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前にRMシャンパーニュはシングルモルト、NMはブレンデッドウイスキーに喩えれると書いた。基本自分はRMしか飲まないが手持ちにはNMの上級キュベも幾多か有る。殆どセラーからの出番はないが。今日は久方ぶりに拠出。まあ勿論どちらかと言えば美味しい方なのだがやはりマキアージュが気になってしまう。肌理の粗さを隠すためのファウンデーション的な炭酸にコンシーラー的な少量のドザ。まあ普通に美味しい範疇のシャンパーニュだ。褒め言葉だが。話は変わるが贋作で有名なRK氏が逮捕された時所持していたワインも押収されたがその中に200本を超えるこのワインがあった。FBIの鑑定で全て本物。となるとこのワインを使って何を作りたかったのだろうと言う疑問が自然に湧く。自分の推測ではこのワインと同時に見つかったMeursault Charmes 1971を混ぜてCristalを作る積りだったののだろう。実際Cristalの空き瓶と木箱も見つかっている。実際ブルゴーニュ、それもCdBのワインをちょっとばかり足してあげればかなり肌理細かいシャンパーニュ(と呼べるかは分からないが)になる事は何度も経験している。Cristalの細やかさは10g/lと言う驚異的ドザージュによるところが多いのだがブルゴーニュを加えて半分以下のドザージュで模倣出来れば本物よりもフレッシュ、ピュアに感じるのだろう。本物を越える贋物。本当の所はどうか分からないが、何と無く彼の真髄の一片で有るように思える。まあどんなに素晴らしいシャンパーニュでもやはり炭酸のマキアージュは必要な訳で残った気の抜けたシャンパーニュを翌朝飲んだら前夜はあれほど肌が綺麗で魅力的であったのにどうしても肌理が粗く単純に感じられる事は経験しているだろう。ある意味妖艶な美女と一晩過ごして翌朝隣を見たらファウンデーションが落ちてて素肌を見てしまった的な。知らんけど。とりあえず1本減った。
2023/10/14
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Champagneに何度か行き色々試した結果、結局のところChamagoneは(例外はあるにせよ)基本あちこちのしかも複数のセパージュを使い砂糖の交えた混ぜ物でそれが故にあまり感動もしないし何ならスティルワインを混ぜて足しても良いと考えていた。更に単独畑を作るに値しないクリマで作ったワインは大抵マチエール不足でドザというマキアージュで誤魔化しているとも考えていた。数年前にこのワインを飲むまでは。最初に飲んだ時の感動はまだ鮮明に覚えている。混じり気のない果実から来る圧倒的な香り、そして柔らかいが何重にも重なり合う気品すら感じる。BdBの澄み切り余韻の長いトーンはカテドラルに響くアカペラのようにゆっくりと心に染み込みゆっくりと減衰していく。自分が飲んで来たChampagneの中でも群を抜いてhors ligne だ。ある意味デビュー当時のSelosse(今ではまあ普通だが)に感じた戦慄に繋がる。個人的にはマキアージュを感じるMesnilよりも上かと。勿論作り込まれたメゾンの上級キュベが野暮ったくIQ低く成金的に感じる位の洗練さだ。この人のキュベを色々試してみてどれも素晴らしいのだがこれは別格だと思う。やはりパワー一辺倒Avizeでも時にはミネラルが強すぎるMesnilでもなく中庸でバランスの良いCramantの品の良さだからだろう。でもどうなのだろう。これだけ完璧なChampagneを飲んでしまうと次に何を飲んで良いかわからない。この日もこの後に何本かブルゴーニュの白赤を頂き決して悪くは無かったのだが逆にその白赤の方に細かい粗を感じ全く楽しめなかった。ある意味ワイン会を寄席とするとシャンは前座だ。その前座が素晴らし過ぎて二枚目、真打ちが緩く感じられないと寄席がはめちゃめちゃだ。いっそのことこのシャンを真打にしても良いような気がする。いやいっそのこと、もうこのワインだけでも良いかも。素晴らしいコンサートを聞いた後は無音でいたいような気がする。
2023/09/28
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決して悪いワインではない。いや寧ろ良いくらいだ。少し樽のマキアージュがきついがきっちりと出た果実の中に綺麗に溶け込んでいる。その果実はコルシャルのような南方系ではなく良質のCdBの淡い白果実。樽から出たバニラや少しヘーゼルナッツが混じりそのマキアージュが複雑味を出している。エレガント。推測だが畑はLadoixなのだろうか。と感じたのだがこのワインにどうも違和感を感じる。それは単にこのワインが「匿名」だからであろう。Louis JadotやFaiveley等の一流ネゴスではやらないがちょっと落ちる(超)大規模ネゴスではサブブランドとして別名で出しているところが多い。勿論シャンパーニュやローヌ、ボルドーでも有るがこの慣行はブルゴーニュの方が頻発しているように思える、しかも一つのネゴスが複数のサブブランドを持っていて非常にややこしい。まあその理由は買収の歴史と複雑な内部組織、節税のためのトリック、マーケティング等なのだろうがそんな事はどうでも良い。結局のところは「匿名」、顔の見えない作り手だ。このエチケットに書かれた「ネゴス」はNuitsに本拠地を置くそうしたネゴスのサブブランドの更にサブブランド、まあ孫ブランドだ。誰が醸造しているかもわからないしスペックも全くわからない。瓶買いかもしれない。ブルゴーニュワインの楽しみはバーチャルであっても作り手を知り、作りての思い入れを理解し、歴史ある畑に思いを寄せ、ワインを味わいVTの違いを感じる事に思う。勿論出来の良い作り手やmediocreな作り手もいるし、クリマの優劣、VTの強弱もある。それを全て知った上で違いを愛でる。JadotやFaiveleyのように自社の名前を刻みある意味コミットしているのならネゴスでも意味があると思うが超がつく大規模ネゴスこういう孫ブランドでサイトも無くネットにも殆ど情報がないワインはやはりIndustriel、心のこもらない工業製品のカテゴリーなのだろう。そう、匿名のワインにやはり愛着は湧かない。例えそれがどれだけ美味しくても、それは「一夜限り」の関係でしかない。作り手も飲み手に思いを寄せず、飲みても作り手に敬意を払わない。極論するとコンビニで買うワインと同じかもしれない。ブルゴーニュのワイン、例えネゴスでも最低限の愛着は見せてほしいと思う。それがグランクリュともなれば尚更だ。まあ、言えない事情があるのかもしれないが。
2023/08/14
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最近古参のワインファン達が超弩級のワインを処分し始めているが、その背景には結局のところ、ある程度飲めばどんな素晴らしいワインでも(一部の素晴らしいワインを除いては)想定内の美味しさを想定内であったと言う確認作業に追われるのであってそこには心からの感動を覚えるものではない。と言う事だ。要はその確認作業に飽きたと言う事だ。ではその古参はなぜまだワインを飲むのかということになるのかというと一つはワインは他の人と飲む社会的な飲み物、会話の小道具でありその会話を楽しむためであるがもう一つは知的好奇心から新しい作り手や代替わりした作り手、当たったVT等、自分が知らない世界を追い求めていくと言う古参がワインを始めた頃の初心に戻っているからだろう。それは自分だけの世界を構築していくワクワク感だ。既に数千本は有るストックを飲んでいけば良いと分かっていても新しい生産者を試しそれが素晴らしくまだブレークしていないとわかった時の優越感。それを求めて探し回る毎日だ。閑話休題、今日のワインだが新興のミクロネゴス。創業者3人の名前だが一番大事なのは最初の名前、燻し銀的で通好みのMatrot醸造長からの転身。裾物だが淡く品が良い。果実こそ薄いが良質のMeursaultを思わせるタイトさが有り、フィニッシュにかけても綺麗に消え、膨らみは少ない。個人的にはMatrot本体よりも上かと思っていたら、実はこのネゴス、創業に当たって2005に廃業したMatrot-Wittersheimのcuverieを使っている。正にそのスタイルで蔵付きの酵母が発酵に携わっていることは間違いない。廃業したMatrot-Wittersheimのワインをまた味わえるとは感無量だ。と言うわけでまた少しこのネゴスを買うことにする。と言うわけで在庫が全く減らない。
2023/05/03
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ブルゴーニュワインを複雑にしているのはクリマもさることながら、同族、同姓を持つ作り手の数が多い事によるのは諸兄も同意するだろう。過去にはJayer一族、現代ではGrosが有名だが、実はこのNoellat家もかなり複雑である。Noellatというと一番有名なのはCharlesだが現在はこの子孫と称する人物が商標を買って大々的にネゴスワインを出しているのでこれは論外だ。残るはHudolot-Noellat、Georges、とこのMichelだがこれらの3Noellatの関係性は結構複雑だ。Charlesから畑の相続はLeroyに移譲される前に一部を孫娘が絡んでいるHudolot-NoellatとJJ Confuron(CdVとRSV)が継いだはずだがワイン系譜的には現在のこの3Noellatとは関係ない。この3Noellatの家族関係はWinehogに良く纏めて有るのでこれを引用すると、 · Hudolot-NoellatはCharlesの孫娘OdieleがAlain Hudelotに嫁いで出来た。· Georges NoellatはCharlesの弟Felixの孫が創設。· Michel Noellatはもう一人のFelixの孫HenriとHenri Jayerの従姉妹であるMarie Therese Jayerが結婚して創設。因みにWinehogによるとMarie Therese JayerはHenriと異父兄妹となっているが日本では婚姻不可だがフランスでは良いのだろう。 更に、Barthod-Noellatとは従妹の関係と前置きが長くなってしまったが、今日はこのワイン。既に名声を確立したHudolot-Noellatや最近のGeorgesの素晴らしさの陰に隠れてあまり話題にはならないがこれも中々良い。完全除梗、新樽も適度に使い、抽出も中庸で赤果実がドミナント。エレガントで軽快だが緻密さも有り、少し往年のRougetを思い起こさせる。個人的な感想としては既に名声を確立しているHudolot-Noellatよりも好感が持てる。裾物も過度の期待は禁物だが中々良いと思う。 所有畑も25ヘクタール超、クリマはSavignyからEchezeauxまでとブルゴーニュにあってはかなりネゴスに匹敵する位規模が大きいのだが米へあまり輸出されておらず、レーダーに引っかかってないためか、値段もそれほど高くなく、比較的入手しやすい。 人気が出る前に少し買っておくかな。在庫がまた増えるな。
2022/08/30
