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2024/04/23/火曜日/寒さを感じた曇り4/14 午後と夕ご飯の過ごし方さささと周囲を偵察するとノレン?にAKAcafeとある。おやびん、見つけましてござる。こんな奥まった所にいかがわしいとも思えぬキャフェバァとやら。 うむ。ここでよか。てなわけで、入店。細い路地を入る。お店の人はあまり関心を向けてくれぬが、先客と思しき人が2組ばかり。声をかけると予約されてますか?とのこと。ここは基本予約らしい!そうなの⁈でも幸運なことに、隅のテーブルをあてがわれました、親分。席に着きましたら。入店してびっくりな、良き時代の古い洋館。新建材とは全く違う空気の中でゆっくりコーヒーを啜る。予め連絡しておくと超人気で予約の取れないお店のにゅうろう麺も頂けるらしい。それ相当なお値段かと。値段以外は私のツボなカフェである。どうやらここで半日のんびり過ごす人もいるらしい。これでは予約必至である。2階はスペシャルなことで使うらしいけれどそれ以外は見学できる。細長い廊下の左右に、リノベ以前のこの洋館のモノクロ写真が並んでいる。オーナーは台湾の方で、働いている人数名の、私たち対応組は日本の方。アジアでは今やこうなのか。奥まった所から見る油化街の内側は案外バタくさい中華の風情が漂う。おやびん、もといツレとはここで別れて私は国立博物館と中正紀年堂の見学を目指す。かれこれ5.6回は来ている台湾なのにその二つを訪ねていない。実は故宮美術館も∑(゚Д゚)B級グルメを堪能して市場を冷やかしお茶やコーヒー飲んでぼーとしているだけだった、という。博物館は台北駅南だから駅から歩くつもりでバスに乗る。バスは駅前北側に停車。駅前道路は横断出来ず、地下からアプローチ。台北駅地下のどの出口が最寄りかは分からず。出鱈目に地上に出たらお巡りさんがいるではないか。博物館への行き方を教えてもらう。謝謝。建物は帝冠様式というのか、堂々として、例のクラファン国立博物館にも似る。しかし内部空間はちょっと狭い。係の人にマストシーは何?と訊ねると2階、とのこと。え?なのだがまあとりあえず2階へ。一番関心を引いたのが、台湾の街や村で暮らす様々なルーツをもつ家族の暮らし振りのスライドショーだった。主に2013年前後の、ごく普通の暮らしのスナップ。その10年以上前から大陸の成長を果実として豊かになった台湾の人びとの変化をこの15年ばかりの時間の中に強く感じる。↓天皇、台湾滞在時の銀食器。初日コーヒーブレイクした建物は昭和天皇即位を祝した建物だった。束の間の滞在、ここから公園を抜けて台湾のシンボル、中正紀念堂を目指す。徒歩30分くらい?道路幅が広く、横断待ちもなかなかなのだ。このスケール感は立派、さすが中華文化だなぁ。建物の中にまでは入らず仕舞い。1975年亡くなった、中華民国初代総統である蒋介石の巨大な座像だけ、ちらりと眺める。今回旅では北甫や故宮美術館側の蒋介石邸も予定には入れてたけれど全部パス、というハメに。ここから宿までは徒歩で12分ばかり。街を知るには歩くに限るのだ。ツレ、午睡中昨夜ホテルで予約してもらった享鴨さんへ北京ダックの夕飯に出かける。↓サインが何もなくて戸惑うけれどレストランはここの2階二人前コースを頼んだのだが、これがまあ凄い量で失敗。何しろ残せない性分なので中華は飲茶以外は要注意なのだった。↓付け出しとかビールとかで半分満たされていたらギャルソン風の店員さんが私たち胃の小さな日本人向けにアラカルト対応をしてくれようとするのだけど、お互いカタコトの英語な訳で上手く伝わらず、結局コースにしたのだった。↓まあ、これの半身だしねえ、余裕。↓皮が美味しい!生姜もっと欲しいええ⁈チョイスの4品の量、半端ない!熱々の大根餅の揚げ炒め、とても美味しいが二つ食べると鴨肉が入らぬ〜ツレは何としてもお粥=ご飯は残せぬ、とビール腹にかき込む。殆ど罰ゲームのようなディナーである。二品は持ち帰りにしてもらう。もし次回行くことになったら、時間をとってメニューをながめ、断然アラカルトである。
2024.04.23
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2024/04/21/日曜日/薔薇2本植樹、レオの夢みる4/14 旅も3日目朝一番で台北植物園に出かける。3日目も曇天で、思ったほどには暑くない。バスに乗って植物園みなみ口から入る。こちらが正門の様子。台北はそんなに大きくない都市だけど、緑が豊富で道路が広い。↑木の根?菩提樹の仲間かな?都市計画に基づいた姿と、庶民的な活気のある市場がちゃんと立派に活躍している姿。そのバランスがよい。スクーターでもあれば、直ぐにお気に入りの場所に行けそう。↑紫の花以外はみな月桃の仲間公園の大きさに比して随分大きな蓮池がある。幸運にも蓮が昨日から咲き始めたらしい。アマチュアがプロか、頗る本格的なカメラを携えている。花を眺めれば、そこだけ天上である。これは、一体どうした花ぞ。桜、薔薇、蓮しかし、こんな花も!台湾の方はみなさん大変親切だ。日本語が使える人に今回は以前より多く出会った気がする。そんな方から↑これはバナナの花だと教えてもらった。バナナには芭蕉の名札が。ストリート太極拳先生の姿の、中心の備わった清らかさよ。今日我最美、いいですねえ。蓮もそれはそれは美しいけれど、園の中で今、一番命を燃やしているのは私。目に留めてね、そんな風に呼びかけている地面には金平糖みたいな小さな小さな花が白く光っていた。台湾の植物相や分類学の礎を築き、その発展に貢献したのは日本統治時代。そんな資料がここでも垣間見える。大東亜戦争を平かに省みる必要があるのではないか。日本が100%悪だった訳ではない。小林秀雄や藤田嗣治、山田風太郎の言動にも触れ、そう感じる。あの時代を反省し二度と戦争に与しないために、世界の平和貢献とアメリカからの独立を願う。そして軍隊のない独立国というものは存在しないことも含めて、熟慮と対話ということを考える。台湾という微妙なポジションを保つ場所が私に内省を促す。森林浴とバードウォッチングを楽しんだ。植物園を出たのは北口。ここから地下鉄緑ラインの小南門駅←北口出たのに、駅は南門←がすぐ側にある。これに乗って北門下車し少し北上すると永楽市場、油化街へ出られる。歩行者道路になっていた永楽市場界隈は、若い人や観光客でいっぱい。植物園とは真逆。素の台湾は植物園や朝市にあるのかな。永楽市場は日曜日は半分以上お休み。名物の油飯←台湾チマキ←も食べ損ねたT^T果物店とすごい人気のお寿司屋さんは観光客の長蛇の列。私たちはパパイヤのミルクセーキ70元を頂く。永楽市場の建物の9階には大稻埕戲苑という人形劇を中心とした劇場があり、その使い手に人間国宝指定となった方がいるらしい。この日は休演だけど。8階の展示室は時間内なら、いつでも誰でも無料で楽しめる。人形のための楽器も精工にこしらえられている。指の仕掛けが小動物の骨のようで怖い。人の技がどんどん深みにハマるよう。辻村ジュサブローの人形が蠢く「我こそはたまずさが怨霊〜」の南総里見八犬伝を思い出す。子ども心にも恐ろしく、記憶にこびりついてしまった。江戸は中華文化のトンキンのごたる。↓好きなカシラ三つ館を出ようとすると受付の女性が追いかけて来て、立派な冊子を下さった。人形劇演目あらすじなんかを北京語と英語と日本語で解説するもの。これを無料でとは、台湾は豊かになったことを実感させられる。さて、この界隈の人気な昼ごはん屋さん、共に市場内が休店のため台南料理の度小月で台南に何店舗かあったと思う。海老ロール揚げとたんずーみーふん台南でも海老ロールは人気だったと思う。油化街を行ったり来たりして、お茶屋のピンとくるところはないか、とか。探す。ピンとくる所がなくて、結局は前回も買い物をした爵林堅果坊で一通りお土産を仕込む。お腹もいっぱい、お土産も買った、そこでツレ、コーヒーを所望と宣わるなり。へい、斥候まいりやす。
2024.04.21
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2024/04/19/金曜日/武蔵野丘陵の初夏風4/13 夜 まだ台湾2日目立派なオフィスビルの中に劇場、台湾戯棚 がある。企業メセナなんだろうか。それとも政府の肝煎か。何しろ伝統芸能だ。劇場のフロントには千里眼と順風耳の大きな鬼神像鬼神のように、ようく目と耳を働かせて京劇を堪能しなされ、という計らいかな。エレベーター脇の窓口で予約を告げチケットを貰い、劇場フロアに上がる。エスコートの素晴らしいスタッフは丁寧で、楽しんでほしい気持ちが伝わる。劇場前に様々なアトラクションがあり、これならもっと早く来ても良かった。中国琴の演奏で迎えてくれる。めちゃイケメンなメイクアップアーティストが、腕や首に絵を描いてくれたり、京劇衣装を着ての撮影もあり。顔の隈取りデザイン。それぞれ役向きがあるのだろう。歌舞伎に比べるとパワフル。レスラーの仮面マスクのようでもある。化粧に関心のある人が多い?主役の女優さんが、メークの経過ごとに役の中の人物へと変容するみたい、顔つきが変わる。眠るなんてとんでもなかった。台湾EYES は 観客を楽しませる事に徹した芝居集団。舞台装置はない。壁の、おそらく白蛇伝のシンボルのみ。舞台右奥の演奏陣は充実している。川を渡る舟に揺られる場面など登場人物の呼吸のあった動きや音楽で、その情景を表す。トーンの高い声のミュージカル仕立て。白蛇の精が風光明媚な場所に遊んで、見染めた美しい男に恋をするが、高名な僧侶がこの結婚を怪しみ、男を救い出そうとする。白蛇軍と僧侶軍の闘い場面が見せ場アクロバティックな動きや、舞踏のような武闘にハラハラワクワク、大人も子どもも大喜び白蛇は僧侶に向かい、私は千年の修行を積み、ずっと昔からこの村のものたちの病を治し霊験あらたかだ、などと字幕スーパーでは読める。僧侶の寺は水に沈める寺となりぬ。白蛇に属する水の精の激しい連続バック転がそれを暗示しているかのよう。さて、どちらが勝者かは俄かには分からない。西湖のような、美しい風景に思わず人間以外のものも呼び寄せられるのだろう。異類婚姻譚であり、アニミズムと新興宗教の転換でもあるのだな白蛇伝は様々なバリエーションがあるようだが、日本長編アニメの嚆矢となった作品とも聞く。高いキーも柔らかい中国語で聞くと気にならなかった。動画は撮れないが、画像はOK日本のエンタメも少し見習ってはどうだろうか。
2024.04.19
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2024/04/18/木曜日/昨晩四国南西部で地震4/13 お昼前に駅に着くと、目の前の広い花博公園ではファーマーズマーケットが開催中奥の方は農産物展示販売、前方では何かの催し、プロダクトワークショップ、チャリティーなど。マッサージブースを見つけて思わず立ち寄る。溜まりに溜まった肩凝りを20分1500台湾ドルくらい、の施術所をしてもらう。結構痛い。しかし目や胃に来ていたモヤモヤは時間が過ぎると消えていた。担当してくれたのは屈強なお兄さん、え〜力強いはず?暑さの中、今がシーズンの桑の実ジュースを飲む。虫さんも冷蔵庫上、0の下で休憩中どうやら一村一品運動みたいに、台湾中の特産品が並んでいるらしい。試食するとツイ買ってしまうので、要注意。あーあ、搾菜のお漬物買っちゃったよ。どうするの、手に一杯ぶら下げて。日本では食べたことのないさっぱりとした浅漬けな塩味、美味しい。フレッシュ&ジューシー。花蓮県の少数民族らしきブースで足が止まる。お茶の実?種?から採ったらしい苦味の強い油を勧められて飲んだり肌に塗ったりする。油の味はツレのお気に召さないらしく、苦茶油を用いた石鹸を3つ買うことにした。白、ベージュ、茶の色の濃さが茶油の濃度を表すらしい。真ん中を求める。娘たちへのお土産。そんなこんなで、時間が過ぎ公園北にあるMadison ACME を観てうっとり。館内は、いかにも若手アーティストの作品展示中。台北市では古い雰囲気を壊さず生き帰らせて、とにかく若い人びとに開放している。明るい指向。その小さなガーデンを眺め市立美術館前工事につき公園の横断ができない。向こう並びのローズガーデンと林安泰古暦文物館の見学は諦める。既にお天道様は真上にあり、お昼ご飯は断じて諦めない、B級グルマンとしては。この界隈なら美食通りとして有名な夜市場所にある黄記魯肉飯だ。並ぶけれど、旨い、早い、安い。魯肉飯、魚団子のスープ、イカ団子のスープ、揚げ豆腐の煮物。ふむふむ丁度良いボリューム。杏仁脆片やドライマンゴー、ラー油にお漬物に石鹸と妙な生活臭を漂わせながら一旦ホテルに戻り身軽くなるや、コーヒーで一服。ホテル側に素敵な書店発見。純良社書店。2冊新刊を買うと古本を一冊プレゼント。グッドアイディア!↓真ん中はそう、『成瀬は天下を…』なのだ。早い日本の翻訳も揃っている。小さいスペースに小さなカフェテーブルが二つ。コーヒーと確かシナモンロールが頂ける。ヘルシンキのアアルト設計の書店みたいだ。規模は違えど本好きの空間は同じ。オーナーが助けたノラネコちゃんも、店内でケアされていました。すてき。こんな本屋さんに浸りたい。しかし。うちらはドヤドヤと永康街へ。歩けばこんな家にも当たる。おやおや。足は自然と阿原ユアンに。結局待合せのレストラン前ではなくここでツレに遭遇して、よもぎや月桃、ドクダミの石鹸を買う。日本で買うとめちゃ高い。台湾で買っても円安でやはり高い!しかし一度使うとまた使いたいと感じます。ここの石鹸のインパクトは絶大で、台湾に魅せられた最初の事件?事故? 2番目が高雄のサニーヒルズ魚介類の中華店、府岸台菜海鮮城←17:00オープン、と同時に夕飯をとり、8時からの京劇を観るのだ。カニは何と一万超え。ムリ。海老と貝と芝海老チャーハンとその他野菜料理、台湾ビールで満腹。殆ど生感覚のシジミ老酒醤油漬け?これ後を引くなあ、ニンニクと共に。京劇で寝ないだろうねえ、われら。
2024.04.18
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2024/04/17/水曜日/小雨のち曇り4/13/土曜日朝一番は東門市場を通り抜け、自家製辣油を購入。円安日本人としてはカラスミは諦める。きんぴらごぼうやお稲荷さんも。ここに来ればオックステールが簡単に手に入り羨ましい。地元の人でいっぱい。食べ物屋さん意外は早い終わり。人気らしい御園坊には並び待ちの人もナチュラルな仕上がりのドライマンゴーも購入。小さくカットしてグラノラに。辣油とドライマンゴーを携え我ら、台北で一番古い龍山寺へ老若男女に観光客も入り乱れる中、午前の早い時間のためか、何といっても台北の発展と共にあった古いお寺。熱心な祈りの渦が巻いているのである。赤い半月型の石?を投じて、筮竹をぐるぐる回し一本を引いてその数のおみくじを引く、という方式。事前の予習も無いまま手前勝手に試みたら、禍々しいような内容。ありゃま。お賽銭とお祈りで罪咎憂いを洗い流してくださいまし。龍山寺の辺りは古い街並みや建物が残り、お散歩が楽しい。お寺といえば街のお菓子屋さん。以前にもここ、太和で買った杏仁脆片。大好物なのだ。ここのは素朴で美味しい。しかし円安か値上がりか。以前は一袋200円もしなかったのに、今や300円!大人買いはムリ。日本統治時代の古い公設市場建物は、地域の文化施設や若い人の活動拠点に、古いものを残しつつ、リノベしては上手に利用しているケースがここにも。お次はちょいとスイーツ休憩。消極的なツレのゆるゆる歩きもこらえて萬華仙草冰へ。あーこれが食べたかった!めちゃくちゃ美味しい。甘味はサトウキビ、それにミルクプラス。店内壁には仙草の説明があるのだけれど、解読できず。おウチの方に頼まれたかしらん、マイ容器で買いにくる男性も。気づくとツレも、お裾分けのつもりがしっかり半分食べているではないか。さて、疲れも暑さも癒すお味の次は、目を癒しにローズガーデンと林安泰古歴へ行こう。赤いラインの地下鉄で円山駅下車。
2024.04.17
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2024/04/16/火曜日/曇り桃園空港の楽しみはラウンジ!成田みたいにしょぼくないのだ。第1ターミナルの場合、ボーディングの後、左に進むと免税店と医療施設がある。その先左奥のエレベーターで上へ。降りるとすぐキャセイパシフィックのラウンジ、その奥にPlazaプレミアムラウンジがある。貧乏旅では利用価値大、なのだ。ランチワインを赤白いただく♡しかし楽しみにしていた牛肉麺の提供はなかった(;ω;)そもそも今回の台湾発動はそれ。次男オススメの御牛殿麺の側に宿予約したのに、タイミング合わず、最後の望みのラウンジも…で、チキンヌードルとるーろー飯などやけ食い気味に、しっかりとデザートも頂く。機内用に最後の台湾のお味を帯同。携行ドリンクは人気らしく、これ一つだけ。今回はジェットスター利用につき、飲み物などは全て有料なのである。13:10の桃園空港発で17:00には荷物回収あらまあ、もう日本なのだった。台北はずっと曇りでたまに晴れ間が見えた。気温もそんな時27度くらい、多湿ではあったけれど過ごしやすかった。
2024.04.16
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2024/04/15/月曜日/本日だいぶ晴れ間ありもう台北4日目あっという間の明日、帰国。さて4/12 午後の部ホテルを出たのはチェックイン後の3時半頃この時間帯は飲茶か茶館がオープンしているけれど、レストランは殆どお休み時間。まともなお昼を食べれない移動なので腹ペコなのだ。しかし双月食品店チェーンの内、大安森林公園店のみ休まず営業。バスで移動。かなり並んでいる。店頭で必要事項を入力し、番号札をプリントアウトし、待つ間にお店の外の画面で日本語とメニューを照らし合わせて決定し、オーダーにチェック。↓この汁なしピリカラ坦々が美味しい!お代わりしてしまう。350円程度!量的には控えめ。後は貝柱入りのスープと筍炒めをシェアこのお豆腐の煮込みも惹かれたがもう満腹。ここは高くない。実感でいうなら値打ち、お安い。一人700円くらい?消費税無しが痺れる。満腹の後はコーヒー、確かヘリテージビル中山堂の4階でコーヒーが飲める。地下鉄で最寄り西門駅へ。表ホールはロックされている。え〜と思いながら諦め切れずぐるぐる建物を回っていると、以外とひっそりした通りに面した扉に守衛さんがいて、カフェに行きたいと伝えると入れてもらえた。時間は既に5時過ぎ。7時までだけどよいか?と聞かれる。え?一体他のお客さんは何時間滞在しているのだろう?まあ、確かにコーヒー一杯は千円以上。場所代を含んでいるわけね。空間と美味しいカフェラテを堪能しつつ、次の行き先である饒河街觀光夜市への経路その他を確認。ここへは二つの目的お寺、慈裕宮参拝と有名な胡椒餅を食べること。お寺は縁結びで有名なんだとか。足元のスヌーピーも探せ無いごった返し状況の中、台湾の地震を含め、世界の災害が少しでも小さく収まりますよう祈念する。この熱気、日本に無いなあ。と思いきや、夜市入り口にいきなりその胡椒餅名店がありました。うーん、これは美味しい!石窯、炭火焼きで肉あんの芯まで熱々。お腹が満腹で、二人で半分こ。今度は丸々一つを食べるのだ。
2024.04.15
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2024/04/13/土曜日/曇り昨日早朝5時!自宅出発。2020年2月以来の台湾たび、二人、再び。↓LCC専用の第三ターミナルに、ヘラルボニー作品展示が!ツレにここのネクタイを3年ほど前にプレゼントしたのに、きゃつは何にもご存知ないのだった。早い出発は一度首都高事故にハマり、飛行機出発を逃した苦い経験があるから、だ。↓出発ゲートの数字も大きい。正確にいうと20分前にギリギリチェックインできたが、LCC便の哀しさで対応して貰えず、新たにチケットをその場で買うという、ケチケチ旅に相応しくない事態に陥った。思えばその頃日本円はまだ力があった。タイも台湾も確実に豊かになるのに反比例し、日本は沈む太陽の如し。↑LCCはトランクも有料故か、預ける人が少なく瞬く間にピックアップは心地よし。↓4年ノーチャージの、ちゃんとチャージできました。2年未使用だと使えないと記憶していたけどコロナ対策か、期限が延びている。カワイイお弁当屋さんは休店中。公衆電話も駅の何ヶ所かには設置されていた。今回逗留するホテルはぎりぎり、台北城市の東↓ホテルの周辺で
2024.04.13
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2024/04/12/金曜日/過ごしやすい春霞先週、知人が学びの節目を迎えるパイプオルガンのコンサートが共催された。教会でたまに数曲聴くことはあったが、パイプオルガンをこのように幅広くたっぷり堪能したのは初めてのこと。宗教的な響きもあれば、森の中をそぞろ歩きするものや華やかな曲、と随分彩りがあり可能性を感じた。荘厳だけではないのだなあ。スウェーリンクという作曲家を初めて知った。ファンタジア・クロマティカの曲に心惹かれた。この曲に耳をすませているとハンガリーの小さな村ホローケーの木造の教会が思い出された。教会にはパイプオルガンなどはないのだが、そこに設られたオルガンは森の茂みや光、風に誘われあちこちを散歩してたっぷり愉快になってしまったような。そんなイメージが広がる。知人の方はといえば、技術に裏付けられた構造と骨格と精神のある、超絶技巧?で圧倒された。彼女は学生時代にピアノ科を専攻、ここ七年はオルガンに打ち込んでいた。その成果を私たちにシェアしてくれた。帰途、桜はその命の輝きを、みなにシェアしてくれていた。
2024.04.12
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2024/04/11/木曜日/ちょうど良いお天気先週土曜日、桜の好い季節に市ヶ谷で降りて飯田橋方面へ歩いてみた。いつもは通勤電車から見るだけの風景だが、かつてはこの駅の日仏会館で、仕事の後にフランス語を習ったこともあったっけ。あそこのカフェはフランスそのものでいい味わいだったけれど、今はどうなのか。すっかり日本回帰の私は亀岡八幡宮神社の階段を上る。この辺りはアップダウンがあり、神社からはとても市ヶ谷駅側とは思えないのどかさこの階段途中にあるのが茶の木神社。元々は五穀豊穣を祈り土地神様→稲荷大明神となって祀られた所に東向した弘法大師お弟子さまも立ち寄られた由緒ある、武蔵江戸ではかなりな古刹。殆ど潟のような江戸湾地域でここには真土の丘があった?因みに成田山はここの分祀だったか、曖昧階段を上り詰めれば太田道灌が江戸城の西の守りに据え置いた八幡さま。こにらは鎌倉鶴岡八幡宮の分霊なのだとか。薄墨色のような桜が渋いと眺めているとおや。これは何だろう。石に龍と宝剣?新しいものではなかろうか?↑八幡さまを抜けたあとの、道なき道がとても好い。写真撮り損ねたが、どう見ても行き止まりみたいな所を野良猫気分で抜けられる。↓初めて見た月桂樹の花↓そうして通りに出れば間も無く市ヶ谷の杜時間がなくてゆっくり見られなかったのだけど、年代がかった古い印刷機体験など楽しめて無料!活版印刷の仕組みが分かる。ここの半地階カフェコーナーも落ち着きがある。ここからは神楽坂の下の方へと折れてゆくのだけど、素通りできない美味しそうな蕎麦やなどが並ぶ通りがある。いつも人で混雑しているメーンストリートに出る前に興味津々なお店が。↑後から調べると黒執事なサロンらしい。あったり、え!こんなギャラリーショップあったかな?というお店も。最近、生活に即したプロダクツを作る若い工芸家が増えると同時にこんなお店があちこち増えている気がする。古い建物や住宅をうまく改装して手頃な良いものと出会えるのは嬉しい。基本モノは増やしたく無いのだけど、台所用品はつい買ってしまう。↑渡邉浩幸さんのカッティングボードミズナラ。そうこうしているウチに、飯田橋駅からルーテル教会へ知人のパイプオルガン演奏へと辿り着く。
2024.04.11
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2024/04/09/火曜日/風と雨①手打蕎麦 里り世田谷区もり+ワサビ 950円店内も蕎麦も頗る清潔感高い。蕎麦はトイチ、ワサビは別途何といってもここの魅力はツユ。私好みの濃さと蕎麦湯で割った時の淡白さ、出汁とのバランス4月6日 土曜日知人のパイプオルガン発表が飯田橋であり、早めに出かけて出会ったお蕎麦屋さん②蕎麦の膳 たかさご新宿区 初訪問野菜天ともり 1750円初めてのお店ではもり、がマイルールなんだけど、腹ペコにつき野菜天付きで。いやー久しぶりにお蕎麦そのものが美味しかった。天ぷらは凡というか、まあ普通なのだけど、お蕎麦は、食べた後に身体を清流が過ぎるような。ところで、ご主人は角川春樹監督の映画みおつくしで料理検番を務めたとか。へえー。新規開拓の蕎麦屋がそれぞれ美味しくて嬉しいが、普段の生活圏に重なりが少ないと次も、というようには重ならず、それが寂しい。
2024.04.09
