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毎週日曜日のお楽しみ、漢字学者阿辻哲次氏の日経連載「遊遊漢字学」。本日阿辻先生が取り上げた漢字は、「春」。この「遊遊漢字学」の掲載が開始されたのが2017年の春3月のことでしたから、丸3年にわたって、私は日曜日の朝をワクワクしながら迎えたことになります。春は卒業式のシーズン。別れの季節でもありますね。本日の投稿を以て最終回となるこの講座のテーマが「春」というのは、これはいかにも阿辻先生らしい心配りといえましょう。「春」はもともとは、「艸(くさ)」と「屯」と「日」と書いたのだと阿辻先生は教えてくれています。「屯」には「草木が芽生えるさま」の意があり、そこから「春」とは「うららかな陽ざしのもとに草木が芽を出す」ことなのだと。日本人なら春をサクラの開花とともに実感するでしょうけれど、漢字の本場中国では「柳絮(りゅうじょ)」(ヤナギの綿毛)が飛ぶ時期に春の到来を知ように、いかなる国でも人々が心待ちにする春は、厳しい冬に耐えて静まりかえっていた木々や花々が、うららかな陽光をあびて成長をはじめようとする時に凝縮するようだと。また「春」と「青」をつなぐと、これまたお馴染みの「青春」という熟語になりますね。まあ今さらこの歳ともなれば、ただただ甘酸っぱい感傷がのどをつくばかりの感はありますが、阿辻先生は「青春とは芽吹きだした植物のように無限の可能性を秘めて、これから花を咲かせていく時期なのだ」とおっしゃっておられるように、たとえ枯れ尾花と後ろ指を指されようとも一花咲かせる努力をしてみましょうか。(苦笑!阿辻先生、3年間の長きにわたってありがとうございました。しばらくして後、この「遊遊漢字学」が編集校正されて出版されることを心待ちにしています。そうしたら私もかの孔子を少しでも真似て、「葦編三絶(いへんさんぜつ)」に勤しみたいと思います。阿辻先生には、ご健康に留意され、今後ますますご活躍されますことを心より祈念しています。私の『「遊遊漢字学」が楽しみ』も、本日のPART116を以て終了とさせていただきます。◆酒そば本舗トップページへ◆**貴方の共感できる生き方がきっとある**にほんブログ村
2020年03月29日
毎週日曜日のお楽しみ、漢字学者阿辻哲次氏の日経連載「遊遊漢字学」。今週阿辻先生が取り上げた漢字は「竹帛(ちくはく)」。何とも見慣れぬ言葉です。まあ「竹」はお馴染みの漢字ですからわかるとして、問題は「帛」。読みは「ハク」で絹、絹布のこと。つまり「竹帛(ちくはく)」とは、竹と絹のことで紙が発明される前に文字を記した素材のこと。竹を削って長さ23センチ幅7ミリくらいの短冊とした「竹簡」や「木簡」は、古代中国で紙が発明される前に最も広く使われたたことは、以前この講座で学びました。一方絹は三千以上も前の甲骨文字の時代から、「桑」や「蚕」の文字があるそうで、すでにその時代から養蚕がおこなわれていたことがわかると阿辻先生は教えてくれています。現代においてさえ絹は高価な繊維で、絹の着物など庶民にはなかな身に着けることは出来ないように、そんな高価のものに文字を書き付けるということは、さすがに漢代より前にはほとんど見当たらないそうです。しかし逆に、大切な文章は絹に記してまで残す価値があったということでもあるわけで、文字がいかに大切であったかの証明でもあります。孔子が説いた儒学では、親に対する「孝」を大切にしましたが、もっとも究極の親孝行は、「あの優れた方のご両親はきっと素晴らしい人だったのに違いない」と、世間に両親の存在を顕彰することにあったと阿辻先生は教えてくれています。儒学の経典『孝経』の冒頭には、「立身行道 揚名於後世 以顯父母 孝之終也(身を立て道を行い、名を後世に揚げ、もって父母を顕かにするは孝の終わりなり)」と記してあると。これを「名を竹帛(ちくはく)に垂(た)る」というと。・・・う~む、私も後世に「竹帛」垂(た)りたいものだとは思いますがね。今この歳になって初めて「竹帛」ということばを知るようでは、とても無理というものです。(涙!◆酒そば本舗トップページへ◆**貴方の共感できる生き方がきっとある**にほんブログ村
2020年03月22日
毎週日曜日のお楽しみ、漢字学者阿辻哲次氏の日経連載「遊遊漢字学」。今週阿辻先生が取り上げた漢字は「婦」。予習の意味で字引きで「婦」を調べてみると、「女」+「帚(ほうき)」で、家事をする女性。音は「付」「扶」と共通し、「よりそう」の意とありました。今日3月8日は国際婦人デー。20世紀の初めにニューヨークで女性の参政権を求めるデモが行われた日に由来すると、冒頭に阿辻先生も述べておられます。女性解放論者からすれば、成り立ちが女性は箒(ほうき)をもって掃除をするものと決めつける「婦」という漢字ほどけしからんものはないということになるのでしょうけれど、もともと古代中国では完全な男尊女卑の社会。それを最も象徴しているのが、「女」という文字。「女」という字は、ひざまづいて両手を前に組み合わせている人間をかたどった象形文字だと習いましたね。しかし、「婦」は「女」と同列に扱うわけにはいかないというのが、今週のテーマ。紀元前の中国では、宗教的な儀式の前に神が降臨する神殿を掃き清める重要な道具が「箒(ほうき)」で、それを手に出来る女性は特別な存在であったと阿辻先生は教えてくれています・・・なるほど、それで今日でも「婦」には高貴な女性、貴婦人の意が残っているのですね。私は既婚の女性が「婦」で、同様に男性なら「夫」。二人合わせて「夫婦」ぐらいにしか思っていませんでした。「婦」にそのような高貴な意味が込められているというのであれば、これは私もカミさんのことを軽々に侮れないなと、思い直した次第です。もっとも近頃では、私が箒を持ったり、包丁を持ったりすることも度々ですが・・・。(爆笑!◆酒そば本舗トップページへ◆**貴方の共感できる生き方がきっとある**にほんブログ村
2020年03月08日
古のわが国は中国より伝来した世界に類を見なない優れた表意文字・漢字を国字とし、その漢字より独自に作り出した文字、平かなとカタカナを組み合わせた漢字仮名混じり文で文章を表現するという、極めて合理的な表現方法を編み出しました。一方漢字の本家本元の中国では、漢字にこだわったがゆえにすべての言葉を漢字で表さなければならない。ゆえに膨大な数の漢字が作り出され、一文字が20画も30画もある漢字も出現してしまった。その膨大な文字を暗記するというのも大変なら、文章を書くにしても画数が多ければ時間がかかるという欠点を余儀なくされたのは言うまでもありません。さらには、時代が新しくなって欧米の文化が入って来るようになると、その新しい外来言をどう表記するかという問題に直面することになった。毎週日曜日のお楽しみ、漢字学者阿辻哲次氏の日経連載「遊遊漢字学」。今週の講座は、もともと中国になかったことばをどう漢字で書き表すのかということがテーマでした。阿辻先生曰く、漢字はその本質が表意文字であるから、外来語も単語本来の意味に即した漢字で訳すのが普通であると。すなわち、サッカーを「足球」、ピアスが「耳環」、アレルギーは「過敏反応」、ホームページが「家頁」のごとく。う~む、上手く考えるものですね。まさしくアレルギーは過敏反応そのもののことですし、ホームページにいたっては、「ホーム」と「ページ」を直訳してある。まるでクイズの回答を見ているようでもあります。わが国ではサッカーを「蹴球」、ピアスを「耳輪」と表現することもあるようですが、同じ漢字文化圏でも微妙な違いがあるのは、実に面白い。では最新科学技術の分野の言葉を中国ではどう漢字で表しているのかと調べてみると、テレビは「電視台」、ラジオが「廣播電台」。コンピューターは「電腦類」、パソコンは「個人電腦」。インターネットは「網際網路」。まあ、我われは幼いときより国字として漢字を習って来ましたから、「網際網路」は少し首を傾けなければ出て来ませんが、「電腦類」がコンピューターだとわかれば、「個人電腦」はすぐに想像できますね。ところがソフト(ウエア)を「軟體類(ルワン・ティ・レイ)」、そのソフト上の欠陥をいうバグを「蟲子(チョン・ツー)」となると、降参ということになってしまいます。ソフトウエア上の細かな欠陥を蟲(むし)と結びつける中国人の発想は、表意文字たる漢字への並々ならぬこだわりが垣間見れるといえましょう。ところがそんな中国人でもどう考えても表意をもった漢字が見つからないということもあるようで、自動車のアクセルになると、「阿克塞爾(ア・ク・セ・ア)」とストレートに音で表現しています。ちなみにブレーキのことは「煞車(シャー・ツー)」と「煞」という見慣れぬ漢字を用いて表意文字本来の表し方をしています。調べてみると、「煞」は音が(サツ、 サイ、 セツ)で、訓が「ころす、そぐ」という意味を持っています。私なんぞに言わせれば、あくまで表意にこだわってブレーキを「煞車」などと難しく表現するくらいなら、アクセルを「加速板」とでも書けばよかろうになどと思ってしまいますがね。(笑!さてここまで書いてくると、皆さんはわが国の漢字かな交じり文の優れた表記方法にお気づきになられたに違いないと思いますが、阿辻先生はさにあらず。「中国語の外来語の作成方法に比べると、カタカナに置き換えるだけの日本の外来語は、ちょっとお手軽過ぎると私には思える」とおっしゃっておられるのには驚き入ります。阿辻先生、それは先生が漢字をご専門になさっているひいき目じゃないですか?・・・う~む、しかし、これまで私も「遊遊漢字学」でずっと学んで来ましたからね。世界に類を見ない優れた表意文字・漢字の漢字たる所以は、まさに表意にあるわけですから、さすがは阿辻先生。感服仕りましたと申し上げておきましょう。これを漢字二文字で「忖度」というなどと、おっしゃらないでくださいね。(大爆笑!◆酒そば本舗トップページへ◆**貴方の共感できる生き方がきっとある**にほんブログ村
2020年03月01日
毎週日曜日のお楽しみ、漢字学者阿辻哲次氏の日経連載「遊遊漢字学」。今週阿辻先生は、中国前漢の武帝の時代に司馬遷によって編纂された中国の歴史書『史記』より、「夜郎自大」ということばを題材にされておられます。「夜郎自大」とはあまり見慣れぬ言葉ですね。「夜郎みずからを大とす」と読むのだということですが、その意味は「井の中の蛙大海を知らず」と同義だと聞けば、私なんぞは、ほぉ~、そんな言葉が中国にあったのかと思ってしまいます。「夜郎」とは前漢時代に中国西南地方にあったとされる国の名。2000年以上も後の世の、しかも大陸から海を隔てた東方の島国にまで、不名誉な名を伝え残すことになった「夜郎」にしてみれば、司馬遷をさぞかし恨めしく思うことでしょう。(笑!漢の武帝の領土拡大策により、「身毒」(インド)へ通じる道を探すため西南地方へ使者として派遣された王然干(おうぜんう)が、滇(てん)という国まで来たときに、滇王が「ところで漢とわが国とでは、どちらが大きいのだろうか」と王然干にたずねたと。さらに夜郎国まで進むと、そこでも同じことを尋ねられたことが「夜郎自大」の由来であると阿辻先生は教えてくれています。高校の漢文の時間に、副読本として「十八史略要解」という何とも難しい本を読ませた漢文の先生がいたことを思い出しますな。漢字ばかり並べられた何と読みどう解釈するのかさっぱりわからぬ本で、ずいぶん難義したものです。その「十八史略」にもやはり王然干と滇や夜郎国の話しが出て来るのではないかと想像しています。今思えばもう少ししっかり読んでおくのだったなということになりましょうが、そのころは蛙どころかオタマジャクシでしたからね。大海の存在を知らぬのは、滇王や夜郎国王と同列かそれ以下であったということになりましょう。◆酒そば本舗トップページへ◆**貴方の共感できる生き方がきっとある**にほんブログ村
2020年02月23日
毎週日曜日のお楽しみ、漢字学者阿辻哲次氏の日経連載「遊遊漢字学」。今回の講座はいつもと違って漢字や熟語ではなく、「ケモノヘンを持たぬ動物」という題になっています。冒頭「馬や象や羊にはどうしてケモノヘンがつかないの?」という小学生の質問が紹介されています。これは中国語学を専攻している大学院生でもなかなか思いつかない質の高い質問だと、阿辻先生もおっしゃっていますが、私はこの「遊遊漢字学」を毎週逃さず読んで勉強してきましたからね。その答えはすぐにわかりました。「馬」や「犬」「象」「羊」は、人々の日常生活に密接に関わって来た動物で、身近に接して来たはずですから、象形文字として漢字があみ出された初期の段階ですでに存在したはず。一方「ケモノヘン(犭)」のつく動物は、人々の生活に密着してはおらず、それこそ動物は自然界にあまたおりますから、「犭」で動物をであることを意味し、その動物の呼び名を音として表記して両者の組み合わせで表したというわけですね。ところで我々は、「犭」は「ケモノヘン」と呼ぶことに何の疑いも持ちませんが、「犭」は「犬」がヘンになったものだということ、ご存知でしたか?いわば「イヌヘン」というわけです。もともとは「犬」に関することを表したものに限って「犭」が使われていたものが、「犬」以外の動物一般も意味する漢字の部首として使われるようになったのだと。世界に類をみない優れた表意文字漢字であればこそ、「猫」「猿」「狼」と書かれれば我々は一目でそれが動物を表しているとわかります。ところで今回阿辻先生は「獺」という漢字も紹介されていますが、「獺」っていかなる動物か私にはわかりませんでした。音もなんと発音すればいいのか思い浮かびませんし、訓で読めと言われればなおのことわからない。(涙!しかし、まあ、これを「カワウソ」と読める人は、阿辻先生ぐらいのものでしょうよ。(笑!◆酒そば本舗トップページへ◆**貴方の共感できる生き方がきっとある**にほんブログ村
2020年02月17日
