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チキンカツ弁当さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、レコード店通いが日常の中学1年生時代天気の良い秋のある日の日曜に、親友H君と街へと出かけた事があります。何かの目的を求めていくのではなく、ふらりと栄えた場所へ行っただけなのですがH君宅で昼飯のラーメンで腹ごしらえした私たちは、市バスで街へと向う途中、秋だというのになぜだか真夏のような暑さの中、バスも休日とあって大変混雑しており、最後尾に座っている私たちはどんどんと詰まってくる乗客の勢いに圧倒されておりましたところ、何気にH君が私の肩をポンポンと弱く叩きます。H君の顔は汗だらけで、「何?」と聞いても何でもないよと首を振るだけ。H君は小学校の時から遠足のバスに良く酔っていた経歴があったので、これは・・・と胸騒ぎ。しばらくしてH君がバスの床に向けて上体を折り曲げて伏せ、ゲゲゲ・・・・と昼に食べたラーメンを吐き出したのです。我々は逃げるようにして、街までもうすぐという所の手前の停留所でバスを降りたのです。
2017年02月28日
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えびコロッケ弁当さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、レコード店通いが日常の中学1年生時代学区内にある家電屋が支店として経営する総合スーパー内の5階にあるレコード店の隣のコーナーには、他店の経営する文房具・雑貨コーナーがありました。小中学生が好むようなアクセサリーや、色彩豊かで風変わりな形状の文房具、ノート類など、お手ごろな値段で陳列されておりまして、土曜日の放課後や日曜には多くの同級生にそこで出くわしたものです。何を買うでもなく、あれこれ珍しいものを眺めながらぐるりとコーナーを周回して、お目当てのレコードコーナーへと向かうわけです。当時は階ごとの壁際にジュークボックスが設置されていて、100円硬貨だったと思いますが、それを投入して好みの曲のボタンを押せば、ボックス内でレコードがかかるという代物です誰が使用したか判りませんが、何度も同じ曲がかかる事もあって、とうとう好きになってしまう事も。Tレックスというイギリスのロックバンドが人気絶頂の時で、行くたびに「イージーアクション」という曲が何度もかかっていたんで、後日にレコードを買ってしまいました。
2017年02月27日
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焼きそばと団子とワンカップさて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、レコード店通いが日常の中学1年生時代家電屋の片隅にレコードコーナーがあるような店でしたが、実は支店がありまして当時「西川屋」と称されていて途中で「ユニー」となり、現在は「アピタ」とか「ピアゴ」などの系列である総合スーパーマーケットですが、小学5年生の頃に西川屋が学区外に開店し、子供だけで店に行くと次の日に先生に叱られるというスーパーでしたが、中学ともなれば学区内となりますので、一人で行こうが誰も責めるものは居ません。で、そのユニーの最上階である5階にレコードコーナーを支店として家電屋が経営していたのです。そこの方がレコードの量が多かったように記憶してまして、家電屋と同じように良く通ったもので、家電屋に目当てのレコードがなければユニーに行ったりしました。当時目に付いたレコードは、赤い唇から舌をベロンと出したジャケットデザインです。ローリングストーンだったんですね。全然興味なかったんですけど、強烈なインパクトがありましたねぇ
2017年02月26日
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たまごごはんさて、私が少年だった昭和40年代後半の頃オカリナに興味を持ってそれを買った中学1年生時代、レコード店の片隅にあったガラスのショーケースにプラスチック製のオカリナが2つあったんですが、実はそのすぐ横に陶器でかなり高価なオカリナも展示されておりました。私が買った2つのプラスチック・オカリナよりもふた回りほど小さくて、まるでオモチャのように見えたんですが、価格がふたケタ違ってまして、おそらく1万円以上だったと思います。高価だからそれなりに良い音が出たり、陶器なので作る手間とか質も良いんでしょうが、中学生の私にとっては何の興味も湧かない陶器のオカリナでして、私が手に入れた細くて小さな白いオカリナよりもさらに小さくてか細いと来れば、音色などピィー・・・ではなくてチィー・・・とかキィー・・・だろうなと。だいたい小さすぎて持ちにくいんと違うだろうか?と、興味を持たなかったので無駄遣いはする事なく無事に過ごせました。
2017年02月26日