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ま、結局人もワインも永遠の命は無い訳とは判っているのだが実際にセラーの中のワインが逝ってしまっているに当たると何だか可哀想な事をしたと思ってしまう。ワインの場合はある程度放置プレーが必要なのだがここまで逝ってしまうと保護責任者遺棄致死レベルだろう。 まあ、冗談はさておき、この作り手(と言って良いのだろうか)は結局のところどうでも良い作り手になりつつあるように感じる。諸兄ご存知の通り90年代初頭に相続紛争で畑を失いDomaineからNegoceへと変貌したのだがその時は中々頑張っていたように思う。実際90年後半から00年代中盤までは今は日仏カップルでミクロネゴスをしている仏人男性が作っていて切れが良く淡い中々素晴らしいワインを作っていたのだが、最近ますます上がっていく値段とは裏腹に輝くところを感じなくなってしまった。まあ、個人の感想なのだが。 さてその逝ってしまったこのワインだが、無闇に捨てるのも何なので隣村のワインで割ってみることにした。アッサンブラージュ魔術による魂の召喚という訳だ。この手のワインはちょっと前までシャンパーニュで割っていたのだがやはり同じブルゴーニュ、CdBの白で割る方が良いように感じる。それなりに良いのだが没個性で膨らみのあるPYCMが少し締まり、良質の熟成ワインに変わる。 最近はただ抜栓して単体で飲むよりこういう方が愉しいと思うようになった。(苦笑)。
2022/01/25
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2000年代に抽出を強くし果実味を前面に出す作りが流行ったことがあって幾つかのドメーヌがその流行に乗って作りを変えた事が有った。その前は1988―90年と短かったがGuy Accad(擬悪化)のスタイルが流行りやはり幾つかのドメーヌがその流行に乗った。そしてこのところの流行はBizotスタイルなのだろう。前に書いたArnoud-Lachaux、Gros Frere et Soeurがこのスタイルに舵を切っているし、今日のこの作り手もそう。 某ワイン評論家が激賞したというこのレジョナルだが一口目から酢酸。完全に果実をマスクして尖った酸が支配的だ。テロワールやVT等のニュアンスが全く飛んでしまいこれらの要素によるワイン独自の微妙な性格が全く感じられない。酸が高く酒駆が軽いので冷やして飲めば飲みやすいのでブルゴーニュにあまり拘らない人には受けるだろうが(そしてある種のカルトっぽい日本ワインに共通するところもある)、個人的には棄却したい。 そう言えば前に書いたこの2つの流行の際もやはりテロワールや作り手の個性が埋もれてしまい、細部が潰れた単純なワインで有る事が多かった。このBizotスタイルの流行、個人的にはCOVIDに並ぶpandemicsであるように思う。 ま、そのうちワクチン出来るかも。
2021/11/17
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今日は軽く。 「ブルータス、お前もか」では無いのだが、一口飲んで驚愕して思わず口に出してしまった「グロフレ、お前もか」。 ちょっと話題になっていたので飲んでみたのだが、のっけからかなりの酢酸、ナチュール。よく言えばキノコを思わせる香りに滑らかな舌触り、のっぺりとした冷涼感を思わせる赤果実なのだが個人的には酢酸が支配的で全く杯が進まない。先日書いたArnoux-Lachauxと同じ系統というか、酢酸が入ると他の要素はあまり感じられないのでこの2つは殆ど同じように感じられる。 日本ワインやナチュールが好きな人には訴求するだろうがオーソドックスなブルゴーニュが好きな私のような人は避けた方が良いのではと思う。この傾向がこのクリマだけに限定されるかは判らないが何もリスクを取る必要もないのでこのドメーヌは個人的には棄却。 あくまでも個人の感想です。
2021/11/10
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このところ新興RMがどっと出て来ている。そのどれもが超小規模でキュベも区画毎で作ったりドザージュ変えたりと複数、更にはシャンプノワも出したりで全て超レア物。当たり前だがどのキュベもある程度の値段はするのだが、争奪戦であっという間に売り切れてしまうというブームになっている。幾つか飲んでみたが、どれも大抵は普通に美味しいシャンパーニュで有った。 検索にひっかからないように敢えて名は出さないが、このシャンパーニュも結果的にそう言うRMの一つだった。PM100との事だがなんて事はない、このRMが位置するAisne県(Department番号は02)はシャンパーニュの北限に近くこの辺りの作り手は大抵PMだ。野心的にノンドゼで作っているが個人的にはそれほどマチエールが感じられずちょっと無理をしているように思える。生産量は1500本ということだがまあ、普通のシャンパーニュ。これなら全く騒がれなくなったBedel、Franck Pascalや老舗のMignonと余り変わらないように思う。いや、これらの方が上のような気もする。 ま、個人の意見です。 後幾つか新興RMを飲んでみてやはりAube(Department番号は10)のシャンパーニュはどうもマチエール不足のような気もしている。私的にはシャンパーニュにテロワールは余り感じないのだが、やはりMarnes(Department番号は51)のシャンパーニュは別格で有り、02や10のシャンパーニュには越えられないものがあるように思える。 ちょっと穿った見方をすると、この新興RMブームも余りにも高くなってしまったブルゴーニュに対する一つの代替(an alternative)なのだろう。メゾンや有名になってしまったRMだとあまり面白く無く、レア物で新興ということで目新しくワイン会で披露して話題作りには最適なのだろう。 そしてワイン会の最初に開けられてワイン会が終わる頃には密度も味も濃いブルゴーニュやボルドーに話題を奪われ、すっかりその味も忘れられてしまう。まあ、そう言うことを考えると、シャンパーニュはその程度で良いのだろう。 個人の意見です。
2021/10/13
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この作り手の事は15年前に飲んでこのブログにも書いたが、それ以来ずっと探して来た。 実はご本人もお会いしてワインの事も尋ねたのだがあまり良い返事は貰えなかった。もっとも彼の雇用主も同席していた場なので遠慮されていたのかもしれない。もうきっとこの人のワインに出会う事も無いと思っていたのだがひょんな事から縁が有り飲める機会が有った。端的に言うと素晴らしいワインであった。 勿論クリマから、大柄では無いものの、透明さを感じさせる軽快な赤果実、それでいて凝縮により力も感じさせる。樽のエピスは中庸でバランスも良い。そして何よりも澄んでいてピュア。同時に飲んだS. CathiardのACも素晴らしかったがこちらはもう少ししなやかだ。個人的にはスタイル的にはそのCathiardとフェミナンなCoche DuryのACの中間的に感じる。いずれにせよ、レジョナルでは間違いなく至高の1本だろう。こういうのを飲むと昨今はやりのナチュールは所詮仇花なのだと思える。 この作り手、2006年から彼の勤めるドメーヌ(敢えて名を書かないが)の全責任者の職を解かれ栽培だけの担当に降格されたと聞いた。近年のブルゴーニュブームでそのドメーヌの名声が高まる一方で個人的にはスタイルがmonolithicになりつまらないと感じ、離れてしまった。彼が降格について何を考えているかは判らないが(ものすごく寡黙な方で有る)、職人肌である彼のこと、きっと自分のワインに注力されているのだろうと想像する。そしてこのワインは確かに私が最初にそのドメーヌのワインを飲んだ時の味に近いような気がして、琴線に触れた、あの時の気持ちを思い起こしてくれた。
2021/10/02
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ブルゴーニュワインはピノ単一品種から作られるのだが、作り手やクリマによりワインの性格、スタイルが千差万別、そのヴァラエティがブルゴーニュワインをブルゴーニュ足るものにしていると言うことは此処で何度も書いた。享楽的なJayer, Rouget、朴訥で温かみのある翁、確固とした構造を持ち圧倒されるDRC、緻密かつ繊細なLeroy、凛々しいRousseau、どれも素晴らしい物だ。まあ、大抵は飲み、それぞれのbenchmarkが出来たのだが、Charles Noellatだけはまだそのbenchmarkに自信がない。最初に飲んだのは確か1966のBeaumontだったが、これは究極の薄旨とも言えるべき素晴らしいワインであった。端的に言うと菫に代表されるフローラルの香水のような香り、華やかでトーンが高く、水彩のように薄いが鮮やかな果実、自分が知るどのドメーヌとも違う素晴らしさが有った。その後何度か飲む機会があったがそのような菫の香りがする時も有ったが、そうでない時も有り、戸惑っている。 ちょっと逸れるがブルゴーニュの大抵のドメーヌの情報は本やネットで手に入る今日、このCharles Noellatともう一つGriveletはかなり謎に包まれているように思う。その理由は両者ともブルゴーニュ黎明期の80年代後半のRP氏やClive Coates氏といった大評論家が殆ど言及せず、Referenceとなる情報が少ないことになるだろう。両者の著書ともにCharles Noellatが記述されるのはLeroyや、Hudelot-NoellatとChristian Confuronへの畑の相続、買収の話で有ったりと肝心のワインの話には言及する事がない。 私がこのドメーヌで一番謎だなと思うのがエチケットの種類だ。諸兄ご存知の通りエチケットが赤(黄色)、白の二種類が有る。この二種類のエチケットの違いに関して米ではVTによって分けているのではという説が有力だが、個人的にはどうも納得していない。実際同一VTでも赤、白のエチケットが混在しているし(RK氏がCharles Noellatの贋作を作っていたと言う事で事態を殆ど検証不能にしている)、個人的にはRamonetやSauzetのように出荷先でエチケットを分けていた可能性も有る。以前はLeroyへ身売りする際にCaveに有ったエチケット無しの在庫をDijonの裁判所で競売されたワインの可能性もあると考えていたがこの線は消えた。(この競売されたワインが最終的に消費されたか転売されたかは謎だが)。 先にも書いたがDRCやRousseau、Roumier、Vogue等の贋作が騒がれる中、このドメーヌもかなり贋作が出てると推測している。個人的にも三度ほど当たったことがあるし、ネットで見ていても蝋封が相当の年月を経たとはどうも思えない鮮明な艶の有る赤だったりして疑わしいものもある。 さて、その「菫の香り」を求めてこのドメーヌを追っているわけだが今日はこのワインを頂ける機会が有った。ワインはリリースで買われ地下のセラーに50年以上ずっと眠っていた。これ以上無い状態だ。色からも素晴らしい状態で有る事が分かる。グラスに注がれスワーリングをしてみると軽い赤果実の香り。マデラ香は全くなく、ワインはしっかりと生きている事が分かる。ただ自分が求めていた菫香の要素が見当たらない。危惧を覚えながら一口啜ったその瞬間に全てが分かる。これは自分の知っている素晴らしいCharles Noellatではない。ワイン自体は赤果実も残り素晴らしいのだが、特記する事はない普通の美味しいワインだった。 勿論Fade Outしてしまった可能性も有るだろうが、よくよく考えてみるとこのドメーヌの白エチケットでその菫香を感じた経験がない。そう言えば当たった贋作も全て白エチケットだった。まあ、単なる偶然かもしれないが白エチケットはちょっと避けるようにしようと思う。
2021/04/17
