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2023/11/04/土曜日/昨日のように晴れ↓婿殿用サイズで編むと、ベストでも糸が足りない、草木染めの手紡ぎ糸が5kgはある。微妙に異なるけれど同じ草木仲間。媒染で引き出される色々はペンタトニック。そこに不協和音はない。それで。同じ太さの糸を混ぜて試作してみる。↑ボーダー、ドルマン、七部袖のイメージのプルオーバーは、女性M寸法もしも娘がこれを気に入れば、クリスマスプレゼントにしようかな。旦那さんのベストと微妙なハーモニーペアになるだろう、不協無しの♬↓編み終わり、水通し、石鹸ゴシゴシで縮毛させて平干し。しかし、この羊毛の特性か、或いは染色の湯通しゆえか、殆ど縮毛せず。↓編み地はこんなに元気である。10日余り放置して、本日↑石鹸粉を入れた大鍋で、5分ばかりセーターを茹でる。↓軽め脱水して、再び平干し。前後計測してない!が、印象としては2.3%ほどは縮んだかな?↓それでもフェルト化は殆ど起きていない。このまま5日くらい平干しさせてみよう。洗濯機で丸洗いできるよ!何なら乾燥までOKなセーターだよーと伝えれば娘、感涙かも?↓庭のデッキの鉢で水を飲む山鳩の番のように仲良しでね
2023.11.04
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2023/11/03/金曜日/文化の日、晴れ美術館を出ると、あの雷雨は夢だったろうか、な秋晴れだ。坂の途中の新しい家もスマートだなぁ日常使いの器にも真剣に向かう環境があれば、自ずと住まいも身につけるものも佇まいも底上げされるんだろう。それが文化の底力。↓釜にも暖炉にも応分に薪は必要↓道の左右は陶器屋さんが並ぶ。電信柱が無いのがよい。↓来週の陶器市を待つ姿↓ちょっといい感じのお店で、焼き物買うか迷い、タオルを買う?アテクシ。↓お店かとおもたれば、一般住宅↓陶古というギャラリー、ショップ。建物が素晴らしい。お安いものもあります。↓交差点渡り、振り替えって気づく。なんだなんだ⁈どうやら藍染めの高名な工房らしい。↓茶まんじゅう他買う。↓これ、実は長屋門。おされなカフェとかお店が。↓民芸店ましこここでは濱田窯の焼き物も扱う。あれこれ、じっくり眺めているとお茶が出てきた!↑うつくしい茶の心。結局、今晩お世話になる娘夫婦のお土産にスリップ皿を一つ求める。↓おお。駅に向かう道すがら、アンティークショップを見つけてワクワク覗いてみると、ほぼブティックだった。古い家屋が残っている山里の町はいい。夕焼けに送られて益子の満月に照らされて真岡鉄道の車両に乗って高崎に向かう。すなわち小山から大宮、大宮から高崎へ新幹線乗り継ぎという旅路。↑濱田庄司参考館にあったスタンプ。昨日在庵今日不在明日他行まるで私のごとし。
2023.11.03
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2023/11/02/木曜日/日中は暑くなるらし旅は道連れカゴ。旧濱田庄司邸を背景に、茅の輪くぐりのような。↓藁屋根の厚さ!きれいなケラバ。こんな美しい葺き方を初めて見た。↓お邪魔します。無料である。いつから土間に大谷石?うつくしい色とテクスチャーが年月を経た無垢板と清潔な障子紙に映える。建築関係の外国からの見学者だろうか、ため息混じりに眺め入っていた。濱田庄司は英国でも作陶をし、生活した。彼の芸術果実はとても日本的だが、普遍性の土台は頑丈だ。屋内は平家で、天井は二階家くらいの高さ。↓ステージはロクロを回す作業コーナーが3箇所ばかり。掘り炬燵形式でここに腰掛け作業する。外の光が手元を照らす塩梅になっている。作業コーナー上はロフトのような中二階。作業する場所は天井を低くし、土をこねることに没頭できる配慮が感じられる。無垢板の床が飴色に光を反射する。すぐ側に囲炉裏の火とヤカンの湯↓上画像の大甕。益子の海外交流事業で来日した韓国の作家が益子の登り窯で焼いた作品。見事にこの屋内に調和している。素朴で質実剛健な民家に、華奢で優美な欄間半衿の刺繍を見るようなあわいの繊細さ↓日本の伝統家屋の意匠は屋根にあり。↓参考館ショップで買ったポストカード濱田庄司の掌陶器市1週間前の益子は人も少なく、このタイミングで来てよかった。いつの間にやら晴れ上がる。↑108回を重ねたとはすごい。↓回廊ギャラリーを渡り、芹沢銈介展を見に行く静岡の芹沢銈介美術館にはぜひ行きたいとかねがね思いながら果たせていないのだけれどまさかの益子で 旅する染色家芹沢銈介展が。↑開館30周年記念 益子日帰り がデザインされた表紙↓この建物は今ひとつ感心しない。旅をよくした、民藝運動の芹沢銈介は訪ねた各地の風景、特に手仕事の工房のスケッチを数多く残し、中には手作りの絵本に仕立てたものもある。展示されていたましこひかへりは展覧会の主題。↑芭蕉布に芭蕉の型染め沖縄紅型や、釉薬の流れた甕の図案の着物、暖簾などグラン・パレでの展覧会出品作など展示フランスでの展示会は、あのバルテュスが芹沢作品を愛し、骨折りして開催にこぎつけたという。バルテュスは20世紀最後の巨匠と言われた画家。パリのレアールでの大回顧展を随分昔に見た。晩年スイスの山里で、スイスの古い民家シャーレに着物姿の節子夫人と隠遁暮らししたことに何となく作品との乖離を覚えたものだった。しかしその違和感が芹沢銈介展開催への、彼の奔走の事実を知り氷解したかも。↑このおおらかさと繊細な色調が好い。左は戦前に益子を訪れ、芹沢銈介がスケッチした濱田庄司の工房。右は先ほど訪れた際の画像。おや。同じアングルやなかとですか。軸組はさすがに変わらず、屋根葺材と外壁の仕上げが変わりました。絵の方に住みたくなりまする。↓焼き物展示会場入り口正面に島岡達三作品。↓今回気になった作家、加守田章二加守田章二(1933-1983)は大阪で生まれ、京都で陶芸を学び、益子で独立。遠野で生涯を終える。北上の人、である。受賞後毎に、その作風をがらりと変えた。入場券を買うと、喫茶百円引き券を頂き、見学後カフェにて休憩。ずらりと並んだ中から好みのカップを選べ、とのこと。お、陶芸美術館を謳うだけのことはあります。私のチョイスは岩下宗晶さんの、少し島岡ブルーぽいカップ。先が楽しみな作陶家さん。紅葉の始まり出した丘を下り、陶芸屋さんを冷やかしにそぞろ歩き開始。
2023.11.02
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2023/11/01/水曜日/蚊に刺される参考館を出ると雨は止んでいた。この界隈はいかにも里山の風景立派なお屋敷を構えた家が散見される。↓濱田庄司氏と縁のあるお宅のようだけど?↓その家の前に藁狩場と藁納屋?こんな風景を見ながら浮世をやり過ごせるのは羨ましい。大いに読書し、身体を遣い働く。夜は静かに考える。そんな暮らしが浮かぶ。道々発見の 仁平古家具店アケビのつるかしらん、平カゴを求める。そのカゴを片手にぶらぶらとお昼の蕎麦屋さんへ、更にとよだ民芸店へ戻る。↓あちゃー臨時休業↓益子で重要な陶工四大思えば夏に訪れた、韮崎の大村博士コレクションで島岡達三の作品に触れて、益子に行きたい気持ちになったのだった。道祖土 と書いて さやど と読む。この交差点奥に濱田庄司の工房、現在の参考館はある。地名を聞いて彼は好ましく思ったのではないだろうか。宇都宮からここまでのバス停が示す地名は、物語が聞こえるような響きと文字で印象深かった。地名が薬効をもたらすようなエッセイか紀行文か、梨木香歩で読んだように記憶する。やがて細い道に分け入り、坂を上ると旧濱田庄司邸と益子陶芸美術館のある丘に辿り着く。長屋門風の入り口。2階は敷地高低差を活かしたギャラリー兼回廊↓後日我が家に収まった平カゴ
2023.11.01
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2023/10/31/火曜日/秋深まる週末の土曜早朝、益子へ一度は訪れたいと思いながら、同じ関東でも我が家からのアクセスが悪く先送りにしていたが、ついに私鉄→湘南新宿ライン→新幹線→バス大宮から宇都宮移動は一駅、椅子を温める間も無く宇都宮駅に到着。↑初めて降りた宇都宮駅↓バスの案内がとても分かりやすい事前に練った旅程は待ち時間をできるだけ短くしている。しかしそのプランは女子トイレ長蛇の列を考慮していない。でもわずかでも新幹線に乗れるのでOK。豪華な個室が用意されております。を乗り継ぎようよう 濱田庄司記念館に辿り着く立派な長屋門に駆け込むより早い雨脚おまけに雷さまが轟く手荒い歓迎振りではないか。長屋門左がオフィスとショップ右が一つ目のギャラリー↓今回展示ベスト3、スペインの耳付き壺濱田庄司さんが「負けた」と思ったという手仕事が世界各地で収集されて、ここ益子に北欧、メキシコ、英国、モンゴル、朝鮮、イラン、ペルシア、日本↓左から濱田庄司、柳宗悦、河井寛次郎↓中心上から時計回り 濱田庄司、バーナード・リーチ、黒田辰秋、富本憲吉、河井寛次郎作品▼第二のギャラリーへ↓濱田庄司を紹介するビデオから美しい2号館の内装空間。建物は東北大震災で被災したが多くの寄付金が集まり、2年後には修復、公開がなされた。作品がいくつか割れてしまう被害もあった。今回の展示中のベスト3↓リーチの鹿のプレート↓好きな作家、ルーシー・リー作品が一つ↓上、3号館から2号館を見る 下2号館出入り口▼3号館 沖縄、角形酒注 ベスト31.2.3号館に一つずつとてもいいなぁ、と思う焼きものがあった。既に濱田庄司氏の目のフィルターに掛けられたものなので、どれをとっても素晴らしい。贅沢な選択ではある。▼工房ここで土がカタチになった。もちろん濱田庄司氏もここでロクロを回した。▼上ん台↑頗る立派な百姓家。豪農屋敷と呼ぶべきか。濱田庄司は早い時期から古民家も収集していた。焼き物のみでなく、家具や住まい、風景風物、衣装、染め物、おそらく食事に至るまで、みな民藝の風景の中にあり、それは小津安二郎の映画空間にも流れているように感じる。▼濱田庄司館こちらには喫茶室もあった。お茶を注文しなくても、椅子に座りぼんやりできるのがありがたい。これだけの財産。個人のものに留めれば散逸の難は免れなかった。公開して公共の財産にしていただけたことが有難い。豪農屋敷、上ん台から敷地を下りていくともう一つの長屋門。左右にはやはり小さなギャラリーがあり、濱田庄司氏の生涯とその作品が控えめに紹介されている。↓氏の初期の作品雨の中、入場者は私一人だった。濱田庄司の求めた世界に浸る濃厚な時間だった。
2023.10.31
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2023/10/30/月曜日/晴れ時々曇り❻ ましこの蕎麦 路庵10/28 益子町益子十割蕎麦ととろろご飯セット1220円お蕎麦はコシが強く、甘みも感じる十割蕎麦、地粉を用いる。ツユも美味しく量が多い。お漬物とご飯の美味しさにびっくり。益子には、いくつか蕎麦屋がある。歩き旅の私に便利なのが、このお店だった。
2023.10.30
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2023/10/28/土曜日/天気は不安定10月初めの週に八ヶ岳に出かけた折、小淵沢で人気の酒屋に立ち寄る。ここは山梨県になるため、長野県産を圧倒する甲州産ワインのライナップに山梨愛が伝わる。日本ワインコンクールは今年で19年目、国産葡萄のワイン品質向上を目指し、甲府市で開催されているらしい。長野マンズワインのソラリスが欧州産赤でも白でも、受賞を果たしていたが、お高過ぎて気楽には飲めない。私が気になっていたのは、シャトー酒折の2022甲州ドライ。甲州部門とコストパフォーマンスの金賞。1760円。お店の棚には三本。買い占め恥ずかしく二本購入。6月からの販売らしいから、もう店頭にはないかも。単なる辛口ではなく、ほのかな甘味が柔らかい。和食にピッタリ。この値段でこの内容は文句なし。先日飲んだタスマニア白800円一杯とは雲泥の差だ。この価格帯で、このお味、アロマなら世界相手にやっていけるかも。↑実はワサビチーズと頂いた。合う!
