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南海本線の主力として、1963年から1973年にかけて製造された7000系がこの度引退することになり、かつての緑の濃淡の塗色に戻されて最後の活躍しています。 これが7000系、古き良き南海のスタイルで、私にとって南海といえばこの塗色なのです。(高野線はステンレスなので銀色一色ですが) かつての緑色の濃淡の塗色に戻されたのにあわせて、車体に取り付けられていた社紋も当時のものに付け替えられました。羽車のマークなのですが、このマークは南海電鉄のバスの車体にも取り付けられていましたし、グループ会社の和歌山バスにも取り付けられていました。 編成の中間車両にあたる7819号の車番です。 このような浪漫字体の車両って最近は減りましたし、切り文字で車体に貼り付けているスタイルも減ってしまいました。今の車両は車番をプレートに書いたものを貼り付けてあったり、直接車体に書き込むのが多いですね。 7819号の製造銘板です。 帝国車両は、以前このブログでも紹介しましたが、かつてJR阪和線鳳駅南方に存在した車両工場です。昭和42年は私と同い年だったりします。 この7000系もこの7037号の編成のみになってしまい、今月いっぱいで引退するとのこと。普通鋼の車体に加えて、関西空港への運行もあって塩害の影響もあったのかもしれませんが・・・。 ほぼ同時期に高野線に登場した6000系は、この7000系とほぼ同じスタイルですが、ステンレス車体であるため、車体に大きな影響もないようで、今でも元気に活躍しています。 それから、引退する7000系にあわせて、難波~和歌山市間で運転されている特急サザンで編成を組む10000系の1編成も登場当時の緑色の濃淡に塗り替えられました。 この10000系のかつての塗色も、かつての南海らしい緑色を基調にしたもので、今の塗色よりもこっちの方があっていると思います。風格を感じる色だと思いますが、いかがでしょうか。 10000系と7000系の連結部分です。特急サザンは、和歌山市方が全車指定席の10000系、難波方が全車自由席の7000系をはじめ、7100系や8000系となっています。 10000系と現在の南海本線での最新型の8000系です。塗色を比べても、私は左側の緑色の方がいいかなってね。
2015年09月26日
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先日愛媛県に出張した際に、伊予鉄道(伊予鉄)松山市内線に乗車してきました。松山市内線は、1988年頃に乗ったことがあるのですが、それ以来27年ぶりの訪問となりました。 伊予鉄の路面電車は、新しい車両も導入されつつありますが、今でもモハ50形とよばれる1951年から1965年にかけて製造された車両が現役で活躍しています。 この車両がモハ50形の51です。1951年に製造された初期のロットのものです。明るいカラーリングの関係で古さを感じさせませんが、車内は板張りの床とニス塗りの壁となっていました。 この51の車内の銘板です。昭和26年という古めかしい銘板が取り付けられていました。 ナニワ工機は、その後アルナ工機と名称を変えて、現在は会社精算されてしまっているそうですが、かつては阪急や大阪市営地下鉄などの車両を製造していました。JR尼崎駅の西方に工場があって、線路から製造された車両を見ることができました。 これは別のロットの66の車内の銘板です。私にとっては、こちらの銘板の方が馴染みがあります。よく地下鉄の車両で見かけたので。 ちなみに、66は車体形状が変更されたもので、51とは異なるものとなっていますが、残念ながら写真に収めることができませんでした。 これは、最終ロットの74です。1965年製造のものなのですが、前出の51と似ているけど異なるスタイルとなっています。 これもよく似ていますけど、伊予鉄オリジナルの車両ではありません。実はこれは京都市電の2000形だった車両の2000形です。京都市電当時のスタイルとは異なっていますが、モハ50形にあわせるためにこのようにしたのでしょうね。ゲージ幅は、京都市電当時は1435mmの標準軌でしたが、伊予鉄は1067mmなのでそれには対応して変更しているようですが・・・。 それから、伊予鉄にはこの路面電車と鉄道線がありまして、それぞれは平面クロスするところがあります。大手町駅がそれなのですが、タイミングよくそれぞれの車両が平面クロスする場面に出くわしました。 こんな感じですね。ちょうど先の74が踏切待ちをしています。鉄道線を行く車両は、鉄道線の610系です。 ちなみに、伊予鉄の車両は元京王の車両が多いのですが、この写真の車両は京王井の頭線の3000系だった3000系です。 さて、伊予鉄の路面電車は、旧式の吊り掛けモーターを響かせながら走っておりまして、ルートはやや複雑で本数も多くてなかなか面白かったです。時間がなくて、道後温泉に行くことはできませんでしたが・・・。
2015年09月22日
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私の住む王寺町は、今でもJR大和路線と和歌山線、近鉄の生駒線と田原本線が合流する大きな駅でして、奈良県内の郡部の駅でもこんなところはほかにはありません。国鉄時代には、王寺機関区があったくらいでして「鉄道の町」だったんですね。その面影は、今でも広い電留線(文字通り夜間等に列車を留め置く線路)に残っています。 そんな鉄道の町としての一面もある王寺町ができて90周年を迎えるということで、イベントの一環として来る8月28~30日に王寺駅北口にあるりーべる王寺東館5階で、「りーべる鉄道フェスティバル」が行われます。当日は、回送電車乗車体験、鉄道模型の走行や写真展示、トークショーが行われるとのこと。私は、元々この王寺出身ではありませんので、昔の王寺駅やその周辺の状況がわかる写真展示に期待したいところです。 さて、今回開催予定のイベントとは別に、りーべる王寺には鉄道関係の常設展示が行われているんですよ。こういったところからも、「鉄道の町」ということになるのかなってね。 これはかつての客車に取り付けられていた行き先表示(サボ)です。ホーロー製の立派なものなんですよ。 下には、蒸気機関車(SL)のナンバープレートもありますね。 「東京行」というサボがありますが、その昔、王寺から関西本線を経由して名古屋から東京へ行く列車があったんですよ。それくらい王寺って有力な駅だったんですね。今でも、高速バスという形ですが、西日本JRバスとJRバス関東の夜行バスが運行されています。 こちらもサボですが、アクリル製になっていまして、主にディーゼルカーの行き先表示に使われていました。もちろん、客車でも使われていました。 「福知山⇔豊岡」は山陰本線ですが、「京都⇔白浜」は奈良線と桜井線、和歌山線を経由して紀勢本線を結んでいた急行「しらはま」で使われていたんでしょうけど、王寺を経由していたわけではないんですけどね・・・。 国鉄時代は、1973年10月までは非電化だった関西本線、その当時は写真のキハ30系が活躍していました。この車両が登場したのは1961年ですが、その当時から大阪方面へ通勤する利用客が多かったため、片側3扉で室内はロングシートという通勤用のこの車両が作られました。混雑する路線なら有効なものですけど、それだったらこんな車両投入するよりもさっさと電化すればいいんでしょうけど、電化の優先順位としては下だったんでしょうね。だから、こんな車両を投入することになったのではないかと。 ちなみに、1973年10月に電化されて以降、このキハ30系は活躍の路線を奈良線や和歌山線、紀勢本線に移したわけですが、それらの路線は決して通勤路線というわけでもなかったのです・・・。一般的に地方路線の場合は、向かい合わせのクロスシートの車両が多かったので、この車両はあまり好まれていなかったようです。ファン的にも角ばってスタイル的にも面白みがない、室内はさらにロングシートのみという面白みも何もない車両ですので、ほかの車両と混結されていると思いのほか空いているという感じでした。 でも、私は好きでしたけどね、空いているし、ゆったり座れるし。景色を見るにはちょっと不便だけど。まぁそうは言っても、自分の好きな車両と混結されていたら、そっちに行ったかな・・・(笑)。 話を戻して、夏休みの最後の方になりますけど、子供たちにとっては楽しみかもしれませんが、大人にも楽しめるないようだったらいいなって思っています。
2015年08月23日
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先月、九州に行った際に、太宰府にも行きました。太宰府は、私が中学の頃に修学旅行で行きましたが、その際は観光バスで行きましたので、列車で行くのは初めてでした。西鉄福岡(天神)から西鉄の特急に乗って、二日市で下車、太宰府線の乗り換えるコースでした。 普通の西鉄の車両を想定していたら、やってきたのがこの写真の「旅人」という車両。西鉄の特急車両である8000系を太宰府観光用の特別車両に改造しているんですね。この8000系も近いうちに引退する予定とのこと、その最後にこのような改造をされているみたいです。 車体にも「太宰府」の文字が・・・。 車内は、一両ごとに趣が変わっているそうで、私が乗った車両(8056)は梅の名所でもある太宰府の梅の模様が施され、「学業成就」を表しているとのことでした。車内はオリジナルの8000系と同じです。 このようなキャラクターもありました。これは、ほかの車両では異なっているのかな? この「旅人」は昨年の3月から運行されているとのこと、8000系の去就は気になりますが、この車両は残って欲しいところですね。ちなみに、基本的な運用は太宰府線内の往復であるこの車両ですが、朝は西鉄福岡からの運用もあるとか。 太宰府線って、途中に一駅あるだけの短い路線ですから、二日市を出るとほどなく終点の大宰府に到着します。太宰府駅もなかなか趣のある駅でした。 それから、博多からこの大宰府まで直通のバスがありまして、ちょうどこの写真の左側に8000系「旅人」と同じようなラッピングを施したバスが停車していますが、これがそれにあたるようです。九州は高速バスネットワークが充実していますが、大宰府にも直通バスがあるんですね。
2015年08月20日
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一般的にはお盆休みは終わりましたが、私の職場のような交代で夏休みやお盆休みをとる職場では、これから休暇を取るという方もおられるかと思います。そんな中で、旅行をする際に列車利用の方なら、指定席を取られることもあろうかと思いますし、別に旅行でなくてもビジネスで移動する際に指定席を使われることもあろうかと思います。そんな時に、「せっかくとった指定席に勝手に座っているヤツがいる場合」というトラブルがあって不愉快な思いをすることがあるとか・・・。 お盆休みに遠出する人を悩ませる、帰省やUターンのラッシュ。交通機関が混み合うと、さまざまなトラブルが起きる可能性がある。その一例は、新幹線の自由席の利用者が、指定席を勝手に「占拠」してしまう問題だ。 今年の3月にも、ある大学教授が、空いている指定席に座っていたところ、車掌から自由席に移るように求められ、「来られたら移動ではダメですか」と抵抗したエピソードがツイッターで話題になった。 逆に、ネットの掲示板では、自分が予約した指定席に座ろうとしたところ、自由席の乗客に占拠されていて、トラブルになった事例が多く書き込まれている。空いてるからといって、勝手に指定席を占拠しても問題ないのだろうか。【弁護士ドットコムから引用】 世の中にはせこいヤツはいますが、「(指定席の客が)来られてからではダメか」って抵抗するヤツもいるとか。ホント、そんなことするんだったら、最初から指定席を取れよ、って思うけど、いっぱいで取れなかったのか、それともとりあえず乗って、空いている席に座らせてもらおうということなのか。仮に前者だったとしても、自由席で我慢していくしかないだろうし、後者なんかは論外だわな。 それにしても、大学の教授がこんなせこいことって、情けないね。どこの大学の教授なのか、名前と顔を晒して欲しいわ。 ちなみに、鉄道を利用するというのは、鉄道会社と乗客のあいだには、旅客運送契約を結んでいることになるそうですけど、指定席券を持っている人はその鉄道会社と指定席に座ることができるという契約を結んでいるわけですから、指定席券を持っていない人が指定席に座ることはその契約上許されないということになるわけですね。 そこには、鉄道会社にしてみたら指定席券を持った人がやってくるまでの間は、当該席に何人も座らせることなく、綺麗な状態で利用してもらうというのが基本なのでしょう。だから、「指定席券を持った人がやってきたら席を移動する」というのは、それに反するという考え方かと思います。 自由席というのは、読んで字のごとく当該席が空いていたら自由に座ることができる(ひとりで複数の席を確保して荷物を置くバカタレは、複数倍の料金を請求してもいいと思う)わけですが、そこがいっぱいだったら立席しかないということなんですよ。 っていうか、そんなの常識だと思っていたんですけどね。いつから、日本人って、そこまでせこくなったんだ? そういえば、今はやっているのかどうかわかりませんが、かつて東海道新幹線で東京へ行くときに、自由席の切符しか持っていない人が、空いている指定席に510円分の料金を上乗せして座っているのをみたことがあります。これは、名古屋を出てしばらくしてからだったのですが、次の停車駅が新横浜だったこともあるんでしょうけどね。 話を戻して、弁護士の方のコメントでも、「旅客営業規則に基づいて、指定券を所持していない乗客に対して、座らないように請求できます。それでも、その乗客が座り続けている場合は、指定券を所持している乗客から、座れないことによる損害の賠償を請求される可能性が出てきます。ですから、座っている『指定券不所持の乗客』に対して、損害賠償請求をすることができます。指定券を持っていない人が、勝手に空いているからと言って、指定席に座ることは許されず、指定券を購入して座るべきです。空いてるからと言って座らせてくれと請求し、拒否されても、文句は言えないということになります」とのことです。 どうしても座りたかったらちゃんと指定席券を買って乗りましょうね。良識ある方にとっては、当たり前の話なんですけどね。空いているからといって指定席券を持たずに座るようなせこいことをするなんて、「良い子は真似しないでね」。
2015年08月18日
