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創心館の一期生(現高3生)たちが私立大学入試の本番に臨んでいます。朝早くから連日に及ぶ入試にも関わらず、試験が終わればいつものように塾に来て自習室の自分の机に。そして、翌日も朝から入試に臨みます。その一連の行動から、学習が習慣として身についているのがわかります。彼らは入試に限らず、高校でも定期テスト前になると自然と塾に足を運んできました。彼ら彼女らが創心館で最初に「熱血」を経験した生徒たちです。受験生になったとき、「明日からは長い熱血やな」と伝えました。その一言で伝えたいことは全て伝わるのです。言葉は大きな力を持っています。自分の中に具体的なイメージを持った言葉があるというのは大きなことで、テスト前に生徒たちの心の中に「熱血」という言葉が浮かぶだけでも、何かチャレンジすべきことにぶつかったときに「熱血」という言葉が頭をかすめるだけでも、創心館で「熱血」を続けている意味があると思うのです。文責:白数大介
2018.02.02
ここ数日、「なぜ創心館は滞在時間が長いのか」というテーマで書いてきました。とある保護者から「先生何かあったんじゃないか」とご心配のお声をいただきましたのでここで申し上げておきますと、決して何かあったわけではありません。むしろ何もありませんよ。ご心配をおかけして申し訳ありません。ただ、別の塾の先生が「生徒を長い時間拘束するのはダメだ」と書いてあるのを目にして、私たちが思い描いている指導をもう一度言葉にしておきたいと考えて長々と書き記してしまいました。世の中には本当にいろんな塾があります。その中でも私たち創心館はかなり特殊な部類に入ると思います。近年、塾業界でも消費者へのサービスを意識した言葉が飛び交っています。「安・近・短」などと言って「安い、近い、短い(指導時間が)」が良いなどと持て囃されています。実際、大手個別指導塾などはそういった方向に大きく舵をとっています。それも決して悪いことだとは思いません。そういった塾にも生徒は通っていて、その指導を気に入っているのであれば全然かまわないと思います。習い事と両立させようと思えばそういう塾も当然需要があるでしょう。ですから一貫して申し上げておきたいのは「良い、悪いではない」ということです。価値観の問題です。いろんな種類の塾があって、自分に合った塾を選ぶ、それこそが大切なのだろうと思います。この一連の記事はカテゴリを「創心館の理念」としています。創心館への入塾をお考えの方に「創心館とはどんな塾か」ということを知ってもらい、いろんな塾と比較検討していただいた上でご入塾してもらいたいと思い書き記してきました。幸いなことに、今創心館に通っていただいている生徒・保護者の方々にはこの一連の記事のようなことは十分にご承知いただいていると考えています。実際に晩ご飯の準備など大変忙しい中、多くのご協力をいただき、私たちは私たちの思うような指導をさせていただいております。保護者の方々のご理解・ご協力には大変感謝しております。今後も私たちの指導を信じてお子様をお預けいただいている保護者の方々のご期待に添えるよう、精一杯精進していきたいと思います。宜しくお願い申し上げます。文責:安延伸悟
2017.11.22
なぜ創心館では生徒たちの塾滞在時間を長く設定しているのか。前回のエントリーで「何かを習得するためには絶対に時間が必要だから」といった内容で書きました。今回はもう少しそのあたりを掘り下げたいと思います。「消費者意識」という言葉をご存知でしょうか。「同じ品物であるならばできるだけ安い値段で手に入れる消費者が賢い」という考え方です。例えば缶コーヒーを買うとしましょう。普通にコンビニや自動販売機で購入すると130円します。しかし100円で売っている自動販売機もありますね。そういった安いところを探すのは賢い行為です。またスーパーで買うと88円で売っています。もっと安いところを探すと68円で売っているところもあります。普通に買うのと比べるとだいたい半額で購入できます。同じものを半額で購入する、これは賢いことです。以上のような考え方を消費者意識とするならばスポーツや芸事や、そして勉強はその対極にあります。「同じ点数ならできるだけ短い時間で達成する生徒が賢い」というのは原理的にあり得ません。もちろん「理解する」という一点においてはそれは可能かもしれません。できるだけ分かりやすく教えてもらえば短い時間で「理解」はできます。しかし先のエントリーのように「習得する」となるとやはりある程度以上の練習時間が必要となります。長文が速く読めるようになるために、分かりやすくコツなどを教えてもらったとします。それでスラスラ読めるようになりますか?やっぱり自分で繰り返し練習するという作業が必要になります。数学の図形を解くときに、一本補助線を引くだけであっという間に簡単な問題に様変わりすることがあります。しかし補助線をどこに引くか教えてもらっても自分で補助線を引けるようにはなりません。難問を繰り返し解いてようやく、どこに補助線を引くのがいいのか自分の力で見いだすことができるようになるのです。いくらでも例を挙げることができますが、もうこれくらいでいいですよね。「理解する」と「習得する」は全く別の作業が必要となります。多くの塾は「理解する」というラインにとどまっています。塾ですのでそうそう分かりにくい塾などありません。どこの塾の先生も分かりやすい授業ができるようにと研鑽を積んでいます。ですから基本的に塾の先生の教え方は分かりやすいと考えてもらって構いません。ですが、それがイコール点数に繋がるかというとそうではありません。生徒たちはまだ「習得する」というレベルにまで到達していませんから。多くの塾は「理解する」に重きを置いていて、「習得する」のは生徒任せにしています。「分かりやすい授業だったでしょ。あとは家で復習して定着させておいてね」こういう塾が大半です。私はそういう塾を批判したいわけではありません。「分かりやすい授業を提供するところまでは塾の責任だが、宿題で定着させてできるようにするかどうかは生徒の責任だ」という塾があってもいいと思います。しかし私たちは「定着させてできるようになる」状態にさせるところまでが塾の責任だと考えています。ですからこれだけ長い時間拘束して定着するまで繰り返し勉強させているのです。一度「体育会系の塾だ」と言われたことがあります。言い得て妙ですね。私たちが目指しているのはそういう塾です。スポーツや芸事と同じです。繰り返し練習をし、できるようになるまで寄り添う、そんな塾でありたいと思っています。文責:安延伸悟
2017.11.21
昨日、創心館は滞在時間の長い塾だという話を書きました。今日はなぜ滞在時間の長さにこだわるのか、について書いていきます。なぜ私たちがそこまで滞在時間の長さにこだわるのか。正直言うと大変です。塾というのは夜遅くまで営業する業態ですから、次の日の朝の9時にオープンするというのは結構きついです。睡眠もかなり削っています。日曜日も基本的には開けていますが、それも社員の誰かが休みを潰して開けているのです。それでも私たちはそれが生徒のために必要だと信じているからやっています。だいたいスポーツでも芸事でも何かを習得しようと思えばそれなりの練習量が必要です。バットの振り方を分かりやすく教えてもらったからといって次の打席からホームランを量産することなど不可能でしょう。毎日毎日飽きることなく素振りを繰り返し、バットが体の一部に感じられるようになるまで延々と素振りを繰り返すはずです。またクロールの泳ぎ方を教わってすぐに泳げますか?どれだけ丁寧に手の動かし方を説明されたとしても、またそれを理解できたとしても、やっぱりできるようになるには実際に水の中に飛び込んで自分で試行錯誤しながら手を動かすときなのです。楽器だってそうでしょう。ピアノの指の動きを分かりやすく教えてもらったとして、簡単にショパンの幻想即興曲が弾けるようになりますか?幻想即興曲が弾けるようになるまで想像できないくらいの膨大な時間を練習に費やしているはずです。何かを習得したいならば一心不乱に努力することが必要だ、という例は枚挙にいとまがありません。人が何かを習得するにはそれが血肉化されるまで繰り返し練習することが必要なのです。ですから創心館ではかなりの長さの勉強時間を要求するのです。まだまだ書きたいことがあったのですが、長くなりそうなのでいったんここで切ります。次回、もう一度、今度は違う角度からなぜ創心館では滞在時間が長いのかについて書いてみたいと思います。文責:安延伸悟
2017.11.20
はっきり言うと創心館は塾生が塾に滞在する時間の長い塾です。定期テスト前の約2週間前になると「熱血期間」に入り、この期間は全員が毎日通塾となります。熱血期間の土日ともなると「9to9」といって朝の9時から晩の9時まで勉強してもらいます。これだけ塾に滞在する時間の長い塾もなかなかないでしょう。中にはその滞在時間の長さを否定的にとらえる人もいるかもしれません。中学生にそこまでやらせる必要があるのか?と。どちらが正しいというのはないと思います。価値観の問題です。私たちは「そこまでやらせる必要がある」と考えています。だからといって「そこまでやらせる必要はない」と考えている人を否定するつもりはありません。私たちは私たちが正しいと思っていることをするだけですし、私たちが正しいと思っていることを同じように正しいと思ってくれる生徒保護者に通ってほしいと思います。世間にはたくさんの塾があります。ひとつとして同じ塾はありません。どこかに自分の価値観と合致する塾があるはずです。ですから創心館では「滞在時間を短くしてください」というご要望にはお応えしかねますし、私たちは創心館の「滞在時間の長さを気に入って」通ってくださる生徒保護者を大切にしたいと考えています。創心館に通うからには「滞在時間の長さ」からは逃れられません。もちろん諸事情は考慮します。しかし「原則として」熱血期間は毎日塾に来てもらいますし、土日は朝の9時から晩の9時まで勉強してもらいます。なぜ私たちがそこまでこだわるのか。ちょっと長くなりそうなので次回続きを書いていきます。文責:安延伸悟
2017.11.19
「私塾界」という雑誌があります。塾業界専門の雑誌です。塾業界の人間なら誰でも知っている雑誌ですが、そこに創心館が掲載されました。一般の方の目に触れる雑誌ではありませんので、ここに記事をアップしておきます。1時間ほどのインタビューを受けたのですが、それを記事にしてくれました。かなり格好良く書いてくれていますね。少し恥ずかしいです。が、この記事に書いてある思いはその言葉のとおりです。これからも「成績を上げる」という部分に特化して精進してまいります。宜しくお願い申し上げます。文責:安延伸悟
2017.07.01
やる気がある生徒は伸びる、やる気のない生徒は伸びない。確かにそうなんでしょう。しかし、塾に来る時点でたとえそれが母親に言われて無理やり行かされたとしても全くやる気のない生徒というのはいません。どんな生徒も心のどこかでできるようになりたいと思っています。それは断言できます。ただ「勉強なんかどうでもいい」という発言をする生徒も僅かながらいるのは現実です。しかしそんな生徒も心の底から「勉強なんかどうでもいい」と思っているわけではありません。今まであまりにも「できない」という経験を積みすぎて、「勉強なんかできなくてもかまわない」という発言につながるのだと思います。だってできるようになるんだったら誰だってできるようになりたいですよ。だけどどうやっていいのかわからない、挑戦しても挫折してしまう、そんな経験を多く積めば、「もうどうでもいい」という発言に繋がるのも仕方ありません。創心館ではそんな生徒たちとも真摯に向き合います。少しずつ「できる」を積み重ね、実は生徒の心の奥底に眠っている「できるようになりたい」という気持ちを引き出します。それは本当に根気がいります。生徒もそうですし、講師の側もそうです。時間もかかりますし手間もかかります。それでも創心館に通ってくれているならばどんな生徒も伸ばしてやりたい、そんなふうに思って私たちは指導しています。おそらく他の塾ではそこまでできません。そこまでの環境を整えるのには膨大な労力がかかるからです。創心館では毎日自習に来ることを推奨しています。ちょうどこの記事を書いている今、土曜日の昼間の時間帯も中学生が何人も自習に来ています。そして先生をつかまえて質問攻めにしています。この環境を整えるのに人件費も膨大にかかりますが、何よりも「自習に行って質問しよう」という空気が生徒の中に当たり前のようにある、そんな雰囲気を作るのに相当な労力がかかるのです。他の塾ではなかなかできないというのはそういうことです。この雰囲気は創心館の伝統としてずっと受け継いでいきたいと思います。文責:安延伸悟
