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「特集EF66形電気機関車」に興味があり先日購入した鉄道ピクトリアル4月号の表紙裏に天賞堂の広告で、この秋発売予定の「東武鉄道6050系」が掲載されていました。プラスチック製のT-Evolutionシリーズで、標準色とリバイバルカラーがあり、パンタグラフ1基と2基編成の2両セットで4種類、各14,300円だそうです。今回シリーズ初の客室内座席も再現とあり、大変興味深いですね! 画像見る限りとても良くできていそうで楽しみです。(下の画像のみ、画面をクリックすると拡大します)生まれてから高1までスカイツリー(当時はまだありませんが)から500mのところに住んでいたので、東武鉄道の電車、特にデラックス特急「けごん」や「きぬ」、リバイバルカラーの快速電車には思い入れも強く、少し気になる模型です。にほんブログ村
2022.02.27

2/24JR東日本新潟支社より3/19(土) に「SL"C57-180"撮影会 in 新津運輸区」の有料撮影会を新津運輸区で開催するとの案内がありました。参加費は大人も子供も1人5718円。参加人数は4部制で各15人、計60人。明後日28日正午よりウェブサイトで先着順だそうです。今回は正面から60分の撮影時間に、運転台に上がって3分の撮影タイムが設けられるとか。JR東日本の撮影会は先日の品川の「往年の名機~」同様、今後この様に有料、少人数のパターンになるのでしょうか? これを例えば、東京から見に行くとなると往復の新幹線代が20460円かかるので、これを加えると26178円だから、品川の27000円とほぼ一緒ってことですね。ちなみに「SLばんえつ物語」を牽引するはC57-180号機は2022年秋~2023年夏まで全般検査のため休止だそうです。にほんブログ村
2022.02.26

2/17に魏志倭人伝に記された邪馬台国の場所に関して謎解明に新たな解釈(新説)を発表させていただきました。今回はそれを地図を用いて簡単にご説明したいと思います。(地図の画像は全て画面をクリックすると拡大します)はじめに頭の片隅に覚えておいて欲しいことは「郡から女王国まで12000余里」と記していることです。それを踏まえて、さあたどってみます。以下魏志倭人伝の記述より。倭人の国は帯方(郡)の東南、大海の中にある。郡(帯方郡←今のソウル辺り)を出て水行し南へ東へ、その北岸の狗邪韓国(今の釜山辺り)に至る。ここまで7000余里。はじめて海を渡り、1000余里で對海国(今の対馬)へ南に海を渡り、1000余里で一大国(今の壱岐)へ海を渡り、1000余里で末盧国(今の松浦)へ 戸数4000余戸 <ここで上陸です>ここからは下の地図をご覧ください。今度は上陸した末盧国(今の松浦)から先の里程となります。東南陸行(徒歩)500里で伊都国(今の糸島)へ 戸数1000余戸東南100里に奴国(今の太宰府付近)へ 戸数20000余戸東100里に不弥国(ここは地図には記していません)そしてこの後いきなり次に続きます。南至投馬国水行二十日 戸数50000余戸南至邪馬台国 女王之所都水行十日陸行一月 戸数70000余戸ここで、頭の片隅にあったことを思い出してください。帯方郡から邪馬台国まで12000余里でした。そして、帯方郡を出てから伊都国までで10500里になりました。すると伊都国から邪馬台国までは残り1500里しかありません。ここでの1里は他の方の研究結果などを用いて90mと仮定すると。1500里はおよそ135kmということになります。すなわち、邪馬台国は伊都国から同心円で135kmの中(北部九州)にあるということになります。そして、問題は最後の謎の2行をどう読むか?南至投馬国水行二十日南至邪馬台国 女王之所都水行十日陸行一月ここの解釈(新説)については、2/17のブログに記載した通りです。不弥国までずっと方角と里程で表されていたのが、ここから方角と旅程に変わっているのです。つまり何かが変わるのです。邪馬台国の場所を北部九州と位置付ければ、その解釈方法はこれしかありません。帯方郡を出発してから南の投馬国までは船で20日、同様に帯方郡を出発してから南の邪馬台国までは船で10日、さらに徒歩で1か月かかるという全行程の旅程だということです。しかも、南に投馬国、南に邪馬台国と並記しており、一緒に行くとは記していません。投馬国が有明海沿岸にあるとすれば、陸行すると邪馬台国以上に時間がかかります。一旦は伊都国の一大率による入国検査を受け、場合によっては留まり、そのあと船で長崎を回り南下し、島原湾から有明海に入るという経路です。下の地図で位置関係を確認ください。なお、陸行に時間がかかる点に関しては、2/17付のブログを参考にご覧ください。次に下の拡大した地図を再度ご覧ください。地図の黄緑色の部分が田、黄色が畑、淡い緑から白っぽいところは山岳地帯になります。そして、奴国は戸数2万余戸、投馬国が5万余戸、邪馬台国は7万余戸とあります。それだけの人が生きるためには大きな田畑(有明海沿岸から筑後川流域の平野)が必要になります。なお、この地図ではわかりませんが、邪馬台国のあった今から約1800年前の3世紀前半から半ばは国土全体の海岸線(有明海沿岸を含め)がもっと内陸部にあったものと考えられています。参考までに地図の真ん中付近に小さく四角に囲った所が吉野ケ里遺跡になります。そして、有名な平原古墳は伊都国の〇の中の「前原」駅の「原」の字の辺りにあります。なお、邪馬台国を甘木、朝倉とした理由は安本美典さんの説明に賛同したためで、その詳細についてはここでは触れませんが、ご興味があれば、安本さんの動画をご覧ください。最後まで、お付き合いいただき、ありがとうございました。にほんブログ村にほんブログ村
2022.02.24