日本は中国より伝わった漢字を国字として採用し、その漢字から独自に編み出したひらかなとカタカナを組み合わせて表現する、漢字かな交じり文という優れた文字体系を編み出した国です。漢字四文字からなる「四字熟語」については、普段よく目にしたり自ら用いたりしていますが、ほとんどの四字熟語は前と後の二文字ずつにわけて解釈するように作られているということ、ご存知でしたか?毎週日曜日のお楽しみ、漢字学者阿辻哲次氏の日経連載「遊遊漢字学」。今日の講座はいつもと違って、我われが普段用いる四字熟語の構成について書かれていました。なるほど、そういわれてみれば、四字熟語は個々に意味を持つ前後二つの熟語が合わさって一つの意味をなしていますよね。その例として阿辻先生がお示しになったのは、「四面楚歌」と「臥薪嘗胆」。「四面」が「楚歌」の状態で、回りを敵に取り囲まれ孤立していることを表し、「臥薪」したり「嘗胆」したりして敗戦の恥をすすぎ仇を討たんと決意するというわけですな。ところが何事にも例外があるもので、その例として「一衣帯水」と「五里霧中」をあげておられます。「一衣帯水」は、「一」「衣帯」「水」で意味をなしている熟語であり、「五里霧中」は、「五里」「霧」「中」の塊として意味を持つと。・・・正直に申し上げます。「五里霧中」なら承知しておりましたが、「一衣帯水」って、初めて目にする言葉です。どういう意味なのかまったく想像もつきません。文字どおり五里先まで深い霧に閉ざされて手探りの状態ですな。(苦笑!いったい四時熟語ってどのくらいあるものかと調べてみたところ、9241語あるとありました。冒頭私は、四字熟語は「普段よく目にし、自ら使うこともある」と書きましたが、9000余もある熟語の内、いったいいくつぐらいその意味を承知して「目にし、自ら使うこともある」のだろうかと、自らの薄学を深く恥じ入っています。願わくば「遊遊漢字学」で少しでも漢字の知識を深めることが出来ればと、思いを新たにしているところです。まあ、これを「困知勉行」というのでしょうかね。(苦笑!◆酒そば本舗トップページへ◆**貴方の共感できる生き方がきっとある**にほんブログ村
2020年02月09日
毎週日曜日のお楽しみ、漢字学者阿辻哲次氏の日経連載「遊遊漢字学」。本日阿辻先生が取り上げた漢字は、「爪」でした。冒頭阿辻先生は、『「爪」につめなし、「瓜」につめあり』と習ったものだと述懐なさっておられますが、私も確かにこのように習った覚えがあります。どうでしょう。最近でも学校ではこのような教え方をするのでしょうか?もしかしたら、私らが最後の世代かもしれませんね。確かに私らは「爪」につめなしとは習いましたが、「爪」は人が手を上からかざして、なにかをつかみ取ろうとするさまをかたどっていて、さらにはそこから「つかみ取る」という意味を持つようになったとは習いませんでした。その例として、阿辻先生は「争」と「為」の旧字体、「爭」と「爲」をあげておられます。なるほど「爭」と「爲」にはどちらにも上に「爪」がありますね。「爭」の下の部分の「尹」は手で杖を握っている形を表していて、それを別の「爪」が奪い去ろうとしているのが、「爭」であると。だいたい杖を握っているのは長老か権力者としたもので、その杖を奪い取ろうとするすることから、「爭」には「あらそう」という意味が生まれたと言われれば、なるほどと納得ができます。驚いたのは、「爲」。これは手で象の鼻をつかんでいる形を示していて、本来は象を使役することを意味したと阿辻先生は教えてくれています。象は従順で頭の良い動物で力持ちですから、古代黄河文明にもおおいに貢献したことが容易に想像できます。そんな象の鼻を手でつかんでいるのが「爲」で、こうして象を家畜として使役することから、「爲」は「仕事をする」という意味を表すようになったと。古代の黄河流域には、野生の象がいたというのも驚きですね。その便利で有益な動物を文明の利として使用したばかりか、そのことを漢字として文字にも残していたということに、優れた中国の古代文明とそのスケールの大きさに感心せずにはおられません。◆酒そば本舗トップページへ◆**貴方の共感できる生き方がきっとある**にほんブログ村
2020年02月02日
毎週日曜日のお楽しみ、漢字学者阿辻哲次氏の日経連載「遊遊漢字学」。本日阿辻先生が取り上げた漢字は、「年」でした。日本人なら「年」を知らぬ人はいないでしょう。音は「ねん」、訓は「とし」としたものです。時の単位。歳月。年月。年齢。季節。時節・・・。ざっとその意味するところをあげることが出来ますが、「年」には穀物、特に稲が実るという意味があることをご存知の方、少ないのじゃないか。「年」にはもともと実った穀物を背負う人の形をかたどった象形文字だと、阿辻先生はおっしゃっています。「年」と書いて「みのり」とも読むことが出来るとのご指摘には、驚きました。「年」を「みのり」と読める人など、おそらく阿辻先生ぐらいのものでしょうよ。(笑!それにしても豊穣の収穫を背負う人の姿を表しているというのは、やはりその根底には農耕民族の遺伝子が働いているということなのでしょう?◆酒そば本舗トップページへ◆**貴方の共感できる生き方がきっとある**にほんブログ村
2020年01月26日
毎週日曜日のお楽しみ、漢字学者阿辻哲次氏の日経連載「遊遊漢字学」。本日阿辻先生が取り上げた漢字は、「蟹」。寒さが一段と厳しくなるこの時期、ズワイガニ、毛ガニなどが格別に美味しい旬を迎えます。冒頭阿辻先生も、カニが大好きで、この時期になるとスーパーの中を歩いているだけでも胸が高鳴って来ると書かれています。さてそのカニを漢字で書けば「蟹」となることぐらいは、誰でも承知していますが、「蟹行」はどう読んだらいいかとなると、すぐには口をついで出てこないのではないか?先生が高校生のとき、国語の時間に「蟹行」を「カニコウ」と読んだ旧友の話しが紹介されていましたが、私も「カニコウ」とか「カニギョウ」といったように重箱に読んでしまいそうです。(苦笑!世界に類をみない優れた表意文字・漢字は、音を表す文字と意味を表す文字の組み合わせで作られていることは、この講座で何度も習って来ました。その原則に従えば、「蟹」という漢字は、音が「解」で、「虫」が意味を持つということになります。したがって「蟹」の音は「カイ」となりますから、「蟹行」は「カイコウ」が正しい。では「解」の下にある「虫」にはどんな意味があるのかということになりますね。カニは虫ではないのは明らかでしょうから、古代中国ではカニは虫の仲間だと考えられていたのだと思いたくなりませんか。ところがさに非ず、「虫」は頭の大きな「蛇(まむし)」をかたどった象形文字で、音は「キ」。我われが毛虫、羽虫などを指す「虫」は、もともとは「蟲」と書いたのだということは、前に習っていましたから、今日はいわゆる復習の時間が持てたというわけです。「虹(ニジ)」は、生き物ではなく自然現象なのに、どうして「虫」がつくのか?それは、山から山にわたる大きな龍だと考えられていたからというのも、いかにも中国らしい。さらにはその「虫」が、水中の小動物も表すようになって、「蛸(タコ)」「蝦(エビ)」「蛤(ハマグリ)」「蜆(シジミ)」などと書くようになった。「蟹(カニ)」もまた同様であると。さらには今日は、「蝌(オタマジャクシ)」のおまけまでついていて、これには「虹」の龍以上に驚いています。オタマジャクシを漢字で書ける人って、まず阿辻先生ぐらいのものでしょうよ。(笑!◆酒そば本舗トップページへ◆**貴方の共感できる生き方がきっとある**にほんブログ村
2020年01月19日
毎週日曜日のお楽しみ、漢字学者阿辻哲次氏の日経連載「遊遊漢字学」。本日阿辻先生が取り上げた漢字は「吃」でしたが、いつもの講座とは少し違っていて、さながら中国語講座みたいで大変興味深く読ませていただきました。旅行会社が発行する台湾旅行のガイドブックには、最近「小吃」という字が多く見られるようになったとの阿辻先生の指摘。ところでこの「小吃」は何んと読むのだろうかと、読者に疑問を投げかけておられます。・・・なるほど、私は台湾へは行ったことはありませんし、中国語にしても「你好(ニイハオ)」「谢谢(シェーシェー)」レベルですから、阿辻先生に読めないなどとしらばくられたら、私なんぞに正しく読めるわけがないとしたもの。(笑!「吃」といえば、せいぜい「吃音」として承知しているくらいのもの。「吃」はもともとは「ことばの発音がしにくい」という意味を持つと、阿辻先生も指摘されています。すでに鬼籍に入られて久しい落語の三代目三遊亭円歌師匠がまだ歌奴と名乗っていた時代の演目・「山のあなたの空遠く」は、この「吃音」に悩んだ若き日の師匠の経験をネタにしたもの。「山のアナ、アナ、アナ・・・、アナタもう寝ましょ」や「シ、シ、シン大久保ぉ~」を思い出しますね。(笑!世界に類を見ない優れた表意文字・漢字は、文字に意味を持たせたがゆえに膨大な量の文字が必要となり、一文字の画数にしてもとてつもなく多くなるという弊害を余儀なくされてしまった。それを回避するために、複雑な漢字を簡略化したり、同じ音を持つ簡単な画数の文字で置き換えたりするということが行われて来たことは、すでにこの講座で習って来ました。たとえば、「華」の草冠の下を同じ発音の「化」を用いて「花」と書くように。あるいは、「法」はもともと「水」と神獣の「廌(ち)」と「去る」から「灋」という字であったものが、後になって画数の複雑な「廌」が削られて「法」となったごとく。これと同様に「吃」も「喫」と同じ音を持つことから、「飲む」・「食べる」という意味の「喫」の当て字として使用されるようになり、現代では食事をすることを「吃飯」、「おいしいこと」を「好吃」というようになったと。ちなみに「吃飯」は「チーファン」、「好吃」は「ハォチ(ツ)ー」と発音するようです。さてそこで、冒頭の「小吃」ですが、中国語読みでは「シャオチー」と読んで、日本でもおなじみの小籠包や焼売などの「飲茶」を食べることを意味するのだと阿辻先生は教えてくれていますが、「シャオチー」にしても日本語読みにして「しょうきつ」にしたところで、何を意味するのかわかりづらいですよね。ちなみに「チー」「ポン」でお馴染みのゲーム・麻雀(これも中国発祥の複雑なゲーム)に慣れ親しんだ人ならば、「吃(チー)」を洒落て「小吃(シャオチー)」や「好吃(ハォチー)」と呼ぶのはありかも知れませんね。どうしても欲しくて仕方のなかった絶好の牌が隣からポロリと出て、たまらず「チー」を仕掛ける雀士の様子が上手くにじみ出ていると思われませんか?・・・なんか麻雀講座になってしまった感がしないでもないですね。阿辻先生、ごめんなさい。(苦笑!◆酒そば本舗トップページへ◆**貴方の共感できる生き方がきっとある**にほんブログ村
2020年01月12日
わが国は言わずと知れた法治国家。国を治めるのは法律というわけです。国民の代表が国民の投票によって選ばれ、その代表が法律を作る。その法律に則って行政が施策を執行し、司法が法に反する行為をしたものを裁くという仕組み。毎週日曜日のお楽しみ、漢字学者阿辻哲次氏の日経連載「遊遊漢字学」。令和2年初めてとなる「遊遊漢字学」。阿辻先生が本日取り上げた漢字は「法」でした。「法」にはいかなる意味が込められているのでしょうか。我われは、三権分立については、中学3年の社会の時間に習いましたね。これが古代社会ではどうだったか。阿辻先生は、「古代社会では人間の理性による認識と判断で物事を処理するのではなく、なんらかの方法で超自然的存在の力を借り、それを中心として社会が運営されていた。裁判においても同じように、私たちの常識とはまったく異なった方法で判決が下されていた」と言っておられます。そもそもこのことが「法」という漢字の由来であると、阿辻先生は教えてくれています。まあ、法律などという概念が整備されるのは、ずっと後の時代になってのことですから仕方がないといえばそれまですが、古代中国では神意によって判決が下されたというのです。このときに出て来るのが中国お得意の想像上の動物である一角獣の「解廌(かいち)」。天が瑞祥として地上に出現させるというこの神秘的な動物は、ものごとの当否や善悪を判断できる能力が備わっていて、「解廌」はウソをついている人間を角で突いたと伝えられているのだとか。「解廌」に突かれた方が敗訴。突かれた人間は川に流し去られたというのです。すなわち「水」と神獣の「廌(ち)」と「去る」から「灋」という文字が作られ、後になって画数の多い「廌」の部分が削られて「法」になったと。・・・ふ~む、法律の「法」には、神獣の存在があったと。ならば、その「灋」という漢字が作られてよりはるか2000年以上も後のこと、大陸の東方洋上に位置する島国で、その島国が定めた外国為替法や会社法の特別背任の罪で収監されながらも、15億円という保釈金をポンと支払い保釈を勝ち取り、これまた保釈中の身の上ながら裁判を待たずに不法な手段で海外に逃避したという、かの眉毛の濃い男を神獣の前に立たせてみたいものですな。果して「解廌」の角は、かの男の胸を貫くものか、濃い眉の間を貫くものか、はたまた何十億という札束の方を突き刺すのか。よもや神獣に躊躇いなどないと信じたいです。・・・なに、躊躇いなく札束の方を突くだろうですと?う~ん、自信がなくなりかけて来ました。(爆笑!◆酒そば本舗トップページへ◆**貴方の共感できる生き方がきっとある**にほんブログ村
2020年01月05日
毎週日曜日のお楽しみ、漢字学者阿辻哲次氏の日経連載「遊遊漢字学」。令和元年最後となる「遊遊漢字学」で、阿辻先生が取り上げた漢字は「方程式」でした。中国の後漢時代に作られた『九章算術』という書物があるそうですが、この名前にもある「算術」が、日本でも近世まで数学を意味することばとして使われて来たと、冒頭阿辻先生はご指摘されています。我われが慣れ親しんでいる「算数」ということばが使われ出すのは、昭和16年のことで、それまではずっと「算術」であったと。古代中国で発展した儒学では、貴人が習得すべき六つの徳目を「六藝」といって、「礼、楽、射、御、書、数」を指したのだそうです。・・・なるほど「数」が最後に出て来ますね。そしてさらに「数」は、「方田、粟米、差分、少広、商功、均输、方程、盈不足、旁要」の九つに分類されていたのだと。・・・おぉ~、「方程」と出て来ますね。阿辻先生も、「中国の子どもたちは2000年以上も前から方程式を解いていたのである」と、いかにも感慨深げに書いておられます。私が推測するところ、阿辻先生は「漢字」を生涯の友とされるくらいですから、「国語」はお得意だったに違いありませんが、もしかしたら「数学」は苦手だったのではございませんか?学生時代、方程式を解くのにさぞかしご苦労なさったのではないかと想像します。(失礼!私はといえば、「漢字」が大の苦手で、小学生のころから「漢字の書き取り」テストにはほとほと苦しめられました。(苦笑!そこで高校に進んでからは、理系を目指したのでしたが、あろうことか「方程式」の方にも散々苦しめられた口です。(笑!高校三年間で方程式がすっきり解けたという経験は、思い出そうにもなかなか思い出せません。(大爆笑!◆酒そば本舗トップページへ◆**貴方の共感できる生き方がきっとある**にほんブログ村
2019年12月29日