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2024/04/06/土曜日/訪は先週のこの日3/30 午後遅めの熱田神宮鳥居が直角に見える、というのも面白い。杜に入って直ぐ、左にある別宮八幡宮と上知我麻神社←何とも古事なひびき←が鎮座している鳥居と正門が、東面、南面している場所樹木に覆われ隠れる清潔で簡素なところ、それが清々しく嬉しい日本の神社ご祭神の熱田大神は、草薙剣の御霊代とされる天照大神、と御由緒書きにある。自分なりに考えると、やはりご祭神は草薙剣であろうけれど、剣はうつわなり。魂はいづくぞ。ということになりて、倭建命ではなく素戔嗚でもなく天照大神となる次第か。さて、上古。倭姫が霊剣である草薙剣を抱えてその鎮まるところを求め、大神神社から室生寺に至る道には一時的なお宿りもあった。天照大神が夢枕にたち、ここが宜しいとようやく落ち着いた先の伊勢神宮。ここに本来奉納されていた剣であれば天照大神の御霊と共にお祀りする、という運びなのだろう。しかし古代。三種の神器は天皇が代々保持するものではなく、時の政務を司る有力者の合議で次代の天皇が選ばれた後、その証としてこれら三種が一時的に天皇に預けられた、とものの本で読んだことがある。世襲を目論み、二代に渡り天皇に即位した、諡号皇極帝だったと記憶する。どさくさに紛れ彼女は神器のそれまでの扱いを変更してしまった。やまとしうるはし、の衰微始まりぬ。今、鏡は伊勢に。勾玉は皇居に、剣は熱田に。参道をゆくと左手にそれは立派な経年の大クスがあり、空海お手植えとのことだがそれは如何?↓熱田神宮の歴史絵巻が参道で眺められて、歴史がよく理解できる仕組み本宮前で掃除をしていた方に、ここに本当に草薙剣はあるのですか?などと尋ねてしまう。穏やかに応えてくださるには、さてどうでしょうか。剣そのものを見たことのある方はただの一人もありません、この神社でもっとも尊い方でも、儀式の折に布に包まれた剣城を運ぶことができるだけなのです。とのことだった。では、まごころでそうある、と知るのですねと重ねて尋ねるとまごころ、そうです。というお返事で会話を終えた。江戸時代。剣の箱を新調する時に大禰宜らが目にして流罪、謎の死の『薔薇の名前』事件もよく知られる。何故、倭建命は形代とも頼むべき剣を我が身から離して、交わってはならぬときの夜須姫の元に預けたか。我が太刀はや、との声が切ない。ほどよい大きさの くさなき広場は花ざかり日本が世界がどうか安寧でありますようさてさて、神宮側のひつまぶしで有名なお店、2時間待ちの時間の頃合いをみて店内へ。一人前があまりの量で、大喰らいの私も食べ切ったとはいえ、デザートなど何も受け付けない様に。しかし、本当に美味しい!あんまり美味しいを繰り返したので、後ろに控える店員さんが、感に耐えない感じでありがとうございます!と言われてしまう次回はお嫁ちゃん名付けのレディースセットに致します。ひつまぶしが半分より小さめでうまき卵のセットらしい。値段もその分可愛らしい。
2024.04.06
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2024/04/05/金曜日/晴明の小雨ふる本書を手にとってから、かれこれ4週間が過ぎたので、もはや貸出延長もオーバー。遅々として進まぬ、我が言語消化の幼さよ。というか。編み物に日々のエネルギーを吸い取られ、あちこちへの小旅行に時間をとられている節が多大。合間に仕事もこなす、という。いつ、寝るんだ!ということで寝落ちの前の、重力負けな本書との日々は、一ヶ月に及び今現在、その二部構成の外篇を読み終え、内篇に入ったところである。〈DATA〉出版社 作品社著者 熊野純彦2018年9月5日 第1刷印刷2018年9月15日 第1刷発行元々は小林秀雄の『本居宣長』を読むつもりで立ち寄った図書館の1類書架に本書を認め手にしたのは、著者の名前に惹かれたところが大きい。といって彼の経歴を既知だった訳ではない。その姓名の文字面、響き、顕れた仕事、それらの合致というかハーモニーと称するか、そこが自分には重要、というだけのこと。熊野純彦 やまとしひびきなからんやそんな訳でこんな、漬物石並みに重い大部を借入、夜話に読み、電車内では小林秀雄版を読む。こちらは間も無く読み終えるが、下巻が未完のままに遺されている。リニアな電車では小林版モノラルが。眠りの前の読書には、熊野なる研究者版に夥しく登場する本居研究並びに本居に影響を与えた国学者や儒教仏教のとつくに思潮が、山彦の如く往還の多声唱和が小波大波のように寄せてくるよ〜難儀なことである。外篇が終わるに辺り、要約、引用、防備を記す。竹岡勝也が、倫に悖る「もののあはれ」の裂け目、すなわち「不倫の恋はやはり泥水」であるところの物語世界と世の常の道理との矛盾について宣長がどのように捉えたか、言及竹岡は「物のあはれの心」を「神々」につうずる「永遠の道」として発見した宣長を高く評価した。それは「道を焦点とする国学の完成を語るものであって、彼に至って国学は初めて儒仏と対立し得る内容を組織立てることが出来た」と。世の常の道理についてならば、それは儒仏が支配するところであるかもしれない。それでも「もののあはれ」を感じとる感受性は神々から与えられた「心の本然」にもとづくものであり、こころを「儒教的道徳の拘束」から解き放ち、神々への通路をあらたに切りひらくものであったのだ。続けて熊野は、竹岡が近松の浄瑠璃へと筆を運ぶ、長めの引用で、近松の本質本年が宣長と結びつき、源氏の恋を受け入れた藤壺へと戻りくる、なかなか読むものの心に響く一文を案内する。竹岡勝也は昭和初年に活躍した文化史家。宣長歌論の蓮田善明のみやび理解、契沖の尊ぶ「歌のはかなさ」と真淵の「ますらをぶり」「たわやめぶり」を対比し、宣長は「たわやめぶり」を雅の本質とみなすことへの言及を受けて熊野は『あしわけ小舟』の冒頭を引用する。そこから『石上私淑言』へと文は歌の道を伸びる。外篇十のお終いには戦死する詩人蒲田の、若い時の仕事である倭建命の望郷の歌の現代語訳が、元歌と共に付記されている。訳のみ記す。大和は夢に包まれて重なりつづく山脈(やまなみ)の青き垣なすその中に隠(こも)る大和のうるわしさ生きて帰らん供人は平群の山の白檮の葉を永久(とわ)に生きんしるしとて髪にかざして暮らせかし遠い戦地で妻と幼い子を気遣う愛情こもる手紙を届け、間も無く上官を殺害し自らピストルで自決した彼の境涯を述べる熊野の筆は詠うが如く。十一からは小林秀雄、丸山眞男、吉本隆明、村岡信嗣、大久保正、西郷信綱、書き留めきれないほどで、丸山眞男の徂徠学が見渡されるなど、敗戦後からの国学のパースペクティブ『日本政治思想史研究』も目を通せとかや。そんな遠回りはできないので、熊野氏の咀嚼を好機とみてそれを食べ散らかすのみ、である。小林秀雄とほぼ同じ頃、足立巻一『やちまた』これは読みたい。大学紛争の最中、梁山泊のような、ひたぶるに国学研究や源氏を読む濃密な教師と学生、研究者がいた話などには相良享、清水正之、百川敬仁、東より子、藤井貞和、藤原克己、山下久夫、子安宣邦らが続々と。神野志隆光『古事記の達成』『古事記の世界観』どちらかは読むべし。
2024.04.05
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2024/04/04/木曜日/駆け込み乗客、指さはみ目標は5月中だったのに、昨日夜半には編み終わり。我ながらすごい。編むだけなら一ヶ月。その間仕事も2泊の旅二回も含む。とにかく睡眠を削る、読書をけずる。ひたすら編む。結果寝ながら編んでやり直す(T_T)↓半分繋がり、着てみる。袖方向ジャストサイズなのに着丈が随分短い。どこまで成形できるか。実はメインのTvinni tweedが足りなくなると思い、発注をかけたのだが、残り糸を繋いで何とか凌いでしまった。あーもう頼んじゃった。あの糸は一カセ100gある!不要となったのに、高いのに(T_T)どないひょーまあ、引き揃え糸を変えると表情がまるで変わるので、いいことにしよう。しばらく塩漬けかな。編みあげてからが長い作業となる。ハニカムのカラフル糸を短く切ってはつなげる、を繰り返しているため、結びコブがある。表に見えるコブは一つ一つ裏側に引き込んで端糸を始末→脇を縫い閉じる→また端糸を始末→水に潜らせる→成型する→自然乾燥をまつ。という工程の最後に辿り着く。あとは那覇の久高民藝で買ったボタンを付けて完了このカーディガンは信じられないほどよく考案されたデザインであることが編んでみるとよく理解できる。構築的な発想は西欧のもの、かなぁ。編んだばかりなのに、既にこんな糸買っちゃったーヽ(´▽`)/懲りないアタクシめ3月教室のブリオッシュレースも未だ手付かず。
2024.04.04
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2024/04/02/火曜日/穏やか晴れ日、桜二分昨年冬に益子今年春には常滑と陶磁器、手仕事の旅の続く3/30 常滑は初めての訪問だ。焼き物散歩道という細い路地にはギャラリーやカフェが並ぶ。↓実はここに友人が作品を出していて、彼の作陶場を訪ねることが目的でもあった。↑モリーナ。ご主人が大変勉強熱心で彼の眼力の適った陶磁器が並んでいる。ここで発行している手作り新聞が勉強になります。無料!古い家並みが、土地の区分も曖昧なままに開発を逃れてぽっかりと残ったらしい。↓モリーナご主人のお母さまのギャラリーも週末開催。スペースとこなべここで、浜比嘉詩子さんの観音さま購入しました。↑童女のようなふっくらした可愛らしさ甕や下水管が地場産業として栄えた往時を偲ばせる廻船問屋のお屋敷もある。アニメ聖地というよりも新鮮な郷愁を呼び起こすのか、こういう場所には古いもの好きな若い人が案外多い。みんな大好きな路地、何故モダンな都市計画はそれを見落とす?お昼はカメラ好きの知る人ぞ知る、すぎカフェへ。タイカレー、デザートアイス、初飲みのブルンジコーヒーが付いて1300円!驚きのクォリティである。カレーもデザートもコーヒーも全て大変美味しい。オーナーの方は京大理学部卒らしい?こだわりがランチ意外にも随所に。彼自身の写真作品やカメラコレクション、著名な写真集など、カメラ女子も一日満喫できそう。とうとう、友人の急須を購入。すごいなあ!こんな美しい作品を造形できるようになって、おめでとう。
2024.04.02
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2024/03/31/日曜日/岡崎市は23度一昨日は大雨大風の中をついてバス、地下鉄、新幹線で初めての静岡駅下車↑へー、そうなんだ。静岡に着く頃には雨止む、車中窓外に山水画のような風景を眺めるさて、芹沢銈介美術館を目指す。南口22番乗り場のバスで10分ほど。歩くには距離があり過ぎる。降りたのは登呂遺跡、終点。この敷地内奥に、憧れのというか、昨冬から続く民藝旅の一角を占める、芹沢銈介さんの美術館と旧住宅がある。↑位置関係。はやはや。はあ⁉️なんと。まさかの。私においてはありがちの。展示替え休館であった!へなへな〜しかし、春休みに掛かるこの季節に、何と大胆なスケジュールであろうか。一縷の望みを賭けて敷地内旧宅に向かう。あ、あ、あ。こちらは芹沢銈介美術館開館時期の日曜日が基本見学可能、とのことである。涙そうそ。せめて旧宅の周りをぐるぐると、は回れず2方向から眺める。大変好ましい佇まいだ。妻側の表情は、濱田庄司の作陶納屋のよう。そのスケッチは芹沢銈介が描いたのではなかったか。奥行き二間にはみ出し2尺が南北に伸びている。間口は四尺五寸のリズムが大らかな三間にやはり二尺壁が東西に延長。一階と二階で真壁柱が通ってないのも、小洒落感ある。二階南側思いっきりな吐き出し雨戸は全開するとさぞや清々しいだろう。吉村順三の山荘もかくや。出窓の意匠、土台の継ぎ手。漆喰と障子の白、その素材の違いと杉?の茶色は庭の緑を最も美しくみせる。建坪十坪ばかりの豊かさ住む人の人柄のよく見える心映え私ならば庭にもう少し花実がほしい。かえすがえすもおなごり惜しく、めそめそと美術館外を眺める。次はしっかり調査の上、住宅も見学できるよう予定を練ります。いつの間にやら強い日差しの元富士山が見える。静岡駅の特産ショップにて、葛布のペンケースを求める。味わいよろしい。
2024.03.31
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2024/03/29/金曜日/大雨大風のち松翁ざる 千円私なりの馴染みのお店でいつもの十割蕎麦。体調のせいか濃いめツユが薄く感じる。この所、月イチでお茶の水駅→男坂下る、猿楽町へのコースのトレース続く。手打みち ★初訪問 町田市3/27/水曜日もり 800円おそらく二八もしくは七三?もしくはへぎそば系か。ツルツル度高い。量は160gは余裕である感じ。ここも江戸前に慣れた身にはツユが薄い。出汁はカツオが効いている。サイドメニュー豊富でうどんも出す、というのが蕎麦一筋とは趣が違う。町田にはそのために出かけたい蕎麦屋が不在かな。そば半 登呂店 ★初訪問 清水市3/29 金曜日鴨鉄ハーフセット、十割蕎麦もり1480円←LINE友だちプライス、通常1780円蕎麦の下にも氷。こんな意匠は初めてなり。かなり拘りの素材で手打ち、確かに年配の職人さんが玄関で打っていました。しかしなあ。なんでこんなにツルツルなんだろうか。太麺を選択したものの、蕎麦らしさが薄い。薄いといえばツユ。これが決定的に薄い。量も気持ち少ない140g静岡なんだし、ワサビがたっぷりほしい。ネギは白いのが好み。蕎麦湯の濃さがくどすぎ。普段食べてるふじやが妙に懐かしくありがたい。蕎麦は江戸がよろし。
