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先日、福井へ行きましてえちぜん鉄道を利用しましたが、1年ぶりの利用でした。1年前と比べると、北陸新幹線の福井駅建設関連で工事が進んでいました。 えちぜん鉄道の主力車両の6100型が停車しているこのホームは、いずれ北陸新幹線のホームになるわけですが、えちぜん鉄道のホームは写真の左側に現在工事しているところになります。ここに1面2線のホームが完成して、新しく高架線路により勝山・三国方面へ線路がつながるというものです。 だから、このような仮線状態もいずれは貴重なものとなります。 この写真の右側は、JR北陸本線の福井駅のホームです。 先の写真と同じように、この写真を写しているホームはいずれ北陸新幹線のホームになります。 ちなみに、1面2線の新幹線の駅は、全国的にみても珍しいものになります。大概は2面2線(対向式。要するに、ホームが向かい合わせになる)が多いし、通過するための線路を備えた2面4線というのもポピュラーです。 なぜ、1面2線になったのか。単純に「土地がない」ということなのでしょうね。在来線ホームがあるし、えちぜん鉄道の線路もあるし。本来なら、西側の駅前広場の部分を少し削ってでも2面4線にすることができればよかったんでしょうけど、在来線ホームを移設しなければならないことになるので、それはできなかったんでしょうね。 いずれにしても、このような写真は貴重になるかなということで、撮影しておきました。
2017年07月05日
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「長距離列車なのに、荷物の置き場がないなんて。シンカンセンは快適な乗り物って聞いたけど、3時間近くも苦しい思いをするとは夢にも思わなかったわ!」ひかり号で東京から京都に向かっていた米国人観光客のジェーンさんは、大きなスーツケースを足元に置き、いかにもつらそうな面持ちだった。 訪日観光客が急激に増加する中、重そうなスーツケースやキャリーバッグを持って移動する外国人の姿を多く見かけるようになった。しかし、東海道・山陽新幹線をはじめとする長距離列車は、こうした「大荷物を持った旅行客」への配慮は十分とはとても言えない状況だ。今後、東京五輪に向け、個人で日本を旅行する外国人客がさらに増える中、少しでもスムーズに旅行してもらうためにはどんな工夫をしたら良いのだろうか。【東洋経済オンラインから引用】 確かに新幹線にはスーツケースなど大型の荷物を置くことができるスペースはありません。関空特急「はるか」で使用しているJR西日本の281系にはそれ用のスペースがあるし、今は閉鎖されていますがかつてはそのような荷物を専用に運ぶもっと大きなスペースもあります。新幹線にもそのようなスペースを作ればいいのですけど、さすがにドル箱路線でたくさんの人を運ぶことをメインに考えているだろうから、そんな余裕はないようで・・・。 さて、このブログでも以前取り上げたことがありますが、車両最後部の座席と壁との間のスペースは誰のものか? 常識で考えたら「その座席を確保した者」に優先権はあると思うんです。後ろの席の人のことを考えずに、思いっきりリクライニングすることができるし、大型の荷物も置くことができる。コンセントもあるから窓際の席でなくても工夫すればケータイの充電もできますし。 ところが、世の中には厚かましいヤツがいるもので、勝手に荷物をそこに置いていくバカタレがいるわけです。しかも、なんの断りもなく。「空いとるねんから使わせろや」っていうことか? なめんじゃねぇぞ! そのためにわざわざ予約して何日も前から確保しているのはこっちじゃって。 ネットのコメントでも、そんなケースがあるようで「迷わず『不審物がある』と車掌に通報」「その荷物に気にすることなく、リクライニングを倒す。(おそらくその荷物がどうなろうと知ったこっちゃない、ということか?)」などなど。私は、不審物があると通報する方かな、一度やったことがあるけど。できれば、『ホームに放り出す』ということをしたいんだけどね。昨今の海外のテロ情勢なんかを考えると、それが安全じゃないかということで。 まぁ、本文にもあったように、海外からやってきた人にとっては大きな荷物を置く場所がないというのはかなり不便だと思うけど、日本の新幹線などの鉄道車両にはそんな馬鹿でかい荷物を置くところなんてないということを理解した上で来て欲しいね。 話はそれますけど、私も仕事などで長期に出張する場合、大きなスーツケースで行ったことがあるのですが(国内ですよ)、さすがに邪魔だなぁって思いましたので、それ以降は予め荷物を別便で送るようにしました。費用はかかるけど、自分の精神衛生上もいいし、不特定多数の人の精神衛生場もいいだろうということで。そんな工夫をしないといけないのは面倒だけどね・・・。 話を戻して、ラグビーのW杯や五輪などますます海外から人がやって来るわけだけど、日本の移動手段を考える中でそんな馬鹿でかい荷物を容易に運ぶことができるか、ちゃんと調べてきてからきて欲しいね。
2017年06月24日
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今日は、畑作業が終わってから阪堺電車のあびこ道へ。 阪堺電車の我孫子道車庫での「第19回路面電車まつり」に行きました。大阪で唯一残った阪堺電車、利用客の減少という話も聞きますが、新しい車両を導入するなど意欲的にがんばっています。この路面電車まつりは、子どもが小さい頃に行ったことがありまして、それ以来になるかと思います。 やはり子供連れが多かったのですが、私のように鉄分の多い人も楽しめるものでした。 これは、モ161型で昭和3年製造の車両、阪堺電車がまだ南海時代に導入されたもので、古き良き南海電車をイメージする濃緑の塗装がいいですね。 これは、モ501型。昭和32年に導入された車両で、当時の大阪市電3001型をイメージしたような車両で、元々冷房はついていなかったのですが、現在では冷房も付けられて夏場も快適です。塗装も登場当時の塗装をイメージしています。 屋内の車庫には、モ161型の僚車もいました。162号は少し明るめの緑色ですが、南海の車両といえば私のとっては今でも緑色のイメージだから、こっちのほうがしっくりくるんだけどな。 ん? なぜこんなところに京都市電が?って思われるかもしれませんが、これはモ251型で元京都市電1801型でした。南海当時に移籍してきたのですが、車体の大きさが南海オリジナルの車両と比べると小さいので活躍の期間は短かったんです。移籍当時は濃緑の塗装で、既に引退しているのですが、京都市電当時の塗装に戻されていたんですね。私が子どもの頃に京都へ行けば、必ず目にしていたのがこの1801型だったように思います。 ちなみに、南海は1801型ではなくて、本当ならもう少し車体の大きい1901型を要望していたそうですが、1901型は広島電鉄への移籍が決まっていたので、1801型になったとか・・・。車体には、256号の車番の上に、京都市のマークもつけられていますね。 このような車庫の開放があると、グッズ販売も楽しみなんですが、このように車庫の隅っこで放置されている廃車体などを見るのも楽しみだったりします。 もちろん、グッズも購入しましたが、それはまたの機会に・・・。
2017年06月10日
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大阪市営地下鉄の警笛音は、「こだわってる!!音色」という。 ある晩、音楽バラエティー番組「関ジャム 完全燃SHOW」(テレ朝系、日曜夜11時10分)を見ていると、ピコ太郎のプロデューサーとして一躍有名になった古坂(こさか)大魔王が力説していた。 えっ? 仕事でしょっちゅう乗っているけれど、そんな貴重な音とは知らなかった。早速、御堂筋線のホームで耳を澄ませた。「ブァーン」というパイプオルガンのような、やわらかい響きが聞こえてきた。 大阪市交通局によると、もともとは「プヮーン」と鋭く響く「空気笛」を採用していた。しかし、地下鉄の場合、電車が駅に入線するときはもちろん、駅を出発するときも、トンネル内にいる作業員に接近を知らせるため、警笛を鳴らすのがルール。地下では、地上よりも警笛音が響くため、乗降客を驚かせることも少なくなかった。そこで、1989年、聞き心地のよい電子警笛を採用することを決めたという。(中略) 実は、大阪市交通局では、数年前にこの音の正体を突き止めようという機運が持ち上がった。絶対音感を持つと自負する職員3人が電子警笛の音を聴き、「ミラド#」の和音で構成されていると確定した。「長年の謎が明らかになった」と話題になったそうだ。【朝日新聞デジタルから引用】 毎日利用している大阪市営地下鉄の警笛音は、確かに他の地域の地下鉄、JRや私鉄の車両と比べても一種独特となっています。音を文字で表現するのは難しいのですが、「ブォーーーン」って感じかな。絶対音階を持つ人の話では、「ミラド♯」だそうですけど、全然わからんなぁ~ 大阪市営地下鉄も、以前は一般的は「プァーーン」という音かちょっと甲高い「プァーーン」だったんですけどね。聞きやすいかどうかはどうなんだろう・・・。ちなみに、かつて堺筋線や阪急京都線・千里線に直通運転していた60系はまた別の音でしたけどね。 警笛音は、会社や車両の特徴を表すのでその地域に行って列車に乗るときの楽しみにしています。近鉄は、軽自動車のような「ビーッ!」っていう電子音と少し低い「ファーン!」っていう空気笛を使い分けているし、JR西日本ではミュージックホーンが多くなっています。 警笛音は、普通は危険なときに鳴らすのですが、会社によっては列車の出発時に鳴らしたり、駅に入線する際に鳴らすこともあります。まぁあまり危険なことをして鳴らされることはダメですけど、聞くことができたら、会社によっての聴き比べをするのも面白いと思いますよ。
2017年05月31日
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今日13日の夜中に、JR大和路線柏原駅の西側の線路配置が変わるそうで、13日の最終列車の普通王寺行が久宝寺行になって、久宝寺から王寺の間は代行バスによる輸送になるそうです。 このため、このような案内が表示されていました。 久宝寺から八尾行、高井田行、王寺行の代行バスが運転されるみたいです。土曜日の最終列車ですから、どのくらいの利用客がいるのかわかりませんが、代行バスは何台くらい準備されているのか、そのバスはどこの会社のものなのか興味があるのですが、明日は草野球の試合があるので見に行くことができません(苦笑)。 さて、柏原駅の西側の線路切り替えってどのようになるのでしょうか。 現状の線路配置はこんな感じ。手前の線路は天王寺方面へ向かう普通列車が使用している線路。その右側が天王寺方面への通過列車が使用している線路です。さらにその右側が奈良方面の線路です。 どのように切り替わったのか、またわかれば紹介したいと思います。
2017年05月13日
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先日、南海和歌山市駅へ行った時に、駅の設備でちょっと懐かしいものを見つけました。 列車の発車時刻を表示する案内です。数字や行き先がパタパタと音がするため、通称「パタパタ」なんて呼ばれているみたいですけど、かつては大きな駅に行くとこのようなパタパタがありましたよね。そのパタパタの表示の中から、廃止された列車名やあまり見かけない行き先を一瞬ですが見つけるのを楽しみにしていました。 最近は、大きな液晶パネルなどに表示されることがあって、格段に見やすくはなっているのですが、ちょっと味気ないなぁってね・・・。 南海和歌山市駅ではまだまだ現役で、私が子どもの時から状況は変わっていません。最近は見かけることが少なくなったので、貴重な設備だと思います。
