですが。いっせい地方選挙、すなわち八王子市議会議員選挙ですが、4月16日告示、23日投票とのことです。定数40議席に対して、共産党は5名の候補者を立てています。私などは、何もできないにしても、せめて国の政治と八王子市政がどのような状態であるのか、この演説会というのは、それを知る良い機会じゃないですか。そんなことで、いそいそと出かけてきました。八王子市というのは、広大いんですよ。私などは、その市のはずれに住んでるんですが、行政はよく見えないんです。自民党と公明党で、過半数をしめている八王子市政ですが、確か、自民14議席と公明10議席だったと思いますが。かれらの、思い通りなんですよ。この八王子市は、安倍元首相の懐刀といわれる萩生田衆院議員の地元なんです。国政では統一協会との「つながりを断つ」なんてことを言ってますが、八王子市議会では、その決議を自公で否決したそうです。ようするに、実際には反省なんてしてないんです。その中での暮らしですから、市政のリアルな状況というのは伝わってこない、よくわからないんですね。八王子でも市民から7本の請願があったそうですが、「市長がやらないと言っているから」との理由で、自民・公明は否決したとのことです。それじゃぁ、議会の意味なんて無くなるじゃないかと鈴木ゆうじ市議団長が告発してました。ゾロゾロと市政の実情が紹介されたんですね。教育では、体育館に空調設備が1割しか設置されてないそうで、23区内では100%だそうですが、あるものですら「防災が目的で、教育の為ではないから」との理由で、使わせてくれないんだそうです。国保税も毎年の7年連続の値上げとのこと。知れば、知るほど、なんとも驚きの状況ですが。「軍備栄えて、福祉教育はその犠牲になる」、今の国の政治の縮図になってるんですね。その中で、当方の住んでいる地域では、望月しょうへい市議が頑張ってます。今回が2期目なんですが、29歳なんですよ。2015年の安保法制での国会デモに、一人で参加して、共産党の赤旗の取材を受けたことが、共産党との出会いだったんだそうです。それが、いま八王子市議会議員の2期目に、29歳で臨もうとしている。この4年間の活躍ですが、新人とは思えない活躍で、すごいんですよ。その点からも、市民と国民の宝の議席ですから、なには出来なくても、応援したくもなるじゃないですか。宮本徹衆議院議員の国政報告も、予算委員会での具体的なホットな体験から、軍備増強に走る自民・公明の政治が、いかに国民の暮らしをつぶそうとしているか。「少子化」対策の財源を、75歳以上の医療費の値上げで賄おうとしているというんです。戦争が近づいてくることへの広範な人たちの心配、広くそうした人たちの力を合わせるようにして、今の政治を根本からかえなければ、と。国会の現場の息吹きです。これもまた、宮本議員の怒りを生で聞くと、一段と迫力があってすばらしいんですね。ということで、今日は貴重な政治学習となりました。
2023年03月19日
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朝市終了、私とみかん3月18日、永山団地での本日の朝市が終了しました。外は小雨が降ってましたから、お店は、いつもとは逆に向けて開きました。今回は、ネーブルの販売が中心でしたが、これから出そうとしている湘南ゴールドの味見もしてもらいました。私とみかんとのかかわりですが、それをふりかえってみました。それまでは、みかんどころか農業などにはまったく無縁な生活だったんですが。一、2000年4月に真鶴の父が亡くなりました。父は、職場を退職してから、みかん栽培を始めだしていたんすね。私は東京生活をしていたので、みかんが送られてきても、農業は関心の外だったんです。残されたみかん畑をどうするか。2001年2月から、神奈川県真鶴のみかん畑の草取りに通うようになりました。畑仕事やみかんの手入れなど、ちっとも知らなかったんですが。二、2011年1月でしたが、八王子と真鶴を行き来しているうちに、途中の小田原・早川の石垣山みかん園から交流会のお誘いがありました。高校時代の知人が、そこで本格的なみかん農家の家業を継いでいたんですね。1970年以来ですから、40年ぶりの再開だったんですが。さらに、2015年の11月でしたが、石垣山にみかん畑の一部分を貸してくれることになりました。それまでは、真鶴の450平米のみかん園は、カマ一本での草刈りだったんですが、1500平米の早川のみかん畑ですから、エンジン式草刈り機の使用とか、みかん栽培のノウハウを、本格的に学べるようになったんですね。三、永山団地の朝市の始まり。収穫したみかんは、東京に搬送して多摩市・稲城市の知人に販売していたんですが。2016年12月から、東京・多摩市の永山団地ですが、非営利法人が団地で朝市をひらくことになったんです。そこで、当方も販売させてもらえることになったんです。小田原のみかん園と多摩の団地生活者とは、歴史的にも縁があるじゃないですか。今回はみかんを介して交歓が始まりだしたわけです。だいたい、小田原のみかん産地ですが、流通にのれないB品が捨てられてるじゃないですか。なんともったいないことじゃないですか。他方、多少形は劣ってても、ジューシーで美味しくて安いみかんは、東京の団地生活者に喜ばれるじゃないですか。ようするに、私の役割は両者をつなぐことだったんですね。四、みかん農業の基本問題にぶつかりました。2018年1月末、借りていたみかん畑のとなりのみかん畑ですが、たわわに実ったみかんが収穫されずにありました。たまたまその持ち主の方と出会い、そのわけを知りました。ようするに、採りたくても手が回らない、体力の限界なんだと。小田原・早川のみかん畑全体をみると、30%もの畑が手が及ばなくて放置されてるんですね。みかん畑を手入れしている人は、ほとんどが70-80歳の人たちなんです。若いころの体力から衰えてくるのは自然の摂理じゃないですか。子供たちは安定収入をえるために、みかん畑とは別の会社の、給与生活者になっているわけです。だからイノシシの被害が増えちゃってるんです。それ以来、まわりの畑の様子を注意して見てるんですが、なるべく草刈り程度なら、カバーしようと思っていたんですが。しかし私の体力も限界です。これは個人がいくら努力したとしても解決できない、今の農家がかかえている基本問題なんですね。終戦直後は、国を挙げて国民全体の食糧の問題として真剣な努力がはかられたと思うんです。しかし、戦後70年が経過してくると、その魂が消えて農業が粗末にされている事態なんですね。これが根本な問題であって、この無責任な放ったらかしの現実をどの様に変えるのか、そのことが、今、切実に問われている状況だということです。朝市の紹介から、だいぶずれましたが、これが私などが、今、目にしているところの現実です。
2023年03月18日
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しきみの木との出会い宗教には疎い当方なんですが、真鶴のみかん園の土手に、だいぶ以前にシキミと榊を植えました。土留めをする為だったんですが、そのことは、すっかり忘れていました。ところが、3月21日のお彼岸に、多くのご家庭では仏壇にしきみを指す習慣があるじゃないですか。また、墓参りするのにシキミの枝をもってゆくじゃないですか。今回のこと、みかん園の境界木でシキミによく似た巨木がありました。農家の人が車で通る時に邪魔になるので、枝切りをしたんです。そこで「よし、これをプレゼントしてやろう」と切った枝をたくさん束にしたんですが、念のために、農家の3人の方に「これはシキミですよね?」聞いてみたんです。すると3人が3人とも、「葉が似ているけれど、違うんじゃない」とのこと。似てるけど葉が大きすぎて、違うとの点で一致してました。残念。結局、束ねた切り枝は野焼き場に捨てることになりました。ところがです。2年前に元みかん畑だった山林を開拓したんですが、その時、木を切り払っていた時に、良い香りのする木が1本あったんです。他のすべての雑木は切り払ったんですが、その木だけは切らずに残しておきました。今回、みかんの木の根お越しをするついでに、その木を注意して見たら、なんとそれはシキミだったんですね。その認識を新たにして、今回、さっそく木の周辺を整備しました。粗末にしていたので、つる草にからまりつかれて、枝が少なかったんです。枝をきるのは、今年はやめました。ところが、さらにです。みかん畑に雑草が伸びだしてくる季節になってきたんで、雑草の伸び具合がどうか、みかん園の全体の見回りをしたんです。すると、なんと、そこでも、シキミの2本に出逢いました。1本はみかん園の入り口に。もう一本は、みかん園の中の片隅にありました。この方は、枝を切っても大丈夫そうだったので、少し、少し枝を切らせてもらいました。農家の人たちは、畑の隅にシキミを大事に植えていたんですね。そんなことはちっとも知らなかったんで、私は、この二本も邪魔者扱いしていて、危うく、雑木として切り倒すところだったんです。あらためて帰ってからインターネットでみてみると、シキミは昔、鑑真和上が中国から日本へもってきたんだそうです。空海もこれを大事にしていたとのこと。仏教と縁のある、大切にされてきた歴史があったんですね。認識を新たにしました。わたしなどは、信仰のことは分かりませんが、この香りは素晴らしいですね。この香りを大切にしたというのは、なっとくしました。そうした訳を全く知らずに、自分の土手に植えていたんですから。今回、みかんの配達ついでに、3軒のお宅にシキミをプレゼントしてきました。ただし、この木にはドクがあるので、口にしてはならないそうです。おかげで、似た切り枝を捨てたり、本物を発見したりと、シキミのドタバタがありましたが、また一つの宝を、石垣山のみかん園の豊かさを、発見した次第です。暮らしの中に、私などの知らないところに、人々が昔から大切にしている文化があるんですね。
2023年03月17日
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みかん畑の懇談3月16日(木)、小田原・早川のみかん園でのことですが、みかん園を援農してくれている人たち3名と園主による懇談会がありました。なんてこともない、どおってこともない話のようですが、私などは、これは画期的な、未来に通じる第一歩じゃないかと思ってるんです。その前提ですが、本日の当方の仕事は、みかんの木の「根起こし」でした。この小さな苗木は2年前に植えたんですが、見ての通り小さなままでした。これまで草刈り機を使て除草して、肥料も撒いてきたんですが。それでも、小さな木のままでした。その原因ですが、今回、備中鍬で苗木の周辺を耕してみたところ、手前にある掘り出し物がありました。掘り出し物をアップすると、ご覧の通りです。何という名前の木かはわかりませんが。この苗木のすぐまわりの地下には、こうした輩がしっかりと覆ってるんですね。草刈り機で地上部分をいくら丁寧に草刈りしていたとしても、5センチくらいの厚さの絨毯の様な雑草の根なんですが、地面の下にはこうした木の根っこが張り巡らされてるんです。これじゃぁ、いくら丁寧に草刈りしたとしても、元肥の肥料を撒いたとしても、この厚いじゅうたんが敷かれていては、いくら肥料をまいても、その下にあるみかんの木の根までは、届かなかったんですね。この雑草のじゅうたんをはぎ取る作業が、このところの作業だったんです。これが、草刈りの手をくわえる前の様子です。ところで、こうしたみかん園を相手にしていると、こんな作業を必要とする木が100本以上もあるわけですから、その期日は限られてるわけですから、こうなると、政治も選挙も、関係亡くなったゃうんですね。それどころか、まわりの他の人との人間関係すらも亡くなるんです。この小さな苗木の1本の、周辺の手当てをするだけでも30分はかかります。ましてや上側のような青年木の草取り施肥をするには、それ以上の時間が求められます。この作業は「根お越し」と言われいますが、草刈りではなく、根回りの雑草を、地下部分も根こそぎに草取りするわけです。その手当をした上でないと、いくら肥料を撒いたとしても、それは雑草に肥料やるような羽目になっちゃうんですね。これが、この3月‐4月のみかん園の基本作業です。いったいそうした対象の木が、いったいみかん園には何本あるのか、私などでも、それが100本以上あるわけです。個人としては、無理な作業なんですが。まわりを見ると、それを70歳代の老夫婦がやってるんですから、若い農夫がやったとしても、とっくに完全にヘトヘトのはずです。そうなると、それを4月までに片付けるとなると、他人のことなど、社会の動きなど、ほとんどかまってられなくなっちゃうわけです。