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「お洒落なジャズ」という売り込み方がもっとなされてもいいかもしれない一枚 「お洒落な音楽」としてジャズを聴くのは許せないと言うジャズ愛好者も多いのではないかと思う。ビル・エヴァンスの『ワルツ・フォー・デビイ』などはそうした話題の代表格としてよく挙げられる。要は、奥深いビル・エヴァンスの名演を「洒落たBGM」扱いするのは許せん、と言うわけである。 けれども、そうした「お洒落な音楽」扱いされることで門戸が広がり、確率はさほど高くないとしても、それによってビル・エヴァンスを好きになるきっかけを掴む人もいるはずだ。21世紀を迎えた現在、ジャズがマニアや愛好家だけの音楽に留まるよりは、もっと大衆化され、いろんな聴かれ方や楽しまれ方をいいのかもしれないと筆者は思う。つまるところ、博物館に送り込まれて「時代の遺産」のようにして展示されるのではなく、実際に使い続けられる道具や工芸品のように「生きたもの」であった方がいいように思うのである。 そのような観点から、シェリー・マン名義の本作『マイ・フェア・レディ(My Fair Lady)』は、現代の聴き手にもっと大々的に売り出されてもいい作品だと思う。そもそも本盤の成り立ちには次のような経緯がある。1956年にブロードウェイで同名のミュージカルが上演され、その主演を務めたジュリー・アンドリュースの歌唱によるサウンドトラック盤が好評を博した。その人気がジャズ界にも飛び火し、本盤『マイ・フェア・レディ』としてジャズ化され、ヒットした。冒頭の話に戻れば、ミュージカル(およびそのサントラ)の"二番煎じ"あるいは"二匹目のドジョウ"が本盤のそもそもの由来だったわけで、それを再び大衆化して何が悪いものか。そう言われたら、ジャズ・ファンは返す言葉もない。 さて、このアルバムのジャケットに記された名義は"Shelly Manne & his Friends"となっている。それでもって、"Friends"の右上に注釈のアステリスク(*印)がついていて、ジャケ右下の端っこの方に小さく"*Andre Previn and LeRoy Vinnegar"と記されている。実際に演奏を聴くと、なるほどアンドレ・プレヴィンのピアノが大きな役割を担っている。もちろん、シェリー・マンの役割も大きいし、リロイ・ヴィネガーの重要性も低くはない。スインギーで、ドラマティックなピアノ演奏、さらにはそのピアノを盛り立てて乗せていくドラムとベースが実にスリリングな演奏に仕上げているピアノ・トリオ盤である。 このスリリングさに集中して聴くと実に素晴らしい1枚であることは言うまでもないだろう。けれど、一歩立ち止まって、落ち着いて考えてみると、ヴォリュームを下げて、「お洒落なジャズ・ミュージック」という聴き方もされていいのかもしれないともふと思ったりする。ビル・エヴァンスを聴いて「ジャズっていいかも」と思った人が、次にマイルスを勧められて、コルトレーンを勧められて…だんだんよくわからなくなる。いや、そこでマイルスやコルトレーンを聴いて目覚め、新たな楽しみを見出す人もいるのだろうけれど、そこで尻込みして、「もうジャズなど聴くものか」と去っていく人も相当数いるはずだ。そんな時、もうしばらくの間、「お洒落な音楽」としてジャズに親しむということがあってもいいかもしれない。そしてそういう時にもっと勧められ、なおかつ売り込まれていいアルバムの一つが『マイ・フェア・レディ』なのではないかと思う。[収録曲]1. Get Me To The Church On Time2. On The Street Where You Live3. I've Grown Accustomed To Her Face4. Wouldn't It Be Lovely 5. Ascot Gavotte6. Show Me7. With A Little Bit Of Luck8. I Could Have Danced All Night[パーソネル、録音]Shelly Manne (ds), Andre Previn (p), LeRoy Vinnegar (b)録音:1956.8.17 [枚数限定][限定盤]マイ・フェア・レディ/シェリー・マン[CD]【返品種別A】
2009.08.31
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優雅でありながら、どこかに漂う孤独感 1934年、デトロイト出身のトロンボーン奏者、カーティス・フラー(Curtis Fuller)の代表作が、この『ブルースエット』(1959年リリース)。フラー自身はいろんなグループやセッションでの録音を残しており、様々なアルバムで彼の演奏を聴くことができる。けれども、"ハスキー・トロンボーン"などと形容される彼のトロンボーンをじっくり聴くには、やはりフラー名義で出されたアルバムがいい。そうしたリーダー・アルバムの中で名盤・有名盤としてよく名前が挙がるのが本作である。 フラーのトロンボーンは、ある意味、とても不思議な音色を奏でる。トロンボーンと言っても、あまり豪快な感じはしない。むしろ繊細な印象だ。それでいて、ある時は滑らかで優雅に、またある時は寂しげに音を紡ぎだす。 そんな彼の演奏スタイルをうまく生かしたのが、本盤の陰の立役者であるベニー・ゴルソンのアレンジであろう。アレンジは徹底的にやったがゆえに成功する場合もあれば、それがあだになって"くどい"作品に仕上がることもある。けれど、本盤のゴルソンのアレンジは比較的控えめで、それが見事に功を奏したのだと思う。その結果、出てきたのが、表題に挙げたように、優雅でありながらもどこかしら寂しさや孤独感を漂わせるというアルバム全体の雰囲気である。 アルバム全体のトーンが統一されていてとてもよいのだけれど、曲単位でのおすすめは、1.「ファイヴ・スポット・アフター・ダーク」(様々なアーティストが演奏した、ゴルソン作の名曲)。それから、表題曲の3.「ブルースエット」、アルバムを締めくくるフラー作のブルースである6.「12インチ」。いずれも優雅で滑らかでありつつも、寂しさや孤独感を漂わせるトロンボーンが楽しめる。 ついでながら、本盤のジャケットはなかなか秀逸。蝶が羽を広げるかのように両手を広げて舞っている女性ダンサー(?)のジャケットは、ダサダサのジャケが多いサヴォイにしては、美しい仕上がりだ。ただし、最近のリイシューCDには別ジャケもあるようなので、購入の際にはオリジナル・ジャケかどうか注意が必要。[収録曲]1. Five Spot After Dark2. Undecided3. Blues-ette4. Minor Vamp5. Love Your Magic Spell Is Everywhere6. Twelve-Inch[録音・パーソネル]録音: 1959.5.21Curtis Fuller (tb), Benny Golson (ts), Tommy Flanagan (p), Jimmy Garrison (b), Al Harewood (ds) 【送料無料】ブルースエット [ カーティス・フラー ] ブルースエット/カーティス・フラー[CD]【返品種別A】
2009.08.30
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「マイ・スウィート・ロード」や「セット・オン・ユー」だけではない ビートルズ解散後、4人のもとメンバーのうちでもっとも活発に音楽活動を展開したのは、ジョージ・ハリスンだった。1970年にLP3枚組(CDは2枚組)という大作『オール・シングス・マスト・パス』を発表し、そこに収録のシングル「マイ・スウィート・ロード」も大ヒット。「ビートルズを解散して最も得をした元ビートル」と評される。 その数年後、1974年に発売されたアルバム『ダーク・ホース』の先行シングル曲として発売されたのが、この「ダーク・ホース」である。しかし、華々しい成功の陰で、ジョージは疲れ果てていた。ビートルズ解散後の成功による多忙なスケジュールに加え、私生活では最初の妻と別居(後に離婚、ちなみにその妻の交際相手はエリック・クラプトン)。おまけに、「マイ・スウィート・ロード」の盗作疑惑などももちあがり、人生の中での"不遇の時"であった。そんな事情があってか、この頃のジョージの声はかすれ、おまけにアルバム『ダーク・ホース』は評論家からも酷評を受けたという。 確かに、アルバム『ダーク・ホース』自体は、通して聴くと、若干退屈な部分がなくはない(でも、筆者はいいアルバムだと思う)。しかし、「ダーク・ホース」という曲は、アルバムの中でも特別な曲である。リアルタイムでは聴いていないため、筆者がこの曲を知ったのは、後に発売されたベスト盤への収録によってである。この曲でのジョージは、人生の淵から這い上がろうとするように、しゃがれた声で搾り出すように歌う。人生の絶望の淵にある人は、この曲を聴くと励まされるかもしれない。筆者も、学生時代、物事がうまく行かなかったときなどにこの曲を繰り返し聴いた記憶がある。 ちなみに、曲名の「ダーク・ホース」とは競馬でいう"穴馬"である。元ビートルズのジョン・レノンやポール・マッカートニーが勝ちを見込まれる本命馬や対抗馬であるならば、ジョージはそれを飛び越えて勝つかもしれない馬。「ダーク・ホース」は、ジョージがそんな自身を評した表現であると言われていて、彼が立ち上げたレーベルの名称にも使用された。[収録アルバム]ジョージ・ハリスン 『ダーク・ホース』 (1974年)ジョージ・ハリスン 『ザ・ベスト・オブ・ジョージ・ハリスン』 (1976年) 【メール便送料無料】ジョージ・ハリスンGeorge Harrison / Dark Horse (輸入盤CD)【I2014/9/23発売】(ジョージ・ハリスン)にほんブログ村
2009.08.29
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原曲に忠実でありながら、原曲とは別物に変えてしまうマジック ヴァン・ヘイレンは主に80年代から90年代にかけて大ヒットを連発したハードロックバンドで、とりわけギターのエドワード(エディ)・ヴァン・ヘイレンは、70年代末にロックシーンに姿を現して以降、独特のギター奏法(ライトハンド奏法)や彼独自のスタイルをあっという間にロックシーンに根づかせた。ヴォーカルは当初はデイヴィッド(デイヴ)・リー・ロスだったが、彼の脱退に伴いながらくサミー・ヘイガーが加わった時期もある(他のヴォーカリストの時期もあったが、2006年からデイヴィッドが復帰している)。ちなみに、筆者は基本的にはサミー・ヘイガー時代のヴァン・ヘイレンが最も好きではあるが、それ以前のデイヴィッド・リー・ロス時代にも名曲・名演が多い。今回の「オー・プリティ・ウーマン」はそうした1曲である。 1978年、キンクスの大ヒット曲「ユー・リアリー・ガット・ミー」のカヴァーおよびアルバム『炎の導火線(原題:Van Halen)』で鮮烈デビューを飾った後、年に1枚のペースでアルバムリリースを重ねていった。シングル曲で全米トップ10入りを果たすのは、1984年の「ジャンプ(Jump)」を待たねばならないが、この「オー・プリティ・ウーマン」を出した頃は、着実に人気を上げ。ファン層をつかんでいった時期と言える。 初期のヴァン・ヘイレンはオリジナルでない曲を一定した割合でアルバムに収録する傾向にあった。単純に考えれば、オリジナル曲を聴くのが彼らの真価を測るには適当と思われるかもしれないが、そうとも限らない。中途半端なバンドが中途半端なカヴァーをやったならば、結果は一目瞭然だ。原曲に及ばない。その意味は2つあり得て、1つは原曲に忠実すぎて(あるいは原曲に捉われすぎて)原曲を超えられない場合。もう1つは、原曲をアレンジするのだが、そのアレンジが原曲とかけ離れすぎて、かといって原曲を超える素晴らしさは出せず、聴き手に相手にされない場合。 ヴァン・ヘイレンの「オー・プリティ・ウーマン」はこのどちらでもない。デビュー曲「ユー・リアリー・ガット・ミー」についても同じことが言えるが、ヴァン・ヘイレンによるこの曲のカヴァーが見事なのは、ある意味で原曲に忠実な点にあると思う。忠実、というと多少語弊があるかもしれないが、早い話、原曲をぶっ壊してはいない。原曲を完全に消化しきっていて、その上、なぜか出てきたサウンドは100%ヴァン・ヘイレンのものとなっている。技術はもちろんのこと、自分たちのイメージに合った名曲を探してきて、それを自分たちのものとして見事に演じきる自身があってこその選曲だろう。 1964年のロイ・オービソンの名曲は、こうして1980年代前半の当時の若いファンの間に根づいた。ちなみに次の世代には、原曲が有名になる。1990年の映画「プリティ・ウーマン」の主題歌として、ロイ・オービソンのオリジナルが再び脚光を浴びたからだ。結果、現在まで、街中やテレビのBGMなどでこの曲を耳にするのは、原曲である場合が多くなった。筆者はロイ・オービソンも好きではあるが、新しい世代のロック小僧やロック少年も、いまだ色褪せないヴァン・ヘイレン・ヴァージョンの「オー・プリティ・ウーマン」にぜひ触れてほしいと思っている。 [収録アルバム]Van Halen 『ダイヴァー・ダウン(Diver Down)』 (1982年)Van Halen 『ヴェリーベスト・オブ・ヴァン・ヘイレン(The Best Of Both Worlds)』 (2004年)
2009.08.27
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80年代後半を代表する極上の名バラード バングルスは80年代に一世を風靡した女性4人組のガールズ・バンド。各メンバーが曲作りに参加し、基本的にはスザンナ・ホフスがヴォーカルを取るが、他のメンバーがリード・ヴォーカルの曲もあった。ポップでありながら、ストレートなロックサウンドもあり、どこかサイケな部分を残した曲も多く、とりわけ最初の2枚のアルバム(1984年の『気分はモノクローム(All Over The Place)』、1986年の『シルバー・スクリーンの妖精(Different Light)』)がすぐれているのだが、これらは別の機会に紹介することとして、今回は"一曲集中"で名曲を取り上げたい。 「胸いっぱいの愛」という邦題が付けられたこの曲、原題は「Eternal Flame(永遠の炎)」。メンバーのヴィッキー・ピータースン(ギター)によれば、エルヴィスの家を見に行った際、そこにある"永遠の炎"に着想を得てスザンナが曲の原型を作ったとのこと。それを発展させて最終的にこの曲を完成させたのは、当時、様々な曲作りでその腕を振るっていたB・スタインバーグとT・ケリーのコンビであった。 こうして出来上がった「胸いっぱいの愛」は、1988年のアルバム『EVERYTHING』に収録され、翌89年にシングル・カットされた。曲はまたたくまに大ヒットし、全米や全英を含む世界6カ国でチャート1位を占める大当たりとなった。日本でも当時、洋楽を扱うラジオからはひっきりなしにこの曲がかかっていたことが思い出される。 上記のアルバム『EVERYTHING』のあと、数年後にベスト・アルバムは出したものの、バングルスは低迷期を向かえる。1990年代に入り、スザンナ・ホフスは他アーティストへの曲提供でソング・ライティングの能力を発揮しながら、ソロアルバムもリリースしていった。他のメンバーも別々の活動を始めた。2003年に復活アルバム(『ドール・レヴォリューション』)を発売し、ベースのマイケルがやがて脱退するも、現在まで活動を続けている。 思うに、すでに『EVERYTHING』の頃、バングルスは行き詰りかけていて、その後の展開は想定範囲内だったのかもしれない。このアルバム・タイトルが"Everything=(いろいろ)すべて"というのが、既に前2作のようにまとまったアルバムが出来なくなっていたことの証左でもある。しかし、たとえばらばらの寄せ集めだったとしても、個々の楽曲のクオリティは高かった。その頂点がこの「胸いっぱいの愛」であり、だからこそ、80年代を代表する名バラードとなった。 [収録アルバム]Bangles 『EVERYTHING』 (1988年)Bangles 『グレイテスト・ヒッツ』 (1990年) など 【送料無料】【輸入盤】 BANGLES / GREATEST HITS [ バングルス ] Bangles バングルス / Everything 【CD】
2009.08.27
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歌声の表情で聴かせる正真正銘のシンガー、バーブラの代表曲 1980年代のある一時、"私的・女性ヴォーカルベスト3"というものが、若い頃の筆者の心の中には存在した。その3人とは、バーブラ・ストライサンド、リンダ・ロンシュタット、ローラ・ブラニガンの3人である。この3人に共通して好きだった点は、バラードやスローテンポのしっとりした曲を歌ったときの"聴かせ具合"、もう少し具体的にいえば、そうした曲調を歌った時に、一本調子ではなく、表情豊かに歌い上げるヴォーカルに惚れこんでのことであった。 その"女性ヴォーカルベスト3"筆頭がバーブラ・ストライサンドで、最も印象の強かった曲が、この「追憶(The Way We Were)」という、1974年にシングルとしてヒットした曲ある。バーブラには、歌手であるというだけでなく、女優、映画監督、作曲家と様々な肩書きが付きまとう。つまりは、米国ショービジネス界の大スターである。 いつからかバーブラは「大人の女性」のいでたちになってしまったが(1942年生まれなので、いまや上品なおばあさん?)、70年代から80年代初頭のバーブラは何とも「イモねーちゃん」な雰囲気の写真が多い。本人は幼少の頃から容姿に劣等感を抱いていたらしいが、確かに当時の雰囲気は、ニューヨーク生まれ(ブルックリンで育った)にもかかわらず、アメリカの片田舎から出てきた感じがする。けれど(というか、にもかかわらず)、この歌唱力である。その落差が激しい分、印象も強くなったことであろう。 歌唱力があって、バラードやスローナンバーを歌ってヒットするというのはよくある話である。しかし、バーブラの場合は、ただ"上手い"のとは違う魅力があるように思う。それは、声の表情と言えばいいのだろうか、歌の表情と言えばいいのだろうか、とにかくスマートな上手さではないからである。歌声に情念や情緒のすべてが乗り移って、聴き手のもとに達するような感覚、と表現すれば、何となくはイメージしていただけるであろうか。 無論、このことを理解してもらうには、彼女の歌声を聴くのがいちばん早い。一部ポップな作品ではいまいちな感じがするものもあるにはあるが、概ねバラード系の曲を収録したアルバムならそう大きくはずれはしない。そうした曲群の中で、筆者の大のお気に入りが「追憶」である。 [収録アルバム]Barbra Streisand 『追憶 (The Way We Were)』 (1974年)Barbra Streisand 『グレイテスト・ヒッツ Vol. 2 (Barbra Streisand's Greatest Hits Vol. 2)』 (1979年) Barbra Streisand 『メモリーズ (Memories)』 (1981年) など
2009.08.26
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注目されない時期の要注目盤 ザ・キンクスと言えば、一般的なイメージは「ユー・リアリー・ガット・ミー」の初期のイメージだろう。次に、RCAレーベル時代の一連のコンセプト・アルバム群のイメージをお持ちの方も多いかもしれない。ちなみに筆者はRCAの時期が大好きで、以前に紹介した『この世はすべてショー・ビジネス(Everybody's In Show-Biz)』(1972年)以外にも、すぐれた作品が目白押しである。けれど、ここでは敢えて違うものを紹介しようと思う。 1971年以降、RCAレーベルで6枚のアルバムを発表した後、キンクスはアリスタへ移籍する。本作『ミスフィッツ』(ちなみに、以前は『歪んだ映像』という邦題が付けられていた)は、1978年に発表した同レーベルでの第二弾アルバムである。 1977年のアリスタ移籍以降、キンクスのアルバムはRCA時代のようなコンセプト・アルバム然としたものではなくなる。しかし、そのような要素が完全に消え去ったわけではなく、『スリープウォーカー』(1977年)や本盤『ミスフィッツ』は、どこかしらストーリー性を残している。 本盤では、そうした叙情性の比較的強い曲が実に輝いている。1曲目の表題曲「ミスフィッツ」は、作者自身(レイ・デイヴィス)が"3番目に好き"と語っている。4.「ロックン・ロール・ファンタジー」も絶品の出来。その一方で、2.「ブラック・メサイア」や7.「リヴ・ライフ」といったところでは、ロックバンドとしてのまとまりが素晴らしい。おまけにもう1曲付け加えるなら、目立たないが、9.「トラスト・ユア・ハート」も密かに名曲だと思う。 アリスタ時代のキンクスはパッとしないという印象を持っている人もいるかもしれないが、この『ミスフィッツ』とその前作『スリープウォーカー』のあたりは結構おすすめなので、機会があればぜひ一聴いただきたい。[収録曲]1. Misfits2. Hay Fever3. Black Messiah4. A Rock'n'Roll Fantasy5. In A Foreign Land6. Permanent Waves7. Live Life8. Out Of The Wardrobe9. Trust Your Heart10. Get Up~以下、現行CD(『ミスフィッツ+4』)所収のボーナス・トラック~11. Black Messiah [single remix]12. Father Christmas13. A Rock'n'Roll Fantasy [U.S. single edit]14. Live Life [U.S. single mix]1978年リリース。 ミスフィッツ +4/ザ・キンクス[SHM-CD]【返品種別A】
