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2023/10/01/日曜日/曇り、最高気温28度予想〈DATA〉 新潮社著者 マギー・オファーレル訳者 小竹由美子2021年11月30日 発行 〈私的読書メーター〉〈アン・ハサウェイは悪妻と言われている。しかし明らかなのはアンは裕福な農家育ち、劇聖は落ちぶれたジェントルマン家の若造でやがてロンドンで大成功するが、せっせと妻に送金し引退後は妻の元に戻る。三人の子の内、11歳で夭折したハムネットの死因は不明ということ。息子の名(ハムレットとハムネットは同名という)を悲劇に用いた事、また当時欧州を席巻したペストへの言及がない事に著者は疑問を抱いたという。その疑問を骨子に大胆な肉付けを行い鮮やかな芝居を見せつけられた。頁毎に著者の言葉への共感覚のようなこだわりが感じられる。〉凄い才能。ハムレットをハムネットに、ハムネットをハムレットに。芝居×芝居。ある家族の、ある歴史が生じる場所に行き、戯作が生まれる背景を創造するマギー・オファーレルこそ、まじ魔女。物語出だしのハムネットの登場シーンからワシづかみにされる。双子の妹ジュディスのただならない様子を見て、何とか頼れる大人を見つけ、それを伝えなくてはいけないのに、今日に限って家には隣の祖父母宅にも誰ひとりいない。この焦燥は不安の連打すると突然場面は変わる。アグネス=アンと18歳のラテン語家庭教師シェイクスピアの出会いへと14年ほど遡る。それからアグネスの不思議な力の源泉としての産みの母が森のひと、だったことなどのエピソードが挟まれる。著者は北アイルランド生まれであることが想起されるではないか。ケルトの緑の目の女王なんかが。物語年代の1596年の夏、ペストが英国にやってくるまで。ムラーノの職人のベネチアンビーズ、アレクサンドリアのマーケットの猿、船で働く水夫、マン島の男の子、ネズミ、猫へと、ペスト菌がノミに運ばれていく様が、あたかも証言されているかのように、息もつかせぬ速度で描かれる。その年、両親はジュディスではなくハムネットを失うことになるが、その前段の双子のお産の場面は、まるて『テンペスト』。怒涛の嵐だ。母であるアグネスがどれほど子どもを愛しているか、痛いくらいの看護だ。子どもの病気ほど親が辛く思うことはない、まして可愛い盛りの子どもを失う悲しみは…と同時に、言葉が頭から溢れあふれるシェイクスピアの伸びゆく才能を、義父の事業で摩耗させることも受け入れられないアグネスは、彼をロンドンに旅立たせる。そして彼は夫は、ハムネットが生まれた時も息を引き取った時も不在だったのだ。ハムネットの埋葬後、芝居のためにすぐロンドンに戻る夫との間にできる溝。それでも夫は妻と残された娘のためにストラトフォードに大きな屋敷を買い、家族を住まわせ年に一度か二度帰省する。不思議な暮らしぶりだ。今で言う単身赴任。創作の源泉であるアグネスと子どもを汚染ロンドンから距離を置き、汚れなきオーチャードに留まらせるシェイクスピアの意図があるかのような筆致。読者は著者の物語に招き入れられ運ばれる。ハムネットの死から4年。その名で悲劇が書かれ、ロンドンで上演されるニュースを運んだのは、人の不幸が蜜の味、アグネスの継母だった。しかし、いたずらパックというか北欧神話のロキのように悪意の継母が見せた芝居のチラシのタイトル、ハムレットの名を見てアグネスは我を失う。夫の真意を見極めようとロンドンへ生まれて初めて出発するアグネス。そこで見聞きするグローブ座界隈のロンドンの掃溜め具合がリアル。死んでまだ4年、その子の名を悲劇にすることは許されない、アグネスははっきり三行半を言い渡すつもりで芝居を観た。そして、全ての意図を理解する。舞台では現実が反転したのだ。死んだハムレットの父の亡霊はシェイクスピアが演じる。ハムレットを演じるのは、まるで成長したハムネットを思わせる瓜二つな役者の演技、仕草。物語では触れないが、読者は知っている。生きるべきか死ぬべきか、或いは存在しているのかしないのかという自問のハムレットを。夫婦の深い悲しみの癒し、やがて家族が乗り越えていくだろう物語の描かれない未来に向けて。著者は あとは沈黙。
2023.10.01
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2023/09/30/土曜日/雨の朝今月課題のベスト。先生の作品はもちろんブロッキング、高性能スチームアイロンによって美しい仕上がりだ。上の画像私の編みかけとは雲泥の差でございます。下画像そんなこんなにも、めげることなく。今週半ばには身頃が仕上がり、水通しの後、バスタオルで水分をはがして、ピン打ち。床に転がして自然乾燥を待つむむ、ピンが不足でなんかよれてる。まあ、売り物じゃないのでとひとりごちる。色の組み合わせは割と気にいる。これらは1モチーフにさえ不足した糸の寄せ集め。もったいない!真理教信者の心が慰撫されまする。身頃のとじはぎ これが問題。苦手。やりおおせるには精神力が必要なので、平素仕事から帰宅後の夜仕事はムリ。この週末がんばる。
2023.09.30
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2023/09/27/水曜日/日差しが強いみどりの窓口で切符を買おうとしたら、販売は1ヶ月前からで、まとめて買うなら最後の日で買うように教えられる。用が果たせず、下北沢まで出て蕎麦屋を開拓する。もり蕎麦 太田 ★初訪問世田谷区十割蕎麦+山葵 ¥800もりそばだけなら700円はお値打ち。でも山葵が無くっちゃ、蕎麦も握りも、ねえ。そういえば神田のまつやも山葵は別会計。もりで何グラムかと尋ねると170gくらい。とのことだったけど、そんなには無いというのが実感。よくて150g超えるくらい。常陸秋蕎麦の十割蕎麦だけど、十割にしてはあまりに喉越しが良すぎる。この蕎麦の食感は以前食べたことのある、機械押し出し式じゃないかしらん。これを使うと何か手触りとか空気の含みとか損なうなあ。まあ、安いから良し、とする。ツユはたっぷり、甘味がちだけどそこそこ美味しい。蕎麦湯はひねり無し。お手拭きなし、お水が出される。お蕎麦を食べて満足したあと、道を挟んだ同じ並びに氷屋さん、荒木氷室間口一間ばかり。狭いカウンターでかき氷が頂ける。気取りなし、この値段が嬉しい。おすすめは何でしょうと訊ねるとお茶、とのこと。はぁはぁ、では宇治茶をください。この手のかき氷屋さんでは先ず驚きの、お抹茶をちゃんと立ててからシロップと合わせて供される。とても美味しい。出色でございます。来週にはそろそろかき氷終わりらしい。写真撮り忘れた。下北沢の駅が随分変わって戸惑う。井の頭線は変わらず。
2023.09.27
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2023/09/24/日曜日/暑さ寒さも彼岸まで大雨の後、気づいたら彼岸花が荒庭に忽然と。この禍々しいような色と姿に驚嘆する。なぜ大地はこのような姿を地上に現す?さて、大地が生み出すように、私の手が何かカタチを編み出す楽しさが止まらないニットの時間。今月の編み物クラスの課題を少しアレンジする。ゲージが本来の90%にも関わらず、12のモチーフを10に減らし、本来の丈より10センチも短くした。糸は5.5玉ほど、半端に残っていたストック。針は6号輪針後ろ身頃仕上がり。意外に手がきつい。すごい横長、縦みじか。まあ成形で何とかなると楽観人生。前身頃の糸変えが楽しみすぎて、おまけに間違いを見つけ解き、編み直しΣ(゚д゚lll)気がつくと秋の夜長か、午前2時。今度は手が緩い(´;ω;`)
2023.09.23
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2023/09/23/土曜日/昨夜の強い雨手打蕎麦 ふじや新宿区十割蕎麦 ¥980新宿でのお昼時は最近ではこちらばかりとなる。空腹を辛抱して笹塚に行けば、旨い蕎麦屋が2軒あるのだが。蕎麦とツユの香りと旨みがめくるめく具合に像を結ぶと一刻も早う、となる私め。え、本日は今までで一番並んだ。天候は前回より少し涼味を感じるのに、蕎麦をお昼に選ぶ人が増えているのかしら。それに昼時にはランチセットを注文する人が殆どなのに、本日私の周りは私を含め十割蕎麦が三人。むむ。こんなことは初めてである。隣は蕎麦を好む人なるか、秋である。前回の新蕎麦衝撃も、二度目とあってはぬるびる。畳と蕎麦は新しいに限ります。
2023.09.23
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2023/09/21/木曜日/急な雨〈DATA〉 平凡社著者 簾内敬司2004年3月10日 初版第一刷発行〈私的読書メーター〉〈山形の詩人の「冬の鹿」に触発されるように、消えた鹿やオオカミを求め、みちのく風土歴史ナラティブの体で始まる。信濃まで越境するのは偶々のご縁であるのが氏らしく慎ましい。考察は日本海対岸へ拡大し、ナナイ族デルスウのつぶやき「これからどうして生きていくか」。氏はそれを命ある生き物全体の問いかけと受取り、自分の場所みちのくから具に検証し、花岡事件中国人蜂起、南部藩百姓の国捨て一揆、戦争敗戦の記憶、千三の墓碑へ、細部へ環流する。忘却が絶滅を招くならそれにあがらう。「記憶・責任・未来」の碑文を刻んだ塔こそ本書だろう。〉簾内敬司さんの小説も三章で構成されているが、随筆に分類される本書も三部のつくり。序、破、急の氏の呼気でもあろうか。1 . 絶滅と記憶著者は眠れない夜久しぶりに、眞壁仁の詩集『冬の鹿』に手を伸ばす。眠れぬ夜には郷土の先達の晩年の歌を紐解くのである。そんな著者の暮らしぶりなのである。そして詩人の初期の作品『青猪の歌』を想起する。あお と しし について。マタギの言葉、或いは菅江真澄の記録ばかりか、1952年に山形県下の中学生女子の作文「村の風土記」までも丁寧に、自在に行き交う。そして論考は、常陸の国の鹿島神宮大明神の春日大社渡りへ、みちのく東北の神社で奉納される鹿踊りの月と篝火の薄明へ。さらに日本書紀に記述された古い地名の 肉入籠(シシリコ) を襲う阿倍比羅夫へと時空のあわいが溶けて、東北の深い森へ何層のベールの姿が重なる。シシは息の長い言葉であった、シシは肉を、すなわち鹿を猪を羚を指す狩猟採集の、みちのく民衆の食生活の基盤を象る言葉だ、と氏は言いつつ レヴィ=ストロースを案内する。集団就職の風景が見られなくなった時代、山仕事で声を聞きながら姿の見えない鹿、明治には絶滅したとされるニホンオオカミ、トキへと揺れながら、やはり鹿へと焦点を戻させるのが『秋田マタギ聞書』2. 人間のくに、神の山沿海州/夕陽海岸藤田省三アルセニーエフ『デルスウ・ウザーラ』日露戦争とデルスウの時代の北満州から東シベリア「デルスウはゴリド人やウデヘ人ばかりの子ども時代を思い出す。ところがそこへ中国人が現れ、やがてロシア人がやって来て生活は年毎にむずかしくなり、その後朝鮮人がきた。森の火事がよく起きてクロテンは遠ざかり、他の野獣も少なくなった。そして今は海岸に日本人までやってきた。」「どうしてこれから生きていくか」著者は狩猟民デルスウの嘆息の背景に、テントを張ったナイナ河口の夜の景観を思い描き、「水晶の夜」に重ね思う。その後にやってくる「夜と霧」の時代を。みちのく南部藩の凶作と大飢饉は、オホーツク海からの寒気がヤマセとなって引き起こした。重い年貢に苦しむ飢えた農民が集団で国を捨てる逃散。人間ばかりではない。かつて大口の真神と敬われたオオカミたちも広がる耕作地に追いやられるようになり、群れは離散して自らのテリトリーを捨て逃げ去る。そうして遠野郷からオオカミも逃散した。生き延びるために。三閉伊一揆「幸ひ思ひ 出立申すべし」『三閉伊百姓愁惣記』柳田國男『狼史雑話』ハンナ・アーレント3. 獅子ケ森に降る雨逃散したのは同国人や生き物だけではなかった。花岡事件のあらましあと1ヶ月余りで敗戦の日本がGHQに命じられ解散させられた直前。非道に思い余って労働収容所から逃走した事件。一個のおにぎりを飢えた中国人にあげた女性。結局その中国人はなぶり殺されてしまう。ここで、著者はフランクルの『夜と霧』の重要な一文へ読書を連れてゆく。「私を当時文字どおり涙が出るほど感動させたものは物質的なものとしてのこの一片のパンではなく、彼が私に与えた人間的なあるものであり、それに伴う人間的な言葉、人間的なまなざしであった」『秋田県警察史』蜂起の翌日にはあらかたの中国人は、鹿島組、鉱山関係者、警察、自警団、憲兵隊、住民によって山狩された。彼らは炎天下、三日間水も与えられず広場に座らされた。息耐える者が続出したが、彼らは犬や猫に食われるままに放置されたという。この残忍性はどうだろうか。これは私の血にも同様に流れる日本のものなのかと自問するだに恐ろしい。戦後55年目の夏、著者はその現場である大館市立花岡体育館を訪れ、小さな碑が雨に濡れるのを見る。この雨がせめて一日でもあの時降ってくれれば、と詮無かことを思うのだ。そして敗戦後のドイツと日本の行動の差を考える。「記憶・責任・未来」を考える力を。文末で著者は高橋セキ、千三母子の墓に触れている。母子は文字どおり母ひとり子ひとり。藁葺きの薪小屋に住んで日雇仕事という貧乏のどん底で千三を手塩にかけて育てた。千三は小学校を卒業すると働きに出る。心優しい親孝行息子で、休みが取れらば必ずセキの元に帰り安心させた。文字の読めないセキが次はいつ帰る?を口癖に指折りしては息子の帰りを心待ちにしたのだ。千三に赤紙が届く。その時校長に話したセキの言葉が残っている。『石ころに語る母たち』「これまで、千三をオレの子どもだ、と思っていたが、間違いだったス。兵隊にやりたくねえど思っても、天皇陛下の命令だればしかだねエス。生まれた時から、オレの子どもでながったのス」千三はニューギニアで命果て、敗戦の数日前に白木の箱の小さな骨一つになってセキの元に帰った。天皇の赤子と連れて行かれた子は、小さな骨に成り果て今、母の元に帰って来た。著者のいう換骨奪胎とはまさにこのことだ。杖とも柱とも頼るもっともよき人千三を亡くして、セキは千三の墓を建てようと決心する。朝4時に起き日雇いで得た30円から爪の先に火を灯すように貯金をし、10年後道路に向けては南無阿弥陀とだけ彫った墓石を建てた。「牛や犬の死んだようにしたくねえと思って、長い間に少しずつためたお金で墓石つくってやったス。オレ死ねば、戦死した千三を思い出してくれる人もなく、忘れられでしまうべと思って、人通りの多い道ばたさ建てたス。その道を通った人たち墓石見で、戦死した息子の千三を思い出してけるべエ。お念仏をとなえてくれる人もあるべし、知らねえ人でも、戦死者の墓だと思えば、戦争を思い出すべななス」簾内敬司さんは、自分の住む土地の一人の戦没者とその母の人生をきちんと語り、この本を終えている。映画福田村事件で生き残った男の子が、亡くなった者一人一人の名前を声に出してしっかり警官に聞かせる。故人は抽象的な数字ではない。具体的な生きた一人ひとり異なる大切な人なのだと訴えるように。そのシーンは本作の言わんとする終わりに重なる。
2023.09.21