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JR北海道は10日、留萌線(深川―増毛間、66.8キロ)について、特に利用が低迷している留萌―増毛間(16.7キロ)を2016年度中に廃止する方針を決定した。島田修社長が留萌市の高橋定敏市長、増毛町の堀雅志町長と会談して伝えた。 島田社長は同町で会談後に記者会見し、留萌―増毛間の廃止決定について、年間の赤字額が1億6000万円以上に上り、雪崩などでたびたび運休となる点を理由に挙げた。地元への対応では「今後も沿線自治体の観光振興などに協力していきたい」と述べた。 一方、堀町長は「今後は町民や議会などと相談して対応したい」と話した。増毛駅は昨年死去した俳優高倉健さんが主演した映画「駅 STATION」のロケ地となったことで知られる。 【時事通信ネット版から引用】 国鉄末期には、多くの地方ローカル線が廃止されてしまいましたね。その多くが政治屋による「我田引鉄」と揶揄されるものであったのは、ご存知のとおりです。 今回、JR北海道が廃止を打ち出した留萌本線は、函館本線の深川から留萌を通って増毛へ向かう路線で、このうちの留萌~増毛間を廃止するというもの。この留萌~増毛間といえば、本文にもありましたが高倉健さん主演の映画「駅 STATION」の舞台になったところでして、映画公開当時はこの増毛の先にある雄冬との間には国道がつながっていなかったという文字通り「陸の孤島」のようなところでした。その後、国道231号線が開通してからは、だんだん様子が変わって行ったんでしょうね。 日本海側に位置する路線ですから、冬の悪天候などでの運休もあったようですし、何より利用客の減少というのが辛いところなんでしょうね。列車の本数が減ると車を持てる人は車で移動するでしょうし、利用客の減少に歯止めがかからなかったのでしょう。 例えば、千葉県のいすみ鉄道のように、国鉄当時の車両を丁寧に整備しながら運行するという方法もあるでしょうけど、これも首都圏から比較的近い場所にあるからできることだと思います。これと同じようなことをやろうとしても、かなり厳しいのではないかなってね。観光鉄道のようにして残す、っていう意見もあるでしょうけど、一時的にはそれでよくても、よっぽどの企画やアイディアが続いていかないと単に延命しただけなんていうことになるだけでしょうし。 ちなみに、留萌周辺のバス会社である沿岸バスは、ネットユーザを意識したツアーや留萌の名称から来ているのか「萌えっ子」と言われるイラストを多用したきっぷなどを発売していることから、今回廃止対象となっている留萌~増毛間もその一環で鉄道とのコラボができないか、なんて思ったりします。 話が脱線したついでに、私がまだ独身だった1991年に、小樽港から日本海側の国道231、232号線を通って稚内まで行ったことがありまして、その時に前出の雄冬や増毛、留萌などを通ったことがあります。今ではかなり改良されていると思いますが、当時は国道が開通していた区間であっても道路状態はよくなくて、急勾配やカーブが続く道だったように記憶しています。 それから、映画「駅 STATION」はリアルタイムで見ていないのですが、後年ビデオで借りて見たときには、離島ではないのに船でないとたどり着けないという場所がある、ということに驚いたものです。それが1981年当時の映画ですからね・・・。 ついでに、これまでの中に出てくる「増毛」という地名は、『ぞうもう』ではありません。『ましけ』と読んでくださいね。 話を戻して、最終的には廃止の運命をたどってしまうのかもしれませんが、過疎化が進む地域であればそれもやむを得ないのかなって思ってしまいます。残念ですけどね・・・。
2015年08月10日
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神戸や大阪、京都などで運転されるJR西日本の新快速。この行き先は、西は姫路、網干、播州赤穂ですが、東は敦賀、近江今津、草津、野洲、米原、長浜と多彩ですが、これらの駅ははいずれも立派な駅なのですが、近江塩津行の新快速があるのをご存知でしょうか。近江塩津駅は、米原から北陸本線を北上してちょうど湖西線と合流するところにあります。前出の駅と同じく、立派な駅かといえば、それが秘境駅というようなインパクトはありませんが、「えっ?」っていうような感じの駅です。 これが近江塩津駅の構内です。私が写真を撮っているホームは、米原方面へ向かう北陸本線用のホーム、向かって右側は近江今津や京都方面へ向かう湖西線用のホームです。 北陸本線用のホームなので、次の駅は余呉になります。もちろん、湖西線のホームだったら、次の駅は永原になりますが。 駅の外に出るには、この地下道を通ります。 近江塩津駅は、高架上の駅になっています。湖西線がほとんどが高架線であるため、というだけでなく、この付近の土地の関係もあろうかと思います。 ちなみに、ICカードのICOCAもこの駅までは使うことができます。写真にも、入場用と出場用のカードリーダーが写っていますね。 これが近江塩津駅の駅舎です。写真のコンクリートの擁壁の上にホームがあります。前出の地下道の出口にこの駅舎があります。木造の大きな造りになっていて、雰囲気がありますね。 駅前には国道8号線が通っておりまして、バス停もあります。バス停の名前は「塩津駅」なんですね。バスの本数は、残念ながらかなり少ないです・・・。 駅の周辺には、家々が点在していますが、コンビニとかお店がありません。ホント、あまりに寂しくて写真に撮るのを忘れたくらい・・・。新快速の終点の駅としては、ちょっとさみしすぎます。 でも、駅からタクシーなどで移動すれば、奥琵琶湖のきれいな風景を楽しむことができます。ただ、タクシーも呼ばないと来てくれないと思いますが・・・。 さて、なぜこの駅を終着駅とする新快速が運転されているのか。米原から北陸本線経由で敦賀へ運転されている新快速もありますが時間がかかるので、メインは湖西線経由の新快速を敦賀へ直通させて、その代わりにこの近江塩津で湖西線経由の新快速と接続させているのでしょうね。 私にとってこの駅は、単なる通過駅なのですが、北陸方面へ行くときにはこの駅にやってくるといよいよ北陸方面へ突入するんだなあって思う駅なのであります。
2015年07月10日
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先日福井市へ行った話は紹介しましたし、その際に福井鉄道に乗車した話も紹介しました。その時に撮影した車両について、今日は紹介します。福井鉄道では、新しい車両の導入をすすめており、今回タイミングよく乗車することができました。 それがこのF1000形という車両です。 2013年に第一編成、そして今年第二編成が登場しており、写真の第一編成がオレンジ色、第二編成がフルーの車体色になっています。このF1000形は3両連接の低床車両、バリアフリーに対応しています。スタイルもなかなかスタイリッシュで、地方ローカル私鉄としてはかなり思い切った投資だと思います。 また、このF1000形には「FUKURAM」という愛称がついています。福井とトラムを合わせた造語だそうです。 このF1000形は、福井鉄道が自社発注して導入した車両ですけど、53年ぶりのことだったそうです。この間には、他社からの移籍車両を転用していたわけですね。 その53年前に自社発注したのが、この写真の200形。1961年に登場したわけですが、その当時としてもかなり思い切った投資だと思います。地方のローカル私鉄の多くは、東京や大阪の大手私鉄の古い車両を転用していたわけですからね。 その他の車両については、越前武生駅構内でみかけました。 これは名鉄岐阜市内線から移籍してきた800形です。福井鉄道の車両は2両編成やF1000形のように3両編成がほとんどなのですが、この800形はいわゆる単行の路面電車となっています。 これは、610形で元々は名古屋市営地下鉄の1200形だった車両で、客室ドアにはステップが取り付けられ、ドアが開くとステップが出てくる仕組みになっています。ただ、あまり動いていないように見えました。 これは、880形で800形と同じく名鉄岐阜市内線から移籍してきた車両です880形は、同じく名鉄岐阜市内線からやってきた770形とともに、現在の福井鉄道の主力となっています。ただ、写真の888の編成は休車になっているのか、車内のカーテンが下ろされています。しかも、この車両の左側には前出の610形の編成が止まっているし・・・。 さて、福井市への出張は久しぶりだったし、献血へ行ったりしたので福井鉄道にも乗車することができましたが、以前在籍した部署では、福井鉄道の沿線の鯖江市などにも行っていたのでちょっと懐かしかったです。
2015年07月04日
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今年3月に開業した北陸新幹線、関西に住んでいる私にとっては乗る機会はないわけですが、5月末に東京へ行った際に、停車しているのを東海道新幹線のホームから見ることができました。 カラーリングは、これまでの新幹線にないもので、なかなかいいと思います。 この車両は、JR西日本持ちのW7系のようですね。 乗る機会ができたらいいんですけど、よっぽどのことがない限りなさそうです。ちなみに、私の職場の相棒は、先日金沢へ出張、そのまま東京への仕事があったらしく、北陸新幹線に乗ることができたそうですよ。
2015年07月03日
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先日、福井市へ出張した際に、久しぶりにえちぜん鉄道に乗ってみました。以前、よく福井へ出張に来ていたときは、朝早く起きて福井から三国芦原線の田原町まで列車に乗り、福井口まで歩いて再び福井へ戻るという散歩をしておりました。散歩といっても、最大の目的は当時最後の活躍をしていた「阪神の車体+南海の足回り」の2100型に乗ることだったんですけどね・・・。 これが2100型です。少し前に引退してしまいましたが、せっかく福井へ来たので、散歩してみることにしました。 福井からの列車は、現在の主力の6100形でした。これに揺られて田原町へ。田原町には、福井鉄道の駅もありまして以前はかなり接近したロケーションになっていたのですが、少し離れたような感じで、写真に撮りづらくなっていました。 かつてはこんな感じで、この写真の青い屋根の向こうにえちぜん鉄道の駅がありました。今では、写真で言うともっと手前に移設されていました。 ここから歩いて福井口の駅を目指します。早朝ということで人通りも車も少ないのですが、歩いている区間にコンビニがないのです・・・。多少暑かったので、飲み物をって思ったんですけどね・・・。 田原町から歩いて20分くらいで福井口へ到着。高架の北陸本線に並行して新しい路線ができていました。 北側がこんな感じ・・・。 ごちゃごちゃしていますが、南側はこんな感じです。写真のパワーショベルの向こう側に駅の屋根らしきものが見えます。 どうやら、えちぜん鉄道の線路を移設するような感じでした。目的はわかりませんが、ひょっとしたら北陸新幹線の福井延伸を見越した関連工事なのか? その関連なのかどうかわかりませんが、謎の高架も駅の北側にありました。すっかり5年前と状況が変わっていてびっくりです。 福井口には、車庫があって古い車両の姿を見ることができました。今の車庫もこの福井口が最寄りなのですが、少し離れたところに新しい車庫ができています。構内踏切を通って別のホームへ移動するというのが珍しかったし、構内踏切の遮断機の音も味わい深くてよかったんだけどなぁ~ ところで、前出の2100形に変わって、JR東海の119系がえちぜん鉄道にやってきまして、その車両にも乗ることができました。JR東海の119系は国鉄の119系だった車両で、かつては飯田線で活躍していました。 移籍にあたって、外観から内装まで大幅にリニューアルされましたが、現行の主力である6100型によく似た感じになりました。でも、車内の雰囲気は、かつての119系の面影を残していました。 ちなみに、かつてトイレだったところは、トイレをとっぱらって、フリースペースになっていました。 5年ぶりにえちぜん鉄道に乗ってみると、沿線の雰囲気や車両などが変わっていて5年って結構長い期間なんだァなって思いました。それ以上にびっくりしたのが、福井駅前の変わりよう・・・。 5年前も高架の駅でしたが、駅の壁面に恐竜の絵が・・・。また、写真には写っていませんが、恐竜の大きなモニュメントもありました。福井から前出のえちぜん鉄道勝山線の終点、勝山市は恐竜の化石がたくさん見つかっていて、そういうこともあってのことなんでしょうね。 福井には、仕事で何度も行ったことがありまして、もちろんその当時は福井駅も地上駅でしたが、大きな変化があって驚かされます。
2015年06月29日
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先日、京都へ行った帰りに京阪電車を利用しました。京阪を使って移動するのは久しぶりでしたが、途中の丹波橋で乗り換えた際に、乗ってきた列車にヘッドマークがついているのに気がつきました。 この車両は、7200系という車両で、最近の京阪の車両のスタイルを確立した車両だそうです。といっても、京阪はわりとスタイルが類似したものが多いので、わかりづらいかもしれませんが・・・。 ヘッドマークといっても、こじんまりとしたものです。京阪のヘッドマークはこんな感じの控えめのものが多いですね。ラッピング車両は派手だけど(笑)。このヘッドマークは、この7200系の登場25周年を記念したものだったんですね。 7200系は、1995年に登場。前出のとおり最近の京阪電車のスタイルを確立した車両で、以後登場する特急車の8000系などに影響を与えています。 ところで、そんなパイオニアの車両ならたくさん作られたと思いきや、実は3編成で22両にとどまっています。それまでにたくさん作られた車両があるからか? 鉄道車両の場合は自動車と違って、20年程度では老朽化なんていうことはありませんし、車両のメンテナンスには定評のある京阪ですから、まだまだ十分活躍できる車両です。
2015年06月05日
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今年2月に、東急田園都市線宮崎台駅に直結の「電車とバスの博物館」へ行ってきた話はこのブログでも取り上げましたが、ここに展示されている特徴的な車両があります。 この車両は、東急のデハ200形で、愛称は「ペコちゃん」。その風貌から不二家のキャラクターのペコちゃんに似ていることからよばれていたそうです。この写真の位置からでは、ペコちゃんかどうかわかりにくいですけどね・・・。ただ、建物の中に保存されているのはいいのですが、写真を撮るにはあまり向かないような感じで置かれていました。 さて、この車両は、「渋谷⇔二子玉川園」の表示のとおり、東急玉川線の渋谷と二子玉川園(現:二子玉川)の軌道線の車両として使われていました。航空機の技術を応用したモノコックボディーで、普通鋼ながら軽量化が図られているわけですが、この車両が登場したのが1955年ですから、日本の技術って戦後10年でこのようなところまで進んでいたんですね。 この車両は、二両編成で連接車両(車両との連結部分は二両の共用台車となっている)となっているため、連結部分はこんな感じです。製造メーカーの銘板からもわかるように、東急車輛で昭和30年(1955年)に製造されています。 また、車体には東急の正式名称、「東京急行電鉄」を示す「T.K.K」の切り文字が貼られています。 この車両は204号で、同型の車両は201~206まで登場したわけですが、その後の路線廃止に伴い、1969年に廃車され、この車両以外は全て解体されてしまいました。まだ車齢が若く、他の路線への転用もできそうなのですが、システム的なトラブルなどもあってやむなく解体されてしまったようです。ただ、沿線の利用者には、そのスタイルゆえ解体を惜しむ声があったそうで、解体は沿線から遠く離れた場所で行われたという話は聞いたことがあります。 そんな特徴的な車両が、こうして屋根付きの建物の中で保存されているのはいいことだと思います。走ることは不可能ですけど、いつまでも大切に保存しておいて欲しいなと思いました。 ちなみに、このデハ200形のお手本となったのが、同じ東急のデハ5000形という別名「青ガエル」という車両で、東急引退後も他の地方私鉄でも活躍していましたが、今では熊本の熊本電鉄に残るのみとのこと。この車両も引退後は、ここで保存されたらいいんですけどね・・・。
2015年05月19日
