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パレスチナはUNESCO(国連教育科学文化機関)への正式加盟が認められた。10月31日に開かれた総会での投票では賛成が107票、反対14票、棄権52票。圧倒的多数の支持を得たことになる。投票結果が明らかになった後、会議の参加者から大きな拍手が送られた。 投票の前からアメリカはパレスチナの正式加盟に強く反対、約8000万ドル、UNESCO予算の約22%を占める分担金を出さないと恫喝していたのだが、効果はなかったようだ。アメリカの脅しが通用しない時代に入っているということなのだろう。 現在、パレスチナは国連への加盟も申請している。多くの国は加盟に好意的で、数だけで言えば認められることは間違いないのだが、アメリカが拒否権を使うことは確実で、実際に加盟できる可能性はほとんどない。 それにもかかわらず、加盟の申請をした理由はひとつ。アメリカに拒否権を使わせることである。アメリカがパレスチナと対立するという構図が示されれば、イスラム世界だけでなく、世界的にアメリカの影響力は低下する。アメリカにとって大きなダメージになることは間違いないだろう。 「ユダヤ」を隠れ蓑に使っているイスラエルとの関係が微妙なドイツもアメリカとは違う姿勢を見せている。1967年の第3次中東戦争で占領した東エルサレムで新たに1100軒の家を建てることをイスラエル政府が認めたことに反発したドイツ政府は、6隻目のドルフィン型潜水艦の引き渡しを止めると通告したという。この潜水艦は核ミサイルの発射が可能で、航行できる範囲も広い。第2次世界大戦の賠償として特別の条件で売却されていた。 この潜水艦は核攻撃の手段としてイスラエルのとって重要な意味を持っている。何しろ、1986年にサンデー・タイムズ紙が掲載したモルデカイ・バヌヌの内部告発によるとイスラエルの核弾頭数は200発以上、イツァク・シャミール首相の特別情報顧問を務めたアリ・ベンメナシェは1981年の時点で300発以上だと主張、またジミー・カーター元米大統領は150発だとしている。 こうした核兵器をイスラエルは使おうとしたことが少なくとも1度はある。1973年10月にエジプト軍の奇襲攻撃を受けて窮地に陥ったイスラエル政府は核ミサイルを発射する準備をするということで合意したのだ。 この決定をソ連の情報機関がつかみ、エジプトとアメリカへ伝えている。アメリカとソ連の仲介で停戦が決まりかけたのだが、アメリカから物資の支援を受けたイスラエルはエジプト攻撃をやめない。そこで、ソ連はアメリカに対し、イスラエルが停戦の合意を守らないならば、適切な対応策を講じると警告した。アメリカが本気になってイスラエルを説得したのは、この警告を受けた後のことだ。 アメリカやイスラエルに対する反発が世界的に広がっている理由は、両国の傍若無人さにある。アフガニスタンやイラク、最近ではリビアでアメリカは多くの市民を殺している一方、イスラエルもヨルダン川西岸での違法な入植、ガザに対する兵糧攻め、そして軍事侵攻による破壊と殺戮を繰り返している。 2008年12月のガザ侵攻で国連は独立調査委員会を編成、その報告書でもイスラエル軍に人道法や人権法に違反する多くの行為があったと指摘されている。アメリカ政府はイスラエルを全面的に支持、つまりパレスチナ人や国連施設に対する攻撃を容認したのだが、国連の人権理事会は報告書を採択している。 アメリカやイスラエルは軍事力で世界を恫喝するしかなくなっている。最終的には核兵器で攻撃すると脅すのだろうが、そうなったとき、両国の命運は尽きる。
2011.10.31
与えられた仕事はこなせても、自分で判断する能力のない人間が増えているという声をよく聞く。大手企業の研究職やエンジニアに聞くと、最近の新入社員は「使いものにならない」と厳しいことを言う人も少なくない。それで、中国やインドの若者を雇い始めているのだという。彼らを使う能力が日本の経営者にあるかどうかは疑問だが。 そうした状況を招いた原因のひとつが教育政策にあることは間違いないだろう。バーテルスマン基金が発表した今年の報告書(PDF)を見ると、日本は児童教育に対する公的な負担が少ないことがわかる。GDP(国内総生産)に占める比率で比較すると、OECD31カ国の中で日本は27位。1位のアイスランドに比べると12%、OECDの平均に比べても23%にすぎない。日本では中高一貫教育の普及の影響で受験の山場が小学校時代に訪れていることを考えると、この問題は大きい。 日本では教科書に書かれた知識を正しいと信じて記憶し、想定された正解へ早く確実に到達する能力を求めてきた歴史がある。つまり、官僚的な能力を尺度にしてきた。後発国として先進技術をマスターすれば良かった時代ならいざ知らず、自分たちが新たな道を切り開いていかなければならない状況には対応できない人たちを作り上げてきたということだ。 判断能力が育たないような教育を政策として推進してきたのは日本政府にほかならず、大企業の経営者は政府にそうした教育を求めてきた。権力者の言うことに疑問を持たず、唯々諾々として命令に従う人間を求めてきたということだ。アドルフ・アイヒマンのような人間、権力者に言われたことを確実に実行する「スペシャリスト」あるいは「机上殺人者」を大量生産しようとしたのだ。そのひとつの結果が東電福島第一原発の事故で明らかになっている。 要するに、日本では庶民を教育するのではなく、調教しようとしてきた。東京や大阪で選ばれている知事をみると、少なくとも都会に住む人々は教育に関心がないのか、調教が好きなのだとしか思えない。 子どもを調教するためには、その前に教師を調教する必要がある。教員免許の更新制は教師を調教する手段だ。東京都教育委員会の場合、都立高校の入学式や卒業式などで「日の丸」に向かって起立し、「君が代」を斉唱するようにと教職員に対して通達を出しているが、これは江戸時代の「踏み絵」と同じこと。大阪府の場合、さらに上意下達を徹底しようとしている。 今年の6月には八重山でも教育をめぐる問題が浮上した。中学校の社会科教科書をどの出版社のものにするかということで揉め始めたのだ。事前に調査員が推薦していなかった「新しい歴史教科書を作る会」系列の育鵬社から出された教科書をごり押しする動きが表面化したのである。 この教科書を採択するため、まず八重山地区採択協議会の会長が「改革」に乗り出したことから今回の問題は始まる。中でも協議会委員の入れ替えは大きい。育鵬社の教科書を採択するためのメンバーにしたということである。 8月に非公開で行われた採択協議会の会議で歴史教科書は帝国書院が選ばれたが、公民の教科書は育鵬社が採択されている。この過程で協議会会長の玉津博克石垣市教育長は委員に対し「教科書を見なくても見たと言えばいい」と発言していたことも明らかにされている。何も考えず、育鵬社の教科書を選べということだろう。 明治以降のアジア侵略を肯定的にとらえている「自由主義史観研究会」の流れを育鵬社の教科書はくんでいる。この研究会を生み出したのが関西の「新教育懇話会」と関東の「東京教育懇話会」で、それぞれ戦前の京都学派と東大朱光会が源流。「皇国史観」が基盤になっている。 問題になっている「ゆとり教育」もこうした流れの中で出てきた。ここで言うところの「ゆとり」とは、応用だけでなく基礎も教えず、小手先のテクニック、表面的な知識を子どもに覚え込ませるという代物。「考えない庶民」を作り出すことが目的だと指摘する人もいる。 勿論、支配層の子どもが通うような学校、つまり進学校と呼ばれている国立大学の付属や私立の学校は、そうした政策のターゲットからは外れている。「愚民化教育」の対象になっているのは公立の学校だ。つまり、「ゆとり教育」とは一種のエリート教育だとも言える。 斎藤貴男さんの書いた『機会不平等』(文藝春秋、2004年)によると、「いずれは就学時に遺伝子検査を行い、それぞれの子供の遺伝情報に見合った教育をしていく形になっていきまよ」と教育改革国民会議で議長を務めていた江崎玲於奈さんは話していたという。 教育課程審議会の会長を務めた作家の三浦朱門さんに言わせると、「平均学力が下がらないようでは、これからの日本はどうにもならんということです。できん者はできんままで結構。戦後五十年、落ちこぼれの底辺を上げることにばかり注いできた労力を、できる者を限りなく伸ばすことに振り向ける。百人に一人でいい、やがて彼らが国を引っ張っていきます。限りなくできない非才、無才には、せめて実直な精神だけを養っておいてもらえばいいんです。」 ところが、日本で行ってきた「エリート教育」は庶民だけでなくエリートの能力も低下させてしまった。思考力と批判力は表裏一体の関係にあることを理解できていなかったようだ。 ちなみに、バーテルスマン基金が算出した指数によると、日本の「社会的公正さ」はOECDの中で22位。日本の下にある国は、ポルトガル、スロバキア、韓国、スペイン、アメリカ、ギリシャ、チリ、メキシコ、そしてトルコだ。日本の「エリート」たちはアメリカを手本にしているようなので、日本の社会的な公平さは、さらに悪化するということなのだろう。
2011.10.31
日本政府はTPP(環太平洋連携協定)の締結に向かって驀進中である。その実態を国民が知る前に形を作ってしまおうとしているのだろう。言い換えると、国民に知られたくない内容の協定だということである。日本国民が被る不利益は農業だけでないことも明らかになっている。 TPPの推進派も反対派も宣伝に使っているのが韓国とアメリカとの間で締結されようとしている自由貿易協定(KORUS FTA)。TPPに先行する形で交渉は進んでいるのだが、韓国では激しい反対運動が起こっている。そうした反対の中、強引に協定を批准させようとしてるのが李明博(イ・ミョンバク)大統領だ。 アメリカと自由貿易協定についての交渉を始めるという発表が韓国であったのは2006年2月のこと。当時の大統領は盧武鉉(ノ・ムヒョン)だが、大統領に対するスキャンダル攻勢で政府は機能不全の状態。2004年3月から5月にかけて盧大統領の権限が停止になり、08年2月には収賄容疑で辞任に追い込まれていた。そうした混乱の最中、2007年4月に韓国とアメリカは協定の内容に合意、6月には署名されている。そして登場してきたのが李大統領だ。 ひとつの出来事が起こる原因はいくつもある。さまざまな要素が絡み合い、影響し合っているわけだ。そうしたことを理解した上で、KORUS FTAという切り口で韓国の動きを眺めてみる。 李大統領は前2政権と全く異なる政策を打ち出していた。例えば、対外的には「太陽政策」をやめ、労働社会運動に対する弾圧を強め、経済面ではアメリカ産牛肉の輸入禁止措置を解除している。こうした政策に反対する声は徹底的に潰し、番組で牛肉問題を取り上げたテレビ局プロデューサーは、深夜に自宅で取り調べを受けたうえ、逮捕/起訴されたという。 こうした政策を推進してきた背景には戦争ビジネスが存在すると指摘する人もいる。李大統領は1992年まで現代グループに含まれていた現代建設で社長を務めていた。その現代グループはアメリカのロッキード・マーチンが設計した弾道弾迎撃ミサイル(ABM)とレーダーシステムを搭載した駆逐艦を建造している。ヒラリー・クリントン米国務長官と同じように、李大統領もロッキード・マーチン人脈だということである。 そして2009年11月、韓国海軍の艦艇と朝鮮の警備艇が交戦している。韓国側は朝鮮が領海を侵犯したと主張するが、朝鮮側に言わせると「国籍不明」の艦船が朝鮮の領海を侵犯したので押し返そうとしていたということになる。 実際に何があったかは明確でないが、衝突が起こった場所は境界線をめぐって南北が対立していたことは確かだ。そうした海域に艦船を入れるということは、何らかの紛争を始めようと意図していると言われても仕方がないだろう。しかも、軍事衝突が起こった前の月、つまり10月に韓国の艦艇が1日に10回も領海を侵犯していると朝鮮側は抗議していた。突如、交戦が始まったわけではない。 2010年3月には、韓国と朝鮮で境界線の確定していない海域で韓国の哨戒艦「天安」が爆発し、沈没するという出来事があった。前年11月の交戦に対する朝鮮軍の報復攻撃だと思った人は少なくないようだが、この解釈には疑問がある。哨戒艦には敵軍の潜水艦や魚雷の接近を早期に感知する能力があるだけでなく、近くの海域では韓国軍とアメリカ軍が予定を延長して合同軍事演習「フォール・イーグル」を実施していたと言われ、韓国軍は警戒態勢に入っていた可能性が高いからである。そうした海域に侵入して攻撃、そして脱出する能力が朝鮮側にあるのかということである。 そうしたこともあり、事件当初、韓国の国防大臣や国家情報院長は朝鮮が関与した証拠はないと発表していた。状況が変化するのは5月のことだ。韓国政府は、沈没の原因を朝鮮軍の魚雷攻撃にあると主張し始めるたのである。選挙を直前に控えていた。こうした主張に関し、韓国駐在大使を務めた元CIA高官のドナルド・グレッグも疑問の声を上げている。 そして9月、石垣海上保安部は「日中漁業協定」を無視する形で中国の漁船を尖閣諸島の付近で取り締まろうとする。その際に漁船と巡視船が衝突、漁船の船長は「公務執行妨害」で逮捕された。「日中漁業協定」によると、この海域では「自国の漁船を取締り、相手国漁船の問題は外交ルートでの注意喚起を行う」ことになっていた。 協定を破る行為を海上保安部の判断でできるとは思えない。少なくとも国土交通大臣の判断が必要だ。ちなみに、当時の大臣は前原誠司である。船長逮捕の10日後、前原は外務大臣に就任している。 一方、韓国では11月に軍事演習「ホグク(護国)」を始めている。当初はアメリカ軍も参加することになっていたが、アメリカの海兵隊や海軍は「スケジュールの都合」で参加しないと事前に発表されていた。もっとも、ハンギョレ新聞によると、沖縄を拠点とする第31MEU(海兵隊遠征隊)や韓国駐留の第7空軍が参加しているのだが。 朝鮮軍が大延坪島を砲撃したのは、そうした最中の出来事だった。この砲撃で家屋が破壊されただけでなく、2名の韓国兵と民間人2名が死亡した。この砲撃が最初から仕組まれたものだとする見方もあるだろうが、米韓が挑発に乗りやすい朝鮮の性格を利用したとも考えられる。 そして2010年12月、米韓両政府は協定の締結で合意したと発表した。このとき、盧政権当時に決められていた利益均衡を李政権が崩したという批判も韓国内には強い。それだけ韓国にとって不利な内容になっているのだが、こうした協定に至った米韓交渉は、盧大統領に対するスキャンダル攻撃から考える必要があるだろう。
2011.10.30
