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葱ごはんを海苔の上に乗せて葱ごはん巻き弁当さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、愛嬌・謙虚・ユーモアは性格でない中学三年生時代洗濯屋KKくんはわざと私を怒らそうとするのですが・・・・『お前は何をされても怒らないから、そういう性格を直せ』『こういう事を言われて腹が立たんのか?』『早く怒れっ』などと、洗濯屋KKくんは下校時に私の横にくっついて捲し立てるのですが、ニコニコ微笑みながら一切無視しました。『そういうのが心配なんだよ、俺は』などといいつつ、ある日、運動会の予行練習時の校歌斉唱の時に、私が口パクで唄っていないなどと洗濯屋KKくんがイチャモンを付けてきたので、軽く腹部に拳をたたき込んでやったら、ガタガタと文句を言いながら不服そうな態度をしておりました。心配しているのなら腹へのパンチを喜んで受け入れるはずなのです。
2020年01月31日
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さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、愛嬌・謙虚・ユーモアは性格でない中学三年生時代洗濯屋KKくんからの執拗な弄りが始まったのですが・・・・洗濯屋KKくんとは自宅も割と近いので、たまに一緒に下校したり、極まれに放課後にスーパーへの買いものに同行した事があり、その時にバッタリと番長Oくんに出くわし、洗濯屋KKくんは番長Oくんからからかわれ、まるぽちゃの頬っぺたを引っ張られたりして、それなりの扱いを受けていたのを間近で見た事がありますが、そうした輩には一切逆らえないくせに、私には何かと説教じみた事を言うのです。『お前なぁ、俺が馬鹿にしたら怒れよ。腹が立たないのか?』と、アホらしくて真面に関わっていられませんでしたが、すべて聞き流しておりました。
2020年01月30日
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自家製ハンバーグとカレー弁当さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、愛嬌・謙虚・ユーモアは性格でない中学三年生時代私を弄り始めた洗濯屋KKくんでしたが・・・・丸ぽちゃっとした洗濯屋KKくんは、勉学にしろスポーツにしろ大した活躍を見せる人物ではなかったのですが、周囲からはどこか憎めない存在として扱われていたようでした。決して陰気ではなく、そこら辺に居る家庭が裕福なおぼっちゃまタイプでしょう。言動にも適度な積極性がありましたが、所詮非力に見えてしまうので、荒くれ系の生徒からそれなりの扱いを受けており、洗濯屋KKくんも独自の防御法を持っていたに違いありません。その一端として、滅多に怒らないのを良い事に、私に対してズケズケと憎まれ口を言うようになったのです。一種のストレス発散を私に向けてきたと推測できるものでした。
2020年01月29日
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納豆ご飯を海苔に乗せて納豆巻弁当さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、愛嬌・謙虚・ユーモアは性格でない中学三年生時代実際は短気だったんですが・・・・新友人Mくんからの『そんな性格だと人に騙されるぞ・・・・』という忠告は聞き流す程度でした。性格ではないし、それで上手く行っていたので、むしろ周囲に良い性格だと思わせる事も出来ていたので、そうした優越感は持っていたんです。そこに、私を強引に怒らせようとする輩が登場します。我がC学区の人物で、小学時代は3,4年生時にクラスメイトだった実家が洗濯屋のK・Kくんは私より少し背が低い、丸ぽちゃっとしたおぼっちゃまタイプで、理科が得意だったので授業中に先生が説明する前に勝手に答えを言ってしまうような、少々小生意気な奴でした。その洗濯屋KKくんが中3時でクラスメイトとなったんですが、秋ごろから私をなにかと弄り始めだしたのです。
2020年01月28日
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卵焼きと豆ごはん弁当さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、愛嬌・謙虚・ユーモアは性格でない中学三年生時代その他に「めったに怒らない」というモットーもあったのですが・・・・家庭内では短気でした。末っ子のくせに言いたいことを兄姉にぶつけておりました。特に次姉とは「ああ言えばこう言う」で、罵り合いも段々エスカレートして罵声を浴びせる事となるのは日常茶飯事。兄ともよく口論し、争いのクライマックスには私が「包丁持って来いっ」と啖呵を切ると、あまりにも唐突な怒声に、周囲が笑ってしまう、と言った感じでしょうか。それが本当の性格なんですが、外で怒りを見せる事は殆どありませんでした。反射的に怒る=幼稚、だと思われたくないので、そこは演技しておりましたが、それを小学生から長年続けていたので、本当に外では怒らなくなったのです。というよりも腹が立つような事をあまりされなかったという事でしょうか。