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2023/09/20/水曜日/ナマ暑い。今年の夏は暑い!しかし、そんな暑さをもぶっ飛ばす熱いステージ。3年前チケット払い戻しに呻いたステージが。力を溜めて溜めて爆発!大人はいいけど、子どもオーディションは一から練り直しという。制作スタッフの辛抱強さに感謝。アンドリュー・ロイド=ウェバー 作曲翻訳・演出 鴻上尚史レッチリ キス クイーン ジミーペイジ スティング ピンクフロイド イーグルス ザドアーズ デビッド・ボウイ クラッシュ ディープパープル ザフー ニルバーナ ブラックサバス サンタナ ニールヤング ビートルズ ジミヘン レッドツェッペリン オアシス ヴァンヘレン クラプトン パティスミス ジェネシス ポリス ローリングストーンズ ジャニスジョップリン ティーレックス スコーピオンズ クリーム イギーポップ ベルベットアンダーグラウンド ルーリードおおお、緞帳に次々浮かぶ綺羅星のようなロックスターたちスクール オブ ロックメリー・ポピンズ以来、すっかり好きな役者になった柿澤くんが主人公デューイ。ダブルキャストの西川さんもめちゃくちゃ気になるけれど、やはりカッキーを選択。大スター濱田めぐみさんとはメリー・ポピンズの時以上にコンビが深まってきたかも?主役が花あるのは当然。では脇役はどうかとツイそちらに目がいけば、梶裕貴さんが役キャラクターに見事ハマっていた。他も実力者が揃う。俺たちは勝ちに来たんじゃねえ。Rockしに来たんだ。これこれ。俺たちはショービジネスに来たんじゃねえ、 Rockしに来たんだ。と思わせてくれたら、ショーとしては最高クール。子どもたちがロック前後で顕著に変わる、というのはまぁ、まちまち。でもひたむきさは心を打つなぁでも何といっても柿澤くんのステージいっぱいに溢れるエネルギーに圧倒された。これだけの舞台、相当消耗するだろう、実に汗臭いどうしようもない場末ロッカーでしたよ、いや褒めてます。権威を押し付けてくるものにロックしたくなるRock 'n' roll Heart roll Heart. roll Heart
2023.09.20
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2023/09/19/火曜日/なんと!34度のお外先月は旅行と重なり、滅多にないお休みを喫する。2ヶ月振り参加でお題は久しぶりの大作、ウェア↓ニット6号針/コットンほぼほぼ長方形2枚を編んで閉じ、はぎで収めるデザイン。先生オリジナル、冊子掲載あり。さすがに先生の仕事の美しいこと。ボディに掛けたサコシュは8月のトライアル。素材原料はパルプ↓こちらも先生のスワッチ。冬用にウール。イサガーの糸引き揃えで遊んでいるイメージ。余り毛糸のお狩場にも役立つデザインは、一色対応の方もわざわざ購入される方も。↓とりあえず。お教室では試し編み。ジャパニーズ段消しの確認などもしてみる。間違い甚しく∑(゚Д゚)やはり。いきなり編み始めるほどの腕はないので、地道に試し編み→編み糸によるスワッチを繰り返すしかない、のだった。自分。↓立体感があり、美しい仕上がりのサコシュはお教室メンバー作品。この方も講師資格があり、時々教えていらっしゃる。
2023.09.19
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2023/09/18/月曜日/秋はどこ?〈DATA〉 岩波書店著者 簾内敬司1997年9月15日 初版第一刷〈私的読書メーター〉〈『千年の夜』続編。東京で就職した僕が、公子の死をきっかけに帰郷を決意。村暮らしも落ち着き三人組復活と窪地の李さんとの関わりが深まる。著者が「ねんごろ」と表すのも懐かしい。李さんの生計の助けに花卉栽培を勧めると李さんは規模を更に拡大する様子。気分を転じようと出かけた海べで4人は祭りに出会す。篝火を囲み、横笛奏でる女踊りは浜に流れ着いた死者を慰める踊だという。無言で見つめる李さんの涙に篝火が宿る。ひたすら耕すお花畑、花は売らないと李さんは言う。李さんの願いと3人の友情は希望の橋渡しとなる予感で閉じる。乞う続編ー海抜け ー谷の研究 ー涙ぐむ目で踊る三章立て。李さんの過去が語られる。花岡事件を思わせる背景や自警団を率いた村の区長のその後の姿は、映画「福田村事件」を思い出させる。その頃まだ生まれていないぼくたちではあったが、村で積極的に語られて来なかった事件を知るようになる。三人組の内村に留まった田口は町役場に、西方は農協に職を得たのだから、町村の歴史は徐々に三人に共有されたのだ。村は山の谷深い場所にあり、町から差別されている。町の中学に上がると肌身にそれを感じる。町は大きな市から見下される。大きな市も東京からは田舎者と扱われる。東京も京都人からは所詮田舎者の集合地なのだろう、そんな扱いを受けたとアルバイト学生が話したことを東京に勤務していた時代の話として父が語ったことを思い出す。普通に考えればバカバカしいにも程がある。属性には意味がない。その人間を人間たらしめている本質こそ鑑賞され交流される価値のあるものなのだ。私にとって簾内敬司という作家に出会ったことは今年最大の収穫だ。ふと漏らした李さんの「海へ行きたい」。考えてみれば山襞の窪に住むぼくらは海を初めて見たのは遠足の時。その記憶は鮮烈だった。李さんにとって海は捕縛されて来たこの国と祖国の間の回廊なのだ。三人は李さんを誘い、県境にほど近い日本海の小さな浜に辿り着く。40年前の李さんの、鉱山からの逃散は海を目指したのだった。40年窪地を耕し、愛する人との出会い別れの後、花壇が姿を表し始めた。そうして高齢者となり、生き延びるための希望の海に若い理解者、友人らとやって来たのだ。浜では折しも女たちの踊りが始まる。篝火に照らされ横笛だけの無言のおとなしい、何かに耐えるような、長い歳月を物語るような踊りを見つめる李さんの目に涙が浮かび流れていく。次章では美しい谷川の釣りやキャンプの様子が描かれる。林業に従事した父が僕に語った、涙を流す木、ブナの原生林、渓流の自然描写は爽やかな一陣の風だ。過激な行動に出た自然保護活動家らしき品川ナンバーの男と親しくなる李さんが示す友情はぼくら以外では珍しい出来事で、その恩恵に被れるのは誠に選ばれた人、というべきか。李さんの弛まない働きでお花畑は見事に出来上がっていたことに息を呑んだ三人は、庭にデザインを施していく。しかし窪は李さんの土地ではなく村の入会地、コモンスペースだ。誰のものでもないが誰が使っても良い場所。それを李さんと三人は村人が誰でも寄れるお花の溢れる公園にしようと画策する。偏狭な村人がそれを受容するかどうか。入会地と道路を結ぶ歩道もないのだ。問題解決には、法も感情も歴史も複雑に絡む。まして土地の問題は大きいが、三人は寄り合っては知恵を磨く。リレーションの良さは何といってとも、李さんという中心があった上で同じ体験を育んだ幼馴染であることが大きい。それぞれの個性も伸びやかだ。そして公園の公開に、三人はぼくの妹も加わり、長らく廃れていた鹿踊りを復活させるのだ。その踊りは、涙ぐむ目と名づけた、目をデザインした花壇の周りで篝火を焚いて演じられる。いつかの浜の李さんの涙であり、森や谷に生きる山女や樹木の涙であり、人と人を隔てる無言の一瞥の毒への公子親子の慟哭の涙を鎮める奉納舞でもあるのだ。鹿踊りの練習を始めた三人に先ず興味を寄せたのが子どもたちであったことが素晴らしい。大人が夢中になって何かやっている。一体何が始まるのか、ワクワクするのはいつの時代も垣根のない子どもらなのだ。
2023.09.18
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2023/09/17/日曜日/尚暑さ続く画像で見ただけの三國万里子さんデザインのボレロ画像から見よう見まねで考案。糸は野呂さんのそなたしまに近い綿主体の手紡ぎ風なもので、もう廃番と思われる、私の在庫。それに東京デザインセンターで買った麻糸との二本どり引き揃え。私は手が緩いので、針はクロシェの3号で。糸が足りないかもとあちこち探したけれど同じものは見つからなかったが、幸い何とか足りそう。35センチ角を2枚に35×45センチ2枚の計4枚モチーフを作製。↑この間後から後から鈴なりのイチジクを野鳥と競い食べ明かす。いやはやここまで作るのに1ヶ月。何しろ玉巻き機購入前に手で丸めた糸はもつれにもつれ、解くのに編むより時間が掛かった。何といっても便利な道具は進んで試すべし。45センチ2枚の背中はぎ合わせは引き抜き編みをして、しっかり丈夫に仕立てる。35センチ角は前の袖部分になる。その上下は針で、はぎ合わせる。あらら。はぎ合わせてから左右のバランスの崩れを知る。あーあ。ちゃんとマーカーをしないからこんなことに。解いてやり直し。↓ふんわりお袖、どのようにギャザーを入れるか思案して、カフスの目を60目作り、一段目は裏側に往復編みをした。片袖が仕上がり、雰囲気を見てみる。中々楽しいデザインだけど、これ以上太るとサイズアウトしそう(>_<)カフスには麻糸を混ぜず、野呂さんの糸一本で針の号数は変えていない。ベージュの麻糸極細が一本入るだけで編み地の印象が随分変わる。後もう少し!
2023.09.17
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2023/09/16/土曜日/夏が終わらない〈DATA〉 白水社著者 矢野誠一2023年3月5日 印刷2023年3月18日 発行〈私的読書メーター〉〈藝能評論家という肩書きも珍しい。敗戦時10歳で、まもなく麻布中高に進んだ著者は映画クラブで鳴らし、下町の遊び慣れた同級生の薫陶を受け芝居遊びに明け暮れた。日々の暮らしのエピソードはいつか観た芝居、歌舞伎、文楽、落語、新劇、ミュージカルの一コマにピタリとハマる。芝居が人生か人生が芝居か、境目なく捻合わさった一本の紐の如く。茶人だった祖母が普請した数奇屋の実家の隣家表札「寓」には近衛文麿のお妾さんが棲んだ。敗戦後ひっそりと姿を消したら長谷川一夫一家が入居した。北村和夫エピソードに笑う。昭和の時代感たっぷり。〉著者、敗戦の年に10歳ならば、今現在は88歳。米寿だ、目出度い。お仕事仲間はずいぶんと電子化されてしまったが、氏は未だにペリカン万年筆。パソコンはおろか携帯電話も持たない。もっぱらファクシミリでやり取りだとか。電脳化について何度か逡巡があったようだが、それらの機能をマスターする時間があれば1ページでも原稿を書きたい、が心情だという。賢明だ。君子である。君子、危うきに近寄らず。私め小人。PCすなわちパーソナルコンピュータが黒白画面を脱したOS初期の1995年を激しく思い出す。もっともMacパクリと言われたが。それは富士通PCだった。何度初期化嵐を見舞われたか。消えたデータ、ソフトウェア再インストール、どれだけ空しく時間を浪費したか。その時間でどれだけの本が読めたか。データ処理も通信速度も、もしもし亀よの時代。見よ、今はPCを開くことさえ無い。スマホ一択だ。さて、氏の話である。今の今まで組織に属さず自尊自衛の自営業。自らも役者をやったり演出をしたり文章を書いて戦前戦後を生き抜き、舞台をずずずいーと眺めてきた目利きの、肩の凝らない息抜き人生。妙に懐かしい。ご近所にご隠居さんがいなくても、こんな本のページを開けばたちどころに現れる、ご隠居さんが。
2023.09.16
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2023/09/15/金曜日/やはり熱帯続く第二部寿式三番叟鑑賞ガイド冊子の表紙を飾る翁面は古風な写し。装束の紋様は、バチカンの天井模様に酷似していたんではなかったか。休憩時間には2階食堂の休憩コーナーの薄暗いテーブルでコンビニおむすびをさささと食べ、再び本日の二幕目。菅公の雷神変身大魔王振りに当てつけられていたのに、ここは気分を一新のとうとうたらり。◼️ 柳は緑、花は紅数々や、浜の真砂は尽きるとも、尽きせぬ和歌ぞ敷島の、神の教への国津神 治る御代こそ目出度けれ菅原伝授手習鑑 四段目 北嵯峨の段菅公の御台所の隠れ家に、お世話する八重と春。ここにも時平の手下が追っつけて、御台所を捉えようとする。長刀構えて敵と立ち向かう健気な八重も儚くなり。ああ桜丸の女房もここで果つる定業。夫婦二人は冥土の旅支度となれり。あわやの危機を救った怪しい山伏の正体いかに。◼️ 「追つ付け吉左右(きっそう)お知らせ」と這うばうしてこそ急ぎ行く寺入りの段一方、芹生は京の外れの寺子屋にお師匠武部源蔵の子どもとくらまして、菅公長子の菅秀才百姓倅の子らに混じれば忽ち匂い立つ高貴なお姿。今日からお師匠さんの元で習わせたいと親子連れが訪ねくる。◼️ 愛に愛持つ女子同士、来た女房はなほ笑顔「私事はこの村外れに軽う暮らしてをる者でござりまする。この腕白者を御世話なされてくださりよかと…寺子屋の段切 豊竹呂太夫 鶴澤 清介後 豊竹呂勢太夫 鶴澤 清治豊竹呂太夫は、十一代目豊竹若太夫を襲名とか。贔屓から、待ってましたの声かかる。引き込まれ、呂太夫の語り口滑らかに太棹と共に一本の舞台となる。呂勢太夫が演じる松王丸の複雑な心情を噛み殺した笑いの様、人情絞られる一級の芸術なり。涙ルイルイ。思い詰めた様子で師匠の源蔵が外出から帰る。実は菅秀才を匿っていることが漏れて、その首をうちとれと時平家来に命令され絶対絶命の淵に立たされていた。身代わり立てようにも村の子では似ても似つかぬ。首の検分は家来の中で唯一菅秀才を知る松王丸が果たすことになる。源蔵は寺入りしたばかりの子の風貌が麗しいことを認め、この子を身代わりとして白台に載せ差出す。この身代わりに気付かない筈のない松王丸は、菅秀才の首であると言い切る。時平の家来らはその首を携え館へと戻る。そこへ身代わりの子の母親が戻り、あわや源蔵に斬りかかられた刹那、刀を避けた子の文机からは死に装束がはらりとこぼれ落ちる。実は母は千代。夫の松王丸と企て我が子を犠牲に恩義ある菅公の御台所と長子を助けたのだった。◼️ 「弟子子といへば我が子も同然」「サア今日に限つて寺入りしたはあの子が業か、母御の因果か」「報ひはこちが火の車」「追つ付け廻つて来ませう」と妻が嘆けば夫も目をすり「せまじきものは宮仕へ」と共に涙にくれいたる五段目大内天変の段竹本 小住太夫鶴澤 寛太郎おおお、この大切な仕舞いの段を小住太夫が。織太夫と小住太夫が私は贔屓。特に小住太夫さんのたっぷりふっくらとして品の良い感じが。三味線の寛太郎はえ?大丈夫こんな若手と思ったら、従来の演奏とは異なるかき鳴らし。なんかもっと時流でありつつ、東北や沖縄などの地域が香りたつ演奏というか、これはこれは楽しみと思わせてくれた。通して観劇すれば、菅原伝授手習鑑はやはり五段目までを演じて座りが良い事を知る。五段目を蔑ろにしていると嘆いた近松門左衛門の、今年三百年忌に良い供養ではないだろうか。天変の続く京では菅公の汚名がすすがれ、上皇により秀才の菅原家相続が認められた折も折、時平は怒り焦り、秀才を亡き者とするその時側近は雷に打たれ即死、時平の耳より二匹の蛇出て、桜丸と八重の亡霊に変じ、時平を懲らしめる。菅秀才と姉の苅屋姫がトドメを刺し仇討ちする。少し違和感を覚えたのはこの件。優雅な裏若い苅屋姫と幼い秀才が刃物片手に瀕死の時平にトドメ、というのは今令和の世にはちと生臭い。終わりは菅公の名誉回復のハッピーエンドに重点を置いても良いのではないだろうか。「せまじきものは宮仕へ」と共に涙にくれいたるこの語り口、今の世でも涙くれる善良な夫婦の多い事願うばかり。
2023.09.15
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2023/09/14/木曜日/まだまだ暑いよ。❷手打蕎麦 ふじや新宿区十割蕎麦 980円9/13 お昼時は最近では先客が3〜5組も待つ具合。昨年までは余り記憶がないが。日差しに炙り出され待つ。本日のお蕎麦はとても美味しい。何事ぞ。店員さんに尋ねる。なるほど、なるほど。今日、私は真岡市の新蕎麦を頂いていたのだった。新しいと古いでこんなに爽やかさが違う。蕎麦湯もいつになく美味にてたっぷり頂く。しかし、待ち時間の暑さが癒やされぬ。思い余って、かき氷の道草。成城あんや へ何と。ここでも店内待ち椅子五脚にあぶれて、外並びとは。ようようありつけた宇治金時にむせぶ。ここの抹茶は小倉山。値段はふじやのお蕎麦と同じくらい。まめかんがあるのも嬉しい甘味屋そんなには食べれないので、豆大福を二つ買って帰ります。雑菓子とも思えぬ品の良い大福ざんす。
2023.09.14
