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昨日の名古屋・岐阜の移動の際に、青春18きっぷを活用して大垣駅から分岐して美濃赤坂駅につながる通称「美濃赤坂線」に乗車しました。通称と書いたのは、正式には東海道本線の一部だからです。この路線は、美濃赤坂駅からさらに分岐して周辺で算出される石灰岩を運ぶための貨物線としての性格があるとのこと。このような路線は、かつての産炭地などでよくみられた光景ですが、今となってはとても珍しいものだと思います。 この美濃赤坂線の起点は大垣駅の3番ホームから。大垣駅の西の端っこのホームから発着しています。よく支線でありがちなパターンですね・・・。 途中駅は荒尾駅だけということもあってか、ワンマン運転です。 ちなみに、美濃赤坂線のダイヤはこんな感じ。これは平日のものですが、わかりやすくするために丸印をつけてみましたが、時間帯によっては全く運転のない時間帯もあります。 この日運行されていたのは、JR東海ではメインの車両である313系の2連でした。列車は東海道本線を大垣駅から西進して途中から分岐して荒尾駅へ。振り返れば東海道本線が見える、といような状況でした。そこから北上して終点の美濃赤坂駅へ。貨物線のような路線にこうして旅客車両が運転されているのですが、平日でないにもかかわらずそれなりに利用客がおられました。 美濃赤坂駅です。木造の駅舎ですが駅員はおらず。貨物を取り扱う西濃鉄道の事務所として使われているとのことです。 それでもちゃんと周辺の観光地を紹介する看板はありました。 貨物を取り扱う駅ということもあってか、ちょっともの悲しい雰囲気です。こういう駅って個人的には好きなんですけど、時間の都合で乗ってきた列車で大垣駅へもどりました。 車両のいちばんうしろから駅構内の状況を写しました。1日2~3往復程度の貨物列車は運転されているようですけど、この日は土曜日ですから運転されていなかったかもしれませんね。 ところで、この美濃赤坂線はかなり以前からどんなところだろうって興味を持っていましたが、これまで行ったことはありませんでした。行ってみて思ったのは、もう少しゆっくりとこの駅でいろいろと観察してみたかったなぁってね。また行く機会があればいいんだけど・・・。
2019年03月31日
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今日3月16日のダイヤ改正で開業したおおさか東線放出~新大阪間に乗車してきました。おおさか東線は、以前は城東貨物線と呼ばれていました。昔は非電化の単線の路線で、蒸気機関車が貨物列車を牽引するものでした。その当時から電化して旅客列車も運転される計画があったそうですが、国鉄の財政難などで遅々として進まず、ようやく2008年3月に放出~久宝寺間が部分開業にこぎつけました。しかし、放出~新大阪間はなかなか進まなかったのですが、ようやく今回開業ということになりました。 開業に際して投入されたのは、奈良電車区の201系。おおさか東線は、大和路線と同じくこの黄緑色の201系が普通列車として、銀色の207系・321系が奈良~新大阪間の直通快速として使用されることになりました。 さて、放出からひと駅ごとに降りて駅の様子を撮影していきました。まずは、JR野江駅です。駅の南側には京阪線の野江駅があって京阪電車の音が聞こえますが、相互の駅間は200mほど離れているとか・・・。 おおさか東線の放出以南の駅は島式ホームといって、ひとつのホームで上り下りの列車を出迎える形の駅が多いのですが、放出以北は写真のような対抗ホームオンリーとなっていました。 JR野江駅の次は、城北公園通駅。この駅名はいろいろと紆余曲折があった上でこの駅名に落ち着いたというものだそうです。大阪の駅名には、駅名決定までにもめることが多いみたいですね・・・。大阪メトロの駅名に「喜連瓜破」のような二つの地名を足したような駅名になっているのは、そういった妥協の産物だそうで・・・。 城北公園通駅周辺は与謝蕪村の生誕の地だそうで、地元では駅名もそれにちなんだ駅名を要望していたそうです。 城北公園通駅の次は、JR淡路駅。ここは、駅の北側に阪急京都線・千里線の淡路駅が近いのです。 阪急淡路駅では、高架工事の真っ最中です。 この写真の右下の阪急京都線の列車が通過していますが、高架工事が完了すれば、様子が一変するんでしょうね。 だから、いずれはこの写真の奥の方におおさか東線をまたぐように阪急線の高架が見られるようになると思います。 JR淡路駅の次は南吹田駅。この駅の北方には、JR京都線が通っております。 南吹田駅以外の駅のコンコースは狭いのですが、南吹田駅はこのようになかなか広いんですね。 駅前では、開業の記念式典の準備をしていました。南吹田だけでなく、そのほかの各駅でも準備をしていました。新線と新駅の開業ですから、地元では待ちに待ったものなんですね。 そして、終点の新大阪駅へ。 新大阪駅の1・2番線に到着するのですが、ここは新幹線への乗り換えにとても便利な位置になります。すなわち、写真の階段をあがって左に曲がればすぐにきっぷ売り場や新幹線の改札口という位置になります。 もちろん、新幹線から奈良方面へ帰るときも、在来線への連絡改札口を出てすぐ右にある階段を降りればこのホームですからね。新大阪からひと駅だけとはいえ混雑した列車に乗って、大阪駅の雑踏を環状線ホームへ移動して・・・ということがなくなります。東京方面から戻ってくるときに、新大阪や大阪での雑踏ってホントしんどいんですよ・・・。 ところで、おおさか東園開業を記念してヘッドマークを取り付けられた車両や・・・ 窓にこのような広告を入れたり・・・車体には、奈良をアピールするラッピングもありました。 また、駅にはこのようなポスターや・・・幟旗もありました。 大阪近郊では、久しぶりの新規開業で奈良方面から新大阪へかなり便利なルートができたし、王寺からだと約50分で新大阪に行くことができる。しかも、大阪駅の雑踏を通らなくて済むし、遅れがちの大阪環状線にも乗車しなくていいというのはメリットがあるかなって思っています。 直通快速はあるものの、朝と晩だけなのでタイミングが合わないと使えないのが残念だけど、普通列車が概ね15分に1本あるので使い勝手はいいかと思います。貨物列車も引き続き運転されているので、これ以上の増発は難しいかもしれないけどね・・・。
2019年03月16日
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今度の土曜日の3月16日、JR西日本管内ではダイヤ改正が行われます。おおさか東線の新大阪~放出間の開業が大きな話題の一つですが、私の住む奈良県内では万葉まほろば線(桜井線)と和歌山線で活躍している105系の一部が新しい227系1000番台に置き換えられます。 これが105系です。国鉄当時の1984年に登場。当時の国鉄の緊縮財政のために新製されたのではなく、常磐線~営団地下鉄千代田線(現・東京メトロ)で置き換えられた103系1000番台を改造したものです。 中間車両から改造されたものは、運転台部分を取り付けられたものです。また、この写真のクモハ105-513にあっては、その後の改造でパンタグラフを1つから2つに増設されています。 常磐線~営団地下鉄千代田線当時に先頭車両だった車両もあります。幌が取り付けられているのが103系当時とは違うものです。 車内は、103系当時とほぼ同じ。ちょっと懐かしさも感じるものです。 ところで、先日乗った際には、奈良駅で2両編成×2を切り離す光景を見ることができました。 向かって右側のクモハ105-518と左側のクハ105-3をつないでいた幌を外して切り離す準備をしています。 切り離し準備ができて、この後切り離されました。 切り離されたクハ105-8と・・・クモハ105-513です。こういう光景もダイヤ改正後は見られることも少なくなるのかもしれません。 そして今日、仕事が早く終わったのでお名残乗車に行ってきました。 すっかり夜だし、ガラホのケータイなのでこんな感じ・・・。 この列車で奈良から王寺まで移動しました。 万葉まほろば線(桜井線)は単線なので、対向する列車はほぼ105系ですけど、これも今だけですね。 王寺では105系同士の並びを撮ることができました。 1984年に登場したときは、ここまで長く活躍するとは思いませんでしたけど、来年春までには全て置き換えられるとのことです。
2019年03月13日
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JR東海道本線は、JR西日本、JR東海及びJR東日本にまたがっているわけですが、使用されている車両にもいろいろと個性があります。 熱海駅では、特急「踊り子」に使われている185系を見ることができました。JR東日本のみで活躍する特急用車両で国鉄時代の1981年に登場していますが、置き換えられる計画もあるようで・・・。 また、熱海駅ではJR伊東線から伊豆急行線に乗り入れる伊豆急の車両が停車していました。伊豆急オリジナルの車両ではなく、元東急の8000系だった8000系が活躍しています。 それから、復路で途中下車したのが根府川駅です。ここは、国鉄時代からの鉄道写真の定番の地で、根府川駅の西側にある根府川鉄橋を走る列車の写真というのは、ベテランファンの方がよく撮影されておられました。しかし、今では鉄橋上にフェンスが設けられてしまったのは残念です。 根府川駅の駅舎です。木造の趣のある駅舎ですね。 根府川駅のホームからは海を眺めることができるのですが、駅自体が高台にあるために実際に海へ行こうとすればかなり下がらなければなりません。 JR東日本の列車は、15両編成のものが普通にあるので、根府川駅のホームもかなり長いです。一番後ろの車両に乗ると、延々とホームを歩かなければなりませんね(苦笑)。
2019年03月10日
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JR東海道本線磐田駅構内にて見つけたものはこれでした。 なんの変哲のない古めかしい鉄の構造物ですが、その傍らにあった説明標をみてびっくり。 これは、磐田駅が開業(当時は中東駅)に跨線橋の柱として1986年までの70年以上使われていたというものだそうです。 当時は、もちろんJRでなく国鉄(日本国有鉄道)でもありませんでした。鉄道院だったんですね。 製造は、川崎造船所兵庫分工場。今の川崎重工兵庫工場にあたるのでしょうか。 ただ、不思議なのは、当時の中東駅が開業したのが大正4年(1915年)。この構造物が製造されたのは明治44年(1911年)。その4年の差はなんでしょうね。別の駅で用いられていた、っていうことはないだろうし、ちょっと不思議ですよね。 こういったものを思いがけなく発見することができたのも、勝手気ままな旅だからこそですよね。
2019年03月10日
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今回の東京への移動は、青春18きっぷを利用しました。「暇もないけど、金はもっとない」状況で、金と暇を天秤にかけて『暇>>>>>>>(越えられない高い壁)(跨げない深い谷)>>>>金』ということで青春18きっぷの利用でした(爆)。 ルートは次のとおりです。【往路】王寺~加茂~亀山~四日市~名古屋~豊橋~磐田~島田~熱海~鴨宮~大崎~品川~大井町【復路】大井町~新橋~人形町~新橋~根府川~熱海~沼津~浜松~名古屋~大垣~米原~大阪~王寺 往路の王寺からは関西本線で名古屋に出るという、昭和20年代や30年代の国鉄時代だったらポピュラーだったかもしれないルートですが、今やローカル線と化したルートのためかなり時間がかかりましたが、それでものんびりした光景(といっても通勤通学時間帯だったので、混雑していましたが)でした。 名古屋からはひたすら東海道本線を東進するわけですが、静岡県内は当たり前ですがとても広いのと、列車によってはトイレがついていないことから、なかなか大変でした。特に、復路の沼津から浜松へ移動した際には、6両編成中1両もトイレがなく、みんな我慢していました。もちろん、途中で降りたとしても意外と列車の本数が多くて(1時間あたり4本)少し待てば列車は来るのですが、乗り継ぎを考えるとそうもいきませんでした。 これが静岡県内の東海道本線で使用されている211系です。この車両にはトイレがないのです・・・。これとは別に311系や313系には設置されていて、この211系とつないでいる編成は問題ないのですが、211系オンリーだとトイレの問題が出てきます。JR東海も長距離客のことはあまり考えていないんでしょうね。でも、青春18きっぷの利用客が多い時期は配慮してもらえたらなぁって思いました。 ちなみに、復路の浜松での名古屋方面への乗り換え列車では、みんなトイレのある車両に殺到! みんな状況は一緒なんですね。かくいう私もそうでしたが(苦笑)。 そんな状況でしたが、行き過ぎる風景を見ていると日本って広いなぁということを改めて感じました。東海道本線は海が見えるところは少ないのが残念だし、二日間とも富士山は見ることができないのも残念でした。それでも、春の花として梅などの花が咲いていてきれいでした。 また、列車に乗ってくる人たちのファッションや方言などにも特徴があって、いつもなら新幹線であっという間に移動してしまうところですが、普通列車ならではの光景も見られてこういうのもいいなぁって思いました。 移動に際しては、ほぼ座ることができましたが、車両によっては今ひとつ座り心地の良くない車両もあるため、時折立って体を動かしていました。特に、復路の浜松~名古屋間は沼津からずっと座りっぱなし(しかも地味に混んでいた)だったことから、体を動かしたくて車端部の空きスペースで簡単なストレッチをしていました。 東京まで約10時間もかかりましたが、お値段は片道2380円! 通常の運賃の約1/4でした。