2017.04.22
定期テスト前は毎日塾に通ってもいいよ、という塾はわりとあります。定期テストに向けて毎日自習できます。もちろん追加料金はかかりません。そんな塾が増えてますよね。創心館はどうか。創心館では毎日来てもらいます。毎日来てもいいよ、では生徒たちは来ません。創心館は強制です。毎日来てください、です。来てもいいよ、というのは裏を返せば、来なくてもいい、ということです。それじゃあ生徒は来ませんよね。ただでさえ楽な方に流されやすい中学生です。そこまで自分に厳しくできるほうが稀です。創心館では「来る」か「来ない」かを生徒に選択させません。必ず来てもらいます。創心館では定期テスト2週間前から「熱血期間」に入ります。この熱血期間中は「必ず」「全生徒」に「毎日」塾に来てもらいます。もちろん土日も含めてです。定期テスト前、中学生が最も頑張らなくてはならない期間に塾に行くか行かないかを生徒の自主性に任せるというのはあまりにも危険すぎます。もし気分がのらなくてあまり勉強できなかったら取り返しがつきません。内申点制度のために、志望校を落とさなくてはならないかもしれません。そんなことにならないように、創心館では毎日塾に来てもらうのです。「来てもいいよ」ではなく、「来てください」なのです。文責:安延伸悟
2017.02.19
中2生たちよ、見ているか?先輩たちの姿を。いつ見ても同じ場所で同じ姿勢でひたすら机に向かっている先輩たちを。嗚咽を上げながら人目も憚らず涙している先輩たちを。頭を掻き毟りながら暗記プリントに対峙している先輩たちを。それが一年後の君たちの姿だ。人生を賭けた勝負がどんなものか。手に入れたいものを手に入れるためにどれほどの犠牲を払わなければならないのか。大きな目標に本気で取り組む人間がどれだけ活き活きとしているか。よく目に焼き付けておきなさい。それが一年後の君たちの姿。今のうちによく目に焼き付けておきなさい。文責:安延伸悟
2017.01.30
今日は中2の授業で「ウサギとカメ」の話をしました。君たちは「ウサギ」なのか「カメ」なのか。ウサギなんだったら時々休んでもいいよ。でもカメなら休んでいる場合ではない、と。ほとんどの生徒が私はカメだと答えました。そうであるならば、ウサギが遊んでいるときにもコツコツと勉強し続けなくてはならない。そこまでやって初めて勝てるんだ。私自身はと言うと完全にカメだと思っています。何をやるにしても人より時間がかかり、同じレベルに行くには人一倍の努力が必要でした。それを自覚してからはとにかく人よりも努力を重ねなくてはと、遊んでいる人を横目にコツコツと積み重ねてきました。人が遊んでいるときこそチャンス。ウサギが寝ているときこそチャンス。そんなふうに思いながら一歩ずつ進めてきました。時として、遅々として進まぬ自分の足に苛立つこともありました。何の苦労もなく軽くこなす人を羨ましくも思いました。それでも自分は自分であり、決して変えることはできないのであれば、恨み節を言っても始まりません。現状の自分をしっかりと見つめ、そしてそれを受け入れ、改善すべく全力で努力するしかありません。それは高校に行っても大学に行ってもそして働き始めても同じです。今日の中2の授業でこんな話をしました。
2016.10.15
塾の講師というものは判官びいきの人が多いのかもしれません。現状では点数が悪い、でも点数が取れるようになりたい。そのためにひたむきな努力を繰り返し、間違えては反省し、解けなかったときには悔しがり、難問が解けたときには満面の笑みで喜び、そんな生徒をこそ全力で応援したいと感じます。少々点数が取れるからといってそれに甘んじ、努力を怠り、頑張る者を馬鹿にする。そんな生徒のためには私たちは頑張れません。何より一緒にやっていて楽しくありません。私たちは頑張りたいと思う生徒を全力で応援します。優秀だとか真面目だとか、あるいは現在の点数だとか、そんなものは一切関係ありません。とにかく頑張りたい、そんな生徒のために私たちは私たちの人生をかけて応援したいと思います。
2016.08.03
皆様にとっては聞きなれない言葉かもしれませんが、塾業界には「飼い殺し」という言葉があります。「このままやっても成績は上がらないだろう」と思いながら生徒も保護者も満足して通わせてくれているので月謝をもらえる分だけもらっておこう、そんな考え方です。実際、大手塾やフランチャイズの個別塾などは「飼い殺し」が公然の秘密となっているところもあります。創心館では絶対にそんなことはしたくない、そんなふうに思って2年前にこの塾を立ち上げました。創心館に通う生徒は絶対に全員成績を上げる。もし私たちの力不足で成績を上げられないと考えればそのことを正直に伝えて退塾していただこう、と。退塾ということになれば見放されたと感じるかもしれません。しかし私たちは成績を上げられないと感じながらそれでもお月謝をいただく、そのほうが遥かに不誠実だと考えています。一度ご縁があれば、私たちはそれを大切にしたいと思います。しかし、私たちのキャパを超えているのであればつまり私たちの力では成績を上げられないと感じるならばそれはもう私たちの塾に縛り付けることは貴重な時間とお金を奪う不誠実な行為だと思います。例えばもし「塾の授業より祭りのほうが優先順位が高い」ということであればそれはもう私たちの力では成績を上げることはできません。創心館ではそういうタイプの生徒の成績を上げることのできるようなシステムはありません。自分の快楽を優先して、勉強は片手間で気が向いたときだけやる、それでも休んだ分はきっちり振替授業をし、効率的な授業で成績を上げる、もしかしたらそんな塾もあるのかもしれません。しかし私たちにはできないことです。できないと分かっていながらお月謝をいただくというような不誠実なことはしたくありません。それはもう創心館の在り方であり、私たちの生き様でもあります。どうかご理解いただけたらと思います。
2016.07.30
「創心館は宿題が多いから入塾するのは嫌だ」という声を時々聞きます。塾生の友達がそのようなことを言って創心館に入塾したがらないそうです。しかしそのあとに塾生に「宿題多い?」と尋ねても「いや、別に」という返事が返ってきます。どうなんでしょうね。私どもも宿題が多いとは決して思いません。適切な量だと思います。しかし、「他の塾と比べると」多いのかもしれませんね。創心館では成績を上げることを第一に考えています。そのためにすべきことがあるならばそれは当然してもらいます。宿題をやり切らなかったり小テストで不合格になったり、そんなことでは当然成績は上がりません。だからそういう場合には厳しく対処します。保護者の方から「成績を上げてください」ということでお月謝をいただいています。私たちも成績を上げたくて指導しています。生徒たちも当然成績を上げたいから塾に来ているのでしょう。そうであるならば中途半端なことはできません。何かを忖度して宿題の量を減らすことはしません。成績を上げるためにすべきことは必ずしてもらいます。もちろん部活の試合があったりでもしかしたら間に合わないこともあるかもしれません。だからと言ってやらなくていいわけではありません。遅れてでも必ずやってもらいます。小テストも必ず合格してもらいます。そんな当たり前のことをどれだけ丁寧に積み重ねていけるか。それが成績を形作るのだと思います。近隣の塾のホームページを見ていて、「30分ほどでできる宿題を出している」との文言があったので、こんなことを考えました。1週間に家庭学習が30分で成績が上がるのならばそれでもいいでしょう。創心館ではそれでは成績が上がらないと考えているのでもっと長い時間のかかる宿題を出しています。それを多いと判断されるならばそれでもかまいません。しかし成績を上げるために必要な量ですので、今後もこの量を減らすつもりはありません。
2016.07.19
創心館では営業の電話などは一切していません。例えば体験授業を受けていただいて、その後こちらから連絡することはありません。ご家庭でご相談いただいて、入塾の意思が固まりましたらお電話していただくようにしています。こちらから無理に勧誘して入ってもらっても覚悟が決まっていない状態で入塾したら続きません。また創心館では今のところ割引の類も一切していません。例えば入塾金を無料にするとして、今までに入塾金を払って入塾された方はどうなるのか?そんなふうにも思います。創心館には今までたくさんの生徒が入ってきましたが、入塾金を免除されて入塾された方はいません。全員が入塾金を払って入塾いただいています。塾業界もちょうど夏期に向けて集客の時期です。新聞の折り込みを見ると10社近くも塾の広告が入っていることもあります。そこで謳われているのはとにかく「無料」という言葉。中には1ヵ月もの間授業料が無料になる塾もあります。その間、他の塾生たちも無料になっているのでしょうか?もしなっていないのだとしたらちょっと不公平ではないでしょうか?前からずっと通っている生徒は授業料を払って新規に来た生徒は無料になる。それってちょっとおかしいのではないかと思います。また無料で授業をするならばどこかで経費を削らなければなりません。そして塾ではお金がかかるところは人件費しかありませんので、無料で授業をするということはすなわち働いている人の人件費を削るということになります。中で働いている人が疲弊するようなやり方で「無料」にするのならば、それはひいては消費者にも返ってくるということです。ただ働きをさせられて不満を抱きながら働く人が将来有望な生徒たちを指導する。そんなことがあってはいけないと思います。塾生からお月謝をいただいているのなら外部の生徒もお月謝をいただく。塾生に無料で提供しているものならば外部の生徒にも無料で提供する。メリハリが大切なのではないでしょうか。節操もなくとにかく「無料」という言葉で消費者を誘う。そんな塾業界に今日はちょっと苦言を呈してみました。偉そうな内容になってすみませんでした。
2016.07.12
創心館では今日も恒例の9to9でした。朝の9時には全員が塾で勉強を始めます。途中昼休憩と夜休憩をはさみながら夜の9時まで勉強を続けます。授業があった学年クラスは夜の10時まで。受験生たちは10時半まで勉強しました。明日も当然9to9です。朝の9時には集中モードに入ります。テスト前の中学生は「全員が」「必ず」塾に来てもらいます。これがもし「明日開いているので自習に来ていいよ」くらいのスタンスなら来ない生徒もたくさんいたでしょう。しかし創心館では特別な事情がない限り、全員が朝の9時には塾に来ます。中学生には強制力も必要です。あるいは大人だって強制力がないとなかなか続かないこともあります。まずは9to9を強制します。そうすることで点数が上がり、今度は強制でなくても塾に来るようになります。自ら勉強したいと思うようになります。そうなるためには一旦は強制も必要なのだと考えています。
2016.06.25