ブログ村で鉄道ピクトリアル4月号「EF66特集」の情報をいただき、66好きの私も早速購入してきました。雑誌の掲載はお任せして、こちらは模型をご覧いただくことにします。上の画像の左からムサシノモデルの53号機ブルトレ牽引機、 トミックスの特急牽引機・黒台車プレステージ、 トミックス改造、みのわ公房特製加工27号機、 ムサシノモデルの37号機クーラー付き。上の画像の左からムサシノモデルの30号機JR貨物更新色、 トミックスの中期型JR貨物新更新色加工19号機、 ムサシノモデルの101号機、 ムサシノモデルの133号機。今回トミックスの一部車両は割愛させていただきました。これでも前に比べるとだいぶ少なくなったんですよ。にほんブログ村
2022.02.23

ブログを始めたのが10年前の2012年3月24日。そして、来月23日でまる10年を迎えます。この間の記事投稿がこれまで499話。今回ちょうど500話を数えることとなりました。来月で10年かつ500話という一区切りを迎えることができたのも、見ていただいている皆様のお陰と心より厚く御礼申し上げます。本当にありがとうございました。私事で恐縮ですが、この10年実に色々なことがありました。父の死、2人目の孫誕生、退職、妻の余命宣告そして死。それとこれは私だけに限ったことではありませんが長く続くコロナです。コロナは妻の趣味であった(余命期間中の)旅行さえも奪ってしまいました。特に最愛の妻の余命宣告と死は私にとって絶望でした。そんな中、知人や模型関係の方から趣味があって良かったですねなどと言われたこともあります。でも、なかなか気持ちが向きませんでした。逆に趣味のものの整理を始めたくらいです。しかし、これ以上整理すると人生の楽しみが無くなってしまうと気づき、そこから再び趣味に向き合いました。そういう意味ではやはり趣味があってよかったと今は思っています。最近はやり残したことに向き合いつつあります。鉄道模型にしても、ラーメンだったり、邪馬台国、卑弥呼のこと。しかし、妻と共通の趣味だった旅行だけはコロナは別にしても、まだ行きたいとは思いません。これからは残りの人生にやり残しを作らないよう常にやりたいとことを追求したいと思っています。ブログに書くことはある意味、自分自身そのもののように思えてなりません。むろんプライバシーもありますし、全てを書こうとも思っていません。ほんの一部でしかありませんが、自分が生きた証だとも思うようになりました。そんなわけで、今後何が出るか、このままか、自分自身分かりませんが、もうしばらくブログは続けていくつもりです。今後とも、よろしくお付き合いの程、お願い申し上げます。(下の上2枚の画像のみ、画像をクリックすると拡大します!)にほんブログ村にほんブログ村
2022.02.22