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一般にワインの楽しみと言えば美味しいワインを味わうというものだろうが、ブルゴーニュワインの場合、その楽しみが初級級、中級、上級と少し細分化されているように思う。昨今はワインの値段が暴騰した事もあり、ビギナーの楽しみは何と言っても有名ドメーヌの上級クリマを飲んでSNSに上げたりして達成感を感じる事であろう。まあ、スタンプラリーみたいなものだ。中級になるとそういう高価なワインを一捻りして適度な熟成をしたワインを楽しみ、さらに上級になるともう少し古い古酒や現在の御当主ではなく、先代のワインを探し求め、少しノスタルジアを感じながら他のワインファンに対して少し優越感を感じる、とまあ、こういう感じだろう。そして大抵のワインファンはこの辺りで終わりなのではないか。まあ、それはそれで良いのだろうが、粗方飲んでしまうと結局は大抵どれも想定内で別段感動はしない。 この先のワインの楽しみというのは実はまだ有る訳でそれは「想定外のもの」に出会うことだろう。その一つは同じ作り手があるVTに於いてそのスタイルが突然変異を遂げる事がありこれはnegativeでもpositiveでもあるが人の成長変化を見ているようで中々面白い。もう一つの楽しみは世にあまり知られていないが秀逸な作り手を見つける事である。当たり前だが玉石混淆の中からこういう作り手を探し出すのは偶然と幸運が必要でそれが故に探し当てた時の嬉しさは格別だ。 ちょっと前置きが長くなってしまったが今日はこの1本。全く無名のしかもPernandというちょっと盲点的な村。しかもVergelessesのような伝統的に素晴らしいと言う畑ではなく、2001年に格上げされた畑。全体的に硬質でスレンダーな酒躯でMeursaultやPulignyといった所謂本筋のブル白とは違う。所謂「冷たい陰」と呼ばれるPernand側のEn Charlemagneを感じさせる透明感が有る。果たして、畑の位置はEn Charlemagneの少し北側、高度的、地質的にはほぼEn Charlemageと同様だが、exposureは東向きでEn Charlemagneよりも良いように思う。2013であるにも拘らずデキャンタージュが必要に思える位の還元的な作りで酸も高く十分熟成もするだろう。惜しむらくはもう少し果実のマチエールが有れば良いが、個人的には並のEn Charlemagneに匹敵する素晴らしさ。何よりも価格的に魅力だ。 30年以上飲んでいてもこういったドメーヌとふと出会う事もあるのがブルゴーニュの奥深さだ。時折ブルゴーニュから出てみたけどやっぱり戻ってきてしまう。
2021/03/28
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最近はやりの所謂自然派の作り手。このキュベは彼のラインナップでは最上位だ。前に彼の白を試してみて乳酸や酢酸的なニュアンスを多分に含んだ、典型的な雑菌入り発酵だと感じた一方、それ程濁った感じを受けなかったのでこの赤も試して見ることにした。 結論から言うと個人的には棄却だ。白同様酢酸と乳酸に支配され肝心の果実がマスキングされている。果実は決して薄く無いのだがそのマスキングのため香りも良くはない。フィニッシュにかけて高い酢酸のような棘を感じる。畑の位置からクリマのポテンシャルは有ると思われるが全くそのニュアンスはないがブラインドだとニュイどころかセパージュの同定も難しいだろう。自分ならオートコートで作られたガメイと答えるか。そして熟成のポテンシャルは僅少だと感じる。 まあ飽くまでも個人の感想ということで。 さてこのワイン、前に書いたルーシー某のワインや最近流行りの日本ワインに共通する発酵事故系の味わいだ。まあそれを好きな人が居る事は別に構わないと思うが、それらのワインを飲むとどれも酢酸、乳酸というファクターの元でセパージュと関係なくどれも同じ味である感を受ける。そしてその味はワインと言うよりお酢飲料のそれに近いように思える。 まあ飽くまでも個人の感想ということで(笑)。
2021/03/20
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ブルゴーニュワインはCh,PNという単一セパージュなのだが、作り手、村名、VTで色々とスタイルが違い一概にブルゴーニュワインはこういうものだと言う事は出来ない。至極当たり前のことで有る。が、しかしながら、シャンパーニュはあれほど広い地域で山のような数のメゾンやRMが存在するにもかかわらず、有る程度飲みつけた人、いや有る程度飲みつけた人であれば尚更、典型的なシャンパーニュの味というのは基軸的感覚として確立されている訳で、実際に飲み、味わって見るときにはその基軸上でのベンチマークと比較して美味しい、それ程美味しくないという判断をするのだろう。ブルゴーニュがクリマと人によるスタイルの違いから来る多様性を楽しむのに対し、幾つかのセパージュから作られるシャンパーニュは予定調和を期待されて、同じスタイルを目指す。逆説的だがまあ、理に適うところも有る。Jayerの弟子筋とされるブルゴーニュの作り手が皆それぞれ個性を持ち、色々なスタイルで作っているのに対し、○ロスの弟子とされる人のワインはpseudoとまで行かなくても大抵quasi-○lossとでも言えるべき同じスタイルで没個性であるように感じられる。(まあ、飲み手の方も安い○ロスを期待して飲んでいるのだが(苦笑))。 さて、前置きが長くなってしまったがそんな没個性的な作りが多いシャンパーニュだがこの作り手だけは別格であろう。流石にBdBは大人しいが、このキュベはちょっとoutlierだ。普通の典型的なシャンパーニュの味を想像していれば面食らうだろう。テクニカルノートは各自ネットで調べて頂くことにして、ここに印象を書く。 まず色がオレンジ。ロゼかと間違えるような色。最初の香りから典型的なシャンパーニュの白果実とは全く違う花梨、コンポートのようなトーンの低い果実。口に含むとその香り通りの花梨、トースト等の複雑な味わい、BdNだけあって酒躯は重いがそれを酸と炭酸が纏めている。瓶熟が30ヶ月と少ないにも関わらず熟成が進んでいるのはSO2が少ない(或いは無添加?)のせいだろう。全体的に緻密な酒質。典型的なシャンパーニュにありがちな粗さは全くない。PNなのだが良質のCdBの熟成した白ワインに近似している。素晴らしい1本。グラスはモンラシェ系かブルゴーニュ赤ワインの方が香りが楽しめて良い。そして食前酒ではなく食中に料理と合わせる方が良いだろう。 普通の泡飲みにとってはまあ、こういうワインは苦手、嫌いというのも判る。ただこのワインはシャンパーニュというより、この作り手の思いが入っている作品なのだろう。個人的にはChampagneで間違いなく唯一無二の作り手だと思う。
2021/02/02
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今日は軽く。 押しも押されもせぬSancerreの筆頭だったこの作り手。1.5ヘクタールという事で非常に生産量が少なく(8000本位か)、昔はちらほら買えたのだが、ここ4−5年程ブレークして、争奪戦になり、日本は元より、米でもほぼ買えなくなってしまった。だが、代替わりして娘さんが継ぎ(2008年?)どうもスタイルが変わったように思える。端的にいうと凝縮しつつも透明でピンと張りつめたような緊張感溢れるスタイルではなく、少し緩めで優しく包み込んでくれるような感じを受ける。08、09、10と飲んで来てそう思い、このVTもこの自分の感覚通りであった。上品だけど大人しく、残念ながらsuis generisとは言えない。勿論素晴らしいのだが両Cotatと同レベルの出来だと思う。CPを考えたらCotatで十分だ。 まあ、良かった。これで作り手を一つ卒業出来る。
2020/12/03
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このブログも初めて15年以上経つが、初期の頃に年長の英友人の警句として、WHAT YOU DRINK DOES NOT MATTER. WITH WHOM YOU DRINK MATTERS.というような事を書いているが、その意がはっきりと判る歳になってきた。詰まるところ、歳をとるにつれ、人は身体的幸福よりも精神的幸福に重きを置くようになるのだろう。それと同時に絶対的な幸福を追い求めるより、程々で留め、相対的幸福で満足すれば良いように思う。頂点を求めて登攀し、素晴らしいワインに出会ったときの高揚感よりも一本のワインを友と分かち合う事の出来る僥倖の素晴らしさの価値が判るようになったということか。さて、今日の1本。ご存知の通り2003年までFAIVELEYに貸し出されていて2004年に彼に戻ったが、よっぽど白を作りたかったのだろう、戻るや否や、白を始めるのだが、改植ではなく同年にPINOTの接木部を外して(若木ではなく樹齢30年程)CHARDONNAYを継ぐという変則的な作り方をしている。十分生育した根部を利用するためとのことだが、結果をみると成功であるように思える。このワインは接木からまだ5年しか経っておらず少しマチエールが足りない気もするが、良質のCDNに共通する硬質でスレンダー。芯が有り、透明感溢れる。それでいて奥行きも有る。CDBのように自己を主張せず控えめだが、素晴らしい仕上がりだ。ちょっと最近のVTを飲んでみたくなった。NSGの白も下山のお供にはちょうど良いかもしれない。ただこれもそこそこの値段するようになってきてちょっと下山には難度が高過ぎる気もしている。
2020/10/30
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ワイン通ならば発泡酒の本家と言えばChampagneだという事は当たり前の常識以前の問題だろう。BourgogneではCremantという発泡酒があるがChampagneよりも格下、下位代替品と思われている事も間違いない。だが歴史的にはBourgogneで発泡酒(vin mousseux)を日常的に作っていた事が文献から伺える。 Dr. Morelot(1831)には発泡酒を赤から作る事、そして銘醸畑(vignobles les plus distingués)からは素晴らしい発泡酒が出来、発泡酒の価格が高い事が書かれている。これらのことから特級格の畑からも発泡酒が作られていた事が伺われる。Danguy et Aubertin (1892)に掲載されているBeauneのNegociantの広告の中にVolnayの単一畑から特別な(!)発泡酒を作っている旨が載っている。赤の発泡酒は現在も続くAppellation Bourgogne Mousseuxにその名残が見られる。(多分唯一赤の発泡酒の筈)。 ここからは憶測になるが、ブルゴーニュの畑が格付けされるようになり(CABの最初の格付けは1860年)、19世紀後半から20世紀初頭にかけブルゴーニュ、特にCote d’Orでは混ぜて作られる発泡酒よりも単一畑のvin tranquilleに特化していていき、需要を満たす為、Champagneでの発泡酒の生産が大きく増えたように思われる(勿論流通の進化等、他の要素もあるだろう)。メゾンでの発泡酒の生産に安いLoire産を使った事を発端とするAubeの一揆が起こったのが1911年で有るがこれは単なる符合では無い。 そういうブルゴーニュの発泡酒だが現在Champagneの劣位代替になっているのは偏にその種ワインの質だからだろう。端的に言うと、(1)GamayやAligoteのような劣った品種の一定割合の混入許可、(2)ChalonaiseやHCのようなCote d’Orより劣ったクリマからの葡萄、(3)高すぎる収量の3つだ。2009年からはCrementに使う畑を事前申請する事を義務付け、事後的に質の劣った葡萄を流用出来なくなった為、若干の質の向上は有ったかもしれないがやはりChampagneには遠く及ばないだろう。 さて、色々書いてみたがChampagneとブル赤の組み合わせは中々良い。最初に淡く、中は深遠さ、そしてフィニッシュに長いミネラルの切れが有る。素晴らしいとしか言いようがない。Dr. Morelot が叙述していた200年前もきっとこのように飲んでいたのだろうか。 個人の感想です。