2019年03月03日
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JR西日本は19日、京阪神エリアのみどりの窓口の設置駅を2030年度ごろまでに、現在の約180駅から約30駅にまで減らすと発表した。切符購入などを遠隔で対応できる券売機を増やし、業務を集約させる。 来島達夫社長は同日の記者会見で「駅係員は対面で、訪日客や体の不自由な方の対応などの業務に注力できる体制にしていく」と話した。 JR西によると、京阪神エリアでは今後、拠点駅や新幹線駅を中心にみどりの窓口を残す。コールセンターで遠隔対応でき、みどりの窓口と同機能を持つ「みどりの券売機プラス」の設置駅を現在の約70駅から、100駅程度にまで拡大する。【共同通信ネット版から引用】 みどりの窓口といえば、JRの列車の指定席を購入することができる窓口ですが、比較的大きな駅とか都市圏の駅には必ずありました。例えば、大阪市内の駅ならそんなに大きくない駅にも設置されていたものですが、これがだんだん減らされるとのこと。確かにネットでも指定席を確保できるようになり、そのきっぷを受け取るのも駅に設置された専用の端末などでできますから、みどりの窓口がなくても大丈夫になりましたからね。 ただ、ネットでもできないものがあります。例えば、季節販売の青春18きっぷはみどりの窓口のみの販売だし、乗車券においても標準的なルートではなく、複雑なルートの場合はみどりの窓口でないと無理ですね。このようなものについてもネットでできればいいんですけどね・・・。 複雑なルートを窓口の係員に説明する場合、私はあらかじめ購入したいルートをメモにしておいてそれをみてもらうようにしているのですが、それを見てすぐに理解できる人はいいんですけど、大概は理解するまで時間がかかるようで・・・。だったら、ネットで思い思いに検索してルート設定して、それを駅の端末できっぷにすることができれば便利なんですけどね。 それで思い出したのが、私が初めて北海道へ行った1989年のこと。千歳から石勝線と根室本線を経由して釧路、釧網本線を経由して網走、石北本線と函館本線を経由して札幌、倶知安、長万部、函館、青函トンネルを抜けて青森、奥羽本線と羽越線、北陸本線を経由して大阪へ戻るという壮大なルートで帰ってきたわけですが、そのきっぷをつくるのに窓口の係員の人はかなり苦労して作業されていました。当時は今のようなシステムが入る前のいわゆる「パタパタ」というものだったし、作成されるきっぷの経由区間が一部表示されない(表示される文字数に限界があるため)といったこともありましたが、30分くらいかけてつくってもらったのでした。 すみません、話が脱線してしまいましたけど、ネットでのきっぷ作成の環境が充実するならみどりの窓口が減ってしまうのも仕方ないかなって思うんですけど、環境が充実しないならちょっと不便かもしれませんね。私が利用する王寺駅の窓口はどうなるんだろうなぁ・・・。
2019年02月19日
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3月にJR西日本ではダイヤ改正が行われます。おおさか東線が放出~新大阪が開業したり、私の地元の和歌山線や万葉まほろば線(桜井線)に新しい車両の227系が登場することになっています。その影で消えてしまうものもあります。 その中でも写真の105系が数を減らしていくことになっています。この105系はかつては東京の地下鉄千代田線と常磐線緩行線を直通していた103系1000番台を改造したもので、オリジナルの105系ではありません。しかし、103系1000番台として活躍した期間以上に105系として活躍した期間が長くなっています。 この105系が登場したのは1984年。当時の国鉄は赤字が慢性化していて、新しい車両を投入することが非常に厳しい時代になっていました。だから、どうしても投入しなければならない線区に新車を投入して、そこで使っていた車両を転用することとしていたわけですが、この105系もそのひとつでした。 登場した1984年は、私が高校2年生の頃。特に特徴のある車両ではないのですが、私にとってはなぜだか印象に残った車両でした。当時の国鉄の苦しい台所事情を伺える車両だったかもしれません。 これは、上の写真のクハ105の運転台です。登場当初は、種車のクハ103の1000番台とほぼ同じだったわけですが(スピードメーターはそのまま流用していた。その名残が写真のスピードメーターの周りに残っている)、その後現在のような形になっていますね。 さて、3月のダイヤ改正で一気になくなるわけではないのですが、徐々に姿を消すとのことですので、普段の状況を写真に収めてみました。
2019年01月08日
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昨日岡山へ行った時に、岡山の路面電車の岡山電気軌道(岡電)に乗車しました。岡電は、東山線と清輝橋線の2路線があります。今回は、献血ルームや岡山城、後楽園のある東山線に乗車しました。 岡電は、車体は新しく更新されているのですが、下回りは古い車両のままなので、ツリカケモーターの鈍重な音を響かせながら走っています。ちなみに、この写真の7200形の下回りは、大分交通別大線の車両だったとのこと。 これは、昨日も紹介した「くろ」の3000形で、以前は東武鉄道日光軌道線の100形だった車両です。その当時の塗色は、今でも東武鉄道バスの中でも再現されていて、本ブログの4月17日にアップしていますのでご参考まで。 ところで、岡電の車両の特徴としてパンタグラフにあります。普通の電車は、屋根に直接パンタグラフが取り付けられていますが、岡電はやぐらを組んだ上にパンタグラフが取り付けられています。 それから、突如としてこんな車両もやってきました。 アメリカのアニメに出てきそうなものですよね。 子どもには人気ありそうだけど、どうなんだろう・・・? まだ試運転のようでした。
2018年12月22日
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先日の高松において、琴電(高松琴平電鉄)の片原町駅近くのホテルに宿泊して、移動も片原町から瓦町経由で琴電志度まで列車で移動しました。琴電に乗るのは久しぶりでした。 片原町駅です。 スーパーとの共同駅のようです。商店街の一角にあって、なかなか特徴的な駅です。 琴電の主力車両は、京急や京王の中古車両でして、写真の1200形は京急の700形だった車両です。 車内の扇風機には、京急を示す「KHK」のマークがありました。 志度線の車両はこの写真の1200形ではなく、名古屋市営地下鉄の18800形や250形だった600形ですが、タイミングが悪くて写真に収めることはできませんでした。 さて、今回の移動は片原町~瓦町~琴電志度を列車で往復することとなりましたが、復路は時間がなくて列車内できっぷを購入しました。 このような車内補充券は、昔の国鉄や私鉄のローカル線に乗ると車掌から買い求めることが多かったのですけど、最近はICカードで乗ることができる線区もあって琴電もICカードに対応していました。でも、今回はICカードを持っていたもののすぐに取り出せなかったことから、車内補充券を買い求めたことにより、このような写真を取ることができました。 このきっぷをよく見えると、運賃のところには「10」と「400」のところに孔があいていますのでこれで410円を表しています。同じように日付のところは「10」のところに孔があいていますので10日を表しています。地図のところをみると、「琴電志度」「片原町」のところに孔があいており、その地図の右側に「上 下 越 小」のところの「上」に孔があいていますので、「上り線」つまりは琴電志度から片原町へのきっぷを表していることがわかります。なかなか考えられたものですけど、最近は見かけることが少なくなりました。 久しぶりに乗った琴電でしたけど、行程の関係から往復に利用することができたのはよかったなぁってね。
2018年11月15日
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先日の14日、近鉄田原本線開業100周年を記念して新王寺~西田原本と西田原本から近鉄橿原線を経由して西大寺まで往復する臨時列車が運転されました。普段は回送車両しか運転されない西田原本~近鉄橿原線の短絡線を通過するものでしたが、早々と定員に達してしまったようで私は写真撮影をすることにしました。 大和鉄道当時の緑色の塗装となった8400系が記念列車に使われていました。 ここは、JR大和路線をまたぐ区間で、25km/hの速度制限区間のためゆっくり走っていますから、写真もゆっくり撮ることができました。 その記念列車は、新王寺で折り返して通常の営業運用についていました。近鉄の車両で緑一色ってありませんし、他の会社をみてもこのような緑一色は最近はないですね・・・。 新王寺駅前には、大和鉄道当時の写真が展示されていました。開業当時は蒸気機関車で運転されていたんですね。その後、電化されて改軌(1067mm→1435mm)も合わせて行われて、そのうち信貴生駒電鉄を経由して近鉄の路線になっていくわけです。 この車両は近鉄の200系で、大和鉄道へ貸し出されていた時の写真のようですね。1両編成でも当時は十分に足りるくらいの利用客だったんでしょうかねぇ・・・。今では考えられませんけど。
2018年10月16日
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昨日の王寺鉄道フェスティバルでは、大和鉄道(現在の近鉄田原本線)をはじめとする王寺町とその周辺の鉄道の講演会がありました。講師は、元近鉄の社員で近鉄の名物広報マンの福原稔浩さんでした。 王寺町は地図を見ていただくとわかるのですが、JRが大和路線と和歌山線、近鉄が生駒線と田原本線が合流しており、国鉄当時は蒸気機関車の機関区があった鉄道の要所だったわけです。それは現在でも変わりなく、王寺町の人口が約2万4千人なのに1日の利用者数は約5万人という状況です。これは、鉄道のみならず、奈良交通のバス路線も王寺駅を中心にたくさんの路線があるのもあろうかと思います。 ちなみに福原さんは、近鉄での現役時代は運転手もされていたそうで、田原本線でも運用されていたそうです。 その当時、田原本線を走っていたのは、800系(左)や820系(右)という近鉄ではやや小ぶりな車両で、塗装と相まって田原本線にぴったりと合っていた車両だと思います。 そんな福原さんの話で興味深い話がいろいろとあったのですが、特に印象に残ったのが次の三つでした。 かつて王寺から大和小泉を経由して郡山から奈良の若草山まで鉄道路線をつくろうという動きがあったそうです。明治時代はちょっとした「鉄道路線を作ろう」というブームがあったという話は聞いたことがありまして、地元の有力者が集まってあちこちに路線建設を目論んだそうですけど、用地買収とか採算を考えるととても開業して継続して運用できるかどうか怪しいものが多かったみたいですけどね・・・この平城電気軌道もそんなひとつだったのかもしれません。 ただ、これに近い路線はその後、バス路線で開業しているようです。8月に新大宮で行われていた「奈良を観る 大和路・バスがゆく」において、奈良交通に統一されるまでのバス会社がこれに近い路線を運行している記録がありましたから。 それから、今の近鉄大阪線河内国分駅から王寺駅を経由して郡山へつながる路線の計画もあったそうです。ちょうど今の国道25号線に沿って王寺に向かう路線を計画していたのでしょうけど、王寺って鉄道の要所というのが改めてよくわかったものでした。 あと、近鉄田原本線が今では西田原本どまりになっていますが、かつては桜井までつながっていたことは私も調べたことがありますが、元々の最終目的地は桜井ではなく伊勢だったというのは今回の講演で知りました。そして、近鉄の前身の大阪電気軌道(大軌)が大和鉄道を傘下に入れることにこだわったのは、大和鉄道が当時保有していた伊勢までの免許が欲しかったからだとのことでした。ちなみに、大軌も伊勢までの路線建設を考えていたそうですが、そのルートは奈良県と三重県の県境にある高見山付近を通るもので、勾配がきつすぎてそのルートは諦めざるをえなかったとか・・・。 あと、福原さんのスライドの中には、かつての王寺駅の写真とか・・・、 1982年夏に王寺町を襲った水害後に関東からやってきた101系を使用した時期の写真を紹介していました。これは私もリアルタイムでみていますからよく覚えています。上の写真は、1、2両目は黄色、3、4両目は黄緑、5、6両目はオレンジとなっておりまして、黄色は総武線から、オレンジは中央線からやってきたものですね。1982年当時、関西では黄色の車両はありませんでしたから、新鮮だったです。これらは廃車寸前の車両だったので、ここで活躍した時期は短かったのですけど、当時は国鉄であったことから、不足する車両を全国で融通するということができたんですね。今ではとても無理でしょうけど・・・。 鉄道のグッズとして、近鉄田原本線でかつて使用されていた方向板も展示されました。福原さんがお借りしてきたものだそうですけど、これは鉄の板なのでかなり重いそうです。 裏面はこのように「大輪田←→新王寺」となっていて、このような区間運転もあったとのことでした。 ちょっとマニアックな話もあったのですけど、結構たくさんの方が聞いておられて、私のような鉄分の多い人だけでなく、普通の方も聞いておられました。 ちなみに、13日はタモリさんなどの鉄道の番組にもよく出演されている鉄道BIG4の南田裕介さん(ホリプロマネージャーで王寺町出身だそうです)のトークショーもあったそうです。それも行ってみたかったなぁ・・・またこのようなイベントをしてもらえたらいいんですけどね・・・。
