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前回の皐月賞は予想したペルシアンナイトが2着だったので、まずまずでしたね。さて、その調子で今回の天皇賞・春はズバリと行きたいものです。 早速占ってみた所、水沢節・上爻の卦を得ました。これは節度を弁えすぎると逆効果であるという意だそうで、ほどほどにするのが良いという事です。それが本レースにどんな暗示をもたらしているのか探ってみる事にします。 節度を守りすぎてガチガチの本命を選出すると危ないという暗示でしょう。こうなれば1番人気は外します。 2番人気のサトノダイヤモンド、昨年の菊花賞でサトノダイヤモンドについで2着のレインボーライン3月の阪神大賞典でサトノダイヤモンドについで2着のシュバルグラン3000m以上で好成績を残すアルバート、この4頭で決まりっ!
2017年04月30日
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焼うどん弁当さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、リーダー格の多い中学1年生時代室長(学級委員)は前期と後期の2回選出される仕組みとなっていた中学校でしたが秀才S君が前期、強面のO君が後期の室長でした。ホームルームでの議論では秀才S君が大活躍。活発に飛び交う意見群の中でもひと際理屈が目立ちクラスの顰蹙を買うものの、勉学優秀と積極性でクラス全幅の信頼を得ており、標準型室長と言えましょう。しかし、強面のO君の場合は私自身「?」を感じました。それは小学校を通じてこれまでに無いタイプの室長だったからです。子供っぽい生徒の中に高校生が交じっているような存在感のあるO君であり、威圧感はあるものの弱い者イジメをするような輩ではなく、見た目通りの大人であり、秀才S君同様に頼もしさという観点での女生徒からの人気は高かったと思います。
2017年04月28日
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サバ缶弁当(缶詰のサバを乗せたもの)さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、リーダー格の多い中学1年生時代我がクラスのリーダー格「O君」。そして隣のクラスにも「O君」が存在しましてこのO君も喧嘩好きのM君らと仲間の血の気の多い人物です。グレているのではなく、先天的に性格が荒っぽいのでしょう。ちょっとややこやしいのですが、イニシャルで表すとふたりとも「O」なので仕方ないのです。結局、この二人のどちらが強いのかというのが、誰も口にはしなくとも誰もが思っていた事実でしょう。この二人が張り合うような現場を目撃したことはなかったし、そう言う噂も聞かなかったので、中学の三年間に二人が表立って争う事は無かったのでしょう。英傑は英傑を知るという事でしょうか、無益な争いはしないんですね。
2017年04月27日
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春巻弁当さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、リーダー格の多い中学1年生時代ある日、喧嘩好きのM君が真面目なT君という家電屋の息子を黒板に押し付けていました。私が良く通っていたレコード店を営む家電屋で、T君も小学低学年のころまでは私と同じ小学校。境遇としてはO君と良く似ていましたので、真面目なT君とO君は性質が真逆なのに仲が良かったのです。そのT君がM君に対して「不良」だと言った事が理由で、胸ぐらを掴まれて「何が不良だっ」と迫っており、教室のみんなも無言でそれを見ていたのですが、しばらくしてO君がヌッと現れて、「やめろ」と一言。それでもM君は気が収まらずT君を押さえつけます。そこでO君のオーラが本気を纏ってM君に何かドスの利いた言葉を吐いたとたん、「うわぁ」と照れくさそうにT君からM君が離れたのです。それくらいO君には威厳があったのです。
2017年04月26日
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焼きそば弁当(厚揚げチーズ入り)さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、リーダー格の多い中学1年生時代気障だが統率力のある秀才S君をはじめ、我がクラスには多くのリーダー格が存在しました。体格や顔つきが大人びて、異色の不良っぽさのあったO君もそのひとり。O君は小学2~3年生の頃は私と同じ小学校でして、途中で隣町の小学校学区へと引っ越しました。すでに小学生の頃から体格は抜きんでていて、押しの強い所があり、「おい、今度の日曜日に一緒に遊ぶぞ」と勝手に予定を決めてしまいます。「うん、いいよ」と軽い返事をして後悔をする事の多い私は、どうしても遊びたくないので言い訳を考えながら月曜日を迎えるというパターンです。急に用事が出来たでは長続きしないので、「あれ、10時だったの?ぼくは昼過ぎかと思って・・・」などとすっとぼけたりして、案外許してもらえました。そんな事もあって疎遠になっていきますが、まさか中学一年で再会するとは・・・・・
2017年04月25日
