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2024/02/04/日曜日/寒い雨の春分入りサイチカさんの糸と針さんで購入したこぎんのセーターキットを編み始めよう、とやおら袋から取り出した。あれ?袖の訂正版はあれど編み図が無い!メールで問い合わせると、編み図は付帯されてなくてサイチカさんのご本を参照する方式である、とのリプライが直ぐ届く。しかも、その事はきちんとサイトに記されていた、のだった。粗忽者なのである。年はとってもいっかなアップデートされない私め(´;ω;`)マーケティングすると1300円のこの本、現在品切れでネット価格は2100円超え。ぎょえ。図書館検索すると複数館で所蔵しているではないか。貸出で凌ぐ。締めるところは締めるなり。糸と針さんからはご丁寧な連絡を何度もいただき、心温まる。そうそう手編みは身体だけでなく心も温まるものであってほしい。キャストオンで既にやり直した上に、蛇足をしたところに目をつぶり編み進めた。しかし心が晴れぬ。解くものを横に置いて、再びキャストオンやり直し。↓やっぱりこれは無いなぁ。このまま続けては、きっと着たくなくなる。やり直しも輪に編む1段目をパスしてしまっている。しかしこれは輪にするときの緩みを防ぎもするし、リカバリは容易いので、これは許容範囲である。しかも私的にはキャストオン捻れ防止にもなる。糸はパピーのシェットランド。6号輪針。指定のゴム編みではなく捻りゴム編みで。糸のヨリが少しゆるめに感じたので。他のものも編みながらだけど、少しずつこぎんのステッチが見えてくると嬉しく先に進む。他のものといえば、すったもんだで編み上げたMiknitsデザインmizudoriのプルオーバーの毛糸の質が悪すぎてびっくり。昨日これを着て出かけたところ、アンダーウェアにびっちりと毛足が着いた。緑の苔状で身体半分の毛足をざっと集めただけでこれである。帰宅後、コートの内側、スカートが緑苔に覆われそれを取り除くのに腐心した。編んでいる最中にも膝に毛糸だまり、目や鼻にもふわふわ侵入、挙句石油ストーブに吸い込まれ悪臭を放ったのだった。ほぼ日さんはこういう点を説明する責任があるのでは?デザイナーはその毛糸で自作したものをきちんと身につけた上で紹介してほしいもの。https://www.1101.com/store/miknits/2023aw/kit/mizudori.html私はこれはおすすめできません。
2024.02.04
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2024/02/02/金曜日/朝からずっと寒いようやく鉢植えのレモン3個が収穫してもいいかな?姿になって来た。週末泊まりに来る次男夫婦のお嫁ちゃんのために、娘と同じニット帽を編んだ。娘は今日から3日間、能登でDMATメンバーの一人としてご奉仕する。明日は節分、季節は変化し続ける。被災地も今日より明日、明日より明後日と明るく元気に!と願う。2年越しの薔薇の花びらピローをようよう縫い付けて、浴衣生地でピローケースを手縫い。月の暦の新暦に見る夢は?薔薇に慰められ
2024.02.02
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2024/02/01/木曜日/三寒四温に入りつつ一本の糸が太くなったり細くなったりする糸はスラブヤーンと呼ぶらしい。その名と計上が合致したのがこの冊子私自身は ギャップ糸と呼びならわし。それの草木染めが色違いでどっさりあるため、昨年からあれこれ、延々と試作は続く。気ままに糸を取っ替えては編み、ラフなベストに仕上げる。ツレはお気に召したらしくよく着ている。この糸にはやはりワイルドなデザインが似合う。まさに、『ヨーロッパの手編み』冊子の表紙画像に近いセーターを先月仕上げたところだった。広瀬みどりさんのトップダウンで編むセーターホワイトマウンテン比較的ギャップの少ない糸とのバイカラーで前後面積を変えて編んでみた。今までの試作の中ではこれが一番しっかりしている。お気に入り。今後、これをアレンジしながら編んでみよう!
2024.02.01
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2024/01/31/水曜日/日差しは力あり今月3回訪ねた蕎麦屋さんは全て同じ。いつものお店◼️手打蕎麦 ふじや新宿区先々週、いつもの十割蕎麦、980円。半月振りにやって来たら、蕎麦の表示には生産者の名前まで出ていた。先週も先々週と同じ蕎麦粉。ところが、十割蕎麦なの?という喉越しなんだなあ。そこで本日は二色もり1250円、で違いを見つけようと試みる。蕎麦粉に変化なし。量が大盛りに増える。ツユとワサビの量は変化なし。ワサビがいつもより香りよし。初めに二八。さすがに喉越しが良い。香りもそこそこある。やがて十割蕎麦と蕎麦湯左が十割。太さとコシが違う。画像では判別難しいけれど色も違う。何といっても蕎麦の滋味を覚えるのは十割ならではやっぱり明日以降も十割蕎麦で。
2024.01.31
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2024/01/30/月曜日/晴れ、春ちかし27日土曜日、気持ちの良いお天気の中を江戸川沿いのげんげ工房さんを、知人を誘い訪れた。知人と主催者の恵津子さんは旧知の仲。しかもここで初めてお会いする方が私と同じ町内仲間という、驚きの出会い。まあ話が盛り上がること!そこへ、恵津子さんのマクロビランチ、拍手ものピースボート、山本太郎、伊藤野枝、トランプ、北海道のオーロラ、バイオダイナミクス、梨木香歩、子安氏の再婚、大阪と維新、投票にはボールペン持参の案件、平塚らいてふ、女性の人権意識は大正期からなぜ後退したか、コモン、杉並区長選と八王子市長選、福田村事件、処理汚染水、寄付行為のまともなあり方、塩田廃止と海水塩、エプスタイン島ハニートラップなどなどみなが皆話したいことが後から後から尽きず。私が読書中の『美は乱調にあり』を読んでいて、駅を乗り過ごしたといえば、恵津子さんは今これを読んでいて、おすすめしてくれた。食後には、思い思いの手仕事に没頭して静かな時間が訪れる。手先を使う作業はよい。簡単に作れるけれど美しい。ローズウィンドウ
2024.01.30
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2024/01/28/日曜日/一瞬の地揺れ震度4先日東京ヴォーグ学園で毛糸を買う。買うと貰える帽子の編み図「ドット模様の2玉帽子」byハマナカ漫然とプレゼント用に編み始めたら、娘が2月から能登にボランティアとして入ることを知る。それに間に合うように、3日で編み上げる。以前に編んでおいたリストウォーマーと一緒に梱包して発送した。これを必要とする方がいたら、どうかプレゼントしてほしい、との思いを託して。娘はトイレキットを携えていくらしい。今までDマットで受講したことがお役に立てるようになって何よりです。職場の方にも感謝!余震も気になる。どうしても起きなくてはいけない地震なら、被害の少ない場所で小出しで、と自然に祈りたい。毛糸はハマナカ、ディーナ。洗濯機丸洗いOK針は6号輪針リストウォーマーはサイチカさんデザインほぼ1玉半で完成するので、二つ編むつもりで3玉購入。さてそれもプレゼントするか、自分用にするか。
2024.01.28
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2024/01/26/金曜日/梅がちらほらよそ様のお庭でこの編みもの本からは、子どもたちにいろいろ編みました。それがいつの間にやらお孫ちゃまに!ベビーシューズみたいなのを編んでみた。参加冊子は図書館から借りたもの、表紙の画像保存を忘れてしまった!左右で手の緩みがチガウ!+輪針で編み辛かった。やはり4本針で編むべきであった。ついでにお帽子も。全て4号で。母子にはぬくぬく過ごしてほしい。端糸が溜まってきたので、アルネ・カルロスさんのクリスマスボールを一つ編む。3号針指定なのだけど、1〜2号が良いみたい。端糸全部飲み込んだらちょっぴりおでぶになったエルクさん。↓ラトビアの森のマーケットでおじさんから買ったこの小箱に毛糸がいっぱいになったら、クリスマスボールの作りどきこちらはクリスマスボールの本
2024.01.26
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2024/01/25日/木曜日/大寒の朝、水瓶に氷張る〈DATA〉出版社 文藝春秋著者 絲山秋子2023年11月10日 第1刷発行「文學会」2021年二月号、九月号、2022年一.五.八.十一月号、2023年三、七月号〈私的読書メーター〉〈表紙を見ながら小さな木のパズルを思い出した。上手くいくとカニが仕上がる、みたいな。うんと小さな子にとって、年長の者がするするピタリとそれに到達する不思議は正に神の手だ。この物語の神もまたそんな身近な神だ。人間とは何であるか。八百万もいる神の中にあって、奇特なことに神自ら人間と彼らが暮らす日本のどこか地方、ここでは黒蟹県に住み入り人間を学ぶ。その土地の中にあるだけの素材を用いて時々神の手パズルでピタリとシンクロさせては神の恩寵の道筋を人間との間に蘇らせる。作者が与える土地、植物などの詩的な想像力が高い。〉あーあ、消えちゃった。うっかり者だから、ねえ。いろいろ感想を書いたのになぁ。とりあえず記憶に残るものを拾い集める。建築家として世界的な賞を得て益々の、という矢先にすっかり仕事ができなくなった赤い髪の男が、実はあの、消えた幼馴染で…彼は売り出されたガソリンスタンドを自分の手でリフォームし、クリーニング店を営み、ミシンまで踏んで暮らす。そこに加わる誰かしらの屋台、カフェと様相が変化するのは植物層のなんとか、のようである。人間社会層?ある男が、今までの世の価値を捨て去った後に湧いてくる新しい世のカタチであるか。そうして贈与交換の社会建築家となるのだが、神は何らか手を出したのか、出さなかったのか。いやいや、そこまで行ければ去るた彦、でござる。という。神さま、おいらたちにチャンスを。
2024.01.25
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2024/01/24/水曜日/空気は冷えて大寒〈DATA〉出版社 毎日新聞出版著者 梨木香歩2023年9月15日 印刷2023年9月30日 発行毎日新聞連載 202006〜202303掲載〈私的読書メーター〉〈毎日新聞連載のエッセイ集。2020年6月から2023年3月までを収録。大学卒業後に英国留学した後『西の魔女が死んだ』でデビューして以来、この方の持ち味が一貫している様に驚きつつ敬愛の念が湧く。認知症を患う母を施設から引き取り、古い自宅を処分した上で家族と交互に看護している九州の実家、その近在の山荘、高度1700mの八ヶ岳の山荘、かつて暮らした琵琶湖の見える住まい、東京の自宅などを鳥のように渡りながら、カラやアカショウビン、シカやヒメネズミ、キノコや樹木、草花との交歓を記す。湯たんぽの結びの文が秀逸。〉さて、その秀逸な文末が掲載されていたのが「秋は悲しき」なぜ湯たんぽを英国の人はホットウォーターボトルというのか。それはどう見てもゴムバックであるのに、と彼女はいう。二十代で暮らした英国の下宿女主人は、寒い夜には梨木さんにも夜の儀式のよう湯を入れ、カバーを掛けて手渡した。大荷物になるに関わらず旅先にも梨木さんの分まで携行する。思えば40年以上、その疑問を抱えて生きて来た、旅して来たといえる彼女の境涯である。なぜバッグでなくてボトルか。おまじないを唱えながら湯たんぽを手渡してくれた夫人ももうとうに草葉の影に横たわる。その由来がとうとう判然とする。「長い間持ち続けてすっかり血肉になったような、昔馴染みの疑問に、墓標が立った思いでいる。寂しい、けれど決着を見届けた安堵、とでもいうような。」墓標が立った思い。そう言える疑問を携え続けることの重さと長さえ、たかが湯たんぽだって⁈なんで(どんな理由で)泣いたか、ではなく、どれだけ泣いたか、それが決定的に重要だと『飛ぶ教室』の長い前書きでケストナーも言っているではないか。彼女がこの世を去って、件の夫人と再会したならば、必ずやその話題に花を咲かせることだろう。そんなお土産話を携え、あの世に渡れる仕合せをしみじみ寿ぐ。
2024.01.24
