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2016.10.18
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カテゴリ: 探訪

前回、八嶋ケ池と大八嶋社で締めくくりました。この写真は 大八嶋社 の正面です。
この前の参道を北に進むと、産場稲荷社があり、ここから右折して伏見稲荷大社の境内地北辺を巡り三ツ辻の分岐点までの参道があります。 裏参道 という位置づけになるようです。お山巡りのために、本殿をお参りして三ツ辻まで上ってきた参道を帰路にも辿るという代わりに、境内北辺に沿ったこの参道を降りてくる観光客が結構多いようです。10月15日の再訪の折に、私は観光客とすれ違いながらこの参道を上りました。
伏見稲荷大社細見という意味で、こちらの参道をご紹介します。


「産場大神」の扁額を掛けた 「産場稲荷社」 。「産場大明神」の神名が見えるお塚です。

「お産場のこんもりとしたお塚の台地に、昔、神の使者である狐夫婦が土穴を掘って住み、子を宿し、産まれた子狐をいつくしみ、育てる愛情がまこと安らかなものであったそうです。」という伝承から、“子宝・安産”の神様として信仰の対象になっているそうです。 (資料1)

この裏参道にも様々なお塚が群をなしています。かなり規模が大きめのお塚や受付所のあるもの、神社の規模のものまで混在するユニークさがあります。神仏習合、混淆の様が一番うかがえる参道かもしれません。境界地になっているためか、お塚ではなく別の宗教法人と思えるものまであります。区別できそうと思ったものはまずは除外します。特徴的なものをご紹介しながら、裏参道を上りましょう。


「間力大神」 。参道に面した端にこの木像が置かれています。


正面の朱塗り鳥居の傍に 「八霊社 (はちれいのやしろ) という説明碑があります。八角堂の中心に宇迦之御魂命の神像を祀り、各方位にそれぞれの守り干支が配置されているとか。参道から見えるのは、 豊受大神 の石標が立つこの像です。説明にある守り干支の関連でしょうかこの像の前には、巳(蛇)、犬、亥(猪)などの石像が見られます。

この先、裏参道沿いに小規模なお塚がびっしりと並んでいます。一部裏参道と平行してお塚群の中の経路を進むことができる場所があるくらいです。そこを歩いてみますと、その途中に

不動明王石像が祀られて、ちょっとした休憩所まであります。この裏参道を上って気づいたのは、この後もご紹介しますが不動明王像を祀るところが結構あることです。


「金祐大神」 の扁額があ鳥居に掛かるお塚では、 神名碑と共に不動明王像


左の写真は石造鳥居の前に狛犬像が置かれた 「高倉大明神」
右の写真も 狛犬像が置かれ狐像も あります。神名を刻んだ石碑の意匠が特徴的です。


「水越大明神」 というお塚。
右の写真は 「五社大御神」 のお塚。これは稲荷大社の五座の神を意味するのでしょうか?それならば、右に併記された田中大御神と一部重複しそう。薬力大御神や末廣大御神は峯上でも既に拝見しています。三星大御神の三星は何を意味するのでしょうか。
ネット検索すると、三星神社というのがあるようです。関係性はわかりませんが。
尚、三星大神をキーワードにすると、中国語でのサイトが数多くあります。


結構広い区域を占める 「正吉大神」 のお塚。

「白鷹大神」 の扁額が掛けられた社


「豊川ダキニ真天」 の扁額が掛けられたお塚。


朱塗り鳥居には 「荒木大神」 の扁額が掛けられ、 「荒木神社」の石標 があります。



拝殿と社殿もあり、独立した境内の観がありますが、その周囲にもお塚がたくさんありますから、伏見稲荷大社境内の一部とみなしてのご紹介です。



荒木神社の境内の一角に、右の写真の 「口入稲荷大神」 が鎮座します。 「えん結びの神」 だそうで、熱心に参拝している人がいました。その参拝終了を待って撮った写真。
小さな狐形の人形は、 「縁を結ぶ口入れ人形」 。口入れとは「仲人」さんのことで、3体一組の白狐の人形です。ここに置かれているのは、祈願後に家に持ち帰り、願いが叶った暁に。ここに返納されて飾られているのだそうです。

