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トロギールからスプリットに向かう。
15分ほどすると左手に石灰岩が剥き出しの山が。

トロギールからスプリットへ向かう途中バスの車窓からサロナ遺跡が左手に見えた。
サロナ(往時はソリン)は、ローマ時代にダルマチア州の州都として栄えた町。
ローマ皇帝ディクレティアヌスがスプリットに宮殿を築いたのは、彼がサロナの近郊の
出身であったからだと言われ、また、スプリットが栄えたのは、異民族の侵入に悩まされた
サロナの住民が、スプリットに避難してきたことが発端であったと添乗員から。

Solin手前の1号線を更に進む。目指すSplitの文字が。

トロギールからスプリットまでは、バスで約45分の距離。
スプリットの南東の城壁の隅櫓が見えて来た。

スプリットはダルマチア地方で人口20万人を抱えるアドリア海沿岸で最大の港街で、
旧市街は港に接し、ディオクレティアヌス宮殿の前にはスプリット港が広がっていた。
停泊しているクロアチアのフェリーの白い船体がアドリア海に映えていた。

スプリット旧市街は、ローマ時代の皇帝ディオクレティアヌスの宮殿の基礎を残しつつ、
中世の人々が建物を増築したため、宮殿がそのまま旧市街になっていると。
古代と中世の建物がまじりあった独特の街並みが魅力。
前方に拡がる光景は、ただの市街に建つ住宅のようにも見えたが、
ディオクレティアヌス宮殿の城壁の一部。
巨大なこの城壁は南北215m、東西180mの方形で、周囲を厚さ2m、高さ20mで
囲まれているのだと。 そしてユネスコの世界遺産にも登録されている。

空と海の青に挟まれた白とオレンジのスプリットの新市街。

海の先のなだらかな丘は「マリヤンの丘」。
スプリット市民の憩いの場でビーチ、動物園なども。
丘の上からスプリットの旧市街が一望できること間違いなし。

海岸沿いの蘇鉄並木、ここも南国の如し。

城壁に沿ってプロムナードが拡がっていた。

街角の歩道にはスプリット市街模型が。
宮殿の模型、これは現代いやいつ頃の姿なのであろうか?

古代ローマ帝国時代のディオクレティアヌス宮殿復元図(想像図)とのこと
街角の案内板にあったもの。
ヴィザンティン帝国→クロアチア・ハンガリー王国→ベネチアの保護下に。
ベネチアの衰退と共にオーストリアとフランス交互に支配を受け、
オーストリアの支配を受けた時代はスプリット経済発展の時代に。
その後ユーゴスラビアの一部となり1991年にユーゴより独立しクロアチアの重要な港町へ。
建物の中央にあるファサードから宮殿内に。非常に簡素な入り口。
ディオクレティアヌス宮殿のここ南の門(青銅の門)からは、地下の通路となっており
鉄鋲の付いた鉄の門をくぐって、宮殿内に入って行った。
当時は 城壁の中央にあるこの門に船が横付けでき、物品を搬入したのであろう 。

南の門(青銅の門)を潜ると、ペリスティル(Peristil)という中心部の
列柱広場までは、各種土産物店が並んでいた。
宮殿の南半分はもともと皇帝の私邸で、地下には宮殿の上部を支える柱が
古代のまま保存されていた。

昔は隔離施設や倉庫搬入口として使用されていた場所。
今は宮殿入口に最も近い門として多くの観光客が。

そしてペリスティル(Peristil)と呼ばれる広場に出る。
かつては中央にディオクレティアヌス帝の石棺が置かれていたのだが、
現在は残っていないと。
左側には黒き「スフィンクス」の石像がポツンと置かれていた。
ディオクレティアヌス帝がエジプト遠征時に持ち帰った物とのこと。

周柱式と呼ばれる素晴らしいコリント式列柱で囲まれた中庭、ペリスティル。
鐘楼は13世紀に着工され、何度も中断しながら1908年に完成した60Mの建物。
入場料を払うと、大聖堂の鐘楼に登れるとのことであったが・・・。