2024.03.29
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2024/03/26/火曜日/止まぬ雨の日近頃稀に見る良い読書時間をもった。〈DATA〉出版社 作品社著者 ジョン・ウィリアムズ訳者 東江一紀編集協力 布施由紀子2014年9月30日 初版第1刷発行2015年10月30日初版第9刷発行〈私的読書メーター〉〈よい小説は遥か遠い所へと読む者の心を運び、これが体験でなく読書であったことに戸惑いをもたらす。そんな作品だ。最終章、静かに涙をこぼす。涙の源泉が何であるかも掴みきれない。ストーナーは幸せだったのか不幸せだったのか。そんな線引きは意味を成さず、ただ控えめでよき人の偽りのない人生があったのだと感得する。学問への感激、「死にゆく肉体に生が振り付ける舞踏のような」老いの横溢も全て受容する。ストーナーの両親が一人子の彼の全てを受け入れたように。その愛はストーナーが肉体を去る間際に更に大きな光に変容し彼を包容する。〉ウィリアム・ストーナーは、「大草原の小さな家」のように、夫婦だけで原野を開墾する農家の一人息子として生まれた。彼をめぐるごくわずかな人びとが、どの人も細大漏らさず描写されている。無学だが心から息子を愛する両親風変わりだがこれまた心から英文学を愛する指導教授スローン。彼が暗唱するシェイクスピアのソネット!これがこの物語終章に共鳴しているのだ。二人の学友の内、一人は志願した第一次世界大戦で命を落とす。若くして逝った友はストーナーにとって決して不在ではない。一目惚れの美しいイーディスとの結婚狂想曲。彼女の極端さは振り切れ方が戯画的だ。プロテスタント的な純潔鬱屈の犠牲者のヒステリーと、静かで繊細だった、引き裂かれるまでは彼の支えでもあった娘。家庭の中に居場所のないストーナー。同僚、厄介な学生、大学内の政治的駆け引きキャサリンとの出会いは淡々としたものだ。大学院指導ゼミ受講者だった彼女が目を通してもらえないかと差し出した学位論文。その出来栄えに蘇生するかのようなストーナー。英文学の理解、感受性、方向性を一にするような二人の官能の日々、完璧な恋愛はストーナーに初めてもたらされた精神と肉体の一致でもあった。これこそが彼にとっての聖なる結婚という化学反応だ。二人の逢瀬はやがて引き裂かれることを理解した上での最後のクリスマス、雪の山小屋。短かくも文学的な実りの多かった二人の結晶ともいうべき学位論文は何年か後、出版される。キャサリンの献辞、W・Sに を扉に符してこのイニシャルはかの英語圏の文学王、ウィリアム・シェイクスピアと同じではないか。そして時代背景。第一次世界大戦、禁酒法、世界大恐慌、第二次世界大戦。穏やかな時などないのだ。従軍を匂わせるストーナーに、激昂するスローンの、戦争の後の人間の荒廃に関する話は、心に留めおきたい。この教授は、武力によるものではない戦争についても言及する。それはストーナーの研究者としての未来を暗示してもいる。〈感想をありがとうございます。この小説は小津好み、というか当時米国で振るわずフランスでヒットした、という背景もうなづけました。ストーナーの、見を控えて観をよくする態度や極限の悲哀に雪の風景に同化するところ、禅観すら覚えました。真に結ばれたキャサリンとの間に文学の子どもを残しましたが、その献辞のイニシャルがシェイクスピアに一致している点、冒頭のソネットがこだまします。ものの哀れを翻訳の大和言葉が掬い上げるようで。 こんな小説に再び出会いたいです。〉
2024.03.26
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2024/03/24/日曜日/歩けばコートは暑い先週辺りからまばらだった電車内の吊り広告が増えてきた?世間は景気がいいの?小田急内もこのとおり↓私にとっては殆ど暗号に近い、イサガーさんのハニカムカーディガンを、編むより解くの繰り返しで日々が時間が過ぎていく。デンマークのイサガー店で指定どおり求めたはずが、糸が足りない!というか。どう考えてもこの先心細い。イサガーの糸は買えるお店が増えている、とはいえバスと電車を使い、それでも我が家から比較的近い、サイチカさんのお店に糸を買いに行く。豪徳寺から世田谷線乗って松陰神社前スグ。なのだが本日は暑くも寒くもないので、豪徳寺からそぞろ歩くこと20分。寄り道できるのが嬉しい。まほろ堂蒼月で、青豆大福と桜のお饅頭とお赤飯を買う。渋茶とお饅頭で休憩する編み物の一日、后の位もなにせぬに。である。↑途中藤の花⁈え、違うよね何でしょうたっぷりと豊かに咲いてます。道々ステキな住宅を眺めるのも嬉しい。サイチカさんのお店にはほしい糸二つの内、一つがあった。もう一つは無いので発注待ち。さてさて最大の寄り道は豪徳寺外人さん観光客が益々増えて、昔のひっそりした侘しげな様子が薄まっている!招き猫のご利益か千客万来、看板猫は恐れをなして姿が見えない。帰り道、お腹が空いておやつ代わりに蕎麦屋に寄る。うーん。お店の表情を見ると心の声がやめとけというのだけど、今からお店探す余裕もない。珍しくタヌキ蕎麦。蕎麦そのものは割と美味しくかえって驚く。汁の濃さは昔気質。
2024.03.24
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2024/03/23/土曜日/まだとても寒い朝電車を3つも乗り換えて辿り着いた会場生前の中村哲さんの講演に伺うことはできなかったがとうとう彼の事業のパートナーともいえる藤田千代子さんの講演を聴く機会を得た。前半は中村さんの活動の記録、授業などに用いるために1時間を45分に編集したもの。以前に観たことがある内容だけれどやはり新たまる。そして思いを強くする。登山隊の随行医師として参加したパキスタンの寒村で、置き去りにせざるを得なかったパキスタン人ハンセン患者たちへの断腸の念。その贖罪に突き動かされた生涯幾つも病院を作り、井戸を掘り、最終的には用水路を作る事業を起こした。そのために治水を学び、ショベルカー運転技術を身に付けた。小柄で朴訥とした人柄はたとえ大統領の前でも物乞いの前でも全く変わらなかった。そしてペシャワールの病院には大勢のアフガニスタン難民が逃れてやって来た。彼らの多くは農民だ。当時のアフガニスタンはソ連が10年戦争で荒らし、それが去って間も無く9.11報復で国土は荒み、更に旱魃が追い打ちを掛けた。戦争どころではないのだ。旱魃による飢えからの解放のために作物の大地を潤す用水路を作ろう、と中村氏は言い出す。誰もが馬鹿げていると反対した。素人の私たちにそんなことができるわけがない、藤田さんも当初は反対した。しかし諦めるような中村氏にあらず。用水路工事は挫折も経験したが、中村氏の生まれ育った福岡市の古い治水工事の叡智がその難場を救ったという。そしてその資金は日本の一般の、市井の人びとの寄付金なのだ。水は通じた。ありとあらゆる苦労と努力と半目も全て水に流して。10年で風景は一変した。緑の農園と木々に囲まれ、武器を捨てた男たちは畑を耕す、喜ぶ母親、笑う子ども、おそらく鳥も小動物も虫たちも沢山集まって来たことだろう。中村氏はいう。自然と人びとの努力、それらへのお礼に種をまく、と。高山から吹き付ける風に揺れながら麦は見事に実っていた。中村氏は無惨にも銃弾によって突然人生が閉じられたが、今、医療関連に従事しながら用水路工事の熟練工でもある地元アフガニスタン、パキスタンの人びと90余人が育った。彼らは小さな村々から要望を受け、用水路は着実に実現されている。アフガニスタンの乾いた大地を潤す源には中村氏の確固たる決意が決起しているのだ。いつかアフガニスタンやパキスタンの国境には緑なす草原、畑、森、花々が楽園のように広がるだろう。人びとは平和の鐘を鳴らすだろう。藤田さんの講演のあと、岩手の方による鎮魂のさんさ踊りがあり、それが舞台背景で微笑む中村氏と相まってとても良かった。アフガニスタンの空に舞と楽曲が届いたかのようで。この催しは申込開始後1時間で完売したそうだ。
2024.03.23
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2024/03/17/日曜日/少し汗ばむ温かさに花粉吹雪知合いの知合いのリレーで 能オペラ隅田川 の企画を知り昨日洗足学園シルバーマウンテンホールで鑑賞する。音楽、台本はフランス在住50年!の音楽家、吉田進氏。氏による創作オペラ誕生秘話のビデオ講演があった。これがとても面白く琴線に触れるものであった。そもそもオペラってどうやって生まれるのか、門外漢の私にも分かりやすく説明されていた。講演の語り口そのものが、無駄なものが一切なく、くっきりと骨格が立っている、そんな印象。事の起こりは懇意にしているフランスの打楽器奏者からオペラを作ってほしいと頼まれた所から。打楽器だけでオペラが作れるのか、矢張り心の通じる音楽演出家、プロデューサーに構想を相談したら、面白い、やろう、と発展したのだとか。ただし歌手は2名まで、がプロデューサーの意向。その後フランス政府の金銭的支援も得たというから、件のプロデューサー氏は有能だ。氏の構想は能楽にすんなり向かう。確かに能楽は鼓中小、太鼓に笛、のセットなのだ。何年か前に小太鼓と笛の、すごいセッションに立ち会う機会があった。二人の楽器の鬼気迫る掛け合いは、恋狂い、蛇と変身する安珍清姫と修行僧を守る読経の響きを舞台上に現出させたのだった!あれほどの気魄はそうそう見られることでは無い。ミニマムでいながら最大限の音と効果を引き出す芸の洗練は、能楽の創始者の天才と長い時間の賜物なのだろうと素人甚だしい自分でも感じられる。さて、オペラは全通しではなく、いきなりクライマックスシーンから始まる。どうしても能の隅田川を基に、渡守の登壇を眺めてしまう。と、何ともこれが軽い。中世の頃の日本の人様では無い。ああでもこれはオペラ、だ。しかも21世紀に創作された。洋服を着て靴を履いてパンを食べる人の所作なのだ。160年かけて日本人に何とか定着した様式、そして西洋の音楽形式なのだ。と思い直す。ところが一人子を探し求め、京の都から隅田川ほとりの木母寺まで流れ着いた狂女を演じ歌う蔵村蘭子さんは、まるで能面でも付けているような、身体の有り様まで和に戻った体なのだ。声のツヤが少し枯れていたのは偶々か、この役所故かは分からないけれど、ビブラートの繊細さに少し物足りなさがあったけれど、彼女の解釈と表現には拍手を送りたい。シルバーマウンテンホールのB1は、芸大の奏楽堂みたいにステージ正面左右に出入り口が作られていた。客席に相対して登場するので、この時オペラ歌手として出てくるのか渡守として出て来るのか、とても重要な分かれ道だ。それに比べると、長の移動を思わせるように客席後ろから登場する梅若母は、すっと役に入りやすいことだろう。隅田川謡曲、聴きたくなった。
2024.03.17
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2024/03/15/金曜日/春が近づく今月はブリオッシュ編みのしかも増目と減目のある複雑パターンのスカーフ。Knittyでフリーパターンが公開されている。Rodekool by Nancyさん。Rodekoolとはオランダ語で赤キャベツのことだとか。そもそもブリオッシュ編み。左のいわゆるイギリスゴム編み?みたいに編むのだって十分煩雑なリバーシブル。うわーがんばるしかない( T_T)\(^-^ )このところ、先生の翻訳本からの編み方ヒントやスワッチが続いていたので、いきなりハードルが高くなりましたー。↓教室にはこんな大作を編む強者や講師資格保持者ばかりで、ひたすら初心者質問の私め。byスティーブ、のミステリアス作品
2024.03.15
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2024/03/14/木曜日/花粉の量日増し新宿界隈でお昼というとだいたいここ、手打蕎麦ふじやの十割980円で決まり随分喉越しがいい。そういえば前回食べた時も思わずこれ十割?と支払いの時聞いたんだけど。それに、小麦混在みたいなダンプリング感ある。と思いながら半分ほど食べたところで。店員さんが大変申し訳ありません!十割蕎麦と二八を間違えてお出ししたので取り返させて頂きます!というではないか。思わず、やっぱりと答えて有難くお代わりの十割蕎麦をいただく。ありゃ、思いがけず二色もり?十割蕎麦には独特の歯応えがある。またお店によって水分量が異なるので、ぬるりと滑るか、少ーし硬くぱさり感があるか。こちらは後者に属するお店。生粉内で、一応手打ちみたい。蕎麦もそんなに長くは打てず。いろんな蕎麦やに行き、よくお蕎麦を食べるけどこんなことは初めて。正直に取替えくださりありがとう、どうもご馳走さまでした!
