2025
2024
2023
2022
2021
2020
2019
2018
2017
2016
2015
2014
2013
2012
全19件 (19件中 1-19件目)
1
*小島政二郎は「落窪物語」が大衆小説である根拠として、次のような九つの要素を挙げている。1.仕組み(プロット)のあること。1.登場人物に、同情される人間と憎まれ役とがはっきり対立していること。1.どうなるかと言ふ不安(サスペンス)を絶えず孕んでいること。1.涙。1.ユーモア。1.復讐の快感。1.気の利いた会話、冴えた技巧。1.読者を飽かせぬ進行の速度(テンポ)。1.終わりが余りにも---お伽噺のやうに目出度し目出度し過ぎること。これは小学館日本古典体系「落窪物語」の解説(三谷邦明氏)、--平安朝の大衆文学--の箇所に書かれていた文章からの抜書きですが、文脈と関係なく目に留まった事柄であったので、メモ。この九つの要素は、私たちが毎日耳目に触れている、ニュースの取り上げ方と受け取り方にも微妙に働いていること、改めて感じたのであった。
2004.10.31
コメント(2)
新潟中越地震、ここ2日ばかり、強い余震はないようですね。このまま静穏化するといいのですが。楽観はできませんね。ついにボサボサ頭がどうしようもなくなって、3ヶ月ぶりに美容院へ。またカットのみ。いつもの美容師さんが、転勤していなくなっていた。一生でお付き合いする人の職種の中で、最も多く逢う職種って何だろう。スーパーのレジの方、ドラッグストアの方、郵便屋さん、クリーニングやさん、銀行員の方、お医者さん関係、昔は集金の方も多かった。こうしてみると、仕事や友人や家族関係とは別に、生活とは単純な作業のようでいて、何気なく見えていながら、社会の一員を十分構成しているものらしい。一生の間に何人くらいの人に出会うものなのだろう。通り過ぎていくような不思議な感覚。ネットでの出会いは、言葉だけのことが多いのに、反って理解しやすい関係が生まれるような気がする。しかしそれも想像力の問題で、独断に陥ると上手く行かないこともあるだろう。イラクでの日本人拘束のたびに、「家族の絆」を教えられる。残された家族を中傷する社会は、昔ながらの世間やムラ社会が、今も続いていることを思い知らされる。私がもしご家族の立場になったら、どのような行動ができるか心もとない。とりとめもなく書いてしまいました。
2004.10.29
コメント(6)
また新潟で震度6の余震が。そして、土砂崩れで車ごと生き埋めになった親子の救出、今も続いているという。埋もれたまま4日を生き抜いた2歳の男の子の生命力、奇跡って、あるのだ。自然に立ち向かう人々の姿が、古代より今も変わらない人間の姿なのかもしれない。そしてまた、イラクでの日本人拘束。今回はさらに厳しいことになりそうだ。日付が変わっても、眠る気になれない夜でした。
2004.10.27
コメント(0)
日本シリーズは西武が優勝。テレビでところどころ観戦しました。落合監督のこと、来期も必ず出てくることでしょう。西武は野球外のことで怪しいことになっているから、優勝は選手やファンにとっても力になると思う。台風24号は、温帯性低気圧になったようだ。長引く雨よ、はやく去れ。以前から見たかった映画、「猟奇的な彼女」/2001年韓国、クアク・ジョエン監督、をテレビでみた。●僕の彼女はとってもキュート、でもルックスとは裏腹にかなり暴力的! エキセントリックな彼女と翻弄される青年の恋を描き、韓国で猟奇ブームを巻き起こしたラブコメディ。↑↑ 番組案内より一部目をそむけたけど(入念に演出された吐くシーン。どんな映画でも苦手である。最近の映画はやたらと多いように思う。)、その後はすごく笑った。懐の深いラブコメディであった。
2004.10.26
コメント(0)
今朝も6:00頃地震があったので、テレビをつけたらやはり新潟で震度5の余震があったそうだ。今回の地震は震源地が浅いので、強い余震が長期に及ぶとも言われているらしい。10.23に起きた地震も震度5以上のときは、関東地方もその度に揺れた。震災地と同じ地続きにあることを、実感します。このゆれの向こうに震災に遭遇された方たちがいるのだと。私たちは表層に暮らしていて、つながっているのだと。そして被害に直接関係のない地では、日本シリーズに沸き、私もテレビで観戦しました。今回は西武の松坂大輔投手に肩入れ。(前回は中日の川上投手を応援していたので、なんとも節操のないことです。)西武が勝って、今日の決勝戦はさて、どちらを応援しましょうぞや。台風や地震の災害の多発は、日常生活が危うさと隣り合わせにあることを教えてくれる。忘れすぎていることや、目をそらしていることを突きつけられる。一皮むけば、板子一枚下は地獄なのであった。
