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今日は久しぶりにピアノを載せる。去年暮れに旅から帰ってきた時に何故か無性に弾きたくなった。この頃の彼の音楽は祈りの要素が多分にあると指摘されているが、私的にはこの曲に端的に現れていると思う。特にこの第二楽章。深い悲しみに始まりそれを振り絞って歩き始める。フーガの部分はメロディーではなく殆どモチーフのように短く、幼児的とも言えるくらい単純だが、却って気高さを感じさせる。1MBの容量しか載せれないのでまずは最初の部分だけ。こういう曲が弾きたくなったと言う事は一歩悟りに近づいたのかもしれない。
2007/01/19
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今回はTouch and Goで家には10日程居ただけだったがそれでもかなり練習でき、4番を一通り弾けるようになった。諏訪さんがおっしゃっていたようにバラードの4番のコーダのところは凄く盛り上がる。勿論本当の練習はこれからだが、1週間ではまあこんなものだろう。取り敢えず空港へ行く直前に録音したものを載せる。今回は旅の途中、例のフィンランド人のところで練習させてもらえることになっているので気分は上々である。ピアノは悪いが指の練習だと思えばそんな事はどうでも良い。ただ弾いて欲しいと言われたシベリウスの晩年のピアノ曲が案に反して難しくまだ全然弾けていないのが気になるが・・・コメントの返事は旅が落ち着いてからになるので少々お待ちください。
2006/11/15
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Mozartの続き。後半部は私の方が下手なので弾いていて恥ずかしかった。
2006/10/17
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今日はモーツアルト。かの国を去る前の録音。バイオリンは私のチェリストの友人の弟子。粗いところもあるが、まだ12歳。5年でここまで弾けるとは立派である。容量の関係で2回に分けてアップ。
2006/10/14
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諏訪様に敬意を表して今日はChopin。彼が言うようにOp.50から60辺りの作品には祈りや諦感に近いものが感じられ、音楽性も深いが私は初期の作品に感じられる混じり気の無い激情も好きである。例えばこの曲。歴史的な背景や音楽史的な意味について色々言われているが、緊張感溢れる音楽は精神性が高く現代でも新鮮味を感じる。冒頭の下降する和音でドラスティックに始まり、心の叫びのような早いパッセージ。Resolutionへ続き、中盤の祈り(ここの部分が至難で昔「あなたはここをきちんと聞かせられる程うまくは無い」と当時の先生から怒られた事をまだ覚えている)。安らぎは突如として中断され、また激動の中に飲まれ劇的に終る。
2006/10/07
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瞑想のような短い曲。これは運指的には難しくないと思うのだが音楽的にはかなり高度であると思う。8分の9という拍子が小節により4+5や3+3+3と複雑に揺れ動く。美しく気高い旋律が繰り返され短いコーダを経て絶望の中に沈んでいくように終る。
2006/10/06
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今日は久し振りにChopin。旅の最中なので以前に録音したものから。日本では誰もが弾く超有名なEtudeの一曲で、私が最初に弾いたのは中三の時だった。当時はもの凄くかっこ良いと思ったものだがScriabinを知った今弾いて見ると、転調に幾分近代性は感じるもの、和声は3度・6度が中心でニュアンスに欠ける。激情は感じられるものの余り洗練度、IQは高くないように思う。
2006/10/03
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こうやって毎日のようにピアノをブログに載せるのはある意味でインセンティヴになる。前奏曲のような断片的な曲なら1~2時間練習すればある程度弾けるようになるし、ファイルサイズが小さく全曲アップロードすることも容易である。これは今までと違って少し早い曲。署名はMoscow 1895年。晩秋の旋風を思わせるような旋律や3度を中心とする和声は明らかにChopinやロマン派の影響がある。が私的にはやはり知性・洗練性では遥かに上に感じられる。次回は比較の為にショパンのPreludeから何か弾いて見る。
2006/09/29
