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本日の弁当は「パスタサラダ弁当」 さて、私が少年だった昭和中期の頃小学時代の親友H君とは習字の塾でも机を並べた仲でしたが、どちらかといえば二人ともインドア派だったと思います。二人共通の好みは「音楽」でした。音楽と言っても何から何まで興味が一緒という訳ではありませんが、特に二人が意気投合した音楽がクラッシックの曲でした。ビバルディというと誰もが知っている「四季」を作曲したイタリアの音楽家ですが、その「四季」をじっくりと聴いて感想を述べ合えたのはH君しかいません。意見が合ったという訳でもなく、お互いに曲の好きな部分を言い合ったり、どんな風にイメージできたかを述べ合ったのです。
2014年01月31日
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本日の弁当は「麻婆豆腐弁当」 さて、私が少年だった昭和中期の頃小学時代の親友H君とは習字の塾でも机を並べた仲ですが、何かと嫉妬深い私は習字の先生がH君に肩入れしてるのではないか?とか、自分よりH君の方が字が上手くなるんじゃないだろうか?などと考えたりしていました。実際、人の書く字を対面状態で観ると逆さまの字を観ることになるのですが、そうやって観た時のH君の書く字がとても上手く見えて焦った事がありました。普通に観ると私のがまだ上手いと感じてホッとした覚えが幾度か在ります。
2014年01月30日
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本日の弁当は「すき焼き丼(牛肉無し)」 さて、私が少年だった昭和中期の頃車酔いの常習犯であった親友H君を習字の塾に誘ったのは六年生の頃でした。塾と言っても看板も出ていない普通の民家で普通のおばさんが教えてくれる習字塾で、最初の半年は私だけが生徒だったのです。気の合う友人なので一緒に習字を習う事は楽しい物でしたが、私の性格の根本にある嫉妬深さはこの頃から芽生えていたようです。習字の先生は当時40代半ばの主婦で、その先生がH君にばかり教えているように思えて、一時期は先生の言うことをすべて無視したりして、妙な子供を演じていました。
2014年01月29日
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本日の弁当は「大根の味噌スープ煮」 さて、私が少年だった昭和中期の頃小学時代の親友H君は車酔いの常習犯。市バスはおろか私の父親の運転する乗用車にも酔っていました。私の両親は某新興宗教を信仰していて、祭典の日には一家揃ってお参りに出かけた物でしたが在る日曜日のこと、父親がH君を教会に連れていってやると言うので一緒に行くことになりました。大抵、宗教と聞くと嫌な顔をされたり敬遠されるものですが、H君は素直に付いてきてくれました。祭典で賑わう教会の敷地内でサイダーを買って二人で飲んだんですが、実は車酔いをしていたH君の胃袋は数分でサイダーを逆流させようとしていたのです。H君は口元を手で押さえて私に「吐きそう」と危険信号を送ったので、二人は人混みを掻き分けて小走りにトイレに向かいました。途中、何度も汚物を通路に滴らせながらH君は必死で付いてきます。やっとトイレに辿り着き、思う存分吐き出していたのでしょう。なかなかトイレからH君は出てきませんでした。
2014年01月27日
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本日の弁当は「焼き飯」 さて、私が少年だった昭和中期の頃遠足のバスに酔うのは当たり前の親友H君は、まさかの市営バス内でもゲボゲボとやったのです。遠足のバスならバスガイドが汚物の始末をしてくれたものですが、市営バスとなると吐いたら吐きっぱなしなので、逃げるようにバスを降りました。ちょっと暑くなってきた初夏の頃だと記憶してます。バス内もクーラーが利いてなくて、おまけに満員だったのでH君も途中で降りるに降りれなかったのでしょう。
2014年01月24日
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本日の弁当は「チーズハンバーグ&里芋」 さて、私が少年だった昭和中期の頃親友H君は車酔いの常習犯で、休日の市バスの中でもゲボゲボとやっちゃいました。汚れた手や顔を洗う場所を探す為に、都会の裏通りをウロウロと彷徨い、民家の庭にあった水道をちょっと拝借してH君は汚れを落としたのです。そして気分一新、ふたりで放送局を訪れて局内を見学させて貰い、ちょうどのど自慢大会の放送中だったのでそれを観たりしましたが、たしか司会が板東英二だったと思います。