2017年04月24日
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先日、近鉄で移動した際に大和西大寺駅(西大寺)で特急の切り離し作業を見ることができました。列車の切り離し作業は、私が利用するJR王寺駅でも行われていますし、近鉄でも例えば近鉄大阪線の名張駅でも増解結されるのですが、特急を切り離すというのは初めてでした。 近鉄京都駅から6両編成の特急が到着しました。前の4両編成の1~4号車が橿原神宮前行き、後ろの2両編成のA及びB号車が近鉄奈良行きとなっています。向かって右側が橿原神宮前行、左側が近鉄奈良行きです。 接続されていた貫通路の幌が外されていきます。 車両の中に幌が引き込まれました。 きちんと幌が車体に収められました。 車両の貫通扉が閉められようとしています。 向かって右側の車両の貫通扉が閉められました。 左側の車両の貫通扉も閉まって、駅員が旗を降って左側の車両が後ろに下がる準備をしています。 旗の合図で下がっていきます。 左側の車両が少し下がって停車しました。 完了しました。 もちろん、左側の車両が下がる際には、安全のために客室用の乗降用の扉は閉められています。かつて国鉄時代は、意外と開いたまま作業しているのを見かけたことがあります。今では考えられませんけどね。 それにしても、こういう光景って私だけではなく、ほかの人たちも見守っていました。西大寺において一日どの程度このような作業が行われているかは知りませんけど、近鉄の場合は、近鉄京都から奈良、伊勢志摩方面への特急が運転されていますから、この西大寺だけでなく、八木でも行われていると思います。また、タイミングが合えばみてみたいと思います。
2017年04月22日
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近鉄の特急車両の中でも最高峰の「しまかぜ」。走っている姿は何度か見たことがあるのですが、写真に収めるのは初めてでした。 大阪上本町駅で奈良方面へ行く時に偶然写すことができました。地下ホームだし、人が多い時間帯では、一瞬で撮らないといけないから難しいですね。ましてやケータイのカメラだから・・・。 「しまかぜ」の車両は、特徴ある先頭車部分で、中間車両も外からしか見えませんでしたが、なかなか魅力的。いずれは乗ってみたいと思うのですが、いつになることやら・・・。 そういえば、明日から毎年春恒例の「劇場版名探偵コナン」が上映されますよね。今回の作品は、京都が舞台とのこと。もちろん、見に行くことにしていますよ。 ところで、劇場版名探偵コナンの作品においては、いつだったか海上保安庁全面協力というような作品もあったかと思いますが、この近鉄の「しまかぜ」やビスタカーだったら個室もあるし、いろんなトリックとかも使えそうだし、大阪、奈良、京都、伊勢志摩、名古屋と舞台になりそうなところもたくさんあります。 青山剛昌先生、近畿日本鉄道に全面協力してもらっての作品なんていかがでしょうか? ってね。
2017年04月14日
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1987年4月1日に発足したJR。それまでずっと日本国有鉄道(国鉄)だったのが、北海道、東日本、東海、西日本、四国、九州と貨物のぞれぞれの会社に分割民営化されてしまったわけですが、そもそもそのようなことになったのは、国鉄の甘い体制にも問題があったのだろうけど、最大の原因は政治屋でしょうね。自分の選挙区に鉄道を敷くという「我田引鉄」が在来線のみならず、新幹線においても行われてきたわけでしょ。そりゃ「国鉄」だもん、国(=政治屋)の意向には逆らえないわな。それがどうなったかは、今更説明する必要はないわけですが・・・。 さて、分割民営化された結果どうだったか。確かに、分割された会社それぞれで趣向を凝らした車両が登場したり、サービスも格段によくなったと思います。ダイヤの見直しも比較的やりやすくなったのではないかと思います。 しかし、東日本、東海にあっては首都圏のような人口密集地があったり、新幹線のようなドル箱路線による収益が見込まれるところはいいものの、北海道や四国は単独で事業を行うのは厳しいのではないかと個人的にも思っていました。だって、北海道の場合はかつてのような産炭地は閉山して貨物輸送は見込めないし、固定的に鉄道を利用してくれる人よりも、札幌など都市圏を除けば車利用の方が多かったりするわけです。四国にあっては、国鉄時代から如何に鉄道の利用を促進するかといった話があったように聞いています。まぁ、四国の場合はまだ規模が小さいながらも瀬戸大橋のおかげでなんとか持ちこたえているかと思いますが、北海道の場合は現行路線のかなりの部分を維持するのが厳しくなっているという話は最近もあったかと思います。 そうなってくると、単純に地域ごとに分割したのがよかったのか、というところに行き着いてしまうわけですがどうなんでしょうね。九州においては苦戦するかなって思ったのですが、かなりユニークな取り組みをして頑張っていますから、アイディア次第で乗り越えることもできるということなのでしょうかねぇ。 あと、国鉄分割民営化前には、新会社(=JR)にその時点で全ての国鉄職員を採用するわけには行かない、すなわち余剰人員が多すぎるということで新規採用が行われませんでした。その結果、職員の年齢構成のバランスがおかしくなって、ベテランと若手の差が大きくなってしまったのもよくないことだと思っています。ちょうど私が就職しようとしていた時期が正しくその時で、国鉄に勤めたかった私にとってはどうしようもない状況でしたけど、その当時は「絶対あとでなんらかの問題がでてくるだろう」って思っていました。年齢構成って結構大事だとその当時から思っていたのですけど、その何年かあとに福知山線の脱線事故などがありましたから、余剰人員の問題とあわせてもっと考えないといけなかったんじゃないかって思っています。 さて、そんなJR発足30年を今日迎えたわけですが、1987年の3月31日から4月1日にかけて私は何をしていたか。就職して2年目を迎えようとしていた3月31日の夜に天王寺駅2番のりばにおりました。23:00発の快速新宮行に乗るためです。要するに、3月31日は国鉄、日付が変わって0時になってJRになる瞬間を列車の中で迎えたい、ということでした。こんなことを考えつくのは私ぐらいだろうと思っていたら、同じ考えのヤツらがたくさんいました・・・(爆)。 この時の快速新宮行は、国鉄の急行型車両の名車165系の6両編成で、満員のお客さんを乗せて出発、和歌山を過ぎたあたりで車掌さんから「国鉄からJR西日本に生まれ変わります」といった内容のアナウンスがあって、歴史的な瞬間に立ち会えたって感動したものです。今だったら、その瞬間に大騒ぎするバカタレもいるのでしょうけど、その時は車掌さんのそのような挨拶を静かに聞いていたように覚えています。 さて、その後はどうしたか。天王寺方面へ折り返す列車なんてありませんから、そのまま新宮まで乗車して、早朝5:07に新宮到着。折り返して朝一番の特急「くろしお」で天王寺に戻り、そのまま仕事に行きました。くしくも、子どもの頃に憧れていた381系「くろしお」にJR化後初めて乗ったのでした。 ちょっとそんなことを思い出しましたが、私は就職した1986年は国鉄だったんですね。今日から32年目の仕事になるんですね、あと何年勤められるかわかりませんが・・・。
2017年04月01日
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新幹線で座席の背もたれをマックスまで倒したら、後ろの乗客に怒られてしまった――。お笑い芸人の小籔千豊さん(43)がツイッター上でこう告白して、ネット論議になっている。 「怖くてどこまで倒してよいかわからないよ」。小籔さんは、2017年3月30日のツイートで、新幹線のリクライニングシートを倒したときの体験を告白し、こう言って嘆いた。 ツイートによると、小籔さんは、車内でリクライニングをマックスまで倒したところ、後部座席の乗客から怒られ、「すんません!」ととっさに謝罪した。リクライニングは、元に戻したが、「マックス倒していいと思ってた」というだけに、割り切れなかった。 そこで、「マックス倒したらダメなんすか?」と小籔さんが聞くと、この乗客は、「やりすぎでしょ!」とマックスはダメだと伝えてきたという。「1000回以上新幹線に乗り キレられたの初めて」だそうだ。 小籔さんは、「俺はマックス倒してよいに一票なんやけど」としながらも、「倒してよい角度おせーて」「JRとか規定はないんかな」とぼやいた。「倒してもいい角度までしか倒れない椅子にしていただけないでしょうか」とも訴えていた。【J-CASTニュースから引用】 あ~これわかりますね、どの角度までのリクライニングなら許されるか、あるいは許せるか。 普通に考えたら、「自分がやられて嫌な角度にはリクライニングしない」のでしょうけど、それも個人差があるからね・・・。 でも、本文の小籔さんだったら、逆の立場なら「オッサン、どこまで倒しとんねん!」ってキレるんでしょ、そんなキャラにしか見えないし。 まぁそれはさておき、車内放送でも「リクライニングを倒すときは、後ろのお客さんと相談して・・・」って言ってますよね。だから、後ろのお客さんがOKというなら、マックスまで倒していいんです。ただ、NGだっていうならそれに従うしかない。嫌なら、車両の端っこの席(すぐ後ろが壁の席)を予め確保するしかないでしょうね。ここなら、人の行き来が多いから落ち着かないかもしれないけど、リクライニングはマックスにし放題だから。 厄介なのが急に何も言わずに前の席の奴が座席をリクライニングしてきたり、途中駅から乗り込んだ時に、すでに前の座席の客がマックスにしているケースですね。前者の場合は、一声かけろって。ホント、自分勝手なヤツだと思いますよ。後ろから座席に蹴りを入れたくなります。 後者の場合は、前に座っているヤツにしてみたら、「後ろの席が空いていたからマックスに倒した」って言うんだろうけど、そんなの自分勝手ですよね。空いているけど、途中の駅から乗ってくるかもしれないわけだから、多少は遠慮しろということなんです。もちろん、後ろの座席に乗ってきたら戻すって言うなら別ですけど、大概の場合爆睡していますからね。それを起こされて逆ギレなんてされた日には、こっちだって気分悪いし。 そういえば、国鉄当時の在来線の特急車両の普通車の座席は、回転シートと言って列車の方向に合わせて座席の向きは変えられるけど、リクライニングしない二人がけのシートでした。その後、簡易リクライニングシートというのが登場して多少リクライニングするようになったのですが、角度も浅くて、しかも手でボタンをリクライニングの位置にしているときはいいのですが、ボタンが外れると急にリクライニングの位置から通常の位置に強制的に戻されるというものでした。(14系座席車の例)その後は、もっと改良されて、現在のようなリクライニングするシートになりました。 東海道・山陽新幹線においても、初期の車両はリクライニングしないし回転もしないシートで、方向だけが変わる転換シートでした。その後、途中から3列のシート(座席のA~Cのみ)においては集団離反式という車両の真ん中から座席の向きが固定されたシートになりまして、これは浅くリクライニングしていたと思います。(D~E席は回転シートで、こちらも浅くリクライニング) まぁ、グリーン車は在来線の特急車両や新幹線のいずれも、シート間隔が広いから大きくリクライニングしても問題ないでしょうけどね。 お互いが気持ちよく利用できるようにしてもらえればいいのですけど、最近は自分勝手な人が多いからなぁ・・・。