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先日来、このブログで紹介している小湊鉄道のキハ200型。国鉄のキハ20系に酷似した車両ですが、小湊鉄道オリジナルの車両として、1962年(昭和37年)から1977年(昭和52年)の間、断続的に製造されております。製造期間が長いので、若干のマイナーチェンジが行われていますが、その様子がわかりやすい編成がこの日運転されていました。 小湊鉄道の終点、上総中野駅に停車中のキハ200型です。 この編成は、上総中野側にキハ214と五井側にはキハ203が連結された2両編成でした。 さて、車内は先日のブログにも載せましたが、ロングシートの座席が並んでいるのは同じなので、そんなに特徴というものはありませんが、窓やテールランプに違いがあります。 まず、1962年(昭和37年)に製造されたキハ203の窓は、窓枠のところにRがついていますね。国鉄の車両でも、103系や113系などの初期製造分はこんな感じの窓でした。 それに対して、1977年(昭和52年)に製造されたキハ214の窓は、窓枠のところが四角くふちどりされたような感じになっていますね。これは、「ユニット窓」とよばれるもので、国鉄の車両でも急行用の車両では使われていましたが、通勤用の車両に使われるようになったのは1972年(昭和47年)以降のモデルからでした。 ところで、この上段の窓は上に引き上げて開くようになっていますが、上のキハ203と下のキハ214では窓の取っ手の数も違っていますね。とても細かいことですが・・・。 それから、テールランプも製造時期によって異なっています。 これは一目瞭然ですよね。左側がキハ214、右側がキハ203なのですが、製造が新しいキハ214はテールランプが出っ張った形(外ハメ式)、それに対してキハ203は内ハメ式となっています。 テールランプの電球の球切れの場合には、外ハメ式ならその名のとおり外から電球を交換することができるのですが、内ハメ式は車体の内側、すなわち運転席の足元で取り替えるというやや面倒な作業となります。このため、国鉄の車両の中には、内ハメ式を外ハメ式に改造したものもありましたが、このキハ214は製造当初からこのスタイルのようです。 ちょっと細かい内容かもしれませんが、鉄道の車両ってみんな同じように見えるけど、意外な発見があって面白いものなんですよ。
2015年05月04日
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さて、小湊鉄道の旅は、里見駅から五井駅方面へ歩いていくことにしました。列車の時刻表をみると、列車の間隔が少し空くのと、沿線を歩きながら写真を撮るのもいいかなっていうことで。 まずやってきたのが、里見駅から一駅、五井方面にもどったところにある高滝駅です。 駅はこんな感じの木造の無人駅です。ここでしばらく待つと、上総中野方面への列車が来るので待つことにしました。 昼間の太陽をいっぱいに浴びてやってきたキハ200型、車掌さんが乗務員室から体を少し乗り出していますね。 数人のお客さんを下ろすと出発していきました。このような光景は、かつては日本のローカル線では当たり前のように見られた光景だったと思うし、私も学生時代にいろんなところで見かけたものです。今では、すっかり貴重なものとなっていますね。 さて、ここからさらに一駅分五井方面へ戻ることにしましたが、これがまだ遠い! しかも、歩道がないところもあって、車やダンプに気をつけながら歩いて行きました。先ほどの高滝駅の一駅分五井方面の駅は上総久保駅なのですが、ここにはいい被写体になるものがあったので、それを後回しにしてさらにもう一駅分進んだところにあるのが、上総鶴舞駅です。 この駅は、関東の駅百選に選ばれたことのある駅で、駅舎は大正時代のものだそうです。 また、いろんなドラマやCMでも登場する駅だそうで、昨日紹介した旭化成のサランラップのCMでもこの駅が登場しています。 上総鶴舞駅構内を五井方面から撮ってみました。小湊鉄道は非電化路線なので、架線がありませんから空が広く見えますね。 上総鶴舞駅のホームと駅舎です。 どうです、本当に映画のカットにでてきそうな感じでしょ。これが現役の駅として存在しているわけですから、小湊鉄道ってすばらしいなぁって思います。 しばらくすると、五井方面から列車がやってきました。こういう光景も、ドラマなどの回想シーンなんかでありそうですよね。この列車に乗って、後回しにした上総久保駅へ行きました。 上総久保駅には、大きなイチョウの木がありました。一本だけなのですが、かなり大きいですね。秋には、見事な色彩になっているんでしょうね。 ところで、モデルさんとカメラマンの撮影は、上総鶴舞駅でも行われていました。 二枚上の写真にも写っていますが、このようにいろんなカット割りで撮影されていました。チラッとモデルさんを見たけど、ごめん・・・わかりませんでした。 それはさておき、列車の運行間隔の関係で、結局は里見~高滝~(上総久保)~上総鶴舞~上総久保と歩きました。鉄道の営業距離は5.7kmだそうですが、並行して走る道路は若干距離は異なっていると思うので、それでも6km近くは歩いたのではないかと思います。 なかなか大変だったけど、面白かったですよ。
2015年05月02日
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千葉県の小湊鉄道は、千葉県市原市の五井駅から房総半島のほぼ中央部、夷隅郡大多喜町を結ぶ路線で、ディーゼルカーがのんびりと走る光景は、テレビCMやドラマでも使われているのでご覧になった方も多いかと思います。 昨今のローカル鉄道は、JR・私鉄とも新しい車両を導入したり、他社の中古車両を導入したりしているわけですが、この小湊鉄道では、国鉄のキハ20系に類似のキハ200型を長年愛用していて、今日も活躍しています。その車両と沿線の風景が見事にマッチしているところが、この鉄道の人気のあるところかと思います。 JR内房線五井駅の4番のりばから小湊鉄道が発着しています。 「五井⇔上総中野」と書かれたサボもいい味をだしています。「K.T.K」は「KOMINATO TETSUDOH KABUSIKIGAISYA」の略なのかな? 車内は、国鉄のキハ20系とは異なり、長いロングシートとなっています。 ところで、旭化成のサランラップのCMで、黄緑色のクマが列車に乗り込んで女の子とふれあうというものがありますが、その車両はまさしくこのキハ200型なんです。そして乗り込んでくる駅も、別の機会で紹介するこの沿線の駅なのです。 それからCMだけでなく、この日はモデルさんが小湊鉄道の沿線や駅、車内で撮影を行っておりました。 運転席後ろに向かって右側にセーラー服姿のモデルさん、その前の席にカメラマンが写っていますが、上総大久保駅近くや上総鶴舞駅で撮影をされていました。モデルさんの名前はわかりませんが、かなりたくさんのカットを撮っていましたよ。 さて、話を戻して、この列車に乗ってほぼ中間に位置する里見駅へ。 小湊鉄道の駅は、木造の駅が多くて、これがまたいい味を出しています。 このような駅名標も懐かしいですね。国鉄の駅では、よくみかけたものですが、今では見かけることはないですね。もっとも、国鉄の場合は、その駅が位置している市町村名が入っていて、わかりやすかったんですけどね。 里見駅の構内です。構内踏切があって、なんともいい感じの駅ですよね。駅員さんが手に持っているのは、「タブレット」というもので、端的に言うと一種の通行手形のようなもの。これがないと、列車は走れないのです。小湊鉄道は単線なので、信号とか鍵の代わりということも言えるかな。 五井方面へ行く列車の運転士にタブレットを手渡します。 小湊鉄道では、この里見駅を境として、里見~上総牛久の区間と里見~上総中野の区間で、このタブレットを使って運行されています。 別の角度から、駅員さんが運転士にタブレットを手渡すところです。 タブレットを拡大するとこんな感じ。古いローカル私鉄とか、国鉄でもローカル線で使われていましたし、JRになっても比較的最近まで使われていました。でも、見かけることが難しくなってきましたが、ここではこうして今でも使われています。 こんなのんびりした光景を、満喫することができました。(つづきはまた・・・)
2015年05月01日
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プロ野球のペナントレースが始まって、約2週間。優勝候補に挙げられていたカープは7連敗するし、エルドレッドは早々と故障するし、打線は低迷しているし・・・。まだまだ長いシーズンだけど、どうしたのってね。阪神もあまり調子が良くなくて、辛いよねぇ~ さて、そんな阪神タイガースの本拠地のある甲子園球場の最寄駅の阪神甲子園駅ですが、長らく改修工事を行っておりまして、その動向がきになっておりました。やはり住んでいた時に毎日利用していた駅なので、阪神ファンではないのですがその様子が気になっております。時々、今でも甲子園へ行くことがあるのですが、ようやく写真に収めることができました。 阪神甲子園駅に停車している阪神9300系です。写真の奥の方に大きな屋根が見えています。ホームの幅は、以前よりも広がっております。 阪神甲子園駅の東改札口です。屋根部分が改修されています。 先の写真にあった大屋根部分はこんな感じ。ちょうどJR大阪駅のような感じの大屋根ですね。 この道路は、甲子園筋です。かつては阪神の路面電車が上甲子園から浜甲子園まで通っていました。当時の駅は、ちょうど信号待ちしている車があるあたりだったようです。また、大昔は枝川という武庫川の支流で、現在の甲子園球場はその川のあとに建設された、という話はかつて高校野球の開会式の定番の話だったんですけど、最近はされていないのかなってね。 ちなみに、今から3年前の様子はこんな感じでした。 ちょっと引きで撮っていますが、全く様子が違いますよね。私が住んでいた時は、こんな感じの甲子園駅でしたが、3年のあいだに大きく変わってしまったんですね。
2015年04月09日
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先日、姫路へ行った際に、1986年に廃止されるまで姫路~飾磨港間で運転されていた通称「飾磨港線」の跡地を歩いてみました。飾磨港線という通称ですが、元々は播但線の一部となっておりまして、播但線の前身の播但鉄道(→山陽鉄道)の路線として1895年に開業したものだそうです。 時間の関係上、スタートは山陽電鉄亀山駅から。廃線跡は、この山陽電鉄の西側に見ることができるのです。 廃線跡らしきものをみつけたところに、こんな看板を掲げた倉庫がありました。住所と電話番号は、こちらで消去しましたが、かっこ書きのところに「国鉄亀山駅前」ってありますね。この近くに駅があったようです。 この位置かどうかはわかりませんが、ホーム跡を示すように一段高くなったところにベンチと駅名標がありました。 亀山駅です。 亀山駅は、三重県の関西本線にも亀山駅がありますね。同一の駅名があるときは、国鉄(JRになってからもそうですが)の切符では、駅名の前に路線名を示すマークが入れられていました。例えば、私の住む王寺駅の隣の三郷駅は、埼玉県に三郷駅(こちらは「みさと」と読む)があることから、「(関)三郷」と表示され、「(関)」のマークが入ります。 だから、この亀山駅もそのようなマークが入っていたんでしょうね。 話がそれましたが、ずっと北方向にほぼ直線で廃線跡は続いていました。 すると、廃線跡は、だんだん山陽電鉄の線路に沿うようになります。ちょうど阪神梅田からの直通特急が姫路へ向かって走っていきました。 後ろを振り返るとこんな感じ。ホント真っ直ぐな廃線跡で、車やバイクは入ることはできないことから、歩行者自転車の専用道となっています。幅もしっかりありますが、飾磨港線当時は単線でした。 廃線跡は山陽電鉄の線路とぴったりと沿うようになりました。 イメージ的には、JR奈良線と京阪宇治線の黄檗駅のあたりのような感じかな? あそこも、JRと京阪が寄り添うようになっているから。 廃線跡は、山陽電鉄の手柄駅近くにある姫路市中央卸売市場でプッツリと切れてしまいます。ここには、「姫路市場」駅がこの卸売市場内にあったようでして、その痕跡はわかりません。でも、線路はこの卸売市場内を通って、姫路駅へつながっていたようです。 いつも山陽電鉄の乗車するときに、この廃線跡は気になっておりました。いつかこの廃線跡の状況をみてみたいと思っていましたので、短い距離でしたが状況を見ることができてよかったです。時間があれば、飾磨港方面へも行ってみたかったんですけど、それはいつかまたやってみたいと思います。
2015年03月27日
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先日、広島へ行った時に泊まったホテルは、KKRホテル広島でしたが、ここは広電の白島線白島電停から徒歩5分くらいのところにあるのですが、例えばズムスタでナイターを見て帰ろうとすると、遅くなると白島線の運行が終了していることがありました。そんなときは、もったいないのですが、広島駅からタクシーで戻ることもありました・・・。 さて、そんな状況が先日のダイヤ改正で、そんな問題が解決されました。すなわち、山陽本線に新駅の「新白島」駅ができたのです。広島から横川へ行く途中、紙屋町と広島市の北部を結ぶ新交通システムアストラムラインの白島駅と交差するところにできたのです。 ズムスタへオープン戦を見に行く前に、上の子どもを説得してホテルから歩いて行きました。ホテルから10分もかかりませんでした。ちょうど位置的には、新幹線の高架下というような感じで、写真をご覧頂いても、あまり特徴のない駅であることはお分かりいただけるかと思います。 これは、山陽本線下り方面宮島口、岩国方面及び可部線方面のホームの改札口です。(可部線は広島駅発着) 高架駅のようになっているので、この写真の場所は2階になります。また、広島方面へのホームへは、ここから行くことができず、地下道をくぐって反対側へ行くことになります。いわゆる島式ホームではなく、対向式ホームなので仕方ないのですが、あすトラムラインからの乗り換え客で広島方面へ行く方は少しわかりずらいかも。そんなこともあってか、この日はJR西日本の社員が案内に出ていました。 今度、ナイターを見に行って遅くなっても、今回のホテルに泊まっていたら、広島から新白島であれば本数もありますから、タクシーに乗らなくても大丈夫ですね。しかも、JR西日本管内だからICOCAが使えるし(笑)。 ところで、ホテルのロビーには、新駅開業に合わせたのか「はくぽん」という白島のキャラクターが登場していました。このはくぽん、この日のズムスタのオープン戦にも登場していまして、広島東洋カープのキャラクターのスラィリーとC・Cダンスをやっていました(笑)。
2015年03月21日
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12日に大阪駅と札幌駅をそれぞれ出発する列車を最後に姿を消す豪華寝台特急「トワイライトエクスプレス」(大阪-札幌)の専用客車について、JR西日本が列車廃止後も団体専用臨時列車(団臨)として活用する方向で検討していることが3日、関係者への取材で分かった。スイートルームやサロンカー、食堂車などを備えた専用客車の去就が注目されていた。大阪と札幌を結ぶ寝台列車は四半世紀の歴史に幕を閉じるが、深緑に黄色の帯が入った専用客車は今後、活躍の舞台をJR西管内の路線に移す。 関係者によると、トワイライトエクスプレスの廃止後も、専用客車は、食堂車でフランス料理などが楽しめる「ランチクルーズトレイン」など団臨として活用する方向で検討しているという。 専用の客車は一部が製造から40年以上が経過し老朽化が進んでいるものの、自動車の車検に相当する「全般検査」の期限までには余裕があり、しばらくはJR西管内の路線で走行することが可能と判断された。 トワイライトエクスプレスの寝台客車は昨年10月、太平洋を望む南紀のJR紀勢線を「ランチクルーズトレイン」として走行しているほか、これまでも出雲地方に向かう団臨などで活用された実績がある。【産経新聞ネット版から引用】 あとわずかで廃止されるトワイライトエキスプレス。いつかは乗ってみたいと思いながら、結局は眺めるだけで乗ることはできませんでした。北海道へは何度も行っているのに、いつもフェリーだったからね・・。 そんなトワイライトエキスプレスの車両が、今度はJR西日本管内で活躍するとのこと。車両の老朽化という話でしたが、それ以上に北海道へ行くための手段がなくなる、すなわち北陸本線が北陸新幹線開業に伴い、JRから3つの会社に分割されてしまうのが大きいのでしょうね。 ただ、JR西日本としてもかなり力を入れて造った車両だし、そう簡単には廃車にすることはできないということなんでしょうね。 どんな形で復活するのか楽しみですが、またしても乗るのはなかなか難しいかもしれませんね・・・。
2015年03月04日
