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ようこそ、お越し下さました。琵琶湖に別れを告げ、約140km離れた紅葉の京都に道を進めました。紅葉シーズンの京都は混むと聞いておりましたので、先週の平日に向かいました。京都でも、東山と高雄は紅葉スポットとして有名で、混み具合が半端ではないと聞いていたので避ける。では・・・と、嵯峨野の二尊院辺りにしようかと。今回はキャンピングカーなので、街中には入りずらい。P泊なので、京都嵯峨野から20km離れた亀岡市の道の駅「ガレリア かめおか」に車を止めた。ここは、市民の文化センターのような所を道の駅にしたようなもので、道の駅としては駐車場は狭いし、ドライバーのための施設とは言い難い。でも、京都周辺でp泊できる所は少ないので諦める。亀岡駅から嵯峨野嵐山まで、JRで10分程度で片道190円。京都市内の混雑した駐車場に止めるか、離れているけど無料の駐車場に止めて公共機関と徒歩で行くか、それぞれの選択ですね。車窓からの保津川の渓流下りが、かいま覗ける。急な渓流に、そこを這うように上下して進む様は、見ていて楽しそうです。さて、山陰線嵯峨嵐山駅で降り、歩を進めると。なんともはや、人人人。平日でもこれです。ここは野宮神社から大河内山荘に抜ける間の、竹林の間を抜ける道路。人がひしめき合っている。そこからすぐそばの二尊院に向かうとと、紅葉の真っ盛り。京都は好きで、毎年のように来ておりますが、この紅葉の時期に来たのは初めてかな。実は、今帰路についております。15日に及ぶ夫婦二人の漂流旅。素敵なご褒美をいただきました。旅は、京都から奈良と続くのですが、またこの次に・・・
2013.11.27
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ようこそ、お越し下さました。あれから更に奥琵琶湖、湖北を堪能しました。小谷山から賤ヶ岳とウォーキング。戦国時代の織田軍の秀吉と浅井朝倉の戦いとなった古戦場だった所ですね。「夏草や兵(つわもの)どもが夢のあと」は、芭蕉が奥州平泉で歌ったとされる句ですが、ここもその句の通りのたたずまいを呈しておりました。人類の歴史を振り返れば、人は「戦いの歴史」とも言われています。人の源流に流れている性(しょう)は、「善」か「悪」かという問いかけに、今では多くの方が「善」と答えるでしょう。私もそう思います。縄文時代から弥生時代に入り、狩猟中心から農耕を中心とした定住型にヤマト民族は進化した。狩りをして、獲物を獲り尽くせば移動するといった生活パターンから、家を作って一カ所に定住して種をまき、それを収穫して生きるというそれまでに比べると安定した生き方を選択した。安定したはいいが、そこには収穫したものを盗む集団も出てくる。そこで部族を形成し家族を、一族を守るために盗人集団と戦わなくてはならなくなった。時には気候の変動で収穫が期待できない時は、自らも盗人として他の部族を襲うことも余儀なくされた。部族という組織をより強固にするため、リーダーを決め、ルールを作り、罰則も設けられた。より豊かな生活がしたいという小さな欲から、他人を陥れてまでも欲しいという「欲望」と発展していくのには無理がない。そして、その欲望を十二分に果たした者を、世間では英雄と呼んでいる。世には、その英雄伝なるものをあらゆるメディアで紹介し「君もそうなれ」と言わんばかりにもてはやす。人類の発展途上の姿なのか。私も、島に移り住む少し前まで、ご多分に漏れず「闘争型」だったかな。悲しいかな「人生勝ち取らなければ意味がない」とまで思っていたかも。人には、百人いれば百通りの価値観がある。百通りの美意識に、自分の「美」に似通っている意識の人は3割程度か。他の7割の「美」は、自分とは少しかけ離れているのかも。ここで言う「美」とは、何が「美しい」と思えるか、何を選択したいかという意識です。旅をしていると、島にいる時よりもいろんな生き方に出会います。