2017年04月01日
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大阪府と大阪市、JR西日本、南海電気鉄道、阪急電鉄の5者は、大阪都心を南北に貫く鉄道新線「なにわ筋線」に阪急電車が乗り入れる新たな事業計画で大筋合意した。 2030年の開通を目指す。建設構想の浮上から約30年を経て、なにわ筋線計画が新たな形で決着する。関西国際空港と大阪都心の所要時間が大幅に短縮できるだけでなく、各社の乗り入れで乗客の利便性が高まると期待される。 なにわ筋線は、JR大阪駅近くの再開発地区「うめきた」でJR西が建設中の地下新駅から、難波付近までを結ぶ。その後、それぞれの路線に接続し、関空に至る計画だ。梅田―関空の所要時間は現在の約1時間から最速40分以下に短縮する。 大筋合意した新計画は、うめきた新駅までの鉄道免許を南海が取得し、JR西、南海の両社は、新大阪―関空間を共同運行する。阪急は十三に地下新駅を建設し、うめきた新駅との間に新路線を敷いてなにわ筋線に乗り入れる。【読売新聞ネット版から引用】 なにわ筋線という路線の計画があって、関空と新大阪を結ぼうというものなんですね。文字通りなにわ筋の下に新路線の地下鉄を掘って、南海本線及びJRへそれぞれ乗り入れて関空へ向かうというもの。新大阪方面へは、現在関空特急「はるか」が運行されている梅田貨物線を使うのかなってね。新大阪~関空はJRと南海の車両を使うだろうから、なんとなくイメージは湧きます。この路線ができれば、現在大阪環状線を通っている「はるか」が分離されるので、多少は過密ダイヤが解消されるかもしれません。 今般、阪急も十三からこのなにわ筋線に乗り入れに名乗りを上げたとのことですが、わからないのはこちらの方ですね。まず、阪急は乗り入れるであろう南海とは車体長も線路幅も違いますから、どうするんだろうってね。もしかしたら関空乗り入れ用の車両を阪急が製造するのかな? わざわざ車体長も線路幅も違うのに、阪急もがんばりますね~ それにしても、新大阪~関空は新幹線と接続しているからわかりますが、十三~関空はどれくらい需要があるのかな。 それはさておき、なにわ筋線の開業予定は2030年だそうです。なにわ筋線内では、JRの「はるか」、南海と阪急の車両が走るわけか・・・。それはそれで興味深いけど、13年先ですからね。私は63歳か、もう仕事は辞めているから利用することはないかもしれないなぁ・・・(苦笑)。
2017年03月17日
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先日、松江に行った時に、玉造温泉まで列車で往復しましたが、なんとICOCAが使えたんです。 松江駅の改札には、見慣れた自動改札機があったので駅員にきいてみると、玉造温泉駅でも使えるとのこと。もっとも、玉造温泉駅にあったのは、近畿圏内では無人駅で見かける「出場」「入場」と書かれた装置でしたけど、ICOCAが使えることは間違いないですからね。 松江駅にもICOCAが使えるようになったことを示す広告がありましたよ。
2017年03月02日
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先日、仙台へ出張した際には、仙台市営地下鉄に乗車しました。仙台市営地下鉄は、南北線と東西線の2系統がありまして、両方に乗車することができました。地下鉄ですから写真に撮ることはできませんでしたが、広告に掲載されていたのを収めました。 ははは、広告だからちょっと遠いですね。 これは、東西線用の2000系です。この路線は、大阪市営地下鉄の長堀鶴見緑地線や今里筋線のような鉄輪式リニアモーター方式でした。車両も大阪市営の7000系や8000系のようにやや小さめの車体でした。 この仙台市営にも萌えキャラがあるんですね。 最近は、鉄道会社やバス会社で時折見かけますけど、どれくらい種類があるんだろう・・・。
2017年02月28日
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先日、松江に行った際に、特急「やくも」に乗ることができました。 ここでは、国鉄当時からの車両である381系が活躍しています。使用されている381系には、ちょっと変わった車両があります。 これは、元々中間車両(モハ381)だった車両に、先頭部分を取り付けて貫通路を作ったもの(クモハ381)です。これによって、増解結できるようになったわけです。 中間車両との連結部分はこんな感じです。貫通路がついているために、となりの車両へ移動も可能です。 381系も現役で運行されているのは、特急「やくも」だけ。 今度は、いつ乗ることができるかな・・・。
2017年02月25日
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さて、先日の出張では、磐越東線に乗る機会もありました。 磐越東線は、常磐線のいわき駅から東北本線の郡山駅までを結んでいる非電化の路線です。 このため、使用されている車両は、JR東日本のキハ110系という車両です。この日は、キハ111-108とキハ112-108の2両編成でした。 磐越東線は、阿武隈川に沿って走る路線で、車窓からは阿武隈川の流れをみることができました。雪は所々に残っていましたが、大半は消えていました。 磐越東線の駅は、どの駅もプラットホームの長さが6両分程度の長さがあるところが多かったのですが、今ではそんなに長い編成はないのではないかと。 途中駅の小野新町駅です。「おのにいまち」と読むんですね。 磐越東線には、「ゆうゆうあぶくまライン」という愛称がついているようです。 この小野新町駅までは、比較的すいていたのですが、この駅から郡山駅までの途中の駅からの利用客が多くなりまして、郡山駅近くになると立っているお客さんも多かったです。 郡山駅に到着しました。 この車両は、会津若松へ行く列車ですが、ここから新津までが磐越西線となっています。磐越西線は喜多方までが電化区間のため、このように719系などが使われています。 ちなみに、会津若松方面へはかなり以前に利用したことがありますが、今回は行くことができませんでした。
2017年02月19日
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先日の出張の際に、JR常盤線竜田駅に行く機会がありました。2011年3月11日の震災の影響で、福島第一発電所に近いJR常磐線は、今でもこの竜田駅から原ノ町の間がバスによる代行輸送となっています。 竜田駅の駅舎です。 小さな駅ですが、プラットホームが2面と3線の線路があります。 館田駅から北の方向を見ています。今にも列車が走ってきそうですが、北方向は列車は運転されていません・・・。 そんなこともあって、線路をまたぐように仮設の通路が設けられています。よって、向こうに見える跨線橋を通らなくても大丈夫なのです。 隣の駅は、富岡駅。富岡駅までは、2017年末までに運転再開されるとのことですが、震災から6年経ってもまだ復旧されていないんですね・・・。
2017年02月19日
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敦賀駅構内で見かけた速度の表記です。 「85」の下に、『681・683系』と書かれており、「80」の上に『485・489系』、「75」の下に『機関車』と書かれていますね。ここを通過するときの速度として書かれているわけですが、ここを走る「485・489系」はすでに定期列車はありませんから、不要のはずなんですけどね・・・。でも、時折このような表記を見かけることがあります。 いずれは、消されてしまうかもしれないので、こうして記録しておきました。
2017年01月21日
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敦賀駅構内で見かけた速度の表記です。 「85」の下に、『681・683系』と書かれており、「80」の上に『485・489系』、「75」の下に『機関車』と書かれていますね。ここを通過するときの速度として書かれているわけですが、ここを走る「485・489系」はすでに定期列車はありませんから、不要のはずなんですけどね・・・。でも、時折このような表記を見かけることがあります。 いずれは、消されてしまうかもしれないので、こうして記録しておきました。
2017年01月21日
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昨年12月24日から新たに運行を始めたJR西日本の新型通勤車両の323系。環状線利用ユーザーの方には、もうすでに乗車された方がおられるかもしれませんが、私は見かけるだけでまだ乗ったことはありません。 さて、この車両は環状線専用の車両なので、ほかの路線へは基本的には乗り入れることはないのですけど、先月の初めに私の住む王寺駅に停車しているのをみかけました。 試運転のようでしたが、当面はやってくる予定はないのでなかなか貴重かと。 それにしても、最近は軽量化をねらったステンレス車体が多いので、ほかの車両とあまり代わり映えしませんよね。ステンレスの車体なので、塗装するのもラインカラーくらいですから省力化が図られるからいいことだとは思いますけど・・・。
2017年01月14日
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先月、北海道へ行って特急「オホーツク3号」に乗りました。この時に利用した切符は、この写真のものでした。 JR北海道の「自由席往復割引きっぷ(Sきっぷ)」です。 札幌から滝川までは特急の自由席が利用可能、滝川から留萌までは普通列車しか運行されていないので、それで移動しました。 さて、切符をよく見ると、こんなスタンプが。 このスタンプは、車内検札の際に車掌さんが押してくれたものですが、JR北海道の789系のデザインになっていました。このようなスタンプは、大概は文字だけなのですけど、このようなスタンプはいいですね。
2017年01月08日
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先日、北海道へ行って留萌本線に乗車しましたが、留萌本線の起点となる深川までは特急「オホーツク3号」を利用しました。JR北海道には、新しいキハ261系という車両があるのですが、「オホーツク」はキハ183系が使われているとのこと。 この日は4両編成で運転されていました。 旭川側と札幌側と顔が違いますね。旭川側は貫通扉のついた車両です。 ちなみに、この日の編成は、旭川側からキハ183ー1555+キハ182 21+キロハ182ー2+キハ182ー211の編成でした。 キハ183系は国鉄当時の1981年から製造された車両なので、例えば車内の座席番号はちょっと懐かしいものになっています。 札幌を出発して、旭川方面へ向かいますが、美唄以北の函館本線は直線区間が多いので、車内から見るとこんな感じ。ずっと直線が続いているでしょ? ちょうど反対から特急「スーパーカムイ」が雪煙をあげて疾走してきました。 こんな絵が取れたのですが、ホントはもっと前の席に座ればよかったですね・・・。 深川駅を出発していく特急「オホーツク3号」です。国鉄メイクではないのですが、今でも活躍しているのはすばらしいことです。