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メンチカツ&湯豆腐さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、オカリナが好きで何とか手に入れた中学1年生時代なぜ好きになったかというと、これはまたちょっと遡って幼稚園の頃です。6歳ぐらいの頃に「ウルトラQ」という特撮ドラマが放送されておりまして、円谷プロの作品で「ウルトラマン」の前に放送されており、ウルトラシリーズ第1弾の番組です。その中で大きな蜘蛛(タランチュラ)の怪物が登場する回があって、古い館の中で主人公らが蜘蛛と戦うような内容でして、その時に登場人物の一人が館の中でオカリナを見つけ、それを吹いて演奏するわけですが、あまりにも気味が悪いので「やめてよ」と女性が演奏を止める場面があったのです。そのオカリナの音色が映像の尋常ならぬ恐ろしさと相まって、幼心を刺激してしまったんでしょう。ずっとそれが心の片隅に残っていた時に、レコード店でオカリナを見つけたわけです。それまではまったく縁のない、実物も観たことのない楽器だったのです。
2017年02月25日
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餃子弁当さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、小学生時代から縦笛、リコーダーを演奏するのは得意としており、中学でもそれを発揮できておりました。そう言う訳ではないのですがオカリナに興味を持ちまして、演奏するわけでもなく宝物扱いで、単なる珍しいものが好きだったのかもしれません。ある日の音楽の授業である女子生徒が普通のリコーダーよりも大きいリコーダーを吹いており、日に日に大きなリコーダーの所持者がポツポツと増え始めました。それは何だ?どうやって手に入れるの?と問うと、「アルトリコーダー」「音楽の先生に頼んで注文」との返答があり、早速注文し購入。一般に生徒が授業で使用するものは「ソプラノリコーダー」で全長32cm程、アルトリコーダーになると47cmぐらいありまして、穴をふさぐ指が届かないぐらいでした。でかいなりに音色も太く、プォーと。それもオカリナと同様、あまり使用する事なく宝物扱いとなりました。
2017年02月24日
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鰯弁当(缶詰のイワシの敷き詰め)さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、鉄棒落下入院からラジオ、洋楽、レコード店通いと興味がどんどん増えてきた中学1年生時代、レコード店で見つけたプラスチック製のオカリナをついに買ったんですが、親友H君もオカリナを買いまして、それも私の買った白く細めの安価なオカリナではなく、ふくよかな大きめの赤いオカリナです。やはりそれは良い感じのオカリナで、H君の吹く赤いオカリナの音色はポォ~・・・・と奥深い。私のはピィーです。リコーダーよりは素朴な音色なのですが、どうも納得いきません。で、しばらくして私も赤いオカリナを買って満足するわけですが、特に演奏して楽しむのではなく宝物扱いで、クッキーの缶に布を敷き詰めた上に赤と白のオカリナを2つ乗せ、机の引き出しに保管しつつ、時々缶を開けてオカリナを眺めるといった事をしておりました。
2017年02月23日
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焼きそば弁当(ソーセージ、キャベツ)さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、中学1年生時にレコード店で見つけたオカリナをついに買いますが、少しふっくらした大きめの赤いオカリナではなく、細めで小さい白いオカリナが安かったので、それを手に入れました。音階を決める穴にはそれぞれFやらGやらアルファベットが刻印されていて、リコーダーのようにドレミファソラシド・・・・と吹いてみるのですが、やや穴の塞ぎ方が違うようで上手く行きませんでしたが、まずまず満足のいく音色がしました。しかし、大きくて豊満な赤いオカリナならばもっといい音が出るかも・・・・と欲が出ましてふたたび小遣いが溜まるまでショーケースの前にしばらくして立ちんぼして眺める日々。売り切れて無くなってしまわないか、心配で何度も通ったのです。
2017年02月22日
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鰹節弁当さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、レコード店通いをした中学1年生時代、自宅から自転車で7~8分のところにある家電屋で、洗濯機やテレビ、冷蔵庫が主品目の店内に楽器コーナーがあり、レコードコーナーがありました。歌謡曲には一切見向きもせず洋楽を中心に重なって陳列されるレコードのジャケットデザインを鑑賞して楽しみました。その片隅にガラスのショーケースがあって、中に赤と白のオカリナがそれぞれ1つずつ展示販売されていて、値段は確か500円前後ぐらいだったと記憶してますが、赤いオカリナは白より少し大きくてふっくらした形状でやや高値。それを小遣いが溜まるまでジッと我慢して観るだけにしてました。とにかくオカリナがどんな音色なのかは知ってまして、リコーダーにはない素朴な音色を自分で出して吹いてみたいと思っていたんで、まさかこんな近くで売られているなんてと、絶対に買おうと連日ショーケースの前で立ちんぼでした。