ラーメンの取材を兼ねて新小岩に行ってきました。目的の半分は新小岩操車場に来る貨物列車の捕獲にあります。もうだいぶ前のことになりますが、ブログ村で毎日同じような画像をアップされていた方がおりました。今回、新小岩に来て、その方のことや他に二人の方を思い出しました。まず、お1人が毎日新小岩操車場に来る貨物列車を画像に収め、アップされていた方。確か「今日の新小岩操車場」等というタイトルで。毎日、楽しみにしていましたが、いつからか全く見なくなりました。どうされたのでしょう?そして、2人目が毎日ではありませんが、よく鉄道写真を見せていただいた「ちゃみおか発」。前からブログ村を見ている方はこのブログ名、ご記憶にありませんか?写真の上手な方でした。模型の写真も素晴らしかった!どうされているのでしょう?いつもは家の中で模型を撮るだけですが、一日だけ外に出て新小岩で止まっている貨物列車を眺め画像に収めて、今回もうお一方のことを思い出しました。それはクハネ581さん、あなたです!「よろしおすJNR」。毎日目指す列車を追いかけ、神出鬼没、雪の日でも、日によってはきっと何本も待っておられるのでしょう。私も経験がありますが、止まっている列車でなく、走っている列車を写真に撮るって本当に難しいと思いました。この頃はカメラに連写機能があるのも知らず1枚に神経を集中させて撮りました。(笑) あなたのおかげでいつも素晴らしい鉄道写真を見せていただいております。ありがとうございます。この場を借りて御礼申し上げます。恥ずかしながら、下の画像は2014.1.16に宮崎駅で1番線に入線してきた787系上り特急「ひゅうが2号」延岡行を撮ったものですが、とてもクハネ581さんのようにはいきません。最後に、折角ですので、新小岩操車場の止まっている貨物の画像をご覧いただくことにします。新小岩操車場入線AM10:17。AM11:13発神栖(鹿島)行。定刻に発車。にほんブログ村
2022.02.20

今日は四川の担々麺の紹介になります。麵屋「和ッ」というお店の時にも書きましたが、私は特別辛いのは遠慮させていただきます。したがって、今回ご紹介する担々麺はほど良く辛いと思っていただければと思います。とは言え、はじめて食べたときは少し咳をしました。もう10年位前のことです。それから一度食べると癖になり、職場の同僚5~6人程で連れ立っては、都内中央区の入船店(新富町)に食べに行きました。店内は割と広いのですが、それでも昼時は少し待つこともありました。今はたまにですが、娘を誘って電車に乗って新小岩店に食べに行きます。この「はしご」という店、銀座に本店があり、赤坂、入船、そして新小岩店と全部で4店舗あります。新小岩と言えば、私には「はしご」の他にJR貨物の新小岩操車場と以前ご紹介したラーメン「かいざん」新小岩店が出てきます。ここが普通の方と違ってオタクたる所以なのかもしれません。(笑)そんなわけで、お店開店前にAM11:13新小岩操車場発、神栖(鹿島)行の高速貨物を撮りに行ってまいりました。手前が千葉方面、向こう側が新小岩駅並びに東京方面になります。今日はコンテナ15両ほぼ満載の状態で定刻に出発していきました。さて、ここからはラーメンの紹介になります。ここで撮った画像はまた別な機会にご紹介させていただくことにします。支那麺 「はしご」。JR総武線新小岩駅南口より徒歩5分。娘と行く時はだんだんめん(担々麺)700円をいただきます。今日は娘も子供の用事その他があり私一人で行って、だあろうだんだんめん(太肉担々麺)950円をいただきました。前者はチャーシュー1枚のところ、後者はそれに変わり厚切りチャーシューを3枚トッピングした所謂チャーシューメンの担々麺バージョンになります。注文の際は担々麺とは言わず「だんだんめん」と言ってください。(笑) その際、無料の小ライスの要否を聞かれます。麺と一緒に食べても良し、だんだんめんを食べた後のお口をすっきりさせるにも良しです。ライスの横にのった細切り沢庵はトッピング自由です。評価 麺:5、スープ:5、焼豚:5、全体:5(全て5段階評価)四川風のピリ辛スープに細麺がとても合い、おまけに焼豚も柔らかくとても美味しいです。ただし、前にも書きましたが、ラーメンにも人による好みがあります。ですから行く際はあくまで自己責任です。それから、緑の野菜は小松菜です。どうですか? 美味しそうでしょ!にほんブログ村にほんブログ村
2022.02.19