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2023/09/13/水曜日/朝夜は過ごしやすく❹手打ち蕎麦 わ川崎市麻生区ざる 780円蕎麦の量は130〜140gというくらいかな。ワサビも少量だけど、注文毎にちゃんとさめ皮おろし、ありがたい。石臼挽きらしいけれど、十割とは思えない。問題は冷水シメを施してなかったこと。これをしないと蕎麦の味はぼやけてしまう。価格は文句なしの800円でお釣り。かき氷その❶は経堂の anamo cafe9/5 1時間並んで待つ。イエ〜すごいボリューム。いちごミルク。930円は今時高くない。アボカドとかカボチャとか人気らしい。かき氷その❷は本厚木の かき氷専門店雪華フルーツソースを2種類選んで800円。抹茶と梨を選択元は飲み屋さんの昼商売風。タバコの匂いが感じられ長い無用。氷の質は今ひとつ。でもソースはそこそこ満足。かき氷の下はミルク氷をかいた層がうずくまる。甘さ控えめなのが良し。
2023.09.13
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2023/09/12/火曜日/30度超えの残暑は厳しい9/8 地下鉄半蔵門駅を出ると台風の風雨音凄まじ。濡れそぼりながら、劇場までの道を急ぐ。この劇場は10月には建替のため閉館となる。新館ご披露は6年先とか。帝国ホテルといい、国立劇場といい、歳月や昭和も遠くなりにけり。この3.4年 文楽、殊に浄瑠璃に惹かれて、2ヶ月毎の上演が楽しみで通った。5月からの通しの菅原伝授手習鑑の後半と曽根崎心中 演目が、あぜくら風の国立劇場最後の上演となる。文楽では五段目終章を演じられることは稀らしく、今回はなんと51年振りに最後まで演じられるとあって、本年の近松門左衛門三百回忌にも相応しく、観客も熱気の満席。10:40開始で、五段目が終わると18:00を過ぎていた。途中休憩を挟んだり 寿式三番叟 などの演目もあったが長丁場だ。とざい、とーざい三段目 車曳の段演じられた頃大阪に三子が生まれ話題となったことを背景に、大阪は佐田の地の、菅原道真公別邸の管理任された百姓に三子の息子があり。京で賜ったご奉公は夫々主人を異にして、政治権力の悲哀をかこつ。三子も主人の忠義と父親古希祝いの孝行の板挟み◼️不忠の上に不孝の罪、桜丸場所は京の吉田山。吉田神社は藤原一族が春日大社から勧請した、そのお社に藤原時平が参詣す。舎人の杉王丸を演じる南都太夫の気迫と熱に染まる会場牛車の長柄を引くは松王丸。豊竹藤太夫がピタリとハマる。敵対する梅王丸と桜丸、兄弟同士のあわや一戦が、お社の前で流血ならぬと時平一声でその場収まる。梅王丸の小住太夫が、出番毎に素晴らしく伸びているように感じられる。ここまで。役割毎に太夫が変わるのも珍しく。茶筅酒の段場面は河内国の佐田村、官公別邸。舞台上座には仲良く並び植えられた菅公愛樹の松、梅、桜。三子の名は菅公自ら授けた主従のご恩あり。今般の古稀に、やはり菅公より新名白太夫を賜り、祝膳の儀。嫁らがわらわら参じるが、その名もそれぞれ千代、春、八重と麗しい。八重の贈り物三方、八重だけを連れての氏神詣の前触れが、華やかで和やかな場面にあって、三味線の無音の音のようにこれからの悲劇を奏でる。喧嘩の段ようよう三子の内、松王丸と梅王丸◼️「ムゝ桜丸はどうして来ぬな。アゝ待ちかねる者は来いで、胸の悪い見とむない面構へ」とうとう掴み合いの喧嘩が始まり、桜の枝を折ってしまうアクシデントのクレッシェンド。訴訟の段折れた桜を咎めず、白太夫。梅王丸の管公元へ参じる願書を聞き入れず、松王丸の勘当は受入。主人時平と敵対する兄弟を心置きなく討つためだろうと松王丸夫婦を追い出す。この段の豊竹芳穂太夫が好い。桜丸切腹の段切、登壇。竹本千歳太夫三味線、豊澤富助うーん、年季が違う。重みが違う。先代名人の浄瑠璃をたっぷり聴いて蓄えた財が違う。それあっての切腹の段のお勤め。◼️「頼みも力も落ち果てゝ、下向すりや折れた桜。定業と諦めて切腹刀渡す親、思ひ切つておりや泣かぬ。そなたも泣きやんな、ヤア」「アゝ、アイ」「泣くない」「アゝ、アイ」「泣きやんない」「ア、アイ」◼️「御恩も送らず先立つ不孝。御赦されてくだされい。下郎ながらはじをしり、義のために相果つる」ここにおいて涙滂沱である。下郎ながら恥を知り。日本人の琴線に響く。そこに被さる老親打ち鳴らす鉦撞木浄瑠璃も三味線も人形も観るものも演じるものも渾然一体。折れた桜を咎めぬ不思議で様子を伺っていた梅王丸は、後を追おうとする八重を引き留める。白太夫は松王丸にあとを託し筑紫へ旅立つ。四段目天拝山の段あれから一年が過ぎた、のどかな山の広がる筑紫。菅公を乗せて牛を引く白太夫◼️「東風吹かば匂ひおこせよ梅の花主なしとて春な忘れそ」侘び住まい近所の安楽寺に一晩で梅の木が生えた事を知った矢先、梅王丸が主人菅公の元に馳せ参じて、御台所と子息の菅秀才が無事であることが伝えられる。◼️「梅は飛び桜は枯るゝ世の中に何とて松のつれなかるらん」筑紫まで追いかけて来た時平家来の平馬の白状で、時平の皇位を狙う企てを知り、菅公は雷神と化し帝守護のため都へ飛んでいく。豊竹藤太夫鶴沢清友ー幕ー
2023.09.12
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2023/09/10/日曜日/暦では白露〈DATA〉 影書房著者 簾内敬司1989年5月10日 初版第一刷1990年2月28日 初版第二刷〈私的読書メーター〉〈読書中「福田村事件」を観て映画と小説が交叉するようだった。戦後10年ほどして谷間の寒村の、見捨てられた湿地の窪地に一人の背の高い男が住み着いた。小学生3人組のぼくらにも村人が男を忌み嫌い、今にも襲い掛かろうと算段の様子が見える。その空気に乗じてぼくらは肝試しに男の陰踏みに打ち興じる。町から母娘二人して逃げ帰った公子の影も面白半分に踏みつけると公子は痛い!と蹲った。ぼくらが人の心の痛みに触れたとき、窪地の男への憐憫が芽生え、公子の母、祖母の悲哀に抉られる。故郷を離れ成人した僕にある日公子の自殺が伝えられる。〉ストーリーは三つの構成からなる。「影踏み」「魂の力」「菩薩花」半分は著者の自伝的要素を含むように思われた。「魂の力」母千代の魂の抜け殻としての死を見て公子が身体の奥の奥から絞り出す声。村人の「心ない」噂や眼差し態度に潜む毒。心を理解する魂が無くて、人間は生き延びられるか。公子や母、祖母がようよう生き延びられたのは僕の母が、いくばくかでもその魂を持ち得た隣人であったからだろう、と著者は描いているような場面が幾つか描かれる。しかし村人の毒は徐々に千代を侵食する。熱さも冷たさもひもじさも睡眠も、何も感じない肉体になり、魂はただただ会いたい人へと抜け出していく。そんなモノ想いに取り憑かれるような、まるで平安貴族の恋物語を我が身の上に感じとれる経験もしくは感性がなければ、読み手はおそらく大仰に感じられる章だろう。認識を他者と共有する困難さを考える時、認識の階層について思う。私たちは計量できるものについては共通認識が持てる。すなわち科学の領域。歴史も一応人文「科学」であるが、これについてはどうだろうか。知られている史実に捏造や加変があるとしたら、共通理解はせいぜい地理地質の分野までだろうか。その先の計量不足な情の絡む分野ともなれば人の数だけ認識の数も増す。そんな私たちが認識を超えて共同体を育てていくには、過去の過ちから学んでそれを個々に克服する作業が必ず問われる筈だ。さて、この本について誰もが過たず共通に認識できるのはコンテンツではなく、パッケージだ。私は 岡茂雄の『本屋風情』読んで以来、パッケージの方にも関心が向く。それは絵画を囲む額縁の如くして。本の重さとか四辺の長さとかページ数とか発行日、出版社、責任表示としての発行者名とか、本のパッケージを具に眺める。で、本の本体にISBNが無い、ことを発見する。おおよそ1980年代半ばには、ISBNバーコードが日本の刊行冊子殆ど全てに付与された。本書発行の年代から考えるとそれがないのは少し不思議だ。装丁は大変しっかりしている。一体影書房とはどんな出版社なのだろうか。と別の方に関心が湧く。ネットで調べてみた。こだわりのある出版社であることが分かる。韓国の詩人など早くから朝鮮文学を日本に伝えている。影書房を立ち上げた松本昌次という出版人もとても興味深い。そしてこの本の初出が影書房の季刊誌「辺境」の6.7.8号に連載されたことがよく理解される。辺境には第一次、第二次、第三次が存在し、前の二つは井上光晴が編集人で、豊島書房から出たこと。第三次が影書房から全10巻出されたことが分かる。その掲載を見ると、列島の周縁から遠い声、小さい声を拾いあげていることがよく眺められる。本作続編の『涙ぐむ目で踊る』は、その季刊誌に連載されていない。さて、それは?
2023.09.10
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2023/09/08/金曜日/午前中風雨強いテート美術館展 新国立美術館 7/12〜10/2先週酷暑の中、ターナーが観たくて出かける。ウィリアム・ブレイクも2点「アダムを裁く神」「善の天使と悪の天使」楽園で暮らしているようなブレイクだが、それは神というゲイテッドオーチャードの中でのみの自由。ブレイクから半世紀人はここまで印象を風景へ、風景を印象へと自由に飛翔させた。大切なのは光としての色光と色彩(ゲーテの理論)大洪水の翌朝 創世記を書くモーセ12色彩環図アンモナイトのようにも見える油絵は他に2点湖に沈む夕日陰と闇 大洪水の夕べターナーからさらに50年。モネ。ポール=ヴィレのセーヌ川風景に神は存在しない。コロナで突然中止になり見られなかったハマスホイが2点。室内、ゆかにうつる陽光↑私には月明かりにしか見えないけれど、好きだなぁ、これ。室内この隅っこの暖房は当時のデンマークの住宅で見られる様式。一つで複数の部屋を温める。コロナ前に行ったデンマークのスカーヘンだかスカーゲン。その地の美術館に所蔵があるはずだが、私はアンカー夫妻の画家のアトリエしか行かず、街のアンティークショップやクラフトショップをふらふらしたことが悔やまれる。しかし画家の室内はハマスハイの描く室内ととても似ている。ハマスホイからほぼ百年心象風景は要素に分解され、展開され、ある規則や偶然に従って変化を見せる示威行為に。その中にも光、陰、色があり、はたまた音が加わりより宇宙的になった。自然科学と共に歩んだアートが一覧される。そんな時代にあっても私は手仕事。↓ニット作製のインスピレーション用に桑沢デザイン時代にはやたらとこんな作品を描いた記憶が。
2023.09.08
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2023/09/05/火曜日/夏が終わらない話題の映画を週末、新宿に観に出かけた。監督 森達也企画、脚本に 荒井晴彦ほか音楽 鈴木慶一森達也といえばどちらかといえばドキュメンタリー作家の印象だけど、こんなオーソドックスな抒情的シーンも描けるんだな。そこは荒井晴彦氏の手腕なのだろうか。でも女性の描き方が相変らず、というか。しかし、それを突き抜けたような田中麗奈は良かった。水道橋博士の怪演は驚きだった。⬛️ 館内劇場に着いた時点で満席。前日に予約したとき既に3分の2は埋まっていたので、平日午前ならともかく当日席は難しいだろう。そのくらいの入り。団塊世代の方が過半数?若い女性も。若い人はどちらかというと一人で来てる人が多い印象。若くない私も一人で来た。⬛️ 予め知っていたこと関東大震災時の流言飛語については、高校日本史資料で目にしたが、授業でまともに取り上げられなかったように思う。今の高校生はどうだろうか?方言を理解してもらえず、香川県から来た薬売り一家が村の自警団によって殺戮された史実は既に20年前に上梓されていた事を私は知らなかった。⬛️ 差別を知る被差別部落に関しては、高校の三年間で1時限割いた授業があった。それまでそんな事は何も知らず、周囲からは半ば浮いていたかもしれない。後年、網野善彦の歴史本に触れて初めて政治的な側面と祭司に纏わる歴史から、ある時点で民間の中にそのような差別意識がフィックスしたことを知った。差別されるものはより下に置かれたものを差別することで自身を浮揚させようとする。それが大多数の私たちだ。学生時代に流行したアジアンテイストなワンピースで街を友人と歩いていたら、年配の二人連れ女性から、チョン公と罵られた経験がある。私はその時何の事かさっぱり分からなかったが、友人が教えてくれた。罵った女性二人は明らかに夜の飲み屋かキャバレー嬢の風体なのだ。切ない。勤務先からの帰途、迷子の男の子がいた。聞くと遊んでいた同級生とはぐれてしまい、帰り道が分からないという。転校生かと聞くと、福島からという。大震災後ままないことだった。大人に言われ遊ぶふりをしてわざと放り出す、そんな経緯が見えた。私は悔しいやら腹立たしいやら、男の子を学校の見えるところまで案内し、副校長に訴えた。心ない言葉をぶつける子たちがいる事を知った。避難してきた子どもの胸の内を想像することすらない。共感の気持ちはどこへいったのか。知らないところで気づかないところで、大小様々の悪意が徒党を組んで差別を生む。⬛️ 映画に見られる差別構造しかし、一方で時代の空気に流されない、屹立した個を際立たせる人間がいる。永山瑛太演じる薬売りの頭目もそんな一人。ツイ最近まで忌み嫌われ、強制的に隔離されていた らい病=ハンセン病者に商機とみるや臆せず近づく。憐れみと商売気のないまぜが可笑しいけれど、村人は伝染を恐れ近寄らないのだ。いつもケチな彼は、鮮人とののしられている飴売り娘の飴を女子どもに大盤振る舞いしたりもする。ところで飴売り役の女優さんが可憐で、素晴らしかった。そのシーンだけで涙ぐんだ。自警団が武器を携え激昂して取り巻き、口々にお前らは鮮人だろうと罵る。薬売りは自分たちは日本人だ、と言うが、頭目は「朝鮮人なら殺していいのか」と自警団に問い返すのだ。薬売りらは部落出身者だった。田舎か都会か、高学歴か否か、金持ちか貧乏人か病者か健康か、日本人か他国人か、支配者か被支配者か、定職者か行商人か、常民か否か、或いは思想による峻別も描かれる。大震災のどさくさに獄死した共産主義、社会主義、労働運動に携わる若い人たちが沢山いた。亀戸事件 としてしられているが、映画はそれにも触れている。この時に民本主義活動をしていた吉野作造も追われていた。『君たちはどう明らか』著者で、戦後岩波少年文庫を編集にあたった思想家だ。宮崎駿は岩波少年文庫で育った人だ。⬛️ 真相を知りたい。声にしたい。日本人の本性というものを知りたい。その歴史、背景を知りたい。特殊な環境下で自分がどんな立場を取るか、あらゆる可能性を考え尽くしておきたい。そのためにはできるだけ、事実を知ることだ。それを担保するのが報道だ。ところが報道は知る権利を報道しないことで歪めている。昔からそうで、今もそうだ。だから情報を鵜呑みにしてはいけない。朝日新聞の天声人語と、政治社会面に報道していることのギャップに驚く。購読者を馬鹿にしている。口先だけ、ペン先だけなら何でも言える書ける。心がない。映画では小さな地方紙ではあるが、報道の世界で真っ直ぐに使命を生きる若い女性が「書かなかったことでどれだけの犠牲者が出たか。新聞記者には書く責任がある。朝鮮人だろうが日本人だろうが、何人だろうといい人も悪い人もいる。そうではないですか。」と上司に訴える。青臭い使命感だろうか。この青臭さがないから今、日本は混迷しているのではないだろうか。ラストシーンが強烈で、靄のかかるような利根川をどこへたどり着くかも知れない舟に一組の男女が乗っている。どこへ行くの?男は明確な答えを持っていない。
2023.09.05