2016年12月30日
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先日、北海道へ行った際に留萌本線に乗車しました。留萌本線は、深川~留萌間50.1kmを結んでいる路線です。12月4日に末端の留萌~増毛間が廃止されてしまいましたが、残る区間もかなり厳しい状況だとか・・・。留萌は車で通ったことはありましたが、留萌本線を利用するのは初めてです。 留萌本線が直ちに廃止されることはないとは思うのですが、今回タイミングよく北海道へ行く機会を得ましたので、乗車してみることにしました。 深川駅に停車中のキハ54の2連です。このディーゼルカーで留萌へ向かいます。 2両編成ですが、後ろの一両は回送ということで乗車することはできません。 キハ54の運転台です。キハ54は国鉄末期の1986年に製造された車両ですが、設備的には国鉄時代によく見かけたものとなっています。 キハ54には、冷房装置がついていないので、大きな扇風機が取り付けられています。 扇風機には、懐かしい国鉄当時のJNRマークがありました。このマークは、子どもの頃に特急車両などでもみかけた馴染みのあるものです。 一両目のキハ54 509には、宗谷本線を表すステッカーが貼られていました。でも、運転されているのは、留萌本線なのですよね・・・。 キハ54の室内です。 特急車両で使われていたようなものに交換されています。リクライニングはしませんが、座り心地は上々です。 シート横には、小さなテーブルが引き出せるようになっていましたが、固定することはできませんでした・・・。 北海道の車両は、寒さに備えて二重窓となっています。最近の新しい車両は、窓ガラスの精度が良くなったのか目立って二重窓にはなっていませんが、国鉄当時には二重窓になっているのがよくわかりました。 さて、深川を留萌へ向けて出発、ひと駅目は「北一已」駅。「きたいちやん」と読むんですね、なかなか難しい読み方です。 留萌本線では、1998年のNHK連続テレビ小説「すずらん」の撮影が行われ、恵比島駅を「明日萌」駅として撮影されたそうです。その状況は今でも残っています。 プラットホームの駅名標も「あしもい」になっているのがお分かりいただけるかと思います。 ところで、北海道のローカル線の駅には、駅舎がなくてかつて貨物列車で使われていた貨車を改造したものを利用しているところがあります。 例えば、幌糠駅とか・・・ 大和田駅です。 貨車と言われればそうかな、って感じかもしれませんが、かつては貨物列車の最後尾に連結されていた車掌車(形式はヨ3500形)を改造したものです。 それから、北海道の駅において、「仮乗降場」と呼ばれる駅に準じた停留場のようなものがありました。『駅を設けるほどではない場所で、利用者の利便性を高めるために、仮に設置されたものである。駅を設けるのには多額の資金や、各種の許認可等煩雑な手続き等が必要なのに対し、仮乗降場は低資金で容易に設けることができた。』(wikipediaから引用)とあるように、地元の利便性を図るために設けられたもので、その後駅に昇格してホームや駅舎が改良されたものもあります。 この写真の真布(まっぷ)駅は、そのような仮乗降場から駅に昇格した駅の一つで、写真をみると雪でわかりにくいかもしれませんが、ホームの長さはキハ54一両分くらいしかなく、駅舎も木造の簡易的なものになっています。駅舎があるだけマシ、かもしれませんが、かなり特徴的な駅だと思います。 そうこうしているうちに、留萌駅に到着しました。雪深い路線を通ってきて、風の強い留萌駅に着くと、寒さが一層応えましたが、札幌で買ったヒートテックのおかげで大丈夫でした。 留萌駅の駅名標は、留萌駅が終点となっていますが、12月4日以前は、ここから増毛方面に路線があったんですね・・・。 留萌は、数の子で有名だとか。そこで、駅には数の子のモニュメントとKAZUMOちゃんというゆるキャラの看板がありました。 前出のNHKの連ドラの舞台になった路線で、それを記念してSLが一時期運転されていたことから、このようなヘッドマークも展示されていました。 これか、かつて使われていた旅客運賃表でしょうか。このように縦書きで書かれていたのは、古い駅で見かけたことはありますが、趣はあっても確認しづらかったでしょうね。 留萌駅の駅舎です。コンクリート造りの立派な建物ですよね。 留萌駅からは、前出の増毛方面とは別に、留萌から日本海側を北上して苫前や羽幌などを経由して宗谷本線の幌延まで続く羽幌線がありましたが、1987年3月に廃止されています。留萌は増毛や羽幌、深川を結ぶ要所だったんですね。 留萌本線に初めて乗車しましたけど、冬季ということもあってか地元の人しか利用していない、日曜日ということもあって利用客数は多くはありませんでした。並行する道路も整備も進んでいることから、この先どうなるんだろうって不安になりました。 でも、今度いつ行けるかどうかわかりませんので、この機会に乗車できてよかったと思っています。
2016年12月28日
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私がいつも行っている散髪屋さんは、地下鉄今里筋線のだいどう豊里駅近くにあります。地下鉄今里筋線は今から10年前の2006年に開業しまして、今年10周年を迎えました。 それを記念して、だいどう豊里駅には子供たちが描いた絵などが展示されていました。 大阪市営地下鉄の中では、大阪市内中心部とつながっていない路線なので、空いていることが多いのですが・・・。でも、新しい路線なのでホームには、ホームドアが完備されています。 ほかの路線と比べると、やや地味な路線ですが、私にとっては月に一度は利用している路線です。
2016年12月16日
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昨日、家の用事で99年まで住んでいた西宮市へ行きました。最寄駅が阪神鳴尾駅でしたが、ちょうど高架工事真っ最中でした。そういえば、いつだったかも工事が始まった頃に行ったと思います。 久しぶりの阪神電車のジェットカーに乗車、急加速と急減速を楽しみながら鳴尾駅へ。 鳴尾駅の神戸方面のホームが高架になっていて、すっかりきれいになっていました。武庫川女子大の最寄駅でもあるので、学生用の出口もありました。正面の地下道は、大阪方面へのホームへ行く地下道になっています。 地下道をくぐると大阪方面の改札口です。 まだ高架になっていないのですけど、改札口周辺は以前とかなり雰囲気が変わっています。 改札口周辺です。自動改札機がないところは、前出の武庫川女子大の学生用の改札口です。 大阪方面のホームです。高架になっていないので、この写真もいずれ貴重になるでしょう。 ところで、阪神鳴尾駅のすぐ南側には国道43号線が通っていまして、そこをくぐる地下道にはこのようなかわいらしい絵が・・・。私の子どもが小さい頃には、こんな絵をみて喜んでいたなぁって思い出しました。
2016年12月14日
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与党は17日、北陸新幹線で未着工となっている福井県敦賀市以西の延伸について、同県小浜市から南下し京都経由で新大阪に至る「小浜京都ルート」とする方針を固めた。利便性や投資効果など新幹線の着工条件で最も優れていると判断した。12月下旬の与党整備新幹線建設推進プロジェクトチーム(PT、座長・茂木敏充自民党政調会長)で最終決定し、政府・与党で合意する見通しだ。 与党は早期着工に向け、平成29年度予算案に延伸周辺地域の環境影響評価や詳細な設計のための費用を前年度比で2倍程度盛り込みたい考えだ。 敦賀以西の延伸ルートをめぐっては、「小浜京都ルート」のほか、米原駅(滋賀県)で東海道新幹線につなぐ「米原ルート」と、小浜付近から舞鶴市(京都府)を経由して新大阪に至る「小浜舞鶴ルート」の3案に絞り、与党PTやその下部組織の敦賀・大阪間整備検討委員会で検討を進めている。 国土交通省が今月11日に公表した3ルートの試算では、小浜京都ルートは建設費が約2兆700億円で、約6千億円の米原ルートよりも膨らむ。ただ、経済的な便益を建設費などの総費用で割った「費用対効果」は1・1で採算のめど(1以上)があり、所要時間も最短。運賃が安く、「国民の理解を得やすい」(政府関係者)ことが決め手になった。 小浜舞鶴ルートは費用対効果が0・7で、巨額の税金を投入する建設費に見合う経済効果が薄く、新幹線を運行するJR西日本が慎重姿勢を崩していないことも響いた。 ただ、小浜舞鶴ルートは観光や産業振興の底上げを重視する京都府などが強く要望。政府・与党は小浜京都ルートに決定後、京都府内の新駅設置といった対応策を協議し、周辺自治体の理解を得たい考えだ。 北陸新幹線は、東京から信越、北陸地方などを経由して大阪市までを結ぶ計画で、昨年3月に長野新幹線を延伸する形で長野駅-金沢駅が開業した。金沢駅-敦賀駅は34年度末に開業することが決まっている。【産経新聞ネット版から引用】 現在、金沢で止まっている北陸新幹線を関西まで延伸するのですが、そのルートが本文にあったように3つ想定にあがっているわけです。普通に考えても「小浜」を経由するルートになると思うのですが、関係者のいろいろな思惑があるみたいですね。 舞鶴をまわるルートは、単純に距離が長くなるし、米原のルートは距離が短いけど、米原から東海道新幹線に乗り入れるというこれまた現状を無視したもの。っていうことで、小浜のルートがルートが残るというわけです。 それじゃ小浜のルートもすんなりいくかというと、これも大丈夫かって思うんですよね。金沢から福井を経由して敦賀まではなんとなくわかりますし、そこから小浜経由して京都方面へ向かうのもわかります。問題はどうやって京都駅周辺まで乗り入れるか。ご存知のように、京都駅周辺はそんな余裕のある土地はありません。っていうことは、地下を通す? 東北・上越新幹線も上野周辺は地下ですし、考えられないことはないでしょうけど、かなりきつい工事になりそうですね。 でも、京都で終点ではないのです。そこから大阪へつなげて完了だそうですけど、まさか東海道新幹線へ乗り入れはできませんから新線建設となるんでしょうけど、これまた土地ないんだけどどうするの? そんなこともあって、大阪まで開通するのは30年後だそうです・・・。とてもそんな期間でできるとは思えませんから、敦賀まで来たらそれで終わりになってしまうかもしれませんな。 ところで、金沢から敦賀までは2022年に開業予定ですけど、そのルート上の駅として計画されているのは、小松、加賀温泉、芦原温泉、福井、南越となっているのですが、そこに無理やり別の新しい駅を設置するようにゴリ押ししてきているみたいです。金沢と小松のあいだに白山という駅をつくれと・・・。現在の加賀笠間駅のところにつくろうとしているのですが、金沢駅からの距離は、13.8km。そんなところに必要か? ゴリ押ししているのが、あの東京五輪の推進委員長らしいですよ、またお前か、シンキロー!! 山陽新幹線には新尾道駅があって、隣の三原駅まで11km、福山駅まで17kmとかなり短いという例はありますし、同じ北陸新幹線にも安中榛名駅があり、隣の高崎駅まで18.5kmという状況。ただ、新尾道駅は地元の請願駅で、安中榛名駅はいわゆる政治駅。この白山駅もシンキローの政治駅になる? いやいや、国鉄時代だったらいざ知らず、今はそんなこと通すこと自体がおかしいでしょ。 話を戻して、私が生きているあいだに京都や大阪までやってくることはないでしょうけど、我田引鉄や我田引駅にならないようにしてほしいです。ましてや、政治駅や政治路線はもういりません!!
