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来月12日のJRのダイヤ改正では、新型コロナウイルスの感染拡大にかかる利用者減により列車本数がかなり削減されることになっていますね。現状から考えればやむを得ないとは思うのですが、新型コロナウイルスの感染拡大が落ち着いたら元に戻してくれるのでしょうか? 地方ローカル線はこれまででもかなり厳しかったのに、いい機会だから削減したまま、なんていうことになるのでしょうか? そう言ったところが気になりますが、車両の運用変更も今回の改正で行われます。 その一つがおおさか東線で普通列車用として使われている201系の置き換えです。201系は2008年3月のおおさか東線部分開業時から使われていたのですが、今回の改正で大和路快速などで使用されている221系に置き換わります。だからあと一か月足らずなんですね。 先日の出張では、帰りにJR河内永和駅からおおさか東線に乗車しました。 当たり前ですが、まだ置き換え前なので黙っていても201系はやってきます(笑)。 この日撮影したのは、クハ200-123(上)ほかとクハ200-135(下)の編成でした。こういう写真も貴重なものとなるんでしょうね。できれば、後ろに映る近鉄奈良線にも列車が走ってきてくれたらよかったんですけどね。 あと、置き換え前になると「葬式鉄」の連中が増えてくるので、このような普段の何気ない光景を写真に残せてよかったと思っています。 さて、この201系はおおさか東線からは引退しますが、私の地元のJR大和路線ではもうしばらく使用されるそうです。
2022年02月20日
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先月着任したばかりのラーム・エマニュエル駐日アメリカ大使は、公務で在日米海軍横須賀基地を訪れるにあたり、2022年2月17日(木)、夫人を伴い京急電鉄を利用しました。大使クラスの外国要人が、公務で新幹線などの優等列車ではなく、一般の通勤電車を使うのは極めて異例のことです。 これは電車好きとして知られるエマニュエル大使のたっての希望だったとのことで、公式ツイッターにおいて「日本が誇る鉄道システムはまさに世界トップクラス。期待を裏切らない体験でした」とコメントしています。 この日、大使が乗車したのは品川~横須賀中央間で、種別は特急。これに合わせて横須賀市の上地克明市長も横須賀中央駅で出迎えています。 なお、今回の大使移動に伴い、アメリカ大使館の駐在武官らも制服姿で京急電車に乗り、自動改札を利用していました。【乗り物ニュースから引用】 アメリカ人にも鉄分の多い人がいるんですね。しかも、駐日米国大使ってメッチャ偉い人やん。そんな方が鉄分多めって、なんだか親近感がわきますね。 そんな鉄分多めの駐日米国大使が横須賀基地へ行くのに、車ではなく列車で移動。それもカーブが多くてメッチャ飛ばす京急を利用されたとか。乗られたのは先頭車両の運転席直後ろ、いわゆる「かぶりつき」だったのかな? もし、そんなところでずっと見ていたとしたら鉄分濃厚かもしれないなぁ~ それにしても、当日運転担当の運転士もかぶりつきがあまりにも物々しくて「ド緊張」だったかもしれないなぁ・・・。 ところで、駐在武官も制服姿で乗ったということは、当たり前ですが警護もバッチリだったんでしょうけど、いろんな面で大変だったでしょうね。「鉄分多めも結構ですが、大使今回限りで・・・」って事務方や武官は思っているでしょうね。 そんな状況だったそうですが、大使の乗車しての感想はどうだったんでしょうね。もしかしたら、事務方や武官の心配をよそに「ツギモ、ケイキュウデヨコスカヘイクゾ!」って言っているかも(笑)。
2022年02月17日
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先日、出張で加古川方面へ行ったときに、途中の明石の次の駅、人丸前で降りました。この駅はJRに乗っているときも山電に乗っているときも、気になる駅だったんです。 それはなぜか? 明石といえば東経135度線、子午線が通っているのですが、この駅のホームに何かあるのかなって思っていました。 この駅のすぐ近くには明石天文台があります。子午線の上に立っているそうですが、まだ行ったことはないんです。 明石天文台も含めた東経135度線がこの人丸前駅に伸びていて・・・ 当たり前ですが、駅のホームにも東経135度線が通っているわけです。よって、この写真のように東経135度線を通っていることを示すラインが書かれています。こういうのも珍しいですね。 山電の名物である駅名標にも、その旨が書かれていますね。 この人丸前駅は、1991年に現在の高架駅になったことにより、明石天文台との位置関係がよくわかるようになったかもしれませんね。
2022年01月28日
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先日の広島出張では、路面電車の広島電鉄(広電)に乗る機会がたくさんありました。その中で、懐かしい車両をみたり、乗車することができました。 まずこの車両。これは1971年に神戸市電から移籍してきた582号です。神戸市電時代の1931年に製造、戦後車体更新を行ったもので神戸市電から移籍してきて今年で50年になるんですね。それを記念して神戸市電当時の塗装に復元されて活躍しています。 私が1988年頃に初めて広島に旅行して、一日乗車券を買って乗り倒したことがあったのですが、その時はこの車両も主力の一つとして活躍していました。当時は冷房装置がなくて、車内灯の傘部分が特徴的なデザイン(神戸市電当時のもの?)だったのを覚えています。17両が神戸からやってきて車体が大きくて長く活躍するものと思っていたのですが、残ったのはこの582号だけです。 ちなみに、この写真本通電停で撮影したものですが、思いがけなくやってきたので慌てて撮影しました。 なぜ慌てていたかというと、その前に乗っていたのがこの写真の1156号。この車両も神戸市電からの移籍車両です。1956年に高性能車両として製造されたものの、故障がちだったことから従来型の吊り掛けモーターに交換されて現在に至っています。塗装は神戸市電当時のものではなく、動物の絵が描かれています。この1156号を含む神戸市電1150形は6両が移籍してきましたが、残っているのはこの1156号だけです。この車両も1988年に初めて来たときには、かなり高い確率で乗ったのを覚えています。 それにしても、広電ではここ数年で急速に新しい車両が導入されており、各所から移籍してきた古い車両は引退しているのは残念です・・・。 ところで、新しい車両の中でもこの写真の5000形だけは様子が違うようです。1999~2002年に導入されたものの、海外製部品が多いことやその精度が合っていないのか最近では半分近くが稼働していないとか・・・。そんな話を聞いていたので思いがけなく撮影することができたのでした。 ちなみに、古い車両の中でもこの写真の京都市電だった1900形だけはよく見かけました。車体が大きいのと、前側の出口扉の幅がかなり広いことがあるのではないかと思っています。 ところでこの電停、やたらと幅の狭い安全地帯ですよね。ここは天満町電停ですが、電車を待つ人もこの安全地帯に立って待つのではなく、道路の端っこで待っていました。交通量がさほど多くないところだからできるんでしょうけどね・・・。 それから、広電の電停には次にやってくる行き先を表示する案内が設けられています。この天満町電停は、広島駅方面(表示は『駅』)と、本通や広島港方面(表示は『宇』)の二つの方面に運行されているので、この表示を見て安全地帯に移動するっていう感じです。 ちなみに、広島港電停は2001年までは「宇品」だったのですが、この表示は今でも「宇」の表示が使われているんですね。まぁ広島の人は「宇品=広島港」って認識しているからそのままでも大丈夫なんでしょうね。 それにしても、久しぶりに広電に乗って懐かしい車両にも会えたし、乗れたし、よかったなぁと思いました。
2021年12月18日
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高知県には路面電車のとさでん交通があります。高知駅~桟橋通五丁目と伊野~後免町を結ぶ2路線で有名なはりまや橋で交差します。私は、1986年に高知へ行ったことがあるのですが、その際にこの路面電車(当時は土佐電気鉄道。2014年に高知県交通、土佐電ドリームサービスの三社が経営統合して現社名)に乗ったことがあります。 とさでん交通の主力の600形です。東京都電7000形をモデルにしたといわれており、言われてみれば似ているかもしれません。 こちらは、名鉄美濃町で使われていた590形です。わずか2両ですが岐阜から高知へやってきて、名鉄当時とよく似た赤色で運用されています。 前出の600形もこの590形も1950年代半ばに作られた車両で、鈍重な吊掛けモーターを響かせながら走っています。とさでん交通にも新しい車両は導入されているのですが、このように古い車両が多くがんばっています。 車内の扉部分も特徴的で、これは200形の扉ですがエレベータの扉のような開閉です。 こちらは800形の扉。バスの扉のような折り戸になっています。ちなみに、この800形は山口県の山陽電気軌道の800形だった車両。前出の590形と同じく路線廃止後に高知へやってきました。 ちなみに、とさでん交通の車両の中には、乗降扉の開閉時にベル式の警報音が鳴りますが、これがなかなか懐かしい音なんです。今のバスだったら電子音だったり「プーッ!」っていう音だったりしますが、このベル式は「ゴォッ!」とやや低い、聞きなれないとビクッとするような音がします。私が高校生のころまで走っていた地元の南海電鉄バス(現・南海バス)の古めのバスはこれと同じ音でしたので、とても懐かしく感じました。youtubeでこの音をアップされている方がおられるので、興味のある方は聞いてみてください。 さて、話が横道にそれましたが、この日はとさでん交通の路面電車とバスが一日無料という何とも太っ腹な日でした。だから、路面電車に乗るときには、整理券を取って降りるときに整理券をボックスに入れて降りるのですが、なんだかお金払わなくて下りるというのが罪悪感を感じると言うのか・・・。 元々の発想は、コロナ禍でお出かけ需要が減っているので、日曜や祝日は電車やバスを使って少し足を延ばしてもらおうということなのでしょうけど、かなり思い切ったことをするなぁって思いました。 それにしても、どこまで乗ってもタダ! もっと早く知っとくべきだった!! ちなみに、期間は来年1月30日までの日曜日と祝日、12月30日~1月3日だそうです。
2021年12月07日
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JR西日本(西日本旅客鉄道)は11月18日、岡山・備後エリアへの新型車両導入計画を発表した。時期は2023年度以降で、順次既存車両と入れ替えて導入する。 導入するのは、広島や和歌山エリアで運行している227系近郊形直流電車をベースとした新型車両で、2両編成と3両編成の計101両を、山陽線などへ導入する。車両の仕様や色、デザインなどは決定次第アナウンスする予定となっている。【ImpressWatchから引用】 岡山地区のJRは、国鉄時代からの車両が今でも活躍していて、ファン的には楽しみなところなのですが、ついに置き換えられるようですね。投入される車両は、写真の227系のようです。写真は、和歌山線や桜井線で使われている227系1000番台で車内はロングシートなのですが、おそらく投入されるのは広島で使用されている転換シートの0番台でしょうね。まぁ見た目はこの写真とほぼ同じ、ラインカラーが写真の1000番台は緑色、広島の0番台が赤色なので何色になるんでしょうね。 それにしても、今までなら関西で使用されていた車両が岡山へ移籍するケースもあったのですが、今回は直接新車が投入されるということで岡山の方にとっては朗報ですね。
2021年11月18日
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今月2日の改正で少しずつ221系に置き換わってきている大和路線の201系。今のところ5編成が置き換わったのかなって思っているのですが、それでもまだ多くが活躍しています。 これは先日の久宝寺駅で撮影したものです。3番線に停車しているこの201系は、おおさか東線の新大阪行き、となりの2番線にはおおさか東線を新大阪からやってきた201系です。こうして201系同士がすれ違う光景というのは、これまで当たり前のように見られていたわけですが、こういった光景がそのうちなかなか見られなくなって、この写真も貴重なものになるかもしれません。 前にも書きましたが、こういった何気ない光景w切り取っておこうというのが私の考えで、この写真もたまたま乗り換えで並んだ位置がちょうどこういう写真を撮るにはおあつらえ向きのところだったんですね。しかも、4番乗り場にまだ列車が到着する前とくれば、客も少ないということで撮影のチャンス! 思わずスマホで写真を撮りました。 ちなみに、久宝寺で降りたのはどうしてもトイレに行きたくて降りたのでしたが、それがいい結果になりました。
2021年10月20日
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JR西日本では今日からダイヤの見直しがありまして、主に普通列車用に使われている201系の一部が置き換わりました。 こんな案内が掲出されていました。201系から221系に置き換わります。221系はこれまでも普通列車の一部で使われていましたから、別に不思議ではありません。今日から改正なのですが、昨日の運用の一部から早くも置き換わっていました。 現在使用されている201系は2006年から運用されていまして、一部は大阪環状線から2017年に移籍してきています。201系はそれまでに運用されていた103系を置き換えたわけですが、今度は221系に置き換えられます。 201系の車内は、ロングシートの4扉車。ラッシュ時にはこちらの方が乗りやすくていいんですけどね。私がよく利用する時間は、快速で運用されているのでラッシュ時も楽なんですよ。 ちなみに、201系はおおさか東線でも運用されているのですが、221系はそちらでも運用されるとのことです。
2021年10月02日
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JR西日本が所有する鉄道車両の部品が、2021年9月11日までに紛失していたことが分かった。 盗難の可能性もあり、鉄道愛好家からは怒りの声が多数上がっている。 無くなったのは、JR奈良線を走る103系NS409編成に設置された行先表示器(方向幕)2台だ。103系は国鉄時代に製造された貴重な車両で、愛好家の間で人気がある。 JR西日本近畿統括本部の広報は13日、J-CASTニュースの取材に「9月11日夜に外部の方から連絡があり発覚しました」と話す。警察に被害届を提出し、「これから(現場)検証もされます」という。 SNSでは目撃談が広まり、ファンらか事態解決を望む声が相次いでいる。 【J-CASTニュースから引用】 最近では、駅構内で一般客に迷惑をかけたり、線路沿いでも勝手に人様の土地に入ったり樹木を勝手に伐採したりと、評判の悪い鉄道マニア。写真を撮る「撮り鉄」だけでなく、鉄道部品を盗む「盗り鉄」もいるんですよ、ホントたち悪いでしょ。 今回のケースは、JR西日本に残る貴重な103系の部品の一つである方向幕を盗られたとのこと。そんなもんパクってどうするんだ? って普通は思うでしょうけど、こういうのがマニアの間では高価で売り買いされたりしているんです。それが正規品、すなわち部品の即売会で売られたものならまだいいんですけど、盗んだものまで売り買いされているとすれば大問題ですよね。それが正規品かどうかの見分けはつかないから。 盗ったクソタワケは、どうせ転売目的でしょう。そのうちメルカリとかに出ているんじゃないですか。っていうか、その前に怪しい動きをしていたヤツが駅の防犯カメラに写っているはず。ネット情報では、城陽駅での折り返しの時が怪しいのではないかって言われていますが、ここは折り返しの時間が長い時間があったような・・・。そんな時にどの車両のものをパクろうかと下見したりしているはずだから、わかるんじゃないかな。まぁ、今更自首したって遅いけど、転売したら一発でバレると思うから死ぬまで持っとけ! ところで、私は「マニア」と書いているのは「敢えて」です。マニアって個人的にはいい意味では使っていません。「人の迷惑省みない」連中でしょ、罵声大会とかyoutubeで見ればそれはそれは醜いものですよ。駅員に暴言を吐くアホンダラまでいるしね。 話を戻して、JR西日本も盗難防止のために方向幕のふたを勝手に開けたらけたたましい音が鳴るようなセンサーを仕込むとか、開けられないようにボンドでとめてしまうとか工夫しないといけませんね。こんなクソタワケなヤツはどんなことをしても盗るだろうけど、空き巣対策と一緒でとにかく「開けるのに時間がかかるような仕組み」を作るといいのではないでしょうか?