2018年10月15日
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今日は鉄道記念日ということで、私の住む王寺町では王寺鉄道フェスティバルが開かれました。そのうちの一つのイベントで、大阪府柏原市と王寺町の間にある亀の瀬において1932年に発生した地すべりのために使えなくなったトンネルを見ることができるツアーがありました。 さて、JR大和路線を大阪から奈良方面へ移動すると、河内堅上駅から大和川を一旦渡ってトンネルを3つくぐって再び大和川を渡って、三郷、王寺と走るわけですが、普通に考えたら河内堅上から一直線に三郷や王寺に向かえばいいのに、なぜわざわざ大和川を二回も渡るルートになっているのか。これが私も王寺に住むまでの疑問でした。 その疑問は、王寺に住んで町史をみたり、亡き曾祖母から話を聞いて理解することができました。すなわち、生駒山地側の土地が地すべりを起こして鉄道のトンネルを崩壊させてしまったためにやむなく付け替えたということです。 そのメカニズムを知るために、亀の瀬にある地すべり歴史資料館へ行きました。なぜ地すべりをしてきたのか。それは、大昔の火山が何度か噴火してその溶岩が体積、そのあいだに地すべりの原因となる粘土層のすべり面ができ、長雨などが続くと地下水が上昇してすべり面から地すべりを起こすという状況のようです。しかも、その地すべり面は今の国道25号線やJR大和路線の線路近くまで入り込んでいるそうで、1932年や1967年の地すべりでは大和川の川底や国道25号線を隆起させるくらいだったそうです。 すみません、話がトンネルから外れていくし、この亀の瀬の地すべりの詳細は、11月にもツアーがあるそうなので、そちらに参加してもう少し詳しく聞いてみたいと思います。 さて、地すべり歴史資料館から歩いてすぐのところに地すべり対策で掘った地下水排水のためのトンネルがあるのですが、その工事中に発見されたのが今回の亀の瀬トンネルの遺構です。説明の方の話では、この排水用トンネルの作業中に突如としてレンガ造りの壁が現れたために工事を中断。山の中に突如としてレンガの壁なんて出てくるわけないですからね。そして、そのレンガの壁を壊してみると・・・。 こんな感じでトンネルが現れたということでした。(この写真の部分は、きれいに補修されていますが)そして、このトンネルこそ1892年に開業した大阪鉄道トンネルだったわけです。 もう少し奥に入ってみると、このように馬蹄型の鉄道トンネルであることがわかります。明治時代の構築物ですからレンガ造りですね。 レンガの積み方も特徴があって、下部の方(壁)はイギリス積みといってレンガの長手と小口を組み合わせたもの、上部の方はフランス積みといって長手方向を互い違いに組み合わせて積んでいることが分かりました。 トンネルの先端の方は、このように地すべりで崩落してきた土石で塞がれていました。長年このような状況で埋まったままになっているということがわからなかったんですね。逆に言うと、それだけ地すべりの影響がすごくて、構築物を飲み込みながら地すべりを起こしていたということなんですね。 ちなみに、トンネルの壁面などの黒いものは、蒸気機関車の煙による煤でしょうね。 ところで、明治時代の構造物ですから今の構築物と建築の方が違うところがいくつもあるようです。写真のこの孔は今回の発見当時からこのようになっていたそうで、何の意味があるのかわかりませんが、向こう側に見えているのは地山の岩ですから、このレンガのトンネルは地山と接続されていない独立されたものということなんですね。 孔のあいたところはもう一箇所ありました。ここも発見当初からこのようになっていたそうです。 レンガの積み方がわかる状況ですね。 そういえば、説明の方の話でもう一つ印象に残っているのは、1932年に地すべりのよる崩落で亀の瀬トンネルは通行できなくなったため、トンネルの西側と東側に仮駅を設けてそのあいだを徒歩連絡にしたそうなのですが、当時はこのような崩落現場が珍しかったのかここを訪れる見物人が一日最大2万人も来たそうです。しかも、カフェやお土産物を売るお店も出たとか・・・。いやはやこの当時から商魂逞しいですね。 このようなツアーに参加したのは初めてですが、自分が住んでいる街の状況を知ることができるものなので、また機会があったら参加したいと思います。
2018年10月14日
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先日の広島へは、往復「こだま」で移動しましたが、帰りに乗ったこだま742号は500系でした。500系といえば、あの特徴的なミサイルのような外観が特徴で、かつては「のぞみ」として東海道新幹線へも運用されていましたが、今では山陽新幹線の区間で「こだま」専用としてかつての16両編成から8両編成になって運用されています。山陽新幹線の区間の「こだま」に乗る機会はこれまでほとんどなかったのですが、今回は乗ることができました。 このミサイルのようなスタイルが特徴な500系。今でも数ある新幹線の車両の中で存在感は抜群で、人気もあるそうです。 特徴的なフロント部分を全て入れるのは難しいので、頭の一部分だけ。 元々500系に乗れるとは思わなかったので、ちょっとうれしかったです。 ちなみに、500系はまだ「のぞみ」用として運転されていた頃に1度だけ乗ったことがあるだけでした・・・。l
2018年10月09日
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私の住む近鉄田原本線は、今年開業100周年を迎えました。それを記念して二種類の塗装変更車両が運用されています。時折運用されているのをみていたのですが、今回写真を撮ることができました。 これがその車両、いつも田原本線で運用されている8400系の8414編成に施されているこの塗装は、かつて田原本線で運用されていた820系をイメージしたものとのこと。かつての近鉄の一般車両といえばこのようなあずき色でした。820系は、銀色の細い帯が巻かれていたんですね。最近の近鉄の一般車両を見慣れた私にとっては、とても新鮮な色に思いました。ってか、こっちの方がいいじゃん。 8400系の方向板には、田原本線100周年を示すものが使われていますが、この丸に「大」の文字はなにか。これは、田原本線が元々近鉄の路線ではなく、大和鉄道(やまとてつどう)だったためです。 大和鉄道は1918年に開業、当初は非電化路線だったのですが、1948年に電化と同時に近鉄の一般路線(南大阪線系統を除く)と同じ標準軌(1435mm)に改軌、1961年に信貴生駒電鉄と合併するまで存在していました。 ちなみに、王寺町にお住まいの年配の方は田原本線のことを「やまてつ」と呼ぶ方もおられます。実際、亡き義母さんはそう呼ばれていまして、最初のうちはどこの路線のことを指しているのかわかりませんでした・・・。 その後、1964年に信貴生駒電鉄が近鉄と合併したことにより、近鉄田原本線ということになったのですが、その歴史的背景から他の近鉄の一般路線と直接接続していない路線となっています。ただ、営業路線として直接つながっていないだけで、実際には西田原本から近鉄橿原線に伸びる連絡線があって、田原本線の車両はそこを通って回送されています。 これは、田原本線沿線の箸尾駅に掲げられた横断幕です。王寺町の年配の方のみならず、沿線の年配の方も今でも「やまてつ」ってよんでいるのかな。私も時々「やまてつせん」ってよんだりすることがあるけどね。
2018年09月22日
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近鉄特急といえば、JRを除く私鉄の中でもオレンジ色と紺色の配色が特徴で、個人的には重厚感があっていい色だなぁと思っています。しかし、数年前に新塗色が発表されましたが、その配色というのがベースが白でオレンジや黒などの色が入るというもので、とても重厚感は感じられないものとなってしまったのが残念です・・・。 そんな近鉄特急の旧塗色を見かけるのが少なくなってきたので、先月奈良へ行った際に撮影することができました。「近鉄特急」ときけばこの配色ですよね、子どもの頃に伊勢神宮へ初詣に行った際にこの近鉄特急で往復しましたが、新幹線も当時の国鉄の特急も乗ったことがなかった私にとっては、最高級の列車でした。 ところで、近鉄といえば特急以外の一般車両は、かつてはあずき色(阪急のそれとはよく似ているけど少し違う)で、これもかなり前に今の白とあずき色に変更されてしまいましたが、特急車両は伝統を守っていました。 今般、新塗色が増えていけばそれが当たり前になるんでしょうけど、やはり何か違うんだよなぁ・・・。
2018年09月20日
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今日は、京都へ出張で直帰OKだったので帰りにJR奈良線で帰りました。JR奈良線には、今や貴重となった103系が活躍しています。改造されたものは、加古川線や播但線にもありますが、オリジナルの103系はここと和田岬線にしか残っておりません。しかし、JR奈良線も近いうちに置き換えられてしまうかもしれないので、今回撮影記録も兼ねて行ってみました。 早速見ることができた103系です。JR奈良線は4両編成で運転されておりまして、以前はこれを2編成つなげた8両編成でJR大和路線でも快速として運転されていました。 さて、103系は1964年から1984年までの長きにわたって国鉄の通勤型車両としてつくられてきたので、いろんなスタイルがあります。この写真のクハ103-215は1973年に製造されたもので、製造当初から冷房装置が取り付けられました。かつては特急やグリーン車しか冷房はなかったんですよ。ちなみに、この215は製造後は、山手線で運用されていて早くもその1年後に関西にやってきたという車両とのことです。 その次に入線してきたのも103系でした。この日は、もう一編成の103系も運用されていました。この103系はクハ103-167の編成で、215と比べてもらうとヘッドライトの形状が異なっています。こちらの167の方は1970年に製造されたものです。元々はヘッドライトは一灯だったのですが、その後の改造でこのような形状になっています。 ちなみに、この167は明石電車区を振り出しに淀川電車区を経て1986年に私の実家のある阪和線の日根野電車区へやってきたのですが、ちょうどやってきた時期のことはよく覚えていまして、当時は国鉄分割民営化直前でいろんな車両があちこちに転属・転入していた時期でした。そんな時にやってきたのがこの車両、当時は冷房車ではなく、当時の阪和線は非冷房車の割合が高かったこともあって「をいをい、またかよ~」の状況でした。ただ、淀川電車区当時のオレンジ色のままだったので、ひと目でこの車両ってわかるものでした。 そんな思い出のある車両も、いま運用可能の車両として残っているのは4編成とのこと。JR奈良線はなかなか乗車する機会はないのですが、また機会があれば行ってみたいと思います。
2018年09月14日
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先月、東京へ行く際に大阪駅で変わった車両が止まっていて、何人か写真を撮っている人がいたので行ってみるとこれでした。 そうです、JR西日本が誇る豪華列車の「瑞風」です。写真で見たことはあったのですけど、実物を見るのは初めてでした。 この手の車両は、客車列車か電車のことが多いのですが、これはディーゼルカーなんですよね。 JR西日本管内には、山陰本線のように非電化の路線もありますからね。このようなディーゼルカーの方が運行の上では使い勝手がいいんでしょうね。 一度乗ってみたいですね・・・、高いだろうな~
2018年09月13日
