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山車をイメージしたとされる。設計者の松室重光は関東都督府土木課の課長で、
大連民政署を設計した前田松韻の後任にあたる。松室は京都府技師時代に社寺建築の
保存修復にも業績を残しており、建物のデザインにもその見識が反映されている。
戦後も1947年~1950年は大連市人民政府庁舎(市役所相当)として使用され、
その後は市政府各部局の分庁舎となった。現在は中国工商銀行大連市分行が使用している。
設計 - 松室重光(関東都督府民政部土木課)
施工 - 清水組
竣工 -1919年8月
延床面積 -9,870m2
中央の花壇。
『旧 東洋拓殖大連支店』。
東洋拓殖株式会社は植民地事業のための国策会社。
植民地事業のための国策会社である東洋拓殖株式会社の大連支店。設計者の宗像主一は、
広場の対面に立つ朝鮮銀行大連支店を設計した中村與資平の弟子にあたる。
下層に連なるアーチ窓にアメリカ商業建築の影響が見られる。
設計 - 宗像主一
竣工 - 1936年
延床面積 -8,105m2
戦後の1951年から1957年まで中国共産党大連市委員会庁舎として、その後は市政府の
分庁舎として使用された。
現在は交通銀行大連市分行が使用している。
『旧 清国大清銀行』
1910年6月竣工。延床面積は1,762m2
清国大清銀行大連支店として1910年に建てられたルネサンス様式の建物。
中央の塔屋はフランス風のマンサール屋根。
1912年の中華民国成立に伴い中国銀行へ改称された。
戦後は大連市教育局庁舎として使用された。
現在は中信銀行中山支行(旧・中信実業銀行)が使用している。
1912年の中華民国成立に伴い中国銀行へ改称された。戦後は大連市教育局庁舎として使用された。
現在は中信銀行中山支行(旧・中信実業銀行)が使用している。
竣工 - 1910年6月
延床面積 -1,762m2
『大連人民文化倶楽部』。
第二次世界大戦後、新中国成立の間もない頃、ソ連軍がまだ旅順・大連に駐屯していた
時期である1950年に、コンサートホール兼劇場として大連人民文化倶楽部が建設された。
日本が大連租借中にも映画館・小劇場はあったそうだが、これほど大規模な文化施設は
建設されていなかったと。
『大連人民文化倶楽部』をズームで。
現在も大連市の主要な文化施設として、内外の演奏家・演劇家に利用されている。
設計はソ連。 1995年、2008年の2回にわたる全面改修を経て、現在の収容人員は
一階が600席、二階が400席。
広場中央の花壇と『旧横浜正金銀行大連支店 (中国銀行遼寧省分行)』
中国銀行遼寧省分行は、1909年に日本の外国為替銀行だった横浜正金銀行の大連支店として
建てられた。終戦後、一時、ソビエト連邦の極東銀行として使用されていたが、
現在では中国銀行が使用している。
『旧横浜正金銀行大連支店 (中国銀行遼寧省分行)』の近づいて。
3連のバロックドームを持つタイル貼りの建物。基本設計は日本で妻木頼黄が行い、
弟子にあたる満鉄技師の太田毅が妻木の図面を元に実質設計を行った
(太田は臨時煙草製造局技師兼司法技師として妻木の指導下で実績を積み、在官のまま
満鉄に招かれていた)。1945年より極東銀行(ソヴィエト連邦)が使用。
現在は中国銀行遼寧省分行が置かれている。
設計 - 妻木頼黄、太田毅
竣工 -1909年
延床面積 - 2,805m2
『辽宁省第九批省级文物保护単位 横滨正金银行大连支店旧址』。
『大连市重点保护建筑 中国银行旧址』
『旧 関東逓信局』。
旧 関東逓信局関東州での郵政事業を担当した逓信省関東逓信局の庁舎だった建物。
大連市役所の対面に位置します。戦後はソビエト連邦軍大連警備司令部が接収。
現在は大連市郵政局が使用しています。
同じ設計者の建物が向き合うのは異例だが、当時の松室が関東都督府でただ一人の建築技師
として設計業務を一手に引き受けていた事実の証左とも言える。
設計 - 松室重光(関東都督府民政部土木課)
竣工 -1917年
延床面積 -2,556m2
『市级文物保护单位 关东都督府邮便电信局旧址』。
『旧 朝鮮銀行』。
日本統治下で中央銀行としての機能を持っていた朝鮮銀行。
その大連支店の業務拡大に伴って1920年に建物を新築した。
戦後、朝鮮銀行が解散した後も建物は銀行として使用され、
現在は中国工商銀行中山広場支行が使用している。
『旧 朝鮮銀行』に近づいて。
コリント式オーダーが並ぶルネサンス様式の建物。
設計者は朝鮮銀行の建築顧問として多くの銀行建築を手がけていた中村與資平。
京城に建築事務所を構えていた中村は、この新築工事のために1917年に大連出張所を開設した。
なお、1922年に中村が活動拠点を日本に移した際に、同出張所を部下の宗像主一に
譲っている(中村宗像建築事務所)。
設計 - 中村與資平(中村建築事務所)
施行 - 中村建築事務所
竣工 - 1920年
構造 - 鉄筋煉瓦造3階建
延床面積 - 5,278m2
『全国重点文物保护单位 大连中山广场近代建筑群 一 朝鲜银行大连支店旧址』
『旧 大連民政署/大連警察署』
1908年に大連民生署の庁舎として建築されました。日本統治下の大連で最初に建てられた庁舎。
中央に時計塔を持つスタイルはヨーロッパの市庁舎風ゴシック様式の建物。
1922年より大連警察署の庁舎となり、戦後は大広場警察局と中国海軍後勤部が使用した。
現在は、遼陽銀行大連分行が入居しています。
設計者は関東都督府土木課の前田松韻。前田は中国東北地方に渡った最初の日本人建築家である。
日露戦争下の1904年に軍倉庫の建設に携わり、1905年2月に大連軍政署の嘱託技師となった。
しかし2年後の1907年10月には東京高等工業学校の教授に抜擢され、民政署庁舎の完成を待たず
帰国した。在任機関は短かったが、大連の民間建築に一定の規模と耐火構造を求めた建築規則の
草案作成にも参画するなど、大連の都市建設に大きな影響を残した。
設計 - 前田松韻(関東都督府民政部土木課)
施工 - 荒川工務局
着工 - 1907年8月1日
竣工 - 1908年3月25日
構造 - 煉瓦造2階建、塔屋付
建坪 - 234坪
延床面積 - 約2,000m2
『大連金融大廈』。
この場所にもともとあった建物は、1914年に竣工したイギリスの在大連領事館。
設計はイギリス工務局の上海事務所技師長補佐だったH.アシェッド氏。
大広場に面した唯一の在外公館であった。
1952年以降は大連市六一幼稚園(※)が使用していましたが、1995年に取り壊されて、
2000年には大連金融大廈として建てられた。
したがって、この建物は現在では歴史的建物ではないと。
※「六一」とは六月一日のことで、その日は中国の儿童节(児童節=こどもの日)であると。
一度は泊まってみたい『大連賓館・旧ヤマトホテル』を。
そしてこちらは私が購入した写真集より。
・・・ もどる
・・・
・・・ つづく
・・・