2017年02月21日
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葱味噌おにぎり(赤味噌に長ネギと味醂を混ぜ合わせたもの)さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃 中学1年でラジオ放送 洋楽に興味を持ち始めお年玉などの貯金が残っている限り 休日はレコード店へ良く行ったものです当時はシングルレコード1枚が500円で レコード店を兼ねた家電屋が少し離れた地域にありました離れていると言っても中学の学区範囲内で 店内のレコードコーナーで同級生に出くわす事はたまにあり情報交換などしたものです小遣いが足らなくて買えなくとも 陳列されたレコードを隈なくチェックして ラジオで聴いたお気に入りの曲が発売されていれば 小遣いが手に入った時には即買おうと その所在を確認していたのですラジオ付きカセットテープレコーダー 略して「ラジカセ」はまだ持っておらず おそらく誰もがやったと思うんですが ラジオやテレビから流れる好きな曲を 単なるカセットテープレコーダのマイクをそれらに向けて録音していた段階でした それは周囲の雑音が交じるといった今でこそ渋くて庶民的なものですが レコードなら最高の録音で何度も聴けるのですから とても貴重なものであると認識していたのです
2017年02月20日
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今年も始まりましたG1レース 初陣はダート1600mのフェブラリーステークス早速占ってみた所 天火同人の初爻の卦を得ました これは物事に囚われずに 自由な発想で行動しよう 大きい視野を持ち行動範囲を広げていこうという意味を持つようです果たして今回のレースにどのようなヒントを投げかけている卦なのか・・・・・出走馬の中で興味深い点は ダート初挑戦なる7歳馬が一頭存在するという事です これまでのフェブラリーSにおいてダート初挑戦の芝専門馬は未勝利のようなので当然今回も人気薄 その馬は「デニムアンドルビー」 この馬に可能性を感じても良いのではないでしょうか後は人気どころの馬に勝っていて ここ数戦安定のサウンドトゥルー人気馬のカフジテイクに斤量が2kg重い状態で挑んだ根岸Sでカフジに敗れて2着のベストウォーリア この三頭で決まりっ!
2017年02月19日
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ご飯に葱味噌(みじん切りの長ネギと味醂、赤みそを混ぜ合わせたもの)時折食べたくなるので、この「葱味噌」を作りましたこれだけで何のおかずも必要ないくらい美味いんですけど、流石に連日となると飽きますそしていつも作りすぎたなぁと、冷蔵庫の片隅に放置されるのですそうしないために、ご飯と混ぜておにぎりにして冷凍しておこうと考えているところです
2017年02月18日
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味ご飯(油揚げと人参)&リンゴさて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、中学1年でラジオにハマり、ラジオから洋楽へと興味が増えていきまして、洋楽ですので歌詞の意味は分からなくともリズムやメロディーが何だか心地よいので判ったような気分になっておりました親友H君も同じように洋楽に興味を持ち、我々の好みはフレンチポップスへと向かっていきます代表的なものと言えばミッシェル・ポルナレフですH君はポルナレフのLPを数枚持っていて、良く聴かせてもらったもので、ヒット中のシングル以外にも古くから良い曲を多く出していたのだと知りました今でも世間的に良く知られている「シェリーにくちずけ」という曲は、すでに私たちが小学6年の頃に流行っていて、テレビの歌番組でも歌謡曲とまぜこぜなベスト10を発表していたりする中で、「シェリーにくちずけ」が上位にランクされていて、曲紹介に今でも俳優として活躍する、当時はモデルだった草刈正雄氏が出演していたのを覚えています子供ながらに草刈氏の事をHクンとともに「格好つけてるなぁ」などとケチを付けておりました。
2017年02月17日
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厚揚げと玉葱の炒め物弁当さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、中学1年生で洋楽の「ポップコーン」にハマったのと同時期に、小学生時代からの親友H君とともに通っていた習字塾で、もう一つの洋楽に出会いました。私が習字を休んだ日に、H君らは習字の先生の息子さんからレコードを聴かせてもらい、その曲がとんでもなく凄い曲だったと、一度私に聴かせたいというので、その息子さんが在宅の時に聴かせてもらったのです。ピンクフロイドというイギリスのバンドで、「吹けよ風 呼べよ嵐」という曲ですこれも歌ではなく曲だけのものですが、今でこそプロレスラーのブッチャー入場曲としても有名で13歳だった私としては単に衝撃を受けたとしか言いようのない、本当に凄い曲だったのです。この来日記念盤には全4曲が収められており、H君もこれをすでに購入していたので、私もと思ったんですが、レコードを買う時点でこの曲よりもピンクフロイド自体に興味が湧いてしまい、なぜか別のシングルを買う事になったのです。4曲も入ったレコードの方がお得だよ、というH君の勧めも聞かず「青空のファンタジア」というレコードを買ったのです。これは、H君所持の4曲入り来日記念盤を聴かせてもらった時に気に入った曲で、後に「吹けよ・・。」よりも好きになってしまったので買ったわけです。