2023.10.28
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2023/10/27/金曜日/天気上々〈DATA〉 晃洋書房著者 谷釜 尋徳 タニガマ ヒロノリ2023年2月10日 初版第一刷発行〈私的読書メーター〉〈なるほど分類384。章ごと参考文献がいかにも学究の第一次資料。といっても堅苦しい研究書とは違い、版画なども織り交ぜながら旅歩きへの憧れを駆り立てる本に仕上がっている。本書が参考にした女性の旅日記(記述者が男性のケースも含む)、年代的には1669年から明治すぐそこ、の1863年まで22巻も!健脚、健啖、物見高さで古の日本女性なれど、すぐ近の共感が湧く。関所越えの緊張、河渡りのヒヤヒヤ、古刹名刹、伊勢参りと言いつつの宿の年若主人の美貌を褒める一筆も。名物、ご馳走、買い物、芝居通いとまぁ我らに似たる人事欠かず。〉うむ。著者の名前が凄い。これは本名であるか?尋徳。漢方医か何か、そんなお家柄よのような。しかしご本人は、『江戸のスポーツ歴史事典』も出されている研究者だ。事典を作るのは大変な難行と想像する。本書はその折の、こぼれ話を拾い集めた気安さ。とはいっても、江戸時代に何故、おなごが日本地理の半分近くを何ヶ月も掛けて踏破できたか。その背景がきちんと論理立てて示される。参勤交代のための街道、宿場町、交通などのインフラが整えられたこと。貨幣経済が全国津々浦々に行き渡り、金貨銀貨を銭貨に両替したり、為替の仕組みもあり、大金を持ち歩く必要がなかった。また、名所図会なる観光ガイドブックがお土産、グルメのご当地情報を詳細に伝えてくれた。何よりも庶民が豊かで文字書きそろばんが行き渡り、旅の計画、予算の計上など旅人として自立できていたこと、などなど。凄いな、江戸時代。あ、書名の江戸は、地域区分ではなく時代区分。タイトルだけを眺めると江戸に住む女子が大山詣とか牛に曳かれて善通寺、とかを想像したけれど。もちろん江戸の商人妻、中村いと←こんな人と一緒に旅したい!←の例などもあるけれど、大半が江戸以外から。藩士藩主の妻なんぞもいるけれど、名主、地主、商人、農民妻もいて、大盤振る舞いも節約もそれぞれに工夫を凝らし楽しむ様子が伺える。しかし出たちは同じように、足袋に草鞋、脚半に道行、杖に菅笠ファッションである。この菅笠を、明治初めに日本奥地探検したイザベラ・バードが激賞していたとか。さて、着物。足さばきが困難と思われるのに、平均で一日30〜40Kmを歩くのだ。2日に一度は草鞋を買い換え、これが土地の農民の現金稼ぎにもなったろう。しかも履き潰した草鞋は捨て場が茶屋近くに置いてあり、集められた草鞋は解いて再利用できるものは再び草鞋になる。もうね、ここまで来ると涙もの天晴れ日本の民衆。質素で簡素でつましく、エコロジーな姿よ永遠なれ
2023.10.27
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2023/10/25/水曜日/日中はインディアンサマー〈DATA〉 早川書房著者 バーナード・コーンウェル訳者 泉川紘雄1990年3月20日 初版印刷1990年3月20日 初版発行〈私的読書メーター〉〈懐かしいような馬鹿馬鹿しさと真理の端っこを掴ませる手応えの海洋冒険小説。セーリング好きには応えられないだろうヨット操縦心得満載。フォークランド紛争で負傷したニックは障害を抱えながらも『テンペスト』の魔女名シコラクスをもつ愛艇で海洋に出る夢を諦めない。生来のおぼっちゃまパーソナリティ故の行きがかり、嵐の大西洋でヨットwildtrackをワイルドトラックする羽目に。「世の中を動かしているのは正直さでも正義でも愛でもない」と諭す父のような成功者の側ではなく、艇を動かす風の吹く海で生きる選択の清々しさよ。〉ハリー・アボット警部補は、いい漢なんだなぁ。「仕事ってなんだったんだい、ハリー」彼は質問を無視した。「サンドイッチをすこし持ってきた。それに新聞は置いてくよ。嘘ばっかし書いてあるが、漫画くらいは楽しめるだろう」新聞の記事はといえば(←1982年のフォークランド紛争から1.2年ほど後の設定?因みにこの本が日本で出版された1990年、英国とアルゼンチンの国交は再会されたが、本年3月ニューデリーでの20カ国サミットでは再び島の領有権の交渉がテーブルに載ったという)「北アイルランドではひとりの男が膝頭を撃ち抜かれ、イラクとイランは砂漠でおたがいに痛めつけ、ロシア人はアフガニスタンで農民を痛めつけ、炭鉱夫はだれかれ見境なく痛めつけている。エイズと呼ばれる病気が、清教徒が千年かかってできなかったことを達成しようとしている。イギリスはまだクリケット一色」という時代のリアルな新聞報道の最後のゴシップ記事では物語の核が進行している。すなわちニックの愛する女性アンジェラの結婚ニックは関わる新聞記者からも闇商売に精出す造船業主人からも大バカ呼ばわりされているある意味愛すべきやっかい者。フォークランド紛争最中、作戦ミスで敵陣突撃したとき、自分が何と叫んだか、思い出せない。嵐の中、素人に操縦を任せ、恋敵の命を救おうと隣接させた艇に障害のある身体で乗り込もうとする刹那、自身の口から同じ言葉が飛び出したことに打たれる。「気違いやろう!気違いやろうだ!」前者はつまるところ、紛争=戦争時の軍人として、女王陛下の国土を守るという軍事目的が後者では、恋敵の命を救うよう懇願する愛する女性のためのブルトン騎士精神が発露され?たごく私的な目的が海を相手の船乗りで神の存在を否定するものはない、と無神論者のアンジェラと会話するヨット内のシーンがある。極限で、そのアンジェラが祈るのだ。自然の猛威の中で人間存在のあまりに無力だと知る、そんな経験を海で山で人はもつ。丘では間も無く運転手のいないタクシーが走るそうだが人間よ、思い上がってはいけない。一身の力と知恵と心を尽くし生きてみたことがあるだろうか?そんなふうに、この冒険ミステリーは問いかけもするのだ。やはりニックはビクトリア女王の愛称をもつ黒猫と今日も海に出ていく。その名の勲章は刑務所で暮らす父に託して。警部補はまともな男だった。日本にもまともな元警部補がいる。それは希望といえるものだ。
2023.10.25
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2023/10/24/火曜日/よく晴れた朝本日は特に課題無し。前回の冊子掲載ベスト編みの続きや、疑問に答えるような時間。こんな時には、都合で参加できなかった課題の疑問も聞けるし、自ら用意した英語仕様の編み方などの疑問にも応じて頂ける。私は東北旅行のためにパスした8月の課題を持ち込んだ。↓編み方仕様書を見て自力で編んだものしかし、どうしても先生のサンプルのような立体感が出ない。クロシェ編みのとき、たまに見る↓右下の、この複雑な紋様を編むと左上のようになる。英語では3FPdc 何のことやら、である。Three front post double crochets の略語、とのことだ。この、ポストとは脚の意。手前の脚に長編みを3回編みます、てこと。立体的に編むコツは、3FPdcs の時にきゅっと引き締めて編むこと、だった。すでにアブリルさんで求めた黒糸は消化済み。ハマナカのエコアンダリアで、レシピ目数どおり編んでみるとスマホが入らない( ;∀;)もう2度編み直している。うらみがましく、解くのは後回ししてもう一つの端から新たに編み始める。編み進めばそのウチ解く。今朝方まで編んで手の甲が痛む。しくしく。↓先生近著こんなクロシェで悩んでいる私をよそに、新しく教室に加わった方のブリオッシュ編みケープが美しすぎる!糸は日本の個人ダイアーの方とヨーロッパのブランドとのこと。うーむ素晴らしいセンスと技私も少しでも近づきたい!
2023.10.24
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2023/10/23/月曜日/日差しは強いこれから霜月にかけてが一番好きな季節。梨、栗、柿、みかん里山の実りと紅葉も好ましく何とも穏やかな気持ちになる。地元の団体主催の短日ツアーに参加して意外な風景に心奪われる。↑駅そばを流れる、これは暴れ川とか。流れが急なだけに水が澄んでいる。カルガモ家族?↓遠い日の面影の馬頭観音古刹、星宿山蓮華蔵院王禅寺の寺領に自生していたという、日本で初めての甘柿。今も境内にはその原木が見られる。寺は新田義貞の鎌倉ぜめの際に火事にあい消失したが、禅寺丸柿の木は残った。14世紀には僧によって近隣農家にその苗が配られたという。その子孫の柿の古木の四本が、この界隈にある。Kさんのお宅で400年以上大切にされ、実をつけている禅寺丸柿先日、韓国で樹齢五百年の柿の大木が豊作だ、という記事を読んだ。それは甘いか渋いか?東光院の柿の木も訪ね、山道に逸れるとコスモス畑道の右に左に栗やあけび鶴川駅とは目と鼻の先にこんな自然が残る。更に訪ねたのが観光農園やまかげ↑秋の色に染まる柿の名は、伊豆。ここにもKさんのお宅と変わらない禅寺丸柿の古木があり、残り少ない実をざっぱさみという柿もぎ用の竹ばさみで取らせていただいた。↓私がもぎ取った禅寺丸柿、意外と大きく、コロンと丸く中の色は茶色とオレンジ混ざり。昔日の甘みほんのり。ここでは養蜂もやっていて、巣箱を目の前に見ながら蜜を買い。一瓶二千円。駅に戻る道沿いには田んぼの実り古代米らしき田もあり歩けば楽しい武蔵野かな。当地はぎりぎり武蔵野、武州
2023.10.23
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2023/10/22/日曜日/寒露も末の日小田急鶴川駅からちょっと歩いたところには素敵な営農団地がある。白州正子の武相荘とは逆の南側。そこになかなかの古刹あり岡上山東光院宝積寺開基は東にありがちな伝説の、行基の奈良時代ともいうけれど、1358年に亮長という僧が再興したことが史実として風土記にあるらしい。長く京都醍醐寺三宝院の末寺だったが、江戸後期に新義真言宗に転属した。現在は単立寺院で檀家もあまりない様子。付属の墓地は近隣の現 岡上神社、元諏訪神社↓に隣接し、長い歴史を考えれば規模はとても小さい。何によってか、庭は手が入れられうつくしく、たいへん趣きのある古刹だ。かつては町田市なとに九ヵ寺の末寺を持ち、江戸の初めに幕府から朱印地15石を与えられたという。川崎市の寺の石高一位は王禅寺の30石、川崎区の稲毛神社、中原区の泉沢寺の20石に次ぐ、という。一石は一人の人間が一年で消費する米の量と見積もられるとか。15石は15人を養うと思えば、さまでなことはないのかもしれない。もっとも三度三度お米のご飯を食べられるのは恵まれた地位にある者だろう。麦、ヒエ、アワなど雑穀を混ぜる割合は下々に行けば行くほど増していくはずだ。15石はそれほどの財産とは言えないが、御朱印という幕府のお墨付きが威光をもたらした、かしら。ここに前立ち仏として安置されている兜跋毘沙門天兜跋トバツの語源について決定的なものは無いようだ。案内では、トパン=チベットが転訛した、とあったが、現在は卒塔婆ストゥーパとの説が優勢らしい。中国は玄宗皇帝の時代、五国の軍に包囲された危機に、毘沙門天の加護を不空に祈らせたところ、毘沙門天が現れ難を逃れた伝説から、王城鎮護の武神として中国で信仰された。それから数百年後、平安京羅城門に、唐に見倣い、本邦初の兜跋毘沙門天が安置され、各地へ伝播した。因みにその像は東寺宝物館収蔵、国宝。ところで、羅城門は京の南の中央に置かれた。身分の高い者は南面する、のでお寺の本堂もたいてい南を向いている。このお寺は東光院の名が示すように、本堂は東面している。一説では東面する鎌倉街道の筋がいくつかある中でも、この筋が重要な道であったことから、そのような配置になったのだという本堂は滅多に上がらせてはいただけないらしいけれど、地域観光課のご威光か、小分けにされたグループで拝観叶った。毘沙門天を支える地天女の顔までは判然としない。大地より湧出した大地母神が支える、という構成が興味深い。間近で見られたのは、板碑中世仏教で供養塔として用いられた石碑。市内最大の大きさで、1267年(文永四年)3月15日の日付が刻まれている。このような立派な板碑が全国津々浦々の雛にも奉納された。当時の我々ご先祖は信仰が篤かったか、世がそこまで乱れていたのか。因みに1267年は、漢民族の国が衰退し、蒙古人の王国、元が地上最大の規模で大陸を支配しはじめた。元で官吏に登用されたのはイスラム教徒やネストリウス派の中東や漢人だったそうな。間も無く日本にもその余波が押し寄せる。風雲急なり。その頃にこの板碑が。
2023.10.22
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2023/10/21/土曜日/穏やかな秋の日10/20 松翁 千代田区ざる 千円もうね。補填行動に走りました。旨い十割蕎麦が食べたい。まだ新蕎麦は扱いがなかったけれど、蕎麦の甘さに今更ながら驚き感謝しつつ頂く。今日は正午というのに何故か先客が去ると私一人。そこへご近所らしきお馴染みさんがやって来る。おかみさんとの会話のやり取りに引き込まれる。三越の京都フェアで鍵善の例の葛切り食べるのに1時間半並んだそうだ。「あれって味ないから。黒蜜の味だけなのよ…あ、マグロ山掛けと天ぷら蕎麦、2色もり。蜜柑の蕎麦?食べたことないから頼むわ」先日亡くなった谷村新司と同年齢、とかのご婦人の羨ましくなるような健啖家ぶりであります。私といえば松翁さんのざるは、目には少しと見えつつの、通常大盛りなみ200gに満腹なのですが。「娘がニシン蕎麦食べたいって言うんだけど、アレ美味しいのかしらん。」おかみさん、特別小さい声で笑いながら「おいしくない。でもウチは昆布は京都から仕入れててね、そこがニシンも扱ってるわね」松葉のニシン蕎麦や、一昨年前に評判とか聞いて並び待ちした、彼の地の蕎麦屋の味が蘇る妾め。他に客もなく、思わず「京都の蕎麦はまずいですよね〜。美味しいのはコシのないふやふやの京うどん、かな」なんぞと会話に加わるお行儀の悪さでございました。ひゃあ。昆布をわざわざ京都から仕入れてるんだなぁ。松翁さんでは江戸風、関西風とおつゆが選べます。
2023.10.21
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2023/10/20/金曜日/秋日和10/15 手打蕎麦 渡邉新宿区そば三昧 1300円タスマニア白 800円2年くらい前には新宿で蕎麦といえばここで食べることが多かった。↓夕方入るのは初めて。他にお客もなく、蕎麦打ちしていたりで店内画像を撮ってみた。蕎麦屋の昼と夜では雰囲気が随分違うものだなぁ。やっぱり給餌は若いバイトではなく、元気で気の利く中高年の女性が気持ちがよい。実はここでは天ぷら蕎麦しか食べたことがなく、それを美味しいと思っていた。初めて頼んだそば三昧アルバイト娘に尋ねたら、量は一人前と同じじゃないかとぉもう、と応える。そんな思い込みではなく確かな量を知りたいので、ハイハイ、お店の方に聞いて来てね、と言うと素直に従い、なんと悪びれずに2人前弱とのことだ。これから用事があるのに平らげられるかしらん。それはともかく、もう一つ確認し忘れたことに後から気づいた。そば三昧は三色そばではなかった。トッピングの意、だった。えーこんなものが乗っかってるとすすり辛い。おまけにワサビがあまりに足りない。蕎麦そのものもイキの良さがない。新蕎麦じゃないんだな。この白も、カクカクして悦び薄い。先だっての蕎麦の仇打ち、とはいかなんだ。
2023.10.20