2024.03.14
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2024/03/12/火曜日/一日中雨降りこのニット本は私のバイブルに近い。この本に出会い、ニットに縁付きました。本の中から、スカイツリー↑〈このショール〉とドミノスカートを編んだ。そしてこれ、↓ハニーカーディガンを編むつもりでイサガーの糸を購入しながら、もう5年以上塩漬け何やら後から後から別物の編み物がやって来て、随分待たせてしまいました(´;ω;`)イサガーの糸の塊から、どうやらこれとこれを使う予定だった、らしきものを集める。左、ベースの引き揃えはツイードとアルパカ1右、ハニカム部はスピニ。ベースの紫に多色で2本明日から毎日続いて忙しくなるので、思いたってスワッチだけでも編むことにした。針は3ミリ。目標は5月中の完成。がんばろー控えめな色合いなので、画像のような楽しい感じにはならないかなぁ。
2024.03.12
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2024/03/11/月曜日/13年前を思ううーんここまで時間が掛かってしまった。ミスが多過ぎて。昨年、盛岡や弘前を訪ねたときにこぎんを探して手に入れた絵葉書↓黒に近い藍の色と木綿の白何と根気強い仕事だろう。私にとっての今シーズンの大物二つ目、2月いっぱいで仕上がる予定が3月上旬に完成して、今平干しこれは合格点は貰えない出来なので、時間が取れたら再度編んでみよう。その際はもう少し大きく、レイアウトなんぞも変えてプレゼントにしたいなあ。
2024.03.11
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2024/03/10/日曜日/春日和北鎌倉の茶飯事で海老しんじょうや茄子田楽のランチを頂く。この辺り道の横断が難しい混み入り。散策路があれば良いのに。さて、鶴岡八幡宮まで来たら何か祭祀を取り行っていた模様。それは婚礼の儀でした。白無垢の花嫁御寮さん、いついつまでもお幸せに脇道から境内を出てそのまま川喜田映画記念館へジェラール・フィリップ特集で映像公開も。入館200円、鑑賞500円という格安、近在ならば足繁く通ってしまいそう。岩波ホール支配人だった高野悦子さん、フィリップさま!と呼びならわしてらした当時の様子。敷地内には年に数回公開される哲学者、和辻哲郎の旧宅が移築されている。欧米の絢爛たる映画人もここを訪れたのだから、哲学者もびっくりだ。ここから細い小川に沿って南下すると間も無く、話題のくるみっこ鎌倉紅谷の新店舗がある。おや、店頭には人が並んでいない!チャンスと店内に入れば当日のくるみっこは完売。まだ一時過ぎなのに…聞くと開店前から既に並んでいるのだとか!別菓子とチョコを買う。そのまま鎌倉江ノ電駅へ。もうもう小町通りからこっち、すーごい人、人。若い人が多く、その様子は浅草みたい。若い人は古いもの、日本らしいものがお好きなのかしらん。やっぱり鎌倉来たら高徳院の大仏さまにご挨拶をせずには帰れない。昔は由比ヶ浜にあった会社の保養所に、家族で毎夏訪れた。海はそんなに綺麗ではなかったけれど人も少なく、何より保養所の庭隅の扉を開けるともう砂の小道で直ぐ海という塩梅。その頃の大仏さまは観光客なんぞまばらで自由に中に入り遊んでいたように思う。今は昔。昔ならざるのは美男のかんばせ与謝野晶子歌碑を眺め、口にする かまくらやみほとけなれど釈迦牟尼は美男におわす夏木立かな実は阿弥陀如来であって釈迦牟尼ではないのだとか。それで後年歌を改めたというが。これはこれですっかり定着した。最後の訪問地は長谷寺何も紫陽花の時でなくても季節ごとに花々が眺められる、洞窟に弁天さまをお祀りするだけあって、女性好みのお寺初瀬に初声、地名の美しさ大和の長谷寺、鎌倉の長谷寺。一本の楠から二つの観音さまが現れ、西と東に安住された、物語のような縁起私はここに入った記憶がない。海に近い所ならではの、地形の洞窟でもあるだろうか。沢山の神さま眷属や七福神の中で一際優美な弁天さま四時にはカフェも閉じてしまう。駅手前でソフトクリームの念願果たし帰途につく。
2024.03.10
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2024/03/08/金曜日/雪残る朝2月末の連休は中の土曜日が晴れて、娘夫婦と鎌倉に出かけた。温かい日で散歩にはもって来いなものだから、当然観光客でいっぱい。中国韓国の人が多い。彼らの地声が大きいので倍くらいいるように感じられるけれど、実際は関東近来の人が多いのだろう。大好きな駅、北鎌倉で降りて鎌倉駅まで歩き、江ノ電のって長谷寺で降りるコース。円覚寺境内だけでもゆっくり眺めれば半日過ぎてしまうかも。昔は一度はこの辺りに住みたいと考えたものだった。凄いなあ、こんな文字が書けたら生まれてきてよかった!と実感しそうた。金澤翔子さん。悉皆仏性か悉有仏性か。仏心この清潔な空間よ。緑色の細い枝が斜めに伸びる。方丈のピャクシン。これはエントである。観音さま盛りを過ぎても花を残す枝も。風が渡って、眺める間に花びらを吹きこぼす。おおお、これは面妖な。龍神さまがお一人能登に向かわれ、被災した人びとを救わんとされておるのか。いずれにしても当地にお寺が建立されて幾星霜、こんなことはあったことがない。元寇の時も足利幕府に席捲された時も黒船の時も明治クーデターの時、即ち廃仏毀釈の時にも。何か大きなことが起きようとしているのか。竹林は春夏秋冬、好天雨雪どれも好い。敷地内には小さな墓地が付随していて、そこに小津安二郎の、家の墓がある。鶏頭の花は無いがお酒は沢山。信州で買ってきたのだろうか、ダイヤ菊もお供えしてある。ゆるゆる円覚寺を出て縁切寺、東慶寺へ階段を登る。ここは寺領内の撮影はできない。庭園に力を入れている様子。小林秀雄はじめ鎌倉文学に携わった多くの文人の墓があるらしいが、若い人たちに突き合わせるのも申し訳なく遠慮した。とても良い感じの聖観音さまがおられる。帰り、縁道の梅の花にメジロが2羽、人を恐れることもなく目の前でしばらく無心に花の蜜を啄んでいた。なーんて可愛らしいのだろう。
2024.03.08
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2024/03/06/水曜日/山極では雪らしいあーあーあ、やんなっちゃった。んがんが、やんなっちゃった〜冊子だけ眺めて編むことの、私の力不足に(;ω;)そもそもデザイナーの意図が上手く掴めていないくせして、当たって砕けるというのがいつもの行動するパターン。ボトムアップで模様を編みながら、脇元の額縁のようなラインは何事ぞ?との疑問はあった。しかしぐるぐる輪に編むので、まさか前身ごろと背中の模様バージョンが異なるとは見逃していた。それに気がついたのは、片袖ずつデザインが異なることを発見?した後のこと。ま仕方ないやー、アレンジと思うことにします。時間のないところを頑張ったもんねーよしよし。それにしても輪に編んだ後の減目のパーツ。裏表しながらの模様編みは遅々として進まないなあサイチカさんは合理的な編み方を好む方なのになぁなんてぼやいていたら。何度も眺めたこの概略図。よくよく眺めればヨーク部分は再び輪編みだった!時すでに遅し敗残の兵なるや吾。国破れて山河あり。編図破れてパーツ転がる。輪の終了と増し目、あのポジションで熟考しながら概略図をしっかり文字面追っていれば。あーあの時、もしも!後悔先に立たず、小さなことから大きなことまで。望郷の念に襲われ、どこまで続くぬかるみぞ原点復帰はもはや諦め、ぬかるむ表裏の模様を一目一目行進する。ニット二百三高地か支那事変かインパールの如し。老兵は死なず、ただ編むのみ。これからは科学の合理性だ。編み物も、だ。
2024.03.06
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2024/03/05/火曜日/日差しのない日〈DATA〉出版社 新潮社著者 平山周吉2023年3月30日 発行〈私的読書メーター〉〈映画は何度目かのリバイバルブームで代表作を幾つか観たが、まとまった小津安二郎本は初めて。一番心惹かれたのが本居宣長との繋がりで、この章が後半にもっと深められることを期待したがそれは得られなかった。著者のいう近代日本人の最高の姿が小津監督にあるなら本居宣長との霊脈である松坂時代が重要ではないかと素人考えを抱く。「敗北を抱きしめて」の如くの一見平凡な、それでいて絶対的小津芸術の凄みに死者の眼差しがある事には深く突かれた。日本領シンガポールで米映画を2年以上観られた境遇を天与された20世紀人の心棒貫く人生だ。〉おやまあ、こんなことしちゃった。『小津安二郎』読書最中に、ひょいと娘と婿殿と鎌倉散歩に行くことになって。あー、あるね。ダイヤ菊。蓼科の山荘にもちゃんといつ帰ってもいいように置いてあったねえ、娘は覚えていた。何年か前に一緒にそこを訪ねた。そうか、著者はこの墓碑銘の無の字に違和感があるのだねえ。小津の生涯をくくる文字に、小津自身がこれを選んだのでない経緯も記されている。小津の映画の魅力の背後には矢張り人として魅力的な小津さんがいるんだろう。表現するものは全てその人そのものの写しなのだから。この墓には小津安二郎のお母さまも一緒に眠る。小津は母思いで知られ、最後まで共に暮らした。ばばぁ、ばあさん呼ばわりしていたのは照れ隠し以外の何物でもない。先の敗戦では小津も年長ながら応召され、支那事変の辛酸を舐め、弟とも思う山中貞雄をその間に戦病死で亡くした。当時若い兵士たちは天皇陛下万歳を唱え死ぬことを教えられたそうだが、殆どはお母さん、おっかさん、母ちゃん、おっかあと叫んで散ったのだ。この本を読んでいると沢山の山中貞雄たちの母恋の声が、小津の母思いにまで連なっているように感じられる。小津の軍隊階級は下士官だったけれど、そのような部下たちへの鎮魂として、安心せよ我が母なれど貴様らの母とも思い死ぬまで孝行を尽くす、と決めていたかのようにさえ感じられる。そうして独身を通した。焦土日本には社会的寡婦と戦争未亡人百万人そんな小津の情をアングルやカット、カメラアイや役者の表情、会話に先験的に感知する者は我が意を芸術にまで高めた小津に平伏するしかない。何だか能の世界である。戯作者小津は浮かばれぬ魂に慰めを与える僧侶のようでもあり。でもそれだけではない。何というか、そんな理屈を排してほのぼのとした朗らかな一つの、純な日本人の好さ、そんな味わいを笠智衆や東山千栄子に凝縮させた才覚、それが好ましい。意外な印象を持ったが、小津は志賀直哉を大変尊敬した。これもまた私自身が志賀直哉に対する貧相な経験しか持ち合わせない所以か。小津が書き留めた志賀直哉の言葉に独立した芸術には向こうからこちらへ来るものがある。趣味の世界のものはこちらから愛撫するスキがある。それはまた非常に強い魅力だ。だからどうかすると騙される。しかしどんな魅力があっても独立した芸術と一緒には考えられない。がある。これは柳宗悦とも関わった志賀直哉の、というより民藝運動を経た美意識ではないだろうか、とも思う。小津は志賀を大先生、里見弴を小先生と尊敬し、彼らは旅を共にする事や座談もした。そんな繋がりゆえか、小津は映画界で初めて芸術院に選出された。ところで、この読書から、小林秀雄『本居宣長』を読みたくなった。里見弴に至っては一冊も読んでいない。読書は次の読書を呼ぶ。宣長の言語論、和歌論、文学論。姿ハ似セガタク、意ハ似セ易シを感じさせる小津の演出作法を著者は解く。同じく小林秀雄『私の人生観』に触れられている宮本武蔵の「観の目強く、見の目弱く見るべし」を引いて小津の演出にその影響を見る、という達観だ。観についての小林の引用続く。「目の玉を動かさず、うらやかに見る」目があること、即ち「意は目につき、心は付かざるもの也」常の目は見ようとする意が目を曇らさせる。だから見の目を弱くして観の目を強くするよう剣豪は教えた、と。うらやか、とは晴れ晴れとのどかな様東京物語の夫婦の会話シーンはまさにうらやかな観の目、であったのだ。 なるほど小津のワンシーンワンカットは西行の桜の空観にまで貫道するものであったのかは!円覚寺の小津の墓碑銘は「観」が相応しかったと著者は考えたろうか。登場者が多すぎる。どなたも魅力的た。氏の文章スタイルも良い。藤田嗣治のことを書いた本も機会があれば読みたいと思う。しかし先ずは本居宣長→小林秀雄これはこれで遥かな道のりだ。
2024.03.05