目や耳から入ってくる情報は、まずあてにはなりません。我が家で作っている野菜は、見た目は悪いけど味はいい。人もそれと同じか。だから、見た目でその人のすべてと決めつけることの愚かさを知るべきなのかな。私が今、このことを書いているという事は、その愚かさを知らない自分を発見するという事。口先で「何でも許せる」「一切を受け入れる」自分でありたいと願いながら、まだまだできていない自分を旅先で発見する。考えてみれば、「許す「「許せる」という言葉すら、上から下に発する言葉の一種かもしれません。何が上で何が下なのか、???3次元的に言えば、それは霊的進化の度合いでしょう。そんなことを言っていられるのは、今のうちかもしれないね。何か、とりとめのない言葉を羅列いたしました。のんびりとした旅だから、ふとそんな事を考えちまった。中央に見える島は、琵琶湖の竹生島(ちくぶしま)
2013.11.24
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ようこそ、お越し下さました。あれから更に奥琵琶湖、湖北を堪能しました。小谷山から賤ヶ岳とウォーキング。戦国時代の織田軍の秀吉と浅井朝倉の戦いとなった古戦場だった所ですね。「夏草や兵(つわもの)どもが夢のあと」は、芭蕉が奥州平泉で歌ったとされる句ですが、ここもその句の通りのたたずまいを呈しておりました。人類の歴史を振り返れば、人は「戦いの歴史」とも言われています。人の源流に流れている性(しょう)は、「善」か「悪」かという問いかけに、今では多くの方が「善」と答えるでしょう。私もそう思います。縄文時代から弥生時代に入り、狩猟中心から農耕を中心とした定住型にヤマト民族は進化した。狩りをして、獲物を獲り尽くせば移動するといった生活パターンから、家を作って一カ所に定住して種をまき、それを収穫して生きるというそれまでに比べると安定した生き方を選択した。安定したはいいが、そこには収穫したものを盗む集団も出てくる。そこで部族を形成し家族を、一族を守るために盗人集団と戦わなくてはならなくなった。時には気候の変動で収穫が期待できない時は、自らも盗人として他の部族を襲うことも余儀なくされた。部族という組織をより強固にするため、リーダーを決め、ルールを作り、罰則も設けられた。より豊かな生活がしたいという小さな欲から、他人を陥れてまでも欲しいという「欲望」と発展していくのには無理がない。そして、その欲望を十二分に果たした者を、世間では英雄と呼んでいる。世には、その英雄伝なるものをあらゆるメディアで紹介し「君もそうなれ」と言わんばかりにもてはやす。人類の発展途上の姿なのか。私も、島に移り住む少し前まで、ご多分に漏れず「闘争型」だったかな。悲しいかな「人生勝ち取らなければ意味がない」とまで思っていたかも。人には、百人いれば百通りの価値観がある。百通りの美意識に、自分の「美」に似通っている意識の人は3割程度か。他の7割の「美」は、自分とは少しかけ離れているのかも。ここで言う「美」とは、何が「美しい」と思えるか、何を選択したいかという意識です。旅をしていると、島にいる時よりもいろんな生き方に出会います。目や耳から入ってくる情報は、まずあてにはなりません。我が家で作っている野菜は、見た目は悪いけど味はいい。人もそれと同じか。だから、見た目でその人のすべてと決めつけることの愚かさを知るべきなのかな。私が今、このことを書いているという事は、その愚かさを知らない自分を発見するという事。口先で「何でも許せる」「一切を受け入れる」自分でありたいと願いながら、まだまだできていない自分を旅先で発見する。考えてみれば、「許す「「許せる」という言葉すら、上から下に発する言葉の一種かもしれません。何が上で何が下なのか、???3次元的に言えば、それは霊的進化の度合いでしょう。そんなことを言っていられるのは、今のうちかもしれないね。何か、とりとめのない言葉を羅列いたしました。のんびりとした旅だから、ふとそんな事を考えちまった。中央に見える島は、琵琶湖の竹生島(ちくぶしま)