2021年09月13日
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緊急事態宣言が延長されてしまったために元々予定していた今年の北海道旅行は中止を余儀なくされてしまったのですが、去年行ったときに訪れたところで紹介していない写真がありましたので紹介します。 「デゴイチ」といえば、蒸気機関車の代名詞みたいなものですけど、そのデゴイチことD51は1936年に登場、1945年まで1161両もの数が製造されたことは鉄道ファンならよくご存じだと思います。この1161両の他に、戦後の1949年に当時のソビエト連邦サハリン向けにも30量が製造されています。そのうちの1両が平取町にある振内鉄道記念館に保存されています。 これがそのD51ー23号です。国鉄のD51とほぼ同じなのですが、仕様が若干異なっています。中でもヘッドライトがかなり大型のものになっています。 あとこれは北海道のD51ではよく見られたものですが、運転台(キャブ)が密閉式という寒さ対策がなされています。 このD51は1991年に日本に戻ってきたもので、他に別海町にもD51-27が保存されているそうです。 ちなみに、私はまだ独身だった1992年に北海道へ行った際にこのD51-23を見に行きましたので、28年ぶりの対面でした。あれから整備のために色は塗り替えられていると思うのですが、残念ながら色が褪せてきているようですね。 このD51の横には、国鉄の旧型客車が二両置かれています。スハフ42 519とスハ45 37の二両で、いずれも道内の急行列車用として活躍、その後はローカル列車用として使われていたものですが、ここではライダーハウス(バイク移動者のための簡易宿舎)として使われているそうです。 この振内鉄道記念館のある場所は、元々国鉄富内線の振内駅のあったところです。富内線は日高本線の鵡川駅から日高町駅までの82.5kmを結んでいた路線でした。しかし、1986年11月に廃線となってしまいました。 当時の駅名標が掲出されて当時の状況を偲ばせるものとなっていますが、こうした維持はなかなか大変なものだと思うので、ありがたく見学させてもらっています。 それにしても、このような写真を見ていると、今年北海道へ行けなかったのがとても残念だって改めて思います。仕方ないことだけど、なんだかなぁ~
2021年09月12日
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今日、仕事を終えて最寄り駅の王寺駅へ到着すると、中線に見慣れない車両が停まっていました。 列車に興味のない方にとっては「何これ?」ですよね。 これは、牽引車といって鉄道車両を修理や整備を行う鉄道工場などへけん引するための車両です。かつては車両単体で検査を受けるためにこのような車両が必要だったのですが、最近は編成ごとに検査を受けるので活躍の場は狭まっているようです。 当たり前ですが、一般の乗客は乗車することはできません・・・。 手前は、クモヤ145-1104で、普段は奈良電車区にいます。 この日は、吹田総合車両所のクモヤ145-1107とクモヤ145-1103とともに連結されて運行されたようです。本来ならもっと早い時間に出発していたんでしょうけど、この日の大和路線は昼過ぎに大雨が降ってダイヤが軒並み乱れて運転見合わせも起こっていたので、運行がかなり遅れていたんでしょうね。そんなタイミングで写真に収めることができました。 普段走っている姿を見かけることが少ない車両なのですが、最近新聞やyoutubeを騒がせている「鉄道マニアによる罵声大会」はありませんでしたよ(爆)。
2021年07月14日
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先月、出張で城陽市へ行った帰りにJR奈良線で活躍する205系に乗車することができました。205系は関西ではJR阪和線とJR京都線・神戸線のみでの活躍でしたが、関東では山手線や埼京線などで使われていましたのでおなじみの車両ですよね。関東で廃車になった車両は、インドネシアへ移籍して活躍しているそうですが。 前にも紹介しましたが、JR奈良線で活躍しているこの205系は元々JR阪和線に投入されたもの。今ではその当時の塗装のまま活躍していまして、そのうち置き換えられるかもって思っていますが、昨今の新型コロナウィルスのせいでJR西日本も過去最大の赤字となってしまったようなので、その置き換え計画も伸びるかもしれませんね・・・。 ところで、この205系が活躍していたJR阪和線、今では使われている車両全てがJR阪和線用として投入されていまして、この205系も1988年に新製配置されているのですが、国鉄当時は元々私鉄だったという歴史的背景があるのか大概は関東や同じ関西でも他線で使われていた車両が転属してくるといったものが普通でした。もちろん、全部が全部というわけではないのですけどね・・・。 話を戻して、早く新型コロナウィルスの感染拡大が収まって、のんびりと出かけることができたらいいなぁって思っていますけど、現実はなかなか厳しそうですね・・・。
2021年04月30日
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大阪で唯一残っている路面電車の阪堺電気軌道(阪堺電車)。ここには、1927年製造の古豪車両のモ161型が今も元気に稼働しているのですが、先日ちょっと変わった塗装の車両が運行されていました。阪堺電車は全面広告車が多いのですが、モ161型は元々のオリジナルの濃緑(南海軌道線当時の塗装)を中心に最近はいろんな塗装になっています。 さて先日、天王寺でみかけた阪堺電車のも161型の162号。久しぶりに見かけたのですが、ちょっと見慣れない塗装に見とれてしまいました。そして、天王寺駅前電停に停車したところを横断歩道から写真に収めました。 この塗装は、かつての西鉄北九州市内線で採用されていたもので1980年代前半のものとなっています。去年の9月からこの塗装で運行されているとのこと。 ところで、私は廃止直前くらいに西鉄北九市内線に乗ったことがあります。その当時はこの塗装ではなく、白がベースの塗装でした。 この162号が元気に運行されているので乗りに行ってみたいなぁ。今の時期は難しそうだけど・・・。
2021年04月17日
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新幹線の回数券の廃止が相次いでいる。JR各社がネットで予約購入できる「チケットレス化」を進めているためで、割引切符の代名詞ともいえる新幹線回数券は風前のともしびだ。看板商品にしてきた金券ショップのなかには、苦境に立たされている店もある。 JR東海は3月末、東海道新幹線の「東京―新大阪」「東京―名古屋」などの回数券の販売を来年3月末で終えると発表した。 回数券は6枚セットが基本で普通車の自由席と指定席、グリーン車向けの3種類がある。今年3月末に山陽新幹線を含む46区間の販売をやめ、今回は利用客の多い区間でも廃止を決めた。指定席とグリーン車の回数券はこれですべて消えることになる。金子慎社長は8日の記者会見で、「(回数券の)販売実績が落ち、利用実態もネット予約を使うお客さまがだいぶ増えてきた」と説明した。 JR東海は発足時の1987(昭和62)年から新幹線回数券を販売している。1枚あたりの値段は普通運賃より1割ほど安く、出張や家族旅行で使われてきた。だが、2001年にネットで予約や購入ができる「エクスプレス予約」が導入され、今年3月末現在で385万人が登録。年会費がかかるが、東京―名古屋の指定席は片道1万310円、東京―新大阪は同1万3620円で、回数券より300円前後安い。指定席利用者の半数近くがネットで購入しており、回数券の利用は減っているという。【朝日新聞digitalから引用】 新幹線の回数券、私もよく利用しました。本文には、1987年から販売とありますから、私が就職したその翌年から販売されていたんですね。確か初期のものは、指定席を予約すると、指定席券と回数券をホチキスで止められるとともに、回数券の端っこを切り取られていました。この「端っこが切り取られた」もので指定席券を発行済みを表していたんですよ。 新幹線の回数券は、正規の料金よりも若干安くてお得感がありまして、金券ショップでよく購入していました。どの金券ショップが安いか、なんていうことを仲間内で情報交換したり、なんていうこともしたかな・・・。そんなこともあって、販売当初はとても人気があって、偽造券が出回ったことがありました。このため、回数券に金糸を織り込んだ偽造防止の改良版回数券もあったかと思います。その後は、磁気化券になりましたが、「指定席券とホチキス止め」というスタイルはその後も続いていたような・・・。 ただ、本文にもありましたが、ICカードによるチケットレス化や「エクスプレス予約」などお得なサービスによって回数券の優位性は薄れていきました。例えば、回数券利用で指定席を予約した場合、1回しか時間変更ができず、しかもみどりの窓口でしか変更できないというもので、当該列車に乗り遅れたら自由席しか利用できないというものでした。しかし、「エクスプレス予約」など最近のサービスはネットで何度でも変更できるし、チケットレスの場合は専用のカードを新幹線の改札口にタッチするだけでOKなので、クレジットカード利用者は当然こちらのサービスへと流れるのは自然のことではないかと思います。実際、私も早くに「エクスプレス予約」を利用しており、新幹線の回数券はもう長いこと使っていないですね。 そんなこともあって、来年3月で新幹線の回数券が販売終了となるのは時代の流れかもしれませんが、クレジットカードを持たない方にとっては何とも不便になりそうですね。あと、金券ショップにとっても新幹線の回数券というのは販売の目玉だったでしょうから、これはつらいでしょうね。新幹線の回数券のみならず、普通回数券の販売も縮小される時代ですからね、仕方ないのかな・・・。
2021年04月09日
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先日、平城京へ行ったときに利用したのが近鉄奈良線の大和西大寺駅(西大寺)でした。この駅は、近鉄奈良線だけでなく、近鉄京都線及び橿原線の分岐駅となっています。また、近鉄奈良線は近鉄なんば線を介して阪神と、近鉄京都線は京都市営地下鉄とそれぞれ相互乗り入れをしている関係で、この西大寺では近鉄の車両だけでなく、阪神の車両や京都市営地下鉄の車両もみることができます。 これは、奈良方面をみています。西大寺にはこの写真に右方向に西大寺検車区があります。この関係で、西大寺を終点/起点にする列車が多かったりします。 これは大阪・京都方面を写したもの。ちょうど京都方面へ行く列車が出発していきます。 地図を見てもらうとわかるのですが、大阪・京都方面から奈良・橿原神宮方面へ向かう線路が見事に重なっていて、前出のとおりいろんな列車がひっきりなしにやってくるので、なかなか楽しめる駅だと思います。 駅舎はこんな感じ。最近、きれいに改装されたんですね。私は数年前に、この駅の近くにある外科へ通院していたことがありましたが、その時は工事していて見通しが悪かったような・・・。駅近くには、近鉄百貨店の奈良店、「ならファミリー」(通称・ならファ)というショッピングセンターがあります。 さて、この西大寺周辺について、先日近鉄は高架工事を実施すると発表しました。それは先日紹介した平城京を横切る近鉄奈良線の移設と併せてということなのですが、西大寺周辺はかなり住宅などが密集していてとてもそんな余裕があるのかどうかわかりません。 高架工事に踏み切った一つの理由として、西大寺駅の大阪寄りにある踏切の渋滞解消とのことです。この写真をご覧いただくとわかるように、大阪方面と京都方面へ行き交う列車があるので、ラッシュ時は1時間当たり10分くらいしか踏切が開かないことがあるとか・・・。ただ、この踏切を避ける道路もあるのですけどね・・・。先ほどの西大寺駅の前を通らなければならないのですが、踏切を避ける道路はなくはないんです。 ちなみに、その踏切なら西大寺駅をみるとこんな感じ。高架工事になれば、この写真も貴重なものになるかな? 駅の南側は、再開発されたのか真新しい道路がつながっていました。まだ駅南側へは供用開始されていませんでしたが、いずれは使われるようになるんでしょうね。 ところで、「西大寺」という駅名なのだからお寺があるのかなって思っていたら、ちゃんとあるんですね。先ほどの踏切から南方向へ進んだところにあるのがこの西大寺。真言率宗西大寺というそうです。時間の関係で写真を撮っただけですけどね。 さて、西大寺から平城京まで歩いていきましたが、なかなか遠かったことは先日も紹介しました。でも、私にとってはこれが見られたからいいんです。 西大寺検車区がみられるポイントがあるんです。車でこの近くを通ることはあっても、さすがに車を停めてこんなことはできませんからね。この日は、近鉄特急の12200系の旧塗色を見ることができました。 それにしても、西大寺周辺の高架工事については、着工まで20年かかるそうですけど、それまでに用地買収とかできるのかな? かなり大掛かりな工事になりそうだけど、平城京を横切る近鉄奈良線の移設だけで十分な気がするけどなぁ・・・。
2021年04月05日