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8月1日に東京へ行く際に、王寺駅の電留線を見ると和歌山線用の117系の横に湖西線などで使われている117系が停まっているのを発見しました。 向かって右側が和歌山線用の117系、朝夕の運用に活躍しています。かつては紀勢本線の和歌山~ご御坊間でも使われていましたが、今は和歌山線のみです。 向かって左側が湖西線で使われている117系です。湖西線では113系に混じって使われていますが、なぜここへやってきたのかは不明です。その後は見かけたことはないですね・・・。 和歌山線用の117系が青色、湖西線用の117系が抹茶色と色違いなのですが、確かこの写真を撮る数日前の夜にはやってきていたと思います。その時は夜だったのでわかりづらかったのですが、夜でも色の違う117系が停まっていることは気になっていました。どのような経緯かはわかりませんけど、色違いの117系であることを確信できたのはよかったかなってね。 さて、この117系も国鉄当時に登場した車両、かつては東海道・山陽本線で新快速として使われていた車両ですけど、今ではこうしてローカル運用となっています。2扉車ですからね、利用客が以前よりも激増した東海道・山陽本線では使いづらいということになったんでしょうね。 いずれは置き換えられてしまうんでしょうけど、しばらくは見られるんでしょうね・・・。
2018年09月03日
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先日、近鉄田原本線に乗車しました。今年田原本線は開業100周年を迎えました。そして、それを記念した車両が運転されているのですが、何度か見たことがあるものの写真に収めたことがなかったのでそれを収めるべく箸尾駅で待つこととしました。 箸尾駅です。最近まで有人駅だったように思うのですが、無人駅になっていました。 箸尾駅は、田原本線のほぼ中間に位置しています。 ここでこのように列車は交換します。箸尾駅の他には、大和田駅で交換します。 この日は、開業100周年の記念の車両は運転されておらず、近鉄の標準的な塗装の車両でした。
2018年08月18日
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今回の東京・神奈川へは、往路は新幹線で、復路は青春18きっぷを利用しました。青春18きっぷで東京から帰るのは久しぶりです。 泊まったホテルの最寄駅の大井町から京浜東北線に乗車、川崎で東海道線下り普通に乗り換えました。この日、東海道線は高崎線内でのトラブルの影響がでていてダイヤが乱れていました。ただ、少し早めに出ていたのですけど、この先の熱海での乗り換え時間が僅かなので気にしつつの移動でした。 それでも藤沢駅構内にある80系を模した売店を見たくて、普通列車を降りて写真を撮りました。 その次の熱海行で熱海へ。東海道線の編成は15両に対して熱海からの静岡行は3両。いくらなんでも短すぎるよな。当然座れることはなく、乗れるだけましでした。熱海からの東海道線はJR東海になっていますが、JR東海では車両の関係で、ダイヤによって3~6両編成の幅で運転されていました。 ところで、熱海で乗り換えた時点で予定より1本早い列車で移動していることがわかったので、途中の興津で途中下車することにしました。興津で当駅始発の浜松行に乗り換えられるからです。我ながらいいアイディアということで、駅を出て近くのコンビニに行きました。 興津駅です。海が近い駅のようでした。 さて、コンビニに行って駅へ戻ると、ほぼ同時に列車が出発してしまいました・・・。って、なんの意味もない! 結局その次の列車まで待つ羽目に・・・。 その次の普通島田行きは、3両編成×2の6両編成。目的地は浜松だったので、途中の静岡で降りてその次の普通浜松行に乗ることにしました。 静岡で後ろ3両が切り離されて、前の3両編成が島田行きとして出発するのを見送りましたが、残された3両編成はどうするのかと思っていたら、ソロソロと進んで私の目の前で止まって扉が開きました。そうです、後ろ3両はそのまま静岡から浜松行になるんですね。だったら、静岡で切り離さなくても島田で前3両が浜松行、後ろ3両は島田止めにすればいいのにね・・・。 ようやく目的地の浜松に到着しました。大井町から乗り換えとかも含めて、5時間近くかかりました。 浜松での話は後日ということで・・・ 浜松からは、普通豊橋行に乗車、豊橋で快速米原行きで名古屋へ向かいました。名古屋に近づくにつれて車内は満員に・・・。名古屋で降りるのも苦労するくらいでした。その状況は、駅のホームも同様で、名古屋から関西線亀山ゆきに乗るべくホームへ行くと、夕方のラッシュと重なったこともあって溢れんばかりの状況・・・この日の昼過ぎにトラブルがあったらしく、入線してきた亀山ゆきも所定は4両編成のところが3両になっていました・・・。混雑していましたが、途中からは座れるようになりました。 この普通列車も遅れていたので、亀山での接続列車の間に合うのか心配だったのですが、わずかな時間で乗り継ぐことができました。亀山からは普通加茂行きですっかり陽の落ちた関西線を奈良方面へ向かいました。 かつて関西本線が電化されるまでは、亀山から奈良、王寺を通って天王寺や湊町(現・JR難波)までの直通列車があったそうですけど、今はそんなものはなく、全て加茂で乗り換え。運転されている車両も、写真のキハ120という小さなディーゼルカーです。 加茂で普通王寺行に乗り換えて、大井町から乗り換えや休憩をいれて約13時間で王寺に到着しました。青春18きっぷだったのでこれだけ満喫しても2370円ですからね。時間はかかったけど、改めて日本って広いなぁと思いました。
2018年08月09日
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先日の出張の帰り、京都からJR奈良線を利用しました。先発は、普通城陽行きでその後快速奈良行きだったのですが、暑いし涼みたかったので普通列車に乗車することにしました。 JR奈良線では、今や貴重となった103系が活躍しているのですが、もう4編成しか残っていません。この日も阪和線から移籍してきた205系でした。 この205系は、1988年に登場した1000番台とよばれる阪和線オリジナルの車両でした。この車両の当時は阪和線ユーザーだった私、103系・113系といった国鉄時代からの車両が大半を占める中で、軽快なステンレス車体の205系は眩しかったなぁってね。 その205系も、阪和線が関空/紀州路快速で使われている223系・225系に車種統一を図ったことにより、こうしてJR奈良線へ移籍してきているわけです。ただ、JR奈良線の103系は黄緑色なのですが、205系は阪和線当時の水色のまま使われています。 ところで、1988年といえば国鉄からJRになって2年目、近畿圏内のJRの路線においては、国鉄当時からの車両ってここ数年でかなり減ってしまいました。もう平成も終わろうとしているわけですから、それも仕方ないのかなってね。
2018年07月31日
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私が長年通っている散髪屋さんに行く時に利用するのがJR学研都市線の鴫野駅。ここは、以前も紹介したことがありますが、複々線化工事が行われています。 まずこの写真をご覧下さい。これは2013年頃の様子です。今、私が立って写真を写しているホームは、京橋方面へ行くホームで、反対側は放出、長尾、木津方面へ行くホームです。 それが今ではこんな感じに。5年のあいだにかなり変わりましたね。 上の写真と比べてもらうと、線路が一本少なくなっていますよね。その分ホームが広くなっています。 加えて、先の写真にあった放出、長尾、木津方面のホームが工事中になっています。ちなみに、現在の放出、長尾、木津方面へ行く列車はこの写真のホームから乗車します。 放出方面には線路が続いていまして、何らかの工事が完成すれば、広がったホームも元に戻されるようです。 ちなみに、京橋方面へ行くホームは新しくできた線路のところにできています。 2013年当時はこんな感じ、まだまだ工事中でした。 さて、鴫野駅の工事完成の様子がよくわからないのですけど、おおさか東線と学研都市線を分離して、特におおさか東線はそのまま新大阪方面へ伸びるということですから、どんな線形になるのかなってね。 奈良方面から新大阪まで乗り換えなしに行くことができるのは便利になるなぁってね。でも、今の部署はそこまで新幹線や特急を使って東京方面や北陸方面へ行くことがないので、個人的にはメリットないなぁ。奈良を訪問する観光客には便利になるのは確かだけど・・・。 それにしても、このような定点観測じゃないけど、こういった何気ない写真も撮っておけば比較ができて面白いですね。
2018年04月23日
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先月、日光東照宮や華厳の滝に行った時に利用したのがJR日光線でした。日光線は、宇都宮から日光までを結んでいる路線で、今ではすっかりローカル線となっていますが、かつては日光への観光客を東武鉄道と競合した路線でした。 現在の日光線内は、特急など優等列車は運転されておらず、普通列車のみで運行されているのは205系が使われています。かつては東京近郊で使われていたものです。 国鉄時代には、157系という当時の特急用車両に準じた車両としてこの日光線に投入されたことから、国鉄も日光への観光客輸送はかなり力が入っていたということですね。 写真は、当時の157系をイメージして塗装されたJR東日本の185系ですが、なかなか格好いいですよね。(今では運行終了している) さて、オリジナルの205系はロングシートなのですが、ここでもそのまま使われています。外国人観光客は荷物が多い傾向があるので、クロスシートよりはこちらの方がいいかと。 日光駅に到着しました。 日光線の駅名表示は、JR東日本オリジナルとは異なるものとなっています。 日光駅の外観です。 ここも最近、改装されたものだそうです。かつては、優等列車が到着するたびに大勢の観光客が降りてきたんでしょうね。 駅舎の上には、龍の絵が描かれています。どう言う意味があるのかわかりませんが・・・。 駅舎の上にもあがることができました。 シャンデリアがあって、雰囲気もあっていいですね。古き良き時代には、貴賓室とかあったのかな。そんな雰囲気を感じてしまいます。 そこには、日光駅の歴史も紹介されていました。 それによると、日光線は元々は日本鉄道の路線で、1909年に鉄道国有化法により国鉄になったんですね。また、前出の157系による運転開始は1959年ですが、それはこの日光線が電化されたことによるもので、その前の1956年にはキハ55系ディーゼルカーによる準急列車が運転されていまして、これも日光への観光客輸送に投入されたものでした。 このように、日光線は国鉄にとってはとても重要な路線だったわけですが、1982年に線内を走る優等列車がなくなってからは普通のローカル線になっていますが、東北新幹線が開業して宇都宮駅で日光線に乗り換えることができるようになっていますから、乗り換えの手間はあるとしても東武鉄道といい勝負をしているように思えるんだけど、やはり東武鉄道の方が優位かな・・・。 ところで、日光から宇都宮へもどる列車は同じ205系ですが、帯の色が異なっていますね。この205系は東北本線用の車両なのですが、日光線にも乗り入れているんですね。ちなみに、この列車は宇都宮行なのですが、終点宇都宮でそのまま黒磯行きになっていました。
2018年04月16日
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今年2月に仕事で茨城県ひたちなか市へ行きました。その最寄駅が勝田駅だったのですが、勝田駅の北方には勝田電車区がありまして、その関係か勝田止まりの列車もあります。さて、勝田駅構内も意外と広いわけですが、2月に行った時点ではかつて特急「スーパーひたち」などに使われていたJR東日本の特急車両の651系が留置されていました。 廃車前提の留置なのかどうかわかりませんが、2編成が置かれていました。 「スーパーひたち」は新しい車両に置き換わったことから、一部は直流区間へ移籍して651系1000番台となっているとのこと。これは、JR西日本の「しらさぎ」で使用されていた683系が「くろしお」「きのさき」など直流区間へ移籍しているのと同じパターンですが、JR西日本の場合は形式を分けて289系としているところが異なっています。 いすれにせよ有効活用されているのはいいのでしょうけど、この留置車両はかなりくたびれていたのでどうなるのかな・・・。あれから2ヶ月経過しているので、現状はどうなっているかわかりませんが。
2018年04月11日