創心館では期末テストに向けて「熱血」が続いています。学校が終わってからすぐ、部活がある人は部活が終わってからすぐ、塾に来て勉強です。そんなに勉強させて可哀想でしょうか?とんでない。子どもたちはむしろ生き生きと勉強に取り組んでいます。今まで乗り越えなかった壁を必死で乗り越えようと努力しています。確かに大変ではありますが、その勉強を楽しんでいるようにも見えます。分からなかった分かるようになる。それは大きな喜びです。できなかったことができるようになる。それは大きな自信となります。創心館の指導は「点数さえ取れればいい」というものではありません。むしろ努力なしで取った点数など何の価値もないと考えています。点数を取ることを「目標」にはしますが、それは「目的」ではありません。勉強する「目的」は人間的に成長することです。ひとつひとつ目の前の目標をクリアしていくことで人生の大きな目的を達成してもらいたいと思います。
2016.06.17
創心館の生徒の驚異的な勉強量は一朝一夕にできるものではありません。初めからあれだけの勉強時間を稼げる生徒はいません。最初は誰もが集中力が続かず、かなりしんどい思いをします。まずは長時間机に向かうことから始めないといけません。長時間机に向かうことさえできないのに長時間の勉強量はありえません。最初は集中できていなくてもかまいません。とにかく机に向かうことです。長時間机に向かうことができるようになれば今度はだんだんと集中できる時間を長くしていきます。これも最初は苦しいでしょう。集中力が続かない自分に嫌気がさすかもしれません。しかしここで諦めてはいけません。長時間集中力が続かないのは当たり前です。それを鍛えに鍛えてようやくできるようになるのです。創心館の生徒たちはこのステップを全員が踏んでいます。最初からできる人は一人もいませんでした。最初はみんな苦労しながら、必死に汗をかきながら、だんだんとできるようになっていくのです。中3生などは9to9でもずっと集中していられます。なぜなら今までずっと鍛えてきたから。最初はできなかったものの、苦労しながらも鍛え上げてきたのです。一旦長時間の集中力を手に入れるとその後は驚異的な成績アップが見込めます。驚くほど学力が上がります。あれだけの量をやれば当然です。しかし「あれだけの量をやる」という地点に到達するのがいかに難しいことか。そこには信じられないほどの努力が隠されているのです。「あれだけ長時間勉強すれば誰だって成績が上がるよ」そんなふうに言う人がいるならば、こんなふうに言い返してやりましょう。「じゃあ、やってみろよ」と。長時間勉強すれば成績が上がる、そんなことは分かり切っています。しかしそれができないからみんな苦労しているのです。長時間勉強を継続していられる創心館の生徒は本当に素晴らしい能力を手に入れているのだと思います。
2016.05.23
「それがお前の限界か。」いい言葉ですね。いつもクラート君を描いてくれる子が「横に入れる文字は何がいいですか?」と尋ねてきたので咄嗟にでてきた言葉が上記の言葉です。そう考えると私はいつも限界に挑戦しているような気がします。もうこれくらいかな?と思ったときに「それがお前の限界か。」との声が聞こえてきます。いや、まだまだ限界なんかじゃない。まだまだ上を目指せるはず。そんなふうに問答しながら生きてきたように思います。クラート君の鋭い眼差しと、常に高みを目指し続ける言葉と。創心館の理念がうまく絵に表れているように思います。
2016.05.20
創心館では今日も朝から9to9でした。定期テスト前ということで多くの生徒が自習に来てくれましたね。創心館では定期テスト前の熱血期間は常に質問受けの講師が滞在しています。この環境を準備するというのは実は結構大変なことなのです。多くの塾が人件費を削る方向に舵を切っている昨今、広告宣伝費などを削って人件費に割くというのは時代と逆行しているようにも感じます。しかし私たちはそれでいいと思っています。成績の上げられない塾など存在価値がないと思っています。私たちは生徒の成績を上げ、志望校に通す、そのことを愚直に追求します。そのために必要なことは何でもするつもりです。とにかく今、目の前にいる生徒のために。今後も創心館の方針は変わることはありません。明日も朝から9to9です。ともに頑張って、過去最高点を目指しましょう。
2016.05.07
先日、創心館では中3生を送る卒業祝賀会を行いました。そのときに安延が中3たちに最後に話した言葉を書いておこうと思います。みなさん、卒業おめでとうございます。そして受験お疲れ様でした。みんな本当によく頑張りましたね。創心館2期生で頑張っていない生徒は誰一人いない。そんな素晴らしい生徒たちに囲まれて、私も一年間楽しかったです。みんなと一緒に受験を戦えて幸せでした。創心館の生徒でいてくれて本当にありがとう。さて、今日は創心館2期生がこれだけ集まるというのも最後でしょうから、今まで伝えていなかった非常に大切なことをひとつ伝えたいと思います。私は今まで授業の内外で再三にわたって高校入試はゴールではないと言い続けてきました。ではゴールとはどこなんでしょう?大学入試がゴールでしょうか?それとも就職でしょうか?ある程度お金を儲けることができるようになったらゴールですか?ゴールはどこにあるのでしょう。例えば、みなさんの保護者の方はどんな思いで君たちを塾に通わせてくれたのでしょうか?もちろん高校入試で志望校に合格してほしいという思いもあったでしょう。その先の大学入試でもできるだけいいところに入ってほしいという思いもあると思います。そしてもっとその先、自分の希望する仕事に就いて、生き生きと働いてもらいたいと思っています。そしてある程度の困らないくらいのお金をもらって、健康に暮らせて、人から信頼されて、人から感謝されて、愛する人に囲まれて、常に笑顔で過ごすことができる、そんな幸せな人生を送ってほしいと保護者の方は思っているはずです。これは例外なくどの保護者の方も君たちに幸せになってほしいと思っている。だから、君たちは絶対に幸せにならなくてはいけない。自分の人生は幸せだなぁとしみじみと感じながら、最後、生涯を閉じる、しいて言うならばそこがゴールです。幸せに生きるために、今君たちは努力を続けているのです。それでは幸せとはどういう状態でしょうか?先ほども言いましたように、健康で暮らせてある程度のお金があって、人から感謝され、信頼されて、愛する人に囲まれて、こんな人生が送れるならこれほど幸せなことはありません。私は君たちに人から感謝され、信頼される人になってもらいたいと思います。それでは人から感謝され、信頼されるにはどうすればいいのでしょうか?それはもう、とにかく人に与えることです。その人ができないことを代わりにやってあげる。できるだけ大きなものを、できるだけ多くの人に与えることです。大きなものを与えれば与えるほど大きな感謝を受け取ることができます。この中には医者になる人もいるかもしれません。事故で大けがした一人娘を外科手術で治療して一命をとりとめた、そんなことができれば心からの感謝の言葉をもらえるでしょう。先生、ありがとうございました。先生のおかげでうちの娘は助かりました。本当にありがとうございます。涙を流しながら感謝してくれるでしょう。こんなふうに人に心から感謝される人生というのは本当に幸せなものだと思います。もちろん君たち全員に医者になってほしいわけではありません。君たち一人ひとり、それぞれが自分の得意なものを持っていると思います。その自分が得意な分野で、とにかく勉強を続け、努力を続け、高い技術と知識を身につけ、そしてそれを他人のために惜しげもなく使う。できるだけ大きなものをできるだけ多くの人に与える。そうすることで人から感謝され、人に信頼される人生が送れるのです。勉強は自分のためにするのではないのです。勉強は他人のためにするのです。創心館2期生は本当に努力家ばかりです。これから先もずっと努力を続けてくれるでしょう。そして将来的には高い技術と知識を身に付けてくれるはずです。その高い技術と知識を決して自分のためだけに使わないでください。どうやったら儲かるか、どうやったら楽ができるか、そんなふうに自分のために知識を使おうとすると人生は音を立てて崩れてしまいます。そうではなく、自分の知識や技術を使って人のために何ができるか、自分は何を与えることができるのか、そんなふうに考えながら過ごしてください。そうすれば自然と人から感謝される人間になるはずです。人から信頼され、人から愛される幸せな人生を送れるはずです。3月18日、そこでひとつの結果がでます。そこで出る結果は成功か失敗かというものではありません。ただ自分が進学する高校が決まるだけです。どこの高校に進学してもいい。どこの大学に進学してもいい。学歴は幸せを保証してくれませんが、努力は幸せを保証してくれます。次のステージが決まったらまた走り出しましょう。また努力を続けましょう。そして将来できるだけ高い技術と知識を身につけ、できるだけ多くの人を幸せにしましょう。自分の持っているものを他人のために使う。そして必ず幸せになってください。
2016.03.15
公立高校入試前夜。塾生たちはもう寝た頃でしょう。創心館の生徒たちは本当によく頑張りました。おそらくどこの塾よりも勉強時間は長かったでしょう。できる努力はすべてやりました。限界まで頑張りました。もうこれ以上はできないくらいやりました。あとは積み上げたものを出すだけです。きちんと実力が発揮できれば必ず合格します。だから落ち着いて、たとえ緊張してもその緊張感さえも楽しめるくらい余裕をもってください。君たちが受からなくて誰が受かる?だって一番努力したんだよ?試験開始の前に大きく深呼吸。そして目の前の問題に集中。それだけで受かるから。大丈夫。自信をもっていこう。塾生が何のトラブルもなくきちんと実力が発揮できますように・・・。
2016.03.09
創心館はほかの塾と比べて塾の滞在時間も長いですし宿題の量も多いと思います。そんなに塾にカンヅメにして子どもたちがかわいそうだと思う人も中にはいるかもしれません。創心館では勉強時間が多いことに対して子どもたちがかわいそうだとは全く思いません。むしろ「本来伸びる余地があったにもかかわらず、勉強不足のために伸びきれなかった」ほうがはるかにかわいそうだと思います。しかし「本来伸びる余地があった」とはなかなか気づけないのも確かです。自分なりに精一杯やって定期テストで400点を超えた。本人も嬉しいですし保護者も嬉しい、何一つ悪いことはないように思います。しかし、創心館でバリバリやっていたら450点を超えていたかもしれない。それが「本来伸びる余地」です。どこまで伸びるかはとことんやらなくては気づけません。「自分なりに」という枠の中だけでは決して大きく飛躍はできません。本来は大きく飛躍できたかもしれないのに・・・。そんなふうに持っている才能を最大限に活かしきれないというのはかわいそうなことだと思いますし、その子にとって不幸なことだと思います。だから創心館ではとことんやるのです。成績が良い生徒も悪い生徒も。450点超えたからそれで満足ではいけません。本来なら480点を超えたのかもしれないのだから。どんな段階にいる生徒でも限界まで頑張る。創心館が大切にしていることです。
2016.03.03