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「710年 平城京遷都」って、日本史の授業で習いましたよね。710年というのも「ないれい」なんていう覚え方をしたと思うのですが、この平城京遷都とは、元明天皇が藤原京から平城京へ都を移したことを指しているんでしたよね。藤原京というのも実は奈良県にあるんですけど、それはさておき今日は平城京の話です。 ところで、このブログでは「平城京」と書いておりますが、正しくは「国営平城宮跡歴史公園」という名称になります。 さて、近鉄奈良線大和西大寺駅から徒歩で歩いて、ここまでやってきましたが、私は平城京へやってくるのは初めてなんです。近鉄奈良線やこの平城京の南側を通る大宮通りからはこの朱雀門はみているのですけど、間近でみるのは初めてでした。 ちなみに、大宮通り方向からみるとこんな感じ。とても広い敷地になっているのがわかります。 おそらく朱雀門の前ではこのような感じだったのかもしれませんね。 位置関係でいうとこのような感じ。この図の下の方に朱雀門があって、ここから北方向に第一次太極殿南門、第一次太極殿といった建物が続くそうです。もっとも、この朱雀門も含めてすべて復元されたもの、あるいは復元作業が進められているところです。 この写真の奥が第一次太極殿、これは完成しているようです。また、その手前にあるのが第一次太極殿南門。いずれもまだ復元作業中となっています。 朱雀門のところもそうでしたが、かなり広い敷地なんですね。奈良市内でこんなにただっ広い場所というのがとても新鮮に感じました。1998年に東大寺とともに世界遺産に登録されたこともあってかとてもきれいに敷地内が整備されております。 平城京は784年に京都の長岡京へ遷都され、さらに794年に平安京へ遷都されたあとは平城京のあったところは放置されてしまって、864年頃からは田畑となってしまった(国営平城宮跡歴史公園のHPから)ようで。その後、江戸時代後期から調査が進められてきたようですが、その精度は低かったようです。その証拠に、上の図をご覧いただくとおわかりいただけますが、近鉄奈良線が平城京の南半分を横切るように通っています。近鉄奈良線の前身の大阪電気軌道が上本町~奈良間に路線を開業させたのが1914年。歴史的価値がその当時から認識されていたら、このようなことはなかったと思うのですけどね。 だから、こんな感じで近鉄奈良線の列車が堂々と平城京を横切る光景がもう100年以上も続いているということなんですね。通過しているのは、阪神から乗り入れしている阪神の9000系と1000系の車両です。 1998年には東大寺とともに世界遺産にも登録されているのですが、つい先日になってこの平城京を横切る近鉄奈良線を移設する計画が打ち出されました。要するに、この区間を大宮通りの地下へ移設するというもの。大宮通りを東へ進めば、1969年にすでに地下化されている近鉄奈良駅につながりますからね。それと同時に大和西大寺駅周辺は高架となるとのこと。2041年に着工、2060年完工という壮大なプロジェクトになるようです。 完工まではまだ40年くらいありますから、このように世界遺産を横切る鉄道の姿がまだしばらく見られるわけですね。 ちなみに、この日は写真を写そうとすると、近鉄の車両ではなく阪神の車両がやってくることが多かったです。この写真も赤い伊勢志摩ライナーの車両と近鉄の車両がかぶるのを期待したのですが、やってきたのはまたしても阪神の9000系でした・・・。
2021年03月28日
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京王線の笹塚駅の「塚」という漢字をよく見ると、9~10画目の線に交差するように、点があるのに気付きます。漢字字典では、「点ありの塚」は、「点なしの塚」の「旧字体」とされています。なお、1981(昭和56)年に制定された常用漢字表では、点なしに字体整理され、点ありはカッコ書きで注記されるのみとなっています。しかし点なしが正式とされた今でも、京王電鉄では駅名標や案内板だけでなく、車内の案内装置や行先表示、駅の到着案内といったLEDの表示器にも、きちんと点を付けていて、こだわりを感じます。 京王電鉄に確認したところ、「社内で統一基準があるわけではないが、漢字表記については所在地の地名の表記を踏襲したもの」とのことでした。 実は所在地の渋谷区笹塚の「塚」も、登記簿などに用いられる正式な地名は「点あり」なのです。渋谷区の戸籍を担当する職員も「点ありの塚を意識して用いています。漢字変換でも、真っ先に点ありが出ますね」と話します。 現在はバス停名や公共施設をはじめ、駅周辺では点なしの表記が一般的で、駅東側の都道の「笹塚一丁目東」交差点の案内板や、古い住居表示板で「点あり」が見られるのみとなっています。 一方で、鉄道会社が駅名に、「正式な漢字を用いない」例もあります。 兵庫県宝塚市は1985(昭和60)年、同市の「塚」の字は「点ありの塚」を正式な文字と決定。これは常用漢字表制定で点なしが採用された4年後のことで、市のウェブサイトでも「点ありが正式」と明言するほどの「こだわり」ぶり。当然、国土地理院の地図や民間で発行される道路地図などでも、点ありの塚が使われています。 しかし、市内にあるJRと阪急の宝塚駅の「塚」には、点がありません。これはなぜなのでしょうか。 JR西日本に確認したところ、「常用漢字として一般的に用いられている表記を採用している」とのことでした。確かに、常用漢字が制定される1981年以前の写真を見ると、当時の国鉄の案内板や方向幕では、今とは逆に「点あり」が使われているのが確認できます。 JR西日本は他にも「四条畷駅」(自治体名は四「條」畷市。ただし駅は大東市に所在)、「五条駅」(所在地は奈良県五「條」市)をはじめ、「三ノ宮駅」(付近地名や他の鉄道会社は「三宮」)など、正式な表記よりも「読みやすさ」を優先した駅名を採用したと思われる例が見られます。 同じ「塚」の字でも、「あくまで正式表記を貫く」京王と、「市の意向よりもあくまで簡単な表記を貫く」JR西日本、漢字に対するスタンスの違いが垣間見える気がします。【乗り物ニュースから引用】 「塚」という文字は、点のある「塚」という文字が本来の文字であるとは知りませんでした。そういわれたら以前、名刺交換をした人の名前でこの「塚」の文字を使っている方がおられたように思いますが、駅名にこの文字を採用しているのは気づきませんでした。京王線の笹塚駅、確か一度行ったことがあったかな。今から30年くらい前に東京で宿泊するところがなくて、ようやく探したホテルがこの駅の近くだったような・・・。東京ではこの「塚」の文字を使うということは、例えば山手線の大塚駅もそうなのかなって思って画像を探してみると、こちらは点は入っていない一般的な「塚」でした。やはり、ちょっと違うんですね。関西では、本文にもあった「宝塚市」が実は「塚」の文字を使うとは、これまた知りませんでした。駅の方も阪急の方は宝塚市の正式名と同じ「塚」の文字を使うのに対して、JRは一般的な「塚」でした。ところが、同じ阪急でも、「宝塚南口」駅の表記は一般的な「塚」を、また「塚口」駅は阪急、JRとも一般的な「塚」でした。ここまでくると、関西の場合は「特にこだわる場合以外は、一般的な「塚」で表記」としているのかな。でもまぁ、こんな細かいところにまで見ているのはおもしろいし、意外と気が付いていないなぁって思いました。
2021年03月15日
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JR各社は13日、ダイヤ改正した。首都圏や近畿圏、四国、九州の在来線で最終列車の発車時刻が早まる。コロナ禍で深夜の乗客が減り、終電から始発の間に実施する線路の保守作業などの時間を拡大しようと繰り上げに踏み切った。JR東日本によると、過去50年で主要な在来線の終電を一斉に早めたことはなく、極めて異例の改正となった。 各社ともコロナ禍で大幅な赤字となる見通し。保守作業などの効率化を進め、コスト削減につなげたい考え。感染拡大で変化した人々の生活様式や働き方が、終電繰り上げでさらに影響を受けることも予想される。【共同通信ネット版から引用】 今日からJRのダイヤ改正があったようですね。実際に利用するのは、私の場合は来週月曜日からなのですけど、ネットでいつも利用する王寺駅や仕事の帰りに使う天王寺駅のダイヤの状況を確認しても、ダイヤ改正前とさほど変わっていない感じでした。確かに、最終列車の時刻は若干遅くなっているみたいですけど、10分程度位なので大したことないかな。今回のダイヤ改正は、例の新型コロナウィルスのために利用客が減っているということもあるんでしょうね。あと、終電後に保線作業するのに十分な時間をとることができるということもあるのでしょうね。それにしても、新型コロナウィルスの感染拡大がなければ、海外からも引き続き大勢の観光客が来て、逆に終電時間が遅くなることも想定されていたそうですね。ただ、もうこの先しばらくは、海外からの観光客が急増することはないし、さらに終電時間が繰り下がるかもしれませんね。
2021年03月13日
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昨日、仕事で宇治市の黄檗に行きましたが、その続きで今日はJR奈良線の話し。JR奈良線は、京都と奈良を結んでいる路線で、正確には「京都~木津」がJR奈良線です。つまり、奈良県内を走っていないのにも関わらず「JR奈良線」なんですね。 そんなことはどうでもいいのですが、この奈良線の歴史は古くて1896年に奈良鉄道として全通しています。その後、関西鉄道を経て国有化され1987年にJR西日本となっています。そして、1984年に全線電化されました。 非電化時代は大阪近郊で残る非電化区間で古いディーゼルカーの走る路線ということで、ちょっとした旅気分が味わえる区間でしたから、私も好んで利用した路線でした。その当時は、今のように快速はなくて全て普通列車で運行されていましたし、すべて単線でしたから奈良から京都へ行くのもかなり時間がかかっていました。それでも私は気に入っていたのですが、一般的に観光客はそんな不便な奈良線を利用するのではなく、本数が多くて急行や特急が多く運転されて早くて便利な近鉄京都線を利用していたと思います。 そんな状況でしたから、1984年の全線電化は奈良線が大きく変わるきっかけになったと思うのですが、国鉄当時はそんなに大きく変わらなかったように記憶しています。JRになってから快速が運転されるようになったのではなかったかと。そして、ずっと近鉄の後塵を拝していたJRがついに「奈良線の複線化」に踏み切るようになり、その区間も徐々に増えてきています。 京都~木津間のうち、現在までのところでは京都~JR藤森、宇治~新田、山城多賀~玉水が複線化されていまして、さらに現在の工事区間としてJR藤森~宇治、新田~城陽で進められていまして、2023年には京都から城陽が複線になるということになります。だから、昨日出張で行った黄檗も複線工事が行われていました。 この写真は、京阪黄檗駅近くにあるJR奈良線の踏切です。写真奥は、京都方面です。 ごらんのようにまだ今のところは単線部分しか線路がありません。コンクリート製の枕木が積み上げられていまして、あのあたりに複線用の線路が敷かれるわけです。 そこから反対側、JRの黄檗駅方面を見るとこんな感じ。写真奥は、奈良方面です。 線路は一本しかないことがお分かりいただけるかと思います。工事の進捗としては、京都方面が進んでいますが、奈良方面はまだまだこれからですね。 このような写真も、複線開業すれば貴重な写真の一つになるので、私は何気ない風景を写真に収めるようにしています。 ところで、JR奈良線のそれ以外の区間の複線化についてはどうなっているかというと、計画にあるのかもしれませんが、現実的には厳しいのではないかと。残る区間は城陽~山城多賀と玉水~木津になるのですが、昨日の帰りに乗ってみて改めて状況をみてみると、「複線の幅に線路が広げられるのかな」というところが多かったですね。特に、途中に古いレンガ造りのトンネルがあるなど課題が多そうです。 それにしても、JR奈良線に乗るたびに複線区間が増えているので、のんびりとした国鉄時代の非電化当時が感じられないくらいの状況になっていまして、便利にはなっているのがよくわかります。
2021年03月09日
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今日は出張で黄檗へ行きました。「黄檗」って読めますか? はい、「おうばく」って読みます。なかなか難しい読み方ですよね。 黄檗駅は、このように構内が大きくカーブした駅、京阪の宇治線の途中駅にあります。宇治線は、京阪本線の中書島~宇治を結んでいる路線です。宇治線は4両編成の13000系と10000系が運用されています。 駅はこんな感じ。宇治方面と中書島方面のホームが別々になっております。 ちなみに、京阪宇治線と並行してJR奈良線が走っていまして、JRにも黄檗駅があります。 だから、京阪の黄檗駅の端っこからJRの黄檗駅を見ることができます。ちょうど、京都行きの205系(向かって右側)と103系(向かって左側)が停車しています。103系は今や貴重な編成です。 京阪黄檗駅から歩いて5分くらいのところにJRの黄檗駅があります。こんな感じの比較的新しい駅です。JR奈良線は1984年に電化されていますが、それ以前の非電化時代はこんな感じの駅ではなかったような・・・。 また、JR奈良線は、非電化前は単線区間ばかりだったのですが、電化後に少しずつ複線区間が増えています。そのあたりはまた次の機会に。
2021年03月08日