2017年02月16日
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味ご飯弁当(人参と油揚げを具に醤油・味醂・鰹出汁で味付け)さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、初めて買ったレコードが洋楽で、ホットバター演奏「ポップコーン」という曲だけのものでしたしかし、どうも思っていた曲調と違うなぁと日々悶々としておりました所、本屋でラジオ放送関連の雑誌を立ち読みしていて、洋楽トップ20の記事を見つけます。3か月分ぐらいのデータで、月別洋楽ヒット20に「ポップコーン」が最高4位を獲得しておりまして「自分の好きな曲は案外ヒットしているんだなぁ」と嬉しくなって、演奏者の次回作が出ていないかレコード店をたびたび訪れました。その中に「ポップコーン」の競作盤があったので即購入したのですそれはフレッシュクリームというグループの演奏のもので、私が入院中にラジオで聴いたものと同じ曲調だったのです 曲調の違いはyoutubeでご確認フレッシュクリーム盤https://www.youtube.com/watch?v=ZXpMi58K7HMホットバター盤https://www.youtube.com/watch?v=2DAiZWzahDI
2017年02月15日
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焼うどん(長ネギ・玉ねぎ)さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、中学1年の時にレコードというものを初めて買ったわけですが、それが洋楽の「ポップコーン」という曲で、某民放ラジオ放送番組のオープニング曲でした。早速レコードを買って聴いてみた所、違う曲ではないものの何か納得いきません。ラジオで聴いた「ポップコーン」はもっと機械音が洗練されていて、スマートな感じがしたのです。私が買ったものはどちらかというと乾いた音で、なぜか単純な構成に感じたのです。後に演奏者別の競作盤が複数出ていた事を知るのですが、局側は別バージョンのものを使用していたようです。私は一応世界的にヒットしたものを買ってきたようでした。このようにしばらくは「ポップコーン」にハマり、曲名を知っているにも関わらずラジオ局に電話までして、「あの番組が始まる時の曲は何ていう曲なんですか?」などと聞いた事もありましたよ。
2017年02月14日
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たまには原点に帰って健康的なものを作って食べようかと思い、豆腐と野菜たっぷりの味噌汁を夕飯としました。今では味噌汁のような塩気の多いものは健康的とは言えないかもしれませんが、そんな事を言っていては何も食べられなくなりますし、第一に塩気がなかったら味気ないです。なかなかパーフェクトな健康食を作るのは難しいと思いますよ。これで炭水化物であるご飯は控えての夕飯ですので、その辺で妥協しないとね。具材には大根・長ネギ・茄子・木綿豆腐を使用し、味醂と魚系の粉末出汁で味を調えてあります。
2017年02月13日
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焼きそば弁当さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、中学1年生の時に体操部の鉄棒練習で落下して入院したのがキッカケでラジオにハマり、そこで洋楽に興味を持ち始めました。興味を持てばお目当ての曲のレコードが欲しくなります。私が人生で初めて買ったレコードは「ホット・バター」というアメリカの演奏グループの「ポップコーン」という曲です。 これは入院中の夕方6時頃に聴いていたラジオの民放放送局の「歌謡ホームラン」という番組のオープニングテーマに使われていた曲で、11月でしたのでプロ野球もシーズンオフであり、試合以外の話題に絡めて歌謡曲を流すという番組でした。内容はどうでもよくて、とにかくオープニングが始まると、今までに聴いたことのない心地よい軽快な曲が気になってしかなかったんですが、退院してしばらく経った後に別のラジオ放送で偶然同じ曲が流れ、曲名を知る事が出来て即レコード店に直行。ヒットしていたのですぐに目に付くように置いてあったので500円で買ったのです。
2017年02月13日
