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毎日のように「可愛い~~っ♪」と叫んでしまっている今日この頃。 ちいさな3歳とちいさな0歳。おきている時は 好奇心旺盛な悪戯盛りとハイハイなめなめ噛み噛み盛りで2人を追い回しているうちに ヘトヘトになって切れ気味になりながら途方にくれる毎日だけど寝てしまうと 思う存分 眺めてぷにゅぷにゅの肌を触ってそして、起こさぬ程度に叫ぶ!「むぅぅぅぅう~! 可愛い~~っ♪」 ハネは 急にしっかりしてきて一人前に相談にのってくれたりします。先日もパパとけんか気味になったのでハネに愚痴ったら・・・私「パパさぁ、、忙しくて 少し余裕をなくしてるのかなぁ」ハネ「そうだねー。 ぱぱは きっと かいちゃ(会社)に よゆう を わすれて きたんだね」私「ママも ダメだよねぇ。。」ハネ「まま、だいじょうぶよ。 よちよち(よしよし)。。。」―と、私の頭をなでなでしてくれました。頭にそっと触れたハネの手は とっても あったかかった~最近 思うんですけど小さな手には 独特の温もりがあってすごーく、純粋で良い「気」のようなものが流れてるんじゃないかなぁ。ハネが丸めた白玉団子は優しい味がするしハネが描く絵の世界にも まあるい温かみがあって感動しちゃうことが しばしば。(「苺を食べるハネ」の絵 最近まつげを描くようになりました) お教室初日☆ほのぼのと素敵な時間が過ごせました。生徒さんも目をキラキラさせて一つ一つの作業に取り組んでくださって彫金を始めた頃の新鮮な感動を思い出しました。火を使って 気持ちを集中しなければならないロウ付け前には ハーブティを入れて「ふう~」っと心と一度落ち着かせて。私も一緒に学びなおし。ちいさなちいさな いっぽです。
Apr 28, 2007
いつも、ワクワクする情報を沢山教えてくれるお友達に誘って頂いて、素敵なグループの山菜取りイベントに混ぜていただきました。 母が 竹の子やたらの芽、ノビルなどを求めて春の野山を楽しむ人でしたので私も春になると 血が騒ぎます。北海道でも、山オトコさん達の山菜取りの会にオトメ一人(ワタシのコト)ちょこんと混ぜていただいたりしてました。でも チキンな性格につき、何度聞いても目の前の草は食べて大丈夫なものなのか毒草なのかの区別に自信が持てず、詳しい方がそばにいる時しか採取できません。それに、「次の命のために、根っこは残すのがマナー」ですとか、自然の一部の命を頂く心得等も教えていただけるので、こうした貴重な機会に生きたお話を聞くのも楽しみです。 色々な方の自然観や子育て観に 興味深く耳を傾けながら取れたての竹の子ご飯や、色々な山菜の天婦羅、ずくぼんじょ(つくし)の甘辛炒め....春の元気な命を 皆でワイワイ 有り難く頂いてきました。 お家に持って帰らせていただいた山菜なんて可愛く いとおしく 美しく 元気な~♪左から野蒜にクレソン、赤いイタドリ、芹、スギナ(乾かしてお茶の粉にするといいんだそうな)土筆(ハネが取ってくれたので開いちゃってるやつ)、ヨモギ間違ってたらご指摘下さい。胡麻よごしや酢味噌和えにして。。ハネはヨモギ白玉をコロコロ丸めて作ってくれました。ドロボウ猫の手が伸びてるぞーーー。
Apr 17, 2007
こんにちは。だいぶPCにも向かえるようになってきましたvでも、ダラダラ向かわないように気をつけなくちゃね 妊娠~出産特有の不調が終わったと思ったら4月に入る前くらいに春先の不調がずっと続いていました。お酒は飲めないのに、右わき腹(肝臓のあたり)が重たくて。そこで、実行してみて身体がすっかり軽くなった方法がお金もそうかからないし、手軽で面白い方法だったので体験告白?!しちゃいます。 それはね、「こんにゃくシップ&毒出し風呂」なんだか プププ・・・でしょ?では 一つめのこんにゃくシップ++++++++++++用意するものは こんにゃく1枚。これを15分ゆでて、乾いたタオルで巻く↑これでこんにゃくシップ完成。