2004.10.25
コメント(0)
10/20日の大田黒さんの日記、「人は本当に捉えたいことを捉えることはできない」、カメラで例えて書かれていたことが、とても面白かった。私は写真を写していて、ちょうど逆なことを感じることが多いのです。フィルム一眼レフは、昔アサヒペンタックスSV,SP,オリンパスOM-2を使っていました。わりと身体と一体感があり、フォーカルプレインシャッターでしたが、シャッターを押しているときの闇は、まばたきしている感覚でした。あのバシャッという音もなかなかによいものでした。シャッター速度が遅くなると三脚とレリーズを使うので、フレーム内に切り取る感覚でした。本当に捉えたいものが、写っていることは素人にはほとんど無理なことで、プリントや加工の段階まで視野に入れての作業が必要だと思いました。それでデジカメなのですが、私は小型のペンタックスOptio550を使い始めて1年余りですが、見えない時間(闇の時)が、長く感じられます。連写するときはまったくタイミングがずれます。(連写機能はまだ使ったことがありませんが)つまり写された映像がカードに記憶される時間が、必要なためだと思うのです。タイムラグが生じるというのでしょうか。夜景や花火を手持ちで写していると、完全に目で見たものを捉えることはできません。それがすごく面白いのです。私にとってカメラは、捉えたいと思ったことを捉えようとするより、カメラが写してくれる意外なモノ、自分の目では捉えられなかったものを写してくれる世界が、珍しく楽しく発見なのです。これは早く言えば、無知な素人だからできる楽しみなのですが。だから、大田黒さんのまっすぐな視線を、新鮮に興味深く読ませていただきました。そして付録の発見。ラグタイム(ragtime)とタイムラグ(time-lug)を混同していました。ラグタイムはジャズ演奏の形式とその曲。rag==ぼろきれ。布切れ。つまらぬ物。くだらない人間。lug==遅れること。遅延。ずれること。タイムラグは関連しあう二つの現象の間に生ずる時間のずれ。捉えようとして、すりぬけて行くもの。ぼろぼろの時間。遅刻物。そんなものが、写せたらいいなと思う。思っているだけだけど。
2004.10.23
コメント(12)

甘えん坊のチロです。育ちざかりなのか、いつもお腹をすかしていて、顔を見るとみゃあみゃあ呼びます。(ハスキーな声がいいのよ。)白丸が来なくなって、6月ごろから現れるようになりました。日本シリーズ第5戦、中日が勝ちましたね。川上憲伸投手に肩入れしてみていました。いい試合やった。その後、ジョージア・オキーフのことをNHK教育でやっているのを見ました。あのニューメキシコの風景には一度出会ってみたいものです。十余年前の今頃、息子が喘息で窒息して意識を失ったので、日本シリーズの度に悪夢を思い出します。10-11月ごろと6月ごろは喘息の子にはつらい時期でした。今は治療法がよくなって、重症の小児喘息はほんとに少なくなったそうで、よかったなと思います。
2004.10.22
コメント(2)
こちらは午前0時過ぎには、雨も風も止んで静かになりました。でも四国は今回も大変だったようです。昨日14:23 徳島の弟から、「台風ごつい また連絡する」のメールあり。9日に出した私のメールを「今見た」だとは、どうなっとるん?娘が島根への出張後転職し、今度の職場では保証人が2名必要なため、愚弟の出番。こういうときは弟様様、頼りにしてます。口の悪い叔父さんは、「永久就職はまだか?」「長~い目で見て~よね~」は、イツモの娘の返事。仕事はこの辺で落ち着いてほしいものです。
2004.10.21
コメント(0)