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今日はScriabinの小曲から。丁度画家がスタイルを具象から抽象へ変容していく瞬間に両者が融合した素晴らしい作品を残すように、近代作曲家も調性(Tonal)から無調性(Atonal)へ遷移していく過程で色彩感あふれる素晴らしい音楽を生み出す。アルバムの一ページと題されたScriabinのこの作品はまさにその時期に書かれたもので構成はシンプルで音も少ないが初期の作品よりはるかに自由度、洗練性が高まっている。疲れた夜にそっと弾く。
2006/09/27
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今日午後は物思いにふけった。家に帰っても何故か早い曲が弾けない。悲しみに打ちひしがれても人生は続く。断片のようだが私の好きな曲の一つである。
2006/09/22
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Hidepxさんのリクエスト(?)で今日はスタンダードから。勿論即興である。10年程前まではこう言う感じの曲にドラムマシーンとシンセのベースを合わせてトリオを作って遊んでいたのだがクラシックに集中するために止めてしまったので久しぶり。実はちょっと飲んでしまい手元がふらついている。この後に弾いたパッセージはちょっと音を外したのでカット。
2006/09/20
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700回目(正確には数えていないが)を記念して現在の進捗状況をとってみた。これ位練習すると流石に譜面を見なくても弾けるようになり、眼が鍵盤上に集中できる(或いは瞑目して弾く)。まだかなりミスタッチがあるのでこれからの練習で減らす努力をしなければならない。個人的には最初のQuais-Glissandoのところが早く弾けるようになったことが嬉しい。後1割程早くしたい。簡単に聞こえるが100メートルを11秒で走っている人に10秒で走れというようなもので至極困難なのである。さて激しい練習が終わった後のDowntimeは今日はまたScriabin。舟歌のようなリズムに乗ってメロディーが流れる。4度の和音であるので少しとらえどころのないアンニュイ感が広がる。弾きながら物思いにふける。秋の夜には相応しい。
2006/09/19
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今日は趣向を変えてロシア物ではなくプーランクから(実は段々持ち歌が少なくなってきた)。日本ではさほど知られていない作曲家だがエスプリあふれる音楽はフランスの香りそのものである。こうやってドイツ、フランス、ロシアと比べると何となくTerroirが感じられるから不思議だ。
2006/09/16
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第三楽章の最初の所の練習も通算700回(あれから200回ほど)になり少しまとまってきたように思う。もう少し。ここが一番難しく後は何とでもなるように思う。今日は少しIntermezzo風に三楽章から第2主題。彼のメロディーは甘いながらも抑揚があり、弾いていて思わず盛り上がってしてしまう。ここまで弾けるまでにも都合4時間位かかっている。なかなか大変なのである。
2006/09/15
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今日は昨日と同じ作品15から。16分音符12個で3拍子を取るというちょっと変則なワルツであり、そのため不安定な感じを受ける。動悸、不安、怯え。束の間の心の移り変わりを書いた美しい曲だと思う。ここのところワイン話が滞っている。次回はワイン。
2006/09/14
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Asamiさんの期待(?)に答えて今日もスローな小曲。Preludeとあるが曲想的にはNocturne。今までのとはちょっと違い可憐で優しさを感じさせるフェミナンなメロディーであるが全般的にアンニュイ感も漂い知性を感じる。後半部は少し不安な感じを抱かせる転調があるが最後は一転し、元の優しい感じで終わる。署名はモスクワ1895年。季節は曲想から初夏だろうか。
2006/09/12
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Intermezzoのような1分にも足らないような小曲だがアンニュイで知的。Musicalityは深い。表現的にも難しい。私の好きな曲の一つである。前の曲と色彩が違うのは♯では無く、♭であるからだ。#は情熱的、♭は知性的。署名はParis 1896。確かに7区あたりの夕暮れを一人で歩く雰囲気。季節は秋。ゆっくりと歩いているが心の慟哭を感じる。Chopinの前奏曲が短いながらも序・展開・終結ときちんと3部構成の曲になっているのに対し、彼のPreludeは序・展開で終わる物も多い。これもその一つ。後に彼はこういう音楽をPreludeではなく、Poeme (詩)、Feuille d’Album(アルバムの一ページ)という新たな形式に発展させている。
2006/09/11
