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先日朝日新聞で、「社会不安障害」(SAD)が、とりあげられていた。以前からある「対人恐怖症」と重なるところも多いらしい。SADは80年代米国の精神疾患マニュアルなどで紹介され、知られるようになったという。SSRIという薬物による治療効果も報告されているらしい。その「社会不安障害」の種類なのだが、スピーチ恐怖、震顫恐怖、人前で緊張、視線恐怖、排便・排尿恐怖、電話恐怖、赤面恐怖、発汗恐怖、会食恐怖、腹鳴恐怖などだという。これに対して「対人恐怖症」の典型は、自己臭恐怖や自己視線恐怖なのだそうだ。これを読んで、私なんかものごころついたときから、対人恐怖症で、思春期からは社会不安障害も加わったのではないかしらと、思えてくる。自分の性格だと思って暮らしてきたけれど、そして物を書くことに向かわせる動機にもなっていると考えていたのだけれど、病気だととらえるとなると、これはまた面白い事になるかもしれない。薬物療法と心理療法の併用で、改善が期待されるということである。はあ~、神経伝達物質や脳の研究が進むと、人の性格も規格化されるかもしれない、なんて考えてしまった。
2004.09.30
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台風21号の影響で、時々雨が激しく降っています。またまた、九州・四国・本州を縦断しているようです。今年はほんとに台風の当たり年です。島根でも16号の被害のあとが、あちこち残っていました。今夜BSで「ウエスタン」をやっていて、緊張感の演出に(ワザトラシーイ)、ついつい引き込まれて、最後まで見ました。セルジオ・レオーネ監督('68 米=伊)マカロニウエスタンが、アメリカ進出の一作だとか。ヘンリー・フォンダの残酷な悪役ぶりが意外によかった。ブルーの目がすごくきれい。対するチャールズ・ブロンソンの灰色の目が、これまたアップにたえる眼光。オープニングでクレジットタイトルを出しながら、長く気を持たせて、いったい何者なのか、何故なのかで、ずっーと最後まで、観客をひきつけていました。クラウディア・カルディナーレもアメリカの女優さんとは一味ちがう西部の女でした。(役柄は典型的な西部劇の女性なんですが。)現在二階の室温23℃/湿度74%/快適度65/風が強くなってきました。雷鳴のような雨音も聞こえます。
2004.09.29
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矢口史靖監督「スウィングガールズ」、見てきました。おもろかった。笑ってきました。楽しんできました。 おわり。眠くなったのでもう寝ます。おやすみなさいませ。
2004.09.28
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お土産げに買ってきた鬼太郎まくらです。目玉親父はとりはずせます。かわゆいでしょ♪おばけにゃ学校も~、試験もなんにもない!
2004.09.26
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ひょんなことからあわただしくでしたが、出雲、松江に行くことができたので、思い出す詩の冒頭の部分を、書いておくことにします。難解で知られる入沢康夫氏の名作「わが出雲」より 1 やつめさす 出雲 よせあつめ 縫い合わされた国 出雲 つくられた神がたり 出雲 借りものの まがいものの 出雲よ さみなしにあわれ鈴木志郎康氏の脚注で、やっとなんとか読むことが出来る長編詩ですが、出雲といえば、この詩を思い出します。1の部分の脚注を写しておきます。*「やつめさす」→出雲にかかる枕詞のひとつ。*「縫い合わされた国」→国引きによって、引いて来て、「作り縫」われ大きくされた出雲国を指す。*「借りものの まがいものの」→前註「縫い合わされた国」からの連想。この詩の構成法をも暗示する。*「さみなしにあわれ」→「古事記」に倭建命が出雲を討った時の歌として、「やつめさす 出雲建が佩(は)ける太刀 黒葛多巻(つづらさはま)き さ身なしにあはれ」(りっぱなこしらえの刀だが、刀身がなくて、あわれなことだ。)とある。「さみなし」は、中身がないこと。冒頭の短い部分に、これだけの注釈が必要なほどなのですから、この長編詩を読むことは大変な労力を伴います。せめてさわりの部分だけでも記して、詩の出雲を味わったつもりになることにしました。(屈折笑)
