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2022.02.23
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2022/02/19/土曜日/晴れ間もある曇天

土曜日の午前、寛永寺は開かれていた。秘仏前立も朧げに拝まれる。上野戦争で銃撃を受けた黒門は三ノ輪の円通寺に保管公開されている。ここに置かれるに至った歴史も哀しい。

思えば吉村昭の『彰義隊』を読んでから会津を訪い、彼の記念館を訪れたり川越の喜多院にも出かけ、上野戦争関連資料を読んだりしてこの一年半ばかりが過ぎたようなものだ。

漸くこの寛永寺根本中堂に来た。鶯谷駅の北口が近いと思いきや、日暮里のようには台地側へ登れず迂回して長い階段を経て言問通りからアクセスした。

国立博物館前の噴水の池、あそこら辺りにかつて寛永寺本堂があり動物園、不忍池を含む広大な森の中にどれだけの塔やお堂、寺院が林立していたことだろう。ついこの前の御一新の頃のことなのだ。

お堂前のステンレス展示ボードの説明では「彰義隊の兵火で1868年消失した」とある。こういう忖度はどうしたもんだろう。間違いなく圧倒的兵力を持った薩摩藩との上野戦争によるものだ。パンフレットや有料資料(300円)には上野戦争と表記されている。

寛永寺を出て言問通りの向こうに、平櫛田中が97歳まで居住した屋敷を訪ねる。公開されていないし、高い門扉も閉ざされてよく見えない。広くないアプローチだが、左二階屋が雁行したデザインで、来訪を広げた翼のように迎える雰囲気。

芸大の方は取って返すと、市田邸。これも一般公開はない様子。その先へ行くと護国院。
山門入って右手にすばらしお顔の大黒天さまが。こちらも東叡山所縁の道場寺だったという。小さくとも美しい建築。

東叡山を開山した天海大僧正は会津に生まれ、川上喜多院の名僧豪海の門に入ったという上野に連なる縁の深い高僧。

戦国時代に生まれ、信長焼き討ちの比叡山を復興させ、江戸には将軍と庶民の憩いの名所を作り上げ、活字による経典出版事業も初めて行なった。その寿命108歳。

長寿秘訣のこんな歌を残した。

気は長く つとめはかたく 色うすく 
食ほそうして 心ひろかれ

長命は粗食 正直 日湯 陀羅尼
おりおり御下風あそばさるべし





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最終更新日  2022.02.23 10:23:52
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