2016年11月17日
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JR北海道の島田修社長は14日、東京都内で道内選出の与党国会議員らの会合に出席し、抜本的な鉄道事業見直しの対象となる「JR単独では維持が困難な路線」について、10路線13区間となることを表明した。島田社長が公の場で具体的な維持困難路線に言及したのは初めて。18日にも記者会見を開いて正式発表する。今後、路線廃止を伴うバス転換などを軸に、沿線自治体との協議に入る。【北海道新聞から引用】 北海道は、今夏に台風被害があって大変だったのですが、それ以上に大変なのが路線維持ができない線区があるということ。それも13線区もあるということです。 その記事によると、宗谷本線旭川~稚内や根室本線滝川~新得、帯広~根室、石北本線旭川~網走のような長大路線も含まれているというのが衝撃的です。今挙げたこれらの路線がなくなると、道北や道東からほぼ路線がなくなってしまうことになってしまいます。これまでなら道路事情の問題があったのかもしれませんが、そのあたりも改良されて問題なくなってきたのかもしれませんし、路線の維持ってなかなか大変なんですよね。運行される列車の本数が少なくても、しっかりと管理しないといけないわけで、広大な北海道の場合はそれも難しいのでしょうか。 ところで、私が初めて北海道へ行ったのは1989年6月で、出張の帰りに休みをもらって札幌から当時運行されていた急行「まりも」で釧路へ、釧路から釧網本線で網走へ行って、レンタカーを借りて屈斜路湖や阿寒湖、摩周湖を回って再び網走に戻り、やはり当時運行されていた急行「大雪」で札幌へもどり、函館本線を小樽や倶知安回りで函館まで移動するという行程でした。 その当時の行程を今回の維持困難な路線と重ねてみると、札幌から新得までは行けてもそこから向こうはいけない、という結果に・・・。仮にそこはなんとかクリアして釧路まで行けても、釧網本線が維持困難路線に・・・、ってどうしようもない状況に。石北本線も無理だし・・・。 この先は地元との協議になるんでしょうけど、バス転換しても最初だけでいずれは廃止になってしまうでしょうからね・・・。車社会だから仕方ないんでしょう、しかも北海道の場合、道路はかなり立派ですからね。 ただ、鉄道ファンの端くれとしては、ちょっとさみしい話であります。
2016年11月15日
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JR西日本の車両の中で、国鉄時代からの車両は数は少なくなったものの依然としてまだまだ多く残っているところですが、この写真の117系もその一つです。 1981年に新快速用として登場、塗色も戦前に急行用として使われていたものを現代版にアレンジしたようなシックな塗色になりました。2扉車の転換式クロスシートにもかかわらず、特別な料金も不要ということで当時としてはかなり珍しいものになりました。私は当時中学生でしたけど、乗る機会になるとワクワクしたものでした。 新快速用として活躍していたのですが、JRになってからの1989年に後継の221系が登場すると新快速の運用から降りて近畿地域の他の路線へ移籍したり、近畿を離れて岡山や下関の方へ移籍していきました。 その後は老朽化などで少しずつ数を減らしてきていて、残った車両も写真のようなオリジナルの色ではなく、抹茶色などに塗り替えられてしまっています。 さて、オリジナルの塗色で残っている車両のうち、臨時列車用として運用されているものがありまして、少し前になりますが大阪駅で写したのがこれらの写真です。団体客用には使いやすいんでしょうね。 ところで、現在117系が運行されている近畿地区の路線の一つとして、湖西線があります。その湖西線で運用される場合には、冬季においてドアは手で開けることとなっています。それを知らせる案内が湖西線の駅に掲示されていました。上記の写真の一番右端なのですが、「手で開けてください」って書いています。冬期に手で開けるドア、ってかつては雪国を走る車両に多く見られました。最近では、ドアの横にボタンがあって、それを押したら開くようになっています。 ちなみに、私の住んでいる王寺でも、朝と夕方に117系が運行されています。和歌山線での運用なので乗る機会は少ないんですけどね・・・。
2016年10月29日
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「ルール守れないんだったらやめてくれよ!!! 」――2016年8月30日、昼下がりのJR豊田駅(東京都日野市)に駅員の怒声が響き渡った。 駅員が怒鳴ったのは、ホーム上に集まる鉄道ファンのようだ。その様子は現場に居合わせたツイッターユーザーによって動画で報告され、夜になっても拡散を続けている。一体何があったのか。 ツイッターで拡散されている動画は19秒。たくさんの人がホーム上を歩く中、駅員の男性が突如「ルール守れないんだったらやめてくれよ!!! 」と絶叫する。 詳しい状況は分からないが、ホームを歩く数人の男性が脚立やカメラを抱えており、ホーム上で何らかの撮影が行われていたと推測できる。 ホーム上で何があったのか。豊田駅を管理するJR東日本の八王子支社はJ-CASTニュースの30日の取材に 「三脚を用いて撮影されているお客様がいらっしゃいました」と明かす。 当時、緑色とオレンジ色のボディでおなじみの115系列車が「廃車回送」という形で、3番線(東京方面行き)ホームを通過していた。廃車となった115系が機関車に牽引されていく。その瞬間を一目見ようと集まったのが、車両撮影が好きな鉄道ファン、いわゆる「撮り鉄」と呼ばれる人々だ。八王子支社の担当者によると、一部の「撮り鉄」はホーム上に持ち込み禁止の三脚を立てていたという。 点字ブロックをふさいだり、ホーム上に落ちて列車の運行を妨げたりするおそれがあるため、三脚をホームに立てることは認められていない。つまり、動画の駅員が言う通り、「ルール守れない」鉄道ファンがいたようなのだ。【J-CASTニュースから引用】 私も鉄道ファンの端くれなので、珍しい列車が通る時に写真を撮りたい、目に焼き付けたいというのは理解できます。でも、そこには「ほかのお客さんに迷惑をかけない」ことは当たり前として、「駅係員などの指示に従う」というのは基本中の基本なのであります。 ところが、最近の状況を見ていると、とてもそんな感じではない。いつだったかも「撮影の邪魔になるから」(要するに自分の考えている構図に、そんなものが入っては困るという勝手な考え)で草花を勝手に抜いたり、勝手に田んぼや畑に入ったりするクソたわけなヤツラがいたらしいし、もっとひどいのになれば「大罵声大会」になるようなこともあるとか。ホント、同じ鉄道ファンとしても恥ずかしいし、あんなのと一緒にしないでくれって思うわな。 まぁ、私の場合は、「なるべく普段の時に数多く利用したり、見向きもされない時期に写真に収める」ことにしているので、あえて本文のような時には写真を撮りに行きませんけどね。また、たまたまとても珍しい車両が走ることが分かっても、本文のようなヤツラがいたら傍目でヤツラが何をさらすか見ておいて、哀れな者を見る目でみていますなぁ~ それにしても、本文にあった職員の動画がアップされているようですけど、その目的はなんでしょうね。私のように哀れな者が怒鳴られているのを見て楽しむためなのか、「この駅ではこの駅員が怒鳴るので注意」っていうことなのか・・・?イマイチわからんな。 話はそれますが、かつて和歌山県にあった野上電気鉄道が1994年の廃線前には、鉄道車両内はもちろんのこと、駅での撮影も禁止されていました。駅といっても無人駅がほとんどにもかかわらずです。おそらく、クソたわけな自称鉄道ファンとかいうヤツラがアホなことをやらかしたんでしょうけど、駅で撮影しようものならかなりすごい勢いで怒鳴られていましたよ。 駅係員も、これまで何度注意しても聞き入れられない、注意しても逆ギレされるということもあって今回のようなことになったんでしょうけど、もういっそのこと珍しい車両が走る場合には、鉄道警察隊の協力を得て指示に従わない場合は、強制排除でいいんじゃないですかねぇ。 私が利用しているJR大和路線や時々利用するJR阪和線には、国鉄時代の車両が多く残っていますから、それらがだんだん引退してくるようになると、こんなクソたわけなヤツラがやってくるんでしょうね。 ホント、迷惑なんだけど!
2016年09月01日
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先日の東京出張の際に、突然いつも使っているICOCAが使えなくなった話を載せましたが、その顛末です。 これがその時使っていたICOCAです。クレジットカードで引き落とすタイプの「スマートICOCA」で、それに定期券の機能も付加しています。でも、見た目は普通のスマートICOCAと変わりません。本来なら、定期券に記載している乗車区間と有効期限が印字されるはずなのですが、かなり長く使っているので印字が載らないみたいで・・・。 裏面もこの有様・・・。スマートICOCAの注意書きだけでなく、ICOCAの番号も読めない状況です。 このような場合、どうするのか? 定期券としては先月に6ヶ月分買ったところだし、約2500円ほどチャージもしていたし・・・。券売機や改札機で読んでくれないと、タダのプラスチックカードですからね。 でも、ご心配なく。みどりの窓口に持って行けば、再発行してもらえるんです。ただし、即日はできないみたいで、上の写真のような「S-ICOCA再発行登録票兼特別乗車証」というものが発行され、この切符が定期券の代わりとして使えるのです。ただ、ICカードではないですから定期券以外の区間を乗る場合には、別途切符を買う必要があるのは、当然ですが・・・。 さて、私は8月11日(祝日)の早朝に駅に持って行きまして、翌日の出勤の時に引き取りました。だから、この切符を使って列車に乗ることがありませんでした。新しいスマートICOCAは、ちゃんときれいに定期券部分の印字がなされていて、久しぶりにオリジナルの状況をみることができました。 近畿圏のみならず、関東圏、九州や北海道などほぼ全国の主要都市で使えるようになったICカードの乗車券。いちいち券売機の前に並ばなくていいのですけど、今回の私のように突然使えなくなるケースもあるんですね。だから、もう一枚のICカードがあれば対処することができる、ということは今回改めてそう思いました。
2016年08月18日
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先月、仕事で石川県羽咋市へ行きました。羽咋市を通る鉄道は、JR七尾線です。七尾線はIRいしかわ鉄道の津幡から和倉温泉までを結んでいまして、すべての列車が金沢まで運行されています。元々は非電化路線だったのですが、1991年に直流で電化されました。ところで、北陸本線は交流電化なのになぜこの路線だけ直流? っていうことになるのですが、途中区間のトンネル高さで交流電化するには絶縁距離の問題があって交流になったとか。 このため、運行されている車両は、交流でも直流でも運行可能な車両が使われており、普通列車用には415系が使われています。 415系といってもオリジナルの新製車両ではなく、関西を走っていた直流用の113系に特急車両だった485系の交流機器を組み合わせて改造したものなんです。このため、オリジナルの新製車両と区別するために、800番台という区分になっています。 この車両は、「和倉温泉わくたま号」というラッピング車両になっていました。 3両1組で編成されているわけですが、それぞれ図柄が違うようです。 ちなみに、運行されている415系800番台は、113系を改造していることは先に書きましたが、製造されたのが今から50年近く前の車両が多いのです。しかも、その多くが私の実家のある阪和線やJR大和路線を走っていた車両が改造されています。 そんな車両の中で異色なのが、この車両。前出の車両は、両開きの3扉車でしたが、この車両は片開きの2扉車。実はこの車両は、元急行型車両だったサハ455という中間車両に運転台を取り付けたクハ455-701なんです。 急行型車両は、急行列車がなくなってからも普通列車用に改造されて北陸本線でもたくさん見られたのですが、すでに引退してしまっているのですが、ここにはこの車両と同じように改造されたクハ455-702の2両が残っています。車内はオリジナルではないのですが、雰囲気は残っています。 先にも書きましたが、製造後50年近くが経過している車両が多いので、そのうち別の車両に置き換えられてしまうかもしれませんが、古き良き国鉄の雰囲気を残している車両が多いので、また機会があれば行ってみたいです。
2016年08月13日
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先日、仕事の帰りに南海汐見橋駅近くのオートバックスへ買い物に行きました。カー用品を買おうとしたら、一旦家に戻らないといけないのですが、日にちと時間のタイミングが合わなかったことと、鉄道駅から近いオートバックスだったらここが一番いいかなということで行きました。そして、買い物後に久しぶりに南海汐見橋線に乗ってみることにしました。 夕闇迫る時間帯でしたが、列車は2両編成。南海汐見橋線は、運転されているすべての列車は2両編成での運転です。使われている車両は、以前このブログでも紹介した2200系です。かつて南海高野線の急行用として使われていた車両が、都会のローカル線のようなところで使われているのです。 ちなみに、南海汐見橋線というのはあくまでも通称であり、正確にはこの路線は南海高野線の一部で、運行区間は汐見橋~岸里玉出となっています。 写真は、南海汐見橋駅なのですが、周りには高速道路や中小のビルなどが立ち並んでいるようなところなのです。沿線には特に名称らしきものもなく、本当に都会のローカル線のようなところです。ただ、趣味的にはかつて賑わったであろう様子をうかがえるようなところもあるので、機会があれば紹介したいと思います。