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プロが曲を始めてからコンサートで披露するまで通算何回位練習するか想像がつくだろうか? 勿論曲の難易度にもよるだろうし、ピアニスト自体の腕にもよるので一概には言えないが大体3000回だそうだ。非常に多いのでびっくりした。1曲10分として、平均練習速度が実際の50%(最初はゆっくり弾くので)とすると何と600時間である。道理で完璧に弾けるわけだ。ラフマニノフの途中経過ということで恥ずかしいがとりあえず昨日録音したのを載せる。2週間練習し、多分500回程弾いただろう。残り2500回か。道は長い。さて、今日はまたScriabinのPrelude作品9-1。作曲者がまだ20歳前の作品だと思うが曲想は深い。緩やかすぎるかもしれないが実はこれは左手1本だけで弾くのである。作曲者が練習のしすぎで右手を壊した時に作った作品である。ロマンチックだが決して甘すぎずむしろ強ささえ感じる。ポリフォニックな曲想を出す為には指1本1本独立して違う強さで弾く事が求められる。簡単な用で中々難しい。因みにScriabinとRachmaninoffはモスクワ音楽院の同級生でScriabinは常に2位でコンプレックスがあったようだ。
2006/09/09
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今日もScriabinの小曲から。昨日の曲と作品番号が違うが署名はMoscow 1895年11月とあるので同時期である。同じようなアンニュイな曲であるがこちらは少し動きがある。右手が5連符、左手が3連符とポリリズム。更に♯を多用し、色彩感を強めていて(これは個人的な印象だが♯が多いと夕焼け時の赤色を感じる)小曲ながら彼の作曲技法の特徴が出ている。技術的、音楽的にきっちり弾くのは結構難しく、私も後半ちょっと破綻しているがそこは愛嬌というところで・・・追記Hidepxさんが言っていた山手線のメロディーはこんな感じだったと思う。去年一度帰った時に聞いた記憶で弾いているので定かではないがハ長調だった筈である。確かにちょっと似ているかも・・・(ただし16分音符)
2006/09/08
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始めてから2週間経ちラフマニノフの第3楽章の冒頭部を少しオケ(のテープ)と合わせて録音してみたがなかなかうまく行かず余りに酷いのでまだ載せる段階まで行っていない。ということで今日は小曲。Moscow, 1895年11月と署名されている。晩秋のメランコリーが溢れる。スロー(アレグレット)で技術的には簡単なのだがアンニュイな曲想を出すのはなかなか難しい。まず子供では無理だろう。転調も頻繁に起こり、移ろいやすい気分を感じる。
2006/09/07
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先週からラフマニノフのコンチェルト第2番のフィナーレを練習しているのだが桁違いの難しさを経験している。他の曲は2週間もすればある程度弾けるのだがこれだけは例外。練習しすぎて腕を壊しはしなかったが弦を1本切ってしまった。早速調律屋を呼ぶ。ということで予備のアップライトでバッハを弾く。Bachは結構アップライトの方がノンレガートに弾けて良いように思う。折を見て数年に亘る自分のConservatoirでの経験をまとめたいと思う。
2006/09/06
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Asamiさん、Heren’sさん、Hidepxさんの応援(勝手にそう思っている)を受け、終末はピアノ練習三昧で過ごした。(少し料理もしたが)最後のレッスンを受けた翌日に第一楽章を通して録音してみたのだが、これは終末部。まだまだ甘いが、自分ではここまで弾けたことに満足。先生のお陰である。第二楽章は先週一応弾けたので近日中に録音してみる予定。
2006/09/04
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今日は友人との練習風景。本番は取り忘れてしまったのが残念である。また年末か年明けにやる予定なのでその際には忘れないように採る。1MBまでしかアップロードできないので冒頭部のみ。私はともかく、彼はプロ、しかも日本に来ている有名Cellistの愛弟子なのでさすが音色は抜群である。♪こちらは最後の遊び♪
2006/09/02
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今日はScriabin。私的には一番好きな作曲家であり音楽史の上からもPianismを完成させた作曲家として評価が高いべきであると思うのだがあまり知られていない(特に日本では)。多分学校でのピアノ課程に入っていないからであろう。この作品8のEtudeや11のPreludeなどはChopinよりも劇的で美しく、知的であると思うのだが・・・♪
2006/09/01
