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ようこそ、お越し下さました。JAFに連絡したら、車重3トン以上はレッカー車に積めないとのこと。我がボレロは、約3.5トン弱。諦めて、保険会社を通じてのレッカーを要請する。しばらくして、どこから連絡が行ったのか、パトカーと高速機動隊の人が駆けつけてくれ、発煙筒と矢印サインのボードを持ってきてくれた。これで、やっと笠振りの危険行為から解放され、家族の待つガードレールの向こうの所へ移動。待てどもレッカー車がなかなか来てくれない。やっと停車後100分近くかかって到着。これでキャンカーをレッカーに乗せられると思いきや、タイヤが外れていた為にえらく時間がかかり、しかも後ろバンパーを道路にこすりながら、無理やり載せることになった。この間、レインスーツは着ていたけど、ずっと雨の中でとっても寒かった。なんでこんな事故にあったのか、ずっと考えていた。キャンカーの車検をやってもらったのは、私とは長い付き合いの信頼あるカーディーラーさん。車検では、必ずタイヤを外してブレーキディスクや足回りを点検する。更には陸運局で、タイヤのナットの締りをテストハンマーで点検する。それで、安全を確認されて車検にパスする。こんなことは、誰でも知っている。それなのに、車検後200km程度走ってこのトラブル。う~~む、どうなってるの???考えられることは1、ホイールナットが緩んだから、ゴトゴトと音がした。ナットが緩んだのは、アルミホィールの欠陥の可能性大タイヤ屋に確認したら、新品の冬タイヤに装着したアルミホイールはBSの規格品で間違いの無い物とのこと。でも、ナットが緩むという事が起きたのは、この冬タイヤ、ホィールに履き替えてからで、その前の夏タイヤ時期の11月まで6000kmは何のトラブルもなかった。2、ボルトの金属疲労。ゴトゴト鳴り出してから、奈良では1時間以上はもったのに、今回は異音から2分程度でタイヤの脱落に至ったのは、緩みだしてからすぐにボルトが折れ、すぐに6本すべてのボルトが折れてタイヤが脱落した。この2点ではないか。ナット締めを足を使ってぐいぐいと締めると、ボルトに金属疲労が起こるとのこと。だから、ナットの締め過ぎはご法度。ナットの締め方も、トルクレンチを使って仕上げに締めるのですが、普通は軽自動車で90~100Nm程度。普通車で100~110Nm。しかし、キャンピングカーはそれよりも重量があるので120~130Nm程度で閉めるらしい。トルクレンチとは、持ち手のハンドルに数値のダイヤルを合わせ、その数値まで締めると、カチッという音がして既定値まで締めたという合図を送ってくれる。これすらも、業者にまかせっきりで、自分で確認していない。これも、いけないのかもしれないね。基本的には、走行前の点検としてタイヤやオイル、ランプ等はドライバーがやるものと定められています。(これを教習所みたいにやっている人は少ないよね。)だから、今回のような事故の責任はすべて自分に帰属するので、業者の方を責めることはできないのですね。私も、今回の業者さんとの対応は、超紳士的に行いました。早速、ネットでトルクレンチとテストハンマーを購入しました。そうそう、奇跡というか、何と言ったらいいのか。キャンカーを路肩に停車後、後方を確認してから運転席から降りて、右後輪を見たらタイヤはそこにはなく、ドラムが直接道路に接地していた。外れたタイヤはどこだろうとその場でキョロキョロと探したが、視界も悪く見当たらず。よく聞くことは、外れたタイヤが転がってそれに衝突して大きな事故につながったというニュースを見たことがあり、対向車線にでも行ったら、大変なことになると、胸ははらはらとした。また、高速道路の車線にでも落ちていたら、それに乗っかったり避けようとして二次被害が発生する可能性が大だ。路肩停車後、2分位タイヤを探したが見あたらず、これ以上は危険と判断し車に戻る。トランクから黄色い傘を引っ張り出し、ひょいと外れた右後輪を見てみると、何とタイヤハウスの所に、行方不明のタイヤがあったんです。まるで誰かが車のボディにそっと立てかけてくれたように。これって、どういうこと???女性たちは、翌日新幹線でフィギア観戦に向かいました。何はともあれ、一時ざわついた心が落ち着きを取り戻しました。こんな後にも、正月から四国の巡礼の旅が待っています。これは、1年前から計画していたこと。前回の続きの旅です。そういえば、数か月前に同じような事故があったようです。高速の路肩にタイヤが外れて路肩停車中のキャンカーに大型と中型トラックが追突。乗っていたご夫婦と犬が亡くなったという記事です。http://take1960jan.blog81.fc2.com/blog-entry-2756.htmlご冥福を祈ります。