天照大御神は古事記、日本書紀(記紀)の神話に登場する神様です。その神様は全くの空想や架空の人物だったのでしょうか?少し反れますが、徳川家康だって、釈迦だって、イエス・キリストだって、神様、仏様になりました。一方、卑弥呼は魏志倭人伝に書かれた実在の人物です。そして、仮に天照大御神が史実によるとするなら、そのモデルになりうる人物は誰でしょう?私は卑弥呼以外に考えつきません。それが結論です。それに神功皇后はじめとする天皇は別に列挙されています。二人の共通点として、いずれも女性。独身。弟がいる。九州に関係している。人々(神々)から崇拝されている。国々(神々)をまとめる力があるなど、多くの点で共通しています。また、卑弥呼程の人物なら、日本国内あるいは九州内で後日何か伝承するものが残って然るべきですが、これが見つかっていません。言い換えると見つからないのではなく、神として、あるいは天皇家の皇祖として、別なかたちで残すことにした。すなわち卑弥呼は天照大御神になって残ったのです。なお、記紀の天皇に関する年代と卑弥呼の時代の不整合については、安本美典さんの統計的な方法による年代論の結果、つまり卑弥呼と天照大御神の年代が符合することに賛同いたします。以下は余談になりますが、HP「暗号山上憶良」より引用させていただいたことに1つ大変興味深いことがあります。まず、魏志倭人伝によると卑弥呼が親魏倭王の称号を授かった年がAC239年です。そして、亡くなった年がAC247年と覚えておいてください。そして、初代神武天皇(即位はBC660年)が高千穂宮より東征出発の際に言った言葉に「天孫が降臨されてから179万2470余年になる」とあります。ちなみに神武天皇は天照大御神から5代目、天孫降臨したのは3代前の二二ギ(邇邇芸命)。この途方もない年に注目です。中国では干支とは「十干十二支」と言い、十干(十干はBC4世紀頃から5行に変わる)と十二支の組み合わせでその年としており、その組み合わせが60通りとなることから60年を一巡と考え、人は60才で還暦といいます。還暦とは暦が還ると書き「もとにいた場所に戻る」という意味があります。要は60年で1周するのです。ここで、神武天皇の言葉の年数をもう一度思い起こしてください。179に60を加えると239になり、247はそのまま247に。どこかでこの数字見ませんでしたか?そうです卑弥呼の親魏倭王の称号を授かった年と亡くなった年の数字に当てはまるのです。ここに記紀のからくりがあるように思えてなりません。そして、卑弥呼と天照大御神とのからくりも・・・にほんブログ村にほんブログ村
2022.02.18

私にとって邪馬台国や卑弥呼は永遠のテーマです。自分が亡くなるまでに邪馬台国や卑弥呼の墓の所在地が確認されることを願ってやみません。下の画像はずいぶん前に行った吉野ケ里遺跡です。これまで2度行っています。さて、今回はこれまでずっと議論されてきた邪馬台国の所在地に関して九州説や近畿説、出雲説、北陸説などに一石を投じたいと思い記録としてブログに残すことにしました。邪馬台国の所在地がはっきりしない最大の理由は魏志倭人伝のある一説にあります。「南至邪馬臺国 女王之所都 水行十日陸行一月」この前段に帯方郡から不弥国までの方角と里程が書かれ、さらにそのあと「南至投馬国水行二十日」とあります。これまでの一般的な解釈は南の投馬国へは不弥国あるいは伊都国から水行20日、さらに南の邪馬台国へは水行10日、陸行一カ月のところにあると読み解いています。すると邪馬台国は九州から出てしまい、フィリピン辺りまで行ってしまうことになるとか。そこで、近畿説などでは「南」は魏志倭人伝の誤りで正しくは「東」だったとの勝手な解釈に読み替えて、近畿説とする説が有数の学者によって横行しているのが現状なのです。そもそも魏志倭人伝には帯方郡より12,000余里のところに女王国ありと記しています。そして、帯方郡より末盧国までは10,000里、伊都国までは10,500里となり、残すところ伊都国から女王国である邪馬台国まで1,500里(およそ135KM)とすれば、邪馬台国は北部九州にあったとみるのが相当です。ここまでは九州説の誰もが言っているところです。しかし、わからないのは伊都国あるいは不弥国から南の投馬国へは船で20日、さらに南の邪馬台国へは船で10日、陸を行くこと1カ月と読むから、わけが分からなくなるのです。女王のいる邪馬台国は30余の小国を統属し、南にあり、その以北に21の小国があること、そしてその最後に奴国のあることを挙げています。そうです。奴国は伊都国の東南100里にあると書かれている国に戻ってくるのです。しかし、投馬国は以北の小国の中に含まれていません。つまり投馬国も邪馬台国と同じように南にあるとするのが私の解釈です。事実、南至投馬国と言っているのですから。実際、諸説の中には投馬国は有明海沿岸とする説もありますし、私もそう思っています。つまり、不弥国までは方角と里程だったのが、投馬国から方角と旅程に変わっていることに目を向けなければなりません。ここで変わったのが何なのか?ということです。さらに帯方郡から邪馬台国までは12,000余里と決まっているのですから。では、私の結論(新説)です。南にある投馬国(有明海沿岸)まで帯方郡から船で20日かかる。南にある邪馬台国まで帯方郡から船で10日、陸を行くこと1か月かかる。つまり、出発点の帯方郡からの旅程なのです。これが正解です。こう読めば、南→東に変えることもなければ、魏志倭人伝の記載に誤りはありません。魏志倭人伝は事実を書いた信用に足る歴史書であることが裏付けられるわけです。投馬国へはどのような行程を辿ったかはわかりません。一大国(壹岐郡)から一旦は末盧国そして伊都国の港で一大率による検査を受け、場合によってはそこに留まり、そのあと長崎を回り、島原湾から有明海に入り投馬国に着いたと考えます。それでも陸行すれば、邪馬台国以上に時間がかかります。邪馬台国へは帯方郡を出て船で10日かかり末盧国に着きます。そして末盧国の説明の中に「草木茂盛、行不見前人」つまり 、先に行く人が見えないほどに生い茂った葦原を掻き分けて進んだとあるように、歩くのも大変であったことが書かれています。茂在寅男教授(東海大学)はかつて実地踏査により「道なき道を歩むのは想像以上に大変で、リアス式海岸伝いはいたるところが難所で、1日7キロがやっと、そのペースで2日歩いて到達した所は直線距離でわずかに5キロしかない地点に到達するのがやっとであった」と言っています。末盧国から伊都国を経由し南の邪馬台国へは当時は歩いて1か月を要したということなのです。そして、私の思う邪馬台国の所在地は安本美典さんの説明する「甘木・朝倉」ではないかと考えています。にほんブログ村にほんブログ
2022.02.17

