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本日、池袋暴走事故の加害者として服役していた飯塚幸三受刑者(93)が老衰のため先月26日死亡したと発表があった。事故は5年前、東京 池袋で車を暴走させ、松永真菜さん(31)と長女の莉子ちゃん(3)を死亡させたほか、9人に重軽傷を負わせたもので、飯塚被告人には過失運転致死傷の罪で禁錮5年の実刑判決が言い渡され服役していた。飯塚幸三氏は研究者で、物性計測など測定・計量の研究に取り組み、計量研究所所長や工業技術院長を務められました。その彼が事故後、事故の原因を「車に電子系統の異常が起き、ブレーキが効かなくなった」車の故障と主張しました。この主張にはそのような事例が多く発生していることを知っていたことが考えられます。私自身が、跨線橋の下り坂で突然ブレーキが効かなくなり、咄嗟のことでサイドブレーキを引くこともできなかったことが思い出します。その後、ディーラーからは車の故障との報告を受けました。車の故障は少なくなったとはいえ、なくなったわけではない。かつて『販売のトヨタ、技術の日産』と言われることがあったが、これは、かつて車の故障事故が多くあり、「今日もまたトヨタさんか」ということが元になったと記者の方が教えてくれた。
2024.11.25
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お世話になっております。標記の「大学無償化」について、下記のような理由から反対しております。今は、小中学校の先生の負担軽減や指導者などの充実などを行って、児童や生徒たちがのびのびとその才能を伸ばし情操を豊かにすることか喫緊の課題かと思います。大学のあり方、そして国立大学法人の見直しと学生に対する補助などの見直しを進めていただきたいと考えております。お忙しい事とは思いますが、ご検討のほどよろしくお願いいたします。 〔主な反対理由〕1.私学への補助は本来禁止すべきことと考える2.多くが大学卒業の資格取得の場となっている3.多くの学生が勉学や向学心のための進学ではないため、大学は失業者の失対(失業対策)のため場となっている4.一旦無償化が実施された場合、廃止することが難しい5.私学への直接・間接での補助は、憲法第89条に抵触する(私学学校法の運用等もふくめ)6.私学を対象に含めることは、補助大学ビジネスや天下りなど、国費の浪費となる7.本来、必要とされる国立大学等の公的大学への人的・金銭的資源が毀損される8.私学の延命(学生確保)のための無駄な支出となっている(2018/09/10発のメールから)
2024.08.14
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さる知事が、新人職員への訓示の中で「県庁というのは別の言葉で言うとシンクタンクです。毎日野菜を売ったり、牛の世話をしたり物を作ったりとかと違って、基本的に皆さんは頭脳・知性の高い方たちです」と発言したそうですこれは、自分自身かまたはかつての県庁職員がそうであったと思い込んでいる故の発言となって現れたものと思われます自分自身が、JR東海や国土交通省に対して自分の論理で、相手を屈服させたことの自信の表れとも思えますし、これまでの一連の行動もそのような気概を持って臨まれたとの発言とも受け取れますそれにしても、お粗末ですもっとまともなお話ができないのでしょうか
2024.04.06
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すべてのものを手に入れ、世界一の金持ちでありながら「獲ったもの勝ちの国」ある意味、野蛮国と同じであるこれからも謀略のかぎりを尽くすことだろうそれは結果的に、暴力と略奪を伴うものと同じことになる
2024.04.05
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今すぐ実現できない夢もあるかと思いますが、今できることをコツコツ積み重ねて夢の実現に近づけてください場合によっては、当初の夢とは違ってしまうこともあるかと思いますが、それも夢の世界の実現と考えましょうあなたの夢や希望は叶えられたのでしょうか、近づいているのでしょうか、諦めてしまっているのでしょうか夢の実現にはあれが足りない、あれがない、あれができないと、それだけで諦めてしまっていませんか手に入れることがなくとも、興味を持ってウオッチして見守っていると、それだけで色々なことが見えてきますいつの間にか、色々なものが自分のものになってきます
2024.01.26
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この度、三陸気仙沼から八戸・下北恐山、そして五能線を一人で巡る鉄道旅に出ました。はじめは、7月21日からの夏休みに合わせて、孫たちを北海道旅行に誘ったのでしたが、それぞれ皆、部活などで忙しいことを口実にあっさりと断られてしまいました。それで、今まで気になっても行けなかった三陸の旅を、一日早めて計画しました。帰りは五能線も巡って、秋田経由で帰って来る計画を立てました。そうだ、恐山にも回って「イタコ」なるものに会えるかもと調べ始めると、予定した22日はまさに「恐山大祭」の当日に当たっている。これもなにかの縁と思っていると、冷やかし半分でそれはきっと呼ばれているに違いなしといわれる始末。天気も恵まれているようで、安心していたのですが、秋田が豪雨被害で、五能線ストップ、それでも出発直前で23日から青森駅―深浦駅間は再開され、東能代駅までは代行バスで運行することが発表され、一応当初計画通りの旅行ができることになりました。常磐線経由で仙台へ出て、昼食後、東北本線で小牛田駅から懐かしい涌谷駅を通って前谷地駅に、ここからBRTに乗り換えて気仙沼駅に向かう。専用の路線はほとんどなく、一般道を普通のバスのように走りました。バスもかなり涼しく感じましたが、気仙沼ではカナカナとセミが鳴き、あたかも秋の訪れを告げているようでした。観光船のりばの場所は変わっていませんが、周りは新しく整備され、真新しく大きな地銀の建物や昔の雰囲気を残して再建された男山や両国の建物もありますが、多くは空き地のままになっていました。翌朝、魚市場にタクシーを飛ばし、写真撮影をしながらカツオの水揚げを見て、全国から寄港している様々な遠洋・近海の漁船を見ながら、浮御堂へ向かいました。ここの恵比寿様は令和2年に三代目に変わりましたが、赤い欄干の遊歩道も整備され、管弦窟も昔の雰囲気をそのまま残しておりました。まだ、11時のBRTの出発まで時間もあるので地図を見て山の上にある「復興祈念公園」を目指すことにしました。目標の近くまで来て民家が途切れるところで、そこへの坂道を確認するため住人の方にお声をかけました。道は間違いなく、上がっていけば上の道に出るので、すぐわかるとのこと。目標も見えているので、安心して坂道を登ろうとしたところ、その方が記念碑が建っているところを含め、土地を市に寄付されたとのこと、その代わり沢部分や排水溝等の整備をしてもらったとのお話。お話が長くなりそうだと心配になりましたが、まだまだ大丈夫かと思いつつ、時計も確認しないまま、ついつい長話にお付き合いすることになりました。お話は土地のお話から、その歴史やご自分の小学校時代、そして震災時、大型船が打ち上げられてきた眼下に見える鹿折地区の復興のお話など、2,3度とお暇を告げようとしましたがお話は止まらず、昨日カツオを何百キロか仕入れられたことやご兄弟のお話まで、1時間近く立ち話をしました。坂道を登りながら時間を確認すると、すでに10時半近くになっており、朝の運転手さんから、「まあ、何かあったら電話してください」と手渡されたタクシー会社に電話して、タクシーをまわしてもらうことにしました。時間は15分ほどお待ち下さいとのこと、結局心配なので、さらに小高いところにある記念公園のモニュメントには行かず、駐車場で待つことにしました。タクシー到着40分、ホテルで荷物を受け取って、気仙沼駅着11時5分前、間に合いました。二日目は気仙沼から本八戸まで一日乗り物の中、まずはBRTで「奇跡の一本松」駅や大船渡駅などを経由して盛駅まで、ここで三陸鉄道リアス線に乗り換え、釜石駅と宮古駅で乗り継ぎながら久慈駅まで、宮古駅では一時間余りの乗り換え時間があり、「さんてつや」さんで美味しいお土産を購入しました。久慈駅では6分の乗り換え時間で八戸線に、20時近くに到着する本八戸駅まで暮れかかる車窓を眺め、今日一日を振り返り、色々なことを考えてみました。久慈駅から反対側の席で、ずっと一方的にお話している人がいて、何を話しているのか全くわからない。二人はどのような関係なのか、聞き手はうなずくだけなのか、全く話し返していないようで、一方的な会話になっている。自分の考えていることを伝えているのであろうが、内容は分からないが何か理由をつけて自分の考えを正当化しているのだろうかなどと、想像してみた。世の中には、ネットや本に頼って、自分の判断を正当化し、自分を納得させている人も多いことを考えてみた。陸前高田などでは、繰り返される高い堤防と整備された同じようなショッピングセンターを中心にして商業地や真新しい住宅もありましたが、多くの草の生えた空き地が続くのが見えました。過去にそこでどんなことがあったのか、もはや窺い知ることもできないのでした。そして、慎ましやかな生活を一瞬で奪い去った海は、穏やかにそこにあるのでした。災害の爪痕は既になくなっておりましたが、鉄道の代替として採用されたBRTはもはや鉄道に戻ることはないと思われます。わたしとしては、バスよりは軌道上を走る鉄道旅のほうがやはり安心できますし、癒しになります。路面電車もいいですね。ホテルに着いて、急ぎ食事処を尋ねると、和食系なら近くでお勧めがあるとのことでそこへ向かうことにしました。途中でそこから飲食を終えて盛り上がりホテルに帰ると思われる一団とすれ違いました。お店に入ると、多分親戚一同でも集まったのか、奥の方から子どもも加わったにぎやかな声が響いておりました。すでに、数人の料理人の手で、ネタケースの中や青竹を模したようなスノコの清掃や片付けが始まり、ネタは冷蔵庫の中に収納されていきました。馴染みのお酒と刺身定食をお願いする。お酒とつまみをいただき、定食ができるのを待ちました。期待に違わぬ美味しいお刺身とお酒をいただきました。またいつか伺いたい、そんな大満足のお店でした。今回は、八戸市内を巡ったり蔵元へのご挨拶はなしです。翌朝は、八戸駅から「しもきた号」で野辺地駅を経由して下北駅へ、ここでバスに乗り換えて恐山に向う。乗客はそう多いとは言えない。むつ市の市街地を抜け、杉木立の中を山道に入っていくが、ここらはまだヒバではないようだ。バスガイドが恐山が三大霊場として開山された歴史など、さまざまなお話を入れてくる。青森ヒバ(ヒノキアスナロ)の林はかなり恐山に近くなって見えてくる。そして下るにつれて硫黄の匂いがしてくる。12時、三途の川を渡って、いよいよ恐山に到着する。休憩所で保冷剤とともに保冷バッグに入れて持ってきた、「八戸小唄寿司」をいただき、腹ごしらえ。八戸駅で駅弁を探しているとき、他のものには値札が出ているがこの山には値札がない。隣の人が「美味しそうなのだけど、値段が分からないわね。千円はするでしょうけど、いくらなのか心配ですよね。」と話しかけてきたので、わたしもこれにしようとして値札を探していたので、「そうですね。」と応えた。値段を聞こうと思ったのですが、二人の店員も、大忙しの状態で会計をしているので、さてどうしようか。すると先程の人が「奥にもあって、1280円だって。」と教えていただきました。どうも、これが八戸名物の駅弁のようです。箸の他にナイフ代わりになる撥が入っておりました。他に「牛ステーキとあわびとかきの鉄板焼き弁当」も買い求めて、朝飯にしました。「うぅ、これも大満足。」受付を済ませて参道に立つと、両脇の側溝に硫黄の流れができており、右手に寺務所、正面に大きな山門、左手に本堂と書かれたところがある。ここの脇で「イタコ」の口寄せをしているようなので覗いてみると、多くの人が廊下に腰掛けて順番を待っている。最後尾の方はたまり部屋に、お聞きすると3、4時間はかかるとのこと、一人での順番待ちは無理ではないかとのお話でした。なんの下調べもせず、あわよくばと思ってきてみたのですが、これではほかを巡ることもできなくなるので、諦めるしかないようです。特に、人が多いとも思えず、観光バスが来ているようにも思えず、全く大祭を感じさせるものはなく、多分「山主上山式」などのまつりは午前中に終了し、雰囲気はいつものことのように感じられました。参道正面には、本堂と思しき「恐山菩提寺 地蔵殿」が見える。左手に「女湯」と書かれた小屋が見える。その向かいにあるのは「男湯」か。お参りして、いよいよ左手の柵を抜け、「地獄」と称される草木のない荒涼とした風景に入っていく。受付で頂いたパンフレットを見ながら、山の中腹にある「恐山奥の院不動明王」に向かう。女性カメラマンが下ってくる。「この上で、いい写真がとれますよ。ぜひ振り返ってみてください。」といわれた。すれ違って、暫く登ると不動明王が見えてくるが、そこで振り返っても木が邪魔して、いい眺めとはならない。少し下ってみると、恐山の全景が一望できる絶景が広がっていた。改めて不動明王にご挨拶して、下る。イオウと吹き出す硫化水素の匂いの中、賽の河原を思わせる積み上がった石の山を抜けて、地獄めぐりをする。巡り巡って「賽の河原 地蔵堂」に至る。中から、般若心経を唱える読経が聞こえる。一瞬、ここは僧侶がお参りしているのかと思って、覗いてみるとご夫婦と思しき二人連れが祈りを捧げていた。気配を感じてお二人が徐々に右にずれて、正面を空けてくれる。お参りして、しばらくそこにいたいように思いながらも、早々に失礼した。世界最高の金含有率を誇る恐山、さぞや多くの金が含まれているのではと思われる沈殿池、横切るように川にならない水たまりがある。そこで、あの女性カメラマンがカメラを構えている。「先程は、ありがとうございました。いい写真が取れました。」と、礼をいった。その後も、彼女は構図をあれこれ考えながら、熱心にカメラを構えていた。地蔵堂からほど近い「血池地獄」を覗いてみたが、名前と違って全く赤いものは見えず、澄んだ水中に緑の藻が漂っていた。一人の人が、「その昔は真っ赤なお池だったのだが!」と声をつまらせた。こうなった原因もわからないようだ。宇曽利湖の湖畔に向かうと、白い「極楽浜」と呼ばれる浜辺の端の方から、先程のご夫婦が花束を持って歩いてくるのが見えた。程なく立ち止まり、浜辺に花を立て、祈りを捧げている。近づいてお声をかけると、「端から経を唱えながら、歩いていると『ここ』というところがある。」という。そこで、花を手向けたとのこと。その後、さまざまお話を伺い、ご自身は十和田で何やら地蔵か観音講の先達か導師のようなことを務められており、恐山にも月に何度も通っているとのこと。イタコのお話をしたところ、昔はそれなりにしっかりしていたが、この頃はがっかりするようなことになるだけですから、並ばなくて良かったとのお話でした。曹洞宗やオシラ様などとお話が進み、「できたら温泉に入っていったほうが、いいですよ。」とのお話を頂いて、あの温泉小屋を目指すことにした。温泉小屋につくと、向かいの小屋にも「女湯」の札がかかっており、定期的に2つの小屋で、女湯と男湯を入れ替えるぐらいに思っていたが、男湯はどこにあるのか?いただいた案内図を見てもわからず、ネットで確認、はじめは気づかなかったが、参道をはさんで反対側にあった。二人ほどが入浴中だったが、ゆっくり穏やかな入浴を楽しむことができ、汗だくになった肌着も交換できました。売店に立ち寄りアイスクリームを見つけ、休憩所でいただくこととした。眼の前から帰りのバスが出る。一本遅らせて、入り口に当たる三途の川の太鼓橋まで歩いてみた。歩道部分は砂利敷で、山主上山式のためであろうか、ロープで車道と区分けされていた。周りの山々から流れ込んだ湖水は、三途の川から流れ出ている。バスで下北駅に戻り、ゆっくりと陸奥湾を眺めながら野辺地に向かう。でっかい発電風車が回っている、働き者あり、怠け者あり、お休み中あり。野辺地はかつて北前船の寄港地としても栄え、当時の常夜灯を街のシンボルとしている。宿を取り、夕日を見ながら街を巡るが飲食店もなく、道の突き当りで海を見ていると、夕涼みに出てきた近くの方が話しかけてきた。義祖母が施設に入り、空き家になるので今日ここに来たので、これからしばらくいることになるが、ここらのことはわからないという。そこの社務所で準備が始まった「のへじ祇園まつり」の話などをして宿に戻る。ここで、今回の旅で出会った偶然とも思える地名について考えてみた。なぜかこの野辺地にもあった「十符ヶ浦海岸」が、「符」の字は違うが、途中の三陸にも「十府ヶ浦海岸」駅と「野田玉川」駅がありびっくりしました。芭蕉の「奥の細道」には、仙台岩切から利府(りふ、トフとも読める)・多賀城に至るところを「おくの細道」と呼び、「十符の菅」の記述があり、近くには「野田の玉川」や「沖の石」「末の松山」「勿来関」「千賀ノ浦」などの多くの歌枕が点在しており、関連を感じさせます。各地にも歌枕にちなんだ地名がつけられたようです。また多くの人が「おくの細道」を「みちのく」と同一視しておりますが、この細道は歌にも歌われ実在する「塩釜街道」につながるものなのか、色々と考えさせられます。翌朝、いよいよ最終日、朝早く野辺地駅から青森駅へ、青森駅周辺を散策、アマモの保護活動を見たり、恐山でお会いした先達の方から行ってみたらと伺った、青森駅近くの「ねぶたラッセランド」のねぶた制作小屋を見て回りました。青森駅を「リゾートしらかみ2号」が、夏休みの親子連れなどを乗せて、定刻通り出発しました。しかし、再開されたばかりで乗客は少なく、個室などもガラガラ、リンゴ畑の中を走りながら、車内では奏者二人による津軽三味線の演奏などが行われ、他の車両にもテレビ中継されておりました。また、千畳敷駅では、15分間の停車時間があり、海岸の散策ができました。次の停車駅は今回の終点深浦駅ですが、途中の海岸には打ち上げられた根が付いた流木が数多く見えます。深浦駅からはバスに乗り換えです。バス3台が待機しているが、1台で十分に間に合ってしまいます。乗ってきた列車は秋田駅に到着することなく、そのまま「リゾートしらかみ1号」として、乗客を乗せてほぼ定刻通り折り返し運転してきました。あちこちで片側通行で復旧工事が行われています。また、最初は「密漁禁止」と見誤った看板やのぼりが、実は「密入国防止」となっていたことに驚き、ここに来ると普通の飛行機雲がミサイルの航跡雲に見えてしまう。橋脚に絡まる流木を見たり、いくつかの駅に立ち寄り、東能代駅に到着。その昔はそれなりに繁盛したと思われる能代駅前の大きな建物の数々は、今は空き家になっている。売家や売地の看板があるが、買い手の見込みはないように思える。もう、街の再生は望めないのか?もしかしたら若い時に派遣されていたかもしれない三陸や秋田海岸の町、今回巡ったそこで生活を築くこともあったかもしれない。そこには一体どのような自分がいたのだろうか?奥羽本線で秋田駅へ向かい、そこから秋田新幹線で帰路についた。もろもろの鎮魂と今まで気にしていながら果たせなかった北東北への終活の旅となりました。
2023.12.03
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20カ国が参加し、大谷を中心に活躍した侍ジャパンに日本中が興奮し盛り上がったワールド・ベースボール・クラシック(WBC)、最後に日本がアメリカを下し優勝を決めてからすでに半月が経過したが、その興奮はまだまだ冷めていない。その劇的な試合内容にもよるが、日本人選手の活躍を目の当たりにして将来野球選手を目指す少年・少女が増えるのではないか、そしてサッカーだけでなく、野球の人気が戻ってくるのではないかと思われる。更に、野球を含めて、礼に始まり礼に終わる日本のスポーツのあり方について、世界の注目が集まることを期待したい。イスラム教の指導者を風刺してからかうようなことはまさに無礼、礼を失することではないかと感じられる。それから、相撲の仕切り時間や野球のバッテリーと打者の駆け引きを含む間合い、この間は無駄なものではなく、これこそ試合の楽しみ方ではないかと思っているのは私だけでしょうか。仕切りも勝負のうち、野球の仕切り時間を制限するピッチクロックはいかがなものでしょうか。
2023.04.07
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政治家は口をひらけば、「国家戦略」云々と国を代表し常に国民のことを心配されているようなことを申されるが、一番心配しているのは自分のことで、全ての活動は自分の「選挙戦略」のため以外の何者でもない。御し易い野党や国民は恐れるに足らず、かつて強面で政治家の行動を批判していた右翼団体は、いつの間にか牙をもがれ手足を失った、残ったのはマスコミという言論の暴力団だけとなった。選挙戦略の中身は票数で、確実に票数をカウントできる団体を味方につけること、中でも宗教団体の協力を得ることが重要となる。さて、国民なるものは何を考えているのか、国の防衛は自衛隊と米軍に任せ、国のことを考えるのはマスコミ・官僚や政治家に任せ、一番心配しているのはペットのこと、一番愛しているのは自分の国ではなく他の国、次の世代に残せるのは巨額の借金のみ、弱者を演じていればなんとかなるとでも思っているのか?自分のことだけでなくさまざまな問題に対して、この国に誇りを持って、世界のリーダーとして活躍してほしい。
2023.03.08