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2023/10/19/木曜日/日中は汗ばむお天気生活クラブの提携消費財の中でも抜群に人気のトマトケチャップ。メーカーのコーミ(オリジナルは香味だそうです)から営業の方を招いての講座に参加した。出戻り生活クラブ会員の私、過去にこのような講座に参加したことはない。ただただコーミのケチャップファンなので、思わず手をあげた。講座は①ケチャップはどのように製造されているか。②コーミさんサプライソースでお料理しよう。の、理論と実践名古屋市に本社を置くコーミは、設立1950年、資本金1億円という立派な企業だった。トマトケチャップ交流会資料なるものを手元に、生産ラインビデオを見ながら学ぶ。これが意外と面白く、ひととおり見終わると妙にトマトケチャップ愛が高まった。トマトの歴史、トマトの品種、トマト農家の苦労、栽培法の違い、生活クラブとの出会いと生活クラブからの要望トマトピューレとトマトペーストの違いと一般的なトマトケチャップとコーミケチャップの原料の違い、などなど。生活クラブには、消費財10原則というものが確立されているらしく、その中でもコーミに出された3つの要望は、❶合成添加物不使用❷国産加工用トマト使用❸リユースのため、ビン容器の使用がある。副原料の醸造酢も遺伝子組み換え配慮で、とうもろこしからサトウキビへ1997年には変更。↑表示を見ると、コーミのケチャップのシンプルさがよく理解できる。国産の材料で、真面目にシンプルに作っているから当たり前に美味しいんだな。食べることがある種罪悪感が伴うような時代に、憂い少なく食べられるのは精神的にもよろしい。といっても、日本の農業が衰退する中、加工用トマト栽培はきつい労働である。1975年には加工用トマト自給率71%もあったトマトが、2018年にはなんと3.1%に激減。高齢化の進んだ農家さんは、苗を植えることはできても中腰で手でもぐ作業まではできないと言われ、コーミ社員が援農に出かけることもあるとか。この美味しいトマトケチャップをずっと食べられるようにしたい。国産遺産指定したい。さて、楽しい実践料理はほぼ75ふんで4品ケチャップをスクランブルエッグに落とし込む、大胆な2分クッキング。トマトベースを使う鶏肉のカチャトーラ はキャベツ、マッシュルーム、パプリカ、ミニトマトなど野菜も豊富な炒め煮。野菜から水分がよく出るので、パスタと絡めてもよいかも。トマトパスタソースを用いたベーコンとしめじのパスタ。普段出来合いのパスタソースを使わず、トマトベースをアレンジしているけど、でもこれはこれで美味しい。今まで生パスタを買ってだけれど、生活クラブの乾麺はもちもちで美味しいことを発見。牡蠣味調味料を用いたお手軽バーニャカウダソース私的には超簡単で、びっくり美味しかった。2人分なら、ニンニク3片←ペーストになっているものを使えば簡単。調味料と牛乳大さじ1.オリーブオイル大さじ3。小鍋にニンニク、調味料、牛乳を入れて温まるとオリーブオイルを少しずつ流し入れ一煮立ちすればOK。アンチョビ代りのオイスターソースはまろやかマスカット入りケチャップを今回発注♪
2023.10.19
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2023/10/18/水曜日/晴れ2、3ヶ月放置していたcassis by Midori さんのベストを、10月に入るとようよう毛糸に触れる心地して編み上げた。↓水通し後の自然乾燥待ち糸が不足なのは承知の介だった。しかし、ここまで手が緩むとは!お腹周りがバルーン。これは婿殿へのクリスマスプレゼントのつもりで編んだのだけど、どないしょー。部屋着にしてね!お腹周りはこれに追随しないでねのカードでも添えるかなあ(=´∀`)人(´∀`=)下手編みですみません。でも糸は草木染め←これだけが救い左は初めてトライの試作。知合いがきゅっと緻密に編んで美しかったので、頑張ってきゅうきゅうと編んでいたことを忘失。この糸はヨリが甘いところとキツいところ不揃いなので、やはり私らしく緩く編む方が相応しい、のだった。三枚目編むの?自分!まじ?でも編まないと、婿殿と私のペアルックになりまする〜_:(´ཀ`」 ∠):↓ベストを編むにも糸が足りないので、いっそボーダーをアトランダムに、ドルマンスリーブで試し編みしてみる
2023.10.18
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2023/10/17/火曜日/日差しに力あり新清そば店 ★初訪問笛吹市10/10/火曜日甲州街道から微妙に逸れた並行の細い道、なので迷いつつ辿り着く。Google評価に期待して行ったが、店内入ると後悔先に立たず。扉を開けて戻ることは難しい。評価が高いのは、地元のお馴染みの方の贔屓が強いのかしら。お酒のアテが旨いとか、人気のカシワなんば、とかきっと美味しいのだろう。しかし。お店が、特に厨房があまりに清潔度低い。私にとっては蕎麦はもっとも清潔な食べ物なので、それを提供する場所は清潔で簡素であってほしい。神田にさほど清潔とは言えない蕎麦屋があるけれど、例外的に気にならないのは何故か。その店内で働く人がイキイキしているためか、と思う。その気が雑多な店を爽やかに魔法掛けいやいや、このお店もお内儀と思われる方のやわらかい給仕は何の不足も無いのだけど。蕎麦粉に空気と水を混ぜて伸ばし、さっと茹でて冷たい水でシャッキリ冷やす。ワサビと濃いめツユで頂き、長居は無用のお勘定。こんなふうでいたい。という、蕎麦に頑固な自分がいるため甚だ申し訳ないのですが、旨いそば屋はほぼ清潔、が実感。ミニ天丼セットのせいろ蕎麦というよりはうどんに近い。当地はほうとうが旨いのであって、蕎麦文化はやはりお隣の長野に軍配が上がる。教訓。暖簾をくぐっても引き返す勇気をもとう。例え腹ペコでも。
2023.10.17
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2023/10/15/日曜日/振り続ける雨〈DATA〉 河出書房新社著者 ジョゼ・サラマーゴ訳者 雨沢泰2023年7月20日 初版印刷2023年7月20日 初版発行〈私的読書メーター〉〈独特な文体故に始めは手こずる。しかし一人の存在が像を結ぶと、不思議なことに登場人物らの声色が聞こえ始めリアルな存在に変わるのだ。『白の闇』パンデミックから四年後の首都。市民は圧倒的な白票を政権に投じる。統治の正当性を失う危機に政権は市民の犠牲などはへとも思わぬ残虐な牙を剥く。その口から漏れるのが民主主義への暴挙とは。既視感を覚える。警察権力やマスコミはなるほどこう使うのかと得心させる内務大臣と首相の私利私欲権力闘争に背筋が寒くなる。その中で一人の警視が小さな物語を思い出す。遠吠えをしろ、と犬が、涙の犬が。〉実は所々笑える。政権闘争喜劇とか探偵物ぱくりとか、サラマーゴの掌で大いに遊ぶ、だけでなく興味深く、読書後も何度も繰り返し考えさせられる。こんな本は『八月の光』以来か。もっともフォークナーはあまり笑えなかったけれど。ポルトガルの光、ともいえる作家。全作品が翻訳されているわけではないし、元々寡作だ。秋の夜長、読書の楽しみが続く。世界の何処かにはこんな優れた作家が数えきれないくらいいるだろう。今年のノーベル文学賞は北欧の作家が受賞した。彼のコメントで、地中海の海ではだめだ北の海でないと、みたいなインタビューが印象に残る。ポルトガルは殆ど地中海には面さず大西洋に開いている。その長い海岸線にナザレという名の小さな漁師町がある。その地の海の家みたいなバルで大西洋を眺めながらイワシの塩焼きを食べたとき、白ワインくらいは呑んだらうか、私のことだから。最果て、の文字を白い雲で青い空に描きながらその町の、海で夫を失った寡婦は頭から爪先まで黒一色の衣装に生涯身を包む。少なくとも私が二十代にそこを訪れた時には。ところが、殆ど民族衣装と言ってよいそのデザインは若い娘も全く同じフォルムなのだった。膝が隠れる程度の短めギャザースカートには寡婦のものとは異なり派手な色と刺繍がみっちりと施されていた。イベリア半島がゲルニカのきな臭くささを放った時代、サラマーゴもナザレのような村で塩焼きイワシを食べたかもしれない。権力者たちのテーブルとはまるで違うその味を。きっとあの警視も。小説には乾いたビスケット程度の食の場面は出てくるが、私は一方的に大西洋のイワシを食べて成長したこの男をイメージする。なんとなれば、この男が、『白い闇』で唯一目が見えていた眼科医の妻に招かれランチのテーブルを夫妻と囲んだ前後、彼は昔読んだ本の中の小さな言葉を思い出した、のだから。キリスト者にとって食卓を共にするとは、家族になる、ということ。イエスは魚を漁るように弟子を集め、もっとも愛されたヨハネも漁師だった。そのランチは最後の昼餐かもしれない、にしても。物語後半、枯れた泉を流し続ける乙女の像の前で、二人の人間が全き精神となり、その精神が触れ合う美しい場面。サラマーゴは詩人。社会主義者で無宗教とのことだけれども塩焼きのイワシ以上に、よく摂取し栄養としたのは、キリスト教の本質的な純なところではないだろうか。さて。市民に民主主義を教えるべく謀議を尽くす閣僚会議の最中に、先ず司法大臣が辞任を求め席を去る。曰く白票の投票はもう一つの病と同じくらい破壊的な盲目の表れなのだ。あるいは見える目(=正気)の、、、白票の投票は、それを行使した側からすれば、見える目の表れとして評価できるかもしれない、、実際、いまほど司法大臣らしい、あるいは正義(ジャスティス)の大臣らしいときはなかったと思いますよ。そして文化大臣も退席した、のだ。政治が権力者に従う時、司法と文化はその社会から消えることを意味する、ように著者は見ている。そして司法大臣を首相が兼任し、公共事業大臣に文化大臣を兼任させる。すごい皮肉とパンチが効いている。ここ日本でも法は首相の内閣府が握り、どのようにも成形可能な粘土法だ。文化なんぞ公共事業紐付き程度の所業に貶められているではないか。13人?いる閣僚の中で正気を保ったのが二人。七つの新聞社の内、政府発表の垂れ流しをしない社は二つ。首都市民の87パーセントが白票。政権の見えるところ、閣僚の13分の2程度は正気。正気故にその席を離れる。敗北。報道が未だ生きているなら、7分の2が正気。検閲を知恵でかわしても、バレたら記事掲載紙は没収の上、罰金。敗北。無記名投票なので個人名は見えない。しかし市民の多数が正気である。勝利。瞬く間にキオスクから消えた新聞の、警視による政府の内実スクープ生地はどんどんコピーされ、街角で手から手へ、ビルの屋上からばらまかれる。87パーセントの市民は真実を目にする。政権には見えない正気が8割を超えたら、確実に世の中は変わるだろう。一方、真実を伝えるジャーナリズムが日本では壊滅状態という認識をみなが持っているかさえ怪しい。そんな感懐を持ちながら進む読書ではある。警視の物語部下に何故警視になれたかを話す場面しかるべき場所に友人がいたり、ちょっとした便宜をはかったりするだけで、人の望みは達成されるものなんだ。おおお。露木氏、栗生氏の処世術に他ならぬ。人間性とか適正とか仕事が出来るできないは問われない、官僚機構はそんな建て付けでございます。人間的なあまりに人間的な。警視は言う。きみは医者の妻が有罪だと断定的に言っていたがいまは無実だと聖なる福音書に誓いそうじゃないか。福音書には誓うかもしれませんが、内務大臣の前では絶対に誓いません。わかるよ、きみには家族もいれば、キャリアもある、人生がね。そうです、警視、お好みならそこに勇気の欠如を加えてもかまいません。あゝ我ら凡夫の生きる道、極まる。勇気が足りない、のよ。警視が思い出した小さな言葉私たちは生まれる。そしてその瞬間、まるで自分の人生の契約に署名したかのようだ。しかし、いつか自分にたずねるときが来るかもしれない。いったい誰がわたしのために署名したのかと。この問い。誰が署名したのか。全き人間となった警視は、迷い逡巡しながら良心を生きる決意をする。無実の人間を罪人に仕立てよと言う上司、内務大臣の命令に警視は背く。契約に署名したのは自分自身だという答えを、その行為によって導き出す。ここにサラマーゴの人間への希望を見る。例え命を失うことになっても、自らの署名、その名を汚さない意志。夥しい凡夫の中から、このような人生を掴み取る人が必ず出てくる、という希望たった一人、パンデミックから免れた女性がいたように。彼女が見た極限の人間、獣以下の姿に、流す涙を舐めてくれた犬が傍にいた、ように。ところが。サラマーゴはスパイスの一捻りを忘れない。エピローグのような物語最後で一転、無知蒙昧な臆病者小市民としての我々は描写される。そのとき、目の見えない男がたずねた。何か音がしたかい。銃声が三発したよ、ともう一人が答えた。でも、犬の遠吠えもしたよな。鳴きやんだ、たぶんそれが三発目だったのさ。よかったよ、おれは犬どもの遠吠えが大嫌いなんだ。遠吠えが止むとき、遠吠えを嫌うとき、目の見えない事実に気づかないとき私たちはすっかり隷属している
2023.10.15
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2023/10/14/土曜日/衣替えによいお天気中央民芸ショールームの、このコーナーが好き。フランス、シャルトルの民泊で泊まった宿のダイニングが正にこんな感じで、すごく落ち着いた。家具はフランスっぽくもっと軽めカジュアルなんだけど、庭の三方モルタル壁が高さと緑の組み合わせ、似てる。シャルトルはこれの倍くらいの横広がりで、高低差があり、お花が高く低く咲いていたように思う。閉ざされた小さな庭、には想像がひろがる。↑そして下段の真ん中のお店で木のボタンを買う。ボタンは使うし、使うは役立ち、月夜の浜辺で落としたりする、にも良いし。そして細い道の先に蔵を改装したショップとアトリエが。2階展示のお洋服がステキ。京都のブランドらしいけれど。糸かけワークスこの飴、すごく美味しい。美味しいといえば、市内にはお蕎麦屋さんがあちこちにあり、羨ましい。以前は二八の蕎麦が多いように感じたけど、最近は十割蕎麦を供する貼り紙も。どのお店も連休の中日で並び待ち。10月半ば以降は、市内に新蕎麦が出始める。↓木曽のフェア会場ではドライエノキを買う。このまま食べても美味しい。博物館では日本アルプスのハガキ。友人に届ける。再び会場に戻り、お蕎麦を食べて帰り道、高速に乗ると雨がポツポツ。↓松本市水道局のボトルとその水道水。ただし、山の家の水がもっと美味しい。
2023.10.14
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2023/10/13/金曜日/美しい気候の日松本市立博物館が、そば祭りの開催に合わせて10/7新たに新しい場所でオープンした翌日の10/8記念のデモンストレーションでは、たまたま木遣りが披露されていた。市内は人がいっぱいで欧米系高年者集団多し。私たちはコーヒーを求め、珈琲まるも へ。民芸運動の生きる歴史のような喫茶店。サービスが洗練されている。名曲喫茶風なクラシックの大きな作品は流さなくてもよいかも。店舗奥のランプシェードが素敵。菩薩頭部の焼き物はマルモご主人の手によるとか。手の人、であるのがよい。松本の民藝運動といえば池田弥三郎氏。氏が行きつけで、柳宗悦も来訪し佇まいを褒めた、と紹介あり。ブレンドコーヒー、美味しいです。長居できそうなゆったり感がある。隣接というか、主体というか まるも旅館。泊まりたいとずっと願っているが果たせない。人の少ない頃に2、3泊して市内のバーや温泉に足を運びたい。
2023.10.13
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2023/10/11/水曜日/暑すぎます10/8 ワサビ娘がめんこい!思わず試食のワサビチーズ購入。安曇野はワサビの名産地、蕎麦も美味しい、水がよい。↑馬肉と鹿肉のバーガーはバカバーガーではなく、ウマシカバーガーです!食指が動くもこれ行っちゃうとお蕎麦が……北海道の新そばの食後、そば祭り会場を一旦後にして、市内を少し散策。更にお蕎麦を頂くための腹ごなし?なのである。お次は、一度ゆっくり訪ねたい福井の蕎麦へ知らなかったけれど、福井は在来蕎麦の賑わうところだとか。本日提供は、左の大野産。↓蕎麦への意気込みを感じるテント内貼り紙越前蕎麦は、大根おろし、汁かけで食べるのがスタンダード、の様子。二八だと思われる。もっと量がほしい!うん、美味しい。コシが強い。うん、美味しいお蕎麦をありがとうございます。