2016年08月06日
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先月、仕事で富山へ行きましたが、その際に富山駅前から出発する路面電車が目につきました。そうです、富山県にも路面電車が頑張っているんですよ。 北陸新幹線の開業でJR富山駅が立派になっていまして、路面電車のホームもJR富山駅直下になっていました。だから、新幹線を降りて路面電車に雨に濡れずに乗ることができる、というものです。写真の車両は、富山地鉄の路面電車の主役、7000形です。東京都電の8000形をモデルにしたといわれていますが、あちらは耐久性を犠牲にしたといわれていますが、こちらは現役でがんばっています。 こちらは、富山地鉄の路面電車最新のT100形。最近流行りの低床の路面電車です。後ろの建物がJR富山駅です。 打ち合わせの時間まで少しあったので、県庁前まで乗ってみました。7000形は古い吊り掛けモーターの音でしたので、その鈍重な音を聞くことができて喜んでいました。 再び富山駅前にもどってきました。この7000形は新しいものでも1965年製造というベテラン車両なので、いずれは前出のT100形に置き換えられてしまうみたいです・・・。 でも、路面電車が元気に頑張っているのは、ちょっとうれしいものでした。
2016年08月02日
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先日、東京へ出張した際に、北海道支社のTさんと一緒に原宿へ行きました。勤めに出て30年、一度も原宿へ行ったことがなく、っていうか行く必要もなかったので、今回初めて行きました。 原宿といえば、竹下通りとか有名どころがあるのは知っていますが、私のようなおじさんが行くところではないし、若い頃も行ってみたいというようなことはありませんでしたので、私にとっては山手線唯一の木造駅であるこの原宿駅が思い出されます。 この駅舎は、1924年に建築されたイギリス風の木造駅舎だそうですが、2020年の東京オリンピックまでに新しい駅になるとか・・・。なんだかちょっと残念だなぁ・・・。 ホームに入ると、ホームドアが既に設置されていますが、上の写真の右奥の線路沿いに屋根のある建物が見えます。 拡大するとこんな感じ。鉄道ファンの方ならよく知っていると思うのですが、これが原宿駅の宮廷ホーム。正式には、「皇室専用ホーム」というそうですが、鉄道ファンには宮廷ホームの方がよく知られているかと。 かつてはここから天皇陛下がお乗りになるお召し列車が運転されていたわけですが、最近はここを利用すること自体がほぼないそうです・・・。 それでも、原宿駅といえば、先の木造駅舎と宮廷ホームというのが関東の鉄道ファンでなくてもよく知られた存在でしたが、それも変化しようとしているんですね。 ちなみに、この原宿へやってきたのは、ラーメンを食べるため。 いわゆる家系ラーメンの一つである「せい家」へ。こってり系がちょっと苦手な私ですが、ここのは大丈夫。どちらかというと和歌山ラーメンのような醤油とんこつだったので、食べられましたよ。
2016年07月19日
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先日の北陸方面への出張の際、金沢から富山までは北陸新幹線ではなく、第三セクターのIRいしかわ鉄道とあいの風とやま鉄道(以前の北陸本線)を利用しました。(金沢~富山間は北陸新幹線の旅費は、職場の規定で出ないため) 北陸新幹線と並行して走る北陸本線の金沢~倶利伽羅間はIRいしかわ鉄道に、倶利伽羅~富山を経由して、新潟県の市振までがあいの風とやま鉄道になりました。(市振~直江津間は、えちごトキめき鉄道) 使われている車両は、日中はJR西日本から譲渡された521系が塗色を変更して使われています。 金沢からこの写真の521系で富山まで移動しました。 ちなみに、「倶利伽羅」は「くりから」と読みます。なかなか難しい読み方ですね。 駅名標は、JR西日本のものなのですが、IRいしかわ鉄道のロゴを付加していますね。 ところで、金沢までは特急サンダーバードで移動していますが、金沢からこのIRいしかわ鉄道に乗車する場合、JR西日本でない別会社ですから乗車券は別途購入する必要があります。すなわち、JR西日本の駅では、例えば大阪から富山へ移動するのに金沢~富山間をIRいしかわ鉄道で移動する場合は通しの切符は販売してくれないのです。 このため、金沢で一旦下車してIRいしかわ鉄道用の切符を買うか車内で車掌から切符を買う、もしくは富山で下車する際に精算するかのどれかになります。今回私がとった方法は、車内で車掌から切符を買う方法にしましたが、その切符というのが私にとってはちょっと懐かしいものでした。 このような手書きの補充券だったんです。かつて国鉄時代は、このような補充券を車掌から買い求めることが多かったのですが、今では車掌が持っている端末で切符をプリントアウトしたものになっていますから、このような補充券は見られなくなりました。 裏面です。いろいろ細かいことが書かれていますが、このIRいしかわ鉄道にある駅を発駅として札幌市内まで移動するケースってかなりレアなんじゃないかってね。 ちなみに、この切符の地模様ってこんな感じでした。 あれれ? 乗車したのはIRいしかわ鉄道なのに、切符にはあいの風とやま鉄道になっていますね。車掌さんがあいの風とやま鉄道だったから? う~ん、今にして思うとなんでなんだろう・・・。 国鉄当時は、地模様に「こくてつ」の文字と動輪のマークが描かれていたし、補充券もこのように記載式のものと、駅名などをパンチして孔を開けるものがありました。 それにしても、思いがけなく懐かしい場面をみることができてちょっとうれしかったです。
2016年07月17日
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今日は午前中、別用で動いていました。その際、JR阪和線天王寺駅で見かけた普通列車は、いつもは関空/紀州路快速で使われている223系でした。 この車両ですね、まさしく表示が「普通」、行き先が「鳳」となっています。所定では、先日このブログでもとりあげましたが、103系という青い車両のはずなんです。 これが103系ですが、国鉄当時から走り続けている車両で、JR西日本が近いうちに置き換えると発表がありました。 特に、4両編成の運用から置き換えていくようなので、4両編成である223系がそれに置き換わっているのかもしれません。 利用客にしてみたら、横長のロングシートよりは、転換クロスシートの方が人気があるでしょうね。景色もみやすいだろうし。 ただ、混雑緩和にはならないのですけどね。まず、103系は4扉、223系は3扉。扉の数1つで乗り降りは違います。また、ロングシートなら少々詰め込んでも大丈夫が、転換クロスシートは乗り降りに時間がかかりそう。 ただでさえ、混雑している阪和線を223系での置き換えるというのは、あまり向かない気がするのですが、混雑による混乱以上に車両運用を統一する方にメリットがある、ということなのかな・・・。 ちなみに、関空開港直前には、この223系を使った普通列車や区間快速が運転されていたと思います。 何気ない光景ですが、いよいよ阪和線の103系が置き換えという流れになるんだなぁって、元阪和線ユーザの私にとっては、何とも言えないものでした。
2016年07月04日
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さて、先日福井へ出張した際に乗車したえちぜん鉄道の駅にこんな駅がありました。 越前開発 ふつうに読めば「えちぜんかいはつ」ですけど、それだったらわざわざここで取り上げない。 さて、なんでしょうか? ・ ・ ・ ・ ・ 実はこう読むんです。 えちぜんかいほつ まさかの、「かいほつ」って読むんですね。ちょっと読めないかな・・・。 ちなみに、今の職場の本社の方は福井県出身なのですが、私がこの駅の名前を間違えずに読んだところ、「なんで知っているんですか、この駅のこと?!」ってびっくりされていました。 まぁ、何度かこの駅で降りたことがあるし、鉄道ファンの端くれですからね、知ってましたよってね。
2016年06月14日
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私の実家のある堺市を通るJR阪和線。太平洋戦争中の1944年に国有化された路線で、元々は私鉄路線でした。国有化されてからも、私鉄当時の車両が優秀だったことから国鉄仕様に改造されたり、それが老朽化してくるとほかの国鉄路線からのいわゆる中古車両がやってくるなど、新車の投入はそんなに多くはありませんでした。 でも、1994年の関西国際空港開港前から新しい車両がどんどん投入されてきましたが、それでも依然として国鉄当時に製造された車両が多く残っています。 私がよく利用していた鳳駅に停車中の103系、国鉄当時からの車両です。 現在活躍している阪和線の103系は、他の路線を走っていたものが多くて、この写真の車両もそうです。 でも、中には1968年に阪和線に投入された車両も残っています。 こんな感じで天王寺駅に停車する103系が見られるのも、あと少しになってくるのかもしれませんね。 ちなみに、活躍している103系の中には、写真の「モハ103-777」のように「777」なんていう車両もあります。 先日の天王寺駅での光景、向かって右側はJRになってからすぐに投入された205系で、しかも阪和線用の車両です。 前出の103系を置き換えるために、現在関空/紀州路快速に使われている225系が大量投入されることになっています。車両を統一することから、扉数もあわせるので整列乗車もしやすくなりますね。しかも、新しい車両ですから、利用者にとってもうれしいのではないでしょうか。 置き換えられる103系は引退するのでしょうけど、205系の方は103系ほど古くないのでどうするのかな・・・。私が現在利用しているJR大和路線には103系も走っているので、これを置き換えるとか・・・。 話を戻して、阪和線は年に数回しか乗ることができないのですけど、元々利用していた路線なので気になるとことです。
2016年06月11日
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先日の福井出張の際に、えちぜん鉄道に乗車しました。えちぜん鉄道の福井駅は、元々地上駅だったのですが、現在は高架の駅となっています。 JR福井駅の東側に位置するえちぜん鉄道の福井駅です。 ホームに上がると、三国港行きのMC5001が停車していました。そして、しばらくすると出発していきました。 そして、そのあとしばらくすると、乗車予定の勝山行きがやってきました。 何の変哲もない高架駅を行く列車の写真なのですが、実はこの高架路線って、北陸新幹線の高架線なんです。北陸新幹線は現在、金沢どまりになっているのですが、それが福井まで延伸された暁には、ここに接続されるというもの。 なぜ、こんなことをしているかというと、福井駅周辺の連続立体交差事業のためだそうで、元々地上を走っていたえつぜん鉄道の線路も高架にするため、まだ延伸開業していない北陸新幹線の高架を一時間借りして、その間にえつぜん鉄道の高架線を造ろうというものなんだそうです。 福井駅の次の駅が新福井駅。やはり何の変哲もない高架の途中駅ですが、北陸新幹線が開業すると、ここをあのW7系やE7系が疾走することになるんですね。もっとも、線路幅や架線は取り替えるでしょうけど・・・。もちろん、この借駅も撤去ですね。 新福井駅を出発していくMC6100形の2連、北陸新幹線開業まではまだまだ時間がかかるでしょうから、しばらくはこのような光景が見られるわけですが、いずれは貴重な写真になるでしょうね。 新福井駅は、福井と福井口の間にありますが、福井まで歩いてもそんなに時間はかかりません。新しい高架線ができたときにも、設けられるのかな・・・。 工事現場の中にある新福井駅、明らかに借駅であることがお分かりいただけるかと思います。 こんな感じで、駅の周りにはマンションなどが建っていますが、実際に歩いてみても福井駅までさほど遠くなかったです。そうなると、阪神本線の西宮~今津間にあった西宮東口駅のように路線の高架完成とともに廃止されてしまう(西宮東口~西宮間は約700mしか離れていなかった)かもしれませんね。 ただ、京阪本線の土居~滝井のように約400mくらいしか離れていないのに、引き続き存在している駅もあるしなぁ~ どうなるんだろうってね。 ちなみに、ここのように開業前の新幹線の線路を使うという例は、ここが初めてではなく、東海道新幹線の京都~新大阪間に前例があります。東海道新幹線に並行している阪急京都線の大山崎~上牧間がそれにあたります。時期は1963年4月から約1年間だったそうです。
2016年06月09日