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2024/01/23/火曜日/少し日差しも旅に持参したガイド本はこれだけ。正確に言うと『ザイム真理教』も持参して空港や機内では読んだけど。旅名人ブックス322004年8月30日 第2版第一刷日経BP企画谷克二・鷹野晃 著このガイドブックはスコータイの紹介から始まる。なぜなら、スコータイは最初のタイ人国家の都だから。なのだろう。タイの複雑な歴史背景を丁寧に解説している。元旦バンコクのワットプラケオ、とにかく凄い人で炎天下並んで入るのは考えられない。なんか同日の浅草寺を思い出すけど、あちらは邦人以外も無料だし。寒い時なので押合いへし合いもおしくらまんじゅうみたいで暖かい。タイ人以外は入場料500バーツには驚く。2300円くらい。美術館の発想であろうか。バンコクは今から40何くらい前に2、3泊したことがある。丁度10年前に訪ねた時のベトナムの街のような姿だった。この10年でベトナムも随分変わったのだろうけど、バンコクはさすがに40年。大都会になっていた。地下鉄なども6ラインあり、ちょっと不在にしているとどんどん伸びて知らない駅ができているらしい。私は古いもの、地方、自然、手仕事、ダンスなんかが好きなので、あまりバンコクに留まりたいとは思わなかった。都会はどこの国も似たり寄ったりでその国らしさが感じ取れない。ただ一つ、暁の寺 は見逃したなあ。『豊饒の海』を読んでからいらっしゃい、ということかしらん。辻政信にも目を通した上で、暁に染まるかの寺をじっくり眺める。それを次の旅縁としておきたい。あ、体調万全の胃袋でカニカリーも再び。今回のアイテネラリーホテル出たのは4時!だったんだ。はやっ。
2024.01.23
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2024/01/23/火曜日/曇ると寒い、大寒1/3 朝5時 スワナンプーム空港に向けて車を手配ホテル指定のナンバーを忘れてしまってのだけど、そこを通して決済なので、運転手と現金のやり取りは発生しない。誰が支払ったかというと私たちより後にチェックアウトした次男と思われる。タイエアラインカウンター付近には、辰年向きなオブジェが到着とお見送りをしてくれる。空港のセキュリティに手間取るからバンコクではデパーチャーの3時間前にカウンターに行け、と助言されたけど早朝のためかスムーズ。セキュリティチェックを終えてゲートに着いた時点でまだ1時間余裕である。早朝でも、私には無縁なハイブランド免税店は開いている。ラウンジを探すとゲートそばに幾つかあったけど、営業中はターキッシュエアのラウンジだけ。他はみな8〜9時オープンだったような。この日はターキッシュエアがお当番かな?トルコ風ではなくあくまでタイ風の朝ごはん。お魚ダンプリングの温かいスープは嬉しい。それに、あのお豆原料スイーツも!あら、食欲ややカムバックなり。ラウンジもガラガラ。日本人年配グループの方が朝早くから賑やかによく食べて異彩を放つバンコクは晴れて暑い一日になりそう。おかえり成田、はどんより曇りで思ったよりも温かい。やれやれ旅は愉し!コロナ雌伏四年。こんな旅を有難く思いつつも殆ど自前のことと思い暮らしていたのか。旅心に火を灯して家路に就く。
2024.01.23
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2024/01/22/月曜日/雨上がる1/2 ランチに来たのはプラウチャイ、Saithongriverというレストラン。駐車場からは伺いしれないけれど、奥まった通路の向こうは、川に面して明るいレストランが現れる。この川でしか取れない立派な手長えび?←オニテナガエヒ というらしい。他を頂いた。相変わらず食欲の戻らない私一人恨めしげにみなの食欲に圧倒されるのだった。故にアジも殆ど分からずT_T↑立派なメニューは写真付きなので注文に便利↓ドライブようにとお嫁さん一家の方が朝ご飯の後用意してくださっていたヘルシージュースが私にはとても良いありがたかった。これ、アユタヤのお土産ショップにも置いてあったけれどスムージーよりもお高い高級品なのだった。お腹を膨らませた一向は、バンコクの悪名高いラッシュを避けるために5時までには市内に入るべくアユタヤを後にした。↓途中、タイ風のシュガーコットン固い麺付き?をお試し用にドライブスルー方式で買ってくれた。ここら辺の名物らしく、沢山お店があった。ホテルに戻る前にお嫁さんが学んだカセサート大学へ。トイレ休憩かねて立ち寄る。↓高校生みたいに見えるけど、大学生は上は白下は黒、の制服がある。足元はフランク。つい最近まで髪を染めることもできなかったとか。なかなか厳しい。驚くことに車で誰でも出入り自由。学食や縁日の屋台風、キッチンカーで食事が取れる。マンゴースムージーを見て俄然食欲戻る。わーい、一人に丸々一個のマンゴー!それにしてもマンゴーの実を実に上手にカットします。これを飲んでかなり気分がスッキリ。ホテルに戻る。明日早朝ホテルを去る前にこんなホテルだったのか、と改めて確認。3泊もしたのに。最後の晩餐も食欲湧かず、スーパーで求めたマンゴスチンやデリカテッセンお買い物で部屋食。刻々変化する窓外の眺めがご馳走だった。
2024.01.22
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2024/01/21/日曜日/雨のち晴れ1/2 ワットプラマハータートで菩提樹の根本に囲まれた仏頭と向かい合ったあと、もう一つの遺跡とお寺へ車で移動する。その名の通り、菩提樹であった。遺跡からは、あちこちに池や水辺が伺え、素晴らしい環境にアユタヤ遺跡群は散在している。全て見ようとすると一日では済みそうにない。実は日本人村も割愛してしまった。この土地に日本人ツーリストが多いのは山田長政らの日本人村が17世紀初めに、このアユタヤの地に建造された歴史的背景もあるのだろうか。山田長政はバタビア王国に加勢してスペインを2度まで退けたという。日本史授業でそんな一コマを聞いた記憶があるが、この史実はタイ側には何も残っていないため、授業で触れられることもなければ、タイの人は全く知らないのだった。アユタヤには王室特級の重要なお寺がある。その名も ラーチャウォラウィハーン が寺名の最後に付き第一級の王室寺院を示すのだとか。お寺の名称ワットニウェート タンマプラワットの後にこれが付くのでやたらと長い。まるでイタリアの教会のような寺院が、日本で言えば明治の半ばから建てられたそうだが、離れた場所にあり、これも割愛。残念なこと。↑プラシーサンペット寺の駐車場で車から降りた途端少し先で土煙りを上げながら小さな竜巻が。瞬く間に上空へ駆け上がり消えて行った。その駐車場のおばあさんからお供えの蓮の花を買う。蓮は必ずつぼみ。これは合掌の形だから。アユタヤで訪ねたもう一つの遺跡ワットプラシーサンペットには、お参りできるお寺もあった。タイでは曜日生まれ毎にキャラクターカラーが決まっている。この黄色い旗は現国王の色?その国王は実は殆どタイにいない。どこにいるかというとドイツに構えた豪邸に愛人20人を引き連れて暮らしている。王不在の王国タイ。タイ国人は先王を深く尊敬し、現王を嫌っていることは確か。先王と王妃の若い頃の写真を見た時、とっさに美智子さんがお手本にしたのではなかろうか、という王妃の佇まいだった。しかし王室と皇室はその役割が明らかに違う、と私は思う。質素を旨として国と民の安かれを祈祷する、そのための祭祀を司る。これが本来の在り方で、その姿が民の敬愛に繋がったのでなければかくも永きお代が続く筈もない。平成流の反省の上に本来の姿を取り戻してほしいもの。お寺では寄進をするとお線香と紙包を頂いた。お香をたてる。紙包には、薄い金箔が入っており、これを入り口の仏像に貼り付ける。このお寺の仏像二つ。左はクメール的。右はガンダーラ的。アユタヤ遺跡の再現された仏頭はどれもほぼクメール的。右のお顔は珍しい。
2024.01.21
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2024/01/19/金曜日/春来るらしアユタヤはタイ語族の人にとっての古都でバンコクからも近いため、観光客がいっぱい。タイの他の街では見かけなかった日本人ツーリストにもたくさん出会う。食いしん坊にとってはここでしか食べられない、特別な川海老が食べられる街らしく。アユタヤに着いたら、最も有名な木に覆われた仏頭のある遺跡へ。↓なぜか、本日はアユタヤの遺跡やお寺はFREEentryなのだった。一番最初に目にするのがピサの斜塔よろしくかしぐ仏塔だった。ここは日差しを遮る所が少なく、日傘が自由に借りられるように用意されていた。私は時計回りに回ったが、それは最も最後に木の根本の仏頭を見るコースとなった。廃墟となった、祈りと王の居場所としての一大施設。殆どの仏像は首なしなのだ。↑首がないのは怖い、とかで新たに首が据えられた仏像も幾つかある。胴体と同じような仕上なので違和感はない。大勢の観光客がふと消えるような時間があり、不思議な時間が訪れる。ベネチアで感じたような不思議な光と影と音が思い出されるのも興味深い。こういう時はできる限り一人でへめぐりたくなってしまう。一見の価値のあるものは等しく見るものの心を揺さぶる。
2024.01.19
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2024/01/18/木曜日/好天続き乾燥注意1/2 旅もツゴモリ、明日は帰国という日本日予定はアユタヤへ、レンタカードライブその前にぜひ連れて行きたい朝ごはんの場所がある、との先方さまのお言葉に甘えマーケットへホテルまでお迎えしてくださる。本日の午後からお仕事開始のようなのに、ありがたや。連れて下さった方は、足元が濡れてないマーケットがお好きなのだとか。なるほど。そんな選択ポイントがあるのだなぁ。ここでは始終清掃の方がこまめに掃除しています。清潔で心地の良い空間。オートーコー市場というらしい。↓すごい銀杏の山!甘い味付け?テーブルの並ぶ感じはシンガポールのホーカーズが彷彿とする。テーブル席に面する朝ごはんのお惣菜店で何品か頼んで席につくと注文品が運ばれ、清算する。みんなすごい食欲だなぁ、朝というのに。私は未だ胃のモヤモヤが取れず、お粥を啜る。左下は高菜漬けみたいな味がして、お粥と相性がよく、幾分か食が進む。鮒の唐揚げらしき濃いめお味もお粥に合う。さて、この市場に素晴らしいスイーツショップがあった。王室にも納めるお菓子やさんらしい。基本はお豆でできている。カタチが華やかで可愛らしい。ほんのおちょぼ口向きのお菓子で、ひな祭りにぴったり。お豆とフルーツがミックスしたお味で、特にマンゴーやココナッツを感じた。賞味期限は半生で1週間くらい。↑右下は創立者?私が買ってきたのはこれ。頗る美味しい。日本でも手に入るのだろうか?お土産まで頂き、空港のレンタカーまで送って頂き、さあアユタヤへ。
2024.01.18
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2024/01/17/水曜日/好天1/1夕方 次男のお嫁さんファミリーとソンブーンシーフードパンタットン本店へ。これが今回の旅の第一目的。ホテルからは車で30分弱。行こうと思えば地下鉄もあるのだけど。タクシーを使う、あちこちでスムージーを飲む、つまみ食いを楽しむ、という東南アジアスタイルなのだ。郷にいれば郷に従う。タクシーが付けたのは裏口側で、お店の駐車場もこちらにあったみたい。丁度ご先方とそこで出会してご挨拶をする。↓おやおや裏口通路には写真が掲げられていて、A宮氏が美女に囲まれ思わず緩んだ表情ばっちり。ここは日本人観光客にとても人気らしく日本語がメニューに記載されていた。何といってもカニカレーが評判とかで、ごろごろと蟹の身が入ったカレー、殻付きカレー、川海老、川魚、蟹チャーハンなんぞをみなで中華風に分け合い食べる。あああ、美味しそう!でもいかんせん。先ほどのマンゴーと餅米のスイーツを欲張った私は天罰で食欲が湧かない。美味しいのに食べられない!胃の口まで餅米が_:(´ཀ`」 ∠):これは辛い、悲しい。みなさんの食欲、特にウチの次男坊と旦那は遠慮を知らぬ勢いで、団欒より食べるが先行。遠慮がちに小食の人、と思われているかもな私。いえ全然違うんです〜普段は旦那より食べるんです〜楽しく美味しいひととき、色々安心して再会を誓いそれぞれの帰途に着く。顔を合わせて美味しいテーブルを囲むっていいなぁ道々マーケットを冷やかす。地面はびしょびしょなので、足元注意。魚介にお肉、お惣菜にお菓子、果物にお花、色々ある。この季節なのにシャインマスカットも!どこ産なんだろう。ホテルに戻り、正露丸を飲んで休む私はタイの喜び、マンゴー、マンゴスチンに辿り着けず寝る。次回訪問して必ずや味わい食べたい、食い意地は横にならない私であった。
2024.01.17