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JR東海は9日までに、東海道新幹線(東京―新大阪)で運行する新幹線「700系」を、2020年3月までに引退させることを決めた。 後継車両の「N700A」への置き換えが完了するためで、先頭のくちばしのような形状から「カモノハシ」の愛称で親しまれてきた700系は、運行開始から21年で同新幹線区間から姿を消す。 JR東海とJR西日本が共同開発した700系は、1999年3月に運行を開始した。東海道新幹線では20年春から全車両が最高時速285キロで運行されるため、同270キロの700系の引退が決まった。 JR西の山陽新幹線(新大阪―博多)では20年以降も運行が続けられる見通し。【時事通信ネット版から引用】 東海道・山陽新幹線で運行されている700系が2020年に引退するとのこと。東あの独特の形状がようやく馴染んできましたけど、最初はなんじゃこりゃ?って感じでした。それから、車体の両端部にコンセントがついているのは便利になったけど、例えばD・E席の両方で1つしかないので意外と不便だったりしたんだけど(苦笑)。 最近は、N700系が増えてきて700系が使われるのは、主に「こだま」でみかけますが、たまに「のぞみ」でも臨時便で運行されることもありますね。そのたまに乗る臨時便の「のぞみ」に乗車することもあって、なんだかその時にはちょっとがっかりかな・・・。窓側にコンセントないからね。 東海道・山陽新幹線も世代交代がどんどん進んでいて、N700系の後継も登場するとのこと。3月までの部署では東京~新大阪間を何度も利用しまいたが、今の部署ではそんな遠出をすることはないので、知らないうちに700系は引退しているんだろうなってね。 そういえば、私が就職した1986年当時は、まだ0系の広窓車が普通にあったし、100系が徐々に増加していく状況でした。その後、300系が「のぞみ」として登場して一気に東京~新大阪間が近くなり、500系はその形状から特徴ある車両でインパクトがありました。ここまでは、すでに東海道新幹線では見られなくなっているというのは、時代を感じるし私も年をとったなぁっていうところですね。
2018年04月09日
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4月1日に大阪市営地下鉄が民営化されることになりました。っていうか、いつの間にそんなことになったんだ? しかもネーミングが「大阪メトロ」らしいけど。東京メトロの二番煎じか? 誰が考えたのかしらないけど、大阪都といいセンスねぇわな。 というグチはさておき、伝統的な「マルにコ」のマークも見納めになるようです。 正式にはなんというのかしらないのですけど、このマークです。 このマークには意味があって、「マル」は大阪市の「O」(オー)を意味していて、「コ」は高速鉄道を表しているそうです。さらに「コ」には、大阪市から外へ路線が伸びていく、ということも意味しているとか。奇しくも、堺市や八尾市、守口市、門真市、吹田市にも伸びていますけどね。 扉のところにマークが描かれていますが、徐々に消されているものも見かけました。そのうち見納めになるのかな・・・。 これは、淀屋橋駅近くで見かけたものですが、このようなマークも新しいものに置き換わるのか。 っていうか、新しいマークってまだ見ていないんですよね。調べればわかるんでしょうけど、明らかになるまで楽しみにしておきます。 ところで、大阪市営地下鉄には、「マルにコ」のマーク以外にこのような「市電」マークも取り付けられています。これは、路面電車の大阪市電から使われているものですけど、これはどうなるんでしょうね。デザイン的にもよくできていると思うんだけどね。
2018年03月26日
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私が東京へ行っている間にダイヤ改正がありましたが、私も時々利用していた新大阪から和歌山方面へ行く快速がこの改正で廃止されてしまいました。 新大阪発の快速は、1986年11月のダイヤ改正から登場しました。当時は165系で、阪和線から大阪環状線への連絡線ができたときにあわせて登場したように記憶しています。当時でも貴重になりつつあった165系が連日新大阪へ乗り入れるだけでなく、混雑路線である大阪環状線と阪和線へ乗り入れていくわけですからね。私も東京の出張の帰りに、これに乗ることがありました。実家のある鳳へ行くのに乗り換えなしで行けるのはありがたかったんですよ。 列車の行き先は、最初は新宮行(6両編成のうち後ろ3両は紀伊田辺で切り離し)、その後紀伊田辺行きとなり、最近は御坊行とだんだん短縮されていきました。 車両はその後113系に代わり、現在の223/225系にとなりましたが、阪和線や大和路線における利便性は失われていませんでいした。しかし、今回の改正でこの快速列車は廃止、その代わりに特急「くろしお」の和歌山行となりました。確実に着席できるのはありがたいけど、その分の特急料金がなぁ・・・。私が利用するのは新大阪から天王寺間。チケットレスのサービスがあってもどうなんだろうなってね。 これらの写真は、改正前に撮影したものです。廃止前は8両編成のうち後ろ4両は日根野で切り離しになっていたんですね。 ところで、私のような古くからの鉄道ファンの方なら、元々この列車は国鉄時代、天王寺から新宮を通って名古屋まで行っていた夜行列車の成れの果てということはご存知かと。そんな列車もついに廃止になってしまったんですね・・・。
2018年03月25日
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今週土曜日の17日は、JRがダイヤ改正を行いますが、それとともに私鉄もバスもダイヤ改正を行うようですね。 さて、先日湘南台まで移動した時に利用した小田急も複々線化が完成して、そのダイヤ改正も行われるようですね。代々木上原から登戸の間で、1989年から工事を初めて20年近くもかかったんですね。 このような大規模な工事というのは、おそらく密集地での工事だからいろいろと調整したりすることもあったでしょうし。 私は、小田急にはほとんど乗ったことがないのですが、利用者の方の話では常にダイヤの乱れがあったようで・・・。それが多少なりとも解消されるといいですね。 複々線の状況は、京阪の京橋~萱島間のように真ん中の二線を通過列車用、両外を普通列車用になっていました。
2018年03月12日
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箱根へ行くには、定番中の定番はやはり箱根湯本から乗る「登山電車」(箱根登山鉄道)ですよね。私は初めて乗りましたが、この登山電車の話は鉄道ファンの端くれですからね、もちろん知っていますよ。 この写真にある「80.0」と書かれた標識は勾配を示しているのですが、80/1000を示しています。つまり、1000m進むと80m上がる(又は下がる)を示すもので、写真は80m下がるを意味しています。鉄道の場合は、当たり前ですが「鉄の車輪に鉄の線路」ですから、この勾配は大変厄介なもの。かつては碓氷峠というのが国鉄→JR東日本の信越本線あって、この峠を超えるための専用の機関車まであったくらいですが、ここはそれよりも急な勾配を上り下りしているというのは日本ではここだけ、世界的にも2番目だそうです。 ここを走る車両の特徴としては、全長が短くて15mくらいしかありません。その理由は、急勾配に加えて、急なカーブも続くという線形にもあります。 写真ではわかりにくいのですが、このカーブなんかはかなり半径が小さくて、大きな車体では曲がることができないのです。 それから、急勾配を一気に登ることはできませんから、何度も進行方向を変えながら進むという「スイッチバック」という方法もとられています。箱根湯本~強羅間で合計3回も向きが変わります。 だから、運転士と車掌は、その度に行ったり来たりと大変なのです。 ちなみに、この列車はポイントをわたって右側の急坂を降りていきます。急坂の向こう側が見えないって、道路ではよくありますけど、鉄道ではかなり珍しいのです。 途中にかなり古そうな鉄橋をわたりますが、「早川橋梁」というそうで、我が国最古の鉄道の鉄橋だそうです。1888年製造で天竜川鉄橋だったものを一部転用して設置したものだそうで・・・。 箱根登山鉄道では、向かって左側のモハ1型・モハ2型というかなり古い車両が長らく使われていたわけですが、最近は新しい車両も導入されています。窓が大きくて、開放感のある車両は観光客にはうれしいものです。 単線ですから、このように対向待ちも意外と多いのです・・・。 私はこの古い車両の方が好きですね。朱色と灰色のツートンカラーに白帯がアクセントになっていて、いい感じじゃないですか。 これは、この日乗車した104号のものですが、昭和25年に汽車会社で製造されたものです。もう70年近く前ですね。 行き先案内板を使うのも、最近は珍しくなりました。 文字だけではなく、絵も描かれていて楽しいですね。 私は、1.5往復しましたが、急勾配を上り下りする様子はなかなか迫力があって面白かったです。車ならこのような角度の急坂はありえますけど、鉄道ではありえませんからね。
2018年03月11日
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大涌谷からのロープウェイが到着した早雲山からはケーブルカーで強羅まで下ります。 ここは、標高750mもあるんですね。 写真では角度がよくわかりませんね。かなり急坂なんですよ、足のストレッチをするための角度としてちょうどいいくらい(爆)。 一番後ろの席、すなわち坂がよく見える席をゲットできたので、そこから過ぎていく急坂を眺めていました。 私はケーブルカーといえば、和歌山県の高野山のケーブルカーには、かなり以前に乗ったことはありますが、久しぶりに乗りましたけど、ここのケーブルカーの特徴としては「途中に駅がある」というのは珍しいと思います。高野山には途中駅はありませんし。 途中にこのようなポイントがあってすれ違います。こういうのも楽しい瞬間だったりします。 ちなみに、ここのポイントにも特徴があって、それぞれ右側を通行するように作られているとか・・・。 強羅まで降りてきました。写真の左側がこれから大涌谷方面へ向かうお客さんです。結構多いでしょ、一般的にはこのルートなんでしょうけど、私のようにバスで向かうというのもひとつの手かなって改めて思いました。
2018年03月11日
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来る3月17日にはJR西日本管内でダイヤ改正が行われます。私の地元のJR大和路線はあまり大きな変化はないのですが、私の実家のあるJR阪和線では大きな動きがあります。 長らく103系が主力として活躍してきたわけですは、関空快速などに使用されているこの写真の223/225系に統一されることになっています。すでに、この写真のように普通列車でも使われていますけどね。 103系は一足先に置き換えられているようですが、その後継にあたる写真の205系が最後の活躍をしています。 車種統一によって、車両のやりくりがやりやすくなることと将来的にはホームドアの設置もやりやすくなると思います。 それから、阪和線には鳳~東羽衣間に支線の羽衣線があるのですが、この羽衣線も例外なく車種統一がされます。ここでは、1977年以来103系の3両編成が使われてきたわけですが、これも223/225系に置き換えられます。3両編成でも充分足りる時間帯もあるのに、車両の編成の関係から4両編成で投入される223/225系、ちょっと過剰な気がしますが・・・・。 羽衣線を走る103系は3編成あります。この日は、クモハ103-2504+モハ102-451+クハ103-192の編成でした。この編成は、車内がリニューアルされた編成でその後のリニューアル車両のモデルとなった編成でした。 オリジナルの103系とはちょっと雰囲気が異なりますが、今や貴重な103系であることには違いありません。 ちなみに、羽衣線は元々3両編成のホーム長しかなかったので、4両編成に対応できるように東羽衣駅も鳳駅も工事が行われていました。 ところで、私が子どもの頃の阪和線には、古い車両で70系というクロスシートとロングシートが配置された車両が運転されていました。普通列車に入ることもあったのですが、私の場合は乗車するタイミングが少なかったのです。それでも、タイミングよく乗車することができたらとても嬉しかったのですが、それはロングシートではなく、クロスシートの方がランクが上という意識が子供心にもあったのかと思います。 話をもどして、車種統一ということで利用者にはわかりやすくなりますが、ファン的には代わり映えのしない車両になってしまうのが残念ですけどね・・・。
2018年02月14日
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先月、敦賀へ行った際に購入した切符です。これで武生まで行きました。北陸本線の近江塩津~大聖寺間は、ICOCAなどのIC乗車券は使えないので切符を購入しましたが、最近はICOCAなどに慣れてしまっているからなんだか不便に感じます。 さて、みなさんは切符を購入された時、切符のどこをよくご覧になりますか? この駅から目的地までの料金でしょうか。それとも地紋といって切符の模様でしょうか。 ちなみに、切符の書かれた番号を加減乗除して10にするとか、0にするとかそんな遊びはしませんでしたか? 私は算数や数学は苦手なのですが(苦笑)、そんなことをして時間をつぶしていました。ローカル線なんかの場合、待っている時間にそんなことをしていました。 先日の切符ではあることに気がつきましたので写真に収めました。切符の下の方に数字が書かれていますが、「3321」は切符の番号で「12:33」はこの切符が発券された時間です。昔の切符には、時間の表示はされませんでしたが、今はこのように印字されるものもあるんですね。 さて、この並びをみてピンときた方もおられるでしょう。「3321 12:33」、つまりちょうどミラーのような並びになっているということです。こんな偶然ってあるんだなぁって思いました。 最近は、前出のとおりIC乗車券を使うことが多いので、ひさしぶりに切符を買ってちょっと楽しいことを見つけることができました。
2018年01月24日