こんにゃくのじんわりした深い熱さが30分以上は続くんです。これを痛いところ(私の場合は右わき腹)に置いて温めるだけ。ついでに首筋や腎臓のあたりも温めながらお布団でごろーんとしていたら深く眠れて翌朝は嘘のようにすっきりしていました。このこんにゃく、2-3回は繰り返し使えるそうですが身体の毒を吸っているという説もあるので食べないで捨てなければならないです。 もう一つは 「毒出し風呂」+++++++++++++++ぬるめのお風呂につかりながら熱いお湯を少しずつ入れて(追い炊きでも)お風呂のお湯の温度をじわじわ上げていくだけです。夫がお子たちをお風呂に入れてくれた休日などはよくやっています。気がつけばかなり温度が高くなっていると思います。。うーん、もうのぼせたぁ・・という位まで入っていると、「ダシ汁」が出るように身体の毒が汗と一緒にでるようでぐったり疲れますが、すっきりするんです。高血圧など、体調に問題がある方にはおススメ出来ないし、結構ぐったりしてしまうのでお風呂から出たらすぐ眠れる休前日が良いかと思います。+++++++++++++++整体の先生から教わったのですが、この2つのおかげかなぁ。。それとも花粉の時期も終盤だからかなぁ。。春の不調を抜けて最近割りと元気です。 そして・・・・この春は私にとってものすごい変化の波が来ている春のようです。ハネの入園で生活も一変したのですが、それとはまた別のところで今まで少しずつ蒔いてきたタネたちが次々目を出し始めていて、どうも大忙しなのです。でも何故か、生活と心にはゆとりがあるので不思議です。不調が続いていたのでつくづく健康体のありがたさが身にしみます。 彫金の教えと再開、そして、20組程の親子向けに 週に一度の絵本朗読、市の女性向け学習会の企画委員・・とささやかな活動ではありますがのんびり冬ごもりをしていた私にとっては充分刺激的で 穴ぐらから差し込んでくる春の光がまぶしい・・・・。別々につながっていた友人同士を引き合わせたり色んなところで 縦横の繋がりと広がりが出てきて交友関係も嬉しく忙しい春。こういう時って 不思議とありませんか??静かな静かな日々に考えていたことあまり意味がないかな?とも思いながら好きで地道にやっていたことも全て無駄ではなかったのかなぁ。芽は出ても、実にならないものだってきっとあるだろうし、きっと通り過ぎてきた過程・・それがマイナスの感情や体験であったとしても全ては今の自分につながっているのだから充分に意味のあるかけがえのないことなのですよね。目を細めつつ、うーーーん!と欠伸をしながら迫りくる大波小波に乗って毎日ちゃきちゃきコミュニケーション活動をはじめている今日この頃です。でも 年も感じる 今日この頃です(笑)
Apr 13, 2007
百花繚乱の美しい春がやってきましたネ。毎年 春、勿忘草を見ると母との最後の一年を思い出します。大動脈瘤症候群という難病から脳梗塞で半身不随になり心臓は動脈瘤破裂寸前、腎臓も弱り、週3回の透析生活と壮絶な水分制限を強いられていた母。お医者さんには「もってあと一年、でもある日突然、振り向いたら息を引き取っているかもしれません」と言われながら 母との毎日を過ごしていました。母が最初に倒れて 奇跡の回復をした直後は幾度も私の住む北海道を 楽しみに訪れて―いえ、北海道を旅するために、リハビリを頑張ってくれていたのですがだんだん身体が弱って 一日中そばにつく人が必要、でも、父や妹は仕事が休めない身、とのことで私の出番となりました。倒れて以来 半身不随の母をずっと支えてくれてきた父や妹の苦労は 計り知れないものだったでしょう。私は 充実した仕事からどうしても離れられず、離れて暮らしながら心配と、申し訳ない気持ちをずっと持ち続けていたので「母の命の最後の時間」、のバトンを受け渡されて気力万全で母のベッドの横に座りはじめました。本当ならば、ゆったりお世話させてもらいながら年頃の娘として 母に 沢山の悩みを相談したり、お料理を教えてもらったり、毎日笑顔で語らい会いたかった。