2013.12.26
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ようこそ、お越し下さました。ちょっとした事件がありました。12月20日に島を出て、いつもの通りにキャンピングカーを駆使して埼玉に向かいました。カミさんと娘と私の3人。目的は、フィギアスケート観戦。私はフィギアは見ないで、単なるアッシー君として一緒しました。12月5日に車検が終わり、バッチリと点検済みのキャンカーなので、安心のスタートです。この日は、天候が荒れるということは解っておりました。案の定、本土に渡ってからは雪。石巻に着いたら大雪に変わり・・・途中のコンビニで、私のちょっとしたミスで車のキーを壊してしまった。車のドアに思いっきり挟んで、バラバラにしてしまった。キーのプラスチックの部分が無くなって、ぎざぎざの差し込まれる部分だけになって・・・石巻市内の合い鍵屋さんに飛び込んで、合鍵を作ってもらったからいいんだけれど。なんか、ゲンが悪いな~~と、ふと思う。家族がフィギア観戦している時間、私は何をしていようかな~~と。20日から24日までの5日間、特に何もない。本はたくさん持ってきた。ジョギングの支度も万全だ。それでも、時間は有り余る。そんなことは解っていたけど、ふらふらと付いてきてしまった。今までもこういうことはあったけど、私が付いて行くのは初めて。なんで付いて行ったのだろうか。三陸道から東北自動車道に入り、菅生SAに立ち寄り南進。SAを出て2分後くらいか。ゴトゴトという異音あり。よく道路に溝が切られていて、その音かと。その音がだんだん大きくなる。停車してチェックするわけにもいかない。「この音、道路の溝だよね~」と、自分の不安を共有し払拭しようとカミさんに声をかける。そうそう、一か月前に関西方面に旅に出て、京都から奈良に向かう途中だった。アクセルをOFFにすると、カタカタ、コトコトという異音がする。アクセルを踏むと音が消える。こんなことが続いた。そういえば、出発前にタイヤを冬タイヤに交換したばっかりだ、タイヤ屋に聞いてみようと思いTEL。現象を説明しても、原因は解らないと。ここも高速道路上だったので、一般道に出てからチェックしようとそのまま1時間くらい走って奈良に入った。奈良に入り停車してタイヤを見たら、やはりホィールボルトが緩んでいた。しかも、全部のボルトが少し緩んでいる。6本×4カ所。これが原因かと思い増し締めする。そして走行したら、異音は消えた。冬タイヤ交換時に、プロにやってもらったので、締め忘れなんてあるのか??トルクレンチを使って締めたので、締めが甘かったという事も考えづらいし。増し締め後、問題なく500km以上も走って石巻について車検に出したんだよな。今回の異音も、そのことが頭をよぎり、「奈良では1時間以上も走ってから・・・」という事だったから、少し余裕ができた。高速道路だから、路肩に停車して確認することができないし、次のPAまでゆっくり走って行くかと。そしたらなんと、異音発生から2分くらい経ってからか。ガツーンという音と衝撃が車を襲った。ドアミラーで後方を見ると、運転席後ろのタイヤが外れて見あたらず、ホィールドラムが道路に接地して火花を散らしている。ハンドルが暴れだし、コントロールしづらい!!!何で~~~!奈良の時は1時間以上も余裕だったのに・・・下手な所に停めれば追突の危険があるし・・・停めるったって、路肩しかないし・・・タイヤの脱落から停車まで、数秒の間、いろいろなことが頭をよぎった。選択肢がないことは解っている。路肩の向こうはカードレールで、その向こうはすぐに急な傾斜地。でも、何とか出来得る限りに左に寄せて停車することができた。それでも、キャンカーは巾215cmとデカいので、走行車線の白線ギリギリだった。すぐに、追突を想定し、必要な物のみを車から出し、車外へ。外は、雪交じりの氷雨が横殴りで、視界が悪い上に若干のカーブ。