2004.09.25
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松江ウォーターヴィレッジ22日から島根に行ってきました。一時は土砂降りの雨の中、出雲大社、一畑薬師、松江ウォーターヴィレッジ、松江城堀川めぐり、水木しげるロードまで、宍道湖から中海ぞいに娘の運転する軽自動車で走ってきました。今日夕方、帰宅しました。とにかくお天気が悪かったので、絵葉書のような宍道湖の夕日は見えず、水も空も一面の灰色の世界でありました。湖水面が道路や家のすぐ近く、手の届きそうなところにせまっていて、そこに大雨の逢魔が時、水面がせりあがり、車ごと吸い込まれていきそうな雰囲気でした。「ちょっと、ビビッたぜ。」とは娘の弁。彼女は仕事で一週間ほど島根に行っていたのですが、23日は休みだったため、私が合流して遊んできました。水木しげるロードというのは、おなじみ鬼太郎はじめ妖怪たちのモニュメントが並木のように続く道でして、マニアックなお店などもあります。ここは鳥取県になります。雨の中、県をまたいで一日中よく走ったものです。おつかれさん。
2004.09.24
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検査結果を聞きに、またしても病院へ。甲状腺ホルモンの値も正常で、炎症反応も肝機能も異常ないということなので、このまま様子をみることに。明日からちょっと一泊旅行にでかけてみようかと、思案しているところです。23日の予定が満席でだめだったので、急遽明日からということになって、あわてています。体調がよければ、おもいきって出かけてきます。
2004.09.21
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ジョゼ・ダヤン監督「デュラス 愛の最終章」をムービープラステレビで、見た。番組案内には"「愛人/ラマン」の原作者、マルグリット・デュラスが38歳年下の愛人と過ごした愛の軌跡。デュラス役は彼女と親交のあったモロー。"とある。デュラスは、「ラマン」しか読んでいないが好きだった。この映画は愛人であったヤンの著書をもとにした実話らしいのだが、何かあわあわとしていて、あいまいな印象が残る。最後の死の場面が、もっともデュラスらしく思われた。しかし、この年下の恋人(しかも彼は同性愛者だったらしい)とくらした16年間は、「ラマン」をはじめ多くの作品を生んだ時期でもあったようだ。デュラスを演じたジャンヌ・モローに吸い寄せられるように、見てしまったが、見る者の想像力に問いかけてくるような演技であったかも知れない。
2004.09.20
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モブ・ノリオ「介護入門」読みおえたところです。 モブや、良すぎておばあちゃん立ち直れないよ。 って、そんな感じ。いくつかの場所で泣いてしまったよ。 ほんの一部ですが、抜書きしておきます。* 九十年代以降を跋扈した《ヤバイ》が如何に真なる《ヤバサ》を欠こうが、《終わってる》時代に生まれた《終わってる》は、その言葉自体が心底《終わってる》んだ。YO、朋輩(ニガー)、言葉は人間の糞だ、何を食べたか、どんな生活をしたかで糞は変わる。* 俺はいつも、《オバアチャン、オバアチャン、オバアチャン》で、この家にいて祖母に向き合う時にだけ、辛うじてこの世に存在しているみたいだ。知らず知らずのうちに、ばあちゃんの世話だけを己の杖にして、そこにしがみつくことで生きてきていた。それ以外の時間、俺は疲弊した俺の抜け殻を持て余して死んでいる。死んでいる俺を忘れるためにか、死んでいることをより生々しい色で知るためにか、夜な夜なタールでべとつくパイプに大麻を燻らせる。また黄色が飛びやがる! 俺は贋の人生を生きるよりは、血を漲らせた目玉を開き、俺を翻弄する麻の大波に身を巻かれ、死んでいる俺を見つめ直す。そこからでなければ俺には出来ない物の見方がある。安物のアルコールで己を誤魔化した阿呆どもが惰眠を貪る時間、死んでいる俺はグラム八五00円の徹夜から、生きる光を探すのだ。YO、今夜は眠らん。そろそろ《ダウナー大学 夜間介護実技》の時間だ、雑草の灰で息を詰め、扉を開き、俺は暗い階段を降りてゆく。 ひさしぶりで、血の通った「ばあちゃん」という言葉を聞 いた気がしました。 新しい文体の登場、やはり文体は命でしょうか。