公立高校志望の中3生は今人生の岐路に立っています。私立高校入試が終わり学校でも本格的に公立受験校決定の懇談が始まっています。これで本格的に出願校が決まるということでどの生徒も慎重になっています。ちょっとした情報にも心が揺さぶられ、親や学校の先生や塾の講師の一言に志望校への気持ちが揺らいでいます。人生の大きな1ページとなる高校生活。本人たちにはそれほどの実感はないかもしれませんが、それでも自分で初めて決定する自分の進路。不安がないわけがありません。合格可能性が低いかもしれない、そんな一言で志望校を下げようかと考えますし、大丈夫、絶対受かるから、そんな一言でまた志望校への気持ちを新たにします。進路を決定するという初めての経験の中で彼ら彼女らは手探りで正解を探り当てようとしています。得体のしれない未知の生き物と一進一退の攻防を繰り広げています。どこに勝利への突破口があるのか暗闇の中でじっと目を凝らして見出そうとしています。まだ創心館ができる前、ずっと昔にこんな生徒がいました。高校なんてどこでもいい。いけるところでいい。どこだって一緒だ。勉強なんてしたくない。そんなことを公言している生徒でした。母親は心配でたまったものではありません。あれやこれや手取り足取り、高校の説明会にも連れていき、将来できるだけ有利になるように、また現状の力でいける高校はどこか、様々なことを考慮に入れて、彼女にぴったりの私立高校を見つけ出しました。無事に彼女は高校に合格。高校なんてどこでもいいと言っていたわりに、合格してからはすごく明るく生き生きとしていました。ところが問題は入学してからです。うまくいかないことがあるごとに、それを母親のせいにするのです。「私はこんな高校行きたくなかったのに」と。友達関係がうまくいかない、だからこんな高校行きたくなかったのに。勉強が難しくて全然楽しくない、だからこんな高校に行きたくなかったのに。部活動で先輩に目をつけられた、だからこんな高校に行きたくなかったのに。結局1年生の2学期が始まってすぐに高校を辞めてしまいました。彼女に少しでも自分の意思で高校を選んだという意識があれば状況は変わっていただろうと今でも悔やまれます。創心館では進路指導に極力塾の意思は挟まないようにしています。もちろん進学実績が出たほうが宣伝になるかもしれませんが、私たちは生徒の気持ちを蔑ろにした実績なんて欲しいとは思いません。実績などはあくまでも結果であって、ともに戦ってきた日々と比べると大した価値はありません。できるだけ冷静に客観的に合格可能性を伝えた後、だからこうしなさいなどとは決して言いません。最後の最後は必ず3年間通う生徒本人が決めなくてはならないのです。全ての一人ひとりの生徒が納得のいく進路先を見つけ出しそして充実した高校3年間を送ってくれたらと思います。我々大人にとっても高校時代の3年間は何歳になっても忘れられません。良かったことも悪かったことも含め全てが輝かしく思えます。今の生徒たちが何十年か経ったあとに、高校3年間のことを甘酸っぱくもありながら誇らしいような気持ちで思い返してくれるならば私たちにとってそれほど幸甚なことはありません。残りわずかとなりました。残りの期間も生徒たちのために全力で取り組んでまいります。
2016.02.16
圧倒的な努力をしたことがありますか?創心館では勉強に対しての圧倒的な努力を要求します。定期テストで満点に近い点数が取れる?それならばもっとレベル高いことをやりましょう。せっかく勉強するのですから、本当の限界までやりましょう。それが将来の大きな糧となります。将来、受験なんかよりも遥かに大きな壁にぶつかるときがあるでしょう。そんなときには限界まで頑張ったという経験が自分を支えてくれます。あのときあれだけ頑張れたのだから、今回の壁も自分なら乗り越えられるはず、そんなふうに過去の努力が今の自分に力を与えてくれます。限界まで努力したという経験は自分の自信につながるのです。結局今の生き方が自分の生き様を作るのでしょう。将来どんなふうになれるのかは今の行動が決めるのです。だから創心館では限界まで頑張ってもらいます。それが生徒たちの大きな自信になるはずですから。
2016.01.31
勉強は高校入試で終わりではありません。大学入試で終わりでもありません。ではいつ終わるの?決して終わることはありません。人は生きている間はずっと学び続けるのです。社会にでても毎日勉強の連続ですし、結婚した、子供が生まれた、そんなときも学び続けなくてはならないでしょう。子供が独立した、孫ができた、定年退職をした、そんなときも学び続けるのです。中学高校の勉強は将来学び続けるための大切な礎となるものです。その土台がないと論理的に考えることもできませんし、与件とされる前提を知らな過ぎても学びに差支えがでるでしょう。中学高校でしっかり勉強していればしているほど、歳をとってからの学びに勢いが出ます。学ぶというスキルを身に付けたうえで社会に出てください。いったん社会に出ると、勉強するというスキルは誰も教えてくれません。自分で勉強したい題材を見出し、それを独学で勉強していかなくてはなりません。そのための練習として中学高校の勉強があるのです。今やっている勉強が何になるのか?そんな疑問を誰しも持ったことがあるでしょう。今覚えた知識を直接使うことはないかもしれない。しかし、忘れてはいけないことを暗記するというスキルは身に付きます。2次関数を仕事で使うことはないかもしれない。しかし、論理的に順序立てて考えるというスキルは身に付きます。そういったスキルをしっかりと身に付けたうえで、今度は社会に出て本当に自分の役に立つことを勉強するのです。中学高校は社会に出るまでの練習です。その練習を怠れば、将来大きなつけを払わされることになります。今の勉強は将来必ず役に立ちます。ですからどの教科に対しても全力で勉強しましょう。
2016.01.29
『私たち皆にとって最大の危機は、高きを目指し失敗することではなく低きを目指して達成することである。』ミケランジェロの言葉だそうです。いい言葉ですね。創心館の理念にぴったりです。私たちは常に上を目指したいと思っています。その過程でこそ得られるものが大きいから。目標を低く設定し、それを達成してしまうことの恐ろしさよ。しかもそれである程度の満足感が得られてしまうので余計に質が悪いと思います。自分の限界はこれくらいと小さく見積もってしまいます。本当はもっと大きなことを達成できたかもしれないのに。自分で自分に限界は設けない。そうでなければ人は成長しません。今日のブログは自分自身に向けて、です。
2016.01.23
入試が刻一刻と近づいてきています。受験生たちの緊張し引き締まった面持ちを見ているとこちらも身の引き締まる思いになります。受験を経ることでどんなものが得られるのか、受験生たちは当然のことながら分かっていません。ただ志望校に合格したい、その一念で勉強に取り組んでいることでしょう。しかし志望校に合格するというのは決して最終的に手に入れたいものではなく、志望校に向けて必死に勉強に取り組むという経験こそが受験勉強を通じて手に入れられる最大の成果です。そしてそのことが分かるのは受験が終わった後なのです。受験とは志望校に受かるためだけにやるものではありません。志望校に受かるためだけなのであればランクを下げればいくらでも合格は手に入ります。しかしランクを下げて合格を手に入れたところでそんなものには価値はありません。受験勉強を通じて、何かひとつのものに全力で打ち込み、全てのものをなげうってでもそれを手に入れようとする、その過程こそが人を強くするのだと思います。入試まであとわずかです。受験生たちには大切なものを手に入れてほしいと思います。
2015.12.06
できるようになりたいという強い意志を持った生徒を見ているとこちらも気持ちの良いものです。一心不乱に教材に取り組み、頭を悩ませ、手を動かす。そんな生徒たちの姿を見ていると神聖な気分になります。強い思いというのはこれほどまでに人を真剣にさせるのか。熱血中はそんな姿を数多く目にします。こちらとしては環境を用意するだけです。頑張りたいと思えば存分に頑張れる環境。それを用意して待つだけです。この熱血期間中は授業に入っていない手の空いた講師が常に待機しています。いつでも質問受けできるようにするためです。そんな塾、なかなかありません。経営的な観点から見ると人件費を削ることが正義とされる中で、全く逆のことを創心館ではやっています。それもこれも頑張りたいという生徒を応援するためです。頑張りたいという生徒のために最高の環境を用意してあげたい。その思いだけです。経営がどうのこうのという考えは一切ありません。ただ、目の前の生徒のために。その思いだけで創心館はやっています。
2015.11.17
今日は私、安延の娘の創心館での初授業の日でした。「え?先生の娘さんってもうそんな年齢だっけ?」とお思いになりますか?私の娘はまだ5歳です。5歳から塾に通わせることにしました。5歳から勉強させるなんて可哀想?私は全くそんなことは思いません。むしろ勉強する環境を整えてやらないことのほうがはるかに可哀想なことだと考えています。勉強は嫌なものでしょうか?私はそうは思いません。5歳といえば何にでも好奇心を持つ年齢です。その時期にたっぷりと様々な情報に触れさせる、そのことで後の人生が豊かになるのだと考えています。小学校受験の問題でこんなものがありました。「冬、お風呂にいれるみかんに似たものは?」答えは「ゆず」ですよね。冬至のゆず湯を知っているかどうかが問われています。もちろん冬至の日にゆずをお風呂に入れるという風習を知らなくても生きていけます。しかし知っていれば楽しいではないですか。「今日は冬至だからお風呂にゆずを入れようね」家庭でそんな会話ができれば楽しいですよね。私は自分の作る教材に「自由への扉」という題をつけることがあります。勉強は自分の人生の自由度を高めてくれるものだと思っているからです。勉強をすることで英語が話せれば外国人と話す自由が手に入ります。数学を学べば論理的に思考する自由が手に入ります。国語を学べば難解な哲学書も読解でき、さらに多くの思考様式が手に入ります。勉強をすることで自分の持っている能力を引き出す。そしてその能力を使うことによって自由度が増し、人生をより豊かに生きていくことができる。勉強とはそんな、もっと前向きなものなのです。娘には将来やりたいことを選択できる自由を手にいれてほしいと思っています。そのためには勉強は早く始めるに越したことはない。ということで5歳からの通塾となりました。受験というプレッシャーが一切ない状態での勉強、本当に楽しそうにやっていました。今日は「勉強」の本来あるべき原点を見たような気がしました。
2015.10.10
信じられる大人との出会いこそ全て 世の中に塾は星の数ほどあります。 そのどれもが子どもたちのことを真剣に考え、日々指導にあたっていることはまず間違いありません。 子どもたちにとって、本当に信頼できる先生とめぐりあえるかどうかがその子の一生に大きな影響を与えます。 私も中学生のときに心から尊敬できる英語教師に会い、そこで人生が決まりました。 その先生のように厳しく、そして優しく、いつでも自然体で子どもたちと接することができる大人になろうと思いました。 自分が率先して一所懸命になり、その背中を見せられるような大人になろうと。 あれから十数年が経ち、私もそのときの先生と同じくらいの歳になりました。 まだまだ志半ばではありますが、ひと一人の人生を左右するような仕事に就くことができたことに感謝しています。 私たち、創心館には、父として、兄として、またもう一人の家族としてその子の人生に関わっていく覚悟があります。 そのため、保護者のみなさんと連絡を頻繁にとり、学校やご自宅での様子を含め、塾以外での様子も教えていただこうと思っています。 塾・ご家庭・学校が一人の生徒を囲み、同じ目標に向かって深くつながりあい、その子の可能性を最大限に引き伸ばせればそれ以上のことはないと考えています。 どうか私たちにみなさまの大切なお子さまを見させて下さい。 学力・姿勢両方の面で自立し、自信を持って社会に進んでいける人間を育てることをお約束いたします。
2015.09.24
中学生の間は義務教育です。「この知識だけは必ず習得して社会に出てほしい」という社会からの要請のもと、指導要領が作られ、そして各中学校で指導されています。ですから音楽や家庭科などのいわゆる副教科と呼ばれる科目でさえ、それは習得しなくてはならないものだと考えています。中学までの内容で必要のないものはありません。私自身は高校内容でも全て必要だと思っています。ましてや中学内容で不必要なものはありません。「将来数学は使わないから」という理由を述べて苦手な数学から逃れようとする生徒がときどきいますが、本当に将来数学を使わないのですか?と問い直したいと思います。理系に進まないからといって数学を全く使わないとは限りません。会社に入って会計を任されるかもしれませんし、経営幹部になって市場調査をすることもあるかもしれません。売り上げ予測や金利の計算、損益分岐点の算出など数字を使う仕事はたくさんあります。数学をやらないということは、それらのどの選択肢をも捨てることになるのです。中学までの数学さえも身についていないならば、そういった仕事をすることは難しいでしょう。今の生徒が社会に出る頃、社会も大きく様変わりしているはずです。今は存在しない職業に就く人も多くいるかもしれません。そんな不確かな世の中を強く生き抜いていくには、せめて中学生レベルの勉強は全て身につけておきたいところです。今は何に使うか分からないその知識も、将来きっとあなたたちの役に立ってくれるはずです。ですから、今は一生懸命勉強してください。
