ラッコの映画生活

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2007.07.10
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カテゴリ: フランス映画
PEAU D'ANGE

85min

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寸評:監督の名作であるよりも主演女優の名作。映画の作りとしては脚本を始め穴だらけなのかも知れないが、主演のモルガン・モレの雰囲気、彼女の存在により忘れられない感動的な作品となっている。本人そのものといった感じのギヨーム・ドパルデューもはまっていた。

ヴァンサン・ペレーズというと俳優。パトリス・シェローの映画、ソフィー・マルソーと共演の『恋人たちのアパルトマン』、アントニオーニの『愛のめぐりあい』なんかを思い出す。そのペレーズ初監督作品。曰く「一夜を共にしただけの男を愛し続け、身を狂わせていく運命の恋を切なく描くラブストーリー」とかって解説だが、見てみると確かに嘘ではないけれどちょっと違った印象。小さな聖女の物語かな?。写真もやっていたというペレーズ、アヴェイラブル・ライト(人工光を加えないそのままの光)で撮った写真のようにごく自然な色調の画面で、話自体が素朴なので合っていた。

主人公アンジェル(Angeleでange=天使という語が名前に入っている)がまだ幼かった頃、鳥を抱えて走ってくる。後を父が「アンジェル」と呼びながら追う。アンジェルが岩山に立つと、抱えてきた大きな鳥が彼女の首の後ろに立ち翼を広げるので、アンジェルに羽が生えて天使であるかのように見える。そんな回想で映画は始まるが、彼女はフランス西部の中都市ショレ近郊の農家の娘。弟妹がたくさんいる。日曜日両親は教会のミサへ。残るアンジェルに弟が「どうしていつもミサには行かないな?」ときくと「だって神がいるなら世の中にこれほど不幸がないはず」と彼女は答える。ちなみに後で「神は信じないけれどイエスは好き」とも言っていた。母が借金だらけだから農地の一部は売り、アンジェルにも外で働いてもらわないとと語る。要するに口減らし。「他人のところで働かせるなんて」と夫は寂しそうだか、妻は「誰だっていつかは他人のために働くものよ」と冷ややか。この物語実は母子関係も一つのテーマだ。アンジェルは金持ちの医者のお屋敷の住み込み女中になり、もう一人の女中ジョジアーヌ(マガリ・ヴォック 『キングス&クイーン』 )と仲良くなる。彼女はアンジェルの歌を聞いて歌手になれと勧める。

その頃グレゴワールは母親の葬式で町に来ている。母のいた家に居ることがいたたまれず、近くのカフェに逃げる。カフェにやってきた親戚はそんな彼をなじる。15年前まだ彼が子供の頃父は家を出、一人息子であったグレゴワールは自分一人に向けられた母親の愛情が重荷になったのか。病気の母を見舞うこともなかった。愛を信じられず、愛すること愛されることが出来ないことで孤独で歪んだ精神に苦しんでいる。目をつけた若いジョジアーヌに音学業界の仕事をしているとウソをついたことから、ジョジアーヌはグレゴワールにアンジェルを引き合わせる。2人は駅で会うが、グレゴワールは最終列車に遅れる。急な豪雨で2人はビストロに駆け込む。母を失ったことの複雑な心理、罪意識と孤独に苛まれ、はじめてのアンジェルをグレゴワールは無理矢理に抱き締める。最初は抵抗するアンジェルだが、グレゴワールの孤独を引き受けるように彼に身を任せ、そして自らも彼の手を握りしめていた。