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2024/01/15/月曜日/晴れ2024/0101 ゆっくり起きて朝食を摂りに近所の食堂街に出かけたが、お目当てのお店は元旦?のためか閉店だった。その隣のお店で頂くタイらしい朝ごはん汁なし汁ありにチキンボール安い、早い、旨い。バンコクでもほとんどの女性は食事を作らない。働くことが当たり前なのだ。さて、Chom phon とかいう食堂街に近い地下鉄に乗って、件のエメラルド仏が鎮座するワットプラケオ界隈を目指す。↓感心したのがクレジットカードで乗り降りできること。外国籍の観光客もOK。観光立国を目指すなら日本も取り入れてはどうだろう。↑タイのスマートな地下鉄は日本の協力でできた、と頌栄されていた。何事も後からの方が改良、改善されている。タイの新年は4月、とはいえ27日辺りからお休みでやはり人びとはお寺詣に勤しむ。そして、バンコクはとにかく暑い。チェンライ、チェンマイの気候とはまるで違う。スパイダーマン看板のお店でミックスフルーツアイスキャンディを食べる。最初に訪れたのはワットポー涅槃寺。入場料は300バーツ、本日から値上がりしたらしい。タイの人は無料なので、あれ、列を無視してない?と思うとそれはタイの方。タイのお寺は入ると広大なのに入り口は狭い。ここでも入るのに混雑。王様やお妃様の墓陵と思われる装飾パゴダが三基この中ではマッサージの施療が受けられる。敷地内には世界遺産?になったタイマッサージなら歴史資料館が併設されていた。元々お釈迦さまに施術したお弟子さまのテキストがあったらしい。それが書写されタイまで伝搬した。随分以前に戦災で消失したが、技そのものは細々と残っていたらしい。前国王はこれの復活を目指し、先ずマッサージの学問所をこの寺域に設立した、のだそうだ。寺内では、菩提樹を見ながら木陰で屋台で買ったランチやデザートが食べられる。靴は脱いでね。↑前々から聞いていた餅米とマンゴーの取り合わせ。ギョッとしそうだが、フレッシュなマンゴー餡と餅米がお口の中でおまんじゅうに仕上がる、と思えばよろしい。ほぼ一人でこれを平らげてしまった。とにかくマンゴー好き。しかし、これが後々敗因となる事を思い知るのである。長大なお釈迦さまの涅槃像観光客の私たちも敬虔な仏教徒も入り乱れ。タイの古式マッサージについて少し学んだので、涅槃のお釈迦さまはむしろ気持ちよくマッサージを受けられている姿に見えた。◼️その後、肩と頭部のみのマッサージなら直ぐできると聞いて受けてみた。思ったよりも痛くない。15分か20分くらい。終了間際に耳を手のひらでぽっかり塞がれた時、不思議な感覚があった。時空が何も感じられない、というような。その手ががぱっと開かれた時、一斉に音も時間も空間も開かれ、まるで産まれたて、みたいな感じ。そして次なる予定のワットプラケオへ↑暑さと食い意地に負けてサトウキビジュース。東南アジアの路上で買い食いしない戒めなんかとうに忘れ果て門前まで日差しの強い中をよろよろ辿り着くと長蛇の列。長時間は待つと聞かされる。炎天下を歩き続けへとへと、気持ちはとにかくクーラーの効いたベッドへ。しかし、これがタイの冬なのである。真夏の再訪は絶対ムリ。過去にプーケットを訪れたことがあったが、あれも3月だった。それでもひどい日焼けでうつ伏せでなくては寝られなかった記憶が…↓最寄りの地下鉄駅までトゥクトゥクに乗る。交通ラッシュで進めない。排気ガス吸いすぎで気分が悪くなる。大都会バンコクの移動は地下鉄+日陰を歩く、がよろしいかも。↓小洒落たウェルカムドリンク飲んで部屋でバタンキュー、夜の会食に備える。
2024.01.15
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2024/01/14/日曜日/晴れさようならアカマッドハウスのある村、また来れたら嬉しいな。12/31 タイ旅の5日目も暮れようとして、バンコクに戻るその日は大晦日、チェンライ空港へ。ここで3日お世話になったティンさんともお別れ。パーソナリティが素晴らしく、運転はもちろんカメラの腕が抜群。次回にもチャンスがあればぜひお願いしたい。この費用は13000バーツ。それに別途ガソリン代はこちら持ちで支払う。最大五人乗りなので、一人当たり11000円。これだけディープな旅、偶然の場所、常に駐車場を気にせず最短の場所で乗り降りしてくれるサービスを思えば大変お得だと思う。チェンライ空港はコンパクトなので搭乗も楽。やはり民族衣装やプロダクトが人気。例のプランテーションのお茶屋さんショップがあった!高級品でございますー。さすがタイ。こんな小さな空港でもお坊さん専用のラウンジがあり、待合室のコーヒーサービス棚の上にはお釈迦さまこの日のこの便を持ってスマイル航空は、タイエアの傘下に入る、最後のフライト。に乗り合わせてしまい、何やらノベルティを重役が機内サービス。バンコクの空港に着くと、空港で待っていた取締役らしき方やスタッフと記念撮影が待っていた。バンコクは何といっても大都会。デパート、ショッピングモール併設ホテルに宿泊部屋に入ると間も無くニューイヤーの花火があちこちから上がる。
2024.01.14
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2024/01/14/日曜日/雪残る朝12/31、午後わりとアバウトな時間予約で現地へいやはや。運転上手のティンさんはこの村を出た後で、2度とこの道は走りたくないなぁ、ともらすほどの危険な悪路、ではあった。そんなこともツユ知らず。えええ、怖い道だねえ、落ちたらおしまいだあーと我らは呑気なものである。そうして辿り着いた。先ずはウェルカムティーでもてなしてくれるご主人。プランテーションのお茶とは違い、この辺りに自生するお茶の木にジャスミンをブレンドしたもの。旅人に先ずはお茶を振る舞うのはアジアのマナーこの方はアカ族で、一人で20室のコテージを作り、経営している実業家だ。50室に増やす気満々。健康で温かく知力も行動力も胆力も充実して大きな人、という感じ。久しぶりにこんな男性を見た。草葺きの屋根は90度ほどパカっと開く仕組み。夜星を見るため?何故かは聞きそびれた。それが彼らの住まいの古典様式であるのかははっきりとしなかった。どうやって開け閉めするのか尋ねたら、実践してくれた。何と電動式。彼が自分で作ったという。昔は紐て゛開け閉めしたよ、とこれも見せてくれた。奥さんがお食事サービスして下さる。因みに奥さまはタイ人でチェンライで公務員として働いていられるとのこと。奥さまもみなぎるような健康な温かさの持ち主と見えたのだが、例のワクチン以降体調が元のようではないそうだ。こんな自然の人びとは免疫力は相当高いと思われる。不要なものを用い残念なことだと憤る。↓美しく盛られたお食事下の左の山草はこの地域でしかフレッシュで食べられないらしい。私たち日本人にはどれも美味しい。山野草を中心にしたメニュー、お出汁はキノコや野菜から。お代わりも望むだけ継ぎ足してくれる。おかわりの方が多かったりする。何度もお代わりしてそれを空にして満腹。↓フロント。カフェサービスもあり、アカ族の民族衣装を付けて写真を撮るサービスは無料だ。お腹がくちくなると探検私たちの後から、マレーシア辺りから宿泊しに来たカップルが食料などをコテージに運んでいた。アカ族の人とのウォーキングみたいなエクスカーションもあるみたい。ハウスの外に出てみるモン族の人の村のように、犬が寝そべり、女性は輪になっておしゃべり、子どもたちはどこかでつるんで遊んでいる。花が咲いている。私たちがランチを取った建物を遠くからみるとまるで清水の舞台だった。若しくは宮崎駿の世界建造物は全てこの土地ならではの赤い土で作られている。ここのコテージはプランテーションのそれの半額、およそ五千円。部屋の向こうから朝日が昇るのが見えるそうだ。
2024.01.14
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2024/01/13/土曜日/天気予報では雪?旅日記の私は12/31お昼前タイ北部チェンライの一大お茶の産地で、人気プランテーションのお茶屋さんに辿り着いた。どこまでも広いお茶園と洗練されたカフェがある。敷地の高低差を巧みに取り入れた建物の、屋外屋内のあちらこちらで、まるで鳥たちのように、自分の好みの止まり木場所を見つける。ここぞお茶を囀る場所、と座り待っていると間も無く選択したお茶が運ばれて来る。↓若い人たちはお茶系ドリンク、私共夫婦は高山茶と烏龍茶例年の大晦日といえば、一日中台所に立ち続ける習わしが、強い日差しを避けながら、目前で摘まれたお茶をゆっくり頂けるなんて。僥倖でございまする。何者かのおわするや、かたじけなさに涙零るる。ショップを覗いてみると、結構なお値段がする。タイの普通の暮らしではかなり高額だろう。お茶器なども扱っていて、どことなく台湾のお茶屋さんが思い出される。台湾では阿里山、日本では宇治の滋賀県側、お値打ちのお茶が買えるなぁ。記念にティーバッグ1袋のみ購入、庶民の懐なり。ここの風景が一服のお茶空間なのだ。見渡せば欧米系はおらず。アジアの様々な人びとがうち揃い、明るい顔でみなそれぞれにお茶を楽しんでいる。幸せだなぁ。↑座った場所から見えるのはバンガロー。一棟一泊確か日本円で一万円くらい。部屋から見えるのは茶畑とお山と空。朝日や星空がさぞや美しいだろう。再び訪ねることがあれば泊まってみたい。この辺りはアカ族が沢山暮らしている。アカ族の人はクリスチャンが多いとか。車上からも小さな村に教会を見た。こんな所までミッションにやって来た当時の彼らの情熱をしばし考える。幾千の言語辞典を作り、住民の病気を治癒して教化し、その土地の植物や種や文化財を収集し、地図を作り資源を記し、総本山に持ち帰る。総本山はその情報や資源を元に大資本と結びついて巨万の富を蓄えた。総本山に戻れなかった者は異郷で骨となったか。そんな歴史も畳み込まれた山襞なのである。ワットプラタートドーイトゥンは、この眺望の更に北にある。昨夜私たちを乗せてくれたトゥクトゥクの運転手さんがチェンライに来たならぜひそこを訪ねてほしいと教えてくれたお寺。今回は時間不足でそこまで行きつけず心残りだ。メーンライ王国の最初、つまりタイで最初のお寺。そこにある二つのパゴダの左にはお釈迦さまの鎖骨が納められているという。右のパゴダにはお釈迦さまにまつわる聖遺物。上座部仏教の人の聖地ともいえるお寺なのだ。いつからそこに建っていたかは未だよく私自身調べていないけれど、Google情報ではほぼ紀元前後のこと述べている方も。当時どんなルートでお釈迦さまのお骨が伝搬されたか。インドとの距離を見てみると、悟りを開かれたブッダガヤとお寺は徒歩でも24日で行ける。インドとタイはミャンマーを挟んですぐそこ、おそらく山の民にとっては。なんだなぁ。
2024.01.13
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2024/01/13/金曜日/一陽来復次の目的地に向かう途中、道路沿いに点々とあるパイナップル売りのスタンドで、ドライブスルーのようにしてパイナップルを求める。チェンライでしか食べられない、しかも今が旬のパイナップル。小粒で芯まで甘くイガイガしない。売り子さんの帽子もパイナップルみたい、笑顔が弾けるよう。ガソリン代は日本とほぼ同じ。走り行けば、もう殆どミャンマー国境。簡易なパスポートチェックなどの建物を見つけたりしながら山襞を登って行く。好い天気と眺望この道を切り拓いた人への感謝かな?流石にここまでは一般的なタイ旅では訪れにくいのに違いない。表記は日本人にも読める漢字。タイとミャンマーとラオスが接するこの地は、いわゆるゴールデントライアングルと呼ばれるケシの一大生産地だった。山岳民族に国境は無いだろう。あるのは山の尾根や谷戸。それに山の幸。焼き畑などしながら季節ごとに自由に移動していただろう。そこに雲南からも多くの国民軍が南下して来たのは蒋介石が台湾で政府樹立した前後のこと。国境の曖昧なこの地域で中国共産党の部隊と戦闘しながら、いわばタイ王国の傭兵のように働いた。ひょっとして敗残日本兵なんかも含まれていたかもしれない、などと想像する。メコン川は近いのだ。山の英気を吸い込んで、麓の小さな町が賑わっていたのを認め、下車してみる。同乗2名が、ヘアピンカーブの連続で車酔いしたため、休憩も兼ねる。生活者のためのマーケットであり、時々訪れる近在の人のためのマーケットでもある。ここはアカ族の人と中国系の人が半分ずつ仲良く暮らしている様子が窺える。あるいはミャンマーのシャンあたりから政権の迫害を逃れて来た人もいるだろうか。アカの人たちも手芸や装飾に手の込んだ仕事をしているが、マーケットでは薄利多売の土産物が並んでいる。私は薔薇のお茶を買った。この土地で採れ、この高山の気候で乾燥させた薔薇のお茶。それと好物の胡桃棗。上の画像の美少女からアカの人のマーケットでは大人のものと同じ分量で子どもの民族衣装も商っていた。こちらはとてもステキな元美少女、アカの婦人。そういえば、日本の半纏みたいな上着が見られた。
2024.01.12