昨日の日記に書いた、「みみづく通信」については、石川喜一さんのホームページに詳細が書かれています。私のこのホームページの右の欄下の方にある、お気に入り一覧"よく行くページ"にリンクしておきました。「音楽とことば」というのがそれですので、興味のある方はご覧になってください。今日載せたのは、原田力男(はらだいさお)さんの写真です。下方は原田さんの没後、遺志を託された石川喜一・佐藤稔・関口隆一・高久暁・山内恒人、各氏によってまとめられたご本、青春の音楽 原田力男の仕事 「青春の音楽」原田力男著作集 編集委員会・編です。写真はこの本に納められていたものです。原田さんについて語る言葉は、私などには簡単には書くことができませんので、谷川俊太郎氏の詩の一部を書き記しておきます。原田さんの「葬送の集い」で朗読されたものです。あなたが 誰を愛し/誰に愛されたのか/わたしは知らない//細く 硬く 張りつめたピアノ線を/やわらかな フェルトのハンマーが叩く//そんなふうに あなたは生きたのだろうか/そこから響き始める 捉えがたい旋律に魅せられて//耳と手で あなたはやさしく愛撫した/黒く 重く どっしりと居すわる不機嫌な怪物を// (略) 「やわらかなハンマー」--原田力男さんにこの本も「音楽とことば」のホームページで紹介されていますが、まだ工事中のようです。
2004.10.19
コメント(0)

清水常良著「みみづく通信」1982-1993 視聴覚アート 見たり聞いたり発行者 石川喜一・山内恒人 発売元 アカデミア・ミュージック「みみづく通信」は、「プライヴェート・コンサート」という一時代を画す自主制作のコンサート・シリーズを主催した原田力男氏(1939-1995)が発行した「プライヴェート・コンサート通信」に、11年間に亘って掲載された現代音楽を中心とした芸術評論です。 著者清水常良氏は、実業に身を置くかたわら、実際に自身の耳で聴き、自身の目で見た無数の芸術作品について、10日毎に評論を記したはがきを送り続けました。 (略)内容は現代音楽を中心に、美術・オペラ・能・ミステリーなど多岐にわたっています。また、日時、演奏者はもちろん各作品に短評が加えられており、短い文章の中に著者の持つ数十年の知見と情報が組み込まれています。 (略)*伝説のピアノ調律師、原田力男氏と少しご縁があった関係で、発行者のお一人である石川喜一氏から、頂戴したご本です。丁寧で詳細な索引も付けられており、それだけでこの時代の現代音楽の状況が知れるという思いがします。上記の文は、表紙見返しに付された紹介文から一部を転記したものです。最初はご自分で手作りされた本が、出版の運びとなったそうです。今日はここまでにして、また明日書きます。
2004.10.18
コメント(0)

前日の日記で書いたノラの落し物を昨日朝、詳しく見てみましたが、どう見ても「糞」でした。いつも「大」のほうは自分で土に埋めて始末している、行儀のよい野良猫と思っていたのに、不可解。「ノラ爺もついにアルツッたか。」(この辺りに住み着いて10年にもなります。)などと噂していると、夕方しおらしくやってきました。その時の写真です。養老孟司先生によると、ネコは脳のなかにある扁桃体で動いているそうで、その場その場で行動し、相手が誰かはわかっているが、一切覚えていない、ということです。でもこちらの感情が入るためか、そうとも思えないところもあって、このときはやけに神妙でした。野良猫たちは、こちらの(人の)感情を全身で読もうとするように、身構えたところが伺えます。それにしても、不可解な行動であった。シメサバのなせる業だったのか。(実は私もサバは嫌いなんよ。) そして、これは今朝のできごとです。うちの玄関付近で、どくろを巻いてる蛇の子供を発見。私は面白がって写真を撮ってみたのですが、写真をみたオットは、「まむしかも知れない」と動物図鑑を出してきて調べる。そして保健所に電話。スズメ蜂とかこういう危険が予想される時は、消防署に相談するのだそうです。そして消防署の職員さんが3人も、来てくれました。たぶん、まむしではないでしょうということでしたが、捕獲して持っていってくれました。ちょっと恥ずかしかったですが、この近くには昔「マムシ谷」と呼ばれた場所もあり、子供のころから蛇をみたらマムシと思えと教わってきた土地っ子の主人と、蛇は家に棲んで家の守り神だから傷つけてはいけない、と教えられてきた私との差異がでたことでした。蛇の嫌いな方、こんな写真をのせてごめんなさい。蛇の種類のわかる方、教えてください。
2004.10.17
コメント(6)