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文春が、改めて「統一教会」を追いかけて、政治との結びつきについてレポートしている。自民党や地方議会議員は、統一教会との関係を断ち切れるのか、このままでは甚だ疑問である。もはや、この悪名高い教団と関係している議員は絡め取られてその信者となり、国や地方でその布教に努めていることになる。改めて、問題の根深さを感じてしまう。このままでは、また忘れ去られてしまうのではないかと思われるので、ここで、数多くの著書に残る過去の記録の一部を振り返って見たいと思います。藤倉善郎著『「カルト宗教」取材したらこうだった』2012年宝島社刊よりしかしオウム事件以降も、カルトによる事件は、枚挙にいとまがない。「統一教会」による霊感商法や違法勧誘、高額な献金などによる被害も、いまだに続いている。しかし実は、70年代から問題視されてきた統一教会も含めて、世間を騒がせる事件や社会問題を起こしたカルトは、ほぼ全てがいまも活動を続けている。(中略)2011年9月、私は「統一教会」信者たちのデモに対して、カウンターデモをやってみた。場所は東京紀尾井町の文藝春秋前。ここでは、『週刊文春』が掲載した〈統一教会本から「4900億円送金リスト」を独占入手〉という記事に対して統一教会信者たちが抗議のリレー断食デモを行なっていた。霊感商法や信者への高額な献金要請でかき集めたカネを統一教会は、教祖・文鮮明(ムンソンミョン)氏が住む韓国に送金している。そしてそのカネを使って統一教会は韓国のリゾート地の不動産を買いあさり、文鮮明はラスベガスでギャンブルに興じるなどしている。また現在、教団内では高齢の文鮮明の後継をめぐって、一族の間で対立も生じている。1995年刊行HUGO STAMM著「カルトの構図」、村井翔・森本浩一・山本泰生共著より第三章 教え込みは偽装された勧誘に始まる孤独な語学研修生を狙う統一教会 統一教会もまた、無警戒な人々を釣り上げる効果的な手法を開発している。彼らは巧妙に正体を隠し、とりわけ好んで外国人の犠牲者を誘惑する。この悪名高い教団は、イギリスやアメリカでは特に中部ヨーロッパ(ドイツ語圏)出身の若い旅行者や語学研修生をねらう。・・・・・・第四章 教祖文鮮明、その隠された世俗的権勢欲完璧なセクトの組織を築き上げる・・・・・・
2022.11.06
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日航ジャンボ機が御巣鷹山に墜落し乗客乗員520人が死亡した事故から今日で37年です。この事故についてはさまざまな疑問点があり、書物にも取り上げられました。詳しくは、エッセイストで元日本航空機長の杉江弘氏の「JAL123便墜落事故 自衛隊&米軍陰謀説の真相」などに述べられております。 彼の著書に「日本人はなぜ足元を見られるのか?「お人好し民族」の悲哀」があるが、その中で氏はルールを守ることに汲々とし「したたかさ(強かさ)」が身につかない日本人を嘆いておられる。かつての男子サッカー、外交然り、そして行政や公共での案内など、指示待ちで車が来ないところでも赤信号が変わるまで横断歩道も渡れない、自己判断ができない多くの日本人。 国として、緊急事態になったらどのような判断ができるというのだろうか?自己主張の強いしたたかな外交の場でどのような主張ができるというのだろうか?どのような日本人を育てようとしているのだろうか?安全な国「日本」、国連にお金を注ぎ込み意見を言わない「日本」、個性を大切にと言いながら個性を認めようとしない「日本」。 素晴らしい国「日本」への国民の思想的均一化は、一人ひとりを大切にするのではなく、自己の考えなく決められた規範に則って行動しているか周りの人々を監視し無言の圧力などで敵視する。場合によってはそのような規範を自己の主張に置き換えて言葉の暴力を行う。多分、そこに愛はないと思われる。相手のしたたかさに戸惑うことなく、これを乗り越えるしたたかさが必要だと思う。そうすれば誰とでも友だちになれると思う。? ガンバレ「日本」 なお、氏は2007年9月11日成田発シドニー行きの便に乗務して、NHKの夜10時のラジオで「アメリカ同時多発テロ事件」をリアルタイムで聞き、その時点でこの事件はテロで、犯人はオサマ・ビンラディンだと言い当てているとのことです。
2022.08.12
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ストーキング規制法が2000年に施行されて、2013年には2万件を超えた。 ストーキングの大半は、もとの交際相手や配偶者を追い求めています。 日本のストーキングの加害者について、NPO法人「ヒューマニティ」の小早川明子氏の著書「ストーカーは何を考えているのか」の中の次の事柄を紹介している。 ○確固たる心理的動機があり、正当性を妄想的に信じ込んでいる ○相手を一方的に追い詰め、迷惑をかけて苦しめていることを自覚しながらも、相手に好意を持たれる望みをかけている ○その望みが絶たれると、心のバランスは憎しみに反転し、自殺または相手を殺害することもある なお、小早川さんによると、ストーカーの半分は女性で、被害者の男性が警察に届けないだけだということです。 ドストエフスキイの「カラマゾフの兄弟」に、次のような表現があるとか。(池田健太郎訳) 「自分を嘘であざむき、自分の嘘に耳を傾ける人は、ついには自分の中の真実も周囲の真実も見定めることができなくなり、その結果、自分をも他人をも尊敬できなくなる。(中略)しかも当人は、誰も自分を侮辱したものがおらぬことを、逆に自分のほうが自分に対する侮辱を考え出して、色どりを添えるために嘘をついたことを承知している。一幅の絵を仕上げるために自分で勝手に誇張をして、他人の言葉尻をとらえ、針小棒大の大騒ぎをしていることを承知している。―――自分でそれを承知していながら、やはり真っ先に腹を立てて、大きな満足を味わうまで腹を立てて、その結果とうとう本当の敵意を抱くようにさえなる・・・・・・ 被害者意識と執念深さ、自分は愛されて当然、信頼されて当然、道義的責任を持ち出して相手に一方的に求め続ける。多分、自分の気持ちをコントロールできないのだろう。そして、妄想とも言えるその一歩的な気持ちだけが強すぎて、相手にどのようなストレスを与え悩み苦しんで人間不信のどん底に落とされたような気持でいるかが理解できないのだろう。世の中にはさまざまな「腹いせ」が溢れています。DVの加害者についても、同様のことが言えるのだと思います。パワハラも同じか。【ポイント10倍 9/1 16:00~9/30 23:59まで】【公式】UCC カプセル式コーヒーメーカー ドリップポッド AUTUMNFAIR!! DP3 秋時間満喫セット カラー4色 | DRIPPOD ドリップマシン コーヒーメーカー コーヒーマシン レギュラーコーヒー おしゃれ カプセルコーヒー 時短価格:13200円(税込、送料無料) (2021/9/2時点)楽天で購入
2021.04.01
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「正しい恨みの晴らし方」という本の中で、「怒りが私のインセンティブだ。怒りがなければ何も出来なかった」 というある方の言葉を紹介していました。 「恨み」「妬み」「羨み」「嫉妬」「怨み」「憾み」「遺恨」「怨恨」「嫉み」「僻み」、さまざまな心のなかに渦巻くモヤモヤを晴らす方法は、これをモチベーションにできるアンガーマネジメントや、後で後悔しない方法とはどのようなものでしょうか。場合によっては、このモヤモヤは取り返しのできない殺人事件につながることもあります。 悲しことや腹立たしいことの怒りは、気のおけない人に愚痴るなどして、誰かにわかってもらうことで鎮めたり和らげたりできます。しかし、それが「恨み」となると話は別です。口に出すことが憚られ・・・、不当な行為や侮辱した相手に対する怒りが繰り返し思い出される状態になってしまったら、それは怒りではなく、「恨み」と称してよい。 「侵入思考」自分を怒らせた過去の出来事が今さっきのことのように思い出される。まさに過去が現在に侵入してくるかのような状態だからです。冷めやらぬ怒りを抱いている、要するに「恨んでいる」と。 「仕返し」「報復」「復讐」「仇討ち」「制裁」「お仕置き」「戒め」「ざまみろ」「いい気味」「「○○ちゃん、ずるい」「いい気になっている」「自慢してムカつく」「見返し」 わたしたちも妬むと努力するか、諦めるか、攻撃するかの三択を迫られる。 平等主義を好む日本人は、他者との小さな差が問題となりやすい、そして「他者の幸福は自分の不幸、他者の不幸は自分の幸福」と考えやすい。恨みの場合、たとえそれが逆恨みであっても、自分が不当に傷つけられたことを主張する。しかし、妬みは少し違います。あくまでも自分と相手を勝手に比べて、相手の方が優れていることを不公平だと駄々をこねていることになる。
2021.03.31
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なぜか、睡眠不足の方のほうが、いわゆる「ワンナイト・アフェア」と呼ばれる浮気に走りやすいとのこと。モテ方にも色々ありますが、一人の人に長く愛され続けるタイプ(A)と、不特定多数のお相手に好かれるタイプ(B)があるようです。 Aタイプは誠実さをアピールすること、そしてBタイプはダメ男であることが必須のようです。男性の場合、相手の容姿が自分の基準を満たしていなければ、物理的な****を行うことが困難ですが、女性の場合は、そのようなことはほとんどないとのこと。 それから、自衛隊員など正義感の強い人が、いつの世もモテるようです。 ”ダメ男”は万国共通で女性と****できやすいようです。その驚愕の理由は、”なぜかモテる人”が必ずやってること、女性の愚痴を聞くことを厭わない、そしてモテたいならちゃんと話を聞かないほうがいいとの事、女性はアドバイスなどまったく求めていないとのこと、うなずいて黙って聞いてあげる、あるいは聞いているフリをするでいいようです。男性相手の聞き上手は「褒め上手」、女性相手の聞き上手は「スルー上手」が求められるようです。 「女性は、****すると男性を好きになる」というのは、本当なのでしょうか? お互いの心の窓が開くのに必要なことは、いったいなんでしょうか。
2021.03.30
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「あなたの脳のしつけ方」の中で次のような実験を紹介している。 1970年にアメリカスタンフォード大学で行われた「マシュマロ実験」4歳の子どもたち186人に、一人ひとり部屋に呼び、机にマシュマロ一つ皿の上に置いて、「私は今から用事があってこの部屋を出なくちゃいけない。でも、15分後に帰ってくるよ、そこでもし君がこのマシュマロを食べつずに残しておくことができたら、そのときはもう一個マシュマロをあげよう。でも、もし君が食べてしまったら、もうマシュマロはあげられないよ。」 結果、約3分の2の子どもはガマンできずに食べてしまった。 そして、18年後(22歳)、さらに23年後(45歳)追跡調査を行った。 その結果は、マシュマロをガマンできたグループのほうが明らかに社会経済的地位SES(Socio-economic Status)が高かった。 たまには、自分の意志で目先の利益に目をつぶり、嫌なことに目を向ける必要があるのではないかと思われます。 為政者も、人びとよりも先に先々を憂え、人よりも後れて楽しむことが求められるのではないでしょうか。 資本主義経済、情報統治機構、コロナ禍壮大な社会実験進行中、限りない人間の欲望の行き着く先には、どのような未来が待っているのでしょうか。