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鰹節弁当さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、勉強しなかった中学1年生時代おさがりの学生帽についていた校章を、新たに買い替えた方が良いとの助言や、おにぎり一個と菓子パン一個の価値など、理屈を解いた秀才S君とは「友人」とまではいきませんでしたが、割と良く話す間柄となりました。最初の一か月ぐらいは我儘K君やこの秀才S君と一緒に3人で弁当を食べたりしておりました私も6年生ごろの勢いもあって、人気者の仲間入りだなどと優越感に浸っておりましたが、学力差が秀才S君とは段違いだし、我儘K君とはそもそも趣味趣向が違うので、この2人とは結局「友人」になることは難しい事だったのです。それでも秀才S君は俗に言う「良い奴」です。クラスからは表面上は生意気で気障な奴だという嫌われ役でしたが、S君のリーダー格素質は見抜いていて、全員の信頼を受けていたのです。
2017年04月24日
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油揚げ弁当+赤飯さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、学生服の中学1年生時代学生帽というものはせいぜい半年くらいが活躍する期間であり、段々と面倒くさがって被らなくなるものです。私もいつまで使用していたかは忘れましたが、夏ごろにはすでに被っていなかったと思います。学生帽には校章バッジを付けなくてはならず、入学時に学生帽とともに校章バッジを購入しなければなりませんが、私の場合は兄のおさがりだったので両方とも購入せずです。それを見た秀才S君が怪訝そうな顔をして「一応買っておいたほうがいいぞ」と。この秀才S君は別の小学校出身者で、父親の職業柄数校の転向経験者。おにぎり好きの私が菓子パンと他人のおにぎり1個を交換した時「おにぎり1個の価値など菓子パンの半分にも満たないぞ。損するぞ」と理屈を言って弁当交換を阻止しようとした輩でした。
2017年04月21日
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油揚げご飯さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、学生服の中学1年生時代当たり前の事なんですが中学は全国的に学生服であり、首の周りに白いプラスチックの輪っかをはめ込んで息苦しい装備。その首にホックが付いており、外す事を良しとしないのが規則であり、それを外して首元を開けていれば「不良」とみなされた時代でした。当時はズボンに「パンタロン」といって裾がラッパのように広がったものが流行っていて、喧嘩好きのM君などはパンタロン式の学生ズボンを履いていた事が印象深く覚えております。考えてみれば幼稚園時にも制服があって、それ以来の制服通学となったわけですが、学生帽なるものも当然あったわけでして、被っていたのは当初だけ。いつのまにか誰もが学生帽の存在を「無」にしていったのです。
2017年04月20日
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焼きそば弁当さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、英語授業が始まる中学1年生時代現在の英語教育がどうなっているか良く知りませんが、今から45年前の状況は薄い点線で印刷されたアルファベットを鉛筆でなぞるような、幼児教育のような事から始まりました。すでに多くの生徒は巷の英語を幼児の頃から聞いたり見たりしていたはずなので、アルファベットぐらい誰でも書けたと思うのですが、そのような念の入れようでした。そして最初に覚えたものが、ドリフターズでのコントで、荒井注氏が「THIS IS A PEN]と言った有名なものです。その前に小学6年の時にすでに少々習っていたという親友H君がGOOD MORNINGの文字をスラスラと読んだ事に驚いたものですが、THISの発音をくどいくらいに英語教師が毎日繰り返し指導していた事を思い出します。舌の先をすこし噛んで発音する時に舌を抜くとか言われましたが、その通りにやっても先生の思惑通りには行かなかったのか、教室の全員が授業の大半を「ディス、ディス」の繰り返しでした。
2017年04月19日
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ミニハンバーグ弁当さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、通称が嬉しい中学1年生時代従兄弟や母親の故郷の人々の間では私の事を「げし」と呼んでくれていました。しかし、「げし」を「げす」と聞き違いしていた人々は、なんて酷い事を言うんだと思っていたらしいのです。大凡「げす」というのは「下衆」であり、身分の低い者を言う蔑称だったわけで、私としては喜んで「げし」を受け入れていたのですが、田舎の人々はいつも私を可哀想だと思っていたそうです。この「げし」は田舎での泊まりの間だけでの、もしくは従兄弟たちからの限定通称であって、校内で呼ばれる事はありませんでした。一番気に入っていた愛称なんですがね。
2017年04月18日
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ハム弁当さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、通称が嬉しい中学1年生時代この愛称といいますか、呼称は名前の一部を使ったもので、種明かしをすれば「しげ」と呼ばれておりました。「しげくん」とか「しげ」ですね。こう呼ばれると嬉しいし、ああ、向こうは私に親しみを感じてくれているんだなぁと思えるわけです。この「しげ」を逆さまに呼んで「げし」と呼ぶ人たちもおりました。毎年夏休みになると母親の故郷へ3週間ほど御厄介になりに行ったのですが、母の妹の子、つまり叔母さんの子供である従兄弟ら2人と小学4年頃から中学3年までそこへ同行する仲であり、彼らが面白がって「げし」と呼ぶようになってからは、第2の愛称ができてこれまた喜ばしいわけです。この「げし」は、従兄弟ら、そして田舎の子供らの間だけの呼び方となりました。
2017年04月17日
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さて、ここ三レースは大惨敗の結果となっており、段々と焦ってまいりました。 頑張って本日の皐月賞を占ってみる事にしましょう。 出た卦は火山旅・二爻 旅に良い結果が出るらしい卦という事で、はたまた本レースにどんな関連があるのか独自に推測しましたが深読みしてもロクなことはないので、「旅」するなら地域に関連する馬名を選ぶことにしました。ペルシャンナイトがそれです。ペルシャの夜ってんですから、魅惑的なんでしょうね。あとはサトノアレス。サトノと来れば「里の」と考えるのが適当かと。里帰りの旅です。サトノアレスと同厩舎のレイデオロ。同じ厩舎でそろって仲よく旅にでも。 大穴狙ってクリンチャーは2008年度ダービー馬・ディープスカイが父親。ディープな空旅で快勝だ。
2017年04月16日
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にんにく入り焼きそばさて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、通称がうれしい中学1年生時代呼び捨てでも通称なら嬉しいもんです。苗字ではなく名前の前半に君を付けるか呼び捨て。君付けは年下か女性、呼び捨てで呼ぶ人は親か年上、もしくは同輩で優越感をもって私に接してくる人でしょう。クラスメイトの女子生徒なら必ず君付けでしたので、これはたまらなく嬉しく、内心大喜びです。これで関係が一歩深まったと思え、学校以外の場所で出会っても「Sくーん」なんて呼ばれたら「はいはーい」てな気分を押隠して何気なく返事をしたりしましたね。ただ、私は人の名前を呼ぶ方ではありませんでした。何か照れくさくて、余ほど親しい相手でないと苗字を呼ぶことはあまりなく、親友H君ぐらいでやっと苗字を呼ぶくらいです。他の人に対しては「あの」とか「ちょっと」とかでしたね。相手からは通称、愛称で呼んでくれるのに私にはそのお返しの愛称呼びが出来なかったのです。
2017年04月16日
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おにぎり(梅干し)さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、通称がうれしい中学1年生時代幼少の頃から近所の皆さんには「Sくん」と呼んでもらえるのが日常の事であり兄とか親なら「くん」を省いた「S」ですが、小学3・4年の担任は「S」と君なしで呼ばれましたね。小学の頃はそのように年上からは君なし、同級生からは君付けです。さて、中学1年では初夏のころはすでに「Sくん」と呼ばれ始めます。これは小学時代の同級生のおかげです。こう呼ばれ始めれば一気に周囲に溶け込めた感じがするんです。しかし、クラスメイトは強者ばかり。当然のごとく、喧嘩好きのM君からは「S」です。君などは付けられませんでした。
2017年04月14日
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ミニハンバーグ&ソーセージ弁当さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、3つの小学学区が集まる中学1年生時代小学生の頃は他の児童が私を呼ぶ場合、苗字ではなくて通称でした。通称と言っても仇名ではなく名前の後ろに「くん」を付けて呼ばれる簡単なもの。大介なら「だいちゃん」とか耕筰なら「こうくん」といった具合です。Sくんと呼び出したのは私が幼少の頃に姉がそのように呼んだのが始まりだと思います。そして近所の人々が「Sくん」と呼び、小学4年生の時に同じ町内のクラスメイトが教室内で「Sくん」と呼んでくれたので、そこから広まりました。さて、果たして中学に上がってそのように周囲は呼んでくれるだろうか?と、心配しました。最初の一か月は苗字を呼び捨てでした。
2017年04月13日
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おにぎり(昆布の佃煮)さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、ホームルームが盛況の中学1年生時代週一日、最終時限に割り当てられていたHRの時間は、ひとつの議題・テーマに多くの意見が飛び交うクラスで、最後に多数決で結論を出していたと記憶しております。議論の後はスッキリしたという感じが多かったんです。その中でも女子達の挙手が一番多いのですが、彼女らは同性同士意見が対立する事は滅多にありませんでした。たまに拍子抜けした意見を言う女子が居れば別で、時には同性によって一気に潰されてしまう事も。私の意見は多くの同意を得ていました。なるべく的を得た意見を言おうといつも手ぐすねを引いておりましたので、その思惑通りにHRの時間は過ぎていきました。