2015.08.14
おかげ様で創心館を開塾して今日でちょうど1年が経ちました。私どもがここまでやってこれたのは本当に皆様のおかげです。何の実績もない私たちを信じて、大切なお子様を預けてくださり本当にありがとうございます。創心館は組織塾のような立派な構えもありませんし、綺麗なチラシを作っているわけでもありません。何もかもが手作りで、必要最低限のものしかなく、皆様にはご不便、ご迷惑をおかけしたこともあるかと思います。申し訳ありません。それでも指導に関しては絶対的な自信があり、生徒に対する熱さはどんな塾にも負けていないと自負しております。生徒の成績を伸ばすために必要なスキルやノウハウなどは他塾に負ける理由が見当たりません。それほどの絶対的な自信がありますし、そもそもそれだけの自信がなければ新たに塾を立ち上げる意味もありません。私たちはこれからも生徒の成績を「爆発的に」伸ばします。そのために邁進します。塾のリソースを全てそこに注ぎ込みます。そして、「成績向上」というツールを用い、生徒の人間的な魅力も伸ばしたいと考えています。塾の役割は何か?志望校合格?成績向上?それはもちろんです。それなくしては塾は成り立ちません。創心館では「爆発的な」成績向上は大前提として、それにプラスして生徒たちの将来に渡る人間力をも鍛えたいと思います。傲慢でしょうか?傲慢かもしれませんね。でも私たちはそこに挑戦したい。それが創心館の存在意義です。塾が乱立する中、新たに塾を立ち上げる理由です。創心館はまだまだ進化し続けます。常に成長し続けます。前に進み続けます。どうか、皆様、今後とも創心館の熱さにお付き合いいただければと思います。宜しくお願い致します。
2015.03.20
先日、ある生徒に「何のために勉強をするのか?」と尋ねられました。この疑問、中学生にとっては永遠の課題なのでしょうね。私たち大人にとっては中高の勉強はその後の人生を生きる上で、非常に大切なものだということは身に染みて分かっています。しかし、年端のいかない生徒たちにとっては分からないものなのでしょう。それはある意味仕方のないことなのです。「何かを学ぶ」という動作が、構造的に含有する矛盾のようなものです。どういうことか?「勉強をする意味」というのは事後的にしか分かり得ないものなのです。ある能力を身につける前と身につけた後ではまるで別人であるかのように見える世界が違ってきます。ですから、ある能力を身につける前の自分が、身につけた後の自分が目にするであろう世界を予め感知することはできないのです。もっと分かりやすく説明しましょう。とある小学1年生がいます。彼は「ひらがなを学ぶ意味が分からない」と言います。日常会話はできるのだからいいじゃないか。なんでこんな思いをしてまでひらがなを学ばなくてはならないのか。大人は説明します。ひらがなを学ぶと本も読めるしいろんな「良いこと」があるよ。と。しかし、彼がそのことに「納得できない」と言ったらどうでしょう?彼はひらがなを学ばなくてもいいのでしょうか?そんなことはありません。無理やりにでもさせなくてはなりません。結果、彼はひらがなを学びました。ひらがなを身につけてからは彼の前に大きな世界が広がりました。ひらがなを学ぶ前にはこんな広い世界が開けるとは想像もしていませんでした。大人の言うとおり、ひらがなを学んで良かったと思ってくれるでしょう。ひらがなを学ぶ前の自分は、ひらがなを学んだ後の自分が見る世界を想像することはできないのです。これが「学び」というものの本質が構造的に抱える矛盾です。中高生は今、「学び」の真っ只中にいます。「何のために学ぶのか」という理由が明確に掴めないのも仕方ありません。もちろん手を変え品を変え、私たち大人は勉強する意味を子どもたちに伝える義務があります。しかし、その言説に納得できないと言われたからといっておいそれと引き下がるわけにはいきません。子どもたちは知識を身につけた後に見える世界に思いを致すことができません。しかし私たち大人は知っています。中高の勉強を身につけた後、いかに世界が広がるのかを。だからこそ、時に私たち大人は子どもたちに勉学を「強いる」ことが必要なのです。中には勉強する意味を自分なりに見つけ、それに向けて努力を続けてくれる生徒もいます。それはそれで非常に素晴らしいことだと思います。しかし、そういった生徒でさえも「勉強する意味」を本質的に理解できてはいません。いや、本質的に理解することは不可能なのです。私たちが子どもたちに勉強させるとき、常にこのことを念頭に置いておかなくてはなりません。基本的にどんな子どもであっても、「勉強する意味はよく分からないけど、やれと言われるからやる」という状態に置かれているのです。だからこそ、勉強させるというのは、ある意味「理不尽」なことを強いているのです。教える側に立つ者はそのことを十全に認識した上で、覚悟と責任を持たなくてはならないのです。ここ数日、ブログの内容が「しつこい」という言葉を耳にしております(笑)誠に申し訳ありません。正月休みで少し気がおかしくなったのかもしれません(笑)明日からは冬期講習の後半戦が再開されます。このブログも「いつもの」内容に戻りますのでご安心ください。今後とも創心館のブログを宜しくお願い申し上げます。
2015.01.03
2015年1月2日。世間はまだまだ正月気分を満喫しているでしょうが、創心館ではすでに走り始めています。今日が仕事始まりの日。当然受験生の中には朝の9時から自習に来ている生徒もいます。もちろん正月なので家庭の事情や方針で来ていない生徒もいます。そういった生徒を責めるつもりは毛頭ありません。ご家庭によっては年始の挨拶で親戚をまわることを大切にしてらっしゃる家庭もあるでしょうし、正月くらいしか家族全員が揃うという日がないといった家庭もあるでしょう。また非受験生であるならば、正月特有の凜としていながらもどこか弛緩した雰囲気の中で過ごすことも、日本人としての文化継承の観点から見ると大切なことだと思います。ではなぜ創心館では正月2日から塾を開けるのか。それにはいくつか理由があります。まず第一に、当たり前のことですが、勉強は継続することが大切です。継続することが大切だと言いながら、塾を閉めていては説得力がありません。継続して勉強できるような環境を整えることも塾の役割だと考えています。そしてもっと重要なことは創心館という「場」を大切にしたいということです。創心館は一人のスーパーカリスマ講師が牽引するような塾ではありません。また大手のように入塾試験を課し、一定以上の偏差値基準が担保された上でカリキュラムに則り授業を進めていく塾でもありません。創心館は、講師一人ひとりが常に生徒のことを考え、行動することで、結果として大きな力を発揮するというタイプの塾です。講師全員が常に生徒のことを考え、一人ひとりに寄り添い、苦手分野をひとつずつ克服していく、そんな人海戦術で成績を伸ばす塾です。そうであるならば、正月といえどもいつもと同じ時間、同じように塾を開け、そして勉強したいという生徒を受け入れる。そうでなくてはならないと考えています。生徒に継続した地道な努力で成績を伸ばすことを課す塾ならば、私たち自身も継続した地道な努力を積み重ねなくてはなりません。そんな小さな塾の意地とプライドと使命感で創心館は正月も塾を開けるのです。あともう一点、これが最大の要因ですが、講師たち全員が「自分が正月は開ける」と言って聞かないのです。「正月は俺が開けるからみんな休んでくれていいよ」「いやいや、僕は最初から出勤する予定だったんで、みんなは休んでください」「えー、俺今年は実家に帰る予定ないから、俺が開けようと思ってたのに」そんなふうに、講師たち全員が仕事だからという義務感からではなく、生徒のために、そして創心館のために、正月は自分が出勤すると言って聞かないのです。31日、1日も開けることはできましたが、さすがに労務管理の面から閉めることにしました。しかし、2日と3日は講師たちの気持ちを尊重して開けることにしました。正月に塾をオープンすることが他の塾との差別化となるか、といえば決してならないと思います。マネしようと思えばすぐにでもマネできるからです。しかし、自ら手を挙げ、塾を開けたいという講師が全員であるという点はそうそう真似できることではありません。やれ上から言われたから仕方なく出勤するだの、やれ正月手当てはどうなっているかだの、正月に塾を開けることは従業員の不満を増幅する危険性があります。生徒たちだって講師が不満を抱えながら塾を開けるくらいなら閉めてもらっても全然構わないと思いますよね。結局正月に開けるというのは経営者の自己満足に過ぎないことが多くあります。しかし、創心館では講師たちが塾を開けたいから開ける、その気持ちだけで正月も開けています。何の衒いもなく、ただいつも通りに塾を開けたい、ただ生徒の顔が見たい、ただ生徒の拠り所でありたい、そんな気持ちでのみ正月も開けているのです。この小さな創心館という空間に、そんな大きな講師たちの理念が充満しているのです。創心館は今大きくなりつつあります。生徒数がどんどん増えています。今年は更に人数が増えることと思います。しかし、私たちは「とにかく生徒のために」という私たちの存在理由を決してなくすことなく、地道に、相変わらず「目の前の生徒のために」ということを徹底していこうと思います。今後とも創心館をどうぞ宜しくお願い致します。
2015.01.02
2014年、大晦日。間もなく2014年が幕を閉じようとしています。2014年。私たちにとって今年は本当に激動の一年でした。安定した職場を捨て、会社の看板の力を借りずに腕一本でどこまでやれるのか、裸一貫で始めて、自分たちの能力がどこまで通用するのか、そんな大きな挑戦をした一年でした。最初に用意できた資本金はごくわずか。最初の頃は看板さえない塾でした。机とイスとホワイトボード、たったそれだけを用意してスタートした創心館。そんな何の実績も肩書きも信用もまだない創心館を、それでも信じて門をくぐってくれた生徒や保護者の方には感謝してもしきれません。この場を借りて厚く御礼を申し上げます。創心館を、そして私たちを、信じてくださってありがとうございました。この沢之町の地に創心館が誕生し、約9ヶ月が過ぎました。その間、私たちは様々なご縁をいただきました。皆様から多くのことを学び、教えてもらいました。毎日が試行錯誤の連続で、修羅場で、戦場でした。それでもここまでやってこれたのは本当に地域の皆様のおかげです。私たちは多くのものを与えてもらいました。大きく成長させていただきました。2015年。私たちは更なる進化を目指します。地域の皆様にいただいた御恩をお返しできるよう、誠心誠意、尽くすことを誓います。今後ともご指導ご鞭撻のほど宜しくお願い致します。
2014.12.31