2021.03.28
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司馬遷の「貨殖列伝」に「農不出則乏其食。工不出則乏其事。商不出則三宝絶。虞不出則財櫃少。財櫃少而山澤不辟矣。此四者民所衣食之原也。」とある。そして東近江市の清林寺の「善人松居遊見叟碑」碑文に「古云農工虞四者 民所衣食之原也」とあるとのこと。 これを小川環樹氏は、次のように訳出している。 「周書」に云う、「農夫が作物を出さなければ〔人びとの〕食物はとぼしくなり、工人が細工物を出さなければ、製品が欠乏するし、商人が品物を出さなければ、三つの宝〔食と事(手工業の製品)と財〕がつきはてる。山番が獲物を出さなければ、資材が少なくなる。資材が少なくなると、山林や沼沢も開かれなくなるのだ。」この四者〔農・工・商・虞(やまばん)〕は人民の衣食のみなもとである。みなもとが大きければ物資はゆたかに、みなもとが小さければ物資は少ない。四者のはたらきしだいで上は国を富ましめ、下は家を富ませる。 デフレ化が長引き終わらない日本経済の減少について、政府・財務省が唱えるプライマリーバランス(PB)の厄害を現代貨幣理論(MMT)の立場から批判が行われている。PBの立場から公的支出の削減として行われた医療費削減は、そのまま医療関係者への支出の抑制、医療機関の統合・削減へとつながった。公的支出の削減こそが「医療崩壊」の元凶であり、政府支出の赤字化は国力衰退を防ぎ、活力を与えるために必要となる。
2021.03.21
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シャレド・ダイヤモンド著 倉骨彰訳「銃・病原菌・鉄」より 人種による優劣という幻想 今日、人種差別は西洋社会では公には否定されている。しかし、多くの(おそらくほとんどの!)西洋人は個人としてあるいは無意識のうちに、依然として人種差別的な説明を受け容れている。日本やその他多くの国々では、人種差別的な説明が未だに何の言い訳もされないまままかりとおっていたりする。アメリカやヨーロッパやオーストラリアの社会では、高等教育を受けた白人でさえも、話がオーストラリア大陸のアボリジニのことになると、アポロジニ自身に原始的なところがあると考えている。(中略) 認知心理学者たちは多大な努力を払って同じ国に住む人間であっても、先祖の出身地によっては知能に差異があることを見いだそうとしてきた。とくにアメリカでは、多くの白人心理学者たちが、何十年ものあいだ、アフリカ系アメリカ人はヨーロッパ系白人より先天的に知能が低いことを示そうとしてきた。しかしながら、よく知られているように彼らの比較研究の対象となった人々は、・・・白人心理学者の試みは、今日に至るまで成功していない。 3年以上前に読んだこの本の抜き出しのメモ書きを更にまとめてみました。違いを脅威として有無を言わせず銃で解決しようとする国はいかがなものだろうか?更に武器・武力をちらつかせて意のままにしようとしたり、憎悪を増大させるようなことは無くならないものだろうか?
2021.03.20
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前回、拉致問題を戦争との関わりで述べましたが、もう一つ別な切り口から眺めてみたいと思います。 戦争では、捕虜が拉致され奴隷のように使役されるようなことが行われますが、奴隷制度は更に大規模に経済活動として行われました。人が商品として売買され、多くの黒人がアメリカ大陸に連れてこられて、労働力としてアメリカの繁栄を支えました。 このような犯罪的人身売買は、多くの国で禁止されているかと思いますが、経済的に貶めたり契約で縛ったりして合法的に行うことを、まだ反省していないところもあるようです。また、それを国際的に行い、覇権を手に入れようとするところもあるようです。 自国民を、貧困に貶めるような政府は国民を裏切っていると思われます。場合によっては、生存をかけた戦争に駆り立てようとすることに繋がります。 敗戦国はその罪を償うように求められ、被害を受けたものからは補償を求められる。被害者は、それだけで正義を振りかざし自らの行動を正当化し、どこまでも被害者であることを訴え、敗戦国を悪者にすることに奔走する。
2020.06.21
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すでにこのブログで述べたことかもしれませんが、あらためて拉致問題を取り上げたいと思います。 また、わたし以外の人も同様のご意見を表明されているのかもしれませんが、あえて皆さんにも考えていただきたいと思います。 今、日本と北朝鮮とは国交を結んでいないというより、別の見かたをすれば戦争の継続状態にあるとも言えるかもしれません。言葉の使い方は正しくないかもしれませんが、戦争中日本は徴用等と称して多くの朝鮮人を戦争協力や労働力のためとして祖国を離れて日本国内ほかさまざまなところで使役しました。 これは、別の見かたをすれば「拉致」をされたことになるかと思います。北朝鮮からすると日本国内から拉致することがなぜ悪い、当然のことをしたまでのことと言われかねないことになるかと思います。 いずれにしても、日本国は先の大戦についてほとんど反省をしていない。多くの犠牲を払ったことや戦犯が処刑されたことであたかも贖罪されたかのような振る舞いをしている。海外だけではなく多くの日本国民に向けても反省や謝罪をしていない。軍人や遺族にはそれなりの保障があったとしても、民間人が空襲などさまざまなところで受けた犠牲については仕方ないこととして顧みられなかった。その犠牲になられた方々も次々と高齢化しこの世を去っていく。 そして、あたかも兵士を英霊として祀ることや憲法にその表記することで、国を守る犠牲を安易に正当化しようとしているように見える。
2020.06.05
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安倍さん、もうこれ以上、国民に誤解を与えるような政策や法改正はやめるべきかと思います。「桜を見る会」についても、自身の不明を恥じるべきべきと考えます。この問題をなかったコトにするようなことや見て見ぬ振りは、国政を預かるものとしてその責任も果たしていないと思われます。あまりに自覚がなさすぎます。猛省を求めます。昔むかしの次のブログを思い出しました。今では当たり前になったが、その頃の新聞ではなかなか誤りの記事はなかった。今の政府や公務員、そして一般の人も含めて、自らの不明や誤りは、あまり認めようとはしません。非難されことを恐れて何もせず、何も知らなかったといい善意の第三者をよそおう。自分の不明による誤りは、早く認めましょう。
2020.05.16
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ある政府高官の話として、今回の財政出動を渋っているのは「財務省」で、言うことを聞かないとのこと、安倍さんでもなんともならないようです。日本を動かしているのは、どうもこの財務省のようです。 新型コロナ対策として少額ではあるが、いろいろと減税案が提示されていますが、実際の申請には結構なハードルを設けていることと思われます。先月の確定申告では、相続した家が空き家となり売却したことで、「空き家の特例」を受けようとして、思わずそんなバカなと思うことがあリました。それは「被相続人の居住用財産を譲渡した場合の3000万円特別控除の特例」に仕掛けられた見えなかったものです。 この被相続人の居住用財産に係る譲渡所得の特別控除の特例が適用される主な要件は次の通りです。・昭和56年5月31日以前に建築された建物であること・区分所有建物登記がされた物件でないこと・相続開始の直前に、被相続人が一人暮らしをしていた建物であること・取得した居住用の家屋を売るか、敷地とともに家屋を売ること・相続したときからずっと空き家になっており、相続人が貸付け等の用に供し、または居住の用に供していないこと・3年目の年末までに譲渡を行うこと・1億円以下で譲渡したこと これらの要件をすべて満たしているため、全く問題ないと思っておりましたが、窓口ではさらに、さまざまな証明書類が求められ、最後に「耐震基準適合証明書又は建築住宅性能評価書」の写しを用意してくるようにとのことでした。 「えぇ」それも譲渡の日前2年以内に証明のための調査が終了したもの又は評価されたものに限るというものでした。「無理でしょ」そもそもなんのための証明なのでしょうか。対象の建物は新耐震基準に合格し建築確認が取れているものなのに、今更耐震診断など取る必要などないでしょう。こんなどうでもいいような要件を課す特例とは、自分たちだけが満足するようなお話ではないではないでしょうか。 今、日本国の運営は、大臣も頭を下げる財務省の言いなりで進められていると言われているようです。極端に「日本国民の敵」とまで言う人もおられますが、安倍さんまでがお手上げという財務省にこのまま国の舵取りまで任せてよいわけはありません。 そもそも財務省の方々は、多分東大法学部や経済学部出でエリートと言われる人たちと思われますが、それって本当にすごいことなのでしょうか。もっと日本の未来について、真剣に考える必要がありそうです。
2020.04.13
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多くの行事イベントが中止となっており、再開の見通しも立っておりません!これらに関係される方々だけではなく、多くのところに多くの方々に影響が及んでおります。自助努力で何とかせいと言われているようですが、このようなときこそ必要なものが国であるかと思います。そんな折、山形村山市の方から貴重ないただきものをしました。なんと十四代です。まあ、飲んでくれということでした。本当にありがとうございます。まあ、ちょっとした自慢になりました。タイトルは、こちらにも上げております。お太助https://twitter.com/O_Taske/status/1238625186603102208?s=20
2020.03.14
