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・1.31.土 朝の女性合唱団の練習を少し早く切り上げて、少々遅い新年会を行う。 会場は松原市の木曽路。 店に迷惑なぐらいワイワイと話が盛り上がり、食べる物が早々に無くなったので、お茶とケーキを求めて全員でぞろぞろ移動。 辿り着いたカフェでもまた一盛り上がり。 この団は現在団員15人と少ないが、何の揉め事も問題もなく、全員が仲良しでとても平和である。 そして演奏にも前向きに努力する姿勢が長年続いている。 団員全員の平均年齢は60歳。 「これから後何年歌っていられるやろ」という話が出る。 今日の元気を見ていると、後20年は安泰かなと思わせる。
2009.01.31
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・1.30.金 あべのの鍼の先生との話で、河内長野で旧暦を大事にしている家があるのは、楠木正成を今も祭る風習の関係ではないかと言われていたのを思い出し、朝の女性合唱団でいろいろ尋ねてみると、富田林市や羽曳野市でも昔は皆楠木正成を慕っていたという話を聞く。 でも彼が何者で、一生を通してどういうことをしたかは全く知らない。 河内長野に住むようになって7年目。 彼のことを知らずに過ごす訳にはいかないだろう。 時間のある時に一度調べてみたいと思う。 夜は混声合唱団。 一月の本番が終わったと思うや否や、次は三月の本番に向けてラストスパート。 歌声を聴いている限り、皆さんやる気満々。 その勢いが何よりも大事。 どしゃ降りの奈良から河内長野へ。 長野もやっぱり酷い雨で、バスを降りてから隣の家のご主人と世間話をしながら足早に家に向かう。
2009.01.30
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・1.29.木 朝起きると喉が痛い。 とうとう風邪かと思ったが、時間が経つに従って痛みは消え、阿波座に着いたころには何も感じなくなっていた。 午後のレッスンでは今まさに風邪のピークらしく、お休みが多く二人だけの出席。 夜のCAC混声合唱団でもやはり風邪による欠席者が多い。 今日の朝方はものすごく空気が乾燥していたらしく、マスク着用で寝ている僕でさえきっとあれは乾燥による喉の痛みだったのだろう。 それを風邪と間違えている人もおられるかもしれないし、その乾燥のせいで実際に風邪を引かれた方もおられるかもしれない。 インフルエンザのこともあるし、とにかく湿度を保つ工夫が必要である。 昼のレッスンで一人の生徒さん(70歳女性)が、土佐文旦というみかんのお化けのような物を持って来て下さった。 食べると夏みかんみたいでとても美味しい。 高知県で栽培しているらしいが、僕は初めて知った。
2009.01.29
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・1.28.水火曜日の朝、京都の家で朝ごはんを食べながら京都放送のラジオを聴いていた。その前の日に相撲では千秋楽で朝青龍が優勝し、国会では与党と野党が揉めた上合意に達した。「もしこの世の中の様々なことが、すべてシナリオ通りに進められているとしたらどうだろう」とDJの低い声の男性が言う。テレビやラジオの前の我々はシナリオにまんまと騙され、喜んだり腹を立てたり、興奮したりしている。シナリオを書いた人物はそれを見てさぞ楽しいことだろう。そして水面下で巨額な金が動く。そこにはスポーツマンシップも、正義の国政も何もない。昔からずっと、そしてこれからもずっと我々はシナリオ通りに踊らされて行く。そして懐の暖まった者は、それぞれの巣でそっと微笑む。今日は昼と夜に阿波座でグループレッスン。僕が定義する困難極まりない課題に皆さん一生懸命取り組まれ、涙ぐましいばかり。僕は僕自身のやり方を信じてやって行くしかない訳だが、考えれば責任の重い仕事である。
2009.01.28