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2024/03/04/月曜日/暖かし、コロナ自宅控え2月はほぼ週一いつもの、手打蕎麦ふじや十割蕎麦を食べた。最近ほぼ月一の松翁でもやはり十割蕎麦を食べた。共に生粉打ちだけど蕎麦の水気がだいぶ違う。松翁のは水気多くぬるり。ふじやは硬いので噛み締めて食べる。蕎麦外皮を何割みたいな案分がそれぞれなんだろう。ツユは松翁が昔ながらでふじやは蕎麦湯で割る前から出汁が香る、かな。量は松翁が多い、と思う。千円。ふじやは980円。そんな中、定石破り、久しぶりに2/28初訪問の試み。大村庵へ通りすがりにお邪魔した。北新宿、大久保駅程近い、昔ながらの町の蕎麦屋さん。蕎麦にあれこれ3品ついて、ご飯もバンドルで830円!安い!丼に蕎麦、うどんのセットランチでも900円前後?給餌も厨房も働きもの!な印象のご婦人二人で切り盛りの小さなお店。当たりがよくて地元愛され。製麺所の蕎麦を用いてたけど、しゃっきり冷やしてくれていました。麺つゆは何だか市販か業務用か、という印象で、出汁のこだわりなんざ無用。まあそれはそれで。しかし!並んだ3品がどれも美味しい!それにこの値段。何とか食べ尽くした。空腹の時には、また是非お願いします(^^)↓松翁で頂いた。今年も蕎麦〜
2024.03.04
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2024/03/03/日曜日/暖かく少し風のある〈DATA〉出版社 光文社著者 吉村喜彦2006年7月20日 初版発行第1刷発行〈私的読書メーター〉〈サントリー広報部のご出身らしく飲酒表現が定型過ぎるキライあれど。全7章からなる本書の6と7章、泡盛と与那国の段がよく楽しめた。沖縄で失われた黒麹菌は戦前に東大で保管されていたことが近年に判明、かつての泡盛復活に首里の瑞泉酒造が取り組んだ。泡盛が好きでたまらない仙人のようなおじいが紹介されているがその夫婦の持ち味、発酵感が絶妙だ。こんな想いが重なり今の泡盛興隆があるのだろう。情熱が若い人にバトンタッチされ過去から未来へ古酒のカスタマイズリレーが世紀を超えていく。鍾乳洞で丸くなるのを待つ酒は平和の風味ならん。〉今回の沖縄旅行の前に読む。賑やかな観光冊子を追うのもとみに面倒くさくて。意外と訪問地の今帰仁や本部、羽地、大宜味村辺りの情報もあり。
2024.03.03
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2024/03/02/土曜日/鶯の初音を聴く薄曇り2/20 ツレは旨い朝ごはんを食べに行くという。私は大体朝はお茶程度だし、首里城再建の様子を見に行くことにした。方向違いのバス停で待って何台もバスを見送る。ようやく正しいバスに乗る。スイカは使えない。それでもバスからの風景が捨てがたい。↓朝の国際通りはこんなに静か。バスで移動すると、改めてお城は山上にあるのだ、という地形を実感する。尤も首里の前に中山城は浦添にあったそうだ。そうか。浦添にもゆっくり滞在してみたいもんだ。↓バス停降りてそぞろ行けば、あちこちに謂れのありそうな建物が。この側には尚氏のご先祖代々のお墓、ウドゥンあり礼を守る国、そうありたいものを。これは今の、今までの日本政府に投げかけられている言葉に他ならないだろう。この辺りまでは無事だったのだろうか。神を奉る、と門に掲げたお城を他に知らない。自分が神になろうとした俗人は歴史に暇無し。入場券、これが安い。復興の寄付金も含めるということでもう少し高くても良いのではないか。子どもや学生は無料にして。↓ここからが消失した首里城再建の建屋を右に見ながら進む。建屋内は二層に分かれていて、初めより見学できる仕組み。オープンキッチンなレストラン?焼け落ちたものや素材の展示もある。構造にどんな木材を用いるのか、実際同じ大きさの木材を持ち上げ実感できる。南洋材は軽いイメージがあったが、認識が新たになった。上左二つは私でも持ち上がる。ヒノキは特に軽い。素直で加工がしやすい故の人気材なのだ。上右の沖縄ウラジロガシ、これは重くて私では持ち上がらない。土台や船の材にもなるだろうか。恐らく腐食の耐用年数も長い。プロジェクトに関わっている方のビデオ。首里城へのひとかたない思いが伝わる。伝統建築に関心を持つ若い人が増えますように。帰りはゆいレール駅へ向かう、お城下には昔ながらの風景が残る一角がある。弁財天が祀られているようだけど、その昔は納経堂だったと記憶する。さて、チェックアウト11時近くまでゆるゆる部屋にいて、そぞろ那覇空港へ。ここで最後の沖縄そば今帰仁のスイカ、宮古島のマンゴーを夢見て再度沖縄へ、次はいつ?
2024.03.02
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2024/03/01/金曜日/昼前から晴れ那覇から休まずに、高速も運転で2時間半は軽く超える距離なので、次に来られるかは分からない。何しろ1年に一度来るのがせいぜいなのだから。いつだって一期一会である。風景や感動した記憶は心に留めおきたい、といつも願いながらあっさりと表面からは消え去る。心の深いところには地層のように重なっていると信じたい。眩しい日差しの中を展示会場へ向かう。今は使われていない保育園だった建物へ撮影者はこの方、金サジさん。はたむん、良い響きだ。やちむんは焼き物はたむんは機織りのもの、というような意撮影してよい、とのことで、お顔は外して、はたむんのみ撮らせて頂いた。それでもこの方だけはどうしてもお顔もそのままに写させていただく。ありがとうございます。はたむんとからだはいまその言葉に実に見事に応える、黒一点だ。こんなに説得力のあるからだ、それを包む年月を経た芭蕉布。確かに人間がいる。園庭に置かれたオブジェ↓特別参加のアブ?ミツバチ?喜如嘉を後に、沖縄の東を少し走り途上の食堂で沖縄そばを食べる。テビチーとソーキのミックス普段はこんなにお肉は食べられないけれど、沖縄そばは別。お肉があっさりしている。そこから名護のやんばる市場に寄る。ご当地ならではの食材を眺めるだけで楽しい。↓食べられる花!なんかが市民の胃袋を満たす市場で普通に売られていた。食いしん坊の私としては、どうしても食べたいうるま市のチュラーナというジェラート店へ丁度休憩にも良いタイミングなのだけど、お店にお手洗いはありません、念のため。↓このボードを見ると納得、沖縄本島北部は元々昭和30何台までは水田が豊かに広がる場所だった。それが花卉栽培に転じたのだろうか。今帰仁では2月下旬、そろそろスイカが売られ始めていた。本部のシークワーサーもアセロラも有名。私はマンゴー、ツレはドラゴンフルーツ。加糖をできるだけ抑えた、グルー?で粘度や照りはもちろん添加されていない印象。限りなく果物に近い、しかも沖縄産。ここだけの店舗なので、ここでしか食べられない。販売用のトラックはある模様。さてさて市場で買った沖縄のイチゴはホテルで夕食後に瞬く間に平らげた。沖縄のイチゴは甘い!パパイヤ、モンキーバナナ、赤と黄色のパッションフルーツをお土産に。果物食べてればしあわせ夕飯はホテルからほど近いなかむら家で。待っていた間は随分並んでいた魚も瞬く間に消費並んで待った。月曜日と甘く見ないで予約が必要な人気店。当日仕入れた魚と人数や調理法のおすすめをしてくれる。
2024.03.01
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2024/02/28/水曜日/日差しに力あり昨夜はちゃんやーで豚しゃぶを頂いた。しらぱまの宿の冷蔵庫で冷えていたオリオンビールを持ち込み、また道の駅で買った泡盛も持参。お店には沢山のワインが用意されているにも関わらず、このノリは嬉しいなあ。黒豚の掛け合わせで、まろりとした甘さがある。けれど脂肪分は通常の豚肉の3割程度とか。締めに出される雑炊とアーサーのお汁!内臓璧の繊維?が喜ぶような、DNAに振動が加えられるような?私にはとてつもなく美味しく思われた遅いお昼で空腹ではないのに全部頂けたのは、色々な付け合わせが少量の配慮もあったかな?一品どっさり、ではない沖縄料理。↓ちゃんやーダイナーの壁の絵は、オーナー喜屋武家のお父さんかお母さんのご実家の昔の頃と思われる。19日月曜日朝。今夕はもう那覇のホテル。3泊の沖縄はあっという間に過ぎ去る。短い滞在はあれもこれもと欲張らず、基本は一日一つ、と決めている。朝も近在を散歩のあと、沖縄らしい食材で健康な食事をちゃんやーで。味付けは薄めであっさり。 女将さんがおっとりとして素敵な方だった。この新しいちゃんやーは二代目なのだとか。さて本日は山原ヤンバルの、大宜味村、喜如嘉キジョカにある芭蕉布会館へ。その後は、一般道をのらりくらりと那覇のホテルへ向かう予定。随分前に芭蕉布を復活させた平良敏子さんのドキュメントを見たことがある。私はこういう女性に、ひどく弱い。生涯迷うことなく一つの信じた道を生き尽くす。平良敏子さんはそのように生きて、この世を去った。101歳の境涯は児童文学と共に生きた石井桃子も思い出さずにいられない。彼女もまた101歳。平良さんはここで芭蕉を育て収穫し、繊維をほぐして糸を紡ぎ、図案を考えて染色し、この会館の2階で布を織った。本日はたまたま芭蕉の畑の手入れとかで、2階の作業見学は叶わなかった。会館に設置の芭蕉布の案内ビデオは是非見たい。6分ほどと随分短い。↓敏子さんの織地に直筆喜如嘉の芭蕉布は涼しい。柄を考えて後世に残そう↓敏子さんの作品どうしてこんなに薄い、丈夫な、軽い、美しい、トンボの羽のような布地が生まれるのか。その難儀な過程が理解できる。私にはとても手の届かない反物だし、また私如きが着て良いとも思われない。そういえばプラスチックのしか持ってなかった、と思いついて、せめてハギレで作られた印鑑ケースとそれに付けられる浄めのお守りを買った。帰り際に、スタッフの方から芭蕉布に関心があるなら、それをテーマにした写真展が近所で開催されていますよ、と教えていただき足を伸ばす。時間ならたっぷりあるのだ。
2024.02.28
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2024/02/27/火曜日/穏やかな陽だまりの18日の夕方5時をいくらか回った頃から、お部屋でごろごろからむくりと外へ↓この歌碑のある辺りまでフクギ並木の道を通り、浜に出る。こんな防風林が沖縄の海辺の集落にはかつて沢山あったが、所々細い各所が車の通行を妨げるなど嫌がられてすっかり姿を消した。そんな中にあって、昔の姿を残す備瀬のフクギ並木は3.11の悲劇の半年後に、その景勝が頌栄される事になった。守り通した人の尽力があったのだ。住んでいる方は樹木のせいで大量の蚊の発生に悩まされているそうだ。短期滞在者は申し訳ないがこの風景を満喫する。そてさて。少しずつ日は落ちて、夕日を眺めるおじいたちがポツンポツンと。夕陽が沈みゆく様をゆっくり愛でる、そんな行為は日々の暮らしから失われて久しいが、ここでは誰かれ、見るもの見られるものの厚情が交わされる。それが有り難いのだ。2月の沖縄は好天に恵まれないことが多い中で、それはそれは美しい太陽と空と海の、刻々変化する様子に溶け込んでいく体験を得られたことも感謝。ところで、夕陽の散策中に出会った海亀のおっちゃんに色んな事を教えて頂いた。夕陽の位置が水納島と伊江島の間を一年でどんな風に変化するか。伊江島には戦前帝国軍の、東洋第一の滑走路があり、沖縄でいち早く徹底的に攻撃されたという。今はそれを米軍が使用している。黒潮の流れと3.11の漂流物、北風と南風↓備瀬の浜に打ち捨てられていたペットボトル心無い観光客がポイ捨て?と思いなんだか申し訳ない気持ちでいたら、バーコードの仕組みから国番号を教えられたのだった。一番始めの二桁、71は中国。因みに日本は49。確か生産地では無く、どこの国の企業によるプロダクトであるか、という規定もたると聞いた。この方は、20年ほど当地で海亀の子どもの成長を見守っているそうだ。↓おっちゃんは絵も描く。満月の満ち潮、小亀が海に帰る様、目に浮かぶよう。機会があればその場に居合わせたいもの。
2024.02.27
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2024/02/26/月曜日/寒いけれど晴れましたもはや先々週、18 遅いお昼ご飯を本部町で。というとやっぱりここは外せない、そんな風に考えるのは私たちだけではない、のだった。Googleで混み具合を確認したら通常よりは空いてる。ところが移動の内に瞬く間に並んだ模様。駐車場スペースはこの混雑でも潤沢だから、やっぱり30分越え待ち店なんだろう。そばは大小選べる。大を頼みジューシーは分け合う通常の沖縄そばより麺がコシが強く独特の風味がある。意外に量が多く、2時近いお昼でもあり夕飯にしわ寄せが。ジューシーはあっさりした味付けしかし、新垣さんところの氷ぜんざいは諦められず、しっかり食後に頂く。これまた、意外に小豆の量が多い。何事も控えめに、と思いながらもツイ完食残す、なんて選択肢はないのだ。あとはまっすぐ、しらぱまの宿に戻り備瀬崎の海に沈む夕陽をまったり待つ。
2024.02.26