東京電力福島第一原子力発電所の事故で放出された放射性物質の量が日本政府の発表した数値を大幅に上回っているという調査/研究結果が発表されている。 大気中に放出された量はチェルノブイリ原発事故の際に飛び散った量の半分程度、つまり日本政府が発表した数字の倍になるという研究結果が明らかにされているが、海中に流出した量は東電の発表した数値の約30倍だという推計値をIRSN(フランス放射線防護原子力安全研究所)が公表した。 IRSNによると、3月の終わりから4月のはじめまでに原発近くの海域ではセシウム134と137が数万ベクレル/リットル、ヨウ素131が10万ベクレル/リットル以上に達していたという。ただ、半減期8日のヨウ素131は急速に減少、セシウムも4月11日から濃度が下がり始めて7月中旬からは5ベクレル/リットル以下になったとしている。 また、3月21日から7月中旬までの間に海へ流れ出たセシウム137の量をIRSNは27.1ペタベクレル(2.71京ベクレル)と推計、その82%は4月8日より前に出たとしている。ちなみに、セシウム134の半減期は約2年であり、セシウム137は約30年。数値が下がったのは、放射性物質が拡散したからにすぎない。 勿論、まだ事故は終息していない。現在は「小康状態」のようだが、それでも汚染は続いている。東電が正確な情報を発表しているとは思えず、原発の外で見つかった燃料棒の破片に関する情報も明らかにされていない。圧力容器、格納容器、あるいはプールが想像を絶するような状態になっている可能性もあるだろう。 そもそも、溶融した燃料棒のある場所がわかっていない。少なくとも1号機は圧力容器の底を抜けて格納容器に落下、床、鋼製の容器、その下のコンクリート、さらに地中へと沈みつつある可能性が高い。そして地下水を汚染し続けている。表面的には小康状態が続いているようだが、それもいつまで続くかはわからない。
2011.10.28
福島第一原発の事故で放出された放射性物質は日本政府が発表した数字の倍、チェルノブイリ原発事故の際に飛び散った量の半分程度になるという研究結果が発表された。福島第一の場合、燃料棒は溶融して圧力容器を抜けて格納容器の床に落下、コンクリートと鋼の板を溶かして下へ落下していると見られているわけで、地中や海の汚染が深刻。チェルノブイリに比べて小さい規模などとは到底、言えない。 また、圧力容器内に核燃料棒はなかったはずの4号機も汚染源になっていることから、プール内の使用済み核燃料棒が損傷を受けている可能性があるともいう。事故後に原発の外で発見された燃料棒の破片は圧力容器内にあったものだとNRC(原子力規制委員会)は推測していたが、それはプール内が健全だという前提での話。やはり、3号機のプール内で核反応(核暴走)が起こり、プールが大砲の筒のような役割を果たして上空へ吹き上げた可能性が高まったと言えるだろう。そうでなければ、格納容器自体がプールと同じ役割を果たしたとしか思えない。爆発の状況から考えて、建屋内で水素爆発が起こった可能性は小さそうだ。
2011.10.27
リビアではムアンマル・アル・カダフィが殺され、米英仏は当初の目的を達したと言えるだろう。この内戦はフランスやイギリスが仕組んだもので、「民主化運動」という要素はあまりない。 アメリカ政府の承認を受けた上でエジプトはリビアの反政府派は武器を提供しているが、その前に「革命軍」を整備する必要があった。6月頃までの兵力は約1000名にすぎなかったからだ。NATOは傭兵を集める。 そうした傭兵の中には、コロンビアで死の部隊に所属して兵士、チュニジアの失業者やカダフィ体制に不満を持つリビア人が含まれ、アラブ首長国連邦やカタールで雇われた人もいたとされていた。今回、カタールから数百名が地上戦に参加していることを、同国のハマド・ビン・アリ・アル・アティヤ参謀長が認めている。 内乱の中で反カダフィ派はカダフィ政権の治安機関メンバー約800名を秘密裏に懐柔、カダフィ軍の内部でも3255名が寝返ったとも言われている。新体制に移行した後、カダフィ政権の警官約5000名を雇うともしている。1万から1万5000名の兵士をアラブ首長国連邦が提供するという話もあるが、リビア国内の反発も予想され、どうなるかは不明だ。 親カダフィ派の巻き返しもありえるのだが、これはNATO軍に頼めば対応できる。暫定国民評議会や欧米諸国の有力者にとって困るのはカダフィの息子が国際機関に投降することかもしれない。「知りすぎた男」、カダフィはすでに処刑したが、息子も何らかの情報を握っている可能性があるからだ。
2011.10.27
ウォール街で始まった不公正な政治経済システム、強欲な「1%」の人間が富を独占する仕組みに抗議する運動は世界中に広まっている。カリフォルニア州オークランドでも数百名による抗議活動が繰り広げられたのだが、ここでは催涙弾やフラッシュバン(閃光と爆音でターゲットを無力化する手榴弾)が飛び交い、「非致死性」だという弾丸も発射されている。 この弾丸が頭部に命中したスコット・オルセンは重体で、非常に危険な状態だとも伝えられている。オークランド警察の規則に反した方法で抗議行動に対処したわけだが、外部から支援部隊が入っているようで、実際に誰がそうした手段を使ったのかは明確でない。そうしたこともあり、警察に事態を説明するように求める声があがっている。 1970年代の半ばに南米チリで始まった新自由主義経済は人間社会を破壊してきた。最近では、あのローマ教皇でさえ富を「1%」の人間が独占する仕組みを批判している。この状態を放置しておくと、現在の支配システムそのものが崩壊するという危機感があるのかもしれない。 ところが、日本では新自由主義路線を今でも突っ走っている。自分たちが儲かる大企業の経営者、そうした企業に規制している政治家、官僚、そしてマスコミ社員は必死にこの路線を推進しようとしている。
2011.10.27
ニューヨークで始まった不公正な政治経済システムに対する抗議活動にしろ、巨大金融機関が政治家や官僚と組んで引き起こした財政破綻の尻ぬぐいを庶民に押しつける政策に抗議しているギリシャの出来事にしろ、日本政府が結ぼうとしているTPP(環太平洋連携協定)に対する批判にしろ、問題の根幹には新自由主義と呼ばれる経済システムが存在している。 政府による規制を排除する一方、「市場の自由競争」を信奉しているのだが、この理論的な基盤を築いたのはフリードリッヒ・ハイエクやミルトン・フリードマン。市場に自由競争があるとする前提がすでに間違っているわけで、最初からこの理論は破綻、言わば机上の空論、砂上の楼閣である。マーケットを信仰する一種のカルトだと言うべきかもしれない。 最初にこの経済システムが導入されたのは1970年代のチリ。庶民にとって苛酷な政策だということは明らかだったが、1973年9月11日に軍事クーデターで反対しそうな人びとは一層されていた。要するに、アメリカの巨大企業にとって目障りな人びとや団体は暴力的に排除されていた。 「最初の9/11」とも呼ばれるクーデターを背後で操っていたのがヘンリー・キッシンジャー大統領補佐官(当時)だということも判明している。実際に軍隊を動かした人物はオーグスト・ピノチェト陸軍総司令官だった。 勿論、軍人だけがクーデターに参加したわけではない。有力メディアを使ってプロパガンダを展開、企業経営者はロックアウト、労働組合はストライキを実施、さらに国外の金融機関や世界銀行が経済的に揺さぶっている。その後、新体制にとって不都合だと見なされた約2万人が虐殺されたとも言われている。 欧米で最初に導入したのはイギリス。1982年にアルゼンチンとの間で戦争が勃発したのだが、この「フォークランド戦争」を利用してマーガレット・サッチャー首相(当時)が国家改造に着手したのである。 サッチャー英首相に続き、アメリカのロナルド・レーガン大統領、西ドイツのヘルムート・コール首相、そして日本の中曽根康弘首相などが次々と新自由主義経済を採用、それだけではとどまらず、1980年前後には中国が、ソ連消滅後には旧ソ連圏の国々へも伝染していった。 この経済システムは本質的に一部の支配層に富が集中、大多数の人びとは貧困化していく。FTA(自由貿易協定)やTPPもそうしたシステムに基づいている。アメリカ大陸ではNAFTA(北米自由貿易協定)が結ばれたが、庶民の貧困化と社会の破壊をもたらし、結果としてラテン・アメリカ諸国のアングロ・アメリカ離れを引き起こすことになった。 日本では大企業の経営者が自由貿易を強く求め、政府や官僚、そしてマスコミが同調している。TPPが実現すれば、自分たちが豊かになれると信じている人びとだ。社会の崩壊にも関心がないのだろう。TPPの導入で辛酸をなめる庶民もその実態に気づき始めているため、推進派としては早く導入してしまいたいだろう。 アメリカ本体の場合、貧困化が進んでいる大きな要因は教育にあると指摘されている。公立の学校が荒廃、少しでもマシな学校へ子どもを通わせようとすれば不動産価格の高い地域へ引っ越す必要があり、不動産相場を押し上げる一因にもなってきた。安心して通わせることのできる私立学校に子どもを通わせることなど庶民には困難だ。 トーマス・カポーティは『叶えられた祈り』(川本三郎訳、新潮文庫)の中でウォール街で働いているディック・アンダーソンなる人物に次のようなことを言わせている。 「二人の息子を金のかかるエクセター校に入れたらなんだってやらなきゃならん!」 エクセター校とは「一流大学」を狙う子どもが通う有名な進学校で、授業料も高いようだ。そうしたカネを捻出するため、「ペニスを売り歩く」ようなことをしなければならないという設定だ。言うまでもなく、ウォール街で働いている人間はアメリカの中では高給取りの方だろうが、それでも教育はままならないということだ。 そうした社会に日本も突き進んでいる。公教育の破壊、年金や健康保険の破綻、いずれも意図的に行われているとしか思えない。
2011.10.27
ムアンマル・アル・カダフィがシルトの近くで反カダフィ軍に拘束され、リンチを受けた上で殺されたのは10月20日のこと。シルト市内でヒューマン・ライツ・ウォッチは処刑された53名のカダフィ軍兵士の死体を発見しているが、さらに300名近い死体も発見された。いずれも後ろ手に縛られ、頭部を撃たれているので、反カダフィ軍によって処刑されたと見られている。 現在、反カダフィ軍の主力はLIFG(リビア・イスラム戦闘団)。アメリカの当局からテロリストだと見なされている組織だ。今回、LIFGは米英仏軍の手先としてカダフィ体制の打倒に協力したが、早くも暴力的な本性を見せたわけである。 反カダフィ軍はアフリカ中南部の出身者を敵視、「傭兵」という名目で片っ端から拘束しているようだ。国連は反カダフィ軍が約7000人を拉致、不当に拘束していると批判しているが、そのうち少なからぬ人がアフリカ中南部の出身者だと見られている。 国外へ脱出せず、リンチを受けた上でカダフィは殺されたわけだが、その過程で反カダフィ軍の残虐性が明らかになっただけでなく、米英仏軍の傀儡にすぎないことも露見してしまった。国民評議会はNATO軍の撤退を先に延ばすように求めたというが、今の状況を考えれば当然だろう。リビア国民が「解放」を喜んでいるという単純な状況ではない。 カダフィの処刑をアメリカのメディアは露骨に喜んでいるが、ヒラリー・クリントン国務長官もテレビカメラの前で大はしゃぎだった。どうやらアメリカの支配層は「民主主義」を装うだけの余裕をなくしている。もっとも、すでにジョージ・W・ブッシュ政権は先制攻撃、しかも偽情報を流しての侵略攻撃を実施しているが。国内では「1%」の富裕層に富を集中させる不公正なシステムに抗議する行動を暴力的に排除している。 ソ連軍が撤退した後に内乱状態になったアフガニスタンを統一するためにアメリカの支配層はタリバンを使って安定させようとした。その思惑通り、タリバンは1996年に首都のカブールを制圧したが、その際の残虐行為は有名だ。そのタリバンをアメリカはコントロールしきれずに現在に至っている。リビアでも似た展開になるかもしれない。 経済システムが破綻しているアメリカ。これまでアメリカは支配システムを築くために経済侵略と軍事力を車の両輪のように使ってきた。経済侵略の行き着く果てには「自由貿易」がある。この経済システムに支配された国では一部の支配層を除き、大多数の庶民は貧困化して社会は破壊される。勿論、アメリカの大企業は大儲けである。 単純な略奪だけでなく、そうした経済システムを押しつけるためにも軍事力は使われてきたのだが、そうした手口はすでに広く知られていて、機能しなくなっている。結局、軍事力の行使は戦争ビジネスを儲けさせるだけで国家を衰退させる。不公正な政治経済システムに対する抗議も暴力で封印しようとしているようだが、逆効果。暴力に頼りはじめた体制に未来はない。
2011.10.26
イラク戦争の後、放射能障害が多発していると報告されている。その原因は劣化ウラン弾にあると見られてきたのだが、調査の進展にしたがって濃縮ウランの存在が確認され、別の可能性も考える必要が出てきたようだ。 アメリカ軍がイギリス軍を引き連れる形でイラクに対する先制攻撃を始めたのは2003年3月のこと。投入された総兵力30万人のうち98%はこの2カ国が占めていたという。 侵攻作戦が展開される中、2003年4月にファルージャでは占領に抗議する住民にアメリカ軍が発砲、17名を射殺し、70名以上が負傷したとも言われている。その後、ファルージャで軍事的な緊張が高まったのは当然だろう。 そして2004年3月31日、ファルージャで4名の傭兵が殺害された。この地域を担当していたアメリカ軍の部隊が第82空挺師団から第1海兵遠征軍に交代して間もない頃の出来事である。 日本のマスコミは犠牲者を「民間人」と表現していたが、適切な表現ではない。いずれもブラックウォーターの傭兵なのである。3名はSEALs(米海軍の特殊部隊)の元隊員であり、もうひとりは米陸軍のレンジャー出身。つまり、殺された4名は東京やニューヨークの街角を歩いているような「民間人」ではなく、普通の兵士でもなかった。 軍事的な緊張の高まっている地域に軽武装で4名は送り込まれたわけで、ファルージャ殲滅作戦を実行するための「人身御供」にされたと考える人も少なくない。住民側は4名がCIAの仕事をしていたと主張する。 4名が市内で待ち伏せ攻撃を受けた際、近くにはアメリカ軍が展開していたのだが、救出には向かっていない。結局、黒こげになった4名の死体は放置されることになった。アメリカ軍がファルージャに対する大規模な攻撃を始めるのは4月4日のことだ。 この攻撃で多くのファルージャ市民が殺され、反米感情を煽る結果になった。同じ年の11月から12月にかけてもアメリカ軍はファルージャを攻撃している。イラク戦争の中でも最も血生臭い戦いだったとも言われている。 こうした攻撃を受けたファルージャでは、その後、放射能障害の犠牲者が多発していると報告されている。これまで原因は劣化ウラン弾にあると見られていたのだが、調査が進む中で濃縮ウランが発見され、これまで知られていないような兵器が使われていた可能性が出てきた。建物や機械を破壊せずに人間を殺すことができる中性子爆弾という推測も出ている。 ウルスター大学のクリストファー・バスビー教授によると、2006年7月にイスラエル軍がレバノンに軍事侵攻した後、レバノンやガザでも濃縮ウランが検出されたほか、アフガニスタンでも同じ兵器が使われ、バルカン半島でも使用された可能性があるようだ。 リビアでも米英仏軍は劣化ウラン弾を使用した疑いがあると言われている。例えば、アメリカのシンクタンク「FPIF」のコン・ハリナン、あるいはイギリスで反核運動をしているケイト・ハドソンもそのように指摘しているのだが、濃縮ウランを利用した兵器が使われた可能性も考えておく必要があるだろう。福島第一原発の事故で大量の放射性物質に汚染された日本、特に福島を中心とする地域の人びとにとっても人ごとではない。