2017年04月12日
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かにシュウマイ弁当さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、個性派ぞろいの中学1年生時代クラスメイトは活発な女子達に、わがままなK君、喧嘩好きのM君に我が親友H君という面々が主なキャスト。担任は20代後半の体育男性教師のT先生。このT先生の外見を端的に見事に言い表した女子生徒がおりました。ろくな筆記用具を持ってこなかった私に、その一式をくれた女子生徒Yさんです。その子はT先生を「にしきのあきらの腐ったの」と言い、クラス全員が納得。詳細はYさんの母親がそう言っていた、という事だったと記憶しておりますが、確かに今思い返してみても当時の人気スターであったにしきのあきら氏(現・錦野旦)に雰囲気は似ており、二日酔いのにしきのあきらとでも言いましょうか、上手い表現をしたものです。
2017年04月11日
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しらす干し弁当さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、個性派ぞろいの中学1年生時代のちに「番長格」となっていくO君の友人が、我がクラスの喧嘩好きなM君。このM君は我が親友H君にちょっかいを出す困り者ではありましたが、体操部の同輩であり私とは仲もある程度良かったので番長O君からの被害を無くしてくれたのはM君の存在のおかげだと思っております。「不良」と一括りにしても、多くの種類があります。彼らの場合、強い者に向かっていく挑戦的不良というよりも、自分たちの力量を持て余し、たるい周囲の輩を支配して楽しく生きる、という楽天的不良とでも言うべきでしょうか。不要に逆らわなければカラッとしていて、粘着性の無いやんちゃ者でしょうか。力の無い私が彼らに対抗するには、ある程度の運動神経と「愛嬌」しかありませんでした。そして、最大の武器は「弱さに徹する」事でした。
2017年04月10日
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あまりにも不甲斐ない予想が続いていたので、先週の大阪杯がG1だった事も知らず、予想をしておりませんでした。気を引き締めて今回の桜花賞を占ってみたいと思います。出た卦は「沢火革・初爻」改革するにはまだまだといった所で、しっかりと前準備をして待機していろと言う意味だそうで今レースにおいて何を意味するかを推測しますと・・・・・今レースは7枠の2頭が鍵を握っているようですね。1,2番人気のソウルスターリングとアドマイヤミヤビなんですが、この2頭の影に隠れ実力馬が居ると言うことでしょうか。オークスとかエリザベス女王杯などを狙って準備している馬がいるんでしょうか。そうなると、私は1枠2番のライジングリーズンと8枠18番のカワキタエンカを推します。人気馬以上にこの両馬は重馬場が得意そうでして、雨の桜花賞で番狂わせを起こすかも。ライジングリーズンはフェアリーS,アネモネSと連勝、いずれも後方待機からの追い込みです。カワキタエンカはチューリップ賞でソウルスターリングから大きく離れた5着でしたが、前走「君子欄賞」で先行したまま1800mを逃げ切っており、スタミナは充分です。
2017年04月09日
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鯖寿司&インスタントラーメン2袋 ポテトサラダサンドさて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、個性派ぞろいの中学1年生時代活発な女子生徒の他に、俗に言う「不良」もチラホラ存在しておりました。入学したての頃は私も根拠不明の「自信」を持っていたので、ある意味怖いもの知らずな所があり入学2日目に2クラスずつが校内のオリエンテーションで各箇所を巡回していたのですが、他の小学校出身者の一人が、別の生徒の首を絞めてイジメていたのです。そこで私は内心「いっちょ注意して英雄にでもなろうか」と思いましたが、なぜか本気になれずそのまま無視して次の箇所へと続く列の流れに沿って歩きました。後から考えるとその生徒は、後に「番長」格となっていく人物O君であり、もしその時に私が格好付けていたなら、3年間は睨まれ続けただろうなと。そのO君は隣のクラスでしたが、そこには私の友人も居たので良く遊びに行った教室ですが、そのO君の傍に運悪く居合わすと、向こうは単なる気晴らしなんでしょうけど、友人と会話している私に向かって何の脈略もなく突然胸部に蹴りを入れてきたりしました。それも笑いながらです。そのように私の出身小学校には存在しえなかった生徒がワンサカ居たのです。
2017年04月08日