2013.11.24
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ようこそ、お越し下さました。先日まで湖北、奥琵琶湖とも言われている静かな地に居ました。冬には豪雪地帯となると聞きましたが、今はその真冬になる前の春を思わせる日差しの優しい日々が続いております。この近江地方は白洲正子がこよなく愛した地で、その著作「隠れ里」の中で結構紹介されていますね。この里で、私が気になっていたのは湖北にある 高月町の向源寺。ここに、とっても素晴らしい国宝の十一面観音がいらっしゃいます。本堂の脇の続きに、新たに作られた宝物殿とおぼしき建物に鎮座しております。この観音像は背後も観られるようにフロアーの中程に置かれています。だから、ぐるりとどの方向からも、ガラス越しではなく直接間近に観音の背後を見られるのは、国宝の中では非常に稀だそうです。蓮華座の上に立つ像の高さは177センチと等身大です。やや長めの手は少し違和感がありますが、腰をひねった姿はとてもしなやかで美しい。腰から下の曲がり具合、足先から腰まで、腰から首まで、そして頭部と三曲法がハッキリ見て取れます。そこから醸し出される優美さは、奈良の秋篠寺の奈良時代のマドンナと言われている伎芸天を彷彿させるほど、肉感的で妖艶な大人の婦女を感じさせられるのは私だけか。腰のくびれ、おへそ周辺の肉質感、そして薄い天衣をまとった豊かな右足は、今にも一歩を踏み出しそうな気配を見せ、そのお姿が仏像という無機質なものから「仏様」という有機質的な存在を醸し出しているように感じられます。平安初期の作という事ですが、この時代の十一面観音像としても大変珍しいのではないでしょうか。ぐるっと後ろに回ってみると、真後ろは「暴悪大笑相」です。後ろ姿を見せるというコンセプトに基づき作られたようで、後ろ姿も一切の手抜きは見られません。平日の朝一に伺ったのがよかったのか、丁寧に説明をして下さるガイドさん(地元の方)が、付きっ切りで説明をして下さりました。週末には一日に三百人を超える拝観者数だそうで、手で触れることもできる距離から、防犯上からも付き添うのでしょう。そんな忙しい日は拝観者に説明することすら出来ず、次から次に見てもらって出て行ってもらわないと、とてもこなせないとのこと。朝の凛とした空気の中で拝観する機会を得て、とっても幸せな一日でした。これは、近くの小谷城址に行く道すがらの紅葉です。
2013.11.22
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ようこそ、お越し下さました。めっきりと、冬を予感する朝の寒さ。いよいよ、本格的シーズンオフがやってきております。シーズンがやって来ると言ってそれを期待するのは普通でしょうが、暇なオフを楽しみにしているのは少しおかしいか。そう、車旅の季節です。今回も11月13日に島を出て、今は旅の空の下。まず、栃木の益子焼、茨城の笠間焼を訪ね、更には中仙道は岐阜県の馬籠宿から妻籠宿の木曽路を散策、今は琵琶湖の湖北の長浜に居ます。随分と欲張りな旅になっておりますね。もう、今日で6日目になるようです。前もっての計画をあまり立てない、気まま旅。ちょうど、秋の紅葉を追い駆ける形になりました。黄色く色づいた益子の銀杏今までは、花見と紅葉の季節には島を出ることはありませんでした。この季節は、本業のシーズンではありませんが、ぽつぽつと宿泊もあり、春は夏に向けてのメンテナンス、秋は越冬対策の真っ盛りといった感じで、島にいたかな。この季節に旅に出ていられるのは、震災のおかげ?かも。まあ、私の場合は置かれた状況を楽しむという考えですから、何があってもそれを楽しみたいですね。昔の宿場町を色濃く残している岐阜の馬籠宿「くるま旅は旅くるま」は、日本RV協会が提唱する旅のスタイルです。日本RV協会のHPから引用すると・・・くるま旅・・・。それは、新しい旅のかたち。 自由に、きままに、風まかせ、気分まかせで東へ、西へ。 