遊心六中記

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2016.10.15
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カテゴリ: 探訪

一ノ峰から三ノ峰に神々が降臨された後、それぞれに社が設けられていたのですが、それが麓に遷されます。社伝によると、山上の社殿が火害で焼失し、永享年間(1429~1441)に足利義教の奏達により山上から現在地に遷座したと言われています。ところが、現在の地には「藤尾社」が既に鎮座していたため、「藤尾社」を深草の藤森に遷座させ、稲荷神社を現在地に遷座させたという経緯があるそうです (資料1) 。なお、調べてみるとこの遷座時期についても諸説があります。
稲荷神社はさらに応仁の乱(1467~1477)において、山上も麓の本殿も兵火に見舞われ焼失し、再興されるという変遷を経ています。

稲荷大社のホームページに掲載の「よくあるご質問」を読むと、麓に本殿が建てられ稲荷大神が遷座された後、山上の祠は廃絶され神蹟と称されるようになったのです。後に神蹟の石碑が建立されて拝所が設けられたことになります。
また、「お塚」は「稲荷大神様に別名をつけて信仰する人々が、石にそのお名前を刻んで、お山に奉納したもの」と説明されています。 (資料2)

さて、冒頭の写真は一ノ峰から反時計回りの続きに参道を降り、下から見上げたところです。

ここに位置するのが 「春繁社」 です。拝所には「春繁大神」と記された扁額が掛けられています。拝所の先には小ぶりの石鳥居が立ち、その後に神名を刻した石碑がいくつも祀られています。各峰上に設けられていた無数のお塚と比べると玉垣で囲われて、境内地とする規模も大きくて目立ちます。しかしここもまた「お塚」なのでしょう。


参道を降ると平坦地になります。ここに 「御剱社(長者社)」 があります。

鳥居の傍にある手水舎。
水盤に注がれる水口の部分に剱が造形されています。なぜか?


「御剱社」の扁額が掛けられた石造鳥居が立ち、ここの社殿には 「加茂玉依姫」 が祭神として祀られているそうです。

御神体はこの社殿の奧にある「御剱石(雷石)」です。
この御剱石(雷石)は長者社の神蹟とされ、神祭りの場の一つだったそうです。 (説明板より)


御劔石(雷石)の傍まで上ることができます。注連縄が石の周りに巡らされています。
『名所都鳥』には、「異形の僧がこの地を訪れ、霊力をもってして石に雷を縛り付けた」 (説明板) ということが記されているとか。「近年ではパワーストーンとして話題を集めています」 (説明板)






「焼刃の水」と称される井戸

この御剱社は「鉄工の神様、ものづくりの神様として金属加工事業者や製造業者の信仰を集めている」 (説明板) そうです。

作者は不詳ですが、 謡曲に「小鍛治」という演目 があります。これは京の粟田口に住んでいた刀工・三条小鍛治宗近が稲荷明神の加護を得て、稲荷明神を合槌に名刀を鍛えあげたという神霊譚を扱った能です。
祇園祭の前祭の山鉾巡行において先頭をきる長刀鉾の長刀は小鍛治宗近が打ったものという伝説があります。
一条天皇が小鍛治宗近に剣を打たせよとの夢告を得ます。橘道成が勅命を三条粟田口の宗近に伝えるのです。天皇に望まれる名刀を打つには宗近自身に劣らない合槌がいなければできないと答え、即答をしかねるのです。しかし引きうけざるを得ません。進退窮まった宗近は氏神の稲荷明神にすがります。稲荷明神は童子に化して、鍾馗の持つ剣、日本武尊の草薙の剣の故事などを語り、宗近を励まします。
力を得た宗近は鍛冶壇に上がり天を仰いで祈ると、稲荷明神が槌を手に現れ、宗近の合槌として働くのです。その結果、剣を打ち上げることができ、その剣は「小狐丸」と命名されます。表には小鍛治宗近、裏には小狐と名を入れ、その剣が勅使に捧げられるというストーリーの能なのです。
三条粟田口の北側の路地の奥に、 「合槌稲荷」 という小さな社があります。小鍛治宗近が稲荷明神の合槌を得て剣を打つことができたことに感謝し勧請して建てた小祠と伝えられる社です。また現在、仏光寺本廟内には、小鍛治宗近の旧跡の碑が移設されて保存されているそうです。 (資料3)

この磐座がこの深草の地に定住した秦氏集団が祖先を崇敬する拠り所としたのでしょう。それが境内末社・長者社に遷座されることで、ここが長者社の神蹟とみなされたと想像します。それに「雷石」のエピソードが加わり、一方で謡曲「小鍛治」に描かれた神霊譚が人々の間に流布するとともに、この磐座が御剱石とされるに至ったのではないかと、勝手に想像しています。三条小鍛治宗近が稲荷大神を崇敬していたことをシンボライズしていくということなのでしょう。
それは、フィクションである『源氏物語』が因となって、そこに描かれた場所が「古蹟」と称される縁で繋がり、それぞれ特定されて説明板や駒札で説明されていく経緯と類似のような気がします。わが地元にある宇治十帖の古蹟などはその典型事例だと思います。

人々の信仰心あるいは好奇心、探究心などが具象化された目に見える対象を生み出すことで、そこに逆に思考や精神が投影されて、また己の心を深め高めていくという好循環が生まれるのかもしれません。目に見える形のあるものはわかりやすいですから・・・・・。その一例が仏像でしょう。仏像の影響が神々の世界に及び神像が造形されるという縁を生んでいます。