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新型コロナウイルス蔓延のニュースが連日流れ、世界中の国民生活や経済に深刻な影響が及んできております。ここまで来ても未だ収束の兆しはなく、安倍政権のこれまでの場当たり的政策では、封じ込めができたとしてもこれからの国民生活に及ぼす影響は計り知れないものがあると思います。 ただひとつ光明があるとすれば、それは今回のコロナウイルス対策とデフレ対策のための、これまでの緊縮財政政策からの転換、大幅な財政出動を実施する可能性が高まってきていることかと思います。 先日、三橋貴明氏の講演をお聞きし、これまでデフレの原因はどこにあるのかという疑問が氷解した思いになりました。その答えは緊縮財政政策であり、金利政策では解決しないというものでした。それはなぜかというと、お金というものについて多くの人の頭を支配しているのは「商品貨幣論」という現実を反映していない考え方であり、政治家や官僚を含め「信用貨幣論」を理解できていないということでした。このお金の捉え方として決して新しいわけでもないようですが現代貨幣理論(MMT)と呼んでいます。 この考え方、小学校の時から「経済学入門」など読んでもイマイチだった経済について、特に消費活動としての経済ではなく、政策としての経済について目からウロコが落ち目の前が明るくなったような説明となっており、そしてそもそも経済とは「経世済民」であり、そのように政治が機能すべきですが、緊縮財政ではデフレ不況となり、国民特に若者はますます貧困に落ちていき活力も奪われ生活の維持も難しくなることが示されています。まさに今の日本の置かれている状況は「衰退途上国(藤井聡氏)」です。これは財政均衡主義、緊縮、財政破綻論へのアンチテーゼになっています。 それにしても、政治家にはこれらに対する危機感も、政策理念や取り組む意欲もまったく持ち合わせていないのでしょうか。官僚を含めた政治や行政がこのままで良いとはとても思えないのですが、みなさんいかがでしょうか。雇用保障プログラム(JGP)やベーシックインカム論などについても、さまざまな議論をすすめるべきかと思われます。
2020.03.13
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今日は、ちょっとした自慢話をしたいと思います。仲間で利き酒会を催すことになり、どのようなお酒を用意しようかと思い、人気を確認しようとしたところ埼玉南陽酒造の「花陽浴」が「十四代」に次ぐ人気となっていました。以前このブログでも紹介していたお酒でした。「今日は、南陽酒造」長い年月が経ちましたが、このような評価を受けていることに、我が子が褒められているような喜びを感じます。当日はこのお酒「花陽浴」は番外として、利き酒終了後に皆さんに利いていただきました。十種ほどのお酒を利いてほとんど区別もつかなくなったような状態でいただきましたが、皆さんこれはやはり別物との評価でした。当日、利き酒として宮城県の萩野酒造の「純米吟醸生原酒 萩の鶴」でしたが、こちらも皆さんから高評価をいただきました。
2020.02.24
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選挙のときだけは、真剣になって名前や政党名と共に、その政策や意見を大声で訴えているが、議会や委員会などでどれほどの発言やチェックを行っているのか、甚だ疑問が残ります。議員といいながら、バカどもが大手を振って闊歩しているようにしか見えないところが残念でなりません。 考えてみれば、どんなことをやっても、いや何もしなくとも、何ら責任を持たなくとも、日本では選挙を通して議員となれば、禊を行ったとして何ら責任を問われないようです。先の大戦で、あれほどの犠牲を払い国家の存亡までもかけた事態に至りながら、国は自ら何らの反省も行わず、あたかもその犠牲によって禊を行ったが如くその侵略の事実や責任を忘れ、他国に対してもその反省を伝えることも放棄しているかのようです。 戦後、戦争の災禍を二度と繰り返さぬようにと、多くの国民が平和を希求し世界に誇れる日本を目指し懸命な努力を持って国の発展を支えてきました。また、そこには多くの国々からの温かい理解や助けがあったことも忘れないでほしいと思います。 議員には、その責任お重さを改めて自覚し、その責務を果たしていただきたいと思います。決して暴走して、戦前・戦中のようなことを繰り返したりしないことを祈ります。
2019.07.21
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ものづくりの喜び、育てる喜び、完成の喜び、家族を持つ喜び、人が成長する喜び、忘れないで、あまりにも無邪気ですが、まだまだ日本はたくましくなれるはずです。
2019.03.31
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このままでは日本の行く末が思いやられる、そんなことを感じることが多すぎる。 この危機感の無さはなんなのか。この閉塞感の中でもなんで疑問も抱かずにまったく無関心なのか。解決するつもりはないのであろうか。自分たちが苦労して手に入れた現在の成功を肯定し満足しているということであろうか? 見ていると、バブルも成功体験の一部でそれに対する反省もなく、ましてや先の大戦への反省などもなく、何に関心を持って、何を守ろうとしているか甚だ疑問に思えることがある。 政府は景気対策として、さまざまな施策が押し進められております。しかし、景気は思ったように伸びておりません。景気はいわば社会の元気度でもあるかと思います。現在の体制をよしとして、政治家をはじめとして社会が現在の地位や状態を守ることに汲々として、若者を始めとして社会が希望を失って、元気を失ってしまった国は次第に国際競争力を失ってしまうのではないでしょうか。 できれば、子どもたちだけにでも希望を与えられるようになってほしいと思う。しかし、子どもたちに誇れるような大人が少ない。未来に残し大切にすべきものを失って、他への共感すら持てないものは、現状を肯定することしかできないのか。メデアが流す情報を鵜呑みにし分かったつもりになり、深く議論することも解決力を持つこともできないのか。 考えてみれば、わたしは学校で学習もしたけれども、本当に大切なものは社会に出てから、それも多くを会社に入って仕事を通じて多くの人々と出会い学んだことが大きかったと思われる。就職即戦力をいうのであれば、もっと教育のあり方も含めた変革が必要と思われる。経営者も知識だけでないもっと先を見つめた見識が求められる。できることなら、若者のやる気元気を伸ばせる社会になってほしい。 東大卒に代表される学歴ブランドを手に入れることで、その後の人生が決まるがごとき幻想を抱かせる硬直化した社会システム、本当の日本のリーダーたる人材を輩出できるようにするのであれば、国立無料化などもっと注力することも求められる。学習だけでなく経験や体験を通して習得し、さらに修練を重ね他のものに働きかける精神力・行動力を修得してほしいものである。 さらに、先人の努力や犠牲の上に築かれたものを理解し、その上に自らの成果を積み上げることができることを期待したい。また、それらを気にしないのびのびと真似ごとだけではない、若者の感性には期待するところ大であるが、まだまだその機会すら十分ではないとが残念でならない。
2019.03.28
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更新が滞っておりました。書き留めておきたいことは多いのですが、議員や公務員ばかりか企業人にも、その行動にあまりにも呆れてしまうことが多く、コメントすることもはばかられることばかりです。多くの自然災害については、改めて取り上げることが必要と考えております。 自由民主党の総裁選がスタートしました。安倍さんの優位は揺るがないようです。その発言・公約はトランプ氏同様揺るがないものがあります。その実行力が魅力です。 その立候補発言の中に、「大学無償化」がありましたので、あまりに大衆受けを狙った政策で、このままでは取り返しがつかないと考え、取り上げることとしました。 今は、小中学校の先生の負担軽減や指導者などの充実などを行って、児童や生徒たちがのびのびとその才能を伸ばし情操を豊かにすることが喫緊の課題かと思います。 国立大学と私立大学のそれぞれの今後のあり方、そして国際競争力も含めた国立大学法人のあり方と学生に対する補助などの見直しが必要と考えます。しかし、今回の政策は下記のような多くの問題と課題を無視している愚策と考えます。 この件については、同様の内容で、以前取り上げておりました。1.私学への補助は本来禁止すべきことである2.多くが大学卒業の資格取得の場となっている3.多くの学生が勉学や向学心のための進学ではないため、大学はその失業者の失対(失業対策)の受け皿となっている4.一旦無償化が実施された場合、廃止することが難しい5.私学への直接・間接での補助は、憲法第89条に抵触する(私立学校法の運用等もふくめ)6.私学を対象に含めることは、補助大学ビジネスや天下りなど、国費の浪費となる7.本来、必要とされる国立大学等の公的大学への人的・金銭的資源が損なわれる8.私学の延命(学生確保)のための無駄な支出となっている
2018.09.10
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日本政府が15日から始まる国連での第2回「核兵器禁止条約」交渉会議への不参加を表明しているのは、どのような理由からであろうか。少なくとも被爆者のことなど念頭に置いていないように思えます。日本は、唯一の被爆国として本来なら先頭を切って提案・推進すべきところですが、むしろ米国へ気兼ねしてからの不参加と考えられます。 いろいろと理由を述べていますが、これほど後ろ向きな姿勢は世界の中での日本の立場にとてもプラスになるとは思えません。そろそろ、これまでの米国基準での考え方をあらためてはいかがでしょうか。「核兵器を実際に持っている国々が参加しない交渉は対立を深めるだけだ」と現状是認を続けるのではなく、問題解決に向けた努力が求められるところです。今回の決定は、これまでの戦後日本の努力を無にし、信用も無くしてしまったように思えます。 生物化学兵器や対人地雷は非人道的だと禁止しながら、核兵器の使用は人道的だとでもいうのでしょうか。核保有国や大国が押し付けるダブルスタンダードをどこまで是認するのでしょうか。自国の正義やパワーバランスの均衡を保つためとして際限なく続く軍拡を、見直す不断の努力が必要と考えられます。 このような世界の中での日本の努力ではなく、十分な説明も行わず権力を振りかざした体制維持のための言論をも封殺する法案づくりなどは、とても一般市民や世界を向いて政治を行っているとは思えません。 日本の立場は、米国べったりでいいのでしょうか? 安倍さんは、国民は安倍首相べったりの体制側にいて何の疑問も持たず何も考えなければ、何の心配もなくいつまでも安全なのだとでもいいたいのだろうか?