2009.08.25
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ベスト盤だけではもったいない、もっと評価されていいカーペンターズの名盤 カーペンターズは曲単位で注目されることが多い(例えば、CMで使われるとか、ドラマなどで使われる、といった具合)。かといって、リアルタイムではないわけで、シングルが現在のチャートでヒットするわけでもない。なので、ついつい"ベスト盤聴き"がメインになるアーティストの代表格と言ってもいいかもしれない。 けれども、ここでは敢えてカーペンターズのアルバム、それも超名盤(と筆者は思う)を紹介したい。アルバム・タイトルは『ナウ・アンド・ゼン』、つまり、日本語に訳せば、『今と昔』。1973年リリースのアルバムである。ジャケットには赤いフェラーリと、何の変哲もない家。実はこの家は、97年までカーペンター家が所有していた家で、70年代当時、カーペンターズの二人(兄リチャードと妹カレン)が両親とともに暮らしていた家だ。 アルバム・タイトルの『今と昔』とは、今となっては非常にわかりづらいコンセプトで、LPならではのタイトルかつアルバム構成と言える。LP時代の"A面"は1曲目から5曲目まで。LPの頃であれば、ここで強制的にA面からB面へと盤をひっくり返すために一瞬の休憩を迫られる(余談だが、お金がなかった筆者にとっては、LPから録音したカセットテープをひっくり返す一瞬の間であった)。 "B面"は、メドレーから成る(CDのトラックでは、6.と7.)。要するに、本アルバムは、LPのA面とB面の違いが織りなすコンセプトから『ナウ(今)&ゼン(昔)』のコントラストを示していたものである。 A面は、当時のカーペンターズにとっての"今"であり、現在ではスタンダードとなったものの、当時は、1.「シング」や4.「ジャンバラヤ」といったヒットソング(ただし4.は日本でのみシングルカット)となった。他方、B面は、"昔"、すなわち、"懐かしきあの頃"をテーマとした、オールディーズ・メドレー。そのメドレーの出だし、および締めくくりという役割が、これまた有名曲の「イエスタデイ・ワンス・モア」である。 それゆえ、シングルやベスト盤だけで、「イエスタデイ・ワンス・モア」を聴いても、実はこの曲の魅力の半分しか体験したことにならない。曲のフェイド・アウトに重なって聞こえるバイク音、それに続く「ファン・ファン・ファン」以降のラジオDJショー風メドレー。そして、その最後には、「イエスタデイ・ワンス・モア(リプライズ)」が収められている。ここまで通して聴いてはじめて、「イエスタデイ・ワンス・モア」という曲は完結すると言っていい。 A面も魅力的ではあるが、本盤の最大の聴き所は、このメドレーにあると思う。シングル・ヴァージョンの「イエスタデイ・ワンス・モア」しか聴いたことがないという人は、ぜひこのアルバム収録ヴァージョンのメドレーを体験してもらいたい。メドレーの中に収められた曲は、どの曲も素晴らしいが、特に筆者のお気に入りなのは、「ファン・ファン・ファン」、「この世の果てまで(ジ・エンド・オブ・ザ・ワールド)」、「ジョニー・エンジェル」、「燃ゆる瞳(ザ・ナイト・ハズ・ア・サウザンド・アイズ)」、「ワン・ファイン・デイ」といったところ。そして、最後の「イエスタデイ・ワンス・モア(リプライズ)」が、まだ終わらないで欲しい、という名残惜しさを醸し出す効果があり、これがあってこそ、B面メドレーの魅力が生まれているのだと感じる。皆さんは、メドレー内のどの曲をお気に入りであろうか。[収録曲]1. Sing2. This Masquerade3. Heather4. Jambalaya (On The Bayou)5. I Can't Make Music6. Yesterday Once MoreA. Fun, Fun, FunB. The End Of The WorldC. Dan Doo Ron RonD. Deadman's CurveE. Johnny AngelF. The Night Has A Thousand EyesG. Our Day Will ComeH. One Fine Day7. Yesterday Once More (Reprise)
2009.08.20
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タイトルに偽りなし、この時点から既に本当の天才(ジーニアス)であったことがわかる歴史的遺産 マイルス・デイヴィスは、オルガン奏者ジミー・スミスを指して「ジャズ界8番目の不思議」と評したそうだが、そもそも「ジャズ界の七不思議」って何なのであろうか。某盤のライナーで「8番目の前にそもそも7つ目までは何なのさ」とくだらないつっこみを入れているのを読んだような気がする。それを読んだ時、「人が貴重なお金を払って買うレコード(CDだったか?)のライナーにこんなことつまらんことを書くな!」と思った。けれど、このブログのような、見るのは所詮タダの場でなら、こんな話題もいいかと思うので書くことにする。七つの不思議すべてはわからないけれど、第一番目の不思議は、筆者の中では、はっきりしている。それは、セロニアス・モンクというピアニストの曲・演奏、さらに言ってしまえば、彼の存在自体である。 本盤はブルーノート・レーベルのいわゆる「1500番台」の初期の一枚である。タイトルは『ジーニアス・オブ・モダン・ミュージック Vol. 1』(Blue Note 1510)。当時のブルーノート盤は、別々に発売しつつもVol.1とVol.2に分けてリリースされることが多かった。実際、セロニアス・モンクの『ジーニアス・オブ・モダン・ミュージック』も、そのパターンで、Vol.2が連番で存在する(Blue Note 1511)。Vol. 1には主として1947年の録音、Vol. 2には主に1951~52年に吹き込まれたものが収録されている。 ブルーノートでの吹き込みの後、モンクは1952年以降にプレスティッジ、1955年からはリバーサイドで様々なアルバムを録音する。したがって、初めてモンクを聴く人が、プレスティッジやリバーサイドのアルバムを最初に手に取る可能性は高いし、実際、それらの中にはいくつもの名盤が含まれている。それでもなお、ブルーノート盤の2枚、とりわけ本作『Vol.1』を無視することはできない。なぜなら、この時点で既にモンクは、"完成品"であった、という事実を知ることができるからである。後々のモンクの作品は、その"完成品"に新機能が加わっていったようなもの、とでも表現すればいいのかもしれない。 そして、この点こそ、モンクが"ジャズ界最初の不思議"たる所以でもある。1.「ラウンド・アバウト・ミッドナイト」(「ラウンド・ミッドナイト」とも呼ばれる)、8.「エピストロフィー」、9.「ミステリオーソ」といった、後世のジャズ・ミュージシャンが繰り返し演奏する名曲が既に出来上がった"完成品"なのである。残念なことに、当時はさっぱり売れなかったということであるが、やがて時が流れることで、ジャズメンの、さらにはリスナーの耳が追いついた。時代が彼に追いついたからこそ、よく言われるモンクの「ヘンテコな具合」に、少なくとも発売当時に比べれば、拒否反応を示す人も少なくなっているだろうと思う。実際、60年以上が経過した今、このアルバムを聴いても、録音状態こそ明らかに古い時代のものとはいえ、中身がほとんど風化していないことに驚きを禁じえない。否、彼が未来を先取りしていたからこそ、当時は受け容れられなかったのであって、現在も古くなってはいない、と言うべきなのだろうか。 ちなみに、セロニアス・モンクには「バップの高僧」というキャッチフレーズが与えられてきた。英語でmonkは"修道士、高僧"の意味で、モンクの名とこの意味を引っかけたネーミングと思われる。この形容は今でもよく用いられているけれど、あまりに近づきがたい印象を与えるこの悪趣味なネーミングは、早めに忘れた方がいいと思う。この初期のアルバムを聴けば、モンクは別に山ごもりをする僧侶でもなければ、清貧生活を送る修道士でもないことがわかる。ただ一言、「ジーニアス(天才)」。これで必要十分である。近づき難い響きのネーミングでもって、彼を近づき難い存在にまつりあげるのは、結果的にモンクの音楽の体験者を減らすことにつながり、もったいない話だと思う。 [収録曲]1. 'Round About Midnight2. Off Minor3. Ruby My Dear4. I Mean You5. April In Paris6. In Walked Bud7. Thelonious8. Epistrophy9. Misterioso10. Well You Needn't11. Introspection12. Humph録音:1947.10.15 (7と12); Idresse Suliman (tp), Danny Quebec West (as), Billy Smith (ts), Thelonious Monk (p), Gene Ramey (b), Art Blakey (ds)1947.10.24 (2、3、5、10、11); Thelonious Monk (p), Gene Ramey (b), Art Blakey (ds)1947.11.21(1と6); George Taitt (tp), Sahib Shihab (as), Thelonious Monk (p), Robert Paige (b), Art Blakey (ds)1948.7.2(4、8、9); Milt Jackson (vib), Thelonious Monk (p), John Simmons (b), Shadow Wilson (ds)
2009.08.19
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90年代、歌心にめざめたニルスの転換点 ブルース・スプリングスティーンに関連したところで(前項の「イフ・アイ・シュッド・フォール・ビハインド」・同動画を参照)、"隠れ名曲"を一つ紹介しようと思う。ニルス・ロフグレンが、スプリングスティーンをゲストに迎えた1991年のシングル曲「心はいつもバレンタイン」である(一応、邦盤での表記に合わせるけれど何とかならんものか…、原題は単に"Valentine")。この曲は、ニルス・ロフグレンのアルバム『明日への旅路(原題:Silver Lining、こちらもどうにかならないものだろうか…)』収録のシングル曲で、スプリングスティーンがヴォーカルのハモリ部分で特別参加している。 さて、ニルス・ロフグレンは、グリン(Grin)というバンドで活動した後、ソロとして活躍。この間、ニール・ヤングやクレイジー・ホースの作品にも参加経験がある。スプリングスティーンのバックバンドであるE・ストリート・バンドには『ボーン・イン・ザ・U.S.A.』に伴うツアーの頃からメンバーとして参加し、現在もE・ストリート・バンドの一員である。 そんなニルスは、80年代に至るまでずっと「ロック小僧」のイメージで通ってきた。特徴ある小気味よいギタープレイやステージパフォーマンス(ギターを抱えたままのバク転)はいずれもそのイメージにぴったりだった。この頃のソロ作にもすぐれたものが多いのだが、ヴォーカルがもうちょっとどうにかならないか、と思う瞬間もなくはなかった。 しかし、90年代のこの曲の頃から、ニルスのヴォーカルが成熟し始める。年齢を重ねたせいかどうかよくわからないが(ニルスは1951年生まれなので、当時は40代に入ったところ)、とにかく彼は歌心にめざめた。その後は、アコースティックのライヴ盤を出したりするなど、ヴォーカルの比重が高い曲も増え始める。そんなニルスのヴォーカルのスタート地点として重要と筆者が考えるのが、この「心はいつもバレンタイン」である。 ちなみに、歌心にめざめてからのニルスのヴォーカル曲には、彼のギターがあまりフィーチャーされていないものも存在する。けれども、「心はいつもバレンタイン」では、得意のギタープレイをゆったりとしたソロ部分で聴かせてくれるので、ギタリストとしての印象も悪くない。そんなわけで、ギターとヴォーカル、2つの楽しみ方ができる上、"ボス"ことスプリングスティーンも参加。全然売れなかったのは残念だが、もっといろんな人に楽しんでもらいたい1曲だと思う。[収録アルバム]ニルス・ロフグレン 『Silver Lining(明日への旅路)』(1991年)
2009.08.18
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再結成ツアーのハイライト、E・ストリート5名のヴォーカル 80年代末から90年代にかけて、ブルース・スプリングスティーンのバックバンドであったE・ストリート・バンドは11年の解散期間を持った(1995年にベストアルバム編集のために一時再集合している)。その間、リーダーのスプリングスティーンはと言えば、1992年に別のミュージシャンたちと2枚のアルバム(『ヒューマン・タッチ』と『ラッキー・タウン』)を録音したり、アルバム(『ザ・ゴースト・オブ・トム・ジョード』)とそれに伴うアコースティック・ソロ・ツアーを行なったりしていた。 きっとメンバーたちはいつか再会すると思っていたのだろう。1999~2000年の再結成では、ブランクを感じさせないどころか、ずっと一緒にやっていたかのような息のぴたりとあった演奏を披露した。この「イフ・アイ・シュッド・フォール・ビハインド(If I Should Fall Behind)」は、同再結成ツアーのハイライトを収録したDVDおよびCD(『ライヴ・イン・ニューヨーク・シティ』)の最後に収められた曲である。 実はこの曲は上記のアルバム『ラッキー・タウン』に収められていた。すなわち、E・ストリート・バンド解散中にスプリングスティーンが別のメンバーと吹き込んだ曲だ。もとのスタジオ・ヴァージョンは3分足らずの短い曲で、それほど印象の強い曲ではなかった。ところが、このNYCライヴでは、6分ほどの長さに変わっている。しかも、大きく変わっているのは、曲の長さ(およびテンポ)だけの問題ではない。コンサートのハイライトとして、普段はバッキング・ヴォーカルを務める各メンバー(リトル・スティーヴン、ニルス・ロフグレン、パティ・スキャルファ、クラレンス・クレモンズ)がソロ・ヴォーカルとして全員参加、おまけにクレモンズのサックス・ソロもフィーチャーされている。スプリングスティーンを含めた全員が順にソロ・ヴォーカルを取り、最後は全員合唱で終わる。E・ストリート・バンド復活の感動は、『ライヴ・イン・NYC』に収められた他の各曲、とりわけ、以前から演奏していたナンバーを聴いてもよくわかるのだけれど、その感動が頂点に達するシーンがこの曲と言うわけである。シンプルなバック演奏にソロ・ヴォーカル回しをやってこれだけ息が合っていて感動的に決められるバンドって他にないと思う。確かに、皆ヴォーカルをとってソロ作を発表しているメンバーだから、それができて当り前なのだけれど、これだけのメンバーが普段はあまり歌わずに主にコーラスばかりやっているE・ストリート・バンドとは、やはり大物だと再認識させられる。筆者はニルス・ロフグレン(ギター)の歌がいい味を出していると思うのだが、皆さんは誰のパートがお好きであろうか。(参考、ヴォーカル順)第1ヴァース: ブルース・スプリングスティーン第2ヴァース: リトル・スティーヴンブリッジ部: ニルス・ロフグレン→パティ・スキャルファ→ニルス & パティ(サックス・ソロ: クラレンス・クレモンズ)第3ヴァース: クラレンス・クレモンズ→ブルース・スプリングスティーン繰り返し部: クラレンス・クレモンズ→パティ・スキャルファ→リトル・スティーヴン→ニルス・ロフグレン→全員[収録アルバム]ブルース・スプリングスティーン&E・ストリート・バンド 『ライヴ・イン・ニューヨーク・シティ』(2000年、CDおよびDVD) 【輸入盤CD】【新品】Bruce Springsteen & E Street Band / Live In New York City (ブルース・スプリングスティーン) 以下のブログランキングに参加しています。お時間の許す方は、 クリックで応援よろしくお願いします。 ↓ ↓ ↓
2009.08.18
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L.A.メタル全盛期のお気に入り曲 RATT(ラット)は主に80年代に活躍したへヴィメタル・バンドで、L.A.メタル(一般に米国では、グラム・メタル、ヘア・メタルと呼ばれる)において、モトリー・クルーと双璧をなす。バンドとしては70年代後半から活動していたが、1983年の自主制作盤できっかけを作り、翌84年にメジャー・デビューした。この頃のRATTの音も好きではあるのだが、個人的好みを反映させた1曲を取り上げようと思う。 「ダンス(Dance)」は、1986年発表のメジャー第3作『ダンシング・アンダーカヴァー』収録曲の1曲目。この曲を選ぶ理由は2つある。一つは上で書いたように、まったくの個人的思い入れ。リアルタイムで買った唯一のRATTのLPで、当時よく聴いたからという理由による。 もう一つの理由は、その曲調にある。へヴィメタルに時折見られる、リズムやギターリフが単調に陥りやすいという問題をうまく克服して、メリハリのある曲調に仕上がっているという理由からである。それゆえ、この曲には、へヴィメタル的というよりはハードロック的な部分もあると言えるのかもしれない。このアルバムの頃のRATTは、次のステップを模索していた時期でもあり、スラッシュ・メタル的な影響を取り入れるなどの実験的試みも行なっている。実際のところ、90年代に入るとグランジなどのいわゆるオルタナティヴ・ロックが隆盛となり、メタル・シーンは2000年代に入るまで、長い低迷期を迎える。この流れの中で、RATTも不遇の時代を経験する。1991年にベスト・アルバム(『RATT & ROLL 8191』)を出した後、大手レーベル(アトランティック)との契約を失い、その後、バンドは解散・再結成を繰り返すことになる。『ダンシング・アンダーカヴァー』を制作し、80年代後半を迎えた時点で、RATTのメンバーは、このまま同じことを繰り返していてもどうにもならないことを先読みしていたのかもしれない。 もう一つ、この曲のいいところを挙げておきたい。基本的にL.A.メタル全般に言えることで、とりわけRATTに当てはまることではあるが、L.A.メタルには欧州メタル・バンドにはない「明るさ」、もっと踏み込んで言ってしまえば、「能天気さ」がある。この陽気で開放的な側面ゆえに、RATTの音楽は、"ラットンロール"などと呼ばれて親しまれたのだろう。その明るさは、この「ダンス」という曲にも存分に反映されている。 [収録アルバム]RATT 『ダンシング・アンダーカヴァー(Dancing Undercover)』 (1986年)RATT 『ラットンロール8191(Ratt & Roll 8191)』 (ベスト盤、1991年)にほんブログ村
2009.08.17
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「テイク・オン・ミー」だけではない、a-haの叙情性 a-haはノルウェー出身の3人組で、1985年にデビューしたバンド。世界的大ヒットとなった「テイク・オン・ミー」という曲のイメージが強烈で、むしろそれしか耳にしたことがないという人も多いのではないだろうか。ポップで軽快でダンサブル。シンセが頭の中で繰り返し鳴り響き、まぶたにはMTV時代を象徴するビデオクリップ(鉛筆画風アニメーション)…。80年代のひと時を思い起こさせてくれるという意味ではいいのだが、個人的には、いまだにあの「軽さ」、もっと言ってしまえば、あの「軽薄さ」に馴染めないでいる。 a-haの多少なりともファンという人であれば、他のよさを既に見出していることだろう。けれども、上のような「軽薄イメージ」しか抱いていないという人には、ぜひa-haの本当の姿(と筆者は思う)を知ってもらいたい。その真の姿とは、この「ハンティング・ハイ・アンド・ロウ」という曲を出発点とする、叙情性に満ちた一連の楽曲群である。 「ハンティング・ハイ・アンド・ロウ」という曲名を聴いて、「おやっ?」と思った人もいるかもしれない。「テイク・オン・ミー」を含む世界デビューアルバムのタイトルは『ハンティング・ハイ・アンド・ロウ』であった。つまり、この曲は、1985年にリリースされたファースト・アルバムのタイトル曲である。 「ハンティング・ハイ・アンド・ロウ」は、叙情性に富んだ落ち着いたバラードである。この曲名をさりげなくアルバム名にしてしまったというのは、もしかすると本当にやりたかったはこちらの方であったというささやかな意思表明だったのかもしれない。 いずれにしても、この路線は、その後もひそかに継承される。ややポップな味付けがなされているとはいえ、1988年のサード・アルバムのタイトル曲「ステイ・オン・ディーズ・ロード」(原題はStay On These Roadsだが、なぜかカナ書きの邦題は単数形"ロード")がこれに当てはまる。続く4枚目のアルバム(『イースト・オブ・ザ・サン、ウエスト・オブ・ザ・ムーン』、1990年)からはプロデューサーが交代され、叙情派盛り上げ路線に拍車がかかる。そんな中、欧州ではそれなりに受け入れられるものの、世界的ヒットからは遠ざかり、グループ自体も活動を停止してしまったりする。けれど、その前後に発表された『メモリアル・ビーチ』(1993年)や『遙かなる空と大地(Minor Earth|Major Sky)』(2000年)もこうしたサウンドを踏襲した好作品である。 以上のような路線の端緒となるのが、デビュー・アルバム収録の「ハンティング・ハイ・アンド・ロウ」である。レコード棚の奥に古いアルバムが眠っている人は、ぜひ取り出して聴いてもらいたいし、そうでない人にもぜひお試しいただきたい。 なお、今年になって(2009年6月)、a-haは、通算9枚目となる『Foot of The Mountain』というアルバムをリリースした。80年代のシンセ・サウンドに回帰したという触れ込みであるため、筆者はまだ聴いていない。[収録アルバム]『ハンティング・ハイ・アンド・ロウ』(1985年) その他、ベスト盤類にも収録。 【送料無料】ハンティング・ハイ・アンド・ロウ [ a-ha ]