自分のところの木を手入れするだけで頭の中はいっぱいになっちゃうわけです。他からの力を借りることなんて考えられませんから、自分たちの力だけ、自分の畑と向き合ってるわけで、とっくに疲労困憊で体力の限界状況なんです。かくいう私も、ひたすらに土と向き合ってきている一人なんですが。ところが、今回の懇談会です。本日・3月16日に、みかん小屋で5名の人による交流会がありました。その趣旨は、一方では、みかん園の園主さんたちにとっては、手の及ばない畑の今後をどおしていくのか。それの今を誰がどの様に手入れしてくれているのか。今回の場合のように援農の力が働いてくれることもありますが、当たり前ですがその場合、その状態を把握しておかなければならないのは当然じゃないですか。一応は、貸借関係ですから。他方、私などの援農者ですが、みかん畑の無償の土にまみれた労働なわけですが、虫に刺されたりしながらがんばってます。お金にもならない援農、いやむしろお金のかかる援農作業なんです。機械が壊れれば4000円ですから。そうした様々な難行苦行に汗かきしています。そうした中で、具体的には園主さんたちの状況や気持ちというのはなかなかわからないんですね。普通には知りようがないわけですが。今回の懇談会は、援農者-園芸を楽しみ・農業を生きがいにしている、そうしたボランティアと、みかん園の園主さんとの、この両者の交流だったんです。それぞれが忙しい中で、ひと時を交流する関係が出来つつあるということなんです。私などは、長年みかんの手入れをしてきて、今日の様な懇談会は初めてのことなんですが。援農の方から天下国家論じゃダメで、月例の予定や交流の場をもってほしいと意見がありました。「なるほどなぁ」と感じたんですが、長年、雑草を相手にしているだけの経験主義を反省させられたわけです。今回は、初めてですが、みなさん忙しい作業の合間をぬって、30分間でしたが、5名の人が交流しました。園主さんにとっては「自分の畑がどうなっているか心配だ」との思いがあるんですね。援農者の人たちにとっては、普段ほとんど顔の見えない園主さんたちですが、畑の所有権者ですから、その園主さんたちの考えが見えないわけで。いまは畑づくりを楽しんでるんだけれど、それをこれからも続けられるのか、やはり根本には先行きに不安があるんですね。そもそも園主さんたちにとって、手が及ばなくなっているみかん畑なんですが、今とこれからを、どの様な人たちによって、どの様に維持していくのか。安心して、畑を荒廃させずに維持していく力を、援農者の力を、どのようにつくるか。これが、見通しの立たない大きな、中心問題なんですね。もちろん、社会的に光が当たられない中て、かかわる個々人の力や能力には限界があるんですが、援農者なぞというお金にならない苦労をかって出来る人たちなんて、この今の日本には、なかなか見あたらない、奇特な人たちじゃないてせすか。たいがいは、お金が目当てで、看板に偽りありですから、そんなことだらけですから。結局、今はほとんど姿がみえない援農の力ですが、そうした力をみつけだすことによってしか、いまのみかん畑を維持していくことはできないじゃないですか。だれも助けてはくれません。そんなことを探ってくれる人はいません。自分たちで模索して、こうした交流の輪を、人間関係をつくっていくしかないじゃないですか。そうした中での、今日の初めての懇談会だったんですが。この1年のなかで、石垣山のみかん園に、援農で頑張ってきた人たちによる交流会でした。実際に集まれたのは、ほんの2⁻3人だったんですが。でも、集まったんです。私などは思うんです。これは、もしかしてですが、問題の核心に接近しようとしていく、第一歩になるかもしれません。問題が大きくて簡単なものではないし、個人の力は限られているこしは承知なんですが。しかし、実際に努力している人たちが交流したんです。それが何をつくりだせるか。すべては、これからの知恵と努力に、かかってるんですが。今の畑作業の楽しさを、お互いにその努力をつづけていくわけですから。その中で、月に一度、1時間だけど、交流の場をもとうということですが、それにより、それぞれの努力と、全体的な状況を、知ろう、知ることに意義があり、ということが確認されたんだと思います。そんな簡単じゃないんですが、挫折があってあたりまえですが、簡単なら、とっくに片付いて、問題になどならないことなんです。でも、問題を確認しつつ、日々の作業に取り組んでいる。もしかして、これがこれから難問を解き、未来を拓く一歩となるかもしれません。
2023年03月16日
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「ヘーゲルを読む会」が終了3月12日、福田静を先生の「ヘーゲルを読む会」が終了しました。ちょうど一年前ですが、二人の知人から、福田静夫「ヘーゲル講座」について、新聞案内の連絡をいただきました。今回の「法の哲学」講座がはじまる直前、2日前のことでしたが。それから毎月一回、1年間でしたが、ズームによって名古屋でひらかれた学習会に参加させていただきました。今回は、その1年間の感想です。だいたい、今時、ヘーゲルを真摯に学ぼうなんぞという機会はなかなかありません。その名前こそ有名なヘーゲルですが、200年前の哲学者ですし、読もうとされた方は分かるかと思いますが、どれも読みにくい著作ばかりなんです。ヘーゲルは、自然と社会に一般にはたらく弁証法を、初めて意識化した人なんですね。エンゲルスの『空想から科学へ』や『フォイエルバッハ論』などで紹介していますが。しかし、今でも、その難解さから、権威者の見解がオウム返しに引きうつされてたり、苦し紛れに、自己流の勝手な解釈論が、あれこれ流布されてるんです。わたしなどは、ヘーゲルは科学的社会主義の源流に位置している人ですから、マルクスの『ヘーゲル法哲学批判』や、レーニンの『哲学ノート』などで、その著作に挑戦したことがあるんですね。社会が新たにうごく時には、森羅万象の一般的な真理をつかんで、個々の自分ちとが直面している具体的領域に、問題の解決に生かす必要があるじゃないですか。レーニンが、第一次世界大戦の真っただ中で学習したというのも、だいたい推察できます。マルクスが、ヘーゲルの弁証法を検討して、みずからの理論として生かしたことも、これも大体ですが、推察がつきます。しかし、今時ヘーゲルを正面から検討してみようなどという人は、なかなかいないんですね。そうした中で、福田静夫先生の長年にわたり努力されてきたことを、その成果を聞かせていただけるんですから、この学習会は「渡りな舟」じゃないですか。実際に、私が参加できた学習会は、1年の期間で、11回だったんですが。『法の哲学』の「国家」と、『歴史哲学』の「ゲルマン世界」だったんですが。じつに、私などの関心の問題に、どんぴしゃりと重なる部分だったんですね。これから、学んだことについて消化しなければなりませんから、お話を一度聞いただけでして、それで中身が直ぐにわかるといったものではありませんから。しかし、これからしっかり理解をしていく、確かな予感を感じさせてくれてるんですね。そうしたことで、福田静夫講座については、今回で終了しました。この1年、特急列車のようにかけぬけたヘーゲルの「国家論」でしたが、そこから何をひきだすのか、これからが問題だということです。福田先生、スタッフの皆さん、ありがとうございました。
2023年03月13日
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『ヘーゲルを読む会』の最終回3月12日、福田静夫先生の『ヘーゲルを読む会』の最終回が終了しました。最終回は『歴史哲学』(『世界史の哲学講義』)の第四部ゲルマン世界の最終部分でした。福田静夫先生は日本福祉大学の名誉教授で91歳、2002年の5月から226回にわたって、ヘーゲルの初期の作品から晩年の『法の哲学』、補講として『世界史の哲学』(「ゲルマン世界」)まで、講座を続けて来られたそうです。私などは、昨年の3月13日の『法の哲学』の「国家」からの学習会への参加で、この1年間、『法の哲学』(国家)と『世界史の哲学』(ゲルマン世界)を学ばせていただきました。名古屋での学習会に、東京にてズームで参加させていただいたんですが。事前にヘーゲルの翻訳テキストと、「本日の課題」として論点をおくってきていただきました。また後日には、その録音CDも送っていただいたんです。先生は「ヘーゲル読み」と言っておられますが、それは「弁証法」の精神であり、生き生きとした今日的な意義ということだと思うんですよ。ヘーゲルの文章というのは、なかなか読むのが厄介じゃないですか。思弁的なああかもしれないし、こうかもしれないと、いろいろ思いを巡らせますから、読むのに苦労させられますね。だから勝手な解釈や、誰かしら権威者の説を口移しにしているような解釈がよく見られますよね。福田先生は、原文の1節ごとに番号をふって、まずヘーゲルが何を言おうとしているか正確につかむようにしています。その上で、その意味や今日的な理解の仕方について話していただけたんです。自分勝手な主観的な解釈じゃないんです。私などは、この講座で、一読したくらいではわかりにくいヘーゲルの文章ですが、それをねばり強く執拗に読みこむこと、まずもってこの読み方について学ばせていただきました。マルクスだって、その『ヘーゲル法哲学批判』を読むと、やはり要約したり、分かりやすく言い換えをしたり、一生懸命に苦労してヘーゲルの主張を正確に理解しようとしている。そうした上で、みずからの批判を展開してるじゃないですか。これは基本的なことですが、やはりいろいろな人のヘーゲル論を読むと、これは大事だことだ思うんですよ。さて、最終回は、2時間半という時間の制約もあって、簡単にしか触れられなかったんですが。「第三章 近代の歴史」でした。ここでは、1つ、ヨーロッパは「30年戦争」とか、カソリックとプロテスタントの宗教戦争、国際戦争をくぐってきてるじゃないですか。その大変な経験の中から「国家と宗教との関係」を確立して来てるじゃないですか。そのなかには、宗教改革の精神、外的な権威ではなくて内心の主体的な精神の自由を基礎にするとの近代民主主義の精神を確認していること。日本国憲法もそれを定式化してますが、担い手たちはその精神にたってますか。統一協会や国家神道などにきちっとした問題への対処が出来ていますか。2つ、宗教国家のしもべであった学術や科学が、独立した正しさ(悟性)を確信するようになるじゃないですか。宗教や国家もそれに干渉するのを慎むようになるじゃないですか。治安維持法の無反省や日本学術会議への干渉をみると、なんとも時代錯誤なことをしでかしてることか、あきれるばかりです。3つ、今回のテキスト『世界史の哲学講義』(1822/23年)と、岩波文庫のガンㇲ版「第三章 啓蒙思想とフランス革命」とを比較してみたんですが。ヘーゲルは、講義を重ねるごとに各国の歴史の研究を重ねたようですね。より具体的になってきています。そのなかで、フランス革命についての分析・評価は注目されますね。前回紹介しましたが、エンゲルスが『空想から科学へ』の第一章の注で、ヘーゲルの叙述を書き抜いて紹介してるじゃないですか。「正義の思想、正義の概念が、一挙に力をあらわしたが、これにたいして古い不正義の足場は何の抵抗もできなかった。そこで正義の思想にもとづいて、いまや憲法が制定され、今度はすべてのものがこの基礎の上にすえられることになった。太陽が天空にかかり、惑星がそれをめぐって運行するようになって以来、人間が逆立ちし、すなわち思想の上にたち、思想にもとづいて現実を建設するということは、かつて見られなかったことである。アナクサゴラスはヌース、すなわち理性が世界を支配するということを主張した最初の人であった。しかし人間は、ここにはじめて、思想が精神的現実を支配すべきものだということを認識するにいたった。その意味で、これは輝かしい日の出であった。思考するすべてのものはともに、この時代を祝った。崇高な感激がこの時代を支配し、あたかも神的なものと世界との和解がここにはじめて達成されたかのように、精神の熱狂は世界をゆりうごかした。」(『歴史哲学』1840年、岩波文庫下 P535)-「故ヘーゲル教授のこのような公安を害する変革学説にたいして、いまこそ社会主義者取締法を発動すべき好時期ではないだろうか」〔エンゲルスの注〕(『空想から科学へ』石田精一訳 新日本文庫)これは、『反デューリング論』で、マルクスと相談しあってエンゲルスが書いたもので、すばらしいヘーゲルの叙述の紹介じゃないですか。これは、社会主義者取締法にならって治安維持法を勅令でつくった戦前の日本の権力者に対しての皮肉にもなっているわけです。私などは、そのように読ませていただきました。