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先日、東京へ行った際の仕事の場所は、東村山市でした。最寄駅は、西武多摩湖線の八坂駅から徒歩、もしくは西武新宿線の久米川駅からバスという場所でした。私は、新宿の雑踏が嫌だし、高田馬場の乗り換えも嫌なので、JR中央線の国分寺から西武多摩湖線を利用しました。 西武多摩湖線は、国分寺から西武ライオンズの本拠地の西武ドームがある西武遊園地までを結んでおりますが、東京にあって単線の路線なのです。 さて、西武鉄道の車両カラーというと、最近は他社と同じく新しい車両はステンレス車体のものが増えているようですが、基本的には黄色い車体です。 この写真は、かなり以前に国分寺駅で撮影した新101系とよばれる車両です。このように、黄色い車体が西武鉄道が特徴で、就職して初めて東村山へ仕事にやってきた時には、関西ではあまり見かけないカラーなので、新鮮に感じました。 ところが、今回当時と同じく国分寺駅から乗ってみると、こんなカラーになっていました。 えっ? 真っ白ですか?? そうなんです、車両は同じ新101系ですが、驚きの真っ白! あまり真っ白の車両って思いつかないのですが、私の地元を走るJR大和路線の221系でさえ、白い車体にプラスしてラインがアクセントになっていますからね。 なにゆえ、こんな白い車体なのかわかりませんけどね。最初の写真のような黄色い新101系は、1編成だけみかけましたが、それ以外はこの写真と同じく真っ白でした。 ちなみに、その他の従来からの車両は黄色でしたので、全部が白になるということではないようですけどね。 ところで、自動車は白い塗色が多いわけですが、鉄道車両にあっては少ないかなってね。関東の私鉄は多かったイメージがありますが、最近は関東のみならず全国的にステンレス車体が多くて、それはそれで塗装作業の省力化にはつながっていると思うものの、あまり特徴がないなぁって思ってしまいます。
2015年02月26日
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先日、三重県四日市市へ行きまして、近鉄内部・八王子線に乗車してきました。内部・八王子線とは、日本国内で非常に珍しい線路幅(ゲージ)が762mmというJR在来線よりも狭く、新幹線(1435mm)の約半分程度という狭い線路幅で運行されている路線なのです。元々は近鉄ではなく、三重交通の路線だったのですが、1964年に近鉄に合併され、今年の4月に近鉄から「四日市あすなろ鉄道」という会社に引き継がれることになっているそうです。 ちなみに、762mmの線路幅ってどんな感じかというと、こんな感じです。 いつも利用されている鉄道の線路幅と比べていかがですか? ちょっと狭いような気がしませんか? 実際にも狭いんですけどね・・・。 それから路線図は、このようになっております。近鉄四日市から赤堀を通って日永、日永で二方向に分かれています。 私は、かなり以前にこの路線に乗車したことがあるのですが、久しぶりに乗ってみたくなって思い切って行ってみることにしました。 起点は近鉄四日市駅の高架下から出発しております。ここから途中の日永駅までは内部・八王子線双方の路線が走りますので、本数はそこそこあります。 日永駅です。ここから内部線と八王子線が分かれます。 八王子線は大きく右にカーブして行きます。まずは八王子線に乗って、西日野駅まで行きます。 終点の西日野駅です。あれ? 八王子線って路線の名前なのに八王子は?って思いますよね。1974年の水害により、この駅から先にあった伊勢八王子間が廃止されてしまった後も「八王子線」と呼ばれているそうです。 日永駅からの内部線は、さらにまっすぐ進んで内部駅まで向かいます。沿線は、田畑があるものの、住宅が建ち並んでおり、列車の走行写真を撮るにはあまり向かないところが多いです。 内部駅です。駅構内も3両編成の車両が収まると余裕がないくらい小さなものです。また、駅の手前には車庫がありました。 さて、使用されている車両は、カラーリングこそパステルカラーになっていますが、なかなか古めかしいものものが多いのです。 まず、3両編成の中間に挟まれている車両は、サ120形とよばれる車両で、前出の三重交通サ360形だった車両です。1954年製造というかなり古い車両で、中間車両でありながら車高が高く、横から見ると凸凹がよくわかります。 車内はこんな感じ、ロングシートが配置された普通の車両です。別に何の変哲もないのですが、線路の幅が狭いために、ちょっと窮屈に思えませんか? 実際にお客さんが座るとこんな感じです。やはり窮屈ですよね。これが762mmの路線の車両の特徴なんです。 ドアもなんだか狭そうな感じですよね・・・。 それからその前後の車両は、モ260形とよばれる車両で、1977年にそれまで使われていた古い車両を置き換えるために投入された762mm路線専用の車両です。車内前向きシートで、向きは固定されています。 1977年製造といいながらも、モーターは昔懐かしい吊りかけモーターなので、鈍重な音を響かせながら走っています。 中間車両は古くて前後の車両は比較的新しいのですが、ク114とク115という2両の車両は、前出のサ360を先頭車両に改造したものとなっているため、正面の顔はモ260形とよく似ていますが、横から見ると古めかしい車両となっています。 このうちク115に乗ることができましたが、車体を横から見るとこんな感じです。窓の上の方が昔のバスでよく見られたハメ殺しの窓、いわゆる「バス窓」となっています。 ちなみに、このク115の左側のサ120型(サ124)もバス窓になっていますが、この連結面はこんな感じでした。元々先頭車両だったものを中間車両にしたようですね。 この沿線には特に目立つ撮影ポイントはなく、川を渡る橋もコンクリート橋で欄干が高いためにサイドからの撮影もできず、主に日永駅で撮影していました。 前出のとおり、この駅で内部・八王子線が分かれるために、1時間に4本は撮影することができるのでいいのですが、この日は寒かったのとせっかく一日乗車券(500円)を買っていたし、鈍重な吊りかけモーターの音が聞きたくて、短い区間を何度も乗車していました。 私と同じような物好きな人もほとんどおらず、よくありがちな鉄道ファン同士の怒鳴り合い(←こんなのはファンなんかじゃねぇーよ)は皆無でしたから、写真を撮ったり乗車するのも気持ちよく行うことができました。 ところで、三重県内にはこの内部・八王子線の他にも、三岐鉄道の北部線というのが762mmの路線なのです。ここも元々は近鉄だったのですが、現在は三岐鉄道の路線となっておりまして、車両もカラーリングは異なるものの、内部・八王子線と同じ車両が活躍しています。また機会があれば行ってみたいと思っています。
2015年01月23日
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東京駅開業100周年を記念したIC乗車券「Suica(スイカ)」の販売が途中で中止され、混乱が生じた問題で、JR東日本は22日、記念スイカの限定販売をやめ、希望者全員に販売すると発表した。来年1月下旬から2週間程度、インターネットや郵送で申し込みを受け付けるとしている。【毎日新聞ネット版から引用】 先日のこのブログで取り上げた東京駅開業100周年記念Suica。大混乱のために途中で発売中止となり、詰めかけた人たちの怒号が響き渡っていたとのことでしたね。 JR東日本では、今度はインターネットや郵送での申し込みとするとのことで、希望者すべてに配布が可能となるようになるようです。そりゃそうでしょうね、1枚2000円として1万5千枚が確実に売れたとすると、JR東日本は3000万円の収入になるわけですから、ありがたいですよね。 でも、今回東京駅に詰めかけたそのほとんど連中が「転売目的」だったと思われるので、JR東日本の目論見通り買ってもらえるかどうかでしょうね。発売枚数が少ない=希少価値ありということから、転売目的の連中が血眼になって詰めかけるわけで、希望者全員に配布なんていうことになれば全く希少価値なんてないわけですからね。 この記事見た転売目的の連中は涙目だろうし、今ヤフオクとかに出品している連中も、儲け損なっていてがっかりだろうね。まっ、そんなことをやって儲けようなんて、考えが甘すぎるんじゃ! これからも、鉄道会社においては、このような記念乗車券や記念入場券を発売するなら、ネットや郵送で予め確実に購入意思を確かめておいて、なおかつ先に金を振り込ませるほうがいいんじゃないかなってね。「枚数限定」にしたいのはわかるけど、そんなことをすると今回みたいな転売目的のような連中が喜ぶだけだからね。
2014年12月22日
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今日は二本立てで・・・。 JR東日本が東京駅開業100周年を記念し、20日午前に限定販売したIC乗車券Suica(スイカ)をめぐり、東京駅丸の内南口の窓口に購入希望者が殺到した問題で、同社は安全を確保するため約2時間半で販売を中止した。これを受け、買えなかった人が駅員に詰め寄るなど、駅周辺は大混乱となった。同社は「今後、改めて販売するが詳細は未定」としている。 JR東日本東京支社などによると、限定販売予定だったのは赤れんがの駅舎をデザインしたスイカ1万5000枚。1枚2000円で1人3枚まで購入可能とした。 希望者が多く、午前8時だった販売開始時間を前倒しし、7時14分から売り出したが、19日から並んだ人を含め、その時点で約9000人が列を作った。このため同支社は「想定外の数の人が来て危険」と判断し、9時40分に約8000枚で販売を打ち切った。 購入できなかった人からは「納得いかない」「割り込みがあった」などと怒声が飛び交い、一時、100人以上が駅員を取り囲み、説明を求めた。混乱は3時間以上続いた。【産経新聞ネット版から引用】 記念の乗車券・入場券って、今も昔も発売枚数が少ないからどうしても手に入れたいもの。私も中・高校生の時は、徹夜することはなかったけど、早朝から並んだこともありました。ただ、その時の目的は記念の乗車券・入場券の券番号がなるべく若い番号のものを手に入れること。今思えばくだらないことなんだけど、当時はなるべく「0001」に近い番号を手に入れたくてがんばっていました。 今回のようなIC乗車券にも番号が書かれているとは思いますが、今の世の中では自分のコレクションというよりも、「転売目的」が主だと思うので怒号が飛び交っていたうちのいくつかは、「金儲けでけへんかったやんけ、ボケ~!」っていう怒号なんでしょ(呆)。 実際にヤフオクをみてみると、即決価格が59800円とか、どうせ手に入れても自分のコレクションにするのではないわけでしょ。だったら、JR東日本も駅での販売ではなく、往復はがきによる抽選にしたらよかったんですよ。 JR東日本では、また販売するそうですけど、今度は駅売りはしない方がいいと思いますよ。 それにしても、鉄道がまた注目を浴びている昨今ですが、こんなことで注目を浴びなくてもって思う私は古い鉄道ファンなのかな・・・。
2014年12月20日
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JR西日本は8日、大阪環状線に2016年度から導入する新型車両「323系」のデザインを発表した。国鉄時代に製造された現行車両「103系」と「201系」は18年度までに新車両168両(21編成)に切り替える。環状線専用の車両が設計されたのは初めて。 車体はステンレス製で、オレンジ色を基調とするデザインを引き継ぎ、先頭部分などに環状線をイメージした円形のマークをあしらう。座席は緑色のロングシートを採用。一部の車両は短いシートを使って出入り口のスペースを広げ、混雑しやすい場所の車両とする。これまで普通電車の4扉車と、主に奈良や和歌山方面に乗り入れる快速電車の3扉車が混在していたが、新型車両導入により3扉車に統一される。【毎日新聞ネット版から引用】 国鉄当時の通勤型電車の代名詞だった103系とそれを改良した201系が今日も活躍する大阪環状線。大阪の鉄道の文字通り中心であるこの路線では、今でも国鉄当時の車両が活躍しているという光景が見られていますが、ついに新しい車両が投入されることになったとのこと。東京の山手線なんて、また新たに新しい通勤型電車が投入されるとの話を聞きましたが、大阪環状線はJR西日本の方針からか、ようやくといったところですね。 それはさておき、今度投入される車両は「323系」とよばれる車両で、今までの103系・201系と異なるのは、最近JR西日本で投入される新型の車両と同じく、車体がステンレスというところは一緒なのですが、扉の枚数が4扉から3扉となるところが大きな違いです。関空・紀州路快速に使われている223・225系や大和路快速に使われている221系が3扉車なので、これと統一することによりホームドアを設置することが可能になるわけですからね。あと、省エネ効果も期待できるでしょうから、323系の登場が待ち遠しいですね。 そんな323系は、2016年度から投入ということでまだまだ1年も先ですが、国鉄当時からがんばってきた103系・201系としての活躍もあと1年、ということになりますね。車齢は30年を超えていますから、他の線区へ行くことはあまり考えられません。せいぜい阪和線で活躍しているさらに古い103系を取り替えるくらいでしょうか。201系は、元々駅間が短い線区向けではないと言われている(といって、大阪環状線も駅間は十分短いけど・・・)し、思い切ってそのまま引退、っていうところでしょうかねぇ。 っていうことは、私の実家のある阪和線においては、国鉄当時からの103系がまだまだ運転されるということなのかな。阪和線は、国鉄当時からも冷遇されていた(関空関連の車両を除く)し、元々は私鉄だった(戦時中に買収されて国鉄に)から仕方ないかな。 話をもどして、323系が大阪環状線に登場すると、関西の鉄道の風景もがらりと変わりそうですね。ただ、ステンレス車体の車両があちこちに増えて、没個性みたいな感じがしないわけでもありませんが。 ちなみに、JR西日本のHPには、323系のイメージが載っていました。ステンレスの車体にオレンジのラインが入っています。やはり、オレンジはそのまま継続なんですね。
2014年12月09日