2020/08/19
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今日はちょっと軽く。 昔はChassagneの白と言うと大抵は野暮ったくて、スレンダーなPulignyやちょっとエスプリの効いたMeursaultと違いお尻の重い女性(失礼!)に例えられるワインが多いように思っていたのだが、年を経て下山ワインとしては中々悪く無い。ミネラルが余り感じられない分だけ、果実味を濃く感じ、若いうちからそれなりに飲めるように思う。この村は基本的に地層が重い粘土質で歴史的にも赤が中心だった。Lavalleの著述でもMontrachet以外に白はRuchotteしか記述されておらず(しかもPinot Gris)、フィロキセラ後も赤が植えられ、白に改植されたのはブル白が売れるようになったここ50年程の事で有る。実際この村の白で個人的に特記するべきものはRamonetのRuchottesのみでそれ以外は誰が作っても大抵鈍重な出来だ。逆に言うと作り手や畑に拘る事なくさっくりと飲める。 さて、このワインだが、作り手は中堅どころ。畑は村名格だが一応Champ Gainの向かい。Lavalleでは現在一級のVergersやChenevotteと同格の二級なので村名格。勿論赤の畑でワインも予想通り重めだが、果実がストレートで変な樽も無く、非常にピュア。熟成も今がちょうど良い頃合いだろう。 特段素晴らしいワインでも無く、特段オチもないが、コロナ禍の今、まあこうやって飲めるだけでも十分幸せなのだろう。
2020/08/14
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ブルゴーニュのクリマが楽曲に例えられるならば作り手はその演奏家だと言う事は何回も書いた。非常に面白い事だが全くの同一畑なのに別の作り手がその畑を継いだ途端にそのワインのスタイルががらっと変わる事はブルゴーニュにとって当たり前で有る。最近の一番顕著な例は翁の畑を継いだDavid Dubandだろうが、Rene Engelを2005年から継いだこの作り手にも当てはまる。 Rene Engelと言えば緩いが高いトーンの官能的なフェミナンな果実味が特徴で個人的にはH.Jayerに非常に似通っているように思う(確かH.Jayerの師がRene Engelで有った事を考えると当たり前だが)。ところがこの蔵はそれとは全く正反対で確固に仕上げられている。最初の05はVTのせいもあるのだがり手の出自のボルドー、しかもLatour的とも言えるマスキュランなワインで余りにも凝縮感が有り過ぎて違和感すら覚えた。このワインは06で完全徐梗され少し柔らかさも有るが、やはりマスキュラン。しっかりとしたタンニン、少し黒目で奥行きのある果実、まろやかな酸、と隙が無い。相当にお金、人手が掛かった作りで有る事は容易に想像できる。 だがどうなのだろう。余りにも完璧すぎて個人的にはどうも「感心はするが感動はしない」範疇に入っているように思う。リヒテルの演奏のように精巧正確だがEchezeauxの緩さ、楽しさ(しかも畑は上部!)が感じられない。タンニンの結び目が解けるにはまだ軽く10年はかかるだろう。生きている間に飲めないCh. Latourを私が買う事がないように、きっとこのドメーヌも買う事はないだろう。 ところでこのエチケット、まずドメーヌを大きく書いて、その下にクリマが小さく書いてある。クリマの前にシャトー有りきというボルドー気質が抜けないのだろう。
2020/08/06
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シャンパーニュとブルゴーニュのassemblageについて書いたのだがちょっと過激に過ぎたかかなりの反響が有った。まあ、こういうお遊びに眉を顰める人が居る事は重々承知であるし、特に業界に関係している人には言語道断、僭越無謀の極み、ワインを侮蔑する行為だと捉えられるかもしれない。だが多分ワインを何周も回ってエチケットの呪縛から逃れた人なら腑に落ちる所も有る筈だ。 assemblage (英:blending)も falsification (英:adulteration)とは混ぜ合わせだが、主目的は真逆だ。後者が劣等な物を混ぜ合わせ正規品と詐称する目的で有るのに対し後者は混ぜ合わせで、それぞれの良い所を引き出し、より高みを目指す事だ。RK氏もassemblageの天才で有ったが彼の失敗は本物を超えた本物を作ろうとして結果犯罪になる一線を越えた事に有る。 今回は先に書いたVogueの03をこのシャンパーニュで割ってみたのだが、自画自賛で申し訳ないが自身でassemblageの真髄を見たように思う。即ち両者の弱点と思われた事がassemblageで長所に変わり、バランスが良くなると言う事だ。このシャンパーニュ、まずまずの作りで酸は綺麗なのだが、軽質で厚みが無い。ドザが殆どないBdBのためなのだろう。単体だと最初の乾杯には良いが食中酒には役不足。ワイン会の最初に一杯で後は放置のパターンだろう。Vogueは前にも書いたが凝縮しているが酸が少なく鈍重に感じる。VT特有の焦げも感じる。ところがassemblageするとシャンパーニュの軽薄感が消え、厚みが出て華やかさがぐっと増す。焦げや樽成分もシャンパーニュの綺麗な酸に溶け込み適度なトースト感が出る。Vogue本体、シャンパーニュ本体よりも格段に良かった。有る意味で究極のBdBだろう。 そしてこれを飲んで今のシャンパーニュの本質を見切ってしまったような気がする。少しおいてもう少し書く事にする。(この項続く)
2020/07/13
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ブルゴーニュを飲み込んでいくと赤も白もCdNとCdBの間に味に関してdistinctな差が有る事を学習するが、ピノやChだけで無くAligote(A)に関しても言えると思う。端的に言うとCdBはChと同様、綺麗な酸が有り軽快なワインが多い反面、CdNのAは堅く、鈍重とまで行かなくとも太い感じがするものが多いように感じる。まあ、CdNのAの多くは低地や時には国道の反対側にあるという理由にも依るのだが。ただ質は一様に劣るとは限らず、優れた赤の作り手の中にはCdBの優れたワインに匹敵するワインを作る人がいる。 この作り手、日本ではさほど人気が無いが米では絶大な人気を誇っている(が故に価格はかなり高い)。赤は米人好みで個人的には濃すぎるように感じるのだがこのAligoteは中々素晴らしい。果実は控えめな白果実だが、香りに品があり、ミネラルも十分でフィニッシュがきちんと縦切れするので飲み疲れはしない。15年近くも経っているが全くヘタれた所が無いのは立派だ。酒質は少し軽めなのも愛嬌で十分許容範囲。優れたCdBのものには敵わないがCdNのAligoteではトップクラスであるように感じる。インポーターサイトによると何とAligote如き(!)に新樽30%も使ってるらしい。前代未聞の太っ腹である。良く見るとブッションも中々良いのを使っている。 そして、このワイン、製造本数は3樽程と、実はかなりのレア物。ここ2−3年で遂に米でもコスパを考えてAligoteがブレークしつつある事を鑑みるとこれからこのドメーヌのAligoteも日本では手に入らない時が来るだろう。 一度市場で見かけたらお試しあれ。ま、過度な期待は禁物ですが。
2020/07/11
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獅子搏兎という諺が有るが、ブルゴーニュの一流の作り手にも当てはまるように思える。即ち、裾物から一級、特級まできちんと仕上げる事が出来て初めて一流の作り手と言える。赤は裾物でもそれなりに纏められるが、白に関して言えばこの裾物から上までconsistentに作るというのは中々難しく、それが出来ているのはCocheやRamonet、Lafon等超一流とされる作り手に限られるように思う。残念ながらLeflaiveやRoulotは裾物は今一つだし、A. Enteは逆に一級が冴えない。 先日久々に感動したこの作り手の裾物。このワインに関しては確かに10年近く保てると言う事で一応合格だがCdBのAligoteに特有の綺麗な酸やミネラルが余り感じられない。果実も薄く、マチエール不足、平板なのは否めない。凡庸なワインで、時期柄Spritzerにした。このワインの前に赤のAuxeyも試してみたのだがチャーミングさに欠けやはり凡庸で飲んだ瞬間に落胆してしまった。この点に関して、結論を言うとやはりまだ一流半に留まるようだ。 通算一勝二敗と言う訳で、負け越してしまったが、あの勝利が忘れられず結局2ケース程買ってしまった。やはり何年経っても学習能力がつかない。ま、皆同病だと思うが。ee
2020/07/07
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偏見かもしれないが、ロワールのワインと言うのはどうもブルゴーニュに対しての徒花で有るように思える。勿論、自然派として情熱的にワインを作るヴィニュロンも多いし、そういうワインを愛している熱狂的なファンがいるのも承知している。ただどうだろう、ロワールのワインの一番の魅力であり、そして残念ながら一番の弱点はセパージュに有るように思う。白に関して言うとSBは野趣に富むが洗練味に欠け、CBはどうも平板で淡白な味になりがちだし、赤は粗忽なCFだ。ブルゴーニュのセパージュ、ChやPNのように高貴な香り、ふくよかな果実味が有る故の樽との相性の良さ、そして熟成のポテンシャル。まあ、私も色々と飲んでみたが、ごく一部の例外的な作り手を除けば、残念ながらロワールの素晴らしいとされる大抵の作り手でもせいぜいブルゴーニュ中堅どころの作り手レベルのような気がする。 このロワールワイン。自根でロモランタンというマイナーなセパージュ、作り手は自然派の旗手の一人で、かなり拘って作られているこのワインは彼のトップキュベだろう。15年経っているが、酸化の要素が全く無いのは見事だと思う。ただやはりロモランタンというセパージュの故だろう、香り、味わい全てに淡い。軽やかと言えるが私にはどうもマチエール不足のように思えた。個人的にはこの値段ならPMの中堅どころの一級辺りの方に惹かれる。 これも偏見で有るがロワール好きと公言するワイン通はどうも天邪鬼で有るようにも思う。勿論、好みで有るから別段何の問題も無いのだが、彼らの発言を見ていると、確立され、高騰してしまったブルゴーニュに対して敢えて背を向けることで、自己を主張している、anti-establishmentとなっている。別段そこまでブルゴーニュを異端視しなくても良いのにと思う事も有る。そしてそういう彼らの発言を聞いていると実はブルゴーニュが好きなのではとも思えてくる事が多い。そしてこの事は日本ワイン好きとされる人たちにも共通するように思う。 やっぱりブルゴーニュは美味しい。ブルゴーニュの森を出て彷徨うとその事がよく判る。彼らも早くブルゴーニュに戻って来れば良いのにと思う。素直になりなよ。
2020/06/04