2023年03月12日
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朝市でくたびれていては駄目3月11日(土)、今回も朝市を無事に終了しました。今回は、ネーブルも金柑、アシタバが並びました。昨日のうちにネーブルと野菜を、多摩市・稲城市の4か所のお宅へ届けて来てますから、今回の朝市に並んだ作物は、少ないんです。というのも、火曜・水曜・木曜と、小田原と真鶴のみかん園で、みかんの小木の、根お起しの草取り作業ですが、援農の力も借りて23本の小木に実施してきました。木曜の夜に東京に帰って来て、金曜に4ケ所に届けたわけですから、もうクタクタなんですね。早く終わりにして、家に帰って休みたいというのが、朝市の時の状況なんですね。すでにくたびれきっていて、ヘトヘトな状態になっている、それは当然なんですね。しかし、このパターンで、これまでの何年間を続けてきたんですが、これじゃあだめなんですね。これでは、一人の個人の中での難行苦行であって、これだけでは、いつまでたっても、東京の八王子の事態に一向に進展はないわけです。ここからが問題のところなんですね。長年、氷の上を滑ってきたのは、同じことを繰り返していたのは、ここに問題があった。ここに、もうひとつのプラスアルファ―の作業がおこなわれないと、いつまでたっても賽の河原だということ、それが今回の悟りなんですね。じゃぁ、何が必要なのか。まだ実際のところよくわからないんです。しかし、確かなことは、自己問答では見えてこないものがある。複数の人によって、今の自己の置かれた状態というものを、対象として自己対称化すること。ここでは何が問題なのか、前進するためには何が必要なのか。自己を対称化して、直面している課題やぶつかっている問題を明確にすること、そのことが求められてるんですね。これが、ヘーゲルと早川のみかん園がおしえてくれていることなんです。鹿島団地に住んで35年、隣は何をする人ぞ、でして、一般に団地というのは、そこでの個々の人間関係というのは、隔絶された個室の世界ですから、そうしたものなんです。例えば、駅の階段が何段あるのか、何年往復していたとても、問題として対象意識がないと、いったい何段あるのか、いつまでたってもわからない、それと同じことなんです。鹿島団地に引っ越してきて35年、毎日毎日、利用していた駅の階段数ですが、それとして意識してなかったもので、分からないんですね。しかし、それが問題だと認識した今ですが、ようするに、ここからが私の人生にとっては、大事な問題のはじまりなんですね。
2023年03月11日
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一つの動きの始まり当方の発信をご覧いただけた方は、ご存じでしょうが。当方は、学習とみかんづくりをしてきています。東京の八王子・多摩市と、小田原のみかん畑との二重生活です。学習の方は、ヘーゲルの哲学について学んでいますが、歴史哲学、法哲学の国家論、弁証法の問題ですね。他方、みかんの方は、小田原・早川、真鶴でみかんをつくって、そのみかんを、東京の団地生活者に提供するということですが。これまでみかんづくりは、一人で体力の限界に挑戦するようなものだったんです。協力してくれてた人は亡くなってしまい、遠路東京から小田原まで一度は来てくれても、むくわれない草取り作業に二度と来てくれる人なんて、いなかったんですね。東京は、帰って寝ては、みかんを販売し学習する、それだけのくりかえしだったこと。そのことは、当方の発信を見ていただけた方は、きっとご存じだと思うんですが。福田先生の「ヘーゲル講座」も、3月12日が最終回になろうとしています。そうした中で、「新たな動き」ですが。それは「三人寄れば、文殊の知恵」なんです。これまで、小田原と八王子で、それぞれで直面してきたこと、それは形は違いますが、共通なんですね。しかし、これまでどんどん難行苦行に付き合ってくれる人は減っていったんですね。達磨大師じゃないけれど、独り頑張ること、それ悟りのようなものだったんです。ところが、ヘーゲルはアドバイスしてくれてます。そうしたみずからを対称化して、その課題や目標を客観的なものにして、それに対する働きかけを組織することで事態は動くんだ、と。そんな言葉は言ってませんが、そうしたことをアドバイスしてくれてます。福田講座から学んだことでもあるんですが。そうした時に、小田原のみかん園に3人の援農者が来てくれるようになったんです。まさに「三人寄れば、文殊の知恵」なんです。みかん作業を対称化して、そこにみかん農家の人たちの知恵を集めてたらどうか、と。これは、すごいことですよ。そうしたら、東京・八王子の住まいの方も同じことじゃないですすか。これまでは、団地に個室に寝て学習し、みかんの朝市を続けてきただけだったんですが。ここでも、まさに「三人寄れば、文殊の知恵」なんです。ただし、みかん園の小田原と、住んでいる八王子とでは要求は違うんですが、駅の階段と同じで、35年も住んでいながら、隣は何をする人ぞ、でして、学習とみかん販売だけが関心対象だったんですね。それじゃぁ、あまりに狭く、もったいないじゃないか、というのが、ヘーゲル学習と早川の援農者が教えてくれたことなんですね。抽象的で、何を言ってるか、わからないと思いますが。これは、私なんかが生きてきた歴史的な制約を突破しようとすることなんです。それはじょじょに、具体的に見えてくると思います。
2023年03月10日
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援農の力がみかん農家の神様私は神様なるものを信じてないんですが。3月9日(木)、小田原早川のみかん園に3人の援農者が来てくれました。3月上旬というのは、都会人にはまったく頭にないと思うんですが、みかん園にとっては、炎天下にもかかわらず、一番の大変な作業の時なんです。これは、今日の作業の様子です。苗木を育てるために、これから元肥(配合肥料)を施肥するんですが、地面は5センチくらいの「草鞋(わらじ)」「絨毯(じゅうたん)」の、雑草の根が覆っているんです。もちろん、草刈りは丁寧にやってきてたんですよ。しかし地価の根は地上を刈っても地下では生きてるんです。この地下の根を剥がさなくては、いくら肥料をまいても、雑草に肥料をやってるようなもので、肝腎のみかんの根には届かないんですね。結局、せっかく撒いた肥料は雑草を繁茂させても、肝腎のみかんの苗木にはとどかず、苗木は一向に育たない、ということだったんです。しかし、まわりを見てください。梅の花が咲き、春うららかなこの時期は、すでに啓蟄で虫が動き出し、雑草が冬枯れ状態から繁茂へと復活しだす時なんです。とすれば、草も木の芽ものびだすその前に、元肥を施肥する前のこの時期に、草の地上部分を草刈りするだけでなく、少なくともみかんの木の根回りは「草取り」しなければ、施肥する意味がなくなるんです。「草刈り」と「草取り」とでは違うんです。みかんの木の場合は毛根が決定的に大事ですから、単純に畑のように草取り機を動かせばよいというわけにはいかないんです。そんなことをしたら毛根を傷めちゃいますから。そのためには、地面にはいつくばって、丁寧に雑草の根を、みかんの毛根を傷めないようにしながら、草取りするしかないんです。私などは、炎天下の2時間の草取りで4本の苗木が片づけは一仕事なんですね。それ以上やると、くたびれてきますから、効率がガクンと落ちるんです。ところが、今回の二人の援農が来てくれたおかげで、2時間余で10本の草取りが済んだんです。私一人では、1日半かかる仕事が、二人の援農者の力を得て、2時間余で片付いたんです。これって、「神様のような力」とも感じるのは、神を信じない私でも素朴に感じることなんです。ましてやですよ、こうした労働をですよ、今のみかん農家をなっているお年寄りたちが、どうやってこなしているのか。まさか、高齢者に地面をはいつくするような仕事を求めるわけにはいかないじゃないですか。しかし、この仕事は基本作業なわけです。いったいどうしているのか。まぁ、そんなこともあって、本日作業を終了したあとでの参加者の懇談なんですが。「いったい、今の農家は、この難行苦行をいったいどうしているのか」「その時々の、苦労の実情はどうなのか」「今の現状の問題にたいしてどう対応しようとしているのか」。援農により手助けすることが、その大事なことは分かるんですが、みかん農家の問題の基本解決には何が必要なのか、そうしたことを、農家の人と話し合ってみることも大事じゃないか、ということでした。簡単ではないし、今後への大事な宿題なんです。
2023年03月09日
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福田静夫ヘーゲル『歴史哲学』講座待ってました、2月12日におこなれた福田静夫先生の第三回ヘーゲル『歴史哲学』講座ですが、その録音CDが、3月5日に到着しました。さっそく、それを聞かせていただきました。そこには3月12日予定の最終講座の要綱も添えてられましたから、復習だけではないんですが。人間、大体において、耳で一回聞いただけでは、その中身を聞き取ることは難しいです。もしも、その場にいたとしたら、真剣勝負ですから、その真意をもっとより聞き取れたでしょうが。たいへんもったいことなんですね。今回で、福田先生のヘーゲル講座は、最終回とのことなんですが。私などは「しんぶん赤旗」の紹介で、この講座を昨年の2月に知ったとばかりなんです。率直に言わせていただきます。私などはこれまで探りでヘーゲルの難解なグダグダとした文章を、もやもやと手探りしていたんですが。ヘーゲルは天才的にこれまでの人類の探究を総括しているんです。もちろん、ごたごた分かりにくい表現ですが、それは人類が初めて挑戦している探究ですから、やむをえないことないんですが。その「なんじゃ、これは」と、疎遠な印象ですが、だれしもそれに挑戦した人には、感じることかと思いますから、ひとこと紹介させてください。私は、エンゲルスの『空想から科学へ』で、50年余まえに、ヘーゲルの名前を知ったんですが。以来、『フォイエルバッハ論』など、折節につけてその謎を探ってきました。その都度、ブログでその模索と理解を発信してきたんですが。だいたい科学的社会主義を建前とする人たちがいるわけですから、アーとかウーとか反応があってしかるべきじゃないですか、そうでなくとも社会主義的な未来を志向する人たちからの反応があってしかるべきじゃないですか。ところが、達磨大師じゃないですが、壁に向かって何十年の馬耳東風だったんですね。これは、いったいどうしたものですかね。ところが最近ですが、ある種の悟りがありました。根本的には、日本人というのは、封建社会以来の長きにわたって、長い物には巻かれろといった、卑屈な根性がしみついてるんですね。個人の尊厳・自己主張が弱いんです。それは侵略戦争や従軍慰安婦問題の根本的反省がなされない、政治家の多くはそれを認めようとしない、そうした状況ですから。これが日本の現実なんですね。しかし他方では、光もあるんですよ。心ある先人たちには、この奴隷的根性を変えようとして、少しでも近代社会にすすもうとして、身を削っての努力してきた歴史もあるわけですから。明と暗の綱引きというのは、今に始まったことじゃないんですね。いま、国政を見ても、戦争か平和か、憲法を生かすのか軍事体制・戦争を呼び込むのか、その相克が展開されてるでしょう。この綱引きの最中でしょう。私などは、関東平野の西の片田舎の出身で、1950年生れの戦後世代なんですが、同じ戦後世代が政界の担い手となって、日本の近代の歴代の人たちが必死な努力をもって悟った成果を、なんとゴミクズのようにして捨てようとしてるでしょう。こうした事態をみたときに、先人たちの苦労を思った時、何もせずに黙ってられますか。こんな流れをゆるせますか。あれっ、なんの話でしでしたでしょうか。どうもあれこれ出来事に対応してると、流れがおかしくなって、もう認知症かもしれないんですが、すみません。あっ、想い出しました。ヘーゲルは、自然と社会の歴史発展のなかから、一般的な発展法則、すなわち弁証法を見つけたんです。森羅万象の中をつらぬいている一般法則を発見したんです、絶対的真理、神の様な、ようするに弁証法のことなんですが。それは、1、近代の歴史として、デカルトが「われ思う、ゆえにわれあり」が語ったように、外的な権威や感覚ではなく、人間の内心こそが基礎であること。これは日本人にとっては、封建社会以来、長く強いられてきたお上のにはさからえないとの習性ですから、それは1945年8月の転換まで続いてきたことですから、その蓋がとれたのはつい最近の、真新しいことですね。