受験とは当日の点数で合否を決めるという極めてシンプルな戦いであるがゆえ、そのことが逆に受験生を不安にさせ、ときには勉強に手がつかないほどの恐怖に駆られ、そんな恐怖から逃れようとするかのように、志望校のランクを落とすという選択をする生徒もいます。もちろん現実的な判断は必要です。学力が明らかに足らないのに志望校に拘泥し、玉砕覚悟といって受験するのも賢明ではありません。しかし、今の時期の受験生に冷静沈着な判断が下せるでしょうか。特にギリギリの受験をしようとしている人はもう受からないのではないか、全然学力が足らないのではないか、そんな思いに頭の中が支配され、志望校のランクを下げればどんなに楽か、そういった方向に意識が向くようになります。ここが踏ん張りどころです。厳しい言い方ですが、不安だと言って勉強の手を緩める暇はありません。不安を解消する唯一の方法は勉強することです。悩んでも不安が増大するだけです。不安を癒すことができるのは唯一勉強することだけなのです。大学受験生は志望校のプレテストが返却される時期です。プレテストで重要なのは判定でも偏差値でもありません。同じ学部内の順位なのです。志望する学部の定員が何人か?そして自分は全受験生の中で何番にいるのか?定員の中に入っていれば合格です。定員の中に入っていなければ不合格です。このプレテストが本番当日の試験なら、そういった厳しい評価が下されるのです。まだまだ子供と言っても差し支えのない年齢の子たちが、そのような厳しい現実と対峙しなくてはならない。精神的にはかなりきついものがあると思います。しかし、そのような厳しい現実を前にして、自分はどのように振舞うのか。大きな壁を前にして、諦めてしまうのか。それとも最後まで抗おうと必死で戦うのか。今、目の前の選択肢にどのような答えを出すのか。それが君の10年後、20年後の生き様を作るのです。センター試験まであと1ヶ月を切りました。正確に言うとあと28日です。28日後には否応なく現実的な判断をしなくてはなりません。そのときまでは必死に戦おう。まだまだ諦める時期ではない。
2014.12.19
私立入試まで100日を切ろうとしている秋休み中に、創心館の壁に入試までの通塾一覧表を張った。創心館の中3生は女子が多いせいか、ものごとをきちんと進めたい生徒が多いように思う。テスト前にも学校から配られる学習予定を丁寧な字で埋めている生徒が多い。こちらからの働きかけでなく、自分たちが日々、明確な目標と達成感を持って進めるか。それが、最終的に志望校に届くかどうかの基準になると思う。その一助となればと思い、でかでかと壁に貼ったわけである。一覧表の上に貼った高村光太郎の詩「道程」私が中学の卒業式で、尊敬している恩師に送られた思い出深いもの。あの時は何も感じなかったが、あの時の先生ぐらいの年齢になってこの詩を中3生に送りたいと思った。中3生には、ここから自分で自分の道を創っていってほしい。
2014.11.04
先日、ある人に「勉強に大切なのは質か量か?」という質問をいただきました。難しい問題ではあります。質も大切ですし、量も大切です。どちらが?と言われてもなかなか甲乙つけがたいものです。しかし、創心館ではひとつの答えを持っています。それは「まずは量が大切」です。このことは創心館の講師たちで一致した見解です。量をなくしては質は生まれません。量をこなしていくなかで、だんだんと質の良い勉強とは何かが見えてくるのです。例えば、野球が上手くなりたいとしましょう。質の良い練習とはどのようなものなのでしょう?泥臭い千本ノックや、毎晩の素振りをしないで上達するような質の良い練習なんてあるのでしょうか?もしそんなものがあるのならば、高校球児たちはなぜあんなにも練習しているのでしょうか?質は量をこなす中からしか生まれません。毎日毎日泥臭い千本ノックを繰り返し、毎晩毎晩飽きもせず素振りを繰り返し、そんな中からようやく、質の良い練習が生まれるのです。ボールがバットに当たった瞬間、ボールの行方を予測できる能力はどのように培われるのでしょう?バットを腕で振るのではなく、腰を使って振るという感覚はどのように培われるのでしょう?そういった能力は毎日の不断の努力の中から生まれるのです。勉強に「質」はもちろん大切です。しかし、その「質」は「量」をこなすことでしか培われないものなのです。「まずは量が大切」これが創心館の一貫した見解です。
2014.10.11
先日の「赤ペン貸しては許されない」の記事では言葉足らずの部分がありましたので、補足させていただきます。先日書いた記事では「赤ペン貸して」が許されない理由として、端的に言うと「人の邪魔をするな」ということでした。「赤ペン貸して」を許さない理由としましてはもうひとつあります。それは、「赤ペン貸して」を許してしまうと、そこから自習室の雰囲気が一気に騒がしくなってしまうということです。最初はコソコソ話から始まり、その頻度が多くなり、話をする人が多くなり、話し声が大きくなり・・・。まるでひとつの蟻の穴が大きなダムを瓦解させるかのごとく、自習室の雰囲気は崩壊してしまいます。その状況から静寂を取り戻すのは非常に大きな困難を伴います。ですから「赤ペン貸して」という小さなところから注意していかなくてはならないのです。自習室を静寂に保つということは相当な労力を必要とする作業なのです。入試当日とは違う雰囲気で勉強していたら入試当日に力が発揮できないのではないかという懸念をお持ちの方もいるかもしれません。つまり、入試当日は必ずしも静寂の中でテストを受けられるわけではない。隣の人の咳がうるさいかもしれない。そんな中でも集中できるようにするべきではないか。おっしゃることは非常によく分かります。しかし、イレギュラーは自習室でも起こります。突然の来客もありますし、電話が鳴ることもあります。入試当日に起こるレベルと同じレベルで自習室でもイレギュラーが起こりますので、十分、その対策はできるのではないかと思います。また、イレギュラーを想定して自習室を騒がしくするのは本末転倒かとも思います。ただ、入試当日とは違う雰囲気で勉強していたら危ないのは確かです。例えば、日頃音楽を聞きながら勉強していたら、入試当日は力を発揮できないでしょう。入試の際には音楽を聞きながら解くことはできません。また深夜の静寂に慣れている人も要注意です。深夜の静寂は、まさに文字通り「物音一つしない」環境です。その環境にあまりにも慣れすぎていたら、入試当日は周りの雑音が騒がしく感じられるでしょう。創心館ではこの2学期の間、自習の時間にどれだけ点数を上げることができるかという部分に注力しております。そのために広告宣伝費を削り、人的リソースを投下しております。「生徒の成績を上げる」という部分以外の仕事は大幅に減らしています。生徒がいる時間は極力多くの講師が教室に滞在している状況を作ろうとしています。安延も白数も生徒がいる時間帯は他の一切の仕事を先送りにして、とにかく生徒の横について質問に答えようとしています。他の塾では冬期講習に向けての集客を考え始める時期です。経営のことを考えたら、他にやるべきことはたくさんあるのでしょう。しかし創心館では積極的に集客を行うのではなく、「いかに自習の時間に点数を上げられるか」の一点のみに会社の全てを注ぎ込む覚悟をしています。「自習室が使える」と謳っている塾はたくさんあります。しかし、その自習室に通うことで点数が上がるのでしょうか?もしかして友だちと遊び感覚で自習に通っているのかもしれません。創心館の自習室は「点数の上がる自習室」でありたいと考えています。そのためには静寂に包まれた凜とした雰囲気の自習室が絶対的に必要だと考えています。
2014.09.08
今日も創心館では9 to 9です。受験生を中心に朝の9時には塾に到着し、今では静寂の中、自習をしてくれています。静寂に包まれた自習環境というのはありそうでなかなかありません。家では家族が何かしらの活動をしていますし、図書館では人の行き来が気になります。塾であってさえも、全員が集中モードに入っているような静寂に包まれた自習環境を作るのは容易ではありません。生徒が高校生ばかりならばそういう環境は割と簡単にできるのですが、中学生がそこに混ざるとなかなか難しいのが実情です。例えば自習している最中に後ろの生徒に「赤ペン貸して」と声をかける生徒がいます。もちろんこちらは「しゃべるな」と言って注意します。しかし、本人は「しゃべってないで、赤ペン借りようとしただけやもん」と言います。結局、自分が悪いとは微塵も思っていないわけです。「赤ペン貸して」と言って後ろの生徒に話しかけることによって後ろの生徒、そして周りの生徒がどれほどの迷惑を被っているのかに気付けていないのです。「赤ペン貸して」と後ろの生徒に話しかけたとき、後ろの生徒は何をしていたか?数学の難問に集中して取り組んでいたかもしれません。そしてもう一歩のところで解法を導き出せたかもしれません。それを突然の「赤ペン貸して」で中断させられてしまったのです。その数学の難問が解けていれば、その生徒の中に新たな思考の枠組みが構築され、入試当日、数学を武器として抜群の力を発揮したかもしれません。それを突然の「赤ペン貸して」で遮られてしまったのです。赤ペンを忘れるというのは完全なる自分の不注意でありながら、他人の都合も考えず勝手気ままに話しかける、その行動は非常に罪深いことなのです。高校生くらいにもなると、そのあたりの分別がつくようになります。たとえ上のような大げさなことを考えていないとしても、単純に自分が集中しているときに声をかけられたら嫌だから自分も声をかけないという理由で、むやみやたらに周りに声をかけることはしません。しかし中学生はまだまだ子どもです。自分を中心として世界は回っていると考えています。あるいは、そこまで人の感情を忖度することができません。だからこそ、中学生のいる自習室で静寂を保つことは非常に困難なのです。自習できると謳っている塾はたくさんあります。しかしその自習環境をどれだけ注意深く作り上げているか。その自習環境がどれほど静寂に包まれているか。創心館では常に自習環境を慎重に作り上げていきたいと思います。
2014.09.07
個人的な意見をひとつ。生徒たちにどんな大人になってほしいかというと、最終的に就職活動で勝ち残れる人材になってほしいと思います。就職できるということは、とりもなおさず、その企業から、その人に「いてほしい」と思われるということです。私も採用の側にまわる経験もしていますが、どんな人を採用するかというのは学歴や能力とはあまり関係がありません。とにかくその人と一緒に仕事をしたいと思うかどうかが判断基準です。仕事をするということは、苦しいときも辛いときもともに戦うということを意味します。そのときに、その人と一緒なら乗り越えられると感じられるかどうかという点が採用の大きな判断基準になります。特に大手は膨大な数の学生が応募します。その中から、企業に選び取ってもらえるというのは本当にすばらしいことだと思います。その企業に、一緒に働いてほしいと思ってもらえたということですから。君のような人柄の人と一緒に仕事がしたいと思ってもらえたということです。君のような「学歴」とか、君のような「資格」とかそんなものではありません。君のような「人柄」の人と仕事がしたいと思われたからこそ採用されたのでしょう。生徒たちには、企業の側から「一緒に働きたい」と思ってもらえるような人材になってもらいたいと思います。では、どんな人だったら一緒に働きたいと思うのでしょうか。ここからは完全に個人的な意見になりますが、「中学3年間ずっと補欠だったが、一回も部活を休むことなく、とにかく愚直に練習に参加し続けた」という人と一緒に働きたいと思います。または、「なかなか成績が上がらないけれど、決してあきらめることなく、心が折れそうになろうとも、必死に食い下がってきた」という人と一緒に働きたいと思います。「涙を流すほどの努力をした結果、残念ながら第一志望には落ちてしまった、でも、滑り止めの学校でもコツコツ真面目に努力を続けてきた」という人と一緒に働きたいと思います。仕事はうまくいくことばかりではありません。ときにはきつい時期を歯を食いしばって耐えなくてはならないこともあります。プールの中を歩くように、なかなか思うように手足が動かず、うまく前に進めないこともあります。そんなときにも、決して目の前の仕事を投げ出さず、最後まで責任を持ってやり遂げる、そんな強い意志を持っている人と働きたいと思います。私は生徒たちにそんな人間になってもらいたいと思っています。企業から一緒に働きたいと思ってもらえるような人格を身につけてもらいたいと思います。常日頃から、そういう思いを持って生徒たちと接しています。私の教え子たちも、初期の頃の生徒は社会に出始めています。中堅高校に進んだけれど、努力して難関大学に受かり、最大手の企業に入った教え子もいます。トップ高から旧帝大に進んだものの、就職活動で厳しい戦いを強いられている教え子もいます。必要なことはいろいろありますが、真面目さ、素直さ、明るさ、溌剌さ、年上から可愛がられる愛嬌、そして何よりも大切なのが、ひとつのことに全てを投げ打ってでも挑戦してきたかという経験だと思います。穴は広く浅く掘るのではありません、狭く深く掘るのです。とにかく今目の前にある穴を深く深く掘り下げていく。いろんな経験を、ということも大切かもしれません。しかしそれより大切なのは、ひとつの経験をとにかく深く、ということです。深く深く掘り下げた穴の外に数年後出たとき、今まで見えていたものと全く違うものが見えるようになっているでしょう。今、お預かりしている生徒たちも、将来、人に必要とされる人間になってほしいという思いを常に抱きながら指導をしていきたいと思います。