2011.10.26
イギリスの対外情報機関MI6とアル・カイダ系の武装勢力との関係を示す文書がリビアの首都トリポリで発見された。混乱の中、イギリス大使が放棄した住居から見つかったという。 反カダフィ軍の中核を占めているLIFG(リビア・イスラム戦闘団)は1990年代の設立されたのだが、そのメンバーはアフガニスタンでソ連軍と戦っていたイスラム武装勢力に所属していた。つまり、本ブログでは何度も指摘しているようにアル・カイダとつながっている。 1996年にLIFGはムアンマル・アル・カダフィの暗殺を試みて失敗しているが、イギリスの治安機関MI5に所属していたデイビッド・シャイラーによると、この暗殺計画の資金をMI6が出している。 このLIFGをアメリカは「テロ組織」と認識、2004年にはジョージ・テネットCIA長官(当時)がLIFGをアルカイダにつながる危険な存在だと上院情報委員会で証言したほどである。 LIFGの幹部で現在は暫定国民評議会軍を指揮しているアブドゥル・ハキム・ベルハジは2004年にマレーシアで逮捕され、CIAの刑務所に入れられた後、リビアに引き渡されて拷問を受けている。カダフィ政権はCIAに協力した形だ。 ベルハジの側近、サミ・アル・サーディも同じように拘束され、拷問を受けた経験がある。このふたりは2010年に釈放されているが、リビア政府独自の判断でのことではないだろう。 ところで、MI6から資金の提供を受けてLIFGがカダフィ暗殺を企てた1996年、アル・カイダはサウジアラビアのアメリカ軍基地を爆弾で攻撃、98年にはケニアとタンザニアのアメリカ大使館を爆破、そして2000年にはイエメン沖でアメリカ軍の駆逐艦コールを攻撃している。 1996年と2011年の間、MI6とLIFGはどのような関係にあったのだろうか?2001年9月11日の出来事も含め、アル・カイダと米英情報機関との関係を洗い直す必要がある。
2011.10.25
イラクに駐留する4万1000名のアメリカ軍を年末までに「完全撤退」させ、イラク戦争を終結させるとバラク・オバマ米大統領は10月21に記者会見で発表した。来年の選挙を睨み、公約を実現したことをアピールしたいのだろう。 この発表に対し、ネオコン(親イスラエル派)の議員たち、例えばジョン・マケイン上院議員やジョー・リーバーマン上院議員はオバマ政権の計画を批判している。ネオコンにコントロールされている共和党の有力な大統領候補、つまりミット・ロムニーやリック・ペリーも同じ姿勢だ。 しかし、オバマ大統領の発言には少なくともふたつの大きな問題がある。イラク周辺を見ればアメリカ軍が存在しているのであり、イラク国内では傭兵(私営特殊部隊)が増派されることになっているのだ。国務省だけでも5500名を雇うとしている。しかもアメリカ政府は「訓練」のために3000名から5000名を残す意向であり、「警備」のための派兵も視野に入れている。 国務省が契約した傭兵会社は8社。ダインコープ、トリプル・キャナピー、EODテクノロジー、SOC、イージス・ディフェンス・サービシーズ、グローバル・ストラテジーズ・グループ、トレス・インターナショナル・サービシーズ、そしてIDS(インターナショナル・デベロップメント・ソリューションズ)だ。 IDSはケイスマンと米国トレーニング・センターのジョイント・ベンチャー。米国トレーニング・センターは昨年までブラックウォーター・ロッジ・アンド・トレーニング・センターと呼ばれていた。つまりブラックウォーター(Xe)の関連会社も国務省との契約に成功しているのだが、このブラックウォーターは2007年に17名のイラク市民を殺害して問題になった会社。こんな会社をイラクで仕事をさせるアメリカ政府の腐敗ぶりがわかる。 この殺人事件に関し、当初、アメリカ大使館やブラックウォーターは武装グループからの攻撃に反撃しただけだと主張していたが、市民側に挑発的な行為が一切なかったことを示すビデオの存在が後に判明している。傭兵がいきなり市民に向かい、無差別に銃撃していたのだ。 ちなみに、ブラックウォーターを創設したエリック・プリンスはSEALs(米海軍の特殊部隊)の出身で、熱心なキリスト教原理主義者(キリスト教系カルト)としても知られている。プリンスだけでなく同社の少なからぬ重役もキリスト教原理主義の熱心な信者で、何人かは「マルタ騎士団」のメンバーだと吹聴している。 調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュによると、イラクやアフガニスタンでの掃討作戦を指揮していたJSOC(統合特殊作戦司令部)にも「マルタ騎士団」のメンバーや支持者が多い。例えば、JSOCの司令官を務めたスタンリー・マクリスタル(2003年から08年まで)やウィリアム・マクレイブン(2008年から11年まで)もこの騎士団のメンバーだと言われている。 この撤退計画に関し、ヒラリー・クリントン米国務長官は訓練を目的としたアメリカ軍の駐留は続き、トルコなどの友好国にもアメリカ軍が存在していると強調、イランに「警告」している。こうした発言もあり、アメリカ政府はイランを本格的に揺さぶるつもりではないかという見方も出ている。 アメリカの好戦派やサウジアラビアはイランを中心として広がるシーア派のつながりを恐れている。サダム・フセインを排除したことでイラクもシーア派の発言力が強まっているのだが、それだけでなくレバノンやシリアが連携して動くのではないか、ということである。 そうしたこともあり、アメリカ、イスラエル、そして恐らくサウジアラビアもイラン攻撃のチャンスを狙っている。実際、ジョージ・W・ブッシュ政権の時代からアメリカではイラン攻撃を念頭においた動きも見られる。その一例がイスラエルに対するGBU-28(バンカー・バスター)の提供だ。 この爆弾をイスラエルが求めたのは2005年。このときはイスラエルと中国との関係を理由にしてブッシュ・ジュニア政権は拒否したのだが、2007年になって09年か10年に引き渡すとイスラエル側に伝えている。そしてオバマ大統領は2009年、問題の爆弾55発を提供したわけだ。 アメリカの支配体制に変化がない限り、経済的な苦境から脱するためには他国を侵略して略奪するしかない。石油にしろ、資産にしろ、略奪に失敗すれば、戦費負担で体制が潰れてしまう。イラクから軍隊を引き揚げても、それが表面的なものにすぎないのは当然のことだ。考えてみると、支配の経費を被支配者が支払い、自国の資産を自ら進んでアメリカに提供しようとしている日本ほどありがたい存在はない。
2011.10.25
ムアンマル・アル・カダフィを支持する武装勢力が立てこもっていたシルトの市内で多くの処刑されたカダフィ軍兵士の死体が発見された。反カダフィ軍によるものだと見られている。その近くではカダフィ自身が「処刑」されたわけだが、その現場近くにアメリカの専門家やイギリスの特殊部隊員もいたようだ。 シルト攻撃に「協力」するため、電子機器を扱うアメリカの専門家が市内の動向を監視する一方、イギリスの特殊部隊SASの隊員は「国民評議会軍」を指揮していたとイギリスのテレグラフ紙は伝えている。 カダフィ軍が数十台の車両で脱出を図ると、アメリカは無人機のプレデターで車列をミサイル攻撃、SASは地上で反カダフィ軍を指揮していた。さらにフランスの戦闘機は2発のGBU-12(レーザー誘導爆弾)を車列に投下している。この攻撃で25名以上のカダフィ軍兵士が死亡、カダフィ自身も足に負傷した模様だ。 その後、カダフィはリンチを受けた上で頭と胸を撃たれて「処刑」されたのだが、処刑されたのはカダフィだけでなかった。殺された53名のカダフィ軍兵士をヒューマン・ライツ・ウォッチがシルト市内で発見、調査を求めている。その場所を支配していたのは反カダフィ軍だったことから、反カダフィ軍による捕虜の処刑だと見られている。同じ場所でAFPの記者は、処刑された死体60体を見たという。 反カダフィ軍はアフリカ中南部の出身者も拉致、その大半は労働者だと見られている。この件についてヒューマン・ライツ・ウォッチが問題にしているほか、国連は反カダフィ軍が約7000人を拉致、不当に拘束していると批判している。またアムネスティー・インターナショナルもこの問題に関する報告書を出している。 リビアは産油国。米英仏としても欲しい利権だろうが、それだけでなく、カダフィはアフリカ中南部を自立させるために支援、アフリカを南アメリカのようにまとめようとしていたと言われている。つまり、この地域を植民地化し、その後も利権を握ってきた欧米各国としては許し難い行為だ。アフリカに食い込みつつあった中国やロシア、つまりBRICSとの戦いという要素もあるだろう。 これが「リビア解放」の現実だが、新体制が安定すると考えている人は少ないだろう。何しろ、すでにムスリム同胞団系の人びととカダフィ体制からの離反組の対立が表面化している。しかも、アル・カイダ系のLIFG(リビア・イスラム戦闘団)が武装集団として大きな影響力を持っている。歴史的にムスリム同胞団とアル・カイダは関係が深いとも言われているだけに不気味だ。
2011.10.24
リビアのムアンマル・アル・カダフィが殺されたことに関するヒラリー・クリントン米国務長官の発言が話題になっている。「来た、見た、死んだ」とCBSのインタビューの中で口にしたのだが、人の死をこれほど露骨に喜ぶ政治家を見ることは珍しい。 紀元前47年、ポントス王ファルナケス2世との戦いに勝ったユリウス・カエサルは、その勝利を腹心のガイウス・マティウスに知らせている。そのときに書いたと言われているのが「来た、見た、勝った」。この言葉をもじっての発言だろうが、品が良いとは言えない。 インタビュー後、カダフィ親子が「処刑」される様子がインターネットやメディアで流され、クリントン長官にとって最悪の展開だ。残虐な政治家というイメージは当分の間、ぬぐい去ることができないだろう。国務長官としての仕事にも支障をきたすことになりそうだ。 ともかく、バラク・オバマ政権はこのところ、殺人を好んでいるように見える。9月30日にアメリカ軍は無人機を使い、アメリカ国籍のアンワール・アル・アウラキをイエメンで殺害しているのだが、その際、食事をしていた16歳の息子を含む何人かのティーンエージャーが一緒に殺されたと言われている。 こうした事件に限らず、アメリカはアフガニスタンやイラクでも多くの市民を殺害してきた。リビアで反カダフィ軍の主力がアル・カイダ系の武装集団である以上、カダフィ親子の処刑は必然的な結果だと言える。 こうした暴力的な勢力をアメリカは好んで使ってきた。ラテン・アメリカで民主化運動を潰し、大企業にとって都合の良い体制を作るために編成された「死の部隊」もそうだが、タリバンも同じ。 ソ連軍が撤退した後のアフガニスタンを支配する手先としてアメリカが作り上げたのがタリバン政権。1996年にそのタリバンがアフガニスタンの首都のカブールを制圧した際、ムハンマド・ナジブラー大統領を拘束、大統領兄弟の睾丸を切り取り、ジープで引き回した上で射殺している。イスラム社会はこの政権を支持しなかったようだが、アメリカは石油パイプラインの問題で対立するまで擁護し続けたのである。 ところで、リビアでは新たな内乱が始まる可能性もあるが、横流しされている武器が中東/北アフリカに流れ、各地で戦闘が激しくなるかもしれない。石油/資源利権で浮かれている場合ではない。
2011.10.23
米英仏軍がリビアへ軍事介入を開始したのは今年3月のことだった。それから7カ月、ムアンマル・アル・カダフィの排除に成功、欧米の企業は石油利権に群がり始めている。アフリカの資源利権を手放さずにすんだと喜んでいる人びともいるだろう。 しかし、カダフィを処刑する様子を撮影した映像がインターネットで流され、新たな問題が浮上している。反カダフィ軍の犯罪行為をどのように処理するかということである。カダフィの息子、ムタッシムも処刑された可能性が高い。生きたまま拘束され、水を飲む様子を撮影した映像には存在しない大きな傷が死体の気管あたりにあるのだ。今後、反カダフィ軍の戦争犯罪が問題になることは間違いない。 本ブログでは何度も指摘しているように、反カダフィ軍の地上部隊はアル・カイダ系の武装勢力が主体。傭兵や寝返ったリビア軍将兵もいるようだが、やはりLIFG(リビア・イスラム戦闘団)の存在は大きい。この地上軍と米英仏の航空兵力を「解放軍」だとすることはできない。 繰り返しになるが、反カダフィ軍は約7000人を拉致、不当に拘束していると国連は批判、その多くはアフリカ中南部の出身者だと見られている。この問題に関しては、アムネスティー・インターナショナルも報告書を出している。処刑も行われていると伝えられているが、カダフィ親子のケースを見るならば、十分にありえる話だ。 19世紀以来の歴史を振り返ると、イギリスを始め欧米の国々は経済の行き詰まると、軍事侵略と略奪で解消してきた。経済が行き詰まる最大の要因は富の偏在にある。富裕層は溜め込んだ富を手放そうとはせず、他国の財宝を奪って問題を解決しようとしてきたのだ。スメドリー・バトラー米海兵隊少将が「戦争は押し込み強盗」と言ったのは、こうしたことだ。 現在も経済は行き詰まっている。1980年代から投機経済で誤魔化してきたが、それも限界を超えている。その結果がギリシャやウォール街での抗議活動である。欧米の支配層は今回も同じ手法で苦境を乗り切ろうとしているのかもしれないが、軍事力で政治経済問題を解決できる時代は過ぎ去っている。 反カダフィ派はこれから内部対立が強まるという見方もあるが、それだけでなく、反カダフィ軍の戦争犯罪が明らかになったらどうするつもりだろうか?内乱の中、反「反カダフィ軍」を編成して軍事介入するのだろうか?