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2024/02/25/日曜日/寒い朝、晴れず乙樽おとぅだる、の物語今帰仁城の東に流れる志慶真川のふもとにあり、今は川の名にのみ残る村に、光輝くような絶世の美女がいた。城の大主はその美女乙樽を側室に迎え寵愛した。大主には正室にも乙樽の間にも後継の子が無かったが、臨終の前に正室懐妊を知りみまかった。乙樽は、正室の安産と世継ぎの男児誕生を御嶽、クビ山に向かい一心に祈った。願い叶い無事男児が授かり、その後間も無く本部グスクの大主が今帰仁に攻め上がってきた。正室は産後の肥立が優れず、王子千代丸を乙樽に託し逃れるよう促す。乙樽はわずかの随身と山原の森に分け入り逃げおおせた。匿い育てた千代丸が8歳に成長すると、乙樽は貴人流離の事実を明かす。千代丸は長じて今帰仁に凱旋する。或いは北山を滅ぼした中山王、第一尚氏王統の64年後に第二次尚氏王統クーデターが起きるが、この時に王にまつられたのは、金丸という尚氏とは血外の者。これが千代丸の孫だ、という説もある。因みに金丸は伊是名島の出身と教科書にはある。伊是名島と伊平屋島は今帰仁城からは重なり見える。伊平屋島の洞窟には天戸開きの伝説が残り、神武天皇はこの島で生まれた言い伝えもある。沖縄でもっとも神秘的な島かもしれない。そして、今現在も血縁の人びとはその島じまを遥拝するために今帰仁のうがんしょにやって来る。私もそんな方がたとすれ違ったのだった。その発起、時期はただ、「呼ばれたから」というものだという。さて、金丸の孫にあたる尚真の時代、琉球というクニが整い繁栄した。この尚真、早くに父王を亡くし12歳で立つが暫く母后が政を担ったという。ある日、海難から救出され、やがて故国に帰った朝鮮人一行は、お后の行列に遭遇した。后の籠の後から馬に乗った立派な様子の少年の顔が大変美しかった、との記録が半島に今も残されているが、これが若き日の尚真だという。千代丸+金丸=千代金丸、元今帰仁王の所有であったあの国宝の剣と重なるではないか。琉球統一の王、尚真に今帰仁王の血が流れていると想像するのは、また乙樽の美が映し出されたと思うのはいかにも面白いではないか。これらは沖縄の組踊やおもろ草子にも歌われ、知れば知るほど、沖縄への愛着はかぎりなく湧く。
2024.02.25
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2024/02/23/金曜日/寒いミゾレ雨つづく〈DATA〉出版社 平凡社著者 森まゆみ2013年6月27日 初版第一刷発行カバー、扉『青鞜』1911年創刊号表紙長沼智恵デザインより〈私的読書メーター〉〈恋愛史百年冊子や朝日新聞創刊百年資料などで若いツバメなんてのも十代の頃から目にはしていた。瀬戸内晴美著作で、二十歳ほどのらいてうが禅の公安を貰い、数年掛けて解決を得、見性を許された女性であったことを知り、関心湧く。生きることへの真摯な問いを何故待ち得たのか、明治末に人格形成した少女が、何よりも人間であることを尊ぶ思想がどこから来たのか。この著作でも少し触れられているが、そもそもの主題が同人誌青鞜の歴史、そこに著者のタウン誌の興亡を重ねながらの感想が多く求めたものとは異曲だが。あとがきは、なるほど興味深い。〉先年、この方の「『五足の靴』をゆく 明治の修学旅行」を読んだ時の記憶が蘇った。そもそも『五足の靴』はなんと!与謝野鉄幹、北原白秋、木下杢太郎、実はこの斜め段は削除し、別途2時間余り掛けて仕上げた感想が消えていた、ということに昨日気づいた。かなり萎えます。あの時間読書したらどうか、とか。しかし考えを巡らせ文章を少しだけ推敲した体験そのものは消えた訳ではないのだ。と、気を取り直す。著者は、青鞜も自分たちの地域刊行物も後書きが精細を放っていた、と述べているが実は本書もそのとおりに後書きが、本篇以上に興味深い。例えば平塚らいてうお金を稼ぐことのない若いツバメアーティスト奥村の脚を揉んでやり、おやすみなさいませと床で挨拶した後に彼女は糊口を凌ぐための文章書きに精を出したのだ。当時としては自由で、母の大きな愛情に包まれ成人したらいてうも、矢張り武家の血を引く明治の女なのである。老いてなお矍鑠、凛として 奥村は私の何倍も眠ったと述懐したのは彼女の伝記を書いた馴染みの作家のみが知り得た事、そんな種々が記されている。最近、伊藤野枝のが映画化されている。原作者はらいてうより野枝を贔屓にしているとどこかで公言していたが、私はらいてうの良さをしみじみ思うのだ。奥村愛玩の石を二人の孫である彫金デザイナーが指輪に仕立て、それを今、森まゆみが所有する。そんな物語を紡いだらいてうを。
2024.02.23
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2024/02/21/水曜日/雨、寒く。雨水2/18 ちゃんやー(喜屋武家)で朝ごはん8:00しらぱまのおうちで少しのんびりして本日のメイン、今帰仁城址へ向かう。宿からは車で18分くらいかな。今帰仁城址は北山(ほくざん)部の精神的中心なのだ。ありゃ。途中、こんなお店に引っかかる。引っかかるお客さん多数。何ならここでお弁当も買える。私たちは今帰仁訪問を記念して、今帰仁の古酒5年千年の響を購入高価な古酒は2万円を超えていた。ここには与那国島の花酒43度も何本か在庫あり。↓バンコクに続いてまたもやこの方!どこにもいるなぁ。気を取り直しいざ世界遺産今帰仁城址へ。オープン時間間も無く入場、駐車場も未だ空いていた。無償ボランティアの方も直ぐにお願いできた。桜まつりは一月中には終わりなのだけれど、今年は寒さが不足のため?桜はまばらに咲いて、今ぞ満開、といった風情の樹も。30分程度の案内を大きく上回り案内くださったのは大阪出身のAさん。40名はいるらしいボランティアさんの半分が沖縄の方、残りは内地の方で構成されているらしい。老後を沖縄で、と考える方が大勢いる模様。Aさんの沖縄の歴史への造形と愛がとても深い。そんな方のお話を聞けるのは本当に嬉しい。琉球三山の歴史、殊に今帰仁城を中心とする話は一晩泡盛呑みながらできる長さだとか。ご縁があればぜひ次回お願いしたいものだ。自然の要塞という地理的条件もさることながら、今帰仁城の最初の拝所からは、沖縄でも重要な聖地であるクバ山の神奈備た姿見を正面に拝見できるからだろうか。風景が雄大で素晴らしい。面積は首里城と並ぶほどもあるという。ただ資料が無いため建物の復現ができない。城のための城壁ではなく、王や王の一族が住う場所を設けた建物や庭を囲み、外敵を防ぐ石垣として機能したらしい。何区画かある中にはは沢山の馬の骨が出土した場所もあったという。戦に備えて馬を育てたり明への朝貢馬にもなったらしい。↓沖縄行きの直前に読み始めたのはこれ。沖縄の高校生のために書かれた歴史資料。沖縄の歴史が理解しやすく編集されている。この度のガイドさん説明の良い復習になった。今帰仁城の北山王は交易で財を築き、栄華を誇ったが、やがて琉球を統一した中山の尚氏に滅ぼされ、中山の役人に管理統治されたのは二百年あまり。今帰仁城最後の王が所有していた霊剣、千代金丸。城の中でもノロ、女性しか入れない最大の霊所である御嶽の大石にこの剣で切付け、返す刀で自害を試みたが果たせず、側を流れる川に投げ入れた。結局、王は小刀で果て、ここに北山の歴史が閉じる。この剣はその後村びとが川から拾い上げて、琉球王尚氏に奉じられた、という物語がある。本物は那覇の博物館に展示されているが、立派なレプリカを併設の歴史文化センターで見られる。
2024.02.21
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2024/02/19/月曜日/朝夕は上着のいる晴れ間02/17/土曜日に着いた午後2時の那覇空港は少しむっとした。空港で迎えてくれる沖縄のお花沖縄ではいつも鮮やかな花が道みち見られ、いつも楽しみだ。今回は花ではなくフクギという木の並木道を味わうことを最大目的に沖縄北山を2日巡るのが目的フクギ並木が有名な備瀬という集落は名護の西北、今帰仁や本部町からほど近い。先ずは車。那覇空港を外し美栄橋側のレンタカー手配したのは、前々回空港から那覇市内までのラッシュに懲りた記憶が後を引いて。美栄橋からそのまま羽地の道の駅へ。迷いながら2時間くらいでたどり着く。↓バッソという車で2泊3日、沖縄北山部をのんびりとそこで今晩の夕食や飲み物、地元の食材を手に予約した二晩の宿へ向かう。20分ほどで辿り着く。↓古民家しらぱまのチェックインはこのチャンヤーというレストランがレセプションになっていた。宿はフクギ並木の終わる辺り、チャンヤーからは2分も歩かない。あー、これこれ。なんという眺めだろうか。敷地内に3棟の小さな家があり、私たちの泊まった民家は綛掛カセカキ。3棟の中では唯一昔の姿のままと思われる。リネン類とアメニティは充実している。お布団もシーツもタオルも清潔で質が良い。滞在中TVを付けることはなかった。Wi-Fiも快適だけど電子レンジやコンロは無い。自炊はムリだけど、近場に軽食できるお店がそこそこある。冷蔵庫にはシナモン風味のお水、名護の名水、オリオンビールとアセロラジェリーが日数分冷えていた。部屋ですっかり寛いでしまい夕陽を見過ごすとは、抜け作夫婦なり〜名残惜しく眺めて目と鼻の先の宿に戻るとフクギ並木はすっかり夜の風情だった。まあ、今日見逃しても明日がある。というのが嬉しい。あとは天気次第でケセラセラ。羽地道の駅で求めた味比べ泡盛をシナモン水で割ってごっくん、おやすみなさいませ
2024.02.19
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2024/02/17/土曜日/打って変わって寒い休日月曜日の午後1時からお話と大西さんピアノが聞ける、との情報を得て11時配布チケットのために30分前に並んだ。既に立派な列が。スタッフの方からこの辺りはもう配布分を超えています、とのアナウンス。それでも30分は過ぎ、やっぱり私の前20人以降はため息と共にばらける。一昨日午後に仕事帰り立ち寄り、彼のペンキ画、ティンカ、ティンカを観た。会場には彼がいて何やらまた行列ができている。なんか気の毒な感じがした。タンザニア、ブンジュ村で技法を学んでいた頃のShogenさんは、厳しい顔つきでどこかインドの少年みたいな風貌だ。やがてこんな温かい雰囲気にタンザニアの美しい人びと三原色に黒白、たしかそんな色を混ぜて自分の色を作るのだとか。掻き落とし?みたいな技法も。夜の星の明るさで空が白くなる、そんなことばが添えられている。自分を無くしているように感じるときは、裸足で土の上に立ち、草花で自分を包み飾る、というようなガラス額装されて分かり辛いけれど、この絵が私は一番好きかな。入ってすぐ。大きな一枚、カラフルな眠り絵はたくさん売れて散逸しているので、この数を集めるのも大変だったとか、スタッフの方から聞いた。絵からは真っ直ぐなエネルギーと柔らかい気持ちが伝わる。
2024.02.17
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2024/02/15/木曜日/春一番、都内21度〈DATA〉出版社 学習研究社有吉佐和子 瀬戸内晴美 集昭和45年9月1日 初版発行昭和49年1月20日 13版発行「現代日本の文学」49 全50巻〈私的読書メーター〉〈奈良では吉野川、紀州で紀ノ川となり滔々と海に流れ行く太き水の上から下へ、女4代の途切れぬ命の輝きはどうだろう。花は籠に乗せられ川沿い下流の真谷家へ、語り継がれるほどの嫁支度をして嫁ぐ。祖母の選択眼に叶う夫は県の長から国政へと上り龍だが、当人もこれが花の深い意志の展望である事を知悉している。しかし女庭訓を鑑とする花は古風を崩さない。長男至上主義であっても彼の幼児期、ものを噛み砕く弱さに既にこの子の将来を見通す冷徹さをも持つ。その目にして琴奏楽の耳。娘、文緒に付ける稽古の場面の張り詰めた糸が弾けるような様!〉小説の舞台を訪ねた紀行など兼ねた解説を含む。さすが全集、充実している。うろ覚えだが、尾崎秀実さん解説だったか。うむ、時代は降りて。あいにく図書館に返却したので、今現在この本は手元にないため確証はない。さてこの巻の、好みをいうなら有吉佐和子さん。きっぷがよい。ベタつかない感性が気持ちよい。谷崎潤一郎の『細雪』四姉妹が、明治大正と昭和の戦前戦後に分解されて、縦に時間軸並んだような女たちの物語。しかし内実は全く違う。そこに現れる女を見る目が谷崎とではまるで異なる。『紀ノ川』で最も因習的な花が、実は最も勁い。お金の遣い方一つとっても最後まで豪放磊落。一見新しい女めいた花の娘、文緒の方が脆く感ぜられる。母娘の裏表が面白い。「新しい女」は取ってつけた意匠とでも言わんばかり。この本の4代女たちは紀ノ川そのものだ。水の女、流れの女。それが生まれ出づる森の奥の奥のひとしずく。魚でもあるかのような男をその中に棲まわせて、泳がせたり太らせたり。全くもって控えめでいて強かな水、なのである。因みにこの頃気になる平塚らいてうの両親もまた、紀州の出だ。小説の中で、田畑持ちは山持ちよりも肩身が狭い、という表現があった。まして現金持ち株券持ちなんぞ、ニーサ浮草のようなものなんだろう。何かで著者の祖母、つまり物語中の花と思われる人物が子ども時代に神戸の外国人家庭に、兄と共に下宿させられ教育を受けた、と読んだ記憶があるが、出典は不明。紀州というところ、あれだけの山を控えていると、底知れないお金持ちもいるのだろう。山育ちと思ったら、どっこいゴリョウハン。さてさて紀州も訪ねたい土地の一つとなるなり。