2023.10.11
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2023/10/10/火曜日/朝から晴れる10/8、曇天ながら秋の雲は高く、八ヶ岳の稜線がよく見える。夏は雲があれば山上は隠れてしまう。この連休、そば祭りが5年ぶりに開催されるとあって、松本城公園まで出かけてみた。お城北側駐車場のアクセスまでとても混む。幸運にも駐車できたが、30分早めのつもりが開場の10時過ぎに着く。↑赤い欄干右上端にモヤモヤ白いのがテント。松本滞在中はお天気なんとかもつ。テントの蕎麦店は、北海道が2店、兵庫県出石町、会津、福井が各1、ご当地長野が2店の、7店。思ったより少ない店舗にすでに長蛇の列。でも、まあ蕎麦故に回転は早い。新蕎麦の幟が出ているのは北海道店空知上砂川を頂く。100gそこそこで600円はちと高い。因みにもりはどのブースも600円蕎麦は新蕎麦、素晴らしく甘味が強い。二八と思われるが十で食べたいなあ。ツユなしで、ワサビだけでもよいかも↓これは隣のブース、兵庫山間の出石蕎麦。6.7年前に雲海の竹田城見学と共に訪ねたことがある。
2023.10.10
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2023/10/09/月曜日/霧雨丸藤葡萄酒工業株式会社国産100%メルロー90%塩尻市契約農家カヴェルネ・ソーヴィニョン7%勝沼プティヴェルド3%勝沼樽熟成12ヶ月香りがとてもよいメルロー主体なので、穏やか、かつカベルネのコクというか渋みというかタンニンが微かに2500円くらい。我が家普段飲みにはちと高い。この値段ならチリ産で美味しいものが買えるだけに悩ましい。豚カリカリ焼きをミスレタスにセロリとくるんで、トースト、カマンベールチーズ、ぶどうと。プティヴェルド赤ワインのスパイシーな味付けにブレンドされることが多いとか。黒ワインとも言われるほどに酸味とタンニンが多いフルボディタイプ。好きかも。今度はこれが多いブレンドで探してみよう。
2023.10.09
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2023/10/07/土曜日/天気は上々、道は混む〈DATA〉 集英社著者 五野井郁夫 池田香代子2023年3月29日 第1刷発行〈私的読書メーター〉〈安倍銃撃事件のわずか17日後にネット番組で対談されたものをベースに、被告人のツィッター1364件を読み解きながら失われた30年の日本社会を考察する本書。五野井郁夫という同世代政治学者と、被告人の母親世代に近いドイツ文学者池田香代子氏の対談中のサブカルやネット用語は逐次解説もあり、理解しやすい構えだ。新自由主義の果てに見えるロスジェネの心象風景。いつどこで〈無敵〉な存在がバーストするかもしれない切迫を五野井氏は語る。誰一人こぼさず包摂する社会を目指したい。折しも教会に解散命令は出たが有効性を見極めなくては。〉Twitter上に山上被告は言葉を残していた。本書第三部には、山上徹也がsilent hill 333 のアカウント名で、2019年10月13日から2022年6月30日までのツイート全1364件が網羅されている。これらは事件後間も無く削除されたそうで、それを予測したネット民が保管していたというのだから、ネットの人びとの情報処理能力恐るべし。事件を報道するのが仕事の新聞社はもはや「新聞」の名を看板から下ろした方がよいかもしれない事態新聞で当初から統一教会との関係を指摘した所は一社も無かった、という忖度の事実。ネットで盛り上がりながら紙面には出て来ないいくつかの最近の事案も合わせ考えれば、一体いつになれば報道が報道として機能するのか懐疑をもつ。昭和世代の家庭からさえ固定電話も新聞も消え去る日は近いのではないだろうか。我が家ではすでにTVも殆ど見ない。さて。そもそも事件が起きなければ、安倍晋三氏はじめ多くの自民党議員らの選挙応援にがっちり組み込まれ政策に反映される、韓国の摩訶不思議な宗教団体との関係も遅ればせながら紙面に顕になることはなかったろう。保守政治の虚実、極まれり山上被告とほぼ同世代の五野井氏は自分が山上被告でないのはたまたまだという強い思いを何度も述べている。また、ロスジェネを産む構造が変わらない限り、第二第三の山上は生まれると警鐘を鳴らす。ロスジェネと命名された多くの同世代人がそのような感情を共有していることは想像に難くない。自分こそヤマガミだ、という。そのことは、人は決して絶対孤独の一人ではないとも示している。日本の失われた30年。 ロスジェネ世代が満足な職に就けず、その事実は本来公的、社会的な構造の帰結であったのに、本人の努力不足に置き換えられ、個々の問題にすり替えられた。 その認識は殆ど正しいと思う。竹中平蔵であり小泉元総理であり、2004年のイラク人質事件バッシングであり、安いもの安いものへとひた走る私たちの30年だ。ついでに言うなら、日本の、まともな宗教に関わる団体や人びとは何故山上母のような人を慰め包摂し得なかったのだろうか。社会福祉の後退を目にして、宗教関係者がこの事件の前で無関係無関心ならば、あまねく日本に宗教は無いと言える。そしてエセ宗教はいよいよはびこり、プレデターは哀しい人を食い物に太る。山上被告のツイートから「世間を支配するのが虚の中で、安部政権の虚実から実だけを取ったらこうなったのだろう」と当時の菅首相をを非難し、「人間なんてこんなものだと最近ヒシヒシと感じる。世界を支配するのはデタラメ、表層しか見ない無関心とそれに基づいた感情、最後まで生き残るのは搾取上手と恥知らず」と、続ける。搾取上手と恥知らずが生き残る、というのはフランクルの『夜と霧』の記述が、私にはぼんやり浮かんで来る。ところで、山上被告が言及した文学作品2点、『カラマーゾフの兄弟』とル=グウィン『ゲド戦記』は、私にはピタピタな本である。虚の中で、安部政権の虚実から実だけ この文言の真意がうまく掴めない。 それは安部政権への評価の、山上と私の差異でもあるかもしれないけれど。 先日たまたま目にした、近松門左衛門の芸術論「虚実皮膜論」きょじつひにくろん虚と実の間の薄い隙間に芸術が存在する、は二項対立とは異なる感受性の成熟を覚える。人はその人生、その虚実を生きる限り、あわいの芸を求めずにはいられない。 映画や文学、音楽好きな山上被告がその皮膜で生きられれば、受験生エリートの勝ち組人生という狭量な価値観からは少なくとも自由だったろうに。 しかし政治的人間は、虚と実を串刺しにした。失われた30年それでも生きてきたではないか。シニカルに陥ることなく、より良い選択を重ねて少しでも住みやすい世の中にしていく。そう願い、そう行動する。私は。
2023.10.07
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2023/10/06/金曜日/良きかな秋晴先週末に身頃をとじて、エジング始末をする。最終的にはスチームでエジングを整える。そして本日、この編み物から手が離れる。横が広く縦に短い、どことなくお魚ウロコ模様の軽くて温かいベストが仕上がる。ワンピースに重ねようかな。残りもの毛糸が生かされて嬉しい。反省は、なんと衿ぐりの目数の闇間違い。エジングで何とかリカバリー∑(゚Д゚)の禁じ手お休みした八月課題は、アブリルさんの竹由来の糸のコサシュ
2023.10.06
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2023/10/01/日曜日/曇り、最高気温28度予想〈DATA〉 新潮社著者 マギー・オファーレル訳者 小竹由美子2021年11月30日 発行 〈私的読書メーター〉〈アン・ハサウェイは悪妻と言われている。しかし明らかなのはアンは裕福な農家育ち、劇聖は落ちぶれたジェントルマン家の若造でやがてロンドンで大成功するが、せっせと妻に送金し引退後は妻の元に戻る。三人の子の内、11歳で夭折したハムネットの死因は不明ということ。息子の名(ハムレットとハムネットは同名という)を悲劇に用いた事、また当時欧州を席巻したペストへの言及がない事に著者は疑問を抱いたという。その疑問を骨子に大胆な肉付けを行い鮮やかな芝居を見せつけられた。頁毎に著者の言葉への共感覚のようなこだわりが感じられる。〉凄い才能。ハムレットをハムネットに、ハムネットをハムレットに。芝居×芝居。ある家族の、ある歴史が生じる場所に行き、戯作が生まれる背景を創造するマギー・オファーレルこそ、まじ魔女。物語出だしのハムネットの登場シーンからワシづかみにされる。双子の妹ジュディスのただならない様子を見て、何とか頼れる大人を見つけ、それを伝えなくてはいけないのに、今日に限って家には隣の祖父母宅にも誰ひとりいない。この焦燥は不安の連打すると突然場面は変わる。アグネス=アンと18歳のラテン語家庭教師シェイクスピアの出会いへと14年ほど遡る。それからアグネスの不思議な力の源泉としての産みの母が森のひと、だったことなどのエピソードが挟まれる。著者は北アイルランド生まれであることが想起されるではないか。ケルトの緑の目の女王なんかが。物語年代の1596年の夏、ペストが英国にやってくるまで。ムラーノの職人のベネチアンビーズ、アレクサンドリアのマーケットの猿、船で働く水夫、マン島の男の子、ネズミ、猫へと、ペスト菌がノミに運ばれていく様が、あたかも証言されているかのように、息もつかせぬ速度で描かれる。その年、両親はジュディスではなくハムネットを失うことになるが、その前段の双子のお産の場面は、まるて『テンペスト』。怒涛の嵐だ。母であるアグネスがどれほど子どもを愛しているか、痛いくらいの看護だ。子どもの病気ほど親が辛く思うことはない、まして可愛い盛りの子どもを失う悲しみは…と同時に、言葉が頭から溢れあふれるシェイクスピアの伸びゆく才能を、義父の事業で摩耗させることも受け入れられないアグネスは、彼をロンドンに旅立たせる。そして彼は夫は、ハムネットが生まれた時も息を引き取った時も不在だったのだ。ハムネットの埋葬後、芝居のためにすぐロンドンに戻る夫との間にできる溝。それでも夫は妻と残された娘のためにストラトフォードに大きな屋敷を買い、家族を住まわせ年に一度か二度帰省する。不思議な暮らしぶりだ。今で言う単身赴任。創作の源泉であるアグネスと子どもを汚染ロンドンから距離を置き、汚れなきオーチャードに留まらせるシェイクスピアの意図があるかのような筆致。読者は著者の物語に招き入れられ運ばれる。ハムネットの死から4年。その名で悲劇が書かれ、ロンドンで上演されるニュースを運んだのは、人の不幸が蜜の味、アグネスの継母だった。しかし、いたずらパックというか北欧神話のロキのように悪意の継母が見せた芝居のチラシのタイトル、ハムレットの名を見てアグネスは我を失う。夫の真意を見極めようとロンドンへ生まれて初めて出発するアグネス。そこで見聞きするグローブ座界隈のロンドンの掃溜め具合がリアル。死んでまだ4年、その子の名を悲劇にすることは許されない、アグネスははっきり三行半を言い渡すつもりで芝居を観た。そして、全ての意図を理解する。舞台では現実が反転したのだ。死んだハムレットの父の亡霊はシェイクスピアが演じる。ハムレットを演じるのは、まるで成長したハムネットを思わせる瓜二つな役者の演技、仕草。物語では触れないが、読者は知っている。生きるべきか死ぬべきか、或いは存在しているのかしないのかという自問のハムレットを。夫婦の深い悲しみの癒し、やがて家族が乗り越えていくだろう物語の描かれない未来に向けて。著者は あとは沈黙。
2023.10.01
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2023/09/30/土曜日/雨の朝今月課題のベスト。先生の作品はもちろんブロッキング、高性能スチームアイロンによって美しい仕上がりだ。上の画像私の編みかけとは雲泥の差でございます。下画像そんなこんなにも、めげることなく。今週半ばには身頃が仕上がり、水通しの後、バスタオルで水分をはがして、ピン打ち。床に転がして自然乾燥を待つむむ、ピンが不足でなんかよれてる。まあ、売り物じゃないのでとひとりごちる。色の組み合わせは割と気にいる。これらは1モチーフにさえ不足した糸の寄せ集め。もったいない!真理教信者の心が慰撫されまする。身頃のとじはぎ これが問題。苦手。やりおおせるには精神力が必要なので、平素仕事から帰宅後の夜仕事はムリ。この週末がんばる。
2023.09.30
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2023/09/27/水曜日/日差しが強いみどりの窓口で切符を買おうとしたら、販売は1ヶ月前からで、まとめて買うなら最後の日で買うように教えられる。用が果たせず、下北沢まで出て蕎麦屋を開拓する。もり蕎麦 太田 ★初訪問世田谷区十割蕎麦+山葵 ¥800もりそばだけなら700円はお値打ち。でも山葵が無くっちゃ、蕎麦も握りも、ねえ。そういえば神田のまつやも山葵は別会計。もりで何グラムかと尋ねると170gくらい。とのことだったけど、そんなには無いというのが実感。よくて150g超えるくらい。常陸秋蕎麦の十割蕎麦だけど、十割にしてはあまりに喉越しが良すぎる。この蕎麦の食感は以前食べたことのある、機械押し出し式じゃないかしらん。これを使うと何か手触りとか空気の含みとか損なうなあ。まあ、安いから良し、とする。ツユはたっぷり、甘味がちだけどそこそこ美味しい。蕎麦湯はひねり無し。お手拭きなし、お水が出される。お蕎麦を食べて満足したあと、道を挟んだ同じ並びに氷屋さん、荒木氷室間口一間ばかり。狭いカウンターでかき氷が頂ける。気取りなし、この値段が嬉しい。おすすめは何でしょうと訊ねるとお茶、とのこと。はぁはぁ、では宇治茶をください。この手のかき氷屋さんでは先ず驚きの、お抹茶をちゃんと立ててからシロップと合わせて供される。とても美味しい。出色でございます。来週にはそろそろかき氷終わりらしい。写真撮り忘れた。下北沢の駅が随分変わって戸惑う。井の頭線は変わらず。
2023.09.27
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2023/09/24/日曜日/暑さ寒さも彼岸まで大雨の後、気づいたら彼岸花が荒庭に忽然と。この禍々しいような色と姿に驚嘆する。なぜ大地はこのような姿を地上に現す?さて、大地が生み出すように、私の手が何かカタチを編み出す楽しさが止まらないニットの時間。今月の編み物クラスの課題を少しアレンジする。ゲージが本来の90%にも関わらず、12のモチーフを10に減らし、本来の丈より10センチも短くした。糸は5.5玉ほど、半端に残っていたストック。針は6号輪針後ろ身頃仕上がり。意外に手がきつい。すごい横長、縦みじか。まあ成形で何とかなると楽観人生。前身頃の糸変えが楽しみすぎて、おまけに間違いを見つけ解き、編み直しΣ(゚д゚lll)気がつくと秋の夜長か、午前2時。今度は手が緩い(´;ω;`)
2023.09.23
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2023/09/23/土曜日/昨夜の強い雨手打蕎麦 ふじや新宿区十割蕎麦 ¥980新宿でのお昼時は最近ではこちらばかりとなる。空腹を辛抱して笹塚に行けば、旨い蕎麦屋が2軒あるのだが。蕎麦とツユの香りと旨みがめくるめく具合に像を結ぶと一刻も早う、となる私め。え、本日は今までで一番並んだ。天候は前回より少し涼味を感じるのに、蕎麦をお昼に選ぶ人が増えているのかしら。それに昼時にはランチセットを注文する人が殆どなのに、本日私の周りは私を含め十割蕎麦が三人。むむ。こんなことは初めてである。隣は蕎麦を好む人なるか、秋である。前回の新蕎麦衝撃も、二度目とあってはぬるびる。畳と蕎麦は新しいに限ります。