2020年01月27日
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豆ごはん巻き弁当さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、愛嬌・謙虚・ユーモアは性格でない中学三年生時代それは、生きて行く上での知恵だったのですが・・・・家庭内では4人兄弟姉妹の末っ子であるのに、決して従順ではなかったと記憶しております。兄に対して「兄ちゃん」とか、「お兄さん」などという呼称を用いた事は一度もなく名前を呼び捨てにしていました。それをよく兄に「呼び捨てにするなっ」と咎められて過ごしていましたが、治す気持ちにはなりませんでした。「にいちゃん」という言葉に幼稚っぽさを感じ、気恥ずかしさがあったからであり、兄と対等だと思って居たわけではありません。次姉に対しても呼び捨て。「ねえちゃん」と呼べたのは長姉に対してだけです。これは年齢が9つも離れていたからでしょう。結構可愛がってもらいましたので、素直に「ねえちゃん」と呼べました。このように、本当の性格は、嫌なものは嫌だという、結構自分に素直なものだったのです。
2020年01月26日
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自家製ハンバーグとシーチキンのマヨネーズ和え弁当さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、愛嬌・謙虚・ユーモアが功を奏した中学三年生時代それが崩れ始めていたのですが・・・・
2020年01月25日
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さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、愛嬌・謙虚・ユーモアが功を奏した中学三年生時代人生、それで上手く行くと思っていたんですが・・・・中学時代までは周囲の人間も善良な人が多かったのでしょう。自分が悪いわけでもないのに先に謝ったり、いつもニコニコ愛想が良く、頼まれもしないのに先を読んで相手の希望に沿う行動をする・・・・そんな都合の良い人間を利用しようとする者は存在しませんでしたので、所謂「パシリ」といった使いっパシリになる事はありませんでした。「おい、パン買ってこい」とか、「授業のノート、書き写しておいてくれ」などと頼まれて快く引き受けそうなものですが、あまりにも人の良すぎる行動をする私を懸念した新友人Mくんから、『そんな性格だと人に騙されるぞ』と、一緒に通っていた塾の授業中に言われた事がありました。その時は聞き流す程度だったのですが、その忠告は的を得ており、じわじわと「愛嬌・謙虚・ユーモア」の牙城が崩され始めていたのです。
2020年01月24日
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ハム入りジャガイモおろし焼きさて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、愛嬌・謙虚・ユーモアが功を奏した中学三年生時代秀才Sくんの髪の毛を鷲掴みした荒くれ男さえ、私には友好的にさせる事が出来たんですが・・・・
2020年01月23日
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蓮根おろし焼きと日本酒さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、ラジカセが欲しかった中学三年生時代中部統一テストの現場で、秀才Sくんは髪の毛を鷲掴みされるという災難に遭ったんですが・・・・
2020年01月22日
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味噌汁と御飯さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、ラジカセが欲しかった中学三年生時代KYくんの志望校用紙を観ていた秀才Sくんに、荒くれ男が因縁を付けてきたんですが・・・・
2020年01月21日
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炒飯巻き弁当さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、ラジカセが欲しかった中学三年生時代学区内の大学で実施された中部統一テストでは、秀才Sくんと同じ教室だったのですが・・・・
2020年01月20日
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オムレツ弁当さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、ラジカセが欲しかった中学三年生時代学区内の大学で実施された中部統一テストの待機中に、荒くれ軍団が来襲してきたのですが・・・・