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去年、ガゼルスの試合で東大阪市の金岡公園野球場へ行きましたが、その際に利用したのは近鉄大阪線の弥刀駅でした。 さて、この駅は何と読むでしょうか? もちろん、近鉄大阪線沿線の方や東大阪の方なら読めるとは思いますが、一般的には難しいですよね。パッと見では、「やとう」? ・ ・ ・ ・ ・ そうです、「みと」と読むんです。茨城県の水戸と同じ読み方ですけど、漢字は違います。 大阪には「放出」以外にも難しい読み方の駅があるんですよ。
2018年01月21日
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走行中の電車から飛び降り、後続列車の運行を妨げたとして、京都府警田辺署は13日、威力業務妨害の疑いで、韓国人の大学生の男(19)を逮捕した。「自分でドアを開けて飛び降りた」と容疑を認めている。 逮捕容疑は10日午後5時40分ごろ、京都府京田辺市内の近鉄京都線新田辺駅-興戸駅間で、走行中の近鉄奈良発京都行き急行電車(6両編成)の扉を開けて飛び降り、後続電車の運行を妨げたとしている。 同署によると、男は知人3人と観光のため韓国から来日。4人で電車に乗車していた際、突然ドア付近の非常用レバーを操作して扉を開け、飛び降りた。知人らは「旅行中に時折、ふさぎ込んでいた」と話しており、同署は詳しい動機を調べている。 このトラブルで上下計41本が運休するなど、約3万人に影響が出た。【産経新聞ネット版から引用】 訪日外国人が去年はかなり増えたことは先日のニュースで見かけまして、その中でも一番多かったのが反日国家のあの国だったとか。反日のくせに、なぜ我が国にやってくるんでしょうね。もしかしたら、神社仏閣にいたずら目的で来ているのか? そんなあの国からやってきたヤツが近鉄京都線の急行列車から飛び降りたというニュースをみましたけど、その理由というのが「乗り間違えた」というならまだしも(いや、それでもダメだろう)、そうじゃなくて「ふさぎこんでいた」だと? 『ふざけていた』の間違えじゃないのか? 何をふさぎこんでいたのかわからないけど、だからといって非常用ドアコックを操作して列車の運行を止めていいわけがない。あの国では常識であったとしても、全世界的には「非常識!」なんだよ、わかったかこのタコやろうが! そういえば、かなり以前の話ですが、日本の国会議員でも乗り間違えたかとかなんとか言って新幹線を止めたことがあったと思うんです。検索してみたんですがヒットしなかったのですけどね・・・。都合の悪いことは検索してもヒットしないようにしているのは、まるで別のあの国みたいですね。 それから、訪日外国人が増えているということで、駅や車内アナウンスでも英語以外の表記や放送がされることがありますが、あの国々の表記や放送が流れると個人的にはなぜだか「イラッ!」っとするんですよね。そもそも、あの国の駅やアナウンスで日本語表記や放送ってできるんですか? 私は行ったことがないからしらないけど、仮にあったとしてもそれらが正しいかどうか怪しそうだし。 話を戻して、このふざけたやつからは、ガッツリと賠償金を払わせることはもちろんのこと、二度と我が国の領土に入らないように措置して欲しい、そのくらいしないとわからないでしょうからね。
2018年01月14日
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千葉県の房総半島南部を走るいすみ鉄道(本社・大多喜町)の鳥塚亮社長(57)が、マナーの悪い一部の鉄道ファンを「阿呆連中」「言葉が通じない」などとブログで痛烈に批判した。 いすみ鉄道は、沿線一面に植えられた菜の花や1960年代製のレトロ車両で鉄道ファンに人気のローカル線。なかでも、上総中川駅と国吉駅の間にある踏切は、撮り鉄の間で「聖地」とも呼ばれる人気の撮影スポットとされている。 そんないすみ鉄道に集まる撮り鉄の行動について、鳥塚氏は2018年1月7日のブログで苦言を連発している。まず、6日に「キハ52」というレトロ列車を撮影するために鉄道ファンが沿線を訪れていたとして、 「この寒いのに沿線にはご覧のようにたくさんのお客様が撮影にいらしているようです。真冬の枯野原の田んぼの真ん中に10名以上の人たちが、今か今かとキハを待っているシーンは、この地域にとっては『奇跡』でしょう」と感慨深げに報告した。 だが、鳥塚氏は続けて「でもそうなると、当然こういう連中も来るのです」とも指摘。あわせて、線路脇にカメラの三脚を立てて列車を撮影しようとする複数の男性の後ろ姿を捉えた写真を掲載した。 この写真には、線路脇に置かれた標識よりも内側に三脚を立てて列車の撮影に臨むカメラマンの姿が映っている。三脚の脚は、線路に敷かれた茶色い砂利の上に乗っているようにも見える。 こうした一部ファンの行動について、鳥塚氏は「鉄道ファンという人たちは、きちんとしている人たちが多いと思っています」としつつも、 「が、分母が大きくなると、つまり、たくさんの人数が来るようになると、人間には一定の割合で頭の悪い奴や、物事を理解できない奴が存在しますから、当然、そういう人間が目立つようになります。ということで、こういう連中が散見されるようです」と痛烈に批判している。 さらに鳥塚氏はブログで、紹介した写真のような行動について「皆さん、見かけたら注意してあげてください」と注意喚起。その上で、 「でも、注意するのもコミュニケーションですから、上手に注意してくださいね。何しろ相手は阿呆連中ですから、ふつうの会話が理解できない可能性があります」と皮肉たっぷりにつづっている。 続けて鳥塚氏は、注意しても効果がない悪質なケースでは迷惑客の顔を「晒す」可能性もあると予告。その理由については、 「実名で意見を言い合う鉄道ファンのコミュニケーションの中では、こういう人たちの『顔出し』もありでしょう。何しろ言葉が通じない場合は仕方ありません」と説明していた。 こうしたマナーの悪い鉄道ファンへの怒りを爆発させた鳥塚氏のブログについて、ツイッターやネット掲示板では、 「ちょっと言い方荒いけど正論だと思う」 「かなりキツイこと書いてあるけど当然の事。撮り鉄の為に列車は走っているのではない」 「これ、社長からの最終通告かな。次に見つけたら110番かも」といった声が相次いだ。ただ一方で、「ムカつくのはわからんでもないが感情的すぎる」「発言や行動が過激というか社長らしくない」などの否定的な意見も出ている。 なお、鳥塚氏が一部の鉄道ファンの行動に苦言を呈すのは今回が初めてではなく、16年4月3日のブログでも、「カメラマンがたくさんやってくる季節になると、分母が拡大する分、阿呆の数も増えます」と言及。線路に立ち入ったり、線路のすぐ側で撮影を試みたりする人が出ているとして、 「今日も昨日も、そういう阿呆連中のために非常ブレーキをかけて停車した列車が何本もあります」とも伝えていた。 そのほか、いすみ鉄道の公式サイト上でも、17年3月23日付で迷惑行為を止めるよう促す注意文を掲載している。 この文書では「マナーの悪い人が今年も大変目立っています」と切り出し、よく見かけるという迷惑行為を列挙。沿線の菜の花を踏み荒らしたり、花を引き抜いて持ち帰ったりする人すらいたとして、 「このような行為をする人はお客様ではありません」とも訴えていた。【J-CASTニュースから引用】 いすみ鉄道は、私も3年ほど前に乗ったことがあります。国鉄当時の車両を今でも大切に使用されていて、いつまでもその状況を保って欲しいと思っています。私は、走行写真を撮るのではなく専ら「乗り鉄」でしたが、国鉄当時の車両の振動やエンジン音が懐かしく、それだけで子どもの頃や学生の頃に戻ったような気がしました。それもこれも、いすみ鉄道のみなさんが日々がんばってくれているからなんですよね。 そういった状況を踏みにじるのが本文にもあったクソたわけなヤツら。こいつら、鉄道ファンでもなんでもないですよ、「ただのイカレた連中」ですわ~ だってそうでしょ、運行している列車が非常ブレーキをかけなければならない場所で撮影していたわけですから。自称鉄道ファンだとしても、最低限度のルールは知っているだろうし、そんな場所で写していいかどうかわかりそうなもの。 ところが、イカレた奴らにはそんなことがわからない。いすみ鉄道の社長が「阿呆連中」というのも理解できますね。ネットでは言いすぎだろうというコメントもあるようだけど、ここまで言ってもわからないだろうから、もっと言ったっていいと思いますよ。 もっというと、二度といすみ鉄道に近づけなくするようなことをしてもいいはず。反省が見られないなら、それくらいの強硬手段でもなんら問題ないかと。 あまり悪質な状況が続くなら、貴重な列車の運行そのものを中止してもいいと思っています。安全な運行ができないなら、それもやむなしかと。その責任の全ては、その原因を作ったクソたわけなヤツにあるということで。 いすみ鉄道の社長さんにしてみたら、大勢のファンに懐かしい車両が今なお活躍する姿を見て欲しいと思っているはず。社員の人たちも同じだと思うのですが、そのためには「安全に運行」できてこそのことですからね。 鉄道ファンの端くれの私としても、こんなしょうもないクソたわけのせいで・・・って思っています。
2018年01月11日
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いよいよ2017年もあとわずか。私は今日で今年の仕事を終了して、一足先にあすから休むことにしました。そのため、今日は不要な書類の整理やシュレッダーで裁断作業を残ってやっていました。時間中は、来年早々の仕事の段取りとかいろいろあったので、どうしても残って種類の整理などになってしまいます。 そして、ようやく仕事が終了して、地下鉄とJR大和路線を乗り継いで途中の駅の久宝寺駅までやってきたときのこと。発車事故になっても動かないが、もしかしたら「急病のお客様が・・・」とか言うんじゃねぇだろうな、って思っていたらもっと厄介なことが・・・。「八尾~志紀間の踏切の遮断棒が折られて・・・」 はい出ました、これですよ。どこぞのボンクラが遮断棒折って逃げたらしい・・・。 わりゃ、なにしよるんなら!! そういえば、先日もJR阪和線で80歳代のじじぃが列車と接触したという事故があったけど、そのじじぃ曰く「左右見て列車が来ていないから渡った・・・」というようなことを言っていたらしい・・・。「遮断棒が降りていたら通ったらダメって、理解できんか?」 こんな基本的なこと、じじぃの孫でも知っているやろって。理解できんのなら出歩くなっていうことで。 こういう事故が起こると、「踏切があるのがいけない」とか「高架道路(もしくは地下道)にした方が」というコメントを見ることがあるけど、そもそも踏切を通るルールを守っていたらいいんじゃないの? 交通量の多いところなら踏切を廃止して高架もしくは地下化ということはあるだろうけど、踏切を通るルールを守ってさえいれば何の問題もないはず。 前出のじじぃのように、自己責任で渡るのは止められないけど、その代わり列車を止められたらとんでもない賠償額を鉄道会社は請求してやればいいんですよ。遮断棒を折ったボケに対しても同じ。一発で自己破産するような額をな。 それにしても、急いでいる時にこんなことで列車の運行が遅れてしまうのは大ごとなんですよね。私は何度か経験があって、覚えているのはJR奈良線で今回と同じような遮断棒を折ったボケのせいで京都駅から乗車予定の特急に乗られず出張に遅れたり、福島県へ出張に行くときにJR大和路線の線路へ鉄道マニア(というクソたわけなアホども)が立ち入ったため、新大阪駅から乗車予定の「のぞみ」に間に合わず、加えて東京駅での乗り換えにかなり余裕があったはずなのに、わずか6分というドタバタだったことがありました。後者の方は何とかギリギリ仕事に間に合いましたが、前者は他の人達に迷惑をかけることになったことから、原因を作ったやつをぶん殴りたいって思いましたよ。 だから、基本的なことですが、踏切の遮断機が降りているときは無理に渡らない。これを徹底するしかないですね。
2017年12月27日
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私の地元のJR大和路線で走っている6両編成の103系、同じ6両編成の201系とともに活躍していますが、ついにあと1編成だけになりました。国鉄時代の1982年頃から活躍、最近ではおおさか東線でも活躍しています。 この写真は、おおさか東線を経由して久宝寺駅へ向かうためにJR学研都市線放出駅に停車中のクハ103-242他の編成ですが、残念ながら先日廃車になってしまったようです。 さて、2018年3月にダイヤ改正がありますが、残り1編成の103系がどうなるのか。大阪環状線に新しい323系が投入され、そこで活躍している201系が置き換わりつつありますから、たった1編成の103系は簡単に置き換えられてしまうかもしれませんね。 なお、奈良線には4両編成の103系が走っているので、もうしばらくは103系自体を見ることができるかと思います。
2017年12月24日