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2023/09/04/月曜日/久しぶりの雨↑図書館で借りたあと、あまりにも気に入って購入。絶版〈DATA〉 岩波書店著者 簾内敬司2001年1月29日 第一刷発行〈私的読書メーター〉〈藝能評論家という肩書きも珍しい。敗戦時10歳で、まもなく麻布中高に進んだ著者は映画クラブで鳴らし、下町の遊び慣れた同級生の薫陶を受け芝居遊びに明け暮れた。日々の暮らしのエピソードはいつか観た芝居、歌舞伎、文楽、落語、新劇、ミュージカルの一コマにピタリとハマる。芝居が人生か人生が芝居か、境目なく捻合わさった一本の紐の如く。茶人だった祖母が普請した数奇屋の実家の隣家表札「寓」には近衛文麿のお妾さんが棲んだ。敗戦後ひっそりと姿を消したら長谷川一夫一家が入居した。北村和夫エピソードに笑う。昭和の時代感たっぷり。〉岩波書店はさすがだなぁ。こういう著者を見逃さない。私は東北がらみで菅江真澄に関心があって、本書をたまたま図書館で手にしたが、そうでもなければおよそ知らないままに過ぎてしまう作家だったろう。1951年生まれということでまだご存命だと思っていたら、もう一期閉じてしまわれていた。高い山の崖地で、知る人なく咲き散る高山植物のように、ひとり太陽や風、雨、星の運行、雲のかたち、たまに訪れる虫たちを眺め充足した。そんな印象を持ってしまう。全10章、どれも何度も味わいたい。この本で知った寒立馬。著者が思い立ってその姿を見に行ったように、私もある日思い立って下北半島にそれを見に行きたい。それに北限の椿の群生。歳取らず死なない女、八百比丘尼の辿る先々の椿をも。
2023.09.04
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2023/09/03/日曜日/雨が降らないインペリアルバーのディテールライト館の時代に部屋に置かれていたスタンド未だ現役の黒電話バー入り口の大きなドアノブカーペットもライトデザイン。ナントカアローズ。ナバホ族みたいなテイスト。スタンドの足元デザインも凝っている。ホテルは当初予算の6倍にまで膨れ上がった。その背景がスタンドの足元デザインからさえ伺い知れる。台形ウロコのようなデザインは職人泣かせか喜ばせか。バー入り口右手にレプリカのスタンドが置いてある。入ってすぐ目の前の本物との違いを見極める目を養うかも?↓バーのもっとも奥まった所に置かれた小卓セットこのテーブルはマリリン・モンロー←シャネルNo.5を付けて寝てる、の有名なインタビューはこの時ホテル内でやりとりされたもの←の宿泊した部屋にあったものとか、同じデザインとか。意外に素朴。けれども小口に彫刻あり手抜きなし。彼女が来日した当時はライト館だ。ライト館に宿泊するために来日する観光客もいたという。彼女とジョー・ディマジオもそんな選択だったのか?↓帝国ホテル初代の模型の向こうに著名な滞在者選択?洗濯といえば帝国ホテルのクリーニング技術。かのキアヌ・リーブスは帝国ホテルでクリーニングしてほしくて宿泊する。とか。写真には残ってないアインシュタイン博士。宿泊時、ドアボーイにチップを渡そうとしたが、受け取らないのが帝国ホテル流。チップ代わりに直筆の、幸福になるための短いドイツ語のメッセージを彼にプレゼントした。長く行方不明になっていたが、先年に海外でオークションに出され2億余円で落札されたのだとか。世紀を超え、同じ場所で日本の顔としてホテルを続けてきた故のエピソードや物語がまた人を呼び寄せるのだなあとしみじみ思う。正面玄関左手でライト館百周年記念展示がただ今開催中。通りすがりに立ち寄ると楽しいひとときになるし、奮発して中2階のインペリアルバーで軽食ランチ←ステーキサンドがオススメらしい←もいい。何しろあと6年の時限つき。さて、帝国ホテルといえばムッシュ村上。私も学生時代に彼の本を買い、問屋街で寸胴鍋やシノワを買いました。ただただコンソメのために。未だにスタッフの敬愛を集めているらしく、彼らにはムッシュとだけ呼ばれているそうだ。東京オリンピック選手村←もちろん最初、の総料理長を務めた彼は、ホテル経営陣の反対を押し切り、ホテル秘蔵レシピだったシャリアピンステーキを全国から集まったシェフに公開して、選手村で振る舞い好評を得たという。シャリアピンは世界に尊敬されたオペラ歌手。歯が悪いが肉好きのため、それにかなうステーキを所望した。それに応えたのがスライス玉ねぎに漬け込み繊維を柔らかくしたステーキでその名が冠された。↓ライトデザインのガラス器には市松好みが。村上自身の工夫が生きたのは、エリザベス女王の午餐会メニュー。注文は魚介類。さすが海の国の女王、お魚がお好きだった。英国といえばドーバーソール。日本にも旨いヒラメはあるぞ、しかしそれだけでは面白くない。エビにヒラメをロールしてスープドポワッソンを濃縮したようなソースのメインを考案した。これを女王は大変褒められた。そしてその一皿に女王が命名したのがSole aux crevettes Reine Elizabeth海老と舌平目のグラタンエリザベス女王風ほうほう。レクチャーを受けているうちにヨダレたらり、お時間も午餐となりぬ。我らは行く、まずは食前の、しかしノンアルカクテル。↑ノジュール読者のためのオリジナルカクテル、ノジュール。底にアラザン沈む。爽やかな柑橘発泡にリゾート色ブラッスリー隣接のこのバー、サンテ?の内装ちょいグランジなお行儀悪さのデザイン元は、あの大地真央さんご主人による。ハッピーアワーが設けられていて、一杯五百円はお得。静々と午餐、と言いつつも砕けたブラッスリーという場所なので気取りなし、が嬉しい。レクチャーで吹聴頂いた通り、エリザベス女王風もシャリアピンステーキも、なんと言ってもダブルビーフコンソメが!メニューの左側にはメニュー由来の物語が素晴らしいと感じたのはやはりビーフコンソメ。透明感とコクが格別。ピカイチはグラタンのソース。どれだけ甲殻類のエキスが詰まっているだろうか。これは何度でも頂きたい。シャリアピンは本当の肉好きには如何。デザートのフランベされたダークチェリーとキルシュ、これに濃いめコーヒーがよく合う。↑メニューは、レクチャーの時貴重な実物を見せて頂いた村上シェフ蔵書印の押された東京オリンピック時のメニュー表という凝りよう。これ、開催者が絶対楽しんでます。そういう企画だから楽しい。私は赤白それぞれワインを頼んだけれど、お水だけで良い方は全行程16000円。帝国ホテルメモ帳のお土産付き。私自身はお得だと思う。最後にコーディネーターの荒川さんに、帝国ホテルすごいですね〜だけでは無い塩質問を投げかけてみた。藤田嗣治がユキを伴い帝国ホテルでボルドーワインをボトルで所望した時のエピソード。荒川さんはさすがよくご存知だった。うーむ、それを知っているというのは相当むにゃむにゃ。でもね、この時私はクセでついツグジと言い、荒川氏にツグハルと訂正され、何だかボルドーラベルの二重写しとなりました。帝国ホテルがグッと身近になった一日でした。
2023.09.02
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2023/09/02/土曜日/外を歩くのが午後からは辛いほど昨日9/1 旅冊子ノジュール企画で帝国ホテルの歴史見学とお食事の会に昨日友人と参加した。奇しくもライト館オープンは100年前の関東大震災の日。集合場所は本館17階ホワイエ。ここからは日比谷公園や皇居の杜が綺麗に見渡せる。先ず案内パンフレットの古い地図の点検からスタート。この地図に帝国ホテルはあるが、東京駅は未だない。当時のターミナル駅は新橋で、これが帝国ホテルから案外近い。↑明治末か大正初めの地図と思われる、とのこと。真ん中黄色の枠が帝国ホテル。建築当時はホテルに隣接して鹿鳴館があり、南に銀座、北にお役所霞ヶ関、西南に新橋駅と、政治、経済、社交、交通の要所だったという。現在のみゆき通り←帝国ホテルと日生劇場間道 は当初はお堀。お堀に面した姿でホテルは建てられた。みゆき通り向こうの日生劇場と宝塚劇場は、もともと関東大震災で消失するまで日比谷大神宮があったが、四ツ谷に移転した今の東京大神宮だとか。当時神前式の結婚式を挙げて、お堀を渡り帝国ホテルで披露宴を行う、というのは上流のステータスだったろうが、神社移転後はその機能はしっかりホテル内に取り込まれた。↓かつてのお堀に沿った長廊下は、中2階にあり、このままロビー上の回廊に繋がる。結婚式の演出に用いられるのかしら?長逗留客のフィットネス散歩道にもなるらしい。帝国ホテルは元々が海外からの要人のための国際ホテルとして官民協働で133年前に、初代会長に渋沢栄一を据えてスタートした。その後、周囲は目まぐるしく変化したものの、帝国ホテルはまるで台風の目のように、その中心で落ち着いている。もっともその台風の目は驚きの短いタームで変態していく。当初の帝冠様式を33年で脱ぎ捨てると、渋沢栄一のたっての希望で、ニューヨーク山中商会の林愛作氏が支配人に招かれる。山中商会の歴史は大変面白い。短い時間ではあったけれど、世界の王侯貴族など超一流の顧客を持つ骨董屋が明治末から大正にかけて日本、世界にあった。この林愛作が、タリアセンのフランク・ライド・ライトを訪ねてホテルの設計を依頼した。実に慧眼であります。愛作とライトがかねてより知人だったとはいえ。コルビジェでもなく、ミース・ファンデルローエでもなく、ライト。ライトは土地やその土地から産出される土、石、樹木というスピリッツに敬意を払い、それらを統合して自身とは異なる文化体系に寄与できる偉大な芸術家だと私は思う。というか、日本の美意識からインスパイアされてその後の彼のスタイルが生まれた。そしてその独自な、自然に対する謙虚な姿は今日益々輝く。帝国ホテル設計時の助手レーモンドは、後に吉村順三を育てた。その時日本側スタッフとなったのは遠藤新であり、ライトの設計思想を明日館や山邑邸に忠実に流し込んだ。そんなライト館もわずか67年で役目を終えて、一部は犬山市の明治村へ。そして現在の本館も50年が経過し、来年からのタワー館建替えの後、新たな姿を2036年に目指すというのだ。渦の中心、台風の目帝国ホテルはその場所に留まり続けながら、自らは激しく振動しているようだ。↓これが新しい本館のデザイン。このデザインと田根剛氏に決まった経緯が知りたいものだ。新本館デザイン案は多田美波さんのフロントシャンデリア、ゴールドローズにも呼応するデザインかな、と感じる。実はこのゴールドローズこそ、東洋の宝石とも言われたライト館オマージュであり、帝国ホテルのヘソ、紐帯かもしれないなあ。↑下から覗くと大輪の黄金の薔薇に見える。ところで、ライトの本館取り壊しに関しては世界中から二千通超えの中止を求める手紙が届き、外交問題に発展するかの騒ぎとなったという。そういう意味では幸福な時代を生きたホテルと言えるかもしれない。今の時代なら取り壊しはできなかったかもしれないですね、と尋ねると、案内の荒川氏はうーんと考え込まれていた。↑小柄でごく普通の方だけど、ミスター帝国ホテルとも呼ばれているらしい荒川氏現在本館で、唯一ライト館時代の大谷石レリーフと彩画の残る壁を有したインペリアルバーも後6年で取り壊しになる。その前に一度はここでカクテルを頂くのも歴史好き、建築好きには大きな喜びだ。その時に注文したいのがティンカーベルという創業100年記念のオリジナルカクテル。ある時、ここを訪れた年配のアメリカ人男性がなぜこの名前をカクテルにつけたのか尋ねたそうだ。彼はティンカーベルを注文し、その場でサラサラと紙にスケッチ鉛筆でティンカーベルを描いた。彼の名はマーク・ディビス。ディズニー映画のアニメーターで、ティンカーベルキャラクターを描き、当然アニメピーターパンにも参加していたという。驚くことにその後彼はアメリカから丁寧に仕上げたティンカーベルの絵をホテルに贈った。ホテルの百周年を祝う言葉を添えて。インペリアルバーではディズニーアニメで大きくなった人びとにも幸せの魔法がかけられそう。ティンカーベルというカクテルと共に。ところで、あの柿ピー発祥もこのバーだった。戦後の占領時代、物価高騰への苦肉の策だったという。お話をうかがうと、今の時代にも大きな示唆を与える事だと勇気が湧く。無いもの、困ったことに直面したら、意外なものを組み合わせる工夫とアイデアで、更に付加価値を高める。根底にその組織への愛があるから湧き出すんだな。
2023.09.02
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2023/08/31/木曜日/夏が1年の半分に?今月はお蕎麦屋さんに行けどもタイミング悪いこと多く、蕎麦日照りが続いた。❹手打蕎麦 ふじや新宿区十割蕎麦 980円炎天下、今までで一番並ぶ。こう暑いとみな食指は蕎麦に向かうらしい。本日の蕎麦はできがよろしくない。先ず冷水で締めていない。蕎麦そのものが多分暑さゆえだろうけど、質が落ちている。気がする。それにツユも濃いだけでカツオの風味が伝わらない。この温度で何もかもが茹で上がって、ダレている感じがする。しかし、9月からはこの蕎麦が頂ける?少し涼風が届くなぁ。道路は暑すぎで酸素も燃焼してないか。ふらふらと甘味屋さんでかき氷。↑あんや の抹茶は上質、ほんと美味しい。宇治ミルク1023円。昔々に四条河原町上ル、辺りにあった 弥次喜多 の抹茶を思い出す。そこでは注文毎にお抹茶を立てていた。
2023.08.31
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2023/08/31/木曜日/酷暑連日❸名代 箱そば川崎市麻生区冷たいかき揚げ蕎麦 450円生蕎麦はコシも感じられる。何よりトッピングのボリュームが喜ばしい。そして最高なのがこの価格!今どき五百円でおつり50円(/ _ ; )時間のない時、いつでも開いてる箱そばさんは小田急使いの心のオアシスだわ。チケットを販売機で購入後は、そのままテーブルで待つ。注文は販売機で完了。知らなかった。経済したし。この暑さだし。かき氷でしょ。倉敷珈琲のかき氷は蕎麦より高かった。バスに乗って帰宅することを考えるだけでめまい。映画キングダム を観て身体を冷やす。大沢たかおさん、あなたは素晴らしい。
2023.08.31
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2023/08/30/水曜日/そろそろ夏バテ8/20 旅も三日目。睡眠不足が続く。朝食バイキングはお粥、ピリ辛漬け少々に尾花沢スイカ一辺倒。バスは乗車した仙台を目指し南下する。その間にも2か所訪問地があり、先ずは平泉。平泉といえば中尊寺本堂に詣でることを忘れ、金色堂のみで終わる方が多いから是非に本堂をお忘れなく、とコールされて蒙を開かれるというか。↑金色堂が格納された建物へのアプローチ。木漏れ日が伽藍の上より注ぐ光の如く。西行も芭蕉も訪れた奥州藤原氏三代の栄華の夢の後五月雨の ふりのこしてや 光堂芭蕉今は八月の光が、蝉時雨の方から樹々の影を道に刻む。金堂を観るのは二度目。本日はまだ観光客も少な目でゆっくり観覧した。↓隣接する、一代前の覆い堂。中で金色堂修復記録ビデオが見られる。前回も色堂建立の経緯を読んだはずが、改めてそうかという気持ちで、威容というよりは優美な金色の、すなわち観音様顕現の細部を眺めいる。中尊寺は開祖を円仁とするが、今の構えを成立させたのは藤原清衡で、1124年のことだった。当時の日本では、ほぼ70年前から末法の世に入ったと人びとは考えた。天平地異、疫病、火災など自然災害が続き、末法思想と結びついて人びとは厭世観に囚われ、弥勒菩薩信仰→浄土信仰へとつながり、仏教は大衆の中へと浸透した。という。政治的には院政が敷かれ権威がダブルスタンダード化する一方、武士の台頭、僧兵の乱闘を見た平安末期。おやおや「どうする家康」の欣求浄土であり、ほんに今の日本、世界に重なることよ。ところでお堂に納められた中尊寺で私の一番好きな場所は能舞台ここでお能が観たいものちゃんと本堂詣もして、ご先祖様お土産となる金色堂に因むお線香を購入。↓ガイドさんにパスタが何色か見てきてね、と言われ。金色かと思いきや。関山下りて、土産物屋2階で昼食休憩。これより最後の訪問地登米市に立ち寄るという。バスに乗るとガイドさん曰く、岩手では団子が空を飛ぶ。起きてる面々は何?新たなUFOの話⁈理解した人は笑う厳美渓がすぐそこなのだった。他にも山形県は全市に温泉があることや、芋煮会の喜び美味しさ牛肉について、仙台出身のガイドさんではあるけれど、東北観光大使さながら真にプロフェッショナルの語り口と愛。朝の連ドラを観るタイミングの無い私にはピンと来ないけれど、おかえりモネ で知られたのがこの登米市←トメシ、なのだとか。ところで登米町はトヨママチと読むとか。うむむ。宮城の明治村とも呼ばれるように、明治時代の建物が残る落ち着いた登米市は、一年ばかり登米県トヨマケンだったことがある。なんと明治の初めには藩と県が混在していた時期があったらしい。本来は登米県庁として建てられたこの平屋庁舎は、水澤県→宮城県と3年の間に転変した。滞在1時間、じっくり見られるのは一つと決めてかつて小学校だった教育資料館へ立派な建物。金持ちの子も貧しい家の子も同じ学舎で、学の私を身に付ける。↑設計者ガラス板の歪みがよい。教室のいくつかは資料室になっている。先日訪れた小諸市との繋がりを発見。小諸懐古園で草笛を吹いて旅人を慰めた禅僧、横山祖道さんはこの地のご出身だった。こんな方が出現する土地柄なのだ、ということを納得してバスに乗る。バスが仙台市内に入り、工場や倉庫が左手に見え始める。ガイドさんは東北大震災の犠牲者をもっとも多く出したのが宮城県であったこと、大川小の避難の詳細や一ヶ月ぶりの自衛隊員が用意してくれたお風呂のありがたかったこと、などを語って下さった。荒浜地区が近づくと亡くしてしまった大切な友人を思い出され、言葉が詰まり、ツアー客は拍手で励ました。そして最後は楽しく笑わせて客をバスから降ろすと深々とお礼の姿に職業人の矜持を感じた次第。うん、バスガイドの旅よし。東北旅の行き先も増える。