2011.10.22
リビアのムアンマル・アル・カダフィは反カダフィ軍に拘束された後、処刑された可能性が高まった。現場の様子が撮影されていなければ、空爆で殺された、あるいは穴蔵に隠れているところを引き出されて命乞いをしながら死んだというようなストーリーを主張し続けることもできただろうが、今の世の中では無理だった。 処刑した理由はいくつか考えられるが、最も単純な見方は報復。何しろ、反カダフィ軍の主力はアル・カイダ系の武装集団のLIFG(リビア・イスラム戦闘団)であり、荒っぽいことは間違いない。 また、口封じだった可能性もある。カダフィはイラクのサダム・フセインと同じようにCIAの協力者だった人物であり、裁判などで証言されては困る人間が少なくない。 カダフィ体制を潰した理由のひとつはリビアの石油利権、もうひとつはカダフィが支援していたアフリカ中南部諸国の資源利権だろうが、もうひとつカダフィを排除しなければならない理由が指摘されている。石油による収入、保有する金塊を利用し、アフリカでの交易を共通の金貨で決済しようという計画があったようなのだ。西ヨーロッパではユーロとドルの戦いが展開されているようだが、アフリカでも別の通貨戦争が勃発する可能性があったということである。
2011.10.21
核兵器であろうと原子力発電であろうと、大量の放射性廃棄物が残されることは避けられない。そうした物質を無害化することは本質的に不可能であり、数万年にわたって管理しなければならない物質もある。人間文明の歴史はたかだか1万年余りにすぎないことを考えれば、その無謀さは明らかだろう。福島第一原発では事故後、空気中だけでなく海中へ膨大な量の放射性物質を排出しているが、それらは地球上を汚染し続けるわけだ。 年単位でも管理は容易でない。そうした現実を垣間見せる出来事が現在、アメリカで進行中である。アメリカのペンシルベニア州で埋められていた廃棄物が地下水を汚染していることがわかったのだ。USACE(アメリカ陸軍工兵団)が掘り返そうとしたものの、何らかのトラブルが発生してらしく、作業は中断している。 1960年代、そこにはNUMEC(核物質設備社)のプルトニウム施設があり、隣接した広大な場所で放射性廃棄物を処分していた。その施設が使われていた期間は1958年から83年にかけて。1963年まではウラン燃料の製造が主な仕事だったという。1967年にこのサイトはアトランティック・リッチフィールドがNUMECから買い取っている。 放射性廃棄物は55ガロン(約210リットル)のドラム缶に入れられて敷地内に埋められたのだが、その数は膨大。しかも処分が不適切だった。そこで、USACEが掘り返さなければならなくなったたわけだ。 今年8月に公開されたFBIの文書によると、敷地内で汚染された場所を掘り起こしたところ、10万cpmという数値が出ている。この数値がどのような意味を持つのかを福島第一原発の事故に絡め、徳田毅衆議院議員が自身の「オフィシャルブログ」で書いているので、それを紹介する。「3月12日の1度目の水素爆発の際、2km離れた双葉町まで破片や小石が飛んできたという。そしてその爆発直後、原発の周辺から病院へ逃れてきた人々の放射線量を調べたところ、十数人の人が10万cpmを超えガイガーカウンターが振り切れていたという。それは衣服や乗用車に付着した放射性物質により二次被曝するほどの高い数値だ。」 核問題に興味のある人なら、NUMECの名前を聞いたことがあるだろう。イスラエルの核兵器開発に協力したと信じられている会社だからである。ちなみに、会社設立者のひとり、ザルマン・シャピロ博士の父親はユダヤ教正統派のラビで、自身はZOA(米国シオニスト機構)のピッツバーグにおける責任者を務めた経験がある。 NUMECのスキャンダルが発覚したのは1960年のころ。創業直後から1967年までにNUMECは政府所有が所有する22トン以上のウラン235を受け取っているのだが、同社の核物質管理に不自然な点があることをAEC(米国原子力委員会、現在はNRC/原子力規制委員会)が見抜いたのである。 1965年にAECは、ウェスチングハウスや米国海軍からNUMECへ持ち込まれた濃縮ウランのうち90キログラム以上が行方不明になっていることに気づいている。問題の施設における「紛失核物質」の総量はNUMEC時代が269キログラム、それ以降が76キログラムだという。 イスラエルの核兵器開発拠点、ディモナで原子炉が本格的に操業を開始したのは1964年のこと。つまりNUMECにおける「核物質紛失」とタイミングが合っている。行方不明になった濃縮ウランがイスラエルに運ばれたと関係者が疑うのは当然だろう。 CIAのカール・ダケットが1968年に作成した秘密報告書の中で、イスラエルはシャピロ経由で入手した濃縮ウランを使い、3ないし4発の核爆弾を製造したと推測されているのだが、シャピロやNUMECが摘発されることはなかった。 NUMECの問題をCIAで担当していたのは防諜部門。1951年から74年までこの部門に君臨していたジェームズ・ジーザス・アングルトンがモサド(イスラエルの情報機関)と親密な関係にあったことは有名だ。 第2次世界大戦中、アングルトンはレジスタンスに参加していたメイア・デシャリトなる人物と親しくしていたが、イスラエル建国後、この人物は同国の情報機関員としてワシントンに派遣されている。メイアの弟、アモスはイスラエルの核兵器開発に参加した物理学者だ。 当時、FBIも捜査に乗り出しているのだが、国務省からの政治的な圧力がかかったこともあり、事件を深く追及することはなかった。1963年にはイスラエルに批判的だったジョン・F・ケネディ大統領が暗殺されたこともあり、事件は闇に葬り去られるかと思われたのだが、1977年にダケットが事実を明らかにしてしまう。そこで、イスラエルは重要な核物質の供給源を失うことになった。 勿論、イスラエルはNUMEC意外からもウランを入手していた。例えば、1968年には西ドイツの小さな化学会社「アスマラ・ケミー」をダミーに使い、200トンの酸化ウラニウムをソシエテ・ジェネラル・ド・ベルジックから購入している。このほか、3600キログラム以上のウランとプルトニウムをアメリカで盗んだという記事をローリング・ストーン誌は1977年12月号に掲載している。その後、イスラエルが南アフリカやペルーに接近した目的のひとつは核関連物資の入手だったと言われている。
2011.10.21
40年以上にわたり、リビアに君臨していたムアンマル・アル・カダフィが殺されたようだ。最後の様子を撮影した映像がインターネット上で流されているのだが、それをみると反カダフィ軍に拘束された直後は生きているようにも見える。残虐な光景だが、それを覚悟で見る価値はある。 この映像のためか、国民評議会のマフムード・ジブリル臨時首相も拘束時に生きていたことを認めている。ただ、交戦時の負傷が原因だとしているようだが。ともかく、新たな火種ができた。 生前、カダフィは最後まで米英仏軍と戦うと宣言していたが、その約束を守った形である。反カダフィ派や米英仏にしてみると、国外へ連れ出せなかった以上、殺すしかなかったのだろう。何しろ、内幕を知りすぎている。
2011.10.21
リビア内戦で米英仏軍が行った空爆では多くの市民が犠牲になっているようだ。8月8日の空爆で85名の市民が殺害されたと政府側は主張、アムネスティー・インターナショナルは空爆による犠牲を調査するように求めている。 反カダフィ軍も暴力的な性格をすでに露呈させている。肌の色が濃い、つまりアフリカ中南部の出身だと思われる人びとを「傭兵」だとして拘束、一部が処刑されているとする情報もある。その大半は労働者だと言われているが、傭兵だとしても暴力的な扱いは許されていない。それともアメリカの真似をして、「敵戦闘員」だから何をしても良いと言うのだろうか? 国連によると反カダフィ軍は約7000人を拉致、劣悪な環境の中、不当に拘束されているのだが、その多くはアフリカ中南部の出身者だと見られている。事実上の「民族浄化」が行われていると言えるだろう。この件に関しては、アムネスティー・インターナショナルも報告書を出している。 今後、放射能の影響が問題になってくる可能性もある。米英仏軍は劣化ウラン弾を使用している疑いも出ているだ。この問題はコラムニストのコリン・ハリナンさん、アメリカのシンクタンク「FPIF」のコン・ハリナンさん、あるいはイギリスの反核活動家、ケイト・ハドソンさんが指摘している。 米英仏軍はリビア市民の犠牲を気にしているようには見えない。市民の犠牲を防ぐなどという目的で軍事介入したわけでないことは明白だ。その理由とは、リビアの石油とアフリカ中南部の資源にほかならない。カダフィ政権は石油と金という資産を使い、中南部を自立させようとしていたのだ。しかも、ロシアや中国に接近していた。 カダフィ政権を倒したことで、米英仏はリビアの石油利権を奪い、アフリカの資源利権を手放さずにすんだと言えるだろうが、今回の内乱で新たな問題も浮上している。内乱の深刻化だ。 まだ親カダフィ派は残っているわけだが、それだけでなく反カダフィ派が内部分裂する可能性が高い。反カダフィ派の内部には、元内務大臣のアブデルファター・ユニス将軍をはじめとする軍からの離反組、ベンガジを拠点とする分離独立派、NCLO(リビア反体制国民会議)/NFSL(リビア救済国民戦線)、そしてLIFGなどが含まれている。いわば、同床異夢の集団。 軍の武器庫から消えた武器/兵器の行方も不安材料だ。親カダフィ派が持ち出した可能性もあるが、アル・カイダのルートで中東/北アフリカの全域に流れているかもしれない。「カダフィ後」に安定した政権ができると考えるのは、あまりにも楽観的すぎる。
2011.10.20
1969年以来、リビアに君臨していたムアンマル・アル・カダフィが殺されたと伝えられている。米英仏を中心とするNATO軍の支援を受けた部隊がカダフィを発見、殺害したようだが、詳細は不明だ。ヒラリー・クリントン米国務長官がリビアを突然訪問、トリポリ大学でカダフィを「早く拘束するか殺害することを望む」と発言した翌日の出来事だった。 リビア内戦は昨年10月に始まった。リビアのノウリ・メスマリ元儀典局長が機密文書を携えてフランスのパリへ亡命、ニコラ・サルコジ仏大統領の側近やフランスの情報機関と接触したのである。 イタリアのジャーナリスト、フランコ・ベキスによると、メスマリは機密文書を携え、家族とともにチュニジアを経由してパリへ降り立った。コンコルド・ラファイエット・ホテルに宿泊したのだが、そこでフランスの情報機関員やニコラ・サルコジ大統領の側近たちと会談した。その翌月にフランス政府は「通商代表団」をベンガジに派遣、その中に紛れ込んでいた情報機関や軍のスタッフがメスマリから紹介されたリビア軍の将校と接触している。その月にフランスとイギリスは相互防衛条約を結んでいる。 しかし、実際の戦闘ではイギリスが主導権を握った。3月には6名のSAS(イギリスの特殊部隊)メンバーとMI6(イギリスの対外情報機関)オフィサー2名がヘリコプターでベンガジの近くに潜入している。この8名は警備の兵士に拘束されたが、その後、ベンガジの港からフリゲート艦「カンバーランド」で帰路についている。ちなみに、サヌーシ教団(王党派)の影響が強い東部はイギリスと関係が深い。 米英仏軍は激しい空爆でカダフィ軍を攻撃していたが、5月31日付のデイリー・メール紙によると、イギリスの特殊部隊SASの隊員が潜入している疑いもある。反カダフィ軍の主力はアル・カイダと緊密な関係にあるLIFG(リビア・イスラム戦闘団)だ。2004年2月には当時のCIA長官、ジョージ・テネットもアルカイダにつながる危険な存在だと上院情報委員会で証言している。 リビアで発見された秘密ファイルによると、2002年から04年にかけてリビアがアメリカの「テロとの戦争」に協力したいたことを示す文書も含まれているのだが、この時期にLIFGのリーダーで反カダフィ軍を指揮しているアブデル・ハキム・ベルハジはCIAから拷問を受けている。 そのほかに少なからぬ傭兵が参加しているようだ。傭兵の中には、コロンビアで「死の部隊」に参加していた人物、カタールやアラブ首長国連邦で雇われた人びと、チュニジアの失業者やカダフィ体制に不満を持っていたリビア人などが含まれているとされている。こうした反カダフィ軍を編成したのは事実上、イギリスだという。 トリポリを攻撃する数週間前から、イギリスの軍や情報機関は反カダフィ軍に対する支援を活発化させている。例えば、TNC(暫定国民評議会)が作成した攻撃プランをMI6のオフィサーが添削して整え、イギリス軍は武器、通信機器、そして精鋭部隊をトリポリに送り込んでいる。攻撃開始の合図はTNCのムスタファ・アブド・アル・ジャリルがテレビで行ったスピーチだったという。 首都攻撃は始まるとすぐ、イギリス軍は5発の精密誘導爆弾をリビア情報機関の基地に落とした。夜にはトルネード戦闘機がトリポリ南西部にある重要な通信施設を破壊している。(続く)
2011.10.20
トルコ軍が空と陸からクルド人の武装勢力を追撃してイラク領内に入ったようだ。クルド側の越境攻撃でトルコ兵24名が死亡したと言うが、これに対する反撃である。 ところで、クルド人はイラク、イラン、トルコ、シリアにまたがって「少数派」として生活してきた。アメリカやイスラエルは2006年の春頃からそのクルド人を抱き込み、イランでの秘密工作に利用している。 パレスチナ問題が原因でトルコとの関係が悪化したイスラエルでは、アビグドル・リーバーマン外相がPKK(クルジスタン労働者党)を使ってトルコを攻撃させると叫んでいるのだが、こうした発言が出てくるほどイスラエルとクルド人は緊密な関係にあるわけだ。 現在、イラクではクルド人の支配地域が明確になっている。南部はシーア派、中部はスンニ派、そして北部はクルド人というように分裂状態なのである。イラクは「分割して統治」されている状況だ。 しかし、それがクルド人国家樹立に直結するというわけではない。石油利権を睨み、クルド人の国を作りたいアメリカ人もいるようだが、イラクだけでなくトルコやイランも関係してくるわけで、簡単に実現できる話ではない。トルコ軍が行った越境攻撃は、そうしたことを示している。
2011.10.19
財政危機の尻ぬぐいを押しつけられようとしているギリシャの庶民が抗議活動を続けている。軍事政権への抵抗運動を経験しているためなのか、かなり激しいものになっている。遅くとも2002年にはギリシャの債務問題が深刻な状況にあることを欧州委員会は気づいている。その原因を作ったのがゴールドマン・サックスだということも認識していた。 秘密裏に多額の資金を借りる手法があるとギリシャ政府に持ちかけ、多額の手数料を稼いだのがこの銀行。その取り引き自体に犯罪性はないようだが、大きな問題を引き起こしたことは事実で、多くの人から非難されている。この問題に触れずにギリシャの財政危機を語ることはできない。危機の根本原因が庶民にあるとするのは論外だ。 複雑な金融取引を考えるゴールドマン・サックスの社員は頭が良いのだろうが、ラ・ロシュフコーの言葉を借りるならば、「頭のいい馬鹿ほどはた迷惑な馬鹿はいない」(二宮フサ訳『ラ・ロシュフコー箴言集』岩波文庫、1989年)ということだ。 こうした金融機関の行動で経済が破壊されたのはギリシャに限らない。アメリカは勿論だが、日本を含む「西側」の国では例外なく庶民が食い物にされている。その根源には規制緩和や私有化の促進、つまり新自由主義経済がある。この経済システムをロシアや中国も導入しているわけで、この両国も無関係とは言えない。 こうした金融取引が盛んになった一因は、富を強者が総取りする経済システムの広がりにある。滞留した資金が投機市場へ流れているのだ。ウォール街で始まった抗議活動に参加している人びとも、そのシステムを批判し、新たな仕組みを作るべきだと主張している。 相場の世界では、最終的に素人が餌食になる。ギリシャもゴールドマン・サックスに食われてしまったわけだが、そうしたカネ儲け以外にこの銀行が何を考えていたのかはわからない。ただ、少なくとも結果としてはギリシャという「トロイの木馬」をEUに送り込んだ形になっている。いわばゴールドマンは攻撃側なわけだが、ウォール街では防御に回っている。巨大金融機関の天下が永遠に続くとは限らない。
2011.10.19