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穿った見方と言えばそれまでなのだが、Loireワインはやはりフランスワインの中でサブカルでは無いかと思う。主流で有り、アペラシオンや格付けと言う絶対的なヒエラルキーに縛られるボルドーやブルゴーニュに敢えて反抗する個人の集団だ。そう言い切って鑑みてみるとボルドーやブルゴーニュは飲み手側にある程度の素養、教養を要求するのに対してロワールは必ずしもそういう素養や教養は必要無いように思える。歴史やクリマを知らなくても、無農薬、SO2無添加、古樹というbuzzwordが訴求対象になる。勿論LoireにもAppellationは有るが特殊な造りのためAppellationが取れずVdPになったという事が却って付加価値になり高値が付いている事も多い。そしてLoireファンはAlsaceやRhoneファンとは違い、BourgogneやBordeauxファンを敵視し、馬鹿にする事が多い。正にサブカルファンのハイカルチャーに対するinferior and superior complexから来る敵視に通じる所が有る。Loireが正にサブカルで有る所以で有る。 さてそのサブカルならぬLoireのワインだが玉石混淆だ。mediocreなワインには事書かない一方で勿論 FoucaultやVatanなどのように孤高のワインも存在する。そしてサブカルファンが喜ぶ多くの「特別な」ワインは大抵普通の美味しいワインの範疇に留まる。今日のワインもそういう普通に美味しい1本。アペラシオンが取れないcepage、自根、レア物という事でカルト扱いになっているのだが。確かに普通のロモランタンよりは濃いし、少し高めのアルコールのせいだろうか、それともSO2添加か、このcepageで15年保っているのはまあ、立派だろう。全体的には有る程度評価するが、やはりこのcepage自体の淡く、力の無さを反映していて自根とは言えそれ程力は感じない。こういう普通のワインもきっとサブカルファンはエッセンス、エキスと言って珍重するのだろうとは容易に想像できる。 「幽霊の正体見たり枯れ尾花」では無いが、基本的に唯一無二と思っていたLoireワインをよく飲んでみるとその正体は普通に美味しいワインだという事だ。突き詰めて言えばLoireワインには平凡な唯一無二が多すぎるように思える。
2020/02/20
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老舗、中堅のドメーヌの作りで同じビオだが前日のシャンパーニュとは全く違うスタイル。前日のが花梨、リンゴのように少し重心が低く、噛みしめれるような厚みが有り、最初の一口からインパクトを感じる「今風のビオ」に対し、こちらは淡く軽やかな白果実が中心。BdB、VTも新しいという事も有り、繊細、エレガントでまあ、「クラシック」と言えるのでは無いだろうか。鮮烈な印象は残さないが、外連味無く安心して飲める。まあ、Extra Brut表示ならもう少しドザを減らして欲しい(4g/l)ような気もするが、この廉価版なら及第だ。 シャンパーニュは色々と飲んできたが、スタイル的には「今風ビオ」か「クラシック」のx軸、質的には「美味しい」か「それ程美味しくない」のy軸で作られる4つの象限で分けられるように思う。そうするとこのワインは多分x=10、y=0辺りだろう。特に感動もなく、特に落胆もない。まあ、結局のところシャンパーニュはそんなもので良いという気がする。(異論は認める)
2019/07/19
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この際だからついでにこのワインについても軽くまとめておく。 ビジネスはともかく芸術に於いて優れた親を持つ子というのは大変だと思う。親と同等でで当たり前、少しでも親より劣ると批判される。歌舞伎のように幼少時から親がみっちり稽古してからデビューするというシステムが出来上がっていれば良いがそうでないと子供が得てして苦労する。 ブルゴーニュでもde facto的に子供を鍛えるシステムが出来上がっているが、時には不慮の事故や病気によりご当主が夭折され、その後混迷に陥るドメーヌもままある。特に名は挙げないがSavignyやMoreyの例はよく知られている。 閑話休題、この作り手。ご存知の通り2006年に父親の不慮の事故で24歳の若さでドメーヌを引き継いだ。色々と混乱はあっただろうが、よく引き継いで名を保持したと思う。其の点では既にachievementを成し遂げた事は間違いない。そして肝心のワインの質だが、あくまでも私の感想としては先に挙げた2本、彼から見て祖父、父のワインと同じ高みに達しているとは言えない。端的にいうと、VTや熟成度の違いは有るが、感心するが感動はしない、まあ、genericな「普通に美味しいワイン」の範疇に止まっている。資料によると「力強さにフィネスやエレガントを備えたものとなり」と書かれているが、個人的には、むしろ逆で力強さが前面に出て来ている。前当主のこのクリマは滑らかでそれこそ歌舞伎の女形のようなマスキュランともフェミナンとも言えない独特の妖艶さ、官能美を感じさせるものだったのだが、これはどうもこれはストイックで強すぎるに思える。果たしてこれが熟成して親のワインと同様の高みに昇るか。個人的には少し疑問で有る。 まあ、これを機会にこの作り手は今後追いかけなくても良いと決断できたので良しとするべきなのだろうが。
2018/11/17
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これはかなりマニアックなワイン。父、兄弟の家族経営(GAEC)が崩れ、兄弟それぞれのドメーヌに分かれたのが1991なので、このワインはGAECの元での最後のワイン。エチケットが現行のものなので醸造は分離前だが、分離の時に仕掛かりの樽も分けたのだろう。分離後に兄が瓶詰め、ラベリングをした事が容易に推測される(弟、及び父のエチケットとは違う)。時期的にエルバージュもしたかもしれない。だがこの畑は弟に継がれたのでこのエチケットでこの畑はこのVTだけだ。そして表記には敢えて自分のファーストネームを略している。彼がどういう事を考えながらこのワインを瓶詰めしたのだろうと想像を巡らせてしまう。まあ、どうでも良い事だが、そういう意味でこのワインはsui generisだ。 さて肝心のワインだが、素晴らしいの一言に尽きる。スケールは大きくないものの妖艶さを感じさせる滑らかなテクスチャー、香りと味が一致するトーンの高い果実。ある程度深みも有る。そして適度な軽さが良い。Lavauxのような深みはないが、それが却って軽快、洒脱感じさせ高揚する。クリマのせいか、少しmusclineだが間違いなくJayerに通じるスタイルだ。 他愛ない普通のワインだが、こういうワインの価値が判るにはやはり飲み手の経験がそれなりに必要だろう。謂わば飲み手を選ぶワインだ。そしてこの価値を判るだけの古参の飲み手と飲むには理想の下山ワインの一つだ。まあ、下山ワインの範疇を越える気もするが。
2018/11/14
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神と崇められたあの作り手からワイン作りの奥義を皆伝されたと言う作り手は自薦、他薦、色々といるが、実際それらの作り手を飲んで見て往年の神の域を感じさせてくれる作り手は自分が知る限りでは2人しかいない。甥でも地主・雇用主の二人でも無い。尤も甥は92年までと00に関しては例外的に神作品を感じさせるが。 その2人の一人はこの作り手になってしまうだろう。勿論かたやVRの1級や特級、こちらはGevreyでしかも村名格とクリマのポテンシャルも違うし、新樽も少し抑え目で神のように一口口に含んで「服を脱いでテーブルの上に登って踊りたい衝動に駆られるような」高揚感は無い。それでも十分妖艶でエロチックさが有る。完全徐梗から来るしなやかでピュアでトーンの高い果実、滑らかな触感、長い樽熟によるエピスと果実の混じる複雑な香り。抽出も強すぎず弱すぎずバランスは素晴らしい。正しく神のスタイルだと思う。 今振り返ってみればちょうどこの作り手が神の主宰する会に参加したのはその頃ではなかっただろうか。あの素晴らしいVTの99の出来が悪く酷評され(抽出が強すぎたか)、この会に参加してinspireされたのか、この年の彼のワインはこのワインも含めてどれも素晴らしい出来だ。 2006年1月、神よりも先に召されてしまったが、今存命なら素晴らしいワインを作っていたように思う。息子が彼の跡を継いでワインを作っているが、まだその域には達せず普通に美味しいワインの範疇に留まっている。
2018/10/29
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敬愛する東海林さだお先生がラーメンは旨いラーメンとそれ程旨いラーメンに分ければ良いと喝破されていたが、究極的に言ってこの分類はシャンパーニュにも当てはまると思う。即ち、美味いシャンパーニュとそれほど美味くないシャンパーニュの二通りだ。「いやそんな事はない、セ●スやクリュ●、アラン・ロ●ール等無比な素晴らしいシャンパーニュは有る」と言いはる御仁はいるだろう。実際、自分もそう思った事も有ったが、結局のところシャンパーニュはこの二種類の分類で良いように思う。 シャンパーニュはブルゴーニュと違い、クリマによる格付けがないので高級感の演出はどうしてもマーケティングに頼るところが大きい。Lieux Dit, 自根、長期瓶熟等違う切り口で攻めて来て、瓶やエチケットも豪華で専用箱も用意されている。そして、どれも価格は高く設定されている。そして質のイメージはその高い価格から来ている事が多い。俄かワイン通にとって「高いから美味いだろうし、飲んで見たい」期待感、そして「高いのを飲んだ」優越感、となる訳だ。SNSに上げるとなると尚更だ。 勿論高価なシャンパーニュの中には素晴らしいものも有る事は事実だ。だがシャンパーニュはブルゴーニュと違い、例えばドザージュ、アッサンブラージュ等各種の人為的interventionが入って来る。ワインのmaquillageと言えばブルゴーニュでが殆どの場合、樽の事を意味するだろうが、私的にはこれらシャンパーニュ独特のinterventionがブルゴーニュより遥かに質が劣るワインでも適度に飲めるようになるだと思う。更に自然といえばその通りだが炭酸はそのmaquillageの最たるもので、実際よく振って炭酸を落としたシャンパーニュとブルゴーニュとを比べると肌理の粗さが目立つ。mediocreなMeursaultの作り手のワインの方が素晴らしい作り手のChampagneよりも良かったりする。翌日、すっかり炭酸が抜けたシャンパーニュを「モチ肌だったと思った女性が一夜を共にした翌朝、スッピンになってサメ肌になった」ようだと評した私の友人がいたが、うまく言い当てているように思った。よく分からないが。 そうは言っても別段disる気はなく、良質のシャンパーニュは独特の素晴らしさが有る。密度こそ低いものの、溌剌とした酸、軽い酒躯、淡い果実から来る躍動感、炭酸から来る爽快感はブルゴーニュとは全く違う楽しみを味わわせてくれる。ただそれを味わうために大枚を叩くは必要なく、リーズナブルな価格で楽しめば良いと思う。実際リーズナブルで美味しいシャンパーニュは存在し、それを模索するのは一興だし、意義がある事だと思う。 と言うわけで今日はこの1本。BdBらしい繊細な香り、酸の美しさに加えて、良質の果実の厚みや瓶熟から来る複雑さ、しばらく経つと果実が膨らみ、力さえ感じる。このメゾンの白ラベルが余りマチエールを感じられないもう一つの範疇に属するシャンパーニュで有る事から、少しお金をかける価値は十分ある。そしてもう少しお金をかけてこの上のキュベを買う必要は感じない。 ただしこのワイン、単なるメゾンのBdBのミレジメでSNS写りも悪く、ワイン会女子には全く受けない事は間違いない。全てを知り、悟りの域に達した古参男子と飲むのが良いだろう。人生後半も半ばを迎えた古参二人でしみじみ飲むシャンパーニュも悪くないような気がする。