2009.08.17
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ディラン24歳の金字塔をサウンドという側面から見直す 1960年代初頭、「フォークの貴公子」であったボブ・ディランは、1965~66年にかけてフォークからロックに「転向」する。この時期には、様々な逸話がつきまとう。当時のフォーク・ファン層には、ディランを「裏切り者」と罵り、商業主義へ走ったと厳しく非難する者もいた。また、ディランがブリティッシュ・インヴェイジョン(第一次ブリティッシュ・インヴェイジョン=ビートルズやストーンズに代表される英ロック・バンドが米国で起こした旋風)に刺激を受けて、ロックに手を出したとも言われる。 いずれにしても、これらはファンや批評家たちの側からの見解であり、ディラン自身の立場からすれば、少し事情は違っていたのかもしれない。ディランにとって見れば、求める自己表現がフォークという様式に収まりきれなくなり、もっと自由な形式をとる必然性を持っていたのではないだろうか。言い換えれば、ディランの感性は、この時点でフォークというスタイルを超えてしまっていたのである。それゆえ、フォーク側・ロック側双方のファン心理はともかく、冷静に見れば、「フォークからロックに転向(すなわち、一方から他方へ乗り換える)」という表現は不正確だと思う。むしろ、「フォークにロックが付加された」、あるいは「フォークの様式で表現しきれない部分をエレクトリック・サウンドで補完した」という方が正確だろう。 1965年のシングル、「ライク・ア・ローリング・ストーン」は、まさしくそうしたディランの変化を如実に示す曲である。よくディランは「文学的」などと評され(じっさい、ノーベル文学賞にノミネートされたりしている)、近づき難いイメージを与えられている。この曲の詞も、ミス・ロンリー(孤独嬢)なる、お高くとまっていた女性の人生の転落をテーマとしており、虚構の人生のむなしさを揶揄するという示唆的な内容である。けれども、こうした要素は、ロック「転向」前のディランにも当てはまる部分があり、必ずしもディランにとって目新しいことではない。 では、何が新しかったのか。ここでは、この曲の音(サウンド)にもぜひ注目してもらいたい。ディランの歌声やハーモニカを聴く限り、フォーク時代のディランから大きく逸脱しているわけではなく、むしろ以前の歌い回しを踏襲していると言っていいかもしれない。要するに、新しかったのはヴォーカルやハーモニカ以外の部分だったわけで、それは録音時のセッションでディランを支えた面々に起因すると思われる。 その意味で、「ライク・ア・ローリング・ストーン」がこれほど聴き継がれることになった最大の功労者は、アル・クーパー(オルガン)、次いでマイク・ブルームフィールド(ギター)だと思う。ブルームフィールドのギターは何ら派手ではないが、随所でいい盛り上げ方をしている。しかし、何よりも大きくフィーチャーされ、曲全体の雰囲気を作り出しているのは、バックに流れ続けるアル・クーパーのオルガンである。 録音当日、そのアル・クーパーはゲストとしてギターを弾く予定だったのだが、ブルームフィールドを見て、とても及ばないと考えて、一度は楽器を置く。その後、オルガンを弾く予定だったポール・グリフィンがピアノにまわり、空いたオルガン・パートにクーパーが入る。こうして録音されたのがこの曲である。そう、すべては偶然の産物だったのかもしれない。セッションの場でのわずかな機転による楽器変更が、この「ライク・ア・ローリング・ストーン」を生んだ。ディラン自身は、あるインタヴュー(1969年、『ローリングストーン誌』)で、ロック・バンド演奏で吹き込んだ曲の中で、「ライク・ア・ローリング・ストーン」がいちばん好きで、そのサウンドが気に入っていると語っている。上で触れたような示唆的な詞にもかかわらず、どこかしら爽やかで、軽快に流れる中に荘厳さをたたえたこの不思議なサウンドをただ楽しむ、というのもこの曲の一つの聴き方であっていいかもしれない。[収録アルバム]『追憶のハイウェイ61(Highway 61 Revisited)』(1965年)『ボブ・ディランのグレーテスト・ヒット』(1967年)『エッセンシャル・ボブ・ディラン』(2000年) など 【Joshin webはネット通販1位(アフターサービスランキング)/日経ビジネス誌2012】【送料無料】追憶のハイウェイ 61/ボブ・ディラン[CD]【返品種別A】
2009.08.17
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コルトレーン初期の名作に私たちが求めているものは何なのか ジョン・コルトレーン初期の名作『ソウルトレーン(Soultrane)』。今さら説明不要ではあろうが、1958年に当時在籍していたプレスティッジ・レーベルからリリースされたアルバムである。名盤として名高いものの、その半年前に制作された『ブルー・トレイン』がブルーノートの1500番台(Blue Note 1577)ということもあり、どちらかと言えば、その陰に隠れてしまっている感がある。とはいえ、リー・モーガン(トランペット)やカーティス・フラー(トロンボーン)を擁して録音された『ブルー・トレイン』に比べ、本作『ソウルトレーン』の方は、ワン・ホーン・カルテットで吹き込まれたもので、コルトレーンのテナー演奏をじっくり聴きたいという人には向いていると思う。 さて、本盤『ソウルトレーン』は、ミドルテンポの 1.「グッド・ベイト」で幕を開ける。シンプルなテーマから始まりそのままアドリブになだれ込む。このソロは、細かいフレーズを含みつつも、緊迫感はさほど高くなく、リラックスした演奏という印象を与える。 2.「アイ・ウォント・トゥ・トーク・アバウト・ユー」は、少し甘めのバラードで、数年後のアルバム『バラード』(1962年)での演奏を髣髴とさせる(ただし『バラード』では各曲が短いのに対して、本盤のこの曲は長尺で、10分を超える演奏である)。 3.「ユー・セイ・ユー・ケア」では、今度はテンポアップして、明るく躍動的になる。全体的に本アルバムでは抑え気味に聴こえるレッド・ガーランド(ピアノ)も、この曲に関しては、得意のプレイで鍵盤上を弾み転がるようなソロを見せている。コルトレーンはといえば、やはりリラックスした楽しげな雰囲気の演奏だ。続く 4.「テーマ・フォー・アーニー」は再びスローバラード。コルトレーンのテナーは文字通りこの曲を"歌い上げ"ている。 そして、アルバムを締めくくるのは、 5.「ロシアの子守唄」であるが。この曲が問題だ。筆者は、この曲が本アルバムに収められたことが必ずしもよくなかったのではないかと思っている。無論、この曲が嫌だということではないし、曲そのものや演奏自体が悪いと言っているわけでもない。ハイ・テンポで技巧をつくし、コルトレーンが吹きまくる。音を敷き詰めたかのような、いわゆる"シーツ・オブ・サウンド"の典型だ。けれども、どう考えてもこの演奏だけが本盤全体を通しての流れの中で浮いてしまっている。作ったコルトレーンの側からすれば、後の諸作品に通ずることになる実験的試みの1曲だったのかもしれない。けれども、この曲の代わりに、1曲目のような調子の名演があと1曲含まれていたならば、本作『ソウルトレーン』は、『ブルー・トレイン』すら押しのけて、誰もが認めるダントツの「コルトレーンの初期傑作」、もしくは、「これぞコルトレーンの入門盤」になっていたかもしれないという気がする。 オリジナルライナーにも5.の形容としてシーツ・オブ・サウンドという表現への言及があるという(オリジナルライナーを書いたのは、この表現を最初に使った音楽評論家アイラ・ギトラーによる)。手元にはオリジナルライナーがないので確認はできなかったが、手持ちの日本盤CDのライナー(最初にCD化された頃の、LPと共用だったライナー文)でも同じように、シーツ・オブ・サウンドの典型としてこの曲が紹介されている。その他、名盤ガイド類の紹介などでも、何かとこの「ロシアの子守唄」への言及が必須になっているようだ。 しかし、それはよくないんじゃないかと思う。5.のイメージを求めて本盤を聴いた人は、そのイメージとは異なる他の4曲にきっとがっかりしてしまう。けれども、そうした先入観なしに本盤を聴いてみると、1.~4.がメインであって、5.が特殊な感じがする。つまり、シーツ・オブ・サウンドが爆発する以前の、オーソドックスに演奏するコルトレーンを素直に楽しむという発想を最初から与えてくれた方がいいのではないだろうか。音楽的革新度は高くないが、独自のサウンドを目指そうとしながらも(実際、前年にはセロニアス・モンクやポール・クイニシェットとの共演など精力的にこなしている)、ハード・バップの語法を消化し、正統派の演奏をしていたコルトレーンの一瞬間を捉えたアルバム。そのようなアルバムと見なせば、1.~4.はいずれも文句のない超名演。暖かく、優しく、時に静かで、時に躍動的な、"正統派"なコルトレーンを楽しめばいいと思う。その上で、5.に興味が湧いたならば、シーツ・オブ・サウンドなり、コルトレーンの進化なりを、続く他のアルバム群で楽しむという道が開けるということではなかろうか。[収録曲]1. Good Bait2. I Want To Talk About You3. You Say You Care4. Theme For Ernie5. Russian Lullaby[パーソネル、録音]John Coltrane (ts), Red Garland (p), Paul Chambers (b), Art Taylor (ds)録音:1958.2. 7Prestige 7142 [枚数限定][限定盤]ソウルトレーン/ジョン・コルトレーン[CD]【返品種別A】
2009.08.16
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ザ・バンドのデビューアルバムにして、一・二を争う最高峰アルバム ザ・バンドの最良のアルバム1枚選べ、と言われたならば、あなたは何を選ぶだろうか。私はきっとセカンド・アルバム『ザ・バンド』を選ぶと思う。けれども、ザ・バンドの中で最も好きな曲を選べ、とか、最も衝撃を受けた曲を選べ、と言われると、そのいずれもに引っかかってくるのが、この『ミュージック・フロム・ビッグ・ピンク』である。したがって、1枚だけ他人にすすめるという意味では『ザ・バンド』に傾くのだけれど、無人島に持って行くためにザ・バンドを1枚選ぶのだったら、おそらくこの『ミュージック・フロム・ビッグ・ピンク』にするだろう。 言うまでもなく、『ミュージック・フロム・ビッグ・ピンク(Music From Big Pink)』は1968年にリリースされた、ザ・バンドのデビュー・アルバムである。ボブ・ディランが描いたジャケットで飾られ、タイトルの"ビッグ・ピンク"とは、本作の基盤となるディランとのセッションが行なわれた、ウッドストックにあるピンク色の家で、裏ジャケにその写真が収められている(何の変哲もない家だけれど)。 さて、デビュー盤といっても、ザ・バンドの活動は10年ほど前にさかのぼる。ロニー・ホーキンス(ロカビリー歌手)のバックを務めたホークスがその前身で、やがてホークスはボブ・ディランの音創りに参加するようになる。その際のセッションの行なわれたのが、上記の"ビッグ・ピンク"なる家の地下室であり、1975年に正式リリース(B・ディラン&ザ・バンド『地下室(ザ・ベイスメント・テープス)』)される以前から、幻の名作として海賊盤という形で人気を博したという音源である。この時のビッグ・ピンクでの地下室の音を、彼らはこのファースト・アルバムで再現しようとした。アルバムの随所に充満する"息の詰まりそうな重さ"(もちろんいい意味での形容)は、ここに由来する。 本作がリリースされた1968年という時代を考えるに、ザ・バンドは時代の流れに逆らったグループだった。いや、より正確に言えば、逆らうことによって、時代が向かおうとしていたのとは違う流れを創出していったというべきだろうか。当時のロックシーンは大きな変革期を迎えていた。技術的進歩もさることながら、60年代後半から70年前後というのは、いま私たちが思い描くロック・ミュージックの原型が形作られた時期である。ビートルズ、ストーンズ、ジミヘン(ジミ・ヘンドリックス)、レッド・ツェッペリン…。ロックが「進化」していく真っただ中で、敢えて"古臭さ"を堂々と取り入れ、独自の世界を追求した。しかも、その「独自の世界」は、彼らだけの閉じられた世界ではなく、聴衆の目をアメリカン・ルーツ・ミュージックへと向けさせた。40年が経過した今、彼らの音楽は、60年代末から現在に至るまでのロック・シーンにしっかりと根を下ろしている。 ちなみに、筆者にとって、冒頭で触れた"最も好きな曲"とは、本盤所収の11.「アイ・シャル・ビー・リリースト」、そして、"最も衝撃を受けた曲"とは、1.「怒りの涙」である。さらに付け加えるならば、"もっとも安らぐ曲"は、5.「ザ・ウェイト」であり、それゆえ、個人的好みだけでザ・バンドの1枚を選ぶなら、この『ミュージック・フロム・ビッグ・ピンク』に落ち着くという次第である。 [収録曲]1. Tears Of Rage2. To Kingdom Come3. In A Station4. Caledonia Mission5. The Weight6. We Can Talk7. Long Black Veil8. Chest Fever9. Lonesome Suzie10. This Wheel's On Fire11. I Shall Be Released~以下、2000年リマスター盤のボーナス・トラック~12. Yazoo Street Scandal -outtake-13. Tears Of Rage -alternate take-14. Katie's Been Gone -outtake-15. If I Lose -outtake-16. Long Distance Operator -outtake-17. Lonesome Suzie -alternate take-18. Orange Juice Blues -outtake demo-19. Key To The Highway -outtake-20. Ferdinand The Imposter -outtake demo-1968年リリース。
2009.08.15
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3分間の曲単位で聴く、考え抜かれたクールさ 本作『クールの誕生(Birth Of The Cool)』は、1949~50年に吹き込まれ、ビ・バップ以降発展してきたアドリブ至上のジャズの世界に新たな転換をもたらした、いわゆるクールジャズの出発点とされるアルバムである。そんなわけで、ジャズ史的には重要作品ということになるわけだが、その一方で、果たして聴いて面白いのか、という批判も受けてきた。確かに、本盤をマイルスの「代表作」として、初めてマイルスを聴く人にすすめるというのはどうかと思う部分もある。 けれども、『クールの誕生』というアルバムは、本当に「面白くない」作品なのだろうか。私個人の答えは、イエスであり、なおかつノーでもある。 なぜノーなのかという部分から述べてみたい。それは、一気に全部通して聴こうとすると、退屈してしまうからだ。それゆえ、筆者自身、初めて聴いた時は、本当に面白くない作品だと思った。しかし、それは第一印象に過ぎなかった。繰り返し、落ち着いて聴いてみると、やがてそうではないということに気がついた。実は、「一気に全部通して聴く」という行為ゆえに、つまらなく聴こえたのであって、聴き方を変えれば、まったく印象は異なるのだった。それは、一つ一つの曲を単独で聴くという方法である。こうやって聴いたならば、『クールの誕生』は、きわめて「クール」だったのだ。 どの曲のクオリティも高いので、どの曲でもいい。いや、敢えて言えば、ヴォーカル入りの12.以外の曲で試していただくのがこの趣旨に合うだろう。曲名で「これを聴いてみよう」といったノリでいいと思うので、とにかく1曲単位で聴いてみて欲しい。曲名のリストを見ながら、例えば、4.「ミロのヴィーナス」を選んだりすれば、特に大当たりだ。 そういった具合で、曲単位で聴けば、いずれの曲もわずか3分ほどだから、より集中して聴くことにもなる。実際、より集中するせいもあるのだろうが、イントロから曲の終わりまで、実によく練られていて、アレンジの美しさが際立って聴こえてくる。ノネット(9重奏団)という多人数編成の小オーケストラでありながら、完璧に統制のとれた演奏だ。このアルバムについて、長尺曲がないために、「どれをとっても曲が短くて…」という不満を口にする人もいるが、その不満はお門違いだと思う。曲が短いからこそいいのである。この練り上げられた演奏が5分、10分と続けば、聴いている方は疲れてしまうし、おそらく、そんなことをしたらクオリティは下がってしまったことであろう。 そういえば、ローリング・ストーンズの『レット・イット・ブリード』の紹介の項で、筆者は、ベスト盤のストーンズは、食傷気味になってしまうという話を書いた。きっとあれと似ているのだと思う。ストーンズの真骨頂のようなシングル曲や代表曲をこれでもかと聴かされると、聴き手は疲れ果て、退屈してしまうのである。 マイルスの『クールの誕生』もこれと同じである。したがって、アルバム全体を通して聴くのは大変で、それを無理して押し通せば、結果、つまらないと感じてしまう可能性がある。しかし、1曲ずつを個別に聴けば、その1曲毎はきわめて素晴らしい名曲・名演・名アレンジの結晶なのである。 そんなわけで、初めてマイルスの、というよりもジャズのアルバムを手に取る向きにはあまりおすすめしない。これを通して聴いた人間は、マイルスから、はたまたジャズから遠ざかってしまう可能性が高いからだ。それでもなお、名盤ガイド類に頻出しているという現状はどうかと思う。けれど、せめて、1曲単位で集中して聴けば、アレンジの美しさ・完璧さが見事であるとわかるのだよ、という一言を添えて紹介すれば、いくらか誤解が避けられるのではないかと思う。[収録曲]1. Move2. Jeru3. Moon Dreams4. Venus de Milo5. Budo6. Deception7. Godchild8. Boplicity9. Rocker10. Israel11. Rouge12. Darn That Dream録音:1949.1.21(1, 2, 5, 7); 1949.4.22(4, 8, 10, 11); 1950.3.9(3, 6, 9, 12)Miles Davis (tp), Kai Winding (tb), J.J. Johnson (tb), Lee Konitz (as), Gerry Mulligan (bs), Al Haig (p), Joe Shulman (b), Nelson Boyd (b), Max Roach (ds), Kenny Clarke (ds)ほか 【送料無料】クールの誕生 [ マイルス・デイヴィス ]
2009.08.15
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いきなりの完成度の高さ、白人ブルースの祖の「驚愕」 シカゴ生まれのブルースロックの雄、ポール・バターフィールド率いるバンドが1965年に発表したアルバム。当時、リーダーのバターフィールド(ヴォーカル、ハープを担当)は23歳、リード・ギターを務めるマイク・ブルームフィールド(マイケル・ブルームフィールド)は22歳。今から44年前、それも二十歳過ぎの若者たちが最初に出したアルバムでありながらにして、この完成度ということを考えると、驚愕という以外に言葉が見つからない。 白人ブルースとは何か。そのことをこのアルバムで示しているのは、ある見方に立てば、バターフィールドであるが、見方を変えれば、バターフィールドではないとも言える。バターフィールドの歌い回し、ブルース・ハープ(ハーモニカ)のプレイは、見事にシカゴ・ブルースを継承している。こうした見方からすれば、白人がこれを演っていること自体が、白人ブルースであり、ブルースロックということになる。しかし、観点を変えれば、このようなバターフィールドは「黒っぽい」わけであって、それゆえ白人的ではないという解釈も成り立つ。そのような見方に立った場合、このアルバムの白人ブルースらしさはどこにあるのだろうか。ベースのジェローム・アーノルドとドラムのサム・レイ(ちなみに、彼は、5.ではヴォーカルも担当している)は黒人である。よって、残る3人(リード・ギターのマイク・ブルーム・フィールド、サイド・ギターのエルヴィン・ビショップ、オルガンのマーク・ナフタリン)の演奏によると言うことになり、とりわけブルームフィールドの貢献が大きい。 とまあ、このように相反する二つの観点から評価可能なアルバムな訳であるが、冒頭からとにかく迫力がすごい。個人的な好みをいえば、1.「ボーン・イン・シカゴ」と2.「シェイク・ユア・マネー・メイカー」が大好きだ。この冒頭の2曲からして、いきなりのテンションの高さに聴き手は圧倒される。さらに、3.「ブルース・ウィズ・ア・フィーリング」や7.「スクリーミン」でのバターフィールドののハープも見事であれば、それがブルームフィールドのギターと絡む4.「サンキュー・ミスター・プーバー」や6.「メロウ・ダウン・イージー」もある。さらに、12.「ルック・オーヴァー・ヤンダーズ・ウォール」では、ブルームフィールドのスライド・ギターが冴える。 本作に収録された曲の大半は、50~60年代のブルース系ナンバーで、メンバーの自作曲は3曲だけである(さらに、そのうち2曲はインストルメンタル曲)。したがって、題材となる曲という意味においては、さして革新的なわけではない。ところが、実際に演奏を聴くと、きわめて革新的であり、私たちは、まさしくブルース・ロックの成立の瞬間のドキュメントを目の当たりにすることになる。そして、最初にも述べたように、二十歳過ぎの若者たちが堂々とそれを成し遂げている様を見て、出てくる言葉は、やはり「驚愕」しかないわけである。[収録曲]1. Born In Chicago2. Shake Your Money Maker3. Blues With A Feeling4. Thank You Mr. Poobah5. I Got My Mojo Working6. Mellow Down Easy7. Screamin'8. Our Love Is Drifting9. Mystery Train10. Last Night11. Look Over Yonders Wall1965年リリース。 ポール・バターフィールド・ブルース・バンド/ポール・バターフィールド・ブルース・バンド[CD]【返品種別A】