2017.06.11
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まだ中学生の藤井聡太君(14)が先日(6/7)3連勝し、プロデビュー以来の連勝記録を23にのばしました。その快進撃に、発売された彼の扇子も好調な売れ行きで新たな将棋人気が生まれそうです。 さて、彼の頭の中はどのようになっているのでしょうか。私の考えでは今流行になっている人工頭脳(Artificial Intelligence:AI)と同じになっているといってよいと思います。ここでいう人工頭脳はルールに従って考えるのではなく、経験の積み重ねので簡単にできるようになる能力を備えたものです。それは考えることではなく、結果として感じることと同じになります。人の顔を一瞬で判断できるようになり、犬と猫を瞬時に峻別できたり、駒の働きが瞬時に浮かび、次の手筋が自然に見えてくるものです。 それは、子どもが成長の途中で一気に言語を理解したり、ある時自転車を乗りこなすことが一人でできるようになることと似ていると思えます。一つ一つ考えながら判断行動するのではなく、それらのことが完全に身に付きいちいち考える必要が全く無く判断行動できるようになるのです。 このAIをコンピュータ上で実現しているのは、何年前かに取り上げた新しい理論の発展系です。パターン認識も含めたさまざまなことを学習できるようになり、この理論もいくつところまできたかと思えます。 あなたにも、簡単に善悪の区別が瞬時にできるように、見栄や損得を考えずに自分の内なるものを信じ嘘をつかない行動を身に付けできるようになることが、求められているように思います。これができれば、素直に正直に行動できるとともに、他人の行動やその内なるものも見えてくるので、世の中が丸く収まるようになるのではないかと思えます。よろしくお願いいたします。 なお、このAIの下す判断は、ブラックボックス的なものでできているので、必ずしも最善といえなことがあり得ます。
2017.06.09
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「ライフプラン」を、日本語では「人生設計」や「生涯プラン」ということになるかと思いますが、みなさんはお持ちでしょうか。漠然としたものはあってもなかなか具体的な検討はしたことはないかもしれませんが、金銭的な面からその計画を検討することがシミュレーションとしても簡単にできるようになっておりますので、実現に向けた検討を若いときからされてはいかがでしょうか。 夢としては、結婚、子育て、家や車の購入など大きく費用を要するものから、それほど費用をかけないでも実現できるものがありますが、家族も含めて将来について多くのことは予測不能なことが多く健康や災害等で不測の事態となることもあります。 人はついつい物事を金銭的な損得で考えることが身についています。そのように学校で教えているのでしょうか、それとも家庭や社会がそのようにしているのでしょうか。少なくとも偉い先生方は、そのようすることを信条にしているようにみえます。 先に保険会社のシミュレーションの講習会で、多くの夢の実現や不測の事態に備えるためには多くの収入が必要なことを確認し、現実の収入からそれらの実現が大きく制限されることを確認しました。確かに夢の実現のためには金銭的なことは避けて通れない部分ではありますが、家族を持って子育てを行う夢は諦めないでほしいと申し上げたことがありました。そして、お金よりも大切なものを残し伝えてほしいと思いました。It's Your Life
2017.06.04
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トランプ政権ができ、自分たちの利益優先至上主義の主張が目立つようになってきました。日本人に足りないと云われる自己主張の考え方と自己判断をしっかりと身につく機会となるかとも考えましたが、あまりに偏狭な考え方や行動には呆れるばかりです。 片や安倍政権は高い支持率を背景に官僚もイケイケドンドンで、もはやその意思決定や行動に責任を果たすことさえ忘れているようです。そして、アメリカ流に決して自分からは「I'm Sorry」とは言わない。このままでは戦争を起こしたとしても、とるに足らないこと大したことないとするのであろうか。 政治家には、ただ無自覚に賛成したり、批判のための批判だけでなく、その責任の重さをあらためて自覚してほしいものです。 Honesty is hardly ever heard
2017.06.04
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今更ながら、文科省の天下り構造は呆れるばかりで、何を考えているのか。高級官僚という言葉ももう死語かと思われますが、自分たちのことは特別な貴族か何か別人種とでも考えているのではないかと思います。自分たちの天下りを人助けといい、それを制度化して恥じない人が、まともに国の行政を担っているとはとても思えない。 この度の通常国会でも、与野党議員が大学教育無償化と給付型奨学金制度に前向きの発言を繰り返しておりますが、18歳からの有権者を意識した票集めとも思えます。先にも教育行政のあり方を問題にしましたが、改めてここにまとめておくことが必要かと思えます。 なんでもタダなら賛成するという人々を馬鹿にしたような提案に、多くの人は諸手を挙げて賛成するでしょう。何しろ国民は教育熱心な人が多く、教育のためならと高い授業料でも払いつつける親御さんにとって願ってもない提案になっておりますので、一方では小さい子どもたちに対する対応は、まだまだ問題が多いままです。 福祉予算と並んで、教育・防衛予算は聖域扱いとなっておりますが、あまりにみなさんのチェックが甘いのではないでしょうか。私学助成と並んで科研費の扱いも必要なところには回らず、防衛省予算として大幅に計上することとし、囲い込みが行われようとしております。これについても、お金には色がついてないとでも言うのでしょうか。 さまざまな予算や取り組みを、オリンピックやテロ対策などを理由に行われておりますが、自分のお金の使い方について今一度、見直しも必要なのではないでしょうか。何しろ、チェックがなければ様々なそれらしい理由をつけて票や自分たちのためにさまざまなことを予算化しております。
2017.02.09
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厚生労働省が東京オリンピックに向けて、20日からの通常国会に受動喫煙対策強化の改正法案の提出を予定しているとか。そのたたき台では今までの努力目標であった飲食店などの共用スペースの分煙が、原則禁煙となり喫煙のためには完全隔離したスペースが必要となるとのことで、議論を呼んでます。 この期に及んで、日本たばこ産業株式会社(JT)の分煙CMがより一層頻繁に流されていますが、このCMに対する批判めいた意見があまりでていないことが非常に疑問に思えます。かねてからJTのCMについては疑問を持っていましたが、今回の厚労省の方針発表対する対抗のようにその対策を分煙だけで問題解決しようとしているようです。 かつて、受動喫煙についてその被害と影響を紹介する資料を用意しましたが、その公開は様々な理由により残念ながらできませんでした。その内容は分煙では解決できない受動喫煙についての研究報告でした、その後この受動喫煙が世界的な禁煙(Smoke Free、NO Smoking)の流れとなりました。そして日本の対策は完全に遅れをとりました。税収減、生産者保護いや公務員保護や票の減少を理由にして、その対応を遅らせてきました。 JTは受動喫煙や能動喫煙のリスクや危険性には触れず、喫煙者の人権擁護を権利擁護にすり替え、喫煙のエチケットと同様に気分や思いやりで問題解決ができるような錯覚を与えています。また、厚労省は、具体的な禁煙対策の必要性については十分なアピールなどせずに、対策案を決めたからとただ公表しているだけのようにしか思えません。
2017.01.19
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今回のアメリカの大統領選挙は、現地時間11月8日(火)投開票となっております。そしていよいよ、米国が自らの代表を選択するその日になりました。ヒラリー・クリントン候補とドナルド・トランプ候補の一騎打ちとなっておりますが、あまりに不人気なこの二人での選挙戦で、一体合衆国はどうなってしまうのでしょうか、米国国民はどのような選択をするのでしょうか。よくも悪くも、その選択は世界中に影響が及び、場合によっては世界の生死まで左右しかねないため、様々な憶測が流れております。 英国の選択もありましたが、今、民主主義のあり方が問われております。選択や決定を行うのは一人ひとりの有権者で、責任も一人ひとりが負うべきもので、為政者に転嫁しても始まらないのです。その自覚を持つことが必要です。 その点で、政治の実行力・行動力・決定力を持つのはみなさん一人ひとりであるといえます。
2016.11.08
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神話についてあらためて述べるならば、誰しも自分だけは安全であると思ったり、信仰と同じよう自分の経験と勘を信じ、それらが考える前から備わっていると感じているもののようです。これが個人だけではなく集団で共有する場合などは、マスコミまでも無批判になることもありえます。自分の価値観を持たないものは、そのような大きな流れに乗ってしまうものです。そのような人は「なぜ人殺しがいけないの?」と問われても答えることができず、議論を深めることを避け適当な妥協を図ろうとするようです。残念なことに、そのため戦争責任や戦争への反省も十分にできないのです。ましてや正しい物事の把握や判断、そして次世代への生き方を含めた手本が示せないのです。 ヘーゲルの「歴史哲学講義」に「君主や政治家や民衆に向かって、歴史の経験に学ぶべきだ、と説く人はよくいるが、経験と歴史が教えてくれるのは、民衆や政府が歴史から何かを学ぶといったことは一度たりともなく、歴史から引き出された教訓に従って行動したことなどまったくない、ということだ。」と云っているとか、戦争だけでなくバブルについても同じようなことが云えるように思えます。かのチャプリンの自伝によれば、「街の灯」を撮影していた彼が「失業者が1400万人もいるのに株など信じられるか!」というと、そのとき一緒に夕食を共にしていた作詞作曲家のバーリンは「君はアメリカを空売りするつもりか!」とテーブル越しに激怒したそうですが、その翌日「暗黒の木曜日」株価が下落し、二日後にチャプリンのスタジオを訪れると、激高したことを詫びて「ところで君の、その売りの情報はどこで手に入れたのだ」と聞いたそうです。 かつて戦争中にオペレーションリサーチ(OR)手法で戦略上の意思決定をサポートする内閣直属の戦力計算室が設置されていたというが、東条首相がここを視察したその日をもって廃止されてしまったとのことです。それは、圧倒的戦力差も精神性で克服できるものと考えている首相が、日本の惨敗を想定されたことに激怒したからであり、思考停止してしまって、神話などによる戦意高揚で盛り上げ戦争遂行することだけを追い求めて、敗戦や戦争の終了方法などについては考えられなくなってしまった結果です。 そして誤解が無いように云わせてもらえば、神仏に手を合わせことや、他の文化・考え方も含めた他者に敬意を表することは必要なことと考えます。さらに、自分の価値観に無批判であったり、それを他者に強制したりすべきものではないと考えます。