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2024/01/12/金曜日/窓辺は温かい12/31 ホテルはコテージスタイル三つ星にしては、フェイスタオルがない、とかバスルームには換気扇がない、とか、コンセントが日本企画にアジャストしないとか。野生的。まあ、そんな状況も楽しみつつフロントでフェイスタオルをもらう。朝ごはんは素晴らしかった。幾つかの選択メニューから卵のお粥を選択したら、実はどのお粥にも卵があったので、2個!このホテルには夜分着いて、朝には出てしまい、肝心のファシリティである、プールやガーデンは少しも楽しまなかった。もっともこの季節、チェンライ辺りはお昼前後でなければ涼しくて、水遊びをしたいとは思えない。私のチョイスはどうせ使わないプールの維持管理費の乗っている宿泊料を払わなくてよいホテル一択なのだけど。こちらは次男夫婦のチョイス。本日一番目の訪問地は ワットプラケオタイでワットプラケオというと、バンコクの王宮側にある王室保護のお寺、かつエメラルド仏で有名。ところでバンコクの方では今年から入場料が何と500バーツ。2200円もする!4人で入れば一万円近い!ただしタイの人はただ。↓沢山のコーナーがあり、其々に熱心にお祈りをする人が沢山。年末年始はよくお寺を訪問するらしい。こちらのワットプラケオは入場無料だったと思う。エメラルド仏もレプリカだけど本堂に鎮座されている。30年くらい前に中国に発注し、本物よりも1ミリ小さく再現されたそうだ。しかし、バンコクのエメラルド仏はこのチェンライのワットプラケオからチェンマイを経て、異なる王統の所有となったのだった。元々は遠くスリランカから渡って来たらしい。15世紀半ばのことだ。その間にもラオスの部族に盗られたり。かつては王の一族だけが見ることのできる秘仏で、仏像の中に隠されていたのが、ある日秘仏のお堂に雷が落ちて、みなの目に触れることになったとか。そんなエメラルド仏にまつわる歴史エピソードを伝えるコーナーもあった。ここには休暇中の軍人さんも。休暇中でも、外では制服で過ごすらしい。敬虔な祈り。世界平和さて、タイのお寺の素晴らしいところそれこそ沢山のお寺のどこかしらでいつでも食事が無料で振る舞われ、飢餓でタイ市民が亡くなるなんてことはないそうだ。困っている人はどこかのお寺に身を寄せることができる。雨つゆ凌いで空腹も満たせる。タイでは成人男性が2週間お寺で修行することが義務だとか、そんな若者が困窮している人の世話をしてくれるかもしれない。日本でも今はもちろんないけれど、兵役より寺役?の仕組みがほしい。カルト宗教に絡め取られることも防げるのではないだろうか。↓私たち旅の者すら、サービスのご婦人に振る舞われ青汁のような飲み物、かすかに竹の香り。と、沢山の中から一つだけスイーツを頂いた。あ、蒸したお芋2種も分け合って食べた。もっちりした食感、中はココナッツ。甘さは控えめでとても美味しかった。全体的に健康食、オーガニックなお料理が並んでいるように見受けられた。ご馳走さまでした。感謝は、わずかばかりの寄進で。ここには博物館もある。明るい気が溢れている。
2024.01.12
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2024/01/10/水曜日/光が少しずつ戻る12/30 チェンライ街中橋の街頭も異国情緒を灯す。夕方6時ごろだろうか。日本との時差は2時間だけど日は長い。ホテルに戻り、ホテルのレストランで夕飯をさくっと。ティンさんも一緒に。味はまあまあなんだけど、スタッフが少ないとかで、やたらと時間がかかった。この後マーケットの場所まで送ってもらう。ティンさんは7時までの契約で、また明日ドライブ。ところがまぁ、すごいひとひとひと。車はなかなか進まない。↑タイでも人気、タイ式たこ焼き。食べたいけれど、夕飯を済ませてしまったのだった。試しに食べたのは昆虫!生まれて初めて食べまする〜 流石に手足はボロボロこぼして胴体だけにしてトライ。意外にクリーミーで美味しいかも。でも袋詰めで買うのは控えた。↑タイ式スシ?うむむ。人気のようで良く売れていた。↓右の細い棒のようなお菓子?ちまきみたいなものかなぁ。後で半分こしようと言いながら、次男夫婦の部屋に行ってしまい、食べ損ねる。しくしく。↓マーケットの中ほどに、お花が豪勢に飾られたエリアがあった。中まで立ち寄れず。この辺りから、ぐっと日用品、普段使いなお店が並ぶ。とても広大なマーケットなので、ただ歩いて眺めるだけでも随分時間がかかる。全体の三分の一も回れない内に店仕舞いを始めるブースも。聞くとチェンマイのマーケットを凌ぐ大きさらしい。↓雑貨や衣料品は特に目を引くものはなかったけれど、少し上質のTシャツがあったのでそれをお土産に。また一つ、竹で編んだ素晴らしいお茶入れが後ろ髪を引く。旅先でのモノコトヒトは一期一会なんだけど。さて、夜もふけてまいりました。憧れ?のトゥクトゥクに乗り、今宵一夜の宿へリターンタイは元気だ。若い人も多い。そしてみな楽しんで暮らしているように見える。
2024.01.11
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2024/01/10/水曜日/程よく良い天気12/30 チェンライ県にてカレン族のテリトリーの出口ではアカ族の女性が機織り中。↓画像のアカ族は正装らしく、さすがに普段の暮らしは上の左のような姿。犬をよく見かける。みんなで飼ってるのかな?タイでは犬はたいてい寝ていることが多い。大人しい。仮そめの住まいでも家の周りを植栽して、きれいに清掃されている。遠くの方から笛や太鼓の音が聞こえる。どうやら舞踊を始めるらしい。お年寄りの方ばかりだけど、その身体にはその部族の文化、芸術、振る舞いがその年月の分染み込んでいるのだから何となく有り難さも増す。真ん中の白い頭の男性が、いわばコンサートマスターみたいな雰囲気で、民俗芸能を大切に伝承している雰囲気がこちらにも伝わる。強要されるわけではないけど、ドネーションの入れ物が柱に付けられているので、ここは奮発してドネーションしたい。お金を入れると、みんなが明るい顔で大きな声でお礼をのべてくれる。どこまでも明るく対等な感覚が好ましい。↓なんて美しい風景だろう。背中の男性は私たちがうろうろしている間、ひたすらこの赤いたちを掃いていた。おかげでテリトリー全体に清潔な空気が流れている。昔からの知り合いみたいに、こちらにすっと入って来て舞踊を見せてくれ、私たちも踊れという。輪の中には93歳の女性がいて、彼女は毎朝薪を割るそうだ。小柄で痩せていてしなやかで屈強だ。思わずハグする!日も翳り始め、村ともそろそろお別れ。沢山の人が訪れて、ここでプロダクトを買って欲しいなあ。村の佇まいはどことなく懐かしい。
2024.01.10
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2024/01/08/月曜日/好天 白い不思議の寺から車で40分ほど北上して山岳民族の村の見学をする。↓入場料は日本円で1280円くらい。これが彼らの生活を支えてもいる。アカ族、ヤオ族、ラフ族、カレン首長族、カヤ族と案内が見られる。Googleではカレン族村となっているけれど。確かにスペース配分としてはカレン族が大きいけれど。入り口からは森の中、階段を下る。左側に抜け道みたいな道があり、そちらへショートカットすると、カレン族のテリトリーに入った。カレン族の彼らは他の部族と違い、はっきりミャンマーに属する人びとだ。コロナの時は観光客が来ず実入がないため、ミャンマーに帰国したのだとか。今再びここで生活文化を紹介しながらプロダクトを売る小さな店を構えている。地機を織ってスカーフやテーブルセンターなどを作っている。それ以外はミャンマーから持ち運んだお土産物だという。スカーフを幾つか買う。彼らの生計になるのだから。カレン族の美しい女性。美しいメイク。素朴な暮らしを見るのが大好きなのだ。文化人類学の勉強をすればよかったと今更ながら思う。高校時代には思いつかない学問だったなあ。彼らはここで生活もしている。誠実で正直な雰囲気を持っている。穏やかな暮らしを慈しんでいるような。撮影フィーはフリー。男性の姿は無い。 ミャンマーで働いているのだろうか。年をとるほどに首は長くなる。そうなると首の金属重量は5kgを超えるらしい。うわー肩凝り族の私はとてもムリである。この首輪が撮影用に用意されている。女性だけが着用するものだけど、男性も撮影していた。一説では、山で虎などに襲われる時、首の動脈などに噛みつく事が多く、これを防ぐために始まったという。↓美しい色合いのスカーフカレン族のテリトリーは広いので、いきなり買い始めず、ゆっくり眺めてお気に入りを探すのがよい。二つと同じ色合いは無い。道を辿って行くと、広場らしい所に村の学校があった。だの民族の少女だろうか。放課後らしい学校の前で、ノートに英語の文字を書いていた。この少女が大人になって活躍する頃、世界は今よりずっとずっと美しくなっているよう、願わずにいられない。
2024.01.08
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2024/01/08/月曜日/気持ちよく晴れるパイ屋さんを出て車は30分ほどで異形の寺ワットローンクンへ。このお寺は僧侶がいるわけではない。一人の、タイの人間国宝みたいなアーティストが自分の手で作り上げているらしい。地獄門の入り口の橋を渡り、極楽イメージの天上世界へ渡る。白一色、眩しい、暑い、ひとひとひと、の世界。タイ版恐山。タイのお寺や博物館、観光地にはパンフレットが今までのところ無い。それで規模がよくわからないけれど、これから仕上りを待つお堂がいくつある。件の芸術家は死ぬまで作り続け、未完に終わるか、志を継いで、サクラダファミリアになるのか。お坊さんも観光か、楽しんでいる。左の建物は深い泉が作られていて、真ん中の台に投げ銭が乗ると願いが叶う。投げるポジションは自分の干支の位置から。何と、私の1円玉が乗っかる。投げる前に願いを唱えるのだがささやかな祈りで、もはや忘れているという。タイのお寺には生まれの曜日の仏様に油を注ぐ、というお参りもある。左。芸術家の作品 など案内が別棟で見られる。このお寺というかワンダーランドというか、施設にはタイ人以外は入場料が必要。施設を出ると山岳小数民族の村が近いことを伝えるようなショッピングモールが。あまりの暑さ、日差しの強さにスムージー。
2024.01.08
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2024/01/07/日曜日/午後から曇る12/29 チェンマイの朝は上着が必要なくらい。日本からやって来ると過ごしやすい。ドライバーのティンさんの運転でチェンライ、タイ北部へと向かう。タイは田舎の道でも車が多く混雑している。ガスステーションにはコンビニやテイクアウトのタイ食、果てはロトなんかも売っていた。↑タイの人がよく食べるらしい、焼きトンの甘だれ風と餅米。それぞれビニール袋入り。快適なトイレもあるので、2時間毎には立ち寄ってくれる。といっても、途中渋滞があったが、お昼にはチェンライのリゾート地で人気らしい、ティンさんおすすめの、スアンチャンリゾートパイでランチを摂る。アクセスの道が分かりづらいので、知ってるティンさんも間違えたくらい。現地では人気らしい。レストランからの風景が素晴らしい。川には日本で見たことのない、樹木の種がたんぽぽか蝶のように白く吹雪ながら舞っていた。元々がパイ屋さん。ご飯はタイカレーが数種類、シンプル。タイでは飲み物はミネラルウォーターを頼む人が多い。カレー用の辛めスパイスドレッシングは、そこまで辛くない。チーズのパイ、チーズはリッチ、甘味がやや強いけど思ったよりいけました。学生時代に訪れたカトマンズのやたらめったらのパイ屋さんを思い出す。ハシシを求め欧州から流れ着いた若い人たちが、パイだけは捨てられなかったのかな?↓パイ屋さんにあった地図さて、車は更に北上へ。タイの地図のてっぺんの方へ。
2024.01.07