2014年01月23日
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本日の弁当は「醤油漬けゆで卵」 さて、私が少年だった昭和中期の頃親友H君の特徴、体質としては車酔いが酷かった事です。小学生の遠足でバスに載れば、一台に1人は車内で嘔吐していましたが、H君はその常連と言えます。観光バスの類では酔った事のない私でも、周囲が嘔吐する状況を見ていると、神経質になった物で、遠足の朝は消化の良いものを少量だけ食べるとか、なるべくバスの前部に載るように心がけるとかしました。中学一年の時、休日にH君と市バスで街に出かけた事がありましたが、混雑するバスの後部座席に私達は座ったのです。バスは30分ほど走り、そろそろ街が近づく頃に何気なくH君が私の肩をポンポンと軽く叩いたので、これはひょっとすると酔いの危険信号かと直感しました。しかしH君はそれを否定しました。その数分後、H君はバスの床面に顔を付けるように上半身を曲げ、昼に食べた物をタップリと吐き出したのです。
2014年01月22日
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本日の弁当は「醤油おかかおにぎり(冷凍)」 さて、私が少年だった昭和中期の頃小学時代の親友、H君の自宅は工場を兼ねていました。敷地面積は凡そ奥行き30メートル、幅40メートルぐらいだったでしょうか。その周りをコンクリートの塀が囲みます。その塀と工場の隙間に二頭の大型の猟犬が放し飼いにされていて、夕方になると従業員の残飯を餌として犬に与えに行くのを手伝ったことがあります。放し飼いですから糞尿もそこら辺に一杯。悪臭に鼻を押さえて、今にも飛びかかってきそうな犬の手前には鉄柵があり、そこから犬が首を出せないくらいの隙間から残飯を注ぎ込んだ餌の入れ物を中に入れるのです。バケツ一杯ぐらいの大量の残飯があっという間に平らげられるその旺盛な食欲に恐怖を感じた事を覚えています。
2014年01月21日
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先日の弁当は「煮魚(いわし・コンビニ製)」 さて、私が少年だった昭和中期の頃小学生時代の親友だったH君の事を時々思い出しますと、そこにはH君の姉妹が登場してきます。H君のお姉さんは二歳年上で、私が一年生の時にH君と出会った時期にお姉さんも一度くらい家に遊びに来た事があり、台所で夕飯の支度をする母親がH君のお姉さんに名前を尋ねた場面を思い出します。妹さんは二歳年下で愛嬌があり、よく私を慕ってくれました。H君本人だけでなく、その姉妹にも仲良くしていただいた事は、永遠に心に残って行くでしょう。
2014年01月20日
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昨日の弁当は「シラス干し弁当」 さて、私が少年だった昭和中期の頃小学一年で初恋をし、その子をいじめる事で関係を築こうという子供らしい恋でした。ある日、人伝にどうしていじめるのか聞かれた事がありました。驚いた事に向こうは私のことを好きだと言っていると言うのです。そこでまた逆言動をするわけでして、「ボクは嫌いだよ。だからいじめるんだ」などと言ったような気がします。
2014年01月18日
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本日の弁当は「野菜焼き飯」 さて、私が少年だった昭和中期の頃初恋は小学一年生の時。それ以前にはまったく恋を抱いた相手は存在しません。しかし、同じ頃だったと思いますが、隣りに住む二歳年下の女の子に追いかけられた経験があります。50年近く前の事ですが今でもハッキリと記憶してます。その子は私を見つけるなり「キャーっ、カッコイイーっ」と言いながら追いかけてくるのです。何を思って、何と勘違いして私をカッコイイと思ったのでしょう。そういう事があってもモテるという事が理解できない年齢であったせいか、自分はカッコイイんだという勘違いをせずに済んだのは幸運だったと思います。しかし、約2年ぐらいは追いかけられたような気がします。その子が小学校に上がる頃、私より好きな子が出来たと告白されました。心から「ああ・・・良かった・・・」と思ったと記憶してます。