2009.08.14
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目立たないアルバムだけれど、エルトン入門者にも自信をもっておすすめの一枚 エルトン・ジョンは1970年から現在2000年代に至るまでコンスタントにヒットを飛ばしてきた、イギリス出身のシンガーソングライター、ピアニスト。「僕の歌は君の歌」(1970年)、「ダニエル」(1972年)、「キャンドル・イン・ザ・ウィンド1997」(1997年、故ダイアナ元皇太子妃への追悼曲)などのヒットで知られる。 エルトンにとって、1980年代は、アルバムをコンスタントに発表し、それなりにヒットチャートを賑わせてはいたが、70年代に比べてシングルの大ヒットが少ないため(とはいってもチャートインした曲は多数なのだが)、あまり注目されない時期に当たる。とはいえ、1988年発表の本作『REG-ストライクス・バック』はもっと聴かれていいアルバムだと筆者は考えている。 ちなみにアルバム・タイトルの"REG"とは、彼の本名レジナルド・ケネス・ドワイト(Reginald Kenneth Dwight、ただし正式には1967年にエルトン・ジョンの本名に改名済み)に由来する。したがって、本作のタイトルを直訳すれば”REGの逆襲”といった意味になる。このアルバムが出た1988年は、エルトンが離婚をした時期で執拗なマスコミ取材もあり、また、70年代に比べればアーティストとしても停滞期にあった。さらに前年には喉の手術も行なっている。そんなエルトンが、スーパースターとしての復活、あるいは"逆襲"を目論んで、このアルバム制作に気合を入れた証がこのタイトルだったのではないかと思われる。 楽曲を見ても、そのような意気込みが感じられる。1.「タウン・オブ・プレンティ」のノリがよいポップなナンバー(ちなみにゲスト参加のギタリストは、ザ・フーのピート・タウンゼント)で幕を開け、2.「ワード・イン・スパニッシュ」のようなバラード、そして、80年代のエルトンにとって数少ない大ヒット・シングル(全米2位、ただしイギリスでは30位どまり)である4.「アイ・ドント・ワナ・ゴー・オン」。ポップな曲からスローな曲、軽快なロックチューンまで実にバランスよく収録されている。 ついでに付け加えれば、5.「古都の追想(The Japanese Hands)」は、私たち日本人にとって興味深い。京都の夏を歌ったもので、来日時に祇園祭でも見て、その後は祇園の老舗にでも行ったのであろうか?という歌詞である。何か誤解を含んだ日本観のようで、日本人としては微妙だが、曲調は抜群に素晴らしい。 『ピアニストを撃つな』や『黄昏のレンガ路』(ともに1973年)は、エルトンの一つの大きなピークであったように思う。したがって、総合点をつけるのなら、これら諸作の方が上位に来るだろう。けれども、本作『REG-ストライクス・バック』は、上で述べたように楽曲のバランスも配置もきわめてよく、ノリのいいエルトン節からバラードまでがうまく1枚にまとめ上げられている。エルトンのアルバムは枚数も多く、筆者もその半数ほどを聴いたことがあるに過ぎない。けれども、上のような理由から、まだ聴いていない人にはぜひ試してもらいたいし、初めてエルトンを聴くと言う人にもわかりやすい入口として好適ではないかと思う。[収録曲]1. Town Of Plenty ←おすすめ!2. A Word In Spanish ←おすすめ!3. Mona Lisas And Mad Hatters (Part II)4. I Don't Wanna Go On With You Like That5. Japanese Hands ←おすすめ!6. Goodbye Marlon Brando7. The Camera Never Lies8. Heavy Traffic9. Poor Cow10. Since God Invented Girls1988年リリース。 【中古】 REG−ストライクス・バック/エルトン・ジョン
2009.08.14
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『ストレンジャー』以前の名曲群を屋根裏部屋から発掘したライヴ盤 ビリー・ジョエルは70年代から90年代にかけて活躍したニューヨーク出身のピアニスト、ロックシンガー、作曲家。1973年のアルバム『ピアノ・マン』および同名のシングルが出世作と思われているが、アルバム27位、シングル25位(いずれも全米チャートでの順位)で、必ずしも大ヒットいうわけではなかった。実際に大スターの仲間入りを果たすのは、1977年の『ストレンジャー』(および同アルバムからの、「素顔のままで」などのシングル・カット)以降であった。『ストレンジャー』に続く『ニューヨーク52番街』(1978年)や『グラス・ハウス』(1980年)といったヒットが続き、最初の絶頂期だったビリー・ジョエルが1981年に発表した最初のライヴ・アルバム、それが本作『ソングズ・イン・ジ・アティック』である。 アティックとは屋根裏部屋のことで、『ソングズ・イン・ジ・アティック』とは屋根裏に眠っていた楽曲たちを指している。それらは、『ストレンジャー』よりも前の、言い換えれば、彼が大ブレイクする前のアルバムに散りばめられた名曲群である。それらの曲を当時のバンドで演奏したライヴ録音として集めたのが本盤なわけだ。 それにしても、ビリー・ジョエルはいいことをしたと思う。普通に考えれば、売れているアーティストのヒット曲の羅列のようなライヴ・アルバムを作れば、一過性にせよセールスは確実だ。しかし、それとはまったく異なる、正反対ともいえる方向性でこのアルバムは作られた。売れた曲を詰め込んでライヴ盤を売り出すのではなく、売れていなかった昔の曲のみでそれを構成した。想像するに、ビリーや関係者は、レコード会社相手にかなり頑張ってこの企画を了承させたのではないだろうか。何せ、売れるのが確実なものを作りたいであろうところで、売れなかったもののリメイクを作ろうという話である。それともレコード会社側に理解や信念を持った担当者がいたのだろうか。 ともあれ、アルバムは全米8位を記録し、トップ10入りはしなかったとはいえ、シングルカットもなされた(7.「さよならハリウッド」が全米17位)。相応の成功は収めたわけで、1977年よりも前のビリーの諸作にも注目を向ける契機となったのであろう。 かくいう筆者も、実はこのアルバムのおかげで、『ストレンジャー』以前のビリー・ジョエルのよさにようやく気付いた。こうしてさかのぼって聴くことになったアルバム『ニューヨーク物語(Turnstiles)』(1976年)は、とくに今でも大のお気に入り盤である。初期のビリー・ジョエルをよく知らないという向きにはぜひともこのアルバムを聴いてもらいたい。そして、気に入った曲をきっかけに、初期4作へとさかのぼっていき、楽しんでいただきたい。[収録曲]1. Miami 2017 (Seen The Lights Go Out On Broadway) ←おすすめ!2. Summer Highland Falls3. Streetlife Serenader4. Los Angelenos5. She's Got A Way ←おすすめ!6. Everybody Loves You Now7. Say Goodbye To Hollywood ←おすすめ!8. Captain Jack ←おすすめ!9. You're My Home10. The Ballad Of Billy The Kid11. I've Loved These Days ←おすすめ!1981年リリース。 【楽天ブックスならいつでも送料無料】ソングズ・イン・ジ・アティック [ ビリー・ジョエル ]
2009.08.13
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深遠なる南部、アメリカン・ルーツ音楽への旅はまだまだ続いていた ザ・バンド『南十字星』を紹介した際、筆者個人としては、ザ・バンドの音楽に自然と波長が合うという書き方をした。実は、リヴォン・ヘルムのソロ・ファースト・アルバムである本作『リヴォン・ヘルム&RCOオールスターズ(Levon Helm & The RCO All Stars)』を聴いた時にも、同じ感想を持った。 ザ・バンド(リヴォン・ヘルム以外はカナダ出身者から成っていた)は、アメリカン・ルーツ音楽を探求したと言われる。1968年の『ミュージック・フロム・ザ・ビッグ・ピンク』を皮切りに9枚のアルバムを残すが、1976年にその活動に終止符を打った(後にロビー・ロバートソン以外のメンバーで再結成、1983年から1999年まで再び活動した)。1976年の活動停止後、ザ・バンドのメンバーの一人だったリヴォン・ヘルムは、早々にソロ・プロジェクトを開始し、1977年に本作をリリースする。 注目すべきは、このアルバムでも、リヴォン・ヘルムがアメリカン・ルーツ音楽の探求を続けていった点だ。参加メンバーはそうそうたる顔ぶれで、"オールスターズ"の何人かの名を挙げると、ブッカー・T(オルガン)、ポール・バターフィールド(ハーモニカ)、ドクター・ジョン(キーボード他)、ハワード・ジョンソン(チューバ、サックス)といった具合。アーカンソー出身のリヴォンが、この州からさらに南部に隣接するミシシッピやルイジアナといった地域のミュージシャンを率いて、まさしく「南部の旅」を続けているというのが興味深い。 つまるところ、ザ・バンドの実質的解散を受けて、リヴォンはやりたかった別の事があってそれをやったというよりは、ザ・バンドの音楽的冒険の道筋にあったであろうさらに先を追い求めようとした。ザ・バンド後期の活動がロビー・ロバートソン中心にシフトしていたのは確かである。その意味においては、リヴォンがザ・バンドではもはや達成できなくなっていたことをやろうとしたといえるかもしれない。けれども、もともとのザ・バンドの音楽的探求の目標には、アメリカ南部の音楽的ルーツがあったのだと思う。そして、それこそが本作でリヴォンのやろうとしたことだったと言えるのではないか。そのためには、元ザ・バンドのメンバーの助けも不可欠であり、実際、ロビー・ロバートソン(ギター)とガース・ハドソン(アコーディオン)も本作に参加している。 「南部ルーツの探求の継続」などというと仰々しく聞こえるので、どれほど凄いアルバムなのかと思われるかもしれないが、実は、このアルバムは大したセールスを記録しなかった。手元のライナー(2002年の日本再発盤のライナー)によれば、アルバム・チャートでは142位とさっぱり振るわなかったようで、早い話、それほど知られているアルバムではない。ザ・バンドの名で発売されるのとは大違いだったということだろうか。けれども、アメリカ南部色の強いR&Bの要素を多分に含んだこのアルバムは、忘れ去られるにはあまりにもったいない。1976年に止まってしまったザ・バンドの音楽的探求の続編を見る一つの手段として、今後とも聴き続けられるに値すると思う。 [収録曲]1. Washer Woman2. The Tie That Binds3. You Got Me4. Blues So Bad5. Sing, Sing, Sing6. Milk Cow Boogie7. Rain Down Tears8. A Mood I Was In9. Havana Moon10. That's My Home ★【送料無料】 CD/レヴォン・ヘルム&ザ・RCOオールスターズ/リヴォン・ヘルム&RCOオールスターズ/UICY-3350
2009.08.13
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北欧様式美とメジャーなハードロック路線の先に彼が見出した新たな道程 ジョーイ・テンペストと言っても、熱心なファン以外からは「誰それ?」という声が聞こえてきそうなアーティストなので、少し人物紹介が必要だろう。80年代にハード・ロックのシーンを牽引したバンド、ヨーロッパ(EUROPE)のヴォーカリストと言えば、心当たりのある人も多くなるかもしれない。EUROPEはスウェーデンが生んだハードロックバンドで、北欧メタルの元祖とされる。人気に火がついたのは80年代前半の日本からであり、当初は北欧様式美や叙情性を強く押し出したアルバムを作っていた。しかし、1986年の『ファイナル・カウントダウン』からはよりポップで売れ筋なハード・ロック路線を取った(下に述べるように、EUROPEは1992年に活動を休止したが、後に2004年に活動を再開している)。 こんなEUROPEを率いていたのが、ジョーイ・テンペストである。だが、リスナーやレコード業界が求めるポップさとレコード製作・ライブ活動という忙しさも相まってバンドが行き詰ったのか、『プリズナーズ・イン・パラダイス』(1991年リリース)に伴うツアーを最後にバンドとしての活動を休止してしまう。個人的にはこの『プリズナーズ・~』は、アメリカン・ロック・サウンド(といってもどこかに北欧的叙情性はまだ残されていた)という観点からすると、結構いいアルバムだと思ったのだが、やはり本人にとっては行き詰まったような状況だったのかもしれない。 そして2年半の沈黙の後、1995年にリリースされたのが本作『プレイス・トゥ・コール・ホーム』だ。本作以降、これまでにジョーイは3枚のソロ・アルバムをリリースしているが、個人的には断然この初ソロ作がいい。まず、いい意味で肩の力が抜けている。さらに、何よりも、無理して高音域を使うことなく、だからといって単調な流れに陥ることなく、魅力的なヴォーカルで詞を聴かせてくれる。シンプルなアメリカンロック調のサウンドだが、はやりにまったく流されないタイプの音作りをやっている。ちなみに2作目、3作目も同じような意味でいいアルバムなので、これを聴いて興味がわけば、2作目『アゼリア・プレイス』、3作目『ジョーイ・テンペスト』も試してもらいたい(個人的にはこれら2枚のうちでは3作目のほうが出来がいいと思う)。 さて、この初ソロ・アルバムを出すまでの2年半の間、ジョーイ自身は、「自分自信を取り戻し、今までに起こったこと総てについてよく考える時間」を持ち、「自分が本当に好きなものは何なんだ」ということを考えたらしい。その結果、出てきた本作は欧州(主としてスウェーデン)ではそれなりに売れたようだが、かつてのハードロックバンドEUROPEをイメージしていたファン層にとっては、あまり受けがよくなかった。 それもそのはず。ソロ・アルバムとして出てきたサウンドはEUROPEとはまったくの別物。ファンの人たちには、メロディアスな部分が以前の作品と通底しているとか、EUROPE後期のアメリカンハード路線の延長と考えれば予想の範囲内だったとか言う人もいるけれど、やっぱり別物だと思う。EUROPEの延長線上にあるものだったら同じバンドや似通ったユニットの再編成でできたはずだし、何がやりたかったのか2年半も沈黙して考え込む必要もなかっただろう。 そんなわけで、上でさんざんEUROPEのことを書いたけれども、それとは関係なく聴かれるべきアルバムなのである。セールス的には元EUROPEという肩書きが外せなかったというのはわからないでもない。けれど、EUROPEと切り離して売り出す方が新たなファン層を獲得できたのではなかったか。ところが、残念ことに当時の日本盤の帯には次のように書かれていた。「心から唄える場所に僕は戻ってきた。 元ヨーロッパのフロント・マン、ジョーイ・テンペスト、待望のファースト・ソロ・アルバム。ヨーロッパ時代の盟友ジョン・ノーラムも一曲参加。」 きっと最初の1行だけが本人の気持ちを反映していて、2行目以降は本人にもファンにも不幸な売り出され方だったんだろうな、と思う。できれば14年前にさかのぼって、次のように書き変えたいぐらいだ。「心から唄える場所に僕は戻ってきた。 ジョーイ・テンペストがヨーロッパ時代を払拭し、新境地を切り拓く。アコースティックでシンプルなロック・サウンドと歌心に溢れる新たな側面!」 こんな感じで書いた方が、新たなファンも増えただろうし、かつてのEUROPEファンを苦悩におとしめずに済んだと思うのだが、いかがだろうか。[収録曲]1. We Come Alive2. Under the Influence ←おすすめ!3. A Place to Call Home ←おすすめ!4. Pleasure and Pain5. Elsewhere6. Lord of the Manor ←おすすめ!7. Don't Go Changin' on Me8. Harder to Leave a Friend Than a Lover9. Right to Respect10. Always a Friend of Mine 11. How Come You're Not Dead Yet ←おすすめ!12. For My Country ←おすすめ!13. A Place To Call Home (Live Acoustic Version) *日本盤ボーナス・トラック1995年リリース。 【中古CD】【5000円以上送料無料】ア・プレイス・トゥ・コール・ホーム/ジョーイ・テンペスト【中古】[☆4]
2009.08.12
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アメリカのロックが進むことになる道筋を作った功績は再評価されるべき ザ・バーズ(The Byrds)は、ジム・マッギン(後に宗教的理由からロジャー・マッギンと改名)、デヴィッド・クロスビー、ジーン・クラークらがロサンゼルスで結成したバンドで、本作『ミスター・タンブリン・マン(Mr. Tambourine Man)』は1965年にリリースされた彼らのデビュー作にして代表作である。 ビートルズ的なロックサウンド、ボブ・ディラン的なフォークサウンドが特徴で、いわゆるフォーク・ロックの代表的グループとされる。単純に言ってしまえば、ビートルズとボブ・ディランの間に位置するとされるグループである。実際、聴いてみると、初期ビートルズ的な香りのするサウンドでもってフォーク的な曲をやっている、というのが一般的な印象かもしれない。 けれども、この「ビートルズとディランの間」という言い方で終わらせてしまうのは、あまりにも過小評価だと思う。英国から出てきた新手のロックグループ「ビートルズ」と、フォークの世界で相応の立場を確立していた「ディラン」。この2つの要素を結び付けるという発想がどれほど革新的であり、その後のアメリカの音楽シーンに与えた影響がいかほどであったのかは、再評価されてしかるべきだと考える。実際、バーズの「ミスター・タンブリン・マン」(ディラン作)を聴いたディラン本人が"ぶっ飛んで"、"こんな風に演れる奴は他にいない"と言ったという逸話もあるらしい。 さらに、バーズというバンド自体のその後の展開を見れば、単に上記2つが「結びついた」のではなく、それら2つを「意図的に結びつけた」ということがわかる。本作が出た1965年の翌年(66年)には、サイケデリック・ムーヴメントを先取りしたような楽曲を発表し、もう少し後の1968年にはカントリー色を取り込んだアルバム(『ロデオの恋人』)も発表している。つまるところ、バーズの革新性は偶然性の産物というよりは、彼らの意志で意図的に作りだされたものであったという点にある。 当然、その意図的な試みは、他に影響を及ぼしていく。ディランはエレキギターを手にロック界へと進出してくる(1955~56年)。ビートルズの『リヴォルバー』(1966年)にもバーズの影響があるともされる。そして、1969年には、バーズを脱退したデヴィッド・クロスビーが、クロスビー・スティルス&ナッシュ(CS&N、後にニール・ヤングも加わり、クロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤング=CSN&Yとなる)に参加、西海岸ロックシーンの重要な潮流を作っていくことになる。 こうした流れの中で考えた時、バーズ初期の功績はきわめて大きいと再認識できる。すべての原点がここにあったわけである。そして、そこに輝く原石が1. 「ミスター・タンブリン・マン」であり、同じく本アルバムに収録された3.「スパニッシュ・ハーレム・インシデント」、7.「オール・アイ・リアリー・ウォント」、11.「自由の鐘」といった楽曲たちなのである。[収録曲]1. Mr. Tambourine Man2. I'll Feel A Whole Lot Better3. Spanish Harlem Incident4. You Won't Have To Cry5. Here Without You6. The Bells of Rhymney7. All I Really Want To Do8. I Knew I'd Want You9. It's No Use10. Don't Doubt Yourself, Babe11. Chimes of Freedom12. We'll Meet Again~以下、ボーナス・トラック~13. She Has A Way (別ヴォーカル・ヴァージョン)14. I'll Feel A Whole Lot Better (別ヴァージョン) 15. It's No Use (別ヴァージョン) 16. You Won't Have To Cry (別ヴァージョン) 17. All I Really Want To Do (シングル・ヴァージョン)18. You And Me (インスト) 【送料無料】ミスター・タンブリン・マン/ザ・バーズ[Blu-specCD2]【返品種別A】