2018/09/01
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Auxey, Monthelie、Blagnyと言った少し標高の高い畑のワインはうまく作れば深みこそないものの、軽快でチャーミングで非常に楽しいワインに仕上がる。Meursaultの双璧、Coche、Lafonに限らず良質の白生産者の赤は素晴らしいものが多い。所謂「白屋の赤」だ。 市場価格が人気、質を表すproxyであればCoche, Lafonに続く3番手としてすっかり有名になってしまったこの作り手の赤。結論を言うと、軽いが、果実味が感じられず、痩せぎすでチャーミングさの一片も無くちょっとリピートは無い。クリマの優劣は有るが、Arnaud Enteの赤の方が断然上である。あくまでも個人な感想だが、この作り手の白もどうも苦手だ。 おしなべて酸が高く、果実味はあまり感じられ図、寡黙で繊細と言えるかもしれないが、どうもマチエールが足らないような気がしている。値段も馬鹿高くなってしまったと言う訳でこの作り手は赤も白も手仕舞いとする。いや、やっぱりもう1本試してみるかな。
2018/08/25
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PMOの要因として色々な人が色々な事を言っている。筆者の経験からして、特定の生産者、特定のVTに多く見られることから、作り、特にバトナージュやSO2の使用量等複合要因であるように思えるのだが、まだ決定的な説はまだ出ていない感じだ。そしてこのPMOにより、ブル白の飲み頃を選ぶのはというのは本当に難しくなったと思う。さほど古くないVTでもPMOにより飲めなくなっているワインに当たることが多々有る。個人的な印象で恐縮だが、98, 99, 04辺りは大抵大丈夫だが、02, 05, 06辺りはかなりリスクが高いように思う。 さて、このワインだが開ける前からの危惧通り完全にPMOで逝ってしまっていて、全くコメント不能であった。この逝ってしまったワインというのは飲むことも出来ないし、料理にも使えないし、と言うことで大抵は流しに開けることになるのだが、盟友ラ・ロマネさんの助言でこのワインをリザーブワインとして、シャンパーニュを加えて見たら、あら不思議、ちょっとした熟成シャンパーニュになってしまった。そしてこれがかなり飲めるので有る。若いシャンパーニュの酸味が逝ってしまったワインのえぐみを綺麗にマスクし、そしてそのワインが深みを与え、適度に要素もある、そこそこの熟成したシャンパーニュだ。ひょっとしてセ●スより美味いんじゃないかと思った。 この場合は完全PMOなのでリザーブワインとシャンパーニュの差は1対10だったがPMOが弱ければ1対1でも大丈夫だ。PMOのワインを肴に皆がアッサンブラージュ職人となり、最適な割合を競い合う。当たり前だがPMOと言ってもシャンパーニュのどんなリザーブワインよりも出自、素性は素晴らしいワインだ。言わば腐っても鯛。その腐った鯛を使った高度な大人の楽しみだ。 読者の皆様にもPMOのリスクが高いブル白を開ける時は横にシャンパーニュを用意されることをお勧めする。その際のシャンパーニュは出来ればBdBでNV、ドザージュは少なめでマチエールがあまり無いものだと尚良い。是非お試しあれ。
2018/08/14
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今日は軽く。 日本も本格的な夏を迎えたようでこれからの季節は赤が少しきつくなり、白か泡が主体となるのだが、ロゼも悪くないと思い、「世界一高価」と言う触れ込みのこのワインを試して見た。端的に言うと、「世界一高価」なロゼは「世界一美味しい」ロゼでは無かった。 と言うとあっという間に終わってしまうので少し引っ張ると、我々がロゼワインに期待するのはほんのりとした優しさ、そして軽快感だろう。仕事を早めに切り上げ、明るいうちから大切な人や仲の良い友達とアペロ。会話は弾み、杯を重ね、気がつけば日が落ちて1本が空になっている。じゃあ、次に赤(或いは白)を頼もうかと言う具合に宴は進行していく。あくまでもオープナーとしての小道具。 このワインはそれには重すぎる。酸も弱く可憐さがなく、アタックからとにかく重圧感が有る。作り自体は悪くないのだろうが、苦手なタイプだ。そしてセパージュから来る、獣に通じる「野」も感じる。1杯の途中だったがレッドカードを出してしまった。このワインよりも格安なTempierでも十分だろう(これも重いが)。それと、個人的にはBordeaux Roseも同様、重苦しく苦手だ。やはり自分にとって世界一のRoseはCotatだ。値段が世界一になる前に楽天で少し買っておく事にしよう。
2018/07/03
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世間では絶大な人気があるこのクリマだが、私的にはどうも苦手だ。Vogue, Roumierという超人気ドメーヌを何度も飲む機会が有ったのだが、それほど感銘を受けず、寧ろ、このクリマを作る中堅以下のドメーヌの酷さに閉口してそれから少し遠ざかっていた。ひょんなことからこの大手有名メゾンのこのクリマのワインを味わう機会が有った。ネゴス物であるし、このメゾンは堅実な作りというイメージが有ったので先入観無しというか、全く期待無しで飲んだのだが、一口目で仰け反ってしまう位感銘を受けてしまった。多分元々シルキーだったのだろうが、20年以上を経てタンニンは殆ど感じず、少し重心の低い赤果実。まだ若さもあるが、樽から来るエピス、バニラが溶け込んでしっとりとしている。妖艶という言葉が相応しい程官能的。往年のJayerのワインも勿論官能的なのだが、そちらは踊り出す程euphoricであるのに対し、このワインは蠱惑、耽溺だ。少し背徳的でもある。これは怖い。同じ村でもMusignyは幽玄、枯淡の世界だが、これは正反対の肉感、濃艶の世界だ。これは怖い。 一度こういうワインを知れば、心奪われ、ブルゴーニュの森の中を当てもなく彷徨い追い求めて行くのだろう。 究極のワインを追い求めるブルゴーニュ通と言えば崇高に聞こえるが、実際はキャバクラデビューの楽しさを忘れられずキャバ通いにのめり込んでいく哀れな中年男と変わらない。前にも書いたがamoureusesには「情事」という意も有る。情事は一度で切り上げた方が良さそうだ。泥沼化する前に。
2018/06/20
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立て込んでいた仕事が一段落したので久しぶりに更新。幾つか印象に残ったワインを纏めていく。今日はこのワイン。 同じブルゴーニュ白でも、CdNとCdBのワインは別物だ。まず、CdNの白はCdBには無い独特の硬質感が有る。CdBのワインではAttaqueに酸が来るため、チャーミングさを感じるのに対し、CdNのワインはまずミネラルを感じ、その後にゆっくりと淡い酸が来る。そのためにあまり膨らみが無く、硬質な感じを受ける。勿論作り手、クリマで違いは有るが、大体はそんなところだろう。CdBであれ程騒がれた(というかまだ現在進行形だ)PmOだが、CdNのワインでは未だ経験した事が無い。単に幸運なだけかもしれないが、CdNで白を作っている地区が大抵は石灰岩がdominantである事や、セパージュにPBは入っていたり、バトナージュが少ない作り等幾つかの要因によるものだと推測している。 さて、ワイン。この年は低気温で赤は最低だが白は酸が綺麗に有り、最上のVTだ。個人的には86と双璧だと思っている。作りはDujacで修行したSmet氏の時代。白だが全房発酵。 色は少し黄色が強くなっているものの、香りはほんのりとした白果実で、この時点でワインは健全である。そして味わい!勿論小柄だが、純度が高い果実とミネラルが完全に溶け合い、それを非常にsubtleで繊細な酸がゆるやかに覆うような構造だ。透明で球体を思わせる浮遊感が有り、フィニッシュも素晴らしい。ある意味でVogueに通じるフィネスが感じられる。 あまり知られていないが、注目に価するワインだと思う。
2018/05/12
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全般的なBourgogneワインの価格高騰のあおりを受け、Raveneauはあっという間に秀逸なブルゴーニュ1級の値段になり、二番手とされるDauvissatもそれなりの値段になってしまっている。この作り手、4.5ヘクタールと超小規模で特級が無い為まだ余り知られておらず値段も上がっていない。Dauvissatの娘婿で、Dauvissatと全く同じと言える程のスタイルを持つ素晴らしい質のワインを作っている(確か、00年代初頭まではVincentのところで醸造もしていたはずだ)。これは右岸一級Beauroyのワインだがやはり右岸らしく、GC、例えばLe Closのような凛とした要素やBlanchotのような柔らかいニュアンスは無いし、秀逸な左岸の一級クリマ、例えばMonte de Tonnenereのような力強さは感じられない。だが白果実、ふくよかで上品な香り、木目の細かさは確かに上のクリマに繋がるフィネスを感じる。酸も十分有り、 ポテンシャルは軽く10年を越える素晴らしいワインだ。嬉しい事に、特級が無い分、その村名シャブリ(約3.2 ヘクタール、Vincent Dauvissatの畑を娘に割譲)に心血を注いでいるせいか、DauvissatやRaveneauと全く遜色ないか、年によっては素晴らしいと感じる(因みにRaveneauが村名を作り始めたのはここ数年で個人的にはあまり感心しない)。小規模なので市場から払底しないかちょっと心配だが 、普通飲みには十分すぎると思う。
2018/03/28
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贋作の話に戻る。ちょっと前に好意でこのワインを飲むことが出来た。そしてちょうど良いタイミングで左のワインもside by sideで飲むことが出来て非常に面白かった。左は今はJadotに買われてしまったがBeaujolais屈指の作り手の最高のクリマ。そしてVTも右は88、左は89と一つ違いで違い。結論から言うと、セパージュの違いにも拘らず、両者の質は非常に似通っていた。まず右のワイン。色合いも淡くなり果実はくすみ輪郭が崩れて、セパージュ独特の要素は感じられない。若いgamayは独特のちょっと野卑なblack currentがドミナントなのだが、これはすっかり柔らかくなっていて熟成したpinotに見られるプルーンやコンポートのような黒果実を感じる。ブラインドで飲めば間違いなくジュブレ辺りのCdNだと答えるだろう。ただ香りが弱く、味わいも小さくまとまっているのでせいぜいmediocreな作りの村名クラスか。このワインが後何年かすれば伝説の45のように幽玄になるのかもしれないが。そして左のワイン。状態は決して悪くないが、これも20年経ち、色調こそ若干の紫色を保っているものの、果実には赤色はなく黒が主体だ。そして鈍重で良いCMに感じられるような軽やかさはない 。 質的、性格的にpinotaisした右のワインとあまり変わらず、果たしてこのワインが本当にCMなのか、それとも贋作で実はgamayを詰めたのか、二本比較して飲んだ感想では贋作の可能性が高いように思った。まあ、本物でもCMとは思えないのだが。まあ、贋作云々よりも89年のBeaujolaisが既にpinotaisしている事を知り、自分も年を取ったと感じたショックの方が大きかったのだが。
2018/03/01
