JINさんの陽蜂農遠日記

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2022.11.19
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カテゴリ: JINさんの農園
次に訪ねたのが「曹洞宗 金澤山 勝源寺(しょうげんじ)」。



「曹洞宗 金澤山 勝源寺」
相模原市南区磯部2111。



参道を進む。



「法華経 石一字 供養塔」と。
仏教の信仰形態の一つに「写経」がある。経文を心をこめて写すという行為によって功徳を
得ようとするもので、在家の信者もこれを行うことによって祈願または供養の目的を果たす
ことができるという古来からの信仰習俗である。
本来の写経は、紙または布に書写するものであるが、その経文を長く記しとどめるため経文を

地に埋め石塔を立てたものが石一字供養塔と伝えられている。



 「不許葷酒入山門」。



その先に山門。



「曹洞宗 勝源寺」。



右手に「六地蔵」。



近づいて(右)。



近づいて(左)。



石段の上に赤い屋根の「本堂」の姿が現れた。



「金澤山 勝源寺」掲示板。
「美しいものを 美しいと思う あなたの心が 美しい。」
「食べものを 拝む 他の命を頂いているから いただきます。」と。








梵鐘には縦笛を奏でる飛天の姿が。



正面に「本堂」、手前には黄色の「ザル菊」が。
勝源寺は、磯部のバス停「勝坂入口」より東北へ500mにある曹洞宗の寺院。
『風土記稿』によれば、竜鳳寺(厚木市小野)の末寺で、山号を金津山といい、千手観音を
本尊としています。
また同書では、開山を笑山充誾(寛永5年(1628)没)、開基を伊右衛門(寛永10年(1633) 没)
としています。
当寺には「六本庚申」と呼ばれる青面金剛像が安置されています。これは5代ほど前の住職が
作ったものといわれ、明治から大正時代にかけては養蚕守護を願う参拝客で非常に賑わったと
いいます。特に4月の初庚申の日には露店も並ぴ、そこで売られる「お宝」(木の校に繭などを
飾ったもの)を買うと養蚕が当るといわれていました。また、当時は1000体にも及ぶ小型の
青面金剛像があり、養蚕農家ではこれを借り、春から秋にかけて各家に祀ったといいます。
しかし、これは関東大震災によりことごとく壊れてしまい、現在では残されていません。
この「六本庚申」の信仰は、養蚕がこの地の主要産業であったことを物語るものです。
また、江戸時代には当寺でも寺小屋が開かれ、児童の教育の場として利用されていました。
(平成さがみはら風土記稿より)



扁額「勝源寺」。



龍の見事な彫刻。



「本堂」前の「聖観音」像。







更にお顔を。



「勝源寺の大青面金剛王(六本庚申)」案内板。
青面金剛尊(しょうめんこんごうそん) は、仏法の守護神として知られる帝釈天の使者とも言われ
病魔・災難を除く神として、また、民間に盛行した「庚申信仰」の本尊として信仰されてきました。
当山に祀られている青面金剛像は、「六本庚申」又「千体庚申」ともよばれ、養蚕に効験のある
庚申様として広く信仰を集めました。現在、お像脇に納められている焼物のミニチュア像も、
往時は千体あったと伝えられています。
人々は、養蚕の始まる頃に参拝し、ミニチュアの像を借りて家に祀り、養蚕が終わるとお参りし、
お像を納めました。
四月の庚申の日あたりに行われたお祭りには、露店が出され、大神楽が行われるなど、近隣は
もちろん遠方からも大勢の人が参拝に訪れ、賑わいました。
ここ勝坂周辺には、庚申塔が数多く建てられており、六本庚申との深い関わりがあることが
うかがわれます。」



「青面金剛像」。



現在、お像脇に納められている「焼物のミニチュア像」とあったが・・・??



「本堂」左手の墓地内にあった歴代住職の墓地。



「歴住諸大和尚品位」と。



墓誌には未だ・・・・。



その横の「石仏群」。



「無縁塚」。



大きな石碑が2基。



右側の石碑。



「慰霊碑」と。



「今次大東亜戦争が勃発するや歓喜の声に送られて勇躍征衣上途した此等兵児は南に北に或いは
海に或いは陸に或いは空に連戦連勝進軍・・・」と。



左の石碑。



「陸軍歩兵軍曹勲七等功七級中村光定碑」と。



墓地の奥にも石仏が。



そして駐車場のある「勝坂子供の広場」へと戻る。



平日であったので、車の数は思いの外少なかった。



                               ・・・​ もどる ​・・・


                 ・・・​ つづく ​・・・





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Last updated  2022.11.19 05:09:36
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