2014年01月17日
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本日の弁当は「糸こんにゃくと野菜炒め」(たまねぎ・しいたけ・にんじん・もやし) さて、私が少年だった昭和中期の頃結局、小学生時代は後半に友人に恵まれたと言えますが、異性とはどうだったかを思い出してみますと、まずは初恋ですが小学一年生の時です。私はクラスでは背の低い方で、整列するときは低い順に並びますから前から3番目か4番目。その私より小さな女の子が同じクラスにいて、目が大きくてまん丸で、顔も真ん丸でとても可愛い子でした。男児は好きな女の子をよく虐めると言いますが、私もそうでした。虐める事でその子と何か切欠を作りたかったのでしょう。幸子ちゃんというんですが、意味もなく叩いたりして泣かせました。
2014年01月16日
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本日の弁当は「カレーライス」 さて、私が少年だった昭和中期の頃小学五年になるとN君とは別のクラスとなり、それ以降は校内で出会えば手を挙げて愛想笑いするぐらいの仲に落ち着きました。そして一年生の時に友人となったH君と四年ぶりに同じクラスとなり、その他の顔見知りの懐かしい面々が偶然にも多く揃いました。偉そうなガキ大将的な輩も居なかったし、クラスを引っ張る学級委員は勉強の出来る秀才タイプで、比較的大人しい雰囲気のクラスでしたので、そんな中でH君達といつも楽しく笑い、普段は引っ込み思案な私でも目立つぐらいの人物となり、とても幸福な時間を過ごすことが出来たのです。
2014年01月15日
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本日の弁当は「 豆 」 さて、私が少年だった昭和中期の頃親友H君と再び五年生で再会するまでは、北海道から越してきたN君が唯一の友人でした。このN君とは度々口喧嘩する事があって、数日間は悪口を言い合うのですが、何かの拍子に元に戻るのです。それは同じ様な性質だからかも知れません。どことなく見窄らしく、服も薄汚れたものを着て、算盤が苦手で給食もこっそり残して机の中に隠すなど、同じ事を偶然にもしていたのです。ある日、作文の時間にN君との事を書いた事がありました。半分以上は思っても居ない事を書いたのですが、喧嘩しても仲直りできる最高の友人だという雰囲気の内容を書きました。担任は作文の名前の横に赤い文字で評価の点数を書く癖があって、返却される前にこっそりと束ねられたクラス全員の作文をチラッと観た時、私の点数が90点だったので驚きました。普段は担任から作文が下手だと言われていた私ですが、きっと内容に高い評価をくれたのだと思います。
2014年01月13日
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本日の弁当は「ごぼうサラダ(コンビニ製品)」 さて、私が少年だった昭和中期の頃親友H君とは対照的に、比較的N君とは牽制し合う仲でした。特に鉄棒での遊びに「飛行機跳び」というのがあって、その飛距離を競い合ったり、お互いに相撲が得意だったので至るところで組み合ったりしました。下の図のような形で後方へ回転した勢いで鉄棒から手を放ち、前方への飛行距離を競うのが「飛行機跳び」です。 相撲も飛行機跳びも勝ったり負けたりで、お互いの負けず嫌い精神を刺激する事となったのですが、僅かの差で私の方が強かったのです。
2014年01月11日
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本日の弁当は「ハンバーグ弁当」 さて、私が少年だった昭和中期の頃取っ組み合いの喧嘩など全然しなかったんですが、小学三年生の時に北海道から引っ越してきたというN君とは、時折意地の張り合いなどをしたり、罵倒しあった友人でした。四年生までの二年間同じクラスで、あまり友人の居なかった私は、引っ越してきて孤独だったN君が唯一の遊び仲間。当時、北海道から名古屋まで3日掛かって引っ越してきたと言っていたのを思い出します。成績は悪いのですが、そこそこ運動神経が良いので何かと自慢げな事を言う奴で、相撲でも鉄棒でも私が一枚上なので、そこは主従関係が成り立ってしまい、私は少々上から目線で接していました。それが気に入らないN君は度々反発し、いがみ合う事となります。クラス中で算盤を習っていなかったのは私とN君だけ。そのふたりは教室の前に担任から呼ばれ、惨めにも算盤で簡単な足し算をやらされました。そういった共通点もあってか、やがて仲直りしていったわけです。