2009.08.12
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イタリアの歌姫、デビュー当時の伸びのある歌声 ラウラ・パウジーニ(当初、日本では誤ってローラ・パウジーニと表記されていた)は、1974年イタリア出身の女性シンガー。1993年にデビューアルバムを発表したが、1994年以降は基本的にイタリア語とスペイン語の両方で歌い(したがって、通例、アルバムもイタリア語盤とスペイン語盤の二種をリリース)。2001年には英語で歌ったアルバムも制作している。 本盤『ラウラ・パウジーニ』とは、同タイトルのイタリア語デビュー作(これは日本で発売された)ではなく、1994年にでたスペイン語盤(日本盤未発売)の方である。内容としては、イタリア語のみ発売されたデビューアルバム(1993年)と同セカンドアルバム(1994年)の中からピックアップされた楽曲をスペイン語で歌ったもので、スペインやラテンアメリカ諸国でヒットし、世界に彼女の名を知らしめる第一歩になった。 なぜスペイン語で歌ったのか? 要は音楽マーケットとして巨大だからであろう。あのマドンナやボン・ジョビですら、スペイン語圏向きにはスペイン語のボーナストラック追加などの工夫をしていたほどで、実際、スペイン語圏は20カ国を超え、潜在的マーケットには4~5億人が控えている。おまけにイタリア語とスペイン語は親戚のような言語で、イタリア出身のラウラには歌いこなすのが比較的たやすい(間違っても、何を言ってるのかネイティヴすら聞き取れないボン・ジョビのスペイン語みたいにはならない)。 とはいえ、20歳のイタリア人ラウラにとって、スペイン語が外国語であることには違いない。ちょっと舌足らずな部分が時折見られるあるが、かわいらしいということで逆に受けたのだと思う。そして、何よりも、ところどころでスペイン語での歌に緊張してる様子が伺われるにもかかわらず、のびのびと歌えているところが非常によい。8歳からピアノバーで歌っていたとのことなので、その経験から得た度胸だろうか。また、ヴォーカル表現がストレートなのも非常に好印象だ。もっと後のアルバムのほうがヴォーカリストとしてのテクニックは確実に上達している。けれど、この当時はストレートな声が真っ直ぐに響いてくるといったのが第一印象で、その真っ直ぐな声に乗せて、真っ直ぐな若者の勢いが伝わってくる。そんな気持ちいい歌声の10曲。[収録曲]1. Gente ←おすすめ!2. Él no está por ti ←おすすめ!3. Amores extraños4. Las chicas5. El valor que no se ve6. La soledad ←おすすめ!7. ¿Por qué no volverán?8. Se fue9. ¿Por qué no? ←おすすめ!10. Carta1994年リリース。
2009.08.11
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惚れ惚れする歌声 男が聴いても惚れ惚れする男性ヴォーカルというのは存在する。変な意味ではなくて、まじめな話だ。筆者にもそんなシンガー・ヴォーカリストが何人かいるのだが、このビクトル・マヌエル(Víctor Manuel)はその筆頭である。 ビクトルは、1947年生まれで、スペイン北部出身のシンガーソングライター。フランコ独裁期から現代スペインへの「移行期」を象徴するアーティストの一人とされる。60年代後半からアーティストとしての活動を始め、アナ・ベレン(Ana Belén、公私とものパートナー)と長年デュオで活動しているが、本作のようなソロ作もコンスタントに発表している。 さて、そのビクトルの声であるが、これを描写しようにも言葉が見当たらない。自分自身の言語能力の低さを嘆きたくもなるが、そもそも音を言葉で説明するのは難しいわけで、何ともならない。なので、声質については、興味のある方はぜひ聴いていただき、感じ取っていただきたい。 音楽的な部分は説明できそうなので、付け加えておきたい。アナ・ベレンとのデュオでもたまに見られるのだが、叙情性をたたえたアレンジの曲・演奏が基本である。つまり、明るいポップスではなく、何某かの情景や光景、それも孤独・悲しみ・慈悲などの語を思い起こさせる情景が目前に浮かぶような雰囲気に仕上がっている曲が多い。こうしたアレンジは、詞のストーリーと相まって叙情的な作品に仕上がる、というのがビクトルの諸作に典型的な特徴である。そしてこの叙情性はおそらく、彼の出身地(スペイン北部アストゥリアス)とも関係しているのだと思う。一般にスペインと言うと、明るい太陽の南部や地中海沿岸のイメージであろうが、北部はもっと暗い。そうした意味では、ステレオタイプなスペイン・イメージとはまったく異なる音楽である。 声質の説明ができなかったので、わかりづらいとは思うが、単なる明るいポップスを求めるのではなく、叙情性に富んだ短編映画集を見るような音楽を求める人には、おすすめのアーティストだと思う。そして、筆者のいちばんのお気に入りアルバムがこの『シン・メモリア』(1996年)である。[収録曲]1. Sin memoria ←おすすめ!2. Canción pequeña3. Si todas mis noches fueran como anoche ←おすすめ!4. Cuatro latas de cerveza5. Como no estabas tú6. Agua de la fuente clara7. Yo ya no soy el que soy ←おすすめ!8. Vete pena9. Niño de nadie ←おすすめ!10. Cayó la luna11. Como el agua en un pañuelo12. Laura ya no vive aquí ←おすすめ!1996年リリース。
2009.08.11
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大御所メキシカンロックバンドの真骨頂 EL TRI(読み方は"エル・トリ")は、メキシカンロックの雄。バンドリーダーのアレハンドロ・ローラ(ヴォーカル、ベース、ギター)をリーダーとし、40年近く活動を続けてきた。1970年代はThree Minds In My Mindというバンド名で活動し、当初は英語で歌っていたが、やがて1980年代にEL TRIとしてメジャー・デビュー。その後は現在に至るまでメキシカンロック・シーンを牽引し続けている。 何枚も推薦したいアルバムはあるのだけれど、最初に聴くなら王道をということで、1997年リリースの『君がいない時―クアンド・トゥ・ノ・エスタス(Cuando Tú No Estás)』を挙げておきたい。EL TRIの作品の中で、90年代終盤以降の彼らの方向性を示すことになった作品であり、サウンド的にも王道ロックを行くものだからだ。 もともとEL TRIおよびその前身は、ブルース系の曲作りをしていた。なので、後々のアルバムでも典型的なブルースの進行の曲が時々あり、楽器としてもハープ(ハーモニカ)が欠かせない曲が多い。本盤はそうしたベースの上に、アメリカンロック的なストレートなロックサウンドを繰り広げるものだ。 詞についても簡単にコメントしておきたい。1.「褐色の聖母」は、メキシコの守護聖人、グアダルーペの聖母をテーマにしたもので、カトリック信者の多いメキシコでは大いにうけた。そして、このアルバムの頃から、リーダーであるローラは聖母のTシャツを着てステージに上がるようにもなった。また、EL TRIは以前から政治性や社会性の強い歌詞で知られていたが、本作でも3.「疫病(Epidemia)」のように政治家批判(詞の中では"売国奴"と呼んで批判)を繰り広げている。全体としては、人生のやるせなさを歌ったような詞が多いのだが、結局のところ「何とかなるさ」という人生への希望を歌っているものが多い。あと、もう一つの特徴は、10.「ロックンロールの虜(Esclavo del Rocanrol)」のように、ロック性を強調しているところだ。これは本作の王道ロックサウンドともリンクしているのかもしれない。 いずれにしても、音的にとっつきやすいので、このバンドへの入口としては最適な一枚だと思う。注:日本盤は存在しませんので、アルバム名・曲名の邦題は筆者が勝手に訳したものです。[収録曲]1. Virgen Morena2. Correteando el bolillo3. Parece fácil4. Epidemia5. Pastillas del Rocanrol6. El ritmo del mundo7. Cuando tú no estás8. Copias piratas9. Echa tus broncas a la basura10. Esclavo del Rocanrol11. De todos modos Juan te llamas12. El muchacho chicho1997年リリース。
2009.08.10
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『クール・ストラッティン』だけではもったいない、ハード・バップの粋 1931年ペンシルヴァニア出身のソニー・クラークは、20歳の頃から西海岸で音楽活動を開始する。西海岸での活動で一定の成果を残したあと、彼がニューヨークに出てくるのは1957年4月、25歳の頃だ。1963年1月に急死してしまったため、ニューヨークに出てきてからの活動期間はわずか5年足らず。とはいえ、ニューヨーク到着直後、25歳の彼には勢いがあった。 ニューヨークに来てわずか数ヶ月、ブルーノートに『ダイアル・S・フォー・ソニー』を吹き込む。その1ヵ月半ほどが経過した9月には本作『ソニーズ・クリブ』を録音。さらには続けて『ソニー・クラーク・トリオ』が録音され、翌58年1月には、かの有名盤『クール・ストラッティン』が制作される。この1年弱の期間の彼はまさに破竹の勢いでレコーディングを重ねた。 そうした中の一枚が『ソニーズ・クリブ(Sonny's Crib)』である。1.「ウィズ・ア・ソング・イン・マイ・ハート」や4.「ソニーズ・クリブ」(つまりはA面・B面の1曲目)が秀逸である。1.はアルバム1曲目には聴こえない。何が言いたいのかというと、前の曲があってその流れで続いてくるような曲(厳密には曲のイントロ)なのだ。これを1曲目にもってきたインパクトはなかなか大きいと思う。1曲目を聴いていながらも、聴き手は既に数曲聴いているような気分にさせられ、結果、演奏にのめりこんでしまう。他方、4.の表題曲は、『クール・ストラッティン』の表題曲に比肩する雰囲気を持っている。逆説的だが、これを1曲目(A面1曲目)に持ってきて、『クール・ストラッティン』並みの洒落たジャケットをつけたなら、本盤の方が最大の代表作に化けていたかもしれない。他の曲も質が高く、個人的には2.「スピーク・ロウ」が特におすすめである。 さて、このアルバムをいい作品に仕上げているのは、間違いなく参加メンバーである。とりわけ三管の力による比重がとても高い。ドナルド・バード(トランペット)は、当時25歳で、ジャズ・メッセンジャーズの一員として注目を浴び始めたばかりであった。カーティス・フラー(トロンボーン)は当時まだ22歳。しかも、ソニー・クラークと同様、ニューヨークに来てまだ半年ばかりだった。ジョン・コルトレーンは既に31歳で、マイルスの・デイヴィスのグループのメンバーとして有名にはなっていたが、独自の音楽を求めてセロニアス・モンクとの共演やバンド・リーダーとしてのプレスティッジでのデビューといった模索を行なっていたのがちょうどこの1957年だ。さらに付け加えるならば、当時、ポール・チェンバース(ベース)は22歳、アート・テイラー(ドラム)は28歳だった。個人的な好みも付け加えておくならば、1.や3.のバード、2.や4.のコルトレーン、3.のフラーが耳に心地よい。 要するに、若い血潮がみなぎっているのである。ところが、若さが変に暴発すれば、単なるブロウ合戦に終わってしまっていたかもしれない。本盤の素晴らしいところは、管楽器の三者が「抑え気味にベストをつくした」ところにあるといっていい。ハード・バップ・ムーブメントを牽引する上り調子の若者たちの、考え抜かれたプレイ。これがリーダーであるソニー・クラークの手腕なのか、はたまた彼の録音を立て続けに行なったブルーノート・レーベルのオーナー、アルフレッド・ライオンの功績なのかはよくわからない。けれど、アレンジの妙や全体の統一感を求めた結果として完成した音楽が素晴らしいことに間違いはない。 「ソニー・クラーク」イコール『クール・ストラッティン』。ジャケットのよさも手伝い、同アルバムばかりが聴かれる傾向にある。しかしながら、この有名盤一枚だけで他を聴かないというのはあまりにもったいない、というのが筆者の感想である。[収録曲]1. With A Song In My Heart2. Speak Low3. Come Rain Or Come Shine4. Sonny's Crib5. New For LuluDonald Byrd (tp), Curtis Fuller (tb), John Coltrane (ts), Sonny Clark (p), Paul Chambers (b), Art Taylor (ds)録音:1957.9.1Blue Note 1576 【2500円以上お買い上げで送料無料】【CD】[UCCQ-9107]ソニーズ・クリブ [ ソニー・クラーク ] 【送料無料】【輸入盤】 Sonny's Crib [ Sonny Clark ]
2009.08.10
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超技巧派ピアニストによる勢いに乗った熱演 ミシェル・カミーロ(こう書く方が正確だが、日本盤などでは"ミッシェル・カミロ"と表記されている)は、1954年ドミニカ共和国出身のピアノ奏者・作曲家。今まで知らなかったのだけれど、日本制作盤(1986年、キングレコード)から火がついてメジャーに進出したのだそうだ。 彼の演奏を初めて聴いたのは1995~96年頃、メキシコシティの小さなホールだった。それまで彼の名は知らなかった。ただ割り引きチケットで入れるコンサートがあるからという理由で友人たちについて行ったまでだった。ところがどっこい、演奏を聴いてその凄さに圧倒され、唖然とした。そして、数日後、彼のCDを買いに走った。そうして手にしたのが、本作『ランデヴー(Rendezvous)』である。 ミシェル・カミーロは、「超技巧派」と呼ばれ、圧倒的なテクニックで知られる。要は「技術の高い」ピアニストとして有名なわけである。実際、筆者も初めて彼のライヴを体験した時に圧倒されたのはこの点だった。けれどこのアルバムを繰り返し聴き、やがて他のアルバムも何枚か聴くうちに気付いたのは、彼の演奏を素晴らしいものにしているのが「単なる技巧」だけではないということだった。 もう一つ、彼を形容する際によく用いられる台詞は、「ラテン」(ラテン的、ラテン・ジャズ、ラテン・フレーヴァー、など)や「カリブ」(カリビアン・テイスト、カリブの熱風、など)といった表現だ。これらの言い回しは、しばしば演奏の"熱さ"とも結びつけられて述べられる。 「超技巧」と「ラテン(カリブ)」。どちらもミシェル・カミーロを説明するのに真である。確かに、生半可なテクニックではないし、黒人ジャズとはまったく異なるラテン的熱さが感じられる。けれど、これら二つの要素が結合してこそのカミーロだという点を強調しておきたい。つまり、どちらか一方ではだめなのであって、これら両方の要素があってこそはじめて彼のよさが認識できるのだと思うわけだ。 「超技巧」と「ラテン性」の結合の結果が、このアルバムの"疾走感"である。1.「トロピカル・ジャム」からして既にハイライトのように思える。途中、テンポを落とし、静かになる曲(2.、4.、6.)もある。音の間とタイミングを活かした3.「エル・レアレホ」のような曲もあれば、9.「フロム・ウィズイン」のように強弱の波をつけながらピアノが走り続ける曲もある。単に疾走するだけの音楽が40分も50分も続いたら、普通は退屈するだろう。けれど、落ち着いた曲調、強弱のメリハリが利いた楽曲といったものをうまく混ぜ込むことによって、全体に疾走感がありながら、しかし単調になってしまわない工夫が本盤にはなされている。 カミーロのアルバムは他にもいい作品がある。だから何が何でも本盤が最初というわけではないけれど、この『ランデヴー』は、カミーロへの一つのいい入口になり得る作品だと思う。[収録曲]1. Tropical Jam2. Caravan3. El Realejo4. Rendevous5. As One6. Remembrance7. Blacky8. Albertina9. From WithinMichel Camilo (p), Anthony Jackson (b, g), Dave Weckl (ds)録音:不明(1993年5月リリース) 【送料無料】ランデブー/ミシェル・カミロ[CD]【返品種別A】 【送料無料】【輸入盤】 Rendezvous [ Michel Camilo ]
2009.08.09
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爽快に響くトランペットのワン・ホーン ブルー・ミッチェルは、翳りのあるというか、どこかしら物悲しい哀愁を秘めたトランペットを吹く。けれど、それと同時に、ミッチェルが吹くトランペットはクリアで伸びのある音色でもある。サイドメンで参加した、例えばホレス・シルヴァーのいくつかのアルバムを聴けば、このことはよくわかる。本盤『ブルーズ・ムーズ(Blue's Moods)』(1961年、RIVERSIDE)においても、トランペットばかりに集中して聴けば、クリアな音色の中に何かしら翳りが感じられるのは確かである。 本作はワン・ホーン・カルテットのリーダー作で、普通に考えれば、そうしたミッチェルのトランペットの特色が端的に出そうな編成である。けれども、出来上がった音楽は、なぜか爽快に響く。言い換えると、ミッチェルの音色にはいつも通りの翳りがあるにもかかわらず、その「翳り」は、アルバムとして全体を聴いた時、必ずしも前面には出てこないのだ。 その理由は二つある。一つは、曲順の妙。1曲目(本来のA面1曲目)の「アイル・クローズ・マイ・アイズ」、5曲目(B面1曲目)の「サー・ジョン」が特段に爽快な曲調に仕上がっている。つまり、必ずしも全曲が「爽快」な曲調というわけではないものの、そのような雰囲気を先入観として植えつけた上で、他の曲が続くという構成である。 もう一つの理由は、メンバーにある。ロイ・ブルックス(ドラム)とサム・ジョーンズ(ベース)の二人は、淡々と演奏をこなしながらも、盛り上げるところは盛り上げ(特にドラム)、軽快に飛ばすべきところはペースを上げていく(特にベース)。このリズム感が爽快さの基本となっている。そして、極めつけはウィントン・ケリーのピアノ。随所でソロを取るのだが、これがまたいい意味でスムーズに流れていくソロなのである。言い換えれば、本盤でのウィントン・ケリーは、(これまたいい意味で)粘着性の少ないプレイを展開しており、それが爽快さに確実につながっている。 以上のような爽快さゆえ、筆者はよく本盤を「朝一盤」として聴く。晴れた空、爽快な朝に1曲目か5曲目から聴く。もちろん、昼下がりに聴いても夜中に聴いても名盤なのだろうけれど、いつからか、個人的には朝起きて最初の一枚として愛聴している。[収録曲]1. I'll Close My Eyes2. Avars3. Scrapple From The Apple4. Kinda Vague5. Sir John6. When I Fall In Love7. Sweet Pumpkin8. I Wish I Knew録音:1960.8.24&25.Richard "Blue" Mitchell (tp), Wynton Kelly (p), Sam Jones (b), Roy Brooks (ds) 【送料無料】ブルーズ・ムーズ [ ブルー・ミッチェル ]
2009.08.09
