JINさんの陽蜂農遠日記

JINさんの陽蜂農遠日記

PR

Profile

jinsan0716

jinsan0716

Keyword Search

▼キーワード検索

Comments

私はイスラム教徒です@ Re:牛久大仏へ(その3)(11/19) New! 神神は言った: コーランで 『 (21) 人…
オジン0523 @ Re:「酔芙蓉」咲く(09/23) 純 白というより既に淡~~いピンクが。 …

Favorite Blog

続日本100名城東北の… New! オジン0523さん

2025年版・岡山大学… New! 隠居人はせじぃさん

【甥のステント挿入… Gママさん

ムベの実を開くコツ… noahnoahnoahさん

エコハウスにようこそ ecologicianさん

Calendar

2022.02.28
XML
カテゴリ: 国内旅行
この日は2月18日(金)、「源頼朝と北条氏ゆかりの伊豆の地を訪ねる」の2回目に
二宮にお住まいの先輩と家へと西湘バイパスを利用して向かう。時間は6:28。



山頂付近に積雪が残る箱根の山々。



そして二宮のOさん宅を6:40に出発。
そして国道135号を利用して熱海まで行き、静岡県の熱海-函南を結ぶ県道11号線・熱函道路の
鷹ノ巣山トンネル(L=1268m)を通過。
この日も、その先の第ニ丹那橋(L=129m)手前のログハウスのbigbox の空き地に車を止め
富士山の勇姿をカメラに納める。



こちらが、前回の2月2日(水)の同じ場所からの富士山の勇姿。




この日の最初に訪ねた地は、「 北条宗時 狩野茂光の墓 」。
近くにおられた地元のオジサンに駐車できる場所を教えていただく。
小高い丘の上にあった「北条宗時 狩野茂光の墓」。



前回も訪ねたJR函南駅近くにあった。



急な狭い石段を上って行った。



「源頼朝・北条政子の史跡を巡る 北条義時のゆかりの地」と書かれた幟。



北条宗時 狩野茂光の墓
由来
石橋山合戦(一、一八〇年)の際の頼朝方武将「北条三郎宗時」と「狩野茂光」の両者を祀る。
北条三郎宗時
北条時政の嫡子、父、弟義時と共に頼朝に従い石橋山にて戦うが敗走の途上小平井名主紀六久重に
討たれる
狩野茂光
狩野の豪族で源為朝を討っ等軍功あり。石橋山合戦には頼朝に従うが敗れ割腹する。
「注」毎年秋のお彼岸中日に二氏供養のための祭例を行う。
静岡県田方郡函南町大竹218−4。



北条宗時は北条時政の嫡男。
北条政子の弟・北条義時の兄。
1180年(治承4年)8月17日、源氏再興の挙兵をした源頼朝に従うが、頼朝軍は山木兼隆を
討った後、8月24日、相模国の石橋山で大庭景親軍に大敗。
頼朝は山中へ逃れた。
『吾妻鏡』によれば、北条時政と宗時、義時の父子は頼朝と別行動をとり、時政と義時は
箱根の湯坂道を経て甲斐国へ向かおうとし、宗時は土肥から桑原(函南町)を経て平井郷
(函南町)へ向かおうとした。
しかし、早川の辺で伊東祐親の軍に包囲され地元・平井郷の名主・小平井久重に
討ち取られたのだという。
ちなみに、北条宗時を討った小平井久重は、80歳くらいとされる工藤景光(くどうかげみつ)が
捕縛して、1181年1月6日、処刑されたのだと。
工藤景光は、石橋山の源氏勢とは別行動しており、甲斐の安田義定らと挙兵し、俣野景久を
破っていたが、同じ工藤氏の一族であったと推測されると。

丘の上に「北条宗時 狩野茂光の墓」があった。



「土地の人から「時まっつあん」と呼び親しまれた宗時神社としてこの地に祭られている。
五輪の小塔、大小ニ基があり、大が北条宗時、小が狩野茂光の墓といわれている。
石橋山の合戦に敗れ後退の途上この地で戦死後年父時政によりこの台上に祭られたといわれている。」



大小二基の塔のうち、大きい方が北条宗時、小さい方が狩野(工藤)茂光の墓。
『吾妻鏡』によれば、1202年(建仁2年)6月1日、北条時政は夢のお告げによって
伊豆国へ下向し、宗時の墳墓堂で追善供養を行っている と。



正面の大きな宝篋印塔が「北条宗時」の墓。






「鎌倉殿の13人」で「北条宗時」を演じる片岡愛之助さん。



左にあった小さな塔が「狩野(工藤)茂光」の墓。
1180年(治承4年)、石橋山の戦いで負傷し、歩けなくなったことから自害したと
伝えられている。
一説には、肥満だった茂光は、足手まといになるの嫌い、孫の田代信綱に介錯してもらったとも
いわれる。



「鎌倉殿の13人」で恰幅の良い武士・「狩野(工藤)茂光」役を演じる米本学仁さん。



北条館まで少しの川辺。「狩野(工藤)茂光」は「ここで別れよう。鎧を替えたら、
北条館に行く」。北条宗時は「鎧が小さくなったのではなく、工藤殿が太られたのではないか。




川の水を水筒に入れ、振り返ると、「狩野(工藤)茂光」が突っ伏している。



茂光に駆け寄ると、背後に人の影。
刀を抜こうとしたが…伊東祐親の下人・善児(梶原善さん)の小刀に襲われた。
実はこの善児は、実在しない人物で、ドラマオリジナルのキャラクターであるようだ。
史実は地元・平井郷の名主・小平井久重によって殺害されたのだと。



伊東祐親にとって「北条宗時」は孫だが、善児に命じたのであった。

大河ドラマ「鎌倉殿の13人」第5話。工藤茂光(米本学仁・左)と宗時(片岡愛之助・中央)を討ち、その場を去る善児(梶原善)(C)NHK― スポニチ  Sponichi Annex 芸能

右側にあった大きな石碑。



「北条宗時 狩野茂光 碑」と上部に刻まれていたが、下部の文字は解読不能であった。



墓の前には大きな霜柱が。



横にあったのが「宗時神社」のはずであったが・・・。



内陣にはご神体等がなく、廃社になっているようであったが、何処かに遷座したのか。
あまりにも無残な姿なのであったが。



墓地前からの北西側の眺望。



こんな看板を見つけたのであったが・・・。




ネットには「​ 北条宗時 狩野茂光の墓 ​」👈リンク に対する、リンクの如きページがあったので
紹介する。


                              ・・・​ もどる ​・・・


                  ・・・​ つづく ​・・・





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2022.02.28 19:58:57
コメント(0) | コメントを書く
[国内旅行] カテゴリの最新記事


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: