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『旧東海道を歩く』ブログ 目次
この日は2020年1月19日(日)、『旧東海道を歩く(四日市宿~関宿)』の初日の移動日。
前日の出発予定であったが、箱根周辺の積雪が予想されたため1日出発をずらす。
そして、この日の朝も箱根の山越えは、路面凍結の可能性があるため、茅ヶ崎から県央自動車道、
東名高速道路で富士川スマートICまで行き。ここから一般道に降り西に進む。
最初に訪ねたのが、以前訪ねることが出来なかった知立市にある『八橋山 無量寿寺』。
旧東海道の来迎寺町の『元禄の道標』のある交差点を右折し真っ直ぐ進むと
『八橋日吉山王社(日吉神社) 』が正面に見えて来た。
名鉄三河線 三河八橋駅南410mの場所にあるカキツバタで有名な無量寿寺の門前社と
神宮寺の関係にある南向きの神社。
南側からの道路が神社正面で左右に分かれるY字路になっていて左側は三河八橋駅、
右は駐車場方面に至る。
そしてY字路正面の左手は『八橋日吉山王社』、右手には『八橋山 無量寿寺』の参道が並ぶ。
写真左側が『八橋日吉山王社(日吉神社)』の参道入口、右前に日吉神社神社石柱。
入口には『邨社日吉神社』の社号標が建っていた。
正面に地蔵尊。
そして『八橋日吉山王社(日吉神社)』の石鳥居と奥に拝殿。
『三河新四国総開帳』と書かれた幟が。
三河新四国霊場会では札所再興五十五周年記念今年の三月一日より六月十〇日まで
『三河新四国霊場の総開帳』が行われている様であった。
開帳とは、ふだんは閉じてある厨子(ずし)
の扉を、特定日に限って開き、中の秘仏を
一般の人に拝ませること・開龕 (かいがん) ,啓龕 (けいがん) ,開扉 (かいひ) 、隠すべきものを
人目にさらすこと。






















「芭蕉句碑 市指定文化財(建造物)昭和40年1月指定
かきつばた 我に発句の おもひあり 芭蕉
麦穂なみよる 閏ひの里 知足
芭蕉が『野ざらし紀行』を終えた翌年の貞享二年(1685)四月に鳴海の俳人下郷知足の家を
訪れ、その時に開かれた俳席での作といわれる。
芭蕉は知足の案内でこの八橋に遊び、古に思いを巡らしのであろうか。
碑を建てたのは知足の子孫である下郷学海で「安永六丁酉六月」(1777)とある。
三河にのこる芭蕉句碑の代表的なものである。」

『八橋古碑 市指定文化財(建造物) 昭和40年1月指定』
芭蕉句碑の傍にあり、亀の上に石碑が乗っていた。

「八橋古碑
八橋は古来より和歌の名所として著名であり、多くの文人墨客が訪れるた。
この碑は、岡崎藩に仕えた儒者、秋本嵎夷その門人国分伯機・由良不淰により寛保二年
(1742)に建てられた。撰文は秋本、書は国分である。
碑文は「八橋紀事弄王孫歌」と題され、八橋と業平の故事、それについての感慨が漢文で
書かれるが、難解なことで有名である。
亀型の碑の台を亀趺(きふ)といい、一説には中国の伝説上の神獣とされる。
地元では「亀甲碑」と呼ばれる。」


これは全てひらがなで『ひともとすすき』。

芭蕉句碑の後にあったが、根本から刈り込まれていた。
「ひともとすすき
謡曲「筒井筒」の故事にならって植えられたと伝えられてる。
八橋の一もとすゝき穂にいでて はるばる来むる人まねくらん
と「三河名勝絵図」にはあります。
このすすきの葉を片手で結ぶと願い事がかなえられるという言い伝えから、
縁結びのすすきと言われている。」





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