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今日、JR神戸線で列車への飛び込み自殺があって、なかなか衝撃的な画像が映っていましたね。最近の車両は、窓が大きくて展望がよいものがありますけど、逆にこのような事故になると大きな被害となることもありえます。かつての国鉄車両で運転台が高い位置にあるもの(高運車)がありましたが、踏切事故での被害を防ぐためのものでした。このような事故を見ると、また車両の造りが変わるかもしれませんね。 さて、このような事故やトラブルが起きると振り替え輸送があったり、あるいは延着証明書が発行されるケースがあります。今日はその延着証明書の話です。 JR西日本では、写真のような延着証明書が発行されていました。日付や時間のところに挟みが入っていますので、これが「8日に30分遅れました」ということを示しています。私が利用しているJR大和路線やかつて利用していたJR阪和線は年中行事のように遅れるので、この延着証明書をもらって出勤し、所定の手続きをしておりました。 その延着証明書も、ネットで出せるようになったことから2月25日限りで廃止されました。タイムラグはあるもののネットで出せるし、しばらくの間はHPでいつでも取り出すことができるのはいいのですけど、ケータイを持っていない人はどうするんだろうって思います。必ず持っているとは限らないからね。その場合は、個別に発行してくれるのかな? ちなみに「周囲入きょうのとおり」と『きょう』がひらがな書きになっていますが、漢字で書くと『入挟』と書くのですけど、意味は「はさみをいれる」ということです。今では駅員さんが改札口できっぷにはさみを入れる場面というのは地方の鉄道くらいしかみられなくなったし、『入挟』という言葉そのものがあまり聞きなれないからひらがなになっているのかもしれないなぁ・・・。
2021年02月26日
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先日、"撮り鉄"たちが駅のホームで罵声を浴びせ合う光景がSNS上で話題になった。 1月31日、「勝田工臨(かつたこうりん)」と呼ばれる列車を撮影するため常磐線勝田駅(茨城県ひたちなか市)のホームに多くの撮り鉄が訪れたのだが、そこで一部の人たちが「下がれ!」 「日本語聞こえないのか!」 「マナー守れよ!」などと罵声、怒声を浴びせ合っている動画が流出し、緊急事態宣言下というご時世もあってか世間の批判を浴びてしまったのだ。【まいどなニュース】 普段駅を利用する人にとっては、大勢のカメラを持った集団を見ると何事か?って思いますよね。しかも、三脚を立てて物々しいったらありゃしない・・・。異様な光景ですよ、ホントに。しかも、そこで罵声大会ですからね。何をやっているんですかねぇ。別に、鉄道写真に限らず、被写体を写そうとして構えている人がいたら、その前に出て写すことはダメだよね。普通は遠慮するものなんだけど、そういったことがわからないのがいることに問題があるんだけどね・・・。 そのような異様な光景をさらすことによって、「鉄道ファンっていうのは・・・」って言われるのが一番迷惑なんだよね。だから、本当なら私もいいカメラで撮影したいっていう気持ちがある反面、あんなのと一緒にされたくないから最近は撮影することはあまりないですね。 私の場合はどちらかというと「乗り鉄」ですね。そんな私も元々は小学5年生の時に父親の古いカメラを譲り受けて以来、たくさん撮っていました。時期的にはブルートレインがブームになっていたころでしたね。大阪駅に行くと大勢のファンがいて、私もそこに行ったことはありますけど、人が多すぎて1、2回くらいしか行ったことがありません。押されたり邪魔されたりするのがいやだったからね。マナーが悪い連中は、このころからいましたけどね。今ほどではなかったかな・・・。 そのため私は、どちらかというとあまり注目されない阪和線や紀勢本線、和歌山線の車両に乗ったり写真を撮ったりしていました。両親の実家が和歌山でなじみがあり、土地勘もまぁまぁある方だったし、なにより「暇はあってもカネがない」ので最大限行くことができるのがそこだった、っていうことなんですけどね。 そんなある日、確か1979年3月だったと思うのですが、阪和線・紀勢本線に臨時のブルートレインがイベントの一環で走ることになり、私は阪和線山中渓~紀伊間で以前から目を付けていたポイントへ行きました。幸いマイナーなところだったので、他に人はいなかったのですが、しばらくすると大学生らしい2人組がやってきました。そのうちの一人はさらに別の撮影場所へ行ったのですが、もう一人の大学生と一緒に撮影することになりました。お目当ての列車が来るまでは、その大学生と雑談しながら待っていましたが、その大学生の人が話していたことが印象に残っています。 その人から「今、どんな列車が気になっている?」と聞かれて、私は今もそうですが古い車両が好きであることを伝えると、その人は「もちろんそれはわかるけど、僕は新しい車両が好き。なぜなら、それが何十年も経つと古い車両になるんだし、新しい時期は今だけじゃないか。なくなる前になって焦って写真を撮るよりも、いつでも取れる時期に思う存分とるのもわるくないよ」と話していました。その時は理解できなかったけど、後年になって私が阪和・紀勢・和歌山といったマイナーな路線の車両に目を向けていたのは間違いじゃなかったんだと思うようになりました。だから、それらの車両が少なくなって、多くのファンが押し寄せるようになっても私は焦ることはしなかったです。 最近も、2019年9月まで桜井線・和歌山線で活躍していた105系や来月のダイヤ改正で引退する七尾線の413・415系も普段の活躍をしているうちに乗車して写真を撮ることができたので、他の人たちとあまりかち合わずストレスなしでした。 それにしても、私が小学生のころに出会った大学生の人、私にいい話を教えてくれていたんだなぁって思うと感謝していますよ。
2021年02月11日
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近鉄の特急車両12200系の引退、廃車が確定したようだ。2020年12月30日の毎日新聞の記事「英女王も乗車した豪華特急の先駆け 近鉄12200系が3月で引退」にて、「新スナックカー」の愛称を持つ12200系が老朽化のため、2021年3月に引退し、その後は基本的に廃車となる見込みと報じられた。【マイナビニュースから引用】 近鉄を代表する特急用車両の12200系が今年3月で引退するとのこと。私も小学校の時に家族で伊勢神宮に行ったことがあるんですが、その時に乗ったのはこの12200系でした。っていうか、168両も製造されたそうなので「近鉄特急」といえばこの車両でした。(逆に、これよりもさらに古い車両は見かけるだけで乗ったことはなかった・・・) そのためか、近鉄特急といえばこの車両っていうイメージが強くて、現在の新しい車両はどうもなじまないんですよね・・・。それと、近鉄特急の車両は、オレンジ車体に窓周りに紺色の帯が入った車両で、その色がまた格好良かったんです。今は白ベースになってなんだか軽くなってしまったようで・・・。 この12200系は、別名スナックカーという愛称がついていて、軽食が提供されるコーナーがあったそうですが、私は当時小学生だったこともあって行ったことがないので全然覚えていません・・・。 12200系は伊勢神宮に参拝する皇族も利用したほか、1975年に来日したエリザベス女王の「お召し列車」としても使用された。その際、大きな座席をゆったりと配置し、窓は防弾ガラスにしたという。【マイナビニュースから引用】 そんな近鉄特急を代表する車両だったことからこそ、お召列車として利用されたんですね。お召列車に12200系が使用されたことは聞いたことがあるのですが、防弾ガラスにしたことはもちろんのこと、座席を取っ払って特別な仕様にしたと聞いたことがあります。 3月に引退するとのこと、このご時世ではなかなか遠出することが難しいので乗ることができないかもしれませんけど、短距離でもおなごり乗車できたらいいんだけどな。
2021年01月11日
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私がいつも利用する王寺駅が開業130周年を記念して駅構内にポスター展示がされていますが、その中で気になったものを紹介します。今日は先日に続いて、王寺駅とその周辺の話です。 現在の王寺駅北側には、リーベルという商業施設とマンションの複合施設が建っております。先日のブログにも書きましたが、王寺駅は北口に商店街があってかなりにぎわっていたそうですけど、その商店街が狭い道路に面していて災害の面からも好ましくない状況でありました。 このため、道路を広げるとともに、商業施設とマンションが一体となった複合施設が建設されることになったようです。 この写真は2001年の時点の写真ということなので、ちょうど私が堺から引っ越してきた時点の写真なんですけど、駅周辺はこんな感じだったことはおぼえています。今なら駅北側にリーベルの建物がドーンとあるのに、この写真にはありませんからね。20年経つとここまで変化するんですね。 さらに時代をさかのぼって1975年の現在の久度大橋の様子です。 何の変哲もないこ線橋ですよね。 これが先日紹介した現在の久度大橋の様子。撮影している場所が橋の西東で違うのですが、先の写真では王寺駅の駅舎とつながっていないこと、すなわち久度大橋自体が単なる「こ線橋」になっていることがお分かりいただけるかと思います。また、最近になって屋根もついて快適になりました。 こうしてみていくと、何かの時に何気ない写真ってとても大事だなぁって思いますね。
2020年12月25日
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私がいつも利用する王寺駅が開業130周年を記念して駅構内にポスター展示がされていますが、その中で気になったものを紹介します。今日はこれです。 朝の通勤風景だそうです。この写真を見て、鉄道ファンの方なら使われている車両が何系であるかは一目瞭然でわかりますよね? そう、国鉄の急行型ディーゼルカーのキハ58系ですね。現在は大和路線という通称で呼ばれることが定着していますが、国鉄当時は国鉄関西本線。その関西本線は、1973年に電化されるまでは、非電化でディーゼルカーやSLやDLがけん引する客車列車が運転されていました。221系や201系が高速でかっ飛ばす今の時代と比べて何とものんびりした時代だったんですね。 そうはいっても、高度成長期は関西本線も例外ではなく、沿線開発が進むとともに利用客が増えて混雑も顕著になってきました。それを捌くために1961年、当時中央線や大阪環状線に投入されていた通勤用電車の101系をディーゼルカーにしたようなキハ35系を投入、味もそっけもない車両でしたが通勤輸送には最適な車両として1973年の電化まで活躍していました。 参考まで、下の写真がキハ35系の一族であるキハ30を例としてあげておきます。 この車両は、千葉県の久留里線で使われた後、同じ千葉県のいすみ鉄道に譲渡されたものですが、両開き3扉と通勤電車ではおなじみの形ですよね。実は、国鉄のディーゼルカーでこの形なのはこのキハ35系だけです。他の線区はこのキハ35系のような通勤型の車両を投入するほどの混雑ではなかったのか、関西本線が異常な混雑だったのか・・? さて、そんなキハ35系だけでなく従来からのそのほかのディーゼルカーも使われていたのですけど、ラッシュ時には通勤に最適な車両を優先して使っているはずなのに、この写真ではなぜ急行用の車両がラッシュ時に使われているんでしょう? ここからは私の勝手な想像ですけど、かつての国鉄は労使対立をしていて「順法闘争」、すなわち諸規則を守って運行すれば列車の遅延必至を逆手にとった闘争をしていた時期の写真ではないかってね。非電化の時代は、前出のとおりキハ35系がありましたから、わざわざ乗り降りのしにくい急行用の車両を投入する必要がないわけだから。ちなみに、その順法闘争に利用客が暴動を起こしたのが上尾事件です。 私の勝手な想像が長くなりましたけど、この一枚の写真からそんなことを想像してしまいました。 関西本線では上尾事件のような暴動は起こらなかったみたいですけど、昔のラッシュ時の映像なんか見ていると、あの満員の列車に乗る勇気はないですね・・・。そう考えれば、高度成長期のサラリーマンって強かったんだなぁって思いました。
2020年12月22日
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私がいつも利用する王寺駅が開業130周年を記念して駅構内にポスター展示がされていますが、その中で気になったものを紹介します。今日はこれです。 昔の王寺駅です。今の王寺駅は橋上駅になっていて北口と南口にバスターミナルがあるのですが、かつては今の北口にしか駅舎がなかったんですね。この当時から大きな駅だったようで、やはり交通の要所としての位置づけがあったんでしょうね。写真には大八車のようなものが写っていますから、かなり昔のようですがそのほかの写真を見てみると、戦後もこんな感じの駅舎だったようです。 昨日もこの写真をあげましたが、これが現在の王寺駅。線路をまたぐようにかかる橋が久度大橋で、赤い屋根のところが王寺駅の改札のあるところです。 交通の要所と書きましたが、それを裏付けるように駅構内がかなり広くて、かつては機関車の方向を変えるための転車台があったり機関区があったりしたそうです。その名残が広い構内ということなんですね。だから、夜間には多くの車両が留置されている様子をみることができます。