2023.09.23
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2023/09/21/木曜日/急な雨〈DATA〉 平凡社著者 簾内敬司2004年3月10日 初版第一刷発行〈私的読書メーター〉〈山形の詩人の「冬の鹿」に触発されるように、消えた鹿やオオカミを求め、みちのく風土歴史ナラティブの体で始まる。信濃まで越境するのは偶々のご縁であるのが氏らしく慎ましい。考察は日本海対岸へ拡大し、ナナイ族デルスウのつぶやき「これからどうして生きていくか」。氏はそれを命ある生き物全体の問いかけと受取り、自分の場所みちのくから具に検証し、花岡事件中国人蜂起、南部藩百姓の国捨て一揆、戦争敗戦の記憶、千三の墓碑へ、細部へ環流する。忘却が絶滅を招くならそれにあがらう。「記憶・責任・未来」の碑文を刻んだ塔こそ本書だろう。〉簾内敬司さんの小説も三章で構成されているが、随筆に分類される本書も三部のつくり。序、破、急の氏の呼気でもあろうか。1 . 絶滅と記憶著者は眠れない夜久しぶりに、眞壁仁の詩集『冬の鹿』に手を伸ばす。眠れぬ夜には郷土の先達の晩年の歌を紐解くのである。そんな著者の暮らしぶりなのである。そして詩人の初期の作品『青猪の歌』を想起する。あお と しし について。マタギの言葉、或いは菅江真澄の記録ばかりか、1952年に山形県下の中学生女子の作文「村の風土記」までも丁寧に、自在に行き交う。そして論考は、常陸の国の鹿島神宮大明神の春日大社渡りへ、みちのく東北の神社で奉納される鹿踊りの月と篝火の薄明へ。さらに日本書紀に記述された古い地名の 肉入籠(シシリコ) を襲う阿倍比羅夫へと時空のあわいが溶けて、東北の深い森へ何層のベールの姿が重なる。シシは息の長い言葉であった、シシは肉を、すなわち鹿を猪を羚を指す狩猟採集の、みちのく民衆の食生活の基盤を象る言葉だ、と氏は言いつつ レヴィ=ストロースを案内する。集団就職の風景が見られなくなった時代、山仕事で声を聞きながら姿の見えない鹿、明治には絶滅したとされるニホンオオカミ、トキへと揺れながら、やはり鹿へと焦点を戻させるのが『秋田マタギ聞書』2. 人間のくに、神の山沿海州/夕陽海岸藤田省三アルセニーエフ『デルスウ・ウザーラ』日露戦争とデルスウの時代の北満州から東シベリア「デルスウはゴリド人やウデヘ人ばかりの子ども時代を思い出す。ところがそこへ中国人が現れ、やがてロシア人がやって来て生活は年毎にむずかしくなり、その後朝鮮人がきた。森の火事がよく起きてクロテンは遠ざかり、他の野獣も少なくなった。そして今は海岸に日本人までやってきた。」「どうしてこれから生きていくか」著者は狩猟民デルスウの嘆息の背景に、テントを張ったナイナ河口の夜の景観を思い描き、「水晶の夜」に重ね思う。その後にやってくる「夜と霧」の時代を。みちのく南部藩の凶作と大飢饉は、オホーツク海からの寒気がヤマセとなって引き起こした。重い年貢に苦しむ飢えた農民が集団で国を捨てる逃散。人間ばかりではない。かつて大口の真神と敬われたオオカミたちも広がる耕作地に追いやられるようになり、群れは離散して自らのテリトリーを捨て逃げ去る。そうして遠野郷からオオカミも逃散した。生き延びるために。三閉伊一揆「幸ひ思ひ 出立申すべし」『三閉伊百姓愁惣記』柳田國男『狼史雑話』ハンナ・アーレント3. 獅子ケ森に降る雨逃散したのは同国人や生き物だけではなかった。花岡事件のあらましあと1ヶ月余りで敗戦の日本がGHQに命じられ解散させられた直前。非道に思い余って労働収容所から逃走した事件。一個のおにぎりを飢えた中国人にあげた女性。結局その中国人はなぶり殺されてしまう。ここで、著者はフランクルの『夜と霧』の重要な一文へ読書を連れてゆく。「私を当時文字どおり涙が出るほど感動させたものは物質的なものとしてのこの一片のパンではなく、彼が私に与えた人間的なあるものであり、それに伴う人間的な言葉、人間的なまなざしであった」『秋田県警察史』蜂起の翌日にはあらかたの中国人は、鹿島組、鉱山関係者、警察、自警団、憲兵隊、住民によって山狩された。彼らは炎天下、三日間水も与えられず広場に座らされた。息耐える者が続出したが、彼らは犬や猫に食われるままに放置されたという。この残忍性はどうだろうか。これは私の血にも同様に流れる日本のものなのかと自問するだに恐ろしい。戦後55年目の夏、著者はその現場である大館市立花岡体育館を訪れ、小さな碑が雨に濡れるのを見る。この雨がせめて一日でもあの時降ってくれれば、と詮無かことを思うのだ。そして敗戦後のドイツと日本の行動の差を考える。「記憶・責任・未来」を考える力を。文末で著者は高橋セキ、千三母子の墓に触れている。母子は文字どおり母ひとり子ひとり。藁葺きの薪小屋に住んで日雇仕事という貧乏のどん底で千三を手塩にかけて育てた。千三は小学校を卒業すると働きに出る。心優しい親孝行息子で、休みが取れらば必ずセキの元に帰り安心させた。文字の読めないセキが次はいつ帰る?を口癖に指折りしては息子の帰りを心待ちにしたのだ。千三に赤紙が届く。その時校長に話したセキの言葉が残っている。『石ころに語る母たち』「これまで、千三をオレの子どもだ、と思っていたが、間違いだったス。兵隊にやりたくねえど思っても、天皇陛下の命令だればしかだねエス。生まれた時から、オレの子どもでながったのス」千三はニューギニアで命果て、敗戦の数日前に白木の箱の小さな骨一つになってセキの元に帰った。天皇の赤子と連れて行かれた子は、小さな骨に成り果て今、母の元に帰って来た。著者のいう換骨奪胎とはまさにこのことだ。杖とも柱とも頼るもっともよき人千三を亡くして、セキは千三の墓を建てようと決心する。朝4時に起き日雇いで得た30円から爪の先に火を灯すように貯金をし、10年後道路に向けては南無阿弥陀とだけ彫った墓石を建てた。「牛や犬の死んだようにしたくねえと思って、長い間に少しずつためたお金で墓石つくってやったス。オレ死ねば、戦死した千三を思い出してくれる人もなく、忘れられでしまうべと思って、人通りの多い道ばたさ建てたス。その道を通った人たち墓石見で、戦死した息子の千三を思い出してけるべエ。お念仏をとなえてくれる人もあるべし、知らねえ人でも、戦死者の墓だと思えば、戦争を思い出すべななス」簾内敬司さんは、自分の住む土地の一人の戦没者とその母の人生をきちんと語り、この本を終えている。映画福田村事件で生き残った男の子が、亡くなった者一人一人の名前を声に出してしっかり警官に聞かせる。故人は抽象的な数字ではない。具体的な生きた一人ひとり異なる大切な人なのだと訴えるように。そのシーンは本作の言わんとする終わりに重なる。
2023.09.21
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2023/09/20/水曜日/ナマ暑い。今年の夏は暑い!しかし、そんな暑さをもぶっ飛ばす熱いステージ。3年前チケット払い戻しに呻いたステージが。力を溜めて溜めて爆発!大人はいいけど、子どもオーディションは一から練り直しという。制作スタッフの辛抱強さに感謝。アンドリュー・ロイド=ウェバー 作曲翻訳・演出 鴻上尚史レッチリ キス クイーン ジミーペイジ スティング ピンクフロイド イーグルス ザドアーズ デビッド・ボウイ クラッシュ ディープパープル ザフー ニルバーナ ブラックサバス サンタナ ニールヤング ビートルズ ジミヘン レッドツェッペリン オアシス ヴァンヘレン クラプトン パティスミス ジェネシス ポリス ローリングストーンズ ジャニスジョップリン ティーレックス スコーピオンズ クリーム イギーポップ ベルベットアンダーグラウンド ルーリードおおお、緞帳に次々浮かぶ綺羅星のようなロックスターたちスクール オブ ロックメリー・ポピンズ以来、すっかり好きな役者になった柿澤くんが主人公デューイ。ダブルキャストの西川さんもめちゃくちゃ気になるけれど、やはりカッキーを選択。大スター濱田めぐみさんとはメリー・ポピンズの時以上にコンビが深まってきたかも?主役が花あるのは当然。では脇役はどうかとツイそちらに目がいけば、梶裕貴さんが役キャラクターに見事ハマっていた。他も実力者が揃う。俺たちは勝ちに来たんじゃねえ。Rockしに来たんだ。これこれ。俺たちはショービジネスに来たんじゃねえ、 Rockしに来たんだ。と思わせてくれたら、ショーとしては最高クール。子どもたちがロック前後で顕著に変わる、というのはまぁ、まちまち。でもひたむきさは心を打つなぁでも何といっても柿澤くんのステージいっぱいに溢れるエネルギーに圧倒された。これだけの舞台、相当消耗するだろう、実に汗臭いどうしようもない場末ロッカーでしたよ、いや褒めてます。権威を押し付けてくるものにロックしたくなるRock 'n' roll Heart roll Heart. roll Heart
2023.09.20
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2023/09/19/火曜日/なんと!34度のお外先月は旅行と重なり、滅多にないお休みを喫する。2ヶ月振り参加でお題は久しぶりの大作、ウェア↓ニット6号針/コットンほぼほぼ長方形2枚を編んで閉じ、はぎで収めるデザイン。先生オリジナル、冊子掲載あり。さすがに先生の仕事の美しいこと。ボディに掛けたサコシュは8月のトライアル。素材原料はパルプ↓こちらも先生のスワッチ。冬用にウール。イサガーの糸引き揃えで遊んでいるイメージ。余り毛糸のお狩場にも役立つデザインは、一色対応の方もわざわざ購入される方も。↓とりあえず。お教室では試し編み。ジャパニーズ段消しの確認などもしてみる。間違い甚しく∑(゚Д゚)やはり。いきなり編み始めるほどの腕はないので、地道に試し編み→編み糸によるスワッチを繰り返すしかない、のだった。自分。↓立体感があり、美しい仕上がりのサコシュはお教室メンバー作品。この方も講師資格があり、時々教えていらっしゃる。
2023.09.19
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2023/09/18/月曜日/秋はどこ?〈DATA〉 岩波書店著者 簾内敬司1997年9月15日 初版第一刷〈私的読書メーター〉〈『千年の夜』続編。東京で就職した僕が、公子の死をきっかけに帰郷を決意。村暮らしも落ち着き三人組復活と窪地の李さんとの関わりが深まる。著者が「ねんごろ」と表すのも懐かしい。李さんの生計の助けに花卉栽培を勧めると李さんは規模を更に拡大する様子。気分を転じようと出かけた海べで4人は祭りに出会す。篝火を囲み、横笛奏でる女踊りは浜に流れ着いた死者を慰める踊だという。無言で見つめる李さんの涙に篝火が宿る。ひたすら耕すお花畑、花は売らないと李さんは言う。李さんの願いと3人の友情は希望の橋渡しとなる予感で閉じる。乞う続編ー海抜け ー谷の研究 ー涙ぐむ目で踊る三章立て。李さんの過去が語られる。花岡事件を思わせる背景や自警団を率いた村の区長のその後の姿は、映画「福田村事件」を思い出させる。その頃まだ生まれていないぼくたちではあったが、村で積極的に語られて来なかった事件を知るようになる。三人組の内村に留まった田口は町役場に、西方は農協に職を得たのだから、町村の歴史は徐々に三人に共有されたのだ。村は山の谷深い場所にあり、町から差別されている。町の中学に上がると肌身にそれを感じる。町は大きな市から見下される。大きな市も東京からは田舎者と扱われる。東京も京都人からは所詮田舎者の集合地なのだろう、そんな扱いを受けたとアルバイト学生が話したことを東京に勤務していた時代の話として父が語ったことを思い出す。普通に考えればバカバカしいにも程がある。属性には意味がない。その人間を人間たらしめている本質こそ鑑賞され交流される価値のあるものなのだ。私にとって簾内敬司という作家に出会ったことは今年最大の収穫だ。ふと漏らした李さんの「海へ行きたい」。考えてみれば山襞の窪に住むぼくらは海を初めて見たのは遠足の時。その記憶は鮮烈だった。李さんにとって海は捕縛されて来たこの国と祖国の間の回廊なのだ。三人は李さんを誘い、県境にほど近い日本海の小さな浜に辿り着く。40年前の李さんの、鉱山からの逃散は海を目指したのだった。40年窪地を耕し、愛する人との出会い別れの後、花壇が姿を表し始めた。そうして高齢者となり、生き延びるための希望の海に若い理解者、友人らとやって来たのだ。浜では折しも女たちの踊りが始まる。篝火に照らされ横笛だけの無言のおとなしい、何かに耐えるような、長い歳月を物語るような踊りを見つめる李さんの目に涙が浮かび流れていく。次章では美しい谷川の釣りやキャンプの様子が描かれる。林業に従事した父が僕に語った、涙を流す木、ブナの原生林、渓流の自然描写は爽やかな一陣の風だ。過激な行動に出た自然保護活動家らしき品川ナンバーの男と親しくなる李さんが示す友情はぼくら以外では珍しい出来事で、その恩恵に被れるのは誠に選ばれた人、というべきか。李さんの弛まない働きでお花畑は見事に出来上がっていたことに息を呑んだ三人は、庭にデザインを施していく。しかし窪は李さんの土地ではなく村の入会地、コモンスペースだ。誰のものでもないが誰が使っても良い場所。それを李さんと三人は村人が誰でも寄れるお花の溢れる公園にしようと画策する。偏狭な村人がそれを受容するかどうか。入会地と道路を結ぶ歩道もないのだ。問題解決には、法も感情も歴史も複雑に絡む。まして土地の問題は大きいが、三人は寄り合っては知恵を磨く。リレーションの良さは何といってとも、李さんという中心があった上で同じ体験を育んだ幼馴染であることが大きい。それぞれの個性も伸びやかだ。そして公園の公開に、三人はぼくの妹も加わり、長らく廃れていた鹿踊りを復活させるのだ。その踊りは、涙ぐむ目と名づけた、目をデザインした花壇の周りで篝火を焚いて演じられる。いつかの浜の李さんの涙であり、森や谷に生きる山女や樹木の涙であり、人と人を隔てる無言の一瞥の毒への公子親子の慟哭の涙を鎮める奉納舞でもあるのだ。鹿踊りの練習を始めた三人に先ず興味を寄せたのが子どもたちであったことが素晴らしい。大人が夢中になって何かやっている。一体何が始まるのか、ワクワクするのはいつの時代も垣根のない子どもらなのだ。
2023.09.18
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2023/09/17/日曜日/尚暑さ続く画像で見ただけの三國万里子さんデザインのボレロ画像から見よう見まねで考案。糸は野呂さんのそなたしまに近い綿主体の手紡ぎ風なもので、もう廃番と思われる、私の在庫。それに東京デザインセンターで買った麻糸との二本どり引き揃え。私は手が緩いので、針はクロシェの3号で。糸が足りないかもとあちこち探したけれど同じものは見つからなかったが、幸い何とか足りそう。35センチ角を2枚に35×45センチ2枚の計4枚モチーフを作製。↑この間後から後から鈴なりのイチジクを野鳥と競い食べ明かす。いやはやここまで作るのに1ヶ月。何しろ玉巻き機購入前に手で丸めた糸はもつれにもつれ、解くのに編むより時間が掛かった。何といっても便利な道具は進んで試すべし。45センチ2枚の背中はぎ合わせは引き抜き編みをして、しっかり丈夫に仕立てる。35センチ角は前の袖部分になる。その上下は針で、はぎ合わせる。あらら。はぎ合わせてから左右のバランスの崩れを知る。あーあ。ちゃんとマーカーをしないからこんなことに。解いてやり直し。↓ふんわりお袖、どのようにギャザーを入れるか思案して、カフスの目を60目作り、一段目は裏側に往復編みをした。片袖が仕上がり、雰囲気を見てみる。中々楽しいデザインだけど、これ以上太るとサイズアウトしそう(>_<)カフスには麻糸を混ぜず、野呂さんの糸一本で針の号数は変えていない。ベージュの麻糸極細が一本入るだけで編み地の印象が随分変わる。後もう少し!