2004.09.19
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セリーヌ「夜の果ての旅」 中央公論社・世界の文学42 生田耕作・大槻鉄男訳読んだのは、学生時代、19歳位の時です。回廊さんの「くる書店」で新版が出ていること、知りました。懐かしくて、当時の抜書きした紙切れをアップしてみました。19歳で一人前に、絶望していたらしいです。しみこむように、興奮しながら読んだものでした。「人間が絶望を越えてさきにすすむ価値があるかどうか。」なんて、呪文のように頭の中で反芻していましたっけ。あれから30年以上たって、セリーヌの研究も進んでいることでしょう。回廊さんが詳しく的確なコメントをして下さっているので、私に付け加えることはありません。数年前に、パラパラと読み返したときも、今日チェックしてあるところを読み直してみても、読んでるうちにまた別のところにチェックを入れたくなります。もし私が文系の学生だったら、もっとのめりこんでいたかも知れません。化学が苦手でさぼりまくっていた薬学生だったので、そちらの試験勉強に忙しくてセリーヌも文学書も多くは読めませんでした。これからネットで検索して、少し調べて見ますね。
2004.09.17
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「誰も知らない」の映画を今日は、娘と一緒に見てきました。私は2度目ですが、基になっている事件を踏まえた上で、事件から離して、もう一度映画をみてみたかったのです。やはり子供たちがよかった。他の俳優さんも、適役だった。秀作だと、思います。映画の後、久しぶりに渋谷の東急デパートへ。屋上のベンチに腰掛けていると、夕風が心地よく眼下に見える交差点の車のテールランプの赤い色がきれいだった。このところ、約8ヶ月ぶりに外出してみているが、体調はあまり変わらず、かえって食欲がでるのであまり神経質にならずに、身体を動かしてみようと思う。
2004.09.16
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マイケル・ムーア監督「華氏911」観て来ました。いろいろ話題になりすぎているので、かえって素直に観えなかったかもしれない。前から5列目の席しかとれなかったので、字幕が見ずらくて、途中で疲れてうとうとしてしまった。映画は大統領選挙からはじまっていて、ブッシュ氏とゴア氏とのフロリダでの選挙、どこがおかしいのかがまずわかった。映画はバイタリティーにあふれていて、批判も明確でフイルムのつなぎ方も効果的だ。アメリカを象徴するような音楽を使って、ノリノリのブッシュ批判、イラク戦争批判が繰り広げられる。マイケル・ムーア監督の突撃インタビューも面白かった。しかし、こんなノリでいいのかな? とも思うのだった。私は1年前くらいに見た「セプテンバー11」を思い出していた。9.11テロを題材にして、11カ国の国の11人の映画監督が、11分の短編映画を撮るというものだった。企画したのはフランス人だったと思う。参加した国は、メキシコ、アメリカ、日本、フランス、ブルキナファン、インド、イスラエル、ボスニア・ヘルツゴビナ、エジプト、イングランド、イランだった。(日本の監督は今村昌平氏で、これは奇妙な映画だった。)こちらのほうが、9.11事件の、アメリカの、戦争の、問題点を、大きくついているように、思われた。だがどちらの映画にも、今度のイラク戦争もまた、「戦争」をおこす構造が存在していることを、教えられたのでした。そして、情報操作されていない情報なんて、ないのだということ、確認しました。
2004.09.14