今回ご紹介するのは味噌ラーメンになります。名前が変わってますよね!「和ッ」だそうです。以前、札幌単身赴任時代すすき野で飲んだ後に食べた「欅」の味噌ラーメンの味に似ています。但し、ここは少し不便なところにあります。でも、行ってみる価値はあると思います。遠い方には是非とは言いません。自己責任でお願いします。電車なら東武野田線の馬込沢駅より徒歩15分。車なら県道船取線沿いにあります。駐車場は十分余裕があります。麺屋「和ッ」。所在地は千葉県鎌ケ谷市道野辺。ここでは、白みそノーマル830円をいただきました。1回だけですが、常連と思われる方が食べているのを数回見ていた「辛味噌」を食べてみましたが、辛すぎて辛さだけしかわからなかったくらいなので、特別辛いのが好きな方は別として、私は前者をお勧めします。評価 麺:5、スープ:5、焼豚:5、全体:5(全て5段階評価)自販機で食券を購入すると麺は「太麵か細麺か」と聞かれます。ここでは「太麺」をお勧めします。甘い豚骨濃厚な味噌スープに平打ちちぢれ太麺がとても合います。多めの野菜(もやし、キャベツ、ニラ)も欠かせません。営業時間の30分前(ラストオーダー)までに入らないと入れてもらえませんので、ご注意を!にほんブログ村
2022.02.16

機関車の先頭に付けるヘッドマーク。付けるとカッコイイですよね。ただ、市販のものはHOゲージだとトミックス、カトー、天賞堂、モリヤスタジオなどから色々発売されていますが、いずれもわりと高価です。それにいくつか入っていても、その内欲しいのは1つか2つだったりして。また、欲しくても量産品として出てなかったりするものもあります。この方法だと、画像さえあれば、どんなマークでも作成可能です。今回はそんなお悩み解消ということで、お手軽にできるヘッドマーク作りという、興味深いタイトルです。但し、私の場合、あくまでHOゲージです。しかし、Nゲージでも理屈は同じですので、責任は負えませんが、良かったら試してみてください。まず、大事なことはネットで自分の欲しいヘッドマークの画像を探すことです。下の画像はその悪い例になります。なぜなら、ヘッドマークがクローズアップされていない。そして、このヘッドマークは正面からでなく、やや斜めから撮ったもので、マークそのものがはっきりしていないためマークの原形となる画像としては適当とは言えません。そんな意味で、画像選びが重要です。さて、それではどんなのが良いのか?それはヘッドマークの絵柄そのものとか、マークが正面から撮影されていて、はっきり、それなりの大きさで写っているものが、マーク作りの原形となります。下の画像の上の2枚はその参考例です。これを下の様なL判程度の「光沢紙・厚口」で印刷し、出力した画像のマークの寸法を確認の上、模型機関車のヘッドマークにする寸法(私の場合、直径8~9mm)へ縮小(倍率変更)で同じ光沢紙へ印刷すれば出来上がり。多少濃いめに印刷した方がすっきりしたものになります。下の画像の3枚の「銀河」の下の2枚は上のものより濃いめ (上は+1、左下が+3、右下は+4) に印刷しました。銀河はもっと濃くても良かったくらいです。また、綺麗な円形にするためには周りにペーパーがけをお勧めします。あとは両面テープで貼付け。ついでにテールマークも作ってみました。寸法は横幅6.5mm。印刷紙が厚口タイプですが、カトーの24系では光がテールマークに遮断されず通りました。にほんブログ村
2022.02.13