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この一回きりでグレゴワールはアンジェルを去る。いわゆる一夜限りの遊びっていうのでもなかったと思う。自分勝手って言えばそうだけれど、前夜誰かの慰め、言い換えれば愛を求めていたことは確かだった。そしてそこには他者の苦悩を受け止め、包み込むようなアンジェルがいた。でも自分の生を賭して誰かを愛し愛されるということが出来るまでにはまだ成長していない。途中詳細は省くが、グレゴワールは製薬会社に就職。アンジェルはグレゴワールの勤めるグルニエ製薬のフェーヴル氏の家の住み込み女中となる。グルニエ製薬の製品買ってグレゴワールに近付いた思いに喜ぶアンジェルの純情はいじらしい。フェーヴルは妻との関係が悪く仕事も上手くいかず、解雇される。そんな彼が家に帰ると妻はいない。彼を支えてくれるどころか、オシャレして誰かに会いにいっている。夜中アンジェルが階下の物音を耳にして見にいくと、フェーヴルが妻を思いあまって殺害したところだった。最初の医師のお屋敷で何度かフェーヴルに会っていたことからアンジェルがフェーヴルの愛人と疑われ、妻殺害の共犯容疑で逮捕される。彼女は詳しい経緯やグレゴワールのことなどを自分から話し、彼を無理矢理自分に結び付けることや事件に巻き込むことはしない。

『ふたりの5つの分かれ路』 )がホント素敵。

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以下結末もネタバレ
だらだらと書いてきて半角10000字の字数制限が迫ってきた。後の筋を簡単に書くと、グレゴワールは刑務所のアンジェルに面会に行き、結婚したことや生まれてくる子供を愛せるかどうかの不安を語る。アンジェルはプライドを捨て、過去を精算することを勧め、彼を愛してはいるが彼の愛を無理強いして追いかけはしないと言う。フェーヴルが真実を語り彼女は釈放されるが、殺風景な刑務所内に花を植えに来ていて仲良くなった近くの修道女オーギュスティーヌのもとに身を寄せる。先日見た 『やさしくキスをして』 でケン・ローチは教条的な神父、もっと言えば自分の地位を利用して人種差別をする最低の神父を描かれていたけれど、シスター・オーギュスティーヌのような本当に迷える弱い人間を受け止めて救いを与えようという善意の修道者が実際にたくさんいることも確かだ。3人の修道女が修道生活をする小さな庵。ここでアンジェルは雪が降れば喜び、花が咲けば喜び、かつての刑務所仲間を慰問する。でも偶然のちょっとした事故で彼女は天に召されてしまう。上に書いたようにアンジェルは「神は信じないけれどイエスは好き」と言っていた。人に戒律を課し罰する神が旧約の神だとすれば、人の弱さを受け止め、弱さゆえの罪を自ら背負って十字架にかけられたのが新約の神イエス。アンジェルはこのような聖女だった。シスター・オーギュスティーヌはグレゴワールにそんな彼女とその死を手紙にしたためる。それを読んで初めて母親の墓に参るグレゴワールの姿で映画は終わる。

映画はアンジェルの初恋とその数奇な運命の物語として見ることもできるし、グレゴワールという駄目男の精神の解放と成長の物語として見ることもできる。アンジェルという聖女の物語としても見られるし、加えて親子問題や、特定的にカトリックということではなく宗教観、特に人を許し受け入れることの意味、倫理観、そういうことをも見ることができる。でもそのどれにしても実は中途半端、常套的、穴だらけ。本来なら駄作になっていた脚本だと思う。しかしそれをモルガン・モレがあまりにも体現的に、モレがアンジェルその人ではないかというように演じてしまって、結果感動的な映画になってしまったのだと思う。モルガン・モレにはもう他の映画には出て欲しくない。実際の人間モレがどういう人か知らないけれど、それほどまでにモレ=アンジェル。(まだ字数が余っているようなので余談を書くと)同じように感じる役に 『ふたりのベロニカ』 と『トリコロール/赤の愛』のイレーヌ・ジャコブがいる。その後の作品は『愛のめぐりあい』の他は1本も見ていない。見たくないから。そして 『愛のめぐりあい』 と言えば最後の挿話で翌日修道院に入るという信仰深き女性を演じたのがイレーヌ・ジャコブで、その相手役がヴァンサン・ペレーズだ。ペレーズにこの映画を作らせたヒントにこのアントニオーニの映画があったような気がしてならない。

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Last updated  2007.07.13 15:58:10
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