2023.09.17
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2023/09/16/土曜日/夏が終わらない〈DATA〉 白水社著者 矢野誠一2023年3月5日 印刷2023年3月18日 発行〈私的読書メーター〉〈藝能評論家という肩書きも珍しい。敗戦時10歳で、まもなく麻布中高に進んだ著者は映画クラブで鳴らし、下町の遊び慣れた同級生の薫陶を受け芝居遊びに明け暮れた。日々の暮らしのエピソードはいつか観た芝居、歌舞伎、文楽、落語、新劇、ミュージカルの一コマにピタリとハマる。芝居が人生か人生が芝居か、境目なく捻合わさった一本の紐の如く。茶人だった祖母が普請した数奇屋の実家の隣家表札「寓」には近衛文麿のお妾さんが棲んだ。敗戦後ひっそりと姿を消したら長谷川一夫一家が入居した。北村和夫エピソードに笑う。昭和の時代感たっぷり。〉著者、敗戦の年に10歳ならば、今現在は88歳。米寿だ、目出度い。お仕事仲間はずいぶんと電子化されてしまったが、氏は未だにペリカン万年筆。パソコンはおろか携帯電話も持たない。もっぱらファクシミリでやり取りだとか。電脳化について何度か逡巡があったようだが、それらの機能をマスターする時間があれば1ページでも原稿を書きたい、が心情だという。賢明だ。君子である。君子、危うきに近寄らず。私め小人。PCすなわちパーソナルコンピュータが黒白画面を脱したOS初期の1995年を激しく思い出す。もっともMacパクリと言われたが。それは富士通PCだった。何度初期化嵐を見舞われたか。消えたデータ、ソフトウェア再インストール、どれだけ空しく時間を浪費したか。その時間でどれだけの本が読めたか。データ処理も通信速度も、もしもし亀よの時代。見よ、今はPCを開くことさえ無い。スマホ一択だ。さて、氏の話である。今の今まで組織に属さず自尊自衛の自営業。自らも役者をやったり演出をしたり文章を書いて戦前戦後を生き抜き、舞台をずずずいーと眺めてきた目利きの、肩の凝らない息抜き人生。妙に懐かしい。ご近所にご隠居さんがいなくても、こんな本のページを開けばたちどころに現れる、ご隠居さんが。
2023.09.16
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2023/09/15/金曜日/やはり熱帯続く第二部寿式三番叟鑑賞ガイド冊子の表紙を飾る翁面は古風な写し。装束の紋様は、バチカンの天井模様に酷似していたんではなかったか。休憩時間には2階食堂の休憩コーナーの薄暗いテーブルでコンビニおむすびをさささと食べ、再び本日の二幕目。菅公の雷神変身大魔王振りに当てつけられていたのに、ここは気分を一新のとうとうたらり。◼️ 柳は緑、花は紅数々や、浜の真砂は尽きるとも、尽きせぬ和歌ぞ敷島の、神の教への国津神 治る御代こそ目出度けれ菅原伝授手習鑑 四段目 北嵯峨の段菅公の御台所の隠れ家に、お世話する八重と春。ここにも時平の手下が追っつけて、御台所を捉えようとする。長刀構えて敵と立ち向かう健気な八重も儚くなり。ああ桜丸の女房もここで果つる定業。夫婦二人は冥土の旅支度となれり。あわやの危機を救った怪しい山伏の正体いかに。◼️ 「追つ付け吉左右(きっそう)お知らせ」と這うばうしてこそ急ぎ行く寺入りの段一方、芹生は京の外れの寺子屋にお師匠武部源蔵の子どもとくらまして、菅公長子の菅秀才百姓倅の子らに混じれば忽ち匂い立つ高貴なお姿。今日からお師匠さんの元で習わせたいと親子連れが訪ねくる。◼️ 愛に愛持つ女子同士、来た女房はなほ笑顔「私事はこの村外れに軽う暮らしてをる者でござりまする。この腕白者を御世話なされてくださりよかと…寺子屋の段切 豊竹呂太夫 鶴澤 清介後 豊竹呂勢太夫 鶴澤 清治豊竹呂太夫は、十一代目豊竹若太夫を襲名とか。贔屓から、待ってましたの声かかる。引き込まれ、呂太夫の語り口滑らかに太棹と共に一本の舞台となる。呂勢太夫が演じる松王丸の複雑な心情を噛み殺した笑いの様、人情絞られる一級の芸術なり。涙ルイルイ。思い詰めた様子で師匠の源蔵が外出から帰る。実は菅秀才を匿っていることが漏れて、その首をうちとれと時平家来に命令され絶対絶命の淵に立たされていた。身代わり立てようにも村の子では似ても似つかぬ。首の検分は家来の中で唯一菅秀才を知る松王丸が果たすことになる。源蔵は寺入りしたばかりの子の風貌が麗しいことを認め、この子を身代わりとして白台に載せ差出す。この身代わりに気付かない筈のない松王丸は、菅秀才の首であると言い切る。時平の家来らはその首を携え館へと戻る。そこへ身代わりの子の母親が戻り、あわや源蔵に斬りかかられた刹那、刀を避けた子の文机からは死に装束がはらりとこぼれ落ちる。実は母は千代。夫の松王丸と企て我が子を犠牲に恩義ある菅公の御台所と長子を助けたのだった。◼️ 「弟子子といへば我が子も同然」「サア今日に限つて寺入りしたはあの子が業か、母御の因果か」「報ひはこちが火の車」「追つ付け廻つて来ませう」と妻が嘆けば夫も目をすり「せまじきものは宮仕へ」と共に涙にくれいたる五段目大内天変の段竹本 小住太夫鶴澤 寛太郎おおお、この大切な仕舞いの段を小住太夫が。織太夫と小住太夫が私は贔屓。特に小住太夫さんのたっぷりふっくらとして品の良い感じが。三味線の寛太郎はえ?大丈夫こんな若手と思ったら、従来の演奏とは異なるかき鳴らし。なんかもっと時流でありつつ、東北や沖縄などの地域が香りたつ演奏というか、これはこれは楽しみと思わせてくれた。通して観劇すれば、菅原伝授手習鑑はやはり五段目までを演じて座りが良い事を知る。五段目を蔑ろにしていると嘆いた近松門左衛門の、今年三百年忌に良い供養ではないだろうか。天変の続く京では菅公の汚名がすすがれ、上皇により秀才の菅原家相続が認められた折も折、時平は怒り焦り、秀才を亡き者とするその時側近は雷に打たれ即死、時平の耳より二匹の蛇出て、桜丸と八重の亡霊に変じ、時平を懲らしめる。菅秀才と姉の苅屋姫がトドメを刺し仇討ちする。少し違和感を覚えたのはこの件。優雅な裏若い苅屋姫と幼い秀才が刃物片手に瀕死の時平にトドメ、というのは今令和の世にはちと生臭い。終わりは菅公の名誉回復のハッピーエンドに重点を置いても良いのではないだろうか。「せまじきものは宮仕へ」と共に涙にくれいたるこの語り口、今の世でも涙くれる善良な夫婦の多い事願うばかり。
2023.09.15
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2023/09/14/木曜日/まだまだ暑いよ。❷手打蕎麦 ふじや新宿区十割蕎麦 980円9/13 お昼時は最近では先客が3〜5組も待つ具合。昨年までは余り記憶がないが。日差しに炙り出され待つ。本日のお蕎麦はとても美味しい。何事ぞ。店員さんに尋ねる。なるほど、なるほど。今日、私は真岡市の新蕎麦を頂いていたのだった。新しいと古いでこんなに爽やかさが違う。蕎麦湯もいつになく美味にてたっぷり頂く。しかし、待ち時間の暑さが癒やされぬ。思い余って、かき氷の道草。成城あんや へ何と。ここでも店内待ち椅子五脚にあぶれて、外並びとは。ようようありつけた宇治金時にむせぶ。ここの抹茶は小倉山。値段はふじやのお蕎麦と同じくらい。まめかんがあるのも嬉しい甘味屋そんなには食べれないので、豆大福を二つ買って帰ります。雑菓子とも思えぬ品の良い大福ざんす。
2023.09.14
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2023/09/13/水曜日/朝夜は過ごしやすく❹手打ち蕎麦 わ川崎市麻生区ざる 780円蕎麦の量は130〜140gというくらいかな。ワサビも少量だけど、注文毎にちゃんとさめ皮おろし、ありがたい。石臼挽きらしいけれど、十割とは思えない。問題は冷水シメを施してなかったこと。これをしないと蕎麦の味はぼやけてしまう。価格は文句なしの800円でお釣り。かき氷その❶は経堂の anamo cafe9/5 1時間並んで待つ。イエ〜すごいボリューム。いちごミルク。930円は今時高くない。アボカドとかカボチャとか人気らしい。かき氷その❷は本厚木の かき氷専門店雪華フルーツソースを2種類選んで800円。抹茶と梨を選択元は飲み屋さんの昼商売風。タバコの匂いが感じられ長い無用。氷の質は今ひとつ。でもソースはそこそこ満足。かき氷の下はミルク氷をかいた層がうずくまる。甘さ控えめなのが良し。
2023.09.13
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2023/09/12/火曜日/30度超えの残暑は厳しい9/8 地下鉄半蔵門駅を出ると台風の風雨音凄まじ。濡れそぼりながら、劇場までの道を急ぐ。この劇場は10月には建替のため閉館となる。新館ご披露は6年先とか。帝国ホテルといい、国立劇場といい、歳月や昭和も遠くなりにけり。この3.4年 文楽、殊に浄瑠璃に惹かれて、2ヶ月毎の上演が楽しみで通った。5月からの通しの菅原伝授手習鑑の後半と曽根崎心中 演目が、あぜくら風の国立劇場最後の上演となる。文楽では五段目終章を演じられることは稀らしく、今回はなんと51年振りに最後まで演じられるとあって、本年の近松門左衛門三百回忌にも相応しく、観客も熱気の満席。10:40開始で、五段目が終わると18:00を過ぎていた。途中休憩を挟んだり 寿式三番叟 などの演目もあったが長丁場だ。とざい、とーざい三段目 車曳の段演じられた頃大阪に三子が生まれ話題となったことを背景に、大阪は佐田の地の、菅原道真公別邸の管理任された百姓に三子の息子があり。京で賜ったご奉公は夫々主人を異にして、政治権力の悲哀をかこつ。三子も主人の忠義と父親古希祝いの孝行の板挟み◼️不忠の上に不孝の罪、桜丸場所は京の吉田山。吉田神社は藤原一族が春日大社から勧請した、そのお社に藤原時平が参詣す。舎人の杉王丸を演じる南都太夫の気迫と熱に染まる会場牛車の長柄を引くは松王丸。豊竹藤太夫がピタリとハマる。敵対する梅王丸と桜丸、兄弟同士のあわや一戦が、お社の前で流血ならぬと時平一声でその場収まる。梅王丸の小住太夫が、出番毎に素晴らしく伸びているように感じられる。ここまで。役割毎に太夫が変わるのも珍しく。茶筅酒の段場面は河内国の佐田村、官公別邸。舞台上座には仲良く並び植えられた菅公愛樹の松、梅、桜。三子の名は菅公自ら授けた主従のご恩あり。今般の古稀に、やはり菅公より新名白太夫を賜り、祝膳の儀。嫁らがわらわら参じるが、その名もそれぞれ千代、春、八重と麗しい。八重の贈り物三方、八重だけを連れての氏神詣の前触れが、華やかで和やかな場面にあって、三味線の無音の音のようにこれからの悲劇を奏でる。喧嘩の段ようよう三子の内、松王丸と梅王丸◼️「ムゝ桜丸はどうして来ぬな。アゝ待ちかねる者は来いで、胸の悪い見とむない面構へ」とうとう掴み合いの喧嘩が始まり、桜の枝を折ってしまうアクシデントのクレッシェンド。訴訟の段折れた桜を咎めず、白太夫。梅王丸の管公元へ参じる願書を聞き入れず、松王丸の勘当は受入。主人時平と敵対する兄弟を心置きなく討つためだろうと松王丸夫婦を追い出す。この段の豊竹芳穂太夫が好い。桜丸切腹の段切、登壇。竹本千歳太夫三味線、豊澤富助うーん、年季が違う。重みが違う。先代名人の浄瑠璃をたっぷり聴いて蓄えた財が違う。それあっての切腹の段のお勤め。◼️「頼みも力も落ち果てゝ、下向すりや折れた桜。定業と諦めて切腹刀渡す親、思ひ切つておりや泣かぬ。そなたも泣きやんな、ヤア」「アゝ、アイ」「泣くない」「アゝ、アイ」「泣きやんない」「ア、アイ」◼️「御恩も送らず先立つ不孝。御赦されてくだされい。下郎ながらはじをしり、義のために相果つる」ここにおいて涙滂沱である。下郎ながら恥を知り。日本人の琴線に響く。そこに被さる老親打ち鳴らす鉦撞木浄瑠璃も三味線も人形も観るものも演じるものも渾然一体。折れた桜を咎めぬ不思議で様子を伺っていた梅王丸は、後を追おうとする八重を引き留める。白太夫は松王丸にあとを託し筑紫へ旅立つ。四段目天拝山の段あれから一年が過ぎた、のどかな山の広がる筑紫。菅公を乗せて牛を引く白太夫◼️「東風吹かば匂ひおこせよ梅の花主なしとて春な忘れそ」侘び住まい近所の安楽寺に一晩で梅の木が生えた事を知った矢先、梅王丸が主人菅公の元に馳せ参じて、御台所と子息の菅秀才が無事であることが伝えられる。◼️「梅は飛び桜は枯るゝ世の中に何とて松のつれなかるらん」筑紫まで追いかけて来た時平家来の平馬の白状で、時平の皇位を狙う企てを知り、菅公は雷神と化し帝守護のため都へ飛んでいく。豊竹藤太夫鶴沢清友ー幕ー
2023.09.12
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2023/09/10/日曜日/暦では白露〈DATA〉 影書房著者 簾内敬司1989年5月10日 初版第一刷1990年2月28日 初版第二刷〈私的読書メーター〉〈読書中「福田村事件」を観て映画と小説が交叉するようだった。戦後10年ほどして谷間の寒村の、見捨てられた湿地の窪地に一人の背の高い男が住み着いた。小学生3人組のぼくらにも村人が男を忌み嫌い、今にも襲い掛かろうと算段の様子が見える。その空気に乗じてぼくらは肝試しに男の陰踏みに打ち興じる。町から母娘二人して逃げ帰った公子の影も面白半分に踏みつけると公子は痛い!と蹲った。ぼくらが人の心の痛みに触れたとき、窪地の男への憐憫が芽生え、公子の母、祖母の悲哀に抉られる。故郷を離れ成人した僕にある日公子の自殺が伝えられる。〉ストーリーは三つの構成からなる。「影踏み」「魂の力」「菩薩花」半分は著者の自伝的要素を含むように思われた。「魂の力」母千代の魂の抜け殻としての死を見て公子が身体の奥の奥から絞り出す声。村人の「心ない」噂や眼差し態度に潜む毒。心を理解する魂が無くて、人間は生き延びられるか。公子や母、祖母がようよう生き延びられたのは僕の母が、いくばくかでもその魂を持ち得た隣人であったからだろう、と著者は描いているような場面が幾つか描かれる。しかし村人の毒は徐々に千代を侵食する。熱さも冷たさもひもじさも睡眠も、何も感じない肉体になり、魂はただただ会いたい人へと抜け出していく。そんなモノ想いに取り憑かれるような、まるで平安貴族の恋物語を我が身の上に感じとれる経験もしくは感性がなければ、読み手はおそらく大仰に感じられる章だろう。認識を他者と共有する困難さを考える時、認識の階層について思う。私たちは計量できるものについては共通認識が持てる。すなわち科学の領域。歴史も一応人文「科学」であるが、これについてはどうだろうか。知られている史実に捏造や加変があるとしたら、共通理解はせいぜい地理地質の分野までだろうか。その先の計量不足な情の絡む分野ともなれば人の数だけ認識の数も増す。そんな私たちが認識を超えて共同体を育てていくには、過去の過ちから学んでそれを個々に克服する作業が必ず問われる筈だ。さて、この本について誰もが過たず共通に認識できるのはコンテンツではなく、パッケージだ。私は 岡茂雄の『本屋風情』読んで以来、パッケージの方にも関心が向く。それは絵画を囲む額縁の如くして。本の重さとか四辺の長さとかページ数とか発行日、出版社、責任表示としての発行者名とか、本のパッケージを具に眺める。で、本の本体にISBNが無い、ことを発見する。おおよそ1980年代半ばには、ISBNバーコードが日本の刊行冊子殆ど全てに付与された。本書発行の年代から考えるとそれがないのは少し不思議だ。装丁は大変しっかりしている。一体影書房とはどんな出版社なのだろうか。と別の方に関心が湧く。ネットで調べてみた。こだわりのある出版社であることが分かる。韓国の詩人など早くから朝鮮文学を日本に伝えている。影書房を立ち上げた松本昌次という出版人もとても興味深い。そしてこの本の初出が影書房の季刊誌「辺境」の6.7.8号に連載されたことがよく理解される。辺境には第一次、第二次、第三次が存在し、前の二つは井上光晴が編集人で、豊島書房から出たこと。第三次が影書房から全10巻出されたことが分かる。その掲載を見ると、列島の周縁から遠い声、小さい声を拾いあげていることがよく眺められる。本作続編の『涙ぐむ目で踊る』は、その季刊誌に連載されていない。さて、それは?