2023.08.30
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2023/08/27/日曜日/一日のどこかでは雨あり8/19 いよいよ花輪ばやしの刻驟雨の田沢湖を去り、鹿角市花輪の街の大型バスも止められる かづのみちのえき へ。本当にまあリレーションがすごくよく考えられている。到着すると直ぐにご当地の夕飯がセッティングされていて、他の団体さんも続々と加わる。日本のツアー団体は様々な関係者を伴ってこんなふうに回っているんだなぁ。コロナ禍ピークの時はさぞや心細いことだったろう。敷地内には花輪囃子の展示館も。間も無く各町の屋台が出発の時間までに奇跡的に雨上がる。大雨では金箔施した華麗な屋台は繰り出せないので、一番安堵したのは添乗員さんか。バスの中ではガイドさんの花輪囃子について案内があった。10の町の屋台がお囃子を奏でながら町を練り歩き技を屋台の美しさを競い合う。案内では今のお囃子は昭和7年から始まったと聞いたが、記憶は曖昧。ぐぐってみるともっと古いようだが、いつから誰が何のために、というところははっきりしない。↑辻ででくわした二つの町の屋台の青年ら、直立不動で我が町のリーダー同志の話合いを見守っているような。どちらが先にお旅所に出向くかを討議しているような様子雨上がりの空は明るく、濡れた道路に映し出される。この地を歩きながら何度か『かたづの!』中島京子を思い出した。江戸時代の女城主ねねが、主人公。親戚の盛岡藩主の無理難題に耐え、知恵を働かせて、遠野へ転封されても臣下一同に血を流させなかった名君ねねの霊感の泉はユニコーンみたいなカモシカの角、だった。さて、根城南部は今の八戸市だがむつの港も領地であれば、秋田藩界に近い鹿角も領地ではないだろうか。地名に印象操作されて本を思い出した?屋台の中は老若男女が世代を越えて一つの音楽を奏でる。若い人たちの力漲る演奏と年配者の老練な調子のハーモニーが良い。ところで、このお囃子音頭を若い女性が取る姿に女城主のねねの歴史を呼び覚ます何かを覚えるではないか。↓お旅所は街の北にある 幸稲荷神社全屋台が集まる前にお参りしようと手を合わせていると、神主さんから御神酒を頂いた。幸い也。スーと喉越しのよい品のよいお酒。↑待っているうちにぼんぼり提灯に灯りがともり、風情がイヤます。神様の前に集合しておそらくは今年もお祭りのできることを感謝し、五穀豊穣、商売繁盛、家内安全を守る神を喜ばせようと心を一つにする町衆。その姿の良さは子どもたちの目に刻まれ、その子が大人になってまたその役目を果たしていく。参道へは屋台は入って来ないけれども後から後から町の代表者や若頭、若衆揃い踏みでお祓いされ、みなで御神酒を酌み交わす。そうしていよいよ本格的に屋台は3時間ほどかけてお囃子を打ち鳴らしながら豪壮に駅前広場に集結する。富士吉田のお神輿では町ごとの屋台のお囃子のリズムの競合で、自分たちのリズムを見失うと負け、みたいな規則で闘うけんか神輿だったと記憶する。あれも素晴らしいけれど、これもよい。日々の暮らしの中で、お年寄りの男性がカッコよくて花がある見せ場が用意されている、のが気分がよい。花輪ばやしは今年は8/19、20日の開催。例年30万弱の人びとがここに集い、祭りの気分に浸る。知事賞などの発表が行われ、駅前行事は9時過ぎには終了し、屋台は一旦町に戻ら、深夜まで翌日の用意、朝詰めなどもあるらしい。私たち観光客もバスに戻る時間、再び盛岡奥座敷のつなぎ温泉のホテルに帰る。寝るのはまた明日の日付だろうなあ。バスで爆睡の客が増える。地域の心を一つにする祭りの知恵、これが失われれば町の紐帯も解け、再び統合することは困難だろう。こうして失われた町が全国に数知れず。祭りをこれ以上失わせないようしっかり守れる国、地域であってほしい。
2023.08.27
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2023/08/26/土曜日/昨日はドームで巨人阪神8/19 ツイ習慣で6時半には目覚めて、ホテル内の、昨晩とは違う温泉に浸かる。本日夕方からは花輪のお囃子、その前にあちこち訪ねるらしい。流石に出発は11時朝食前にホテル前の堰き止め湖、御所湖辺りを散歩する。↓地図に登場するシオンの像この像は舟越保武による。昨夜の秋田美人を思い出すようなすらりとした美しさ。そういえば長崎に出かけた時に26聖人記念館の前を歩いた記憶がある。あれは舟越さんの作品だったのか。26番目殉教者、フランシスコ吉が彼のお父様の顔に似てしまったことなどを先日新聞で読んだ。↑フランシスコ吉のスケッチは、そのまま息子さんの作品のよう。朝からとても暑かったが、心地よい散歩の後の朝食では念願の尾花沢スイカをぱくつく。バスは定刻に出発、東北だけど朝から暑い。行き先は角館、ああ憧れの。ここで2時間ばかり過ごすらしいけれど、一体2時間でお昼も済ませて何が見られるかしらん。結局、青柳家敷地内でお昼も済ませ、角館の短い滞在はここで尽きた。3000坪の敷地に幾つも棟があり、樹齢400年になんなんとする屋敷林があり、公開されてあるものだけでも一つ一つ丁寧に見ていけば一日かかるかも。ところで、青柳家のルーツが武田甲州の武器方家臣であった記述を邸内で見たように思うが手元に資料がない。パンフレットで確かめられるのは角館を町割した芦名氏に仕えた後、徳川家康によって常陸から当地秋田に減封の上お国替えされた佐竹氏に仕えた、とある。もっとも「万葉の昔から こがね花咲くみちのくと謳われ、ことにその中心地秋田への転封」←『菅江真澄 みちのく漂流』より。であれば、みちのく転封を逆手に、青柳家の解体新書記念館、すなわち武器に必要な資源である鉱山の豊富な山を入手、武器を造る技術武士集団青柳家を支配して、東北での優位を佐竹氏が諮ったのかもしれない。ところで『解体新書』の挿画家である 小田野直武 は青柳家の血筋とか。平賀源内は当地を訪れ、直武の絵描きの才能を評価し、江戸に呼んだのである。なぜ平賀源内が角館にやって来たのか。それは阿仁銅山の粗銅を精錬して銅から銀を抽出する技術を佐竹藩が欲したからという。その背景をやはり『菅江真澄 みちのく漂流』で旅すがら読んだ。青柳家の解体新書記念館には、さりげなく 阿仁銅山の鉱石の実物が展示されていた。阿仁鉱石は何も語らない。しかし関ヶ原で西軍につき転封、減封の250年の恨みを深謀遠慮の佐竹氏なのではないか。東北諸藩が幕府方につくのを尻目に官軍側に従った秋田藩の軍資金は、阿仁銅山がもたらした銀と銅の莫大な利益なのだ。200年400年はほんの瞬き、でござる。武家屋敷の畳に端座する、侍う主が仄かに見ゆる。↓集合場所に戻る道で気になる建物表にまわると、素晴らしい面構え学問を旨とした質素で清潔な佇まい。今は縁側で秋田民芸を展示、商いの方が手仕事をされていた。バスではガイドさんが、秋田は三方を険しい山に阻まれて、他地域からの影響を受けることが少なかったことや、山々の話をしてくれる。また東北三大まつりプラス山形花笠音頭について秋田竿燈祭りの由来を聞く。昔、秋田の殿様が凶作を心配するあまり病に臥された。そこで民衆は殿様を元気付けようと竿灯を黄金に稔る稲穂に見立て元気付けた、とか。民の竈から煙が上がらぬとオロオロ歩く為政者は今の日本国に見出し難く。窓外の雨を見ながら眠りこける。休憩地の田沢湖辺りでは豪雨。ガイドさんも添乗員さんもあちこちの雨雲レーダー検索を照合しては伝達何しろ今夜の花輪囃子が…どうなる⁈
2023.08.26
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2023/08/24/木曜日/最高気温は33度とあるけれど8/18 会場は天候不安で開催もおぼつかない予想があったためか、思ったよりも混雑は少なく地元の方が多い様子に、また雨があがり安堵する。お囃子には四つの曲目、踊りは「音頭」と「がんけ」の二種「音頭」踊りそのものはとても優雅で指先の使い方や反りが美しい。だが、動きの無いうなじと、袖から見える手首、腕が何故か能弁で艶めかしい。宵闇と篝火が踊り手に影を与え、年配男性の声と大太鼓、小太鼓、鼓、鉦、笛、三味線が高い櫓から降りかかるように包む構成も洗練されている。男女同じ振り付けで踊るけれど、それぞれ個性が少しずつ、着物の柄のように表れて二つと同じものがない。彦山頭巾で踊る人、由来は幾つかあるそうだけど、亡者を表すと受け止められているとガイドさんから聞く。生者と亡者が篝火とお囃子に呼び集められてぐるぐる回り踊る様は誠にお盆に相応しい。「がんけ」を踊る男性。この方、実に美しく待っていた。がんけもまたその由来には諸説あるらしい。月光の夜空を飛ぶ雁の姿から「雁形」或いは、現世の悲運を悼み来世の幸せを祈る「願生化生」の踊り、願化踊、亡者踊とも。確かにどこか鳥の舞のような味わいもあり、鳥が運ぶ魂を表すようでもある。そのがんけの甚句の一番始め♬お盆恋しや かがり火恋し まして踊り子 なお恋しうん、どう考えても亡者が三途の川の向こうから生者と盆踊りを懐かしんでいるように聞こえる。それに比較すると、上方の優雅さを思わせる音頭の地口は♬時勢はどうでも 世間はなんでも 踊りこ踊たんせ日本開闢 天の岩戸も 踊りで世が明けたと、打って変わって賑やか、冷やかし茶化しお色気まぶしの、アドリブづくし、なのだ。秋田県羽後町で毎年8/16〜18に開催される西馬音内盆踊りは、日本三大盆踊りの一つという。700年以上前、源親という修行僧が豊作祈願の踊りを広め、400年ほど前に山形城主最上氏に滅ぼされた西馬音内城主小野寺一族を偲び、家臣たちが踊った盆供養の踊りが融合した、と考えられているそうだ。実際に踊りを体験するとその二つの要素が実感される。西馬音内盆踊りは、二つの捻れで円を描く盆踊りだ死者と生者が交差する回廊だ一番前に陣取れる席は3人用で六千円。団扇付き。盆踊り会館の奥で買える。二人なので個別で一人2500円で買える後ろの高い席が良かったのだけど、ツレの主張を飲む。手拭い好きな我ら。一枚千円を二つ買う。この手拭い、私の勧めた個別席の特典に付いてたらしい。えー、席と手拭いで8000円出したよ?5000円で丸く収まったのよ?3,000円ムダ遣いよ?しかし、一方でそれは死者へのスパチャであるかもしれないと考える私がいる。家計など考え始めれば、地上に意識が戻され、すなわち集合時間が近づいて数字に追われる事とあいなりぬ。盆踊りが終わるのは3時頃となるらしいが、バスツアーはそこまで付き合ってはくれない。 お宿は盛岡市のつなぎ温泉、ここは秋田、盛岡は岩手。当地からは1時間半のバスライドなのである。 殆ど眠りこけ、ホテルに着いたのは12時半を過ぎていたが温泉には兎にも角にも浸かる。目が覚める→ビールとカレーパン→盆踊りの終わる時間に律儀に就寝朦朧とする意識に、色とりどりの端縫い、藍染の浴衣、帯、編笠、秋田美人が走馬灯となり、浮かび、寝落ち、する。
2023.08.24
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2023/08/22/水曜日/蒸し暑い一日8/18 新幹線内でお弁当を食べると気分は旅モード右側深川めし風のお弁当が美味しい。各駅停車やまびこで仙台駅到着はお昼を過ぎ。ここから西馬音内を目指す。その前に時間調整も兼ねて、銀山温泉散歩が組み込まれていた。↓下から観光バス、銀山温泉手前の道の駅ターミナルでマイクロバス乗り換え、5分ほど。小さな渓流を挟んだ宿集落が銀山温泉。カレーパンが名物らしい。夜食用に最後の一つを買う。まあまあ美味しい。エビチリパンは今イチだった。100メートルにも満たない渓流距離を挟んで温泉宿が連なる。そこに沢山の、私たちのような日帰り観光客が押し寄せている。やはり有名どころは人も多く落ち着かない。きっと知る人ぞ知る頃の冬の銀山温泉は格別だったろう、という感慨に浸る。↓「千と千尋の神隠し」のモデルとなったとかいう能登やさん。よく手入れされている印象。↓何軒か挟んで、隈研吾が設計した旅館。周囲の風景に違和感なく馴染んでいる。↓いいなぁと感じたのは左上の古勢起屋別館ファサードから内部を見たいと思わせる演出が優れている。旅館が途切れた奥には勢いの強い滝があり、その周囲は5度ほどは気温が低く感じられた。↑銀山温泉の印象スナップうーん。銀山温泉。時間を忘れてしまったような味わいがあるのに、なんとか銀座みたいな感じが、ちょっとなあ〜。どこかにもっとひっそりとした山中の渓流沿いの鄙びた温泉ないかしらん。さて、スイカの名産地、尾花沢へとバスは再び戻り北上。尾花沢はスイカの生産が日本一なのだけど、冬はかなり積雪を見るとか。そのために住宅の基礎部分が高くしてあるとか、道路の真ん中からお湯が出る仕組みにしてあるとか、ガイドさんは窓外を示しながら特徴を伝える。それに続けて、道であるものを見ると、ああ雪の多い東北に来たなと分かるけれどそれは何でしょう、とクイズも。バス同乗者31人中お一人正解者が。それは信号機の形だった。横向きでは雪に耐えられないので縦向きなのだとか。ガイドさんは仕事とはいえ宮城特産、山形特産、秋田特産から、地理歴史、方言、暮らし、人気のお土産など、それはそれはお詳しい。ユーモアたっぷりで、楽しくためになる。かなり頻繁にトイレ休憩がある。あっという間に夕飯場所である湯沢グランドホテルへ。稲庭うどんやお刺身、天ぷら、お稲荷さんの量控えめ夕飯を頂く。↑グランドホテルのロビーに展示されていた可愛らしいコケシ。最近はコケ女という言葉もあるくらいブームだそう。本日盆踊り最終日、7時半スタートの少し前に会場になる場所へ。お囃子が聞こえ始め、それがだんだん大きくなると何故か吸い込まれるように足も気持ちもせく。
2023.08.23