2020年01月19日
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フランクフルト&コロッケ&そうめんさて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、ラジカセが欲しかった中学三年生時代ラジカセが手に入り、失恋も引きづっていましたが・・・・
2020年01月18日
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餃子を上に乗せて・・・・餃子巻き弁当さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、ラジカセが欲しかった中学三年生時代ラジカセが手に入り、洋楽などをラジオから録音し始めたのですが・・・・
2020年01月17日
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とろろご飯さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、ラジカセが欲しかった中学三年生時代中部統一テストの成績が約束以下の結果でラジカセが手に入ったのですが・・・・https://www.youtube.com/watch?v=toaRG0PX-rU ヘンリー八世と六人の妻 第一曲
2020年01月16日
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七宝炒め(椎茸・にんじん・たまねぎ・もやし・豚バラ肉・長ネギ・ゆで卵)さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、ラジカセが欲しかった中学三年生時代中部統一テストの結果次第でラジカセを買ってくれと両親に頼み込んだんですが・・・・
2020年01月15日
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ヒレカツと春雨弁当さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、ラジカセが欲しかった中学三年生時代。ラジオカセットテープレコーダーは爆発的に売り出しておりましたが・・・・
2020年01月14日
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八宝菜炒め(キャベツ・ピーマン・にんじん・椎茸・もやし・玉葱・長ネギ・豚バラ肉)さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、不思議少女Sさんから返信が着た中学三年生時代失恋はモヤモヤとしたものを残しながら夏休みとともに終わったのですが・・・・それ以降、不思議少女Sさんに手紙を書こうとしなかったのは、相手が「つらい」と思うのはこっちもつらい、という事だからなのです。こんな時期にそろそろ女子を交えて新友人Mくんを中心としたトランプゲームが始まるのですが、その前に私が憧れていたものがもう一つありました。ラジオとカセットテープレコーダーがセットになった「ラジカセ」です。気に入った曲がラジオやテレビから流れると、録音するために息を潜めてカセットテープレコーダーを操作したもんですが、「ラジカセ」が登場してからは、なんせラジオとセットになっているのですから、曲が始まると同時に録音釦を押すだけで良いんですから。後は喋ろうが笑おうがラジオの音声だけが録音されますので、こんな画期的なものが流行らないわけがないんです。周囲の同級生達は殆どの子が所持しており、私も何とか手に入れたいと、どうやって両親にお金を出させるか考えたのです。
2020年01月13日
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麻婆豆腐さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、不思議少女Sさんから返信が着た中学三年生時代失恋の心の核には、「チクショー・・・・」という悔しさがあったのですが・・・・決して清々しいわけではないのですが、一件落着したことは確かです。不思議少女Sさんの心境も良く分かったし、私には被害者意識のようなものもあり、N子先生のアドバイスに心機一転しようかとも思ったわけですが、前にも書いたように本命の好きな人が居た場合、言い寄る者には嫌悪感を抱く経験から、不思議少女Sさんもひょっとしたら同じ気持ちだったのかなと。ワザと嫌われようとしていたのなら、それを責める事はできないと今は思えていますが、当時としてはズルズルと納得の行かない気分はありました。それでも一つの恋から、未だに永く考えさせられる貴重なものを不思議少女Sさんから貰っている気がします。
2020年01月12日