2016.09.25
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日本のモノづくりを考えたとき、企業で働く人の考え方に、云われたことだけ指示されたことだけをマニュアル通りに処理しできれば良しとし、同様に経営者には指示を出すことで用は足りると考えているように思えます。それは企業だけでなく日本中に充満する空気のようなものです。仕事をこなすのに、そのようなルール付けや理屈だけで人を動かすことを、合理的なことと考えているようです。 戦後日本は国際化の中で、ビジネスのやり方から組織の在り方まで、さまざまな標準化を行いシステム化し構造化を行ってきました。このようなやり方は急成長する段階では、効率の良い方法であったと思われますが、一方で考え判断することをそぐことになり、変化に対応することができず新たな発展を阻害することにもなりかねません。 多くの日本人は、合理化の神話の中で考えることを停止し、お金や機械装置などで快適な暮らしが得られると信じていたようです。しかし、それで幸せが得られるのでしょうか。経営者や役員も、多様性を認めず不寛容で、一方的にモラルを求めるが自らの感性を発展させることもなく、過去の高度成長の成功体験を追い求めるだけでは、発展に向かって抜け出すことはできないと思われます。多くの企業がこのような病に陥っているように思われます。 職場では、働く人のストレスチェックが必要とされています。心の問題と云われますが表面的な理解だけではなく、神話に頼らない心からの魂と精神の鍛錬を考えることがほんとうに必要と思われます。
2016.09.22
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わが国には、ものづくり神話や安全神話などさまざまな神話がありますが、ほんとうにそうなのでしょうか、その裏付けが揺らいでいます。世界中から信頼を集める製造会社でも信頼を裏切るものが市場に出ています。今迄ではまったく考えられないような故障や事故が報告されております。私の体験でも、開発商品化した企業のブランドもの3.5インチフロッピーディスクが、その最盛期もすぎるころ、たまたま2件全く別のところで別ロットの新品もので不良が出ました、これではノーブランドもの以下と思われます。また、日本を代表する時計メーカーの時計が2個、使用中に立て続けに考えられないような不良を起こしました。 戦前は、神国日本・神風神話の不敗を信じ、最後には、神風特攻から一億総玉砕の本土決戦まで考え、戦死すれば靖国神社に神として祀られるとして、戦意高揚にも利用されました。そういう意味では、天皇も神格化され利用されたと言えます。戦後、天皇陛下は人間宣言されました。 そして、先月天皇陛下は「生前退位」のご意向を表明され、ご自分も普通の人間であり、スーパーマンや太陽のようの存在ではないことを、まして神ではないことを示されました。ところが、いまだに日本人の心に訴えるため天皇や靖国神社を神格化して置きたいと考えている人がいるようです。
2016.09.20
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本日、英国の国民投票でEU離脱派が勝利したとのニュースが流れ、この結果を受けて、これまでの経済構造の見直しが求められ、その先行きに不透明感が広がり株式市場は大幅暴落となりました。 離脱派はEU離脱してもかつてのような繁栄が維持され、そして大国としての威厳をヨーロッパや世界に示すことができると信じているようです。そして、英国国民はこの結果によってもたらされるさまざまな困難な問題も十分解決していけるだけの力と自信があると思われます。 このあと、米国の選択がどのようになるのか、大いに注目していきたいと思いますが、選択結果によっては国際協調ではなく自国優先の保護主義や、武力や覇権による紛争解決が多くなることが懸念されます。日本国民の今後の選択の中身も試されることになります。
2016.06.24
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今日6月23日は「沖縄慰霊の日」でした。71年の月日が流れましたが、沖縄の皆さんにとっては、いまだに本土から見放されたままとなっており、癒されることはないようです。 さて、参議院選挙が本格的に始まりました。このたびは、選挙権が18歳以上に与えられることになり、各党とも若年層に向けた公約や政策を打ち出しております。若年層も政治に関心を持つことは重要なことですが、喜んでばかりもいられないと考えております。 それは、今までの選挙と同じような組織票に取り込まれたり、ただの人気投票的投票に走ってしまわないかと危惧するところです。それにしても、集票のための政策として見境のない奨学金無償化をうたい文句にしていることは、本当に必要なところに回らなくなってしまうのではないかと思うのですが、いかがなものでしょうか。 今までも何度か話題にしましたが、現在の大学が多くの大学生という失業者を抱え、多くの税金が助成金の名の下、多くの私学にも供されています。これほどの無駄遣いもないように思えます。この見直しは、今回のことで、ますます遠くなったと思えます。 出来るなら、先に心配した裁判員制度が定着し、その経験者がその経験を高く評価しているように、今回の危惧も取るに足らないものになることを期待したいと思います。
2016.06.23
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熊本を中心に大きな地震があり、多くの死者と甚大な被害が発生しました。亡くなられた方々の冥福をお祈りいたしますとともに、ご遺族と被害に遭われた方々には心よりお見舞いを申し上げます。 あらためて自然の力の前に、われわれはもっと謙虚であるべきではと考えます。ややもすると自分たちが決めたルールや判断により活断層だいやそうでないとして建築構造物などを構築していますが、そのような判断も打ち砕かれるようなまだまだ見えないものがこの世にはあります。 湾岸などの軟弱地盤に建てられた超高層建物に及ぼす長周期地震の影響などは、ようやく問題化されるようになりましたが、まだまだ求める人がいる限り自然の力も無視して上へ上への計画がまかり通っております。例えるならコンピュータが出した答えだからと、無批判・無責任に信じることなどは止めて、これを機に見直しが進み、もっと謙虚にしっかりした計画と施工が行われることを望みます。
2016.04.19
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「ヤマタノオロチ退治」や「因幡の白兎」「山幸彦と海幸彦」等々、日本にも多くの神話や伝承が残されています。神話は神々の物語であり、どこまでが史実を反映しているものか定かではありません。 昔のことはなかなか記録や伝承で伝えることが難しいことです、しかし現代はいろいろなことを映像や音声でも残せる時代となっています。先の戦争については、十分な反省がなされないまま、また多くの体験者がその声を残さないままこの世を去って逝ってしまいます。地震や津波などの災害についても多くの記録や伝承があったにもかかわらず、それらが忘れ去られ生かされず多くの悲劇を生む結果となりました。このたびの震災については多くの記録を後世に残すことができ、教訓として生かされることと思われます。 仙台から国道4号線で北に向かうと、吉岡というところがあります。江戸時代この宿場で、家に伝えられた話が新たな伝承を生みだす奇跡のようなお話がさる方の努力で書籍化され、さらに映画化されることになりました。スケートの羽生結弦くんも殿様役で出演するとか。今あなたが次の世代に何を残せるか考え行動し、是非残し伝えてみてください。
2016.03.07
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宮城県の仙台の北、東北本線になかなか正しく読んでいただけない小牛田(こごた)に小牛田駅があり、北は一ノ関方面、東は石巻方面、西は新庄方面となっております。この小牛田に山神社(やまのかみしゃ)があり、お土産品として山の神饅頭が有名で、かつて停車した車窓から買い求めたことがありました。地元のひとは、「こごたはこごだ(Kogota is here)」といっているとか。 ところで、野村敬子さんの「真室川の昔話」のなかに、次のようなお話が紹介されていますが、大林太良氏がこれを「神話の系譜」の中でとりあげて、プラトンの「饗宴」で紹介されるお話と酷似した内容であることを指摘しております。 金持ち夫婦のあいだに子供がないので、小牛田の山の神に願掛したら、妻は妊娠した。しかし十月十日経っても一年経っても子どもは生まれず、三倍も待ってやっと生まれたのは、身一つに手足八本の裏表で、頭は二つ、しかも男児と女児がくっついたものであった。親は困って、二人を座敷の奥に隠して育てたが、二人は互いに、一度でよいからお前の顔を見たいと言い合った。小牛田の山の神がこの願いを聞き届けて、二人を別々の身にしてくれた。二人は夫婦になった。昔から双っ子は夫婦の生まれ変わりだと言う。 なお、山形県神社庁のホームページを見ますと、真室川町には山神社が19か所もあるようです。山形県だけでなくほかの多くのところにも多数の山神社や山神神社があるようです。また、真室川と聞いて思い出すのは、ちょっと色っぽい歌詞もある「真室川音頭」ですが、真室川は鮭川と一緒になり新庄のところで最上川になります。最上川といえば三大舟唄の一つともいわれる「最上川舟唄」があり、観光最上川舟下りでは芭蕉の句とともにつきものの民謡となっております。この舟下りは新庄の下流部のゆったりとした流れの中で行われていると思われている方が多いようですが、歌詞にもある碁点・隼・三ヶの瀬を下る舟下りもあります。 民謡は基本的に二拍子で歌われることが多いのですが、この「最上川舟唄」は三拍子となるようです。また、民謡の「五木の子守唄」は二拍子だったのですが、唱歌では三拍子になったようです。
2016.01.28
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青木薫さんという特に理論物理学や数学に強い翻訳家がいます。さまざまな難解なそれらの海外の書籍を豊富な学識と優れた翻訳で紹介され、まさにポピュラー・サイエンスチストとして知識の普及と理解を深めるのに努力されています。 そんな彼女のあとがきもなかなか読みごたえがあるのですが、今回は原注から気になった次の文を、ここにご紹介しておきたいと思います。 1642年のクリスマスにアイザック・ニュートンが誕生したとき、父親(アイザック同名)は亡くなっていた。ニュートンは20代の初めに微積分法を作り上げ、白色光は色彩を持つ光がまじりあって生じることを証明し、虹がなぜできるかを説明し、最初の反射望遠鏡を作り、二項定理を発見し、極座標を提唱し、リンゴを落下させる力が惑星の運動をコントロールしたり潮汐を引き起こしたりする力と同じものであることを示した。しかし多くの人は、ニュートンが聖書根本主義者であって、天使や悪魔、サタンなどの実在を信じていたことは知らないだろう。彼は創世記の記述を文字通りに信じ、地球は誕生から数千年しかたっていないと考えていたのである。それどころかニュートンは、その生涯のかなりの時間を費やして、旧約聖書が歴史を正確に記述していることを証明しようとしたのだった。 クリフォード・A・ピックオーバー著「2063年、時空の旅」青木薫訳から(一部修正) ニュートンが関心を示した光やこの書の中で紹介されるショパンの音楽など人の心に響くものは、ある意味で神秘の世界のものであるように思えます。