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今日は、昼前にインフルエンザの予防注射に行きましたが、その帰りに王寺駅の近くを通るとJR大和路線で運用されている103系が洗車されていました。 奥側の黄緑色の車両が103系、国鉄当時からの通勤車両ですが、JR西日本管内でも数を減らしていて、大阪環状線からも姿を消しました。JR大和路線では6両編成3本が残っていましたが、うち1本は廃車になる見通しとのこと。その代わりに大阪環状線から201系がやってくるとか・・・。だから、こうして車体をきれいに洗ってもらえる光景は、見納めになる可能性が大きいですね。 なお、4両編成の103系はJR奈良線においてまだ使われています。
2017年11月04日
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先月、熊取へ出張した際に、JR阪和線東岸和田駅の高架工事の様子を見ました。 和歌山方面はすでに高架になっていて、天王寺方面が最後の工事をしていました。 天王寺方面は、今日10月21日の深夜から22日早朝にかけて線路の切り替え行うということで、今日の深夜と明日の早朝は、この東岸和田駅前後はバス代行になるようです。 この写真は、和歌山方面を向いて撮りました。 これは、天王寺方面を向いて撮りました。 天王寺方面のホームもいつでも列車がやってきても大丈夫な様子になっています。 JR阪和線では、天王寺~杉本町の手前までが高架になっていまして、この東岸和田も高架になって渋滞ポイントだった踏切がなくなるのはいいですね。ただ、このようになってもJR阪和線は、列車の遅れがよくありますけどね・・・。
2017年10月21日
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お得な乗車券として関西で30年以上親しまれてきたJR西日本の「昼間特割きっぷ」が来年9月末で発売が終了する。交通系ICカード「ICOCA(イコカ)」の利用を促すためで、新たにイコカには利用に応じたポイントサービスを導入するが、買い物客やビジネスマンから絶大な支持を受けていた「昼特きっぷ」の廃止を惜しむ声も出ている。(中略) 登場は国鉄時代の昭和58年にさかのぼる。京阪神間で競合する阪急、阪神などの私鉄に運賃で対抗するために生まれた。期間限定商品という位置づけだったが、延長をしながら継続して売られていた。 発売区間やセット枚数、価格はこの間見直されてきたものの、他社の回数券などと比較しても割引率が高いのが特徴。大阪-京都は普通運賃では560円だが、昼特きっぷでは1枚あたり350円。大阪-北伊丹(普通運賃320円)は1枚あたり170円で、割引率は46・9%にもなる。金券ショップでも人気商品となっている。【産経新聞ネット版から引用】 私もよく利用する「昼間特割きっぷ」(通称:昼特)。平日(月~金)の10時~17時と土日祝日に使うことができて、かなり割引率も高くてJRと並行して走る阪急や阪神よりもさらに安いのが魅力なんです。本文にあった大阪~京都間はあまり使ったことがないのですが、大阪~三ノ宮・元町間はよく使います。ちなみに、JRの昼得は260円、阪神は320円とこちらはあまりお得感はないですね・・・。 さて、そんな昼得も来年9月で廃止とか。ICOCAのさらなる普及を目指そうということなんでしょうけど、ICOCAの場合はあまりお得なポイントの付与がないんですよね。私はsmartICOCAなので、利用額に応じたポイントはつくのですけど、普通のICOCAの場合はついていないみたいです。その辺を改善しないといけないんじゃないかな。 ICカードなんだし、システム的にはできそうな気がするので、そのあたりを期待したいところです。
2017年10月11日
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国鉄時代の車両における車内のにおいを再現したという、ルームフレグランスが登場。2017年10月3日(火)からインターネット上のクラウドファンディングサービス「Readyfor」にて、支援の返礼品という形で購入を受け付けています。 出品者は合同会社ビイエルテイ(東京都港区)代表の高橋 竜さん(※高は正しくは旧字体)。「国鉄スピリットを受け継ぐ」というブランド「COQTEZ」を立ち上げ、その第1弾として、「国鉄の香り」ルームフレグランスと、国鉄車両のシートに見られる青モケットを再現した「国鉄青モケットクッション」を商品化したといいます。 鉄道をテーマにしたフレグランス商品としては世界初だという「国鉄の香り」。どのようなにおいなのか、高橋さんに聞きました。(中略) 実態のわからない「国鉄の香り」。その言葉から思い出されるにおい、あるいは記憶は、人によってもさまざまでしょう。 貝塚公園と同じナハネフ22形客車を展示している鉄道博物館(さいたま市大宮区)の奥原哲志学芸員によると、「確かに、当時の車両で共通するにおいをお感じになる方はいらっしゃいます」とのこと。「やはり塩素系の、消毒剤のようなにおいですが、当時の消毒剤について詳しくはわかっていません。ただ展示車両について言えば、たとえばタバコのにおいが染みついていたようなものもあり、ひと通り清掃していますので、それぞれが当時のにおいを残しているわけではないかもしれません」と話します。【乗り物ニュースから引用】 国鉄がJRになって30年、国鉄当時の車両もだんだん少なくなってきて、関西では先日、大阪環状線を走っていた103系が引退したというニュースもありました。 さて、「匂い」って人それぞれで感じることが違うかもしれませんが、国鉄当時の車両に乗ると一種独特の匂いがあったと思います。前出の103系は通勤用の車両ですが、検査から上がってきた時には塗装の匂いがあったと思いますし、特急や急行の車両ではそれとは違う匂いがしました。もっというと、さらに古い車両では床が木張りだったら床の油の匂いとかニスの匂いもありました。 ただ、共通して言えるのは本文にもありましたが、「消毒の匂い」ではないかと思われる独特の匂いがあったと思います。書物にすると難しいのですが、例えば現在も蒸気機関車が牽引する列車が運行されている大井川鉄道(静岡県)の客車に乗ったときは、車内に入った瞬間に懐かしい匂いがしたのを覚えています。 そんな匂いを再現・商品化だそうですね。どんな感じなんだろう、気になるなぁ。 ちなみに、かなり以前にクイズになっていましたけど、海外で自動車の中古車に新車当時の匂いを付したところ売上が伸びたそうですよ。やはり、「匂い」って人間には敏感なんですね。 商品化されたこの商品、一体どのように使われるのかについても気になります。
2017年10月08日
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国鉄時代から大阪環状線を走るオレンジ色の103系。1969年に投入されて、48年にわたって活躍してきましたが、来月3日をもって引退するとのこと。あと1編成になったという話は聞いていたのですが、昨日偶然にも天王寺駅で写真に収めることができました。 まぁ、ケータイのカメラなのでこんな感じですけど、最後に収めることができてよかったです。 関西の103系は、私の地元のJR大和路線や奈良線ではまだまだ活躍していますし、私の実家のある阪和線でも活躍しています。また、中間車両を改造した車両も加古川線や播但線でも使われています。 10月3日は平日ですが、103系にちなんだのかもしれませんね。この日のいつ、どの列車の運用に当てられるかはシークレットらしいのですけど、平日ですから列車に興味のない大多数の利用者に迷惑がかからないようにするために、早朝の列車に充当してくれたらいいんだけどな、って思います。 でないと、どこかの線区であった「大罵声大会」なんか見るのもいやだからね。
2017年09月28日
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私が鉄道ファンであることはこのブログをご覧の方はご存知かと思いますが、最近は鉄道ファンの質が低下しているというのかな、私が子どもの時もそうだったかもしれないけど、呆れることばかりがニュースやyoutubeで見られます。ホント、鉄道ファンの端くれの私としても嘆かわしく思います。 鉄道のテーマパーク「碓氷峠鉄道文化むら」(群馬県安中市)に展示されている、歴史的に貴重な車両の部品が盗難被害に遭っていた。車両には「部品を戻して下さい」と呼びかける貼り紙が掲示されており、これをツイッターユーザーが撮影・公開したところ拡散された。 碓氷峠鉄道文化むらはJ-CASTニュースの取材に、「盗難に遭ったのはマスコン(マスター・コントローラー)のハンドルです」と明かす。(中略)さらに、同園では過去にも盗難被害があったとして「ドアを溶接機で外されたこともありました」と話す。同園ウェブサイトによると「EF 70 1001」は1964年製造、1986年廃車、現在は同園でしか保存されていない。取材に応じた従業員によると、マスコンがなくなったことに気付いたのは「今から2年ほど前」といい、警察に盗難届を出し、今回ツイッターで拡散されている貼り紙を車両の窓に掲示した。現在も、外から車両を見ることはできるが、中に入ることはできなくなっている。【J-CASTニュースから引用】 第一線を退いた車両が博物館や公園などに展示されるのは、現役時代を知らないファンにとっては貴重なものだと思うし、現役時代を知っている者にとってもかつての活躍を思い出すことができていいものなんです。ただ、そこにはその状況を維持するために多くの人の手と費用がかかっているわけです。部品だって、それ単体では何の役に立つものではなく、「そこにあって初めて成立するもの」なんですね。 ところが、そんなこともわからないヤツがいるわけです。「盗り鉄」なんていうヤツのことなんですけどあえて言わせてもらうと、 「こんなクソみたいなヤツのせいで、 大勢の良識あるファンが迷惑している」ということなんですよ。てめぇだけがよかったらいいんか? クソたわけ!! 本文にあったEF70は、北陸本線で活躍した車両でして私も晩年しか知らないんですけど、北陸本線を代表する車両の一つだったんですけど、そのほとんどが解体されてしまって残っているのがこの1001号だけ。そんな貴重な車両の部品をパクってどうするつもりなのか。パクったヤツが自分のところで博物館でもするつもりか? パクったもので博物館か、ふざけんな!! ちなみに、本文にあった『ドアを溶接機で外された』だと? ここまで来たら、もう古い車両を展示するのではなく、片っ端から解体して屑鉄売却した方がよさそうだな。残したところで、こんなクソたわけなことしかしないんだったら、跡形なく解体する方がいいんじゃないの? さて、現役を引退した車両がそのような仕打ちを受けているわけですが、今度は現役引退を前にした車両の話題です。これとて、引退が明らかになると「葬式鉄」と呼ばれるヤツらがやってくるんです・・・。 国鉄時代の1969年からJR大阪環状線を走るオレンジ色の通勤形車両「103系」が、10月3日で引退する。JR西日本が5日、発表した。通勤・通学客を運ぶ主力として長年活躍したが、老朽化に伴い新型車両への置き換えが進み、現在は2編成(各8両)だけになっていた。 103系は63年から約3500両製造された。環状線には69年に導入され、車体のオレンジ色が同線のイメージカラーとなった。 しかし、JR発足後には新型車両が次々と登場。環状線では2005年に「201系」が走り始め、16年12月にバリアフリー対応などを充実させた「323系」が導入されて103系の運行が減っていった。東京・山手線など東日本では既に姿を消し現在はJR西日本とJR九州が保有するのみ。JR西ではオレンジ色の車両は廃車され、奈良線(黄緑色)などの169両となる。 引退日は103系にちなんで10月3日にしたという。最終列車の運転時刻は、混乱を避けるため非公表。JR西のホームページでは動画「103系引退スペシャルムービー」を公開している。【毎日新聞から引用】 103系は、国鉄の通勤型車両として東京や大阪のみならず、それらの路線を追われてからは仙台や岡山、広島などでも使われた車両で、見た目はそんなにおもしろみのあるものではありません。ただ、日本の高度成長期の足元を支えた車両といえるのではないかと思っています。そんな車両が活躍する線区の一つである大阪環状線からこの度引退するとのことです。1969年から活躍していたのですが、関西地区ではここが最初ではなく、実は私の実家のある阪和線にその前年の1968年に投入されています。 大阪環状線で長らく活躍していた103系ですから、大多数の方は気にも止めていないと思います。けれど、鉄道ファンって感じるところが違いますから、「最後に活躍する姿を映像に残そう」ということでやってくるわけです。こういうのを「葬式鉄」というのですが、もっと普段の様子を映しておけば問題ないのに、無くなると聞いて慌ててやってくるので現場で大混乱なんていうことになります。 だから、最終運行の時間なんかが発表されると、何時間も前から場所取りして、しかも一般の利用者の迷惑省みずの行動に出るわけです。そして、自分の構図が邪魔されると「罵声大会」になるという、一般の利用者のみならず、私のような鉄道ファンの端くれも呆れかえるような光景が見られることになります。 本文にもありましたが、JR西日本では混乱を避けるために、あえて最終日である10月3日にどの時間帯に運行するか発表しないようです。そりゃそうですよね、クソたわけなファンのために運行して混乱を招いて、一般の利用者に迷惑かけてはいけませんからね。それでいいと思いますし、いっそのこと、それまでの日にちでクソたわけな迷惑行為があれば、「最終運行は中止にします」っていう仕打ちでもOKだと思います。もうそれくらいの仕打ちをしないと、クソたわけな連中には通用しませんから毅然とした態度で対応すればいいんですよ。 さて、私はそんな葬式鉄には当たり前ですが参加しません。 うまいタイミングで乗ることができたらいいなぁとは思いますけど、103系自体は私がいつも利用するJR大和路線でも走っていますからね。数は少なくなっているけど・・・。