フラフラするというのも当たり前ですが。2、ヨーロッパの宗教戦争の経験から、国家の宗教からの独立、思想信条の自由、信仰の自由などの、近代民主主義の原則ですね。それは日本国憲法に結実している人権宣言ですが。ところがその到達点を否定しようとする連中もいる。戦前を懐かしんで、国家神道にもどしたがる流れですが、侵略戦争をちっとも反省しない連中です、憲法改悪をもくろむ連中です。それは、中国や北朝鮮、ロシアのうごきをみるにつけて、それは歴史的に克服しなければならない問題なんだということなんですね。3、私は思うんですが、今回福田静夫先生のヘーゲル講座をお聞きしたんですが。ヘーゲルの主張を、先生は丁寧に追跡しておられるんですね。当たり前と言えば当たり前なんですが、それは大変な努力なんです。ヘーゲルを読もうとした方は分かると思うんですが。そのそのなかみをキャッチして、そこにある今に生きる精神を生かそうとしているんです。私は、そこに先生の若かわかしい思想の源泉があるとおもうんですが。ところが、今の政治というのは、日本学術会議の問題だけでなく、一般に学術・研究者の努力を蹴飛ばしてますね。「おれに都合のよいものしか、認めない」。これは「朕は国家なり」との思想ですね。18世紀ならともかく、今時そんなことが平気で言われるんですから。これじゃぁ、世界に通用するわけがありませんね。さらに、おまけがあって、それに金魚の糞のようにくっついて「わたしたちも仲間に加えてよ」と、とりまく政治家どもの魂胆はみえみえですね。それにたいして国民は、いったいいつまで付き合おうとしてるんですかね。これがヘーゲルから学んでいることです。そのことから言ってやりたいですね、「あんたたちは先人の苦労から、いや自分の両親たちが苦労してきたことがらから、いったい何を学んだのか」と。世界の歴史や学術から、いったい何を学んだのか、と。まぁきっと、歴史の法廷が、あんたのいいかげんな態度を裁くことになるんだろうけど。ただ、私などは、そんないいかげんな口車に、いつまでも付き合ってる時間はないんだ、と。えっ、何の話だったっけ。そうでした、福田先生の「ヘーゲル『歴史哲学』」講座でした。これが主題でした。福田先生のヘーゲル哲学研究は、長年のおもいを込めたオンリーワンの講座なんですが、いよいよ次回が、3月12日が「ヘーゲル『歴史哲学』講座」の最終回です。
2023年03月06日
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山口義夫さんの訃報当方は八王子と小田原の二重生活でして、たまった新聞を見逃すことがあります。知らせを受けて、たまっていた新聞のなかで、見逃していたんですね。2月23日に山口義夫さん(92歳)が亡くなられたと、その訃報記事が2月26日付に掲載されてたんですね。山口義夫さんは、日本共産党の書記局長・金子満廣衆議院議員の地元秘書だったんです。その訃報の知らせを知って、当時の関係者に連絡しようとしたんですが。残念ながら、もはや関係者はほとんどがこの世にいないんですね。山口さんは、共同映画の社長も務めた方で、親子映画を全国に広げた方なんです。民俗芸能や日本文化に詳しくて、下町文化を大事にしてた人なんですね。金子満廣さんは、1958年11月民主主義擁護群馬県民連合の事務局を取りまとめた国鉄マンです。共産党の綱領に統一戦線政策が盛られる時に、沖縄・高知・群馬は、その実践例となってたんですね。その金子さんが群馬県から上京して、共産党中央委員会に勤務して全国の平和・統一戦線運動を担当する。その一方、東京8区(文京・中央・台東)の衆議院候補者になったんですね。その地元秘書となったのが山口義夫さんだったんです。日本共産党が地域に根差すよう努力することですが。大江戸の下町文化というか、江戸時代からの日本の伝統芸能と日本共産党とを結びつけること、下町の庶民の代表として、金子満廣さんが代議士として活動できるように。そのことは金子さんの共産党衆議院議員として活動の舞台をつくることだけじゃないんです。金子さんは、日本の統一戦線運動、安保共闘、反核平和運動、さらにはベトナム人民支援の反帝国際統一戦線、中ソ共産党の覇権同士のおかしな中にあって、日本共産党の綱領路線、自主独立の立場を切りひらく仕事でもあったんです。その活動を地元から土台として支えた柱の一人が山口さんだったんです。だいたい、道理あることを言っても、それが衆議院議員がいうのと、一人の私人が言うのとでは、受けとめられる重みが、同じ発言であっても、その重みが違ってくるじゃないですか。まして、東京8区の文京・中央・台東といったら、権力の中心的位置してますから。本来なら歴史的に保守的な基盤がガッチリしているところなんです。そうした地域の中で、道理をもって、日本共産党が下町住人と交歓ゆく実践的な姿をつくってきたのが、その地域の共産党の組織であり後援会の努力であって、そこに金子・山口という代表の人柄が、それにくわわって共鳴しあったんですね。いまから40年余前になることですから。当時の関係者は多くが亡くなり、私などの記憶も妖しくなってきてるんですが。それでも、なるべく、その努力に立ち会った一員としては、いたずらに消えていくのを傍観するんじゃなくて、今という状況があることを開いてきた努力ですから、現在が努力しているところの本質な事柄ですから。少しであっても、故人たちを知るものとして、その苦労した、ありし日の姿を追悼したいと思って、今聞いたばかりの訃報ですが、思いつくままに思い出を紹介させていただきました。
2023年03月05日
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突然の来訪者への怒り3月5日(日)午後2時半のこと。当方はヘーゲル講座CDが届いたんでそれを聞き直していたところ、玄関のインターホンが鳴りました。男女二人でしたが「小田原高校の卒業者を訪ねてる」とのこと。当方は1969年小田高卒業ですが、50年以上前のことですが。こうなるとピーンとくるじゃないですか。私などは、昨日、望月しょうへい候補の、29歳が、一生懸命になって、住民奉仕と平和のためにがっぱっている話と姿を見てきたものですから。当方は、見知らぬ二人だったんで、「今忙しいしんだけど、何の用事か? 学会だろう?」と聞くと、男性の方が『そうなんです。』『小田原高校卒業者のところを訪ねているです』というんです。それで年甲斐もなく、ムカムカッと来て、断固として言ってやりました。「あんたたちは『平和の党』と言いながら、日本を戦争にひきこむ軍拡路線に賛成するとは、いったい何ごとか!」と。すると、『いやいやそんなことはありません、平和を守るんです』と、説得しようとするんです。それでムカムカッと来て、「ならば、どうして国会で軍拡予算に賛成しているのか?!」と。『いやいや、そんなことは・・・』ともごもごしてたんで、「冗談じゃない、事実は事実としてはっきりしてるじゃないか。あんたたちは平和のためにと思ってるだろうけど、国会の政治で実際にやってるのは軍拡戦争予算に賛成して、推進してる立場じゃないか!」と。「この事実を事実として知らないとしたら、もう一度しっかり見直してくるべきだ!」と。ここで、もう一人の女性が口を入れきてました。『もうしわけありません』として、二人は帰って行ったんですが。これは、八王子市議会の4月26日の選挙についてですよ。たかが、ひろい全国のなかでは、いち自治体の市会議員選挙ですよ。私の住む鹿島というのは、広い八王子市からしたら不便な片隅ですよ。そこに50年以上前のつてをつたって、小田原の高校のつながりでですよ、しかもその中身は、戦争礼賛に投票してほしいと、訪ねてきたんです。『無責任なことを言うな』と詰問した次第です。。ここに私などは宗教組織がもつマインドコントロールの、統一協会の合同結婚や多額の献金と同じですが。「よかれ」とする信仰心を利用しての、上からの権威による「さしず」のこわさがあると思いました。おもわず、「ふざけんじゃない」「しっかり勉強しろ」「事実にたって言え」と、大人げなく、声を高めてしまいました。これは、小田高の卒業者の理性と名誉にも関係してくることでしたから。
2023年03月05日
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望月しょうへい 春を呼ぶつどい東京・八王子市でも市議会議員選挙(4月16日告示-23日投票)があります。3月4日(土)に、当方の住んでる地域の候補者、日本共産党望月しょうへい市議の「春を呼ぶつどい」が開かれました。八王子市は、市議会の定数は40議席で、自民党が14議席、公明党が10議席を占めてるんです。定数40議席中、自公が24議席を占めてる議会なんて、大体想像つくかと思いますが。当地は、故安倍氏の懐刀で、統一協会ともつながっていた萩生田議員の地元なんですね。日ごろ、役所や市議会の動きというのは、なかなか伝わってこないんですが。その点では、こうしたつどいは、私などにとっては、それを知るための貴重な機会なんです。聞いていて、驚かされるんですよ。市民の要求による請願がだされても、議会は否決するし、請願を出させないようにとの圧力がかかるというんですから。学校の体育館へのクーラー設置は23区内では100セントなのに、八王子は1割。この設置要求に対して、『無謀だ』との言葉が返ってくる状況だとのこと。また、「クーラーは防災上の設備だから」といって、設置されていても使わせないというんですから。各界の、また地域の方たちが、この間の経験を紹介してくれたんですが。崩れた土手を修理するのに、当初自治会に2億円の請求が来たとか。ちょっと、なんだこりゃぁと。住民自治の自治体としての常識が、なかなかとおらないような世界になっているようです。だから、そうした中にあって、日本共産党の市議団の存在は大事な存在になってます。日本共産党市議団は現在は3議席(1人は都議会議員選挙に出てたため欠員となった)今回は、5名が立候補するんですが、議案提案権をもとうとしてるんですね。「大軍拡・大増税を許さず、市民のくらしを守る 望月市議の再選と5人の市議団確立を」私などの住む地域では、望月しょうへい市議が、2期目を目指します。望月しょうへいさんは、現在29歳なんです。若者からお年寄りまで、1期目なのに、1期目の議員とはおもえない力を発揮してくれている様なんです。応援の弁士にたった6名の人たちから、そうした活動ぶりが、さまざまに紹介されました。当人の活動報告が、素晴らしいんですね。私なんか思うんですが、この発言をしっかりした活字にして報告したらよいのに、と。だいたい「つどい」に参加できる人は、ほんの少しで、ごく限られてるじゃないですか。また参加して感動した人も、言葉というのは記憶から消えていくじゃないですか。また、チラシというのも、様々なチラシがポストに氾濫してますから、たとえよいチラシでも、チラシだけから真実を知るようには、市民はそうなってないじゃないですか。ですから、この望月報告にしめされた活動内容ですが、その中身を客観的に広く市民に伝えることが大事になってるじゃないですか。だいたいそれは市民にとって、貴重な宝となる事柄なんです。それが今回、口頭で、決意とともに、出されたわけですから。それをどうやって、市民の手元に伝えていくのか、意見を返してもらうのか。限られた時間の中です。これをどうやって多くの人たちと分かち合えるか、それが大事になっていると思いました。
2023年03月04日
