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国立慶州博物館(クンニッキョンジュパンムルグァン)は慶州の観光を語る上で、
絶対に欠かせない場所のひとつ。
古都新羅の絢爛なる文化遺産を現代に保存する目的で設立。
慶州地域の発掘調査によって出土した多くの文化財を保存展示。
現在の国立慶州博物館は2万余坪の敷地に約10万点の文化財を所蔵し、
そのうちの約2500点を広く一般に公開していると。

入り口の門には真っ赤に紅葉したツタが這い美しかった。

1945年に国立博物館として開館し、1975年に現在の位置に移転したここ国立慶州博物館は、
先史時代から朝鮮時代に到る遺物21万点あまりを所蔵してあり、その中で3000点あまりを
展示していた。
展示館は考古館、美術館、雁鴨地館、特別展示館、子供博物館などがあり、博物館の野外庭園にも
多くの遺物が展示。展示館には先史時代の青銅器、銅鏡から5~6世紀の新羅焼、金銀装飾品、
新羅瓦、宝剣、8世紀頃の土器、南山の石仏など見どころは多いのであった。
特に古墳公園の天馬塚から出土された金冠と帯は必見で、きらびやかな装飾と天地五行を表した
というデザインは目を見張らせたのであった。
正面に考古館が。

今回は訪ねることが出来なかったが金春秋・武烈大王のお墓から発掘。
崇福寺址(慶州市外東邑馬房里)にあった統一新羅時代(9~10世紀ごろ)の
亀趺(碑文の台座)であると。

こういう亀が石碑を支えていて、石碑はなくなってしまったが、亀から彼の墓だと
判明したと。

韓国最古で最大の聖徳大王神鐘。

悲しい伝説に包まれ、博物館を訪れる人の涙を誘うのが、門の近くに建つエミレー鐘。
最初に鐘を鋳造した際、どうしても音が響かないため、幼い女の子を人柱として作り直したのだと。
出来上がった鐘は美しい音色を響かせたが、その音は「エミレー、エミレー(お母さんの古語)」と
叫ぶ子供の音のようだったと。別名エミレの鐘、又は奉徳寺鐘として知らされたこの鐘は、
統一新羅時代第35代景徳王(742~765在位)が亡なった父王聖徳大王(702~737在位)の
冥福を祈るために、銅12万斤を入れて造ったが失敗に終り、その子である惠恭王7年(771年)に
完成した大鐘。

考古館に入る。入り口には新羅歴史館の文字が。

こちらは1921年に民家を建てようとして偶然掘り出された金冠。

コンピューターグラッフィクで装飾具を身につけた王の姿。

天馬塚出土の金製冠帽。三国時代新羅5~6世紀の遺物とのこと。

大陵苑(テヌンウォン)の天馬塚(チョンマチョン)から出土した金冠と金帯。

新羅時代の古墳から発掘された美しいこの宝剣は、黒海や中央アジアで作られたと。
カザフスタンのある遺跡からも同様の剣が発掘されており、新羅が中央アジアの
北方遊牧民と交流していたことを物語るのだと。

これはなんだったのであろうか?王が被った帽子の鍔?
新羅時代の慶州の様子を再現した模型。

首飾り?それとも耳飾りか?先端に勾玉も。
![27_1280[1]_R.jpg](https://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/2/0fd25c4f5e96226228318943cf78601c1f3529ce.15.2.2.2.jpg?thum=53)
厳しいお顔の仏像か?

兵士の如き姿も。

こちらも金の王冠。
![30_1280[1]_R.jpg](https://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/2/026800cc946910533171436912ecd80e13c75202.15.2.2.2.jpg?thum=53)
金製の高坏。
![32_1280[1]_R.jpg](https://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/2/394c381a4b08f4c891bdd95e072ab607a2b3f9ff.15.2.2.2.jpg?thum=53)
李舜臣将軍?の肖像画。

こちらは誰?

野外庭園にある多寶塔が手前に。
そして右手に高山寺跡三層石塔:この塔のあった高山寺跡は徳洞ダムの建設により
水没地域になったため、この塔を1975年に国立慶州博物館に移されたと。
二段からなる基壇、三層の塔身、そして覆鉢と仰花で構成された相輪部を持つ石塔 。

雁鴨池館(アンナッジクァン/안압지관)にも慌ただしく。
雁鴨池館は月池(雁鴨池)から出土した遺物を展示。


雁鴨池のパノラマ模型。

小さな仏像様が列んでいた。

仏像2体。仏様の後光を表した光背が。

巨大な壺。

再び考古館を横から。

そしてこの日の世界遺産 慶州の1日観光を終了し釜山への帰路へ。
途中、若き頃納入業務を担当した下水処理場の消化槽を発見し懐かしさで感激。

この日の夜は焼き肉を楽しむ。

釜山駅前の広場は美しくライトアップしていたのであった。

WELCOM TO BUSAN の文字が。