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2023/08/22/火曜日/もう処暑なのだ先週金曜日から日曜日にかけて、バス旅に参加した。修学旅行を除けば、生まれて初めてバスガイドさんのいるツアーである。西馬音内盆踊りに長年憧れていたツレのご招待でなければ、参加しない?できない?費用対効果予算、である。私なら台湾辺りで費やす予算。お囃子の開催される花輪はともかく、盆踊りの西馬音内は車でアクセスするしかない。近場には宿もない。駐車場をどうするか、日付が変わって泊まる宿の手配は?などなど考慮の末、このツァーとなったらしい。旅行会社に桜咲く前頃に問合せたら既に完売。すごい。熱気を感じるなあ。キャンセル待ち申込で幸運にも急遽参加が決まったのは七月に入ってからだった。東京駅八重洲東口でいつも出くわす、ハタ持ち添乗員さんを先頭に、一列に並ぶグループの一員となるべく北口に集合した。列に加わると旅のワクワクよりは含羞が滲んで節目がちに申し訳なさげに歩みゆく。慣れぬ集団歩行そういえば、海外一人旅をしていた昔日には、あちこちでバスから繰り出す同胞旅団に出会した。甲高い日本語の津波と共にドアから繰り出し、判で押したようにカメラ連写の音なして、瞬く間に引き上げていく。その様相を外から眺めると、彼らには見えない頑丈な皮膜があって、その内部には頑なまでに日本が充満しており、ついぞ外国の地の実態の何ものにも触れ得ず帰国するのではないかそんな感慨を抱いたものだった。それから四半世紀ばかり後の、東北大震災の翌年。アラン島を一人自転車巡りした時にも日本人を乗せたバスが走っていた。その時窓越しに目があった若い女性は、確かに含羞帯びた色をその目にうかべていたのである。何となしに、四半世紀の成熟を私は同胞人に感じ入ったのだ。旅は含羞を含むものだという了解が私にはあるのだな。例によって旅に同行する書籍仙台までのやまびこ内で読んでみる。これが実にどんぴしゃ、どんどんひゃらら二百年前の菅江真澄の漂流した辺りを、真澄が書いた事、ではなく書かれなかった事、内容に目を向けて、二つの時代の東北を漂流する 簾内敬司氏の視点が優れている。文体も実に好ましい。そして、序章でいきなり真澄が信濃を発って出羽國雄勝郡で新年を迎えるという1行に出くわす。その地は湯沢の近く、信濃からは出羽三山、鳥海山を越えた先で、真澄は春先には湯沢の南、雄勝郡の西馬音内の庄、小野郷へ向かう、とある。まさにこれからツァーが盆踊りを観に行く所ではないか。小野郷の小野の村。一千年の昔の美貌と才媛、歌で名高い小野小町の生まれ故郷とのことだ。この章の小野小町の考察も、本と共に実際この地を歩けば更に認識も感興も改まる。8世紀半ば、蝦夷との戦いに明け暮れるみちのくの出羽柵が北進し、雄勝郡が建てられた。その国司に遣わされた官吏が小町の父の小野良実だという。本書からは逸脱するが、小野氏は琵琶湖南面を領地とした渡来人で、何と小野妹子から小野洋子へと連なると白州正子で読んだ記憶がある。著者は序章の最後に、雄勝にはいつも八月に訪ね、西馬音内で盆踊りを見ると記す。さて、著者とどこかで行き違ったろうか。
2023.08.22
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2023/09/01/金曜日/関東大震災から百年〈DATA〉 小学館著者 鈴木エイト2022年10月1日 初版第一刷発行 2022年10月25日 第四刷発行 〈私的読書メーター〉〈元首相暗殺事件。こんなことが今の日本で白昼、衆目の面前で起きるのかという驚き。当初政権も報道もこれはテロである、民主主義への暴虐だといった論調だった。しかし犯行は個人的な怨恨である事、その原因が旧統一教会への過剰な献金による家庭崩壊であることが判明。この教会原理が明るみになるとその内容の荒唐無稽さに質の悪い漫画を見る思いがしたと同時に日本の保守勢力のなんちゃって振りの粗悪さ幼稚さにも呆れ果てた。足かけ8年、お金にもならないだろう追跡を諦めなかった鈴木さん。足で稼いだ情報を目にして大手報道人は何を思うのか。〉あらら。怪しい政治家リストを載せていた下書きが消えている。既に本は手元にないし。感想を何とする、こんな場合。では思いつく昨今のことなど。第二次安倍政権以来、大手マスコミはその責任を果たさなくなった。先の戦争でいかに国民をアジテートしたか、朝日新聞は自らを点検して、決して軍部や政府のスピーカーにはならないと誓った決意も霧に霞む。もはやテレビ新聞に真相を求めることはできない時代であるらしい。ただし、かつてと違うのは鈴木エイトさんのように、インディペンデンスな個人の発信者の存在で、からは希望ではないだろうか。
2023.08.21
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2023/08/21/月曜日/じっとしていても汗ばむ残暑〈DATA〉 文藝春秋著者 小川洋子2023年3月10日 第一刷発行 文藝春秋2020年9月〜21年12月号カバー作品 中谷ミチコ 「すくう すくう すくう」〈私的読書メーター〉〈からだの美というタイトルには「用の美」という民藝運動の思想が思い起こされる。「用いられるからだの美」ともいえる、肩、声、中指、爪先、視線、首、ふくらはぎ、腕、太もも、足の裏、指先といった人間細部。また、ゴリラの背中のシルバーバック、ハダカデバネズミの皮膚、シロナガスクジラの骨、カタツムリの殻という作為のない、自然進化の美への視点も著者らしい。挿入写真が美しい一方で不思議なカバーの、両の掌のようなオブジェが、作品最後の赤ん坊の握りこぶしと響き、連なる生命への賛歌に、力強い肯定になるのが妙、作本の美となり。〉小川洋子さん、名前の字画が既にうつくしい。小さな水源地の側のささやくような水の流れが、はるか海を目指してゆったりと広がる様が見てとれるような。そしてそれを裏切らない作品群。ときどき不思議な窪地の底に潜む水を巻き返し、流れを渦巻かせるような不穏な時も味わいがあるけれど。この作品はすーと、まさに掬う、救う、すくう。福井晶一の声 本当の意味で生身の人間の声に圧倒された、との小川さんの感動を私も同じくした。コロナ禍の前だったろうか、彼の存在が他のすべての役者を引き上げてさえいたように感じた。その前年か、ロンドンのウエストエンドで観た本場舞台、尤もロンドンのステージはみな小ぶりだから、その比較は公平ではないかもしれないけれど、より遥か上を行くパフォーマスに、日本のミュージカルの厚さを認識したのだった。観客席の椅子の奥深くに身体が沈み込むような、そんな感動を覚えている。羽生善治の中指の震え前人未踏の先の一手、その真空のような静けさの中に入るときの畏れに肉体は震える。まるでシスティーナ礼拝堂のアダムの指先バレリーナの爪先重力に抗う筋力では無い、ほかの要素。爪先の鋭い痛みは、アンデルセンの人魚姫が娘の脚を得て、地上を歩くとき、その一歩ずつにナイフで切られる痛み、とあったのをぼんやり思い出す。その痛みが無くて自分が縛られている世界から飛躍することはできないのだ。痛みが、それを見つめる万人をしてサクリファイスと胎底に落ちるとき、芸術が立ち昇るのかもしれない。なんということ。私もゴリラのシルバーバックにすりすりして遊んでみたい。そして叶うものならば、ボートのエイトの一人として、水も空も溶け合った輝きの中を滑るように流れてみたい。
2023.08.21
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2023/08/17/木曜日/朝から灼熱8/16 久しぶりに映画館に出かけた。キングダムとどちらにするか迷いつつも、宮崎駿を選択した。構造的には『千と千尋の神隠し』に似ている。別次元の世界で濃密な時間と体験を過ごし、何かを克服してこちら世界へ戻るとき、子どもはどんな成長を成したか。この内的成長は、その後世の中で彼、彼女が何を大切に世の中に具体的に関わるのか決定的な要因になるだろう。昔話や児童文学が多くこのことを扱っている。長谷川摂子『おっきょちゃんとカッパ』のようなエンデの『ネバーエンディングストーリ』でもありピアスの『トムは真夜中の庭で』でもあるようないわゆるファンタジーは特に。宮崎駿が良質な児童文学から汲み上げたスピリッツのカクテルのような味わいの映画だ。母を空襲の火事で亡くした、牧 眞人は10歳くらいか。その後間も無く母の実家に疎開するが、そこには父の再婚相手である母の妹、夏子伯母が待っていた。しかもおめでたなのである。胎動を眞人の手を取り触らせるのである。これは強烈だ。母を亡くしてまだ2年ほどなのに。父はどうやら戦争で儲かる事業経営者である。おそらく戦後は戦後で物資不足の中で富を得る、凡庸な俗物だが家族を思う気持ちは強い。息子の眞人はその間合いに屈託している。その事実において、眞人は凡庸な俗物ではない。いや子どもとはみなそういう存在かもしれない。その屈託が要因として物語の顛末がある。結果の自傷は自分の悪意によることを、もう一つの世界で眞人ははっきりと自覚する。自覚を促したのは、大叔父の、世界を均衡させる積み石だ。世界を統べる後継者になれ、と大叔父に求められるが、それを作用させる積み石に悪意があるから、僕はつがないときっぱり拒絶する眞人。ここには世界は刻々生成する丸ごとの生命なのだ、手のひらの中で知的に弄ぶゲームではないのだ、という声が聞こえるようだ。さて悪意、である。それがテーマかもしれない。顕在化した時、眞人の悪意は克服されたが、未だ潜在する悪意が眞人を襲う。黄泉平坂の地下世界にお籠もりした、身籠る夏子の呪いの言葉〈あんたなんか大っ嫌い〉で悪意が最高潮に至ったとき、その世界の住人である母ヒサコ=火水ヒミによって焼き清められる悪意。いや、火水ヒミの炎を燃え上がらせたのは、眞人が夏子をお母さんと呼んだ、その嘘偽りのない哀れむ心=愛、真心、の言葉が誘導したのだ。真心のこもった言葉が救いなのだ。人を殺すも生かすも言葉なのだ。私たちは道の別れ目で選択を迫られた時、どちらを選ぶか。果たしてそれが悪意による選択でないと言えるか。生き延びるにはそれしか選びようがないとしたらどうするか。『君たちはどう生きるか』。生きるとは選択の連続なのだ。何かに悩むとき、相談する友だちが現実世界に見出せないとき、例えばコペルくんと共に悩んでみないか。この本の扉のアオサギが道案内するだろう。宮崎駿が12歳になって、塔の老人にもなって、12歳の自分と君に伝えている。
2023.08.17
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2023/08/16/水曜日/突然の雨、時々晴れ今月初め、山からの帰り道、大村博士の生家を中心とした一角を訪ねた。生家の敷地内にある手入れの行き届いた小庭が美しい。この土地は釜無川の南側。地名に神山とあるように小高い山の中腹で、東に眺望があれば富士山が良い角度で見られる。北西遠くには堅固な岩山の上に開けた韮崎市街が見える。大村博士の生家は堅牢な、質素な、力強い、しかし細部においては繊細な、清潔な構えであり、このような在所に産声を上げ、成長する人の人間の容れ物とその精神的内容をあらためて感得させる。お母さまは、結婚後も暫くは小学校教員を務められたのち家庭に入った。大村少年はその母によって学ぶことの大切さを教えられ育ったろう。農家の後を継ぐつもりだったが父から進学を勧められ、地元の山梨大学に進学し東京で夜間学校の教職に就いたのが、そのキャリアのスタートだ。夜間学校では真剣に学ぶ就労学生の姿に刺激され、改めて学び直しを決心し、教師、大学院生と研究の日々を過ごした。教えるものと学ぶもの、医師と病人、それは一対を為す。その良い影響が双方を癒し、伸ばす。この母屋で、大村博士によるセミナーが何度か持たれたそうだ。まさに寺子屋だ。母屋に面して直ぐに蔵が隣接している。母屋とのバランスで言えば蔵は大きく思われる。静謐な空間でまことに好ましい。蔵は改装されて、宿泊可能な貸室スペースとなっている。内装は民藝運動に連なる意匠と家具。日本のスタンダードな暮らしの目指す方向はこれなのでは無いかと思う。生家から徒歩3分ほどに大村博士のミュージアム美術館は大村博士に関わるメモリアルと収集あるいは贈呈された、あるいは女子美大との関わりで購入した絵画や彫刻焼き物などの展示と企画展のコーナーからなる。大村博士が土に親しみ育ったこと、高校大学でスキーに没頭したこと。その好奇心と体力によって土壌の細菌採集、研究実験がやがてノーベルプライズナー辿る道となっていく様が具にわかる。一方で芸術と民藝を楽しまれている様子も美術館と道を挟んでお蕎麦屋さんと温泉。あと清潔な宿と図書館とワインバーがあれば申し分ない^ - ^のだが。
2023.08.16
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2023/08/13/日曜日/残暑、ときどき大雨〈DATA〉 講談社著者 石田夏穂2023年1月24日 第一刷発行 〈私的読書メーター〉〈百頁に満たない中編と短編二つ。主人公は共に自立した、能力の伴う仕事をこなす女性だ。低体温から逃れたい一心で、或いは並外れた太ももコンプレックスで、つまるところ自分は太っていると思い込み(相対的な数値な訳だから)、その克服にどこまでもストイックにゴールを目指し精進する。細くなる、小顔になる、艶やかな肌になる、周囲の態度が変化する。役割としての女性的振る舞いをメタ受容してみる。益々周囲が変わる。ルッキズムというよりは肉体を卑下し、その改造を試み、それによって精神にどんな変化が展開されるか。ディープラーニング?〉殆ど修行僧である。この身体のイジメ方。主人公である私は、身体や感情が反応する前に思考の一拍が必ず挟まれる。意識の前の身体の動きなど無いかのようにまるで人間の生理がAIと同期しているみたい。〈ケチる貴方〉の私=佐藤 の昏倒。頻脈が原因だが、その時の意識の消失はまるでバッテリー切れ、のようでもある。心遣いの出し惜しみを止めると低体温が少し緩和されることに気づいた私は、仏頂面はとりあえす脇に置いて、新人指導に当たる。この新人二人の内、一人が大事な日に遅刻してくるのである。その時の新人くん曰く、「さあせんさあせん」。笑える。そういえば 若い人の あざーす。ケチるって、会話というか物言いに表れております、ことばをケチる貴方。一方、主人公の私 は上司にきちんとすいません、と言える。新人との8年の差という時代変遷。ところで新人の内、一人はエクセルがまともに使えない。年配者はPCが使えない、が意外にも職場では逆転していると、何年か前にニュースで見たけど。今となってはスマホ万能、ヨロズ無料アプリ、レポートはチャットGPT、コンビニでアウトプットなんだから、ゾロリと重いPCを立ち上げ、周辺機器をアップデート気にしながら揃える必要もない。さあせんチャラ男は愛嬌はあれど、オツムはもう一人の新人にある。そしてその新人くんは日をおうごとにケチる貴方、の地金が出てくる、のだ。嘘寒い。寒いねと言えば寒いねと応える人のいる温かさも横滑りの寒さで、物語閉じる。何だろなぁ。〈その周囲、五十八センチ〉太ももの脂肪吸引のところがリアル過ぎて、もうホラー小説のようなんですが。作者はもちろんホラー小説を書きたいわけではないだろう。幼児期より見た目で評価されなかった分、奮闘努力してエリート大学に入る到達点を通過したのち、その営みモードを今度は自分の理想形を手に入れるため、歯を食いしばる痛み、注ぎ込む大金へと情熱を傾けた三十路の女の自己肯定。それを言いたいのでもないだろう。肉体の自然、正直な感情、共感する思考みたいな幸福感から途絶されている、それは令和5年夏を生きる我らのプロブレムである、と。まあ、とりあえずそのように捉えた。8/6、8/9、8/12、8/15全部アメリカと日本が交差する歴史の日、なのだ。本当に苦しんだのは民草ばかり。何を到達点にして、何のためにそこまで自分を蔑ろにして。
2023.08.13
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2023/08/12/土曜日/曇りときどき猛暑先月末から、三國万里子さんのacacia を参考にボレロを編み始めた。暑い日はクロシェが扱いやすいもの。手元にある資料を参考に当たりを899に付ける。クロシェは3号。今更ながら4号が適切だった。糸の推奨は4号。糸はネット購入の野呂さんの綿混カセ糸と東京アートセンターの絹の1プライほどのカセで二本どり。これらは糸巻き機を買う以前だったので、手巻きしたまま保管していた。編もうとすると、さあ大変。編む時間より糸を解く時間が長い。連日日付が変わるまで頑張って、編む⇔解くを頑張ったら、ひどい腰痛に(*´Д`*)2日前↓↓本日。時間の経過と努力のあとがにじむ。玉巻き機は偉大なり、を身をもって知る日々