口入稲荷大神の隣には、左の写真 「出世身守不動明王」と三十六童子の石像 が祀られた覆屋があります。
 この覆屋の反対側の一隅にあるのが、 石灯籠
元は御所の南にある町屋の坪庭に燈籠として半ば埋められた形で飾られていたものだとか。その燈籠を掘り起こすと燈籠の棹のところに、「足利稲荷大明神」「おくの坊」と刻されていたと言います。「腰痛の神様」として信仰を集めているとか。石灯籠がここに遷された経緯は詳しく記した説明板が掲示されています。現地でご覧ください。

この神社の先に、お塚群があります。「十二支守本尊 身代不動明王 おたすけ不動尊 縁結び大神」と記された駒札が立てられた一角があります。

通路の入口に 龍神像が あります。

そのすぐ傍になぜか 幸福地蔵と観音像 が。一隅には 弘法大師像 も。

通路の奧の左側に 駒札に記載の諸像が鎮座 します。


左の写真は 「小松大神」 ここも少し大きなお塚。右には様々な集合です。駒札などが立てられています。右の写真が駒札に記載の一つで、 稲荷大神石塚 としてはお山では最大だとか。他の記載は、白髭大神・最上位経王大菩薩・豊川ダキニ真天・朝日大神・導引大神・脳天大神(=首から上、頭の神様だとか)です。


「豊川大神」 の扁額を掛けた参拝所のある 豊川稲荷 もあります。

手水舎、社殿があります。

その脇にあるのが、 白龍大神・黒龍大神 の石標が立つ龍神像です。


「豊国大神」の扁額を掛けた朱塗り鳥居の先には、石造鳥居が連続するこんな箇所も裏参道にはあります。

「腰神不動明王」を祀る「明竹稲荷宮 (ひろけいなりのみや)」 。裏参道の傍から、ちょっと石段を降るところに位置します。名前から足腰のご利益祈願と推測します。



毎日稲荷大神と広告稲荷大神 の併記された扁額が掛けられた朱塗り鳥居も立つ、お塚があります。毎日新聞社の奉納鳥居も社の前に置かれていますから、毎日新聞社の関連でしょうか。

脇道に逸れますが、日本の会社が本社ビルや工場の一隅に稲荷社を勧請して祀っているのは一般的な風習になっているように思います。中でも、有名なのは三井家および現在の三井グループと関係し、独立した神社のある 「三囲神社 (みめぐりじんじゃ) が特に有名です。また、住宅会社が大正時代に高級住宅地の造成開発とともに伏見稲荷大社から勧請されてできた 「千里山神社」 、平成時代の例では2003年に六本木にあるビルの屋上に勧請された 「テレビ朝日稲荷」 (非公開)などもあります。 (資料2,3,4)


「白狐大神」、「玉姫大神」 を祀るお塚。
玉姫大神のお塚は稲荷山には大小をあわせ数多くあります。

裏参道には「身代わり地蔵尊」や「眼力大神」のお塚も。


そして、朱塗り鳥居のトンネル参道を通って、 三ツ辻に到着 します。
多くの参拝客・観光客はこの辻から裏参道を降っていくのです。この日、外国人の団体グループとも裏参道ですれ違いました。

これで、伏見稲荷大社境内とお山巡りの景観ご紹介は大凡終わりです。詳細に見ていくと、まだまだ見落としがあると思いますが、後は百聞は一見に如かずです。現地を巡っていただき、この神域の不可思議さをご体験ください。

今、稲荷社は全国に約19,800社あり、個人の住宅に勧請された屋敷神や会社などに勧請された稲荷社などを含めると4万カ所以上祀られていると言います。 (資料5)
和銅4年に祀られ始めたとされる稲荷神は当初、秦氏・荷田氏を社家として、秦氏の祀る神として継承されました。それが全国に大きく広まり稲荷信仰の対象となったのはなぜでしょうか。色々な要因があるようです。調べて行くとこんな説明が為されています。
1) 古来から水田に稲を作り、米を主食とすることが農耕神の信仰を生み、それが稲荷信仰に結びつく素地がすでにできていたこと。 (資料6)
2) 弘法大師が東寺(教王護国寺)を開創するに際して、稲荷神社が東寺の鎮守とされます。そして稲荷神が真言密教と習合していきます。弘法大師の教え・真言密教が全国に弘められていくと共に稲荷神が広まって行くことになったこと。 (資料6)
3) 寺院のお山は女人禁制でしたが、平安時代から京に近い稲荷山には貴族から庶民まで広く稲荷詣でとしてお山に登り信仰することができたので、身近に稲荷神が受け入れやすい神でもあったこと。 (資料7)
4) 中世から近世にかけ、工業や商業が隆盛してくると稲荷の神格が穀霊信仰、農耕神から殖産興業神・商業神・屋敷神という形に進展し、「衣食住の大祖、万民豊楽の神霊」として信仰され、勧請されるようになること。 (資料6,8)
5) 豊臣秀吉が伏見城の地に「満足稲荷」を勧請して鎮守としたために、全国の諸大名に大きな影響を及ぼしたこと。追随する大名が現れたようです。 (資料8)
  この満足稲荷神社は、元禄6年(1693)に左京区の東大路仁王門下ル東門前町に遷座して現在に至っています (資料9) 。「秀吉が出陣する度に稲荷に戦勝を祈願したところ、稲荷大神の加護を受け一国の支配者となり、『余はひじょうに満足に思うぞ』といったことに因んで、後世になって『満足稲荷』と名付けたものという」とされています。また、豊臣時代に大阪城で祭祀された守護神は玉造稲荷神社だったとか。 (資料10)