2014年01月10日
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本日の弁当は「しめじと玉葱の醤油ベース焼き飯」 さて、私が少年だった昭和中期の頃小学生時代の親友、H君とは喧嘩もした事がありません。喧嘩は仲の良い証拠と言いますが、私はそうは思いません。主従関係があるから喧嘩になるのではないでしょうか。必ずどちらかが折れて仲直りしたように見えるだけではないでしょうか。その点、H君とは主従関係がありませんから、意見の違いこそあっても自分の考えを押し付けようという所が無かったのです。そもそも誰とも取っ組み合いの喧嘩はした事がなく、せいぜい兄と取っ組み合ったぐらいです。
2014年01月09日
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本日の弁当は「すき焼き弁当」 さて、私が少年だった昭和中期の頃親友H君とは小学一年で出会いましたが、2年生から4年生までの3年間は別のクラスとなって疎遠になっていました。5年生で再び同じクラスとなって、自然と仲間となっていったのです。それまでは友人も少なく無口な児童でしたが、H君を筆頭に気の合う友人が数名出来てからは笑うことも多くなり、授業中に良く注意されたものです。当時はただ単に運動が出来て足が速いと言うだけで、ちょっとしたグループのリーダーに推薦されると言った、周囲からの引き立てを強く感じた時代でした。それもH君をはじめとする友人達からの引き立てが一番強かったように思います。ありがたい事でした。
2014年01月08日
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本日の弁当は「ピラフ&卵焼き&銀杏」 さて、私が少年だった昭和中期の頃小学生の頃のような友人は二度と得られない、と言った著名人が居たような気がしますが本当にそう思います。特に小学校一年生で出会った親友H君は、たまたま後ろの席に座っていただけで、何気なく話しかけた時から始まった友情でした。友情というと大げさでしょう。様々な力量において特に差があるわけでもなく、性質的に陰陽はっきりと区別できる訳でもなく、H君とは非常にバランスの取れた間柄だったように思います。差があるとすればスポーツは私の方が得意であり、家庭的にはH君の方がダントツに裕福です。背丈は私の方がやや低く、成績は似たような物。そして最大の近似点は、やや控え目な性格であった事です。ですから主従的な要素は無く、お互いの会話もどこか品があったように思います。
2014年01月07日
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本日の弁当は「ハンバーグ&ゆでにんじん」 さて、私が少年だった昭和中期の頃正月休みは親友のH君宅へ出かけるのです。H君宅は工場を経営していて、住まいが工場の中にあり、従業員の寮の空いた部屋がH君の部屋でもありました。ですから玄関先に立って「H君、あーそーぼー」などと声を掛ける事もなく、黙ってH君の部屋のドアをノックすれば良かったのです。他の空いた部屋もH君の姉や妹が部屋として利用していたと思います。その姉妹にも仲良くしていただいた事は今でも良く思い出します。
2014年01月06日
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本日の弁当は(休日出勤)「中華丼」 さて、昭和中期の私が少年だった頃小学5,6年頃の正月はほとんどが親友H君宅に行っていたと思います。子供ですので正月など関係なく、休日感覚で遊びに行っていたはずです。記憶にはH君のご両親からお年玉は貰っていないと思いますが、ひょっとして貰ったのかも知れませんが、お互いの親同士でお年玉をあげないという規定を作っていたかも知れません。そのような余計な気を使ったり、お年玉をくれないなんてケチだなんて思った記憶がございませんから、普通に遊びに行っていたのでしょう。正月特有の豪勢な料理をそこで食べた記憶もございませんが、雑煮の入った「ぜんざい」をごちそうになった覚えはあります。それは正月と言うよりも鏡開きの11日だったかも知れません。
2014年01月05日
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