好きな時に、好きなところへ、出かけることができるのです。くるま旅で、あなたの人生が変わります。(中略)くるま旅には、スーツケースを持ち運ぶ手間や、チェックアウトの時間、まして団体行動の必要はありません。 時間やルールにしばられない自由旅行。それは、あなたにどれほどの幸せをもたらしてくれることでしょう。思いたったら旅日和。さあ、くるま旅してみませんか?というお誘いの言葉があります。ここで言う所の「旅くるま」の定義は、「ベッドやキッチンなど居住空間のある車である」と言っておりますが、そうでなければ駄目だという事ではありません。それに越したことはありませんが、普通の車でも、創意工夫で「旅くるま」に進化させて旅を楽しんでいる人も大勢います。道の駅の朝のひと時、ご夫婦と思われる方が普通の車でP泊されて、外に小さな椅子テーブルを持ち出して朝食を楽しんでいるという光景によく出くわします。私も、キャンカーの前はそんな感じで旅を楽しんでいた。街乗りの車を「旅くるま」として使うこともOKですね。さて、今は琵琶湖湖北の道の駅湖北みずどりステーションにいます。琵琶湖に飛来するコハクチョウの観察拠点。昨日は日曜日だったので、どこも混むし騒がしい。だから一日その辺を散策し、行きたい所を調べ、本を読み、昼寝をしていました。今日は、この辺の十一面観音が素晴らしいということなので、見に行こうかなと。
2013.11.18
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ようこそ、お越し下さました。夏から数回にわたりTVの取材がありました。先日は、NHKの「石巻復興50ボイス」という番組の取材を受けました。50人の人が「うれしかったことは?」という問いに数分で答えるという番組です。震災に関連した「うれしかったこと」ということで、私はこんな話をしました。震災関連の中で一番印象に残ったことは、人に役に立てたのかなと思えたこと。震災で海底を通っている水道と電気のケーブルが寸断されました。それで、島は停電と断水。不便だったのは、電気よりも水が出ないことだった。311からしばらくは一人2日で5リットルの飲料水の配給で、ご飯を作り洗面し、洗濯して食器を洗う。どう考えても足りるはずがありません。勿論、水洗のトイレは使えません。私は、コップ一杯の水で歯を磨き顔をこすり、髪を整えて対策本部に通っていました。風呂は、降った雪をかき集めて浴槽に入れ、薪で沸かして泥水のようになった風呂に入ったことを思い出します。そこで、島の有志が使われなくなった井戸をきれいにし、水をくみ上げ、それを各家庭に生活水として配りました。「何日風呂に入っていない?」「もう7日かね~」「じゃあ、夕方風呂水を500リットル持ってくるからね」こんなことを言って回り、午前中の水と食料の配給後、午後にその時間にあてました。その時に、配達先のお年寄りに、「ありがとう」「助かるよ」と。どこに行っても、何をしてもこの言葉が跳ね返ってきた。この時にかな、自然と「やらせてもらってありがとう」という返事が私の口からポロリと出た。そして、心の中に体中に、何とも爽やかな萌黄色の風が吹き抜けた。こんな話を取材の時に話したのかな。自分のしたことが、少しでも人に役立っていると思えた時、今回の震災は、忘れ去られたこの想いを思い出してもらう為だったのか・・・と。これも、311の教訓ですよね。私は「人の真価は何かあった時に現れる」という事を思い続けてきたように思います。「現れる」のではなく、「現わす」とした方が、適切なのかな。山中鹿之助の「我に艱難辛苦を与えたまえ」ではないけれど、私の場合は311で得たものは大きかったな。これからも、腰軽にやるためにも、精神力もさることながら、体力も持続させていかないとね。さあ、今日も夕方のジョギングをやるぞ~~(夜明けが遅いので、朝食前は無理になりました)
2013.11.08
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