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今日も出張で出かけていましたが、その際にこんな車両を見かけました。 大阪環状線用の201系にNHKの大河ドラマ「真田丸」のラッピングがなされているものです。一編成8両ともデザインは違いますが、真田丸のラッピングがなされていました。 塗装と違って、手軽に車体へ施すことができるので、最近はこのようなラッピングを見かけますよね。
2016年05月19日
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先日、東京へ行った際に亀有に行きましたが、その時に乗車した列車は東京メトロの16000系でした。その行き先には、こう表示されていました。 ハレーションのような感じになってしまって、見えづらいのですが・・・。 「我孫子行」と書かれていますね、我孫子は「あびこ」と読む難読駅名のひとつになりますが、JR常磐線にあります。 さて、私が4歳まで暮らしていたところも我孫子なんです。といっても、今回の我孫子(千葉県我孫子市)ではなく、大阪市内は住吉区の我孫子町(JR阪和線の我孫子町)ですが・・・。 常磐線の「我孫子」と同じ駅名が、大阪の地下鉄御堂筋線にもあります。もっとも、こちらは平仮名表記ですが・・・。(地名は、漢字表記) ちなみに、大阪で「我孫子」がつく駅名は、前出のJR阪和線の「我孫子町」、南海高野線の「我孫子前」、阪堺電気軌道の「あびこ道」があります。
2016年04月27日
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栃木県の第三セクター鉄道会社、真岡鉄道が線路と平行して植えられている菜の花畑を「撮り鉄」と呼ばれる写真愛好家に荒らされたとして公式フェイスブック上で怒りを爆発させ「もう来ないで下さい」などと書いたところ、ネット上で「よくぞここまで言ってくれた!」などと喝采が上がり真岡鉄道への応援コメントが殺到した。 しかし、「撮り鉄」から反発の声も真岡鉄道には多く寄せられているようで、担当者は「反響が大きくなりすぎた」などと頭を抱えていて、テレビ局などの取材を断っているという。【J-CASTニュースから引用】 どの趣味の世界でも、一定数おバカなヤツラはいるわけですけど、鉄道の趣味の世界でもそれは一緒。それがわからない連中が増えているのか、鉄道ファンの端くれとしても情けない限り。こんなおバカな撮り鉄のせいで、良識ある鉄道ファンまで白い目で見られるというのがわからない、からやっているんだろうけどな・・・。ホント情けない限りですわ。 さて、本文にあった撮り鉄は、「人よりもいい画を」ということもでやっていることなんだろうけど、その行為がほかのファンに影響があるとは思わないんだろうな。っていうか逆に、「人にいい画を撮られてたまるか!」っていうことで、確信犯で荒らしているなら言語道断! まぁ、そこまで確信犯はいないだろうけど、結果的にはそういうことになるわな。 そんなこともあってか、鉄道会社の真岡鉄道では「もう来ないでください」っていうコメントを出しているわけだけど、本来はたくさんの人に来てもらって、鉄道も利用してもらって、鉄道としての認知度も高めてもらって、って考えていたはずなのに、こんなコメントを出さざるを得なくなった、ということに対しておバカな連中はどう思っているのか。 ネットのおバカなコメントでは、「一方的に来るなじゃなくて、もっと話し合えよ」とか「わざわざ盛り上げに来てやってるのに来るなとか何様のつもりだよ」、「菜の花なんて雑草みたいなもんだろ いいじゃんどうでも」というコメントがあったらしいから、真岡鉄道もこんなおバカな連中を排除することでいいんじゃないかな。 何様?って、お前らこそ何様だって! 鉄道会社だけに迷惑かけているんじゃない、ということもわからない自分勝手なヤツに、鉄道会社が「もう来んな、ボケッ!」って言われているんだって。 そういえば、1994年に廃止された和歌山県の野上電気鉄道は、廃止直前には車内はもちろんのこと、駅での撮影についても厳しく注意されたのを覚えています。私が小・中学生の頃に乗ったときはそんなことは一切なかったのですが、おそらく一部のおバカな鉄道ファンが大変なことをしでかしたのではないか、って思っています。(それ以外にも原因はあろうかと思いますが) それから、ある車両が引退したり、列車が廃止される最終日に「葬式鉄」という当該車両や列車の最後の姿を撮り鉄に来るヤツラがいますが、ここでもいわゆる罵声大会になることがあるとか。すなわち、みんながみんなベストポジションでベストショットを狙いたいのに、いろんなトラブルが元で罵声大会になるとか。ここまで来たら、もう情けないどころが呆れるしかありません・・・。 話を戻して、おバカな撮り鉄を排除しない限り、正常化は図れないと思いますから、思い切って「おバカな撮り鉄の心無い行いに対して、(記念列車の)今年の運行は中止します」などと大々的に公表したら? こんなことで反省するような連中ではないとは思うけど。 真岡鉄道が出したコメントについて、私はよくわかるし支持したいと思います。せっかくみんなで楽しんでもらえるようにということで企画しているのに、一部のおバカな連中のせいでこんなコメントを発表せざるをえないということなんだからね。
2016年04月13日
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JRグループでは、明日3月26日にダイヤ改正を行います。今回のダイヤ改正により北海道新幹線が開業することになりますが、その裏で消えてしまう列車もあります。先日来、JR東日本の豪華寝台特急列車の「カシオペア」がなくなる、などという話はご覧になられたかもしれませんが、それ以上に大きなことがあるんです。もっとも、鉄道ファン以外にはあまりピンとこないかもしれませんが・・・。 さて、国鉄当時から現在のJRに至るまで、運行される旅客列車の種別としては、下から「普通」、「快速」、「急行」、「特急」と大まかに分けるとこの4種類になろうかと思います。もちろん、その間には、「区間快速」とか「新快速」といったものはありますけど、その辺は「快速」の一つということで整理させていただくとして(特急も正確には”特別急行”なんだけど)、このうち今回の改正で消えるのは「急行」なんです。 「急行」といえば、かつては全国の国鉄の路線の中で、特急よりも停車駅が多くて、特急よりもやや値段の安い急行券で乗ることができて、車両も向かい合わせのボックスシートで、というのが定番だったと思います。古い鉄道ファンにとって「急行」というと、周遊券の利用時には強い味方でしたね。周遊券、といっても今では発売されていないのですが、国鉄当時に販売されていたきっぷの一つで、エリア内での乗り降りが自由なのはもちろんのこと、エリア内の急行の自由席も急行券なしで利用することができることから、私もよく利用したものです。 ただ、ダイヤ改正の度に急行が同じ路線を走る特急に格上げされてしまい、いつの間にか急行が消えて特急に一本化されることが多くなってしまいました。私の実家のある阪和線や紀勢本線でも、かつては「きのくに」という急行が運転されていたのですが、1985年の改正で特急「くろしお」に一本化されてしまいました。 JRになってからも、しばらくは急行は運転されていたのですが、前出のとおり特急に格上げ、あるいは車両の老朽化や夜行高速バスの整備などで廃止されてしまう(夜行の寝台急行の例)など、徐々に見られなくなっていきました。 そして今回、北海道新幹線の開業に先立って、青森~札幌間を運転されていた急行「はまなす」が廃止され、明治以来続いていた「急行」という種別が国鉄→JRから消えてしまうということになったわけです。鉄道ファンの端くれとしてはなんだかさみしいと思うんですが、これも時代の流れなんでしょうね・・・。
2016年03月25日
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札幌駅のコンコースに掲示されていたポスターです。「来るべ! 来ちゃうべ! 新幹線」 札幌にはまだまだ先ですけど、北海道には確かにやってきますね。 函館は、札幌から見るととんでもなく遠いんですけど、北海道民にとっては念願の・・・になるのかな? どうなんだろう? 私はちょっと違うような気がするんだけどなぁってね。 だって、東京から札幌って、陸路で行くよりも飛行機じゃないかなってね。陸路だと、いくら350km/hでかっ飛ばしたとしても、時間がかかりますよね。だから、JRが目論む利用者数になるのかな。 とりあえずの開業は函館までだけど、函館まででいいんじゃないかってね。なぜなら、函館は飛行機の便は札幌と比べると少ないし、札幌から移動するにしても距離がある。函館に絞って行くなら、札幌まで飛行機で行って陸路で函館に行くよりも、函館まで陸路で行くほうがいいかなってね。まぁ、そんな考えは少ないか・・・。 北海道新幹線開業の裏で、ブルートレインなどの特急や急行が廃止されてしまったわけで、速達性はいいけどなんだかなぁってね。 それにしても、このようなポスターや広告って、後々で貴重な記録になるから、撮影しておきましたよ。
2016年02月01日
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【満員電車の最後に乗ろうとする厚かましいヤツ・・・】 先日、東京へ出張した際に、JR京浜東北線大井町駅から品川・東京方面の列車に乗ろうとしたときのこと。時間帯がラッシュの時間帯だったので、1,2本見逃すつもりでホームで待っておりました。すると、品川・東京方面行きの列車が入線してきまして、すでに満員の車内めがけて多くの人が乗り込もうとしていまして、何とか扉が閉まりそうになったそのとき、扉の近くにいた変なオタクっぽいヤツが明らかに乗れそうにもない扉から乗り込もうとしていました。さすがにそれには乗れないと思ったのか諦めたのですが、その次にやってきた列車には無理やり乗り込もうとしていました。 でも、乗ったタイミングが悪かったのか、扉に靴のかかと部分が挟まってしまって完全に閉まらない。扉の開閉を数度繰り返しても、かかとの部分が車内に入らないからどうしようもない。にもかかわらず、そのオタクっぽいヤツはなおも乗り込もうとしている・・・。 すると、そんな光景にキレた車内の乗客が扉が閉まるタイミングを見計らって、そのオタクの身体をボン!って押し出したところ、ちゃんと扉が閉まりましたとさ。めでたしめでたし。 その一部始終を見ていましたが、こんなヤツがいるから朝のラッシュ時に列車が遅れるんですよね。駆け込み乗車も迷惑だけど、こんなヤツも迷惑ということで。 ちなみに、そのオタクっぽいヤツ、私が意を決して乗り込んだ満員電車にも無理やり乗り込もうとしてきました。さて、私はどうしたか? 「こんな厚かましいヤツ、乗せるわけにはいかねぇ」ということで、乗せないように車内からそのオタクを押し出して扉が閉まるようにしましたとさ。めでたしめでたし。【外国人、列車の行き先を間違える・・・】 昨日のことなのですが、ガゼルスの練習試合の帰りに乗車した奈良行きの大和路快速の車内でのこと。久宝寺駅を出発してしばらくすると、東南アジア系の若者二人が車内の行き先案内図を見ながらなにやらしゃべっていました。英語ではないので、その内容はまったくわからず放置していました。「アノ~スミマセン・・・」 その若者の一人が私に話しかけてきました。っていうか、もう少し席が離れたところに金髪の白人女性がいるんだけど・・・。何ゆえオレなんだ?「ナンバ、ナンバ・・・」 どうやら、難波へ行きたいのに方向が逆の列車に乗ったようです。 困ったのは私。相手は日本語は片言。英語もそんなに得意そうではない。 私はというと、日本国内の方言はせいぜいわかってしゃべれても、英語はその外国人よりも劣るようなレベル!(爆) はて、困ったと思いながらも、何とか単語と身振り手振りで、次の停車駅の王寺駅で乗り換えるよう説明をし、王寺駅では乗り換えるホームまで案内し、どの列車で行けばよいか説明しました。 その若者二人、わかってくれたのかどうかはわかりませんでした(普通列車なら時間がかかってもJR難波までは行けるが、大和路快速だと途中の新今宮駅で普通列車に乗換えとなることを説明)が、何とかなってくれていたらいいんだけどってね。 こういう列車の案内とか、道案内になぜか遭遇することがありまして、大概は日本人相手なのですが、外国人相手は困りますね。もう少し日本語を理解してわが国にやってきてくれたらいいんだけど・・・。 だって、海外へ行くときは多少の会話程度は覚えていくでしょ? 私はこれまで海外に行ったことがないからそんな必要性に駆られたことは皆無なんだけど。 まぁ、多少の英会話は必要かなって思いましたけど、あまり積極的には話したくないなぁ~ っていうか、片言の英語しかしゃべれないヤツって向こうもわかるだろうから、私ではなくほかの人に聞いてくれよってね・・・。
2015年12月14日