風も吹いて、洗濯物もよく乾きました。野良猫たちも次々顔をみせました。チロに寅吉にノラに家出猫、時間差でやってきます。今日はチロが大甘え、それはいつものことなのですが、大物ノラに異変が。ノラは好き嫌いがはっきりしていて、ネコ缶は決して食べない。以前主人が野良猫たちのお土産に、賞味期限ぎりぎりのバーゲンキャットフードを買ってきた。いわく「舌平目のなんたらかんたら」「とりささみ肉のなんたらかんたら」、私など食べさせてもらったこともないようなご馳走です。小さいのに大食いだった白丸のらは、夢中でぺロリとたいらげました。しかしノラは、困惑した顔でお皿の中の御馳走を眺めて、ちらと匂いを嗅いだだけでプイと行ってしまったのであります。で、いつもノラの食するものには、気を使うのです。で、今夜好物の油揚げと、嫌いなシメサバをあげてみました。(気を使いすぎると、嫌いなものもあげてみたくなるのですよ。)酢の物は嫌いなはずなのに、食べてるなと思っていたのですが、ノラの去った後を見ると、お皿の上に残したシメサバと、なにやら変なものがのっているのです。もしかしたらウンチか? ノラがまさかお皿の上ににウンチをするはずがありません。それに匂いもない。暗くてよくわからないので急いでお掃除して、植木のわきによけて置きました。ノラがサバアレルギーで、何かを出していったのかも。それとも私のいたずらに、きっぱり抵抗したのか?明日よく観察してみよう。
2004.10.15
コメント(2)
なぜかイラン映画に心引かれるものがある。ここで今まで見たイランの映画を、まとめておこう。*「バシュー ~小さな異邦人~」 1986年制作 監督不明*「友だちのうちはどこ?」 1987年制作 監督 アッバス・キアロスタミ*「そして人生は続く」 1992年制作 監督 アッバス・キアロスタミ*「パンと詩」 1994年制作 監督 キュマルス・プルアマド*「オリーブの林をぬけて」 1994年制作 監督 アッバス・キアロスタミ*「白い風船」 1995年制作 監督 ジャファール・パナヒ*「桜桃の味」 1997年制作 監督 アッバス・キアロスタミ*「ぼくは歩いていく」 1998年制作 監督 アボルファズル・ジャリリ*「風が吹くまま」 1999年制作 監督 アッバス・キアロスタミ*「太陽はぼくの瞳」 1999年制作 監督 マジッド・マジディ*「キシュ島の物語」 1999年制作 1話 ギリシャ船 監督 ナセール・タグヴァイ 2話 指輪 監督 アボルファズル・ジャリリ 3話 ドア 監督 モフセン・アフマルバフ*「ブラック・ボード ~背負う人~」 2000年制作 監督 サミラ・マフマルバフ*「カンダハール」 2001年制作 監督 モフセン・マフマルバフ*「少女の髪どめ」 2001年制作 監督 マジッド・マジディ*「一票のラブレター」 2001年制作 監督 ババク・バヤミ今日は植木屋さんが入ってくれて、台風22号で倒れた生垣を修復。ついでに刈り込みもしてくれたので、すっかりきれいに。また台風が来そうだと言うので、急いでくれた。イラン映画は実際に劇場でみたのは、3本くらい。あとはテレビで見ています。検閲が厳しいので、寓話的なものが多いらしい。
2004.10.14
コメント(0)
今日は体調があまり良くなかったのだけれど、みなさんのホームページや掲示板をのぞいているうちに、元気が出てきました。最近テレビで見た映画のメモ*「リトル・ニキータ」 '88/米 リチャード・ベンジャミン監督 シドニー・ポワチェとリバー・フェニックスの競演*「少女の髪どめ」 '01/イラン マジッド・マジディ監督アフガニスタン難民の少女(少年に変装して働いている)へ の、イラン少年の無償の愛。少年が働いた、一年分のお給料や、自分のID(身分証明)まで売って用意したお金を持って難民の人や、少女の親子はアフガニスタンに帰っていく。身分証明を買った売人が、即座に少年の写真をはがすシーン、別れのとき少女がブルカをかぶるときのシュッという音、別れのシーンと誰もいなくなったシーンの順序が入れ替えてあったことなど、細部の演出が印象に残って、頭から離れなかった。犠牲、誇り、尊厳、約束、について考えさせられた。語ることの手段を奪われた「難民」の存在について、9.11事件以前に撮られた映画だった。 おりしも、アフガニスタンでは、46年ぶりの選挙が行われていたのでした。「カンダハール」や「一票のラブレター」「キシュ島の物語」などのイランの映画も思い出していました。
2004.10.13
コメント(0)
このところ、久々に意識が「家庭の人」しているのかな。では、いつもは「家庭の人」に抗っているのかな。はいそうです。家を維持していかねばならないという声が呼んでいるので、意識して「家庭の人」せねばならない。でも、ぶーーんと飛んで行きたい時空がないと、私は私になれない。切り替えのスイッチが、失われて久しい。次々に問題が発生して、私のご都合主義を嗤いにくるようだった。それでも私が無様にもつかんでいたものって、何だったのだろう。守ろうとしていたものは守れたのか、それも疑わしい。ああ、体力気力衰えても、それが知りたし。(苦笑)