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2024/01/06/土曜日/これは冬?という暖かさ12/28 夜7時スタートの舞踊を楽しみながらチェンマイ料理をいただくプラン↓オールドチェンマイ文化センター旧市街のホテルから2.2キロほどの距離、わたし一人なら断然歩くのだけれど家族がいるので車で。歩かないと旅の面白さの殆どが奪われるような気がするのは私だけ?周囲は薄暗いため、勝手が分からないとまごつきそう。英語で表記されているとはいえ、見落としそうなウェルカムドリンク。新婚旅行も未だな息子夫婦との共旅のおかげでいただけた。年はとってみるものです。民族衣装やハンドクラフト、民族舞踊が好きで機会があればそれに出会いたいと願っている。会場に入った時には既に満席状態で、最後部のテーブル席だった。欧米系が7割、日本人は私たちだけ、みたいな印象。あとは東南アジアや地元の人かな。ここではランナー王国地方の郷土料理、お代わりあり。を頂きながらの音楽、舞踊、剣と火の舞など。ランナー料理は台湾のウーライで食べた山岳民族料理を思い出すような味。タイ北部、チェンマイの踊りはバンコクと比較するとゆっくりしているとのこと。言葉も振る舞いも人当たりものんびりしているので、バンコクの人もこの地方で癒されるのだとか。獅子舞が客席を回り、口に投げ銭するのは日本の懐かしいお正月さながら。↑ツレが投げ銭中これは、でも獅子ではない。牛かな?馬かな?8時半ごろのフィナーレでは、銘々好きな人がステージに上がり、タイ舞踊を真似て輪になり踊る。もちろん私も参加(^^)
2024.01.06
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2024/01/05/金曜日/温かい夕方12/28 ドーイステープを下りて来たら丁度お日さまが湖向こうの山に沈みそうなので、湖畔で一休み。この湖はキャンパスの中にある。なんて広大な敷地。タイは大学進学率100%と聞いたけれど、実際のところはどうなのだろう。画像では人が余り写ってないけれど、それはそれは沢山の市民、特に若い人でいっぱい。↓ワンちゃんが上手にお水を呑む。大学キャンパスを観光客にもオープンにしたら、コロナ前の中国人観光ラッシュの時に授業中の教室にも押しかけて今は建物内には入らないとか何とか。中国人は逞しい。↓宝物、ではなく貨幣博物館チェンマイ市内で通りかかった博物館は入場フィー無料なのに私たちだけ。新しく清潔な建物なので、お手洗い利用にも良いかも。マスク着用を求められます。↑デザイン力高め。私の好むところに近い。↓貨幣の歴史が学べる。貨幣の歴史が学べるだけでなく、別棟の小さなスペースには、少数民族の民芸品展示も。江戸時代前頃から?お茶人のエキゾチックな茶器の収集は、この地方まで及んでいた。↑今のタトゥーとは異なる。デザインではなく信仰心とか祈りに近い印象。紋様の連なりはイスラム世界のデザインのようでもある。↑ぽんぽん飾りが愛らしい。女性を花のように飾る文化が好ましい。
2024.01.05
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2024/01/05/金曜日/仕事始まりは晴れ12/27 ホテルで予約してもらおうとした makkhahealthandspa.com マカーというスパ。実は翌日もトライしたが2日続けてブッキングフル。このスパは何日か前には予約した方が良さそう。ホテルとは目と鼻の先で、オールドタウン内なんだけど。2番手希望のthehomemassageandspa.comザ ホーム はすぐ予約が取れる。これはオールドタウン外で東南角方向にある。ホテルとスパの送迎車含む。甘いお茶を頂きながら面談、タイの古式マッサージ全身90分コースを選択する。ここの価格設定は良心的とのことを後から教えてもらう。高くない印象だった。現金ならばカード払いの手数料分を引いてくれる。さて、古式マッサージは2種類の塗布剤を選べるらしい。タイガーバームはすぐ理解できたのだけれど、もう一つの説明が私の英語力では理解できない。イリーガル、ジャパンなどが聞こえるのできちんと把握したい。面談者はソフトなお兄さん。分からなくてもスマホの日本語翻訳で、それが大麻由来のCBDオイルであると知る。東南アジアでタイが初めて大麻を合法化して以来瞬く間に依存者が増加して社会問題になっていることを当地に来て初めて知った。コンビニで普通に買えるものも。それと知らずに買ってしまうこともあるらしく、よほど気をつけないと日本で見つかればパスポートが持てなくなる。スパ風に脚を丁寧に洗ってもらうところからスタート。上のフロアに移動し、夫婦並んで施術。強く感じたらノックノックと声を掛けるらしい。私は、ミドルを選んだけど脚部はもう少し強くして、と伝えた。90分はあっという間、施術後は身体が軽くなり、それに伴い気持ちもさっぱりする。タイでチップは求められないけれど、気持ちの良い女性ドライバーの方だったので100バーツを。
2024.01.05
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2024/01/03/水曜日/バンコクも早朝は上着12/28↓村の駐車場に着いたところモン族の人びとが集まって暮らす村が、ドーイステープ西側山麓にある。↓このゲートをくぐると民芸品のお土産もの屋さんがずらりと迷路のように枝分かれしながら山に沿って登りながら続く。かつては王国を築き、その文化が古いタイの人びとに影響を与えたそうだが、今は昔。↓ゲートから入って少し奥の左側の食堂でランチ、カオソーイ。窓からは学校が見える。しかしながら、手仕事の精妙な仕上がりに幾何学的妙を覚える。昔の手仕事を愛する私にはたいへん魅力的な村だ。ここで今回旅のお土産をほぼ買う。民族衣装のスカート12000バーツ、編みカゴ300バーツ、ヘーゼルナッツやドライフルーツなど。チェンマイのお寺界隈の出店の半額から3分の1くらいの値段。ただし街の方がより洗練され、良いデザインがあったかな。↓モン族の長のような方が個人で作った素朴な民族博物館。やはり、展示されていた古い手仕事がはるかに美しい。残念なことに、これしか展示がない。東北のコギンザシのような味わい。良いものは公共の博物館や好事家の手に殆ど渡ってしまったのだろう。↓小さな博物館を抜けると、山に向かって天上の花園、なるほど所々にはケシも見ゆる。タイでは2年前に法的に許されているらしいが、一般のタイ人大人はアンビリバボーと受け取ってるとか。↓チェンマイのブティックで見かけたやばいスーツ花園の中を歩いて少し登ると上にステキなカフェモン族の人たちはケシからコーヒーの栽培に切り替えた。このお店はそんなムーブメントの開拓者らしく、自家焙煎のコーナーもある。美しく歳を重ねたモン族のオーナーマダムがカウンターでコーヒーを淹れてくれます。トイレはタイ式。ペーパーは流さずゴミ入れへ。脇のお水を柄杓で掬い流す。山奥だけど清潔。20バーツの代金が必要。カフェから下ると子どもたちが山の水を溜めているため池で遊んでいる。小さな魚をすくっていた。案外深いらしい。↓対面には村の人たちがカフェでビールを飲みながらのんびりおしゃべりをしている。年代もまちまち。子どもらを花園と一緒に眺めながら。ちゃんと大人の目が届いているのだ。なーんかゆたかだなあ。ショップにいる人たちは何かしら手を動かしている。刺繍の衣類は、自分のお店のものは自分で作っているお店が多いようだ。↑真ん中カゴの写真、一番手前下のを買った。お土産にも二つ色違いで。イスラムの少女は珍しい。とても可愛い。かつて刺繍した布のプリントの布なども。一つ一つゆっくり見ていくと3時間以上はかかりそう。同じものを扱っているようで微妙に違う。
2024.01.03
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2023/12/31/日曜日/朝夕は涼しいチェンマイ、チェンライ12/29 仲間が2人増えて朝ごはん。私もチェックしていたお店ではあったけど、カオマンガイがとても人気のお店キアットオーチャとGoogleマップには出ているけれど、お店のメニューにはギアッ・オチャーとある。日本語メニューがあるくらい、ここに来る日本人が多いということ。ただコロナ禍以降日本人ツーリストが減っているらしい。メニューが頼み方、食べ方を詳しく教えてくれる。4人でお腹いっぱい食べて1500円ほど。自信を持ってご馳走できます!美味しいカオマンガイこのお店の並びは美味しそうなお店がいくつか並んでいます。さて、本日は、ドーイステープの2つのお寺とモン族の村を訪ね、夜は文化センターで舞台を観ながらお食事という盛りだくさんの予定。↓街中の電線が凄いことに!古いものを処分せずに積み上がってこうなったらしい。古いものは捨てよう、自分。朝9時にホテルピックアップで、本日から3日お世話になるドライバーのティンさんは、何と元会計士。早期リタイアして、観光ドライバーとして小さな組織で働いているのだとか。↑ホテル側の住宅◼️ワットプラタートドーイステープドーイというのはランナー国だったこの地方の言葉で山を意味する言葉と聞く昨日から年末年始のお休みに入ってここを訪れる市民で大変なラッシュ。山のほぼ頂上付近にあるドーイステープ寺院にお詣り。ケーブルのようなリフトで上る。↑工事中らしいパゴダ?は足場まで黄金色お堂は眼下に広がるチェンマイの街から臨める。それはきらりと輝く仏陀の額の光のようでもある。それにしても実に多くの人がお寺に参拝し、お花を備えドネーションする。山にはお墓も付属していて、この地に葬られることを願う欧米系のお墓も、百年以上前に生まれた日本女性らしき人のお墓もあった。◼️ワットパーラートここは知る人ぞ知るお寺らしく、先のお寺に比べると人はまばらで、チェンマイの人よりも観光客が多い。タイの他のお寺とは明らかに違い、瞑想的な雰囲気が漂う。どうやらヒンズー教の流れも汲むような様式が伺える。お寺全体は深い山の中にある。お寺の周りは水の流れが豊かである。静寂があり、池の向こうの遠く下に古都チェンマイが臨める。タイには数え切れないお寺がある。その中で私が訪れたのは十の指にも足りないほどだけど、ここはきっと、もっとも好むお寺の一つになるだろう。
2023.12.31
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2023/12/31/日曜日/チェンライの朝は15度12/28チェンマイのお昼ご飯ワットチェルディアンからほど近い所に評価の高いレストランを発見。こんな竹林プロムナード突き当たりを右へレストランに入ってみると、ヴィラ風な中庭空間はプールになっていて親子が泳ぎ、お年寄りはプールサイドで寝そべっているではないか。五つ星ホテルの付属レストランであるらしい。ランチセットのようなメニューはなくて、アラカルトで選ぶ。一皿が300から500バーツほど。これに180だったかのビールを2本。少し奮発しましたが、この環境は素晴らしい。味はせんれんされている。一皿の量が多くて、何とか残さず。お宿は高くて無理。ランチなら気軽、チップの無い日本風もありがたい。プールサイド奥のトイレルームの統一感も美しい。また訪れたくなるタマリンド。ホテルに帰ればゾウさんがお出迎え。
2023.12.31
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2023/12/28/木曜日/晴れると日差しは強い旧市街までなら150バーツ均一タクシーで、旧市街の予約していた小ぶり、お安めホテル到着。タイのタクシーはぼったくりが多い、の風評はよく聞いたけれど、今までのところそんな心配無用の対応が行き届いていて、観光客への配慮を感じる。チェンマイの人はどの人もびっくりするほど人当たりが柔らかく温かい。台南とか沖縄のようなリラックス感あふれるなぁ。8時過ぎの到着なのに、当たり前のようにフロント女性が荷物を運んでくれる。チェックインは10時!に可能、えー!よかったらカフェで飲み物をどうぞとのこと。凡そ日本では得られない歓待ぶりに感激しまくり。たくさんの欧州人をチェンマイの空港でも街でも、よく見かける。日本人は減少傾向らしく、街角はタイ語、英語、中国語だけ。コーヒーを飲んだ後、二つのお寺を徒歩で参詣◾️ワットプラシン観光で賑わう街中なので、つい忘れがちだけど、ワット=お寺は神聖な場所。タトゥーも肌の見せすぎも禁止です。社会科の郊外学習中の女子中学生に囲まれて、インタビューを受けてしまいましたー明るく、元気で可愛らしい。大勢のお坊さんが朝のお勤めを行じていました。タイの方は老若男女、敬虔な仏教徒が多い。↓左はワットプラシンの一番好きな仏さまお寺出口の辺りはモン族のハンドクラフトショップや飲食の屋台が出て、この辺も一層の賑わい。マカデミアナッツが500バーツ。2400円は高い。明日、モン族の村を訪ねる予定なのでリサーチ程度に気にしておくことに。◾️ワットチェルディアン↓看板に惹かれて入って行くと、門は閉じられていた。どうやら180度向こうに回らないと入れないらしい。↓目と鼻の先なのだけど。ぎらぎらの日差しの中を半周、ようやく門へ。入場料のために入り口を一つにしているのかな?因みにタイの人は無料。このお寺はチェンマイの中でも権威の高い、古いお寺で、その創立の頃から生えていたと言われるゴムの木が入場者を迎えてくれる。お寺はこの木と命運を共にしているとのことで、とても神聖な木なのだ。ジグラット?か出雲大社かチェンマイ旧市街のほぼ中心にあり、ランナー王国の仏教帰依、王の権威の象徴でもあるような仏塔。14世紀末に建てられ始め、15世紀半ばに完成した。タイがいくつかの王族に分かれ、西のビルマ北の元など中国からのせめぎ合いの中で王国を数百年繁栄させたその始祖はメーンライ王それは鎌倉幕府成立の百年後のこと。スリランカから高僧を招き、一時期は南アジアの仏教のセンターにもなったという。↑右上、歴代の高僧のポートレートの中で好きなお顔