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ガーランドのブルージーさを見直す レッド・ガーランドは1923年テキサス州ダラス生まれのジャズ・ピアニスト。1950年代半ばにマイルス・ディヴィスのグループに入ってから本格的な活躍を始め、途中、十数年間の引退期間もあったものの、後に復帰。1984年に亡くなるまでの生涯で、リーダー作はもちろんのこと、とりわけ50年代半ばから60年代初頭にかけて、数多くの有名盤に参加している。 そんなガーランドのピアノ演奏は、どこを取ってもすぐに彼とわかる個性があると言われる。要するに、一言で表現するならば、「金太郎飴」。これを悪いほうに解釈すると、「ガーランドは1~2枚聴けば十分」とか、「どれを聴いても同じで退屈」とかいう結論に達してしまう。 鍵盤の上をコロコロと転がるような音色、ブロックコードの多用、サービス精神旺盛な演奏…。こうした「個性」に耳を奪われ過ぎると、きっとガーランドのピアノは退屈になってしまうのだと思う。しかし、聴く側ももう少し開き直ってみてはどうだろう。 確かに、ガーランドの演奏は、どこを切っても同じ顔が出てくる「金太郎飴」のようだ。本人も意識して自我流を通したようであり、それゆえの引退期間を持った。けれども、落ち着いて考えてみたい。「金太郎飴」のどこが悪いものか。どこを切っても同じ顔が出てくるからこそ金太郎飴であって、もしも、切った場所によって顔が異なっているのだったら、一本の長い飴である意味もなければ、必然性もない。いろんな顔の飴が欲しいのなら、最初からバラバラになっている違う飴をいくつも買えばいい。つまるところ、金太郎飴の楽しみというのは、同じ顔が長く続いていることにこそある。 今まで何枚かのガーランドのアルバムを聴いた中で、リーダー作(トリオ作)の中で、本作『レッド・イン・ブルースヴィル(Red in Bluesville)』は結構気に入っているうちの一枚だ。収録曲のうち、2曲目などは少々間延びする曲もあるが、1.「ヒーズ・ア・リアル・ゴーン・ガイ」、3.「シカゴ特捜隊Mのテーマ」、6.「セントルイス・ブルース」あたりは非常に落ち着いて聴くことができる。その理由は、テクニックや演奏スタイル云々というよりは、ひとえにガーランドのブルージーな感覚がきっちり演奏に反映されているところにあるのだと思う。 テクニックに目を奪われすぎると、確かに「金太郎飴」が退屈になる可能性はある。けれどもこうしたブルージーな感覚に心地よく身を任せ、ガーランドのピアノに酔うのもいい。その時に「金太郎飴のどこが悪いのだ」と開き直って聴けばよい。 こんな聴き方をしながらなら、ガーランドのアルバムを全部聴いてみようかという気になる。全アルバム聴くのは長い道のりだろうけれど、筆者にとって、ガーランドはそれをやってみたいと思わせてくれる演奏家の一人だ。自然に聴くことのできる「金太郎飴」的なブルージーさに、きっと飽きることなく聴けそうな気がする。[収録曲]1. He's A Real Gone Guy2. See See Rider3. M Squad4. That's Your Red Wagon5. Trouble In Mind6. St. Louis BluesRed Garland (p), Sam Jones (b), Art Taylor (ds)録音:1959.4.17. 【Aポイント+メール便送料無料】 RED GARLAND / RED IN BLUESVILLE (輸入盤CD)【YDKG-u】
2009.08.09
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大ヒットヴァージョンしか知らない人は一聴の価値あり 1984年の大ヒットアルバム『ボーン・イン・ザ・U.S.A.』はブルース・スプリングスティーンを一躍時代の寵児へと押し上げた。従来のスプリングスティーンのロックサウンドをベースにしながらも、MTV時代に相応しいポップな味付けが効き、シングルカットは次々とヒット。実に12曲中7曲がシングルとしてビルボードにトップ10入りするという“お化けアルバム”だった。折りしも、レーガンの大統領選キャンペーンでは、スプリンスティーンがアメリカン・ドリームの具現者として、若者の星に祭り上げられた。表題曲「ボーン・イン・ザ・U.S.A.」そのものの内容に関係なく、"俺はU.S.A.で生まれた"というコーラス部分だけが政治の場で利用され、曲解され、一人歩きした。けれど、そのサウンドから受けるイメージと異なり、この曲の内容は、重く暗い。ベトナム戦争から帰還したアメリカ兵を歌ったもので暗いメッセージだった。 この曲そのものの歴史というか由来からしてメッセージ色が強い。実は「ボーン・イン・ザ・U.S.A.」はこのアルバムのために書かれた曲ではなかった。1981年、つまりもう一作前のアルバム『ネブラスカ』を作った時の曲だ。『ネブラスカ』は、彼の作品の中ではあまりメジャーではないが、通好みというかミュージシャン好みの1枚で、全編アコースティックな自宅録音というアルバム。アメリカに生きる個々の“生”を生々しく歌った楽曲が並ぶアルバムだ。要するに、「ボーン・イン・ザ・U.S.A.」も、本来はそんな曲の一つだった(後に『ネブラスカ』のアウトテイク集にも収められた)。 本来の「ボーン・イン・ザ・U.S.A.」が一般に日の目を浴びるのは、長い年月が経ってからだった。過去の秘蔵テープ集大成の4枚組『トラックス』(1998年)とそこからベスト選曲した『18トラックス』(1999年)の発売によって正式なアルバムに収められた。スプリングスティーンが伝えたかった本当のメッセージは、こちらのヴァージョンを聴く方がよく伝わってくる。深刻に暗い苦悩の歌である。収録アルバムは特段おすすめではないが(『トラックス』は4枚組でマニア向けだし、『18トラックス』は安易な編集盤ぽくて全体の統一性はない)、それでもなお、「ボーン・イン・ザ・U.S.A.」だけは聴く価値がある。[収録アルバム]Bruce Springsteen / TRACKS (1998年)Bruce Springsteen / 18 Tracks (1999年)Bruce Springsteen / Nebraska ’82: Expanded Version(2025年) 【輸入盤CD】【新品】Bruce Springsteen / 18 Tracks (ブルース・スプリングスティーン)
2009.08.08
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ツェッペリンを消化し、血肉としたアン・ナンシー姉妹 ~その2~ 前項のハート「ロックンロール」では、アンとナンシー姉妹がツェッペリンの音楽を見事に消化し、自己のものとして継承したということを書いた。「ツェッペリンの音楽」とか「ツェッペリンの影響」などという表現を聞いて、多くの人がイメージするのは、ハードロックの頂点としてのレッド・ツェッペリンだろう。 しかし、そのツェッペリン像というのをよく考え直してみるべきだと思う。レッド・ツェッペリンの音は、単に「正統派ハードロック」と言う時に思い浮かべるであろうハードな音楽的側面だけではなかった。ツェッペリンの「ハード」な音楽が成立する背景には、「アコースティック」な側面があったことを見逃してはならないと思う。アコースティックなツェッペリンと言えば、『レッド・ツッペリンIII』がその典型なわけだが、アコースティックなツェッペリンの素晴らしさは他のアルバムでも随所に散りばめられている。いや、むしろこの側面がしっかりしたものだったからこそ、典型的に「ハード」なツェッペリンの音楽がしっかりしたものになったと考えるべきではないだろうか。 前項で「ハートがツッペリンを見事に消化した」と述べたわけだが、筆者は、こうしたアコースティック部分も含めてそう思うのである。70年代後半のハート初期の音楽には、「ハード」な楽曲に並んで「アコースティック」な楽曲が重要な位置を占めていた。90年代以降の、例えば、ハートのアルバム『ロード・ホーム』(1995年)のような作品からも、アコースティックな部分が見事に継承されている様子が窺い知れる。 ところで、アンとナンシー姉妹は1990年代にハートとは別のプロジェクトでの活動も行なった。ラヴモンガーズ(Lovemongers、ちなみに定冠詞Theがついた表記とそうでない表記の両方がある)なるアコースティック・ユニットでの活動である。このラヴモンガーズはもともとライヴイベント出演のために始まったグループのようだけれど、1992年の4曲入りミニアルバム『バトル・オブ・エヴァーモア(Battle of Evermore)』や1997年のフルアルバム『ウィアリーギグ(Whirlygig)』などをリリースした。 このラヴモンガーズ名義のカヴァー・ライヴ・ヴァージョン「バトル・オブ・エヴァーモア」こそが、ツェッペリンのアコースティックな側面の継承を示す典型だと思う。上記のミニアルバムにももちろん収録されているが、1997年に出たオムニバス盤『ブリッジ・スクール・コンサート・ライブ(The Bridge School Concerts Vol. One)』にも収録されている(問題の曲は同じくライヴではあるが、ヴァージョン違いのよう)。この『ブリッジ・スクール・~』は大物アーティストのレアなライヴ音源が多く詰まっているので、個人的にはこちらのアルバムで他の曲も楽しむのがいいと思う。[収録アルバム(CD)]The Lovemongers / Battle of Evermore (1992年、4曲入り)Various(ニール・ヤング、ベック、パール・ジャム、デヴィッド・ボウイ他) / The Bridge School Concerts Vol. One (1997年)
2009.08.08
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ツェッペリンを消化し、血肉としたアン・ナンシー姉妹 ~その1~ ハート(Heart)というバンドは女性姉妹のフロントマン(アン・ウィルソンとナンシー・ウィルソン)ということから、「女性的」なイメージが強い。つまり、「女だてらに」や「男まさりの」、はたまた「女性のくせに」とか「女性だからこそ」とか、そんな形容をされて、「(フロントが)女である」ことが付きまとってしまっている。けれども、その「女」という要素を外して、冷静に考えれば、このバンドほどレッド・ツェッペリンを自己の血肉の一部として見事に消化したアーティストはいないのではないか。 1980年代半ばのハート(典型的には1985年のアルバム『HEART』)は確かにややポップで売れ筋な路線に走った。とはいえ、それ以前の70年代後半(厳密に言えば76年のデビューから80年代初頭まで)の彼らの作品を聴けば、ツェッペリンの音楽に憧れ、それを見事に消化し、自分たちの音楽作りにつなげていることがよくわかる。 その頂点というか、原点に立ち返った演奏がこの「ロックンロール」だ。デビュー以来コンスタントに積み上げてきたヒット曲にライヴ収録曲を合わせて編集した1980年のアルバム『ザ・グレイテスト・ストーリー(LIVE & BEST))』(原題は『Greatest Hits/Live』)に収録されている。「ロックンロール」は、まさにライヴのハイライトといった場面での演奏で、アルバムの最後の曲として収められた。この演奏は、ツェッペリンを超える/超えないという次元で聴くものではなく、ツェッペリンを消化して自己の音楽を創造していった次の世代の名演として、聴き継がれていいと思う。 ちなみに、アンとナンシーは、このような「正統派ハードロック」としてのツェッペリンだけを継承したのではなかった。これには別の推薦曲があるので、次項でその話を続けたい。[収録アルバム]Heart / Greatest Hits/Live (1980年、初のベスト盤)Heart / The Essential Heart (2002年、Essentialシリーズの2枚組ベスト盤)
2009.08.08
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才能ある二人の若き日の記念写真 サウスサイド・ジョニーは米国ニュージャージー出身のロック・アーティスト(ヴォーカル、ハーモニカ)。ブルース・スプリングスティーンの盟友であり、「表通りのB・スプリングスティーン、裏通りのサウスサイド」と言われるように、スプリングスティーンのように、大ヒットになることはなかったが、地道に活動を続け、例えばジョン・ボンジョヴィのように、アーティストの中には彼の信奉者も多い。 「Broken Down Piece Of Man(破れた心)」は彼のファーストアルバム『アイ・ドント・ウォント・トゥ・ゴー・ホーム』(1976年)に収められたナンバー。この頃のサウスサイドは、スプリングスティーンやリトル・スティーヴン(スティーヴ・ヴァン・ザント)の曲も多く演じていて、とりわけ、スティーヴは彼の共演者・プロデューサーでもあった。上記のファースト・アルバムには「フィーバー(The Fever)」など佳作曲も含まれているのだけれど、敢えて「破れた心」を紹介したいのは、この曲でスティーヴが全面参加しているためだ。 サウスサイドが1948年生まれ、スティーヴが1950年生まれだから、1976年当時は二人とも20代後半の若くエネルギッシュな時代。デビュー前からの仲で、同じニュージャージーのローカルシーンで育ってきたミュージシャンだ。スプリングスティーンに遅れること数年、メジャーレーベル(Epic)に進出したサウスサイドは、盟友スティーヴをプロデューサーに迎えるばかりか、何曲かでは共演。このアップテンポの曲では、スティーヴはツインヴォーカルでサウスサイドとの掛け合いが小気味よい。二人が60歳前後になった今からみると、色褪せた写真を見るようかもしれない。けれど、この懐かしきスナップ写真に収められた二人の若々しさ、そして上り調子の勢いは、同窓会で昔の写真を見るときのような楽しさを与えてくれる。[収録アルバム]Southside Johnny & The Asbury Jukes / I Don't Want To Go Home (1976年) 【楽天ブックスならいつでも送料無料】アイ・ドント・ウォント・トゥ・ゴー・ホーム+ディス・タイム・イッツ・フォー・リアル [ サウスサイド・ジョニー&ジ・アズベリー・ジュークス ]
2009.08.08
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スーパースターとなったロッドの円熟ゆえの味わい 1989年、ロッド・スチュワート(Rod Stewart)は『ストーリーテラー(Storyteller -The Complete Anthology: 1964-1990)』なるCD4枚組にして64曲収録という壮大なベスト盤をリリースする。ベスト盤とはいえ、その中には何曲かの未発表曲が含まれていた。しかし、CD化が急速に浸透して数年、当時の筆者もCD機器は持っていたが、CD自体もまだまだ安くはなかった。この頃はまだCD化に伴って安価になった中古レコードが主な情報源だった筆者にとって、4枚組CDは高嶺の花だった。 翌年、この巨大ベスト盤からセレクションした1枚もののベスト盤もリリースされる。こちらは買った(どんな経緯で買ったかは忘れたが、手元に持っているのは輸入盤レコード)。そのタイトルが『Downtown Train -Selections fron the Storyteller Anthology』。先の巨大ベスト盤からシングルカットされた未発表曲がヒットし、それをそのままタイトルに据えたのだろう。 「ダウンタウン・トレイン」という曲は、トム・ウェイツの作だ。トム・ウェイツは「酔いどれ詩人」と言われるアーティストで、しゃがれた声で歌うので一聴して気付かないことも多いのだが、抜群にすぐれた曲を書く人でもある。古くはイーグルスの「懐かしき'55年(Ol'55)」(1974年『オン・ザ・ボーダー』所収)があるし、個人的な好みでは、ブルース・スプリングスティーン&E・ストリート・バンドの「ジャージー・ガール(Jersey Girl)」(1986年『ザ・ライブ』所収)。そう言えばノラ・ジョーンズも「ロング・ウェイ・ホーム」をカヴァーしていた(2004年『フィールズ・ライク・ホーム』所収)。 トム・ウェイツによるオリジナル・ヴァージョンの「ダウンタウン・トレイン」はどちらかと言えば暗く重い雰囲気なのだが、ロッドはこの曲をもう少し明るめに、そして実に力強いロック・チューンに作り変えた。けれど、若さにまかせて力強く歌いきるだけというのではない良さがロッドのヴァージョンにはある。この良さは、原曲の「陰」を消さず、曲の背後にそれを残すことに成功したからに他ならない。きっと若い頃のロッドだと、こうはいかなかっただろう。40代も半ばを迎えたロッドの円熟味があってこその成功だと思う。 ちなみに、ロッドのこのカヴァーには裏話があるそうで、何でもボブ・シーガーがこの曲のカヴァーを狙っていたらしい。ロッドに先を越され、おまけにそのロッドのヴァージョンが全米トップ10のヒットとなったため、ボブ・シーガーは地団駄を踏んだとのこと。確かにボブ・シーガーがロック調の歌っても何ともぴったりはまりそうな曲である(動画付き記事はこちら)。[収録アルバム]Rod Stewart / Storyteller -The Complete Anthology: 1964-1990 (1989年)Rod Stewart / Downtown Train -Selections fron the Storyteller Anthology (1990年) Rod Stewart ロッドスチュワート / Storyteller-downtown Train 輸入盤 【CD】
2009.08.08
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実力が備わっているからこそ、このように秀逸なカヴァー・ヴァージョンが生まれる リチャード・マークスは1963年米国生まれのロック/ポップ・シンガー。1980年代後半に彗星のごとく現れ、アメリカ西海岸ロック風の曲からしっとりとしたバラードまでヒット曲を連発した。やや低迷した時期もあったが、1990年代にもいくつかのヒット曲を出しながら、次第にAC(アダルト・コンテンポラリー、日本で言うAORに相当)色を強め、近年は作曲・プロデュースに力点をおいて活動している。 1994年のアルバム『Paid Vacation』からシングルカットされた「The Way She Loves Me」は全米20位とあまり振るわなかったが、それなりに名曲。しかし、このシングル(4曲入りの米盤マキシシングル)にカップリングされた「テイク・イット・トゥ・ザ・リミット(Take It To The Limit)」の方がはるかに素晴らしく、その出来にびっくり仰天した。 「テイク・イット・トゥ・ザ・リミット」は70年代ウエスト・コースト(西海岸)ロックの雄、イーグルスのヒット曲だ。全員がヴォーカルを担当できるというのは、イーグルスの特徴の一つだが、この曲はランディ・マイズナーがリード・ヴォーカルという珍しい曲で、なおかつ大ヒット曲。この曲にトライするリチャード・マークスの存在そのものもすごいのだが、それを大きな編曲なしに見事なカヴァー・ヴァージョンを歌い上げてしまったことの方に仰天した。実力がないとこんな芸当は不可能だろう。けれど、彼はそれを難なくやってしまった。1988年のライヴ録音とんことだから、デビューからわずか2年ほど、リチャード25歳の時のことである。 ちなみにその数年後、飛鳥涼(アスカ)とのデュエット共演があり、日本限定でシングル発売された。このシングル(日本盤8cmCDシングル)にも同じヴァージョンの「テイク・イット・トゥ・ザ・リミット」が収められているらしい。 原曲を尊重し、なおかつ秀逸なカヴァー・ヴァージョンを披露するのは並大抵のことではない。その「並大抵ではないこと」をあっさりやってしまったリチャード・マークスの才能は、デビュー時点で既に「完成品」だったのだろう。この人の他の有名曲カヴァーにもすぐれものが多いが、残念ながらこの手のものは通常アルバムには含まれないことが多い。そういうのばかり集めてアルバムにしたら売れると思うのだけれど…。[収録CD]Richard Marx / The Way She Loves Me [maxi single] (1994)Richard Marx with Aska / Every Day Of Your Life [日本盤シングルCD] (1996)
2009.08.08
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ファンでなくとも一度は聴くべし、ジョン・ボン・ジョヴィの熱唱 ボン・ジョビというバンド自体のよさとは別に、このグループのヴォーカリストであるジョン(ジョン・ボン・ジョヴィ)の声は、実に魅力的で個人的にお気に入りだ。といっても、特徴のあるハスキーボイスなので、好みは分かれるかもしれないし、ある時から高音部が弱くなったという問題点もある。それはともかく、バンドとしてのボン・ジョビでのロック一筋の曲でもその良さは時折発揮される。けれど、もっと静かな曲を、力を込めて歌った時の彼の声はさらに魅力を増す。 そのことに気付いたのは、1990年発表の初ソロ・アルバム(『ブレイズ・オブ・グローリー』)の表題曲を聴いた時だった。このソロ・アルバムはリリースされてすぐに聴いたのだけれど、その翌年に出たエルトン・ジョン(と彼の長年の曲作りのパートナー、バーニー・トーピン)へのトリビュート・アルバムでジョン・ボン・ジョヴィが歌っていることを知ったのは、それがリリースされてから5~6年経ってからだった。 このトリビュート・アルバムは、参加アーティストの面々がすごい。ザ・フーにビーチ・ボーイズといった大御所から、エリック・クラプトンやロッド・スチュワートといったベテラン(彼らも18年後の今や大御所と呼ぶべきか)、スティングにティナ・ターナー、ジョージ・マイケル…。今になって思えば、昨今の若手も混ぜた中途半端なトリビュート・アルバムに比べ、豪華極まりない面々で、まさしく豪華盤。余談にはなるが、このCDは今や中古店で数百円(500円以下)で叩き売られているのをよく見かける。きっとエルトン・ジョンの名で買った人には期待はずれなアルバムだったんだろうな…。この文章を読んでいるような目的の人には「買い」なので、見つけたら即買いしてもらいたいところ。 さて、このアルバム収録曲の中でダントツに輝いていたのがジョン・ボン・ジョヴィによる「Levon(リーヴォンの生涯)」だ。エルトンの原曲は1971年のもの(エルトンのアルバム『マッドマン』に収録)であるが、ジョン・ボン・ジョヴィの方が元のヴァージョンよりも格段にいい。トリビュートやカバーをやる時は皆が常にこのくらいの気迫で取り掛かってもらいたい、というお手本のようだ。スローな曲調の中で静かに、そして次第に盛り上げていくジョン・ボン・ジョヴィの熱唱。高音・絶叫タイプのロック・チューンを歌う時とは異なり、彼の声にはハリと余裕がある。機会があればぜひ一度聴いていただきたい。 [収録アルバム]オムニバス/Two Rooms: Celebrating the Songs of Elton John & Bernie Taupin (邦題 『スーパー・スターズ・シング・エルトン・ジョン "トゥー・ルームス"』、1991年)