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懲りずにまた私のピアノを載せてみる。今日はショパン。日本人は好きなピアノ曲と言えばChopinを挙げる人が多い。優美で甘い曲は確かにロマンチックであるし、(古き良き)ヨーロッパへの憧れをかきたててくれるだろう。勿論音楽史的にもPianismを最初に確立した作曲家としても重要である。が、私はどうも苦手である。特にWaltzやNocturneは甘すぎ、通俗性が高すぎで、弾いていて気が滅入ってしまう。まあ、いずれにせよ、私に似合わない曲であることは間違いないが。私としてはChopinは2曲あるコンチェルトが一番好きである。彼のごく初期、20~22歳頃に書かれているがそこには後年に彼が発展するNocturneやBallade, Scherzo、Polonaise等の原型を見る事が出来る。これは第一楽章の展開部分だが冒頭の叙情的な部分はNocturnes、即興性の高いクロマチックの展開部はドラマチックで少しBalladeを思い起こさせる。♪
2006/08/31
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「RachmaninoffのようなBravuraな曲ばかり弾いているとピアニストとして精神的におかしくなってしまう」と言ったのは内田光子だったと思うが同感である。ロシア物はPianismという意味から完成されていて弾いていて至福感があるので麻薬みたいなものであるがやはりBeethovenやBachのような確固として禁欲的なドイツ物もたまには練習しないと音楽性の向上は難しい。と解っていても日常ではどうしても甘美なロシア物に走ってしまう。半年ちょっと前にこの日記を書いた頃の録音を載せてみる。(日記)今聞いてみるとインテンポでないし、左手の転びが激しい。更にアンダンテがちょっと走り気味と到底納得の行く物ではない。それが実力なのだろうが、自分を奮い立たせる為に敢えて載せてみることにした。♪
2006/08/29
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PWBLOGで音楽ファイルがアップロードできるとのことなのでテストとして載せてみる。先日書いた最後のレッスンに際して練習していた時のもの。ファイルの最大サイズは1MBなので全曲どころかせいぜい数十小節のものであるが、雰囲気はつかめるだろう。うまくいけば1分程で全曲弾けるPreludesを後日録音して載せてみようと思う。♪
2006/08/27
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私がこの国を離れる前日、R先生のレッスンを受けた。足掛け8年に亘り彼女からレッスンを受けたのだがこれが最後である。思えば最初に彼女のレッスンを受けた時は自分は結構弾ける(一応3歳から16歳まで音大目指して練習をしていた)と自負していたのだが最初のレッスンでその自負は悉く打ち破られた。最後まで不肖の弟子であったが辛抱強く面倒を見て頂いて感謝している。最後にはラフマニノフやチャイコフスキーの協奏曲を一応弾けるようにまでしてくれ、最後の言葉が「2ヶ月仕事を休んで練習に専念すればリサイタルを開けるね」であった。幼児期の音楽教育と頭の良さ(端的にはIQ)との強い相関性は欧米では経験則としてよく知られている。Causalityがどちらかは厳密には判らないが楽器演奏はhand/eye/ear coordinationを強く要求され、しかもアレグロなら1秒間に♪(8分音符)が4つ、16分音符なら8つ。和音や左手も入れると1秒間に20以上の動きをすることも珍しくない。しかも手だけではなく、眼、耳で音を聞き分け、微妙なタッチやニュアンスを出すというアナログ的なComplex coordinationが要求され、それが数分続く。感情だけではなく、楽理(表情記号、調性、速度や構成)も学ぶことにより、情操と論理両方を学ぶこともできる。幼児・学童期の脳というのは色んな物事を吸収し、進化させるポテンシャルを秘めており、音楽演奏の練習により、脳が活性化し、他の領域にもポジティヴに働くことはまず間違えないと思われる。音楽教育には他の長所もある。音楽が国境のないユニバーサルな言語であり、それを介して世界中の人とCommunicateできるということである。また子供の頃から人前で演奏することに馴れていると自然と人前に出ても自然に振舞えるようになる。小さいお子さんのいる人は是非子供に音楽教育を受けされることを考えてほしい。残念ながらカットオフ点は7歳前後でこれを過ぎると一から音楽を学ぶのは非常に難しいし、5年以内にやめてしまうと全く効果ゼロである。ただ自分の事を考えると今となって、厳しく教えられた両親に感謝している。
2006/08/12