キャンカーの脇を、猛スピードで水煙を舞い上がらせて大型車が通過する。それが、切れることがない。「ああ、キャンカーは追突されてオシャカになるな。」と覚悟した。カミさんと娘が無事なら、車なんかどうでもいい。ハザードランプを点灯し、発煙筒を探し、三角板を探した。でも、突っ込まれる可能性がある中、後ろのトランクを開けてガサゴソ探す心のゆとりはなかった。取りあえず、2人の身のみを傾斜地を少し登った脇に移動し待機。発煙筒は、せいぜい2分?くらいしか持たなかったか。娘に保険会社に電話してもらい、私はたまたま黄色い傘があったので、キャンカーのずっと後方に移動して路肩から傘を振り続け、後ろから走ってくる車両に異常を知らせようとした。腕が棒のようになってもずっと振り続けた。写真を撮る気にもなれない。あ~あ、今記事を書いていて、思い出すだけで背中に汗が流れる。取りあえず、ペンを置く。続きは後で。少し、息を抜く。3人とも無事で、キャンカーも追突されず。しかも、奇跡としか思えないことも起こった。
2013.12.24
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ようこそ、お越し下さました。寒くなってきました。島でも12月14日に初雪が降りました。これは、例年よりも早いかな。我が家の遅咲きのバラがかれこれ二ヶ月近くも咲いていますが、雪化粧?をしてとっても寒そうにしていますね。半ミイラ化しているバラの花旅に出ると、島ではあまり見られない光景を目にします。勿論、人の多さが違いますからそれに合った世界があります。人が多いから、その分生き方も多く存在します。それぞれの生き方を尊重しなければなりません。でも、尊重しながらも、わが心に爽やかな風がそよぐか、不快な灰色がかった風を感じるか・・・・・そうだな~~ちょっと不快を感じるのは~~集団バイクの騒音とか、若い女性の厚化粧とか、ゴミを道に捨てるとか、注文した食べ物を残すとか。こういう事を書くと、ジジイのヒガミか、、と思われてしまうのかね。このような事は、自分も若い時には似通った事をやったことを忘れて言っている。年を重ねて、少しは客観的に見られる余裕ができたという事か。頭では、そういうことをやっても自由だし、自由の代償として我々はその責任を自身で負わなければなりません。そうして月日を重ねて、「美」というのは何なのかという事を学んでいくのだなと思える。しかし頭=理性と、心=感情がどうも一致しないことがある。集団バイクには耳をふさぎ、付けまつ毛の厚化粧おねえちゃんの顔を見ないようにし、といった具合で自身を防御している。なるべく、美しいもののみを見ていたいと願ってしまう。若い頃、そう26歳くらいからか、従業員100人くらいの会社の代表者になった時、周りを見渡すと、自分より年上の従業員や取引先がほとんどで、背伸びをした時があります。生まれ育った埼玉から、全く未知の地仙台に飛び込み、思いっきりあがきました。貫録を出すためとして一日5食で体重増を図り、強烈な個性を身に着けるための強い「自我」を身に着けようと、「自分色」を強く表に出そうとした時期でありました。好きな色はこれ、好きな生き方はこれ、女性観は、結婚観は、死生観は・・・と、これらを確立させようとしてきた。自分はどうなのか、どうなりたいのかという事を常に意識し行動した。その時は、企業の中で生き残りをかけた戦いを勝つために、必死になってこうしなければならないと感じた。そして今、島に移り住んでから20年、この強烈な個性をいったんは白紙に戻し、そして更に自己を見つめる20年でした。私にはこの過去の癖?がまだ残っているのかもしれません。我々の地球は、敢えて精神性や霊性の高い人から低い人まで渾然としていて、かなりの階層のるつぼ。その中で自身を高みに育てなさいという、宇宙でも稀有な惑星と言われています。その混沌とした中で、自身の理想としている生き方を創造していくのは、かなり難しいことなのかもしれませんね。それが、我々に課せられた試験だという事は、皆さん認識されていることでしょう。試験、試練というと、何やら緊張と悲壮感が漂う感じがしますが、その人に観合った世界が展開されるのがこの宇宙の真理とされている。人は、どんな状況の中においても評価するようにできている。どういう評価であれ、評価とは生きていく上での指針。必要不可欠な要素です。評価はしても、批判はするなと精神世界では言われるけれど、それが大変難しい。