2014.07.01
創心館を一言で表すと、「教務力の創心」ということになるでしょうか。創心館に来てくれると圧倒的に成績を伸ばすことができると自負しています。生徒の成績を上げるためならなんでもする。そう心に誓って塾をやっています。創心館であれば、普通の塾では決してできない圧倒的な成績アップをすることができます。もちろん、それに伴う負荷はかなりのものになるでしょう。定期テスト前は毎日塾ですし、土日は9to9で12時間オープンです。また、受験生は定期テスト関係なくほぼ毎日塾に来ています。これだけやれば普通は上がるでしょ?と思われるかもしれません。確かにこれだけやれば点数は上がります。問題はそれだけの量を生徒がやれるかどうかです。いやいややらされている状況ではこれだけの勉強量は捻出できません。並みの塾ではここまで生徒を頑張らせることはできないと思います。創心館では、これだけ厳しい通塾条件でも、生徒は楽しそうに通っているという点が他の塾とは決定的に違います。生徒たちは自ら毎日塾に来て勉強しています。自ら成績を上げたいと心から思って塾に来ています。学校が終わったらすぐに塾に来て勉強します。晩ご飯の時間に一旦家に帰り、晩ご飯を食べたらすぐに塾に戻ってきて勉強をします。それを特に塾側が強制することなく、生徒が自らの意志で行っているのです。創心館には生徒をそんなふうに変える空気があります。やりたい、頑張りたいという気持ちにさせる雰囲気があります。それこそが圧倒的な成績アップを可能にする創心館の教務力を支えているのです。
2014.06.27
勉強に関して、創心館で強く意識していることがあります。それは「消費者心理」を勉強に持ち込まないこと、です。「消費者心理」というものがあります。消費者は同じ品物を買うのであれば、より安い値段で買うのが賢いとされています。同じ商品を買うならば、コンビニで高い金を出して買うのではなく、隣のスーパーで安売りのときに買う、それが賢い消費者です。それは確かでしょう。しかし、その心理を勉強にまで持ち込む生徒がいます。同じ80点を取るにしても、より少ない労力で80点を取ったほうが賢い、そんなふうに考えている生徒がいます。勉強とはそんな種類のものではありません。自分にできる最大限の努力をして、少しでも高得点を目指す、そんな種類のものです。お金を出しても得られないもの、そのことに関して言うと、消費者心理は全く的外れなものなのです。
2014.06.23
創心館メールマガジンを各家庭に配信いたしましたが、まだまだ読者の少ないメールマガジンですので、書いた内容の一部をここで紹介したいと思います。少し長いですが、もしよければ読んでみてください。以下、引用開始塾とはご家庭や生徒にとってどんな存在なのでしょう?私たち創心館では塾とは「重要な第三者」だと考えています。昔は子どもといえば、地域によって育てられていました。近所には大抵カミナリ親父がいましたし、子どもが悪いことをすれば、その場にいる大人が誰か叱ってくれていました。家のほうでも二世帯以上がともに暮らす大家族が当たり前でした。親がいなければ祖父母が、祖父母がいなければ叔父や叔母が、子どもの躾の一端を担ってくれていました。学校の先生にしても今よりもっと威厳を持っていたでしょう。学校の先生の言うことならばということで、子どもも今よりもっと言う事を聞いていたかと思います。しかし、昨今、近所の付き合いは希薄になり、核家族化が進み、そして学校の先生の威厳もなくなりつつあります。また、長期労働が当たり前になり、残業のために夕食時に父親がいないということも当たり前になりつつあります。そんな中、子どもの教育に関しては、母親の重荷が非常に大きくなってきています。もちろん子どもにとって母親の影響力は絶大です。しかし、全ての教育を母親任せにするのは不可能なのではないかと思います。以前であるならば地域全体で担っていたものが、今では母親一人の肩にずっしりとのしかかっています。今も昔もひとつ変わらないものがあります。それは「子どもは親の言う事を聞かない」ということです。もちろん長い目で見れば、親の発する言葉というのは非常に重要な意味を持ちます。親の価値観は必ず子に受け継がれます。しかし、短期的な視点で見ると、今も昔も「子どもは親の言うことは聞かない」のが当たり前です。成長期真っ只中の子どもは何かにつけ親に反発したがります。いわゆる反抗期です。反抗期がなければ親からするとずいぶん楽になりますが、しかし反抗することこそが子どもにとっては健全な発育の過程なのだと思います。昔の子どもであれば、親の言う事を聞かない時期でも、必ず「子どもにとっての第三者」がいました。「この人の言うことはちゃんと聞いとかなあかんな」と思わせるような大人が誰かいたのです。たとえば母親が「夏休みの宿題は早めにやりなさい」と言うとしましょう。子どもはまず言うことを聞きません。子ども自身、早めにやらなくてはならないということは重々承知です。しかし、親に「やりなさい」と言われたからには「やるわけにはいかない」のです。もし宿題をやってしまったら「親の言うとおりにした」ということになりかねません。反抗期真っ只中の子どもからすると、「親の言うとおりにした」というのでは面目が丸つぶれです。意地でも宿題を「やるわけにはいかない」のです。子どもの努力の方向は「宿題をやらない」という方向に向かいます。ほんと、反抗期の子どもってややこしいですね。そんなとき、昔の子どもであれば、公園で野球をしているときに、「おい、ボウズたち、宿題はやったか?」なんて声をかけてくれるおっちゃんがいたのです。おっちゃんに言われたならやるしかないな、そう思わせる大人が身近にいたのです。今の時代、母親以外の第三者が子どもを導くということが絶対的に必要になっています。なぜなら、昔のように気のいいおっちゃんみたいな存在がいないからです。私たち創心館では、冒頭に申し上げたように、子どもにとっての重要な第三者でありたいと思います。子どもたちは塾の先生が宿題をちゃんとやりなさいと言うと、ほとんど全ての場合においてちゃんとやってくれています。「学校の授業はちゃんと聞け」というとちゃんと聞くようになります。母親の前では恥ずかしくていえないような「頑張る」という言葉も、塾の先生の前では口に出します。もちろん私たちも心理学を学んだり、コーチングの技術を取り入れたりしています。しかし、そんなものはなくても、生徒は第三者である塾の先生の話はちゃんと聞きます。だからこそ、私たちは子どもの躾の一端を担っているという責任を十分に自覚し、より良い方向に導いてやろうという強い意志を持っておくことが必要なのだと思います。長くなりましたが、今の時代、母親だけに子どもの教育を背負わせるにはあまりにも理不尽な時代になっています。何かお困りのさいには是非子どもにとっての第三者である私たちを頼っていただけたらと思います。宜しくお願い致します。引用終了このメールマガジン、何かの意図を持って始めたわけではありません。なんとか「塾の透明化」を図る上で、できることはないかと考えた末、メールマガジンという答えが出てきただけです。ですので、塾生の保護者さえお読みいただけたら別段、読者を増やす必要もありません。しかし、結構な長文を書いたときには人間の感情として、できるだけ多くの方に読んでいただきたいと感じます。ということで、今後もメールマガジンの内容の一部をここで紹介させていただくこともあるかと思います。宜しくお願い致します。
2014.06.09
創心館も随分と人数が増えてきました。創心館は塾の透明化を図るという点、保護者との連絡を密に取るという点、生徒のために徹底的にやるという点、その3点に関しましては、他の塾の追随を許さないほど特化している点かと思います。しかし、人数が増えることにより、そういった点が手薄になるのではないかとご心配の方もいるかもしれません。しかし、ご心配には及びません。今の人数でもまだまだ余裕があります。少々人数が増えたところで手薄になることは決してありません。上記の3点は私たち創心館の存在意義でもありますので、決してなくすことはありません。ちなみに、白数は150人を超える人数を集団指導の校舎で回していましたし、安延は100人を超える個別指導の校舎で校長をしていました。大人数を抱える校舎の校長級が創心館には2人もいます。大手塾でもそこまでのところはなかなかないでしょう。たとえ塾生が100人を超えたとしても、同じようなクオリティを提供できると自信を持って言えます。それは100人を超える校舎を回した経験があるからこそ、自信を持って言えるのです。たとえ人数が増えたとしても、大学受験生が悩んでいるようだったら晩ご飯に連れだし、悩みを聞いてあげることもします。小学校4年生が分度器の使い方が分からないと言えば補習もします。土曜日も日曜日も祝日も朝の9時から晩の10時まで自習室を開放します。最近自習に顔を見せてないなという生徒がいたらすぐにラインで連絡もします。今の生徒たちにやっていることは全て人数が増えたとしても同じことをやります。今のクオリティをキープします。それは創心館が創心館であるために必要なことだからです。ですから、これからまだまだ人数が増えるかと思いますが、ご心配はなさらないでください。もしクオリティが下がったなと保護者の方が感じたら、いつでもご連絡をいただけたらと思いますし、もしクオリティが下がったなと私たちが感じたら、即座に新入塾生の募集を停止します。
2014.05.07