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さて、今週は友人といよいよ合わせる事になったので仕事後は練習に励まなくてはならない。思ったほど指が回らなく焦る。日頃さぼっていたつけが回ってきている。友人の指示でStraussは来月にしてFaureだけに絞る。後は前座に友人の弟子とMozartのK.304のヴァイオリンソナタ。これは昨日見たピアノ。こんなピアノを弾いてみたい。
2006/06/26
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前回氏を訪問した際のスナップである。最初は私の心にしまっておこうと思っていたが、こういう瞬間があったことを皆に知ってもらうのも悪くないと思い載せる。彼のワインに感動した友人が作り手への感謝を込めたく、どうしてもというのでCelloをセラーに持ち込み押しかけコンサートである。曲はバッハの無伴奏組曲1番。湿気がありCelloに悪いので20分が限度。セラーは思いの外音響は良く、セラー全体にバッハが響く。ヴィニュロンとチェロ弾き。立場は違うが共に芸術家である。ワインの方は04の瓶詰めを終え、セラーには彼最後のVTとなる05だけが寝かされている。最良のVTにBachを聞かされたワインはどう熟成するだろうか? 来年の今頃はここにはワインは無い。氏はヴィニュロンであることをやめ、市井の人に戻る。私は氏の最後の作品に出会えて僥倖である。
2006/03/13
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日本でピアノを練習している時はHanonで指を出来るだけ垂直に鍵(けん)に落として弾くように習った。端整なモーツアルトやバッハなどはこれで問題ないが(特にアップライトで弾く場合)ロシアやフランス物はそれでは駄目で指を完全に寝かせ、力を抜いて(これが難しい!)1指1指独立させ指単位で強弱をつけ、ニュアンスが出せるようにしなくてはならない。教則本はドホナーニ(何人が知っているだろう!)。「ロシア物を弾きたいのなら日本で習ったことを全て忘れてくれ」と言われた時にはびっくりしたが今は納得である。順調に2曲目も終わる。イ短調の短いメヌエット。4度の和音でアンニュイな感じで始まる。頻繁な転調、しかも属調でないので非常に不安定に感じる。ショパン程メランコリーではなく、シューマンよりも神経質でない。非常に知的な音楽である。作曲されたのはモスクワ、1895年11月。街路樹の葉がすっかり落ちた晩冬、モスクワの裏通り。独り、コートの襟を立てて歩いている。心にいろいろな事が次々浮かんでは消えていく。諦めと焦燥とが幾度か交差する。作曲者の置かれた状況を知ると私小説的な曲であると思う(その点ではシューマンに似ている)。ただ弾くだけなら技術的には簡単だが、左手の和音の中、1音だけを浮き出してニュアンスを出すのは難しい。しかもきちんと倍音が出るグランドでないと曲想が出せない。彼のプレリュードは良くショパンと比較されるが、より高い知性・音楽性を要求される。ピアニズムも遥かに進化・洗練されている。次回は自分なりに違いを分析してみたい。
2006/01/20
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既に年が明けてから1週間経ち、年頭に掲げた今年の抱負の出だしを振り返ってみる。まずピアノに関してはとりあえず最初の曲を弾き通すことが出来、後、数日で完成まで漕ぎ着ける見込みが立った。この作品(作品11、24のプレリュード)はバッハの平均率、ショパンの前奏曲(作品28)と同様、全24調を使った小曲をまとめたいわば短編小説のようなものである。一つ一つが凝縮されていて愛らしい曲や悲しみ溢れるもの、アンニュイなもの、それぞれにストーリーを感じる。残念ながら日本ではこの作曲家は殆ど知られていないが、ショパンによって発展されたピアニズムを完成させた人としてヨーロッパでは広く知られており、ロシアではピアノ教育の典範として教えられている。私の一番好きな作曲家である。この小曲には既に彼の後年の特徴となる幾つかの要素が既に見られる。まず、五連符。彼は5を完全数と見做して五連符の使用こだわった。次に左手と右手の交差。オクターヴを越すアルペジオのため、左と右の旋律が交差する。更に左・右、違うリズム(ポリリズム)。この曲の中にも右手の5連符に対して時折左手が3連符になり、にじんだように仕上がっている。当時流行した印象派の絵画にも通じる感じである。最後に彼の一番の特徴であるが音を削りに削って最小の音数で最大限の効果を出している。これはピアニストにとって技巧的には簡単であるがごまかしがきかず、高い知性を要求され音楽性を出すには至難なのである。当然それなりの楽器も必要でやはり音色に艶のあるペトロフが最高であろう。曲は穏やかな春の海の思わせるようである。海を見つめながら、悲しみと諦めを越え、決意を新たに事に臨む。そういう感じを受ける曲である。49秒。短く技巧的に単純であるが表現は難しい。フランス語もまあまあの出だし。ワインだけはどうも駄目である。既に2ケース半発注。今年もやはり増え続けるのであろうか?
2006/01/11
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