毎週日曜日のお楽しみ、漢字学者阿辻哲次氏の日経連載「遊遊漢字学」。今週の「遊遊漢字学」はいつもとは趣が少々違っていて、阿辻先生は鳴き声を取り込んだ漢字を題材にしておられます。一般に漢字は、意味を表す文字と音を持たせる文字の組み合わせから成っていますね。冒頭にあげた漢字「鵝(が)」は、そのいい例。日本人なら一目見ればこれは鳥の一種を表していることがすぐわかりますし、「我(が)」が使われていることから、これは「が」と発音するのだということも想像できます。ところがこの「鵝(が)」は文字どおり、その鳥が「ガーガー」と鳴くことからこの漢字がつくられたのだという阿辻先生のご指摘。同様なことが「鳩」や「蚊」という漢字でも言えると。・・・なるほど、そう言われれば「鳩」は「キュウ」と鳴くようにも聞こえますし、蚊の羽音は「ブン、ブーン」とうるさいです。(笑!ならば「蝉(せみ)」や「鴨(かも)」の由来も同様かと発音を調べてみたら、中国では「蝉」は「ヂェン」、「鴨」は「ヤァー」と発音するようですから、なんとなく鳴き声のような気もしますね。ところが同じ鳥でも「烏(カラス)」の由来は、あんなに誰にでも「カァー」とはっきり聞こえるのに、カラスは目の部分がはっきり見えない鳥だから、その部分を線に書かかずに「烏」となったって、以前教わりました。まあ、カラスの場合は鳴き声より真っ黒な色の方が特徴的ですから、聴覚より視覚による印象から、漢字があみ出されたということなのでしょう。文字そのものに意味を持たせた、世界に類を見ない優れた表意文字「漢字」。その由来が動物の鳴き声からも作られていたという今週の「遊遊漢字学」、あの有名な書家・王羲之(おうぎし)が、ガチョウの鳴き声をこよなく愛したという逸話も含めて、とても興味深く読ませていただきました。◆酒そば本舗トップページへ◆**貴方の共感できる生き方がきっとある**にほんブログ村
2019年12月22日
毎週日曜日のお楽しみ、漢字学者阿辻哲次氏の日経連載「遊遊漢字学」。今週阿辻先生が取り上げた漢字は、「臭」でした。一口に「におい」といっても我々は、「臭い」と「匂い」とに使い分けしていますね。字引きで調べると、「匂い」は「におう。かおる。かおりがする」、「おもむき。雰囲気」、「つややかで美しいさま」に対して、「臭い」は同じ「におい、におう」でも「くさい。いやなにおい」、「臭気、臭味」、「悪いうわさ。よくない評判」と文字通り芳しくありません。最近では近くに寄って来た若い娘さんが、イヤな顔をして私から遠ざかることがしばしばありますが、これはどうしたことでしょうか。「匂う」のであればいいのですがね。どうも「臭う」ようです。(笑!このようにわが国では、「臭」は「くさい」とも読み、もっぱら「悪臭」や「異臭」、「加齢臭」(書きたくありませんでしたが)のように、「好ましくないにおい」という意味で使用しますが、本家本元の中国では、「その臭は蘭のごとし」と『易経』に書かれているように、芳香をも意味する漢字だったと阿辻先生は指摘されています。「臭」は「自」と「大」に分けることが出来ますが、「自」は人の鼻を正面から見た形をかたどった象形文字。「大」は「犬」の最後の一画を省略してもので、もともとは「臭」と「自」の下に「犬」と書くのが本来の字であったということです。すなわち、嗅覚が非常に発達している犬が自(鼻)を使って「においをかぐ」ことから「臭」となったと、阿辻先生は教えてくれています。日本では「臭」と最後の一画を省略して書くようになったが、中国では今でも「臭」と本来の意味を表す「犬」を使って表記していると。ほぉ~、そうすると漢字の本家本元の中国では、「加齢臭」などといういまいましい言葉はないのかも知れませんね。では、日本で私などがたびたび後ろ指を指されている「加齢臭」なる「におい」は、どういう漢字で表記するのでしょうか?まさか「加齢"匂"」とは書かないでしょうけれど・・・。(笑!◆酒そば本舗トップページへ◆**貴方の共感できる生き方がきっとある**にほんブログ村
2019年12月15日
毎週日曜日のお楽しみ、漢字学者阿辻哲次氏の日経連載「遊遊漢字学」。私がこのブログで取り上げてより、本日が100回目となる記念すべき「遊遊漢字学が楽しみ♪」。今週阿辻先生が取り上げた漢字は「口」でした。まあ、日本人なら「口」が何を表すか知らぬ人はいないでしょう。やさしい漢字です。冒頭、人間には「口」は一つしかないから、口の数と人の数は必ず同じになり、そこから「人口」ということばができたと阿辻先生がご指摘のように、なるほど私たちは「口」を無意識のうちに数としてとらえていますね。この時期なら、皆さん宝くじを「何口」買われましたか?・・・などというように。(笑!一方人間の消化器官としての「口」という意味からも、「呑(の)」む、「啖(くら)」う、「齧(かじ)」るといったことばが派生しているとも。また、口からは音声や息も出しますから、「咳(せき)」、「吹(ふ)」く、「啼(な)」く、「嗤(わら)」うといった漢字もつくられたと。う~む、言われてみればその通り。ずいぶんあるものですね。ちょっと私も「口」が使われる言葉を考えてみました。まず思いつくのは、「入口」「出口」。起点となる場所を表しますね。「乗口」「降口」も同類でしょう。「傷口」はぱっくりと割けた様子が「口」を連想させるからでしょうか。「切口」は開封された場所のことですから、やはり「口」と関連しています。「利口」は器官としての「口」とはまったく違っているように思われますが、頭脳と口とどのような関係がそうさせたのでしょうか?阿辻先生におたずねしてみたいです。次に「口」を使う慣用句。これも山のようにありますね。「口が軽い」「口が重い」「口うるさい」「口が過ぎる」「口が腐っても」「口から生まれる」「口を揃える」「口を割る」「口を酸っぱく言う」「口角泡を飛ばす」「言う口の下から」「口八丁手八丁」「口三味線に乗る」「開いた口が塞がらない」・・・。私が思うに、これらの慣用句はもともと中国より伝わったのでなく、いずれも漢字が日本に伝来して以降、わが国で作られたことばではないか。本家本元の中国で、たとえば「口から生まれる」とか「開いた口が塞がらない」と言っても、中国人には意味が伝わらず、それこそぽっかり口を開けて首を傾げるのではないでしょうか?それでは、「目」や「耳」はということになるのですが、中国ではどのような「目」や「耳」に関係する漢字が作られてきたのでしょう。またどのような慣用句や諺があるのでしょう。ちょっと調べて「遊遊漢字学」の二番煎じをやってみようかしらんなどと、「口に衝いて出る」ままに「軽口を叩く」ようなことを言っております。・・・いかん、いかん。「口は災いのもと」の例えもあります。そんなことは「口が曲がっても」発するものではありません。(笑!◆酒そば本舗トップページへ◆**貴方の共感できる生き方がきっとある**にほんブログ村
2019年12月08日
会津民謡の「会津磐梯山」では、小原庄助さんは、「朝寝朝酒朝湯が大好きで、それで身上つぶした」と歌われていますが、これは放蕩をかたく戒めるというよりは、そんな身分になってみたいものだという庶民の羨望が多分に見て取れる歌です。・・・まったく同感ですな。(笑!毎週日曜日のお楽しみ、漢字学者阿辻哲次氏の日経連載「遊遊漢字学」。この「朝酒」ということば、小原庄助さんの例えもあって、あまり印象の良い響きを持ち合わせていないようですが、「卯飲(ぼういん)」と書けば少しばかり違ってくるようです。っていうか、そもそも「卯飲」なんていうことば知りませんでした。「暴飲」なら、しばしば経験して痛い目に遭っておりますからよく承知しておりますが。(苦笑!阿辻先生は、中国宗代の詩人陸游(りくゆう)は、官界から身を引いたあと、「晨起復睡眠」(あしたに起きまた眠る)という詩で、「衰翁卯飲易上面」(衰翁 卯飲すれば面に上りやすし)と詠んでいると、紹介してくれています。そもそも「卯(う)」は、干支の4番目に来る字。干支は動物に当てはめられて数えられたりしますが、「ウサギ」にあたるいえばわかり易いですね。昔から干支は、時刻を表すのにも使われて来たのもご存知でしょう。「草木も眠る丑三つ時」とは、「丑(うし)」の刻の三つ時。午前2時半から3時ころを指します。「寅(とら)」は午前4時。「卯(う)」は午前6時というわけです。もうおわかりですね。「卯飲」とは、朝の6時から酒を飲むこと。「朝酒」そのもののことを指すのでした。(笑!しかし、庄助さんはどうだったか知りませんが、陸游はあくまで役人をリタイヤしてからのこと。当時の中国の役人は午前6時が出所時間であったというのですから、陸游にしてみれば、「卯飲」は格別の味わいであったろうと想像できます。現代のお役人の出勤時間は概ね午前9時としたものでしょう。当時の中国のお役人はなぜにそんな早くから出仕しなければならなかったかといえば、為政者(皇帝)が早朝に政務をとったからで、「朝廷」ということばもそれに由来すると阿辻先生は教えてくれています。ほぉ~、そのような由来があったとは知りませんでしたね。朝廷に出仕する官吏の出勤簿を「卯簿」、登庁して点呼を受けることを「応卯」というのも耳に新しいことです。・・・う~む、「卯飲」ですか。今度の休みの朝、女房殿に言ってみようかしらん。「お~い、久しぶりの休みだ。『卯飲』としゃれ込もうと思っているんだが」なんて。・・・くわばら、くわばら。「触らぬ神に祟りなし」と言いますからね、あとから面に上った赤ら顔をとがめられてはたまりません。「朝寝」(寝坊)くらいで手を打ってもらえませんかね。(爆笑!◆酒そば本舗トップページへ◆**貴方の共感できる生き方がきっとある**にほんブログ村
2019年12月01日
漢字の歴史を振り返れば、その起源は紀元前15世紀ころの中国・殷の時代だと言われていますから、今から3500年余りも前のこと。それが漢の時代に体系化され、文字通り「漢字」となった。古のわが国は、中国より伝来した「漢字」を国字と定め、さらには漢字から独自の平かなと片かなを編み出し、文章を漢字かな交じりで表記するという独自の漢字文化を築き上げました。ですから我々は、中国語の発音は聞き取れなくとも漢字で書き表せば、漢字の本家本元の中国の人たちと会話することが可能ですね。毎週日曜日のお楽しみ、漢字学者阿辻哲次氏の日経連載「遊遊漢字学」。今週阿辻先生が取り上げたのは、この日中両国の共通文字漢字の持つ意味の違いについて。同じ意味を持つ漢字もあれば、まったく違った意味の漢字もあると書いておられます。皆さん、「汽車」と書けば、日本人ならこれが何を表しているか知らぬ人はいないでしょう。私らの世代では、「汽車」は蒸気機関車という本来の意味のほかに、鉄道という意味も代行するくらいでしたが、今では蒸気機関車が影を薄めて久しいですから、「汽車の旅」などと言おうものなら最近の若い人からは、「汽車」など走っておらぬ「電車」だと言われそうですが。(笑!これが漢字の本家本元の中国では、「汽車」と書けば日本語で言うところの「車」のことで、「電車」と書けば、「トローリーバス」のことだというのですから、中国人が、日本の若者と年寄りの「汽車」と「電車」の論争を聞くと、まったくチンプンカンプンで首をひねることになりますね。・・・日本では新幹線が走っていると聞いたのに、線路の上を電車(トローリーバス)が走ったり、汽車(車)さえ走ったりしているのかと。(笑!ちなみに「新幹線」は、中国でも「新幹線(シンカンシェン)」と読み書きするようですね。しからば、中国では新幹線は中国が独自の技術で開発した鉄道だと主張しているようですが、「新幹線」と日本流に表記しているところを見れば、日本の技術を真似たものだということがすぐにわかろうというもの。はるか3500年も前に編み出された漢字は、4世紀後半頃仏教の伝来とともに日本に伝わったといいます。古のわが国の指導者がそれをを国字と定めたのは、英断であったとつくづく思いますね。なんとならば、わが国の民一同がその漢字を学び、1500年の後に「新幹線」という乗り物を作り出すにいたり、それを逆に中国が「新幹線」という漢字とともにそっくり取り入れるまでになった。確かに新幹線の技術は優れたものに違いないとしても、私は「漢字」という文字を国字として学び、使用している者のひとりとして、「漢字」の偉大さに思いを馳せずにはおられません。◆酒そば本舗トップページへ◆**貴方の共感できる生き方がきっとある**にほんブログ村
2019年11月24日
毎週日曜日のお楽しみ、漢字学者阿辻哲次氏の日経連載「遊遊漢字学」。今週阿辻先生が取り上げたのは「駟」という漢字。音は「し」と読む。訓読みでも「し」と読ませるのでしょうか。以前この講座で習った「菊」のように訓読みがない漢字かもしれません。普段滅多に目にすることのない漢字ですが、それもそのはず。「駟」とは、四頭立ての馬車の意。古の中国では最も早く走れる乗り物だった。現代では新幹線といったところか。ところが「駟」よりずっと早いものが「舌」であったと阿辻先生は、「駟も舌に及ばず」の例えをあげて説明しておられます。まあ、これは現代でも同じことが言えるようです。人の口に戸は立てられぬと言いますからね。その伝搬する速さは新幹線の比ではありません。これを古の中国では「駟隙(げき)を過ぐ」と戒めているそうで、いったん舌(口)から出たことばはどんなに速い「駟」でも追いつけないほど早く世に広まるから、発言は出来るだけ慎重でなければならないというわけです。かってこの国にその発言を指して「言語明瞭、意味不明瞭」と呼ばれた首相がいらっしゃいましたね。また、「あぁ~、うぅ~」としかおっしゃらない首相も、記憶に残っています。してみれば、すでに故人となられたお二方の首相は、「駟も舌に及ばず」の例えをよくわきまえておられたのかも知れません。◆酒そば本舗トップページへ◆**貴方の共感できる生き方がきっとある**にほんブログ村
2019年11月17日