好きな列車で急行「銀河」があります。東京―大阪間の夜行急行として昭和24年(1949/9/15)から急行「銀河」として走りはじめました。夜出発し、早朝到着とまさに高度経済成長期のビジネスマンにも親しまれた列車ではなかったでしょうか?私には「銀河」という響きが何とも言えぬ哀愁を感じたブルトレの1つです。昭和51年(1976)から20系寝台車となり、昭和55年(1980)7月から「急行」の文字のテールマークが列車名とイラスト入りのテールマークへ変更。この頃から繁忙期にはEF58牽引による14系座席車の臨時急行「銀河51号、52号」(1983/7/24、1984/3/23、1985/7/25)などがあったようです。昭和60年(1985)3月から14系寝台車に。翌61年(1986)11月には24系25形寝台車へ。そして、平成20年(2008)3月に廃止。今回はそんな急行「銀河」の中でも、自身が所有する14系ハザと24系25形の銀河を仕立ててみることにしました。まずは14系編成、機関車は宮原区の58。そして、24系25形編成。機関車は東京区の65PF。ヘッドマークはイベントで見るだけで、実際付けての運行はありませんでした。今回のレイアウトは288m×162cmといつもより一回り小さめです。下の画像、右はEF65PF牽引の寝台急行「銀河」、左は臨時急行「銀河51号」。下の画像、右にEF58牽引の臨時急行「銀河51号」、左は寝台急行「銀河」、臨時急行「銀河51号」。寝台急行「銀河」。最後は24系+14系の10両編成(単なるお遊び)です。にほんブログ村
2022.02.12

今日はラーメンではなく担々麵になります。お店の名前が難しいので、ひらがなを添えました。担々麺も守備範囲ではありますが、前にも書いた通り私はラーメン評論家でもありませんし、ただのラーメン好きでしかありません。したがって、とりわけ辛さを求めたりもしなければ、いたってシンプルな味のものをご紹介していきたいと思っています。こちらも画像は全て4~5年位前のものになります。したがって、メニューの価格が変わっているかもしれませんが、その際はご容赦ください。場所は中央官庁の並ぶ千代田区霞が関にあります。かの有名な霞が関ビルに隣接した東京倶楽部ビルディング3階の一角にお店はあります。頤和園(いわえん)霞が関店。「頤和園」のホームページもあります。私は四川担担麺(担々麺)1080円をいただきました。その後、海鮮湯麵(海鮮入りつゆそば)1100円もいただいたことがありますが、やはり1番人気の前者をお勧めします。評価 麺:5、スープ:5、具材:4、全体:5(全て5段階評価)これぞお店でいただく担々麺の本流という感じです。確か曜日指定で昼12時までは大盛無料だったと思います。それと、こっそりビール(一人1杯限定)100円もありますよ!平日12時を過ぎると近くのオフィス街からの人で一斉に混みだし、あっという間に長蛇の列になるので、行くなら早めをお勧めします。食べた後は、帰るもよし、ほど近い銀ブラもよし、散歩の方は溜池山王方面から赤坂見附経由、迎賓館前からJR四ツ谷駅前を通り、たい焼きの美味しい「わかば」でおやつもお勧めです。お店の中でもいただけます。これが亡き妻との散歩コースでもありました。(歩くのがちょっと!と言う方には丸の内線で銀座までは1駅、四ツ谷へは3駅です)次回は鉄道模型を予定しております。にほんブログ村
2022.02.10