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何度も書いているが90年代初頭の神と甥の関係というのは中々難しい。87で神が(第一次)引退しているので、88年からは甥のドメーヌを手伝ったという風に考えるのが論理的だが実際甥の88、89は余り出来が良くない。一方神とのメタヤージュが終わって自分(と言っても結局はChristian Fauloisなのだが)で作り出した弟子の88は(メタヤージュを除いた)87と比較すると断然出来が良いので神が甥よりも弟子に目をかけたのではないかというのが色々飲んだ私の推論だ。さて、その甥のドメーヌだが90、91はどれを飲んでも神作なので共同、或いは神の指導下で作られたことはまず間違いない。そして92だがこれは中々に難しい。エチケットの表記からFlageyにキュブリが移っているので甥が醸造瓶詰めをやっているのは間違いないがクリマによっては神作としか思えないものもある。その一つがこのワインだ。NSGとは思えないシルキーでなめらかな酒質、トーンは少し低いがそのため浮ついたところがなく凝縮感溢れる果実。15年を経てまだ官能美を保っている美魔女的なワインだ。同年のCros ParantouxやEchezeauxよりも妖艶ですらある。先日飲んだ神作の90も素晴らしかったが、 こちらの方が幾分重心が高く浮遊感がある。このワイン、「我を忘れて上半身裸でテーブルに乗り踊りだしたくなる」度は50点位だろうか。私がもう20年若ければ踊っていたかもしれないけど。
2018/02/08
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最近は出物も有り、熟成ワインをネットオークションで簡単に買えるようになったが、やはり自分が昔から大切にしてセラーで保管していたワインは別格の愛着が有る。宗教がかってしまうが、そういうワインはもはやワインの域を越え、何だか自分の分身であるように思える。そして自分のセラーのワインを友と開ける事は自分の分身を共有して貰いたいからだ。友と自分のセラーのワインを飲みながらそのワインが熟成した期間に起こった事を話し合い、自分自身の人生を振り返る。ワインが生きているか死んでいるかはまあ、どうでも良い事だ。何だか年寄り臭くなってしまったが、年を取るという事はそういう風にretrospectiveになって行く事だ。このワインもセラーにずっと寝かせてあったのを飲ませて頂いたものだ。正直言って難しいVTなので全く期待していなかったのだが、これが滅法良かった。少し膨らみのあるのは愛嬌だが、熟成から来るトースト、樽からのヘーゼルナッツ、蜂蜜の甘みすら感じられるcaraméliserされた上品な白果実。全てが調和しゆっくり消えていく。もう1〜2年は持つがその後はゆっくりと下っていくだろう。このワインは今開けられるべくして開けられたワインだ。ベストのタイミングであった。このドメーヌは94で終了と思っていたのだがこのワインを飲んで95も有りかなとちょっと見直した。そして、それにしても酷かった2012を思い出した。
2018/01/12
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今日は軽く。数ヶ月前にこの作り手のワインを何本か飲んでみてその時は何故か余り感動はしなかったのだが、このワインを開けてみて少し感動した。前回はCdNの白のようと書いたが、粉のワインはあくまでもブルゴーニュとは違い、独自の範疇(suis generis)だと思う。香りこそ淡くおとなしいが口に含むと凝縮した素晴らしい酸が口腔中に瞬間的に広がる。その酸の後にゆっくりと果実が来る。果実は花梨、グレープフルーツ。南方系の果実や白果実はあまり感じない。ただ非常にピュア。ただフィニッシュは短く、横に広がるのは少し残念かもしれない。確かにブルゴーニュとは異質だがワインとしては十分な魅力がある。随分前に飲んだClos de GoissetのCoteau Champenois を少し彷彿させた(これもなかなか素晴らしいワインだ)。さてどうするか、この作り手をもう少し追うかそれともブルゴーニュの森に戻るか。値段を考えたら普段飲みにはきついし、質を考えたらハレの1本としてワイン会に持っていくまでの事は無いかもしれない。ということで普段飲み、ハレの1本と、両者ともやはりブルゴーニュになっていくのだろうか。ブルゴーニュとはかくも呪縛だと思う。
2017/12/27
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もし彼の贋作の動機が金銭では無く、名誉だとすると確かに先日のみりんさんのコメントも一理ある。贋作はエチケットを本物とは少し変えるが、中身はそれ相応の物を入れ、俄かワイン通には分からないようにしておく。愉快犯だ。愉快犯に良くあるように図に乗り過ぎて、生産者が存命ですぐにバレるJFMのMusigny37とか作ってしまったのだろうか?まあ、この説明だと彼が主犯ということになるし、彼以外に逮捕者がいない(贋作と知りながら彼のワインを売った科で民事で訴えられている人は数人いる)。だが彼は主犯なのだろうか?贋作を見れば判るが、エチケットはまあ印刷出来るにせよ、キャップシュール、瓶、コルク、そして木箱まで本物らしく作ってあり、彼が主犯だったとしてもかなりの数の下請け人が必要だと思われる。まあ、私の推測だが、彼は所謂フロントで元締めは別にいて彼にパーツを流してアッセンブリさせていた可能性も有るように思う。というかキャップシュールはキャップシュール職人、エチケットはエチケット職人と全て細分化専門化されていると考える方が自然だろう。因みに2016年10月に別の贋作者がフランスで逮捕されているが、その中の一人が10万ドル払えば贋作の全容を話すと言っているというニュースがその掲示板に引用されてあった。知れば知るほど、何が本当なのだか分からなくなってくる。少し話は変わるが1年程前、Premier Cruというワイン屋が倒産した。厳密には店主がChapter 7で倒産しようとしたのだが、 詐欺で逮捕されたのだ。PCの詐欺というのは先物で金を集めて流用し(女性に注ぎ込んでいたらしい)その穴を埋めるためにまた先物を売るというまあ、普通のファンド詐欺なのだが、その倒産は時期的にRK氏の逮捕と重なり、更にRK氏とPCとの間に売買契約が存在するとのことで、ひょっとして、この2つが密接に関係あるかもしれないと考え始めている。この裏エチケット、これはアカンやつや(笑)。(この項続く)
2017/12/20
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凡庸な作り手の優れたクリマのワインと秀逸な作り手の凡庸なクリマのワインではどちらが良いかという質問はまあ、熟練のブルゴーニュファンなら何度も自問自答した事があるだろうが、普遍的な答えは結局のところ難しく、結局ケースバイケースだ。所謂超有名な作り手のACブルゴーニュやMaconnaisを飲んでがっかりした人も多いだろうし、凡庸な作り手のGC、特にCharmes Chambertinや一部のCorton Charlemagneなどを飲んでやはり落胆した人もいるのではないだろうか?この作り手(というかプロデューサーだが)のまあ、凡庸なクリマのワイン。あまり期待しないで飲んだのだが、これは中々良かった。果実、香りとも淡く 小ぶりである事は否めないが、香りにはアカシア、果実には桃、花梨などのニュアンスが有り、適度に複雑。そして、兎に角、酸が綺麗。 grasなところは無くスレンダー、そして後味が綺麗に切れて可憐でニュアンス溢れる。 少し St. Romainに似ているような気がする。まあ、高度的にはそういう感じか。私的には彼女の余り出来の良くないドメーヌ白よりもずっと好感が持てる。そしてこのクリマに少し興味を持った。このクリマ、実はそれほど凡庸ではないのかもしれない。
2017/11/21
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これは掛け値なしに良いワインだと思った。少し薄いのは否めないがトーンの高い赤果実、エレガントで、伸びやかで軽快。 畑は比較的下部にあるが、抽出度合いを抑えたのだろう、軽めに作っているのできちんとニュアンスが有る。香りに若干の菫があり、往年のCharles Noellatに通じるフィネスの片鱗さえ感じられる。先日のRougetも良いと思ったが、こちらの方が上品でバランスが良く、ワインの出来としては上だろう。勿論EchezeauxやLa Romaneeの方が凝縮感に溢れて素晴らしい事は間違いないだろうが、年を経て私の好みは重厚なワインよりもこういう素晴らしい小品により惹かれるようになった。音数の多いシンフォニーよりもシンプルなピアノの小品。多人数でグランヴァンを飲むのも楽しいが、こういうワインを一人で1、2杯、retrospectiveにゆっくりと飲んで1日を終えるのは一番の贅沢であるように思える。
2017/11/01
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普通のワインを飲むにあたっては赤ワインより白ワインの方がはるかに難しい。勿論出来不出来や、香りに現れるフィネス、果実の凝縮感の違いは有るけど、村名や1級はタンニンでマスクされ、それなりに飲める。反面白は全てのマチエールが一度に来るので一瞬で良いか悪いか判ってしまう。勿論過去には優れた作り手のレジョナルと言う手も有ったのだが、今やmediocreな作り手の1級、いや特級をも越える値段になってしまった。閑話休題、今日のワインだが、普通のワインとして秀逸だと思う。勿論1級や特級のような凝縮感はないが、その分軽快で淡さが心地よい。雑味がなく、綺麗に切れる。アペロには最高だと思う。エチケット飲みには軽蔑されるかもしれないが、ワインを小道具に会話を楽しむには十二分だろう。そして味わいが深くないので 、魔が差して変なことを考えることはないだろう。因みにRP氏の本ではこの作り手4つ星でChablisのトップ3〜4に次ぐ二番手の旗手とされている。確かにDauvissatやRaveneauまでは及ばないかもしれないがle closに代表される上級キュベは中々の出来だ。そのトップ3〜4の値段が高騰した今、むやみにそのトップを追いかけるより、このあたりの作り手で自分を満足させるのが重要なのかもしれない。
2017/08/12
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もし私が「俺は偉い、偉い」と自分で言い張れば世間はどう見るだろうか?「いや確かに貴方は偉大だ」と言うことはなく、「あんた、アホちゃうの?」と言われるのがオチであろう。本当に凄い人はそんな事を言わなくても世間は解ってくれるからだ。ブルゴーニュワインもあながち例外では無くエチケットにGrands Vins de Bourgogneと書いてあるワインで感動したものに出会った事は無い(ような気がする)。これもその表記が有るが、極めて普通のMeursault。英国某大手ワイン商の幹部がブルゴーニュに魅せられて自分でネゴスを立ち上げ、元部下も加わって、小さな畑を手に入れて遂にドメーヌとなった。非常に良い話だ。極めて普通と言ったが果実は淡く良い意味でシンプル、品も有り、中庸のドメーヌに匹敵する位の質のワインを短期間の間に作り上げたのは確かに立派だと思う。普通と言ったその理由はどうも小綺麗に纏めて有り、手際が良すぎてちょっと没個性的であるからだ。この表記が無ければもう自分の中ではちょっと評価が高かったかもしれない。そう言えばワイン友達から頂いた特別だと言われる某食パンも「高級」の表示がしてあった。中々良く出来た普通の食パンだったが、「高級」の表示が無ければもうちょっと美味しく感じたかもしれない。