2023.12.30
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2023/12/28/木曜日/朝曇り午後晴れ4時起き。朝未だ来のホテル予約リムジンバスの集合時間は4:50スワナンプーム空港へは10分ほど。空港到着ロビーは4Fここにチェックインカウンター、荷物ドロップ。エアアジアカウンターはDかFなので、バス到着の入り口ナンバー4からは左サイドを目指す。自動チェックイン機を使っていると、空港の親切なスタッフがガイドしてくれる。親切で美しいお嬢さんたち!タイ国内便でも空港には2時間前に着くのがオススメとのことだったが、早朝ゆえか。ボーディングはとてもスムーズ。国内移動のサインを追って、41ゲイトへ。朝ごはんお店ロードの最終辺りで、亭主の好きな飲茶、肉まんとエビシュウマイ朝ごはん。↑このエビシュウマイはお値段多少高めと思ったものの、大変美味しかった。エアアジアは1時間のフライトなので、前のクラス席以外は飲み物もなし。機内がとても寒いので、上着が必要。スワナンプームを朝焼けの中、飛行機に乗り、90分くらいで着いたチェンマイ空港では、この街らしいモン族の民族衣装がお迎え。旧市街内に宿を予約したので、移動のタクシーを探す。旧市街までは一律150バーツでタクシーが直ぐに配車される。
2023.12.29
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2023/12/27/水曜日/バンコクは生温かいかつて高速道路の事故で出発便に間に合わなかった事がトラウマになり、空港まで車の時は十分早く家を出ることに。↓頂き物の干し柿を家に残す気になれず持参する。41ゲイト待合で、二人してぱくつく。タイエアラインの出発は15分ほど遅れる。到着もしたがって遅れる。成田を12時に離陸、飛行機から解放されるとこちらの時間で夕方5時45分ほど。夕日がとても美しい。スワナンプーム空港到着は2階。地階のマネーチェンジショップの方がレートがよい、と聞いて垂直移動する。EVはとにかく満員、遅い。のでコストコで見るような移動方式の方へ。イタリア人らしき人が、団体でのイクスチェンジは大金だから、レートの良いところがいいんだけど、みたいな窓口で尋ねていたが、その窓口さん曰くどこも一緒です。みたいに答えてたので、レート微妙なのかも。ざっと1バーツが4.68円。ほぼ5円。円が随分安くなっているとため息。ホテルに予約を入れた送迎車。到着後に電話しても、これがつながらない。タイの国際番号二桁を省いた後、0を足して電話するまでにも手こずる。ショップのお姉さんに助けてもらう。別の電話番号を調べてくれた上に電話までしてくれるもつながらない。タクシーで行こうかとも思ったのだけど、日本からレスキュー登場。何と日本からはスムーズにつながった模様。4番出口と3番出口の間にボードが左右ずらりと並んでいて、そのボードを管理している人に予約している旨を伝える仕組みたい。↑しかし沢山の中から探し当てるまでに時間がかかる。ホテル名を見つけた時は奇跡?みたいな気持ち。待つように指示される。ひたすらぼんやり待つ。あのーとおずおず、未だでしょうか?と切り出そうとすると、担当のおじさんは5分待てという。私たちの側でまた欧米人カップルが、ボソボソとまた5分待てって言ってるわよ!と。しかし、5分待つことなくさくさくと乗り合い場所へと誘導リムジンバスは私たちだけを乗せて空港最寄りのホテルまで10分ほど。ホテルの部屋たどり着くともう8時前である。ホテル外に出て、地元の人で賑わうマーケットみたいなレストランで、トムヤムクンとフライドライス、ビーフンと牛肉のスープ、シャンビール330パーツで夕飯を済ます。昔のほうが安い、でも少しは安い!旨い!一人800円くらい。明日は4時起きで移動。
2023.12.27
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2023/12/26/火曜日/だんだん明るくなる〈DATA〉 出版社 双葉社著者 上田早夕里2023年3月25日 第1刷発行「小説推理」2021〜2022掲載の加筆修正〈私的読書メーター〉〈金本位制ならぬ阿片本位制。そんな東南アジアの近現代史がよく分かるノワール小説。清朝末期の混乱が凝縮したような魔都上海を中心に、青幇と呼ばれる組織に関わりを深める黄基龍こと日本人ジロー。貧農を嫌い一旗あげようと辿り着いた上海で営む小商い。そこにやって来た謎の女が差し出す最上級の阿片種を巡り帝国軍秘密組織や青幇組織、国民党、雇われ暗殺集団などが入り乱れる抗争に英仏からの独立を目論む植民地国の動きまで、複雑な背景をすっきり読ませる。中国的擬家族の結束に招かれながら個人であることを選択するジローの新しさ、良し。〉大英帝国とは恐ろしい妄想帝国だったのだなぁ。インドを侵略、綿花プランテーションを建設し、現地の人間を安い労賃で奴隷の如くこき使い、植民地や同等の国々に売り捌く。ところが対中国貿易では豊かになった英国国民のお茶の流行の背景もあり、赤字がかさむ。時はアメリカ独立戦争の時代、戦争には金がかかる。そこでインドで作らせたアヘンを中国に蔓延させて巨富を得るべく動き出す。狙い的中、中国人のアヘン中毒患者は年を追うごとに倍増していった。本当に酷い。モラルとか人間らしい心のカケラもない。こんな行為が彼らの宗教心にフィットするのか。そんな思想のたどり着く果ては不毛の極寒地だろう。アヘンと共に恐ろしいのが金、なのである。差配一つ、指一本で巨万の富を得て権力の上に立つ、そんなゲームが大航海時代から繰り広げられている。そんな世界は要らない。心穏やかな、慈しみあう世界を取り戻したい。WHOのやっていること財務省のやっていることまさにお薬と金、だと知る2023年末
2023.12.26
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2023/12/24/日曜日/クリスマスイブ最終的にはサンルームでしっかり乾燥させる。 着てもらうのを待つプルオーバー糸問題で悪印象をイトイさんに負わせたりして申し訳ないと思いつつも、考えざるを得ない。立派な上場企業代表取締役の氏にとって、末端もよいところの一消費者の私の懸念なんぞ、へとも思わないでしょうけれど。手編みという温かい世界に、資本の利潤横取りは、私はちょっと違うと思うのだ。このキットは2万円を超える買い物になる。三國さんがダイレクトに販売すれば3割はお安く、編み物好きに届くのではないだろうか。糸の製造者にしても応分の利益が上がるのではないだろうか。それが全体を包み込む〈贈与〉に近いのではないだろうか。とつらつら考えたので、キット残糸を直接オフィスまで返しに出かけることにした。先様は幸い我が事務所からは徒歩圏内。真意をお互いに伝えあうというか、トラブル解消は顔と顔を合わせて禍根を残さずに。対応の担当者はうら若いお嬢さん。 こんな方がさまざまな苦情を引き受けているのか、ビジネスとしての組織の一員なのかと思うとほろりとする。ビジネスではなく、営みとしての編み物を作家、糸の製作者、編み物ファンと繋がる仕組みはもっと小さくてよいと思う。そんなことまで伝えることはできなかった。彼女にしたってたまたま異動でニット担当なんだろうなあ。特に手編みが大好き、という風ではないのだし。別の日サイチカさんのインディなショップの、彼女のキットが再販売されていた。12000円ほど。これも配送ではなくダイレクトに買いに伺った。大きな組織の販売と何が違うか。カラフルな毛糸の飾り紐は、私に手渡す前にクルクルと自ら撒いて贈り物のように手渡してくださる。あ、これこれ。喜び重なる。三國さんキットと合わせての出費は少々痛い。けれどこれも勉強のための経費かな?もれなくニットの手編みが付いてくる!のだし。小さな心遣いが心に火を灯すクリスマスイブ編み始めるのはちょっと先アンゴラモヘアのふわふわくんにやられたか、くしゃみ鼻水の花粉症模様
2023.12.24
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2023/12/23/土曜日/これから世界は明るくなる朝に京都で舞台を観てからすでに30余日が過ぎた。その間未知の3人の女性と会話した。新規の飲食店7軒ほど利用した。決算、納付、歳末新年事務仕事を終えた。週末立て続けに離れた街で暮らす子ども夫婦が泊まりに来た。山小屋の冬仕舞いをして、数冊の本を読み、セーターを仕上げルームシューズを編んだ。初試みの野沢菜漬けはカビを出してしまった。その間にも折に触れレイディマクベスを意識に甦らせた。東京公演の抽選が全て外れた中、自嘲気味に京都公演を申し込んだら一つだけ当選してしまった、という。11月16日の夜の公演京都滞在23時間で、紅葉も見ず。甚だ印象深く忘れ難い公演となった。舞台そのものに加え舞台を観に行く、という行為そのものにおいても。なんといっても、アダム・クーパー に舞台で再会できる喜び。併せて天海祐希が共演という信じられない贅沢な千載一遇。天海祐希さんはアダム・クーパーの大ファンだとか。彼女にとってもこの舞台はドリームカムツルー思い起こせば、昨年2月の雨に唄えばコロナ禍の大規模規制の艱難辛苦を潜り抜けて、満を辞しての華やかな喜びに満ちた舞台、の筈が。スタッフに感染者が出てしばらくお預けの中、泣いていいのか、笑うべきか。私たちは舞台を観た。2年間味わうことができなかったそれを。観客は全員マスク、拍手は立つこともなく、粛々と退席する運びではあったけど、想像もつかないリスクを取って舞台で躍動したアダム・クーパーそして何とまあ、今回は日本語で演じられる舞台に彼が立つというのだ。とてつもないリスクをまたもや。一体どんな舞台になるのか。オファーを受け入れたアダムの勇気をアマミ・ユウキの膨大なセリフが鼓舞する。現実と芝居が撚り合わさり、歴史と時代が撚りあわさる。或いは男性性と女性性、支配と被支配、子どもと大人。肉体と精神、知恵とさかしま、嘘と誠。鳴り止まぬ戦禍の背景だけが太古からの魔女の声のように、人の心の荒野に吠え続ける。一際印象的なレイディとマクベスの腕だけのDNA様のダンス。それが見る者をして過去も未来も、この今という時間の中でねじれねじれて、原作では仄めかされるだけの、存在しない二人の子どもが、娘として立ち現れる。吉川愛母レイディは初め白いパフスリーブの付いた黒いロングドレス。そのパフがいつの間にか取れて、現れる娘の白い、愛らしいワンピース。原作では王の正しき後継をエンパワメントする侯爵マクダフが、弾丸ならぬダンカン王の縁戚で、女性で、レイディの友人役、というねじれねじれた設定の白黒ドレスで現れる。鈴木保奈美原作では逡巡するマクベスを腰抜けと叱咤し、王殺しを遂行させるレイディは、結局その猛々しいパーソナリティを女の肉体が持ち堪えられない生理として表現されているように思うが。舞台のレイディは子どもを出産することで戦場に明け暮れた無敵の肉体が働かなくなり、城=木枠の東屋か鳥籠のような舞台設置の内に留まる暮らしとなっている。そんな彼女はマクベスをそそのかし、ダンカン王を亡き者としてマクベスを王に据える。しかし戦争に明け暮れたマクベスの心はすでに壊れて、王として屹立することができない。歯噛みしながら臣下の不審を取り繕うレイディは、マクベスに弾を撃つ。唯一自分を慰めてくれた父であるマクベスの喪失を前にして、娘はレイディと同じことをレイディに果たしてしまう。始終、鳥籠の外部にいた娘はこの時、鳥籠の内の人に変化する。マクダフはすかさず、転げ落ちている王冠を娘に被せるも、娘はそれを払いのける。マクダフはそれを拾い上げ、再び娘の頭に王冠は座る。と同時に鳥籠の中に更に小さな檻が天井から落ちて彼女は捉えられる。彼女は叫ぶ。どうする!あなたはどうする?そんな問いを残して舞台の幕が降りる。ああ、なんて暗いテーマなんだろう。なんて暗い時代だろう。しかしこの舞台を作り上げるために海を超えて言語を超えて、一座は想像も及ばない努力を重ねただろう。コミュニケーションギャップを超える試み、それこそ芝居の原点で、見せるものとその舞台裏も捻り合わせの一芝居、ご覧じろう、という心意気。感ず。
2023.12.23