2020年12月19日
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私がいつも利用するJR王寺駅は、12月27日に開業130年を迎えます。元々大阪鉄道(のちに関西鉄道)の駅として開業して以来、鉄道の要所として今なお多くの人々が利用しています。130周年という一つの区切りなのですが、新型コロナウィルスの感染拡大のせいで大きなイベントが打てずの状況なのですが、それでも王寺駅構内ではポスター展示が行われています。 その一つとして、このような達磨のオブジェが登場しました。王寺町には達磨寺というのがありまして、このブログでも紹介したことがあります。 私が王寺町に引っ越してきたのは、2001年なので20年住んでいるわけですが、王寺駅周辺もいろいろ様変わりしてきました。王寺駅に掲出されているポスターには私が引っ越してくる前のものが多くてなかなか興味深いものがあります。それを少しずつ紹介していきたいと思います。
2020年12月18日
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11月12日から12月11日まで、ねとらぼ調査隊では「あなたの好きな新幹線は?」というアンケートを実施していました。 アンケートでは、元祖新幹線「0系」から最新型車両「N700S系」まで、JR各社の歴代新幹線車両をアンケートの選択項目としてピックアップ。ねとらぼ読者からの人気が高かったのは、どの新幹線車両だったのでしょうか?【ねとらぼから引用】 歴代の新幹線の中で好きな新幹線はどれか? というアンケート結果だそうです。1964年に登場した新幹線、東京~大阪間を3時間10分で結んでいた時代から今では2時間30分程度とスピードアップ、その運用区間は九州に伸び、その後東北など全国に伸びていったわけですが、我が国の悪しき慣習、すなわち政治屋による「我田引鉄」に近いものがあったり、今でも延伸工事が進んでいる区間なんかもその一つじゃないのかって思っていますけどね。 それはさておき、オフィシャルの結果はねとらぼの結果を見ていただければと思うのですが、個人的には0系が好きかな。前にこのブログにも書きましたが、子どものころからあこがれの車両の一つでした。なぜなら、幼稚園にあがるまでは新幹線のおもちゃを持っていたし、図鑑でもたくさん紹介されていたけど、乗ることはできず。そんな状況だった私が初めて新幹線に乗ったのは1982年の中学の修学旅行での博多→新大阪間でした。ただ、乗れた安心感からか修学旅行の委員をしていたからか新幹線に乗って爆睡してしまったんですけどね・・・。ちなみに、高校の修学旅行も吸収だったので、同じく博多→新大阪間を利用しました。(いずれも往路はフェリー利用)いずれも「新幹線に乗った」だけで車内をめぐるわけにもいかず、趣味的には何も印象に残りませんでした・・・。 その後、高卒で就職して初めて東京へ行ったのは1986年。当時は0系の後継の100系が増えつつあった時期でしたが、まだまだ0系が主力でした。しかも、0系オリジナルの「リクライニングしない」シートも使われていて、個人的には刑事ドラマでの新幹線車内のシーンでおなじみのシートだったので、それがなんだかちょっとうれしかったのを覚えています。 その後も仕事で何度も0系に乗りましたが、古くなってもよくできた車両だなぁって思いました。最後のおなごり乗車として、山陽新幹線の新大阪~西明石間という短い区間だけ乗ったこともこのブログで紹介しています。 その次に好きなのが0系の後継である100系ですね。0系の後期型は窓が小窓になってしまったのですが100系は広窓。すなわち2席で1つの窓というような感じで開放感があったし、先頭車両も0系の団子鼻ではなくシャープなラインで横から見ると格好良かったなぁってね。2階建て車両を組み込んだのもこの100系でした。その2階建て部分には一度も乗ることはなかったのですが、1階部分は何度かあります。 3番目に好きなのは500系かな。これはねとらぼでのアンケートでは1位だったのですが、現在では山陽新幹線の「こだま」で使われていて登場から20年以上が経過しているにもかかわらず、他の新幹線のデザインとは一線を画すもので現在の鉄道車両の中でも存在感のある車両ではないかと思っています。走行シーンはまるで「地を這うミサイル」のように感じています。ただ、そのデザインとは裏腹に、室内が狭いんですよね。天井方向が絞られているために、窓際は特に狭く感じます。 初めて乗ったのがまだ東海道区間で「のぞみ」として活躍している頃でしたが、駅での停車中も多くの人が注目していたのを覚えています。 以上私としてのランキングでしたが、住んでいる場所の関係や仕事の関係で乗車する区間が東海道・山陽新幹線の区間ですから、その他は利用する機会が少ないので評価のしようがない、というのが実際のところなんですけどね・・・。
2020年12月14日
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先週の金曜日、私が通勤で使用している大阪メトロ谷町線が朝のラッシュ時に守口~大日間で信号故障が発生、一時的に全線にわたって運転休止となりました。新型コロナウィルス感染が広がっている昨今、いつ動くかわからないのに「蜜」の状態で待つのは嫌だし、動き出したとしても今Z夏しているだろうという予想の下、私は大阪メトロ堺筋線で北浜まで行って北浜から京阪戦で天満橋へ向かうことにしました。おかげで、極端な混雑はなくてストレスなく移動することができました。 そんな迂回ルートを使っての移動の際、普段見かけない車両に乗車することができました。 いきなりドアの写真です。 これは京阪5000系の「ラッシュ用ドア」。京阪5000系というと全国初の「全編成5扉車」の車両です。5扉車とか6扉車はJR東日本や東京メトロでもありましたが、特に混雑する号車に数両が連結されていたにすぎないのわけですが、京阪は7両編成全てが5扉です。かつての京阪の朝の混雑はすさまじかったらしく、京阪標準の3扉ではさばき切れなかったのでしょうね。そんな時に登場したのがこの5000系なのですが、ラッシュが過ぎれば一部のドアを締め切りにするだけでなく、そこを座れるようにしたというのがすごいところです。写真の天井にちかいところに緑色のシートがちらっと見えますが、あれが降りてくるんです。私は京阪沿線に住んでいなかったので、この5扉全てが使用されている光景を見るのは数えるくらいしかなく、大概はラッシュ後にドア締め切りの座席が降りている状況をよく見ました・・・。 この5000系も近々全廃が予定されています。ホームドアに対応できないから、というのですね。ホームドアも大事だろうけど、ラッシュ時の混雑緩和には5扉車は強いんだけどな・・・。 それから、前出の大阪メトロ谷町線は、長時間守口~大日間が運休となったため、普段は運行されていない「守口行き」が運転されていました。 駅の案内表示は、「守口行き」。電光表示はいくらでもできるんでしょうけど・・・。 車両の方向幕にも「守口」の表示はあったんですね。 ちなみに、かつての谷町線の北の終点は守口でした。1983年に大日まで延長されて現在の形になっています。 朝の通勤時にやむなく迂回ルートで出勤するのは、急いでいるときには面倒なもので運賃も持ち出しになることがありますが、個人的には迂回ルートは嫌いではありません。急ぎの時は困るけどさ。
2020年12月02日
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先月、北海道へ行った際には車なので列車に乗ることはほとんどありませんでした。せいぜい函館市電くらいでしたが、道路沿いで線路を見かけれると何が通るか気にしていました。まぁ、鉄道ファンの端くれとしては、車に乗っていてもそういったところは気になるものなんです(笑)。 さて、そんな中で車で走っているときにちらっと見えた駅に行ってみることにしたのが、この駅です。 函館本線の渡島砂原駅です。 渡島砂原駅は、森駅の函館方面へ4駅行ったところにあります。地図を見ていただくと、函館本線って森駅から二手に分かれているんですが、特急が走るのはこの渡島砂原駅のある路線ではなく、駒ケ岳の西側をまっすぐ下りて大沼公園駅へ向かっていくのですが、森駅から駒ケ岳の東側を通って大沼公園駅へ向かうこの路線は、のんびりとした光景が広がる路線となっています。 調べてみると、昭和の初めころに渡島海岸鉄道という路線があって、その後国有化された(路線は渡島海岸鉄道とは別)になったようで、路線はその国有化後に現在の形になったようです。渡島砂原駅は、渡島海岸鉄道当時とは場所は違うようですが、その開業当時から存在したとのことです。 ホームにあがってみると、こんな感じでしっかりと列車を退避することができる対向式ホームとなっていました。ホーム長もあってかつてはそこそこの長さの列車が行き交っていたのでしょうね。 駅舎はこんな感じ。北海道の駅ならではの金属製の屋根ですね。木造の駅というのも味わいがあっていいものです。 駅の中はこんな感じで、無人駅になっています。それでもきれいに保たれていますよね。 この駅は、国道278号線から少しだけ中に入っていまして、駅の周りは住宅地ではなく、集落は海側になっているようです。 ところで、私が初めて北海道へやってきた1989年の時には、長万部から函館までローカル列車で移動しました。その時にこの通称砂原支線に乗っているはずなんです。たしかそれを狙って計画したと思うのですけど、3両編成のディーゼルカーでのんびりと車窓を眺めていたと思います。そんな旅も今や鉄道の本数が減ったりして簡単にはできなくなったかな・・・。 話を戻して、写真を写している間に列車が来てくれたらなおよかったのですが、そんなにうまくはいきませんでした。
2020年10月15日
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JR西日本は26日、近畿エリアの在来線主要区間で深夜帯ダイヤを見直し、来年春のダイヤ改正で最終列車の時間を10~30分程度繰り上げると発表した。午前0時以降を中心に約50本の列車を削減する。線路のメンテナンスを行う保守作業員の労働環境を改善する狙い。具体的な見直し内容は9月に公表する。 JR西によると、「働き方改革」の一環としてのダイヤ見直しはJRグループでは初。東京発の新幹線最終列車との接続は可能な限り確保する。私鉄各社との接続も配慮し、繰り上げの影響を受ける自治体には既に説明しているという。【共同通信から引用】 新型コロナウィルスのせいもあるかもしれませんが、JR西日本の最終列車の出発時間を繰り上げるとのこと。私が利用している大和路線は、天王寺が030頃に出発するダイヤになっていますから、0時頃に出発するっていうことになるのかもしれませんね。 まぁ、そんな時間まで残業なんて・・・って思うけど、私の職場は時折そんなとんでもない仕事が舞い込むことがあるからなぁ・・・。でも、逆に今のダイヤだったら、王寺着が1時すぎ。家に戻って寝るのが2時頃で、4時間余り寝たらもう出勤時間だもんな。そう考えれば、最終列車の出発時間が早くなればそれだけ早く帰れるかなってね。もっとも、そんな仕事はしたくないんだけどさ。 そういえば、私が就職した1986年当時はまだ国鉄だったけど、最終列車って0時前後だったような気がするなぁ・・・。その後景気が良くなって最終列車の時間が繰り下げられたように記憶しているんだけどな。それを元に戻すっていうことなんでしょうな。
2020年08月26日
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南海電鉄の車両というと、私が子供のころは「緑色の電車(正確には、緑の濃淡)」=南海本線、「銀色の電車(ステンレス車両)」=南海高野線、というイメージでした。もちろん例外もあるのですが、概ね主力の車両はそんな感じでした。そのステンレスの車両のパイオニアである6000系は1962年に登場、すでに初期製造の車両は50年を経過しているのですが、これまで廃車もなく高野線の主力として活躍してきたのですが、ついに引退の時が迫ってきているようです。 これが高野線で長らく活躍している6000系、私が子供のころは紺色や黄色のラインなんて入っていませんでした。関空開業に合わせて「南海=緑」というイメージ払しょくのためか、このようなラインが入れられてしまっています。 6000系の特徴は、南海標準である20mの車体長に片開き4扉というところです。関西の私鉄で片開き4扉を採用しているのは南海だけです。 扉が開いてしまえば両開きと変わらないかもしれませんが・・・。 扉単位でみると、結構大きな扉なんですよね。 あと、窓も特徴があって、関西の私鉄では上から下へ開く窓を採用しているところが多いのですが、6000系は国鉄やJRの車両のように下から上に開く窓となっています。 6000系同士の連結部分です。 中間車両として運転台のある車両が入っていると、私は必ずそこに乗っていました。ちょっとした車掌気分だったりとかね。空いているのもこのスペースだったりするのですが、最近はロープが張られて立ち入ることができないみたいですけど・・・。 ところで、南海の車両って今の新しい車両は採用していませんが、古い車両は車番の数字が浪漫字体なんです。これがまた南海らしいというか、関西の私鉄では見られない特徴です。 ついでに、6000系は1962年から1969年までの7年間に72両が製造されたわけですが、初期のものの銘板には、写真のように昭和38年といったものもあります。主力で使われている車両の中で、昭和30年代のものが今でも動いている、ということもすごいことです。 ただ、冒頭にも書きましたが、近々引退が予定されています。その中で一足先に廃車になった2両が静岡県の大井川鉄道へ移籍しているとのこと。奇しくも大井川鉄道には、同じ高野線で活躍していた急行車両の21001系が今でも活躍しているので、大阪から遠く離れたところで再会することになるんですね。