2017年09月06日
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先日の北陸出張の際に、JR七尾線を利用しました。以前にも紹介しましたが、JR七尾線には国鉄当時からの車両がまだまだ活躍しています。交直両用の仕様になっているので、代替の車両を導入するのがいいのでしょうけど、優先順位としては他線の方なんでしょうね。 これはJR高松駅での列車の交換風景です。 向かって右側が415系。JR阪和・紀勢本線やJR大和路線、JR京都・神戸線を走っていた113系に交流機器を追加して改造したものですが、なかなか年季の入っている車両が多いのです。しかも、塗装の傷んでいるものが多くて・・・その辺は徐々に手直ししていくんでしょうけど。 こちらは413系です。 415系と違って、元々は急行型車両の車体を載せ替えたもので、扉数は415系の3扉に対して2扉となっています。 さて、JR西日本では、国鉄当時の車両を徐々に引退させて新しい車両を導入していくこととしていまして、例えば大阪環状線やJR阪和・関西空港線ではそれが顕著になっておりますし、少し前には広島地区に227系という新しい車両を投入していました。 でも、この七尾線は特急車両は新しいものの、普通列車用の413系・415系はそのままです。ファン的に見れば、色は塗り替えられているものの国鉄当時からの車両が現役で動いているというのは嬉しいものです。また、津幡~中津幡間での電源切り替えの際にしばらく室内灯が消えるというのも、これらの車両ならではですから、そういったところも楽しみだったりします。 また乗ってみたいと思いますが、私の場合所定の仕事が終わったので、当分行くことはないと思いますから、次の機会はいつのことになるのやら・・。
2017年09月04日
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先月のことですが、JR京都線の列車に乗っている時に、JR阪和線で使われていた103系が並行して走っているのを見かけて思わず写真に収めました。 かなり色あせてしまった103系です。 JR阪和線では、1968年から103系が運用されてきましたが、関空/紀州路快速で使われている223系/225系に車種統一されつつありまして、103系の運用も風前の灯の状況です。っていうか、もうすでに見かけるのも難しくなっているかも。 そんな103系が長らく運用されていた阪和線を追われて、廃車前提にして別の場所に疎開して、そのうち廃車回送されて役目を終えるというところでしょうか。 車番をみると、クハ103-148でした。 JR阪和線の103系は、私が通勤でよく使っていた頃と比べてメンバーが変わっているのですが、この車両は比較的長らく阪和線で活躍していたと思います。実際、私もよく乗りましたから。 今では、仕事でたまにしか阪和線に乗りませんけど、青い103系を見ると「阪和線だ」って思っていたんですが、もう見られなくなるんですね・・・。
2017年08月24日
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今日の帰り、大和路線が東部市場前駅で人身事故のため、長時間混乱していました。私が仕事から帰る時間もまだその影響が残っているようでしたし、振替輸送を継続していたこともあってそれを利用することにしました。 さて、振替輸送というとその名のとおり、正規のルートが事故等で使えないために別のルートで代替しているわけでして、その際には特別な乗車券が発行されます。今回は、地下鉄中央線高井田駅から生駒駅まで、さらに近鉄に乗り換えて近鉄の生駒駅から近鉄生駒線の王寺駅までの移動でした。 まず、これが地下鉄中央線高井田駅で発行された「代行振替票」。これを持って近鉄けいはんな線の生駒駅まで行きました。ちなみに、大阪市交通局の場合は図の「○」がついた駅でしか降りることができないようですね。あと、「○」印のない駅、例えば谷町四丁目駅ではこの票は発行していないのかもしれませんね。(降りることができないなら、発行もしていないのでは?) これが近鉄線の「振替乗車票」。ネーミングは各事業者で異なりますが、要するにこれを使って代替区間を利用できるというものです。 私は、この振替代行輸送が結構好きでして、大混雑した駅でやってくる列車が満員なのを見送ったり、仮に乗れたとしても身動きできない列車に乗るのなら、時間が多少かかってもいいから違う路線で移動したい方なのです。急いでいるときは困るんだけどね。 それにしても、最近は事故やトラブルが多いですわ~
2017年07月15日
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私が通勤で利用するJR大和路線のみならず、JR西日本管内の鉄道はよく遅れます。その遅れの原因はいろいろあるのですが、考えられることとすれば「大阪環状線への新型車両投入により、従来の4扉車が3扉になった」「外国人観光客が増えた」が思いつきます。 前者は、混雑する路線なのに3扉車ってどうよって思いますけど、これはこれで事情がある(関空・紀州路快速で使用の223・225系や大和路快速で使用の221系に合わせるため。いずれホームドア設置を目論む。)ということがあるのでしょう。 後者は、特急のみならず新快速でもよく見かけるのですが、駅に到着寸前で慌てて降り立つ光景が見ることがあります。 さて、そんな列車の遅れ情報をJR西日本など鉄道会社のHPから入手できるのですけど、30分くらいの遅れにならないと情報をアップしてくれないことが多くて、それ未満の遅れの情報はyahooの「鉄道運行情報」でそこへ書き込まれる(ツイートされる)情報を便りにすることがあります。そこに書き込まれる内容はなかなか面白くて、「マジ!? また遅れとる~」「また阪和線か!」(←阪和線は私が利用していた時から遅れるのが常態化)「シレっと1分遅れとる~」などとツイートしてくれる内容に笑いそうになりながら見ています。(遅れている人、スマン) もちろん、本当に事故などで遅れていて、どうやって振替輸送を使ったらいいかとか、別手段について情報交換していることもあるみたいで、なかなかよいツールだと思っています。 ところが、そのような情報交換ではなくて、何のツイートかわからないものが多いのも事実で、同じ内容ばかり書き込んでいるものがあって、単なる嫌がらせにしか見えないのです。 例えば一例ですけど、写真の上の方に赤字で運転状況が書かれていますが、「JR神戸線に関するつぶやき」では、それと全く同じ内容が書かれているかと思います。このツイートって何の役に立っているんですか? 上に赤字で書いているじゃん、全くの自己満足か? それから、同じ内容のツイートといえば前出の阪和線のツイートでは、「なぜ遅れたのか、定時に出社と言ったはず」「列車が遅れた。さすが阪和線だ」というツイートがほぼ毎日アップされているのですけど、これだって何の意味でアップされているのか。全く面白くもなんともねぇんだけどさ。 運行状況と全く同じツイートや面白くもなんともない毎日同じ内容がアップされるもののせいで、本当に必要としている情報が得られない、あるいは邪魔されるとすればかなり残念だと思うんだけどね。ましてや、今回の九州の水害のような大きな災害があった場合には、その情報を頼りに移動しようとしている人もいるだろうし、鉄道会社の情報よりももっと身近で早い情報を入手できるかもしれないんだから。 ずっとそのようなことが気になっていたので、あえて今回取り上げてみました。
2017年07月07日
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先日、福井へ行きましてえちぜん鉄道を利用しましたが、1年ぶりの利用でした。1年前と比べると、北陸新幹線の福井駅建設関連で工事が進んでいました。 えちぜん鉄道の主力車両の6100型が停車しているこのホームは、いずれ北陸新幹線のホームになるわけですが、えちぜん鉄道のホームは写真の左側に現在工事しているところになります。ここに1面2線のホームが完成して、新しく高架線路により勝山・三国方面へ線路がつながるというものです。 だから、このような仮線状態もいずれは貴重なものとなります。 この写真の右側は、JR北陸本線の福井駅のホームです。 先の写真と同じように、この写真を写しているホームはいずれ北陸新幹線のホームになります。 ちなみに、1面2線の新幹線の駅は、全国的にみても珍しいものになります。大概は2面2線(対向式。要するに、ホームが向かい合わせになる)が多いし、通過するための線路を備えた2面4線というのもポピュラーです。 なぜ、1面2線になったのか。単純に「土地がない」ということなのでしょうね。在来線ホームがあるし、えちぜん鉄道の線路もあるし。本来なら、西側の駅前広場の部分を少し削ってでも2面4線にすることができればよかったんでしょうけど、在来線ホームを移設しなければならないことになるので、それはできなかったんでしょうね。 いずれにしても、このような写真は貴重になるかなということで、撮影しておきました。
2017年07月05日
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「長距離列車なのに、荷物の置き場がないなんて。シンカンセンは快適な乗り物って聞いたけど、3時間近くも苦しい思いをするとは夢にも思わなかったわ!」ひかり号で東京から京都に向かっていた米国人観光客のジェーンさんは、大きなスーツケースを足元に置き、いかにもつらそうな面持ちだった。 訪日観光客が急激に増加する中、重そうなスーツケースやキャリーバッグを持って移動する外国人の姿を多く見かけるようになった。しかし、東海道・山陽新幹線をはじめとする長距離列車は、こうした「大荷物を持った旅行客」への配慮は十分とはとても言えない状況だ。今後、東京五輪に向け、個人で日本を旅行する外国人客がさらに増える中、少しでもスムーズに旅行してもらうためにはどんな工夫をしたら良いのだろうか。【東洋経済オンラインから引用】 確かに新幹線にはスーツケースなど大型の荷物を置くことができるスペースはありません。関空特急「はるか」で使用しているJR西日本の281系にはそれ用のスペースがあるし、今は閉鎖されていますがかつてはそのような荷物を専用に運ぶもっと大きなスペースもあります。新幹線にもそのようなスペースを作ればいいのですけど、さすがにドル箱路線でたくさんの人を運ぶことをメインに考えているだろうから、そんな余裕はないようで・・・。 さて、このブログでも以前取り上げたことがありますが、車両最後部の座席と壁との間のスペースは誰のものか? 常識で考えたら「その座席を確保した者」に優先権はあると思うんです。後ろの席の人のことを考えずに、思いっきりリクライニングすることができるし、大型の荷物も置くことができる。コンセントもあるから窓際の席でなくても工夫すればケータイの充電もできますし。 ところが、世の中には厚かましいヤツがいるもので、勝手に荷物をそこに置いていくバカタレがいるわけです。しかも、なんの断りもなく。「空いとるねんから使わせろや」っていうことか? なめんじゃねぇぞ! そのためにわざわざ予約して何日も前から確保しているのはこっちじゃって。 ネットのコメントでも、そんなケースがあるようで「迷わず『不審物がある』と車掌に通報」「その荷物に気にすることなく、リクライニングを倒す。(おそらくその荷物がどうなろうと知ったこっちゃない、ということか?)」などなど。私は、不審物があると通報する方かな、一度やったことがあるけど。できれば、『ホームに放り出す』ということをしたいんだけどね。昨今の海外のテロ情勢なんかを考えると、それが安全じゃないかということで。 まぁ、本文にもあったように、海外からやってきた人にとっては大きな荷物を置く場所がないというのはかなり不便だと思うけど、日本の新幹線などの鉄道車両にはそんな馬鹿でかい荷物を置くところなんてないということを理解した上で来て欲しいね。 話はそれますけど、私も仕事などで長期に出張する場合、大きなスーツケースで行ったことがあるのですが(国内ですよ)、さすがに邪魔だなぁって思いましたので、それ以降は予め荷物を別便で送るようにしました。費用はかかるけど、自分の精神衛生上もいいし、不特定多数の人の精神衛生場もいいだろうということで。そんな工夫をしないといけないのは面倒だけどね・・・。 話を戻して、ラグビーのW杯や五輪などますます海外から人がやって来るわけだけど、日本の移動手段を考える中でそんな馬鹿でかい荷物を容易に運ぶことができるか、ちゃんと調べてきてからきて欲しいね。
2017年06月24日
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