でも、北海道に時々顔を出してくれていた時のキラキラの笑顔は消えていて過酷な食事制限と 一日コップ一杯に満たない水制限に 母は毎日イライラ。加えて 私のお世話を断固拒絶していてそんな精神状態になれなかったのが実情でした。鬼のような顔でお世話を拒む母。本を投げつけられたり・・どうして?どうして?母も応援してくれていた仕事を母の病気を理由に辞めてしまったから?結婚が決まった相手がいるのに、母の介助のために家を出て行かないから?しばらく離れて暮らしていた私よりずっと一緒に暮らしている妹や父の介助の方が心地よいから??娘にお世話になるなんて情けない?多分全部。言葉が出なくなって、気持ちをうまく表現できない母もきっと辛かったんだと思う。一見飄々と過ごしながらも毎日隠れて泣いて、葛藤の一年。母と一日中睨み合っていてもお互い身体も心もダメになる。。母の為だけに辞めたんじゃない、次の夢もちゃんとある、と金工の勉強を始めたところを見せたり、介護のプロに任せる時間を作って距離を置いてみたり、家族の居る週末はあずさに乗って長野の夫のところに泣きに行ったり、、、未熟な私は 母との関係のバランスを取るのにいっぱいいっぱいでした。母が亡くなった年の春。私は母と正面からコミュニケーションが出来ない代わりに母のベッドから見える庭に ひたすら沢山のお花と野菜を植えて育てていました。庭に咲く花の名前を一緒に紙に書き出したり大きなキュウリの収穫に大盛り上がりしたり庭の植物を通しては、2人とも笑顔で通じ合えました。花が大好きな母は 体重30キロの棒のような身体で窓際に立って いつも花が咲き誇る庭を本当に嬉しそうに眺めて愉しんでくれていました。その花の一つが、私が何の気なしに植えた勿忘草でした。ある日、失語症の母が 「ナグサ!タクサン!」と言いました。私は園芸店で 勿忘草の苗を沢山買ってきました。すると、この苗を届けたい人の名前を次々とあげはじめました。私は母に言われるがままに、10件ほどのお宅に勿忘草の苗を届けました。美味しいものや素敵だと思ったものを大好きな人々にしょっちゅう届けていた母でしたから「ああ、また はじまったよー」と少しうんざり、でも、母の心を満たす生きがいはこれなんだなぁ、と嬉しいような気持ちで「すみません・・・母が今度は どうしてもこの花を、というので」と毎度、恐縮する先方のお家にご挨拶しながら数日かけて一軒一軒届けました。母はあの春、半年後の自分の死を もう知っていたのかもしれません。現在一人で住む父は庭の手入れに興味がなく荒れ放題となっております。今の実家の庭・・・ 野生的な感じも悪くはないです(笑 当時植えたスズランが逞しくもひっそり花をつけていました 勿忘草の姿は もうありません でも、去年の春、母の親友だったおばさんのお宅にお邪魔した時に あの春、配り歩いた勿忘草の子孫がきちんと生きていました。私は まだ自分のベランダに勿忘草が植えられません。母の傷が癒えてないからではなくて、単に 場所の準備が出来ていないから。勿忘草は 私がきちんと居を構えてから特別の祈りの場所に植えたい・・・そう思っています。孫を抱くことなく、旅立ってしまった母。あ!私の介助を拒んでいたのは「ココで介助なんてしてくれなくていいから 早く孫つくれ」ってことだったかも。ごめんね。間に合わなくて・・・親となって はじめて気がついたことが多くあります。親なら 娘から 沢山相談されたいし、沢山甘えて欲しい。でも あの時の私のスタンスは母を病気から守ることであり、母にどうしたら喜んでもらえるか?ばかりをガチガチ考えてしまっていたみたい。正直、取り返しのつかない反省ばかりですが庭の草花を通して 母と笑顔で過ごせた時間はいつ思い出しても キラキラしていて温かい私の心の宝もの。最後の一年の過酷な生活の中で人として本当に大切なことを身を持って学ばせてくれた母に 一生かけて感謝したいし天国の母にむかって 色々相談し続けることと思います。昨日も実家の母の仏壇の前で今、迷っていることを伝えると全てを包み込むような笑顔の写真から「ダイジョウブよ」という声が聞こえた気がしました。