JINさんの陽蜂農遠日記

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2019.04.15
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『旧東海道を歩く』ブログ 目次

旧東海道の沼津片浜を歩く。
右手に『諏訪神社(諏訪宮)』の鳥居が。



更に200mほど進むと左手にあったのが『臨済宗 普門山 正覚寺(しょうかくじ)』。
正面が本堂。どこか日本のお寺ではないような屋根が変わっていた。
正覚寺は今から約300年前、原の徳源寺第9世方室玄策(ほうしつげんさく)禅師を
開山に迎え、小諏訪の旧東海道ぞいに徳源寺の末寺「自覚庵(じかくあん)」として
創建された。本尊は薬師如来(やくしにょらい)。



境内の『水子地蔵』。



『水子地蔵御和歌』。



『白衣観世音』。



『忠霊塔』。



和菓子屋・『甘陽堂』。
老舗の菓子店。洋菓子、和菓子の製造販売。餅・羊かんなどの和菓子が特に人気。
静岡県産の卵をふんだんに使っているカステラはしっとりして人気の菓子であると。



左手に少し折れて『高野山 真言宗 浮島山 清玄寺』を訪ねる。
清玄寺の庭と本堂は一般家庭の中にあるような感じであった。
境内で持参のリンゴを食べながらしばしの休息。



境内の『観世音菩薩像』。



地蔵様が3体。



本堂内部。



正面に『青面金剛像』、右手に『宝珠禅地蔵』。



ズームで。



そして旧街道沿い右手に『八幡宮』の参道が。



次に訪れたのが



山門。



本堂。
栄昌寺は、慶長 5 年( 1600 年)珠光院日宝(松野永精寺 19 世)を開山に創建された草庵が起源。
享保 2 年( 1717 年)客殿が建立された。明和 3 年( 1766 年)仏像が奉安され、
享和 3 年( 1803 年)庫裏が建立された。明治 9 年( 1876 年)境内に有斐館
(沼津市立片浜小学校の前身)が置かれた。現在の本堂は明治 39 年( 1906 年)に建立されたもの。
境内には、七面堂があり七面大明神、鬼子母尊神、清正公大神祇が安置されている。
また本堂前には推定樹齢 350 年の巨大なソテツがあった。



扁額には『妙秀山』と。



『七面堂』。
七面堂には七面大明神、鬼子母神、清正公(加藤清正)大神祇が奉られていると。



南無妙法蓮華経と刻まれた石碑。
『若有聞法者無一不成仏』とも刻まれていた。
「法華経を聞く人は一人として成仏しない者はない」と。



更に旧東海道(県道163号線)を進む。



更に進むと大諏訪に在る『吉祥院・天満宮』が右手に。



右側が『大諏訪天満宮』、左側が『承光山吉祥院 』。



『大諏訪天満宮』。神社幕には星梅鉢の紋が。



鐘楼。



『水子供養像』。



左側が『承光山吉祥院』。
「寛文5年正月(1665年)に沼津市岡宮の大本山光長寺の末寺として本山第25世日淳聖人が
創建された。
元和(1615年)の頃、片浜大諏訪の海岸で漁業の網の中に天神様の御木像(約30㎝)が入り、
そのお姿の神々しさに網元の浅沼家で大切に祭られておりましたが、寛文5年光長寺25世貫首
日淳聖人が師範として仰ぐ日簉上人の隠居寺を創建するに当たり、天神堂を建立し吉祥院と称し、
以後御神体を大事にお祭りしてきました。明治初年の廃仏毀釈の神仏分離令が出されましたが、
その難を免れ神仏習合のまま現在に至っております。
御神体には宝徳元年5月(1449年)の年号が記されております。御開帳は50年に1回とされ、
平成14年に1千百年祭があり、記念事業として本殿を建立し御開帳いたしました。
学問の神様として、又地域の守り神様として篤い信仰を集めております。」と。



『吉祥院』と書かれた扁額。
吉祥天は天神様こと菅原道真の菅原家が信仰していた仏教の神様。



『筆塚』。



『願満具足天一千年祭』と刻まれた石碑。



民家と民家の間にあったのが『松長一里塚跡碑』。
日本橋から数えて31番目の一里塚。
旧大諏訪村と旧松長村の境目は一里塚です。現在は跡形もなく一里塚碑だけが。
境目にあるので松長の一里塚、大諏訪の一里塚とも呼ばれたと。
しかし、碑の横面に刻まれた説明書きには「江戸より30里の地」と刻まれていた
記憶があるのだが・・・・????。



一里塚跡から暫く進むと街道左手に『日蓮宗 光法山 蓮窓寺』が。
この蓮窓寺の山門は以前は松長陣屋の裏門(四脚門)を移築したものだったと。
しかし老朽化が著しかったので、現在は新しい山門に建て替えられた。
創建は江戸時代前期で松長陣屋代官三好義観の寄進に依ると。



本堂。

『蓮窓寺』は、寛文年( 1622 )沼津市下河原の妙海寺 20 世修善院日根上人による開創で、

境内には七面堂がある。
本堂には元禄 2 年( 1689 )の釈尊涅槃図があると。



扁額には『蓮窓寺』と。



旧東海道を隔てて蓮窓寺の北側にある『神明塚古墳』へ。



住宅街の細い道を抜けた先に南面して墳丘への石段があり、墳丘の上には
『神明宮』が。



の左(西側)方向。社が建つのが後円部で、西側に前方部がついている。



『神明宮』説明板。
創紀は元和2年(1616)3月と伝えられ、3~4世紀に築造された古墳の頂きにある。
以来380年鎮守社として氏子、地域住民の崇敬を集めてきた。その間幾多の風雪に
あうも区民一帯で保存に努めてきた。

に再建に着手、同10月現在の社屋が落成した。以来、維持補修に努力し今日に至って
いると。



墳丘の上の『神明宮』。



『神明塚』と刻まれた石碑。



『神明塚古墳』。
「この古墳の発見は戦後まもなくのことで、昭和 23 年には前方後円墳であることが
確認されました。その際、後円部頂に神明社が鎮座することから、神明塚古墳と
呼ばれるようになりました。昭和 56 年、地元自治会から保存整備の要望書が提出されたことで、
保存整備に向けた測量調査及び発掘調査が実施されました。
15 年には、沼津市史編纂に伴う再発掘調査も行われています。
その結果、この古墳の全長は約 53m 、後円部径約 37m であることが判明し、
また後円部と比べて前方部が短い形をした、古墳時代の中でも比較的古いと考えられる

箱形木棺の使用が想定されています。
神明塚古墳は、出土した土器の年代から古墳時代前期( 3 世紀~ 4 世紀)に築造されたと
考えられます。沼津市には 3 基の前方後円墳が残されていますが、この年代はそれらの中でも
とりわけ古い年代であるといえます。」



                              その7 に戻る。

                  ・・・つづく・・・





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Last updated  2020.04.28 14:38:00
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