毎週日曜日のお楽しみ、漢字学者阿辻哲次氏の日経連載「遊遊漢字学」。今週阿辻先生が取り上げたのは「出藍の誉れ」。出典は荀子の勧学篇。「學不可以已。 青取之於藍、而青於藍、 冰水爲之、而寒於水」(学は以て已むべからず。青はこれを藍より取りて、藍より青く、氷は水これを為して水より寒し)。阿辻先生は、2000年以上も前の中国の思想家が学問を継続することの大切さを説いたこの例えを引いて、いわゆる「塾」に代表される何人を有名大学へ送りこんだかが重要視される現代の受験業界で、いい点数や評価を得る技術のみ習得して来た学生たちの学問への取組の浅さを嘆いておられます。あるとき講義の後で一人の学生が教壇にやって来て発した「家ではどんな問題集を使って勉強したらいいですか」との質問に、我が耳を疑ったと。すきあらば教師の首に食らいついて、教師を踏み越えていってやろうという気概を持つ者が少なくなったと。そう言われれば、私にも覚えがありますね。大学に入ろうと人並みに机にかじりついた時期はありましたが、残念ながら学問の本質について考えてみようとすることは1秒たりともなかった。ただただ頭にあったのは、志望校に合格するには、あと何点足りないぞなどということのみ。大学に合格はしたものの、その大学でまた数学や物理や化学などといった教養科目の講義に臨み、ただただ戸惑うのみ。またどうやって要領よく点数を取るかということを、条件反射的に考えている自分に気づき辟易したことを思い出します。これがちょうど大学1年の4月のこと、いわゆる4月病というやつですな。重症でしたね。(笑!「青は藍より出でて藍より青し」というが、どうもこれは私の頭のレベルのことを言っているのではなさそうだ。なぜなら私の青い染料は、そもそも薄青いうえにすぐに色あせるではないか。・・・自らに自らの非才を言い含めるというのは、辛いことですよ。(苦笑!でも、一旦見切りをつけてしまうと、気持ちがずっと楽になった。才能のない者が、また成績を上げるためだけにそんな点数だけを追い求めるようなことしてどうするというのだ。もっとこの時期だからこそやれることがあるだろう。それを探そうと。・・・結局探しきれなかったようではありますが。(笑!そんな苦い青春の一幕を思い起こしながら、新聞の次のページをめくると、30面のサイエンス欄に「物質の寿命 答え出るか」という見出し。物質は永遠に存在し続けるのか、それともいつかはバラバラに壊れてしまうのか。物理学の理論は「物質には寿命がある」と予言する。こう書いてあるではありませんか。その答えを出そうと、岐阜県神岡鉱山の地下深くに建設されるのが、「ハイパーカミオカンデ」。これを使って物質の寿命の目安となる陽子崩壊現象を捉えようという研究を主導するのが、東京大学宇宙線研究所の塩澤真人教授。今稼働している「スーパーカミオカンデ」は、東京大学宇宙線研究所所長の梶田隆博士が、素粒子の一つニュートリノが質量をもっていることを発見したのに使われた。さらにその前の「カミオカンデ」を用いて、小柴昌俊東大特別栄誉教授が、星の大爆発で生じたニュートリノを世界で初めて捉えた。小柴先生も梶田先生もノーベル物理学賞を受賞されていますね。もし陽子崩壊が確認されれば、これもノーベル賞間違いなしと言われてる研究だとか。さすれば、小柴先生の研究が梶田先生に受け継がれ、そして塩澤先生が両者の研究を元に最先端の研究を行っている。これこそが「出藍の誉れ」というものです。自然科学と人文科学の違いこそあれ、阿辻先生がおっしゃりたかったのはこのことですよね。今週の「遊遊漢字学」は、その前の紙面にある「サイエンス欄」と合わせて読めば、よりわかり易いというものです。・・・う~む、それにしても私は早い時期(大学1年の4月)に、自分の青の色の薄さに気付いてよかったなと。(大爆笑!◆酒そば本舗トップページへ◆**貴方の共感できる生き方がきっとある**にほんブログ村
2019年10月28日
毎週日曜日のお楽しみ、漢字学者阿辻哲次氏の日経連載「遊遊漢字学」。本日阿辻先生が取り上げたのは「夏炉冬扇」。後漢の王充「論衡」(逢遇)に記述がある四字熟語だとか。使われている四文字はいづれも平易な漢字ですから、素直に読めばその意味もわかりますね。現代ではエアコンというものがありますが、エアコンは「夏炉冬扇」のかぎりではないと言えるかも知れませんが。(笑!では王充は、何が夏の炉や冬の扇のようなものと言ったのか、ここが肝心なところでしょう。調べてみたところ、原典には「益無き能を作し、補う無きの説を納るるは、夏を以て炉を進め、冬を以て扇を奏むるなり」とありますから、「益無き能を作すこと」、「補う無きの説を納るること」は、夏のストーブ、冬の扇風機のようなものだと言っている。・・・なるほど、役に立たない才能を振りかざして、役に立たない意見を薦められたのではたまりませんね。さて本日の講義は、はなから能のない私にも、わかりやすくひじょうに役に立つものでしたが、間借り生活をしていたころの先生の学生時代の「電熱ポット」のお話は、私も四畳半一間、トイレ、炊事場共用。風呂なしという下宿生活を送った身でしたから、大変共感できるものでしたね。忘れもしない最初に間借りの下宿部屋に引っ越したとき、母は鍋釜に包丁、味噌醤油、米といった炊事道具と食材をすべて揃えておいてくれたのでしたが、みそ汁を作ったのは次の日の朝一日だけ。母が揃えてくれた道具の中で唯一4年間通して活躍したのは、阿辻先生同様「電熱ポット」。(笑!コーヒーにインスタントラーメン、冬の湯たんぽのお湯なんかも電熱ポットが活躍してくれましたね。その電熱ポットをすでに現代の学生は知らないというのには驚きました。・・・ふ~む、「夏炉冬扇」ですか。ならば現代の学生にこんな言葉をおくっておきましょうか。寧ろ「電熱ポット」と為るも「夏炉冬扇」と為る無かれと。・・・ダメか?(爆笑!◆酒そば本舗トップページへ◆**貴方の共感できる生き方がきっとある**にほんブログ村
2019年10月20日
毎週日曜日のお楽しみ、漢字学者阿辻哲次氏の日経連載「遊遊漢字学」。本日の投稿は、「佳境(かきょう)」の由来となった中国晋の時代の画家・顧愷之(こがいし)のサトウキビの食べ方の解釈の訂正から始まっています。原典には「甘蔗(かんしょ)を啖(くら)うに先に尾を食う」とあるそうで、この「尾」を先生は根元と解釈されたのでしたが、「尾より本に至る」という著述もあるので「尾」は「本」に対する末端、つまり先端にある穂先と解釈するべきと、訂正しておられます。弘法も筆を誤ることがあるくらいですから、阿辻先生でも間違われることがあるようです。(笑!さて今日は、我々も見慣れた漢字「尾」に関連する話。言うまでもなく「尾」は動物の尻尾を意味する漢字。ゆえに「尾」がつく熟語のほとんどは、「尻尾」「末端」という意味をもつなかにあって、「尾籠(びろう)」はいささか成りたちが違うという先生のご指摘。まあ、私なんかは動物は尾っぽの近くにある器官から排泄物を出すから、そんなことを口にするとき、「尾籠な話で申し訳ありません」などと断わりを入れるのだろうと思ったりしますがね。「尾籠」には、「きたならしいこと。汚らわしいこと」のほかに、「礼を失すること。無作法なこと」の意味があることを思えば、私の解釈は当たっていないといえましょう。ただただ「尾籠」なだけでありました。(苦笑!そもそも古のわが国では、「おろかなこと、ばかげたこと」を「おこ(をこ)」といい、漢字では「烏滸(おこ)」と書いたのだとか。やがてこれを同じ訓読みで「尾籠(おこ)」とも書くようになり、それを音読みするにいたり「尾籠(びろう)」となったと阿辻先生は教えてくれています。大きな根という意味から「おおね」という野菜が、漢字で「大根」と書かれ、「だいこん」と呼ばれるようになったのも、これと同じであるとも。ふ~む、そうすれば、「尾籠」は中国から成句として渡来したものではなく、漢字がわが国に伝わって以降、日本人が作り出した熟語ということになりますね。さすれば、「大根」といっても中国人に伝わらないように、中国人に「尾籠な話で申し訳ありません」などと断わりを入れても、彼らは日本人は時として訳の分からないことを話の冒頭に言うと思うに違いありません。漢字の本家本元の中国人が理解できない漢字を使って優越感にひたれるというのは、ある意味魅力的といえなくもなさそうです。しかし、そんなことで優越感にひたろうなんておろかでばかげたこと。甚だ礼を失していますし、無作法なことです。それこそ「尾籠」のそしりを受けかねません。◆酒そば本舗トップページへ◆**貴方の共感できる生き方がきっとある**にほんブログ村
2019年10月13日
「論語読みの論語知らず」とは、知識があっても実践の伴わない者の愚かさにつて言及した名言ですが、まあ、私などから言わせたら、「論語を読めるだけいいではないか」と思ってしまいます。論語を読めないから、当然知らない。知らなければ実践できない。凡夫ここまで極めけりといったところでしょうな。(涙!毎週日曜日のお楽しみ、漢字学者阿辻哲次氏の日経連載「遊遊漢字学」。本日阿辻先生が取り上げた漢字は「温(たず)ねる」。いかに凡夫を極めたといえども、「温故知新」という有名な言葉なら耳にしたことも目にしたこともあります。ただ、実践しているとは言いがたいですが・・・。(笑!小学校6年のときだったでしょうか、習字の時間にこれを何度も書かされたものでしたね。この時習字の先生は、この有名な言葉をバランスよくきれいに書くことについては教えてくれたようでしたが、今思えばどうしてその意味について語ってくれなかったのかと、残念に思います。教えてくれていたなら、私の人生はもっと違ったものになっていたかもしれないと。・・・そんなことはないか?(苦笑!そもそも「温」は、音で「おん」。訓では「あたた(める)」。「たずねる」と読ませるのは、論語に出て来るこの有名な熟語を読むときだけでしょう。「温」は、「さんずい」に「日」と「皿」と書きますね。旧字では「日」は「囚」と書き、「囚」は加熱された容器内に湯気がいきわたっているさまを表している。つまり「皿」に盛ってある「冷めた食品を湯気で温めなおす」の意を表しているのだと。ここから意味が広がって「温」を「あたためる」という意味で使うようになったと、阿辻先生は教えてくれています。ふ~む、このように説明してもらえれば、「論語読めずの論語知らず」にも「温故知新」の大切さが伝わって来ますね。いささかこの歳になっては遅すぎの感は否めないとしても、論語は「過則勿憚改(過ちては改むるに憚ること勿かれ)」とも教えていますから、実践してみようかしら。◆酒そば本舗トップページへ◆**貴方の共感できる生き方がきっとある**にほんブログ村
2019年10月06日
毎週日曜日のお楽しみ、漢字学者阿辻哲次氏の日経連載「遊遊漢字学」。本日阿辻先生は、私どもになじみの深い鳥の名前について取り上げておられます。まず皆さん「企鵝」ってご存知ですか?・・・って、その前に読めますか?「企」は「き」と音で読むとして、「鵝」は普段目にしない漢字です。これも音でよむとすれば、「が」か「ちょう」としか読めませんね。まず「企」から。「企」は「くわだ(てる)」と訓で読めることはよくご存じだと思いますが、「つまだつ」(つま先で立つこと)とも読めるとは知りませんでした。そもそも「企」は、人がかかとをあげ、つま先立って遠くを眺めている様子を表す象形文字といわれれば、なるほどと納得も出来ますね。次に「鵝」。これは「がちょう」のことだといわれれば、これも納得。(笑!では、つま先立って遠くを望むような恰好をした「がちょう」のような鳥って何だということになります。その答えは「ペンギン」。中国にはペンギンは生息していませんから、いつの時代か知りませんが、連れられて来たペンギンを見た中国人が、「企鵝(きが)」と書いて「ペンギン」と読ませた。まあ、古の中国人の発想の豊かさには、いつものことながら感心させられます。ちなみにペンギンは、「人鳥(じんちょう)」とも書きますね。なるほど言われてみれば、人間ってたえずつま先立って、遠くを窺い知ろうと焦っている生き物といえるかも知れませんね。今度動物園へ行ったら、ペンギンに聞いてみようと思います。つま先立って窺い望む先に何が見えるかと。◆酒そば本舗トップページへ◆**貴方の共感できる生き方がきっとある**にほんブログ村
2019年09月29日
毎週日曜日のお楽しみ、漢字学者阿辻哲次氏の日経連載「遊遊漢字学」。本日阿辻先生が取り上げた漢字は「佳境(かきょう)」。まず本題に入る前に、皆さんは食事のときに、好きなものから先に食べますか、嫌いなものを先にして、好きなものを後から食べますか?「佳境」とは、言うまでもなく「物語、演劇などが興味深い場面にさしかかり、大いに興味が増して来る」ことを指すことば。テレビのバラエティー番組のMCを務めるビートたけしが、「さあ、いよいよ盛り上がってまいりましたっ!」と言って視聴者の笑いを誘うのは、まさしくこの「佳境に入る」ことを指していますね。「佳境」の由来は、中国晋の時代の画家・顧愷之(こがいし)の奇行にまで遡ることが出来ると阿辻先生は教えてくれています。晋書の文苑伝には、当時の人が愷之の並外れた才能を「愷之に三絶あり。才絶、画絶、痴絶なり」と評価したという記述が残っているのだとか。ここでいう「絶」とは、並外れた才能という意味で、「痴絶」とは並外れた馬鹿さ加減ぐらいの意。俗に天才と馬鹿は紙一重というように、芸術家には一般人とはかけ離れた奇行が多くみられることは、古今東西を問いませんね。甘蔗(さとうきび)をいつも根元の方からかじって食べる顧愷之に、どうしてそのような食べ方をするのかと人が尋ねたところ、こうすれば「漸(ようやく)く佳境に入る」と愷之は答えたのだとか。私はサトウキビを食べたことはありませんので想像するだけですが、おそらく根元に近いところは繊維質で甘みも薄くてあまり美味しくはないのだと思います。柔らかくてジューシーな先の方を食するのが、中国晋の時代でも常識とされていたのではないか?まあ、しかし、サトウキビのかじり方に由来とする「佳境に入る」という熟語が、1600年以上も経った、しかも海を隔てた極東の島国で残っているというのは、驚き以外の何物でもありません。さて冒頭にあげた食べ物の食べ方、私は好きなものを後に残しておく「佳境」派ということになりましょうか。(笑!◆酒そば本舗トップページへ◆**貴方の共感できる生き方がきっとある**にほんブログ村
2019年09月22日
毎週日曜日のお楽しみ、漢字学者阿辻哲次氏の日経連載「遊遊漢字学」。本日阿辻先生が取り上げた漢字は「推敲(すいこう)」。・・・う~ん、「推敲」ですか。なにやら文学的なにおいがして来ますな。芥川や太宰などにこそ、似つかわしい言葉だとは思いますがね。普段仕事に追われ汲々とした日々を送る私なんぞには、まったく無縁のようにも思われますが、得意先よりの再々の値引き要請に、額に汗水たらしながら電卓を何度もたたき直して苦吟するのは、「推敲」とは呼ばないのですかね。(苦笑!「推敲」とは、文章や詩を良くするために、何度も作り直したり、考えて苦心する」ことを指すのは、「推敲」とはまったく無縁の生活を送る私も承知しておりましたが、その由来となるとはるか知識の外でした。まあ、「推」はおすこと、「敲」は叩くことということぐらいは理解できますが、「おしたり叩いたりする」ことが、どうして「文章や詩を良くするために、何度も作り直したり、考えて苦心する」ことになるのか。その由来は中国唐代の詩人・賈島(かとう)の「李凝の幽居に題す」という五言律詩中にみられる対句にあると、阿辻先生は教えてくれています。その対句とは、鳥宿池辺樹 鳥は宿る池辺(ちへん)の樹僧敲月下門 僧は敲(たた)く月下の門賈島はロバに乗りながら道々、月下に照らされながら一人の僧侶が静かなたたずまいの家を訪れる様を、最初「僧推月下門」と詠んだのだが、門を「推す」のではなく「敲(たた)く」とした方が、視覚の他に聴覚の効果も醸し出せる・・・。さて、どちらにしたらよいものかと考えていたところ、向こうからやって来た長安の知事を務める高官の行列にぶつかってしまった。賈島にとって幸いだったのは、この知事が唐代を代表する高名な文学者の韓愈(かんゆ)であったこと。賈島が行列にぶつかってしまったわけを話すと、韓愈は即座に「敲(たた)く」がよいだろうと答えた。この賈島の「推」と「敲」の文字遣いの逡巡の故事から、一度書いた文章をなんども読み返し、文章を練り直すことを「推敲」というようになったのだと。・・・ふ~む。さすれば苦吟の上に見積書を出した私を賈島と呼ぶならば、「もう少し何とかならないか?実はこれこれの金額を出してくれた先があって・・・。合わせてくれたら発注出すよ」などという得意先の担当者が韓愈か?(涙!しかし、こうやって泣き泣き見積書を書き直すことを「推敲」と呼んだら、阿辻先生に叱られること間違いありませんね。(爆笑!◆酒そば本舗トップページへ◆**貴方の共感できる生き方がきっとある**にほんブログ村