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『世界史の哲学』「近代の歴史」の予習福田静夫先生のヘーゲル『世界史の哲学』第四部「ゲルマン世界」講座が、9日後の3月12日にせまりました。今回でこの講座も最終回なんですが、最終章の第三章「近代の歴史」の学習を予定しています。当方も予定する章を通読しましたが、今回はその感想です。一つ、『世界史の哲学講義』(講談社学術文庫)は1822年-23年の、最初にヘーゲルが『歴史哲学』について行った講義の記録だそうです。従来の岩波文庫の『歴史哲学』ないし『歴史哲学講義』は、1831年にヘーゲルが亡くなるまでに5回、このテーマで講義をしたそうですが、その全体の記録をまとめようとしたものだそうです。それぞれに特徴があって、章の立て方についても、各国に対する個別研究でも、かなり変化しています。そこにはヘーゲルがたゆまぬ努力を重ねていたことが分かりますし、全体観を知るうえで初回の講義も独特の中身をもっていると思います。『歴史哲学講義』の第三篇「近代」は、 第一章宗教改革、第二章宗教改革が国家形成におよぼした影響、第三章啓蒙思想とフランス革命、の構成なんですが、初回講義の『世界史の哲学』では第一章「宗教改革」は、前の第二篇の「中世」に入っていて、〔近代への移行〕過程として検討されています。同じ問題でも、ヘーゲルのとらえ方が、位置づけが、変化して来てるんですね。二、ヘーゲルは何をこの章で問題にしていいるか、ですが。1、ルターの宗教改革の意義ですが。それまでのカソリックのように外的な権威やものに対して信仰するんじゃなくて、プロテスタントの新教ではあくまでも人間の内心による共感こそが大切なんだと。長く絶対的な権威というものを前にして、人間は絶対服従することをきまりとしていた時代が、ヨーロッパでも封建社会として続いてきたんですね。デカルトの「われ思う、ゆえにわれ在り」というのも同じ事柄ですね。日本はそうした習慣を1945年8月まで持ち続けていたじゃないですか。まだ侵略戦争の反省のこと一つにしても、政治家の多くはタブー視してるじゃないですか。他人ごとじゃないんですね。2つ、国家と宗教との関係です。ヨーロッパは長きにわたって宗教戦争を、大変な戦争を経験してきたんですね。十字軍にしてもそうですし、カソリックとプロテスタントの30年戦争もそうです。また宗教国家の時代もあったじゃないですか。そうした経験の中から、国家と宗教との関係が確立されたんですね。国家の宗教からの独立、思想信条の自由、集会結社の自由などの、近代の民主主義制度の確立です。これなんか、人権と民主主義の基本なんですが、日本は1945年の敗戦にともない現行憲法で正確に定式化されてるんですが、はたしてその担い手の人間は根本をしっかりと自覚しているでしょうか。自覚していたら、国家神道の復古や統一協会に対しての国家としての対応もしっかり明確にした襟を正すものとなってしかるべきですが。そこに侵略戦争の反省と同様にあいまいさをもってるんですね。3つ、啓蒙・学術と宗教・国家との関係です。ガリレオ裁判が象徴的ですが、宗教は都合の悪い学術を弾圧した時代があったんですが、近代へのなかで、科学に対して口出しをしないとの節度(良識)をもつことを自覚するようになったんですね。それなくしては、信仰の良心と科学とが両立が出来ないじゃないですか。国家も同じです。日本はプロイセンにまねして、治安維持法によって学術や宗教を弾圧してきた歴史をもってるじゃないですか。しかもその反省を明確にしてないじゃないですか。日本学術会議に対する政府の対応も、まさにそうした無反省が突っ走っていることのあらわれですが。だからこれも、ヘーゲルの展開している主張ですが、それは今につながっている問題なんですね。少なくとも、こんな3点をヘーゲルは『歴史哲学』の中で、あの理解しにくい表現の中で、展開しているんですね。それは、今日的にも大事な生きた思想だと思いませんか。もう一つ、エンゲルスの『空想から科学へ』第一章で、ヘーゲルのフランス革命について述べた部分について紹介してますね。本文はプロイセンの状態からしてぼかしてますが、注として引用したヘーゲルの『歴史哲学』部分は明確です。『正義の思想、正義の概念が一挙に力をあらわし、不正義の古い足場はこれにたいしてなんらの抵抗もできなかった。こうして、正義の思想のうちに今や一つの憲法がうちたてられ、今後はすべてのものがこの基礎の上にすえられるべきだ、とされた。太陽が天空にかかり惑星がそのまわりをまわるようになって以来、人間が逆立ちをして、すなわち思想の上に立って、現実を思想にしたがって建設するということは、かつて見られなかったことである。ヌースすなわち理性が世界を支配するということを、アナクサゴラスが最初に語ったのであるが、いまやはじめて人間は、思想が精神的現実を支配すべきであるということを、認識するにいたった。こうして、これは壮大な日の出であった。およそ思考するものはみなともにこの時代を祝った。まるで神的なものと現世との和解がいまはじめてなりたったかのように、崇高な感慨が当時の人々のあいだにみなぎり、精神の熱狂が世界をゆりうごかした。』(ヘーゲル『歴史哲学』1840年)エンゲルスはコメントをくわえてます。『故ヘーゲル教授のこのような公安に害のある変革学説にたいして、いまこそまさに社会主義者取締法を発動すべき好機ではなかろうか?』エンゲルスの皮肉ですね。分かりにくい表現の中で、帝国大学ヘーゲル教授はこうした主張を展開しているんだよ、と。分かりにくい表現というのは、さいわいすることもあるんですね。以上が、予習をして気がついたことですが。3月12日の福田静夫先生のしめくくり講座では、ヘーゲルが人権思想の発展ということを、『歴史哲学』の中ではっきりと洞察していること、その今日的な意義を紹介していただけるんじゃないかと思っているんですが。これは、長年ヘーゲルを研究されてきた方による、それこそ絶品の感慨が、聞きのがしてはならないことがらが、今を生きる精神が、きっとプレゼントされるだろうと、私などは思います。そうした機会に立ち会えるということは、今を生きる者として幸いなことですね。今回は以上です。
2023年03月03日
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みかん園の草刈り施肥の開始2月28日(火)箱根山から、みかん園の援農に、Kご夫婦が小田原に来てくれました。みかん園の今は、草刈りして元肥を施肥する準備です。また、枯れ枝や密集している枝を除去して、木を整えています。これは、真鶴のみかん園ですが、今回の作業は、みかんの木の根回りの草を除去して、元肥の配合肥料を施肥です。1本の小木を草取りするのには、30分若くらいの時間かかるでしょうか。そのまま肥料を施肥をしたんでは、雑草に撒くようなものでして。地表をおおう5センチくらいの厚さの雑草がおおってまかから、それは厚い絨毯がしかれているようなもので、肥料をまいたとてても、みかんの根には肥料が届かないわけです。もう一つの作業は、鳥よけの為、中盤柑橘に防鳥ネットをしっかり閉じることでして。網掛けですが、手前は湘南ゴールド、奥は清見オレンジです。以上は真鶴のみかん園の様子ですが。同じみかんんでも、小田原・早川の石垣山ともなると、みかん園の規模が違うんです。真鶴でも小田原でも、おなじ作業をするわけですが。つぎは小田原・早川の石垣山みかん園の様子です。今回も2月28日(火)には、箱根の山奥から、ご夫婦が援農に来てくれました。これが小田原・早川の石垣山みかん園ですが。同じみかん園ですが、真鶴と早川では、スケールが違うでしょう。当方の管理するだけでも10倍の広さがあります。しかし、規模は違っても、この時期の手入れは共通です。真鶴では5本の木を手入れしたんですが、小田原・早川の石垣山では、この広大な草原の中、6本のみかんの木を手入れしました。これを手入れするには、一人ではとても無理なんですね。最近、箱根の山から二組・5人の援農者が、応援に来てくれてるんです。今日は、昨夜に雨が降ったこともあって、援農者に来てくれている人たちのお宅を表敬訪問してきました。箱根は、やはり自然が豊かですね。その大自然のなかで、小鳥たちと共存している山荘生活ですが、私なども、突然の押しかけでしたが、少しだけですが体感させていただいてきました。どうやら、小田原早川のみかん園を拠点にして、片や東京の消費者と、片や箱根山の生活者の勤労との、みかん園を軸にした三者による共同の活動がつくられているようです。
2023年03月02日
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宮本顕治著『党建設の基本方向』この本は、本棚でほこりをかぶっていたんです。宮本顕治著『党建設の基本方向』(新日本出版社 1995年刊行)ですが。上巻で15本、下巻で39本の論文が選ばれてます。この元には、分厚い『大衆的前衛党建設の理論と実践』(共産党中央委員会出版局 1982年刊行)があります。もちろん、今日・2023年2月からしたら、28年前も時をさかのぼる、だいぶ昔の刊行です。でも「基本方向」というのは、原理的な骨格的な、本質的なものがあると思いますから、古くても新しく学びかえす点もあるんですね。1960年代からの党建設の経験から、教訓的な問題を選び出しているんですね。昨日『東京新聞』をみたら、成瀬健生という人のインタビューが掲載されてました。日経連の元常務理事だった人で、1995年に非正規雇用をふやそうとの提言をつくった人だそうです。「新時代の日本的経営」と題する報告書だったとのことですが。1995年に1001万人、20.9%だった非正規雇用が、2022年には、2101万人、36.9%にふえた。この間に、正規労働者が191万人減り、非正規労働者は1100万人に増えたというんです。経営者は「人間を育てることを忘れてしまった」と反省的なことを語ってるんですね。なにを言いたいかというと、社会は、労働界、政治世界の綱引きの中で動いてます。それ以前から、新自由主義的なイギリスやアメリカの政治や、それを礼賛する経済学者がいたわけで、それをおしすすめた政治家たちがいたわけです。逆に、そうした労働政策に反対して、労働者の暮らしや権利を守ろうとしてきた労働組合や政治家の人たちがいたわけです。大きな流れの中でみると、その時々にはあまり問題が目立たないことでも、大きく見れば、大事な岐路、基本的な立場というのが、鉄のように原則的な、しっかりした教訓が見えてくるってことがあるじゃないですか。それらは、時代の中で発展させなければならない性格を持ってます。だから、日々意識的に、問題を明確にする理論を発展させていかなければならないわけです。特に今は、憲法の基本問題でも、学術の独立性の問題でも、歴史も基本もなげすてて、でたらめな屁理屈・弁解を合理化しようとする、そうした政治権力の詭弁の対決ですから。それを変えていくためには、ただすためには、国民の側としては、もっとしっかりした知恵と力が求められているということです。
2023年02月28日
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みかん農夫の確定申告2月27日、みかん農夫は確定申告を投函しました。一年間のみかん農夫の勤労の総決算です。これで、その年の特徴が見えてくるんです。一、みかんの売り上げ(収入)ですが、前回の2021年では、 今回の2022年では、 98万円 109万円 となりました。頑張ったんですね。もっとも、売上金を見ているだけじゃダメなんです。売上金-経費が収入(所得)となるわけですから。もちろん、経費には飲み食いの食費なんか入ってないんですよ。本当は、生きていく以上、それも入れてほしいんですが。生産にかかわる費用じゃないもので。それで、その所得(もうけ)ということで見ると、前回は 80万円の赤字でした。今回は67万円の赤字です。やった‼ 赤字が、少しですが減ったということです。二、赤字は赤字なんですが。そりゃあそうなんです。八王子と小田原間を、毎週往復しているわけですから。一年間で、ガソリン代は21万8千円、高速料が10万円と、これだけで30万円がかかっているわけです。この30万円を、みかんの売り上げでなく、もうけとしてかせぐとなると、大変ですよ。それ以外にも、現地で借りている家の家賃の費用だって必要ですから。ようするに、年金農夫だからこそ、やっていけるということなんですね。年金で、食事とみかん業での出費を、うめているということですね。もうけだけを考えていたら、こけは、とてもやっていけないということなんです。三、では、なんでこんな赤字の、儲かりもしないみかん作業を続けているのか、ですが。一つは、小田原の美味しいみかんを、この豊かな富を、都会の団地住人に味わってほしいじゃないですか。片方には都会人の喜びの顔があります。もう片方にはみかん農家の顔があります。農協では扱ってくれないようなみかんでも、大きすぎるとか小さすぎるとか、汚れてるとかで、扱いに困っている。しかし、それは大変美味しいんですよ。それを持て余してるなんて、もったいないじゃないですか。ようするに、小田原の生産農家と多摩の団地の消費者をつなぐということです。二つには、私の故郷が小田原・真鶴なもので、自分の為でもあるんです。どっちみち、真鶴には125坪(450平米)の自前のみかん園があるので、その手入れに、放置するわけにはいきませんから、行かなくちゃあならないじゃないですか。その途中でのことなんです。もっとも今では、主客が転倒しちゃっいるんですが。まぁ、墓参りに行くようなものだったんですが。それが、今や真鶴の10倍もの石垣山のみかん園を手入れするはめになってるんですが。これもまた、しょうがないですね。四、しかしこのことは、私などにとっては、生きた学びの機会なんですね。大きくは日本の農家の、限定すれば小田原のみかん農家の、そこでの苦労が見えてくるんです。ささやかで、限られたものですが、私などもほんの雀の涙程度ですが、それでも、苦労を分かち合っているし、農家の状況が見えてくるんですね。しかし、もっと大きく、この作業のなかから、今の社会が見えてくるんですね。まったく、農家の窮状に答えようとしない、亡国の農政の、政治の姿がみえてくるんですね。この農業問題の、今の社会の現実を知る、そうした生きた機会でもあるんですね。それに、小田原方面は素晴らしい土地柄なんですよ。農家は一国一城の主ですから癖はあるんですが、しかしとても良い人たちなんですよ。大きくは、豊かなみかんと、相模湾の地魚と、箱根の温泉、自然と歴史にとんでるわけですから。都会の閉ざされた団地の一室にくすぶっているよりも、それをつなぐ作業というのは、有意義なものじゃないですか。もうけ本位の守銭奴より、もっと大事なものがあるじゃないですか。以上が、今年もまた、確定申告をまとめるなかで確認された事柄です。