2009.08.07
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スイング感覚抜群のワン・ホーンを楽しむ ズート・シムズはリーダーとしてメンバーをぐいぐい引っ張って革新的な新たな何かを創造するというよりも、安定した演奏で安心できる名演をたくさん残したサックス奏者。そんなイメージが筆者には強い。そして、ベツレヘムに録音した『ダウン・ホーム』は、そのようなズート像を代表する一枚である。 全編にわたって、スイング感に満ち溢れている。悪く言えば単調ということになるのかもしれないけれど、一つのカラーでアルバム全体が統一されているのは悪くない。その一つのカラーとは、モダン以前に遡るスイング時代のジャズの楽しさである。1925年に生まれ、15歳からプロとして活動したズートの経歴(実際、本格的活動の開始はベニー・グッドマン楽団だったらしい)を考えれば、スイング時代ジャズののエッセンスも初期の活動の中で培われたものなのかもしれない。ともあれ、ビッグ・バンドのスイング演奏を聴いている時と同じ楽しさが、ビッグ・バンドではない4人編成のこのワン・ホーンのアルバムからは感じ取れる。 そんなスインギーな雰囲気の中、このアルバムの8曲40分余りはあっという間に過ぎていく。実際に演奏している曲も、1939年カウント・ベイシーの1.「ジャイヴ・アット・ファイヴ」、1902年(!)の5.「ビル・ベイリー」、1921年の7.「ゼアル・ビー・サム・チェンジズ」といった具合に古典的というか、古めかしいナンバーが多い。ドラムが単調だという批判もある。けれども、このアルバムの「古めかしく」「単純スイング」な雰囲気作りは意図的なものなのだと思う。そう言われれば、ピアノの演奏も見事にスイング感を盛り上げている。 要するに、それこそが本盤でのズートの意図だったのだろう。アルバム全体を通して見た時のスイングするノリの継続、そしてその中で冴えるズートのアドリブ。このイメージで一気に吹き込んだという印象。聴く側もそう思い込んで聴けば、難しいことを考えずに、気楽に聴けてなおかつ楽しい。 ズートがいま述べたような意図をもってこのアルバムを作ったのだとすれば、ひたすら楽しく聴くリスナーは見事にその術中にはまったということになるだろう。けれど、本当にそうなのだとすれば、すすんでその術中にはまるのも悪くない。[収録曲]1. Jive At Five ←おすすめ!2. Doggin' Around3. Avalon ←おすすめ!4. I Cried For You5. Bill Bailey ←おすすめ!6. Goodnight, Sweetheart ←おすすめ!7. There'll Be Some Changes Made8. I've Heard That Blues Before ←おすすめ!録音:1960年7月Zoot Sims (ts), Dave McKenna (p), George Tucker (b), Dannie Richmond (ds) 【楽天ブックスならいつでも送料無料】ダウン・ホーム +6 [ ズート・シムズ ] 【送料無料】ダウン・ホーム +6 [ ズート・シムズ ]
2009.08.07
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明るいアルトの揺れ、流れる音色に垣間見られる切なさ 1927年生まれのアルト奏者ソニー・クリス(1977年死去)は、直系の「パーカー派」と見られ、早い話がチャーリー・パーカー(1955年死去)のコピーのように考えられるため、あまり評価されてこなかったというわけだ。本作は1956年に吹き込まれたもので、パーカー死去の直後、パーカー直系のイメージを振り払おうとしているように思われる。むしろ、パーカーの死があったからこそ、この初リーダーアルバムを作る気になれたのかもしれない。 個人的にはソニー・クリスのアルトは大好きだ。何より聴いていて心地いい。「心地いい」と表現したが、「爽快」というのは少し違う。確かに時としてソニー・クリスは脳天気にかん高く吹く。けれども、それがずっと単調に続くわけではなく、時に切なさが垣間見られるのがいいところだ。それに加えて、彼のアルト演奏は流れる中に「揺れ」が感じられる。この「揺れ」というのは、スイングという意味ではなく、音色そのものの揺れであり、それが時折感じさせる切なさにつながっているのだと思う。 いま述べた部分をどう評価するかでソニー・クリスの好みは分かれることだろう。軽くて脳天気に聴こえるのがいやだという人もいるだろうし、そもそもパーカー色から脱していないという評価を下す人もいる。けれども、「心地いい」に焦点を合わせれば、基本がパーカー色であったって一向に構わない。コルトレーンをはじめ何人かのジャズの巨人のように新たな課題に向かって突き進んでいくのもよし。逆に、ソニー・クリスのように一定の枠組の中で、独自のニュアンスを求めながら吹き続けるのもよし。筆者は前者もいいと思うが、後者も潔くてよいと思う。 さて、ソニー・クリスのリーダーアルバムには何度かのピークがある。本作『ゴー・マン(Go Man)』は、そのうち最初のピークに当たる1956年の録音。上で述べたように初リーダー作であるが、既に30歳手前。その意味では、若々しく吹くと言うよりは、やはりパーカーの追従者的評価との葛藤の上に考えてプレイされたものだろうと感じる。「揺れ」とそこから垣間見える「切なさ」の表現は、チャーリー・パーカーとの違い、言い換えれば、ソニー・クリスの独自性の第一歩として顕われ始めたものではないだろうか。[収録曲]1. Summertime2. Memories of You3. Walkin' With Joe4. How Deep Is the Ocean5. The Blues for Rose6. The Man I Love7. Until the Real Things Come Along8. Blue Prelude9. After You've Gone10. Come Rain or Come Shine11. How High the Moon12. If I Had You Sonny Criss (as), Sonny Clarke (p), LeRoy Vinnegar (b), Lawrence Marable (ds)録音: 1956.2.24 [枚数限定][限定盤]ゴー・マン!/ソニー・クリス[CD]【返品種別A】 Sonny Criss ソニークリス / Go Man! 【Hi Quality CD】
2009.08.07
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揃った役者たちの職人芸が紡ぎだす音の美 ジム・ホールという人は職人肌のギター奏者だと思う。「(例えばケニー・バレルのように)このフレーズのブルージーさがたまらない」などというタイプではない。曲、場合によってはアルバム全体の流れを踏まえた上で、淡々と音を紡ぎだしていゆき、終わってみれば見事な職人芸に仕上がっているといった具合だ。 さて、本盤の録音時には、見事な役者が揃っていた。チェット・ベイカー(トランペット)、ポール・デスモンド(アルトサックス)、ローランド・ハナ(ピアノ)、ロン・カーター(ベース)…。いずれも「俺が俺がという出しゃばり」ではなく、控えめでありながら必要なところではしっかりと出る演奏を繰り広げる。CTIというレーベルからイメージされる聴きやすいジャズサウンドを作り出すには格好の面々だったろう。 そして、実際に名盤が生まれた。19分におよぶ長編の表題曲「アランフェス協奏曲(コンシエルト・デ・アランフエス)」は、なるほど20分近くを飽きさせない見事な名演で、筆者も最初はこればかり聴いていた。こうしてこの曲ばかりに注目が集まりがちなのだが、ちょっと待ってもらいたい。最初の3曲を聴き逃してはいけないアルバムなのだ。ちなみに、最初の3曲のうち、1曲目は全員参加だが、2.「トゥーズ・ブルース」ではハナ(p)とデスモンド(as)、3.「ジ・アンサー・イズ・イエス」ではデスモンドが抜けている。 これら3曲の中でも特にいちばんのお気に入りは1.「ユード・ビー・ソー・ナイス・トゥ・カム・ホーム・トゥ」だ。これは誰が何と言おうと必聴である。速めのテンポで進む中、参加メンバー各々がそれぞれの個性を「控えめに」(ここが重要!)発揮しているわけだが、この演奏を牽引しているのは、ドラムである。最初に聴くと少しリズムに乗りすぎて引っ張りすぎではないか、と思うかもしれない。しかし、これがあってこそ間延びせずにまっすぐに最後まで淡々と盛り上がる一体感が出来上がっているのであって、ジム・ホールはじめ各々の名人芸が光り輝いているのだと感じる。 そう、これでお分かりだろうが、上で名を挙げなかった役者がもう一人いたのだ。当時、頭角をあらわしつつあったスティーヴ・ガッド(ds)だ。抑えるところは抑え、叩くべきところはしっかりと叩くドラミングは、2曲目・3曲目でもいかんなくその良さを発揮している。 といったわけで、有名な表題曲も時にはいいが、ぜひとも1~3曲目、とりわけ1.に耳を傾けてもらいたい。壮大な4.に比する(いや、1.についてはそれ以上だと思う)、職人芸の粋と呼んでいい名演がそこにある。[収録曲]1. You'd Be So Nice To Come Home To2. Two's Blues3. The Answer Is Yes4. Concierto de Aranjuez~以下、1997年リイシュー米盤の追加&ボーナストラック~5. Rock Skippin'6. Unfinished Business7. You'd Be So Nice To Come Home To(別テイク)8. The Answer Is Yes(別テイク)9. Rock Skippin' (別テイク)録音:1975.4.16&23Jim Hall (g), Chet Baker (tp), Paul Desmond (as), Roland Hanna (p), Ron Carter (b), Steve Gadd (ds) アランフェス協奏曲/ジム・ホール[Blu-specCD]【返品種別A】
2009.08.07
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60年前の美しきテナーの舞、スタン・ゲッツの出世作 スタン・ゲッツは1927年生まれの白人テナー奏者。64歳で癌により亡くなっているわけなので、既に死後18年も経過している。本作『スタン・ゲッツ・クァルテッツ(Stan Getz Quartets)』はまだゲッツが20代前半(22~23歳にかけて)だった頃の、比較的初期の録音であり、彼の出世作だ。1949年と1950年の音源なので、今から60年も前の作品ということになる。 ゲッツのテナー演奏は、「クールで知的」といった肯定的評価も受ける反面、「音がか細い」などの否定的見解もある。本盤を聴いて感じるのは、確かにクールで上品だと言うことだ。クールではあるが、それは端正と言うのとはちょっと違う。各フレーズのエッヂは柔らかというか、ややぼんやりした感じ。これがいいところなのだと思うけれど、そこによさを感じない人の批評が「音の細さ」という言い方になってしまうのではないか。けれども、落ち着いてフレーズ一つ一つを聴けば、その音には「芯」がある。つまりは、しっかりと芯のある音を伴ってクールなフレーズが放たれ、しかしその音はぼんやり浮遊しながら舞っているかのような感覚。このような若きゲッツのテナーこそが本盤の聴き所だと思う。 『Quartets』というタイトルからもわかるように(単数形のquartetではなく、複数形のquartets)、複数のカルテット(4人編成)のセッションを編んだものである。詳細は下記を見ていただければよいが、1) 1949年6月、2) 1950年1月、3) 1950年4月、という3回のセッションだ。メンバーも毎回代わっていて、ピアノのアル・ヘイグが1)と2)に共通しているだけで、あとはバラバラの違うメンバーである。曲順は、CDで見ると少し入り組んでいるようだが、LP盤を考えればわかりやすく、「A面=2)のセッション+3)から2曲」、「B面=1)のセッション+3)から2曲」という構成(CDになってから付加されたボーナス曲は除く)。 正直、3)のセッションの4曲はやや間延びしがちで、ゲッツの演奏もそれほど冴えているように感じられない。逆に1)、2)のセッションからの曲は秀逸なものが多い。1)、2)両方に共通するのはアル・ヘイグが参加していることだが、実際、ゲッツが吹いていない部分ではとりわけ彼のピアノが効果的に鳴っている。 というわけなので、下記のCDの曲順に即して言うと、1曲目~4曲目(時間にしてわずか12分ほど)、次に7曲目~10曲目(これまた11~12分)という塊で本盤のエッセンスを聴くことをおすすめする。 [収録曲]1. There's A Small Hotel2. I've Got You Under My Skin3. What's New4. Too Marvelous For Words5. You Stepped Out Of A Dream6. My Old Flame7. Long Island Sound8. Indian Summer9. Mar-cia10. Crazy Chords11. The Lady In Red12. Wrap Your Troubles In Dreams~以下、ボーナス・トラック(筆者が所有しているのは1991年の日本盤リイシューCD)~13. Prezervation14. Into It 1949.6.21(7~10曲目+13曲目): Stan Getz (ts), Al Haig (p), Gene Ramey (b), Stan Levey (ds) 1950.1.6(1~4曲目+14曲目): Stan Getz (ts), Al Haig (p), Tommy Potter (b), Roy Haynes (ds) 1950.4.14(5・6曲目、11・12曲目): Stan Getz (ts), Tony Aless (p), Percy Heath (b), Don Lamond (ds) 【送料無料】JAZZ THE BEST 55::スタン・ゲッツ・クァルテッツ +4 [ スタン・ゲッツ ]
2009.08.06
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「音楽は変わらなければならない」 ザ・フーのアルバム『フー・アー・ユー』に収録された、あまり目立たない曲。『フー・アー・ユー』というアルバム自体も、ザ・フーの歴史の中では、あまり注目されない。オリジナルメンバーだったキース・ムーンが亡くなる直前のアルバムとして記憶されている程度かもしれない(実際、彼の死のダメージでバンドは1982年にいったん解散する)。 1965年の『マイ・ジェネレーション』以降、ザ・フーは音楽を変えてきた。労働者階級や当時の若者の代弁者としてイギリスのロック・シーンを担い、1969年の『トミー』では"ロック・オペラ"と呼ばれるジャンルを開拓した。1971年の『フーズ・ネクスト』では、シンセサイザーを先進的に使い、後にテクノにも影響を与えたとされる。ステージ上ではギターやドラムセットを叩きつけたり壊したりするという、破壊的なパフォーマンスを展開した。 1978年に『フー・アー・ユー』がリリースされた頃には、そんなザ・フーの"旬"は過ぎていたのかもしれない。けれども、彼らは、とりわけ、曲を作ったピート・タウンゼントは、「音楽とは常に変化していかねばならない」という命題を重く受け止め続けていたのだと思う。時代を切り開いた者がそこに安住するのではなく、さらに次の時代を切り開くにはどうすべきかという思考を続けていたのである。 この「ミュージック・マスト・チェンジ」という曲に、「ザ・フーらしさ」はあまりない。ドラムをフィーチャーせずシンプルで静かな曲調に鬼気迫るヴォーカルの組み合わせ。よく聴くとタウンゼント(シンセ、ギター)はバックでいろんな細かな工夫を凝らした演奏をしている。ザ・フーがやはり革新的だったことを再認識させる隠れた小品。[収録アルバム]The Who / Who Are You (1978年) フー・アー・ユー +5 [ ザ・フー ]
2009.08.06
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アル・クーパーをどう評価するべきかはよくわからないけれど、この曲だけはとにかく完璧 個人的には、彼のソロ作品を聴いてみても、悪くはないのだけれど、特段何かがピンと来るわけではない。アル・クーパーの評価ってどこが優れているのかはっきりしない。もしかすると才能がマルチすぎるためかもしれない。 ロックの歴史を振り返れば、私たちは要所要所でアル・クーパーの名を見つけることになる。いくつか挙げてみよう。ボブ・ディランの「ライク・ア・ローリング・ストーン」(1965年の『追憶のハイウェイ61』収録)のオルガン奏者、言い換えれば、フォーク界から飛び出したディランがロック界でスターダムにのし上がる名演の立役者。マイク・ブルームフィールドならびにスティーヴン・スティルスを迎えての『スーパー・セッション』(1968年リリース、その続編的な『フィルモアの奇蹟』も同年に発表)の仕掛け人、換言すると、短時間演奏が普通だった世界にジャムセッション的な長尺演奏を持ち込んだ革新者。BS&T(ブラッド・スエット・アンド・ティアーズ)というグループの創始者、すなわち、管楽器を大幅にフィーチャーしたブラス・ロックなるジャンルの開拓者。 要はマルチな才能なのだろう。そんな彼をソロプレイヤーとしての観点だけで評価しようとするのと、プロデューサー・企画者といったトータル・ミュージシャンとして評価するのでは、評価の仕方が変わってくる。筆者の評価としては、前者としてはあまり惹かれないのだが、後者の点ではものすごい才能の持ち主だったのだろうと思う。 そんなわけで、アル・クーパーのソロは特別好きでもなく、シンガーとしての側面がいいのか、はたまたキーボーディスト、ギタリスト、どの側面がいいのかよくわからない。ソウルなのかブルースなのか、ロックなのかポップなのか、彼のキャリアを眺めて音楽性が明瞭でないのもマイナスイメージだ(それだけマルチな才能という評価も成り立つのだろうが)。ギターに関していえば、マイク・ブルームフィールドを見て敵わないと本人が考えたなどという弱々しい話を聞くにつけ、情けなさを感じてしまう。 けれども、この曲だけは別格だ。どんな凡庸なアーティストも一生に1曲は素晴らしいバラードを作ることができると言われる。落ち着いて考えれば、凡庸ではないアルなのだから、これだけの名曲が生まれて当然なのだろう。イントロのメロディとコーラス、アルの歌心、甘いロマンスの詞、後半の盛り上げ方、どこをとっても完璧としか言いようのない世界。この「ジョリー」という1曲のために、アルのアルバム一枚を手にする意味があると思う。ベスト盤でもいいし、本来収録されていた『赤心の歌(Naked Songs)』でもいい。それだけの価値は十分にある。[収録アルバム]Al Kooper / Naked Songs (1972) 【送料無料】赤心の歌/アル・クーパー[CD]【返品種別A】
2009.08.06
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ボズの原点はここにある ボズ・スキャッグスといえば、70年代後半から80年代にかけてお洒落な大人志向のロックの代表格として有名だ。日本ではアダルト・オリエンテッド・ロック、つまり「AOR」と呼ばれるが、英語ではAdult Contemporary(AC、アダルト現代音楽)と言う。 こうしたジャンルで一世を風靡し、『シルク・ディグリーズ』(1976年)、『ミドル・マン』(1980年)、『アザー・ロード』(1988年)などがそうした志向の代表作だ。けれど、ボズはもともとそんな「お洒落な」シンガーではなかった。90年代後半から00年代にかけて、それらとはまったく違う傾向のアルバムを作るようになってきた。ジャズのスタンダード集(『バット・ビューティフル』、2003年)を出してみたり、ブルース色の強いアルバム(『カム・オン・ホーム』、1997年)をリリースしたりしている。 そこで1969年の本作である。日本盤は『ボズ・スキャッグス&デュアン・オールマン』となっているが、オリジナルは単に『Boz Scaggs』。厳密にはデビューアルバムではなく2作目だが、本国デビューという意味では、デビュー作に近い。 邦盤タイトルにあるように、オールマン・ブラザーズ・バンドのデュアン・オールマン(デュエイン・オールマン)を迎えて録音されたアルバムで、ジャケットがめっぽうダサい。セピア色の写真に写っているボズは「アメリカの片田舎から出てきました」という雰囲気丸出し。しかし、このジャケは内容を忠実に表わしているとも言え、リズム・アンド・ブルース(R&B)的な泥臭さが、ヴォーカルにも、楽曲全体にも漂う。いい曲がいくつも収められているが、極めつけは8.「ローン・ミー・ア・ダイム」。この曲はデュアン・オールマンの名演奏ということでも知られている。 今となっては、上記の『カム・オン・ホーム』を先に聴いてから、ボズの原点に戻っていって聴くのもいいかもしれない。とにかく、ボズをAORのアーティストだと思っている人がいれば、考えを変えてほしい。売れなかった時代だが、売れた時代より何倍も魅力的なボズがそこにいる。[収録曲]1. I'm Easy2. I'll Be Long Gone3. Another Day (Another Letter)4. Now You're Gone5. Finding Her ←おすすめ!6. Look What I Got7. Waiting For A Train8. Loan Me A Dime ←おすすめ!9. Sweet Release ←おすすめ! ボズ・スキャッグス&デュアン・オールマン/ボズ・スキャッグス[CD]【返品種別A】 ボズ・スキャッグス&デュアン・オールマン [ ボズ・スキャッグス ] ブログランキングに参加しています。 応援くださる方は、ぜひクリックをお願いします。 ↓ ↓ ↓