ありがとう。これからも 空から見守っていてください。感傷的な日記になっちゃったわ。あ、母は亡くなる直前に「ダイスキヨ」って笑顔で私に伝えてくれたし、私も 最後の最後、まだ温かい母の背中をさすりながら「ありがとう」の気持ちをこめたし・・・元来ネアカな関西人の母との間には楽しい思い出もいっぱいですからー。大丈夫です。あの春から今年で7年になります。昨日今日と 実家で過ごしていたら急に 母との思い出が書きたい言葉の列になって 胸にあふれてきて、思わず早朝からパソコンに向かってしまいました。
Apr 8, 2007
春からぼちぼち彫金を お教えすることになりました。 はっと気づけば 筋肉が落ちまくっている私ー。金槌握れないー・・・「Kちゃんが チキチキエアロビ~?」私を知る人には 「ぷぷぷ」と笑われてしまいますがハネと2人で並んで 筋トレダンス、楽しんでます。ウエスト・ヒップ・足・背中・腕・バスト と順に引き締めた後に産道の機能回復・骨盤調整、と続きます。ヨガ、ストレッチのような呼吸&動きでしめてあり1コース20分。無理なく続けられます。普段偏った筋肉の使い方をしているのであー!ここ、ここ!この筋肉使ってない...というのが判ります。この内容ならば 産後だけでなく、ずっと使えるわ。 去年の今頃、友人に誘われてパシフィコ横浜で開催されたマタニティ&ベビーフェスタ(今年は今週末)に足を運び( ↑多くの有名企業が協賛していて、ベビちゃんのおむつや靴下など 良くも悪くもとっても沢山の試供品をいただきました)ヨガにマタニティビクス等の体験会に参加して知ったこのDVDシリーズ。体験してみて、結構良かったからずっと気になっていたんです。で、一念発起。帰宅した夫が 足をあげる私たちの後ろ姿を見て「お・・・・・・・おまえら・・・・」でも、気がついたら、夫もうしろで加わっていたわ(笑)夫くんよーーー、「産道の引き締め体操」まで一緒にやらんでいいから・・・・。間抜け一家でございますユウは7ヶ月 スリングの下から足が出るようになりました。ピチピチでむちむちでニコニコでおっぱいガブガブで毎日たまらん可愛さです。。マタニティヨガ・産後ヨガは助産院の講座にお世話になっているのですが、妊娠後期の眠れぬ夜はこの安産ヨガのDVD付き本に大変お世話になりましたよ。
Apr 4, 2007
今朝のJ-WAVEは好きな曲がよくかかってしとしと雨の降る午前が豊かな気持ちで過ごせます。北海道をドライブしながらよく聞いたバーシアに、まったりしたお天気によく合うリッキー・リー・ジョーンズ・・・お花見がこのところの雨で中止になった代わりに連日子供たちが我が家に集まり、賑やかに暴れております。狭いのにすし詰めで大変なことになっていますが、子供たちの元気な空気が家中に溢れる感じ、大好き。今日はお昼から手打ちうどん大会。粉に水回しして、こねて寝かせている間にちょいと日記記入。。。 さてさて!!我が家の新入りです。すんばらしくシャビーシックな飾り棚☆以前はどこでどんな風に使われていたんだろう。。。ハネが近所の公園でむしってしまったユキヤナギをツェツェのミニCUPに入れて飾ってみました。狭い社宅の一角がプチ古民家になり夫も結構気に入っている模様。月光荘のお気に入りポストカードも入れて。「一歩 二歩 さんぽに行こう」あとは何を飾ろう。ま、ぼちぼち。いつかちゃんと完成された空間に配置してあげたいけれど、今は我慢我慢気がつけば 我が家のあちらこちらに古いものが・・・これは7年前に青山のHP DECOで1000円で買った 細々したおもちゃ入れ。青山から この田舎まで抱えて帰ってくるのが大変だった(笑)新しいものが持つパワーや緊張感も必要かもしれないけれど、時間の流れを経てきた古いものにしかないムード。ふうっと気持ちが緩んで ホッとする♪
Apr 3, 2007
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