2023.09.10
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2023/09/08/金曜日/午前中風雨強いテート美術館展 新国立美術館 7/12〜10/2先週酷暑の中、ターナーが観たくて出かける。ウィリアム・ブレイクも2点「アダムを裁く神」「善の天使と悪の天使」楽園で暮らしているようなブレイクだが、それは神というゲイテッドオーチャードの中でのみの自由。ブレイクから半世紀人はここまで印象を風景へ、風景を印象へと自由に飛翔させた。大切なのは光としての色光と色彩(ゲーテの理論)大洪水の翌朝 創世記を書くモーセ12色彩環図アンモナイトのようにも見える油絵は他に2点湖に沈む夕日陰と闇 大洪水の夕べターナーからさらに50年。モネ。ポール=ヴィレのセーヌ川風景に神は存在しない。コロナで突然中止になり見られなかったハマスホイが2点。室内、ゆかにうつる陽光↑私には月明かりにしか見えないけれど、好きだなぁ、これ。室内この隅っこの暖房は当時のデンマークの住宅で見られる様式。一つで複数の部屋を温める。コロナ前に行ったデンマークのスカーヘンだかスカーゲン。その地の美術館に所蔵があるはずだが、私はアンカー夫妻の画家のアトリエしか行かず、街のアンティークショップやクラフトショップをふらふらしたことが悔やまれる。しかし画家の室内はハマスハイの描く室内ととても似ている。ハマスホイからほぼ百年心象風景は要素に分解され、展開され、ある規則や偶然に従って変化を見せる示威行為に。その中にも光、陰、色があり、はたまた音が加わりより宇宙的になった。自然科学と共に歩んだアートが一覧される。そんな時代にあっても私は手仕事。↓ニット作製のインスピレーション用に桑沢デザイン時代にはやたらとこんな作品を描いた記憶が。
2023.09.08
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2023/09/05/火曜日/夏が終わらない話題の映画を週末、新宿に観に出かけた。監督 森達也企画、脚本に 荒井晴彦ほか音楽 鈴木慶一森達也といえばどちらかといえばドキュメンタリー作家の印象だけど、こんなオーソドックスな抒情的シーンも描けるんだな。そこは荒井晴彦氏の手腕なのだろうか。でも女性の描き方が相変らず、というか。しかし、それを突き抜けたような田中麗奈は良かった。水道橋博士の怪演は驚きだった。⬛️ 館内劇場に着いた時点で満席。前日に予約したとき既に3分の2は埋まっていたので、平日午前ならともかく当日席は難しいだろう。そのくらいの入り。団塊世代の方が過半数?若い女性も。若い人はどちらかというと一人で来てる人が多い印象。若くない私も一人で来た。⬛️ 予め知っていたこと関東大震災時の流言飛語については、高校日本史資料で目にしたが、授業でまともに取り上げられなかったように思う。今の高校生はどうだろうか?方言を理解してもらえず、香川県から来た薬売り一家が村の自警団によって殺戮された史実は既に20年前に上梓されていた事を私は知らなかった。⬛️ 差別を知る被差別部落に関しては、高校の三年間で1時限割いた授業があった。それまでそんな事は何も知らず、周囲からは半ば浮いていたかもしれない。後年、網野善彦の歴史本に触れて初めて政治的な側面と祭司に纏わる歴史から、ある時点で民間の中にそのような差別意識がフィックスしたことを知った。差別されるものはより下に置かれたものを差別することで自身を浮揚させようとする。それが大多数の私たちだ。学生時代に流行したアジアンテイストなワンピースで街を友人と歩いていたら、年配の二人連れ女性から、チョン公と罵られた経験がある。私はその時何の事かさっぱり分からなかったが、友人が教えてくれた。罵った女性二人は明らかに夜の飲み屋かキャバレー嬢の風体なのだ。切ない。勤務先からの帰途、迷子の男の子がいた。聞くと遊んでいた同級生とはぐれてしまい、帰り道が分からないという。転校生かと聞くと、福島からという。大震災後ままないことだった。大人に言われ遊ぶふりをしてわざと放り出す、そんな経緯が見えた。私は悔しいやら腹立たしいやら、男の子を学校の見えるところまで案内し、副校長に訴えた。心ない言葉をぶつける子たちがいる事を知った。避難してきた子どもの胸の内を想像することすらない。共感の気持ちはどこへいったのか。知らないところで気づかないところで、大小様々の悪意が徒党を組んで差別を生む。⬛️ 映画に見られる差別構造しかし、一方で時代の空気に流されない、屹立した個を際立たせる人間がいる。永山瑛太演じる薬売りの頭目もそんな一人。ツイ最近まで忌み嫌われ、強制的に隔離されていた らい病=ハンセン病者に商機とみるや臆せず近づく。憐れみと商売気のないまぜが可笑しいけれど、村人は伝染を恐れ近寄らないのだ。いつもケチな彼は、鮮人とののしられている飴売り娘の飴を女子どもに大盤振る舞いしたりもする。ところで飴売り役の女優さんが可憐で、素晴らしかった。そのシーンだけで涙ぐんだ。自警団が武器を携え激昂して取り巻き、口々にお前らは鮮人だろうと罵る。薬売りは自分たちは日本人だ、と言うが、頭目は「朝鮮人なら殺していいのか」と自警団に問い返すのだ。薬売りらは部落出身者だった。田舎か都会か、高学歴か否か、金持ちか貧乏人か病者か健康か、日本人か他国人か、支配者か被支配者か、定職者か行商人か、常民か否か、或いは思想による峻別も描かれる。大震災のどさくさに獄死した共産主義、社会主義、労働運動に携わる若い人たちが沢山いた。亀戸事件 としてしられているが、映画はそれにも触れている。この時に民本主義活動をしていた吉野作造も追われていた。『君たちはどう明らか』著者で、戦後岩波少年文庫を編集にあたった思想家だ。宮崎駿は岩波少年文庫で育った人だ。⬛️ 真相を知りたい。声にしたい。日本人の本性というものを知りたい。その歴史、背景を知りたい。特殊な環境下で自分がどんな立場を取るか、あらゆる可能性を考え尽くしておきたい。そのためにはできるだけ、事実を知ることだ。それを担保するのが報道だ。ところが報道は知る権利を報道しないことで歪めている。昔からそうで、今もそうだ。だから情報を鵜呑みにしてはいけない。朝日新聞の天声人語と、政治社会面に報道していることのギャップに驚く。購読者を馬鹿にしている。口先だけ、ペン先だけなら何でも言える書ける。心がない。映画では小さな地方紙ではあるが、報道の世界で真っ直ぐに使命を生きる若い女性が「書かなかったことでどれだけの犠牲者が出たか。新聞記者には書く責任がある。朝鮮人だろうが日本人だろうが、何人だろうといい人も悪い人もいる。そうではないですか。」と上司に訴える。青臭い使命感だろうか。この青臭さがないから今、日本は混迷しているのではないだろうか。ラストシーンが強烈で、靄のかかるような利根川をどこへたどり着くかも知れない舟に一組の男女が乗っている。どこへ行くの?男は明確な答えを持っていない。
2023.09.05
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2023/09/04/月曜日/久しぶりの雨↑図書館で借りたあと、あまりにも気に入って購入。絶版〈DATA〉 岩波書店著者 簾内敬司2001年1月29日 第一刷発行〈私的読書メーター〉〈藝能評論家という肩書きも珍しい。敗戦時10歳で、まもなく麻布中高に進んだ著者は映画クラブで鳴らし、下町の遊び慣れた同級生の薫陶を受け芝居遊びに明け暮れた。日々の暮らしのエピソードはいつか観た芝居、歌舞伎、文楽、落語、新劇、ミュージカルの一コマにピタリとハマる。芝居が人生か人生が芝居か、境目なく捻合わさった一本の紐の如く。茶人だった祖母が普請した数奇屋の実家の隣家表札「寓」には近衛文麿のお妾さんが棲んだ。敗戦後ひっそりと姿を消したら長谷川一夫一家が入居した。北村和夫エピソードに笑う。昭和の時代感たっぷり。〉岩波書店はさすがだなぁ。こういう著者を見逃さない。私は東北がらみで菅江真澄に関心があって、本書をたまたま図書館で手にしたが、そうでもなければおよそ知らないままに過ぎてしまう作家だったろう。1951年生まれということでまだご存命だと思っていたら、もう一期閉じてしまわれていた。高い山の崖地で、知る人なく咲き散る高山植物のように、ひとり太陽や風、雨、星の運行、雲のかたち、たまに訪れる虫たちを眺め充足した。そんな印象を持ってしまう。全10章、どれも何度も味わいたい。この本で知った寒立馬。著者が思い立ってその姿を見に行ったように、私もある日思い立って下北半島にそれを見に行きたい。それに北限の椿の群生。歳取らず死なない女、八百比丘尼の辿る先々の椿をも。
2023.09.04
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2023/09/03/日曜日/雨が降らないインペリアルバーのディテールライト館の時代に部屋に置かれていたスタンド未だ現役の黒電話バー入り口の大きなドアノブカーペットもライトデザイン。ナントカアローズ。ナバホ族みたいなテイスト。スタンドの足元デザインも凝っている。ホテルは当初予算の6倍にまで膨れ上がった。その背景がスタンドの足元デザインからさえ伺い知れる。台形ウロコのようなデザインは職人泣かせか喜ばせか。バー入り口右手にレプリカのスタンドが置いてある。入ってすぐ目の前の本物との違いを見極める目を養うかも?↓バーのもっとも奥まった所に置かれた小卓セットこのテーブルはマリリン・モンロー←シャネルNo.5を付けて寝てる、の有名なインタビューはこの時ホテル内でやりとりされたもの←の宿泊した部屋にあったものとか、同じデザインとか。意外に素朴。けれども小口に彫刻あり手抜きなし。彼女が来日した当時はライト館だ。ライト館に宿泊するために来日する観光客もいたという。彼女とジョー・ディマジオもそんな選択だったのか?↓帝国ホテル初代の模型の向こうに著名な滞在者選択?洗濯といえば帝国ホテルのクリーニング技術。かのキアヌ・リーブスは帝国ホテルでクリーニングしてほしくて宿泊する。とか。写真には残ってないアインシュタイン博士。宿泊時、ドアボーイにチップを渡そうとしたが、受け取らないのが帝国ホテル流。チップ代わりに直筆の、幸福になるための短いドイツ語のメッセージを彼にプレゼントした。長く行方不明になっていたが、先年に海外でオークションに出され2億余円で落札されたのだとか。世紀を超え、同じ場所で日本の顔としてホテルを続けてきた故のエピソードや物語がまた人を呼び寄せるのだなあとしみじみ思う。正面玄関左手でライト館百周年記念展示がただ今開催中。通りすがりに立ち寄ると楽しいひとときになるし、奮発して中2階のインペリアルバーで軽食ランチ←ステーキサンドがオススメらしい←もいい。何しろあと6年の時限つき。さて、帝国ホテルといえばムッシュ村上。私も学生時代に彼の本を買い、問屋街で寸胴鍋やシノワを買いました。ただただコンソメのために。未だにスタッフの敬愛を集めているらしく、彼らにはムッシュとだけ呼ばれているそうだ。東京オリンピック選手村←もちろん最初、の総料理長を務めた彼は、ホテル経営陣の反対を押し切り、ホテル秘蔵レシピだったシャリアピンステーキを全国から集まったシェフに公開して、選手村で振る舞い好評を得たという。シャリアピンは世界に尊敬されたオペラ歌手。歯が悪いが肉好きのため、それにかなうステーキを所望した。それに応えたのがスライス玉ねぎに漬け込み繊維を柔らかくしたステーキでその名が冠された。↓ライトデザインのガラス器には市松好みが。村上自身の工夫が生きたのは、エリザベス女王の午餐会メニュー。注文は魚介類。さすが海の国の女王、お魚がお好きだった。英国といえばドーバーソール。日本にも旨いヒラメはあるぞ、しかしそれだけでは面白くない。エビにヒラメをロールしてスープドポワッソンを濃縮したようなソースのメインを考案した。これを女王は大変褒められた。そしてその一皿に女王が命名したのがSole aux crevettes Reine Elizabeth海老と舌平目のグラタンエリザベス女王風ほうほう。レクチャーを受けているうちにヨダレたらり、お時間も午餐となりぬ。我らは行く、まずは食前の、しかしノンアルカクテル。↑ノジュール読者のためのオリジナルカクテル、ノジュール。底にアラザン沈む。爽やかな柑橘発泡にリゾート色ブラッスリー隣接のこのバー、サンテ?の内装ちょいグランジなお行儀悪さのデザイン元は、あの大地真央さんご主人による。ハッピーアワーが設けられていて、一杯五百円はお得。静々と午餐、と言いつつも砕けたブラッスリーという場所なので気取りなし、が嬉しい。レクチャーで吹聴頂いた通り、エリザベス女王風もシャリアピンステーキも、なんと言ってもダブルビーフコンソメが!メニューの左側にはメニュー由来の物語が素晴らしいと感じたのはやはりビーフコンソメ。透明感とコクが格別。ピカイチはグラタンのソース。どれだけ甲殻類のエキスが詰まっているだろうか。これは何度でも頂きたい。シャリアピンは本当の肉好きには如何。デザートのフランベされたダークチェリーとキルシュ、これに濃いめコーヒーがよく合う。↑メニューは、レクチャーの時貴重な実物を見せて頂いた村上シェフ蔵書印の押された東京オリンピック時のメニュー表という凝りよう。これ、開催者が絶対楽しんでます。そういう企画だから楽しい。私は赤白それぞれワインを頼んだけれど、お水だけで良い方は全行程16000円。帝国ホテルメモ帳のお土産付き。私自身はお得だと思う。最後にコーディネーターの荒川さんに、帝国ホテルすごいですね〜だけでは無い塩質問を投げかけてみた。藤田嗣治がユキを伴い帝国ホテルでボルドーワインをボトルで所望した時のエピソード。荒川さんはさすがよくご存知だった。うーむ、それを知っているというのは相当むにゃむにゃ。でもね、この時私はクセでついツグジと言い、荒川氏にツグハルと訂正され、何だかボルドーラベルの二重写しとなりました。帝国ホテルがグッと身近になった一日でした。
2023.09.02