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・1.27.火 昨日月曜日は朝からあべのの鍼灸院。 その日26日が丁度旧暦の正月であるという話が出る。 「毎年正月の日はずれて行くのですが、今日を境に我々人間の体調が変わります。 木でいうと芽が吹き始め、出ようか、まだもう少し待とうかと迷っている状態です。 そして我々の血行が良くなり、体調も上向きに転じます」 「そうですか、今年は今日が旧暦の正月ですか。 そういえば、昨日河内長野の僕の家の近くの旧家では餅つきをやっていました。 どうしてこんな時期にと思いましたが、そういう訳だったんですね」 「河内長野にはまだ旧暦を大事にする風習が残っているんですか。すばらしいことです」 昔の人が考えた深い意味を持つ行事を、今の人間は何も分らずに平気で潰してしまっているのだと痛感する。 午後からは阿波座でのレッスン。 今日は夜の混声合唱団を休んで、京都に向かう。 NSKの取り組みをサポートしてもらい、演奏本番も人材援助をいただく「京都命輝け第九の会」の運営委員会に出席し、NSKの今現在の推進状況を説明する。 会議は丸太町の京都府庁で行われた。 運営委員は年配者が多く、女性の多くは昔ながらの京都弁を話され、おばあちゃんを懐かしく思い出す。 会議は遅くまで掛ったので、その後タクシーで桜木町の実家へ向かい宿泊する。 母の手料理の後、妹を交えての三人でまた遅くまで話し込む。 今日は午前中に心斎橋のカットショップ。 午後と夜は阿波座でのグループレッスン。 その合間に4月5日に行われるCAアンサンブル発表会の準備。 後二ヶ月ちょっと、皆さんのお尻に火が付くまでもう少し。
2009.01.27
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・1.24.土 午前中にJR環状線の桜の宮から10分ほど歩いた所にある内科の病院に、一人の生徒さん(21歳男性)と共に出向く。 先日から彼が背骨や腰の痛み、体全体の倦怠感、胃の気持ち悪さなどを訴えておられて気になったので、僕も胃カメラの予約をするがてら知っている良い病院を紹介したという訳である。 若いからと言って決して軽んじてはならないこともある。 彼は一卵性の双子で、だからこそ僕にはとても気になったのだ。 10時に病院に到着した。 待合室も狭い小さな個人の内科で、ドクターはいつもながら白衣も着ずに「茶木さんご無沙汰!」と明るく微笑む。 彼の前の椅子に腰掛けて症状を説明すると、舌と目と脈を診て「長くやってませんから胃カメラを飲みましょう」と言った。 生徒さんも僕の後に診察を受けて、十二指腸潰瘍の疑いもあるので、やはりカメラを飲むこととなった。 二人待合室に戻って来て「胃カメラって初めてやろ、大丈夫か」と生徒さんに尋ねると、横に立っていた看護婦さんが「大丈夫大丈夫!私の小指よりも細い管だし、全然楽ですよ、私はやったことないけど」と言われずっこけた。 胃カメラの日取りをしてから二人で病院を後にして、お茶を飲みにカフェに入る。 彼のお父さんがたばことお酒が過ぎることがとても心配である話を聞いて、僕も今はたばこを憎んでいるが、19歳から、止めたり吸ったりしながら26歳まで喫煙していたことを話し「たばこが美味しいことは良く知っている、でも多かれ少なかれ体を壊す元を作っていることは間違いない」と話す。 「先生って結構いろんなことやって来られてるんですね」と生徒さんは驚いておられた。 午後から学園前西部公民館にてNSK混声合唱団。 11月15日の第九本番に向けて、六月にファンドレイジングコンサート(団員募集と募金を目的としたコンサート)を企画して、資金不足に喘ぐ我々を皆様に援助いただきたいと思っている。 会場は重要文化財でもある奈良女子大講堂予定。 100年前のピアノを使わせてもらって演奏する予定。 今日はそれに向けての曲目を練習。 その後奈良市内のある合唱団に寄せていただき、運営委員の方々とお会いして、NSK第九本番への団員援助をお願いする。 世の中にはいろんな人がいて、いろんな苦労があり、いろんな第九への考え方があるものだと感心する。
2009.01.24
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・1.23.金 午前中の女性合唱団の後、阿波座でのグループレッスン。 三人の女性の生徒さんの娘さんが、偶然にも皆「みなこ」という名前であることが判明する。 三人の娘さんは21歳、19歳、6歳と年齢は様々だが、そうポピュラーでもない「みなこ」という名前が、それも三人同じであることに驚く。 何かの因縁であろうか。 夜は混声合唱団の新年会。 ピアノのある会場だったので、皆さん飲んで歌って楽しく大騒ぎ。 いつもよりも遅い帰宅となる。
2009.01.23
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・1.22.木知り合いのピアニストのお姉さまが大の韓国料理ファンで、大阪市内のほとんどの店を制覇したほどで、その人が一押しで推薦する店が、何と奈良の学園前から車で10分ぐらいのところにあると聞いていたので、午後からの奈良クラスの前にスタッフと共にランチを食べに行く。古い店と新しい店と建物は二つあり、今日は新しい方に入ってみた。店内はおしゃれな作りになっていて、フランス料理でも出て来るような感じ。僕は「ダッカルビ鍋セット」というランチメニューを注文する。テーブルの真ん中にあるコンロに火が付けられ、大きな鍋と前菜、サラダ、それにキムチご飯が目の前に運ばれた。鍋の蓋を取ると、中には鶏肉と各種野菜が韓国味噌仕立てでぐつぐつと音を立てていた。それは一人分とは思えない量で、途中でお腹一杯になったが、店員の女性に「ご飯は最後に鍋に入れておじやにして下さい」と言われ、興味津々言われる通りして、結局出て来た物は全部平らげてしまった。味噌の風味が癖になりそうな、とっても良い味だった。苦しいお腹を抱えて座っていると「デザートです」と店員が目の前に柚子茶とぜんざいを運んで来た。この上まだぜんざい!と驚いたが、結局それも全部平らげ店を出た。あれだけものすごい量で¥1100。この店でも、メニューを全部制覇してみたいと思った。奈良クラスの後、阿波座にてCAC混声合唱団。激しい雨の降る中、今日も皆さん遠くから集まって来て下さった。帰り難波の地下を南海電車の乗り場に向かって歩いていると、突然左腕を誰かに強く引っ張られる。「今人にぶつかりそうだったので、思わず掴んでしまいました。びっくりさせてごめんなさい」と一人の女性から声を掛けられる。彼女も高野線の堺東まで行くということだったので、腕を持たせてもらって共に乗り場まで歩く。「この時間までお仕事だったんですか」と僕が尋ねると「いいえ、今日は友人と飲んでいました。私は65歳で、以前は市内で仕事をしていましたが、今は出て来ることも少なくなりました」と話された。電車の中でいろんな話の流れから、僕が歌っていることを話すと、彼女の従兄がコーラスをやっていて、僕のことを知っているかもしれないから名前を教えて下さいと言われ、僕はカバンの中から名刺を取り出し手渡す。堺東駅に着くと「またお会い出来ればいいですね」といって、我々は別れた。
2009.01.22
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・1.21.水午前中に、NSK混声合唱団11月15日の演奏会に向けての団員募集を記事として取り上げていただくため、読売奈良ライフ(読売の折込誌)にお邪魔する。局長さん(僕と同年代ぐらいの女性)とNSK推進メンバー4人で面談。快く記事として取り上げていただけることとなった。その後皆で「たけだ」という洋食レストランにて昼食。ランチがおよそ¥1500と聞いていたが、テーブルに着いてメニューを見ると¥2500。ポタージュスープの後に鯛のアーモンド揚げサラダ。ステーキとマッシュポテトの付け合わせの後にコーヒー。値段だけのことはあってとても美味しかった。その後朝日新聞にお邪魔し、ここでも記事へのお願い。局長さん(これまた僕と同年代の男性)と若い男性の記者さんと面談。ここでも快く記事として取り上げて下さることとなった。これで我々の取り組みが、奈良県全域に報道されることとなった。更なる新しい人との出会いを期待する。その後福祉センターに出向き、肢体不自由協会の方々に再度NSKへの参加を訴える。この方々には以前断られたが、しつこくお願いに来る我々に皆さん苦笑い。NSK推進メンバーの皆さんは、企業でセールスや設計などで活躍されて来た方々で、共に活動しているといろんなことが勉強になる。交渉の手はず。企画書の作り方。助け合いの精神など。そんな方々の格言「断られてからがセールス!」夜は阿波座にてアンサンブルクラス。4月5日の発表会まで余り練習回数がないことに気付き、皆で焦る。自主練習をやっていただかないと間に合わない。阿波座の教室の使っていない時間を開放することを伝える。まるで文化祭の準備みたいで楽しそう。
2009.01.21
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古い家を解体した後の空き地で俺は汲み取り便所に嵌った長年の雑草がその周りを覆って仕組まれた罠のようにそれは俺を待ち続けていた雨水と泥とクソの生暖かい中に腰まで浸かったまま俺は考えた皆こうやって身動きが取れなくなって皆こうやって歳を取って行くんだ気が付くと隣の家の屋根の上に大きな黒い鳥が止まっていて冷ややかな軽蔑の目で俺を見下ろしていた思えばそれは俺の家族のはずなのだ鳥は真っ黒な大きな羽を広げて飛び立つような仕種をしてからまた羽を収めてフッと鼻から息を吐いてからぞっとするような冷淡な目でもう一度俺を見た決して俺を助けようとも慰めようともせず俺が何とかそこから這いずり出た後も冷たい目のままで泥水を滴り落とし悪臭を放って立っている俺をただ見ていたそして俺にしたって上を向いて「全部お前のせいだ!」とも「優しさの欠けらもないのか!」とも叫ばないそんなことを言ったって言葉が通じないのは経験上よく知っているから最後まで自分一人で処理しなくちゃならない星回りなのだ服と靴をその場で脱ごうとするがうまく脱げないもう一度見上げると鳥の目から一つのセリフが読み取れる「明日はゴミの日だからそのままゴミ袋に入ってな」そして羽を広げて今度は本当に夕暮れの空に向かって飛び立って行った
2009.01.20
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・1.19.月 朝に河内長野にある内科の病院に出向く。 先週から胃の調子が良くなく、ずっと我慢していた。 お腹が空くと気持ち悪くなるし、それに食べる物によってはまた痛くなる。 針治療に行けば良くなるのだが、随分先まで行く時間がない。 それで仕方なく病院訪問。 ドクターは、例によって患者の訴える症状だけを頼りに、ほとんど僕に触りもせずに薬を出す。 「胃酸を押さえる薬を出しておきます、それについでに血液検査もしておきましょう。 そうそう、去年の5月にした血液検査の結果がここにあります。 尿酸値がほんの少しだけ高めですが、取り立てての異常はなしですね」 いつもながら、とても親切なドクターである。 昼からの阿波座でのレッスンと夜の混声合唱団。 帰宅するとテレビでは、オバマ氏の就任セレモニーのことで一色。 オバマ氏は奴隷解放を実現したリンカーン元大統領の像の前に立ち、駈け付けた芸能人、著名人はほとんど黒人。 そしてキング牧師の功績を強調して讃える。 もちろん長い歴史の中で差別を受けて来た人たちにとって、今日という日が大きな転換期となるだろう歓喜の気持ちは当然なことである。 それはやはりすばらしいことかもしれない。 でも大統領就任式が、真の黒人差別開放式典に擦り替わっては、後々大きな問題が持ち上がるのではと、僕は個人的に懸念する。
2009.01.19
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・1.17.土朝からテレビでも、神戸、淡路大震災から14年目を迎えた報道がされていた。震災で家族や大事な人を亡くされた方の胸の傷は、未だ全く癒えてはいない。保育園で子供を亡くされた親御さんは「あの子が生きていれば今年成人式です」と涙ぐまれていた。僕はそのときドイツのケルンという町で暮らしていて、朝のテレビに変わり果てた神戸の町が上空のヘリコプターから中継されていた。高速道路が横倒しになって建物が形を残さず崩れ、至る所に炎が赤く燃え、救急車やパトカーのサイレンが聞こえていた。その画面はまるで映画の中でゴジラが暴れて通った後のようであり、実際の町の映像とは信じられない情景であった。そして画面の下の方にドイツ語で「神戸 崩壊」と出た。僕はすぐに京都の実家に電話を入れてみたが繋がらない。ケルンに住む神戸から来ている友人に電話を入れると「家に電話が繋がらない!」と動揺して泣いている。レッスンに行くとドイツ人の友人は皆「大変なことになったな」と眉間に皺を寄せていた。数日後レッスンの中で先生は「先ほどテレビを見ていると、被災現場で人々にインタビューしていて、若い人たちは皆動揺して錯乱していた。でもお年寄りは瓦礫の前で「またゼロからやりますよ」と力強く答えていた。日本もドイツもあの敗戦を経験して、悲しみのどん底から這い上がって来た。年配者にはその逆境に耐える力があります」とおっしゃっていたのを憶えている。
2009.01.17
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・1.16.金 朝の女性合唱団の練習を終え、近鉄電車の駅までピアニストの友人に車で送ってもらい、ホームに上がると随分多くの人でごった返。 ふと見ると、電車がホームに入りきらない途中で止まって、係員がなにやら大騒ぎ。 どうやらまた人身事故のようだ。 遠くから救急車と消防車のサイレンの音が近付いて来る。 こうなると現場検証が始り、一時間は動かないことになる。 つい一昨日も南海線で人身事故があったばかりである。 大変な時代になったものだ。 夜は混声合唱団。 まもなく控えている演奏会の本番指揮者が来られて、みっちり練習。 音色や音程について指導して行きたいと思っても、指導者が声楽家でない場合、イメージや例え話で説明して直して行くしかない。 しかし問題はすべて発声の関わりであり、声楽の専門の者でしかその部分を指導して行くのは無理だと感じる。 オーケストラ指揮者でも合唱団に関わる以上、自ら声楽自体を勉強しなくては思い通りの演奏には導けないということになるのだろうか。 帰りの南海線で、また「春眠暁を覚えず」の女性に出会う。 お会いするのは3ヶ月ぶりぐらいであろうか。 彼女が山登りが趣味である話を聞き、今年は二泊で白馬に登る予定なのだという。 荷物は25キロ。 苛酷な山の情景が目に浮かぶ。
2009.01.16
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・1.15.木 昼のレッスンに来られた生徒さん(70代前半の男性)と話していて、先日NHKで放映された戦後から現代までに来日した海外の音楽家を紹介する番組で、昭和31年にイタリアオペラのフィガロの結婚のスザンナ役で来日した、アルダ・ノニというソプラノの話が出る。 僕は彼女の名前を聞いたことはなかったが、偶然僕もその番組を見ていて、二幕のアリアを歌っている場面を憶えていた。 生徒さんいわく「あのフィガロの結婚は、僕が若かった時に生まれて初めて見たオペラで、そのスザンナ役の歌い手が絶世の美人だったことをはっきり憶えています。 それ以後彼女のことをずっと憶えていましたが、先日突然白黒の画面に出て来て本当に驚きました」 その番組では、90歳を超えた現在の彼女もインタビューに答えていて、当時の日本の印象について話しておられた。 溜息まじりに生徒さんがおっしゃった。 「あれは20世紀一の美女だった!」 夜はCAC混声合唱団。 「二十億光年の孤独」を練習していて、NHK合唱コンクール中学生の部で演奏された録音で、香川県の中学の生徒さんが演奏された二十億光年の孤独を皆で聴く。 僕がこの曲をやりたいと思った切っ掛けになったすばらしい演奏である。
2009.01.15
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・1.14.水 午前中に定例の鍼灸院訪問。 僕の体の弱い所は、腎の回りであると先生は繰り返す。 東洋医学での腎とは腎臓だけではなく、体の水分の吸収力やそれを体全体に送り込む力なども含めたことを言う。 随って腸も弱いということになり、いくら水分を取っても隅々の粘膜や肺にまで行き渡らず、枯れた状態になる。 それに加えて悪い塩などを外食で取り続けていると、なおさら臓器や喉の粘膜の潤いをなくし、それが声にも悪い影響を及ぼすということである。 それを少しでも防ぐためには、ネバネバしたものやゼラチン状の物を食べること。 なまこ・すっぽん・鶏がらスープなど。 そのことは再々言われ続けているが、なかなか実行には至っていない。 あまり普段お目に掛らないものばかりだ。 午後からは阿波座でのレッスン。 終了後西梅田の楽譜屋に向かい、一冊購入してからCDショップに寄ってウイントン・マリサレスのバラードのCDを一枚買って教室に戻る。 夜のレッスンに見えた生徒さん(21歳男性)の弟さんが彫刻家を目指して勉強されていて、練習の一つとして僕の頭の像を造って下さるという話になった。 自分の像なんて考えると恥ずかしいが、すばらしい記念になることだろう。 教室に置くとすれば、来る生徒さんは皆「怖い!」と言うことだろう。 あまり大きくない方がいいかもしれない。
2009.01.14
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・1.13.火 昼の出張レッスンの後阿波座へ。 夜のレッスンに来られた若い生徒さん(16歳の男性)に「進路はそろそろ考えているのか」と尋ねたところ、自分は以前から声楽家になりたいのではなく、作曲家を目指したいのだと告白された。 でも歌関係の作品も手掛けたいので、続けて歌を勉強したいということである。 彼がCAに来るようになってから2年が経つが、初めて聞いた本心であった。 彼は口数の少ない少年だが、自分のやりたいこと、進むべき方向をきちんと持っていたことに感動する。 なぜ作曲に興味を持ったのだと尋ねると、少し考えてから「何かこの世に自分の足跡を残したいから」と答えた。 僕が16歳の時に、そんな風な考えが持てただろうか。 「将来がとても楽しみだ!」と言って彼を励ました。 及ばずながら、声楽の分野から全面的に協力したいと感じた。
2009.01.13
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・1.10.土 雪の降る河内長野を出て、午後は阿波座でのグループレッスン。 皆さん見事に風邪引きで、一人だけの出席。 じっくりと基礎に戻っての練習を行う。 夕方からCAC混声合唱団新年会。 大正区の沖縄料理のうるま御殿に集まって乾杯。 団員の皆さんも、前回出席出来なかった方が多く参加下さり、ライブ演奏も盛り上がり、次々に出て来る食事と泡盛で満腹。 今練習している民謡を三味線と太鼓、歌ですべて演奏下さり、これで皆さんも一層練習に身が入ることと思う。 なにしろ、今週はずっと食べていたような気がするほどだった。 明日からは食事の量を軽減し、シェイプアップに努めることを誓う。
2009.01.10
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・1.9.金 朝の女性合唱団の後、奈良クラス。 その後100年会館に出向き、NSK第九を歌う会の取り組みが主催事業として取り上げられたことに対してのお礼と、今後の打ち合わせに付いて館長、事務長を交えてミーティング。 今日の日を持って、何か一つの段階をクリアしたことを感じた。 正直言って、僕の個人的な思いが周りの人たちの多大な力添えを持って、ここまでに辿り着くとは思ってもいなかった。 これから皆で全力を注いで、11月15日の本番を何としても成功に導かなくてはな らない。 夜は混声合唱団。 18日の本番に向けて来週は本番指揮者が見えるので、仕上げの通し練習をする。 ステージシートに並んで、立ったままでの練習。 皆さん気合の入った歌声で、本番当日が楽しみ。
2009.01.09
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・1.8.木午後は菖蒲池での奈良クラスのレッスン。その後夕方から初めてのNSK混声合唱団の新年会を生駒で行う。ほとんどの団員の方々がご出席いただき、男性団員の方が用意して下さったゲームで大盛り上がり。六人ずつのグループに分かれて、クラシック、抒情歌、映画曲でまずイントロ当てクイズ。その後そのグループごとに一冊の楽譜の本を渡され、でたらめに開けたページの曲を皆で歌えなければ失格というゲーム。今朝風呂の中で考えたゲームと言われていたが、よく咄嗟にひらめくものだと感心する。最後に今年11月15日に決定している、第一回NSK第九を歌う会の演奏会を、何としても成功させようと皆で気持ちを一つにして会を終える。
2009.01.08
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・1.7.水 午後にCA初のドイツ語ディクションのレッスンを行う。 今日はブラームスの歌曲集「愛の歌」のテキストを使って、とことん発音を練習してから、ピアノ伴奏で歌ってみて、また発音を直すという方法でレッスンを行った。 こうして考えてみるとドイツ語というのは全く難しい。 最初は根気よく取り組んで、とにかく発音することに時間を裂いて慣れなくてはならない。 日本語の発音では使わない筋肉をアクティブに使い始めることによって、必ず声に良い影響があるはずである。 夜はアンサンブルクラスの練習。 一人の生徒さんがイタリアに行っておられて、お土産にクッキーとチョコレート、それにコーヒーを買って来て下さったので、時間の最初に皆でいただく。 イタリアの物はやはり何でも美味しい。 今日はフィガロの結婚の二幕の一部分に、新しく演技を付ける。 今週末まで新年会が続くので、食べすぎないことと、飲みすぎないことを注意しなくてはならない。 ちょっとしたことですぐに胃がおかしくなるし、メタボにも気を付けなければ。