2023年02月27日
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『バッハの思い出』を紹介しますアンナ・マグダーレ・バッハ著『バッハの思い出』(山下肇訳 講談社学芸文庫 1997年刊)です。だいたい、私ごときが「音楽の父」とされるバッハを紹介するなんて、まったくの畑違いのことであり、まったくもっておこがましいことじゃないですか。しかし、そんなことはご容赦いただいて、紹介させていただきます。一、私のこれまでのバッハについては、何故かは知らないけれど「音楽の父」ということ。心地よく耳に親しんでるのは「トッカータとフウガ」、「ブランデンブルグ協奏曲」などの曲ということですが。しかしその音楽の親しみある旋律とは別に、主な印象は、堅苦しい古典的な、得体のしれない宗教音楽を中心としている存在だったんですが。今回、たまたま偶然でしたが、その愛妻とされるアンナ・マグレナーダ・バッハの著作とされる『バッハの思い出』(山下肇訳 講談社学術文庫 1997年刊)を手にしました。二、私など、だいたいクラシック音楽というものについては縁のない存在でして、ただ感覚的な印象的なごく一部の親しみのある旋律があるとのかかわりでしかなくて、ましてや宗教そのものについてはまったくの疎遠な存在だったんですが。今回、少しだけですが、その謎が解けてきたように思っているんです。ヨーロッパにしても、日本にしても、かつて「宗教国家」といった時代があったじゃないですか。火災で焼けたノートルダム寺院のゴジック建築の寺院や、奈良の東大寺の大仏や京都の寺院・さらに近場では鎌倉の建長寺などの、荘厳な宗教寺院建築を見るわけですが。いったいどうして昔の人はこんな大きな建物をつくることが出来たのか。それが確かに今に残っているわけですが、不思議だともいませんか。今を生きている私などとしては、とても考えられないような、資金や資材、技術の粋をつくしているじゃないですか。いったいどうして、こんな集中したものをつくれたのか?それが、なんとも大きな不思議な謎だったんですね。三、その謎について、つい最近になって、ほんの少しですが分かるような気がしてきました。そのヒントの一つが、このアンナ・マグダーレ・バッハ著『バッハの思い出』なんです。そしてドイツ古典哲学のヘーゲルの『世界史の哲学講義』(『歴史哲学』)なんです。どういうことかというと。それを読んでいただくしかないんですが。バッハの若い愛妻、アンナ・マグダレーナ・バッハですが、彼女がバッハについて身近で見た生活の側面を残しているんです。そこにはバッハという人の新教(プロテスタント)のルターに対する認識が、それがどういうものであったかということが描かれています。四、私はそもそも宗教というものには、てんで疎いところの存在なんですが。近代の日本でも、キリスト教のプロテスタンチズムのこころを探った人たちが、内村鑑三、新渡戸稲造とか島崎藤村とか、白樺派の人たちとか、いるじゃないですか。日本は長きにわたって、上からの権威にしたがわされてきたんですが。そのなかにも、脈々と下からの知恵と力が存在しています。そこには、人としての公正と独立、学術を大事にするポリシー(精神)が、国家としての独立精神が、脈脈として流れてるじゃないですか。第二次大戦の敗戦の教訓が、日本国憲法がつくられたじゃないですか。現代にいきる我々ですが、いったい自分がどの様な位置にあるのか。宝を真に自覚しているか。そうしたことをはかるところの、人としての努力の物差しといったものが、そこにはあるじゃないですか。今回分かったんですが、ヘーゲルの『世界史の哲学』(『歴史哲学』)というのは、この問題をテーマの一つにしていますね。マルクスやレーニンの科学的社会主義というのは、そこの検討から自覚されてきたんですね。宮本顕治氏などの努力というのは、現代日本での課題というものが、まさにそこにこそあったんですね。それはごくつい最近のこと、同世代のことじゃないですか。今を生きているものとして、この尊厳を、これは国民的な宝ですから、大切にしたいものですね。ルターからバッハ、カントからヘーゲル、マルクス、レーニン、さらには福沢諭吉、夏目漱石、新渡戸稲造、宮本顕治などなど、脈々とした努力がありますが。それらは、今の課題を明確に指し示しているところの先人たちの努力ですが、そうであれば今生きている者としては、それを引き継げるような存在としたありたいものですね。
2023年02月26日
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温州みかんの終了2月25日の永山団地の朝市ですが、今年の温州みかんの販売ですが、そのすべてを終了しました。小田原方面の柑橘類栽培は、なんと言っても温州みかんが中心ですから、その一番の大仕事が、本日、無事に終了したということです。やれやれと言ったところです。次の写真は、2月23日のみかん園の様子です。鉄塔の下側にあるのは、園主が大切にしている甘夏です。今回のみかん園行きで、清見、湘南ゴールド、日向夏に防鳥ネットの網掛けをしてきました。この時期は、みかん園に食べ物が少なってるので、それらをヒヨドリが狙ってるんですね。今はネーブルを販売していますが、少しの量ですが、それらの中・晩柑橘が、これから順次朝市に並びます。5月の甘夏が最後となりますが、それまでの間も、何かしらの柑橘が並びます。鉄塔の周りですが、そこも元はみかん畑だったんです。人の手が及ばなくなると、イノシシのねぐらになって、みかんを食べに出てきますから、こうした荒廃地を、なるべく減らさなければなりません。今回の野焼きは、その整理による切り枝や刈草を片付けたんものだったんですが。まだまだ、手の及んでないところが沢山あるということです。みかん園の中についても、枯れ枝の除去や密集枝をすく後始末の作業がありますし、新たな年度のみかんの栽培サイクルのスタートです。春分の日ころからは元肥の施肥がありますし、その前には、根回りの草刈り作業があります。ようするに、みかん農家には、休む間もなく、あれこれの仕事が待っているということです。農家以外の人たちは、そんなことは知ってませんが、知ろうともしませんが、この裏方の基礎作業が、順調にはたされてこそ、良いみかんを提供することが出来るわけで、欠かせない作業なんですね。これがみかん栽培で一番大変な作業でもあり、みかん畑を維持していく上で、大事な基礎作業なんです。
2023年02月25日
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みかん園の周辺整備2月21日午後1時48分、平塚から見た富士山です。一年で、一番寒い時期ですが、春一番も吹いたようで、そろそろ春への季節の変わり目です2月23日(木)、祝日の交通渋滞の中を、援農に3人の人が早川のみかん園に来てくれました。みかん園から見ていると、小田原の石橋ブリッジは、朝から大変な渋滞がつづいてました。祝日とはいえ木曜日ですよ、それなのにちっとも車が動いてないんですから。あの渋滞の中には、どんな楽しみが先にあったとしても、私などは巻き込まれたくないものです。ということは、援農に来てくれる人も、そうした流れの中にあるわけですから、さぞかし、その中を来るのは大変だろうな、想像したりして。しかし、そんなことを思っても、仕方ありません。それを見た朝からは、自力更生です、みかん園の周辺整備した切り枝を集めて、どんどん野焼きを始めました。まわりは枯草が囲んでますから、火には要注意なんです。午前中で、クタクタでした。それで、最後の切り枝の片づけは、援農者に頼みました。もう、早朝から切り枝を集めるので、てんてこ舞いでしたから、クタクタだったんです。しかし今回で、そのみかん園の周辺整備を片付けておかないと、肝腎の、本題の作業となるみかん畑の手入れ作業に入れませんから。これまでは、みかん園内の草刈りもままならず、みかん園の周辺整備にも手は回らず、肝腎のみかんの木の枯れ枝切りなどは、ままならなかったわけですから。今回は援農の人が来てくれたんで、みかん園の周辺整理が、一回一回、一日でビシッと終了することが出来てるんですよ。援農があるとないとでは、雲泥の差なんです。次の写真は、昨日、2月22日(水)の真鶴のみかん園の入り口です。梅の花が満開でした。今回で、湘南ゴールド、清見と日向夏に対して、防鳥ネットを閉じることが出来ました。一仕事が終えると、まわりの景色が、視野の中に入ってくるということです。仕事に追われていると、いつの間にか「梅の花は散りにけり」なんです。今回は、梅の花を見れたということです。もっとも、小田原の「梅まつり」の方は見逃してしまったんですが。前は、曽我梅林で花見を楽しむような余裕があったんですがね。小田原・曽我梅林の梅まつりに行ってきました | みかんの木を育てる-四季の変化 - 楽天ブログ (rakuten.co.jp)
2023年02月23日
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クライスト著『サンド・ドミンゴ島での婚約』紹介私は文学というのは、まったく疎いんですが、今、福田静夫先生のヘーゲル『世界史の哲学講義』を視聴しているんですが。その中で、クライスト著『サンド・ドミンゴ島での婚約』が紹介されたんですね。ヘーゲルの世界の歴史に対する視野がいかに広いかとの一例として、テニスの大坂なおみさんの出身地のハイチ、その中南米の歴史の一コマを描いた作品として、この本を紹介していただきました。クライストという作家の名は、この紹介で初めて知ったんですが。ハインリッヒ・フォン・クライスト(1777-1811年)岩波文庫の冒頭に小伝が紹介されてました。ドイツの作家で、ナポレオンやヘーゲルの時代の人で、34歳で心中自殺してるんですね。ヘーゲルは、『精神現象学』でフランス革命とともに、ハイチの革命を追跡している、と福田先生は指摘しておられました。その流れの中で、クライスト著『サンド・ドミンゴ島での婚約』されてました。岩波文庫でその作品を取り寄せたんですが。舞台は、1803年ころ、フランスの植民地だったサンド・ドミンゴ島でおきた革命(叛乱)なんですね。私などは、タイトルに注目して、まず「チリの地震」を読んだんですが、ありました『サンド・ドミンゴ島での婚約』が。この作品集は全部で7編の短編が掲載されてるんですが、これが彼の短編のほぼすべてだというんです。現地の住民の反乱により、そこを統治していた人たちが追われる、リアルな緊迫した事態が背景です。住民の反乱により追われて、逃亡している家族、その中の青年と現地の娘さんとの愛と、その結末。悲哀の話なんですが。この作品ですが、『世界短編名作選 ドイツ編』(蔵原惟人監修 新日本出版社 1977刊)が、ずーっと本棚にほこりをかぶっておかれてたんですが、それにも収録されていました。まぁ、日々のあれこれの忙しさら、世界の文学まで視野を広げなんてことは、なかなか、いやほとんどないんですが。あらためて、その大切さの認識を新たにしました。1803年頃と言ったら、日本では江戸時代ですよ。その中でヘーゲルは、アメリカやフランス、さらにはハイチの革命までも、最新の動きを追跡していたこと。クライストでいが、植民地革命、そのサンド・ドミンゴ島の出来事を、その息吹を描き伝えてくれているんです。私などの認識の狭さからすると、当時の頃というのは、黒人ドレイ制度の植民地、プランテーションくらいのイメージしか浮かばなかったんですが。その程度だったんですが。ここには、フランスの影響もあるんでしょうか、植民地の解放闘争の、なかなか単純ではない関係や、恋愛など人間性がテーマとなって、短編の中に生き生きとテキパキと描かれてるんです。それは、現地の人たちの特性でしょうか、それとも作者のクライストのセンスによるものでしょうか。いま、核兵器禁止条約をめぐっても、中南米の人たちの生き生きとした活動がありますよね。被爆国の日本としては、その政権政治家たちに爪の垢でも飲ましてやりたいんですが。そこには、中南米の人たちが、こうして歴史的に苦労してきたことも背景にあることが、この作品で伝わってきます。私などの日々の暮らしは、八王子と小田原のみかん園を、ただただ往復するだけの、思弁的・考案的な生活スタイルで、ちっとも行動的じゃないんですが。それに比べると、1803年のドイツやハイチの人たちは、人間的であり行動的ですね。もっとも、戦前の日本社会にあっても、新渡戸稲造、夏目漱石、宮本百合子など多くの知識人は、広く国際的な、民主的な最新の知見をつくろうと努力していたわけですが。それにくらべて、今の政権にありつこうとする政治家たちの卑屈さはなんとしたことか。いまの日本は、民主主義的社会に生きているはずなんですから、常識として、世界に通じる、科学的知見をもたなければならないはずなんですが、それを平気で蹴飛ばし、軍拡にすり寄って、政権に加えてもらおうとしている。マスコミも、おなじで体制翼賛的になっている。私などは、そうした卑屈な病気に感染しないように、せめて時には「世界短編名作選」でも、ほこりを払って読むようにして、世界の人たちにの息吹きにふれてみる必要があると感じました。すばらしい短編ですよ、クライスト著『サンド・ドミンゴ島での婚約』をおすすめします。