2020年08月06日
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先日、西宮へ行った際に阪急今津線に乗車しました。今津線は何度も乗ったことがあるのですが、今回は途中の阪神国道駅から乗ってみました。 今津線の歴史ある太い高架橋の下に駅の改札口がありました。 駅はこんな感じで高架駅です。この道路は国道2号線、今では阪神国道と呼ぶ人は少ないのかな・・・。そういえば、古いニュース映像を見ていた時に、国道43号線のことを第二阪神国道って紹介していたので、かつては国道2号線は阪神国道、国道43号線を第二阪神国道って呼んでいたのでしょうね。 歩道橋から東の方向を向いています。阪神バスが出発していきましたが、その横に広がる空き地にアサヒビールの工場があったと思います。 1975年まではこの国道2号線を路面電車(阪神国道線)がありました。その名残で、阪神尼崎からこの国道2号線を経由して神戸税関前までの阪神電鉄バスが運行されていました。通しで利用する客がいたかどうかはわかりませんが、かなり珍しいものだったと思います。 今津線は、今津~西宮北口と西宮北口~宝塚の2つの路線からなっています。元々は直通の路線だったのですが、1984年に現在の形になりました。そして、1998年からは今津~西宮北口間でワンマン運転されており、6000系3連で運行されています。今津~西宮北口間の途中駅は、この阪神国道駅だけなので問題ないでしょうけどね。 阪神国道からほどなくして西宮北口に到着。今回乗ってみて気がついたのは、以前だったら西宮北口に到着するときに踏切があったはずなのに、なかったこと。それもそのはず、2010年に阪神国道~西宮北口が高架工事が完成していたのでした。前回に乗ったのは10年以上も前だったのかな、それとも気がつかなかったのか・・・。 ちなみに、その踏切って確かかつて阪急ブレーブスの本拠地だった西宮球場の西側にあった踏切で、何度か西宮球場へ野球を見に行った際に、気になる存在だったのを覚えています。 今津~西宮北口間が全線高架となっても、使用する車両を送り込むための路線はこのように残っています。新たに引き直したようにも見えますね。そこにはちゃんと踏切もあります。ここの踏切が降りるのはかなり珍しいのでしょうね。 ところで、1984年までは今津線は今津~宝塚間が直通運転されていたのですが、この西宮北口駅の構内で平面交差をしていたんですね。路面電車でも珍しいのに、゚大私鉄の阪急が平面交差をしていたというのはかなり珍しいものだったんでしょうね。 話を戻して、久しぶりに今津線や西宮北口に行くことができて、まだ上の娘が小さかった頃にベビーカーに乗せてここまで来たなぁと懐かしく思い出していました。
2020年06月05日
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先日、デリカSWの12ヶ月点検のために西宮へ行きましたが、その際に足を伸ばして阪神武庫川線に乗ってきました。現在、使用されている7861型と7890型が近く引退するということだったので、例によって葬式鉄の連中がやってくる前に行くことにしました。 この日運行されていたのは、7864+7964の編成でした。かつては本線や西大阪線(現・なんば線)でも活躍していたのですが、今日ではこの武庫川線のみで使用されています。本線や西大阪線で使用されている時には何回も乗っています。 このうち、7964号に乗車、車内には銘板もありました。 阪神の車両は、今では川崎重工などで作られていますが、以前は武庫川車両でつくられたものがほとんどでしたね。 武庫川線では、7890+7990の編成がメインで使われているのですけど、このようにお休みしていました。 阪神の車両は、この7890型のように車体の裾の方を丸く加工した車両と、1枚目の7861型のように加工していない車両がありました。現在、普通車用として使用されている5001型は前者の方ですが、こんな細かいところで表情が変わるものなんですね。どちらが好みかは人それぞれかもしれませんが、私は加工していないいわゆる経済車の方が好きなんですけどね。 武庫川線には、あまり撮影ポイントというところがないので「乗車する」ことがメインになってしまいます。武庫川線の途中駅である東鳴尾、洲崎ともにホームが狭いのでホームで撮影するのは難しいし、沿線は住宅地がすごく近いし。よって、この日も終点の武庫川団地前まで乗車しました。 武庫川団地前もゆったりと写真を写せるようなものではないのですが、なんとかこのように撮影しました。7861型は今では珍しくなった「片開き扉」が特徴です。 さて、私は1996年7月から約3年間の甲子園在住時に阪神を利用したのでしたが、阪神といえばこのクリーム色にオレンジ色のいわゆる急行色の車両でした。当時最新の車両がステンレス車体の9000系と普通鋼の5500系であまり阪神らしくないと感じたものでしたが、大半は阪神らしい車両が多くてこの日もこの7861型に乗車すると、結婚して縁もゆかりもない甲子園で生活の第一歩を始めたこと、子供が生まれたこと、建物は古かったけど環境が素晴らしかったことなど若かりし日のことを少し思い出しました。
2020年05月26日
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緊急事態宣言は31日の宣言期限を待たずに全面解除の見通しとなったが、コロナ禍で時刻表の発売が中止になる珍事が起こった。今日25日発売予定だった「小型全国時刻表」6月号、「コンパス時刻表」6月号(ともに交通新聞社)が休刊となった。交通新聞社時刻表編集部の大滝真理さんは「新型コロナウイルスで運行状況が日々変わり、正確な情報提供が難しくなった。休刊は初めて」と話している。 ネットで時刻も運賃も乗り継ぎも調べられることから、時刻表は大きく部数を減らしているが、鉄道ファンのバイブルであることは変わらず、「小型」「コンパス」とも7万部を発行している。【日刊スポーツから引用】 近々新型コロナウィルスの緊急事態宣言が解除される見通しになりましたが、影響はまだまだこの先も引きづりそうですね。そんな影響の一つとして、こんなところにも影響がと思って取り上げたのがこの時刻表の話です。 ところで、みなさんは時刻表を使って任意の出発地から目的地までの時間を調べたり料金を調べることはできますか? 最近はネット検索でするのが普通なので、時刻表を使って調べなくても大したことはないですけどね・・・。私は、鉄道ファンの端くれなので子供の頃からそのようなことは朝飯前で、それは就職してからも何ら問題なくできましたが、同じ部署の先輩職員が苦労しながら調べているのをみると、見かねて私がたちどころに調べたり、もっと効率的なルートを案内したりと鉄分の多い人なら当たり前のことをしていました(苦笑)。 さて、そんな場面で使用する時刻表。駅のみどりの窓口や旅行会社では常備されていますし、私の職場でも毎月ではないのですが購入していました。それらはいずれも大判と呼ばれる国鉄線(JR線)の全路線・全駅の時刻が詳細に書かれたものですが、本文にある「小型全国時刻表」「コンパス時刻表」というのは、大判よりももっと小型でB6版くらいの大きさだったかな。だから、カバンに入れてもあまり大判ほど邪魔にならないものなんです。ただ、その大きさゆえに全駅の時刻が載っているわけではないので、そこに載っていない駅が目的地だったりするとなかなか大変だったりします・・・。 そんな小判の時刻表、一時発行休止になるんですね。大判の小型バージョンと思っていたのですが、いろいろと手間がかかるのかな。あとネットで簡単に調べられる世の中になった、というのもあるのかもしれません。大判のものは、前出のとおり駅や旅行会社では必需品でしょうけど、小判は一般の旅行者がユーザーでしょうからね。 そういえば、私は今のようなネットが普及する以前は、ダイヤ改正の際に大判の時刻表を買っていました。そして、旅行するときには重いしかさばるけどそれを持って行っていました。時刻を調べるのは楽だし、どの駅で何分停車するとか、単線区間だったらどの駅で対向待ちをするとか、いろいろ調べることができるし今のネットのように検索する条件とか入れなくても、ページをめくればいいだけですからね。あと、座席に座れない時は、デッキに時刻表をおいてそこに座って座布団替わりにすることもできるし(笑)。 本文にあったコンパス時刻表は、東北に行った時か九州に行った時に必要に駆られて買いました。大判の時刻表を買っていなかったのと急遽買うにはお金と荷物のスペースがなかったので。ただ、普段の大判の時刻表に慣れている身にしては、手になじむ大きさなんだけど、情報が少なくなっているので使いづらかったかな・・・。 話をもどして、一時的な休刊ということなのでまた復活するでしょう。根強いニーズがあるようなので、ネット社会になっても使われているのはいいことだと思います。
2020年05月24日
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昨日、息子の見送りに大阪空港まで行きました。大阪空港へ行くには、リムジンバスが乗り換えがないし便利なのですが、渋滞の恐れがあることから私はいつも阪急と大阪モノレールを乗り継いで向かっています。今回もそのルートで行きました。 さて、その帰りも大阪モノレールと阪急を乗り継いだわけですが、阪急梅田駅に着いてから乗ってきた車両をよくみるとちょっと懐かしいものがあったので写真を撮りました。 これが蛍池から梅田まで乗ってきた8000系です。(行き先表示は折り返し運転のために、雲雀丘花屋敷行きになっていますが)。なにが懐かしいかというと、先頭車両のところに・・・ 昔の阪急の車両に取り付けられていた「H」のマークがありました。「Hankyu」の頭文字ですね。 拡大するとこんな感じ。スピード感のある表記ですね。 私はあまり阪急を利用することはなかったのですが、阪急といえばこのマークって覚えていました。ただ、私が就職した1986年頃は見かけることは少なくなっていたような・・・。 ところで、阪急の車両には車体中央部にこのマークが入っておりました。私にとっては「H」マークもそうなのですが、このマークは現在のマークに代わるまで長らく使われていたのでこちらのマークもよく覚えています。 このマーク、よく見ると大阪市の市章と神戸市の市章が中央に重なっていて、その外側に京都市の市章をイメージしたかのようなマークが組み合わさっているのがお分かりいただけるかと思います。阪急は今では「阪急電鉄」という会社名ですが、その昔は「阪神急行電鉄」、さらに今の京都線(かつては新京阪)を傘下に収めて「京阪神急行電鉄」と社名が変わっていていますが、いずれも通称が阪急だったんですね。 話を戻して、「H」マークと旧のマークが取り付けられているのは、とりあえず見かけた中ではこの8000系の8004の編成だけのようでした。
2020年04月01日
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函館から札幌へは特急「スーパー北斗13号」で向かいました。 JR北海道のキハ261系です。 函館から特急で移動するのは初めてです。青函連絡船があった当時だったら、ここから札幌、釧路や旭川を経由して網走へ特急が運転されていたし、急行も同じ区間や稚内などへも運転されていたでしょうけど、今ではそんな面影はありません。 当日の切符です。 JR北海道の区間の利用ですが、購入したのは地元の王寺駅。だから、切符の地模様はJR西日本仕用となっています。 さて、北海道新幹線との接続駅である新北見北斗駅で新幹線からの乗り継ぎ客で車内はいっぱいとなりましたが、私の隣の席は札幌まで空いたままでした。札幌着は1753、函館から4時間もかかりました。車両は良くなってスピードアップされていますが、それでも4時間もかかるんですね。北海道って広いです。 ところで、函館駅には函館本線の起点となる0キロポストが駅構内にありました。 札幌市内では、札幌市電に乗車しました。写真の255は1961年に登場した車両で、昔の札幌市電の標準的な表情の車両です。古い吊り掛けモーターを響かせながら走っていました。 この写真は3303号、1999年にさらに古い車両の車体などを更新して製造されたもので、車体は新しいが音は古い吊り掛けモーターでした。札幌市電には新しい車両もあるのですが、私は鈍重な音を響かせて走る車両が好きです。 ところで、この3303号の正面の行き先表示をみていただくと、「循環」とかかれていますね。普通は行き先が書いてあるはずなのに、循環行きなのか? そうではなくて、札幌市電は路面電車では珍しい循環運転をしているんです。要するに大阪環状線や山手線のように「外回り」「内回り」というイメージですね。元々はそんなことはしていなかったのですが、2015年にすすきのと西四丁目の間を接続して循環運転ができるようにしたんですね。すすきのと西四丁目が近かったこともあるんでしょうけど、循環運転するようになって利用客数が増えているとか・・・。