2019年09月01日
毎週日曜日のお楽しみ、漢字学者阿辻哲次氏の日経連載「遊遊漢字学」。本日阿辻先生が取り上げた漢字は「頁」。普段我われがよく見かける漢字ですが、これ「ページ」ですよね。私のパソコンのソフトは「ページ」と入力すると、「ページ」「頁」の順で変換候補が出て来ます。字引きで「頁」を調べてみると、「頁」の音は「ケツ」または「ヨウ」。訓読みは「かしら」「ページ」とありました。・・・驚きましたね。訓読みをカタカナで表記する漢字、他にありますかね。なにしろ本家本元の中国でも、「ホームページ」のことを「家頁」と表記するということですから。なぜ「頁」が「ページ」と読まれるようになったか、阿辻先生はその訳をわかり易く説明してくれています。「頁」はひざまずいた人間の頭部を強調した形なのだとか。なるほど、それで「かしら」とも読むのか。それで「顔」「頭」「額」に、「頁」が使われている理由がわかりますね。一方「頁」の音読みは「ケツ」の他に「ヨウ」とも読み、音から想像できるようにこの時は「葉」と同じ意味になる。「葉」は「1枚の紙」という意味を持つ漢字で、袋とじの書物のページを「第〇葉」というように表現した。しかし、「葉」は画数の多い漢字だからいかにも面倒。そこで同じ音を持つ「頁」をあてるようになった。こうして「頁」にページという意味がそなわり、やがてそちらが主流になったのだと。現代の我々は、確かに本などでは「第〇ページ」と呼びますが、いまだに「一葉の写真」だとか、「一葉の手紙」などという表現が残っているのは、何となく文学的なにおいを感じさせます。これが「一頁の写真」となると、せいぜいで「1ページに掲載されている写真」というような意味合いになってしまって、そこには「一葉」から感じとることができる「ささやかな」、「ほんのちょっとした」といった趣が抜けてしまって、まったく興ざめですね。◆酒そば本舗トップページへ◆**貴方の共感できる生き方がきっとある**にほんブログ村
2019年08月25日
毎週日曜日のお楽しみ、漢字学者阿辻哲次氏の日経連載「遊遊漢字学」。本日阿辻先生が取り上げた漢字は「餃子」。なんと「ギョーザ」ではありませんか。まずその前に、阿辻先生は「餃子」の「餃」の字の食へんを「𩙿」ではなく「飠」の方を用いて表記しておられます。私のパソコンのソフトでは「ギョーザ」と打つと「餃子」と変換されてしまい、どうしても「飠」へんにはなりませんでしたので、これからはすべて「餃子」と書かせていただきます。ちなみに違いを調べてみたところ「食」の終わりの二画を短い横線を用いるのは明朝体の「康熙字典」によるもの。最後の画を点画で表記するのは日本の新字体・中国の新字形・台湾の国字標準字体・香港の常用字字形表によっているとありました。現代の中国では簡略体を用いて「ギョーザ」は「饺子」と表記するようですが。すると日本の新字体にのっとることなく明朝体の「康熙字典」で「餃子」と変換する私のパソコンは、これで結構古典派なのでしょうか?まあ、そんなことは今日の主題ではありません。(笑!「餃」の音読みは「コウ」でそれを「ギョウ」と読むのは山東省の方言が日本に定着した結果だと阿辻先生はおっしゃっています。確か「餃子」は「Jiǎozi(チャオズー)」と発音するはずですから、山東省地方では「チャオ」を「ギョウ」と発音するのでしょうか。ところで現代の日本で我々が食べる餃子は、耳のような形をしていますが、中国で5~6世紀ぐらいに作られていた初期の餃子は、動物の角のような形に包んであったということです。ゆえに「粉角」とか「角子」と呼ばれたのだとか。それが後になって「角」と同じ発音の「交」に食へんをつけて「餃」と表すようになったのだと。もともと中国では「餃子」は、日本人が正月に食べる餅のようにめでたい食べ物とされており、他家に嫁いだ娘が新郎とともに初めて里帰りした時に、必ずもてなし料理として出されるという話を阿辻先生は紹介してくれています。せっかくのもてなしなのに、餃子はわざと生煮えにして若夫婦に出し、おもむろに「餃子はいかがかな?」とたずねるのだとか。若夫婦から「生です」という答えを引き出そうというわけです。そのからくりは、「餃子」は「交子」、「生(なま)」は「生む(産む)」にあると聞かされれば、子どものころより漢字を国字として習って来た我々にはすぐにわかって、思わずニヤリ。こんど息子夫婦がやって来たら、生煮えの餃子を振る舞ってやらねば・・・。(笑!阿辻先生、今日の「遊遊漢字学」とても楽しかったです♪◆酒そば本舗トップページへ◆**貴方の共感できる生き方がきっとある**にほんブログ村
2019年08月18日
毎週日曜日のお楽しみ、漢字学者阿辻哲次氏の日経連載「遊遊漢字学」。文字を一目見るだけでそれが何を意味しているかすぐにわかる、世界に類を見ない優れた表意文字漢字。わが国はこれを国字として取り入れ、これを基にしてあみ出した平かなと片かなを合わせた漢字かな交じり文を用いるにいたり、わが国独自の優れた言語文化を築き上げて来たと言えます。一方本家本元の中国では、あくまですべてを漢字で表すことにこだわったために、膨大な数の漢字があみ出され、その数は10万字にも及ぶと言われています。10万字も漢字を覚える労力について言及する前に、漢字には画数が20画も30画も必要とする複雑な文字が多くあることはご承知のとおり。ゆえに漢字は常に文章を書くのに手間暇がかかるという欠点を内包した文字だとも言えます。先週の「遊遊漢字学」では、この欠点を補うための略字について、「机」を例にとりわかり易く説明いただいたばかりですが、何でもやみくもに画数を減らして簡略化しているかといえば決してそうでなく、それは漢字本来の構造に基づいて行われており、現代でも作り続けられている簡略字も例外ではないと阿辻先生はおっしゃっています。その例として挙げられたのが「从」という字。・・・なんだ、これは?こんな漢字あったかと思われた方、ほとんどではないでしょうか。私なんぞは「人」の複数形かと思いました。(苦笑!しかしこれは、音読みだと「ジュウ」、訓読みで「したが」う。こう書けば、何となくわかって来ますね。「从」とは「従」の簡略字だというのです。正確には「從」の簡略字。日本では戦後の国字改革で「從」を「従」と改め、「したが」うと読ませましたが、中国では「從」を「从」と簡略化して「ジュウ」と読ませる。もともと「从」は、ある人が前の人につきしたがっている様を表している漢字。そういう意味では、人の複数形かと思ったのもあながち外れてはいなかったかも・・・。(笑!だから「從(したが)」うの意を表すには、「从」の部分がなくては意味をなさない。日本式の「従」では、従うという意味をなす大切な部分が欠落してしまっていると、阿辻先生は指摘されています。・・・う~む、恐るべし漢字。その起源を遡れば3000年前とも、3500年前とも言われていますが、表意文字としての大原則が現代の簡略字においても継承され、息づいているのですね。漢字を習う者のひとりとして、漢字の根底にある大原則を忘れることなく、漢字を編み出した古の先人に、「从(したが)」って行きたいものだと思いました。◆酒そば本舗トップページへ◆**貴方の共感できる生き方がきっとある**にほんブログ村
2019年07月21日
毎週日曜日のお楽しみ、漢字学者阿辻哲次氏の日経連載「遊遊漢字学」。今週の「遊遊漢字学」はまるで現代中国語講座のようで、読んでいて非常に楽しい。文字を一目見るだけでそれが何を意味しているのかすぐわかる、世界に類まれな優れた表意文字漢字。しかし、文章をすべて漢字だけで表すために膨大な数の漢字が必要となり、中には一文字20画も30画にもなる複雑な漢字が出現したために、表記するのに時間がかかるという致命的な欠点を内包しています。古のわが国では漢字を国字として取り入れてより、これをもとに独自に編み出した平かなと片かなの表音文字を併用した漢字かな交じり文という表記方法を用いるにいたって、今日まで優れた言語文化を築き上げて来ましたが、本家本元の中国はあくまで漢字にこだわった。ではこのような欠点を補うためにどのような工夫をしたかというと、もうすでにお分かりですね。複雑な漢字をそれとまったく同音の簡単な字体の漢字に置き換えるという手法を用いるのです。その典型的な例が、「机」だと阿辻先生は述べておられます。我われ日本人は、「机」と書けばそれは「テーブル」のこと。ところが本家本元の中国では、「机(き)」は「機(き)」のこと。すなわち「マシーン」を意味することがほとんどだと。阿辻先生が例としてあげられた「机」のつくことばをそのまま列挙します。あなたはそれが何を指しているかわかりますか?「収音机」「机器人」「机会」「手机」「知能手机」「ラジオ」「ロボット」「機会」(チャンスの意)「携帯電話」「スマホ」日本人からすれば、子どもの頃より漢字を習って知っているだけに、かえって何のことだかピンときませんよね。じゃあ、日本でいうところの「机」(テーブルの意)は、中国で何と表すのかといえば、これが「桌」と書くのだとか。こんな漢字学校で習いましたっけ?これじゃあ、なおのことわかりずらい。(笑!漢字の起源をさかのぼれば、今から3000年前とも3500年前とも言われていますが、携帯電話が世に現れたのはつい先頃のこと。手に収まる電話(機械)だから「手机」とは恐れ入りました。さらに世が進みスマートフォンを手にするにいたってどうするのかと思えば、「知能手机」とは、さすが漢字を編み出した中華民族だけのことはありますね。その「知能」の深さにはまったく感服させられます。◆酒そば本舗トップページへ◆**貴方の共感できる生き方がきっとある**にほんブログ村
2019年07月14日
毎週日曜日のお楽しみ、漢字学者阿辻哲次氏の日経連載「遊遊漢字学」。今週阿辻先生が取り上げたのは「女紅」。誰でも知っている漢字二文字からなることばですが、「女紅」とは今日あまり目にすることもなくなったことばではないか?「じょこう」と聞けば、多くの人は「女工」を頭に浮かべるでしょう。明治維新以降の近代日本史を語るとき、必ず出て来ることばでもありますから。調べてみると「女紅」とは、女子の仕事。裁縫・機織りなどとありました。 「女紅」にしろ「女工」にしろ、わが国では明治以降昭和の初期まで定着したことばだと言えます。ところが漢字の本家本元の中国では、そもそも「女紅」なることばは、前漢の景帝の時代に発した詔勅の冒頭に見ることができると、阿辻先生は教えてくれています。漢書・景帝紀に次のような記述があると。雕文刻鏤(ちょうぶんこくる) 傷農事者也錦繍纂組(きんしゅうさんそ) 害女紅者也景帝は、道具に華美な装飾を加えることは、農業の発展を阻害し、贅沢で派手な衣装は女性の労働を阻害すると戒めたのだとか。ここに見える「女紅」は、私なんぞはつい「女性が紅を引いたあでやかな姿」を頭に思い浮かべてしまいますが、阿辻先生は、「紅」は「功」または「工」の意味で「男耕女織」の社会では、「女紅」は女の仕事という意味であると、いたってお堅い。(笑!再び日本にもどって、明治新政府は自ら掲げた国策の中心となる富国強兵政策も、この「女紅」の力なくしては成り立たないことは、よく理解していたと思われます。明治4年(1872年)にはすでに、京都に日本最初の女性のための高等教育機関である「女紅場(じょこうば)」を開設し、裁縫・手芸・染色などの伝統的な「女紅」のほかに、「読み・書き・算盤」に関する授業も行ったということです。・・・ふ~む、働く女性の力とな。(綾小路きみまろ風に)・・・あれから何んと150年。現代のわが国の行く末を預かる宰相は、「女性の力」を弓につがえ、その矢を勢いよく放ったのではありますが、いっこうにその効果が見えてこないのはいかなる所以でしょうや?安倍首相も本日の日経はお読みでしょうから、ぜひ「女紅」ということばを学び直してもらいたいものです。◆酒そば本舗トップページへ◆**貴方の共感できる生き方がきっとある**にほんブログ村
2019年07月07日
毎週日曜日のお楽しみ、漢字学者阿辻哲次氏の日経連載「遊遊漢字学」。今週阿辻先生が取り上げたのは「尾生の信」について。あわせて「不見不散」という言葉についても。正直に申し上げます。「尾生の信」も「不見不散」も初めて耳にしました。ただただ己の不明を恥じるのみです。そこで早速調べてみました。「尾生の信」とは、中国春秋時代魯の国の住人尾生高(びせい・こう)という男の逸話に由来する言葉。一人の女と橋の下で会う約束を交わした男がいたと思ってください。男がいくら待っても女はなかなか現れなかった。そのうちに大雨で川が増水してきたが、その場を立ち去ろうとせず、橋げたにしがみついてまで女を待ち続け、ついに水死してしまったという哀れな男。それが尾生。・・・女はいつの世も罪作りなものですな。(笑!融通が利かず生真面目過ぎることのたとえにも、約束を必ず守ることのたとえにも使われるということです。阿辻先生は、「尾生は『不見不散』を実践したのだから、模範的な人物として表彰されてもいい」だろうと最後におっしゃっておられるところをみれば、どうも後者の意味に重きをなしておられるようにお見受けしました。きっと意中の女性を2時間でも3時間でも待ったという経験がおありなのに違いない・・・。(笑!「不見不散」は現代の中国でも盛んに使われている言葉のようです。「見(あ)わざれば散せず」、直訳すれば「会うまでその場を離れない」、つまり「必ず来てね」という意味。G20大阪サミットに出席した米国トランプ大統領は、その足で韓国へ行き板門店を訪れるのだとか。かの国の若き指導者と38度線で会うとか合わないとか取りざたされています。さしずめトランプ大統領はお得意のツイッターで、かの指導者に「不見不散」のサインを送ったといったところでしょうか。わが国はその昔、朝鮮半島を通して中国で発明された優れた表意文字漢字を国字として導入し発展してきました。ところがいわば漢字については先輩でもあった韓国では、後になってハングル文字があみ出され、近代になってこれを国字に定めて、漢字を捨ててしまったので、若い世代は漢字を読めも書けもしないということです。米朝の橋渡しをしようと躍起の韓国の文在寅大統領は、漢字の知識はどのくらいおありなのでしょうか?「『不見不散』だと?・・・何のことやらわからないスミダ?」にならなければいいのですが。まあ、それよりも板門店が大雨でないことを祈りたいでものです。(爆笑!◆酒そば本舗トップページへ◆**貴方の共感できる生き方がきっとある**にほんブログ村