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この映画は、この子供たちが母と共に生きた時間をゆたかに、また母に捨てられた後の悲劇から子供たち自身の生命力、再生を、自然に細やかに描いていたと思う。コンビニに働く不器用そうな人や、学校でいじめを受けているらしい少女との出会いが、救いや希望のように置かれていたと思う。社会に帰ってきた子供たちが、過去を振り返ったとき、女の性と原初の親子のありようを、ひとつのユートピアとして眺めることができるようなまなざしをも、感じた。よき市民と成るようなコースに押し込めるように、必死になって子供を育てていた自分が、大切なものを見失っていたようにも思われたのだった。明日は、あっと、もう今日はか、「華氏911」を見に行く予定です。では、おやすみなさい。
2004.09.13
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一昨日10日、是枝裕和監督「誰も知らない」観て来ました。この映画は、西巣鴨事件を下敷きに作られています。ネットで検索して、又聞きの又聞きですが、私なりにこの事件についてまとめてみました。都会の一隅で、一人の女性が既成の社会の枠外で、父親の異なる子を、5人産んだ。第2子は乳児のまま死なせてしまった。亡骸は消臭剤をつめて、いつもずっと押入れにしまっていた。その女性は、アパートを移りながら、十余年を出生届をださぬまま、いないことになっている4人の子等と生きた。そしてある日、子供等を置き去りにして、新しい男性のもとに走った。14歳の兄が妹たちの世話をすることになった。時々母親が長男に、わずかなお金を渡していたらしいが、滞りがちになっていった。いないことになっている子供たちがイルことを、まわりの大人たちは、知らなかった。兄に中学生の友達ができて、大人のいない子供だけの部屋に入り浸るようになる。それが2歳の妹を死なせてしまうことになる。兄はかかわった中学生と一緒に、その亡骸をトランクに入れて、電車で山林に運んで埋葬する。アパートの大家の通報で、警察の知るところとなり、事件はセンセーショナルに報道され、後、母親の女性が出頭したという。社会の埒外に育った子供たちが、母と共に初めて社会の法の適用を受けることになる。是枝監督はこの事件を16年あたためて、映画化し、華やかなカンヌの舞台に乗せたのだ。私は以前、なにげなくチャンネルを回していて、「幻の光」に出会って強く魅かれて以来、是枝監督のファンで、「ワンダフルライフ」「ディスタンス」は劇場で観た。「誰も知らない」については、まだ観ていない方たちのために、書かない方が良いのではないかとも思いました。でも、すでに多くの感想がでていますね。ネットで検索してみて、圧倒されてしまいました。
2004.09.12
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ふらっとな日記を開設したのが6/12でした。もうすぐ3ヶ月になるのだから、はやいものです。ただつれづれなるままに書いていたのですが、この機会に、カテゴリを作って整理してみました。リンクして下さっている方には、古いものもnew!で送られてしまったようで、お騒がせしちゃってすみません。もう少し細かく分類するつもりなので、また送信されてしまうかも知れませんが、乞御容赦、でございます。心配がひとつ、心配がふたつ、心配がみっつ、心配がよっつ、心配がいつつ・・・って数えていたら、 心配心配心配 心配 心配 心配 心配 心配心配心配となって、中味は空洞になっていくような、気がして来た。さあ、そろそろ寝ます。おやすみなさい。
2004.09.08
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また大きな被害を残しつつ、北に向かっているようです。こちらも強風が吹きつのっています。先程の天気予報では、19号はどうやら、あまり心配無さそうですね。北オセチアの学校占拠事件は、発表が情報操作されているらしい、とのこと。モスクワの市民の声でも政府の発表を、信頼していないようでした。閉ざされた世界のなかで、何をどうしようというのでしようか。
2004.09.07
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昨日の2度の地震、台風18・19号の接近日本列島が揺れているようです。フランソワ・オゾン監督の「8人の女たち」をテレビで途中から見始めて、面白くて最後まで見終わったところです。カトリーヌ・ドヌーブ、エマニュエル・ベアールなど、大女優の競演。歌と踊りの挿入の仕方がなんとも心憎いミュージカルサスペンス。人を食っています、否、人でなくって男性をかな?どんでん返しもあります。面白く、楽しく、堂々と愚かです。日付が変わってしまいました。おやすみなさいませ。