評価と批判は一対になっているような気がします。例えば、公共とおぼしき場での喫煙を考える。喫煙するのは、その人の選択の自由だ。しかし、紫煙は苦手としている人がいるかもしれない場では控えてほしいと誰でも思う。そこで、そんな場所での喫煙は「良くない」という評価を下す。次に、そういう場所での喫煙をしている人を批判的に見ては仕舞わないか。これは、批判的な言葉を「口で言う」「言わない」は関係なく、そういう想念を発したかです。集団バイクの騒音に耳をふさいでも、心の中のトゲトゲはなかなか蓋ができないもの。しかし、最近ではこう思うようにしている。目の前に展開される現実とされるものは、自身の心の投影であると仏教の「唯識思想」が教えています。だから、耳目に飛び込んでくる批判したくなるようなものを拒否せず、自身の心の吹き溜まりに巣食っている垢なんだと思い、受け入れよう・・・・・と。このことは、気長にお付き合いしていかないとね。旅先は非日常の中という世界では、より自身を見つめられます。だから、旅は「自分探し」と言われる所以なのか。旅先で、早い桜が数輪咲いていました。
2013.12.19
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ようこそ、お越し下さました。大阪と奈良を結ぶ竹内街道(たけのうち)。竹内街道は日本書紀の推古天皇21年(613年)の条に「難波(大阪)より京(飛鳥)に至る大道(おおじ)を置く」と記されていた、日本最古の「官道」です。一番古い国道という事なのでしょうね。しかし、古道としての面影は1400年たった今はなく、国道166号線と重なっている箇所が多く車の通行量の多い道。大型トラックが脇を通る時は冷や汗もんです。でも、旧道にそれた時、ふと「聖徳太子が歩いた」道かもしれないとか思いに耽る。私達は、当麻寺から再び歩を進め大阪と奈良県の県境の竹内峠を越えると二上山登山の起点となって、駐車場とログハウスのレストランがある万葉の森に着いたのは11時頃か。ここで少し早いランチをいただきましたが、ちょっと美味しかったのでご紹介いたします。いろいろ並んでいるでしょ。右の大皿には生野菜、茶わん蒸し、黒豆、香の物、自家製がんも風つみれの葛かけ、中央にはヒレカツ、そして中華風スープに古代米。これで、750円でした。ご飯を頂いた後、二上山の雌岳、雄岳と登ります。ちなみに、通常の呼称はにじょうさん、万葉の世界での呼称はふたがみやまというらしい。二上山は高い方の雄岳で517メートルと、さほど高くはありません。だから、足にあまり自信のない方や、年配の方でも挑戦できます。上り勾配がきつい所もありますが、ちょっとしたハイキングです。雄岳頂上付近には悲劇に皇子と言われている大津皇子(おおつのみこ)の墓があります。大津皇子の墓どんな経緯から悲劇の皇子と言われているのか、ちょっと調べてみました。大津皇子の父親の天武天皇には10人の皇子と7人の皇女がおり、皇位継承が問題に絡みます。その最有力候補が皇后である鵜野讃良皇女(うののささらのひめみこ)(後の持統天皇)を母とする草壁皇子(くさかべのみこ)と大田皇女(おおたのひめみこ)を母とする大津皇子(おほつのみこ)の二人です。 草壁の母である鵜野皇后は天武を助けて政治に関わっているのに比べて、大津は5、6歳の時に後ろ盾となる母を亡くしています。しかし、器量・才能をとってみると大津のほうが優れていて人望も厚いということが、日本書記には「威儀 高く、風貌は大きくたくましい。言葉はすぐれて朗(あきら)かなり、才学あり、文筆を愛したまう。」とあります。おまけに、草壁と大津は 石川郎女(いしかわのいらつめ)という才気あふれる女性に二人とも想いを寄せていていたが、大津皇子がその心を射止めている。 実の息子である草壁をなんとか皇位にと願っている鵜野皇后にとって、そんな大津は邪魔者でしかない。そんな折、天武天皇崩御。そして妻である草壁皇子の母の鵜野皇后が天皇即位して持統天皇となった。その一か月も経たない中、大津皇子は謀反の疑いで捕えられ、翌日に自刃させられた。こんなのは、昔から現代までよくある話なのかもしれませんね。この頃はすでに、人の生が肉体が滅んだあとにも形を変えて存在し続けるという西方浄土思想を少しは理解していたと思うのですけどね。今生の生が終わった後に、西方浄土に生まれ変わりたいとする考えですね。