2020年02月17日
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今回の金沢・七尾への旅の最大の目的は、415系800番台と413系が置き換えられる前の普段の状況を撮影して乗り鉄すること。来年秋から順次置き換えられるとのことですから、タイミング的には寒くて天気がすっきりしないこの時期だったら最適かと思っていくことにしました。 この写真は、113系改造の415系800番台。種車は阪和線や大和路線などで使われていた113系ですから、私が阪和線ユーザーだった時に乗車した車両も含まれています。赤い色が褪せてしまったり、錆こぶが目立つ車両もあって痛々しいのです・・・。(本津幡駅にて) この写真は、413系。足回りは北陸本線で急行列車として使われていた車両の車体を載せ替えたものです。急行列車当時の外観は失われてしまいましたが、足回りは急行車両当時のままなので前出の415系800番台と比べると格段にいいのです。ただ、塗装はこのように褪せてしまっているものも多かったりします。 ちなみに、写真のクモハ413-101他の編成は、1形式しか製造されなかった473系を改造したものです。(横山駅にて) でも、中にはこのように色を塗り替えられた車両もあります。本来はこんな色なんですよ。赤系統の色ってどうしても褪せやすいですよね・・・。(本津幡駅にて) これらの編成は、3両編成で使われることが多いのですが、このように6両編成で使われることもあります。(千路~金丸間にて) 七尾線で使われている415系800番台や413系の中で変わり種は、片開き2扉という急行型電車の面影を残すクハ455ー701とー702。写真は702ですが、今回は両方の車両に乗車することができました。 車内は残念ながら一部はロングシートが配置されてしまっていますが、車体中央には急行当時のボックスシートが残されていて、ここに座るとかつての急行列車に乗っているような感じになります。七尾線は駅間が長いところが多いし、結構飛ばすんですよね・・・。 青春18きっぷ利用であったので限られた時間でしたが、それでも何度も乗ることができたし、写真も撮ることができました。変な鉄道マニアを見かけることもなく、もちろんのことですがほかの利用客の迷惑にならないようにしながら写真を撮っていました。 ちなみに、左の車両がクハ455-701で思いがけなくやってきたので、本来の予定になかったのですが、写真の本津幡から横山まで乗車しました。おかげでそのあとの予定が若干ずれてしまいましたが・・・。
2019年12月27日
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先日の東京・伊豆への往復は、青春18きっぷを利用したのはこれまでにも書いていますが、その時に見かけた車両を紹介します。関西住まいの私にとっては、あまり馴染みのない車両ばかりですが・・・。 特急「踊り子」号に使われている185系です。1981年から登場した車両で、特急車両でありながら当時の急行型車両をベースにしたような車両になっています。登場当初もあまり人気があるように思えましたが、「踊り子」のみならず東京から群馬方面への特急にも使われていました。 この185系も近々置き換えられるそうです。乗ったことがなかったのですけど、何かの機会に乗れたらいいなぁってね。 同じ伊豆方面への特急では、この特徴的な251系もあります。「スーパービュー踊り子」号として使われています。パッと見では「イモムシみたい」って思ったんですけど、かなりインパクトのある車両ですよね。 サイドからみても天井まで回り込んだ窓が特徴です。 ただ、写真からもわかるように結構汚れているし、傷んでいました・・・。 先ほどの185系の「踊り子」同様、この251系も置き換えられるとのことです。 伊豆急行では、2100系のリゾート21が普通列車で使われていました。特別な料金も不要なようで、伊豆の海を見ながら乗車することができるんですね。車内も海沿いを見ることができるような配置になっていました。 この車両も、残念ながら乗ることはできませんでした。もっとも、終点まで乗るつもりでないともったいないですけどね・・・。
2019年12月25日
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和歌山線や万葉まほろば線(桜井線)で活躍している105系が今月いっぱいで引退するということで、少し前から個人的にお名残乗車をしておりました。「思い立ったが乗り鉄」もその一環でした。 この塗装で登場したのが1984年。当時電化されたばかりの奈良線と和歌山線の五条~和歌山間向けに投入されました。1984年といえば国鉄末期、本来なら新製投入もありえるところでしょうけど、当時大赤字だった国鉄にそんな余裕があるわけなし。ちょうどその頃、営団地下鉄(現・東京メトロ)千代田線~常磐線直通の車両の置換え計画があって、その車両を改造して奈良線と和歌山線に投入することで登場したのが、この105系(正確には105系500番台)でした。 ただ、奈良線も和歌山線も2両編成を基本に編成を組み立てていくこととしたため、運転台のある先頭車両が必要となったため、全国の国鉄の工場で改造工事をすることとなりました。1987年に国鉄からJRになり、今では会社間を超えて車両が所属を移動することはなくなりましたが、この105系には全国の国鉄の工場で改造されたことを示す銘板が取り付けられています。前置きが長くなりましたが、今回はその銘板を紹介します。 まずは、幡生工場です。ここはJR西日本の下関総合車両所として今も存在しています。山陽本線の幡生駅にあって、今でも車両の整備や改造が行われています。 こちらは、広島工場。ここは今ではJR貨物の広島車両所となっているそうです。lp こちらは、吹田工場。今では吹田総合車両所となっておりまして、JR京都線の吹田~千里丘間にあります。だから、JR京都線の列車に乗っていると見ることができます。 以上が今でもJR西日本管内にあるわけですが、次からはJR西日本以外にあるところになります。 こちらは、名古屋工場。今ではJR東海の名古屋工場となっているそうです。 こちらは、長野工場。今では、JR東日本の長野総合車両センターとして存在しており、JR東日本の車両の改造や解体を行っているそうです。 こちらは、大井工場。今では、JR東日本の東京総合車両センターとなっておりまして、京浜東北線の品川~大井町間で見ることができます。私が東京の定宿にしている大井町のホテルに行くときに見ることができるので、私にとってはお馴染みのところです。 こちらは、大船工場。2006年までは鎌倉総合車両センターとして存在していたそうですが、今は閉鎖されてしまっているようです。 こちらは、大宮工場。今では大宮総合車両センターとなっています。鉄道博物館に隣接した工場です。 以上がここで活躍している105系を改造した国鉄の工場、いずれも「日本国有鉄道 昭和59年改造」と書かれておりまして、日本国有鉄道という響きが私のような古い鉄道ファンには心に響くものがあります。 それにしても、思い立ったが乗り鉄の時にも写真を撮っている人がいましたけど、運行最終日が29日らしいです。特にイベント的なことは行わないみたいですし、その方が混乱しなくていいと思います。
2019年09月26日
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JR和歌山線や万葉まほろば線に登場した227系1000番台、今月末までに2両編成×28編成が出揃って現在活躍している105系を置き換えることになっています。そして現在、少しずつ置換えが進んでおりまして、よく見かけるようになりました。 こんな感じの車両で、大阪環状線の323系とよく似ていますよね。これからのJR西日本の通勤型の標準形になるのでしょうね。車内はロングシートですので、ここも323系と同じ。元々の227系は広島地区に投入されたのですが、広島では転換クロスシートなので同じ形式でもパターンが違うんですね。 新しい車両なので利用される方も「新型車両だ!」と喜んでいるようでした。105系は改造車だったし、見るからに古い感じがした(そこが個人的には好きだけど)のですが、やはり新しい車両の方がいいからね。 ところで、2両編成ということなので和歌山線や万葉まほろば線で使われるだけでなく、大阪環状線に乗り入れる大和路快速の増結用にも使えないかなってね。大和路快速は基本的には221系8両編成なのですが、221系6両編成のものもあって大阪環状線内では混雑することが多いし、8両編成の列車の中で6両編成の車両が混在するのは利用客も困ると思うので、この2両編成の227系1000番台を増結用として使えたらいいんじゃないかって思うんだけどね。(221系6両編成は、普通列車用などそれはそれで使用する目的があることから、なくすわけにはいかないし) 話を戻して、古い車両が姿を消すのはさみしいけど、普通に利用する人たちには新しい車両の方が気持ちいいもんね。
2019年09月03日
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今日は雨が降ったり止んだりの天気だったなら地方です。そんな天気だったので畑には行けず、思い立ったが乗り鉄してきました。先日、万葉まほろば線に乗っていた時に気になった駅、それが今回紹介する畝傍駅でした。 畝傍駅は、1940年昭和天皇の橿原神宮行幸の際に建築された駅なんです。残念ながら今では無人駅になっていますけどね。1940年というと皇紀2600年、そういうこともあって出来た駅なんでしょうね。 ここから橿原神宮へ行くには、実はちょっと離れているんです。列車で行くなら先日紹介した八木西口駅から近鉄橿原線に乗るのですけど、なぜかこのような石碑があります。 畝傍駅は、前出のとおり昭和天皇行幸の際に建築されたことから、貴賓室も併設されたそうです。この建物がそのように思うのですがどうなのかな・・・。閉鎖されていますけどね。 駅舎の中に入ってみると、昔の駅っていう感じがしますね。歴史を感じる駅です。 おそらく天皇陛下がこられる際には、お召し列車が運転されたと思うのですが、この階段を通っておられたのかもしれません。今もこんな感ですが、この階段は使われていないようです。 もうひとつの階段は木製の手すりがありまして・・・ その先には、前出の貴賓室と思われる建屋につながっています。 もしかしたら、天皇陛下や皇室の方々も通っておられたかもしれませんね。 ホームに入ってみます。このホームは桜井、天理、奈良方面のホームになっていますが、少し広めの幅になっています。やはり皇室の方々が利用されるということで広めにしていたのかもしれませんね。 こちらの階段がメインの階段で、駅舎につながっています。 反対側のホームは、高田、王寺方面のホームです。ちょうど高田方面和歌山行の列車が入ってきました。写真の105系も9月いっぱいで引退となるとか・・・。 さて、この畝傍駅は趣のある駅であるということは知っていたのですが、このように訪れるのは初めてでしたので、思い立ったが寄ることができてよかったです。
2019年08月31日
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私の職場は、盆休みという概念はなく、交代で休みをとるので、この連休もいつもの休みと同じ連休でした。 さて、そんな連休の最終日、特に予定はなかったこともあって「思い立ったが乗り鉄」ということで、夕方に和歌山線と万葉まほろば線(桜井線)に乗ってみました。 和歌山線と万葉まほろば線(桜井線)には、今年春から227系1000番台が登場しています。広島に購入された227系0番台とほぼ同じ、また大阪環状線で活躍している323系ともほぼ同じでこれからのJR西日本の通勤型車両の標準になるのでしょうね。 これに乗って高田へ。万葉まほろば線(桜井線)は本数が少なく、乗り継ぎに20分近くあったので駅を出てコンビニへ。戻ってきて万葉まほろば線(桜井線)の奈良行に乗り換えました。 乗ったのは、105系の2連。近いうちに置き換えられることが予定されているのでラッキーでした。 このブログでも紹介しましたが、和歌山線や万葉まほろば線(桜井線)で活躍している105系500番台は、元々は103系1000番台を改造したものです。よって103系当時の面影が残っている車両があるのですが、今回乗車したクモハ105-508の編成はまさしく103系当時の面影を残した車両でした。ドアの周り、窓の周りなどもこれまで当たり前のように見ていたのですけど、こんな感じだったなぁってね。 奈良に到着。このような光景もあと僅かになるんですね。 乗り鉄ということで、おとなしく行き過ぎる車窓をのんびりと見ていましたが、中には撮り鉄なのか車内をあっちウロウロこっちウロウロしているのがいました。残り少なくなってくると、こんな奴らが増えてくるのかって思うとなんだかなぁってね。 それにしても、家にいても暑いのでこうして「思い立ったが乗り鉄」というのもいいものだなぁってね。
2019年08月12日