先日、羽衣学園の先生が塾に来られました。羽衣学園といえば伝統の女子校というイメージですが、2年前に共学化をはかり、今では共学初年度の生徒は高校2年生になりました。英語教育にも力を入れており、ICTを使った授業では全国的に見ても先駆的な試みをなさっています。その先生に、「羽衣学園の良さを一言で言うとどんなところですか?」とお聞きしたところ、ずいぶん悩まれたあげく、「一度来ていただいたら分かるんですけど・・・」とのことでした。確かに羽衣学園の良さを挙げていくとたくさんあります。英語教育もすばらしいですし、スポーツも盛んです。また、新校舎も建設しており、より良い学習環境が得られるでしょう。しかし、羽衣の先生はそういったことは挙げませんでした。考えた末に搾り出した答えが「長い女子校時代に培ったきめの細かい生徒対応ができる」ということでした。確かに「きめの細かい生徒対応」は目に見えません。「はい、これがきめの細かい生徒対応です」と提示することはできません。そういった種類のものではありません。しかし、そういった計量化できないものこそが実は大切なことなのではないかと思います。どうしても外から判断しようとするとシステムや設備に目がいきがちです。人は目に見える計量化できるものを信じやすいからです。しかし、3年間通う生徒からすると少々校舎が古くても、先生が自分のことを親身になって考えてくれるほうがよりメリットが大きいでしょう。そういう意味で、オープンキャンパスに足を運ぶというのは非常に大切なことなのだと思います。以上述べたことは当然のことながら我々塾にも当てはまります。創心館ではあえて「人を大切にし、学ぶ力を伸ばす塾」と謳っています。「成績を確実に20点アップさせる塾」ともしませんでしたし、「第一志望に必ず受からせる塾」ともしませんでした。あえて抽象的な言葉ですが「人を大切にし、学ぶ力を伸ばす塾」としました。もちろん成績は絶対に伸ばします。第一志望にも意地でも通します。そしてその自信は大いにあります。しかしそのことを謳わず「人を大切にし、学ぶ力を伸ばす塾」としたのには大きな理由があります。塾であるからには成績を伸ばすことは絶対に必要です。第一志望に合格させられなければ塾としての存在意義が疑われます。しかし私たち創心館はそんなレベルは当たり前にクリアできると考えています。成績アップや志望校合格は確実にクリアし、さらにそれ以上のものを生徒・保護者に提供したいと考えています。生徒・保護者を大切にし、将来生き抜くために必要な学ぶ力をつけさせたいと思います。成績もアップし、志望校にも合格し、それにプラスしてそういったことまでをしたいと考えています。それは決して計量化することのできないものです。「はい、これが『人を大切にする』です」といって提示することはできません。外から見るとあいまいで、説得力に欠け、インパクトの弱い言葉です。それでもなお、私たちはそのことを理念に掲げました。そのことを実現するためにひとつの塾を開きました。「人を大切にする」ってどういうこと?とお思いになるでしょうが、答えは「一度塾に来ていただけたら分かります」ということになるでしょう。「人を大切にする」とは具体的な「物」でもありませんし、一言で表せるようなものでもありません。塾まで来ていただき、自らの目で確かめてもらうほかありません。ずいぶん傲慢な言い方になってしまいました。申し訳ありません。ですが、興味をお持ちいただけるならぜひ一度塾までお越しくださればと思います。宜しくお願い致します。
2014.04.23
以下、長文となりますが創心館の考えを書いてみたいと思います。高校進学について創心館としては「最大限の努力をしてできるだけ上の高校に行く」ことが良いことだと考えています。もちろん全員に当てはまるわけではありません。保育士になりたい、看護師になりたい、英語を活かした仕事をしたい、そんなふうに将来の目標が定まっている生徒ならそれに適した高校があります。それぞれの生徒に合わせた進路指導は大切です。先日、城南学園さんにお花をいただきましたが、幼児教育・福祉コースを設けているそういった高校とも懇意にしています。しかし「大学進学を前提とした普通科」への進学を考えているならば「最大限の努力をしてできるだけ上の高校に行く」ことが大切だと考えています。無理して上の高校に入ったところでついていけなくなるかもしれないという考え方があります。(特定の誰かを念頭においたものではありません。一般的な考え方として「ある」ということです。)創心館ではついていけなくなることはないと考えています。なぜならその高校に合格できたということはすなわちその高校のレベルに達しているということだからです。もっと分かりやすく具体例を出してみましょう。あるサイトでは偏差値を以下のように区切っています。偏差値68:天王寺高校偏差値66:高津高校偏差値65:生野高校偏差値63:富田林高校偏差値60:八尾高校偏差値1~3刻みで高校が並んでいます。例えば生野高校を例にとると生野高校に合格する生徒は偏差値が65の生徒が圧倒的多数です。偏差値が67とか68なら高津高校や天王寺高校に進学するでしょう。偏差値が62とか63なら八尾高校や富田林高校に進学するでしょう。ですから生野高校に進学する生徒は偏差値65の生徒なのです。もちろん偏差値が64の生徒もいれば66の生徒もいるでしょう。しかし63の生徒や67の生徒はほとんどいません。62や68にいたっては皆無といってもいいでしょう。どうしても家から高校までの通いやすさなどから選択肢が絞られることもありますが、それでも例外的に偏差値が乖離している生徒は全くと言っていいほどいません。生野高校で言えば偏差値65の±1の生徒が圧倒的多数です。偏差値での1ポイントや2ポイントの違いは定期テストで言うと5教科で20点ほどの差です。各教科で言うと4点ほどの差で偏差値が1ポイント変わってきます。偏差値の差というのはそれほどごくわずかな点数の差なのです。具体例が長くなりましたが、上の高校に努力して入ったということはその点数を取る力が身についているということですから、その高校で落ちこぼれるわけはありません。ほとんど同じ学力の生徒が通う高校でそれでも落ちこぼれるならばそれは能力の差ではなく、努力の差なのです。「努力して上の高校に入る」ことができた生徒は高校に入っても努力を続けることができます。「努力をせずに下の高校に入った」生徒は努力のやりかたを知りませんからずるずると成績が下がってしまいます。上位にいられるのは入学してから数回の定期テストまででしょう。3年間の間に中位層、あるいはひどい場合は下位層にまで落ち込んでしまいます。中学3年間で学ぶのは因数分解や解の公式ではありません。「努力する」という姿勢なのです。ですから創心館では「最大限の努力をしてできるだけ上の高校に行く」ことが良いことだと考えています。他にも上の高校に行くメリットはたくさんあります。レベルの高い高校になればなるほど国公立大学への進学の道が開かれます。先ほどの具体的な高校をもう一度見てみましょう。以下、国公立への進学者数です。天王寺高校:160名高津高校:96名生野高校:128名富田林高校:60名八尾高校:45名文理学科を持っている生野高校と持っていない高津高校で逆転していますが、基本的には偏差値の違いで進路実績が大きく変わってきます。この理由のひとつに学校の教員の質が上げられます。上位高校になればなるほど、難関大学への指導に慣れているということがあるのでしょう。しかし、最大の違いは学校の雰囲気です。トップ校と2番手校、3番手校では学校の雰囲気が全く違います。創心館が「できるだけ上の高校に」というのもこの点が一番大きいと考えています。トップ校では頑張るのが当たり前という雰囲気があります。それは長年積み重ねて作り上げたものなのでしょう。努力する人間を茶化したり妬んだりする人間はいません。頑張る人間には賞賛が与えられ、結果を得たものには敬意が表されます。そんな雰囲気が満ち溢れているのです。偏差値が下がるにしたがって、努力しない人間が増え、努力する姿を隠す人間が増え、努力する者の足を引っ張る人間が増えます。そういった雰囲気の違いが合格実績の違いに現れているのだと思います。創心館では生徒たちに「将来努力ができる人間」になってもらいたいと思っています。将来社会に出たとき、努力のできない人間は淘汰されます。努力している人間にこそ、人はついていきます。努力している人間にこそ、人は耳を傾けます。努力している人間にこそ、人は信頼を置きます。努力もせず口だけが達者な人間は相手にされません。ひたむきに真摯に努力している姿に人は心を動かされるのです。生徒たちには、そんな、人間としての魅力を兼ね備えた人として社会に出て行ってほしいと思います。「努力」はいきなりやろうと思ってもできません。だからこそ、中学生の間に、「最大限の努力をしてできるだけ上の高校に行く」という経験をしてもらいたいと思います。長々と書いてきました。これはひとつの考え方ですので、例外もたくさんあるでしょう。しかし創心館の基本的なコンセプトとして「最大限の努力をしてできるだけ上の高校に行く」という点だけはしっかり持っておきたいと思います。
2014.04.15
勉強は「やるか」「やらないか」なのだろうと思う。大学受験はさておき、高校受験の中で“本気で勉強して”理解できない部分はほとんどない。その部分をできるようになるまで「やるか」「やらないか」。適度に遊んで、適度に勉強したら、適当(相応)な学校に進む。残念ながら、適度にやって今の自分を超えられることはまず無い。結果、「この生徒はこのくらいの高校に行くだろうな」という中3当初の予想が的中してしまう。それは、そうだろう。今の自分のできる範囲で勉強するのだから、今の自分が行くことができる学校に決まるのも。自分の可能性を大きく拡げることができるのは自分を律し、やりたいことを少し我慢して、限界以上に勉強する子だけだ。そういう子は、「自分には無理じゃないか」という量をなんとかやりきり、自分の容量を増やす。その増えた容量の少し上に挑戦し、さらに容量を増やしていく。自分の力を伸ばし、同時に学力面でも精神面でも驚くような伸びを見せてくれる。結果的に、合格を勝ち取り、進んだ先でもその姿勢で自分の人生を切り開いていく。そこまでで培われた全ての力がその子の人生を輝かせる。創心館で必死に勉強してもらいたい。それは、どれくらい頑張らせれば、どれくらいその子の可能性を拡げられるかを真剣に考えているから。今楽しいことを少し後回しにしても、5年・10年後、その先の可能性を拡げることに重きを置いているから。
2014.04.12
創心館と他の塾との違いは何でしょうか?前回のブログのエントリーでもありましたが、保護者様との距離が近いということが挙げられると思います。創心館では極力塾を透明化したいと考えています。実際に授業を受けるのは生徒ですが、お金を払うのは保護者様です。私たちは塾の顧客は保護者様だということを強く肝に銘じています。ですから、電話連絡はもちろん、メールやLINEも頻繁に送り、保護者様に生徒の塾での様子を知ってもらいたいと考えています。塾は決してブラックボックスなどではなく、どこからでも見える透明な箱であるべきなのです。さらには皆様、ここまで読んでいただけたということはこのブログをご覧になっているかと思いますが、創心館を立ち上げてから今日まで毎日3記事ペースでブログを更新しています。ブログでは私たちが思ったことや感じたこと、生徒たちの塾での様子、指導の方針や連絡事項、さらには塾の内部やシステムの話、様々なことを発信しています。塾であったことを、写真をつけて載せたりもしています。そんなことまで書かなくていいんじゃないの?ということまで書いているつもりです。極力塾が透明であるように、創心館のことを知りたいと思ったら全部が分かるように、これからもブログを発信し続けます。それが他の塾との違いだろうと思いますし、私たちが創心館を立ち上げた理由なのです。
2014.04.09
創心館では、立ち上げにあたって「保護者を大切にする」ということを一つの誓いとしました。お子様を塾に通わせてて「ずっと塾に行っているけど、ちゃんと勉強してるんだろうか。」「いったい何を勉強しているんだろう。」「宿題が少ない(出ていない)みたいだけど、どういう意図があるのだろう。」なんて疑問に感じたりしませんか。保護者懇談がある塾では定期的に生徒の情報を知ることができるでしょう。ただ、創心館ではそれ以上に塾での日々の様子を常にお伝えし、ご家庭からもご様子を伺いたいと考えています。「〇〇君、ご様子が少しおかしかったようですが、学校やご家庭で何かありましたか。」「今日は宿題の正答率がいつもより高かったです。お母様、手伝ってくださいましたか。」「今度部活の試合があるみたいですね。応援に行きたいと思うんですが。」など、些細なことから大切なことまで、全て共有したいと思います。確かに、「塾に行ってくれていれば、勉強面は安心」という考え方もあるでしょう。しかし、私たちはそれでは満足できません。「勉強は塾」、「躾は家庭」という垣根を越えて、同じ家族として生徒を見ていきたいと思います。塾の中を透明化することで、常に安心して預けていただけるようにしたい。そして、生徒・ご家庭・塾が密につながりあって一つの目標に全力で向かいたいと考えます。そのため、創心館ではメール・LINEを含め、ご連絡する回数がずいぶんと多くなります。皆様、その点はどうかご了承下さい。
2014.04.09
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