富が「1%」の人間に集中する不公正な政治経済システムに抗議、公正なものに改めるように求める運動がニューヨークのウォール街で始まったのは9月17日のこと。7月13日の呼びかけに応えてのことだった。 権力の中枢はワシントンDCのホワイトハウスでなく、ニューヨークのウォール街だと考えたわけだが、そうした抗議活動に対する警察の暴力的な取り締まりの映像は市民の手で全世界に発信され、新たな怒りを生んでいる。 その7月にニューヨーク市警へCIAからベテランの秘密工作員が派遣され、「副コミッショナー」というポストに就いている。「テロ対策」ということのようで、それまでにもデイビッド・コーエン、ラリー・サンチェスがCIAから「出向」している。なお、ニューヨーク市警は日本の公安委員会と警察が一緒になったような組織で、コミッショナーは公安委員会の委員長に相当する。 コーエンは1995年から97年までCIAで作戦、つまり秘密工作を担当する副長官を務めた大物であり、サンチェスは警察内で秘密スパイ・プログラムを築き上げた。7月に赴任した人物については不明だが、抗議活動に対して何もしないとは考えにくい。何しろCIAはウォール街の代理人たちが作り上げた情報機関だ。 例えば、CIAの前身であるOSSを指揮していたウィリアム・ドノバン、第2次大戦中から破壊工作を指揮していたアレン・ダレス、ダレスの側近で戦後は破壊工作を担当する極秘機関OPCを指揮したフランク・ウィズナーはいずれもウォール街の弁護士。つまり巨大企業の代理人。創設に関わったり幹部になった人物はそうした弁護士やアイビー・リーグと言われるエリート大学の出身者が多い。 CIAが警察組織にネットワークを張り巡らせていると少なからぬ人が信じている。ジョン・F・ケネディ大統領が暗殺されたとき、現場には警官を名乗る怪しい人物が目撃されている。警察の動きにも不可解な点が少なくなかった。 とはいえ、CIAと警察官が対立することもある。例えば、ロサンゼルス市警察の捜査官だったマイケル・ルッパートは現職時代、1977年にCIAの麻薬取引に気づいて捜査を進めたところ、翌年に退職させられている。 1980年代には、ロサンゼルス市警察の麻薬担当グループがアメリカでのコカイン蔓延の背景にCIAのコントラ(ニカラグアの反革命ゲリラ)支援工作がある疑いを強め、特捜隊を編成して捜査を続けたところ、FBIから「所得の申告漏れ」を追及され、特捜隊は解散させられてしまった。 ウォール街で始まった抗議活動は世界的な広がりを見せている。金融/投機だけでなく戦争を批判する動きもあり、FBIやCIAは警戒を強めているはずだ。歴史的にFBIやCIAが最も警戒しているのは反戦/平和運動である。
2011.10.18
ライアム・フォックス英国防大臣が10月14日に辞任したのだが、その理由はイスラエルの情報機関との関係が問題になったからだと伝えられている。イギリスの軍事機密がフォックス経由でイスラエルへ流れていた疑いが浮上したようなのである。 しかし、イスラエルの影響下にある政治家は少なくない。例えばトニー・ブレア元英首相。1994年1月にブレアは妻とイスラエルを訪問しているが、この旅行はイスラエル政府の招待だった。その2カ月後にロンドンのイスラエル大使館でブレアは大富豪のマイケル・レビーを紹介されている。そして5月に労働党のジョン・スミスが心臓発作で急死、その1カ月後にブレアが新党首に選ばれた。 ブレアは労働党の党首でありながら、イギリスへ強者総取りのシステムを導入したマーガレット・サッチャーの後継者だとも言われている人物。レビーという有力なスポンサーを得たブレアは労働組合の資金をあてにする必要がなく、労働者の利益に反する政策を打ち出すことができたのである。それがいわゆる「第三の道」。日本でもどこかの政党が真似をしている。 1980年代にイスラエルとアメリカが対立する場面があった。その時にジョン・タワー上院議員がイスラエルの協力者だということが判明した。1989年にタワーは国防長官の候補になっているが、実現していない。最大に理由はイスラエルとの関係が発覚したことにあるとも言われている。タワーの側近だったロバート・マクファーレンもイスラエルの協力者。アメリカの場合、程度の差はあってもイスラエルと無関係な議員はほとんどいないだろうが、ネオコンと呼ばれている勢力は特に関係が深い。
2011.10.17
イランであろうと、イラクであろうと、イスラム武装勢力は危険な存在である。そうしたこともあり、イラクのサダム・フセイン政権は人権を無視した取り締まりを実施、アル・カイダに関する詳しい情報を持っていた。アメリカに対する「テロ計画」(実際に行われた世界貿易センターとペンタゴンに対する攻撃と同じかどうかは不明)にも気づいていて、アメリカ側に計画の存在を伝えているとするCIAエージェントの証言もある。この警告をアメリカ政府は無視したということだ。 当時、サダム政権はアメリカとの関係修復を願っていた。国連による武器査察やFBIの捜査活動を容認すると表明していたほか、フランスやロシアの企業と同じ条件でアメリカ企業が探査開発を契約できると保証、アメリカ製自動車を購入するなどと約束、アメリカ企業が湾岸戦争の前と同じようにイラク市場へ参入することも認めていたのである。アメリカの旧保守にとって、戦争というリスクを冒すような状況だったとは言えない。 軍事的に考えてもイラク攻撃は無謀であり、少なからぬアメリカ軍の幹部が開戦に反対していた。例えば、イラク侵攻作戦の前にエリック・シンセキ陸軍参謀総長(当時)が議会でラムズフェルドの戦略を批判ている。グレグ・ニューボルド海兵隊中将は2002年10月に統合参謀本部の作戦部長を辞め、後に「イラクが間違いだった理由」というタイトルの文章をタイム誌に寄稿してブッシュ・ジュニア政権を批判している。 その記事が出る直前、アンソニー・ジニー元中央軍司令官もテレビのインタビューで国防長官を批判、さらにポール・イートン少将、ジョン・バチステ少将、チャールズ・スワンナック少将、ジョン・リッグス少将も続いた。 ジェイ・ロックフェラー上院議員も早い段階からイラク攻撃に否定的な意見を述べていたが、その後、ジョージ・H・W・ブッシュ、つまりブッシュ・シニア政権で国務長官を務めたジェームズ・ベーカーはリー・ハミルトン元下院外交委員長と超党派のイラク研究グループを結成、ブッシュ政府の政策を批判している。アメリカ軍の段階的撤退、シリアおよびイランとの対話の開始、パレスチナ問題の考慮なども提唱した。 こうした反対意見はあったが、新保守などの好戦派は偽情報を流しながら戦争に突入、イラクで破壊と殺戮の限りを尽くしてきた。医学雑誌のランセットに発表されたジョンズ・ホプキンズ大学とアル・ムスタンシリヤ大学の共同研究によると、2006年7月までに約65万人が死亡したと推計、またイギリスのORB(オピニオン・リサーチ・ビジネス)が行った調査では、2007年夏までに約100万人が戦争で殺されたという。 しかし、戦争になった以上、戦費を回収するためにも略奪しなければならない。開戦直後に美術品などが盗まれているが、それは個人的な略奪。アメリカ経済の行き詰まりを考えると、石油で大きく儲けるしかない。そこで持ち出されたのがPSA(生産物分与協定)である。形式上、国が石油や天然ガスを所有するのだが、油田開発、生産、販売などは巨大石油企業が行う。つまり、利益は石油会社がいただくという取り決めだ。 当然ながら、この協定は評判が悪い。イラン政府もイラクのシーア派政権に対して協定を結ばないようにアドバイスしたという。この助言もイランが敵視される一因になったという説もある。ある試算によると、1バーレル40ドルだと仮定して、25から40年間にイラクは740億ドルから1940億ドルを失うことになるという。 イラク北部にあるキルクークとシリアのバニアスをつなぐパイプラインがある。イラクとイランが戦争状態になった際、シリアがイランから石油を輸入したことでイラクとの関係が悪化、1982年に石油の輸送が止まったことがある。2003年にアメリカがイラクに軍事侵攻した際に破損、それからは使用されていなかったが、2007年に修復することでイラクとシリアは合意、2010年には新しいパイプラインの建設も決まった。 このパイプラインはクルド族が多く住む地域を通るのだが、一部のクルド族はアメリカやイスラエルから支援を受け、分離独立を目指した武装闘争を続けてきた。クルド族はイラク、イラン、トルコ、シリアにまたがって生活しているのだが、もしこの地域にクルド人の国が誕生したならば、石油の世界で大きな存在になることは間違いない。シリアやイランをアメリカやイスラエルが攻撃したい理由のひとつはここにある。 イラン、イラク、そしてシリアのラディシアへつながるパイプラインの計画もシリアを米英が煙たがる理由のひとつだろう。バクー油田からトルコのジェイハンをつなぐパイプライン(BTC)を建設され、2006年6月から本格稼動しているのだが、イラン・イラク・シリアを結ぶパイプラインはBTCにとって強力なライバルになる。 ちなみに、BTCの権益を握っているのはイギリスのBPを筆頭にして、SOCAR(アゼルバイジャンの国有石油企業)、UNOCAL、STATOIL(ノルウェーの企業)が続く。日本からは国際石油開発帝石(INPEX)が加わっている。 アメリカやイギリスはサウジアラビアや湾岸の独裁産油国をまだコントロール下においているのだが、石油支配の屋台骨が揺らいでいることも否定できない。アフリカの資源利権を脅かしていたリビアのムアンマル・アル・カダフィ政権を倒すことには成功したが、シリア、イラク、イランをコントロールできていない。中国やロシア、さらにラテン・アメリカのベネズエラというライバルも存在している。アフガニスタンから軍隊を撤退させることも簡単ではない。略奪に失敗すれば、体制の転覆、あるいは国家の消滅さえありえる。
2011.10.17
アフガニスタン、イラク、イラン、シリア、リビア・・・南アジアから北アフリカに欠けての地域に戦乱が広がっている。言うまでもなく、そのきっかけを作ったのはアメリカ政府にほかならない。 戦乱によって戦争ビジネスが儲かることは言うまでもないが、イスラム世界の破壊と混乱はイスラエルの戦略にも合致した。そして石油利権。戦争ビジネス、イスラエル、そして石油(資源)が戦争への道を歩ませた大きな原動力だと言えるだろう。 ちなみに、ジョージ・W・ブッシュ政権は、親イスラエル派の「新保守(ネオコン)」が1990年代に公表した提言に添う形で動いている。その中にはサダム・フセインの排除も含まれていた。この提言をした人びとがブッシュ・ジュニア政権の要職に就いていたことを考えると、当然のことなのだが。 勿論、アメリカの支配層も一枚岩ではなく、特にイラクに関しては1980年代からアメリカ内部で激しい対立があった。イラクを湾岸産油国の防波堤と考える勢力とサダム・フセインを排除すべきだと考える勢力だ。 前者はアメリカのエスタブリッシュメントを背景にする「旧保守」だったのに対し、後者はイスラエルの軍事強硬派と深く結びついた新保守。この対立が「イラクゲート事件」を表面化させることになる。 より細かい話をすると、「親イスラエル派」といっても現実世界でイスラエルと結びついている新保守に対し、宗教的な考え、つまりハルマゲドンでの最終戦争を望んでいるキリスト教系カルト(原理主義者、あるいは聖書根本派とも呼ばれている)とは最終的な目的が違う。イスラエル国内では、ボリス・エリツィン政権の崩壊で国外へ脱出したロシアの大富豪や旧ソ連圏からの移民が暴走、イスラエルの世界的な孤立を招いている。 少なくとも20世紀が終わるまで、アメリカ支配層の主流派は「旧保守」だった。その構図がある出来事を切っ掛けにして壊れ、「新保守」が主導権を握ることになる。その出来事が起こったのは2001年9月11日。ニューヨークの世界貿易センターにそびえ立っていた超高層ビルに航空機が突入、国防総省の本部も攻撃されるという出来事が起こったのである。 ジョージ・W・ブッシュ政権は調査もせず、すぐに「アル・カイダ」を実行犯だと断定し、そのアル・カイダを匿っているとしてアフガニスタンに先制攻撃を仕掛けたのだ。アメリカ国内では憲法が機能を停止、ファシズム化が進んだ。 それはともかく、このアフガニスタン攻撃は石油資本にとっても悪い話ではなかったはずである。1991年にソ連が消滅したあと、欧米の巨大石油企業はカスピ海周辺の石油利権を手に入れる計画だったのだが、途中で思惑通りに進まなくなったのだ。 その計画とは石油を運ぶパイプラインの建設。ロシアやイランを避けるため、アフガニスタンを通るルートが考えられていたのだ。アメリカの石油会社、UNOCALが考えたのはアフガニスタンを経由し、トルクメニスタンとパキスタンとを結ぶというもの。 ところが、このパイプライン建設でタリバン政権はアルゼンチンのブリダスを選んでしまう。1996年のことだ。この合意があった翌月、パキスタンの外務大臣がカブールを訪問してUNOCALの要求を飲むように求めるが、アフガニスタン側からは明確な返答がなかったという。 ブッシュ・ジュニアが大統領に就任した年に引き起こされた世界貿易センターとペンタゴンへの攻撃はアフガニスタン攻撃を正当化する恰好な口実になった。そして新保守/イスラエルが望んでいたイラク攻撃へ突き進むことになる。(続く)
2011.10.17
10月15日午後2時半頃、ニューヨークのラ・ガーディア・プレイスにあるシティバンクの支店で24名が逮捕されるという出来事があった。ウォール街では、一部の人間が富を独占する不公正な政治経済システムに抗議する活動が続いている。 その抗議活動に参加していた約20名が自分の銀行口座を解約しようと支店に訪れたところ、銀行側から立ち去るように求められたという。銀行側の主張によると、立ち去ろうとしなかったので警察を呼んだというのだが、抗議活動に参加している人びとによると、立ち去ろうとしたら警備員に立ち去ることを拒否され、逮捕されたのだという。その際、全く関係のない顧客も逮捕されている。 銀行側の声明によると、警察に逮捕を依頼していないとしている。逮捕は警察側の判断だということだ。確かに、銀行の責任者に少しでも思考能力があるなら、顧客の逮捕が何をもたらすかは推測できる。この問題は銀行に大きなダメージを与える可能性を秘めている。タイム誌の行った調査では、ウォール街での抗議活動に肯定的な人は54%、否定的な人は23%。つまり、この問題が取り付け騒ぎの切っ掛けにならないとは限らないということだ。 この運動は全米の各地に広がり、今では世界的な運動になりつつある。そうした中、イタリアのローマでは約10万人がデモに参加したようだが、そのうち覆面をした数百名が投石や自動車への放火など暴力的な行為に走ったと伝えられている。抗議活動が乗っ取られたと言う人もいる。 こうした暴力的な集団がイタリアに現れたことは興味深い。支配層にとって都合の悪い状況になると、こうした集団がイタリアでは現れるのである。 アメリカとイギリスの情報機関/破壊工作部隊は第2次世界大戦後、NATO加盟国に秘密部隊を創設している。ソ連軍に占領されたときにレジスタンスを行う残置部隊だとも言われているが、実際のところは米英の支配層にとって都合の悪い人物や組織を潰すことにあった。中でも活発に活動していたのがイタリアのグラディオだ。(詳しくは拙著『テロ帝国アメリカは21世紀に耐えられない』を参照) グラディオを実際に指揮していたのはイタリアの情報機関。左翼過激派を装って爆破事件を起こして社会的な緊張を高め、治安対策の必要性を国民に信じ込ませる「緊張戦略」を実行していく。1969年4月にパドゥア大学とミラノの産業フェアで、同じ年の12月にはミラノのフォンタナ広場にある国立農業銀行を爆破、その後1980年8月にボローニャ駅を爆破するまで作戦は続いた。 こうした極秘作戦が発覚する切っ掛けを作ったのは森で遊んでいた子ども。1972年2月にイタリア北東部の森で子どもが偶然、秘密の武器庫を発見したのである。その1週間後にはカラビニエッリと呼ばれる準軍事警察の捜査官が近くで別の武器庫を見つけているのだが、そこにはC4と呼ばれるプラスチック爆弾もあった。 武器庫が発見された翌月、カラビニエッリの捜査官3名が捜査中に爆死している。その2日後に匿名の電話が警察にあり、「赤い旅団の犯行だ」と告げたのだが、この「過激派」はアメリカとイタリアの情報機関に乗っ取られていた可能性が高いと今では考えられている。 赤い旅団が設立されたのは1969年のこと。トレント大学の学生が作った左翼グループで、当初は比較的穏健で理想主義的な集団だった。そうした体質が大きく変化したのが1974年。創設メンバーのレナト・クルチオとアルベルト・フランチェスキーニが逮捕され、ふたりに替わってマリオ・モレッティが組織を率いるようになってからだ。テロリズムに系統していったのである。 1978年3月、赤い旅団を有名にした事件が起こった。5名の護衛を伴い、自動車で移動中のアルド・モロ元首相を6名のグループが襲撃して誘拐、殺害したのである。襲撃の際に発砲したのは2名で、いずれもサブ・マシンガンを使用していた。ひとりは49発、もうひとりは22発を発射している。 襲撃グループは5名の護衛全員を射殺しているが、ターゲットのモロは無傷のまま連れ去っている。犯人グループにも負傷者は出ていない。襲撃計画は完璧で、特殊部隊を彷彿とさせる手口だった。学生にできることではない。 グラディオの存在が公的に認められたのは1990年10月のこと。ジュリオ・アンドレオッチ首相が「いわゆる『パラレルSID』グラディオ事件」というタイトルの報告書を公表したのである。湾岸戦争もあり、日本ではほとんど知られていないようだが、大変の事実が明らかになっていたのだ。ちなみにSIDとは国防情報局のことで、SISMIの前身である。その後、ギリシア、オランダ、ルクセンブルグ、ノルウェー、トルコ、スペインなどで政府の要職に就いていた人びとが「NATOの秘密部隊」が存在したことを認めている。なお、緊張戦略に参加していたと言われている人物がひとり、日本に「亡命」している。