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2月11日 豊橋にある安久美神戸神明社の鬼祭による赤鬼登場 鬼祭行事の合間には頻繁に厄除けのタンキリ飴が撒かれます豊橋では毎年2月10日・11日に国指定重要無形民俗文化財の鬼祭が催されますが、一昨年に初めて訪れて今年は2年ぶりに行ってきました。白い粉を撒き散らしてのタンキリ飴撒きも幾度か行われ、直球で飛んできた飴が左目上に当たりましたが今回は3袋ゲットしまして、小判が当たる抽選券入りのタンキリ飴も買ってきました。投げられた飴の袋にも小判が当たる抽選券が入ってます。赤鬼が登場したところをカメラに収めて、まだまだ祭事の賑わう神社を後にしました。一昨年はここを訪れた後に金運が良かったので、今年もその御利益を目当てに、お賽銭も投げずに行ってまいりました。小雪ちらつく中での祭事は大勢の参拝客のデジカメから注目の的でした。
2017年02月11日
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野菜の煮物弁当(人参・玉ねぎ・大根)さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、ラジオの電話リクエストにハマっていた中学1年生当時、そのキッカケはやはり体操部での鉄棒落下による入院生活でした。とにかく入院てのが初体験で寝るだけの生活であり、眠くもないのに消灯は早く、全然寝付けなかった為に枕元にラジオを置いて聴き始めたのです。朝から夜まで聴いていると、世間の話題から流行りの歌まで知る事が出来、出演者の話も面白いので退院してからも寝る時はラジオを手放せなくなりました。そのおかげで洋楽にも興味を持ち始めたのです。
2017年02月10日
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コロッケ&ミニトンカツ弁当&バナナさて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、H君宅兼工場の事務所のプッシュホンを使ってラジオのリクエスト番組に電話をかけまくると、何度も通じてしまうのでオペレーターの女性と仲良くなり、リクエストした後も色々と話を聞き出してくれるという、おいしい体験をしました。おそらくオペレーターは女子大生のアルバイトだったんだろうなと思います。「また電話してね」なんて言われると嬉しくなって、すぐにリクエストしてしまうんです。同じ人に繋がるとリクエストはそっちのけで世間話。別の女性に繋がれば「噂は聞いてますよ」とこれまた嬉しいお言葉。しかし、外れクジもたまにありまして、妙に低い耳障りなオペレーターが出る事があって、なんだ男性か・・・・・と、こっちも途端にトーンが低くなってサッサとリクエストを告げて電話を切りました。
2017年02月09日
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野菜炒め弁当(玉ねぎ・人参・ソーセージを味醂、鰹節出汁、醤油で味付け)さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、小学生からの親友・H君とは中学2年までは良く遊んだものです。H君とは特に趣味が合う訳ではなかったのですが、小学1年で出会って仲よく遊んだ事がお互いの意識に残っていたのでしょう。小学5年で同じクラスになってからはすんなりと仲は復活して、H君の自宅兼工場へ頻繁に出向いたものでした。当時はラジオで電話リクエストなるものが良く放送されておりH君宅兼工場の事務所には多くの電話機があり、しかも当時では先端のプッシュホンばかり。放送局へリクエストするために我が家のダイヤル式電話では他の視聴者に先を越されて何度かけても話し中だったのが、プッシュホンという武器を使うとすぐに繋がったのです。人んちの電話を無断で使用していた事は何とも思わず、H君やその姉妹たちとリクエストをして我々の名前が読まれると大騒ぎでした。
2017年02月08日
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丸はんぺん&ソーセージ弁当さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、一緒に体操部に入部して半年ぐらいで辞めていった小学生時の同級生達とは2年生でH君とクラスが別になるまでよく遊びました。習字もその4~5人で習っており、やはり2年生時で私が抜けても、彼らは中学を卒業するまで続けていたようです。そう言った意味では1年生の頃が一番楽しい時期であったのです。どうも鉄棒落下入院で華やかなお見舞いを受けたのを境に、私の周辺が寂しくなっていったような気がします。2年生ともなると高校受験という現実が迫るのですが、私はそうしたものを無視したいような小学生気分から抜け出せない性格で、小学時代の同級生が大事な存在であったのに、その頃の友人たちがどのような考えをしていたのか全く知る余地もなく、体操部での生活が中心となった私はどんどんと彼らから離れていったのです。
2017年02月07日