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2016年春の北海道新幹線開業に伴い、JR東日本とJR北海道は、寝台特急「北斗星」(上野―札幌)を15年度中に廃止する方針を固めた。 新幹線の試験運行が行われるほか、車体の老朽化などが進んでいるためだ。近く発表する。北斗星の廃止によって、鉄道旅行の象徴的な存在だった青い客車の特急「ブルートレイン」は姿を消す。 北斗星は1988年、青函トンネルを使って初めて上野―札幌間を結んだ。ホテルのように豪華な寝台個室や、フランス料理のフルコースが味わえる食堂車などが人気を集めた。 しかし、北海道新幹線は青函トンネルを含む約82キロが新幹線と在来線の共用区間になる。2015年3月以降は新幹線の試験運行の影響もあり、北斗星は夏場などの臨時運行となる。【読売新聞から引用】 とうとうこんな日がやってきましたか。 1958年に寝台特急「あさかぜ」で登場したブルートレインが、ついに定期列車として姿を消すことになったとのこと。新幹線網が整備され、高速道路網が整備され、夜行列車としての役目は終わったということになるのかもしれませんが、なんだかさみしいものですね。 この発表の前に、大阪からの豪華寝台特急の「トワイライトエキスプレス」が来年3月に廃止されることは発表され、その理由として青函トンネルが北海道新幹線対応になるため、というのがその一つに挙げられていました。ただ、そうなれば、東京からの「北斗星」はどうなるんだろうって思っていましたら、やはり同じく廃止されてしまうことになったんですね。 夜行列車の旅って、時間を有効に使えるし、高速バスのように渋滞や事故の心配がないし、足を伸ばして横になって眠ることができるし、いいと思うんだけどな。廃止のひとつの理由にもあった「車両の老朽化」だって、JRが現代版に改良された車両を作ってくれていたら状況は変わったかもしれないなってね。 機関車が客車を牽引するブルートレインとしては難しくても、現在東京と出雲市・高松を結んでいる「サンライズ」のような形式だったら、十分ニーズはあるように思うんですけどね。 ところで、私が小学5年生頃は、「ブルートレインブーム」というのがあって、「さくら」や「富士」、「あさかぜ」、「はやぶさ」といったブルートレインの写真やグッズを見かけたし、駅で写真を撮る子どもも多かったです。私の住んでいる関西では、「日本海」とか「あかつき」など東京発のブルートレインと比べるとやや地味目だったのですけど、それでもあこがれの列車でした。 でも、ブームの時はもちろん、中・高校生の時にも乗車することができず、初めて乗ったのが就職してからという状況でした。その初めて利用したのが、1989年に青森県の弘前から大阪まで戻る際に乗車した「日本海」で、とてもワクワクして乗車したのを覚えています。その後、山口県の厚狭から京都まで乗車した「彗星」とか、大阪から山形県の鶴岡まで乗車した「日本海」、金沢から上野まで乗車した「北陸」など、数は少ないのですが乗車することができました。(同じ寝台の車両を使った急行「銀河」は、かなり利用しましたが・・・) ただ、「トワイライトエキスプレス」や「北斗星」には、ついに乗車することができませんでした。まだ廃止まで時間はありますが、チケットを確保するのはかなり難しいので、諦めざるを得ないかなってね。 話を戻して、あと廃止まで3ヶ月あまり。乗れないのなら写真でも撮れたらいいんだけど、わけのわからん鐵ヲタが増えてくれるから、あまりそれもしたくないしね。 長いブルートレインの歴史が終わる時を、静かに見送りたいと思います。
2014年12月05日
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最高設計速度が時速500キロを超えるというリニア中央新幹線。日本が誇る、この「夢の超特急」をはるかにしのぐ高速鉄道が、ある国で開発中だということをご存じだろうか。 目標とする最高速度はリニアを上回る時速600キロ。東京-大阪間なら、1時間足らずで走破してしまうという、とんでもない速さだ。そんなスピードが果たして必要なのか、そもそもどうやって安全性を確保するのかという素朴な疑問はひとまず置いておくとして、このスーパートレインに国の威信をかけているのはどこかというと…。そう、お隣・韓国だ。 決して夢物語ではない。韓国では「HEMU-430X」、通称・ヘム(海霧)と呼ばれる車両が昨年3月、すでに試験走行で時速421キロの最高速度を達成している。鉄輪式鉄道では、フランスのTGV(時速574キロ)、中国の和諧号(時速487キロ)、そして日本の新幹線(時速443キロ)に次いで、世界で4番目の速さだ。 (中略) ヘムは、2013年から来年8月までに10万キロの試験走行を行い、最終的には時速450キロの最高速度を達成する目標を掲げている。なぜ450キロかというと、新幹線の最高速度が443キロだから。韓国・国土交通省はその後、時速600キロ級の高速列車の開発を目指すのだという。 この計画が実現すれば、世界で100番目あたりの広さを誇る韓国の国土(日本の3分の1以下)なら、どこに行くにもあっという間に到着してしまうだろう。くどいようだが、「本当に必要?」との疑問が頭を離れないが、韓国政府は海外市場への売り込みも視野に入れているという。 そんな韓国期待の星・ヘムだが、最近、韓国KBSが実に残念なニュースを報じて話題になっている。 それによると、ヘムがソウルと釜山の間でテスト走行を行った際、1時間54分かかり、平均速度は219キロにとどまった。停車駅は2駅、先行する列車もなしという絶好の条件で行われたにもかかわらずだ。 どうやら、高速運転に耐え得る専用線路ではなく、通常の線路で試験走行を実施したことが原因のようだ。KBSは「既に1100億ウォン(約121億円)ウォンが投入されている『ヘム』だが、仮に専用線路が必要となれば6700億ウォン(約737億円)が必要だ」と分析している。 時速300キロ以上にも達する高速列車を、日本で言えば在来線のような線路で走らせてしまおうという韓国の技術者たちの心意気には心から敬意を表したいが、「くれぐれも事故には気をつけてほしい」と願わずにはいらない。 というのも、現行の韓国高速鉄道である「KTX」は2004年の開業以降、人身事故を含むトラブルが頻発しているからだ。 2007年11月には高速鉄道車両として世界初の正面衝突事故が発生。釜山駅構内で、ソウル行きのKTXと回送中のKTXが正面衝突し、乗客数十人が負傷した。2011年2月には光明駅近くで開業後、初の脱線事故があり、昨年8月には東大邱駅でムグンファ号と2台のKTXがからむ三重衝突事故が起きている。【産経新聞ネット版から引用】 いろいろと笑わせてくれる国だけどさ、これも嫌いで嫌いで仕方がない我が国と対抗するためにやっているんだろうけど、いちいちポイントがずれているんだよな。っていうか、突っ込まれるのを予め見越しているのかって言いたくなるんだけど。時速450kmとした最終目標の値が、「(日本の新幹線が)443kmだから」って、子どもか! それはさておき、日本の新幹線は1964年に東海道新幹線が開業しましたが、これは既存の在来線である東海道本線と全く異なるゲージ(線路幅)と新規路線を建設して造られたものであることはご存じのとおりです。その後、いわゆるミニ新幹線のような在来線を改軌(日本のJR在来線は1067mmなので、それを新幹線で使われている標準軌の1435mmとするもの)した山形新幹線のような路線もありますが、それでも高速運転に耐えうる路盤や線路に仕上がっているわけです。 ところが、なんでもパクルのがお得意なはずなのに、こういったところはパクらないんですね。結局、既存の在来線の線路で運転しているわけだから、路盤や線路がしっかりしっていないと速度を出せば出すほど安定感が怪しいので、219kmにとどまったんでしょうね。まぁ、在来線の線路でそこまで出せたらすごいとは思いますけどね。 ただ、いくら速度を出したとしても、列車制御については全然ダメですね。列車の正面衝突事故って、日本でもATSなどが未整備だった時代や設置が遅れていた地方のローカル私鉄で起こっていた(平成に入ってからも、我が国では信楽高原鉄道や京福電鉄福井支社でも事故がありましたが・・・)わけですが、高速鉄道での正面衝突事故って一番あってはならない事故と思いますけどね。 最終目標は600kmだとか・・。既存の車両技術の向上でそこまで出せるものなのかな。日本ではリニア新幹線のように、これまでの新幹線技術とは全く違う方向で最高速度を出そうとしているんだけど・・・。それと、この600km目標の技術を世界に展開しようとしているのはいいんだけど、まずは列車制御の技術を高めないと車両側だけがんばってもどうしようもないと思うけどね。まぁ、ホントにその目標を目指すなら、新線でも造らないととてもじゃないけど無理だと思うけどなぁ。 私自身、鉄道ファンの端くれだから、突っ込みどころ満載で楽しく読ませてもらったけど、できればこっち見ずに勝手にやっといてほしいね。
2014年11月27日
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先日、三宮へ行くときに春日野道駅で途中下車しました。春日野道駅は、三宮のひとつ手前にあります。 この春日野道駅は、今では普通の地下駅になっていますが、かつてはちょっとした特徴がありました。 このように対向式のホームが配置されていますが、こちらのホームと向こうのホームの間にもう一つホームのようなものがありますね。これがかつての春日野駅のホームだったんです。かなり狭いですよね。列車が通過するときには、かなりスリルがあったと思います。 2004年に新しいホームができるまでは、「日本一危ない駅」と言われていました。日本一の加速力を誇り、いつもかっ飛ばしている阪神電車でも、さすがにかつてはここを通過するときには45km/hまで減速していました。そりゃそうですよね、それ以上のスピードだったらホームにいるお客さんが危ないもんね。 ちなみに、旧ホームの幅は、2.6mくらいしかないそうで、現在の規格では3.0mが必要だそうですよ・・・。 さて、かつてはこんな幅の狭いホームの駅だったわけだから、利用客は少ないと思いきや、駅の近くにはマンションができて利用客が増えてきているそうです。そのため、ホームが新しくなったわけですね。 ところで、春日野道駅は、この阪神以外に阪急にも同じく「春日野道駅」あるんですけど、阪急の方も阪神の旧ホームと同じように狭いのです。阪急の「春日野道駅」と阪神の「春日野道駅」の間は、直線距離で約450m近く離れているとのこと。近いからちょっとややこしいですね。
2014年10月24日
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103系といえば、国鉄当時に大量に製造され、首都圏や関西圏などの通勤路線で活躍した車両ですが、首都圏ではかなり以前に引退し、現在ではJR西日本管内に残るだけとなっています。そして、その数もだんだん減ってきているところですが、それでも私の地元のJR大和路線や私の実家のあるJR阪和線などで活躍しています。 元々首都圏や関西圏などの通勤路線で使われていたわけですが、そこから離れた広島とか今回紹介する姫路周辺でも活躍しています。 さて、播但線は、姫路から和田山を結ぶローカルの路線ですが、路線の南半分である姫路~寺前間は電化されていまして、ここで活躍しているのが2両編成の103系なのです。 こんな感じの赤色に塗られておりまして、通勤路線という感じには程遠いのですが、朝夕には4両編成の103系も走っています。 まぁ、103系の2両編成をもう一つ足しただけなんですけどね・・・。 話は変わりますが、この103系は首都圏ではとっくに引退しているし、関西圏でも少しずつ数を減らしてきていますが、それでもまだ現役で活躍しているわけです。そんな車両を撮影したいということで、例えば大阪環状線の天王寺駅とか野田駅、福島駅でカメラを構える人たちを時々見かけるし、阪和線や大和路線でも見かけます。 なくなることがわかると、大挙してほかの連中が押し寄せてくれるまでに、普段の様子を捉えておこうという考えはとてもよくわかります。私も、こうして普段の何気ない写真を撮るのが好きで、そういう時に写真を撮ったり車両に乗ったりするのがいいですね。 話を戻して、この播但線の103系や加古川線の103系はいずれも元々は中間車両だったものに運転台をとりつけた車両で、オリジナルの103系ではないのですが、おそらくまだまだしばらくは活躍するものと思われます。 何の変哲のない車両ですが、普段の何気ない様子を収めていただければと思います。
2014年10月17日
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すみません、かなり以前のことでアップのタイミングを逃していたのですが、昨年東京へ行った際に千葉県の小湊鉄道に乗ってきました。小湊鉄道は、五井と養老渓谷を結ぶ路線で、単線非電化のローカル私鉄です。 こんなディーゼルカーがのんびりと走っておりますが、東京近郊でローカルな雰囲気満点ということもあってか、CMで使われたりドラマの一シーンで使われたりしています。例えば、最近だったらJAバンクのCMで使われていまして、鉄道ファンの端くれの私でさえ、「あっ、小湊鉄道だ」ってわかりましたから。 この小湊鉄道に乗るのは2回目でしたが、関西近郊のローカル線は軒並み電化されてしまったり、古い車両が引退して魅力が半減してしまったように感じていますが、この小湊鉄道は古き良き時代のローカル線の雰囲気がまだ残っていて、ちょっとうれしくなりました。 関西から乗りに行くのは少々遠いけど、また機会があったら行ってみたいと思います。
2014年10月09日
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1964年の今日、東京~新大阪間の東海道新幹線が開業して、50年が経ちました。今や新幹線網は全国へと広がっていますが、1964年当時にこのような新規路線を作るというのは、かなり大変なことだっただろうと思います。 当時、東京~大阪間の在来線の東海道本線を走る特急「こだま」が6時間半かかっていたのを大幅に短縮しようというわけですからね。線路の幅は標準軌(1435mm)にするのは当然として、線形もなるべく真っ直ぐにしてカーブを極力少なくするということにも工夫がされたわけですが、そこを走る車両も当時の技術をふんだんに使って、しかもそれが1980年代中頃まで改良を重ねながらも使い続けられたというのは、それだけ優秀な技術力だったんでしょうね。 私にとっての新幹線は、子どもの頃の新幹線の歌(♪びゅわーん びゅわーん はしる あおいひかりの 超特急♪・・・)と、0系の写真しか知らなくて、走っているのは見たことはありますが、実際に新幹線に乗ったのは1982年の中学の修学旅行で九州へ行った時が初めてでした。その時は疲れていて、博多から新大阪までほぼ寝ていたのでしたけどね・・・。 その後、就職して初めて東京へ行った時には、新幹線開業当時に使われていた転換シート(今のようにリクライニングしない)が残る車両に乗ったわけですが、子どもの頃に見た写真やドラマの新幹線のシーンで見かけた光景だったので、ひとり喜んでいました・・・。 そんな東海道新幹線が開業して50年ということで、先日東京へ行った際に乗ったN700系の車内には、写真のようなステッカーが貼られていました。0系はすでに引退しているのですが、やはり私にとって「新幹線」といえば0系ですねぇ・・・。乗り心地や車内の様子は、格段に現在のN700系の方がいいんですけどね。
2014年10月01日
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先日、青春18きっぷでJR赤穂線の天和駅まで行ったことを紹介しましたが、その続きです。天和駅の次の駅は、備前福川駅。「備前・・・」という駅名ですが、実は岡山県ではなく、兵庫県の赤穂市だったのです。 備前福河駅の駅名標です。ひとつ手前が先日紹介した天和駅ですね。 このようになぜ岡山県ではなく兵庫県であることが書かれた紹介の案内板がありました。 「住民の念願・・・」というのは、最近もありましたね。2005年に長野県木曽郡山口 村が岐阜県中津川市に編入された例がありましたけど、かなり以前もあったんですね。 ちなみに、この地域の電気の供給は関西電力ではなく、中国電力になります。1963年に岡山県から兵庫県になっているからでしょうね。 では、なぜ越境編入されたんでしょうか。詳しいことはわかりませんが、このような地形もあるのでしょうか。 駅の西側には、大きな山が連なっており・・・、 東側も同じような感じ。地域の結びつきは、山が険しくないことから、赤穂市側の方が強かったのかもしれませんね。 駅舎はこんな感じでした。無人駅で、シャッターがあるのをみると、以前は駅員が配置されていたのかもしれませんね。 このような行き当たりばったりの旅、というか、目的もなしに降りてみるのと思わぬ発見があって、たまにはいいものですね。
2014年09月12日
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先日、宿泊したのは浅草橋駅の近くでした。浅草橋駅で降りるのは初めてで、駅構内のディスプレーには日本人形が飾られていたから、イメージ的には大阪の松屋町みたいな感じなのかなってね。 さて、先日のブログで紹介しましたが、東京へ移籍したKさんと分かれて、この浅草橋駅で列車を降りてとったのがこの写真です。列車を撮ったのではなく、このホームのデザインが変わっているなってね。線路と線路のあいだにホームの屋根を支える支柱があって、その支柱は古いレールが使われていました。そして、その支柱のデザインが何とも優雅な感じで、いいなぁってね。 古いレールが駅のホームの支柱などに使われていることは時々ありますが、このようなデザインのものは見たことがなかったので、多少酔っ払っていましたが(笑)、ケータイのカメラで撮影しました。 ちなみに、翌朝もこの駅から列車に乗っていますが、朝の時間はさすがに人が多くて写真を撮るのはまずいかなっていうことで撮ることはしませんでした。夜のこの時間帯でも人は多いのですが、朝や昼間よりマシかなってね。