1/29、30に品川駅構内の車両基地で実施された「往年の名機、一同に会す。」の撮影会。今年10月14日に日本初の鉄道開業より150年を迎えるにあたり、鉄道の魅力をより強く感じてもらうことが目的とのことでした。そして、東海道本線を駆け抜けた特別な名機の登場となりました。参加費は2時間半で27,000円。それでも参加人数260人分が3分で完売になったそうです。破格の高値で人数を制限し、今、実施したことにどれだけの意味があったのか知りたいものです。コロナ禍であり、人数制限は理解しています。しかし、今回の企画ですがJR東日本が民間企業とはいえ、毎年各地で実施されているJRやJR貨物などの無料イベントと何が違うのでしょうか? 例えば2018年10月13日の「高崎鉄道ふれあいデー2018」とか! 下の画像は先日の「往年の名機、~」ではなく、2018年の高崎の画像です。機関車もほとんど変わりませんし、より多くの機関車が並びました。ヘッドマークも付けていただきました。これには本当に多くのファンが大喜びで見に来られていました。2014年12月19日に今回同様の車両2両(501号機と1115号機)+24系客車が登場した東京駅開業100年を記念した一日限りの特急「富士」復活もイベントに花を添えました。それらに比べると今回の企画って明らかにファンサービスとは違う気がします。ファンサービスならコロナが落ち着いてからとか、10/14に合わせ先延ばしにするとか出来なかったんでしょうか?だから、なおさら今実施した理由がわかりません。今回、展示された機関車は近い将来、消えてしまうということなのでしょうか?ちょうど一週間前の2/2、今回展示されたEF65-1115号機同様これまで現役で活躍していたかつてブルトレ牽引した田端の1105号機がピカピカ過ぎる状態で長野総合車両センターに廃車回送されました。どこかで活躍の場は無かったのでしょうか?例えば東武鉄道さんに譲渡するとか。今回展示された車両を往年の名機と言うのなら、是非どこかで残してあげて欲しいものです。しかし、この状況から察するに58-61号機は残しても、きっとこの辺は残らないのでしょうね?名機なのに!そろそろお別れが近づいているということですか?さて、話は変わりますが、私は今回の名機の模型を全て持っているわけではありませんので、これを模型で再現することは叶いませんが、私の中での名機を最近入手した天賞堂のカンタム機で再現させていただくことにします。(下の1枚目の画像のみ、画像をクリックすると拡大します!)国鉄・JRの機関車好きの独り言でした。にほんブログ村
2022.02.09

このところ天賞堂のEF58カンタムの増備が続きます。最初は61号機お召仕様にはじまり、次は青/クリーム(警戒色)上越タイプP型、そして今回(原型小窓)青/クリーム(警戒色)ビニロックフィルターを増備しました。EF58は昔から好きな機関車でした。今から50年位前小遣いやお年玉をためて最初に買った機関車も天賞堂のEF58でした。学生時代には実物を見に上野駅へ行ってたくらいです。そして、61号機は別にしても、上越タイプくらいはと思っていましたが、自分的にはそれだけでは足りなくなってきたのです。この機関車、調べてみると奥が深く、製作された台数も多ければ種類も多く改造も多い。配置区についても車両によっては転属も多く、それがなかなか分かりづらいことを痛感しました。そこで上越タイプは高崎、上越線、東北本線黒磯以南そして北陸本線とし、原型小窓は東海道、山陽本線と大まかですが割り切ることにしました。天賞堂のEF58(原型小窓)青/クリーム(警戒色)ビニロックフィルターこれにより日本全国の直流区間をEF58で結べるようになりました。(笑)にほんブログ村
2022.02.07

かつて上野駅で見たEF58上越型に牽かせるために14系客車を増備したものの、その組み合わせが少ないのに驚きました。予定していた14系急行「八甲田」の上野―黒磯間の牽引機はEF65PFでした。また、14系座席車を使用した臨時急行「銀河」もEF65PF。たまにEF58牽引もあったようですが、それは東京区や宮原区のようなつらら切りのないタイプでした。しかし、今回ネットで探してみたところ、その組み合わせが全くなかったわけではなく、EF58-89号機青/クリーム塗装つらら切り付カマ時代の急行「津軽」(1983/7/23)や青/クリーム塗装つらら切り付カマが大阪-青森間の急行「きたぐに」(ちなみに特急はご存知「日本海」)や広島区牽引の臨客などで使用されていたことが確認できました。そこで、これを再現してみることにしました。なお、急行「きたぐに」はそれまで使用されていた12系客車+10系寝台車から1982年に14系客車に変わり座席車と寝台車の混成だったようです。電暖表示灯が灯っています!機関車は天賞堂のEF58 青/クリーム(警戒色)上越タイプP型カンタムです。にほんブログ村
2022.02.06

ブログ村でよく拝見させていただいているクハネ581さんの「よろしおすJNR」にあった電化区間を行くディーゼル機関車の客車列車を14系で仕立ててみました。12系があったら、そうしたんですが、持っていないものですから。カトーさん、12系の再生産はだいぶ先でしょうか?機関車はムサシノモデルのDD51-842号機(お召)です。にほんブログ村
2022.02.05