裏参道に豊川大神が祀られていますので、日本の稲荷信仰の系統にも触れておきます。
三大稲荷神社と称されるますが、諸説あるようです。そして、笠間稲荷・伏見稲荷・祐徳稲荷神社を三社とする説と、豊川稲荷妙巌寺・伏見稲荷大社・祐徳稲荷神社とする説が有力だそうです。地方により捉え方が異なるようです。伏見稲荷大社が入るのは揺るぎないところです。
豊川稲荷妙巌寺は、寺名が付くように仏教系の稲荷です。曹洞宗ですが、妙巌寺の本尊は千手観音で、境内の鎮守として祀られているダキニ天が稲荷神と同一視されて、豊川稲荷として信仰されているのです。 (資料11)
笠間稲荷神社、祐徳稲荷神社はともに神道系の稲荷神社。笠間稲荷神社の祭神は宇迦之御魂神。祐徳神社の祭神は、倉稲魂大神(ウガノミタマオオカミ)・大宮売大神(オオミヤノメノオオカミ)・猿田彦大神(サルタヒコノオオカミ)です。 (資料12,13)

伏見稲荷大社の周辺についてもご紹介してこのシリーズ記事を終えたいと思います。

つづく

参照資料
1) お産場稲荷 お産場茶屋  ホームページ
2) 三囲神社  :「三井広報委員会」
3) 千里山神社のご由緒   :「泉殿宮」
4) テレビ朝日稲荷  :「神社人」
5) 『知っておきたい日本の神様』 武光 誠著 角川ソフィア文庫 p21
6) 『神道史大辞典』 園田稔・橋本正宣編  吉川弘文館 p83
7) 『事典 神社の歴史と祭り』 岡田荘司・笹生衛編 吉川弘文館 p134
8) 『社寺縁起伝説辞典』 志村有弘・奥山芳弘編  戒光祥出版 p49
9) 満足稲荷  :「京都観光Navi」
10) 『稲荷信仰と宗教民俗』 大森惠子著 岩田書院 p154-162
11) 豊川いなり  ホームページ
12) 笠間稲荷神社  ホームページ
13) 祐徳稲荷神社  ホームページ

補遺
干支(2)方位神  :「日本の暦」(国立国会図書館)
三星神社  :「八百万の神」
三囲神社  :ウィキペディア
日本三大稲荷・五大稲荷とは?  :「神社と古事記」
狐~キスネ(2) ダキニ天の狐・・・仏教系稲荷のキツネ  :「神使の館」
荼枳尼天   :ウィキペディア

   ネットに情報を掲載された皆様に感謝!

(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)


探訪 伏見稲荷大社細見 -1 表参道から楼門・外拝殿へ
探訪 伏見稲荷大社細見 -2 内拝殿・本殿・神楽殿・神輿庫・権殿・お茶屋 へ
探訪 伏見稲荷大社細見 -3 長者社・荷田社・玉山稲荷社・白狐社・奧宮ほか へ
探訪 伏見稲荷大社細見 -4 千本鳥居・奥社奉拝所・新池・お塚・三ツ辻ほか へ
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探訪 伏見稲荷大社細見 -9 周辺(東丸神社、荷田春満旧宅・ぬりこべ地蔵尊・摂取院)へ
探訪 伏見稲荷大社細見 -10 周辺(ごんだゆうノ滝・弓矢八幡宮・大橋家庭園・釈迦堂ほか)へ





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Last updated  2016.10.21 15:04:22
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