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ビーフカレーライスさて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、不思議少女Sさんから返信が着た中学三年生時代確かに「好きな人が生きているだけで幸せ」なのかもしれませんが・・・・この言葉は私に問いかけてくるのです。「お前の相手を想う気持ちは本物か? 真実か?」と。「我、欲するではないのか?」「相手第一が本当の恋愛だぞ」などと言われているような気がどこかにありました。私の本心は決してひとつではありませんでした。本当に相手第一という部分もあったと思うしやはりこちらに向いて欲しいという欲求はありましたし、複雑なものであったような気がしますがその「核」にあったのは、『悔しさ』だったような気がします。それは失恋をすれば誰もが持つ気持ちなのでしょうけど、プライドを傷付けられ、チクショーという感情が隠れていたと思います。
2020年01月11日
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餅入りサッポロ一番みそラーメンさて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、不思議少女Sさんから返信が着た中学三年生時代N子先生からのアドバイスはまさに金言・名言でしたが・・・・「好きな人が生きているだけで、幸せですよ」当時15歳の私でもその意味は理解できました。良い言葉だと思いました。そのように思おうともしましたし、そのように自分は思っているのだとも自信を持っておりました。しかし、心のどこかで、違う本心はありました。薄れかけていた想いですし、不思議少女Sさんとふたりだけの特別な思い出などなかったのでむしろ手紙を出してもなかなか返事が来なくて、やっと来た返事が「お断り」の内容だったというのがふたりだけの思い出になるので、N子先生が言うような気持には、納得していない部分もあったのです。「絆」があるとすれば、中1時のクラスメイトだったという事だけなのです。それでもまだまだ純真だったので、不思議少女Sさんは遠くに存在しているのだと、思っていた事も事実です。
2020年01月10日
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握りずしセットさて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、不思議少女Sさんから返信が着た中学三年生時代「好きな人がこの世に存在するだけで幸せですよ」とアドバイスしてくれたN子先生でしたが・・・・言葉の意味は良く分かりました。愛情を求めるのではなく、恋が叶う叶わないに関わらず、想い続けられる相手が存在する事に価値があるのだと、表面的には当時の段階で理解できましたが、本当の深い意味での理解に到達するのには数十年かかったのです。やっと、現在に至りN子先生の仰ったことの意味が分かりかけてきたのです。それでもまだ、私自身大切な人を失くしたという経験がなく、ここ十年の間に両親は高齢で人生を全うしましたが、泣くような悲しむような気持にはなりませんでした。大往生だったこともあるのですが。まぁ、これまでに知り合いだろうと有名人だろうと誰かが亡くなって泣いたという経験はありませんがN子先生のアドバイスは永遠の金言です。
2020年01月09日
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キムチ巻き弁当さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、不思議少女Sさんから返信が着た中学三年生時代H学区町内会による盆踊りの帰り道、かき氷を食べながらN子先生に失恋の相談をしたんですが・・・・我がC学区ではなくH学区での盆踊りでした。ひとつの学区2~3か所で盆踊りは催されていましたがN子先生は新友人 I くんの隣に住んでおりましたので、参加する盆踊りもH学区だったのです。失恋の相談と言いましても、相談したからと言って恋が成就するわけでもなし、要するに慰めて貰いたかったという事でしょうか。でも、そのN子先生、当時22歳くらいだと思いますが、実に的を得た、奥の深いアドバイスをしてくれたのです。「好きになった人が、この世に存在するだけで幸せですよ」と、N子先生は言葉少なに仰いました。
2020年01月08日
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豚肉入り焼きそばさて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、不思議少女Sさんから返信が着た中学三年生時代盆踊り帰りに失恋相談を女子大生先生N子さんに相談したんですが・・・・親の故郷・田舎では山間でもあり広大な場もあるので、盆踊りは盛大で夜中近くまで踊り続け打ち上げ花火も楽しめるのですが、地元の各町内会での盆踊りは質素そのもので、それこそ庶民の集いと言えますが、N子先生はご自分の7歳くらいの姪っ子さんを連れて、浴衣を着て登場。町内会の盆踊りですから民衆に交じって踊るというよりも屋台をチラホラ見回るぐらいで、ほんの30分も居たでしょうか。夜の8時ぐらいには終わるので、それぐらいの時刻に I くんやN子先生たちと盆踊り会場近くの店に寄って、店先に設えられた長椅子に座りながらかき氷を食べたのです。そこで、失恋した事の経緯をN子先生に相談したんです。