2019年06月30日
趣味は何かと問われれば、無難なところで読書か。あと上げるとすれば、将棋。囲碁。ただし、腕前となると、将棋は「頭金流」。囲碁は「四線シチョウ」流。将棋では、自玉の頭に金を置かれて初めて詰みに気づくといったレベル。囲碁に至っては、四線より内側では石がシチョウに取られているのに逃げ出してしまう。三線まで石を追われて初めて取られていることに気づき、あっということになる。(苦笑!毎週日曜日のお楽しみ、漢字学者阿辻哲次氏の日経連載「遊遊漢字学」。今週阿辻先生が取り上げた漢字は「棋士」。どうやら阿辻先生もどちらもなさるご様子とお見受けしました。腕前については、言及なさっておられないのは残念ではありますが、それは本日の本題ではありませから仕方がないですかね。囲碁と将棋のプロは、まったく違ったゲームであるのにどうしてどちらも「棋士」と呼ぶのかと、阿辻先生は投げかけておられます。それは棋士の「棋」に「棊」という異体字があることがヒントだと。中国戦国時代までさかのぼると、当時すごろくに似たゲームがあって、盤と駒が木で作られていたから、それを「棊」と呼んだのだとか。今でいうボードゲームを総じて「棊」と呼んだということでしょうね。やがてこの漢字が囲碁も表すようになったとき、「木」ではなく「石」を使っているゲームだから「碁」と表記するようになったが、依然として「碁」を打つプレイヤーのことは「棋士」と呼ばれたのだと。ちなみに「棋」は当然としても、「棊」も「碁」も音は「キ」。たしかに「碁」は「ゴ」とも読めますが、囲碁の専門棋士を「碁士」と書いて区別したとしても、この時の読みは「キシ」になるそうです。囲碁の専門棋士が争うタイトル戦に「棋聖」と「碁聖」というタイトルがあるが、この読みにしても、阿辻先生に言わせれば、どちらも「キセイ」と読むのが正しいと。なるほどご専門が漢字ですから、「碁」の読みにも文字通りこだわりが深いというわけですな。ところで、碁を打つとなると、阿辻先生の読みにはどのくらいのこだわりがあるのでしょうとお聞きしたいものですな。まさか「四線シチョウ流」というようなことはありますまい。(笑!◆酒そば本舗トップページへ◆**貴方の共感できる生き方がきっとある**にほんブログ村
2019年06月23日
日本人なら「琴」と聞けば、いかなる楽器かすぐ想像できますね。では「箏(そう)」ってどんな楽器かと問われると、・・・はて? と首を傾げてしまわれるのではないか。確かに「琴」の楽曲のことを筝曲(そうきょく)と言いますから、そしたら「箏」なる楽器も「琴」のことを指すのでしょうか?毎週日曜日のお楽しみ、漢字学者阿辻哲次氏の日経連載「遊遊漢字学」。今週阿辻先生はその「琴」と「箏」の違いについて取り上げておられます。調べてみると、「琴」と「箏」の大きな違いは2か所。「箏」には玄の下に音程を調節する琴柱を立てますが、「箏」にはこれがなく玄を指で押さえて音程を調節する。次に玄の数。「琴」の7弦に対して、「箏」は最初は5弦、唐代には12弦と13弦の2種類があって、13弦の「箏」が日本に伝わり、現代の「琴」になっていったとありました。阿辻先生も、現代の日本でいう「琴」は、もともと「箏」という楽器で、どちらも奈良時代に中国より伝来したものが、その後「琴」は使われることもなく消えてしまって、漢字の「琴」だけが残った。一方「箏」はその後も日本で弾かれ続けたが、戦後になって当用漢字表から「箏」が抜けてしまった。そこで「箏」の代わりに「琴」という字を当てて使うようになったと説明なさっています。・・・罪つくりな「当用漢字表」ですな。でも「筝曲」ということばは堂々と残っいるのは、いかなる理由からなのでしょうか?冒頭阿辻先生は、この「琴」が出て来る李白の詩を紹介しておられます。山中與幽人對酌 (山中にて幽人と対酌す)兩人對酌山花開 (両人対酌すれば山花開く)一杯一杯復一杯 (一杯一杯また一杯)我醉欲眠卿且去 (我酔うて眠らんと欲す卿且く去れ)明朝有意抱琴來 (明朝意あらば琴を抱いて来たれ)ここで出て来る「琴」は、現代の我々が認識している「琴」ではなく、中国の古典に出て来るところの「琴」で、「箏」よりもっと小型の楽器のことであると。ただ小型としても、長さ約1.7メートル、幅20センチの「琴」は決して小さくはない大きさ。しかし、李白と飲めるのだったら、がんばって持っていけるくらいの大きさだとはいえるだろうとも。・・・う~む、私なら、「且く去ってくれ」と言われても、「そうおっしゃらずに、もう一杯、また一杯。今日はとことんやろうではありませんか」などと居座ってしまいそう。きっと李白は眉をひそめたでしょうね。(笑!もっとも、李白が対酌している「幽人」って世を捨てて仙人のようにあらんとする人のことだから、都を去ってより隠遁生活を送っている李白自身のことを指しているとも解釈できます。すなわち李白は一人孤独を肴に独酌していたのではないか。なにしろ李白は、酒の飲み方においても仙人だと称されていますからね。そういった「幽人」であっても、「酒」と「琴」の力なくしては、隠遁生活もままならなかったということがこの詩から垣間見れて、興味深いものがあります。◆酒そば本舗トップページへ◆**貴方の共感できる生き方がきっとある**にほんブログ村
2019年06月16日
毎週日曜日のお楽しみ、漢字学者阿辻哲次氏の日経連載「遊遊漢字学」。今週阿辻先生が取り上げた漢字は「名刺」でした。普段よく見かけるビジネスシーン。「初めまして。〇〇商事の△△です」「あっ、どうも。この度はお世話になります。◇◇産業の□□です」今やわが国に限らず世界中のビジネスマンにとって名刺は欠かせぬツールとなりました。その優れたビジネスツール「名刺」は、日本の猛烈ビジネスマンが考え出したものと思っておりましたが、そのルーツは中国漢の時代にまで遡ることが出来るとは、知りませんでした。「名刺」がどのようなものかよく承知している我われは、「名」という字が使われているのはごく自然に受け入れることが出来ます。しかし、その後に「刺」という字が使われていることに違和感を覚えるという方、いらっしゃいますでしょう。阿辻先生がおっしゃるには、漢の時代、「名刺」は単に「刺」または「謁(えつ)」といい、まだ紙が発明される前のことであったから、木の札に自分の姓名や相手への用件などを書き付けたものが始まりであったと。それを相手に差し出して面会を求めることを「刺を通ず」といったのだと。実は「刺を通ず」には驚くべき意味があって、現代の我々の「名刺」の使い方とは全く違う使い方を当時の中国ではしたらしい。では木の札に何と書いて面会を求めたか?「私と会ってくれたら千銭を差し上げます」というように書いたのだというのです。漢の高祖劉邦がまだ田舎の下級役人であったとき、その地方の有力豪族であった呂氏に会うために、まったくの無一文であったにもかかわらず、「銭万をもて賀す」と名刺に書いて差し出したという故事を阿辻先生は紹介しておられます。呂氏は大胆な劉邦を見込みある男とみなし、後ろ盾となったばかりか自分の娘まで劉邦に嫁がせたと。これがのちに悪名高い漢の呂后と呼ばれる女性というのですから、名刺の功罪は計り知れないものがあると言えましょう。漢の高祖劉邦は、名刺によって大漢帝国を作り、名刺が引き寄せた妻によって国を傾けた。・・・う~む、私も名刺の使い方にはくれぐれも気をつけようっと。(笑!もっとも小心者ですから、劉邦のような大胆なことはとても書けはしません。せいぜい「お留守でしたのでまたお伺いします」程度です。(苦笑!まあ、そのおかげでしょうか。一国を興すなどというような壮挙は端からかなわないとしても、とても優しい理解ある伴侶を得ることが出来たのは、ただただ幸いとしか言いようがありません。(爆笑!◆酒そば本舗トップページへ◆**貴方の共感できる生き方がきっとある**にほんブログ村
2019年06月09日
毎週日曜日のお楽しみ、漢字学者阿辻哲次氏の日経連載「遊遊漢字学」。今週阿辻先生が取り上げた漢字は「米」でした。先週は絵に画いた餅の「画餅」でしたから、なるほ「餅」の次は「米」というわけですか。(笑!さて「米」なら、日本人であれば知らぬ人はおりますまい。しかし、この字はもともとイネの実だけを意味したのではなく、穀物の実を脱穀した穀粒の総称を指しているということをご存知の方は、少ないのではないか。まあ、知ってる人がいるとすれば、阿辻先生くらいのものでしょう。(笑!ところで世界の三大穀物といえば、「米」「麦」「トウモロコシ」ということになりましょうが、では生産地はどうかといえば、何れも中国が主生産国で、「米」「麦」は1位、「とうもろこし」はアメリカに次いで2位になります。消費量となれば、何れも断トツで中国が1位となります。古代中国に文明が開化してよりこの方、中国では「米」も「麦」も栽培されてきたのはご承知のとおり。当然のことながら漢字にも「米」と「麦」があるのは、自然なことと言えましょう。では「トウモロコシ」はどうかというと、日本では「玉蜀黍」などとひねくれた字を当てたりするようですが、それは後に日本人が考えたこと。本家本元の中国ではそのような漢字などありません。なぜでしょうか?「トウモロコシ」はもともとアメリカ大陸が原産の作物で、中国には明の時代にポルトガル人によって持ち込まれた作物だということを知れば、なるほどと相づちも打てますね。ではどう表すかというと、これが「玉米」と書くというのです。まあ、同じ漢字を国字として習って来た日本人には、何となくイメージできそうな名前ですね。(笑!漢字があみ出されたときより2000年以上も経って「トウモロコシ」を初めて目にした中国人は、コンピューターには「计算机」を、ラジオに「收音机」を当てたごとく、該当する文字をひねり出すしかなかったというわけです。まあ、それにしても「玉米」とは、長い米作の歴史と、優れた表意文字漢字を発明した中国ならではの発想と言えましょう。「玉蜀黍」なんかよりよほどわかり易いし、読みやすい。(爆笑!◆酒そば本舗トップページへ◆**貴方の共感できる生き方がきっとある**にほんブログ村
2019年06月02日
毎週日曜日のお楽しみ、漢字学者阿辻哲次氏の日経連載「遊遊漢字学」。今週阿辻先生が取り上げた漢字は「画餅」でした。今日では、「画餅」を「ガベイ」と耳で聞くと、その意がすぐに頭に浮かぶ人は少ないのではないか?「えっ、ガビョウ(画鋲)? 」などと、二度・三度聞き直すことになるかもしれませんね。(笑!しかし、「絵に画いた餅」といえば、大概の人ならすぐにわかろうというもの。比較的よく使われることばといえましょう。我われが普段日常でよく使う「絵に画いた餅」の由来が、古の中国の三国時代、魏の文帝の発したことばにまで遡るとは、まったく知識の外でした。「選挙莫取有名 名如画地作餅 不可啖也」「(人材を)選び挙ぐるに名有るを取る莫(なか)れ。 名は地に画きて餅を作すがごとし。啖(くら)うべからず」文帝は優秀な人材を集めるにあたって、このように言ったと。・・・なるほど。私もこういうことばを発してみたいものですな。(笑!ところで「餅」といえば、我々は日本人ですから正月に雑煮にして食べる「もち」のことだと、誰もが承知していますが、古代の中国では「餅は小麦粉をこねて蒸した、今でいうところの蒸しパンのようなもの」であったと阿辻先生はおっしゃっておられます。漢字の読み書きこそ小学校の時の書き取りテストよりこの方苦手としている私でありますが、パンか餅かというようなことになれば、これは粉食と粒食の文化の違いということになりますから、常日ごろ小麦粉やそば粉を扱う者としては、黙って見過ごすわけにはまいりません。古の中国三国時代に魏が支配したのは、黄河より北の中国北方の華北と呼ばれる地域。この地域は今でもそうですが乾燥した地域で、米作りには適しません。米作りに適した地域は、温暖で雨量の多い長江より南の地域になりますが、この辺りは当時蜀が支配していた。したがって、魏では主食が小麦であったと想像されます。ご存じのように麦は粉に挽いて、パンや麺にして食べますね。一方わが国がそうであるように米は普通粉に挽くというようなことはしません。粒のまま煮たり炊いたりして食べます。もし「画餅」を口にしたのが魏の文帝でなく、蜀の劉備玄徳であったとしたなら、「餅」は蒸しパンやビスケットではなく、文字通り「もち」であったろうと思うのです。阿辻先生、いかがでしょう。◆酒そば本舗トップページへ◆**貴方の共感できる生き方がきっとある**にほんブログ村
2019年05月27日
毎週日曜日のお楽しみ、漢字学者阿辻哲次氏の日経連載「遊遊漢字学」。今週阿辻先生が取り上げた漢字は「美」でした。日本人なら知らぬ人はいないでしょう。誰でも読み書きのできる漢字です。確か小学校の2年か3年で習う漢字でなかったか?習字の時間に「美しい心」とか「美しい国」とか書かされたことを思い出しますね。皆さんもご記憶でしょう。毛筆で「美」という字を書くのってバランスが取りにくくて意外に難しくありませんでした?まあ、上手に書けた人もいらっしゃいましょうし、わたしのように書けなかったという人もいらっしゃいましょうが、それは本日の「遊遊漢字学」の主題ではありません。(笑!「美」という漢字は、「羊」に由来しているという内容が本日の主題です。・・・ふ~む、なるほど。言われてみれば、「羊」が「大」きいと上下くっつけて書けば「美」となりますね。「美」の最初の一画、二画を角、最後の「大」の左右の払いを後ろ脚と考えれば、「羊」をかたどった象形文字にも見えて来ます。あらためて「美しい」を辞書で調べてみると、1、 姿・形・色彩などの美しいこと。また、そのさま。2、 非常にりっぱで人を感動させること。3、 哲学で、調和・統一のある対象に対して、利害や関心を離れて純粋に感動するときに感じられる快。また、それを引き起こす対象のもつ性格。4、 味のよいこと。うまいこと。また、そのさま。とありました。阿辻先生は、その「美」の由来を、古の中国では羊が祭祀の生贄として盛んに使われたことに関係あると指摘されています。すなわち古代の中国の人は、神に捧げる犠牲は大きければ大きいほど効力が期待できると考えたのだろうと。祭祀が終わった後で人が食べる「おさがり」も大きければ大きいほど喜ばしいのはもちろんのことだとも。(笑!そこで丸々と太った大きな羊がお供えに選ばれた。ゆえに「美」になると。そうすれば、現代の我々は先にあげた辞書の解釈の(1)を一般的な意味として認識していますが、「美」の本来の意味は、(2)の「りっぱなもの」「人を感動させるもの」の意であることがわかりますね。かって、「大きいことはいいことだ」という流行語がもてはやされたことがありましたね。「消費は美徳だ」とおっしゃった宰相もいらっしゃいましたから。もっとも数年後に、「かって消費は美徳だと言ったこともあったが、あれはいささか軽率であった。今となっては節約は美徳だ」と改めておられましたが。・・・「美徳」。ここにも「美」が使われていますね。世は平成から令和へ、経済学者は先の御代の前半を「失われた20年」とも表現するようですが、不敬のそしりをあえていとわず書かせてもらえば、私ら庶民感覚ではまさしく「丸まる30年」の感がしないでもありません。みんなで「大」きい「羊」の「おさがり」がいただける、「美しい」時代にしたいものだと思いを新たにしています。◆酒そば本舗トップページへ◆**貴方の共感できる生き方がきっとある**にほんブログ村