今回は大勝軒ではありません。場所は千葉県習志野市谷津にある「らーめん かいざん 本店」です。最寄り駅は総武線各駅停車東船橋駅より徒歩10分。この辺りはすぐ裏手に総武線各駅停車の津田沼電車区があり、ラーメン激戦区で近くにもいくつか美味しいラーメン店があります。例えば、「こってりらーめん なりたけ」とか、前回ご紹介した「ラーメン 魁力屋」とか、もう1つ数カ月前まであった「横浜家系ラーメン」は少し離れたところへ移転しました。他にも近くにいくつかあります。そして、今回の「らーめん かいざん本店」ですが、ラーメンWalkerアワード2011で全国3万9千軒中、何と2位の殿堂店です。しかも2013年4月7日ラーメンWalker登録店舗42720軒中、全国の注目ラーメン店舗アクセスランキングで本店が全国1位、西船橋店が全国6位を誇ります。実は「かいざん」、当初は本店だけだったのですが、その後西船橋店、そして新小岩店を立ち上げております。新小岩店には行ってませんが、西船橋店で食べたところ本店と変わりありませんでした。本店がやや交通の便の悪いところにありますので、駅から近い西船橋店や新小岩店も良かったらどうぞ。ちなみに年間来客数は本店14万人、西船橋店17万人だそうです。そして、かいざん本店がこちら。「らーめん かいざん」のホームページもあります。一番人気はかいざんラーメン880円ですが、私はチャーシューメン880円かネギチャーシューメン980円をいただきます。評価 麺:4、スープ:5、焼豚:5、全体:5(全て5段階評価)コクのある豚骨醤油スープに麺がよくなじみます。一度行くと病みつきになります。下の画像は午前11時頃ですが、それでもすぐ10人程度は並びます。店内はカウンター席のみ12~3席で、待つ時は20~30人位になることもあります。本店は待つ覚悟が必要です。下は外の張り紙入る前に自販機で券を購入します。店内ネギチャーシューメン(かいざんラーメン同様のりとワカメがのっています)追記.かいざん新小岩店の画像を下に追加しました。にほんブログ村
2022.02.04

14系を増備してEF58上越型牽引の急行「八甲田」を考えていましたが、かつて上野駅で見たEF58警戒色つらら切り牽引の急行「八甲田」はどうやら14系に置き換わる以前だったようです。(笑)そんなわけで、今回EF58上越型をひとまずおいて、14系「八甲田」を仕立ててみました。急行「八甲田」は国鉄時代1961年から1993年まで東北本線経由で上野―青森を結んでいました。1985年3月のダイヤ改正で14系に置き換えられ、上野―黒磯間は田端のEF65PFが担当していたようです。93年以降は臨時急行「八甲田」として98年5月まで運行されました。そして、何度(1993/9/11、1996/8/14)か初代レインボー機牽引による画像がネットで確認できました。この初代レインボー機と14系との組み合わせは急行「津軽」として1990/9/1から583系になる前の8月下旬にも運用されていたようです。機関車はいずれも天賞堂の真鍮製です。にほんブログ村
2022.02.02

今日は妻の月命日です。月日の経つのを本当に早く感じます。つい、この間だったような気もします。1年の余命宣告から1年4カ月4日で逝去。そしてそれから1年4カ月経ちました。そんなわけで、今日は娘と両国のお寺に墓参りに行ってきました。家事や二人の子育てに忙しい中、いつも一緒に来てくれます。そのあと、二人でランチを食べてきました。和食波奈の「波奈御膳」にほんブログ村
2022.02.01

近くに住む娘からメールで「サイズが合うかわからないけど、こんなのあったよ」と画像を送ってきてくれました。それは子供がお金を入れて出てくるフィギアです。ネットで調べても縮尺は出ていませんが、寸法が載っていたので、一先ずガチャガチャのコーナーに行ってみることにしました。すると子供達だけでなく学生から大人まで買っているじゃありませんか。そんなお目当てのガチャガチャが下の画像のものになります。J.ドリームの駅マスコット2 全5種類トイズスピリッツの江戸の町屋マスコット 全5種類高さ6cmと記載あり。手のひらサイズ立体マスコットとか、1/48フィギアを並べると雰囲気抜群!とあり?トイズスピリッツのサービスエリアのコンテナショップ(ダイキャスト製)全5種類横幅5.5cmと記載あり。試しに駅マスコット2を1回だけやってみることにしました。運よく欲しかったものが出てきました。ラッキー!そして、五日市駅に設置してみました。意外といけそうです。(笑)にほんブログ村
2022.02.01
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