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2023/12/22/金曜日/冬至イサガーのアランツイード 100g編みながら足に合わせて細部を変更している。サイズM左M、右Sでかつほぼ編図どおり。右はクリが深い。私的には履き口ができるだけ甲に被るのが好み。指定より2段早めに左右の召し合わせをしている。次は四段早めに召し合わせしてみようかな。この糸は100gあるので、M一足半が編める。ブーツタイプだとM一足とS半くらいは作れる。ひとかせ2090円くらいで購入できる。糸の性質とルームシューズの性質、それにデザインの三相がこの上なく組み合わせがよい。履き心地抜群、温かい。機内持ち込み用にしたい。プレゼントにも!速目に編める方なら半日でできそう。
2023.12.22
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2023/12/20/水曜日/うららかな南窓先月中旬頃から編み始め、思わぬアクシデントで途中のお休みを挟み、昨夜遅くとじはぎも糸始末も終わる。ところで、このアンゴラヤーン。毛足がふんわり長く、模様編みの隣り合わせの色が微妙に馴染んで仕上がるところがとても好くて購入に至ったのだったが。小一時間も編んでると右下画像のように毛が盛大に衣服に付く。室内をふわふわと飛んで、目や鼻、口にも侵入して来る。翌朝顔を洗うとモヘア状が手にまとまりくっつく、という試練であった。やれやれ( ´Д`)y━・~~完成の開放感!モヘアくしゃみからの開放感!元々は自分へのクリスマスプレゼントだったけど、ちゃんとクリスマスに間に合う!トップダウンで編むセーターの袖丈は難しい。自分に合わせながら適切な長さを選択できるという利点が活かせないのである。以前編んだセーターも、手を前ならえすると腕が10センチほど飛び出てしまう。これはデザイン上致し方ないのだろうか?実は今回もやや短めに仕上がってしまった(;_;)袖とのバランスを考え、身頃は編図より7センチほど短めに仕上げた。袖のゴム編みが身頃のゴム編みよりずっと下にあるフォルムが好み。身頃を短くしたのはヨーク部分が編図より膨らんで大きくなったのも原因。針の指定は2号だったけれど1号で編んだ。にも関わらず、大きめに仕上がった。糸2本の模様編みはどうしても膨らみがち。↓水通し前に平場で確認あちゃー、発見。目こぼしがある!まあ、こんなものである。ワタクシですもの。すでに糸始末したのに、修復する→右。水通しを15分くらい。そっと押して排水、バスタオルにくるんで水分吸収、平干しこれを眺めるのが編み物全ての中で一番好き。しかしこの糸は水通しするとメリヤスの目が殆ど見えずフェルト地みたい。手で成形していると、モワモワとまたもや毛玉がΣ(゚д゚lll)右↓
2023.12.20
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2023/12/19/火曜日/最高気温8度、曇天の1日〈DATA〉 岩波新書 1944著者 國分功一郎2022年10月20日 第1刷発行〈私的読書メーター〉〈新書であるのに読むのに随分時間が掛かった。新書というのは知識の概要とか表面をさらっとおさらいするイメージを勝手に囲っていました。全て咀嚼することは能わず、ただ朧げに今まで折りに触れ読んできたシュタイナーの人智学、論語、或いは仏教の理性的論者方の文章に触れた思いがします。スピノザの認識の三段階の先にはどうしても学解の対象ではなく実践の理解が示されている、と思いました。そういう意味では学問を超えているような。こんな知性が17世紀半ばにオランダで、民衆の理解し得ない共和制と共に息付いていた事実に驚くばかり。〉読書中、最も心動かされたのは、実はオランダのハーグで1672年に起きた、共和政指導者デ・ウィットに対する民衆の非道な「厄災の年」殺戮事件だった。私はこの事件を扱ったとも知らず、デュマ『黒いチューリップ』を読みたいリストに入れてみたものの、そのまま長く放置している。この事件が起きた時、しかもその現場から徒歩にして15分ばかりの場所でスピノザはエチカを記述していたという。当時の欧州は、新旧キリスト教徒の間で残忍な殺戮が100年も続いていた。魔女狩りと称して、薬草で病人を救ける女たちが告げ口で火炙りにされ、村人や町人の見せ物と化し、恐るべき暗黒の歴史を刻んでいたのだ。シェイクスピアはその時代に生まれた旧教徒で、『ハムレット』はオランダの王家の悲劇だった。『ハムレット』に見られる王殺し、姦通、自殺、毒殺さえ、優雅な推理小説に思えるほどに「厄災の年」殺戮事件は陰惨だ。優れた理性的なリーダーが世に現れて、人間の尊厳をかかげ、理想的な統治を法に基づき執行しようというのに、民衆はたとえ愚鈍だろうと年幼かろうと、血すじとしての王を求めるのだ。そして知的な理想は、民衆になぶり殺され、その皮は剥がされ、肉がこそがれ、市場で売り捌かれるのだ。この現実!自己の中にエチカ=倫理を持ち得なければ、一神教の妄信的行為は人をして、かくまで惨虐に兄弟を殺し得るのだ。民衆が煽られた背景には、100年を超える宗教戦争、大航海時代の貿易がもたらす巨大な富と利権が絡む、秘密裏に結託した英仏のオランダ侵攻があった。煽られる民衆とは私に他ならない。何が真実かも見えず、小さな利益に汲々として。老いてどんな変化が心身に訪れ、どのように朽ちるのか、漠とした不安は予測される自然災害と捻り合いながら私の意識を昏くする。コロナは、ワクチンは、国家主権は、個人の人権は、少子高齢化は、経済は、パー券は、万博は、ひもじい思いをしている子どもたちは、インボイスは、リニアは、木原事件は、出稼ぎ男娼は、、、われら民衆はどうしたいのか、世界がどうあってほしいのか。デカルト:Cogito ergo sumスピノザ:Ego sum cogitans考えつつ存在する「スピノザは、総合的方法こそが哲学の真の方法であると考えた。」「定義、公理、定理、証明」ユークリッド幾何学原論、「エチカはこのような様式で書かれた」手の仕事を科す素描画家/アムステルダム/レンブラントレンズ職人/デルフト/フェルメール倫理的決断が理性を自立せしめるその名も『知性改善論』という自伝的著作。所有、官能、名誉の欲からどれだけ自由でいられるか、の考察。それを考えている間はそれから離れられるという発見精神がものを理解することが多くなるにつれて、同時に精神は、理解の道をいっそう容易にたどるための新しい道具を獲得していく真であることは公共的に共有されるとみたデカルトの道は科学へと進行し、共有されないとみたスピノザは、ある種秘教としての哲学は進んだのか?人間の本質は欲望悪魔のようなものは四角い円のようなものでありえないと分かるものに過ぎない。「どうすれば人間は、悪魔を仮定しようなどという考えが心をかすめもしない生き方ができるようになるか、それを考えようではないか。これこそが【エチカ】で開陳されるスピノザ哲学である。」神には外部がない神は永遠であって始まりも終わりもない。神は存在し、また作用するにあたって、自身の法則以外のなにものにも左右されない。全ては神の法則、すなわち、自然の法則に従って起こる。神は実際には、常に既に変状して存在している。「存在するすべての物は神の本性あるいは本質を一定の仕方で表現する」これはまさに大乗仏教的な思想ではないだろうか。人間精神とは身体を対象とする観念しかし、人間精神は身体を認識しない。精神が身体について認識するのは身体に起こることだけである。スピノザは動物どころか無機的な物質にも精神があると(程度の差こそあれ)みているキリスト教密教とか神秘思想のようでもあるが、観念に目を凝らしていけば矛盾なく成立する、のだろう。意識が陥る原因目的の転倒のメカニズム現れている意識の下の広大な無意識層について、フロイトに先駆けての考察自由な意志というものはない。感情の模倣喜び、悲しみと欲望の3つが基本的感情であり、こらの組み合わせによって全ての感情は説明される。同類と感じる者には、その者と似た感情を抱く。妬みは受動のモード、能動的に生きるにはどうするか。『エチカ』の中断エチカを中断し、『神学・政治論』を執筆しなければならなかった、時代背景序文での呼びかけ、来るべき哲学者にむけて。ものごとを自分で判断する自由、考えたいことを考える自由は誰も放棄することはできない。これは最大の自然の権利である。なぜ思想の統制を行なってはならないか。それが権力の自由にできるキャパシティを超えた目論見であり、それを目論む体制は暴力的にならざるを得ない。自然状態ならば人は意識を伴う衝動によって自然権を行使しているだけだが、契約が成立し法が存在するなら、行為のもたらす意識は法についての表象をもたらす。ここまで。エチカについて拙い反省を試み、短日の半分を費やした。経験を通して、つまり身体の変状を通した意識は、この世に悪も善もないことを理性に表象した。という言い方はできる?ただ悪い関係と良い関係はある。スピノザのいう能動的に思考し、生きるということは倫理の実践を必ずや伴うのだと理解する。欲望が私を存命させるが、理性はそれに意味を与えんとする。大いなる自然の現れの中で、客観を主体的に生きる、ことを常に意識する。
2023.12.19
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2023/12/17/日曜日/晴昨日とうとうサイチカさんのワークショップに参加できた。情報をキャッチした時には既に満席、という連続だったのだ。松陰神社前駅まで乗る世田谷線が大好き。このお店に立ち寄る気分が上がります。その線路の際、駅とは目と鼻の先に小さなニットのお店が不定期開店一番手前にあるコーナー的なお店は、ラトビアの大きなバスケットがお出迎え小さなスペースなので、参加は4名まだらしく、それでいつもすぐ満席になることが分かった。本日はルームシューズ作り。製作図は暮しの手帖今月号に掲載なので、それを購入して参加のこと。編み物苦手な編集者さんが頑張って編みながら、詳細に手順を載せてくれている、との楽屋話も。糸はイサガーのアランツイード手のきつい方7.ゆるい方6号を用いる。サイチカさんのショップ、糸と針にはイサガーの糸がたくさん揃っています。好みの糸を選び、ヤーンを糸巻きして、開始なんと、こんな方法があった!展開図である編み図をコピーし、立体模型をさささ、と見せて頂く。かわいいカップにルイボスティー、ほっこり休憩していたら。他のみなさまとのサイズ違いにアレ?と気づく私。6号のつもりでなんと!9号で編んでおりました(T-T)ロックのイヤミスΣ(゚д゚lll)もう半分以上時間を費やしてしまったので、解くことは諦めてアドバイスに従い、このまま編み進めて仕上げまでの手順を習うことに編みながら、フェルト化させて縮毛してもよいかもと考える。編み方を忘れない内にと、帰宅後に糸の分量を考慮して6号針で始めから編んでみる。大きさを比べると歴然。大きい方は可愛くない!そんなこんなで、やはり6号で。爪先まで到達してばたんきゅう。
2023.12.17
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2023/12/15/金曜日/曇り小雨静邨 ★初訪問千代田区12/15 ランチ訪問半カレー丼ともりそば 1000円先ず半カレー丼が。出汁で伸びたカレーには豚こま肉が数片、ルーはとろみが強く、蕎麦やらしいもの。日本のご飯によく合う。全体的に馴染客が多そうで地元で長く繁盛している様子が伺える。自家製石臼挽き東京二八蕎麦加盟店らしい。おお。久しぶりにお蕎麦にウズラ卵初めての紅葉下ろし添え、更に胡麻ダレも。蕎麦はとても美味しい。つゆは江戸前の、濃い甘口。蕎麦湯はさらさら。私的にはツユを濁らせたくないので、カレーにウズラ卵を落とす。うわ、美味しい。胡麻ダレのツユも混ぜずにこれのみお蕎麦をちょちょっと付けて、最後は蕎麦湯割りで頂く。神保町の、いかにも東京らしい蕎麦屋さん。ついでに さゝま に寄って和菓子3種を買う。一つはツレ、二つはアテクシ↑上から うす氷、柚子饅頭、冬ごもり和菓子は名前もうつくしい。
2023.12.15
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2023/12/14/木曜日/晴世田谷蕎麦 石原本店 ★初訪問世田谷区12/13 ランチ訪問日替わりもりそばと牡蠣の炊き込みご飯 1265円これは二八だけれど十割も扱いあり。人気店らしく2時頃伺ったけれどほぼ満席。蕎麦は細めだけれどコシも強くツユも旨い。オネギの量が多いけれど、ツユの量は少ない。よく冷水で締めてある。BGMがジャズ、という蕎麦こだわりの飲み屋的なお店。そのブームはいつ頃始まったのだろうか。これとは別にジャズを流さず、ひたすら求道的に蕎麦にこだわるお店もポツポツとある。お蕎麦に目覚めたのはこの数年なので、背景はよく分からない。清潔できっちり仕事をしているお店が好みではあるけれど、それぞれの個性が楽しめるのも良い。LINE友だちになれば百円クーポンがもらえる。ランチで使用させて頂きました。
2023.12.14