2014年09月08日
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先日、青春18きっぷを使って少し遠出をしてきました。JR赤穂線はJR山陽本線の相生駅から分岐して、播州赤穂や日生を経由して岡山へ至る路線でして、大阪方面からだと新快速が播州赤穂まで運転されています。その播州赤穂以西へは播州赤穂で乗り換えとなります。 播州赤穂へは何度か仕事できていますが、その以西はあまり行ったことがありません。ちなみに、播州赤穂の次の駅は天和駅。どんなところだろうということで、行ってみました。(本当はもう少し遠くまで行きたかったんだけど、時間の都合上あきらめました) 新快速で播州赤穂へ来ると、岡山行の列車が待っていました。黄色一色の115系です。食パンのような風貌で、元々は中間車両だったのを改造したためにこんな感じになっています。列車は動き出すと、赤穂に立地している工場を見ながら進んでいきますと、5分足らずで天和駅に到着。 天和駅を出発していく岡山行の列車。こちらの顔は、普通の115系の顔です。駅の周りには、三菱電機の赤穂の工場があるだけで、コンビニすらありません・・・。 こんな無人駅で、ホームの長さは意外にも長いのです。また、かつては、三菱電機向けの貨物需要があったのか、引込線もしっかりとありました。 駅名の表記です。天和駅の次の駅は、備前福河。もう岡山県になるんですね。 ところで、麻雀好きな方には、この天和駅の表記をみてピンとくるかもしれませんね。 そう、「テンホー」ですね。親の配牌が終わった時点で、もう既に和了しているというやつです。まぁ滅多にお目にかかることはないし、こんなの親に和了されたら、いきなり役満ですからね。かなり凹みますわな。 このテンホーになる確率的には33万分の1だそうですよ。(ちなみに、トランプのポーカーのロイヤルストレートフラッシュが65万分の1だったかな) 脱線ついでに、私は一時期麻雀のテレビゲームにはまったことがありました。脱衣系(笑)ではなく、ロールプレイングのもので、経験値を積めばイカサマが使えるとかいうものでした。そのゲームのボスキャラがなかなか強くて、先に進めない時期があったのですが、ある日仕事で東京の本社へ行った時に、初対面の部署のえらいさんをみてびっくり! そのボスキャラそのものでした(爆)。まるで、そのえらいさんをベースにキャラをつくったんじゃないかと思うくらいで・・・。 話を戻して、駅の名前は「天和」なのですが、駅前にある信号の案内表記は違っていました。 あれれ? ローマ字では「Tenwaekimae」なのに、漢字では「鷆和駅前」と全然漢字が表記されています。ちなみに、この「鷆」は「デン」でようやくヒットしました・・・。 なぜ、こんな難しい文字が当てられているのかというと、『真木村と鳥撫村が合併して誕生した新しい村の名前を「真」と「鳥」の二文字をあわせさらに両村が和すことを願い鷆和村とした』(ウィキペディアから引用)とのこと。なるほど、そういう歴史があったんですね。 なにげに行ってみたいと思った天和駅、駅前には何もなかったけど、たまにはこんな行き当たりばったりもいいかなってね。麻雀の好きな方、行ってみるとひょっとしたらご利益が・・・あればいいですね。
2014年09月04日
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現在、夏の高校野球の大会が行われている甲子園球場。連日熱戦が繰り広げられていまして、多くの高校野球ファンの方がやってきていると思います。私も1999年まで甲子園に住んでいましたから、今の時期は観光バスなどで遠くからやってくる応援団の一団に混じって、甲子園球場まで歩いたのを思い出します。 遠方からの方はバスでしょうけど、列車による来場者は、ほぼ阪神電車でやってくると思います。阪神梅田や三宮から直通特急や特急、快速急行や急行でやってこられているのではないでしょうか。阪神電車といえば、あまりスタイル的には代わり映えのしない車両と、急行系は「クリーム色とオレンジ色」のツートン、普通系は「クリーム色と紺色」のツートンというわかりやすい塗色ですが、最近はリニューアルされた車両が「明るいオレンジ色+白」となって、その数も増えているようです。 写真は使い回しですが、阪神電車といえば、この車両の形と塗色ですよね。この塗色が少しずつ数を減らしているのです。 数を減らしているというと、気になるもの。写真は山陽垂水駅を出発する阪神8011形です。 これは、山陽須磨駅に停車中の8011形です。この駅の次の駅、須磨浦公園ゆきの特急です。 こうした写真も、いずれは貴重なものとなったりするので、気が付けば写真に撮ったりするんですけどね・・・。 ちなみに、この「クリーム色*オレンジ色」のいわゆる原型色の編成は、あと4本だそうです。新しい色はイマイチしっくりこないのですけどね・・・。そういえば、私の職場の近くを走る京阪電車も、緑色の濃淡のツートンの車両から、緑+白という塗色に変わっています。まだ見慣れないせいか、未だに馴染めません。阪神の車両もそうですが、そのうち見慣れてくるんかなってね。
2014年08月18日
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いつだったか、写真に収めてそのままになっていたのですけど、野球好きな私にとって気になるモニュメントであります。 さて、このモニュメントがある駅はどこでしょうか?ってわかりませんよね。 来月9日から夏の高校野球が始まりますが、この駅も賑わうのかなってね。だからといって、阪神甲子園駅ではありません。ここは、JR神戸線(東海道本線)の甲子園口駅です。 甲子園球場へは、ここから阪神バスで10分ほどかかります。歩いていくと、坂はありませんけどなかなか遠いですよ・・・。 そんな甲子園口駅前にあるのが、このモニュメント。甲子園球場へはここからちょっと遠いけど、雰囲気がでているかなってね。
2014年07月28日
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JRの普通列車が一日乗り放題の「青春18きっぷ」が7月1日から発売されました。夏休み期間にのんびりと普通列車で遠くまで出かけるというのもいいですよね。 さて、そんな青春18きっぷは、みどりの窓口のある駅で購入可能ですが、最近はみどりの窓口の係員が発券する磁気化券となっていることが多いです。しかし、その磁気化券が出回る前に当たり前にようにみられた赤い地模様の青春18きっぷは見られなくなりました。 しかし、その赤い地模様(私は赤軟券とよんでいますが、正しくは常備券というそうです)の青春18きっぷはJR西日本管内ではごく僅かに取り扱っている駅があります。例えば、私の住む奈良県では和歌山線の吉野口駅がありますが、ここは意外と人気があるようでいつだったか買いに行くと既に売り切れたあとでした。常備券は、そんなにストックがあるわけではなく、例えば100冊とかその程度だと聞いたことがあります。 まぁ、常備券でも磁気化券でも、青春18きっぷには変わりないのですが、ファン的には常備券の方が取り扱い数が少ないためにちょっとうれしいものです。そんなこともあって、吉野口へ買いに行こうかと思って考えてふとネットの情報を検索していると、今日出張で行く予定の姫路市郊外のJR播但線仁豊野駅で購入可能なことを発見! 仕事を終わらせて仁豊野駅へ。(仕事の現場から徒歩約40分もかかりましたが) 仁豊野駅は駅員が配置された駅ながら、磁気化券の取り扱いはない駅。こういうところに常備券がある、とネットの情報にありましたし、過去にもこの駅で購入したという情報がありましたので、駅員に尋ねたところちゃんとありました。 これが、私が赤軟券とよんでいる青春18きっぷの常備券です。発行駅である仁豊野駅のスタンプも押されています。 ご覧頂くとわかりますが、赤い地模様が特徴で、国鉄当時の青春18きっぷもこの赤い地模様でした。当初の青春18きっぷは、5枚綴りになっていて、切り離せて使えたのですが、その後このスタイルになっています。 そういえば、以前どこかの駅の赤軟券の青春18きっぷが1回分余ったので、金券ショップに売りに行ったことがあるのですが、そのお店の方がこんな赤い字模様の青春18きっぷはみたことがないとばかりに、かなり怪しそうに見ていましたが、「偽造じゃねぇよ、むしろマニア受けすると思うよ」って話しておきました。その後、価値の分かる人に買ってもらえたらいいなぁと思いました。 話をもどして、この夏休みに子どもたちを連れて、この切符を使って遠出しようと思っています。何処へ行くかはまだ決めていませんが、北陸方面へ行ってみたいなぁと考えています。
2014年07月03日
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今日は、上司と一緒に高石市へ出張しました。その際に利用したのがこの駅です。「南海 高師浜駅」(たかしのはまえき) この駅のある高師浜線は、南海電鉄の視線の一つ、高師浜線の終点になります。 高師浜線は、南海本線の羽衣から分岐して、途中に伽羅橋(きゃらばし)駅をはさんだ2駅のみ、わずか1.5kmの短い路線です。 高師浜という駅名ですが、駅の周りは全くの住宅地。海はすぐ近くにはなく、少し離れたところには工業地帯があって、日本を代表する化学工業の三井化学の大阪工場や大阪ガスの泉北製造所などが立地しています。かつては、少し北に位置する羽衣や浜寺と同じく白砂青松の砂浜の続く地域だったんでしょうね。このあたりは、昭和30年代前半までは有名な海水浴場があって、当時のフィルムをでは、大勢の海水浴客で南海電車が大混雑している様子を見ることができました。 また、これも羽衣や浜寺と同じですが、別荘地や高級住宅地としても知られたところだったと思われます。実際に、今でも洋館風の建物があったりしますからね。 そんな今ではすっかり住宅地の中の小さな駅となった高師浜駅ですが、駅舎自体はなかなか趣のある駅であります。洋館風のしゃれたもので、入口左側の自販機が邪魔っけですけどね・・・。 洋館風のしゃれた建物を印象づけるものとして、こんなものもあります。ステンドグラスです。このようなものが設けられた駅って、なかなか最近ではみかけませんよね。 改札口近くの窓のカーブや、窓枠にも特徴があって、なんだか優雅な感じにもみえます。かつては、この改札口を抜けて多くの人が海水浴に行っていたのでしょうか。また、夏の暑い日に、この窓を開け放して涼しい風を入れていたとか・・・。 ホームはこんな感じの一本だけ。もちろん単線です。1970年に全線高架化されたそうで、おそらく旧国道26号線(現:府道204号線)の交通量増加によって高架されたのではないかと・・・。 運行されているのは、南海の支線用の2200系。このブログでも前に紹介しましたが、かつては南海高野線で急勾配区間も走ることができる急行用車両でした。 そういえば、私が子どもの頃に高師浜線を利用したことがあって、その際は1両編成の車両が行ったり来たりしていました。車両は1521系という古い車両でしたが、その車両が引退後は、この2200系が運行されています。2200系は2両編成なので、輸送力としてはオーバー気味かなってね・・・。 そんな高師浜線に久しぶりに乗ることができて、わずかな移動距離でしたが楽しめました。
2014年06月04日
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先日、ガゼルスの試合では、淀川河川敷の毛馬グラウンドへ行きましたが、この近くには前にも紹介しましたがJRの城東貨物線の「赤川鉄橋」があります。複線用の幅があるにもかかわらず、長らく片方は人用(自転車も可)の通行橋として使われていましたが、昨年の10月末をもって複線化工事のために廃止されてしまいました。 それを示す看板です。 この橋が渡れないとすると、結構な遠回りになるそうです・・・。 鉄橋には、このように約2mのバリゲートがされているため、かつて人が歩いていたところの状況はわかりません・・・。 鉄橋の南側はこのようになっています。元々単線使用だったわけですから、複線用に敷地を広げて線路を敷くための工事がなされています。 ところで、この城東貨物線が複線電化されて以降はどのような使われ方をするんでしょうね。百済貨物駅(JR大和路線東部市場前~平野間)におけるコンテナ貨物の取扱いが増えている(梅田貨物駅がなくなったため)ので、それの対応と言うことはあるでしょうけど、元々は新大阪へ接続して関空と結ぼうという話もあったかと思います。今の関空へのアクセスは、過密路線である大阪環状線を通るために、よく遅れが発生するわけですから、その対応ということもあるでしょう。 ただ、前にも書いたかもしれませんが、ネックになるのはこの城東貨物線からどうやってJR阪和線に接続するかということ。普通に考えれば、「新大阪~(城東貨物線)~JR学研都市線鴫野、放出~(おおさか東線)~JR大和路線平野駅(大和路線)~天王寺」となるでしょうか。でも、これには問題点が多いわけで、 (1)JR学研都市線も過密路線である。 (←鴫野~放出間が複々線化されるようですが・・・) (2)JR大和路線もそれに近い。 (3)天王寺で進行方向が変えざるを得ない。 ということがあろうかと思います。 特に、海外からの利用客が多いと思われる列車で、列車の進行方向が変わるというのは、利用客は理解してもらえるのかな・・・。(JRの特急では、途中で進行方向が変わるものは全国的にもありますが・・・) ところで、JR大和路線久宝寺駅~JR阪和線杉本町駅間にあった阪和貨物線は、廃止されてしまってすでに線路が外されてしまっているし、ここへ新たな路線を設けるということはないようです。何らかの形でここが残っていたら、可能性はあったかもしれませんけど、これとて列車の進行方向が変わるからなぁ・・・。 ちなみに、どっかの首長のお馬鹿な発言みたいに大阪市営地下鉄にJRの車両を走らせようとしたり、リニア路線を作ろうとするようなことはありえませんけどね。 話を戻して、どんな利用がされるのか。完成はまだまだ先のようですけどね・・・。
2014年05月21日