2023.08.12
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2023/08/11/金曜日/はあ、久々に涼しい朝〈DATA〉 出版社 東洋経済新報社著者 ジェイソン・ヒッケル訳者 野中香方子2023年5月4日 第1刷発行 2023年6月21日 第2刷発行 〈私的読書メーター〉〈今夏の台風の暴虐と迷走、地球規模の酷暑、山火事、大雨。またぞろ復活のウィルス禍。地球環境異変が続く近年。かつてない難民の数、いつ終わるともしれないキャンプでの劣悪な暮らし。なのに世界の穀倉地帯での長引く戦火が食糧難を助長。この状況下で、1%の富豪らは彼らが保有する世界の富の40%を更に嵩上げすべく権力闘争を繰り広げる。資本主義成長神話。当に我ら火宅の人だ。「魂をモノに変えた産業」から再び「モノに魂を」授けられるだろうか。「なぜ二番ではいけないのか」を嘲笑するマチズモから自由で、ビリでもと笑っていられるか。〉経済人類学、そんな分野もあるのね。著者は経済人類学者だ。エスワティニ、そんな国がアフリカにあるのね。著者はそこで育った。もっとも当時はスワジランドと言った。あ、それはなんか耳にしたような。本書は2部立て、第1部 多い方が貧しい第2部 少ない方が豊かこの切り口で第1部では資本主義の台頭とその思想的屋台骨であるデカルト二元論が語られ、自然を搾取の対象とみなす欧州人の価値に基づくテクノロジーの進歩、現状が今後地球にもたらす禍いを、統計やグラフで証明する。ここで、ハタ、と思うのだが。中東のユダヤ人青年、すなわちイエスが3年間説いた初期キリスト教ではなく、ローマ・カトリックによって権威付けられた方のキリスト教って、実はデカルトで完成したんだなぁ、ということ。カーペンターズ兄妹が、高らかにトップオブザワールドを歌う、あの神が創りたもうた最高のクリエイチュアとしての、最高の白色人種の歌、がよぎる。とってもアメリカ的的。第2部では、デカルトではなくスピノザの思潮が欧州で受け入れられていたら世界は別のものに、という著者の考えが述べられている。スピノザはフランドル地方ネーデルランドのユダヤ人で、厳格なキリスト者からは異端扱いされた哲学者だった、くらいの理解しか持たない私。以前からその著作が日本ではブームと言ってよい状況が続き、周囲から読んでみたらプッシュが絶えぬ。ラティオの思潮をいつか捉えたい、とは思う。またまた、ハタと思うのだが。今度は北方ルネサンスの地で、イエスと同じくユダヤ人青年スピノザによってアップロードされた筈の、ブラザーサン、シスタームーンの側の宗教観は結局、強固な権利システム構造の前に粉砕された、と。しかし、そのカケラを集めて世界を再構築するトレンドがある。ということ。人類が生き延びるためにはそちらを目指すしかない。ノースから見れば、地球の生命ネットワークは何とか平衡を保っているように見える。そしてそこで終末から目を閉ざし日々をやり過ごす茹でガエルとなる。そういえば、この前露天風呂で四肢を伸ばして白いハラを見せ浮かんでいるアヤツを見た。私に視ることを強いるアヤツを。が、サウスではもう始まっている。引き戻すことのできない沸点に到達したときを想像できる人はどれだけいるのか。著者は欧州言語で二元論を克服する語り部?として隘路に陥った現代文明を告発する、その原点は少年時代に夢中になった小さな生き物たち。でもでも日本人の私からすれば日本は、アジアはとうにというか、元々汎神論が世界観のベースではないの?身構える必要も無いくらいに、当たり前のように水道の蛇口からお水を飲むように←世界のスタンダードでは当たり前ではない、山川草木全てに同等の生命を感じ、お天道さまが見てござるから人として間違ったことはできない、を身上として祖先を敬い生まれ変わりを信じ、生きてきたのではないのか。生命のない石にさえ、亡くなった人でさえ、世界に張り巡らされた網の結束として私と一体で、その一つが破壊されるなら、世界そのものが消失する、という世界観それはイデアでは無い。身体的な感覚だ。喉を潤す水と同等の、現実的な具体的な感覚だ。またもやハタと思うのだ。成長する、進化する、と言った所で、人類の中に100mを5秒切って駆け抜ける者は登場しない。富士山を超えるビルディングは建たない。生命体も物理体も限界があるのよ。ビッグブラザーに洗脳、コントロールされたひ弱な現代人、わたし、はそんな限界はないと踊り狂う、マーヤの闇祭りの群衆、である。現実を具に観察し、思考する人は現在の気候変動、プラネタリー・バウンダリーは100年河清を待っていられる状況にない、と警告する。渋谷の高級アパートに住むアメリカ人一家が夏休みで2ヶ月留守にする際、200m2の居室のエアコンをオンのまま帰米した。帰宅した時に部屋が暑いのがイヤだから、という理由で。こういう人に付ける薬ってあるの?こういうムードを煽る建築を作る作家、ゼネコン、許認可役所に問題ないの?それで儲かっている人だーれ?それは原発へ核燃料ウランへ、核戦争へとつながらないと言えるの?複雑で暑い日本のパラダイス♫
2023.08.11
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2023/08/08/火曜日/早朝、雨に洗われる❷そばき里 休屋 ★初訪問8/5 相模原市 千木良2色もり+ゴーヤかき揚げ1550円↑以前からネギはツユではなく蕎麦に散らしていたけれど、最近ではワサビもそんな風で食べている。せいろ、田舎共に二八どこ産か聞き忘れた。清々しい甘みの強い蕎麦。ツユも蕎麦湯もテライ無し。ゴーヤのかき揚げも美味しい。お店も清潔、従業員のみなさんもキビキビとして気持ち良い。値段も適正。このお店、店主がそろそろ引退を考えたか、誰かに譲りたい旨の貼り紙があった。我と思わん若い方、いないかな。当地には京王線で高尾山口→駅前から相模湖駅行きバスに乗り、千木良バス停下車、目の前。もちろんこれだけが木的で当地に来たのではない。ところで、高尾山ハイカーがバスには沢山乗車していた。人混みを避け、上るルートが途中ある、のだった。逆に早朝高尾山を歩いて、このバスで相模湖駅に出て帰る方もいるようで、みなさん工夫されている。【番外編】8/6 ブンボーフエ 初めて食べた、フエで食べられている米粉牛肉麺とか。このお店のは鳥、豚、牛の3つが少しずつ入ってたけど、麺は乾麺みたいで今イチ。スープは高温多湿風土にぴたりとハマるお味。
2023.08.08
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2023/08/07/月曜日/立秋7/31 ランチで出かけたジオヒルズワイナリー。先日宿泊した中棚荘ご主人の弟さんが、お父さまの始められた葡萄園を引き継ぎ、しかもワイナリーを最近スタートさせたのだという。お宿で頂いたみまきがはらメルローに惹かれて、どんな場所か興味が湧きやって来た。週末の土日だけ開店。ここは、長い時代に渡り朝廷直轄の産駒の地。殊に望月と呼ばれたこの界隈の御牧は最大の産地だったという。標高700〜800mの台地がぽっかり開いて、遮るものとてない。古代に馬を育てる技術を持った渡来人がここで戦馬を育てた。おそらく騎馬民族にルーツを持つ人にとって、懐かしいような草原風景だったのではないかと想像するのも面白い。どんな言葉が用いられ、元からここに暮らしていた人びととどのように交じりあって暮らして来たのだろうか。お宿からやって来た山羊は今年の秋、初めて番わせるとか。置かれた場所で紐の届くかぎりの雑草を日がなむしり食べている。人の手でやると頭をもたげてそちらを優先する気の良さ。昔の大切な馬たちは野馬と混ざらないよう、自然の地形を生かしながら野間追いの環濠が築かれたという。昔馬。今山羊。来春には子山羊がメエと鳴くか。↑下の2枚の画像は建物一階部分のワイナリーがカフェ入り口から見えるように強化ガラス若しくはポリカーの床仕上げになっている。夢見るワイン樽。四つのテイスティング。右から気軽なブレンドの白、癖のないロゼ左から2番目、秘密と言われた希少な葡萄種の白は日本でまだ2ヶ所ほどしか生産していないという。もはや味も香りも思い出せない(*´Д`*)シャルドネに近い味わいだけど、あの癖のある匂いではなくてもっと優しい香りだったような一番左、みまきがはらメルロー2021は他の3つと異なり、ここの葡萄園のもののみ原料とする。もっとも他の3つも小諸周辺の農家産だという。さて、ドライバーのツレに遠慮して娘と少しずつ分け合い楽しんだテイスティング。このメルローを、白好きな娘はそんなに?な反応。いやいや、この野生のベリーのカクテルブーケは素晴らしいのだよー、強いていえば私好みのタンニンが少なめだけど、まあ所詮は好きか否かでございましょう。ところで、お店には訪問者の色紙が幾つか展示されていたのだけどその中に『神の雫』原作者亜樹直氏の一枚を発見。彼はここのピノノワールを箱買いしているというではないか。え、それはあるの?と尋ねるとソルドアウトとのこと。来年を楽しみにしよう♪メルローを買うのもこの暑さで、帰途1時間半も車に揺られることを考えると諦める。何しろ5500円もするのだから、最適なコンディションで頂きたい。なので、ずっとカジュアルに、シードルを一本購入。きりきり冷やして休みの日の午後に頂くことにする。ワイナリーでは地元の高校生と小学生が組んでラベルのデザインを試みる、地域の人が葡萄園を定期的に手伝う、中棚荘と連携してソムリエを迎えてのワイン会など、地域ぐるみで発展していく予感。ジオヒルズのジオはベトナム語で風の意味だそうだ。カフェの美味しいベトナム料理は、ベトナム、フエ出身の奥様の手料理なのだ。ベトナムでもワイナリーがあるという。いつかそことも連携ができれば、と語るご主人は未だ30代前半。この丘の風はベトナムの丘にまで吹き付けるだろう。美味しい香りをのせて
2023.08.07
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2023/08/05/土曜日/危険な暑さ続く❶そば一仁8/4 世田谷区十割蕎麦細打ち950円十割蕎麦が食べたくなり、寄り道をする。ここの蕎麦は水分多めで、そんなにコシは強くない。この時期、蕎麦の香りが少ないようにも思う。山で食べる蕎麦の美味さは何といっても水に負うところが大きいが、その水の清冽さが、都会では不足するんだろうか。それでもワサビ、十割、ありがたし。↓夏のメニューも
2023.08.05
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2023/08/04/金曜日/格別の暑さ、酸素が少ない7/26、民芸館は不発に終わるが、私にはその先のアイデアがあるのざんす。それは 布引観音堂今回のドライブツーリズムのメインイベントである。ここに行きたかった。しかし、カーナビの個性なのか、いつも早め早めを私に指導するため、とてつもなく細いヘアピンカーブを車を唸らせながら右折したのが間違いの元であった。確かに方向は合っている。カーナビは裏の駐車場をすすめているのかな?などと肯定的に受け止め、対向車は無いと信じ←この辺の心理も面白い。民芸館での対向車無し、の経験がはばかる。農道→林道→トレイル、辺りでもう道が消える。さすがにおかしいと気づく、ちょっとトンマだけど。ならば引き返すしかない、のだ。なーんだ、なんまいだー。カーナビはヘアピンのその先の道を示したのね、以降そのクセ尊重致します。布引観音までの道は対向車の道も確保された立派な舗装道路だ、快適だ。実に文明国家だ。駐車場は平日とあってかスキスキ。牛に惹かれて善光寺詣り、の由来となったこのお寺の縁起が興味深い。↑御朱印をお願いしたら、縁起も頂きました。こんな素敵なものは初めてです。布引山への緑濃い入り口、人は何故こんなところにまで分け入ったのか。山全体が岩のように思われる。それが磐座信仰ともつながる面持ちがする。それによって古来からの神聖な場所であったことも窺える。↑奇岩や岩の上に鎮座するような杉の木?蹴上の高い石段を苔や清水の垂れる音を見聞きしながら登る。途中、立派な山門を通して右上方に岩と一体になった観音堂の基礎柱が見える。今年この一部を補修したとのことだった。人知れず、維持にはお金が掛かっています。牛に引かれて、の発祥地だけあって、善光寺穴と呼ばれる風穴がある。善光寺の創建に歴史的に関わりがあるのだろうか。ふうふうと上り来ると、正面に釈尊寺本堂が座る。絶景にぽーとなる。御朱印を求める方は先に帳面を預けておくようにインフォメーションがある。現観音堂の向こうに霞んで、小諸の街、浅間山↑観音堂に入るには、この、好ましいトンネルを潜り抜ける。にじり口。観音堂とは別に二つの先駆け?社堂や御堂がある。開基は行基と社伝にあるそうだが、いささかその説がありすぎるようにも感じる。室町時代のもの、と言われるこの小さなお堂はたいへん美しい。聖観音が祀られたお宮、この地の観音さまはお幸せ。ここで3年修行したという西行も、芭蕉も訪れ、歌や句を作った。地域性や構えを考えると、おそらく修験道や山岳信仰とも深い繋がりがあったのではないだろうか。お宮格天井には、奉納者の手描きらしい板絵が並ぶ。地域の人のもあるが、なぜか東京、神田区とか深川区など、戦前の地名の絵が多い。そういえば、山道には神田市場の名を記した石仏も幾つかあった。何らかの関わり、或いは当地ご出身の方の寄心だろうか。↑左は何となく役小角を彷彿とさせる。ここは朝廷直轄御牧のあった望月氏の所管地ではないだろうか。そうすると、甲賀忍者筆頭の望月との関わりが垣間見え、芭蕉との関わりも見えてくる。そんな歴史を調べれば、更に興味が湧く。幾度も足を運びたくなる場所だ。
2023.08.04
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2023/08/03/木曜日/昨日より暑い先週水曜日、小諸古城の 中棚荘 に一泊した。素泊まりで一万円某は、私の案内された部屋の施設からすると随分気張った値段かな。とまれ、この界隈の温泉宿では、ここが評価がよろしいようだ。↓え、という急なヘアピンカーブの細い道を、敷地内に降りる。駐車場まで敷地を下ると、何のことはない。そちらか楽に公道に面していた。↑駐車場からのアプローチ、フロントへはこの左手、卓球室を眺めながら更に奥の階段を登る。荷物が多い場合は駐車場に降りる前に、宿玄関前に止めて荷物を渡す方が無難。どうやら素泊まりは、宿にはあまり喜ばしい客ではないようで、当てがわれた部屋は大正館とか、古い方のしかも急な階段を降りた、浅間なる部屋。部屋の中は古くても清潔。もちろんだけどエアコン、冷蔵庫、TVがありトイレ洗面は共同。床は既にのべられていた。元湯治場宿?な地上階のお部屋ではある。↓あら、写真は風情有りで映るるんだなあ2時チェックイン、11時チェックアウトは嬉しい。前後2時間ワイド。兎も角も、長のドライブで疲れました。温泉だー。しかし、宿の温泉。別棟の大正館からはだいぶ離れた場所にあり、かつ階段を50ばかり登っていく。お湯も2度目にはショートカットを見つけ、本館ロビーを経由せずに行くことができた。↓遠路故か?途中休憩所があって、鉱泉が飲める。冷たくも熱くもなくトロリとした水。なんかクセになる飲み心地。↓着替え室から遮るもの無しに、いきなり浴槽というのが面白い。露天風呂の周囲はアマガエルが。浴槽内には茹でガエルが!お湯にくるんで土に帰す( ; ; )温泉は滞在中いつでも翌朝10時まで入ることができる。朝一番、鳥や虫を友にひとりゆったりと寛ぐ。部屋はあいにくでも、使えるスペースは充実している。敷地の傾斜をうまく利用して、古い蔵を移築。中は談話?音楽?読書スペース。フリードリンクも用意されているが、ここではそれ以外は飲食はできないとのこと。ハンモックに収まると、蚊のオヤツが。早々に蔵の中へ。でもやはり蚊に刺され、結局蔵の本を2冊携えラウンジは逃亡。フロントで尋ねて、幾つかのリストから みまきがはらメルロー2021 を選んで2冊の本を眺める。これが実に美味しい。今まで飲んだ国産ワインの中では一番私好みだ。後で壁に貼られた新聞切り抜きで、フランスの国際コンペの日本ジャンル?で金賞を受賞とのこと。ふむふむ、分かる。じっくりワインを飲みながら、本、特に 北国街道 が面白く見入ってしまい、瞬く間に2時間近く過ぎていた。そこで2度目の温泉を後回しにして、部屋までワインのお代わりと馬刺しをお願いする。おおお。極楽。これと持参のライ麦のサンドイッチを夕飯とする。デザートはドライナツメとプラム。大体こういう宿は食べきれないご馳走を出す→罪悪感があり残せない→無理して食べる→お腹がくちくて大好きな温泉に何度も浸かれない。このループから逃れたい。ワインと一品は、私的にはとても良いアイデアだった。あ、でも当初は敷地内の はりこし亭 でお蕎麦とお酒の夕飯の計画だった。けれどはりこし亭は水曜休店で、そこに重なった、という…↓はりこし亭