観光客相手に古代ローマ人の服装で有料で写真撮影に応じる男達の姿も。

前庭内部は工事中で足場が周囲にかかっていた。

かつてモザイクで装飾され円屋根があった天井を見上げると、丸く穴が開きちょっと不思議な空間。
その大きな穴からは大聖堂の鐘楼やクロアチアの青空が綺麗に見えた。
16世紀ごろまでは円屋根が残っていたと。
青空に映える鐘楼。
下から見上げるとすごい迫力。
173段の階段を上ると、スプリットの町が一望できると。

宮殿の壁は所々で修復中。ローマ遺跡でよく見かけるアーチ構造。

城壁が途中で壊されてしまっている場所も。
それとも現在修復中でしょうか?

中世の人々が建物を増築した場所。

手前の八角形の建物はディオクレティアヌスの大聖堂。
もともとディオクレティアヌス帝の霊廟として建てられてものの、在位中にキリスト教
弾圧政策をとったことから、石棺が排除されて、7世紀に大聖堂として改築されたのだと。

再度、城門(金の門)を潜る。
こちらが当時の正門とのこと。
当時は金の装飾が門一面に施されていたので金の門と呼ぶと。

金の門をくぐり城壁の外へ向かう。
北門は二重の門になっていて、1つを突破されても、もう一つの門で防御出来る
構造か?

宮殿の北側、北門(金の門)の正面に立つ巨大なグルグール・ニンスキ銅像
左足の親指に触ると幸運が訪れると。
グルグール・ニンスキ司教は10世紀に実在した人物で、それまでラテン語のみで
行われていたミサにクロアチア語を導入し、スラブ言語の保護に貢献したとされる
クロアチアの英雄のひとり。

皆様が触るためか、親指は光り輝いていた。
もちろん私も。

北門(金の門)を外から。

北門(金の門)をズームで。
門上に付いている彫刻の顔は真下を向いていた。

グルグール・ニンスキ銅像とSt John教会の鐘楼。

旧市街はいずこも狭い路地が四方八方に。

広場に面して3つのアーチがあるゴシック様式の建物は、かつてのベネチア共和国庁舎で
市庁舎のほかに、劇場、牢獄などもおかれていたとのこと。

西門(鉄の門)

時計塔。
ナロドギ広場を行き交う人々を見守りながら、ひっそりと時を刻み続けいいた。
表示板はドブロヴニクの時計塔と同じか。

細い迷路のような小道が続く 。

旧市街の宮殿部分の北側と南側を歩くと、おしゃれなカフェやバー、
こじんまりした雰囲気のよいレストラン等が軒を並べていた。

自由行動時間を利用して、娘からのRequestの土産物・トリュフペーストを
探しに。旅友も私に付き合ってくれたのです。
そして狭い路地で、販売している店を発見し購入。
旅友も私に釣られて?同じものを購入。
トリュフと言えばフランス料理の高級きのこ。キャビアやフォアグラと並ぶ
世界の3大珍味とも言われる高級食材のひとつ。
トリュフ探しに「豚」を使うことは有名だが、なぜ「雄」ではなく
「雌」豚が活躍するのか?それは、トリュフには雄の豚が交尾期に分泌する
「性フェロモン」に似ている「臭い」が含まれているからなのだと。
最近では訓練した犬が利用されているとも。
店内の壁に貼ってあったポスターを撮影。
観光を終え再びアドリア海岸沿いを歩く。

再びディオクレティアヌス宮殿鐘楼と隅櫓が右に。

スプリット旧市街の観光が終わりバスに戻り、市街地を通り近郊バスを降り
レストランに向かう。
スタンド付のテニスコートが。
クロアチアといえば、旧ユーゴスラビア出身の名選手が多いのである。
世界ランキング1位のノバク ジョコビッチ(現セルビア)、
11位のマリン チリッチ(現クロアチア)等々。

レストランKalafaticでランチ。

この日のイカのグリルは美味かった。

デザートも。

レストランの前はアドリア海岸のヨットハーバー。