2023年02月19日
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温州みかん販売の最終段階2月18日の朝市を終了しました。単純計算で37袋が売れました。陽気が暖かくなると、少しですが、買いに来てくれる人が増えてきます。しかし、温州みかんの販売は、最終段階に入っています。次回で販売は終わるかもしれません。次の柑橘は、ネーブルや清見なんですが、それは農家の人たちの都合によるものですから、はっきりした予定は分からないんです。まぁ、金柑やレモンで、それらの合間あいまをつなぐわけですが。今回の早川のみかん園の作業ですが、援農の人たちの力を借りて、枯れたみかんの木の処分や雑草の草刈りでした。鉄塔の手前にある枯れたみかんの木を処分して、雑草を刈って、上の方に押しもどしました。今の時点では、冬枯れしてますが生きています。これが春雨でも降ると、雑草の繁茂がはじまりだします。去年は、この時期はみかんの販売もあって、草刈り整備がよわかったんです。今の時点で、枯草を草刈りして片付けておけば、この先の春は発芽してくる若草を刈るだけで、枯れ草を刈らなくて済むんですね。かなり草刈りが楽になるはずです。去年はイノシシ対策の鉄柵なんかは、草に完全に覆われていて、柵が見えなくなっちゃったんです。柵の状況が分からないから、イノシシがそこに抜け穴をつくったとしても、分からない状態でした。今回は柵に巻き付いているつる草をはぎ取ってますから、柵の状態は明確です。今年は援農の人たちの力があるので、いつものようにくたびれて、手が回らない状態ではなく、テキパキとかたづいていきます。やはり、援農の人たちの力は、農家にとって貴重なんですね。この力があるかどうか、その違いで、畑の手入れや疲労の具合が、雲泥の差になります。
2023年02月18日
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新渡戸稲造『武士道』の内容と意義岩波文庫で新渡戸稲造著『武士道』は1938年に刊行されました。私などの手元には、1980年の第23刷(矢内原忠雄訳)があり、これで当たってるんですが。その中の一点だけ紹介させていただきます。その第一章の第二分節からですが、そこでこんなことを書いています。一、「ペリー提督が我が国の鎖国主義の戸をたたきつつあった・・・。その後10年をへて我が国の封建制度が最後の息を引き取ろうとしていたころ、カール・マルクスはその著『資本論』において、封建制の社会的政治的諸制度研究上の特殊の利便に関し、当時封建制の活きた形はただ日本においてのみ見られると述べて、読者の注意を喚起した。私も同様に西洋の歴史および倫理研究者に対し、現代日本における武士道の研究を指摘したいと思う」(P24)二、この本はアメリカで最初に刊行されたんだそうです。1899年(明治32年)に、日本を知ってもらいたいということで書かれた。当時のアメリカ大統領のセオダー・ルーズベルトですが、『ニトベの本を読んで、60冊も買って知人たちにくばったよ』と言っていたそうです。三、新渡戸稲造という人は、後に1919(大正8)年に国際連盟が結成されましたが、日本にはその事務局次長の役が割り当てられ、政府に要請されてジュネーブでその任に7年間あたったそうです。新渡戸という人は、そんな国際的な見識ある良識人だったんですね。何を私は言いたいかですが。新渡戸稲造という人は、最新の科学的な知見を持っていたし、それを率直に表明していた。そのことが、アメリカ大統領にも、軍部の影響が強まる下での日本国政府にも、一目も二目も置かれていたんですね。こうした人が実際に日本政府代表として国際連盟の事務局次長を務めていたんです。そのポリシーがここに刻まれて、残っているんです。ところが今の日本政府の政治ですが、平和憲法の原則を政府の閣議で勝手に投げ捨てて、相手国を攻撃するミサイルを43兆円も買う方針をすすめている。第二次世界大戦で、アジア諸国にすすめた侵略戦争についての反省すら、はっきりと表明しようとしない。そもそも、そうした態度の根底には、それは学術の成果というものを受けとめようとしないこと。自分たちにつごうのよい部分しか認めようとしない。それ以外は排除している。政権者というのは、何でもできるとでもいうんですかね。これじゃあ「朕は国家なり」ですね。これが今の日本の現実です。しかし、これじゃぁ裸の王様で、世界からは笑いものですね。しかしその人たちは、兵器を爆買いする。それはそれを使うことにすすみかねないけですから、これはまったく危険極まりない。それが「国民の代表」だという。もしもそれを許す国民だとしたら、その国民もまた危険極まりない。この明と暗の両面ある今の現実ですが、これは、ここで戦後の民主主義が試されてるんですね。わたしたちは、この問題をどのように解決していくか、それが問われてるんですね。少なくとも、憲法の前文にうたってるじゃないですか。「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義を信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。・・・日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓う」これの到達点を死文として、投げ捨てようとする政治家たちが横行しているわけで、本来の国民が願っているはずの政治に、それを変えることが求められているわけです。この立場にこそ、心ある世界の人たちとの平和・友好の連帯につながるわけで。そもそも『武士道』とは、そうした道理ある道をいかなる困難な事態の中でも、断固としてつらぬいていくこと。かつては実際にそうした人たちがいたわけだし、今こそ、その精神が求められているわけです。そうした意味で、新渡戸稲造の『武士道』ですが、再度読み返してみたいと思います。
2023年02月17日
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小田原のみかん園に2組の援農が自然の暦というのは当たってますね。2月14日(火)、小田原は海沿いの下界は小雨程度でしたが、山にかかっていた雲がきえると、箱根山は雪でした。わずかに高低差で、状況が一変します。箱根山の方は雪、小田原の海岸沿いのみかん畑では雨です。その境界線が、どのように動くかは誰も知りません。みかん農夫は、それに合わせようにするしかないんですね。今回、この条件の中でですよ、雪の積もった箱根山から二組の援農者が、小田原のみかん園に来てくれました。一組の方は、まだ二度目の来園ですから、みかん園の全体状況を、そして早川という条件を見ていただきました。もう一組の方たちは、1月から毎週の皆勤賞でして。この間に、みかんの残払いから、みかん園をおおいつくしているセンダングサの草刈りから、更にはみかん畑に押し寄せてくる竹を切り払うことか、…。今回は、みかんの枯れ木の除去と猪柵にまとわりつくつる草の除去をしてくれました。美味しい綺麗なみかんをつくるには、農家のなかなか知られてない努力が、たくさんあるんですね。「日本の農家は優秀だから、外国へ輸出すればよい」なんて、バカな政治家どもがほざいてますが、たとへ一日だけでも、農家の苦労を体験させてやりたいですね。自分の愚かさというのを自覚させてやりたいですね。まあ、口八丁の言い逃ればかりして、逃げまくるでしょうが。今日、2月16日朝、野焼きをしにみかん園に出かけたところ、農道の登り道が異変をきたしていました。イノシシがみかん園から出ようとして、柵をこわすために、石垣をゴロゴロと崩していたんですね。昨日夕方かえる時は異常はなかったですから、昨夜から今朝にかけての仕業です。人が、このころがった石を、通行の邪魔なならないように元に戻すのは、ましてや石垣を復旧するのは大変なんですよ。それをイノシシはくりかえし、壊していくんです。いぜんは、こんなことは無かったんですが、ようするに、イノシシは人の力が弱まっていることをみこして、人が農作物をつくっている範囲にまで侵入して来ているんですね。被害の深刻さは、この10年くらいの中で問題化してきたんです。農家が今置かれた状況ですが、ここにも客観的な人の対応力と、人と猪の関係が示されてるんですね。本日、援農の人たちと、草刈りをしながら会話したことですが。日本は、戦後の農地解放で、農家の多くは自作農になったじゃないですか。その当時の人たちは、戦後70年、あの世に召されています。その子供たちの世代が今70₋80歳なんですが、その人たちが農地を頑張って維持しているんです。まともに、その子供たちに、農家を継げなんて胸を張って言える人はいるでしょうか。安定した収入などなく、ばくちのように市況に身をゆだねることを、自分たちは我慢してやってきたとして、それを子供たちに「継いでくれ」なんて、いったい誰が言えるでしょうか。そうした状況ですから、子供たちは会社員・公務員として、過労死生活が実際ですから、たとえ日曜の休みだとしても農家作業をするような状況ではありません。キュウキュウとして70₋80歳の老夫婦が畑を維持している。それが、イノシシが闊歩しだしている実際の事情なんです。今日の会話ですが、「このままの無策な農業政策がつづくとしたら、「ノー政」が続くとしたら、この先の10年後には、いったい日本の農業はどうなっちゃうんだろうか」ということでした。誰も、これに対してまともな回答は出来ないと思うんです。あったとしたら、聞かせてほしいんですね。今日は、とにかくみかん園の草刈りをして、枯れたみかんの木と枝を集めて、野焼きをしたんです。それによって、見通しが出てくるわけじゃないんですが、しかし、みかん園を荒れたままに放置しておくわけにはいかないじゃないですか。やっていて、それにより富が生まれるわけじゃないですから、徒労ともいえる作業なんですが、しかし、その作業にたいして、二組の援農者が、寒い雪道の中をやってきてくれたんです。この援農というのは、これによって農家の希望がひらけるなどとはいえませんが、しかし、ものみな農家を捨てて顧みないような政治の中では、これは、一つの確かな希望につながる要素ですよね。まともな方向を切りひらくために、今、現在の流れを変えるために、人の力と能力が、問われている時だということです。もはや、70歳⁻80歳の私たちには、それほど残されている時間はないんですが、それぞれが、自分だけの活路をさぐることでグズグスしてるとしたら、本当の活路は出て来ない。たとえ一点でも、なんとかみんなの力と知恵を、この打開のためにつくすということです。
2023年02月16日