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私は通勤時、定期券はJRはICカードのICOCAを、地下鉄(大阪市交通局)は磁気化券を使っています。地下鉄にもICカードがありまして、関西の私鉄と共通のPiTaPaがありますけど、特殊なパスケース以外はICカードを複数入れると改札機で読み取れないケースがあるのです。そういうこともあって、JRは早々とICカードにしたものの、地下鉄だけ磁気化券を使い続けていました。 しかし、地下鉄のHPをみていると、なかなかお得なものがあることが分かりました。それは、地下鉄の「マイスタイル」というもので、登録駅(乗車駅と降車駅)を設定すると1ヶ月の定期券の上限額までなら登録駅相互間のみならず、登録駅周辺の駅へ行ってもOKというものなんです。 例えば、登録駅を天王寺と天満橋に設定すると、最大で次のところまで行くことができます。 中央線:深江橋~阿波座 御堂筋線:淀屋橋~昭和町 四つ橋線:肥後橋~花園町 堺筋線:扇町~天下茶屋 長堀鶴見緑地線:京橋~大正 千日前線:阿波座~小路 谷町線:南森町~文の里 今里筋線:(利用できず) これをみると、なんばや心斎橋には行くことができますが、梅田は無理なんですね。いやはやうまくできていますわ~ あと、登録駅以外の駅を利用する際には、必ず登録駅で乗車又は降車しなければならないなど、制約もあるんです。そうでなければ、別途料金が必要ということで、利用するときにはちょっとした工夫が必要です。 例えば、なんば~天王寺間や心斎橋~天満橋間の利用はOKだけど、なんば~天下茶屋や南森町~日本橋間はNGなんです。また、磁気化券で利用していた谷町線の天王寺~天満橋の途中駅である谷町四丁目~四天王寺前間は今まではOKだったのに、マイスタイルではNGになった、ということもいえます。 そんなこともあるのですが、思い切って地下鉄もICカードにしました。ただ、ICカード2枚を今持っているパスカードに入れることは、そのままでは読み取りエラーになってしまいます。パスカードを買い換えるというのもあるんですけど、ネットでこういうものを見つけました。 「アイクレバーカード」です。 これは、2枚のカードがセットになっていて、それぞれのカードをICカードの下に重ねてパスケースに入れるだけ。すなわち、パスケースの表にはICOCA、ひっくり返して裏側にはPiTaPaというようなセッティングにして、改札機では、読み取り装置から少し離して読み取らせる、とのことが書かれていました。そして、実際にやってみましたが、ICOCAの方は問題なく読み取るのですが、PiTaPaの方はうまくいきませんでした・・・。 やってしまったかなぁ(失敗したかなぁ)と思ったのですが、少し離すのではなく、直接タッチする形にしてみるとなぜか読み取ってくれました。それでも、ある特定の改札機はどうもうまく読んでくれないようです・・・。向きもあるようなので、それも試しているんですけどね・・・。 まぁそれはさておき、概ねうまくいっているし、どうしても読み取りエラーになれば、面倒だけど直接カードを取り出してタッチさせています。 そういうこともあって、とりあえずうまく利用できているので、ようやくこうして紹介させていただいているというところです。
2014年05月12日
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先日、ガゼルスの試合で浜寺公園で試合がありましたが、その際に阪堺電気軌道で移動しました。阪堺電気軌道は、全線利用で200円均一となっておりまして、かつては大阪市内~堺市内だと290円でした。利用者を増やすために事実上値下げとなりました。 阪堺電気軌道の車両は、全面広告車が多くて、この車両もキン肉マン仕様になっています。この車両はモ501形、昭和32年製のプロパー車です。古い車両ですけど、派手な色合いのためにそうはみえません。 この電停は、浜寺駅前でして、ここからすぐのところにあるのが、南海本線の浜寺公園駅です。 前にも紹介したかもしれませんが、現在は羽衣駅以北が高架工事の真っ最中で、この駅もいずれは高架駅になるとのことです。 あえて引きの写真にしていますが、駅前周辺はすっかり家や店が立ち退きになって、寂しくなっています。駅自体は、昔のままで残っていまして、この駅はどのような処遇になるのかわかりませんが、うまく利用してくれたらいいんですけどね。 この写真もいずれは懐かしく思う時期が来るのかもしれません・・・。 ちなみに、この駅は東京駅を設計した辰野金吾氏の設計で、1907年に建設されたものです。
2014年05月04日
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路面電車が走る街って、日本では少なくなりましたが、大阪市内には阪堺電気軌道ががんばっています。 さて、路面電車の停留所は「電停」といいますが、大概は道路面よりも一段高くなっている(安全地帯といいます)のが一般的です。 電停とはいえ「駅」の一種なんですから、道路上で自動車に轢かれないようにする必要があるために、安全地帯を設置しているわけです。 ところが、例外があるのは世の常。その阪堺電気軌道には、こんな電停があるんです。 「塚西」電停です。 この写真からも、「どこに電停があるの?」って思えるような感じです。 実は、この写真の白線の内側が、「塚西」電停です。 えっ?! 一段高くなってないじゃんって? はい、その通りです。ここは道路幅の関係で、安全地帯を設置することができなかったわけですね。 だから、電車を待つ間は、この白線の内側にいると車に轢かれるので、少し離れたところで待っていて、電車が止まってくれたら乗り込むということになります。 実際、電車に乗り込む時も、信号待ちで停まっている車の横を横を通って、ドアを開けてくれている電車に乗り込みました。なかなかスリリングな電停ですけど、阪堺電気軌道にはこの塚西以外にもあります。(広島の広電にもこのような電停があったかな・・・) ちゃんと時刻表もあるのですが、安全地帯がないので、一番上の写真の塚西電停の案内看板のある電柱にありました。 ところで、車に乗っている場合、このような電停に出くわしたとき、車の運転手は何に気をつけたらいいでしょうか? 運転免許の試験でもあったかと思いますが、覚えておられますか? 正解は、車は路面電車の後方で待機、路面電車の利用客の乗降を待って、路面電車が動くまで待っていなければならない、でしたよね。 ところが、そういうことが理解できていないヤツもいてるわけで、私が路面電車を降りようとしたときに、黒のプリウスに轢かれそうになりました。路面電車の運転士が私に注意を促してくれたから大丈夫だったけど、黒のプリウスの運転手、調子にのんなよ、ボケが! 話を戻して、路面電車がこの電停に停まって客扱いをしている様子を写真に撮りたかったのですが、ロケ的に難しかったのでできませんでした・・・。 ちなみに、写真の電停は恵美須町方面に位置していますが、逆のあびこ道・浜寺駅前方面の電停は、きちんと安全地帯が設置されています。
2014年05月02日
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先日、阪神電車に乗った時に、車体番号を見て「おっ!」って思って写真に撮りました。 ん? なんじゃこりゃ? 縦線が4本って?! いえいえ、これは阪神の1000系という新しい車両の1111号の車体番号です。阪神電鉄の車両は、伝統的にゴシック体の切り文字を車体に貼り付けています。他の会社だったら、車体に直接書いてあったり、プレートに車体番号を書いてそれを車体に取り付けていたりしていますけど、阪神の車両は例外なくこのパターンです。 そういえば、阪急や近鉄もこのパターンですね。 私はキリ番とかゾロ目とか、そんなに気にしない方なのですが、この日乗った車両がたまたま1111号だったので、停車中に撮影しました。 ちなみに、この1111号というのは阪神電鉄の車両にとっては二代目になるそうで、初代は1934年から製造された小型車(昔の阪神電鉄は、車体長が15m足らずの車両が多かった)が初代にあたるそうです。
2014年04月28日
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先日、西宮へ行きましたが、その際に阪神武庫川線に乗りました。阪神武庫川線は、阪神武庫川駅から武庫川の右岸に沿って南へ伸びる支線で、武庫川団地のある武庫川団地前までを結んでいます。高速で走る阪神電車とは別世界ののんびりとした光景が広がっています。 阪神の本線の武庫川駅は、武庫川の川の上にホームがある変わった駅なのですが、それはまた別の機会に紹介するとして、武庫川線の武庫川駅は本線の駅から神戸方面へ少し歩いたところにあります。 武庫川線は、単線で列車の編成も2両編成です。使われている車両は7861形で、かつて阪神本線を代表する急行型車両だった7801形の流れを組む車両です。私にとって「THIS IS 阪神顔」と思える車両で、今の職場に勤めてから阪神電車に乗った時、右を見ても左を見てもこの車両だったので、余計そう思いました。また、子ども向けの鉄道本にも、この車両が紹介されていましたし・・・。 話がそれましたが、武庫川線の途中駅は、東鳴尾、洲先でいずれも無人駅となっておりまして、前出のとおり単線ですからノロノロと進みます。とりあえず、終点の武庫川団地前まで乗ってみました。 武庫川団地前に到着する列車内から撮りましたが、武庫川団地前は駅前にスーパーがあって、武庫川線沿線もそうなのですが、住宅地の中にありますので、特徴はあまりありません。この付近は、私が西宮に住んでいた時に何度も来たことがあるので覚えていますが、ちょっと様変わりしていました。 ちなみに、この武庫川団地前駅が開業したのは1984年で、それまでは一駅前の洲先駅まででした。多くの団地や住宅ができたことで、延長されたんですね。 さて、時間があったので、一駅歩いてその洲先へ行ってみることにしました。 一つ武庫川寄りの駅が洲崎駅です。 この武庫川線は、1984年に洲先~武庫川団地前間が延長される前は、この駅が終点でした。もっというと、この路線は、かつては今の武庫川団地周辺にあった川西航空機(現・新明和工業)向けにつくられた路線だったようです。(当時の洲先駅も、今の武庫川団地方面にあった模様) 写真からもお分かりいただけるかと思いますが、単線の線路に片側のホームがあるだけの駅で、写真左側には武庫川の堤防があり、右側には住宅地が広がっています。 そうこうしているうちに、武庫川行きの列車がやってきました。 こうして、2両編成の車両が行ったり来たりしているわけですが、朝夕にはもう一編成が投入されて、東鳴尾駅で交換しています。東鳴尾駅はなかなかロケーションが面白かったので、またの機会に紹介したいと思います。
2014年04月25日
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5月11日の営業運転を最後に廃線となるJR江差線の木古内―江差間で、駅名板などの窃盗被害が相次いでいる。 鉄道ファンの間では廃止駅の鉄道備品は高額で取引されており、昨年6月には盗んだ駅名板をインターネットオークションで販売した男が逮捕された。「盗(と)り鉄」と、苦言が呈せられている一部の鉄道ファンの悪行に、関係者は神経をとがらせている 「廃線間近の江差線の駅名看板は特に高く売れると思った」 昨年6月、盗んだ江差線沿線駅の駅名板をネットオークションに出品したとして、江差署は函館市の50歳代男を窃盗容疑などで逮捕した。男の自宅などからは廃止予定区間の神明、吉堀両駅に加え、北海道新幹線の開業に伴って3セク鉄道の駅になる渡島当別駅、函館線の駒ヶ岳駅など19駅の駅名板や時刻表、運賃表、広告看板が次々と見つかった。男は昨年4~6月に盗んだ駅名板などをネットオークションに出し、約20万円を売り上げていたという。 廃止区間の駅名板や両隣の駅も記した「駅名標」などの盗難被害は、JR北海道が国土交通省に木古内―江差間の鉄道事業廃止届を提出した昨年4月以降に集中している。男が盗んだ両駅以外にも今年3月までに7駅で駅名板などが何者かによって持ち去られ、廃止全9駅が何らかの被害に遭った形だ。 道警は窃盗容疑の捜査を続けつつ、沿線で警戒を強めている。ただ、9駅の多くは無人駅で、防犯カメラもなく、犯人逮捕の有力な手がかりは得られていない。JR北海道は「廃線が迫った時期に盗難対策のため予算や人員を割くのは難しい。気持ちよく廃線を迎えられず残念」(広報部)と話す。 道内のある鉄道ショップの男性店長は「駅名板の製作費は数千円程度だが、人気駅の場合、取引価格は4、5万円に及ぶこともある。廃駅となれば、何としても欲しがるマニアがいることから、取引価格はつり上がりやすい」と説明する。国鉄時代やJRグループ発足直後には、老朽化した駅名板などをファンに販売するイベントがあった。最近ではイベントの開催数が減っているといい、そうした事情も価格上昇を招く一因とみられる。 鉄道ショップでは明らかに盗品と分かる場合には道警に通報している。ただ、「盗品かどうか判断するのは難しく、多くの場合、持ち込んだ人の話を信じるしかない」(男性店長)というのが実情だ。 鉄道備品の盗難被害は道内に限ったことではない。例えば、鳥取県の若桜(わかさ)鉄道では2011年3~6月、8駅の時刻表や運賃表が盗まれている。鉄道評論家の川島令三さん(63)は「自己満足のため、駅名板などを盗んで利用者や鉄道会社に迷惑をかけるのでは、鉄道ファンとして恥ずかしい。ファンを自任するのなら廃線を静かに見届けるべきだ」と話している。【読売新聞ネット版から引用】 本文にもありましたが、『気持ちよく廃線を迎えられず残念』というコメントがこの事件を物語っていますよね。私は鉄道ファンの端くれですが、同じ鉄道ファンとして情けないですよ。「撮り鉄」ならぬ「盗り鉄」って、完全に犯罪者じゃないですか。心痛まないんですかねぇ、ってどうせ痛まないからこんなこと、平気でやるんだろうけどさ。 盗るヤツは、自分のコレクションとして持つのではなく転売目的、すなわち元手はタダでネットオークションとかで大儲けしようというはしたない腐ったやつなんでしょうなぁ。ホント鉄道ファンなんて思えない、ただ単なる犯罪者、窃盗犯。日本人か?って想いたくなりますわな~ 廃線前に限らず、鉄道ファンでない一般の人には信じられないかもしれませんが、例えば鉄道車両の銘板とか車内の製造メーカーのプレートなんかは、格好のネタになるとか・・・。駅貼りポスターなんかは、予め駅員さんに頼めばもらえることがある(私はかつてそうやってもらいました)けど、人気のあるものなら勝手に持っていくバカタレがいるという話も聞いたことがあります。 パクるヤツは、マンホールの蓋でも、公園の鉄柵、工事現場の配線などなんでもパクるわけですが、鉄道車両や駅名板なんて、そこにあるから価値があるって思わないのかな。廃線になったり、廃車になったときに、ちゃんとした手続きを経て手に入れたほうが後ろめたくないのにね・・・。 まっ、こんなことをここで書いても、パクってでも手に入れて大儲けしようと企むバカタレにはわからんだろうけどな。どうせ、そのうち本文に書かれていたようなヤツ同様、窃盗で捕まえるだろうけどさ。
2014年04月21日
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私が時々利用する阪神電鉄では、来月1日から三宮駅の名称が「神戸三宮」と改称されるとのこと。阪急電鉄が一足先に改称されているので、それに続く形になります。 もっとも、車内アナウンスでは、以前から例えば、「この列車は、神戸・三宮行き快速急行です」などとしていたので、違和感はありません。ただ、「神戸三宮」というのが正式名称になるわけですから、今後の停車駅の紹介では、例えば、「停車駅は、尼崎、甲子園、西宮、芦屋、魚崎、御影、神戸三宮、元町、高速神戸・・・」ってなるでしょうから、慣れるまでは時間がかかるかも。 それと、三宮改め「神戸三宮」と以前からある「高速神戸」、両方とも「神戸」がつくのでややこしくないのかな。JR神戸駅の最寄りは、「高速神戸」なんだけど、そのあたりを知らない人は間違えないかなってね。 さて、この写真は、ある日の三宮行き快速急行の表示です。車体色からもわかるように近鉄の乗り入れ車両なのですが、このような表示もいずれは貴重になりますね。幕が交換されたら、「神戸三宮」というものになるでしょうから。LED式のものなら、システムをちょっと変更すれば、たちまち対応できますけどね。 ちなみに、この写真の「快急」の表示は青くなっていますが、これは阪神線内の快速急行の表示は青、近鉄線内は赤色表示で「快速急行」となります。それぞれの会社で、快速急行の表示の色が異なるので、途中の駅(確か桜川だったかと思います)で変更しているようです。 それから、ついでの写真で、加えてケータイのカメラでギリギリの望遠で撮ったものできれいな写真ではないのですが、尼崎駅の電留線で休む阪神の車両です。今では、阪神の新しい車両が多く走っていて、山陽や近鉄の車両も走るのが見られますが、やはり阪神電車の車両といえば、この色(左:急行系、右:普通系)とほぼ同じようなスタイルの車両ではないでしょうか。 私にとっても、1996年から3年間、毎日のように利用した鉄道ですから、これらの車両の方が実はしっくりくるものですね。
2014年03月07日