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今週は7日に広島、8~11日は松江に出張していました。このところいろんなところに出張しておりますが、松江は先月も行きました。そして、その時も乗車しましたが、一畑電車に乗車することができました。 前回も書きましたが、一畑電車には元京王の車両が走っていますが、元南海の車両も走っています。 これが、元南海21001系の一畑電車の3000系です。正面の窓が二枚窓で、いわゆる湘南窓って言われていますが、私はこのスタイルが大好きなのです。昭和25年に国鉄が80系という車両を登場させたわけですが、そのスタイルがこのスタイルで、国鉄のみならず私鉄にもこのスタイルの車両が増えました。南海電鉄もこのスタイルの車両を登場させましたが、そのシリーズの一つが21001系でした。 南海当時の21001系は、高野線において急行用で運行され、平坦区間だけでなく橋本~極楽橋間の急勾配の路線でも十分な能力を発揮するという高性能な車両として、昭和33年に登場しました。私が子どもの頃はこの車両に乗りたくて、難波へ行く場合にはわざわざこの列車がやってくるまで、堺東で待つこともありました。 当時の塗色は、こんな感じの草色に濃い緑色のラインが入ったもので、急行列車を表す「急」の文字が入った丸い円盤を掲げて運行されておりました。(この写真は、一畑電車で引退前に南海当時の塗色へ復刻したもので、マウスパッドとして販売されていたのを購入) しかし、関西空港開港前後から南海が伝統の緑色の系統の塗色を大幅に変えたあたりから、この21001系を取り巻く環境にも陰りが見え始め、急行用の座から降りて支線での運用があったりして、ついには1997年に引退となりました。 引退後は、静岡県の大井川鉄道に2両編成の2編成が、一畑電車に2両編成の4編成が移籍しました。一畑電車で運行されているのは2編成となっており、この日は3007+3017(南海当時の車番は21011+21012)の編成が運行されていました。 車内は、南海当時とほぼ同じで21001系の特徴である窓上の座席灯もそのままでしたし、車内の壁も南海当時のままでした。 窓は、下の方に下げるものです。 このスタイルは、南海のみならず他の関西の私鉄でも多く見かけるスタイルですが、昭和33年に登場した当時は斬新なものだったでしょうね。 この3000系に乗って、宍道湖を見ながら松江しんじ湖温泉まで移動しました。 ローカル私鉄なので、線形もよくないのでそんなにスピードはだせないのでしょうけど、松江イングリッシュガーデン前駅から松江しんじ湖温泉駅までの一部の区間では、かつての南海高野線での急行を思わせるようなモーター音を響かせて激走しておりました。 松江しんじ湖温泉駅では、先日登場したばかりの一畑電車では最新の1000系(元東急1000系)と並んで停車しました。3000系は、この1000系に置き換えられて引退することとなっており、元気な姿を見られるのもあとしばらく、ということになるようです。 そんな状況なので、なんとか普段の姿を見ることができて、また乗車することができてよかったと思っています。
2015年12月12日
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先日、東京へ出張した際に、茨城県の東海村へも行きました。その際に、品川から特急「ひたち」に乗車しました。 JR東日本管内で特急に乗ると、網棚の上に信号のようなランプがついていることに気がつきます。 これです。黄色とか赤、青などまるで信号ですけど、これは何を示しているか。 要するに、赤のランプがついているのはその座席は現在空席を示していて、黄のランプは(現在は空席だけど)まもなく乗車されるお客がいる、青のランプは指定席がすでに発券済みを示している(もうその席には先客がいる)とのことです。 JR東日本の特急には、自由席というものがなく、予め指定席券を買い求めるか、普通の特急券の場合は赤色のランプの席に座ることはできるが、その席の上のランプが黄色になったら別の席に移らなければならない(=もうすぐその席の指定席を買い求めたお客が乗ってくるから)ということですね。 仕組み的には、とてもわかりやすいし、例えば自由席だということで本人が座る席だけでなく、その隣の席に荷物を置いているバカタレを排除することができるからいいと思うのですけどね。 ところで、いつだったか東海道新幹線に乗った時に、指定席券を持たない客が指定席の空き席をあっちこっちジプシーのように渡り歩いているのを見ました。あれってなんだかみっともないなぁって思っているし、本来は指定席券を持っていない客は、指定席のある車両に立ち入るのも違うでしょって思うからね。新幹線でもこのシステムを導入してくれたらいいのになってね。 ちなみに、JR東日本の特急の車両、指定席のこのシステムはいいんだけど、もう少し座席の座り心地が改善されないかな。ガタガタと揺れるし、座り心地がもう一つなんだよな・・・。
2015年12月03日
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2015年11月19日(木)、JR東海は東海道新幹線における車内改札の方法を変更すると発表しました。 これまで東海道新幹線では、全ての乗客に対し車掌がきっぷを直接チェックしていましたが、今後、指定席・グリーン席の乗客に対しては基本的に車内改札が省略されます。 ただ、きっぷの座席とは異なる場所に座っている場合は車内改札が行われるほか、利用資格が限定されているきっぷを使っている場合などは、車掌が確認する場合があるとのこと。自由席ではこれまで通り車内改札が行われます。 実施は次回のダイヤ改正日からの予定。JR東海によると車内改札を省略する理由について、会員制ネット予約「エクスプレス予約」の利用者が指定席乗客の約3割に達していること、そして車掌の携帯端末で座席の利用状況をより正確に把握することが可能になったためとしています。 携帯端末や通信環境の進化などにより近年、このように車内改札を省略する例が増えており、東北・上越・北陸・秋田・山形新幹線では、すでに原則として実施されていません。【乗り物ニュースから引用】 今年は出張等で新幹線を使う機会がぐっと増えましたが、私も本文にあった「エクスプレス予約」を使っております。これって、切符に引き換えるまでは何度でもケータイで変更が可能なので重宝しています。そんな利用者も多いのでしょうね。 そんなこともあってか、普通車指定席やグリーン車の車内検札を省略するとのこと。まぁ、指定席を持っていてそのダブリがなければ問題ないわけですが、自由席の券しかもっていないのに、堂々と指定席に乗って、しかも食べ散らかしたりした後に座るのは嫌ですよね。車内検察を省略する代わりにそんな厚かましい輩を排除すべく、車内の巡回は数多くしてほしいなって思います。 中にはいるんですよ、シレッと指定席に座っておいて、爆睡しているバカタレが・・・。しかも起したら、舌打ちして席を立っていくし・・・。わりゃ、なめとんか!ってね。 ちなみに、新幹線で私が出くわした厚かましい事件があったのですが、それは別の機会に。 先日、仕事でJR常磐線の特急「ひたち」「ときわ」に乗りましたが、確かに車内検札ってありませんでした。いずれは、そのようになっていくんでしょうね。
2015年11月19日
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先日、松江に仕事で行った際に、仕事が終わってから休みをもらって出雲大社へ行きましたが、その際に乗車したのが一畑電車でした。一畑電車は、松江しんじ湖温泉駅から電鉄出雲市駅と途中の川跡駅から分かれて出雲大社駅へ向かう路線があります。 出発は、松江しんじ湖温泉駅です。この日乗車したのは、写真の向かって右側の2100系。関東の鉄道ファンの方にはお分かりいただけるかと思いますが、京王の名車5000系だった車両で、塗色も京王当時のものに変更されています。ちなみに、向かって左側の5000系も元京王5000系だった車両を改造した急行用の車両で、車内はクロスシートとなっていました。 さて、この2100系に乗車、宍道湖沿いに進んでいきます。途中の一畑口駅で進行方向が変わり、また雲州平田駅では、本来乗りたかった元南海の急行用車両だった21000系の3000系を見ることができました。 そして、電鉄出雲市駅と出雲大社駅へ向かう路線が分岐する川跡駅に到着して、乗り換えとなります。「川跡」と書いて、「かわと」と読むんですね。 向かって左側の出雲大社行きに乗り換えます。右側の車両も元京王5000系の2100系なのですが、「ご縁電車しまねっこ号」というラッピング車両です。 ドアのところにも書かれていますけど、なかなかユニークな車両ですね。 ちなみに、あとで紹介する出雲大社駅構内の売店で、この車両をベースにしたお菓子が売られていました。 クッキーでしたので、実家の母親にお土産として持って行きました。 川跡駅で乗り換えて出雲大社駅へ。一畑電車はワンマン運転なのですが、出雲大社駅へ向かう列車には女性のアテンダントも乗車していました。 出雲大社駅です。なかなか特徴的な形で、古い出札口もありました。お客さんが多くて写真は撮れませんでしたが・・・。 さて、出雲大社駅には、かつて運転されていた一畑電車の車両が保存されています。 オレンジ色の車体が特徴的なデハニ52号です。1928年製造といいますから昭和3年、阪堺電気軌道のモハ161形と同じ時期に製造された車両です。 ドアのところに書かれた「手動扉」とありますが、ドアエンジンがなくて手で開けるようになっていたようです。この手の車両で手動というのは珍しいと思います。ちなみに、開いている扉は、手小荷物室用の扉でかつては国鉄の車両でも座席車と荷物車が一緒になった車両(合造車といいます)がありました。 室内にはいるとこんな感じ。板張りの床と壁なども木製になっていますね。 運転席の後ろもこんな感じで木製となっています。歴史を感じるスタイルですね。 運転席はこんな感じ、今の車両と比べるとシンプルなものですね。 ところで、この車両は中井貴一さん主演の映画「RAILWAYS」で使われた車両なんですね。私はまだ見たことがないのですが、49歳で電車の運転士って、年齢的には私と同じやん。できるなら、私も子どもの頃からの夢だった運転士にチャレンジしたいけどな。私の場合、高校卒業の時に南海電鉄を受けようとしたんだけど、矯正視力(すなわちメガネ着用)では受験すらできない条件になっていたですわ~ 今では、JRでさえメガネをかけた女性運転士だってみかけるのに・・・。その当時の条件がちょっとおかしかったんじゃないかってね。 すみません、話が脱線しましたが、出雲大社にお参りした話はまた後日にさせてもらうとして、電鉄出雲市に戻る際に、前出の川跡駅で先ほどの車両が再び並びました。 こういうのはなんだか嬉しいんですけど、乗り換え時間が少しだったので慌ただしく移動しました。
2015年11月14日
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今年の夏、福岡へ行った際に泊まったホテルは博多周辺がいっぱいだったので、博多南というところにあるホテルに宿泊しました。 博多南駅、この駅は山陽新幹線の博多からさらに西に伸びたところにありまして、路線名は博多南線。運転されているのは、新幹線の車両を使った列車なのです。一応在来線の扱いになっているのですが、運転される列車すべてが特急扱いになっており、運賃は200円、特急料金は100円の合計300円となっています。 博多南駅は、博多総合車両所という新幹線の基地に併設された感じになっているので、この駅舎もその一角にあるようです。でも、駅周辺はマンションがありまして、結構開けています。かつてこの駅が開業するまでは、バスで1時間かけて博多まで行っていたそうですけど、今はこの線を使えばわずか10分足らずで博多へ行くことができるのです。 博多から乗車する際は、新幹線ホームからの乗車となります。在来線なのに新幹線ホームって、なんだか変な感じですね。私は、この23:37発の博多南線の最終列車で博多南へ向かいました。「757」というのは、新大阪1832発のこだま757号で運転されてきて、博多2322に到着したものを延長運転していることを示しています。 さて、翌朝になって博多へ戻る際に、博多南駅構内の様子を撮影しました。 ちょうど博多方面へ列車がでていきます。これだけみれば、普通に新幹線の駅なんですけどね・・・。 ましてやこんな感じで停まっていたら、どこかの新幹線の駅でもみかけるのでは? でも、よくみると金属スレートの壁だったりするので、正確には新幹線の駅ではないかなってね。 東海道・山陽新幹線の車両が勢揃いしていました。ここから博多南線をとおって博多へ向かっていくんですね。 ところで、今日の朝、NHKで「ブラタモリ」が放送していて、この博多南駅のことを紹介していたのをみて、私もここへ行ったことを思い出しました。
2015年11月03日
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先日、出勤する際に王寺駅で見慣れない車両が停まっているのをみかけました。 これは電気計測車(クモヤ443-2+クモヤ442-2)とよばれる車両で、列車を走らせながら架線を計測する車両と信号計測をする車両を組み合わせたものなんです。見た目は国鉄の特急車両とほぼ同じなのですが、開閉可能の窓が取り付けられているのがちょっと違うかな。塗色も独特の色合いですね。 かつては2編成あったのですが、JR東日本の方は引退してしまったので、JR西日本のこの編成のみとなっています。でも、製造されたのが1975年となかなかのベテラン車両となっていることから、いずれは新しい車両に置き換わる見込みです。 たしか年に一回くらいはこうしてJR大和路線にやってきていたと思うのですが、次回もこのようにやってきてくれるのかなってね。
2015年10月17日
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