2011.10.16
ウォール街で始まった抗議活動はアメリカだけでなく西ヨーロッパ諸国へも広がりつつあるが、その底流には不公正な政治経済システムに対する怒りが存在している。「格差」自体に反対しているのではなく、そうした格差を作り出している不公正な仕組みを変えろと要求しているのである。体制の存在を前提にした要求ではなく、体制を作り替えろと主張しているのだ。 福島第一原発の事故でもそうだったが、日本のマスコミは人為的な出来事をあたかも自然現象であるかのように表現する。自然が相手ならその原因を考える必要はなく、権力者と対峙する必要もないからだろう。が、政治経済システムは人間が作り上げたものである。 現在、欧米に広がっている運動が問題にしている不公正な政治経済システムを太平洋全域に定着させることになるのがTPP(環太平洋連携協定)だ。欧米の抗議活動が何を主張しているのかを掘り下げていくと、TPPを批判することにもなってしまう。日本では、政府、大企業、マスコミが必死にTPPを導入しようとしているが、この構図は原子力の場合とよく似ている。福島第一原発の事故を経験した後も、日本の政府、大企業、マスコミは何も反省していないということだ。
2011.10.16
テレビ、新聞、雑誌・・・いわゆる報道機関が触れようとしない領域は原子力だけではない。政治、経済、外交、軍事、情報・・・あらゆる分野にタブーはある。映画の「マトリックス」では人間の後頭部にコードがつながれていたが、現実の世界では教育と報道が重要な役割を果たしている。 ニューヨークのウォール街で始まった強者総取りの経済システムに対する抗議活動も大手メディアは無視し続けていた。そうした活動を伝えたのは抗議活動に参加していた人びと自身であり、素早く反応したのはロシアのメディアだった。警官隊による暴力行為を撮影して世界に発信したのも彼ら自身だ。 アメリカにとって都合の悪い支配者の「人権侵害」には敏感に反応し、激しく攻撃するアメリカの政府や大手メディアだが、バーレーンなどの友好国だけでなく、自国での暴力的な弾圧は容認してきた。 しかし、多くの市民がウォール街での抗議活動を支持していることを知ると、慌てて抗議活動を取り上げるようになった。が、過去は消せない。 アメリカの大手メディア、そしてアメリカの報道を追いかけている日本のマスコミが積極的に取り上げてきた出来事には、シリアやリビアでの「抗議活動」も含まれている。が、こうした国々で行われている「抗議」の背後にアメリカ、イギリス、フランスなどの工作があることは本ブログでも何度か取り上げてきた。 特に、リビアの場合は大きな問題がいくつもある。 リビアが民主的な国でないことは事実だろうが、その国が内乱にいたる過程には元政府高官やフランス、イギリス、アメリカが深く関与している。本ブログでは何度も書いているので繰り返さないが、こうした事実は、少なくとも日本では、無視されている。 リビアのムアンマル・アル・カダフィ政権がアフリカ中南部の自立を支援していたことも伝えられていない。そうした地域の地下には貴重な資源があり、自立されると米英仏の支配層にとっては大きなダメージになるわけだ。勿論、リビア自体の石油利権も米英仏軍が軍事介入した動機になっている。 米英仏軍は空爆で多くの市民を殺傷しているが、そうした軍隊を後ろ盾にしている反カダフィ軍も市民を殺害、略奪も行っていると伝えられ、反カダフィ軍は拘束した人びとを拷問、一部は処刑されているとも言われている。国連によると約7000人が劣悪な環境の中、不当に拘束されているという。 特に肌の色が濃い、つまりアフリカ中南部の出身だと思われる人びとを手当たり次第に拉致しているようだ。その多くは通常の労働者で、事実上の「民族浄化」が行われていると言えるだろう。この件に関しては、アムネスティー・インターナショナルも報告書を出している。 反カダフィ軍の主力がアル・カイダと緊密な関係にある武装勢力だということも日本では無視されているようだ。その武装勢力とはLIFG(リビア・イスラム戦闘団)。英仏米は状況次第でアル・カイダを支援するということ。「テロとの戦争」もインチキということだ。この重大な話を日本のマスコミは気にしていない。 カダフィ体制が崩壊した後、武器庫からさまざまな兵器が運び出されて中東/北アフリカの全域に流れたとも言われている。そうした横流しにアル・カイダのネットワークが関与していた可能性は小さくない。 もっとも、メディアは昔からプロパガンダ機関だった。アメリカの場合、第2次世界大戦が終わって間もない1948年には組織的な情報支配プロジェクトが始まっている。 ジャーナリストのデボラ・デイビスによると、その中心人物は4名。大戦中に破壊活動を指揮していたアレン・ダレス(後のCIA長官)、その腹心では破壊工作機関OPCを指揮していたフランク・ウィズナー、やはりダレスの側近で後にCIA長官に就任するリチャード・ヘルムズ、そしてワシントン・ポスト紙の社主だったフィリップ・グラハムである。 ちなみに、ダレスとウィズナーはウォール街の弁護士、ヘルムズは元記者だが、その祖父は有名な投機家。グラハムの義理の父、ユージン・メーヤーは金融界の大物である。ワシントン・ポスト紙が「有力紙」に成長した理由は、このコネクションにあるとも言われている。ウォーターゲート事件で有名になったキャサリン・グラハムはフィリップの妻、つまりメーヤーの娘である。 そのウォール街で抗議活動が始まり、その波はヨーロッパにも波及している。ティー・パーティーが「大きな政府」を攻撃し、事実上、大企業、金融機関、投機集団を支援しているのに対し、ウォール街で始まった抗議活動は金融機関/投機集団を激しく批判している。
2011.10.15
イラン政府が駐米サウジアラビア大使を暗殺しようとしたという話を、どうやら、ホワイトハウスや司法省の高官たちは信じていなかったようである。ワシントン・ポスト紙のコラムニストでCIAと緊密な関係にあるというデイビッド・イグナチウスによると、そうした判断を覆させたのがネオコンに近いと言われているデイビッド・ペトレイアスCIA長官だという。言うまでもなく、ペトレイアスはかつて中央軍の司令官を務めていた軍人である。 FBIの示している筋書きによると、イラン系アメリカ人で中古車のセールスマンをしているマンソール・アルバブシアとコドスの隊員だというゴラム・シャクリが暗殺の依頼をした相手はメキシコの麻薬業者。この人物はDEA(麻薬取締局)の「情報屋」で、CS-1と呼ばれている。アルバブシアは痕跡が残る形で約10万ドルをある銀行口座に送金、しかも麻薬業者に暗殺の依頼主についても説明している。 ところで、メキシコの場合、麻薬業者と政府は表裏一体の関係にある。1980年代までのメキシコは麻薬業者に支配された国だとも言われていた。 形式上、麻薬取引を取り締まる政府機関はメキシコにもある。1947年にはFBIの協力でDFS(連邦安全保障局)が創設されているのだが、その直後からFDSは麻薬業者との関係を深めていく。麻薬業者はDFSに守られ、DFSはCIAに守られているという構図ができあがったのである。 1981年にミゲル・ナサル・ハロDFS長官がサンディエゴで起訴されている。盗難車を密輸した容疑だったが、この起訴にCIAとFBIが介入し、ローウェル・ジェンセン司法次官が司法手続きを中止させてしまう。こうした介入の事実を明らかにしたサンディエゴの検事、ウイリアム・ケネディはその直後に解雇された。 1985年にはDEAの捜査官がメキシコで殺され、CIAとDFSが麻薬業者の幹部を保護している事実が浮かび上がり、DFSは消滅したのだが、カルロス・サリナス政権ではDFS出身のフェルナンド・バリオスが内務大臣に選ばれている。要するに、メキシコの麻薬業者の背後にはCIAの影がチラチラするのだ。 それはともかく、イラン政府がサウジアラビア大使を暗殺しようとしたとする出来の悪いシナリオをホワイトハウスや司法省が信じるようになったのは、CIAやほかの情報機関が集めた情報のせいらしい。その情報がCS-1の話と符合しているというわけなのだが、その情報も相当や悪しいと言われている。 どれほど怪し気な話でも、今回の起訴によってアメリカとイランとの関係は悪化する可能性が高い。この両国の関係を悪くすることを願う第三国が暗殺話の仕掛け人だという見方もある。候補国はサウジアラビアとイスラエルだろう。アフバブシアが二重スパイだという可能性も指摘されている。この事件は思いもかけない展開になるかもしれない。
2011.10.14
サウジアラビアの駐米大使をイランの特殊部隊が暗殺しようとしたとアメリカ司法省は主張、バラク・オバマ政権は世界に対して「反イラン」で団結するように呼びかけた。サウジアラビアが報復を宣言、民主化運動に対する暴力的な弾圧が問題になっている湾岸独裁産油国のバーレーン、あるいはイギリス政府もイランを批判している。 しかし、起訴が発表された直後からアメリカ側のストーリーに対する疑問が相次いでいる。直接的な証拠がないうえにシナリオが不自然だとなれば、当然のことであり、こうした指摘が出てこない方が不思議だ。例えば、ガーディアン紙は疑問点を列挙、クリスチャン・サイエンス・モニター誌は捜査当局の筋書きに疑問を呈している。 米司法省のシナリオはリスクとメリットのバランスがとれていないうえ、麻薬業者という「暗殺の素人」に仕事を依頼するのも説得力に欠ける。イランの特殊部隊に限らず、暗殺のような工作は何らかの組織や人物を介在させ、失敗したときに自分たちが指弾されないように細心の注意を払うものだ。 例えば、1985年にイスラエルの情報機関が「アキレ・ラウロ号事件」を仕組んだときには、「パレスチナ人過激派」が使われた。 イスラエル国防軍の情報機関ERD(対外関係局)に所属、機密情報に触れる立場にいたアリ・ベンメナシェによると、実行グループを動かすまでに何段階かの手順を踏んでいる。 アキレ・ラウロ号をハイジャックしたグループを指揮していたのはアブル・アッバスという人物だが、この人物に資金と命令を出していたのはシチリア島のドンを装ったイスラエルの情報機関員。アッバスはマハメド・ラディ・アブドゥラなる人物のコネクションに含まれていたのだが、このラディはイスラエルのコントロール下にあった。 ラディは元々ヨルダンの軍人。1970年の内戦でヨルダン軍が約5000名のパレスチナ人兵士を虐殺したことに反発して国を離れ、イギリスへ移住している。そこで一緒にビジネスをはじめた相手がアンソニー・ピアソン。このピアソンはイギリスの特殊部隊SASの元将校で、イスラエルに情報を提供していた。 一方、ラディは武器をアブ・ニダルなど武装勢力へ売っていたのだが、そうした取り引きで得た情報をピアソンはモサド(イスラエルの情報機関)へ伝え、その情報に基づいてイスラエルはパレスチナ人を殺している。その結果、「ラディはイスラエルに協力している」という話が広まり、信用を失ったラディの生活は破綻する。そうした窮状を利用してイスラエルはラディを支配下に置いていたのである。 イランの特殊部隊「コドス」が暗殺工作を実行するにしても、それなりの手順を踏むと考えるのが自然であり、実際にそうしたことが行われていると言われている。 FBIの文書を見ると、イラン系アメリカ人のマンソール・アルバブシアとコドスの隊員だというゴラム・シャクリはメキシコの麻薬業者でDEA(麻薬取締局)の協力者であるCS-1と接触して暗殺を依頼、そしてシャクリの許可を得た上でアルバブシアは約10万ドルをアメリカのある銀行口座に送金したという。 なお、このCS-1は麻薬に絡んで起訴されていた人物だが、当局へ協力することの見返りとして起訴は取り下げられ、情報提供者として雇われている。こうした経歴から信頼性に欠けるとも指摘されている。 今後、この事件がどのように展開するかは不明だが、「羊頭狗肉」と言うことになる可能性は小さくない。事件の実態が明らかになる前にイランを攻撃したならば、アメリカの崩壊を早めることになるだけだ。
2011.10.13
アメリカ司法省は10月11日、イランのコドス部隊(イスラム革命防衛隊の特殊部隊)に所属する男性とイラン系アメリカ人男性の2名を起訴したと発表した。サウジアラビアの駐米大使を暗殺しようとしたという容疑だが、この起訴にはふたつの問題がある。 第1の問題は、アメリカ政府がイエメンやパキスタンで暗殺を実行していることにある。9月30日にはイエメンにいたアメリカ国籍を持つアンワール・アル・アウラキを無人機のミサイルで暗殺、5月1日にはオサマ・ビン・ラディンをパキスタンでSEALチーム6(米海軍の特殊部隊)が暗殺したとされている。 ビン・ラディンはすでに死んでいたという説があるのだが、アメリカ政府がパキスタン政府の協力をえないでパキスタンに潜伏していた人物を殺したと認めている事実は重い。 こうした暗殺を正当だとしているのがアメリカ政府。ほかの国の政府が自分たちにとって「危険人物」だと判断したターゲットをほかの国、例えばアメリカで暗殺することをとやかく言えないはずだという指摘があるのだが、その通りだろう。 第2の問題は、アメリカ司法省の筋書き自体に対する疑問である。コドス部隊の隊員とメキシコの麻薬組織「ロス・セタス」が数トンのアヘンを中東からメキシコへ密輸する件で話し合っていた際、イラン側は150万ドルで麻薬カルテルの殺し屋を雇うと言い出したというのである。目的はサウジアラビアの駐米大使を暗殺すること。 ところが、コドス部隊の隊員が話していた相手はアメリカのDEA(麻薬取締局)に協力していた人物で、最初からアメリカ当局の監視下で話し合いは進んでいたという。しかも、報酬の前金を麻薬組織側の銀行口座に送金する際、電信という証拠が残る方法を使っている。しかも送金元がコドス部隊の口座だということをどのようにして特定したのか、と疑問を呈する人もいる。つまり、怪し気な話なのである。 アメリカ政府は国内問題から国民の目をそらせる目的で起訴したという説もあるが、パレスチナ問題に注目する人もいる。パレスチナ自治政府は9月23日に国連への加盟を申請、アメリカとイスラエルはこの問題で孤立、アメリカ政府が苦しい状況にあることは間違いない。そこで、イラン攻撃という切り札を出してきたという見方もできる。 長年、イランを攻撃しろと叫んできたネオコン(親イスラエル派)、イスラエル・ロビーにとって、今回の「暗殺未遂事件」は願ってもない出来事なのかもしれないが、その信頼度はイラクの「大量破壊兵器話」なみ。今回の起訴を「でっち上げ」だと言っているのは、イラン政府だけではない。
2011.10.12