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焼きそば弁当さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、女子生徒が活発だった中学1年生時代当時、「ウーマンリブ」なる言葉が流行しておりまして、私が小学6年の頃にはテレビドラマで森田健作氏が主演の「おれは男だ」が大人気で、ドラマのあらすじとしてはウーマンリブ打倒の為に全校内で少ない男子生徒を集めて剣道部を創設させていくという内容でしたが、ウーマンリブとは女性解放運動の事らしいのですが、子供心には単なる強い女性たちの主張かと思っておりました。それそのままに中学1年の私のクラスでは、女子生徒がホームルームで積極的に意見を言い、放課に騒いでいるのは男子ではなく彼女ら。そして彼女らは私から見ても充分に魅力的な外見をしており、どうしてこんなに美人や可愛い子が集中したんだろうと、春からウキウキしていたのです。
2017年04月07日
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シーチキン・マヨ弁当さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、女子生徒が活発だった中学1年生時代授業開始のチャイムが鳴っても教室の後ろで騒いでいた女子生徒が二人、技術の教師にその現場を見つけられて往復ビンタ炸裂。このように私のクラスの女子は平均的に活発で、入学してから一年間はホームルームでの議論が充実しておりました。様々な議題に対して積極的に挙手して自分の意見を述べ、採決を取っていく流れはとてもスムーズに捗っておりましたのは、すべて女子がリードしていたからです。3つの学区から集まった我々ですが、特にパワフルだったのがH小学校出身の面々。それは女子だけでなく男子も同じで、かなり圧倒され続けました。私も最初の頃は意見を多く言い、少し間抜けな事を言って笑いを取ってましたが、そもそも根っからの活動的なH小学校出身者らには敵うはずもなく、三学期の頃に担任から「どうしたんだ? 最近大人しいな」と心配されましたね。
2017年04月06日
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ソーセージと卵焼き弁当さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、体罰当たり前の中学1年生時代教師の体罰は、実はあまり怖いとは思っていませんでした。朝礼での怠けた態度の時に激しく叱咤する技術の先生は、確かに怖かったのですが、全員に向けて怒るので恐怖心は分散されていたわけです。それよりも怖かったのは体操部での先輩の言動でした。体操競技というものはアクロバチックな離れ業をしますが、完成させるまでには勇気のいる事が度々訪れます。それを強引に脅すように「やれ」と言われると、本当に泣きたくなってくるのです。鉄棒の大車輪を練習する時には本当に泣きべそをかきました。基本的な段取りも何もなく、いきなり「回ってみろ」ですからね。いくら「二人も補助が付いてるんだ、早くしろ」と言われてもねぇ・・・・
2017年04月05日
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日曜日に土筆刈りに行った際の収穫量 土筆の卵とじ弁当さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、体罰当たり前の中学1年生時代他の生徒が体罰を受けている場面も良く見かけました。土足厳禁の廊下を歩いていたその生徒は、普段は温厚な中年国語男性教師に見つかって、豪快な平手打ちと怒声の叱咤。当時はこんなものは普通の光景であって、今思い出してみてもなんら不満には感じませんただ、兄の通う高校では体罰を振るう教師に対して集団で不穏な仕返しをするという噂がありました。卒業文集にその教師の名前を揶揄するような、文集の文字を横読みしたり、ななめ読みしたりすれば、その教師を馬鹿にする文章になっていたそうです。無条件で教師を尊敬する風潮から、そろそろ反発する生徒が増えてきて、その動きに世間やマスコミが乗ってくる時代へと移り変わってきた時代でもあったのです。
2017年04月04日
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昨日の昼食兼夕食:乾麺300gのざるうどん 本日の朝食:卵4つ分の卵ごはんさて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、体罰当たり前の中学1年生時代頬を掴んで上下させるとても痛くて涙の出る体罰をした中年女性英語教師N先生は、当時50歳前後だったと思いますが、現在の50歳というと昔よりも若く見えるので、ひょっとするとN先生は40歳ぐらいだったかもしれません。叩くという体罰がまだ現在のようにさほど問題視されていなかった世間ですが、人様の子供を叩くという事に引け目を感じていらっしゃったのだとは思うんですが、平手打ちとはまた別の痛みがありまして、平手打ちが急激な痛みだとすれば、頬を抓られるのは持続的痛みであります。抓られている間は痛いのであり、顔は歪みますし周囲から笑われます。それでも平手打ちよりは恐怖心も薄く、あまり効果は無いように思いますが、場合によっては深刻な気分にさせられます。私が一度、どんな理由でその体罰を受けたのか思い出せませんが、職員室でその体罰を受けた時、普段よりも強く深く両頬を掴みあげられ、いつもより振り幅が大きく大胆に上下に頬を揺すられたんです。職員室を出て長い渡り廊下を涙目で走り抜けましたが、途中でクラスメイトに出くわし、咄嗟に強引に笑顔を作って誤魔化しましたね。
2017年04月02日
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