2009.08.06
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ロッカーが円熟し、肩の力が抜けた時に生まれた名曲 ボブ・シーガー(Bob Seger)って誰?と言われるかもしれないほど、この人は日本で不遇だが、米国ではもっともっと名の知れたミュージシャンである。70~80年代のアメリカン・ロックの雄として、本邦でももっと知られていてもよいはずだと思う。 さて、1945年デトロイト出身のボブ・シーガーは、1976年の『ナイト・ムーヴス』で広く知られるようになり、1987年には映画の挿入歌(『ビバリーヒルズ・コップ2』で使用された「シェイクダウン」)で初の全米No1ヒットを獲得した。1986年の「ライク・ア・ロック」という曲(アルバム『ライク・ア・ロック』に所収)は、長年にわたりアメリカでCHEVYのトラックCMにも使われた有名曲だったりもする。 さて、「ザ・ファイアー・インサイド」は、1991年の同名のアルバムに収録された曲。どうやらこのアルバムは日本盤も発売もされなかったらしい。筆者が持っているCDも、輸入盤に日本向けの帯だけが付いたものなのだが、帯の内容に間違いが目立つ。何よりもひどいのは、この帯のバンド名がシルバー・“ブレッド”・バンドとなっている点だ(Bulletなのに、パンBreadと間違えられたか?)。 それはさておき、このアルバムでのボブ・シーガーは、40代も半ばになり、円熟味が増したロッカーぶりを発揮している。そんな時にこの「ザ・ファイアー・インサイド(The Fire Inside)」のような曲が生まれるのだろう。さらりと流れるようなメロディの中でしっかりとビートが刻まれ、哀愁を漂わせつつ、リラックスして歌っているようでありながらも力の入れどころを心得たヴォーカルはみごとである。20代、30代とある意味で攻撃的で肩に力の入っている状態では、こういう曲は生まれにくい。年齢を重ねたロッカーならではの余裕というべきか。おまけにこの頃のボブ・シーガーには大物の貫録も備わり、ゲスト・ミュージシャンも豊富に加えることができている。この曲に関して言えば、ゲスト参加したスティーヴ・ルカサー(TOTOのギタリスト)のアコギ、そしてロイ・ビタン(E・ストリート・バンド)のピアノが効いている。[収録アルバム]Bob Seger and The Silver Bullet Band / The Fire Inside (1991年)Bob Seger & The Silver Bullet Band / Greatest Hits (1994年) 【輸入盤CD】Bob Seger & The Silver Bullet Band / Greatest Hits(ボブ・シーガー)
2009.08.05
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3分間で聴かせるシングルレコード盤芸術の粋 CDどころかデジタルオーディオ全盛の今となっては、シングル盤のレコードって何?って感じかもしれない。80年代までのシングル曲のリリースを担ったレコード盤のことだ。厳密には、50年代までのSP盤(3分収録)とそれ以降のEP盤(いわゆるドーナツ盤、5分収録)がある。収録時間に制約のあるこの時代の技術的背景と、CCRの音楽は大いに関係あると思う。 CCRとは、バンド名で、クリーデンス・クリアウォーター・リヴァイヴァル(Creedence Clearwater Revival)の略。ジョン・フォガティを中心にして1967年から72年まで活動したアメリカのロックバンドである。短期間の活動ながら、南部的な泥臭さをもったサザンロックの先駆的存在として知られる。 CCRの名曲はいくつもあるけれど、今回はCMにも使われた「雨を見たかい(Have You Ever Seen The Rain?)」を紹介したい。この曲は1971年にシングル発売され、アルバム『ペンデュラム』に収録されている(他にベスト盤類にもたいてい収められている)。 この曲は長らくベトナム戦争を揶揄したものとして知られてきた。「雨」がナパーム弾の暗喩という解釈だ。けれども1997年に作者であるフォガティが、サンフランシスコの天気に当時のバンドの姿をだぶらせて書いたものと明かし、反戦ソング説は否定された。そもそも音楽なんて(というか小説でも詩でも何でもそうだと思うが)、作者の手を離れれば、作品はひとりでに歩き始め、聴き手や読み手が独自に解釈する部分が絶対にあるはずなので、それはそれでいいと思う。実際、当時の社会状況がベトナム戦争を批判するように解釈したかったのかも知れないわけだし。それとはかけ離れたイメージのCMにも使われているけれど、それも一つの聴き手(使い手?)の解釈かもしれない。 反戦ソングにせよ、単なるお天気ソングにせよ、この曲の素晴らしさは、"3分間の完璧さ"にある(実際のこの曲の時間は2分40秒ほど)。凝縮され、短時間で完結した芸術性。CDシングル以降の時代になって、もっと長い曲でもOKという時代なら、この芸術性は生まれなかっただろう。この潔い簡潔さと完結性は、例えば6~7分という時間では絶対に出せなかっただろう。 CCRの曲にはこのような形容の当てはまるものが多い。その代表格の一つが「雨を見たかい」である。実際に聴いてみるとあっという間。それでいてどこにも中途半端さがなく、短いがゆえに、もう一度繰り返して聴きたくなる。 その完璧さは他のアーティストがリメイクしたバージョンを聴くとより鮮明になる。例えば、ジョーン・ジェットの『The Hit List』(1990年、何と邦題は『雨を見たかい』となっている!)やロッド・スチュワートの『Still The Same... Great Rock Classics Of Our Time』(2006年)。どちらもオリジナル・バージョンには遠く及ばない。ジョーン・ジェットのように忠実に演奏しつつ工夫を凝らそうとしても、ロッドの魅力的な声で歌おうとしても、オリジナルの完璧さ・完結性には敵わない。もしこの曲を知っているけれど、オリジナルはどれ?という人がいたら、一刻も早くCCRのオリジナル・バージョンを体験して欲しい。[収録アルバム]Creedence Clearwater Rivival / Pendulum (1970)Creedence Clearwater Rivival / Chronicle, Vol. 1 *別名Chronicle: 20 Greatest Hits (1976)など 輸入盤 CREEDENCE CLEARWATER REVIVAL / PENDULUM + 2 [CD]
2009.08.04
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音楽には「波長の合う/合わない」がある 一人の聴き手にとって、「波長の合う」音楽と「波長の合わない」音楽は存在するのだと思う。こう言ってしまうと、何か本質的な話のように聞こえるかもしれないけれど、そうではない。それまでにその人が聴いてきた音楽の積み重ねの上に、波長が合うか合わないかは決まってくる。つまり、時とともに、「波長の合わない音楽」だったものが「波長の合う音楽」に変わる可能性がある。その逆もあり得るかもしれないが、いったん「波長が合った」ものは、たぶん「波長が合わなくなる」ことはなかなかない。 いきなり抽象的な話になってしまったけれど、私にとってザ・バンドの音楽は、実に「波長が合った」自然な音楽である。ヴォーカルが特別気に入っているというわけでもなく(そもそも複数メンバーがヴォーカル担当で、誰がリード・ヴォーカリストなのだかよくわからない)、詞のメッセージが特段気に入っているというわけでもない(詞がいい曲はあるけれど)。要するに、バンド全体の音の問題で、「波長が合う」のだと思う。もしかすると、80年代、90年代とリアルタイムで慣れ親しんだ音楽のルーツがここにあったせいかもしれない。 本作『南十字星』(この邦訳タイトルって、半分しか訳していなくて、片手落ちだと思うのだけれど)は、1975年の作品。10年近くの活動の末、60年代末に独自のバンドとして人気を博し、ロックという土台にカントリーやフォーク、R&Bなどのルーツ音楽的要素を色濃く映し出したのが彼らの特色だった。年月とともにメンバーの間にはほころびが見られ始め、1976年を最後に活動を停止した(なお、後に復活しているが、オリジナルメンバー全員がそのまま参加したわけではなかった)。 そんなわけで、『南十字星』はザ・バンド後期の代表作であると同時に、ロビー・ロバートソン色の濃い(本作の収録曲は全曲ロバートソンによる)、悪く言えば、バンド内の軋轢が深まっていくことを示すアルバムでもある。 初期の2作ほどの連帯感あるいは一体感のようなものは、確かにいくぶん希薄で、あっさりしたそしてうまくまとまったサウンドに仕上がっている。けれど、それゆえに、30~40年が経過した今から聴き始めるなら、クセの強くない(しかし名作の)本盤から入ることがおすすめだと思う。このアルバムの音楽の底流となっているのは、まぎれもなく、第1作(『ミュージック・フロム・ザ・ビッグ・ピンク』)や第2作(『ザ・バンド』)のあのサウンドだ。初期の作品ほど「暑苦しさ」と「悲壮感」が迫ってくるのではなく、そうした感覚は幾分マイルドだ。音的にもシンセが効いていたりしてややポップというか、とっつきやすい。それゆえ、本作を聴いて波長が合いそうなら、より濃い世界、つまりはより初期のザ・バンドへと聴き進んではいかがだろうか。 [収録曲]1. Forbidden Fruit ←おすすめ!2. Hobo Jungle3. Ophelia ←おすすめ!4. Acadian Driftwood ←おすすめ!5. Ring Your Bell6. It Makes No Difference ←おすすめ!7. Jupiter Hollow8. Rags & Bones9. Twilight(ボーナス・トラック)10. Christmas Must Be Tonight(ボーナス・トラック)1975年リリース。 【送料無料】南十字星 [ ザ・バンド ]
2009.08.03
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ギターとオルガンの相性の良さか、はたまたグリーンとヤングの相性の良さか グラント・グリーンは1935年生まれで、1960年代ブルーノートを代表するギター奏者。プレイしたスタイルも時代によって様々だし、彼のプレイそのものも多様な評価を受けている。いい方向の評価では、「独特のスタイル」「他のジャズ・ミュージシャンにはないスタイル」などと言われ、悪く言う人からは「不器用」「繰り返しフレーズが多くて退屈」などと言われてしまっているようだ。 さて、本作『トーキン・アバウト』は、1曲目の「トーキン・アバウト・J.C.」が収められていることでよく知られる。J.C.とは、もちろんジョン・コルトレーンを指し、それゆえ、コルトレーンへのトリビュート・アルバムと言われる。 それゆえに、コルトレーンを偲ぶアルバムととられがちだが、トリビュートといっても、コルトレーンはまだ死んでいないわけで、追悼盤というわけではない。加えて、ジャケットをよく見ると、次のように書かれている。Takin' About J.C. ...Takin' About People ...Takin' About Luny Tune ...Takin' About Love ...Takin' About An Old Cowhand ...Takin' About Grant Green ...(←ここだけ赤字) Larry Young ... Elvin Jones ...You'll Be Takin' About It Too! 上の転記を曲目と比べて欲しい。「~について語る」の「~」の部分は、コルトレーンだけではない。収められた各曲の名が入っている。その後に演奏者3人の名前。そして、最後の文の「It(それ)」が何を指しているのかは意味深だが、私は次のように考えたい。このアルバムは「~について語る」ものであり、最後に聴き手はこれを聴いて、独自の何かについて語る(あるいは製作者が考えるところ、聴き手に語ってほしい)のではないか。 そして、筆者はこう語りたい。ギターとオルガンは相性が良い。いや、ちょっと待てよ、それほどたくさんギターとオルガンの組み合わせを聴いたわけでもないし、単にグリーン(ギター)とヤング(オルガン)の取り合わせが良いのだろうか? どちらが答えかはまだ見つかっていない(けれどきっとそのどちらかであろうと予測される)。徐々にではあるが、他のアルバムも聴いてみようと思う。[収録曲]1. Talkin' About J.C. ←おすすめ!2. People3. Luny Tune4. You Don't Know What Love Is5. I'm An Old Cowhand ←おすすめ!Grant Green (g), Larry Young (org), Elvin Jones (ds)録音:1964.9.11. 【20%OFF】グラント・グリーン/トーキン・アバウト(紙ジャケット仕様)
2009.08.03
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最初に聴いてよかった! ~B・スプリングスティーン編~ ザ・ローリング・ストーンズ『レット・イット・ブリード』の項、それから、ザ・フー『フーズ・ネクスト』の項で、編集盤を先に聴いたのは間違いだったという話題に触れた。今度は、逆に「先にオリジナルアルバムを聴いてよかった!」という例を紹介したい。 それは、ブルース・スプリングスティーンの2枚組大作『ザ・リバー(ザ・リヴァー)』である。発表されたのは1980年。けれども、筆者が初めて聴いたのはリリースから少し遅れて1984年。そう、1984年と言えば、スプリングスティーンが『ボーン・イン・ザ・U.S.A.』でアメリカンヒーローに祭り上げられる、その時期のことであった。 きっかけは単純で、ラジオで聴いた同アルバムからのシングル曲(「ハングリー・ハート」)がよかったからだ。実際に2枚組を通して聴いてみて、この曲もよかったのだけれど、I-5.「独立の日」、I-10.「アイ・ウォナ・マリー・ユー」とI-11.「ザ・リバー」、II-4.「消え行く男」とII-5.「盗んだ車」、そしてII-9.「雨のハイウェイ」などといったおとなしめの曲もよかった(他にII-1.やII-7.も同様)。 最初に『ボーン・イン・ザ・U.S.A.』を聴いていたら気付かなかったかもしれない。というのも、『ボーン・~』は80年代真っ盛りの華やかな音作りのアルバムだ。表題曲はベトナム戦争を歌っていて深刻なメッセージなのだけれど、当時はサビの歌詞(「俺はUSAで生まれた」)とご機嫌なロックンロールのノリとで聴かれてしまっていた(それゆえの大ヒットだったわけだが)。その点。スプリングスティーンが人間を描くストーリーの叙情性のようなものを感じ取るには、『ザ・リバー』の方が格段にわかりやすく、そして優れている。 かといってバンドとしてのサウンドが軽視されているわけではない。むしろその逆で、『ザ・リバー』はスタジオ盤ながら、一発取りに近い形でレコーディングされたと言う。出だしのI-1.「タイズ・ザット・バインド」やII-6.「恋のラムロッド・ロック」などからはっきり見てとられるバンドの一体感も見事である。これを書くためにCDを引っ張り出してきて気付いたのだけれど、そう言われれば、裏ジャケにはちゃんとバンド(E・ストリート・バンド)のメンバー一覧が印刷されている(下に転載)。しかもよく見ると、スプリングスティーンの名もその中に(それもいちばん最初ではなく)含まれている。そう、リリース名義こそスプリングスティーン個人だけれど、気持ちはバンドとしてのアルバムだったのだろう。 一人のアーティストやバンドを聴く上で、最初に出会うアルバムは大事である。偶然とはいえ、スプリングスティーンの場合には、たまたま最初に手にしたものが「当たり」だった。これからスプリングスティーンを知る人は、迷ったらぜひ『ザ・リバー』を最初に手にとって聴いてもらいたい。[収録曲](1枚目)1. The Ties That Bind2. Sherry Darling3. Jackson Cage4. Two Hearts5. Independence Day6. Hungry Heart7. Out In The Street8. Crush On You9. You Can Look (But You Better Not Touch)10. I Wanna Marry You11. The River(2枚目)1. Point Blank2. Cadillac Ranch3. I'm A Rocker4. Fade Away5. Stolen Car6. Ramrod7. The Price You Pay8. Drive All Night9. Wreck On The Highway(メンバー)Roy Bittan (piano)Clarence Clemons (sax)Danny Frederich (organ)Bruce Springsteen (vocals & guitar)Garry Tallent (bass)Steve Van Zandt (guitar)Max Weinberg (drums) ザ・リバー/ブルース・スプリングスティーン[CD]【返品種別A】 【輸入盤CD】Bruce Springsteen / River(ブルース・スプリングスティーン) にほんブログ村
2009.08.03
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オルガン・ジャズがコテコテ・ファンキーでなければならない理由はどこにもない ブルーノートの売れっ子オルガン奏者だったジミー・スミス(Jimmy Smith)。ブルーノート盤『クレイジー・ベイビー』や『ハウス・パーティ』、ヴァーヴ盤『ザ・キャット』なども好きなのだが、今回は違った観点からのジミー・スミスのよさを考えたい。 そもそもオルガンというのは、ジャズの世界では異端的な楽器のようだ。オルガン奏者の地位をジャズ界に確立したのもスミスであれば、最高峰として君臨し続けているのもスミスだとされる。マイルス・デイヴィスが彼を評して「ジャズ界8番目の不思議」といったこともよく知られている。加えて、ファンクやR&B界などに影響を与えたせいもあってか、ファンキーでアーシーなオルガン奏者のイメージが強い。 上記のような評判を耳にすると、ジミー・スミスのアルバムを手に取る人の層は逆に限られてくる。一種のルーツ音楽としてスミスを求めるという図式である。しかし、ちょっと待ってもらいたい。ファンキーでコテコテなオルガン演奏だけを求めてはいけない。もっと静かに内に秘めた感情をじわじわと表出させる演奏のスミスもいるのだ。それを再認識する上で、聴いてもらいたいのが本作『ミッドナイト・スペシャル(Midnight Special)』である。 確かに、オルガン入りのジャズは「くどい」。理由はおそらく2つあって、ひとつは楽器の音そのものに起因する部分。それから、もう一つはベースの部分もオルガンが引き受けるので、やはり音色的にベースがリズムセクションの一角を担うよりも、くどくなる。そして「オルガン=コテコテ、ファンキーでアーシー」なイメージが作られてしまうわけだが、本作でのスミスは実にツボを心得た演奏を繰り広げる。一言でいってしまえば、「くどくなる一歩手前」の演奏なのだ。おそらくそれは、テナーサックスのスタンリー・タレンタイン(本作が初競演)、さらにはギターのケニー・バレルの組み合わせではないだろうか。いや、他のアルバムでもスミスは彼らと競演しているのだが、本作ではとりわけバランスの取れた演奏を見せてくれる。盛り上げるところは盛り上げ、抑えるべきところは抑えて演奏しているのだ。このことは、タレンタイン(サックス)の後ろで弾いている箇所と、バレル(ギター)の後ろで弾いている箇所を聴き比べるとよくわかる。 こうした観点からおすすめなのは、1.「ミッドナイト・スペシャル」、3.「ジャンピン・ザ・ブルース」、4.「ホワイ・ワズ・アイ・ボーン」といったあたりの演奏。抑制がきいているようでありながら、それは決して「抑圧」ではなく、出るところと抑えるところのメリハリなのだ。ファンキーに、コテコテに爆発するのではなく、おそらくは計算しつくされた上の演奏にスミスの凄さをあらためて感じることができる。[収録曲]1. Midnight Special2. A Subtle One3. Jumpin' The Blues4. Why Was I Born5. One O'clock JumpJimmy Smith (org), Stanley Turrentine (ts), Kenny Burrell (g), Donald Bailey (ds)録音:1960.4.25 【ブルーノートRVGコレクションTOP50】ジミー・スミス/ミッドナイト・スペシャル
2009.08.02
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