アメリカでは「強者総取り」という「剥き出しの資本主義」に対する抗議運動が広がっているのだが、その内容にも変化が見られる。金融機関/投機集団が富を独占するシステムに対する批判だけでなく、戦争ビジネスという収奪システムにも矛先が向けられ、ここにきて「強欲な経営者」に対する抗議も始まった。 金融/投機や戦争のほかにも富を収奪する仕組みはある。例えば原子力。核兵器という軍事的な思惑はあるが、そうした背景を利用して支配層はカネ儲けしてきた。福島第一原子力発電所で深刻な事故が起こってからドイツやイタリアでは明確に「脱原発」の方向へ動いている。原子力発電の依存度が高いフランスでさえ、原発に批判的な声が高まっている。 こうした中、日本政府は原発にしがみついているわけだが、似たような姿勢を見せているのがアメリカ、イギリス、あるいはロシアといったところだろう。いずれも石油を戦略の基盤に据えている国だ。 アメリカやイギリスが中東/北アフリカで民主化の流れ、民族主義的な動きを暴力的に潰し、独裁者を擁護してきた大きな理由のひとつは石油にある。原子力と石油を対立させる議論は根本的に間違っていると言わざるをえない。原子力/石油利権派の術中にはまっている。 9月にはイギリスの原子力規制局はマイク・ウェイトマン主任検査官の報告書を発表、原発に「基本的な安全上の弱点はない」とした上で、原発を推進するべきだと強調している。福島原発の事故で原発の安全性に疑問を持つ人が増えているが、小手先の改善で安全性を確保できるというのだ。 日本では原発事故を引き起こした人びと、つまり原子力政策を推進してきた歴代の政治家、官僚、電力会社幹部、原発の建設や運転にかかわってきた巨大企業の重役、原子力推進のプロパガンダを担当してきた学者やマスコミなどは責任をとろうとしていない。 こうした人びとは、福島第一原発の事故後も原子力の利権システムを守ることのみに熱心で、国民の被曝には無頓着である。1979年にアメリカのスリーマイル島原発で事故があった際には被害の相当部分を隠すことに一応、成功しているのだが、1986年にソ連のチェルノブイリ原発(現在はウクライナ)で起こった事故では、被害を隠しきれなくなっている。それほど深刻な事態だということだ。 例えば、ロシア科学アカデミー評議員のアレクセイ・V・ヤブロコフ氏たちのグループがまとめた報告書『チェルノブイリ:大災害の人や環境に対する重大な影響』では事故が原因で死んだり生まれられなかった人や胎児は98万人に達するとしている。 日本の経営者や官僚は組織の影に隠れて責任を回避してきた。そうした行為を容認してきたマスコミの記者/編集者も「匿名記事」で逃げている。体面上、体制を批判しなければならない場合、マスコミは社員でなく、外部の人間を使うことが多い。問題が起こったら使い捨てにできるからだ。 原子力に限らず、富を独占する仕組みは社会の利益に反する。放射能汚染がなくても、貧困が深刻化して経済活動は破綻することは避けられない。アメリカでは石油や天然ガスの採掘やパイプラインの建設で100万人の雇用が新たに生まれるとする宣伝が流されているが、「強者総取り」の仕組みを変えない限り、貧困化の促進と環境破壊がもたらされるだけだ。 19世紀以来、イギリスをはじめとする資本主義国は経済活動の行き詰まりを侵略と略奪で乗り越えてきたが、今の世の中で同じことを繰り返すことはできないだろう。本ブログでは何度か書いたように、リビアのムアンマル・アル・カダフィ政権を倒した理由のひとつはアフリカの資源利権にあるのだが、それでイギリス、フランス、アメリカが復活するとは思えない。 ところが、日本にも侵略で何とかしたいと思っている人はいるらしい。琉球処分から台湾、朝鮮半島、中国を次々に侵略していった過去を反省しないのも、「夢よもう一度」と思っているからだろう。豊臣秀吉の朝鮮半島侵略、東アジア支配計画を肯定的に考えている人が少なくないことを見ても、侵略志向が消えたとは思えない。
2011.10.12
権力者は情報が漏れることを極度に恐れる。悪事がばれてしまうからだ。民主主義を実現するためには情報の公開が絶対条件だということでもある。情報を公開せず、ばれそうになったら廃棄してしまう日本の官僚機構は反民主主義的であり、そうした仕組みを支持しいてきたマスコミも同じだ。 情報の独占は権力を支える大きな柱なわけだが、その柱を揺るがしたのが内部告発支援サイトのWikiLeaksである。そのWikiLeaksを攻撃する一環として、サイトでボランティアをしているジェイコブ・アップルバウムに目をつけた。法を犯したわけではないが、アメリカ政府はアップルバウムのEメイルに関する情報をプロバイダーに提出させるため、裁判所命令を出させたのである。提出命令を受けたのはGoogleとSonic.net。Sonicは命令にあくまでも抵抗するとしている。 今後、このケースがどのような展開になるのかは明確でないが、過去を振り返ると、支配層による国民監視にコンピュータ関連企業は協力してきた。 例えば、大手のコンピュータ・ソフト会社がインターネット関連のソフトウェアのセキュリティ・レベルを下げていることは有名な話であり、1998年にはマイクロソフトのOS(オペレーティング・システム)から2種類の「合い鍵」が見つかっている。 合い鍵のひとつはマイクロソフトが作業に使う合法的なもので「KEY」と名づけられていたが、もうひとつは「NSAKEY」となっていた。素直に読むと、「NSA(国家安全保障庁)の鍵」だ。 その後、Windows2000の中に3種類の鍵が発見されている。第1の鍵はマイクロソフト用。第2のカギはアメリカ政府の「合法的合い鍵」だとしても、第3のカギは説明不能だ。もっとも、マイクロソフト側はこうした疑惑を一切否定しているが。 こうした工作だけでなく、アメリカの情報機関や捜査機関はインターネット上を飛び交う個人情報を監視していると言われている。アメリカとイギリスの電子情報機関、つまりNSAとGCHQ(政府通信本部)が中心になって組織したUKUSA(ユクザ)は地球規模で通信を傍受するシステムECHELONを開発した。 1980年代には司法省が民間企業の開発した監視システムPROMISを奪い、国民監視に使い始めている。このシステムにトラップ・ドアを仕込んだバージョンを世界中に売り、各国政府機関や国際機関の機密情報を自動的に入手するというプロジェクトも実行されていた。 このPROMISを日本の法務総合研究所も注目し、1979年3月と1980年3月の2度、システムに関する概説資料と研究報告の翻訳を『研究部資料』として公表している。この当時、駐米日本大使館に一等書記官として勤務していたのが原田明夫であり、システムを開発した会社と実際に接触していたのは敷田稔だった。 また、国防総省のDARPA(国防高等研究計画局)はTIA(総合情報認識)なるプロジェクトをスタートさせている。その目的は、個人の学歴、銀行口座の内容、ATMの利用記録、投薬記録、運転免許証のデータ、航空券の購入記録、住宅ローンの支払い内容、電子メールに関する記録、インターネットでアクセスしたサイトに関する記録、クレジット・カードのデータなどあらゆるデータの収集と分析にあった。プロジェクトを請け負ったのは巨大軍需産業、ロッキード・マーチンだったという。勿論、こうしたデータの中には電力の使用量なども入ってくるだろう。 このプロジェクトが発覚した後、MATRIXと名付けられた監視システムの存在が報じられている。このシステムを開発、運用していた企業はフロリダ州を拠点とするシーズント社で、同州知事でジョージ・W・ブッシュ大統領の弟、ジェブ・ブッシュも重要な役割を演じたとされている。 こうした監視システムは、支配体制にとって都合の悪い人や団体をターゲットにする。反体制派、人権活動家、学生運動指導者、少数派、労働運動指導者、あるいは政敵などだが、特に厳しく監視されるのは反戦/平和運動だ。
2011.10.11
2月11日にオマール・スレイマン副大統領がホスニー・ムバラク大統領の辞任を発表したが、その後もエジプトでは民主化が進展していない。選挙が行われるまでの半年間、エジプト軍最高評議会が実験を握るとされたが、半年を過ぎても非常事態法は続いている。 そうした中、9月30日には数千人がエジプトで抗議のデモを行っている。デモ参加者の中にはアメリカの俳優、ショーン・ペンも含まれていた。「ムバラクなきムバラク体制」に対する怒りが高まっていることを感じてか、アメリカのレオン・パネッタ国防長官も非常事態法を止めるようにと発言している。 アメリカ政府にとって、ムバラクの退陣はムバラクなきムバラク体制を築くために必要なステップだったはずだ。何しろ、2008年8月にイスラエルのエーウド・バラク国防相の一行がエジプトを訪問した際、ムバラクは呂律が回らない状態で、老け込み具合に驚いたという。つまり、御役御免ということ。 そのときにエジプト側で応対した人物がオマール・スレイマン。情報機関EGIS(エジプト総合情報局)の長官を務めてきた人物で、拷問の責任者でもある。イスラエルはこのスレイマンを高く評価、「ムバラクの後継者」と見なすようになった。イスラエルの国防省とエジプトのEGISはホットラインで結ばれ、毎日連絡を取り合っていたという。 1980年代にスレイマンはアメリカで特殊部隊の訓練を受け、1993年にEGIS長官に就任、その2年後にはアメリカが秘密裏に拘束した人物をエジプトで尋問/拷問することに合意している。当然、CIAとは友好的な関係にあった。 日本のマスコミもスレイマンを「善玉」として描いていたが、エジプト国民には拒否されてしまう。そしてエジプト軍最高評議会が表に出てくるわけだ。反ムバラクの抗議活動が続く中、軍は武力の行使に慎重な姿勢を見せていたが、その理由はビジネスと関係がある。 1960年代から70年代にかけてイスラエルとの対立が原因でエジプト軍が巨大化していくが、イスラエルと平和条約を結んだ後、軍隊は縮小に向かうことになる。退役した兵士の失業対策を考え、経済活動に取り組むようになったという。 そうしたビジネスの中に観光産業も含まれている。例えば、風光明媚な海岸線は軍が支配していたことから開発業者と手を組み、その海岸線をビジネスに使っている。結局、経済活動の5から40%を軍が支配していると推測されている。 だからこそ、街中から抗議活動を収束させ、観光客を呼び込む準備を早く終えようとしたわけだ。これまでは思惑通りに展開してきたのかもしれないが、軍部はエジプトを民主化するつもりもなければ、労働者の権利など認めるつもりもないだろう。 WikiLeaksが公開した文書によると、アメリカ政府は「4月6日運動」とも2008年には接触している。エジプトで大きな影響力を持っているムスリム同胞団は歴史的にイギリスと関係が深い。アメリカやイギリスはこうした勢力と協力しながらエジプトをコントロールするつもりかもしれないが、庶民が計算通りに動くとは限らない。 10月9日にはカイロのタハリール広場などでコプト教徒(キリスト教の一派)らのデモ隊が治安部隊と衝突して24名以上が死亡したと報道されている。 コプト教徒が暴力的な行動に出ることは治安機関にとっては悪くない流れだと言える。「暴徒」というイメージが広まれば、暴力的に鎮圧しやすくなるからだ。コプト教徒側は、デモ隊の中に見知らぬ人物が混じっていたと主張している。 しかし、すでに治安部隊の暴力行為、例えばデモ隊に車両が突っ込むという映像も流れているわけで、当局の思惑通りに進むとは言えない。イスラム教徒とキリスト教徒の対立が民主化運動を分断する可能性もあるが、それで民主化の流れが止まるとは思えない。
2011.10.10
10月8日、ワシントンDCの国立航空宇宙博物館にデモ隊が押しかけた。中東/北アフリカで市民を殺害し続けている無人機を展示していることに対する抗議が目的だったというのだが、警備員が催涙スプレーを使うなどして、ちょっとした騒ぎになっている。 その際、博物館の内部へ先頭を切って入り込み、スプレーをかけられたひとりがアメリカン・スペクテイターという雑誌のパトリック・ハウレー。このときの出来事を雑誌に書いているのだが、注目されている理由は雑誌の体質にある。 この雑誌は「保守系」に分類されているが、そのスポンサーはリチャード・メロン・スケイフ。日本では語れることがほとんどないようだが、情報機関と緊密な関係にある大富豪で、ロナルド・レーガン政権を支えたヘリテージ財団に対する最大のスポンサーとしても(日本以外では)知られている。ビル・クリントン大統領を攻撃した「アーカンソー・プロジェクト」の資金源でもある。 このプロジェクトではクリントンを陥れるために検察側は偽証工作も行ったが、これはインターネット・マガジンの「サロン」が暴露している。(この事実が日本で報道されたという話は寡聞にして聞かない) この工作にはアメリカン・スペクテイターも参加している。ポーラ・ジョーンズに対してクリントン大統領がセクシャル・ハラスメントを行ったという話を掲載したのだ。シカゴの富豪でニュート・ギングリッチ下院議長(当時)のスポンサーだったピーター・スミスが持ち込んだ情報に基づいてデイビッド・ブロックが書いているのだが、後にブロックはエスクワイアーという雑誌に「記事は間違い、あるいは誇張されていた」と謝罪する文章を書くことになる。 セクハラを訴えたジョーンズには3名の弁護士がついたのだが、そのひとり、リチャード・ポーターはジョージ・H・W・ブッシュ政権で副大統領を務めたダン・クエールの側近だった人物で、特別検察官のケネス・スターと同じカークランド・アンド・エリス法律事務所に所属してした。このスターは4年間に4000万ドルをつぎ込んでクリントン大統領を調査したが、起訴につながるような証拠は出てこなかった。1997年にスターはカリフォルニアのペパダイン大学法学部の部長に就任すると発表しているが、この大学のスポンサーとしてスケイフの名前がある。 10月8日の事件にハウレーがどのようにかかわっているのかは不明だが、一般論として言えば、体制にとって好ましくない運動を潰すためにエージェントを潜り込ませ、暴力的な方向へ向かわせようとすることは少なくない。
2011.10.09
アメリカの都市部に住む庶民は反民主主義的な支配システムに抗議を始めているが、政治の世界では神憑った人物が目につく。来年の大統領選挙を目指して活動している共和党のミット・ロムニー元マサチューセッツ州知事もそうしたひとりだ。 10月6日の演説でロムニーは、海軍と空軍を再構築し、軍事力を増強すべきだと訴えているのだが、そうした主張は世界をアメリカが支配するべきだという信念、いや信仰に基づいている。 ロムニーは末日聖徒イエス・キリスト教会(モルモン教)の信者であり、フランスで布教活動していたこともある。そうした経歴を考えれば神憑っていても不思議ではないのだが、こうした人物が有力な大統領候補になっているということは恐ろしい。 ロムニーによると、21世紀はアメリカの世紀であり、アメリカは経済でも軍事でも世界最強でなければならないという。神は世界を支配させるためにアメリカを作ったというのだ。 このロムニーが外交問題の顧問に選んだワリド・ファレスはレバノン系アメリカ人なのだが、その過去は胡散臭い。1970年代の後半から1980年代の初めまでキリスト教系の政党に属していたのだが、レバノン戦争が戦われていた時期と重なる。イスラエルの支援を受けた武装勢力にファレスは参加しているようだ。 この戦争ではサブラとシャティーラの難民キャンプでキリスト教系武装勢力による虐殺があった。1982年にイスラエル軍がレバノンに軍事侵攻、PLOは追い出されてしまう。そして難民キャンプはイスラエル軍に制圧されるが、そうした中での出来事だった。殺されたパレスチナ人は数百名とも3000名とも言われている。 こうした経歴からも推測できるように、ファレスは親イスラエル派。世界的にイスラエルが孤立していくのと反比例するかのように、アメリカでは親イスラエル派の活動が活発化している。当然、こうした動きは反イスラムにつながっている。 ジョージ・W・ブッシュ政権で国防副次官を務め、イラクでの掃討作戦を指揮していたウィリアム・ボイキンもキリスト教系カルトの狂信的な信者。副次官に就任した当時、自分たちの敵はオサマ・ビン・ラディンでもサダム・フセインでもなく、宗教的な敵だと教会で演説している。 ボイキンはソマリアでの戦闘に参加しているのだが、その際に首都のモガディシュで撮影した写真に奇妙な暗黒の印があると主張、モガディシュにある「邪悪な存在、暗黒の遣いルシフェルこそが倒すべき敵なのだと神は私に啓示されました」と演説している。彼は中東で「宗教戦争」を行っているつもりなのである。そうした考え方が今でも変化していないことは、最近の反イスラム発言でもわかる。
2011.10.08
殺戮、破壊、略奪は戦争の「三点セット」だが、リビアの内戦も例外ではないようだ。ムアンマル・アル・カダフィ政権と敵対していたミスラタの武装勢力がカダフィの故郷、スルトゥを攻撃しているのだが、そこで住民の家を破壊し、財産を略奪していると報道されている。 こうした「押し込み強盗」だけでなく、肌の色が濃いというだけで多くの人が拉致されて行方不明になっている。一部は処刑されているようで、「民族浄化」とも表現されている。 シリアと同様、リビアでも「西側」の工作で内乱は始まった。資源利権の確保も大きな理由だが、シリアではパレスチナ問題で孤立しているアメリカの思惑も影響しているだろう。中国やロシアが飲めない提案を国連ですれば、拒否権を使ってくるのは目に見えているわけで、アメリカはパレスチナ国家の問題で拒否権を使う下準備をしているようにも見える。
2011.10.07
巨大金融機関は2、3週間で「メルトダウン」する危険性があり、その原因はギリシャの債務問題があるとする話が流れているが、ギリシャを危機に陥れた元凶はゴールドマン・サックスをはじめとする巨大金融機関だった。 こうした「犯罪的ビジネス」を続けている金融機関、そうした金融機関と結託している政治家や官僚に対する怒りが欧米で噴出し始めている。アメリカではウォール街での抗議活動が各地に広がりつつあり、首都のワシントンDCでは戦争に反対する声があがっている。
2011.10.07