2020年01月07日
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唐揚げ弁当さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、不思議少女Sさんから返信が着た中学三年生時代恒例の夏休み田舎宿泊も不調に終わったのですが・・・・ヤクルト事件で大泣きした従妹は1つ下で当時中学2年ですよ。3歳4歳の幼児じゃないんだからと思ったんですが、食い物や飲み物の恨みは凄いですね。失恋を癒すための田舎宿泊という訳ではなかったんですが、失意のままの帰省となり、あとは地元の盆踊りを観に行く予定となっておりました。中2時に新友人Mくんと I くんが各々通っていた塾があり、結局私はMくんの通う塾にした経緯がありI くんも中3時に同じ塾に合流するんですが、中2時まで I くんが通っていた塾の先生を交えて盆踊りに行ったのです。当時女子大生で保健教員になる予定の華奢で可憐な女性N子先生は、I くんの親戚でもあり、失恋した私の事を I くんが色々と話しておいてくれたようで、盆踊りでの同行を良い機会として失恋に対する今後の生き方を盆踊り帰りの道中でN子先生に相談したのです。
2020年01月06日
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しらすぼし巻き弁当さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、不思議少女Sさんから返信が着た中学三年生時代ヤクルトを飲んだぐらいで従妹に大泣きされたんですが・・・・
2020年01月05日
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魚フライ&フランクフルト弁当さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、不思議少女Sさんから返信が着た中学三年生時代最悪な夏休みだったんですが・・・・失恋はするわ、親の実家での宿泊先で従妹・従弟には嫌われるわで、歯車がかみ合わない事態が続いたのです。何故嫌われたのか・・・・
2020年01月04日
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焼きそばさて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、不思議少女Sさんから返信が着た中学三年生時代夏休みに入ったばかりの時期に失恋で決着が付いたんですが・・・・夏休み恒例となっていた岐阜県養老郡にある母親の実家での宿泊に従兄弟たちと赴いたんですがいつもなら帰りも3人一緒だったのがこの年は途中で従兄弟らが帰宅し、数日間は私一人で過ごしましたその家の従妹弟らとともに寝る時はひと部屋に従兄弟と私の5人だったのが、従兄弟たちが帰ってしまうと従妹弟らは別の部屋へ行ってしまい、ポツンと取り残されてしまったのです。どうやら私は実家の従妹弟らに嫌われていたようでして、失恋等々全く良い事の無い夏休みでした。
2020年01月03日
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ゆでジャガイモ(マヨネーズ付き)さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、不思議少女Sさんから返信が着た中学三年生時代吉永小百合は吉永小百合、不思議少女Sさんは不思議少女Sさんなんですが・・・・7月26日、夏休みに入ったばかりの頃に、やっと不思議少女Sさんからの返事が着たわけでして取り敢えずは失恋という決着が付いたんです。もう来ないだろうなと思っていた矢先の、不思議少女Sさんからの手紙ですので、とても貴重なものですやはり不思議少女Sさんは手紙をくれたんです。そのまま無視して何もない、という事はしないだろうとは思ってましたが、たとえ内容が期待に沿わない物だったといっても、何某かの返答はしてくれたわけです。或いは、すぐに返事をくれたとして、内容は同じ事が書いてあったとしたら、どっちが良いか。それはそれでこっちの行動も違うものになっていたかも知れませんが、長く待っていた間に、色々と憶測したりして、またはどんな事を書いて相手の気を向かせるかとか、もしくは自分の恋が本物なのかどうか試し試されたのではないかとか、何かと深く考えられる期間だったと思います。
2020年01月02日
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2020年01月01日
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