2016.01.27
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あっという間に年があらたまり1月も20日を過ぎましたが、本年も宜しくお願いいたします。 そんな皆さんに贈り物ではありませんが、献上鮫と呼ばれるものをご紹介いたします。 先日、刀剣屋さんに寄ったところ陳列ケースに収まっておりました。写真におさめさせていただきました。通称鮫皮といわれるものに十二単を着せたりして飾り、贈り物に用いられました。いつごろのものかわかりませんが、それはそれは金にも匹敵するぐらい高価なものであったといわれております。鮫皮は正倉院御物の国宝「金銀鈿荘唐太刀」にも用いられていることからも、古くから重宝されていたのでしょう。 さて、この鮫皮は刀剣の世界では、その拵を作るのに用いられ、鞘のほかほとんどの柄部分に使われています。鞘にもそのまままいたり漆を塗り研ぎ出ししてその粒などを装飾としております。その粒の並び方があたかも梅花のようなものもあり、梅花皮(かいらぎ)と呼ばれ鮫皮の別称ともなっています。 ところでこの鮫皮、我々が知っている鮫の皮ではなくエイの表皮の下の背中部分の皮になります。昔の人は、エイも鮫としていたのかもしれません、また、チョウザメは淡水魚で、形が似ておりますが全く鮫ではありません。なお、このチョウザメの背中のウロコが蝶々の羽に似ていることから、この名がついており、これも鞘の装飾につかわれることがあります。「広辞苑」によれば、 さめがわ【鮫皮・沙皮】いわゆる鮫の皮(実はアカエイの近似種 Trygon sephen の皮。南方から密輸されていた)を乾かして製したもの。刀剣の柄(つか)または鞘(さや)に用いるとされている。ちなみに鮫は、狭目の意で、横口目の海魚中エイ類以外のものの総称。鱶(ふか)は別称。 さめはだ【鮫肌】鮫の皮のようにざらざらした人の肌。となっております。 この鮫肌は、もしかしたらエイの肌ではなく本当の鮫の肌のことではないかと思います。献上鮫梅花皮(かいらぎ)
2016.01.23
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今年も残すとところ3週間となり、世の中はまさに忘年会シーズンですが、来年の希望を膨らます望年会でもあるかもしれません。 世の中では、就活ではなく終活とともに残され人生をどのように過ごすか、どのように迎えるか悔いの残らないようにエンディングノートとして身辺整理を含めてまとめることがもてはやされております。 わたしは、普通のノートに「備亡録」と記して気の付いたことや日記代わりに日々の記録をしております。エンディングノートにようにも利用しており、数冊になりました。このノートが結構役立っております。何しろ物忘れしやすくなり、事柄や人の名前を思い出す助けもなっております。
2015.12.10
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今更ながら自立と自立のどちらも、読みは「ジリツ」で同じすが意味は同じようでかなり違います。 片や自立は独り立ちすることですが、自律はさらに自分で律して判断・行動するすることが求められます。自律の対義語は他律になります。 多くの成人は、自分は自立生活しており自分のことを一人前の成人と考えているようですが、自分で判断して、行動しているようには思えません。よくある世論調査などでの回答で、「分からない」とする人が多いこともその証左といえるかと思います。判断を求められる場面でも、ややもすると他人の判断に従って行動していることが多いようです。 会社においては、経営者はさまざまな場面で決断を求められます。その判断のために全情報を自分のところで把握して管理したいと思うこともあるかもしれません。しかし、組織は自律的に動いています。会社組織を人体に例えると、社長はトップで頭脳であり、すべてを把握したいと考える。しかし、頭脳が身体のすべてをコントロールしようとするとさまざまな問題を引き起こします。いわゆる自律神経系といわれる部分まで頭脳でコントロールしようとすると、体に変調を起こしてしまい、失調症に陥ってしまいます。 また一方で、怒りなどの条件反射的な反応は危険を伴うことがあります。怒りはコントロールしてください。今までも下記のところなどで何度か述べたように、多くの紛争は怒りのコントロールができずに発生します。やるせないこの気持ちありのままに憲法について考える
2015.12.08
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今年2015年は国連で「国際光年」(光と光技術の国際年)として定められました。 イラン生まれの「近代光学の父」と呼ばれるイブン・アル・ハイサムが、千年前1015年に屈折や反射などの光の原理を発見し、200年前1815年フレンネルレンズで有名なフレンネルが「光は横波(波動説)」であることを発見、150年前1865年「光は電磁波」であることをマクスウェルが理論化し、100年前1915年アインシュタインが「一般相対性理論」で重力によって光も曲げられることを予想し確認されました。50年前光ファイバーの提唱やビックバン理論が発表されました。 これにあわせて、様々なイベント等も開催されました、また昨年の「青色発光ダイオード」を始め、光にかかわるノーベル賞受賞がこれまでにも多数あります。現代物理学の出発においても光の性質を理解することから始まり、量子論から宇宙論までを理解する上でも光の理解は欠かせません。光速は真空中で299792458m/sとされ、重力の伝搬を含めこれを超える速度はないとされています。もしこの前提が崩れれば、現代物理学で常識と考えられていることは全く別物となることでしょう。宇宙の果てのその先も見えないだけで、予想することができるかもしれません。 時間については光格子時計により、数十億年に1秒といわれる精度が確保されるようになっております。光についてはその色とともに興味が尽きません。これから、星がきれいに見える季節となります。たまには、宇宙の果てのその先に想いを寄せてみてはいかがでしょうか。 なお、ゲーテの「色彩論」は205年前の1810年に著されました。
2015.11.20
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今年もあと一カ月余りとなりました。あっという間に月日が流れ、20年前の1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災の記憶も、皆さんの記憶から薄くなりかけているのではないでしょうか。その後もさまざまな大きな災害が発生し、そのたびごとに様々な議論が行われております。 そんな中、阪神淡路大震災では、メディアのヘリコプターばかり目立って救援や物資輸送のヘリコプターがほとんど飛んでいなかったことが思い起こされます。自衛隊への派遣要請が遅かったこともありましたが、消防や医療関係でもヘリコプターを出動させるほとんどできなかったため結果的に1名の救助に使われただけでした。そのような備えと、体制が作られていなかったことが原因です。そのような中活躍したのが東京消防庁から特別救助隊として派遣されたヘリコプターでした。 9月9日からの豪雨により10日午後0時50分茨城県常総市で鬼怒川の堤防が決壊し多くの家々が濁流に飲み込まれ流されてしまいました。自宅や流れ着いた先の屋根そして電柱にしがみついて救助を待つ人々が、次々とヘリコプターに助け出される姿を見て、その必要性を強く訴えかけていた方を思い出し、その方も喜んでいることだろうと思いました。 その方は阪神淡路大震災以前からドクターヘリや救助ヘリの必要性を説き、関係者を集めて研究を行いその成果をもって厚生省や関係機関に訴え続けました。震災後その構想は生かされ実現されるようになりましたが、ご本人の名前が出るようなことはないようです。 今日は、高倉健さんの命日です。亡くなられて一年が経ちました。
2015.11.10
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福島第一原発事故発生から4年以上の月日が経って、その事故についての反省も半分忘れ去られているようですので、そこにあった問題点を改めてここに取り上げて見たいと思います。この事故では、たまたま死傷者のような直接的な被害が大きなものにならずに済んだことが、忘れ去られた原因の一つとなっているようにも思えます。まさに「のど元過ぎれば…」の感を強くします。 先の大戦についても、そのことから学ばなければいけないことが多くあると考えますが、どうもまともに考えようともしないようです。 確かに想定していなかった津波に襲われてしまい、どのように対応してよいか…。詳細は、「国会事故調」報告書等でご確認いただければと思います。 先にこのブログで取り上げた際には、このような事故は米国では考えられないと述べましたが、それは米国の基準が日本と異なり場合によっては保険会社の担当者から、日本では考えられないような厳しい設計要求が突き付けられます。 あらためて、下記に「国会事故調報告書」の「はじめに」掲げられた一文(部分)を、ご紹介しておきたいと思います。〔「国会事故調報告書」から〕 想定できたはずの事故がなぜ起こったのか。その根本的な原因は、日本が高度経済成長を遂げたころにまで遡る。政界、官界、財界が一体となり、国策として共通の目標に向かって進む中、複雑に絡まった『規制の虜(Regulatory Capture)』が生まれた。そこには、ほぼ50 年にわたる一党支配と、新卒一括採用、年功序列、終身雇用といった官と財の際立った組織構造と、それを当然と考える日本人の「思いこみ(マインドセット)」があった。経済成長に伴い、「自信」は次第に「おごり、慢心」に変わり始めた。 なお、「規制の虜」の言葉は、規制当局が規制すべき対象側から虜にされて規制を十分に行えない状況をいい、ノーベル経済学賞を受賞したジョージ・スティングラー氏が唱えたものです。また、このような規制当局は、「虜にされた規制当局(captured agencies)」と呼ばれます。
2015.10.22
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安保法案が決着し、消費税10%引き上げに伴う、公明党がこだわっていた軽減税率の導入が本格的に検討されている。 大竹文夫氏は、その著「経済学のセンスを磨く」の中で、軽減税率は高額所得者への優遇政策となると宣べられている。 世論調査を行えば、軽減税率の導入に反対する人は少ないが、軽減税率導入は富裕層も含めた国民全体に対する補助金と考えることができる。なぜなら食料品などは富裕者も消費するもので、批判を浴びた「定額給付金」のようにばらまき政策をすることと同じといえる。 ほんとうに中身を検討しなければ、考えるような成果や効果を得ることができない。選挙時のような耳触りのいいキャッチフレーズや掛け声だけで判断してはいけない。
2015.10.12
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