2017/08/08
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昨日書いたドキュメンタリーはワインについてもう一度色々と考えさせられた。価格が暴騰したのは多分2005年頃からのように思うが、その暴騰と、折からのSNSやネットでの販売やオークションというプラットフォームとインフラの拡充が加わって本来はささやかな楽しみを与えてくれる嗜好品としてのワインが虚栄心(これは飲む事だけでなく、コレクションとして所有する事も含む)を満たす物、そして投機対象と変質して行き、 祭りとも言える異常な状況になってしまった。この一連の変質を見ていて、自分のワインに対する心は段々と冷め始めている。それがこのブログの更新が余りされてない理由なのだが(苦笑)。閑話休題、このワインを飲んでこの作り手は本当に良いと確信した。ワインは横に広がらず縦に切れる。本物だ。果実はミネラルの殻に閉じこもりほどけるまでには何年もかかるだろうが、 淡く、品の良さ、フィネスを感じさせ、このクリマのポテンシャルを最大限に出していると思う。今飲むのならキャラファージュが必要かもしれない。長年ブルゴーニュ白の超秀逸ドメーヌとして君臨して来た幾つかの作り手のワインが近年、価格とは反比例に質を落としている中(マコンやネゴス部門を立ち上げた事も一因だろう)、このドメーヌは数年後には間違いなく超秀逸の3本の指に入ると思う。 そして残りの2つの指になるドメーヌも大体検討がついた。久しぶりに少し購買欲が出た。そしてブログを更新する気力も(笑)。それでも周回遅れで⚪⚪レーブ買いますか?(笑)
2017/07/31
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このところ余り更新できてないのだが、忙しいせいも有るが、想定外のワインに中々出会わないというのが実のところだろう。そういう中で、機内で偶々ワインを扱ったドキュメンタリーを見て感動した。今迄見たどのワインの映画よりも遥かに面白い。ちょっと前に偽ワインを作って逮捕された中国系インドネシア人が颯爽とワインコレクターとして2002年に登場してから2012年に逮捕されるまでを描いているのだが、役者が素晴らしく揃っている。偽ワイン作りのインドネシア人は 映画監督やワイン評論家の尊敬を勝ち得る位の並々ならぬワイン愛好家。一方それを追い詰めるのはLaurent Ponsot氏(彼自身が出演している)、Bill Koch氏(米の富豪、トップコレクターでアメリカズカップにも参加している)、それに元FBIの捜査官が加わり、偽ワイン作りを追い詰めていく。ドキュメンタリーで全てが実写記録で本人出演、当たり前だが、至る所でワイン、それも偽物作りの対象になるワインが出てくる。ネタバレになってしまうが、出演しているLaurent Ponsot氏が素晴らしく格好良くて、彼自身の映画とも言えるくらいだ。オークションカタログで自分のドメーヌのClos de la Roche 1929とClos St. Denis1979と存在しないワインが米オークションに出品されているのを見て、義憤にかられ、翌々日にアメリカに飛び、そのオークション会場に乗り込みオークションを中止させ、出品者をディナーに招待して問い詰め、インドネシアから買ったと聞いて、インドネシアまで乗り込み、出品者本人が贋作者だと見極めていく過程は下手なサスペンスよりも圧巻だし、また富豪が追っていた線がLaurent Ponsot氏の追っていた線と繋がり、FBIを巻き込んで贋作者が複数の名前でアメリカで活動していたこと、銀行口座、クレジットカードの動きから贋作も実のところは全然儲かってなくて破産寸前だったこと、そして贋作者の家族が富豪でも何でもなくて、インドネシアで複数の銀行を舞台にした詐欺事件に関わっていた事実。そして公判にPonsot氏も証人として出廷、有罪判決が下り、偽ワインは破却、Ponsot氏はフランスに戻りヴァンダンジュのディナー。全て実写、本人出演。正に真実は小説より奇なりだ。そしてちょっとワインを知っている人なら贋作者のメモ書きかから Mouton1945にはCos55を半分と後は60年代のボルドーを混ぜて作ったり、バックに流れる伝票からDRCの古い物はきっと同年代の古いネゴス物を新しいカリフォルニアワインを混ぜて作っていたんだとか推測でき、贋作者がかなり飲み込んでいたことは明らかだし、贋作も金銭的な目的で作っているのではなく、本当にワインが好きで(偏愛かもしれないが)色々な人にコレクションを振舞っているうちに自分でちょっと工作してみたら、案外うまいこと行ってエスカレートしてしまったのだろうと想像出来る。さて、この映画を見終わって、まあ、高価になってしまった有名ドメーヌを追いかけるのはやめて、普通に美味しいワインを飲んでいけば良いやともう一度確信した。と言いながらこの映画を見ながら飲んでいたのはオーブリオン白のセカンドだった。やっぱり美味いな。
2017/07/29
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Perriereつながりで今日のワインだが、一口飲んだ後に思わず微笑みが出る。この味だ。最近のLafon(これはLeflaiveも同じだが)はどうも果実味が全面に出てdominantなので余り複雑味が無いのだが、このワインは透明感がきっちり出ていて往年のこのドメーヌそのままだ。 果実味が淡いためにアフターにかけてミネラルが締めていく。Perriereの真骨頂だろう。勿論Barreも素晴らしいのだがBarreの方は果実が淡すぎて少しミネラルが効きすぎているきらいが有る。そしてこのドメーヌはやはり95以降全く変わってしまったと再認識する。マドレーヌを一口頬ばった瞬間に無くしていた記憶が戻るのはProustだったが、私もこのワインを飲みながら当時の事を思い出していた。93年。丁度学位を取り、 仕事を始めた年。それから二十余年、色々有ったなと思う。ワインもその間、色々有ったかどうか判らないが、少し落ち気味だ。勿論、PmOでは無いが、今開けて良かったと思った。杯を進めながら、落ち気味の私もこのワインのように開けてお終いにするのが良いのか、それとももう数年仕事を頑張るのが良いのか、考えを巡らしていた。まあ、もう少し頑張るとするか。願わくは我が身にPmOが降りかからない事を望むが。
2017/03/25
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大抵のワイン通は理想のワインを求めてブルゴーニュの森を彷徨い、少し経った頃に好奇心もあってふと思い立ちブルゴーニュの森を出て探索を続けることが多いが、Juraに惹かれている私もその例外ではない。という訳で今日はこのワイン。Juraにあって長期熟成させているが、伝統的な製法ではなく、目減り分を補って酸化はさせない。米で少しブレークしたこの作り手も漸く日本に入ってきたようだ。 まあ、Juraというより彼のワインだろう。元々7haとそれ程多く無い上にほぼ全ての区画毎に別キュベを作っているので多くのキュベが有り、更にキュベ毎にセパージュとその配合、ひいては作りも違うのでややこしい。米インポーターのサイトを見るとキュベ数はXXある。その中の幾つかのキュベを試飲という意味で飲んでみた。そしてこのキュベ、良くできた並大抵のワインでは無いと思う。果実は十分厚みが有り、ミネラルも強い。ただどうだろう、ワインは横に拡がり、淡さは感じられない。端的に言うと酸の綺麗さが少し足りないように思う。少し良くできたNuitの白というところだろうか。そしてNuitの白と同様、普段飲みにしても特別な1本としても値段も性格もちょっと中途半端だ。このワインを飲んで、これを飲んで何となくSaint Aubinの1級を飲みたくなった。特別では無く、さりげないワインが多いが深い。ある意味でこのワインと対局だろうか。ブルゴーニュファンの大抵がブルゴーニュの森を出て彷徨うということを冒頭に書いたが、何度森を出てもまたブルゴーニュの森に立ち返ってしまう。ブルゴーニュとはかくも呪縛だと思う。
2017/03/01
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年を経るにつれて、食べ物とワインの好みがこってり系からあっさり系へと変わる一方、シャンパーニュの好みも同様、何となくあっさり系が好きになり、ノンドゼの軽いのを飲むようになっていたのだが、この超弩級のシャンパーニュには久々に驚かされた。白果実は端整ながら密度、奥行きが有り、ボディーが有る。それでいて深いミネラルから来るキレ。自根からなのか。綺麗な酸の中にドザージュは溶け込まず、星屑のように煌めく。 この年のシャンパーニュ、特にこのメゾンは素晴しいのだが、これはダントツに素晴しい。いや、自分が飲んだシャンパーニュの中でもかなり上位に入るだろう。こういうのを飲むと、vieux champagneのひねた果実のいやらしさ、そして普段飲みつけているノンドゼのワインのフィネス、マチエールの足りなさを思い知った。これからシャンパーニュを飲む度にこの事を思い出すだろう。ブルゴーニュはほぼ踏破し、完全に下山モードなのが、これを飲んでシャンパーニュはビバークからもう一度ピークアタックしてみようかなという気になった。ここの素晴しい04か?いや、やっぱりやめるかな(笑)。
2017/02/17
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数日前に誕生日を迎えたのだが多忙な上、ワイン環境が余り良いところにいなかった為、その日に余り良いワインは飲めなかった。まあ、この歳になると全ての日が特別で大切なので別段誕生日に特別なワインを飲まなくても良いのだが。ちょっと前に書いたかもしれないが、数年前、私より少し年長で長年のワイン友がセラーを全部整理して、「ワインを飲みたい時にはその都度買って飲むことにした」と話してくれた。その時は特に気にも留めなかったのだが、最近その気持ちが判る。前回はセラーのワインは希望だ、思い出だと色々書いたが、その段階を越えるとセラーのワインが重荷になってくるのだ。そしてその重荷から解放されたいと段々願うようになる。最近流行りのミニマリストだ。ワイン通が ワインを買い、セラーに溜め込むのは何時かそのワインを飲むことを想定している為だが、病膏肓に入ってくると、溜め込む事が目的になってくる。大抵のワイン通は1本が中々開けられず、その一方で新しい良いドメーヌを見つけると大人買い、どこぞでセールというとまた大人買い、仕事のストレスでまた大人買いと、結局セラーはワインで溢れかえり、一方古くからあるワインは「思い」があるために中々簡単には開けられず、結果、幾らスペースが有っても足りないという事になる。「思い」と言うとカッコイイが裏返すと「執着」だ。年を取ると段々と執着が無くなるべきなのだが、ワイン通はこの執着が人一倍強いように思える(笑)。誕生日を迎え、晴れて「あら還」になり、少しワインのミニマリストを目指そうと思う。思い出のワインを思い切って開けて、1本1本を大切に飲み、もうストックは増やさない。一期一会で出会い、飲んでみたいワインが有れば1本だけ買って味わう。 それで良いのではないだろうか。と言う事を去年末になって考えていて、少し良いワインを開け始めてのだが、その一方でどうしても飲んでみたいワインを1本ずつ買っていたら先月だけで30本を超えてしまった。ワインミニマリストになるにはまだまだ未熟だ。このまま行くと棺桶にワインを入れてもらう羽目になるのかもしれない。
2017/02/11
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