2024.02.15
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2024/02/14/水曜日/日差しは強いサイチカさんのこぎんのセーター編み途中なのだけど、月イチのN先生のクラスに合わせ英語表記のミトンを編む。分からない所など教えて頂けるので。と思い編んでいるとどうやら間違えてやり直し、ムキになる内、何とかここまで編めてしまう。編み図はLAI N Eからのプレゼント。昨年冊子を2冊購入したのでサービスらしい。送料と合わせて一万越えに衝撃だった。円安エンスト事故。糸は手持ちのモヘアとアクリルを含む糸の引き揃え。ミトンは2号針。親指未仕上げで止めておく。続きはお教室で。別途、首肩巻きケープを思い付きデザインで編む。勝手にナイトケープと名付ける。寒い冬に本を読みながら寝る時重宝な一枚を既に持っている。こちらはジャケット下に。ミトンと合わせて。ケープは四号針で編む。わたしサイズでギリギリ肩を覆う。プレゼント用には増し目倍増が必要かも。ミトンの甲側と同じ編み方。変わり一目ゴム編み。
2024.02.14
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2024/02/13/火曜日/お昼は春ツレの趣味に誘われ11日、日曜日、初台の新国立劇場へ出かけた。実はランチの時に話しを聞くまで、何を観るか、誰が出るのかはぼんやりしたまま。例によって鄭さん作品だろう、と。ランチの席で、欲望という名の電車であること、主演は沢尻エリカであることを知る。え!あの、芸能界追放とか再起不能とか言われていた沢尻エリカさん。で、あのケバいオールドミス役←死語-_-b。マーロンブランド、ビビアンリーの。あれ!それを鄭さんが沢尻エリカと。へーと驚いている内に舞台は例によってだらしなく始まっていたのだった。観客は席を探してぞろぞろと移動している中、大変よぉ?役者さんも。肉体使っての幕開けなんだから。正味3時間。あの長々しい台詞も殆どカむことなくやり通しました、エリカさま。これが初舞台とは驚き。芸能界人生経験の山あり谷あり。凡人の三世代分くらい生きてきた?その経験の積み重ねと彼女の、役者としての肉体的アドバンテージは正に劇中のブランチと重なる。傷つきやすく壊れやすい、詩的なイマジネーションを湛えながらも、かつて名門の誇りが益々彼女を零落の、その現実から引き裂いていく。そんなブランチを、想像するにおいてエリカさんに詩的な側面は余り感じられないけれど、何というか彼女の風貌の天使的なニュアンスがそこに引っかかりを持たせて、これはキャスティングの勝利では。あざといんだか天使のような天使なんだか鄭さん舞台女優としては顔が小さすぎるキライはあるけれど、役に恵まれればよい役者に大変身するのでは!と期待したい。フィナーレは何故かこうなる、いつもの鄭さん節。立ち止まらずどこかへ行く、というより新たに進む主人公の姿。振り返るエリカさまが神々しい。加藤英明さんは15年前くらいに演じてほしかったような。けれど若い役者でこの役をやれる人も思い浮かばないなあ。ミッチェル役の高橋努さんがよかった。パンフの画像と舞台の彼が違いすぎ!それはつまりよい役者だ、ということ。
2024.02.13
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2024/02/12/月曜日/風は冷たい信州松本ヒカリヤ ★初訪問中央区 KITTE丸の内ビルせいろととろろご飯¥1350お蕎麦は十割なんだそうだけど、全て機械によるものと思われ、香りや風味は感じられない。ツユも江戸前好きには物足りない薄さだけど、上方好きには結構なお味かも。蕎麦はよく冷やしていて、気持ちよい喉越しなので、夏に良いかも。特筆すべきはご飯ととろろの美味しさ。それに信州特産らしい掛け醤油、ハーモニー良し。東京駅丸の内界隈ではこのビルが落ち着いていて好き。5階までしかない規模がよろしい。
2024.02.12
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2024/02/10/土曜日/日差しは背中に熱いくらい今朝はこのライアーを手放すために、購入のお手間を頂いた先生の元に返しに行く日思えば、このライアーは私に貰われたばかりに、心行くまで音楽を奏でることなく、とある使命のために新しい方の元に旅立つ。ありがとう。長い間。先生からは高温多湿の日本でこんなに良いコンディションを保つのは珍しい、とのお墨付きを頂く。↑先生のお宅のメタセコイアどうか幸せに活躍してほしいと先生に託す。寂しい中にもどこかさっぱりとした気持ちで自由学園、しののめカフェでランチをとる。隣のテーブルの女性とタイや海外の話、山田火砂子さんの話などで盛り上がる。こうして大切だったものも少しずつ、私から放していく。今日は好い日なのだ。
2024.02.10
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2024/02/09/金曜日/陽が沈む頃には寒くなる平日のお昼に映画を観るなんて!くすぐったく申し訳ないような。 でも学生らしき人もそこそこいるけど?好きだったマンガも最近ではとんと読んでない中、これは読みたいと思いながら、え〜もう30巻も出てるの!と腰引けに。しかし映画化。しかも一番好きなマスクの山﨑賢人が主人公。嬉しい。アイヌ少女とそのおばあさんの存在感が私には素晴らしかった。それと高畑充希の可憐さも。白い狼やヒグマのCGも違和感がない。大した技術だなぁ。ウルトラマン初期の頃との乖離が凄過ぎる。往年の名優たちは充分楽しんでこの世界観を大切にしている。アイヌ民族とシャモが日本離れした風景の北海道でアイヌ埋蔵金を追い求めるというストーリーの骨格が太い。身内お手盛りなちまちま日本映画←まあそれはそれで翔んで埼玉とか楽しめるけど、という従来の娯楽作品を超えている。これは世界に通用する。映画のスタート画面は、日露戦争激戦地の二百三高地だ。乃木希典の愚策が招いた、大量の戦死者の山に至る戦争という人殺しをあらゆる角度から見せつけるカメラアイ。これがリアルでいきなり引き込まれた。異国で虚しく骨となった数多の戦友や部下の、故郷に残した家族のことを念頭に、新しい戦さを仕掛ける鶴見中尉の異形振りを玉木宏が怪演している。彼は舞台俳優⁉︎役者魂ひかる。日本の多様性、それがきちんと描かれている。続きが今から楽しみだ!
2024.02.09
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2024/02/08/木曜日/午後から晴れ先日ようやく足を運んだステーションギャラリー随分昔、改装前にここのホテルに泊まり、憧れのバーでカクテル呑んだこともなつかしい。何しろ猫脚バスタブ!だったのである。ギャラリーには初めて入ったかも。案外展示スペースは広く、フロアも二つ備えている。JRらしく旅心をくすぐる展示だ。殆どの木造の神像、仏像、眷属像、或いはそれらの混淆スタイルが130点。青森、岩手が多く秋田は少し。平安時代から江戸時代まで。大工の右衛門四良作、法蓮寺と青岩寺の作品群が驚き。仏師ではなく大工さん。何かの願いが込められたか。円空の観音菩薩坐像が一点。これを手本にこぞって腕に覚えのある村や町の人が手がけた観音さんが微笑ましい。この頃では仏像が彫られることはないだろう。ましてごく普通の人の手でということは。さて。私の父の父、つまり祖父。なのだが、父と私は孫ほど年齢の開きがある上に、父と祖父もそれに近い開きがあり、祖父は私の生まれるずっと前に亡くなっている。その祖父がある日、小さな仏像を彫った。子ども心にも、あまりに見事なので父はそれがほしいとねだったのだとか。祖父が言うには、これは川の源流に近い河原に埋めるのでまた別に作ってあげよ、と。結局それきりとなったが、祖父は何か願うことがあったのだろう、というような話をこれまた大昔、父から聞いたのだった。全国的津々浦々の山里や清流の奥に密やかに仏さまが眠っておられると想像することは奥ゆかしい。なので、そんな思いを抱いて仏さまを観たのだった。残念なことに撮影は全て禁止。好きなお顔の仏さまを待ち受けにはできなんだ。↓宿泊当時の面影が少し味わえる階段やアルコーブ
2024.02.08
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2024/02/06/火曜日/積雪15センチ〈DATA〉出版社 学習研究社有吉佐和子 瀬戸内晴美 集昭和45年9月1日 初版発行昭和49年1月20日 13版発行「現代日本の文学」49 全50巻〈私的読書メーター〉〈学研『現代日本の文学』全集49で読む。昨年12月に英国人女性による伊藤野枝をテーマにした音楽会を自由学園で見聞した。アナーキスト、新しい女、大正、くらいの像しか結ばなかった野枝に関心をもち本作を読んだ。本作は2部構成。前段は野枝を取り上げる動機や取材の事実など。後段は野枝の短く激しい生涯を知り得る限りの事実を重ねながら野枝という人間に肉薄していく筆力には、瀬戸内自身が幼い児を置いて出奔した苦い思いが重く映り込んでいる。女は自らの人生を選び生きることができるのか。社会構造と霊と肉の狭間で。古く新しい。〉こういう全集が4年で13版を重ねた戦後25年を経た昭和という時代を思わずにはいられない。そんな時代に我を生きた瀬戸内さんは大正に生を受け平成に得度して令和に彼岸に渡られた。敗戦前後を北京で暮らしていたのである。その時出会った夫の生徒と出奔。そのことがなければ小説家になることはなかった、という。小説に登場する伊藤野枝、神近市子、平塚らいちょう、三者三様に欲しいものへの直ざいな、持て余すようなエネルギッシュさで、当に 原始女性は太陽であった の青鞜発刊のノロシそのものだ。小説に登場する男性三名、辻潤も大杉栄もらいちょうの若いツバメ奥村某も装飾音に過ぎない印象で描かれる。主旋律を奏でるのは女たち。このような伝記小説の草分けは、森鴎外の『渋江抽斎』が挙げられるだろうか。文学史的にそんな指摘があるかどうかは知らないが。タイトルにある渋江抽斎よりもそのお内儀の五十、イオ?だっけが圧倒的に魅力的な描写だ。ところで先日鴎外の短編について心惹かれた文章に出会った。「サフラン」であったか。鴎外は小さな頃から部屋に籠り勉強ばかりをした。同い年の男の子と塗れて遊んだ記憶もない。コト=知識ばかりを詰め込み、モノ=経験を知らぬカタワになった、という述懐。そのように自分を観察できるのは科学的な態度で流石、鴎外なのだ。さて、伊藤野枝である。この人生は凄まじい。伊藤野枝が文学的才知や閃きを得ていたか、というと瀬戸内晴美自身の評価もまるで低い。しかし彼女が28歳で暗殺されるまでに三人の男、その内の二人は学識も文学の素養も思想も凡夫の遥か先を生きた二人の男と惚れたら命掛け、の道行で七人の子を産み落としたのだ。これって本当に途方もない!男と常に恋愛中にありながら常に懐妊していたということなんだから。恐るべし明治の女。この辺の野枝の心理や擬態の描写がどこか突き放すようでいて実は作者と螺旋を描くような濃密さがあり、抜き足ならぬ。彼女をして子宮小説と言わせた所以か。そしてそんな風評は十代そこらの私には何かべとつく感じがして避けてきたなあ。幸田文とか有吉佐和子なんかが面白いと思った。貧血気味の私なんぞは、著者含めこんな女たちの爪の垢でも煎じて飲めば死んで惜しくない恋愛が訪れたのかもねー。女子校時代の同窓の女の子の顔を思い浮かべると、そんな恋愛能力高い人は既にその予感をたっぷり含んだ水気というか色があったなあ。一方で、辻との最初の息子の人生の終わり方はやはり辻同様、悲しさが募る。私は男より子、であるなぁ。
2024.02.06
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2024/02/05/月曜日/お昼前からは雪地域の公共施設で開催されているニットカフェは平日定例のため殆ど参加できない。今回はたまたま土曜日開催、嬉しい。ニットと名がつけば馳せ参じまする。↓講師の先生が参考に見せてくれたブラックベリースティッチの帽子。↑ベリー模様は実は裏面。ベージュのスワッチが表面らしい。編み方を聞き忘れてしまった。19名参加者の対応に追われています。しかも全く初心者の方もいて、私に尋ねる方も!ひゃー。今回課題作にこんなリストウォーマーがあるのも、カフェがクローズになる時間に知る。でも参加の顔馴染みの方と情報交換したり、館側の興味深い催しなど知ることができて楽しいひと時でした。政治的な手芸部!これは面白そう。
2024.02.05
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