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JR大阪環状線の弁天町駅に隣接している「交通科学博物館」。1962年に大阪環状線の開通記念事業の一環として設置されて以来52年間、私のような鉄道ファンの聖地として存在していました。1962年というと、まだ東海道新幹線が開業していないわけですから、その歴史の長さを感じます。 屋外に展示されている車両の一部には、このようなヘッドマークが掲げられていました。 まだ1ヶ月あまりありますが、おそらくたくさんの方が来られるんでしょうね。 閉館を前に、建設当時の写真も展示されていました。この写真は、施設の入口付近です。 このような建設当時の写真を見るのが好きな私、ワクワクしながら見ていました。 これは、開業後に制作されたと思われる施設のパンフレットのようです。「日本国有鉄道 関西支社」と書かれていますから、国鉄が社内用やメーカーへの配布用に作ったのではないでしょうか。 あとでも出てきますが、ここに展示されている車両は、本物と同じように作られたレプリカなのです。写真の新幹線は、実際の車両と同じように造られていることを表すものとなっております。 そのようにして造られた車両のうち、国鉄を代表する名機EF58形電気機関車のレプリカがあったのは、私は知りませんでした。 知らなかったといえば、東京~大阪間をわずか14分で結ぶ夢のような鉄道の計画もあったそうで、真空になったチューブ状の中を列車を走らせるものだったようです。ただ、理論上可能でも、人間が乗るにはどうだったんでしょうね・・・。でも、そういったことを大真面目に考えて、少しでも速い列車をつくろうという意気込みは今も昔も変わらないと思います。 それから、現在京都の梅小路蒸気機関車館で保存されているC53形蒸気機関車も、かつてはここに展示されていて、しかも開設当初から展示されていたとか。 さて、私が初めて交通科学博物館(昔は交通科学館という名称でした)に連れてきてもらったのは、確か小学5年生の1978年頃だったと思います。それ以前から親に頼んでいたのですが、なかなか連れて行ってもらえず、ようやく連れて行ってもらえることになったときには、大喜びで前の晩は眠れなかったような・・・。 そして、屋内に入ってまず目に付いたのが、これでした。 蒸気機関車のプレートの数々です。機関車本体はすでに解体されてないのですが、かつて存在した証を表しているようです。 それから、やはり新幹線ですよね。これも写真や子ども用のおもちゃでしかみたことがなかった新幹線、乗ったことも見たこともなかったあこがれの車両でした。実際に新幹線に乗ることができたのは、1986年に就職して東京へ行ったときですからね・・・。 ちなみに、ここに展示されている0系は、1964年開業当初から運行されていた「21-1」など最初期の車両です。 これはレプリカなのですが、新幹線開業前に東京~大阪間を6時間30分で結んでいた151系特急電車のレプリカです。ホント、ここまできちんと造り込んでいるのは、立派だと思います。 それから、鉄道模型を使ったジオラマも楽しみの一つでした。ちょうど行った時には、この日の運転は終了していたのですが、本物そっくりの模型が行き交う様子を飽きることなく見ていたのを思い出します。 再び外に出てみると日本の鉄道の黎明期に活躍した7100形蒸気機関車の「義経号」が展示されていたり(ガラスケースの中に収められたようになっています)、その向こうには入ったことはないのですがホールがあります。このホールのある建物も、開設当初から存在しています。 ところで、私の子どもたちは残念ながら鉄道好きにはなりませんでしたが、それでもここには何度か連れてきたことがあります。その際に、この食堂車(ナシ20 24)で休憩したのですが、この日は営業していませんでした。土日と春・夏休みにのみ営業しているとか。屋外に展示されている車両は、塗色がきれいになっていたのに、このナシ20だけ褪せたままになっているのが残念でした。 この交通科学博物館は、古き良き時代の博物館を色濃く残していて、展示品も基本的には昔からそんなに変わっていないのではないかと思えるようなものが多くて、逆にそれが新鮮に感じることがありました。ただ、時代の移り変わりの中で、鉄道技術も大きく進化し、最新のものを展示しようとするとこの弁天町駅周辺となれば、場所の問題があって広げることができなかったんでしょうね。 今度、京都の梅小路蒸気機関車館に隣接して2年後に新しい交通科学博物館ができるとのこと、おそらく鉄道をはじめとする最新の技術が紹介されるのだと思いますが、どうか現在の交通科学博物館に展示されている古き良き時代の展示品も、何らかの形で展示してあげて欲しいと思います。こういう古い歴史を経て現在の技術に活かされているわけですからね。
2014年02月28日
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国鉄の分割民営化前には、多くのローカル線が廃止されていますが、兵庫県にあった国鉄高砂線もその一つです。高砂線は、加古川駅から国鉄の工場のあった高砂までを結んでいた路線で、元々は播州鉄道(→播但鉄道)という私鉄だったものが、戦時中に国有化されたものだそうです。しかし、1984年に廃止されてしまい、路線跡がわずか残っているにすぎません。先日、その様子を見てきましたので、レポートします。(当日は雨模様でした・・・。) スタートは、山陽電鉄尾上の松駅です。山陽電鉄は自動改札はあるのですが、駅員のいない駅があります。 かつてこの駅の近くに、国鉄尾上駅があったそうです。 駅から東方向に歩いていくと、山陽電鉄(山電)がオーバークロスするところをみつけました。この道路がかつての高砂線の線路跡のようです。 その途中には、このような記念碑がありました。 この裏に歴史が書かれていました。ポケットパークのような場所になっておりました。 そして、車輪がモニュメントのように置かれていました。 先程のオーバークロスの場所から、このようにカーブして高砂方向に向かっています。車輪のモニュメントは、道路の右側にありました。ここから、一旦山電尾上の松駅を通り越して、高砂方面へ歩いていきますが、線路跡は道路になっているので、線路があったことを示すものは皆無でした・・・。 しかし、しばらく歩いていくと、小さな川を渡る橋を見つけました。線路は撤去されて、歩きやすいように鉄板が貼られていますが、ここにはかつては線路がありました。その向こうに獣道が続いていますが、ここを線路が通って列車が走っていたんですね。右側の線路は、山電です。 さらに歩いていくと、同じような橋があって・・・、 このように横から見ると、きれいにレンガを積んでいる様子がわかります。横から見ていると、今にも列車が通り過ぎるんじゃないかって思ってしまいます。 ちょうど、山電の直通特急が通過していきましたが、かつては山電と国鉄高砂線のディーゼルカーが並んで走る、なんていう光景も見られたんでしょうね。 線路跡は、閉鎖されておらず、このように歩くことができます。近所の方も散歩されたりしているんでしょうね。 鉄道がなくなって30年が経ちますが、このような鉄橋は撤去されずに残っています。撤去するのもお金がかかりますからね。でも、維持するのもお金がかかるわけで、どのように維持されているんでしょうね・・・。 ここで線路跡は途切れています。山電は鉄橋でこの川(加古川)を渡っていますが、国鉄高砂線も同じように鉄橋で川を渡っていました。鉄道廃止後は、この加古川にかかる鉄橋は撤去されてしまったようで、橋脚も確認できませんでした。ベテランの鉄道ファンが撮影された写真には、ここにあった鉄橋を渡るディーゼルカーの写真がありました。 ところで、山電の列車内からもこの遺構はみることができるのですが、こうして間近でみるのは初めてでした。ちなみに、高砂駅から向こう、かつて国鉄高砂工場のあった場所は、三菱重工業の高砂製作所(高製)が拡張しているとか・・・。
2014年02月26日
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JR西日本では、大阪環状線を新たな重点線区と位置づけ、安全性のさらなる向上はもとより、総合的なブラッシュアップに取り組む「大阪環状線改造プロジェクト」をスタートさせました。その重点施策のひとつとして、平成29年度までに、新型車両を投入することを目指し計画を進めております。 大阪環状線では現在、1両あたり片側3枚ドアの車両と4枚ドアの車両が混在して走行しておりますが、新型車両投入に際してはドア枚数についても検討項目のひとつであるため、以下の期間、大阪環状線の朝通勤時間帯に3枚ドアの車両を集中運用いたします。【JR西日本 HPから引用】 今週の朝ラッシュ時において、大阪環状線で使用されている4扉の車両(103系、201系)に代えて、3扉の車両(221系、223系、225系)を使用して混雑度合いを測るようです。3年後に新しい車両を導入することを目指しているようですけど、今度導入される車両は3扉の車両になるのかもしれませんね。 といいますのも、現在の大阪環状線では、阪和線やJR大和路線から直通する快速(関空/紀州路快速、大和路快速、直通快速)は前出のように3扉、大阪環状線の主力の103系、201系は4扉ですから、乗車位置が異なるので統一しようということと、それに合わせてホームドアを設置しようという目論見があるのではないかと思います。ただ、乗降性だけをみると、3扉よりも4扉の方が大きいのは当然なんですけどね・・・。 それから、シートの向きは、現在使用されている103系、201系と同じロングシートになるでしょうけど、「3扉+ロングシート」というのは、私鉄では例えば阪急、阪神、京阪にはありますが、JRではありません。このあたりは、JR京都・神戸線の新快速に使用されている最新鋭の225系をベースにして、シートの向きを変更すれば対応できるだろうということだと思います。 ところで、国鉄当時には「3扉+ロングシート」の車両はありました。40系や60系とよばれていた車両で、私の実家のある阪和線でも活躍していました。これらは戦前の車両だったのですが、約80年の時を経て「3扉+ロングシート」の車両がJRで復活するかもしれませんね。 話を戻して、新しい車両が入るのはいいのですが、未だに古い車両が走る阪和線や大和路線には、そういった恩恵がないと思われるので、状態の良い大阪環状線の車両がやってくるのかもしれませんね・・・。 ちなみに、今回の試みに合わせて、網干電車区から221系4両編成×2本(クモハ221-66の編成とクモハ221-40の編成)が運行されているのを確認しています。
2014年02月19日
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JR東日本管内ではとっくに姿を消した国鉄の名車?の一つである103系。JR西日本管内では、数は減らしたもののまだまだ元気に活躍しています。私の実家のあるJR阪和線では、今日も活躍しています。快速運用は新しい223・225系が増えているようですが、普通列車ではバリバリの主力となっています。 去年の12月、杉本町駅から乗車する際に、少し写真を撮っていました。 水色の塗色がすっかりみすぼらしい姿になってしまっている103系、いい加減きれいに塗り直してくれたらいいんですけどね。 ちなみに、この車両は、クハ103-116なのですが、1968年に阪和線に投入されて以来、一度も他線区に移動したことがない阪和線はえぬきの車両の一つです。阪和線を走る103系も、他線区の新し目の103系がやってきて車齢の高い103系を置き換えていますが、まだまだ車齢の高い車両もいます。 この写真の向こうのホームにも103系の編成がみえます。こんな光景は、私が子どもの頃は当たり前のように、また就職してからも普段の光景でした。それが今になっても見ることができるのは、ファン的にはいいものですけどね・・・。 これは、杉本町駅を通過する特急「くろしお」です。先頭車両は、パノラマカーとなっています。このような形状の車両は、JR西日本でも少なくなりました。 ところで、杉本町駅は通過列車の待避ができる駅になっていますが、通過ホームにあたるところには、柵が取り付けられています。以前は、柵がなくてそこにも停車するパターンがあったんですけどね・・・。 ちなみに、これらの写真は、全てガラケーのカメラで撮っているのですが、停車している車両ならまだしも、通過する車両を撮影するのは難しいです。 話を戻して、近い将来大阪環状線に新しい通勤用の車両が投入されるとのこと。阪和線も同時に、って思いたいところですが、大阪環状線からの転属車がやってきたりするのではないでしょうかねぇ・・・。 こ
2014年02月10日
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先日、いすみ鉄道に乗車した話を紹介しました。国鉄の名車だったキハ28とコンビを組んでいたのが、今日紹介するキハ52です。 この塗色から、古い鉄道ファンの方は懐かしさを覚えるのではないでしょうか。オレンジとクリームのツートンカラーは、全国の非電化路線でおなじみでして、古き良き時代のローカル線という味を出していましたね。晩年はオレンジ色一色のいわゆる「首都圏色」になってしまいましたが・・・。 このキハ52も先日紹介したキハ28とともに、JR西日本からで使用されていたものを譲り受けたもので、晩年はJR大糸線の糸魚川~南小谷間という豪雪地帯で活躍していました。現役当時は、私も当該区間で乗車したことがあります。勾配区間でも対応できるように、エンジンを2台積んでおり、パワフルなエンジン音も魅力です。 大糸線当時はワンマン運用されていましたが、その当時の機器がそのまま残されていました。 室内は、大糸線で使用されていた当時のままほとんど手を入れていないようです。ワンマン運用当時の整理券発行機が邪魔ですが・・・。また、ワンマン運用に伴ってロングシートの長さが延長されたままになっています。 窓まわりです。 キハ52の窓まわりには、大きなテーブルが設置されています。先日紹介したキハ28にもテーブルが設置されていますが、もう少し小型のものが設置されています。 さて、このキハ52は1958年から製造された国鉄のキハ20系シリーズの一員で、1エンジン車のキハ20、北海道用のキハ21、それの改良型のキハ22、キハ20の片運転台(運転台が1つだけ)のキハ25などバラエティーに富んでいました。今ではJRの路線からは全て引退していますが、国鉄から私鉄に移籍したものや私鉄で類似のものを製造したものなど、ごくわずかですが残っているものもあります。 このキハ52 125は、昭和40年に新潟鐵工所で製造されておりまして、それを示す銘板が設置されています。 また、室内にも銘板が設置されていました。 今回は、上総中野~大喜多の間の往復で乗車しました。前回紹介したキハ28の場合は、元々急行用なので、いすみ鉄道のような路線には本来不釣り合いなのかもしれませんが、このキハ52の場合には元々がローカル線用の車両であることから、のんびりとした光景の広がるいすみ鉄道にはうってつけかと思われます。今回は乗車のみだったので、走行シーンの写真は撮ることができませんでしたが・・・。 ところで、このキハ52も(いつ?)移籍してきて塗装の傷みが目立つようで、この度前述の首都圏色に塗り替えられてしまうそうです。ツートンカラーって、意外と工程が多いそうで見た目以上に費用がかかるんです。ましてやいすみ鉄道のような小さな鉄道会社では、その負担が大きいかと思われるのである意味やむを得ないかと・・・。 ただ、このキハ52も国鉄当時には首都圏色も経験しているはずだし、あり得ないくらいの変な色に塗られてしまうくらいなら、首都圏色でもいいかなってね。ちょうど国鉄末期のイメージがでていいかもしれませんが、年々利用者が減り続けていた頃の塗色ですからね、個人的にはあまりいいイメージはないけど。 塗色以外にも、経年劣化も進んでいると思います。何とかいい状況をキープして、いつまでも現役で走行してほしいですね。そのためには、私もまた行く機会を作って乗車しに行きたいと思います。
2014年01月18日
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