「セ、パ両リーグ誕生60周年記念試合・プロ選抜vs
大学日本代表」
のこと。
■大学日本代表の4番は、近畿大の 若松政宏
(3年、大阪桐蔭高)だった。
この試合前、大学代表の 榎本保
監督(近畿大監督)は、スタメンを聞かれて
こう答えていたという。 「1番・ 伊志嶺翔大
(東海大3年、沖縄尚学高)
は決まって
いるけれど、その他は未定です」
。実況の 島村俊治
さんはそう話していた。
また別の報道では、 「 今年の日米大学野球(2009年7月)
で4番を打った
中原恵司
(亜細亜大4年、武蔵工大二高) のような選手が、今回はいない
」と
榎本監督がこぼしていたという話があった。
ふつう打順を考える際、1番と4番は最初に決めるはずと思うが、榎本監督の最初
のプランに 「4番=若松」
はなかったようだ。長距離砲が見当たらない大学代表に
おいて180cm、87kgの巨漢・若松は、どこから見ても4番にふさわしい打者に、
ボクには思えたが・・・。
■しかし結論を先に言うと、若松の結果は4打数ヒットなし(2三振)。まるでいい所が
なく、まったくの期待外れに終わった。とりわけ残念だったのは6回表の攻撃のこと。
2番・ 多木裕史
(法政大1年、坂出高)の適時打でスコア1-1の同点に追いつき、
なおも満塁のチャンスに補邪飛を打ち上げてしまったこと。
これは近畿大の先輩・ 大隣憲司
(
京都学園高)との 新旧近畿大対決
でもあったが、
大隣が苦し紛れに内角へ投げ込んだ球を、何の策もなく簡単に打ち上げてしまった
のだから、本人にとってもさぞ後悔の残る打席だったろう。
■ 若松政宏
。大阪桐蔭高時代は2度甲子園に出場した(2005年夏と06年夏)。
同学年に 謝敷正吾
(現・明治大3年)が、そして若松の一学年下には現・日本ハムの
中田翔
がいた。
06年夏の甲子園では、初戦の横浜高を11-6で破り2回戦にコマを進めた。
この時、相手の横浜高には 西嶋一記
(現・明治大3年)や、この試合で本塁打を放った
越前一樹
(現・立正大3年)など、60周年記念試合に一緒に出場している選手たち
がいた。
そして2回戦は、エース・ 斎藤佑樹
(現・早稲田大3年)を擁する早稲田実に2-11で
大敗。この試合の若松は、斎藤に無安打(3三振)に抑え込まれていた。
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