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茹で卵入り煮大根弁当 昨日のおかずの残りですさて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、鉄棒の練習中に落下して十日間の入院生活は13歳にとっては何もかもが初体験で、最初の三日間は頸部をがっちり固められてベッドで身動きができない状態、看護婦や母親から寝たままの姿勢で尿を取ってもらうのです。動けないという息苦しさの中、見舞いに来てくれた人たちに挨拶する余裕もありませんしグズグズと不満ばかりを一日中漏らしておりました。それが段々と快方に向かい、同級生の女の子が来てくれた辺りから「可哀想な人」という歪んだ優越感を感じる余裕が生まれ、頸部の固定も外された後は夜の院内を散歩したりして、しばらくは退院したくない気持ちになって来たのです。
2017年02月06日
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朝食:鍋で炊いたご飯には焦げがあります味噌汁はインスタント 昨晩の作り置きした茹で卵入り煮大根梅酒のお供にもなりました味噌汁はインスタントでも結構いけますが、子供の頃に食べた母親の作る味噌汁はとても美味しかったのだなと、今更ながら思います昨年の4月に94歳で眠るように亡くなりましたが、ほんとに料理は美味い母親でして、子供だった当時は田舎の料理のような感じがして、あまり食べませんでした。現在のように食欲が旺盛ならば、母親の作る料理はきっと私の体格を大きく成長させたと思います。
2017年02月05日
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稲荷寿司弁当 市販の寿司用油揚げに、そのタレをかけた飯を詰めただけで すし飯ではありませんさて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、中学器械体操練習中に鉄棒から落下して入院した事が継続の理由なのですが、結局は怪我持ちの身が周囲から見守られる形になって、気楽に練習ができた事が良かったんです。他の部員とは技術的に差は開き、苦手な鉄棒は全く上達は出来ませんでしたが、大車輪だけは回せるようになっていたので、怖いものと言えば不定期に襲ってくる首の激痛だけでした。入院中は怖い先輩たちも優しかったし、何といってもクラスの同級生たちが結構多くお見舞いに来てくれた事が嬉しい驚きだったのです。
2017年02月04日
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梅干しのおにぎり 昼頃には海苔がご飯の水分を吸い取ってしっとりしますさて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、中学器械体操部の鉄棒練習中に落下して頸椎捻挫、十日間の入院の経験が体操部を3年間続けた理由の発端です。傷を負った事で無理な練習、難易な事は避けろと顧問の指示があり、先輩からも強制的なものはなくなったのです。もちろん緊張を強いられる試合の出場も免れると思ったのです。確かに数か月間は横に振り向いただけで首に激痛が走ったりしましたし、首で体重を支えるような演技の練習は出来ませんでしたので、本当に過激な体操の動きは無理だったのは言うまでもありません。ただ、半年もすれば完治してしまい、2年生の半ばには本格的な練習を始め、それが3年終了まで続いたという訳です。
2017年02月03日
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ハム弁当 めんどくさい時に良く作る弁当で、ハムの下にマヨネーズですさて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、なぜ辞めたくてしょうがなかった中学器械体操部を3年間続ける事が出来たのか、色々思い返してみましたが、怖い先輩に辞めるなどと言い出せなかった事もあるし、同期でこれまた不良っぽい奴に文句言われるのも嫌だった事も理由の一つですが、やはり鉄棒の練習で落下して頸椎捻挫で10日間入院した事が最大原因の発端だったと思いました。宙返り降りの練習中に、身体が回転しきらずに首から直下し、頸椎に体重が圧し掛かって「グギっ」と鈍い音がしまして、ちょっとの振動でも首に激痛が走るので即入院となったのです。
2017年02月02日
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焼きそば弁当 昨日のご飯なしタイプさて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、中学器械体操入部から半年ぐらいは小学時代の同級生も2~3人体操部に在籍し、一緒にバク転が出来るようになろうと努力したもんですが、彼らとは習字も6年生の頃から習っておりました。私自体は5年生の頃から始めまして、習字塾というよりも親の知人である普通の主婦が趣味的に習字を教えてくれるというものでした。最初は私一人だけの生徒が、結果的には私が習字を辞めた数年後に生徒40名を超える本格的な習字塾になっていたようです。中学2年で私は習字を辞めたのですが、やはり体操部に没頭していって、習字をする時間がなくなったことが原因だったのでしょう。あれほど辞めたかった体操部でしたが、何が続けさせた原因か、次回までに思い出しておこうと思います。
2017年02月01日
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