2023.08.03
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82023/08/01/火曜日/過ごしやすいなぁ、朝は❽そば処 上小路 ★初訪問7/31 韮崎市神山もりそば 760円とりもつ600円、ご飯セット350円↓とりもつが韮崎のソウルフードらしい。とても美味しく、ご飯お味噌汁、香のものセットと共に平らげる。すごいな自分ツレは汗まみれでほうとう。蕎麦粉そのものはこだわりの原種を用いているらしいが、やはり基本がほうとう食文化のせいか、小麦多めのつるり感蕎麦は七三だという。もったいないなあ、十割が食べたいなあ。色味が独特で蕎麦殻も細かに粉砕されて混在している印象。蕎麦つゆが、蕎麦猪口にいきなりたっぷり入れられて供給される。蕎麦湯で薄めたいが、最初は濃い目を我慢して飲み、2回目で好みの薄さに到達。今どき、800円しないもりそば、ありがたい。【番外編】ジオヒルズワイナリーカフェ7/30 ジオヒルズ風フォー600円、だったと記憶米粉の麺、優しいお味ベトナム人奥さまの本格的なフォー、とても美味しい。ベトナム値段を知っているみなは、うむ。ではあるが、適正価格だよー何しろ風景が素晴らしい。
2023.08.01
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2023/07/31/月曜日/山の朝、曇り夏休み第一弾の終了前回は無念の休館。昨日7/30 日曜日、とうとう入館の運び。開いてる開いてる、嬉しいな♫私は手仕事が好きだ。手仕事されたものも好きだ。もちろん平和はかけがえがない。手仕事と平和が結びつく、というのは何かを呼び起こす、と思いながら見学させていただく。入館料は大人300円。そんなに大きくはない。が、小さな町に小さな灯火を掲げる空間だ。平和と用の美の結束点としての民芸、地方の、一人の教師の、80年のコレクションがつややかに並ぶ。民芸館の多津衛の名は、館の初代館長でもありそのコレクションオーナーでもあった 小林多津衛 に因む。明治半ばの1896年に生まれ、21世紀の2001年、満104歳の大往生。その人生は、自己を生かす教育、手仕事の大切さ、美と真の暮らし、平和への願いに貫かれた教育者の生涯だ。二十歳の時に柳宗悦の『ウィリアム・ブレイク』に出会い、その影響を強く受け、白樺派の運動に共鳴すると共に80年に渡り様々な手仕事を収集した。↑ロンドンにはブレイクの作品を集めたギャラリーがあった。詩人の霊感を持つ人だった。多津衛は晩年には地球温暖化など、環境問題に深く関心をもった。柳宗悦の講演が近在の望月であり、それをきっかけに多津衛の民芸の収集が始まったようだが、最初に求めたのは古伊万里の蕎麦猪口だったという。館内の蕎麦猪口コレクションのボリュームは、それ故か充実している。↑左下、コレクションNo.1の蕎麦猪口。右下は佐久界隈の生活雑器である焼き物。まさに用の美。中段には李朝の器、花瓶。上段左の二つ、バーナード・リーチ。→二つの左、河井寛次郎、右浜田庄之助年齢を比較すると宗悦が多津衛より7つほど年上だから、『ウィリアム・ブレイク』は、宗悦が20代に書いたものと想像できる。すごいな。↓柳宗悦が多津衛に贈った書今現在の日本で、こんな幸福な若い出会いってあるかしら。ウィリアム・ブレイク!そういえば、無言館美術館にもいくつか所蔵があった。長野とブレイクは縁があるのか。平和と手仕事が想起させるもの…観覧の内に、このコーナーを見てハッとする。そうだ、それは糸車を回すガンジーの姿だ。と、同時に先日深く考えさせられた、『八月の光』に描かれた 道 が蘇る。ここに、こんなに鮮やかに、ガンジーの言葉が描かれていたとは。「平和への道はない。平和こそが道だ。」なんとも含蓄ある言葉。平和は到達点として存在するものではなく、行為に他ならない。屈せず、たゆまず続ける道としての平和の行為。それを止める、そこから降りる、ということは即ち、反平和の選択なのだ。アメリカ先住民の、「美の中心へと私は歩く」みたいな、花粉の道?の歌を同時に思い出す。美の中心を歩くとき、私の前も後ろも上も下も美しい。それが平和の道である。本日の訪問はとても実り豊かだ。↑左、白馬のデザイン、右は山羊?燭台民芸館のある御牧ヶ原台地は古来より朝廷に馬を納める牧場として日本最大の産地であったという。望月歴史民俗資料館に詳しい。↓図書コーナーや、コーヒー、紅茶のカフェも併設今日はコーヒーを美味く淹れる館長さんが只今ご不在とのことで、カフェは開店休業中。この地域のクラフト作家の作品も少し販売していた。↓ガラス作家さんのスタンドグラスのペンダント購入。2400円だった。竹紙にくるんで下さった。↑対応下さったご婦人の息子さん手製の蕎麦猪口兼お湯呑み、館長のイラスト入り、を(内緒)でくださった!恐縮至極。館では陶芸の体験もできる。音楽会、学習会などの活動もあるようだ。ああ、私の住まいの近所にこんな所がほしい。
2023.07.31
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2023/07/29/日曜日/カッコーの声がこだまする↓たまにはこんな環境下で読みたい。〈DATA〉 光文社古典新訳文庫著者 フォークナー訳者 黒原敏行2018年5月20日 初版第1刷 発行 〈私的読書メーター〉〈引き込まれ読んだ。アメリカ南部の悲劇を描くと同時にその土地の持つ肥沃さが培った向光性とでも呼びたくなる無垢な希望が始まりと終わりに円環している。宗教を持たない私にはとても宗教的な作品と受容された。ネガティブキリスト存在とも言えるクリスマスの、己とは何者か?の切実な問いが来した、飲まず食わずの荒野の彷徨、肉体と精神に及ぼす描写はただならぬ迫真を持ち殆ど求道僧のようだ。また、血族の物語の中に囚われ生きた元牧師を告解へ至らしめる赤子の取り上げ。印象的な道の表出を誘うような信仰告白の響きは八月の残光の如く微かに。〉作品中に現れる印象的な道の描写もう一度確かめたくて読み直す。それはこの文庫本の482頁にある。伏線は476頁。保安官と自警団がいよいよクリスマスに迫る場面。今まさに夜が明けようとする。…吸い込む空気は泉の水のようだ。…怒りや絶望とはまったく無縁な静かな寂寥とひとつになっていくように感じる。『俺が欲しかったのはこれだけだ』そして冷たいまだ暗い泉に顔を映し髭を剃る。『地面の畝のところをたどるほうが楽だが、そうはせず、まっすぐに歩く。短い距離をへて道路に行きあたると、その脇に座り込む。静かに現れ、静かに消えていく、静かな道路だ。白っぽい土埃の上には細い車輪の跡がまばらに残り、ほかには馬やラバの蹄の跡、所々に人間の足跡。』静かに現れ静かに消える静かな道路!メキシコの人がいう カミーノ 日本のひとがいう 神の道これはやがて、コーマック・マッカーシー『THE ROAD』に続くのだろうか。この読書の元、この島国では父親が娘への歪んだ愛情と自覚することを拒絶するような、新しい事件と古い事件が蘇った。『八月の光』の中で、フォークナーは、ひとり見知らぬ土地を目指す臨月のリーナの姿を見た、行きずりの男たちの会話でこう言わせている。この娘にはきっと母親がいない。なぜなら男親はどんなに娘が可愛くても赦せないことをしたら追い出すが、女親はどんなに娘が赦せないようなことをしてもやっぱり可愛くて一緒に暮らすからだ。さすれば、フォークナーは、巷間賑わす日本の2つの事件を見て、この国に父親という構えの欠落を発見するだろう。そして、およそ独立したもの同士の契約ができる交渉相手では無い、と考え、恐喝に至るのは実に簡単なことだろう。物語中、私がもっとも人間的に止揚されていくと思えるハイタワーが、クリスマスなる人物について憐れむ述懐、どんな場合でも、人を殺すことは正当化されるものじゃない。みんなの命を守るために働くことを誓った公務員ならなおのこと、人の命をとってはいけない。それがどういうにんげんであれ、…警察庁長官よ、聞きなさい。法と規則と人間性に基づいて。あなたはフォークナーが嫌いかもしれないが。旧約聖書と、本書の登場人物、そしてフォークナー自身の血脈、アメリカの分断の歴史なども読み解けば、いよいよ興味と好奇心の募る読書だ。
2023.07.29
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2023/07/28/金曜日/午前中は涼しく7/26 本日は遠出した。当初は笊蕎麦・刻で蕎麦、の予定だったが、急遽の休店、あるある(T-T)刻から近い、小諸らしい蕎麦屋を検索❼丁子庵小諸市もり 935円白玉ぜんざいそばアイス 550円蕎麦は二八、せっかくの石ウス挽きだから十割にしたらどうかな、地元の蕎麦なんだし。コシの強さは中よりやや弱めかな。ツユは意外にいけた。あともう少し濃ければ私好み。でも出汁も感じられ美味しい。白玉ぜんざいそばアイスはとてもとても美味しい。周辺もこんな感じで旅愁を誘います。
2023.07.28
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2023/07/28/金曜日/山は爽やかに晴れ渡る7/26 水曜日、意を決して外泊伴う一人ドライブを敢行したのは、公共の交通では辿り着けないような場所をいくつか見学するため、だ。計画策定後に、県道11号が通行止め。あら、八ヶ岳をぐるりと巡る予定は早くも崩れる。したがって八ヶ岳の西側、白樺湖、大門街道や立科を往復することになった。訪問地も順番変更第一番目の 平和と手仕事多津衛民芸館名前の響きが良い!ではないか。民藝の100年展 を観てからこっち、何となく密かなマイブーム、擬洋風建築や古民家、用の美、と古刹への憧れがない混ぜとなり、かつての欧州アンティーク好みの傾向が洗い流される感。別に何かをコレクションしたい願望も無く、ただ眼福を得るというか、独特の出会いの一瞬を待つ、というか。しかし訪問地はGoogleで眺めても道は細く大変そう。でも頑張る。実際対向車が来たらアウトな、車幅に草を擦らせての運転。大丈夫?と自問しながら何とか辿り着く。あら、10時過ぎてるのに森閑としとります。えー(T ^ T)まさかの休館。くくくく。ほんとだ。いつのGoogleを見たんだ!火水木は休館助手席にはレオぽんも座して、漸くたどり着いたらコレだなぁ、私の人生を象徴するなぁと苦笑う。ひまわりが数本、のどかにお日様に顔を向けている。それがまあ、変則の出会い、なのだろう。ばいばい、でもまたね♪帰りは、登ってきた道とは別の道を下りた。コチラがはるかに楽である。細い道がすぐに終わる。次回はこちら側から下の駐車場に停めて行くのがよいかな。
2023.07.28
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2023/07/25/火曜日/雨の気配無しの晴れ私は職場にお弁当を持参している。 なに弁当と呼ぶほどのものでもない、おむすびを3つ詰めるだけのことだ。 タネは辛子明太子、ちりめん山椒。 この二つは不変で、後の一つは季節若しくは冷蔵庫にあるもので変わる。 そして変わらないもう一つがお弁当袋。 これは子どもの学校のバザーで買った、どこかのお母さんのお手製。もう10年以上も、えらく子どもじみた袋を携えている。 そろそろ袋を手前で用意してはどうか。 刺繍糸もどっさり残っているし。↓木綿刺繍糸一本を4号針で。糸巻き代りの木製十字架は、多分フランス、ロンシャンのカテドラルで買った。そこで先週から編み始めた。海図も磁石も無し、な、行き当たりばったりで。ついでに航海日誌ならぬ編み始め画像も失くす。↑一見棒編みの縦横なメリヤス表情が浮かぶ。この編み方を試したくて、お弁当袋となったのだった。わーい、完成U^ェ^U林の背景に溶け込むなぁ。次回はこれにおむすびを入れるよ♪↓朝のお散歩図鑑
2023.07.25
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2023/07/24/月曜日/山はお昼近くなり、温かい炎天下、中央高速双葉で降りて釜無川を渡り、韮崎のトンネルを越えて甲州街道へやがて道路に面した右手に、蕎麦のノボリがはためくのが見える。❻ 満月庵7/22 北杜市 ★初訪問炊き込みご飯セットもり蕎麦 千円思ったより若い女性の明るい笑顔が迎えてくれる。20号線のホコリっぽい暑い空気が一気に遮断されるかのよう。蕎麦は二八だけどとても美味しい、甘みが強く感じられる。普通のもり蕎麦と日々変化があるらしい変わり蕎麦の2色がサプライされるらしいけれど、私は桜もノリもウコンも関心は湧かず。炊き込みご飯はまるで我が家メイド、とでもいうような素朴で家人の健康を念頭に置いたような味わい。付出しの小皿の塩麹和え?も美味しい。デザートのアイスクリームとプリンを二人で分け合う。プリンは今3つな感じだったけど、濃厚なアイスクリームと振り掛けられた煎ったばかり風な蕎麦の実は香ばしくベストマッチ。女性が育てた枝豆、一袋百円を2つ求めて先へと車は行く。
2023.07.23
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2023/07/23/日曜日/山は曇り7/21、N先生のクラスでは スティーブンのサプライズソックアロング を殆どの方が挑戦中例によって、ポップな色取りが楽しくお先がミステリアスな仕掛けで、私も心惹かれる。↑右の模様編みが先生の作品。ミッション編図はここまでらしい。トップダウンの編み方↑左は次回のお題。サコッシュ。面白い編み地で裏表同じ表情、糸はバンブー。けれど、一人あっち向くオットセイのあたし。以前ピンタレストで見つけたものの編み方が分からず煩悶してた私のために、なんと!クラスの方が探し当てて編み図まで用意くださった、ダブルリーフ? の模様編みにトライ↑糸は2PLYのメリノをマンゴスチンで自家染め。濃淡まばらな仕上り。テスト編み中。遅々として進まず当日は20%セール中につき、ポシェット、サコッシュ用にふた玉購入。左は紙、右はレーヨン
2023.07.23
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2023/07/22/土曜日/山の日差しは強い❺ 富田葉7/21 千代田区ミニ丼もり蕎麦セット 980円街の蕎麦屋さん。大概、蕎麦屋には清潔感を望む私ではあるが、ここの雑善ぶりは気にならない。不思議だ。懐かしさが先に立つ、そんなところだろうか。店内奥のお座敷で、近所らしい小学生女子4人が蕎麦をすすっている。賑わう店内はこちゃこちゃ狭いところに、これまた近所で働くまっとうな勤め人の老若男女。難しい事は言わない。普通に二八で東京ありがちの濃い甘いツユ。妙に汁だくな親子丼しかし不思議だ。とても満足して、食べ終わると感謝して、さっと席を離れる。長居をするママ友グループの弾丸おしゃべりや、蕎麦ウンチク無縁の心地よさ。馴染みが長年磨き上げた、蕎麦を出す、蕎麦を食べる、のシンプルな堅実さ。
2023.07.22
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