だから、次の生をよりよく生きるために、今をどう生きるかという事。奈良盆地から見て、二上山は西の方向にあります。二上山の二つの頂の間に夕日が沈む光景は、それは美しいそうです。残念ながら私は、今回もその夕日は見られませんでした。ちょっとお借りしてきました。二上山の大和側が現世、西の難波側が浄土の世界と考えられていた時代です。時の権力者の古墳が、二上山の向こう側に多いのはそのせいか。大津皇子の悲劇には、後日譚があります。大津皇子が自刃して3年後、持統天皇の実子草壁皇子が急逝した。時期天皇となるはずだった草壁皇子の突然の不幸は母に大津皇子の祟りかと恐れさせたのかもしれない。そのためか、大津皇子の再葬を行っている。更には、持統天皇は死んだ草壁皇子の子の軽皇子(かるのみこ)を文武天皇として即位させたが、これまた25歳の若さで崩御された。こんなドラマがあったのです。宇宙の因果律の法則が働いたのか、はたまた祟りなのか・・・行いが、ブーメランの如く自身に返って来ると言われていることは、いまさら言うまでもないことですね。そんなことに想いを馳せながら、二上山からの急傾斜の下りを一歩一歩足を進めました。
2013.12.11
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ようこそ、お越し下さました。島に帰ってきました。2週間を過ぎる旅、とってもゆったりとしてきました。島に帰れば、オフとはいえ何かと忙しい日々が続きます。越冬対策やアワビの開口、しばらく留守にすると、あれやこれやで頼まれごとが多い。さて、旅のその後を記しますと・・・京都の紅葉を見ようと押しかけた人の多さに圧倒された田舎者の私めは、いそいそと逃げ出すようにJR山陰線に乗り、キャンピングカーを駐車している「道の駅ガレリアかめおかに」に急ぎ帰りました。我がピャンピングカーのボレロ君は、自転車を2台積むことができますが今回は積んできておりません。その理由は、日本の幹線道路が自動車中心で、自転車や歩行者のための配慮が少なく、危険極まりないから。道路を歩いていても、その脇すれすれに大型トラックが猛スピードで走り抜け、冷や汗をかくことしばしば。その辺を少し改善されれば、自転車の旅も悪くはないのにね。さてさて、やはり京都二尊院の紅葉は素晴らしかった。山の紅葉もいいが、古都はそこに歴史が息づいている。古(いにしえ)の人達も、ここで紅葉を愛でたのかなと思い耽る。泊地の道の駅で、近くの温泉にでも入ろうかと思ったのだが、急に「奈良に行こうか。」という事になった。その理由は、やはり人の多さ。本当は、京都に行けば必ず寄らせていただく美味しいラーメン店「いいちょ」「いいちょ」に行くのだけれど、今回は諦めるか。ここのラーメンも美味しいが、400円の焼き飯が旨い。醤油をたっぷり使った色の濃い昔風の焼き飯だが、見た目ほどしょっぱくはない。言ったら必ずラーメンと焼き飯を注文してしまう。帰りは、卑しくも満幅の腹を抱えて・・・小さな店で10人くらいが入れば満席になる。11:30の開店には、すでにお客様がけっこう並んでいる。働いているスタッフの切れもいい。今回は、それも諦めて奈良に直行し奈良当麻寺近くの道の駅「ふたかみパーク當麻」を泊地とした。翌日からそこから、歩いて当麻寺、竹ノ内街道を経て、二上山雌岳、雄岳に向かい、下山して泊地に戻るというコースを歩く。この道の駅は、二上山に登る多くの人達が駐車場として利用するようだ。ここのすぐそばから、二上山登山口があるが、私達は、そこから登らずに、当麻寺を経て大阪側から登る。さて、当麻寺は大和葛城市にあり、中将姫伝説や、白鳳美術を今に伝える古代の三重塔が東西一対で残る全国唯一の寺としても知られています。本尊は、中将姫が一夜にして織り上げたとされる4メートル四方の曼荼羅。今、厨子に収まっている曼荼羅は写本です。そして、その脇に回り込んだ所に安置されている中将姫座像は、「百寺巡礼」を著した五木寛之氏がその美しさの虜になって、「大和のモナリザ」と書かれたくらい、豊艶というか、なまめかしい。湖北の向源寺の十一面観音といい、中将姫座像といい、仏の像というより、「母」の慈しみを彫り上げたような像に深く惹かれるのは私だけか。
2013.12.04
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