2004.09.06
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ベスランで起きた、学校占拠事件について、子供たちが標的にされたこと、女性テロリストが多かったらしいこと、想像を超えた事件で、言葉も見つからなかった。バガボンドさんのページで紹介してくださってあったチェチェン関連のサイトhttp://chechennews.org/を見てきて、さらに呆然とするしかない。今これを書いている最中に地震、長く横揺れ。0:00です。
2004.09.05
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先月は、「風姿花伝」だった。朗読は野村万作 解説は観世榮夫このお二人の名前をみただけで、わっ、と買ってしまった。 能は二度ほど観劇したことがあるのだが、解説なしでは無理だった。何度か睡魔と闘った。「夢幻能なのだから眠ってもいいんです。」とおっしゃって下さった先生もいて、肩に力を入れなくてよいのだな、と思った。能の音楽は好きだったなあ。 さてこの風姿花伝、野村万作氏の朗読は、くっきりとしていて、てらいがなく、権威的でもない。さすがであった。観世榮夫氏の解説は、わりあい簡単で、この書が実用の書であることを強調しておられた。今回は原書を引っ張り出してきて、現代訳と照らし合わせながら読んでいる。いろいろ書きたいことがあるのだが、今は、"秘する花" "因果の花" "人々心々(にんにんこころごころ)の花"などだけメモしておこう。
2004.09.04
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今月は、「海潮音」上田敏訳詩集 を注文しました。朗読は久米明氏です。こうして朗読CDを聞いていると、今私達が慣れ親しんでいる「詩」は翻訳詩にルーツがあることを改めて感じます。海潮音は1905年明治38年10月に刊行されています。難解な漢字や言葉に閉口しつつ、それでもどこかで一度は聞き覚えがある、詩人の名前や詩の一節に、広く巷間に行き渡っていたこと、改めて感じました。一番有名なのは、やっぱり「山のあなた」でしょうか。今日トップページを更新したので、上田敏先生に敬意を込めて、海潮音の中から短い詩を一編入れてみました。 ところで、この訳詩集のなかに、ダンテ・ゲブリエル・ロセッティの詩が3篇、妹のクリスティナ・ロセッティの詩が1篇収められています。数年前テート・ギャラリー展で、話題になったラファエロ前派の画家ロセッティです。ウイリアム・モリスの奥さんジェインをモデルにした「プロセルピナ」は超有名です。ロセッティは1828-82の人ですから、ほんとに早くから紹介されていたのですね。テート・ギャラリー展では、ロセッティの奥さんになったエリザベス・シッダルをモデルにしたサー・ジョン・エヴァレット・ミレーの「オフェーリア」も超人気がありました。行列ができましたもんね。それにしても不思議で複雑な人間模様、その時はじめて知りました。
2004.09.03
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今、imacから、送信しています。先程macから楽天のページにアクセスしたら、できなかった。ついにinternet explorer4.5では、見えない事態になっていた。息子がvaioをcd作りに使っている時は、macを使っていたのですが、さすがにexolorer4.5は化石状態になってしまいました。どうすればバージョンアップができるのか、わからなかったのですが、息子とあーだこーだやってみたら、簡単に5.1.7にアップできました。念願(笑)だったので、とっても嬉しい。非常に遅すぎたけれど、これでimac os9も蘇ったみたいで、う~ん、気分は上々です。でも、うまく書き込めるかな?送信!
2004.09.01
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