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2023/09/02/土曜日/外を歩くのが午後からは辛いほど昨日9/1 旅冊子ノジュール企画で帝国ホテルの歴史見学とお食事の会に昨日友人と参加した。奇しくもライト館オープンは100年前の関東大震災の日。集合場所は本館17階ホワイエ。ここからは日比谷公園や皇居の杜が綺麗に見渡せる。先ず案内パンフレットの古い地図の点検からスタート。この地図に帝国ホテルはあるが、東京駅は未だない。当時のターミナル駅は新橋で、これが帝国ホテルから案外近い。↑明治末か大正初めの地図と思われる、とのこと。真ん中黄色の枠が帝国ホテル。建築当時はホテルに隣接して鹿鳴館があり、南に銀座、北にお役所霞ヶ関、西南に新橋駅と、政治、経済、社交、交通の要所だったという。現在のみゆき通り←帝国ホテルと日生劇場間道 は当初はお堀。お堀に面した姿でホテルは建てられた。みゆき通り向こうの日生劇場と宝塚劇場は、もともと関東大震災で消失するまで日比谷大神宮があったが、四ツ谷に移転した今の東京大神宮だとか。当時神前式の結婚式を挙げて、お堀を渡り帝国ホテルで披露宴を行う、というのは上流のステータスだったろうが、神社移転後はその機能はしっかりホテル内に取り込まれた。↓かつてのお堀に沿った長廊下は、中2階にあり、このままロビー上の回廊に繋がる。結婚式の演出に用いられるのかしら?長逗留客のフィットネス散歩道にもなるらしい。帝国ホテルは元々が海外からの要人のための国際ホテルとして官民協働で133年前に、初代会長に渋沢栄一を据えてスタートした。その後、周囲は目まぐるしく変化したものの、帝国ホテルはまるで台風の目のように、その中心で落ち着いている。もっともその台風の目は驚きの短いタームで変態していく。当初の帝冠様式を33年で脱ぎ捨てると、渋沢栄一のたっての希望で、ニューヨーク山中商会の林愛作氏が支配人に招かれる。山中商会の歴史は大変面白い。短い時間ではあったけれど、世界の王侯貴族など超一流の顧客を持つ骨董屋が明治末から大正にかけて日本、世界にあった。この林愛作が、タリアセンのフランク・ライド・ライトを訪ねてホテルの設計を依頼した。実に慧眼であります。愛作とライトがかねてより知人だったとはいえ。コルビジェでもなく、ミース・ファンデルローエでもなく、ライト。ライトは土地やその土地から産出される土、石、樹木というスピリッツに敬意を払い、それらを統合して自身とは異なる文化体系に寄与できる偉大な芸術家だと私は思う。というか、日本の美意識からインスパイアされてその後の彼のスタイルが生まれた。そしてその独自な、自然に対する謙虚な姿は今日益々輝く。帝国ホテル設計時の助手レーモンドは、後に吉村順三を育てた。その時日本側スタッフとなったのは遠藤新であり、ライトの設計思想を明日館や山邑邸に忠実に流し込んだ。そんなライト館もわずか67年で役目を終えて、一部は犬山市の明治村へ。そして現在の本館も50年が経過し、来年からのタワー館建替えの後、新たな姿を2036年に目指すというのだ。渦の中心、台風の目帝国ホテルはその場所に留まり続けながら、自らは激しく振動しているようだ。↓これが新しい本館のデザイン。このデザインと田根剛氏に決まった経緯が知りたいものだ。新本館デザイン案は多田美波さんのフロントシャンデリア、ゴールドローズにも呼応するデザインかな、と感じる。実はこのゴールドローズこそ、東洋の宝石とも言われたライト館オマージュであり、帝国ホテルのヘソ、紐帯かもしれないなあ。↑下から覗くと大輪の黄金の薔薇に見える。ところで、ライトの本館取り壊しに関しては世界中から二千通超えの中止を求める手紙が届き、外交問題に発展するかの騒ぎとなったという。そういう意味では幸福な時代を生きたホテルと言えるかもしれない。今の時代なら取り壊しはできなかったかもしれないですね、と尋ねると、案内の荒川氏はうーんと考え込まれていた。↑小柄でごく普通の方だけど、ミスター帝国ホテルとも呼ばれているらしい荒川氏現在本館で、唯一ライト館時代の大谷石レリーフと彩画の残る壁を有したインペリアルバーも後6年で取り壊しになる。その前に一度はここでカクテルを頂くのも歴史好き、建築好きには大きな喜びだ。その時に注文したいのがティンカーベルという創業100年記念のオリジナルカクテル。ある時、ここを訪れた年配のアメリカ人男性がなぜこの名前をカクテルにつけたのか尋ねたそうだ。彼はティンカーベルを注文し、その場でサラサラと紙にスケッチ鉛筆でティンカーベルを描いた。彼の名はマーク・ディビス。ディズニー映画のアニメーターで、ティンカーベルキャラクターを描き、当然アニメピーターパンにも参加していたという。驚くことにその後彼はアメリカから丁寧に仕上げたティンカーベルの絵をホテルに贈った。ホテルの百周年を祝う言葉を添えて。インペリアルバーではディズニーアニメで大きくなった人びとにも幸せの魔法がかけられそう。ティンカーベルというカクテルと共に。ところで、あの柿ピー発祥もこのバーだった。戦後の占領時代、物価高騰への苦肉の策だったという。お話をうかがうと、今の時代にも大きな示唆を与える事だと勇気が湧く。無いもの、困ったことに直面したら、意外なものを組み合わせる工夫とアイデアで、更に付加価値を高める。根底にその組織への愛があるから湧き出すんだな。
2023.09.02
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2023/08/31/木曜日/夏が1年の半分に?今月はお蕎麦屋さんに行けどもタイミング悪いこと多く、蕎麦日照りが続いた。❹手打蕎麦 ふじや新宿区十割蕎麦 980円炎天下、今までで一番並ぶ。こう暑いとみな食指は蕎麦に向かうらしい。本日の蕎麦はできがよろしくない。先ず冷水で締めていない。蕎麦そのものが多分暑さゆえだろうけど、質が落ちている。気がする。それにツユも濃いだけでカツオの風味が伝わらない。この温度で何もかもが茹で上がって、ダレている感じがする。しかし、9月からはこの蕎麦が頂ける?少し涼風が届くなぁ。道路は暑すぎで酸素も燃焼してないか。ふらふらと甘味屋さんでかき氷。↑あんや の抹茶は上質、ほんと美味しい。宇治ミルク1023円。昔々に四条河原町上ル、辺りにあった 弥次喜多 の抹茶を思い出す。そこでは注文毎にお抹茶を立てていた。
2023.08.31
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2023/08/31/木曜日/酷暑連日❸名代 箱そば川崎市麻生区冷たいかき揚げ蕎麦 450円生蕎麦はコシも感じられる。何よりトッピングのボリュームが喜ばしい。そして最高なのがこの価格!今どき五百円でおつり50円(/ _ ; )時間のない時、いつでも開いてる箱そばさんは小田急使いの心のオアシスだわ。チケットを販売機で購入後は、そのままテーブルで待つ。注文は販売機で完了。知らなかった。経済したし。この暑さだし。かき氷でしょ。倉敷珈琲のかき氷は蕎麦より高かった。バスに乗って帰宅することを考えるだけでめまい。映画キングダム を観て身体を冷やす。大沢たかおさん、あなたは素晴らしい。
2023.08.31
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2023/08/30/水曜日/そろそろ夏バテ8/20 旅も三日目。睡眠不足が続く。朝食バイキングはお粥、ピリ辛漬け少々に尾花沢スイカ一辺倒。バスは乗車した仙台を目指し南下する。その間にも2か所訪問地があり、先ずは平泉。平泉といえば中尊寺本堂に詣でることを忘れ、金色堂のみで終わる方が多いから是非に本堂をお忘れなく、とコールされて蒙を開かれるというか。↑金色堂が格納された建物へのアプローチ。木漏れ日が伽藍の上より注ぐ光の如く。西行も芭蕉も訪れた奥州藤原氏三代の栄華の夢の後五月雨の ふりのこしてや 光堂芭蕉今は八月の光が、蝉時雨の方から樹々の影を道に刻む。金堂を観るのは二度目。本日はまだ観光客も少な目でゆっくり観覧した。↓隣接する、一代前の覆い堂。中で金色堂修復記録ビデオが見られる。前回も色堂建立の経緯を読んだはずが、改めてそうかという気持ちで、威容というよりは優美な金色の、すなわち観音様顕現の細部を眺めいる。中尊寺は開祖を円仁とするが、今の構えを成立させたのは藤原清衡で、1124年のことだった。当時の日本では、ほぼ70年前から末法の世に入ったと人びとは考えた。天平地異、疫病、火災など自然災害が続き、末法思想と結びついて人びとは厭世観に囚われ、弥勒菩薩信仰→浄土信仰へとつながり、仏教は大衆の中へと浸透した。という。政治的には院政が敷かれ権威がダブルスタンダード化する一方、武士の台頭、僧兵の乱闘を見た平安末期。おやおや「どうする家康」の欣求浄土であり、ほんに今の日本、世界に重なることよ。ところでお堂に納められた中尊寺で私の一番好きな場所は能舞台ここでお能が観たいものちゃんと本堂詣もして、ご先祖様お土産となる金色堂に因むお線香を購入。↓ガイドさんにパスタが何色か見てきてね、と言われ。金色かと思いきや。関山下りて、土産物屋2階で昼食休憩。これより最後の訪問地登米市に立ち寄るという。バスに乗るとガイドさん曰く、岩手では団子が空を飛ぶ。起きてる面々は何?新たなUFOの話⁈理解した人は笑う厳美渓がすぐそこなのだった。他にも山形県は全市に温泉があることや、芋煮会の喜び美味しさ牛肉について、仙台出身のガイドさんではあるけれど、東北観光大使さながら真にプロフェッショナルの語り口と愛。朝の連ドラを観るタイミングの無い私にはピンと来ないけれど、おかえりモネ で知られたのがこの登米市←トメシ、なのだとか。ところで登米町はトヨママチと読むとか。うむむ。宮城の明治村とも呼ばれるように、明治時代の建物が残る落ち着いた登米市は、一年ばかり登米県トヨマケンだったことがある。なんと明治の初めには藩と県が混在していた時期があったらしい。本来は登米県庁として建てられたこの平屋庁舎は、水澤県→宮城県と3年の間に転変した。滞在1時間、じっくり見られるのは一つと決めてかつて小学校だった教育資料館へ立派な建物。金持ちの子も貧しい家の子も同じ学舎で、学の私を身に付ける。↑設計者ガラス板の歪みがよい。教室のいくつかは資料室になっている。先日訪れた小諸市との繋がりを発見。小諸懐古園で草笛を吹いて旅人を慰めた禅僧、横山祖道さんはこの地のご出身だった。こんな方が出現する土地柄なのだ、ということを納得してバスに乗る。バスが仙台市内に入り、工場や倉庫が左手に見え始める。ガイドさんは東北大震災の犠牲者をもっとも多く出したのが宮城県であったこと、大川小の避難の詳細や一ヶ月ぶりの自衛隊員が用意してくれたお風呂のありがたかったこと、などを語って下さった。荒浜地区が近づくと亡くしてしまった大切な友人を思い出され、言葉が詰まり、ツアー客は拍手で励ました。そして最後は楽しく笑わせて客をバスから降ろすと深々とお礼の姿に職業人の矜持を感じた次第。うん、バスガイドの旅よし。東北旅の行き先も増える。
2023.08.30
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2023/08/27/日曜日/一日のどこかでは雨あり8/19 いよいよ花輪ばやしの刻驟雨の田沢湖を去り、鹿角市花輪の街の大型バスも止められる かづのみちのえき へ。本当にまあリレーションがすごくよく考えられている。到着すると直ぐにご当地の夕飯がセッティングされていて、他の団体さんも続々と加わる。日本のツアー団体は様々な関係者を伴ってこんなふうに回っているんだなぁ。コロナ禍ピークの時はさぞや心細いことだったろう。敷地内には花輪囃子の展示館も。間も無く各町の屋台が出発の時間までに奇跡的に雨上がる。大雨では金箔施した華麗な屋台は繰り出せないので、一番安堵したのは添乗員さんか。バスの中ではガイドさんの花輪囃子について案内があった。10の町の屋台がお囃子を奏でながら町を練り歩き技を屋台の美しさを競い合う。案内では今のお囃子は昭和7年から始まったと聞いたが、記憶は曖昧。ぐぐってみるともっと古いようだが、いつから誰が何のために、というところははっきりしない。↑辻ででくわした二つの町の屋台の青年ら、直立不動で我が町のリーダー同志の話合いを見守っているような。どちらが先にお旅所に出向くかを討議しているような様子雨上がりの空は明るく、濡れた道路に映し出される。この地を歩きながら何度か『かたづの!』中島京子を思い出した。江戸時代の女城主ねねが、主人公。親戚の盛岡藩主の無理難題に耐え、知恵を働かせて、遠野へ転封されても臣下一同に血を流させなかった名君ねねの霊感の泉はユニコーンみたいなカモシカの角、だった。さて、根城南部は今の八戸市だがむつの港も領地であれば、秋田藩界に近い鹿角も領地ではないだろうか。地名に印象操作されて本を思い出した?屋台の中は老若男女が世代を越えて一つの音楽を奏でる。若い人たちの力漲る演奏と年配者の老練な調子のハーモニーが良い。ところで、このお囃子音頭を若い女性が取る姿に女城主のねねの歴史を呼び覚ます何かを覚えるではないか。↓お旅所は街の北にある 幸稲荷神社全屋台が集まる前にお参りしようと手を合わせていると、神主さんから御神酒を頂いた。幸い也。スーと喉越しのよい品のよいお酒。↑待っているうちにぼんぼり提灯に灯りがともり、風情がイヤます。神様の前に集合しておそらくは今年もお祭りのできることを感謝し、五穀豊穣、商売繁盛、家内安全を守る神を喜ばせようと心を一つにする町衆。その姿の良さは子どもたちの目に刻まれ、その子が大人になってまたその役目を果たしていく。参道へは屋台は入って来ないけれども後から後から町の代表者や若頭、若衆揃い踏みでお祓いされ、みなで御神酒を酌み交わす。そうしていよいよ本格的に屋台は3時間ほどかけてお囃子を打ち鳴らしながら豪壮に駅前広場に集結する。富士吉田のお神輿では町ごとの屋台のお囃子のリズムの競合で、自分たちのリズムを見失うと負け、みたいな規則で闘うけんか神輿だったと記憶する。あれも素晴らしいけれど、これもよい。日々の暮らしの中で、お年寄りの男性がカッコよくて花がある見せ場が用意されている、のが気分がよい。花輪ばやしは今年は8/19、20日の開催。例年30万弱の人びとがここに集い、祭りの気分に浸る。知事賞などの発表が行われ、駅前行事は9時過ぎには終了し、屋台は一旦町に戻ら、深夜まで翌日の用意、朝詰めなどもあるらしい。私たち観光客もバスに戻る時間、再び盛岡奥座敷のつなぎ温泉のホテルに帰る。寝るのはまた明日の日付だろうなあ。バスで爆睡の客が増える。地域の心を一つにする祭りの知恵、これが失われれば町の紐帯も解け、再び統合することは困難だろう。こうして失われた町が全国に数知れず。祭りをこれ以上失わせないようしっかり守れる国、地域であってほしい。
2023.08.27
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