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近鉄橿原線八木西口駅の短絡線の話の続きです。 駅を出てから、大和八木駅方面へ歩いていきますと踏切に出ました。 遠くに列車が止まっていますが、ここが大和八木駅です。 反対側をみると、八木西口駅が見えます。 この踏切からは両方の駅が見えるのですが、線路がカーブしているため駅どうしでは見ることはできません。その点では、京阪電車の土居と滝井のようにはなっていないんですね。 この踏切の先には、短絡線の踏切がありました。 この写真は、八木西口方面を見ています。結構カーブしていますね。 時々列車が走っているようです。草ぼうぼうになっていないし、線路も錆だらけということはありませんでした。
2019年08月06日
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近鉄大和八木駅は、近鉄大阪線と近鉄橿原線が交差する駅でして、近鉄大阪線は大阪と伊勢志摩を、近鉄橿原線は橿原神宮前と大和西大寺、さらにはその北にある京都線を介して京都を結んでいます。大阪から伊勢志摩方面は大阪線を一直線なのですが、京都からも伊勢志摩方面への特急が運転されています。 さて、京都方面からどうやって大阪線へ乗り入れているのか。これは、橿原線の新ノ口駅から短絡線(新ノ口連絡線)があってそれを通って大阪線へ乗り入れているのです。これができるまではどうやって大阪線へ乗り入れていたか。実は、今日紹介する路線を介して大阪線へ乗り入れていました。 その路線は、大和八木駅のひとつ南にある八木西口駅から短絡線を通っていました。 これは八木西口から北側をみています。 ホームの端っこにやってきました。 京都方面からの列車は、この八木西口駅を通り過ぎて・・・ 一旦停止したのち方向を変えて、ここのポイントを渡ってきます。 そして、一枚上の写真のポイントを左に折れて通っていくと、大阪線の線路へ行きます。 大阪線に乗り入れてから再び方向を変えて大和八木駅に到着します。だから、大和八木駅は二回通ることになるんですね。 八木西口駅は、小さな駅で大和八木駅と900mくらいしか離れていません。でも、それぞれの駅からは見えないんです。微妙に線路がカーブしているからね。八木西口駅のホームからは短絡線の様子がよくわからないので、一旦降りて様子を見てみました。 それについては、また別の機会に。
2019年08月05日
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先日、妻が買ってきたビールは、今年で40周年を迎えたJR山口線を走る「やまぐち号」がデザインされたものでした。 1979年8月に復活した当時の国鉄の蒸気機関車。私が物心ついたころには、近畿地方からはその姿を見ることができず、私にとっては本や映像でしかみることができないものでした。もっとも、私の実家の最寄りの国鉄阪和線には蒸気機関車は走っていませんでしたけどね・・・。 そんな蒸気機関車が1979年に復活というニュースを聞いたときは信じられなかったし、復活するなら北海道では、って当時は思ったものですが、山口線になったのは東京や大阪などから新幹線利用が見込まれるという狙いもあったのではないかって思うんですけどね。(あとは転車台など蒸気機関車では必須の設備の有無もあったでしょうけど) 1979年当時には、私鉄ですが静岡県の大井川鉄道においても蒸気機関車は走っていたのですが、C11という小型の車両だったのに対して、国鉄はC57という国鉄屈指の人気の車両でしたから、注目は大きかったと思います。 なお、私にとっては今に至るまで「やまぐち号」には乗ったことないんですけどね・・・。1989年に北海道で小樽~倶知安間に復活したJR北海道のC62が牽引する列車には乗りましたが・・・。 話を戻して、今ではJRや私鉄も蒸気機関車の復活に取り組んでいるのは、鉄道遺産として大切なことだと思いますが、部品の確保や技術の伝承など課題も多いかと思います。でも、いつまでもいい状態で保たれた車両が見られればいいなぁと思います。 それにしても、妻もよくこの記念缶を探して買ってくれたものだと思いました。
2019年07月10日
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カウントダウンが始まっている和歌山線・桜井線を走っている105系ですが、最近の車両における行き先表示はLEDのものが多い中で、こちらは未だにアナログ的な幕表示になっています。 このクハ105も「普通」という表示をしてますが、ここに予め作成された幕がセットされてくるくると回しながら表示がされるようになっています。終点の駅で折り返すときに幕が回っているのをご覧になった方もおられると思いますが、自動でまわるものもあれば手動で回すものもあります。 ちなみに、写真の105系の幕の表示はこんな感じになっています。列車の急な行先変更などにも対応できるように結構多めに入っていたりします。例えば、この105系は和歌山線・桜井線でほぼ使われるにもかかわらず、紀勢本線の紀伊田辺~新宮間でも使えるようになっているんですね。 LEDの行き先表示だと一瞬で行先が変わるので味気ないのですが、このような幕だと思いがけない表示が出てくるのが楽しみだったりします。 こういうのもだんだん少なくなっていくんですね・・・。
2019年06月13日
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JR西日本(西日本旅客鉄道)は6月7日、大阪環状線で運行を続けてきた“オレンジ色”の201系電車の最終運行を行なった。列車は最後の営業運転を終えて11時19分にJR京橋駅に到着、乗客が降車したあとは「回送」となり、11時21分に吹田総合車両所森ノ宮支所に向かってゆっくりと京橋駅を出ていった。 201系の引退は、2013年12月にスタートした「大阪環状線改造プロジェクト」の一環。プロジェクトでは、駅の改良・美化、車両の新製、高架化・駅周辺の開発などが盛り込まれており、201系も車両の老朽化と3ドア車への統一を図るため新型の323系電車に置き換わることになっていた。このプロジェクトで同様に置き換えられることになった103系は2017年10月に引退しており、今回は323系電車の全編成(8両編成22本、計176両)投入が完了したことを受けての最終運行となった。 当日の混乱を避けるため、最終運行時刻のアナウンスはされていなかったが、それでも噂を聞き付けた鉄道ファンらがJR京橋駅のホームで列車を待ち構え、また終点の京橋まで乗車するなどして、それぞれに“オレンジ色の201系”との別れを惜しんでいた。(中略) “全身オレンジ色”の電車が大阪環状線に登場したのは、1961年。101系電車からはじまったもので、首都圏では中央線快速、青梅・五日市線、武蔵野線で、京阪神では大阪環状線、桜島線、片町線などで半世紀以上にわたって親しまれてきたが、今回の大阪環状線201系引退とともについにその姿を消した。同時に、大阪環状線から国鉄時代に製造された車両も姿を消すことになった。 今後、大阪環状線内は323系を中心に、221系、223系、225系が走ることになる。これらはすべて3ドア車であり、今回4ドア車の201系が引退したことで、ホーム柵の設置工事なども本格的に進むことになる。なお、JR西日本の201系電車は大和路線、和歌山線、おおさか東線、桜井線で今後もしばらく走り続ける予定だ。【Impress Watchから引用】 大阪環状線を走っていたオレンジの車両の201系が今日、運行を終了したとのこと。大阪環状線は1961年に開業(正確に言うと、その前身の城東線と西成線が元々あってそれらを統合して環状運転するようになった)し、当時の国鉄は101系という当時の新しい車両を導入、その色がオレンジであったことから従来の車両もオレンジ色に塗られて以来、103系や今回運行終了した201系まで「大阪環状線=オレンジ」という刷り込みになっておりました。(ちなみに、当時の片町線や阪和線もオレンジ色でしたが) さて、201系に代わる新しい323系が導入されるようになってくると、大阪環状線の駅で撮影する鉄道ファンが増えてきて、例えば福島駅とか野田駅のような写真の撮りやすそうな駅では朝のラッシュ時から写真を撮っているのがいました。そして、201系の運転本数が減ってきて、今日のようなラスト運行なんてなると、「葬式鉄」のような奴が大挙して集まってほかの利用客の迷惑になるということからか、今日のいつ、運行するかということはシークレットにしていたようですね。 私も気にしていたのですけど、いいタイミングで乗れたらいいなぁと思いながら結局乗れずでした。でもまぁ、201系自体は私の地元の大和路線やおおさか東線、時間帯によっては和歌山線の王寺~高田間や万葉まほろば線の奈良~高田間で走っていますし、JR西日本のことですから当分は置き換えはないでしょうからね。運行されている201系は元々現在のJR京都・神戸線(当時は東海道・山陽緩行線)で1982年から活躍していたものですから、もう40年近く走っているわけですね。国鉄当時の貴重な車両になっています。 ちなみに、天王寺駅には201系のラストランに関する案内がありました。この写真をみていると、JR京都・神戸線へ新しい車両(321系)を投入するにあたり、従来の201系の転属先として大阪環状線が選ばれ、そこで使われていた103系は阪和線や大和路線へ移動させたことが思い出されました。 性能的に201系が大阪環状線へやってくるとは思わなかったので、とても意外に感じたものです。転属当初はJR京都・神戸線当時の青色のままで運行されたり、なぜか4両編成×2本をつなげた編成もあったりとユニークなものもあったのを思い出しました。 201系の撤退により、大阪環状線で運行される車両は全て3扉車に統一されたので、この先各駅ではホームドアの設置が進むかもしれませんね。それはいいことなのですが、困るのは整列乗車。3扉車に統一されるということは、整列乗車する位置もみんな同じところに並ぶことになりますね。 例えば大阪駅で、 ○関空紀州路快速に乗る利用者 ○大和路快速に乗る利用客 ○大阪環状線の快速が止まらない駅へ行く利用客 ○USJへ行く利用客これらすべてが同じ目標位置で並ぶとすれば、ちょっと混乱するかもしれませんね。うまく整列乗車位置を調整できればいいのですけどね。確か西武鉄道だったかな、うまく列をずらして並ばせていたような・・・。 もうオレンジの車両がみられないのは残念だけど、一利用者としては綺麗な車両が増えたのはいいことだと思います。
2019年06月07日
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先日の和歌山への出張では、和歌山線を利用しました。前にこのブログでもふれましたが、現在和歌山線で普通列車として活躍している105系は来年9月までに全車が新しい227系1000番台に置き換わることになっています。だいたい最近は、そういうなくなる間際になって「葬式鉄」というたわけがたくさん集まりますので、少しでも普段の状況を目に焼き付けておきたいということから今回乗ってみました。 王寺から和歌山までかなりの時間がかかるのですが、早めに出発しました。特に通学の時間帯は2両編成の車内に学生がいっぱいなのですが、それも途中まで。あとはローカル線らしい風景画広がるし、天気が悪かったせいもあって車内もゆったりしていました。 列車は、途中の五条で長めの対向待ちをしましたが、その時に和歌山方面からやってきたのがこれでした。105系の4両編成、思いがけなくてうれしかったのですが、雨が強く降っていたので数枚しか写真が撮れませんでした。しかも、留置車両のために後ろまで映らないし・・・。 でも、先頭車両の珍車、クハ104-551が撮れたのはよかったです。何が珍車かというと、和歌山線で活躍する105系は関東の常磐線・営団地下鉄(当時)千代田線を走る103系1000番台を改造したものなのですが、このクハ104-551は105系に改造されてからしばらくしての事故により別の車両の車体と入れ替えたのです。すなわち、元々はクハ105-7として登場したのですが、その当時の車体が事故により大きな被害を受けたものの、運転大部分はそのまま使えたので車体を別の車両(モハ102-385)のものを活用して運転台を取り付けたというわけです。 しかも、冷房装置も105系ではよく見られたものではなく、103系や113系などでみられた形のものということで、マニアックなファンが見ると何ともプレミアム感のある車両に仕上がったんですね。 ちなみに、この車両はよく見かけるし乗車もしたのですが、こうして写真に収めるのは初めてでした。 途中駅での対向する列車も1本を除いて105系ばかりでした。 でも、和歌山線の車両基地には、多くの新しい227系1000番台が出番を待っており、置き換えも近いのかなって思いました。 そして今日、いつもの出勤時間に王寺駅に行くと、8:06発の普通和歌山行が先週の金曜日までは105系だったのに、今日は227系1000番台に変わっていました。もしかしたら、6月1日から置き換えられたのかもしれませんね。そうすると、置き換えられる車両も増えてくると思われるので、先日乗ったタイミングとしては、最適だったのかもしれません。
2019年06月03日
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先日、地元の王寺駅で今や貴重となった103系が停車していました。 今ではJR奈良線でしか見られないのですが、なぜか王寺駅にやってきていました。 今では3編成のみとなった奈良電車区の103系ですが、こうして久しぶりに王寺駅でみられたのは不思議な感じでした。
2019年05月04日
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