2019年05月12日
毎週日曜日のお楽しみ、漢字学者阿辻哲次氏の日経連載「遊遊漢字学」。今週阿辻先生が取り上げた漢字は、「麑(ゲイ)」でした。阿辻先生は久方ぶりで難しい漢字を取り上げられましたね。何とも漢字らしい漢字といえばそれまでですが、未だかってこのような漢字、見たことも聞いたこともありません。もちろん書いたことも。「ゲイ」という読みについても私の知識のはるか領域外です。では「麑(ゲイ)」とは何のことを表すかといえば、何んと虎や豹までも食べる獰猛な動物だとか。古代中国の「爾雅(じが)」という書物にいろんな動物について記述した「釈獣」に見ることができるのだそうです。まあ、古代中国得意の想像上の動物なんでしょうね。古代中国ならまだしも、現代の日本でこんな漢字がはたして使われているのだろうかと思いたくなりますが、これが使われているんですね。日本に初めてキリスト教を伝えたフランシスコ・ザビエルを偲んで建てられた聖フランシスコ協会跡に残るザビエルの胸像とアーチ。そのアーチの柱に「フランシスコザビエ聖師滞麑記念」と記されていると、阿辻先生は教えてくれています。鹿児島では、ご年配の方がいまだに鹿児島に来ることを「来麑」と表現するそうです。まあ、これは「鹿」と「児」を組み合わせた形を「麑」で表したものだろうということは、私にも容易にわかります。鹿児島のことを「麑」という字で表した例は、古くは『続日本書記』にも見られ、それには「麑嶋」と記述されている文例を阿辻先生は紹介されています。鹿児島という地名は、船頭・漁夫をいう古語「カコ」に由来し、『続日本書記』は「カコ」を表す漢字として「麑」を選択したのだろうと。このようにもともとその文字がもつ漢字本来の意味は意識されずに、字形を構成する要素の字音のみを利用するという手法は、漢字がわが国に伝来以降、日本人の手によって工夫されたものだとも。阿辻先生の向こうを張って言うわけでは毛頭ありませんが、いわゆる万葉仮名がそうなのだろうと、俄か漢字学者( ← 私のことです)は考えます。本日もまたしても先週同様に、「遊遊漢字学」の下の欄に載っている連載小説「ワカタケル」に、その例が出てまいります。主人公ワカタケル(雄略天皇)が詠んだ歌を、漢字で表記しようとしている場面が書かれていますね。こもりくの (隠口乃)はつせのくにに (泊瀬乃國示)さよばいに (左結婚丹)われがくれば (吾来者)・・・・・まあ、「國」や「吾」、「来」は表意文字である漢字本来の使い方がされていますが、「隠口」や助詞の「示」、「丹」といった文字は意味とは無関係に字音のみ利用したものですね。ところで「さよばい」を「左結婚」と表記してありますが、これは表意を持つのか単に字音のみを利用したものなのか、ビミョーですなぁ~。(笑!これはワカタケルが泊瀬に稀にみる美女がいると聞き、共寝を命じんとかの女の住む家までわざわざ出かけたものの、女は固く扉を閉じてワカタケルの意に応じようとしなかった。そこで一晩戸口で待ったものの、雨に降られるは、雪が肩に積もるは、そのうち夜が明けてきて、鶏は鳴き出すはで、さんざんな目に遭ったことよという歌なのだそうで、それにしても「左結婚(さよばい)」とは、古代の日本は赤裸々な表現をいとわなかったとつくづく感心させられます。冒頭に「それを文字にしたらどうかな」、「千年先まで残る」と書かれているように、まさしく1500年経った現代に、かの大王(おおきみ)ワカタケルが「左結婚(さよばい)」をかけたことを知ることが出来るのも、古の賢人が漢字をわが国の国字として採用したからにほかなりません。◆酒そば本舗トップページへ◆**貴方の共感できる生き方がきっとある**にほんブログ村
2019年05月05日
毎週日曜日のお楽しみ、漢字学者阿辻哲次氏の日経連載「遊遊漢字学」。今週阿辻先生が取り上げた漢字は、「奏」でした。この「遊遊漢字学」、阿辻先生が取り上げる漢字の成り立ちや深い由来については、毎週新鮮な驚きを覚えずに読むことはできません。本日の「奏」にしても、どちらかといえば、普段我われがよく目にする漢字ではありますが、きっと奥深い意味が隠されているに違いないだろうと、先生の講義を聞く前に少し予習をしておこうと思い立ちました。そこで「奏」について調べてみたところ、音読みが「ソウ」、訓読みが「カナでる」「モウす」で、天子に申し上げること。また、その文書の意とありました。また別の辞書では、廾(きよう)(=両手)と、夲(とう)(すすめる)と、屮(てつ)(すすめる)とから成り、両手で物を持って「すすめる」、ひいて、申しあげる意を表す。転じて、音楽を「かなでる」意とも書かれています。阿辻先生は、「奏」は両手で持った笛のような楽器を演奏するさまをかたどった漢字で、もともとは祭りのとき神に音楽を捧げることを意味したと教えてくれています。それがのちに身分の高い人に何かを申し上げるという意味にも使われるようになったのだと。その例が早速「遊遊漢字学」の欄の下に掲載されている連載小説「ワカタケル」に出ていましたが、これは偶然でしょうか。大王(おおきみ)ワカタケル(雄略天皇)を主人公とするこの小説、ワカタケルが吉野の阿岐豆野(あきづの)で狩りをおこなったときに詠んだ歌。み吉野の袁牟漏(をむろ)が岳に 猪鹿(しし)伏すと誰(たれ)ぞ大前(おほまえ)に奏(まを)す(「吉野の袁牟漏岳には猪や鹿がいると、誰が大王に告げたのか」の意)まさしく最高に高貴な大王に申し上げたのだから、「奏(まを)す」になるというわけです。音楽でも言葉でも、神に対して発せられるものには誠意がこめられていなければならない。その誠意こそが人の心に感動を与える根源であり、それは捧げる相手が神でなく人間であってもまったく同じことだとの阿辻先生のご意見。深く深く心に刻んでおきたいと奏(まを)します。◆酒そば本舗トップページへ◆**貴方の共感できる生き方がきっとある**にほんブログ村
2019年04月28日
毎週日曜日のお楽しみ、漢字学者阿辻哲次氏の日経連載「遊遊漢字学」。今週阿辻先生が取り上げた漢字は、「枕」でした。日本人なら文壇に関わらずとも漱石と鴎外の名を知らぬ人はいないでしょう。いわずと知れた明治の二大文豪です。そういえば高校の時、訳も分からず漱石と鴎外を読まされたものでした。今私は、漱石という名は漢籍の「漱石枕流」ということばから取ったものだと、高校の国語の先生が、教えてくれたことを思い出しています。「・・・君たち、『漱石枕流』を読めば、『石に漱(すす)ぎ、流れに枕(まくら)す』になるが、これっておかしくはないか?石を枕にして川の水で口を漱ぐのが普通だろう」「実は『漱石枕流』には、無理矢理こじつける、強弁するという意味がある。昔中国西晋時代のこと、孫楚という文才に優れた男が、『枕石漱流』というべきところを間違えて『漱石枕流』と言ってしまった。『川の流れは枕にできず、石では口は漱げない』との指摘を受けても、孫楚は素直に間違いを認めず、こう強弁したそうだ」「流れを枕にするのは俗世間の賤しい話で穢れた耳を洗いたいから。石で口を漱ぐのは俗世間の賤しいものを食した歯を磨きたいからだと。・・・これってかっこよくないか」と「漱石枕流」の故事を披露した後で、「・・・漱石はかなりの頑固者、偏屈者で、それが高じて胃潰瘍や気鬱の病に終生悩まされたということだ。あたしもかなりの頑固者、偏屈者だと自認してはいるがね、漱石ほどじゃありませんよ。頭のつくりの方もね・・・。ワッ、ハッ、ハッ」と高らかに笑ったものでした。現代では「漱石枕流」は、「ソウセキチンリュウ」と読むのが一般的だが、「枕」はマクラという意味なら読みは「シン」で、これを「チン」と読むのは実は誤りで、この読み間違いについて強弁した者は誰もいないようだという阿辻先生のこだわりのあるご指摘。さすがはご専門が漢字だけのことはあると感心させられます。ついでに言わせていただきますが、先生は頑固度、偏屈度においても漱石級、いや孫楚級だと思いますが、阿辻先生や如何に。(爆笑!◆酒そば本舗トップページへ◆**貴方の共感できる生き方がきっとある**にほんブログ村
2019年04月21日
毎週日曜日のお楽しみ、漢字学者阿辻哲次氏の日経連載「遊遊漢字学」。今週阿辻先生が取り上げた漢字は、「入」でした。「入口」の「入」、「入門」の「入」、わずか二画で書けてしまう簡単な漢字です。とてもこの漢字に深い意味もいわれもないような気がしますが、どっこい奥が深かった。阿辻先生は、論語の子張編より、孔子の弟子の子貢(しこう)が孔子の人徳の高さを塀にたとえた逸話を紹介しています。子貢の人徳は孔子以上だという人に、「自分の屋敷の塀の高さはせいぜい肩まで位だから、塀の外から中の様子が簡単にうかがえるが、先生(孔子)の屋敷ははるかに高い塀に囲まれているから、門から入らない限り中のすばらしさはわからない」と諭したということです。すなわち、これが今日我われが使う「入門」ということばの由来であると。さらに子貢は、「先生の屋敷は門がどこにあるのかわからないほどにとても広い。まず門を探すことからして難しいのだ」とダメを押しているのだとか。うわぁ~、まず門がどこにあるか探すことから始めよですか・・・。次にその孔子は、「堂に升りて室に入らず」ということばも残していて、これは「客間に上がれるほどにはなっているものの、まだ奥の間には入れるほどではない」、つまり奥義をきわめてはいないということを言ったものだと。今日では学問や技術が一定の水準に達しているということを「升堂入室」というようになったということです。すなわち堂に升(のぼ)るほどであればかなりの水準には達している。奥義を知る目前までは来ているということなのでしょうか。う~む、門を探して中に入れたとしても、広大な敷地を渡らなければ屋敷にたどり着かない。で屋敷の中に入れてもらえたとしても、堂までに長い廊下が待ち受けているというわけですか。まずはこの門から入れと「遊遊漢字学」という大きな表札を掲げ、さらには門前まで姿を見せて手招きしてくださる阿辻先生には、いくら感謝しても感謝しきれぬ思いです。◆酒そば本舗トップページへ◆**貴方の共感できる生き方がきっとある**にほんブログ村
2019年04月14日
毎週日曜日のお楽しみ、漢字学者阿辻哲次氏の日経連載「遊遊漢字学」。今週阿辻先生が取り上げた漢字は、いわずと知れた「令」。新しい御代の年号が発表されて一週間が経とうとしていますが、世間では未だに新しい年号についてあれやこれやと口うるさく言及する人がいるようです。「令和」という新しい年号に使われた二文字の漢字。「和」についてなら、大方の日本人ならその意味するところを知らぬ人はいないでしょうが、「令」については、「レイ」という音読みこそ普段よく聞きなれてはいるものの、その意味するところを知る人は私も含めて少なかったということでしょうか。「命令」の「令」、「指令」の「令」として普段よく使われることもあって、一部の海外の新聞ばかりでなく、わが国の政治家や評論家の中でも政府の右傾化を象徴する漢字が使用されたのは遺憾だという趣旨の発言をする人がいるようです。新年号が発表された4月1日は月曜日でしたので、実をいうと私はこの一週間を首を長くして待っていたのです。阿辻先生はきっと「令」を取り上げるに違いない。阿辻先生から、「令」の意味するところ、その由来について教えを乞おうと心待ちにしていたのです。『すばらしきかな「令」』と題された今週の投稿は、阿辻先生が台湾のスパーマーケットでおもしろい体験をなさった話から書かれていました。棚に並べられていた家庭用洗剤の名前が、「魔術靈」と書かれてあったのだそうです。なんと日本でお馴染みの花王の「マジックリン」が、台湾では「魔術靈」として販売されていたということです。「靈」は台湾で「リン」と発音するそうですから、ピッタリの名前ですよね。(笑!次に義大夫の「壺坂霊験紀」の話。この「霊験」とは、敬虔な信仰に対して神仏が示す不思議な験(あかし)のこと。「霊峰」や「霊薬」ということばがあるように、「霊」という漢字には「はかりしれないほど不思議な」とか「神々しい」「とても素晴らしい」という意味があるのだと。漢字は文字そのものに意味を持たせたすぐれた表意文字ではありますが、そのために文字の数が膨大になり、複雑な画数の漢字の出現を余儀なくされてしまったという欠点も否めない文字ですね。その欠点を補うために、複雑な漢字を同じ音の簡単に書ける漢字で置き換えるという手法が、中国では古来より用いられて来ました。そこで24画もある複雑きわまりない「霊」の旧字体「靈」には、簡単に書ける「令」を用いたので、「令」にも「よい・すばらしい」という意味が備わった。今日よく使用する「令嬢」「令息」もこれに準じた言い方なのだと。・・・ふ~む、なるほど。それで出典の万葉集にある「令月」は「すばらしい月」という意味なのですね。新年号発表に際して会見をされた安倍首相も、このように説明してくれれば、わかり易かったのに。結婚披露宴のテーブルの席表に書かれている「令夫人」を見て、「いつもおれに命令ばかりしているから、『令夫人』というのか」というくらいなら、まったくご愛敬ですむのですがね。「国民への規律や統制の強化がにじみ出ている」という社民党の又市党首のご意見は、いささか無理があるように私には見受けられます。今日の日経「遊遊漢字学」をぜひお読みいただきたいものです。まあ又市党首にしてみれば、党首といえどもいつも誰とは言いませんが、F元党首の顔色をうかがっていなければならないご事情は、お汲みして差し上げたいとは思いますが・・・。(爆笑!◆酒そば本舗トップページへ◆**貴方の共感できる生き方がきっとある**にほんブログ村