2009.01.07
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裏通りの四つ角で蹲っていた女を抱えて そのまま僕の部屋に連れて来た 坂本龍馬が刀を腰から抜いて畳に座りそうな 古く狭い二階の部屋 「わたしの部屋が分らないの 日記があって窓から楠木が見える小さな部屋」 女の言うことはさっぱり理解出来ない 「哺乳瓶のミルクを取り替えなくっちゃ わたしの部屋の暗い押入れの中で」 女はうつむいて両手で顔を覆う 艶やかな真っ直ぐな髪がその手の甲に落ちかかる 「わたしの部屋が分らないの とても大事なものと、とても怖ろしいものがある 高野川の流れの音が 其処へ行けと急がせた寒い部屋」 格子窓から入る春の午後の光が 押し付けられたレッテルのように 毛羽立った畳と 短いスカートから出た彼女の裸の太股に シマシマの模様を引いている 微かな石鹸の香りがする 「部屋はわたしのすべてだった 冬には暖かくわたしたちを満たして 夏にはレースのカーテンが窓際でちゃんと風に揺れた」 ぽかぽかと春の日差しが 彼女を行き場のない世界の端っこに追い詰める 「部屋が分らないのなら、もう部屋を探すのを止めよう」 僕の声に女は両手を顔から外し 途方に暮れた目のままで僕を見る 沈黙の中 遠くで横断歩道のカッコーの声が聞こえている
2009.01.06
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・1.5.月 今年最初の昼のレッスンでは皆さんが50代の女性で、其々家で介護をされている。 舅、姑、自分の両親と介護の相手は様々であるが、しかしその障害の程度によって介護する方の苦労は大きく違う。 食事やトイレが自分で出来るか出来ないか、痴呆が入っているかどうかなどの違いである。 「でも今はデーサービスなどがあるから大きく救われます。 昔の人は100パーセント自分で看ておられたのですものね。 それでも孫、両親、おまけに主人の世話ともう倒れそうです」とふらふらでレッスンに来られた方もおられた。 つくづく家族というものは、細いお母さんの腕に皆ぶら下がって暮らしているのだなと思う。 夜は混声合唱団。 皆さん何故か全くやる気がない歌を歌われているように聴こえる。 正月が何か関係しているのだろうか。 音が取れていなくても、怖ろしく音程が悪くてもやる気さえ見えれば僕は満足だし、酷い演奏でも腹は立たない。 皆で情熱を持って時間を掛けて向上して行けばいいのだ。 しかしその逆は困る。 僕は表情を抑えて、にこにこしながら指導に当たる。 それでもどうやら言葉の端々から裏の感情が見えていたようで、皆さんますます萎縮されていたよう。 僕もまだまだ修業が足りないようだ。
2009.01.05
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・1.3.土 皆様、新年明けましておめでとうございます。 旧年中はご愛読いただき、誠にありがとうございました。 今年もこんな調子で日々を書いて行きたいと思いますので、お付き合いいただければ嬉しく存じます。 昨日今日と、故郷の京都の家に一年ぶりに帰った。 やはり京都の寒さは種類が違うようで、骨身に染みる。 夜は母と妹と三人で日本酒をちびちび飲みながら遅くまで話し込む。 ここに帰って来ると、どうしても小さかったころのことばかり思い出す。 あっと言う間の何十年である。 京阪電車を使って2時間半を掛けてまた河内長野へ。 やはり京都という所は、何かしら独特な狭さから来る独特な空気の存在する町で ある。 車がひしめき合って新しい家が建ち並んでも、昔からそこに住み着く何かの魂のせいでそう感じるのかもしれない。
2009.01.03
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