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(構造〉というのは、 あとでまた詳しく説明するが、 数学のなかに隠れている秩序である。 ところで「未開」社会の神話を調べてみると、 そこに必ず(構造)がみつかった。 つまり、 「未開」社会の神話を支えている、 人びとの集合的な思考の働きと、 西欧近代の数学を支えている思考の働きとは、 実態が同じだった。 神話と数学。 このふたつは、 みかけこそ似ていないが、 両方とも同じ秩序を隠している、 二つの制度なのだ。 当然、 知のシステムとして、 どちらがどちらに優越している、 ということもない。 西欧近代の側に 真理が味方しているようにみえるとすれば、 われわれ自身が制度のなかに どっぷりつかっているための錯覚である。「はじめての構造主義」 橋爪 大二郎 講談社現代新書
2016年01月29日
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わが国においては、 西欧的な共和思想に対応する志向として 衆議思想の伝統が定着している。 独裁を排して 衆議を本来の政治決定様式である と考える根本理念である。 その普遍的な常識を 文書のかたちにまとめたのが、 北条泰時たちによる貞永式日 (じょうえいしきもく:一二三二年・貞永元年)であり、 これが明治の学制ができるまでの寺子屋、 つまり初等教育の中心的な教科書であった。 だから、 独裁政治の手法である民主集中制は 日本の伝統とは相容れないものである。「嘘ばっかり」で七十年 谷沢永一 講談社
2016年01月28日
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欲利甚だしければ則ち憂ふ。 憂ふれば則ち疾生ず。 疾生じて智慧衰ふ。 智慧衰ふれば則ち度量を失ふ。 度量を失へば、則ち妄に挙動す。 妄に挙動すれば、則ち禍害至る。 禍害至りて疾・内に嬰(みだ)る。 疾・内に嬰るれば則ち痛禍・外に薄(せま)る。 痛禍・外に薄れば則ち苦痛・腸胃の間に雑(まじ)はる。 苦痛・腸胃の間に雑はれば則ち人を傷ふや攢(さん)なり。(韓非子・解老)「東洋的学問」 安岡正篤 島津書房
2016年01月27日
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日本は日露戦争の結果 クリール諸島を獲得したのではない。 一八五五年にロシア政府と締結した下田条約は、 現在日本が「北方領土」と呼んでいる南クリールを 日本の領土に、 これより北のクリール諸島を ロシアの領土に分割した。 一八七五年の千島・樺太交換条約で、 ロシアは南サハリンを自国の領土とするのと引き換えに 北クリールを日本に引き渡し、 全クリールは日本の領土となった。 日露戦争の結果、 日本が獲得したのは南サハリンであって、 日本のクリール諸島の領有は日露戦争とは無関係であり、 カイロ宣言での「暴力と貪欲」によって獲得した領土には あてはまらない。 ソ連市民と世界の世論に向けて、 日本固有の領土の一角をソ連が占領すること を正当化するためには、 歴史の歪曲が必要であったのである。「暗闘 スターリン、トルーマンと日本降伏」 長谷川 毅
2016年01月26日
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意味論の古典的な考えは、 「外延(extension)」と 「内包(iatension)」を 区別することである。 外延とは、 ある意味(概念)の 適用できる要素の範囲のことである。 例えば、 動物の外延は、 魚や鳥、獣、そして虫などである。 一方、 内包とは、 ある外延の要素が持っている 共通の性質のことである。 例えば、 動物の内包は、 感覚と運動の神経機能を持った生物である。 だから、 単語の意味とは、その内包そのものである。 しかし、 助動詞や接続詞のような「機能語」には もともと意味がないので、 外延もなければ内包もない。 バートランド・ラッセルは、 意味の問題を単語から文へと移すことで、 形式論理学が使えることを示した。「言語の脳科学」 酒井 邦嘉 中公新書
2016年01月25日
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マルクス主義が示していた社会構造の基本のイメージを ひとことで言うと、 人間の社会の諸制度は、 いつも必ず経済上の動機によってのみ動いてきた、 ということになる。 つまり、 「あらゆる歴史は階級対立の歴史」であり、 支配階級と被支配階級との間の利害的な力関係が 諸制度(上部構造)のあり方を決してゆく、 と言うのである。 しかし、 レヴィ=ストロースの神話論や親族構造の研究は、 二項対立、神話素、交換のシステム という補助線をひくことによって、 経済上の動機と目に見える諸制度のあいだには、 人間の無意識が作りあげている 目に見えない制度がはさまっており、 むしろ これが社会的制度の動きに大きな役割を果たしている、 という新しいイメージを提出しているのである。「現代思想の冒險」 竹田 青嗣 毎日新聞社
2016年01月22日
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日本人の労働に対するあり方は、 欧米の概念をもつ人びとには、 オーケストラのようなものだ、 といって説明したらわかりよいだろう。 トライアングルを打つ人から コンサート・マスターや指揮者にいたるまで 全員が一体となってシンフォニーを弾奏する。 そのためには全員が重要だし、 よい演奏をしてオーケストラが成功することを 皆が望んでいる。 シンフォニーが気に入らなかったり、 指揮者の力量が充分でなかったり、 またはトランペットの音が強すぎたりして、 例えばバイオリニストの一人が 違和感をつのらせたとする。 次の鐘が鳴った途端に 彼がバイオリンの弓を投げることなど、 欧米のオーケストラでは しょっちゅう見られる。 そんなことをすれば、 演奏を成功させるためには 結局練習時間が超過してしまうのだが。 しかしこのような反抗は、 日本人には恐らく想像を絶することだろう。「心の社会・日本」 ロレンツ・ストウッキ サイマル出版会
2016年01月21日
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「二に曰(いわ)く、 篤(あつ)く三宝(さんぽう)を敬え。 三宝とは、仏と法と僧なり。 すなわち四生(しょう)の終帰(よりどころ)、 万国の極宗(おおむね)なり。 いずれの世、いずれの人か、 この法を貴ばざらん。 人、はなはだ悪(あ)しきもの少なし。 よく教うるをもて従う。 それ三宝に帰(よ)りまつらずば、 何をもってか枉(まが)れるを直(ただ)さん。」 まごころをこめて三宝をうやまえ。 三宝とはさとれる仏と、 理法と、 人びとのつどいとのことである。 それは生きとし生けるものの最後のよりどころであり、 あらゆる国ぐにが仰ぎ尊ぶ究極の規範である。 いずれの時代でも、 いかなる人でも、 この理法を尊重しないということがあろうか。 人間には極悪のものはまれである。 教えられたらば、 道理に従うものである。 それゆえに、 三宝にたよるのでなければ、 よこしまな心や行ないを何によりて正しくすることができようか。「聖徳太子」日本の名著 第2巻
2016年01月20日
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西洋に限らず、 シナやインドやアラブでもそうだが、 思想や論理というものはすべて自家製でなければならない、 オリジナリティにこそ価値があるという基本に立ち、 そのことに大きなプライドを持っている。 ところが、 日本人はそうしたプライドには固執しない。 できるだけ早く、 できるだけたくさん知っている者が高く評価される社会である。 猪木正道はこうも述べている。 「ボリシェヴィキ政権の欽定イデオロギーがこのように無条件に受け入れられ、 批判を許さない絶対的真理として通用したのは、 自分の知る限り、 文明世界においてはわが国をおいて他にない」 ボリシェヴィズムとは、 裸のマルクス主義ではなく、 レーニンの考えに指導されたロシア版マルクス主義とでも考えたらいいと思うが、 これまたすごい指摘であって、 このあたりの猪木の洞察の冴(さ)えには驚嘆を禁じ得ない。 水戸黄門の印籠(いんろう)ではないが、 世界の文明国の中で日本だけが、 「これぞコミンテルンなるぞ」とか、 「これぞボリシェヴィキなるぞ」と言って差し出したら、 手にとって確かめることもせず、 「ハハーッ」と平伏して、 そのイデオロギーを押しいただいたというのである。「嘘ばっかり」で七十年 谷沢永一 講談社
2016年01月19日
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一九三〇年代に アメリカのサピア(E.Sapir 一八八四~一九三九)と ウォーフ(B.L.Whorf 一八九七~一九四一)が 提唱した仮説とは、 「ある人の話す言語は、 その人の持ち得る考えを支配する」というものである。 言い換えれば、 物事の意味は言語によって異なり、 用いる言語によって思考が決まるという原則であり、 「言語的決定論」と呼ばれている。 また、 人間の思考が言語によって異なるという意味で、 「言語的相対論」とも呼ばれている。 ウォーフは、 言語と文化の間の因果関係を主張したわけではないが、 文化人類字や言語人類学に 影響を与えたことは確かであろう。 言語的決定論が仮説の域を出ないのは、 心理実験などの検証がなかったためであり、 ウォーフが集めたインディアンの言葉には、 翻訳の正確さを欠いていたという批判もある。 しかし、 彼によって有名になったエスキモー語の例は興味深い。 エスキモー語では、 降る雪、 積もった雪、 氷のように固めた雪、 解けかけの雪、 風に舞う雪などをそれぞれ別の単語で表し、 「雪」という総称は使わない。 つまり、 「雪」という一般的な意味それ自体が、 用いる言語によって決められていると考えられる。「言語の脳科学」 酒井 邦嘉 中公新書
2016年01月18日
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「神話」というと、 ギリシャ・ローマ神話や、 アマテラスとスサノヲの日本神話が、 すぐ頭に浮かぶだろう。 文字が伝わる遠い以前、 われわれの祖先が 天地の成り立ちについて語り伝えていたものが、 神話である。 旧約聖書のなかにも神話が含まれているし、 神話をもつていない民族はいない。 「未開」社会も同様で、 人類学者が入りこんで調べてみると、 あるわあるわ、 自分たちの祖先がどこから生まれたかとか、 穀物をどうやって手に入れたか、 というような神話のオン・パレードである。 現地の人びとのものの考え方を知るうえでも大切なので、 重要な調査項目のひとつになった。「はじめての構造主義」 橋爪 大二郎 講談社現代新書
2016年01月15日
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わたしの考えでは、 どんな複雑なニュアンスを持った思想も、 それがそれまでの(世界像)に対する 編み変えの作業にすぎないという側面では、 必ずもっともシンプルなかたちに翻案することができる。 思想を要約したり翻案したりすることには、 その思想家の独特なニュアンスを 殺す危険があるということも本当だが、 しかしどんな複雑難解な思想も、 それがひとりひとりの読み手によって 受け取られるときには、 必ずその読み手の中で、 一体今までの(世界像)の どこが編み変えられたかという要点が、 いちばんシンプルな形に置き直されて 受け取られているのである。「現代思想の冒險」 竹田 青嗣 毎日新聞社
2016年01月14日
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「日露戦争におけるロシアの敗北は ロシア人の意識に苦痛な記憶を遺した。 それはわれわれの歴史に汚点を残したのである」 と述べた。 ここでスターリンはこの演説の中で もっとも有名な言葉を口にした。 「われわれ古い世代はこの汚点を 四十年のあいだ取り除こうとして待っていた。 この日がついにやってきた。 今日、日本は敗北を認め、 無条件降伏の文書に署名した」 日露戦争を真珠湾と取り替えてみると、 スターリンとトルーマンの演説が いかに似通っているかに気がつく。 しかし、このマルクス主義とは無関係な、 きわめて民族主義的な語句は、 その次に来るこの演説のなかでも もっとも重要なくだりへの序文だったと言ってもよい。 「これは南サハリンとクリール諸島がソ連に引き渡され、 今後ソ連を太平洋から孤立させるのではなく、 またわが極東への 日本の攻撃の基地として利用されるのではなく、 ソ連をこの大洋と結びつけ、 わが国を日本の侵略から防衛する 基地となることを意味する」 演説のこの箇所は、 スターリンの極東での軍事作戦の動機を説明している。 スターリンは何よりも地政学的利益を追求したのであり、 イデオロギーや革命的利益を その動機として認めることはできない。 そしてこれはスターリン個人のみが抱いた動機ではなく、 ソ連の政治・軍事エリートに 広く共有されていた価値であった。「暗闘 スターリン、トルーマンと日本降伏」 長谷川 毅
2016年01月13日
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レヴィ=ストロースによれば、人間は三つの水準でコミュニケーションを展開します。 財貨サーヴィスの交換(経済活動)、メッセージの交換(言語活動)、そして女の交換(親族制度)です。 どのコミュニケーションも、最初に誰かが贈与を行い、それによって「与えたもの」が何かを失い、「受け取ったもの」がそれについて反対給付の責務を負うという仕方で構造化されています。 それは、絶えず不均衡を再生産するシステム、価値あるとされるものが、決して一つところにとどまらず、絶えず往還し、流通するシステムです。 しかし、この説明だけでは人間的コミュニケーションの定義としては足りません。 というのは、婚姻規則に典型的に見られるように、反対給付は、二者のあいだでピンポンのように行き来するのではなく、絶えず「ずれてゆく」からです。 ある男Aが別の男Bから「その娘」を妻として贈られた場合、その男Aは「自分の娘」を男Bに返礼として贈るのではありません。 別の男Cに贈るのです。「寝ながら学べる構造主義」 内田樹 文春新書
2016年01月12日
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一九四五年、原子爆弾がヒロシマとナガサキに落ちた。 ずっと以前から、人々はアインシュタインの思想を聞いて知っていた。 原子という物質は、われわれが知っているあらゆるエネルギー、われわれが技術的に処理しうるあらゆるエネルギーに比して、圧倒的に大きいエネルギーを内に含んでいる。 アインシュタインは質量とエネルギーに関する有名な方程式をうちたてた。 けれども、われわれはこのエネルギーを原子からひきだすことができなかった。 そこで、これは実際には何の意味もない思弁であるように見えた。 こういう意見は、ちょうど、われわれは火山の上に坐っているけれども、この火山は決して爆発しないというのと同じであった。 まだ第二次世界大戦のさいちゅうであったが、或る有名なドイツの物理学者は、原子爆弾を製造することはできないと推定していた。 ところが、一方、ヨーロッパからアメリカへ移住した人たちは、もうそれをなしとげてしまっていた。 突然、原子爆弾はヒロシマで現実となった。 しかも、ドイツの物理学者たちはこの第一報を信じなかった。 けれども、やがて彼らはがくぜんとした。 それを知ることのできたすべての人も同様であった。 科学の能力についての誇りは、いまはじまったばかりのこのできごとに対する不安のまえに、屈してしまった。「哲学の学校」 カール・ヤスパース 河出書房
2016年01月08日
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チョムスキーは、 自然言語には文を作るための必然的な文法規則があり、 これが普遍的かつ生得的な原理であることを提唱した。 一方、意味や概念の学習は後天的であり、 単語と意味のつながりは連想に基づくものであって、 その連想関係は偶然的である。 また、言語能力は、 文法規則に従って単語の組合せを変えながら 常に新しい文を作り出せるという意味で、創造的である。 これに対し、単語と意味のつながりに関しては、 一つ一つの組合せを模倣するしかない。 自由に単語を(例えば、犬を「ぬい」などのように) 作ってしまったら、 もはや同じ言葉を話す人との 普遍的なコミュニケーションが 成立しなくなってしまう。 従って、 獲得は普遍性から多様性を生み出す演繹的な過程であり、 学習は多様性から普遍性を生み出す帰納的な過程である。 言語獲得は一定の成長の過程をとるのに対して、 学習の過程は教育のやり方で大きく変わるし、 個人差も大きい。 文字や第二言語の勉強に学校教育が貢献しているのも、 学習の必要性を反映したものである。 母語における文法の獲得や使用は、 無意識的に行われるのに対し、 第二言語を習得するときに 意識的な反復学習が必要なのは、 多くの人が経験済みであろう。「言語の脳科学」 酒井 邦嘉 中公新書
2016年01月07日
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上兵は謀を伐つ。その次は交を伐つ。その次は兵を伐つ。その下は城を改む。(孫子・謀攻) 「上兵は謀を伐つ」。 相手の作戦、相手の攻略すなわち謀を伐つのだ。 政策・戦略・謀略を間違わせる。 これが一番上である。 だからスパイといっても、秘密をぬすむなどは低級スパイ、スパイのかけだし、足軽であって、本当のスパイは相手の戦略や政略を誤導する事である。 ゾルゲや尾崎などが、日本の政府や軍部などに非常にうまく取入って、そして日本の国策、日本の戦略というものを重大な錯誤に陥れた。 まさに日本は謀を伐たれたわけである。 スターリンは上兵を用いたのである。 「上兵は謀を伐つ。その次は交を伐つ」。 すなわち交友関係にある諸国の結束を伐つ。 日本でいうならば、日米の親善、アジアの自由諸国の結束を破壊する。 日本を極東の孤児にする。 アメリカを日本からシャツト・アウトする――という事が出来れば戦う必要もない。 日本を簡単に屈服させられるわけである。「新憂樂志」 安岡 正篤 明徳出版
2016年01月06日
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日本の学問は一般的に、事実を究明するより先に、ある事実、ある現象についてどう考えたら正しいのかを定めるところからはじめる。 判断よりも前に事実を検討しようという、実証精神がない。 好奇心旺盛な子供は、よくもらったおもちゃをバラバラにして、また組み立て直すということをするが、学問に関する限り、あるがままに受け入れて、自分で一からバラしてしまうというようなことは絶対にしようとしない。 日本人は独創性に欠けるとはよく言われるところだが、自分でゼロからはじめて思想体系や学問を形成したりはせず、すでに存在する学問の決定版、最も優れているものを必死に探す。 その決定版を早く見つけた者が勝ちということになる。 こうしたものの考え方の代表格が、明治の文豪との誉れ高き森鴎外である。 鴎外は医学者であったにもかかわらず、一生、自分でものごとを実証的に考えたことはなかった。 例えば、美学については誰が決定版であるかと考え、ドイツの哲学者、美学者、『無意識の哲学』で知られるハルトマンに目をつけた。 ハルトマンは鴎外より二十年ほど前に生まれた人で、鴎外が留学していた当時、ドイツでは有名な学者だった。 鴎外にとっては、このハルトマン先生の学説を勉強することが、すなわち美学を勉強することにほかならなかった。「嘘ばっかり」で七十年 谷沢永一 講談社
2016年01月05日
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一八六八年の日本の維新革命は、二つの明らかに異なる文明を代表する二つの民族が、たがいに立派な交際に入る、世界史上の一大転機を意味するものであります。 「進歩的な西洋」は無秩序な進歩を抑制され、「保守的な東洋」は安逸な眠りから覚まされたときであったと思います。 そのときから、もはや西洋人も東洋人もなく、同じ人道と正義のもとに存在する人間になりました。 日本が目覚める前には、世界の一部には、たがいに背を向けあっている地域がありました。 それが、日本により、日本をとおして、両者が顔を向かい合わせるようになりました。 ヨーロッパとアジアとの好ましい関係をつくりだすことは、日本の使命であります。 今日の日本は、その課せられた仕事に努めているところです。「代表的日本人」 内村 鑑三 ワイド版岩波文庫
2016年01月04日
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