JINさんの陽蜂農遠日記

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2024.02.26
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カテゴリ: JINさんの農園
そして都道312号線沿いにある「 等々力不動尊 」の山門前に到着。



掲示板には「 慌てず騒がず一歩ずつ 」と。



山門には「 七五三 」参りの案内が。



運鈍根 うんどんこん




弘法大師 空海 ご誕生 1250年 」と。
空海は774年(宝亀5年)生まれであるので西暦2023年が1250年になるのだ。



東京都指定名勝
等々力渓谷(とどろきけいこく)
所在地 世田谷区等々力一丁目外
指定  平成十一年三月三日
等々力渓谷は国分寺崖線(ハケ)の最南端に位置する開析谷で、都区内唯一の渓谷である。
台地と谷との標高差は一〇メートルあって、騒音も渓谷の中までは届かず、都区内とは思えない
ほどの鬱蒼(うっそう)とした樹木と渓谷美は、幽邃(ゆうすい)な景観を呈し、武蔵野の面影を
よくしている。玉川全円耕地整理組合が、昭和五年から一三年にかけて谷沢川(やさわがわ)の
流路を整備し、小径を設けるまでは、不動の滝からゴルフ橋にいたる渓谷内は殆ど人の立ち入る

あった。
等々力不動尊左手の石段下には、国分寺崖線の湧水(ゆうすい)である不動の滝があり、かつては
この滝に打たれて行をする修行僧が各地から訪れたと言われており、役(えん)の行者
(ぎょうじゃ)ゆかりの霊場と伝えられている。等々力渓谷保存会によって行われている
蛍(ほたる)祭りは、清掃活動とともに地域に根ざした保存活動として成果をあげており、

等々力渓谷は、東京都指定名勝「真姿(ますがた)の池湧水群(いけゆうすいぐん)」
(国分寺市西元町)とともに国分寺崖線名勝群を形成する一つであり、東京を代表する自然地理的
名勝として、植生学、地質学及び地形学上重要である。
                           平成十一年九月
                           東京都教育委員会」



「等々力渓谷
等々力渓谷は矢沢川によってできた谷で、今でも多くの動植物がみられ、四季折々には咲き乱れる
桜、常緑の木立、秋の紅葉も不動滝(ふどうのたき)(竜頭滝 りゅうずのたき)に映え、深山の
趣きがある。谷間は粘土、砂礫(されき)、赤土(関東ローム層)の層が重なって地層の
移りかわりをものがたっている。
不動滝は古くより知られ、清浄な渓谷にしぶきをたてて、とどろいていたことから、等々力の
地名が起こったともいわれている。不動尊本尊は、新義真言宗の宗祖興教(こうぎょう)大師が
山城国(京都府)よりこの地に移したとつたえられる。
                      昭和五十四年三月
                      世田谷区教育委員会」



現在の山門は、昔の満願寺山門を移築したものと。



山門下から「等々力不動尊」の境内を見る。



見事なイチョウの黄葉の下に紅白の吹き流しが。



「草木供養 が左手に。



小さな木祠の中には石仏が。
そして一対の生花が供えられていた。



庚申塔。
六手青面金剛・邪鬼・三猿・二鶏。 
塔の外周は欠けており、像も風化し細部がはっきりしない。 



邪鬼と三猿。

20181110135318074.jpg

二鶏は台座に大きく浮き彫りされていた。雌雄に加え右下にはヒヨコもいるようだ。

2018111013531983d.jpg

右手にあったのは神楽殿か?



イチョウの黄葉が青空に映えて。





境内の左側の紅葉。







喜寿白雲 句碑
恋ほたる 風のふし目に 光りけり  喜寿 白雲 』と。
喜寿を迎えての奉納品か。



手水場にはイチョウの落葉が。



近づいて。



境内の小さな祠・「 厄除大師堂(明王院大師堂) 」。



近づいて。



「常香炉」越しに本堂を見る。



近づいて。中央にあるのが寺紋なのであろうか。



本堂・ 等々力不動明王院 が正面に。
真言宗智山派 寺院の等々力不動尊明王院は、 滝轟山と号し、等々力満願寺の別院
等々力不動尊明王院は、 根来寺の興教大師が当地に不動堂を建立 したと伝えられます。
玉川八十八ヶ所霊場33番、関東三十六不動霊場17番。
本尊は不動明王像



本堂の横には休憩用売店があった。



菊の懸崖作りが両脇に。
懸崖造りは、1本の小菊を大きな株に仕立て、野菊が断崖の岩間から垂れ下がっている姿を
表現する技法。
ピンクの花はピークを過ぎて。



左は黄色の懸崖菊。
氏子の奉納品であろうか。手間暇をかけ、作りあげたものであろう。



瀧轟山 」と書かれた扁額。
満願寺の山号は「致航山」、院号は「感應院」、寺号は「満願寺」。
本尊は金剛界大日如来、宗派は真言宗智山派で、開創は平安時代末です。
中興は室町時代で、吉良氏の居城であった兎々呂(ととろ)城の一角(現在地)に祈願寺として
移築されました。常法談林三衣(じょほうだんりんさんね)の格式の寺で、学問所・教育機関・
本山としての機能を有していました。



山門方向の境内を見る。



紅白の吹き流しが。



寺伝によれば、平安時代後期、真言宗中興の祖にして新義真言宗始祖である覚鑁
(かくばん=興教大師)が本尊の不動明王像を安置して創建したとのこと。
本堂は江戸時代末期の建築で、拝殿は昭和27年、山門は昭和43年に満願寺から移築。
不動の滝への途中には修験道の開祖・役小角(えんのおづぬ=役の行者)が祀られ、
古くからの修験の地である と。
不動尊 」と書かれた巨大な真っ赤な提灯。



「社務所」。



「本堂」前から木製の「 舞台(展望台) 」をズームして。



見事な紅葉が拡がっていた。







手水舎の龍。









再び木製燈籠越しに紅葉を楽しむ。









見上げて。
境内の紅葉は今が盛りか。






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                 ・・・​ つづく ​・・・








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Last updated  2024.02.26 22:02:44
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