御剱社の前にもお塚があります。まず興味深いのは、 狛犬像があること です。
稲荷山での数少ない狛犬像の一つです。さらに希少なのは 「乳を飲む狛犬」 という意匠の像なのです。赤ちゃん狛犬が母狛犬の乳を飲んでいる姿。子どもの健やかな成長を祈願してこの姿にして奉納されたのでしょう。狐での意匠にしなかったのはなぜでしょうか・・・・。

 さらに、鳥居のトンネルを降ります。

「薬力の滝」


「薬力の滝」 には、高い位置に突き出された樋から一条の滝水が流れ落ちています。
ここは行場としての機能をもつところなのでしょう。水垢離という言葉を連想します。




滝の右隣には石井大神を祀る「石井社」があり、その右隣に「薬力大神」の扁額を掛けた石造鳥居がたつ 「薬力社」がありま す。数多くの小鳥居の奉納がある一方で、草鞋の奉納もここでは行われています。 「ねがいかけ草鞋」 というそうです。腰痛・身体健康・病気平癒・旅行安全などを願う表れなのでしょう。
薬力社傍の神木

(2016.10.16午後)
「薬力の滝」への入口から参道を挟んだ反対側に 「おせき社」 があります。おせき大神には歌舞伎役者を始め芸能人の参拝が多いとか。「おせき」は「せき」とのかかわりなのでしょうか・・・・不詳です。

(同上 追加2枚)
薬力社の傍にある休憩所が 「薬力亭」 。のど飴が名物だとか。おせき社の絡みがあるのでしょう。
軒下の暖簾には俳優さんなどの名前が白抜きで並んでいます。
(2016.10.15 天気が良かったので、未探訪の箇所を訪ねるために出かけました。その一環で位置関係を再確認しました。写真の追加と説明の一部加筆修正を行いました。 10.15 20:57)


この地点は、傘杉社・天龍社・晴明舍などのある 紅葉谷 に降る参道と、御膳谷・四ツ辻に降る参道との分岐点でもあります。
この時は、 御膳谷への参道を 降りました。 「春日峠」 と称される道です。

降る途中、狛犬像が目に止まります。やはりここではちょっと珍しいから。


「御膳谷神蹟」への石造鳥居と石段
御膳谷神蹟は、「稲荷山三ケ峰の北背後にあたり往古はこの地に御饗殿 (みあえどの) と御竃殿 (みかまどの) があり三ケ峰の神々に神供をしたところと伝えられています。現在では祈祷殿において毎日朝夕お山の神々に御日供 (おにっく) をお供えしています。毎年1月5日の大山祭には故事にもとづいて斎土器(いみどき)に中汲酒 (なかくみざけ) を盛り『御饌石 (みけいし) 』と呼ばれる神石の上に供進されます。 伏見稲荷大社社務所」 (駒札転記)

この鳥居の左右、少し距離を置き境内に上る石段があります。

石段を上がると、 「祈祷殿」 があります。




ご覧のように、この境内地にも数多くのお塚が集合しています。
その中でも大きいのは、上段右の写真の力松大神を祀る 「力松社」 と下段写真にある奥村大神を祀る 「奥村社」 です。

こちらが降り側にある 御膳谷境内地への石段 です。ここは 狛犬が 石段参道の手前に置かれています。





御膳谷奉拝所


御膳谷を降り始めると、「眼力大神 石宮大神」を併記した扁額が掛けられた 「眼力社」 があります。





そこから再び降ると 「大杉社」 です。拝所には「大杉大神 磐根大神」と併記された扁額が掛けられています。

手水の龍頭 神木

そして、四ツ辻に戻ります。

四ツ辻の分岐で北方向に「田中社 権大夫大神」の扁額を掛けた朱鳥居が見えます。 「荒神峰(田中社神蹟)」に向かう参道 です。
田中社は権太夫大神として崇められているそうです。
「この神蹟の後方にまわると景観が開けます。ここでは四辻で見えなかった京都市内中心部から以北が、手に取るように見えます」 (資料4) とのことです。この時は荒神峰には登っていません。
この参道の西側傍に、東山トレイルのルートがあります。その道が東福寺に通じている道です。


青色の丸を追記した場所が四ツ辻。これでお山を一周してきたことになります。
ここから後は降るだけとなります。

つづく

参照資料
1) 『伏見の歴史と文化』聖母女学院短期大学伏見学研究会編 清文堂 p41-68
2) よくあるご質問  :「稲荷大社」
3) 『能百番を歩く』 京都新聞社編 杉田博明・三浦隆夫 京都新聞社 p150-152
4) 大社マップ  :「伏見稲荷大社」

補遺
小鍛治  :「コトバンク」
演目事典 小鍛治  :「the 能.com」
小鍛冶:三条宗近と稲荷霊験譚(能、謡曲鑑賞)  :「日本語と日本文化」
合槌稲荷明神(合槌稲荷神社)(東山区)  :「京都風光」
名所都鳥   :「国文学研究資料館」
  38コマ/全48コマ に稲荷山の記載があります。私には部分的にしか判読できかねます。

   ネットに情報を掲載された皆様に感謝!

(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)


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Last updated  2016.10.21 14:59:38
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