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2023/12/12/火曜日/雨のち晴知られざる未開の道はなを永遠に黙して永く永く無限に続く新聞記事で見つけたコンサートはタイトルが長すぎて覚えきれず、知人に伝えるのにマゴついた。ただただ伊藤野枝の名に呼ばれて会場へその内容は伊藤野枝とその同時代を生きた女性音楽家たちをめぐるコンサートとトークと銘打ったとおりのものだった。↑明日館へは目白駅から歩くことが多い。今回は徒歩時間の短い、慣れない池袋駅を下車した。メトロポリタン口に近いところでは光輝く広場が迎えてくれる。明日館の建物、その風景は都内建造物中で一番好きかもしれない。学校建築をフランクライドライトに設計依頼する、という驚き。当時の日本の文化度は世界でも先進的で優れていたのだはなかろうか。しかもこれが一私立学校の学び舎なのだ。垂涎、自由学園。伊藤野枝は1895年生まれ、1923年没。自然死ではない、関東大震災の大混乱に乗じて憲兵大尉甘粕正彦に殺害されたのだ。未だ20代であった。ライトの設計監督によって二代目帝国ホテルが披露されたのはまさに関東大震災のその日のこと。百年の来し方を瞑目せずにいられない。今年、まさに9月1日、の帝国ホテル百年事業のランチに出かける前には映画福田村事件を観た。未曾有の災害に、社会主義者も朝鮮人も癩病者も被差別者も新聞報道も転倒した、させられた、ことを映画は鋭く描写していた。軍部の権力が勃興し、自由や権利は後退した。圧倒的武力の前で、徒手空拳の私たちは「壁にぶつけられる卵」のように無力だ。今宵、百年前に立ち戻り、伊藤野枝の激しい生涯を野枝と同時代の日本女性音楽家による3曲、日本の語りに即した楽器琵琶のための新曲が披露された。野枝に捧げる琵琶の作曲及び企画はフランチェスカ・レロイという英国人の若い女性音楽家だ。会場は断じて自由学園でなければならないだろう。学園の創立者、羽仁もと子は当人によれば、日本最初の女性新聞記者、なのだ。学園はヨハネ福音書の「真理はあなたたちを自由にする」から名付けられたという。それは震災の2年前のことだった。あなたたちには、男だけでなく、女も子どもも、世界中の人が含まれる、ということを感覚的に身体的に把握できない男たちが制御する当時の日本で、豊かな才能、思想を変節することなく伸びやかに歌い切った女性作曲家、すなわち幸田延/ ヴァイオリンソナタ第一番変ホ長調外山道子/ 日本民謡による組曲 〈子守唄〉〈追分〉〈籾引歌〉吉田隆子/お百度詣の代表作が演奏された。西洋音楽受容の幸田延それに対して日本のオリジナルを問うた外山道子社会や環境音楽を見据えた吉田隆子重なりながら展開される音楽の喜びが披露された。演奏はヴァイオリン、吉田薫子ピアノ、前田朱音二人の呼吸はぴったり、吉田さんの繊細な音の響きは美しいだけでなく芯を感じさせた。これを英国人女性が見せてくれた、なんだか日本の女性を勇気づけてくれているような音楽会幸田延の第二楽章辺り、涙ぐみそうになった。私たちの賢明な選択がきっと世の中を明るく温かいものにしていく、と歌っていた。こんなステキな女性たちが全く初めての道を勇気を持って一歩踏み出していたよ、百年前に、と。↓来年2月、伊藤野枝の映画が公開される。レロイさんは、瀬戸内寂聴の『美は乱調にあり』を読んで伊藤野枝に強く関心を抱いたという。瀬戸内寂聴は震災の前年1922年の生まれ、百年を超えて生き今年亡くなられた。合掌。
2023.12.12
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2023/12/11/月曜日/政局キックバックがにぎにぎしい曇天ここまで編んでストップ。というのもメインの糸の状態がやはり納得いかず。家人からもきちんとクレームするべきだ、双方にとってそれが良いことなのだとエンパワメントされる始末なのだった。それやこれやで十日ばかり放置する。ほぼ日さんとのやりとりは最初はうまく噛み合わずようやくに納得して落ち着いたのは、メインの糸の交換、というもの。当初はロットが違えば色が変わるとか、未使用分の糸の交換を提示されたが次第に上の結論に至った。そんなやり取りの中、私も今まで編んだ部分を全て解くことを覚悟した。ツレの入院先、京都弾丸も重なり目まぐるしさもほどほどにならないかしらん。そうしこうしている内に届いたスペアの糸。↓上の巻。最初のキット糸は下の巻画像からは認めにくいかも、だけど。糸端のコンディションや巻糸小口のコンディションからも余りに状態が違うではないか。キットの糸はまるで解いた糸の巻き直し、という印象、まるで中古品である。スペアの巻は、後ろ身頃分を既に使用したキットの巻よりも量が少なく見えるのだが、容量を測ると細いスペア糸の方が60gほど重いのである。スペアの糸は艶やかでしっかりしている。編み地の表情が異なると予測され、後ろ身頃裾のゴム編み残り部分をスペアの糸を用いることはできず、ボワンと膨らんでいるキットの糸で編み切った。編んだ部分を解くことは先に諦める。アンゴラという糸の性質かもしれないけれど、まるで使用前使用後状況を二つの巻糸で見てしまったために、これはムリかもと判断した結果。何度かのメールのやり取りの結果、納得した落としどころではあったが、三國さんのキットには手を出し辛い、という印象が残った。糸の製作者とニットデザイナーがダイレクトにやり取りできない仕組みが、手編み愛好者には向かないと思う。大きな株式会社が間に入る事業とは思えない。比較も兼ねて、大好きなニット作家のサイチカさんから購入しようと考えてインスタ見たら、いいなぁと眺めていたソルドアウトのプルオーバーが再開、のタイミング♬
2023.12.11
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2023/12/10/汗ばむ陽気〈DATA〉著者 三國万里子発行所 新潮社2022年9月30日 発行2022年12月20日 4刷〈私的読書メーター〉〈タイトルのイメージとは随分異なる。作者であるニット作家の三國さんがどんなきっかけで編み物と出会い、デザインし、実際にどんな作品に結実したか、そんな回顧が作品と共に展じられるのかなあと妄想していたので。表紙の人形。素材である木とマッチングしていてとてもよい。人形はお顔が命?メムリンク彷彿の禁欲的な求道的な堅さが私好み。三國さんによるカーディガンもしっくり馴染んでいる。ポングラッツ人形も奥さまが草木染めした毛糸で編まれた衣服でそれが木彫の顔とこの上なくよい取り合いだったなあ、と思い出した。〉本書で一番心惹かれたのが、Sasha Luneva さんの木彫りのこの人形。って、だって彼女の作品はこの人形に着せたミニチュアカーディガンくらい。随分前に彼女の編み物本を買い、その中でも和風ウロコ紋様のミトンが気に入り何枚か編んだ。他にも作品を見て想像しながらボレロも編んだ。そうしてキットを「ほぼ日」から取り寄せた。取り寄せたキットの編み方図。作り目=キャストオンは、その手法の指定が無い。作り目はおろそかにできない、ということを最近ようやく理解するようになった。デザインや糸の個性に相応しい作り目の手法が本当に豊富にある。それらの技術は考案した人からその知合いへと次々とリレーされ、改良されて、みなの集合知になって来た歴史そのものなのだ。どんな作り目を選択するのか。その集合知からもっとも相応しい一つを最初の作り手が決裁するものなのだ。と思うのだ。これが無いことの頼りなさ。というものを感じた。思いかえせば、インディ意識の高い編み物仲間は、三國万里子さんのデザインを求める人が少ないように感じる。言葉で直接聞いた訳ではないけれど。楽しく編めればそれでよし、なのではあるけれど。デザインが好みならそれでよし、かもしれないけどもやもやとしてしまう。
2023.12.10
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2023/12/08/金曜日/陽光眩しい大寒〈DATA〉著者 ウィリアム・シェイクスピア訳者 木下順二発行所 岩波書店1997年9月16日 第1刷発行2021年7月5日 第24刷発行〈私的読書メーター〉〈ある台詞が放たれるや登壇する人物。異なる話題なのに台詞内容はその人物の内実や未来を暗示している、とシェイクスピア劇を観ていて感じたことがある。リエゾン視覚化?木下順二氏の後書きにその点が触れられていた。大海の水と洗面器一杯の水の対比や王が身にする衣装の比喩の指摘など改めてなるほどなあ!魔女的存在はマクベス自身気づいてない自分の、否、人間の地金が独特な気候風土の中でホログラム化した、の印象強まる。魔女裁判の時代に沙翁のメタ認知、木下氏のいう今日的マクベスが時代に符合し過ぎ、かの政治家にこの台詞ぴったりとは。〉木下訳の言葉のノリは江戸っ子伝法な、というか石原裕次郎の若い頃の東京ことばはきっとこんな、みたいな勢い。しかし下品に落ちることはないのが氏の持ち味。翻訳って面白いのねえ。戯曲って面白いねぇ。時代がかった言い回し、宗教的な了解の引用、語られれば即ち現実という即妙、なんぞはシェイクスピア劇のドラマツルギーそんな緊迫やスピード。それが会話一つ一つに欠損なく幕が降りるまで一貫して流れる。素人の私にも感じられる木下訳の上質感。こんな台詞で聞かせられれば、換骨奪胎、時もところも変えて戦後間もない日本の、仁義なき、大企業出世闘争物語にもなりうると感じた。言葉ってすごい。話し言葉って。さて。ヒースで魔女に初めて出会ったとき、マクベスは同輩バンクォーと共に在った。それは彼らには予期せぬ遭遇だった。そそのかす魔女にマクベスの心は千々に乱れるが、バンクォーは冷静であった。再び魔女に会ったとき、マクベスは一人であった。しかも自ら望んで会いに行った。魔女と人間が出会うために、また預言と幻影を得るために、あり得ない種々を大鍋のるつぼに混ぜ入れる、かの儀式。そのナンセンスなごった煮。マクベスは人間界では悲劇だが、転倒した魔女界からは滑稽な見ものだったのかも知れぬという惨劇。レイディマクベスの落差の振り幅は人間界を超えているようにさえ感じる。あのような認識を生身の人間は長時間持ち堪えることはできない故の狂い死にの結末なのだろう。病膏肓に至った妻に効かせる薬をマクベスが叫ぶ。「大黄でもセンナでも」大黄は漢方薬、これらは女性の便秘薬に用いられる。最近、丁先生の対談読んだところなのだ。過剰なもの、停滞したものの排出。そっか。断捨離だ!世のレイディのみなみなさま。塵は塵に 灰は灰に
2023.12.08
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2023/12/06/水曜日/雨のち晴うむ。我が家からは多摩川越えて、神田川越えて、隅田川越えてやって来たのだ江戸川。とおい、とても。うらうらと陽光届く土手の空のまあ、どこまでも広いはるかさよ。その土手の緑がお日様の光を呼吸している、そんな様子が窓いっぱいに輝いているげんげ工房5日前の予約とあった。第3、4週の水木金土とあった。お茶とお菓子付きとあった。10時から3時までとあった。幾つかを全て取り払い、ヒンメリを教えていただいた。お昼をどこかで買って伺いますという私にマクロビランチと息子さん手製オニオンスープとトマトエリンギひき肉パスタまで用意くださった。それに有機農法ワインも!話がどんどん弾んだ。話があちこち飛んだ。共通の知り合い、共通の考え方が重なり積もる。工房を主催する恵津子さんは小学生の先生を定年まで全うして、その後5年間教師指導官を務め、退任された。3人の息子さんを産み育て。全給食の時代、マクロビ弁当を持たせ。↑左の本が一人で作るのに役立ちそうだった。夏休みには平和や原発、環境人権、パーマネントカルチャー問題に絡む世界中のカンファレンス、見学、学習会に参加してきたという。いわゆる観光旅行はしたことがないのだとか。そして、自宅の一部を地域に開放し、幼児から高齢者まで、アート手仕事を教えながら社会問題への発言や上映会、哲学カフェも開催する。こんな場所があるってすごいことだ。恵津子さんだからできるのだ。↓大麦はご友人の育てたものとか。市販の下の麦と色がまるで違う。濃淡があり、あるものはまさに金色に輝く。我が家からは往復5時間。それでもまた訪ねたい。恵津子さんに会いに。そんなに長く学校の先生をなさっていたら、記憶に強く残る生徒さんもいるでしょうね?と尋ねたらぱっと顔を輝かせ子どもってすごいですよね!とおっしゃった。すべての子どもがかけがえがない宝なのだ、彼らに育てられてきたのだ言外にそう言ってられるように感じた。その一言の中に出会った全ての子どもの顔がうかびあがるかのように。そうしてヒンメリが出来上がった。我が家に光が灯る、金色麦の。
2023.12.06
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