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花瀬望比公園に立ち寄る。
「望比」(ぼうひ)とは、比島(フィリピン群島)を望むという意味。
薩摩半島の南端の象徴である開聞岳のちょうど西側にある花瀬崎は、初期噴火のときに
流れ出た縄状玄武岩でおおわれている海岸で、イソギンチャクが殻の中から五色の花を
咲かせている群落があったことから花瀬の名称が生まれたと。
以前からあった花瀬公園に、比島戦没者慰霊碑が建設され、安らぎの鐘や祈念像なども
造られ、公園の名前を『花瀬望比公園』と改称したと。

太平洋戦争では、フィリピンにおいて従軍兵士の四分の三に当たる47万6千人が戦死し、
その屍の多くが山野に散乱していた。

「死生の扉」
『戦没者数47万6千余柱、比島作戦に果てた同胞の形骸は朽ちても全ての御霊が永遠に
比島にとどまっていると思いたくありません。
異域の地で戦友に抱き起こされ、押し上げられて不死鳥の様によみがえり、
1,900kmの天空を駈け戦場で見続けた祖国に帰ってくる姿を願う…。』
そんな祈りを込めて造形された「死生の扉」であると。

死生の扉の先には鉄兜、機関銃そして「戦士のおもかげの像」 が。

鉄兜。
遺骨収集の際に機関銃とともに日本へ。

「日本軍の92式重機関銃」 。
係りのオジサンの説明によると、未だ多くの遺骨が比島に残っているため
銃の先を比島には向けていないと。

戦士のおもかげの像(戦友に抱き起こされ、押し上げられて・・・)

想比母子の像。
比島に出兵した将兵の妻子は夫や父の安全と無事帰還を祈っていた。
この像はフィリピン群島に向かい祈る母子の姿を象徴した像。

後ろはレイテの森と開聞岳。

見つめる先は。

この先1900kmの彼方に比島が。

「殉国戦士面影の像」。
戦没者の鎮魂と世界民族の永久の平和を祈念し、激戦地フィリピン群島で生命をかけ
戦い矢つき玉尽き、尊い生命を落とされた殉国戦士の面影を象徴したもの。


五重塔。

「大鐘桜」・「安らぎ之鐘」
1,900kmの彼方、フィリピン群島の島々に響き渡り比島に眠る将兵の御霊を慰め、
世界平和と万民 の平穏功徳を祈る望比鎮魂之鐘(平安之鐘)として建立。

望比鎮魂之鐘。

比島の方角を指し示す石標。
碑文には『岬の突端との延長線上1,900km先に 多くの同胞の果てた 比島がある』。

親子亀も。

観音像。

黄金の望比観音像。

開聞岳頂上の雲も漸く晴れる。

レイテ沖海戦は、第二次世界大戦中の1944年10月23日から同25日にかけてフィリピン
及びフィリピン周辺海域で発生した、日本海軍とアメリカ海軍とオーストラリア海軍からなる
連合国軍との間で交わされた一連の海戦の総称。
そして、その規模の大きさ、戦域が広範囲に及んだことなどから史上最大の海戦と言われる
戦いであったのだ
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