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第三回ヘーゲル『世界史の哲学』講座2月12日、福田静夫先生のヘーゲル『世界史の哲学』が開かれました。第四部「ゲルマン世界」を4回で学習しようとしています。今回はその3回目でした。この講座の中身については、後日、この講座の録音CDが到着してから紹介させていただきます。学習会の前に、ヘーゲルの『世界史の哲学講義』の本文と、福田先生が作成した要点「本日の課題」を送ってきてくれています。この数日、それを読んできたわけですが、これは、これらに対する私などの勝手な感想です。前回(1月22日)の学習では、ゲルマン民族の民族移動の結果、ヨーロッパの諸国が原型が出来てくるのを見ました。今回の対象は、その続きで「キリスト教会の本性」「十字軍とその歴史的意味」「市民社会の形成と封建体制との対立」「ルターの宗教改革」「宗教改革後のヨーロッパ諸国」、などでした。一見すると私たちの日常とは疎遠な感がすると思うんですが、どうしてどうして、それは卑近な問題なんですよ。ヘーゲルがこの『世界史』の講義をしていたのは1820年代です。日本では江戸時代です。その時代に、今日、私たちが西洋史、ないし世界史として学んでいることの原型を、当時の最新の知見をまとめて提起しているわけです。なおかつ、その中にある関連(発展)性や問題点を考察しています。この努力というのは、じつにすごいものですよ。今回のところで、私などが学んだ点ですが。西洋の歴史、中世のゲルマン社会の歴史ですが。一、ヨーロッパでもギリシァのように八百万の神の時代があった。万物の一つ一つに神が宿ると。それが旧約聖書の時代になると、ユダヤ教やイスラム教ですが、一つの神教-絶対的な存在がでてくる。さらにそれが、西暦の始まりの、新約聖書の時代になると、イエス・キリストという「神人」の人間をとおして神的本質と人間的本質とを統一しようとの考え方が出てくる。キリストを通じて神を知るということですが。いわば絶対的真理を目指して人はそれに永遠にせまってゆくとの方向なんだ、というのがヘーゲルの指摘ですね。二、キリスト教が抑圧されていた状態からローマですが、国家宗教にかわる。そのキリスト教国家は、ヨーロッパの各国が共同して、キリストの墳墓のあるパレスチナを、イスラム教徒の手から奪還しようとして十字軍を繰り出してますよね。これは中世の国際戦争ですよね。何回にもわたり、100年以上も繰り返されたんですから。これはすごい歴史経験です。それは目的を達成できたのか。どの様な結果をもたらしたのか。ヘーゲルの考察ですが、使徒の「ルカによる福音書」の、キリストの死と復活の問題の紹介して、感覚的な即物的な聖墓が問題ではなくて、その精神的な意義こそが大事なんだと一節に認識に光をあててます。これは何を言いたいのか。これって、キリストの死をどうとらえたらよいのか。人間というのは誰しも死ぬじゃないですか。どの様に心の整理というか、残された人たちはそれにどの様に対処すべきか。十字軍で墳墓を力ずくで奪還しようというのも大きな時代の経験だったんですが。そのことから、人がくみ出した教訓ですが。「復活」というのは、なくなった人の精神というのは、残された人たちの心の中に生きている。その精神に対する評価をしっかりとすることが、残されたものにとっては大事になということじゃないでしょうか。これって、人となりの歴史的意義の問題ですよね。それに光をあてるという問題ですよね。たとえば両親の死にしても、偉人の死にしても、誰であっても、その死は避けられない。その時に、残されたものはどの様に対処すべきか。こんな問題をヘーゲルは考察しているわけです。あながち無関係なことでもないでしょう。三、十字軍の副産物というか結果ですが、地中海の交易が発展する。それは文化の交流をもたらし、イタリアにルネサンスと科学、人道主義をつくりだし、さららは諸国の発展をつくる。それが宗教改革につながっていく。宗教改革というのは、何百年にわたるキリスト教国家がつくりだしてきたあり方、悪しき習慣に対する批判ですね。ヘーゲルは、それまでのキリスト教の外的な権威というものにたいして、人間の主体性(内心)を重んずる信仰としてのプロテスタントの対立を指摘しています。それはカソリックとプロテスタントとの対立となって、ついにはヨーロッパを30年戦争という、歴史的な国際的宗教戦争にまですすむことになった。この大変な宗教戦争の経験などの中から、「国家(市民社会)と宗教」とのあらたな関係が、様々な形で問い返されてくる。封建制の国家から近代国家への移行・発展の何にある問題ですね。イギリスやアメリカ、フランスの革命がおきますが、後進国のプロイセンからヘーゲルはそれらから学んでいるわけです。そこでは「国家と宗教」の関係、立憲主義や国民主権の問題、民主主義や議会制度の問題、思想・信仰の自由の問題、国家間の『永久平和』を創る問題、人権というものの発展がでてくる。アメリカやアジアをふくめた世界の歴史がつながりだす。ヘーゲルの「世界史の哲学」講義ですが、こんな歴史の宝が考察されているわけです。四、どうですか、中世ヨーロッパの歴史ですが、すこしは身近かな事柄になりましたか。これって日本が直面している問題の関係で見ても、学ぶべき点が多々あると思うんですが。ヨーロッパの近代史が長い苦労を経験してつくりだしてきたことが、日本ではきわめて短期間に問われているんじゃないですか。たとえば日本の歴史にだって、形態は違っても、国家仏教の時代や国家神道の時代があるじゃないですか。長きにわたって、ずーっと絶対的な権威をおしつける政治社会が続いてきたわけじゃないですか。それが幕末・明治維新から、西洋の文化に触れて、どの様な課題があり、どの様にすすむのか、本格的に問題になった。国家神道の問題だって1945年まで完全に社会に続いてきたわけじゃないですか。しかもまだ、抜けきれてないじゃないですか。これは西欧が400年かかってつくりだした歴史の成果を、日本は100年で学び・体得することが求められているということです。夏目漱石や新渡戸稲造など、近代の知識人の苦労は、そして今につづく問題は、そこにあるわけです。たとえば、「国家と宗教との関係」のひとつとっても、歴史的に見れば、明治憲法の信仰の自由は条件付きの自由だったけど、それは治安維持法の抑圧の体制でもあった。敗戦にともない今日の憲法として成文化された。それはたしかに文面では正確であり、素晴らしい制度として確立したんだけど、はたしてその担い手・当事者の国民にとっては実体的な権利としてどれだけ生きて使われるものとなっているのか。それは、どれだけ私たちの自覚となっているか。国民の自覚になっているのか。さらに、第二次世界大戦の日本の侵略戦争としての反省ですが、この国民的反省が、どうして政治の世界ではあやふやなのか、逆行しておかしな連中が横行しているのか。それが許されているのか。さらにそのことは、平和憲法をもつ日本で、どうして43兆円もの軍事費を投じて相手国の基地をたたくなんて政治がすすめられようとしているのか。憲法をまもってすすめるべきはずの政治家が、どれだけそれを理解し、実行しているか。問題の基本にあることは、共通している問題じゃないですか。ようするに、近代の正確な歴史を、国民的にしっかり主体的に学んできていないつけが、その実体的な現実というものが、その矛盾として、集中的に吹き出しているのが、今の状況じゃないですか。先人は苦労して進めようとしてきたけど、国民の広い範囲では、まだそれをしっかりと自覚するに至っていない。その間隙をうかがうようにして海千山千の連中が横行している。このギャップですね。これがこころある先人たちが苦労してきた問題なんですね。その流れの中にあるわけですから、私など主人公の一人としては、どんなに歯がゆくても、声をしっかりあげていくことが大事だと思います。私などの学習も、このヘーゲルの『世界史の哲学講義』(『歴史哲学』)の学習についても、現在の日本を少しでも前にすすめる力をつくること、たんにあれこれ解釈して思いめぐらしているんじゃなくて、変革するための力をつくる、それが大事になっているということです。講座の報告だったんですが、話が広がりすぎました。福田静夫「ヘーゲルを学ぶ」講座ですが、次回の3月が最終回です。
2023年02月13日
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雪の残る定例朝市2月11日(土)朝、まだ雪が残る多摩の永山団地で、定例の朝市をひらきました。当方は、毎週土曜日にみかん市を開いているんですが、「定例」というのは、月に隔週で二回ですが、当地のNPO団体が、地元の多摩市の農家や群馬の農家から野菜を取り寄せて販売しているんです。この日は合同しての開催ですが、これが「定例朝市」です。その他の土曜日は、2,3回については、単独でのみかん朝市になってます。今回は、昨夜の雪がうっすらと残っていたので、まず一番は、雪かき作業からのスタートとなりました。商店会の向かい側の広場ですが。子どもたちがつくった雪だるまが残っていました。大きすぎて、頭を胴体の上に持ち上げられなかったようです。
2023年02月11日
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八王子でも雪が降り出す2月9日(金)午前10時、東京・八王子市でもうっすらと雪が積もりだしています。昨日、知人が電話して来てくれました。「いまどこにいるの? 明日は、朝から雪になるとの予報だから、みかんの届けは今日のうちに済ませておいた方がよいと思うよ」と。こっちは、小田原方面に行くと、感度の悪いラジオしかなくて、せいぜい音楽くらいしか聴けないんです。9日(木)は、感覚として、天気は快晴だったんで、明日が雪が降るなんて、信じがたかったんですが。この青空の下では、明日が雪になるなんて、ちょっと信じがたいでしょう。しかし、電話して来てくれた知人の声は心配そうな声で、しかも真剣だったんで、念のためと、予定を前倒しして、9日(木)午前のうちに帰京して、その日(昨日)の午後のうちに、みかんを各宅に届けておいたんです。「明日は、雪になるかもしれないなんで、脅かす話もあるもので」などといいつつ。正解でした。本日・10日(金)、午前10時には、団地内の道もうっすらと雪が積もりだしています。雪道になれてない私の運転ですから、このまま雪が降り続いたとしたら、坂道の多い多摩市の、カーブのある細い道は、ましてや稲城市にゆくために連光寺の峠の坂道を越えていくのは、いささか危険になってきます。しかし、すでに昨日のうちに、みかんは届けてありましたから、むしりて本日動きまわる必要はなし。後は、明日の朝市の状態がどうなるか心配ですが、まぁ、これはいくら心配しても、それで事態が代わるわけでもないわけで。天候と路面の状態が回復するのを期待しつつ、12日に予定している第三回福田静夫「ヘーゲル歴史哲学」講座の準備をすることにします。雪は降り続いてます。長野や新潟の人たちには、『なんだ、このくらいの雪で』と言われるでしょうが、雪になれてない東京人にとっては、これでも大事です。これは団地の中の、比較的に問題の軽い地域での様子ですから、これが八王子の御殿峠とか、多摩市の連光寺の峠の坂道ともなると、もっと雪が多くて、大変な交通状況なわけです。
2023年02月10日
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市民連合の要請と、共産党との懇談「安保法制の廃止と立憲主義の回復を求める市民連合は、2月7日に日本共産党にたいし14項目の要請書を渡すとともに、両者による懇談が行われました。2月8日付の「しんぶん赤旗」で、このことを知ったんですが。この要請というのは、岸田政権がすすめている政治、すなわち平和憲法を変えて、43兆円かけて軍事力で世界を脅かす日本をつくろうとする道を、これを力を合わせて止めようというものですが。14項目の要請ですが、それぞれは、国民の切実な願いでもあると思います。その第一項は、「憲法・専守防衛を基本とし、敵基地攻撃能力保有を認めず、防衛費の拡大と防衛増税に反対すること。」です。全体の14項目のそれぞれが、国民の切実な要求をまとめたものと思います。「しんぶん赤旗」に、その14項目の要請課題が掲載されていました。インターネットを見ていたら、この両者の懇談が配信されていました。この懇談は、50分くらいなんですが。志位委員長 「市民連合」から「要請文」受け懇談 2023.2.7 - YouTubeこの懇談が、すばらしいんですね。現在の状況を、問題を、それぞれが率直にだしあって交換し合っているんです。残念ながら、なかなかその様子は、多くの人の目には届いてないと思うんですが。また、懇談の様子ですが、新聞をもってしては、紹介がごく限られちゃって、伝わらない。ぜひ、このユーチューブの配信で、現在の課題というものを、未来を拓こうと努力する懇談の内容を、確認してみてください。
2023年02月10日
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