2004.10.11
コメント(0)
こちらは4時すぎから風雨、荒れ始めました。雷光が走り、ドスンと地響き。屋根の上を雨が煙になって、吹き飛んでいくようでした。木々もうねるし、突風も窓や扉をみしみしふるわせるし、あちこちを、点検。ちょうどその頃に、息子がCDやさんの夜のバイトに車で出かけるので、気をもみました。5時ごろお夕飯を食べて、出かけるのですが、嵐の真っ最中、それでも無事に到着したそうで、ほっと安心。6時30分頃には風雨も弱まり、今は時々強風が吹きますが、静かになりました。久々の台風直撃でした。ここ二日ばかり、エクセルをいじってみていたのですが、だいぶ分かってきました。でもしばらくはやっぱり、ワープロと両方使っていこうと思っています。(インクリボンもたくさん買い込んであることだし。)たまっていた事務的雑用を、片付けています。これを書いた後、台風でカイヅカイブキの生垣が倒れていると連絡があった。支柱と横に渡してある竹が腐っていて折れたらしい。さきほど応急処置をしてきたところです。明日植木屋さんが見に来てくれることになりました。やれやれ、思わぬところに落とし穴あり、でした。それにしても、台風22号も各地に被害がでているようです。お見舞い申し上げます。
2004.10.09
コメント(2)
hime1さんのページて゜、ひろぽん2さんと話題になった「メバチコ」のことです。大阪では「メバチコ」、熊本では「お姫様」!!、徳島では「めいぼ」といわれています。一般的には「ものもらい」が、地方によってこんなにいろいろな呼び方があるのを、面白く思いました。医学的には麦粒腫と霰粒腫に、診断される種類があるようです。下記のホームページに、地方別の「ものもらい」の呼び名とその語源について書かれていました。 眼鏡かわら版 第24.25回です。 http://www.ne.jp/asahi/ogi/home/back/024.html http://www.ne.jp/asahi/ogi/home/back/025.htmlええと、リンクのタグの使い方、試してみます。うまくいくかな。だめでした。(泣)
2004.10.05
コメント(4)
昨夜日記に書き込んで、送信したところで、メンテナンス開始の時間にひっかかって、きれいに消えてしまった。むなしーーい。5年くらい使ってきた、PHSを携帯に替えました。時代遅れねーって言われるたびに、愛着がいや増しに増していたのですが、アステルのエリアが縮小されること、経費削減にもなることで、断念。残念。昨日町を歩いていたら、自分が見知らぬ人のような、影さえ持たない、存在しないもののように思われて、目前を通り過ぎる人たちが異次元に住まう人のように遠くに感じられた。私はよろよろと、いまどこに居るのだろう。ほら、忘れているよ。振り返ってとりに行かなければ。沈黙のむこうがわに。携帯は、一番シンプルな機種を選んだら、「1円」だった。ひょえ~~めったに使わないので、料金も50分の通話込みで、2000円/月コースに。少しずつ慣れていこう。
2004.10.03
コメント(5)
中・高校生の頃、親の本棚からそっと抜いてきて、隠れて読んでいたのが、江戸川乱歩や横溝正史、円地文子、石坂洋二郎などの本だった。あっちゃんさんの日記で、その頃読んだ江戸川乱歩の「盲獣」などが、映画化されていることを知りました。そしてWOWOWでも放映されていることに気がつき、今日「江戸川乱歩の陰獣」を録画しておいて見ました。1977年 加藤泰監督作品です。見ているうちに、この本を読んでいたらしく、あらすじが思い出されてきて、犯人が先にわかってしまったので、出演者の懐かしい顔や、大正時代の風俗を楽しみました。吾妻橋や隅田川、浅草の様子、「山の上のホテル」は去年知人に連れて行ってもらったばかりだったので、ハア、当時はこんなだったのかなんて。あおい輝彦、香山美子、若山富三郎、大友柳太郎、川津祐介、田口久美、倍賞美津子、仲谷昇などの出演です。殺しあうまでの情愛の世界、大昔に読んだときに、どんな感想を持ったのかも覚えていませんが。凝ったシーンも随所に楽しめました。さいごのあおい輝彦が謎解きをする場面がよかったです。大正時代というのは、独特の美があったようですね。
2004.10.01
コメント(2)
全19件 (19件中 1-19件目)
1