ウォール街での抗議活動が盛り上がるにつれ、警察の暴力が目立つようになってきた。催涙スプレーの使用だけでなく、棍棒で殴打しはじめているのだが、その様子を撮影した映像がインターネット上で流されている。 アメリカの国家体制にとって脅威になる人物は政府の判断で暗殺できるとバラク・オバマ政権は考え、イエメンで実行に移しているが、こうした抗議活動が支配体制を揺るがしていると判断したならば、棍棒ではなく別の道具で処刑するのだろうか? ところで、アメリカに限らず、公園や広場が抗議活動の拠点になることが多い。過去の経験もあって、日本ではそうした公園や広場が潰されてきた。公園や広場は人びとが集う場所であり、さまざまな問題を議論し、議決し、行動へと移っていった歴史がある。民主主義を標榜する国なら潰すことなどできない場所である。
2011.10.06
アメリカ軍の内部で先制核攻撃の準備が始まる直前、日本では「原子力村」が産声を上げた。1954年3月2日、2億3500万円という原子力予算案が国会に提出されたのである。その中心には当時35歳だった中曽根康弘がいた。予算案は修正を経て4月に可決されている。 言うまでもなく、こうした動きの背景には1953年12月にドワイト・アイゼンハワー米大統領が国連総会で行った「原子力の平和利用」という宣言がある。日本に原子力村を建設することはアメリカ政府の政策だった。 1955年12月には藤岡由夫を団長とする調査団が欧米の原子力事情調査のため出発、翌年の3月に帰国しているが、その間に原子力基本法が成立、4月には通産省工業技術院に原子力課が新設され、経団連は「原子力平和利用懇談会」を発足させている。 しかし、日本には原子力発電に関する技術も必要な物質もない。そこで6月には日米原子力協定が締結され、アメリカから原子炉と濃縮ウランが提供されることになった。この協定によって原発を推進する目処が立ち、1956年1月に原子力委員会が設置される。初代委員長に選ばれたのは読売新聞社主の正力松太郎だ。 ここで、ひとつの疑問が頭に浮かぶ。なぜ、中曽根が原子力村を建設する際、最初の鍬を入れたのだろうか? 1947年、28歳で衆議院議員に初当選した際には矢部貞治東大教授に推挙されたこともあり、全国5位の大量得票を得ているのだが、だからといって原子力予算案の提出には結びつかない。1956年には日ソ平和条約について「黙祷を捧げつつ承認を与える」と演説しているが、これとも結びつかない。アメリカ政府が中曽根を信頼する何らかの理由がほかにあるはずだ。 中曽根とアメリカとの関係を調べると、1950年6月の出来事が節目になっていると思わざるをえない。スイスで開かれるMRA(道徳再武装運動)の世界大会へ出席するために日本を飛び立っているのだ。この団体はアメリカの「疑似宗教団体」で、CIAと結びついていると言われ、日本人としては岸信介や三井本家の弟、三井高維(みついたかすみ)らが参加していた。 そのMRAで中曽根はヘンリー・キッシンジャーなどCFR(外交問題評議会)のメンバーと知り合うことにも成功、1953年にはキッシンジャーが責任者を務めていた「ハーバード国際セミナー」に参加している。セミナーのスポンサーにはロックフェラー財団やフォード財団、あるいはCIA系だと言われる「中東の友」も名を連ねていた。(全文は「Peace Philosophy Centre」のサイトに掲載)
2011.10.06
NATO軍(英仏米軍)による空爆で少なからぬリビア市民が殺されているとする情報があり、この問題について調査するようにアムネスティ・インターナショナルが要求している。また、反ムアンマル・アル・カダフィ軍は肌の色が濃いという理由だけでアフリカ中南部出身と思われる人びとを拘束、一部は処刑しているとする話に関してはヒューマン・ライツ・ウォッチが批判している。反カダフィ軍に連れ去られて行方不明になった人の多くは労働者だという。いわば、「民族浄化」が行われているのである。 アフガニスタンでの戦闘でもそうだが、NATO軍には市民の犠牲をなくそうという意志は感じられない。そうした姿勢がパキスタンやアフガニスタンで「反西側感情」を強めることになっている。 イラクでも多くの市民がアメリカ軍を中心とする占領軍に殺されている。ここでも占領軍は市民の犠牲者について語ろうとしていないが、最も信頼できる調査、つまりアメリカのジョン・ホプキンズ大学とイラクのアル・ムスタンシリヤ大学の研究者が統計学的な手法を用いて行った推計では、2006年7月の時点で65万人以上のイラク人が殺害されている。現時点では、100万人を上回っている可能性がある。 また、イギリスのORB(オピニオン・リサーチ・ビジネス)がまとめたリポートによると、2003年3月19日から2007年夏までの間に、戦争を直接・間接の原因とする死者は100万人に達すると見積もっている。 イラクでは劣化ウラン弾による被害も深刻化しているが、リビアでも劣化ウラン弾が使われている。今後、イラクと同じように被害が出てくる可能性があるだろう。
2011.10.06
ギリシャの財政危機は体制の危機へ発展しつつある。世界の金融システムを支配している巨大銀行、そうした銀行と結託している政治家や官僚たちに対する怒りがギリシャを揺さぶっているのだ。 この問題にもゴールドマン・サックスが登場する。ギリシャ国内の腐敗したエリートと手を組み、ギリシャを借金漬けにしたという。借金の急増を国民やEUに知られないようにしつつ、投機集団からカネを受け取り、その代償として公共部門の収入を差し出すということが行われていたと言われている。ボリス・エリツィン時代のロシアと似たシナリオだ。 借金を隠す手法として利用されたのがCDS(Credit Default Swap/クレジット・デフォルト・スワップ)。債権者が債務不履行のリスクを回避するため、幾ばくかのカネ(保険料)を支払ってリスクを引き受けてもらうという取り引きだという。 このCDSを広めることになった法律が「CFMA(商品先物現代化法)」。ビル・クリントン大統領の任期が終わろうとしていた2000年12月にアメリカの議会を通過したのだが、その強力な推進者のひとりがアラン・グリーンスパン連邦準備制度理事会議長だった。議長退任後、ドイツ銀行やヘッジファンドのポールソン社で顧問をしている。 こうして借金漬けにした後、「格付け会社」がギリシャ国債の格付けを引き下げて混乱は始まった。財政危機が叫ばれ、この借金には直接関係のない庶民に尻ぬぐいさせようというのだから、庶民が怒るのは当然のことだ。犯罪的としか言いようがない。 もっとも、巨大銀行が犯罪に手を染めていることは知る人ぞ知る話。ロッキード事件に登場するディーク社、アフガン戦争で名前が出てくるBCCIをはじめとするCIA系の金融機関が麻薬資金を扱っていることは知られていたが、2006年にはワチョビアという金融機関がロンダリングしていた事実が浮かび上がっている。この銀行を2年後に吸収したのがウェルズ・ファーゴだ。 事件が発覚する切っ掛けは、メキシコの国際空港に着陸したDC9から5.7トンのコカインが見つかったこと。昔からメキシコは麻薬組織に支配されてきたのだが、最近の金融システムも麻薬漬けになっていて、麻薬資金なしに金融は語れないというのだ。こんな連中の言いなりになっているとどうなるか、言うまでもないだろう。
2011.10.05
ウォール街での抗議活動は続いている。この抗議は「仕事をよこせ」という種類のものではない。1970年代の後半から世界に広がった「新自由主義経済システム」、強者が不公正な形で富を独占するシステムに対する異議の表明であり、そうした仕組みを築き上げてきた政治的な構造への抗議だと言うべきだろう。 アメリカ経済の行き詰まりが明確になったのは1971年8月、当時のアメリカ大統領、リチャード・ニクソンが金とドルとの交換を停止すると発表したときのことである。この苦境を脱するためにニクソンはデタント(緊張緩和)へ向かおうとするが、ウォーターゲート事件で失脚し、後任のジェラルド・フォード大統領は周囲を好戦派で固めた。 そうした動きと並行して持て囃されるようになったのがフリードリッヒ・ハイエクやミルトン・フリードマンの「経済アナーキズム」。軍事クーデターで登場したチリのオーグスト・ピノチェトから始まり、フォークランド戦争を利用したイギリスのマーガレット・サッチャー首相、アメリカのロナルド・レーガン大統領、西ドイツのヘルムート・コール首相、そして日本の中曽根康弘首相らが続いた。中国やボリス・エリツィン時代のロシアも後を追った。 その後、こうした人々は富が一部に溜まる仕組みを積極的に導入すると同時に、投機/博奕を推進するための基盤を作っていった。いわゆる「ビッグバン」である。社会に流通していた資金は吸い上げられて投機市場へ流れて行くのは必然だった。揚げ句の果てに、投機に失敗した連中の尻ぬぐいまで庶民はさせられる。これで怒らない方が不思議だ。 勿論、このような経済システムは長続きしない。中東や北アフリカの石油利権や米国中南部の資源利権を軍事力で確保したところで、システムの破綻は避けられそうにない。アメリカは日本から富を搾り取ろうとしているが、その日本も惨憺たる状況にある。 こうした状況の中、日本の支配層はこれまで通りに富を吸い上げようとしているが、日本以外では危機感を持っているエリートは多い。ある種の人びとは治安体制を強化しようとしている。監視システムや警察権力を強化、ファシズム化を推進しようというわけだ。これはレーガン政権から準備が本格化、ジョージ・W・ブッシュ政権で一気に表面化している。 アメリカを始め、西側の政府が民主化を望んでいないことは中東での振る舞いでもわかる。石油利権や資源利権のかかったリビア、あるいは石油を地中海へ輸送するためにも重要な位置にあるシリアに対しては強硬姿勢を見せているが、民主化運動を弾圧、拷問が横行し、運動の参加者を治療した医療関係者に懲役15年というような判決が出ているバーレーンに対しては寛大な姿勢だ。 その一方、富が独占される仕組みを変えようとする動きもある。これは庶民だけでなく支配層の一部も参加している。このまま行けば、支配体制が崩壊してしまうと考えているのだろう。ウォール街での抗議活動は、庶民の怒りが表面化した一現象にすぎない。見えない部分では、現在の経済システムに対する激しい怒りが高まっている。その怒りが支配体制の打倒に向かう可能性もある。
2011.10.04
リビア内戦の最中、リビア軍の武器庫から少なからぬ兵器が消えたことは以前から話題になっていたが、ここにきて5000発とも1万発とも言われる地対空ミサイルSAM-7の行方が問題になっている。 NATO軍(英仏米軍)を除くなら、反ムアンマル・アル・カダフィ軍の主力はアル・カイダと緊密な関係にあるLIFG(リビア・イスラム戦闘団)であり、新リビア軍の中核を占めるとも言われている。武器がイスラム武装勢力へ横流しされても不思議ではない。 今後、航空機が狙われるという話も語られているが、8月にアフガニスタンで使われたのではないかと疑っている人もいる。8月6日にアメリカ軍のヘリコプターが撃墜されてアメリカ兵31名とアフガニスタン人7名が死亡しているのだが、この攻撃に使用されたミサイルがリビアの武器庫にあったものではないかというのだ。この推測が正しいかどうかは不明だが、そうした事態がこれから増えてくることは十分にありえる。 勿論、巨大企業/資本にとって重要なことはカネ儲け。石油企業のシェルはナイジェリアで武装勢力を支援、戦闘を激化させていると批判されているが、驚くような話でもない。そうした現実を変えるため、アメリカではワシントンDCでなく、ウォール街を占拠するという運動が展開されているわけである。福島第一原発の事故を見ても、そうしたことはわかるだろう。
2011.10.03
10月1日、ニューヨーク市のブルックリン橋で700名以上が逮捕されるという出来事があった。ウォール街で抗議活動を続けている人たちを橋に誘い出し、一気に逮捕したように見える。当局はデモ隊が車道に出たからだと主張しているようだが、デモの参加者によると、逮捕の直前まで何も注意していない。 その前日には2000名ほどがデモ行進しているようで、抗議活動が大きくなることを懸念し、早くウォール街の占拠を終わらせたいということなのだろう。十数名を除いて大半は釈放されたようだが、逮捕する必要はなかったとも言えそうだ。 今回の抗議活動には子どもを持つ親の姿が目立つようだ。1%の人間が40%の富を独占する強者総取りの経済、生活に根ざした経済活動ではなく投機/博奕が優遇されている現実の歪みが子どもたちの未来を押し潰そうとしていることの反映だろう。 アメリカでは生活が破綻する人が多いようだが、その大きな原因は教育にあると言われている。少しでもまともな教育を望むならば、多額の授業料を払って私立へやるか、公立の学校へ通わせるにしても、不動産価格の高い住宅地に引っ越す必要があるという。低所得者の通う学校では暴力が蔓延し、非常に危険な状態になっていて学ぶ環境にはなっていないからだ。 子どもを持つ親がウォール街占拠に参加するのは当然のことだと言えるだろう。教育の負担は日本の親にとっても人ごとではない。日本でも教育の機会が奪われている子どもたちが増えている。
2011.10.02
ムアンマル・アル・カダフィ体制が崩壊したリビアで10月1日「内ゲバ」があり、死傷者が出ているようだ。反カダフィ派の主力部隊はNATO軍(英仏米軍)だが、新リビア軍はアル・カイダと緊密な関係にあるLIFG(リビア・イスラム戦闘団)が核になると考えられている。そのLIFGが武装勢力全体を統括できる可能性は高くない。 かつて、アメリカ政府はアフガニスタンの治安を回復するためにタリバンを選んだが、その結果は無惨のことになっている。リビアではカダフィ軍の武器/兵器が各地のイスラム武装勢力へ流れている疑いがあり、カダフィ体制を倒した「副作用」は深刻な結果をもたらすかもしれない。 カダフィ体制を倒すことになった内戦の直接的な切っ掛けはフランスが作っているが、その後はイギリスが主導権を握っている。少し長いスパンで見ると、1995年にイギリスの情報機関、MI6(正式名称はSIS)はカダフィ暗殺を試みて失敗している。リビア政府の元高官が持ちかけた話のようで、カダフィが乗った自動車を爆破しようとしたという。ただ、このときは間違って別の車を爆破してしまい、目的は達成できなかった。それから16年かけてイギリスはカダフィ体制を打倒することができたわけだ。
2011.10.02
アメリカでは自国民に対する超法規的暗殺が実行される一方、巨大な金融/投機機関に対する抗議の声が高まりつつある。 ジョージ・W・ブッシュ政権のときに愛国者法が成立して以来、アメリカではファシズム化が進んでいる。この流れをバラク・オバマ大統領は「チェンジ」できず、監視体制の強化、令状なしの盗聴、拘束、そして拷問が続けられてきた。そして今では暗殺に踏み込んでいる。 9月30日にはアメリカ政府から危険人物だとされていたアンワール・アル・アウラキが無人機のミサイル攻撃を受けて殺されたという。アウラキはアメリカのニューメキシコ州で1971年に生まれたアメリカ人。裁判で事実関係を検証せず、政府機関は自己の判断で処刑したことになる。 アメリカ政府はアウラキがアル・カイダの重要人物であるかのように主張しているのだが、そうした主張を裏づける証拠は提示されていない。本人はアル・カイダとの関係を否定していた。 アラウキの暗殺でも遠隔操作の無人機が使われた。すでに無人機は偵察ではなく、暗殺用の兵器になっている。現在、人が判断しなくても自動的に人を殺害できる無人機を研究開発中のようだが、そうした飛行機が実用化したならば「誤爆」が増え、これまで以上に多くの市民が犠牲になる可能性が高い。今でも反米感情は高まっているが、犠牲者が増えれば怒りがさらに膨らむことは間違いない。怒りが臨界点に達する前に無人機での殺人はやめるべきだ。 これに対し、アメリカ国内では強者総取りの強欲な経済システムに対する抗議する声が高まっている。ポール・クルグマンやエリザベス・ウォーレンといった学者がそうした政策を批判、ウォーレンは上院議員選に出馬するのだが、そういった人びとだけでなく、庶民が立ち上がりつつある。ウォール街では数百から数千人が活動を続けている。ここにきて労働組合も活動に参加してきているようで、大きな運動に発展する可能性をはらんでいる。 アメリカの政府やメディアが本当に民主化を望んでいるのならば、ウォール街での抗議にも耳を傾ける必要があり、バーレーンで民主化を求める人びとの治療をした医師が刑務所に入れられるようなことも許すべきではない。ウォール街での抗議を無視し、バーレーンでの弾圧を黙認するならば、それまでに叫んでいた「民主化」という看板がインチキだったことを証明することになる。
2011.10.01
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