2019年04月07日
毎週日曜日のお楽しみ、漢字学者阿辻哲次氏の日経連載「遊遊漢字学」。本日阿辻先生が取り上げたのは「婚」という漢字でしたが、阿辻先生は「『婚礼』はなぜ夕方だったか」と、いささか漢字学者とはかけ離れたような問いかけをなさっています。なるほどそう言われれば、時代考証に厳格な時代劇などをみると、婚礼は煌々と燭を焚いた広間で行われているシーンに出くわしますね。そもそも婚礼を夕方から行うという習慣は、夜陰に乗じて他の集落に忍び込み、若い娘を略奪して来て妻とする、古代原始社会におこなわれていた「略奪結婚」の名残りだという説があるのだとか。礼記(らいき)の曾子問(そうしもん)には、嫁女之家 三夜不息燭 思相離也取婦之家 三日不挙樂 思嗣親也と孔子は説いたと書かれているそうです。「娘を嫁がせた家は、嫁いでいった娘のことを夜も寝ずに考えるから、三日間ろうそくの灯りを絶やさないでいるし、嫁を取った家では家を継ぐことを考えるから三日間音曲の演奏を控える」と解釈するのが一般的だが、「娘を奪われた家は悲嘆にくれて眠れないから夜もろうそくの灯が絶えず、奪い取った側は、略奪がばれないようにほとぼりが冷めるまでひっそり暮らす」とも解釈できると、阿辻先生は書いておられます。・・・ふ~む、なるほど。「略奪結婚」が往時では日常的であったと。ところで日経の「遊遊漢字学」のすぐ下の連載小説のコーナーの紙面では、池澤夏樹の手になる第21代雄略天皇を主人公にした「ワカタケル」が好評連載中ですね。それまでは有力豪族による連合体であったこの国を武力によって統一し、大王(おおきみ)を中心とする中央集権体制を確立したとされる雄略天皇、その若き日の「ワカタケル」のものがたりですが、この「ワカタケル」文字通り、猛(たける)に猛た人物として描かれている。武をもって制略した有力部族の女(むすめ)を次から次へと寝所へ招き、共寝を繰り返す。その女が孕んで子をなせば、わが手によって滅ぼされた有力部族の血も遺せるだろうという猛々しい益荒男ぶり。・・・「婚礼」はなぜ夕方だったか?阿辻先生がおっしゃっていること、なんとなくわかるような気がします。◆酒そば本舗トップページへ◆**貴方の共感できる生き方がきっとある**にほんブログ村
2019年03月31日
毎週日曜日のお楽しみ、漢字学者阿辻哲次氏の日経連載「遊遊漢字学」。本日阿辻先生が取り上げたのは、「鼓腹撃壌」。あまり目にしない漢字四字からなる熟語ですが、よく見れば、動詞、名詞、動詞、名詞と並んだことばです。我々は、文字一つ一つに意味を持たせた優れた表意文字漢字を子どものころから国字として習って来ているので、仮にこの言葉を初めて目にするとしても、どのような意味を表しているのか、おおよそ見当がつきますね。古代中国で聖人といわれた尭(ぎょう)帝が、世の中が治まっているのかどうかを確かめるために、ひそかに市井に出たとき、老人が腹つづみをうち、地面をたたいて、太平の世を謳歌する歌をうたっていたという故事に由来すると阿辻先生は教えてくれています。この故事は、人々が安楽な暮らしと平和な生活を謳歌した尭帝の治世をたたえる逸話ととらえるのが本筋ながら、後世には、これを世俗的な権力とは無縁に、自由気ままに暮らす隠逸の楽しみと解釈されることもあったというのですが、日出而作 日入而息 日出でて作(な)し 日入りて息(いこ)う鑿井而飲 耕田而食 井を鑿(うが)ちて飲み 田を耕して食らう帝力何有於我哉 帝力何ぞ我に有らんやと腹つつみをうち、地面を棒でたたきながらこう歌ったという老人は、はたして名君の治世を賛美したのか、あるいはまた世俗を捨て自由気ままに生きようとした世捨て人だったのか、興味の尽きないところです。・・・う~む、それはさておき、我らが安倍首相にもぜひ聞かせたいものですな。(笑!◆酒そば本舗トップページへ◆**貴方の共感できる生き方がきっとある**にほんブログ村
2019年03月24日
毎週日曜日のお楽しみ、漢字学者阿辻哲次氏の日経連載「遊遊漢字学」。本日阿辻先生が取り上げた漢字は、「鬱(うつ)」。ついに出たかという感じですね。(笑!さまざまなストレスに晒される現代人にとって、「鬱」は大きな社会問題でもあります。したがって、まず「鬱」という文字は、人の精神の病を表す漢字だということを知らない人はいないでしょうけれど、これを正しく書ける人は少ないのじゃないか。おそらく阿辻先生か、「今でしょ!」の林修先生ぐらいでしょう。(笑!阿辻先生はこの「鬱」という複雑な漢字の成り立ちを、文字を分解することによってわかりやすく説明してくれています。まず「林」の間に挟まれた「缶」があって、その下には「冖」(わかんむり)。そしてその中の「鬯」と「彡」から成っていますね。「鬯」は、キビから作った酒を指し、「缶」はそれを入れた酒壺を表す。「林」は二本の柱で、それを上から覆って密閉する形が、「冖」。「彡」は酒の香りがあたり一面に漂っているさまを表していて、「しげる・さかん」という意味を表すと、阿辻先生は教えてくれています。したがって、普段我々がよく口にする「憂鬱(ゆううつ)」は、「たくさんの心配事がこもっている」という意味になるのだと。・・・ほぉ~、奥深いですなぁ。漢字の起源を考えると、文字通り「漢」の時代からとしても紀元前のことになりますから、二千数百年前に遡ることになります。冒頭に私は、「鬱(うつ)」は現代の大きな社会問題だと言いましたが、はるか昔紀元前の時代を生きた古の中国人も「気鬱」に陥っていたということが、この「鬱」という漢字からうかがい知ることが出来ますね。紀元前を生きた人々も、やはり一人ふさぎ込んで誰とも話したくないということがあったのに違いありません。現代人がそうであるように、解決を一時の酒に求めたりしたのでしょうか?◆酒そば本舗トップページへ◆**貴方の共感できる生き方がきっとある**にほんブログ村
2019年03月17日
毎週日曜日のお楽しみ、漢字学者阿辻哲次氏の日経連載「遊遊漢字学」。本日阿辻先生は、いかにも漢字学者らしく「腔」の読みについてのこだわりを話題にしておられて、大変興味深く読みました。最近大きな病院へ行くと、診療科目に「口腔外科」という科目がありますよね。歯科と外科がクロスするような分野を担当する医療科目になろうかと思うのですが、私に言わせれば、医者が歯科専門でない分だけ歯の細かい治療技術に劣り、外科である分乱暴に抜いたり切ったりするので、虫歯などの治療に限れば、街の歯医者へ行った方が良さそうな気がします。・・・えぇ~、そんなことは今日の本題ではなかった。(笑!皆さん「口腔外科」はなんと読みますか?「こうくう外科」ですよね。阿辻先生は、初めて「こうくう外科」ということばを聞いたとき、上空では気圧が低くなることを利用して飛行機の中で手術をするのかと勘違いをしたと、冒頭書いておられます。どうも「口腔」ではなく「高空」か「航空」という漢字を思い浮かべられたらしい。まあ、ご専門が漢字学ですからさもあらんか。専門病といったところでしょうか?(笑!阿辻先生曰く、そもそも「腔」の読みは、「くう」ではなく「こう」であり、「うつろ・中空」という意味で、「からっぽの部分・がらんどう」を表す漢字であると。だから「満腔」といえば、「からだじゅう、満身」という意味になるのだと。胸一杯にひろがる尊敬の念を指す「満腔の敬意」は、「まんこうの敬意」であって、決して「まんくうの敬意」とは読まないと。医者が「鼻腔」や「腹腔」を「びくう」や「ふっくう」と呼ぶのは、漢字の右側の「空」の音読みに引きずられたものであろうとおっしゃっています。・・・正直に申し上げます。私も医者ではありませんが、相当引きずられた口です。(笑!そもそも「満腔の敬意」ということば、初めて目にしましたし、平気で「まんこうの敬意」ではなく「まんくうの敬意」と読んでしまいそうです。まったく情けない限りですな。「腔」には「からっぽの部分・がらんどう」という意味があるそうですから、さすれば私の頭脳は、「満腔の頭脳」ということになりますかね。(苦笑!しかし、今日の「遊遊漢字学」を読んで、「腔」の読みについて勉強し、正しく理解できたところをみれば、「満腔の頭脳」にも一本しわが増えたようではあります。う~む、それにしても、阿辻先生には「満腔の敬意」を表するものであります。◆酒そば本舗トップページへ◆**貴方の共感できる生き方がきっとある**にほんブログ村
2019年03月10日
毎週日曜日のお楽しみ、漢字学者阿辻哲次氏の日経連載「遊遊漢字学」。本日阿辻先生は「孫の手」の由来について、取り上げておられます。合わせて「蒼海の変」ということばも紹介されており、大変興味深く読みました。また脳みそのしわが1本増えましたね。(笑!唐代の詩人・儲光羲(ちょこうぎ)の「八舅の東帰するに献ずる詩」に、「蒼海の桑田となる」という一節があるとか。世の中の移り変わりのはげしいことを例えて、「蒼海変じて桑田となる」、または「蒼海の変」というのだと阿辻先生は教えてくれています。これは晋の葛洪(かつこう)が著した「神仙伝」に原典が見られるそうで、このエピソードがまたすこぶる面白い。「神仙伝」には、後漢のある時、蔡経(さいけい)という者のところに逗留していた王方平(おうほうへい)という仙人が、麻姑(まこ)という仙女を呼び寄せたところ、どう見たところで18か19くらいの娘にしかみえない麻姑が、「この前お目にかかってから、東の海が三度桑畑に変わるのを見ました」と言ったと書かれているのだそうです。さらに蔡経がこの世のものとは思われぬ美しい麻姑に見とれていて、その爪が鳥のように長く鋭いのに気づき、こんなことを考えたそうな。私もその場にいたとしたら、同じことを脳裏に浮かべたと思いますよ。「あの爪で背中のかゆいところを搔いてもらったら、さぞかしいい気持ちだろうな」と。するとそれを察した王方平が、仙女の爪で背中を搔くなど不埒極まりないと、蔡経の背中を鞭打ったというのです。「孫の手」は、この世のものとは思えぬ美しい仙女「麻姑」の手が変じたものであると。・・・ふ~む、誰だって男なら美しい女性の手で痒いところを搔いてもらいたものですよ。美女のしなやかな指で背中を搔いてもらうはずが、鞭で打たれるなんて、蔡経こそ災難でしたね。・・・いや待てよ。もしかしたら、蔡経は、「あぁ~、快感!もっと打ってぇ~♡」と言ったのじゃないか?( ← イエローカード!・・・爆笑!阿辻先生、ごめんなさい。◆酒そば本舗トップページへ◆**貴方の共感できる生き方がきっとある**にほんブログ村
2019年02月24日
毎週日曜日のお楽しみ、漢字学者阿辻哲次氏の日経連載「遊遊漢字学」。本日阿辻先生が取り上げた漢字は、「鼎(かなえ)」。それと同時に「鼎の軽重を問う」という諺についても、その由来となった故事をあげて詳しく説明してくれています。「鼎」について調べてみると、古代中国で食物の煮炊きに使用した陶器の一種で、それが新石器時代後期になって青銅器製のものが広く作られるようになり、やがて殷・周時代になると祖先を祀る際の礼器として用いられるようになって、国家の君主の権力の象徴とされるようになったとあります。中国、春秋戦国時代といいますから紀元前600年~500年のこと。晋の景公を破って中原の覇者となった楚の荘王は、次に周の都である洛陽(らくよう)の近くに迫り武威を誇示したという。このとき幕舎を訪れた周の使者に問うたのが、有名な「鼎の軽重」。いまや天命を拝し祭礼をつかさどるのは楚であると誇った荘王であったが、使者の発した次の言葉によって、木っ端微塵に打ち砕かれてしまった。「徳に在って鼎に在らず」周の鼎を問うとは何という無礼者か。武張る前に徳を磨けというわけですな。今日では、「権威ある人の能力・力量を疑い、その地位から落とそうとする」という意味で使われる「鼎の軽重を問う」ということば。2500年以上も経った海を隔てた島国にまで汚名を残すことになろうとは、楚王もよもや想像だにしなかったであろうと思われます。◆酒そば本舗トップページへ◆**貴方の共感できる生き方がきっとある**にほんブログ村
2019年02月17日
毎週日曜日のお楽しみ、漢字学者阿辻哲次氏の日経連載「遊遊漢字学」。今日阿辻先生が取り上げた漢字は、「贔屓(ひいき)」。いかにも漢字らしい漢字ですね。おそらく読むことはできても正しく書ける人は少ないのじゃないか思われますが、現代では「贔屓筋」などというように、「特定の人を援助する。応援する」というような意味合いでしばしば使われますから、聞きなれた言葉ではあります。しかし、その語源をたどると、古代中国の想像上の動物であったとは知りませんでした。これも想像上の動物である皇帝のシンボルとされた「龍」には子供が9人いて、その内の一人が「贔屓」であったと、阿辻先生は教えてくれています。カメに似た体型をしていて、すさまじい怪力の持ち主。重いものを背負うことを得意としていたので、大きな石碑を載せるのが仕事であったと。中国の宮殿や寺院にある石碑には、しばしばおおきな亀の形をした台座に載っていることがあるが、この亀が「贔屓」なのだと。そこで調べてみると、「贔」は貝(財貨)が3つ合わさった形で、重い荷を背負うことを意味し、「屓」は財を戸(家)の内にためることを意味する。漢字音は「ひき」で、これが長音変化し「ひいき」と発音するようになったとありました。ちなみに「龍」の9人の子ども「竜生九子」について調べてみると、「贔屓」の他に螭吻(ちふん) 形状は獣に似ている。遠きを望むことを好む。蒲牢(ほろう) 形状は竜に似ている。吼えることを好む。狴犴(へいかん) 形状は虎に似ている。力を好む。饕餮(とうてつ) 形状は獣に似ている。飲食を好む。蚣蝮(𧈢𧏡、はか) 形状は魚に似ている。水を好む。睚眦(がいし、がいさい、やず) 形状は竜に似ている。殺すことを好む。狻猊(さんげい) 形状は獅子に似ている。煙や火を好む。椒図(椒圖、しょうず、じょくと) 形状は貝にも蛙にも似ている。閉じることを好む。とありましたが、いずれも私の乏しい知識の外。見たことも聞いたこともありませんね。もっとも想像上の動物ですから、見たこともないので当たり前か。(笑!この竜生九子(りゅうせいきゅうし)と呼ばれる9人の子どもは、いずれも親である龍になることはできなかったといいますから、「龍」は子宝には恵まれたのでしょうけれど、子どもの質には恵まれなかったと言えましょうか。◆酒そば本舗トップページへ◆**貴方の共感できる生き方がきっとある**にほんブログ村
2019年02月10日
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